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四 身体の解説

P87

1 目は神様の象徴

人が「神様は絶対いない」と言っても、私たちは「神様は絶対いる」と信じ、自信を持って進まなければなりません。創造原理を中心に人体の構造について詳しく話してあげたいのですが…。皆さんは、興味と関心をなくさないようにしてください。(三九\一六六)

皆さんは鏡で皆さん自身の顔を見ることができます。顔は宇宙を象徴し、そこには天地の調和があります。また、目は神様を象徴します。だからすべての万物が生まれるとき、目から生まれるのです。それを知っていますね?(はい)。人の目は宇宙の目のような中心存在です。首が目のために行ったり来たりするように、宇宙も神様のために行ったり来たりするのです。この目は情報機関なのです。

あらゆるものは三段階からなっていると話しました。目も三段階になっています。縁は白目で、次に黒目、中央に瞳があります。黒い瞳は重要なものなので中央にあります。ところで、瞳はなぜ丸いのでしょうか。男性と女性が円満でなければならないことを意味しているのです。角があってはいけません。自動車のタイヤは全部丸いから走るのであって、ちょっとでも歪んでいたら大変です。だから人は目のような男性、目のような女性になればいいとなるわけです。不思議ではないですか? 大切なものが中央にあるのです。(三九\一六七、九四\六四)

目は神様を象徴します。ところで、この目は何が好きですか? 色が好きです。色を鑑定します。色というものは本質相を表します。すべての色は、その本質がどうであるということを表すのです。目が行ったり来たりするのは神様を象徴し、宇宙を象徴するのです。体の中で真ん丸いのは目しかありません。分かりますか? だから目は上にあるのです。神様のように。目がこの辺についていたら、どんなにかよさそうなものでしょう? しかし、それでは秩序がありません。

また、眼球は横に行ったり来たりします。これが動かなかったら、首がどれほど疲れますか? どれほど精神的に疲れるでしょうか? 考えるほど偉大なのです。もし、これがこうなって、これはこのようになって、こうだったとしたら、皆さん、一日それで生きてみなさい。(一一八\一一二、一五九\二七〇、一〇七\二九四)

目は神様を象徴するので、二重、三重の構造によって見えるようになっています。これは栗と同じです。いが、皮、渋をむいて中身が出てきます。そして、目は人間の性稟を表します。目を見ればその人の性格がどうであるか分かります。かえるの卵がおたまじゃくしになるとき、目が先に出来ます。そうでしょう? なぜだと思いますか? それは神様が先におられたからです。(三八\二五三)

皆さんも自分の顔を見て、美人だなあと思いながら、目を見ると不思議に思うことでしょう。この目はなぜここについているのだろう? これはもういくら考えても、ここしか居場所がないのです。それに、もし目がこんな高いところに来ていたらどうでしょうか?(笑い)そうなったら目はどこを見るのですか? どうやって角度を合わせますか? このように考えてくると、目はいつも中央になければなりません、中央に。見ればほぼ中央にあります、中央に。(三七\一七)

皆さん、目はなぜ二つあるのですか? 一つだけだったらどうですか? 神様はなぜ目を二つつくったのですか? 鼻の頭に目をつくったほうがずっといいでしょう。なぜ二つにしたのですか? それは、ここに一つあるだけでは、四方の感覚の均衡がとれないからです。一つだけでは体が傾いてしまうのです。なぜですか? いつも水平線を中心として垂直を合わせることができないのです。一つだある場合、均衡をとるには、どんな位置かを知るにはこのように見て、こう見なければなりません。こうしてようやく「ああ! ここなのか」と分かるのです。しかし、これでは四方の感覚がつかめません。

そこで便利なように、目がこうして左右に二つついているのです。こっちにあったらどうですか? どんなに不便ですか? また、この目が独りぼっちでいたらどんなに寂しいですか?(笑い)二つあれば、右の目は「あ、お前、そこにいるのか。左目がいるんだな」と思うのです。いいでしょう?(一一〇\八七、一八七\六四)

この目はなぜつくられたのですか? なぜ生まれたのですか?(見るためです)。見るために生まれましたか? 見てどうしますか? よいものを見るために、愛を探すために生まれたのです。(八三\一六九)

西洋人は目が大きく、東洋人は目が小さいです。だから西洋人は近くのものしか見れないのです。だから西洋人は現実主義なのです。目が大きいために全部は見れません。近いところは見えても。しかし、東洋人は未来を見るのです。目が小さいから未来が見えるのです。(九四\六三)

2 眉毛

眉毛は何のためにあるのですか? それは天と人類世界(地上世界)とは一つですが、このような間隔があることを象徴しているのです。(九四\六三)

顔に眉毛は何のために生えているのですか? それも、縁起でもなく真っ黒なものが。眉毛を一度見てください。顔に真っ黒な眉毛がついているのを見るたびに、「なぜこんな真っ黒なものがあるんだろう」と気分が悪くなるかもしれません。マツケムシのように真っ黒で、しかも一匹でなく二匹も額にへばりついています。でも、よく考えてみると、「本当にいいものがついているな」と感じられるのです。

