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第二節 先生のソウルでの学生時代

P271

一 衣食住生活

私は幼いとき、中学校のとき、ソウルに来て学校に通いました。(一五三\三三)

先生は故郷を一八歳のときから去って、今まで故郷を忘れてサタン世界を収拾するために、人生を懸けてきたのです。(一四七\二五三)

学生時代に自炊生活をしました。七年間一人で自炊生活をしました。ソウルはこの頃は天気が良いけれど、そのときには、零下二一度、平均零下一五度以下で、寒いときでした。寒かったのです、そのときは、井戸で水を汲むとき、鉄のつるべで水を汲むとひもがよく切れたのです。冷たい部屋で生活するのです。中学校、高等学校時代は冷たい部屋で寝ました。その頃は今より寒かったのです。

そのときには、布団の布袋を冷たい部屋に敷いて寝て、朝にパッと起きてみると、ベタッとそのまま跡が刻まれているのです。これが一週間過ぎても消えないのです。模様がついている跡なのです。ですから、火を炊かないで生活する若い青年は悲惨だ、と考えるかもしれません。寒いから仕方なく電気のコードを使ったのですが、今見ればあちこち傷があるというのです、火傷をして。それを見るとき、私は忘れません。足を見るたびごとに、母にこんなことは言わないのですが、私の体に傷ができたのです。そのように節約をして、友人たちが学費を出せない分を私が担うために、あるときには荷車を引いて…。(一三七\二八三、五一\二六二)

先生は中学校時代に昼食を食べませんでした。お金がないから食べないのではなく、お腹がすいた人の事情を知るためでした。また、ご飯がないからそうしたのではありません。修養する者たちは、人生を通じて、平常時に修養しておかなければならないと思って…。そのときは、何があっても食べることが楽しみだったのです。ただ、食べてもまた食べたいときです。そんなときに昼食を食べなかったのですから、昼食のとき、ご飯を慕う心は複雑なのです。友人たちは弁当を持ってきて食べているのに、私は遠いところに一人座って、ご飯も食べないで瞑想するその場は深刻な場だというのです。(五〇\三〇八)

先生は、先生自身に対しては本当にけちなのです。私が三〇歳までは、学生時代にも新しい洋服を買って着たことがありません。古物商に行って古着を買って着ました。服は全部学生服ですが、継ぎを当てて着ました。古物商、ソウルの交差点にある古物商に行って、学生たちが着て持っていかないもの、皆襟にあかが付いたもの、油あかが付いたもの、臭いがするものをわざと選ぶのです。髪はできるだけこうして、顔も洗わないで、なるべく髭も剃らないで、なぜ? どこに行ったとしても何でもできるのです。パンツみたいなものも、そのまま全部作って着るのです。一人で暮らしても、み旨を成し遂げなければならないということなのです、一人で暮らしても。そして、その残ったものでかわいそうな人を助けてあげた人です。あるいは愛国者の家族に、夫が恥辱を受けるなど困難があれば、名もなく助けてあげた人です。そんな生活をしてきたのです。(五一\二六二、三一\二六〇、一三七\二八五)













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