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第二節 人間の目的と価値観

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一 人間の目的

1 本然の目的

先生は全生涯を捧げて修道の道を歩んできた人です。さらに、宇宙の根本と神様の実存という問題をめぐってだれよりも悩んだ人です。

血と涙のにじむ修道の過程を通して、先生は生きた神様の実存をはっきりと知りました。生きた神様と直接対面する体験までするに至りました。そして、宇宙の根本である神様との平和を得ずして、この地球上で真の平和を論ずることはできないと悟ったのです。

神様は宇宙の第一原因であり、森羅万象の創造主です。そして私たちの愛する父です。神様は特別なみ旨を成すために万物を創造され、その目的はまさしく愛の具現にあります。神様は真の愛の根源ですが、いくら全能の神様でも、一人では決して愛の喜びを感じることはできません。神様は愛の対象が必要であり、その対象から自発的な愛が返ってくることを願いました。その対象として最高の被造物がまさに人間です。そのような理由で、人間の人生には目的があるのです。人生の目的は成熟して神様と永遠に真の愛の関係を実現することにあります。まさにこれが神様と人間の間に平和を成す根本原理なのです。(一六六\一三一)

私たち個人はもちろん、地上に生きている数多くの人間たちの中に善を望まない人はいないことを私たちはよく知っています。これまで歴史の方向も善を指向してきましたし、教育者や信仰者たちも善の基準を立てるために努力して闘ってきたことをよく知っています。ですから、生まれるのも善のために生まれ、死ぬのも善のために死ななくてはならないのが人生の目的です。人生の目的のみならず、人間が歩んできた歴史の目的であることを私たちは否定することができないのです。(二四\一三)

自分たちが豊かに暮らすことも大切ですし、自分たちが何かをすることも大切ですが、それより先に、縦的な天の父母の前に孝の道理を尽くさなければならないのです。縦的な天の父母の前に忠の道理を尽くさなければならないのです。縦的な天の父母の前に聖人以上の道理を尽くさなければならないのです。それが、人間が生まれた本来の目的です。また、そのような人間と出会うために、神様は人間をつくったのです。そういう目的があるのです。(五八\二三一)

真の人生を生きる道はどこにありますか? 人間はどこから生まれましたか? 愛から生まれましたが、人生はどんな道を行かなければなりませんか? 愛の道を行かなければなりませんが、どのように死ななければなりませんか? 愛のために死ななければならないという結論になります。その愛はどんな愛ですか? 大宇宙が歓迎できる愛です。小宇宙ではありません。神様が認め、天使世界が認め、万物が認め、すべての人が認め、父母が認めることのできる大宇宙の中で生まれ、その中で生き、その中で愛し、その中で死んでいくことが人生の目的だと見るのです。(八三\一六四)

人は自分がよいときは親、兄弟、親戚を訪ね、一緒に楽しもうとします。よいということは幸せだということです。幸せは永遠なものであり、永遠なものは心情です。

宇宙の中心は何ですか? それは親と子です。つまり親と自分です。神様と自分なのです。神様は父、自分は息子…。

人生の究極的な目的は、父を見つけだし、切っても切れない関係を結んで喜びを感じることです。(一二\一〇四)

2 人生最高の目的

人生最高の目的は何ですか? 堕落した人間にとって最高の願いは何ですか?「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。(コリント十三/十三)」というこのみ言は、実によいみ言だと思います。(一六\一三二)

人間は何を目的にしなければなりませんか? 個人を目的とするよりも、家庭を目的とするよりも、団体を目的とするよりも、国を目的とするよりも、世界を目的とするよりも、天地を目的とするよりも、神様を中心として、神様と人間が一つになった目的に向かって進まなければならないのです。

では、どの目的が最後に残るでしょうか? 個人を中心とするものは流れて行き、家庭を中心とするものも流れて行き、自分の団体を中心とするものも流れて行き、国を中心とするものも流れて行き、世界を中心とするものも流れて行くのです。しかし、最後まで残れる一つの目的があるとすれば、それは神様と人が合同で追求する目的です。そのような目的だけが人類歴史の最後まで残ることができるのです。(四一\三二三)

皆さんの心が最後に落ち着く終着点はどこですか? 神様を見つけて自分のものにしたとしても、そこに皆さんの心は安息しようとはしません。では、皆さんの心の最後の終着点はどこですか? 神様を占領し、神様の愛を占領するところです。ですから、皆さんが神様の愛を占領できなければ、万事がだめになります。

人生の最後の目的は何でしょうか? ここでは神様を中心として天の中心となるそのかたと出会うことが問題なのではありません。そのかたとともに生活することが問題になります。

そのかたとどんなところで出会うか、どんなところで生活するかというのが問題です。そのかたとは中心で出会い、中心で生活するというわけですが、その中心となる場というのは神様の愛の場です。

ですから、人類の良心が指向する最高の目標は、天運に従って神様と一つになり、神様の愛を自分のものにすることです。結論はそれです。(二四\一七)

人間が最後に到達したいと願うのは何でしょうか。最高のかたの愛の相対者となることです。その最高のかたがだれかといえば、私たちの父であると同時に神様なのです。(六五\四六)

3 二重目的

私たち人間は、二重構造の形態になっています。霊的世界と肉的世界、この二つの世界の媒介体、共鳴体として生まれたのです。(一二七\一五四)

人間は男性であれ女性であれ、心と体の二重構造になっています。心は縦的に、体は横的になっています。縦横の起源を通さずしては座ることも位置を決定することもできません。違いますか? 間違いだ、ぺちゃんこだ、まっすぐだ、正しい、といえる基準は縦横の基準なしには設定できません。位置を決定できません。東だとか西だとかいう位置を決定できません。(一七二\二六四)

統一教会でいう個体目的と全体目的というのは歴史的に妥当な論理的基盤で主張できる、ということを私たちはここで知ることができます。そして、個体目的は何かというと、個体完成のためのものであり、全体目的は何かというと、個体目的完成のためのものです。そこで、個体目的を完成せずしては全体目的に接することができない、出発することができない、ということができるのです。(一〇八\一六二)

人間には体の目的と心の目的があります。では、どちらがより大きな目的で、どちらをより早く成さなければなりませんか? 心の目的を先に成さなければなりません。

個人の小さな目的と大きな目的があるとき、小さなものを捨ててより大きな目的を追求すれば、ここにはプラスの要因が発生し、小さな目的にも利益になり、大きな目的もやはり成すことができるのです。共産主義者たちも目的世界は認めています。しかし、非目的世界から目的世界に変わるその過程においては、必ず破壊的な闘争の歴史が展開すると言います。従って共産主義の理論は、いつかは覆されるのです。

人間は生まれたときから行くべき道があります。全体のための目的と個体のための目的、すなわち二重目的の存在になっています。(一九\二九九)













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