共産党は環境に適応していくうちにそうなったと言いますが、それは間違っています。しかし、なぜ眉毛はここについているのでしょうか。また、人が四つ足で歩くとしたら眉毛は必要ですか?(必要ありません)。人は二本足で立って歩くので、必要により眉毛ができたのです。人の顔に毛が生えていたら眉毛は必要ですか?(必要ありません)。動物は四つ足ではって歩くので、眉毛が必要ありません。似たものがあるだけです。しかし、人は立って歩くので眉毛が絶対的に必要なのです。

眉毛がなかったら、汗をかいたときに困ります。汗が額から流れると、眉毛で目を避けて流れるのです。それで眉毛のある所は少し盛り上がっています。眉毛の生えている所はちょっと高めになっています。とくに男性は眉毛の所が盛り上がっていなければなりません。しかし、女性は少し低いほうがよいのです。

眉の所が心持ち高くなって山脈を成しています。まさしく最高の位置なのです。なぜそのようにつくられたと思いますか? 人が立って歩くことを知っていたからです。人が逆立ちして歩くとしたら、眉毛は必要ですか? 逆立ちして歩くとしたら、目の下にあるはずではないですか? 本当にうまくつくられているのです。

本来、理想的な眉毛は、少し盛り上がっていなければなりません。もし、眉毛が盛り上がっているのでなく、へこんでいたなら、汗がそこに集まってごみ箱になるはずです。そうなれば、ごみ箱になるしかないのです。皆さん、このようにうまくできた眉毛を百万ドル出すと言われたら交換しますか、しませんか?(しません)。

また、目はなぜ瞬きしますか? もし、目が瞬きしなければどうなるでしょうか? それこそごみ箱になるのです。目が瞬きするのは、空気が乾燥するため水分が蒸発して乾くのをおしぼりで湿らしてやる働きをするのです。そして端のほうに窓の格子のようなまつげがあるのはなぜかというと、ほこりが目に入ってくるときに、目に知らせたり防いだりするためです。こんなレーダーのような装置はどこにもありません。

目は中に深くへこんだつくりにはなっていませんし、また歪んだ形にもなっていません。さらに眉毛は一方向に生えています。

目はやや外側に出ています。なぜかというと、安全にするためであり、水が流れるとき、一カ所に流すためです。汗をかいたら必ず目に入ってしまうことを知っておられた神様が、それを保護するために「眉毛は目の上にこのようにあれ」と言われたのです。目に不純物が入ってはいけないからです。汗や雨水が入らないようにつくってあるのです。そうでなければ、目が痛くてたまりません。雨水や汗が目に入りそうになっても、横に流れて入らないようになっているわけです。

目を見ると、信じられないことに、まぶたで保護されています。涙は横の低いほうへと流れ落ちるようになっています。安全が守られているわけです。だれが設計したのか分かりませんが、何千年も何万年も研究してつくったはずです。これらのことを考えてみると、目がいかにうまくつくられているか分かります。(三九\一六三、三八\二四八、三八\一五五、三七\一七)

私がいつも話している目という存在は、すでに天文学的知識を持っています。この地に空気があることを知っています。だから眉毛も生えているでしょう。

眉毛のない人がどこにいますか? すでに知っていたのです。この地上では輻射熱(放射熱)によって水分が蒸発することを知っていたのです。それでまつげがあるのです、まつげが。違いますか? 目が瞬きしないのなら、どうしてまつげが必要ですか? なぜこのように瞬きしますか? ほこりを…。ほこりを上に押し上げて、目に入るのを保護するためです。

瞬きしなかったら大変なことになります。目がごみ箱になります。風が吹けば、当然このだだっ広い目の中に吹き込んできます。それをすべて知っていたのです。すごいことでしょう! 自然にそうなったのではありません。(一八七\五八)

昔、私が日本にいたころの友人の中には共産党員が大勢いました。私は彼らを集め、「君たちの目はどうなっているか? 目はなぜ瞬きするのか? 瞬きしなければ、君たちの目はごみ箱になってしまうはずだ。これは空気の中にほこりがあることを知っていたからだ。さらに、まつげはなぜだれのまぶたにもついているのか? まつげが窓格子の役割を果たし、どれほど見事に防御していることか。これが自然に出来たというのか?」と神様の存在を明らかにしました。それで共産党員は先生を嫌っていました。こうして先生は、世界を懸けて闘う訓練をしてきたのです。

皆さん、鏡を見る度に顔をよく見てください。目は、まぶたが一日に数千回瞬きします。これが一日でも止まったら、目はどうなると思いますか? 瞬きすることによって、目をきれいに掃除してくれるのです。そうですね? 実に不思議なことです。すべてを知り尽くし、水も漏らさぬ準備をして生まれたのです。(三八\二一五)

