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三 人間の型

P57

1 人間の区分

肉的人間は動物的人間であり、霊的人間は精神的人間です。人間を二つの種類に分けるなら、動物的人間、精神的人間です。動物的人間は価値のない人間であり、精神的人間は価値のある人間です。質を比べると何が違うのでしょうか。動物的人間は自分のために生きる人であり、精神的人間は全体のために生きる人です。(一二九\三○三)

この地上に三種類の人間が住んでいることを皆さんは知らなければなりません。体の言うなりに生きる人、心の言うなりに生きる人\心も変わります\そして、神様の心と神様の体が一つになっているその部分に自分の心と体を一致させることのできる人、この三種類の人間がこの地上に住んでいます。(七〇\六一)

信念の強い人、意志的な人、情緒的な人、など三つの型の人間を中心として歴史的な人物が生まれます。これが十二の型に分かれ、さらにこれが三段階になれば三十六の型になります。また、これが男性・女性で展開すれば七十二の型になります。(一八\九四)

2 人間のさまざまな型

統一教会を見ると、皆同じ食口でも実にいろいろな人がいます。白人の中でも百人が百人皆同じではありません。皆さんはこれを知らなければなりません。東の型、西の型、南の型、北の型、などそのタイプは皆違うのです。

皆さんの中には東の型の人、西の型の人、南の型の人、北の型の人、すべています。あるいは、春、夏、秋、冬、すべての季節の人がいます。氷のように冷たくカチカチに凍りついた型がいるかと思えば、一目見ただけで良い印象を受ける型もいるのです。いつも堂々として、いつも成長していけるのは夏の型です。一気に舞い上がって、またすぐ落ち込むのは秋の型です。(三三\四〇)

皆さん一人びとりが、今どの季節に該当するかを知らなければなりません。自分の性格を考えれば、自分が春に当たるか、夏に当たるか、秋に当たるか、冬に当たるかが分かるのです。

人間的にとても美しく、情的に穏やかで、何でもよく吸収する人は春に当たります。また、情がとても豊かで涙もろい人は夏に当たり、淡々としてすっきりとした容貌を持ち、けちをつける隙のない人は秋に当たります。そして冬に当たる人は、一度食らいついたら決して離れない要素をもっている人です。皆さんは自分がどの季節に当たるか、見分けることができなくてはなりません。

秋に当たる人は相対的な人と出会わなければなりません。つまり、春の人を探さなければならないのです。夏に当たる人は冬の人と出会わなければなりません。熱過ぎて心配な人は、冷たい人と出会って冷やさなければなりません。それは目を見れば分かりますし、顔かたちを見れば分かるのです。(三一\二一五)

祈祷生活をすると、人に対するとき、一目見ただけで説明する前にその人がA、B、Cの型のうちどの型か分析できるのです。そんな何かがあります。先生はそれが速いのです。そういう体恤があってこそ…。霊も無数にいます。人がたくさんいるのと同じで、霊もピンからキリまでいるのです。人もありとあらゆる人がいるでしょう? 霊もそうなのです。ですから霊を判別するためには、自分自身の尺度、心の零点(座標の原点)を中心として、これが左に行くか右に行くかを分別できなければなりません。それができなければ霊を見分けることができないのです。善霊か悪霊かということも、そのような感覚によって直ちに分析できるのです。従って、必ず体恤的な信仰が必要だということを知らなければなりません。(七六\一四六)

3 個性真理体としての人間の特性

皆さん、人によって顔が違うのと同じく、人によって臭いが違うことを考えてみてください。臭いをかいでみると違います。だから犬は皆臭いをかいで探すのです。ここに約二百人集まっているとして、二百人全部の臭いをかいでみると皆違います。(九八\二六六)

私たちの教会で使う個性真理体という言葉は特殊な用語です。個性真理体という言葉を使うのです。それを英語でいうとindividual truth bodyになります。おかしな言葉ですが、しかたがありません。(一三三\一四)

一人びとりが持っている特性は一つしかないものです。また、一人びとりの人格も皆違うのです。(四一\一三六)

原理でいうと、人間というのは個性真理体です、個性真理体。お母さん・お父さんから生まれましたが、お母さん・お父さんとは違います。もし、その本性が違っていないのなら、特性を持っていないのなら、生まれる必要はありません。神様が多様な個性真理体をこの地上につくることを願われて、そのような分立体として生まれたのが私たちの個体なのです。ですから、いくら神様が大きいといっても、私たちの個体一つひとつと相対することによって、大きな神様の全体の喜びが完成できるのです。こうして見るとき、小さくても平等な自由、平等な価値を私たちはここで発見するのです。

では、ここにいる人たちが皆同じ顔をしていたらどんなにつまらないでしょうか? うんざりするはずです。長い顔や平べったい顔がいて、鼻の形から何から全部多様なので、見ればみるほど関心を持つようになるのです。これも面白いし、あれも面白い。全部面白いのです。

皆さんが服を着る際にも、男性・女性皆一緒に春夏秋冬同じ季節を過ごしていますが、服を着るのを見ると全部違います。次に歩き方もそうです。歩き方も皆違います。全部違います。手のしぐさも、小さなことですが皆違うのです。また、笑い方も違うし、声も違うし、すべてが違います。そのようにして個性真理体の特性が現れるのです。これが貴いのです。

皆さん、人の顔をよく見ると、目と鼻と耳と口、この四つがありますが、世界四十億の人類を比べてみても一つとして同じものはありません。これが神秘的なのです。それ自体が神秘的なことなのです。そう思いませんか? このように見るとき、個性真理体が喜ぶことのできる天国というのは、男性・女性を中心として個性的な人間たちが入って住んでいるため、そのすべての人間たちが調和し、理想形として現れる所です。(一二四\二七九)











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