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二 信仰の目的

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1 信仰の目的とは何か

信仰者にいちばん必要なものは、明確な目標です。「私は必ずこの道を行く」という確実な目標です。この目標があやふやになると信仰者の生活は崩れてしまい、いくら決意をして覚悟を決めても目的とは何らの関係もなくなってしまうのです。目的もなく、百回覚悟を決めたとしても、どうなるとうのですか? 目標を明確にさせて覚悟を決めるのなら、目標の前に一歩でも近づけるけれども、曖昧な目標ではどんなに決意しても少しも役に立ちません。(二七・一〇一)

信仰の目的とは何でしょうか? まず、世界のために忠誠を尽くすことではなく、堕落前のアダムとエバのすべての未完成部分をもって、完成したという基準を立てることです。

前に失敗したことを復帰するには、どうしなければならないですか? 失敗したのと反対のことをしなければなりません。復帰をするには何からしなければならないのでしょうか? 第一にみ言であり、第二に人格、第三に心情です。(二四・一〇四)

聖書六十六巻のみ言は、天が私たちに何を望まれて語られたみ言でしょうか? 真なる一人の人間を創造されるために、真なる一人の人間を探すために許されたみ言だということを知らなければなりません。

では、私たちがみ言に従い、み言を守っていく目的はどこにあるのでしょうか? 私たちもイエス様のように、道と真理と生命体とを成すために存在するのです。イエス様の語られたことを成してどうしなければなりませんか? イエス様の新婦になるのです。これが信仰者の最高の目的なのです。そのために、終わりの日にはキリストとともに王のような立場になるというのです。相対的関係になるということです。(八・三一六)

2 私たちの信仰目標

今までの宗教は、個人救済にその目的を置いてきました。熱心な信仰者でも、信じる目的を自分が救われることに置いてきたのです。天国にも自分一人だけ行けばそれでよいと言うのです。彼らは家庭救済、氏族救済、民族救済、国家救済、世界救済という観念は、なおさら持ったことがありません。

では、家庭救済、氏族救済、民族救済、国家救済、世界救済ができる出発の一歩の基準はどんなものでしょうか? 家庭救済なのです。家庭救済の基盤が地上に強く固く立てられるように勝利的な土台をつくらなければ、国家救済の摂理をすることができません。ですから、宗教はこれまでちりぢりばらばらになって、国から追われながらそのような基盤を立てているのです。しかし、そのようなことも、霊的な一方の分野だけにおいて責任を持ってきたのです。(三二・二四一)

私たちの信仰目標はそれなのです。ただ信じて天国に行くのですか? 天国へ行きたいと言って行けるのですか? 役所で所属の手続きをするときでさえも、字をひとつ間違えればもう一度やり直すものなのに、天国の門をそのままこっそり越えて行けるとでも思っているのですか? とんでもないことです。どんな事情を話して訴えても、そのような条件では入れません。天国は心情の門を通らなければ入れません。心情の世界は時間と空間を超越できるために、そこでは進歩もなく退歩もありません。一定の観もなく、型もありません。そこだけは、アルファであると同時にオメガであり、始めであるとともに終わりなのです。(七・二二五)














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