3 鼻

秩序の中にはどんな秩序があるでしょうか? 主従関係と上下関係です。これでほとんどすべて入ります、ほとんど。これを一つの原則、一つの公式として見てみましょう。まず、私たちの顔の中で、鼻はどうでしょうか?(垂直です)。この鼻は目より大切なものですか? どうして真ん中についているのですか? 重要な部分なのです、重要な部分。どうして重要なのかというと、一日中食べているからです。いつも何かを食べているのが鼻なのです。寝るときは目も閉じ、口も閉じ、耳も休んでいますが、鼻は食べています。夜には「グー、グー」と昼にもまして食べなくてはなりません。(笑い)なぜ、このように二十四時間食べているのですか? 食べないと命にかかわるのです。大変なことになります。

ですから、鼻というのは顔の中心につけておく価値がありますか、ありませんか?(あります)。それで、王のように大切に迎えるために「中心に座ってください」となったわけです。それだけ重要な位置につけるのです。目を閉じて約五分じっとしていても何ともありませんが、鼻をつまんだらどうですか? それだけ重要なので縦的になっているのです。それから口があります、口が。口は横向きになっていますね? そのくせ動く方向は縦的です。(笑い)

なぜそうなっているのですか? 皆それぞれ似ているのです。横的なものは縦的に似ており、縦的なものは横的に似ているのです。鼻は何を象徴していると言いましたか、きのう話したとき?(アダムとエバです)。アダムとエバ、人を象徴しています。

そして鼻は通じていないところがありません。目にも通じ、耳にも通じ、すべてに通じています。だから鼻をつまんでフウッとやれば空気が…。右の穴は男性で、左の穴は女性です。それは神様が息をする穴なのです。何を? 愛の空気を吸うのです。霊界ではそうなっています。空気は何かといえば、愛です、愛。愛を感じ、愛を呼吸する訓練をするために男性・女性、相対がいることを知らなくてはなりません。

ですから、鼻はたとえ縦的になっていても穴は二つです。中のほうでは一つになります。中に入って一つになるくらいなら最初から一つにすればいいのに、なぜ二つになっているのですか? すべての原理がそうなっているのです。皆さん、片方の穴が詰まったら気分がいいですか? それは故障したのと同じです、故障。従って、この鼻が故障することによって全身が故障します。アダム・エバの場合、男性と女性が故障したわけですから、全宇宙が故障したことになるのです。

この鼻で何を連結しますか? 生命をいつも連結します。アダムとエバは、二人が一つになって永遠の愛を中心として生命を連結するのです。同じです。そして耳も工場であり、目も工場であり、口も味を見る工場です。これらは皆情報機関です。臭いをかぎ、味を見て、音を聞いて…。目は天を象徴し、鼻は上とつながっています。さらに口までもつながっています。鼻はそうなのです。鼻は何かというと宇宙そのものです。これは天に通じているのです。全部鼻に連結されているのです。ですから、これはセンターです。すべてのセンターになっているのです。そして、鼻から下にかけて溝があるでしょう? だから万物までも主管できるのです。(一一八\一一二、一二三\一二七)

宇宙の中心はアダムとエバです。そしてこの宇宙を観察するのが神様です。ですから、いちばん初めは神様なのです。それで生まれる際には目が先になるのです。しっかりと目を中心に見てください。目が先につくられるようになっています。そして最後につくられるのは鼻です。

鼻はなぜ突き出ているのですか? 鼻は人の体の先頭にあります。鼻が先頭ですか、腹が先頭ですか? 鼻は道案内です。道を案内するものは天道にのっとり、礼法を身につけていなければなりません。

西洋人はもともと鼻が大きいのでさておき、東洋では小さかった鼻が、背が伸び二十代になって大きくなります。それはどういうことかというと、鼻はアダム・エバ、つまり人間を象徴するため、人間がいちばん最後に完成することを意味するのです。(九四\六五、三九\三三一)

人の顔の中で、鼻はいちばん醜い部分です。洗面する際にも、この鼻のためにいつもかがんでしなければなりません。鼻はなぜこんな形をしているのかというと、顔を洗う度にあいさつして有り難く思えというわけです。(笑い)鼻の形がこうなっているのは、地上に天候の変化があることを知っていたからです。夕立も降れば霧雨も降ることを知っていたのです。もし、鼻が逆さについていたらどうなったと思いますか?(笑い)それら、危険なものが入らないように、事前に防止してあるのです。

皆さん、鼻はなぜこんな形をしているのですか? 上が太くて下が細くなっていたらどうだったでしょうか? 大変なことになります。ホースを突っ込んだように、すべて鼻に入ってしまいます。下のほうが広くなっているのは、汚物があるからです。下のほうが広くなっていないとだめなのです。それは鼻の下に口があるからだと話したでしょう?

のみならず、ここに溝まで掘ってあります。溝のない人、いますか? 汗をかいたら外側に流れるようになっています。そしてこの溝は、汗が流れることを前もって知っていてつくられたのです。(三八\一五四、三八\二五〇、五四\九九)

先生の鼻には特色があります。鼻が高くてとがっています。ユダヤ人の系統はこうなのです。宗教民族は鼻がとがっているものです。ユダヤ人を見てください。とがっているでしょう。宗教的な素質を持った民族です。

鼻が高い民族は頭のよい民族です。精神的な面に秀でているのです。見てみなさい。芸術家や宗教家は皆そういう素質を生まれつき持っています。(九六\二二九)

鼻はアダム・エバを象徴していると言いましたが、アダム・エバはどうしたら幸福になるのでしょうか? 西洋人の鼻を見ると、細くて高い鼻です。東洋人は低くて広い鼻です。また、黒人を見ると、下が広くて短い鼻です。その比率を見ると、たいてい似通っています。考えて見てください。本当かどうか。

それでは、黒人の鼻はなぜ下が広いのでしょうか? 暑いので、空気がたくさん出たり入ったりしなくてはならないからです。また、白人は北極のように寒いところに住むので、冷たい空気がたくさん入ってはいけません。少しずつ長く入って行くのでなければなりません。白人は北極から来た人々です、北極から。東洋はというと、温帯圏内です。黄色人種は、温帯圏内にいるため、このようにずんぐりとした鼻なのです。(笑い)事実です。

このように見るとき、鼻がアダム・エバを象徴しているなら、将来人類の調和をだれが成すのでしょうか。黒人でもなく、白人でもありません。黄色人種なのです。骨相学的にそういう結論になります。そして、白人と黒人が争う代表的な国がどこかというと、アメリカです。だから神様は考えた末にレバレンド・ムーンを送ったのだ、といえるわけです。(拍手)両者の間に入って争いを止めるには根気が必要です。黒人はたいてい怠慢です。なぜですか? 暑いところにいるので、怠慢にならざるをえません。そうですか?(はい)。(笑い)そして白人はまじめです。北極にいる白熊は、じっとしていたら凍え死んでしまいます。だからまじめなのです。事実です。

ところで温帯圏内では、夏の暑いときは怠けて、冬の寒いときにはまじめになります。これで調和するのです。さらに春と秋があります。こうして気候的に見てくると、これから世界を支配できる人は白人でもなく、黒人でもなく、黄色人種圏内から出てくるといえます。私が黄色人種だからこんな話をするのではありません。分かりますか?(笑い)

ですから、世界的な指導者たち、思想的で理想を追求する人々は東洋から現れました。西洋文明の思想は闘争歴史の促進剤でした。歴史上、争いの血をたくさん流した人々は白人です。それを知らなければなりません。北極では動物を捕まえて食べなければならないからです。黒人は主に草食です。木の実を食べて暮らします。人類歴史において、いちばん血を流さなかった人種は黒人です。そして黄色人種は、その中間です。肉も食べれば草食もします。そのようなことは、思想的に知っておいたほうがいいでしょう。(笑い)

それから、この鼻は円形に近いほどいいことを知らなければなりません。そうではないですか? 円満でなければなりません。西洋人の鼻の構造を見てください。彼らよりもふくよかで丸顔の人々がすべての物質を獲得するのです。

そのため、西洋文明は一方向だけに深いわけです。科学や細部的な面に深みがあります。また、黒人は一つの問題について十年、二十年と人生を懸けて考えることを嫌います。ずっと考え続けることができません。そして東洋人は、人生について最も深く考えます。だから道徳問題に関して次元の高い観念を持って生きるのです。分かりますか?(はい)。(一〇七\二九七)

空気を吸うことを知っていたので、鼻の中に窓格子のような毛をつくっておきました。鼻を見ると、中に鼻毛が生えています。パイプが何かでふさがっていたら気分が悪くないですか? 本来、パイプは滑らかで、ふっと吹けば空気がシュッと抜けなければならないのですが、そこに引っかかるものがあったらどれほど気分が悪いでしょうか? 鼻の穴もよけいなものがないほうがいいのに、なぜ鼻毛で複雑にふさいでいるのでしょうか? 穴が奥まで見えるか、一度のぞいて確かめてください。逆さにしてのぞき込んでも見えません。見たことのない人は、この後、食事の前に友達の鼻の中を見てください。先生の言うことが合っているかどうか。鼻毛でふさいであります。毛が全部中心に向かってうまく生えています。

空気の中にほこりがあることを知っていたのです。空気が主に中心部を通るわけですが、ほこりが入ってはいけないので、毛が中心に向かって生えているのです。なぜこんな見た目にもよくないものがあるのかと思いますが、これがなかったら大変です。この毛が一カ所に集まっているので、鼻に入ってくるほこりやごみがそこで止まるようになっています。そして流れ出る鼻水に混ざり、固まって出てくるわけです。研究してこのようにつくったのですか、自然にこうなったのですか? 自然にこうなったと思いますか? 人間が設計したとしても、このようにできはしません。ですから、鼻自体は空気の中にほこりがあることを知っていたでしょうか、知らなかったでしょうか?(知りませんでした)。知らなかったらどうしてこんな完全無欠な原則を持って生まれたのですか? それなら、これを知っていた張本人がいなければならないでしょう? 皆さんはいないと思いますか? 共産党でも、私のこの話にはぐうの音も出ないのです。こうして説明するのが、神様を見せてあげるいちばん簡単な方法です。そうでしょう?(はい)。(三八\一五五、五四\九九、三七\二〇、二四\二〇、三九\一六四、三八\二五〇)

4 口・舌・唇

人の目は神様を象徴し、鼻は人を象徴し、口は万物を象徴します。口は食べ物を食べるので万物を象徴するのです。口は万物を象徴します。口は多くの食べ物を食べるようになっています。この口を通して、心と体の関係が成されるのです。口は何がいちばん好きですか? 万物を摂取することです。そのあらゆる存在の形態と連結することです。また、すべての言葉はこの口を通して出てくるのです。(三九\一六七、三八\二五三、一〇七\二九三)

歯は、食べることを知った上でつくられましたね? さらに、話すことを知った上でつくられたものです。舌が言葉を話すには、唇とうまく調和しなければならないでしょう? 唇が板で作ったようなものだったら、どうやって言葉を話しますか? 私が話すのを見てください。私がこのように話すのを見ると、いつの間に考えてあるのか、唇とうまく調子を合わせてすらすら言葉が出てきます。なんとすごいことでしょうか? こうして見ると、すべてを知っていたことが分かるのです。(三九\三三二)

口の中にある舌も実に不思議なものではないですか? 舌は七十年、八十年、伸びたり縮んだりしても、何の故障もしません。本当にうまくつくられているのです。ご飯を食べるのを見ても、言葉を話すのを見ても実に神秘的です。口の中で伸び縮みしながら、しかも裁断機のような歯の間を出たり入ったりしながら衝突もせずに、なんとも見事に拍子を合わせています。調和の極致といえます。

もし、舌が手の指のようなことをするとしたらどうなるでしょうか? 大変なことになります。言葉で説明できないほど複雑な作用をするにもかかわらず、絶妙の動きで滞りなくご飯を食べ、話しをするのを見てください。これは天地の調和を成す姿です。本当に神秘的です。皆さん、舌に感謝しなくてはなりません。舌がなければどうやってご飯を食べ、話をしますか? このように、これらのすべてが何をしなければならないかを、生まれるときからすでに、何者かが知っていたのです。(三八\一五五、三八\二五〇)

唇はなんと不思議なものでしょうか? 唇と歯は調和していますか、どうですか?(調和しています)。しかし、唇と歯はどのくらい離れていますか? わずか数ミリしか離れていません。しかも、舌は歯と歯の間で危険ではないでしょうか? それにもかかわらず、舌は上下の歯とうまく三数の調和を成しているのです。歯の間を出入りしながら、まかり間違えば噛まれてしまうでしょうに…。がぶっと噛んだらおしまいです。情け容赦なく噛み切られてしまいます。こんな危険なことはありません。しかし、不安を感じますか?(感じません)。食べるときはひたすら食べることに夢中で、不安など感じないのです。

口もゴムの中の最高のゴムです。広げるときは思いきり大きく広げ、すぼめるときはとても小さくできます。全く自由自在です。皮よりも生ゴムよりも優れています。何ら力むことなく言葉を話せるのを見ても、本当に不思議です。電子オルガンや、人工頭脳か何かを持った機械でも、これほど正確に拍子を合わせられると思いますか? 口のようにはいかないのです。舌は思いのままに動いてくれます。食べるときや話すときに、一つの垣根の中で唇と歯と舌がかくも見事に拍子を合わせる様子は実に神秘的です。(三八\二五〇、三九\一六四、一五九\二七一)

唇は、上唇は薄く、下唇は厚くなっています。長さはどうですか? 上唇が長いですか、下唇が長いですか?(上唇が長いです)。上唇ですか。どうしてそうなっているのですか? ここに線がこうなっているので長く見えるのです。すべて調和を成しています。分かりますか? 唇を見ると、上唇のほうが長いと思うでしょう? 実際は短いのに。なぜかというと、下唇が厚いのでバランスを取るには長めでなくてはならないからです。そうでなければ、下唇に押し上げられてもっとバランスが悪くなるのです。相手のことを考えてそのようになっているのです。分かりますか?(一一〇\八八)

歯は何個ありますか?(三十二個です)。なぜ三十二個なのでしょうか。それは、四掛ける八で三十二だからです。四は四位基台を意味し、八はこの世の中を意味し、さらに八は再出発を意味しています。これはあらゆる万物を証しすることができ、消化できることを意味しています。四位基台の二倍の数が調和したものですから、立体的だといえます。四数の立体性を意味するのです。人間が森羅万象のすべての万物に接することができるようになるのはこのためなのです。それで、歯並びのいい人は乞食になったり、ひどく貧しい暮らしをすることがありません。なぜですか? 自然は、どうせ人間に食べられるなら美しい歯でかじられたいと思うのであって、醜い歯でかじられたいとは思いません。それは理論的です。自然の理にかなっているのです。

だから自然も美しい人を好むのです。これらのことから、人間は皆漠然と生まれたわけではなく、全宇宙の調和を成して生まれたのです。したがって、全部四位基台になります。鼻も一から四位基台を成します。二に向かって、こうして洞窟がここで分かれて二つになるのです。これが鼻です、鼻。(笑い)これは目です。目には必ず焦点があります。視神経の焦点が合わなければなりません。これは四位基台です。そして耳は四方、全体に通じます。私たちの耳は全体と四方に通じるのです。

人間は、顔かたちを見れると、どれも四位基台を並べたようなものです。口もそうです。口も四位基台です。全部そうなのです。ここがこうなっているのも四位基台です。四位基台を分けた一つです。円形も四位基台の変形です。全部、その変形なのです。(九四\六五、一一八\一二二)

5 耳

耳はどうしてこのように格好よくできていますか? 耳ができる以前に何者かが、空気があることを知っていたのです。さらに、鼻を見てください。鼻は何のためにこうなっているのですか? 皆さん、神様がいるかいないかということは、目・鼻・耳を見れば分かります。神様はいない、という者は目玉を抜いて、耳をふさぎ、鼻をそぎ落としてみなさい。(三八\一五四)

耳が後ろ向きついていたらどうなったことでしょうか? すでに前方に向かって話し、前方から聞くことを知っていたのです。そして、大きな山脈と小さな山脈で和音するようにし、さらに事故が起こることを予想し、防止するようにつくられているのです。どうでしょう、どれもこれも、知らないのにこうなったと思いますか?(五四\九九)

耳を一度見てください。耳を見ると、あらゆる音波が耳の神経に入って連結されるようになっています。もとの音は一つですが、皆さん、音叉を知っているでしょう? 音叉を一つ叩くとの同じです。「コーン」と鳴らすと、横にあるものも「コーン」と鳴ります。

耳の溝はこのようになっていますが、この溝がなかったらどうでしょうか? 前の方からくる音が素通りしたらどうなるでしょうか。気分が悪いことでしょう。遠くで話す声を聞くことができません。また、耳は前から来る音を聞くようにできています。なぜ? 相手と向かい合って話をするからです。耳元に口を近づけて話をする人はいません。耳の溝がこのようにつくられているのは、前方から来る音を聞くことを知っていたからです。(三八\二四八、九六\二六)

耳の特徴は、よい音を聞こうとすることです。悪い音を聞こうとはしません。悪い音を聞こうとするものであるなら、音楽干渉などどうしてするのですか? よい音を聞こうとするからなのです。よい音の中でも最高のよい音を聞こうとするのです。

ですから、見るのも最高のものを見て、聞くのも最高の音を聞き、臭いをかぐのも最高の臭いをかぎ、触るのも最高によいものを触ろうとします。では、最高によいものとは何ですか? 愛です。そして愛の主人公、愛の大王様はだれですか? 天地を創造された神様です。(三七\二二)

6 髪

髪の毛は木と同じです。髪の毛を指でこすってみると、どちらが根元でどちらが先の方か分かります。木の葉のようになっているからです。これらのことから、どれも皆、体を保護するために一つひとつ真心込めてつくられていることがわかります。

つまり、百科辞典で研究して決定し、設計し、百パーセントの価値を持った傑作としてつくられているのです。これが人間です。これでも人間が独りでに自然発生したと思いますか? (三七\二〇)

神様は、私たちの体を満点に満点を増し加えることのできる自然な体につくりました。髪の毛をよく見ると、木のようになっています。手で髪の毛をこすってみると、どちらが根元でとどちらが反対側か分かるようになっています。先のほうから根元のほうに動かすときにざらざらした感触があります。髪の毛はざらざらしているので、物に触れるとくっつくわけです。(三八\一五五)

最近では髪の毛一本で人の性格から職業まで分析できるのと同じく、その人の背後の関係をすべて分析し、置かれている環境も分析できるのです。このように科学的な時代になって詳しく探ってみると、私たちの体の一部分、肢体というものは自分だけのものではありません。皆連結されているのです。(五九\一七五)

7 額と顔

なぜ額は平たく横に広がっているのか考えてみましょう。それは天が広いことを象徴しているのです。神様は広いということです。宇宙の中心は何ですか? 神様です。(九六\六三、三九\一六七)

8 ひげ

男性にはなぜひげがあるのでしょうか。女性にはないのになぜ男性にはひげがあるのでしょうか。このひげも保護するために必要なのです。男性は仕事をするので汗をたくさんかきます。それでその汗が広がらないでうまく流れるように、防御体としてひげが生えるのです。(三八\二五〇)

9 首

人間世界は霊界と同じです。霊界が共にあるのです。首から上は霊界に該当します。なぜ首は細くなっているのですか? 首は情報機関なのです、情報機関。ですから、霊界から人間世界の臭いをかぎ、声を聞き、眺め、味わうのです。人間が秩序の組織圏内にいることを否定することはできません。

そしてこれが縦的・横的になっていて、次に立体が展開するのでもう一つ必要になります。これを一つの球形として想像するのです。すると何になるかというと、縦、横、前、後になります。これを統一教会では、前後、左右、上下の関係といいます。それを知らなければなりません。宇宙には本来、そのような秩序が絶対必要です。(一二三\一二九)

頭(首)がこのように回るようになっているのはなぜですか? 耳のためでもなく、目のためでもありません。それは宇宙が神様のために回ることを象徴的に見せているのです。(五四\一八)

10 手・指・爪

統一教会では、神様を「二性性相の主体」と表現します。皆さん、「ナンバーワン」というとき、親指をこうして立てるでしょう? 親指でなく人差し指を立てる人、いますか? いないでしょう。親指は何を意味しますか? 神様です。そして、親指には間接が二つあります。それは二性性相であられる神様を象徴しているのです。神様は男性と女性の二つの性稟を持っているのです。

皆さん、子供が生まれるとき、必ず手をにぎった状態で生まれてくるのはなぜですか? 天地の理に従っているからです。手を見ると親指は二つの間接からなり、それは二性性相の神様を象徴し、残りの四本の指は四季を意味し、十二の月を象徴しています。そして、宇宙の中に神様が隠れていることを象徴しているのです。(三九\一六七、三九\二五二)

目という存在についていうときは、目自体だけについていうのではありません。全部連結されているのです。「手」といえば、その手自体も連結された一つの部分として存在するのです。手が「私はやりたいようにやる」と言うとき、やりたいようにやるという手一つを中心として単独的な立場ではありません。連帯的な立場で、共同的な活動を目標とした内容で手が動くのです。

手がこのように行くとしたら、手だけが行くのではありません。全体が行くのです。全細胞が行き、心が行き、すべてがそこに同じ歩調をとる中で、手がその全体を代表した立場で活動するのです。ところが、もし、手はこう行くのに、心と目がほかの所に行くとしたら何にもなりません。さらに、目が見るとしても、心が伴わなければ何になりますか? 心が先に行かなければならないのです。その次に体が続くのです。(一二九\四四)

皆さん、手の爪がどれほど大切か分かりますか? 手の爪がなかったらどうやって物をつかみますか? 爪がどんなに大切かを知ろうと思うなら、一度剥いでみてください。どんなに大切なものか分かるはずです。そして手のひらと手の甲を見てください。皮膚が違います。その一つひとつをよく見ると、どうしてこんなにも見事に配置、配列され、つくられているか、見れば見るほど神秘的です。それ以上のものは想像もつかないほどうまくできているのです。それ自体が神秘なのです。(三七\二一)

11 五感と六感

何かによって作られた品物と持ち主は、どのように関係を結ぶことができますか? それは本然の真の愛によって相互関係を結ぶのです。本来の主人が愛の主人になるとき、その主人に対して全被造物は、何千年、何億年経っても反対できないのです。ついて行くようになっています。

全被造物はこの愛を中心として因縁を結びます。その被造物を見ると、植物世界や動物世界、そして鉱物があり、このすべては喜びを感じる感覚と性質を持っています。ですから、これらは皆、本然の真の愛による関係を結ぶことのできる本質を持っているのです。

被造世界の第一の主人である人間には五感があります。五感とは何ですか? 目、鼻、口、耳、皮膚、このように五感があるわけですが、五感だけではありません。六感がなければならないし、七感がなければならないことが知られていません。こんな言葉は初めてでしょう? 六感という言葉はありますね、六感。しかし、七感を持たなければ神様が分かりません。堕落によって五感だけになってしまったので、六感と七感を加えなければならないのです。それがうまく行かないので問題です。(一六三\四〇)

人間のいちばん大切な部分はどこかというと頭であり、体にはその次に大切な部分があります。心臓です。それは、頭が天を象徴していることを意味します。思考は天を象徴し、体にある心臓は地の中心を象徴しています。そしてさらに、体と心の二重構造になっています。体は自然界を反映したものであり、心は霊界を反映したものです。それで私たちは、五感だけでなく、六感、七感があると見ることができるのです。(一〇七\二九四)

私たちは五感を持っています。私たちの五感は私たちだけに関係しているのではありません。私たちが持っているあらゆる感覚器官を通し、より次元の高い神様の愛が宿るのです。ですから私たちは、その五感を通して神様の愛と横的な面において、また縦的な面において必ず関係を結ばなければならないのです。

このような観点から、五感を中心として生きている私たちのすべては、五感を通して自分だけ関係を結ぶようにつくられているのではなく、主体であられる神様と関係を結ぶようになっています。これは紛れもない事実です。従って、私たちが感じるあらゆる直感、あるいは直観までも、自分を中心としたものでなく、相対的なその理念を引継いで関係を結び、互いが幸福になる内的因縁を持って存在していることを否定できないのです。(五九\二九五)

12 細胞

私たち人間は、生理的な立場から見ても高等動物だといわれます。四百兆に近い細胞からなり、いかなるものよりも複雑で緻密な構造を持ち、同時に全体が融合して統一的な機能の下に一つの目的、一つの方向性を備え、和合しながら調和を成して生きているのです。(一八八\二五〇)

細胞は生命体のために、人体なら人体の目的に貢献する要素を残してはじめて細胞としての作用をなしたといえるのであり、それがなければだめです。細胞が生成されるには、すでに構成された細胞が第三の細胞を形成できるように何かを残してやってはじめて可能なのです。そうでなければ、皆吹っ飛んでしまうのです。(三四\二四五)

そこで、皆さんが知っておくべきことは、自分の体と心を一つにするには神様の愛の道をたどって行くしかない、ということです。自分の心と体が一つになっていないのに、幸せになれますか? 神様の愛だけが私たちの体と心を完全に一つにできるのです。

私たちの体は数多くの細胞からなっていますが、五感のあらゆる細胞は一つの骨髄に集結し、焦点を合わせることができるのは、唯一愛の力しかないことを知らなければなりません。その愛の力はいかなる力よりも刺激的です。ですから、皆が愛の道に従って行くようになっています。そして霊と肉、霊人体と肉体が神様の愛と百パーセント和合して一つになったら、どれほど強い力になりますか?

心の細胞と体の細胞が愛によって完全に一つになれば、共鳴するようになります。共鳴、共鳴体を知っていますね? 周波数が同じなら、こうして叩くともう一方でも同じ音が出ます。本来、共鳴体になっているわけです。ところが、それが故障してしまったのです。それを元に戻す方法は何でしょうか? お金でもなく、権力でもなく、知識でもありません。ただ神様の愛を取り戻す道以外にはないのです。(一四二\一一七)

13 その他

人間の体も心臓を中心として肢体全体が動き、生命を維持しています。私たちの心について見ると、心にも中心があります。その中心は人間の相互関係において絶対的なものです。(二九\一二四)

皆さん、だれにでも腹の中には内臓があります。そして、内臓には肥料が入っています。しかし、内臓の中に入っている肥料は必要ないからといって、内臓のある部分だけ切り捨て、自分の必要な部分だけ残すということができますか? すべて必要なのです。そこには肥料となるものまで入っています。(四四\三四〇)

皆さんは呼吸をしていますが、その回数は数えていますか? 胸の中では、ハンマーで叩くように鼓動していますが、その太鼓の音が聞こえますか? ハエがちょっと髪の毛をかすめて行っても分かるのに、ハンマーで叩くような胸の鼓動は感じられません。おかしくないですか? ハエがちょっとかすめて行っても分かるのに、ハンマーで心臓を叩く音は気づかないことを考えてみてください。実際に聴診器を当ててみれば音がします。鼓動の刺激を見ると、その力はハエがかすめて行くのより何十倍、何百倍の強さです。それが見事に調和しているのです。

もし、その脈拍の音をいちいち数えていたら、皆、神経がおかしくなってしまうでしょう。一、二、三、四、…。こうして数えてみてください。数えられますか? 一日、あるいは一週間、十日、一カ月、心臓が動いていることを考えたことがありますか? もし、それを相対的に見たとしたら、大変なことになります。

「おや! これが今日はこうだったのが、あしたは少しこのようになるのではないか」と考えようものなら死んでしまうのです。ですから、知らないほうがいいのです。それを相対的に見たら大変なことになります。

皆さん、私たちの体にある神経器官のようなものは見えないのが幸いであって、その芸術的な神経が作用するのを見ながら生活することを考えてみてください。これは機械に例えるなら、最高に精密な機械です。数億個の部品があるのに、それが故障もしないと考えることができますか? このように見るとき、それらが目に見えないのは幸いなことなのです。心臓が息を切らして走るのが分かったら大騒ぎになるのです。

では、どうしてそれを感じないのですか? あまりにも近いからです。自分が存続する生命感覚の外にあるのではなく内にあるからです。映画のスクリーンのようなものに反射すれば映るのですが、その生命感覚の壁の向こうに行かなければ感じることができないのです。

神様もそれと同じです。神様もあまりに近いところにおられるために見えないのです。目もあまりに近いので見えません。だから、近すぎても見えないし、遠すぎても見えないでしょう? 世の中のすべてはそうなっています。ですから、神様とともに愛を感じた人にとって、神様がいるいないということは問題にならないのです。違いますか? そのような世界があるのです。(五九\三一六)

私たちは、神経器官を中心とすれば、もちろん頭が中心になっています。そうなっていますね? 神経器官は見ることができますか? また、私たちの血管器官を中心とすれば、心臓が中心になっています。さて、何が中心かというわけです。(心です)。体を中心としての話です。心は後にしましょう。(笑い)神経器官と血管器官が調和しなければなりません。血管器官の行く所には神経器官も行かなければならないし、神経器官の行く所には血管器官も行かなければならないのです。自然とそれは共同運命体になるのです。もし、血液、血管器官が通らなければ神経器官も後退することになり、神経器官が通らなければ血管器官も後退することになります。そうでしょう?

このように見るとき、私たちの体も二つのものがあります。二性性相が調和を成していることが分かります。それで、この二つの器官はどこを中心として連結されますか? 何を中心として? それは私たちの生命を中心として連結されるのです。

さて、頭の細胞を流れている血が、足の裏の細胞を流れている血に「汚いなあ。頭のほうに来るな」と言うことができますか? そんな境界線がありますか? 頭のほうに上って来るな、という境界線がありますか?(いいえ)。そのような意味で、黒人も白人も黄色人種も区別はないのです。見てみなさい。一人の人の皮膚でも、ここは白くて、ここは黄色くて、色が違うでしょう?(九一\二八〇)

本来、私たちの体内には白血球があり、入ってくる菌と戦っているでしょう?攻撃の戦いの一方で、保護の戦いをするのです。攻撃戦と防御戦でバランスのとれた一線上で生きているのが生命です。その生命が戦っているのです。(一四五\一九九)













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