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三 お金を惜しんで歩き回られる

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学生のとき、先生は電車に乗って通うことができませんでした。絶対に乗らないで通ったのです。そのころ、電車料金が五銭でした。それでも必ず歩いて通いました。そうして往復十銭を集めて、道ばたで施しを願う人々にあげました。そのとき、乞食たちをじーっと観察するのです。昔、鷺梁津峠とファシンデパートの横の通りには乞食たちが多かったのです。行くとき一度さーっと見て、帰って来るときもう一度さーっと見て、その中で年が多い人と若い人を分けるのです。乞食の中でまだ年若いものにはあげないのです。かわいそうな人にあげるのです。奉仕にしても、年が多い人を選んで施すのです。施しもそのようにしてあげたというのです。(五〇\三〇八)

私が学生のとき、黒石洞からソウル駅まで歩いて通ったことが思い出されます。夏に、友人たちは皆どこに行くにしても電車に乗って通ったのですが、私は歩いて通いました。「私が行く道は違う。おまえはこの道を行ってはだめだ。」と考えたのです。駅前に行けば、施しを求める彼らの前に両手でお金をあげながら「私が今あげるものは少ないけれど、このお金が千万倍に増えて、乞食のようなこの民族が解放の一日を迎えることができるようにしてください。」と祈祷したことが思い出されるのです。

呻吟と塗炭の中に包まれている哀れな民族の事情を知り、その民族の受難の歴史に血と汗を流した自分の一族を知り、自分の一家を知り、自分の父母を知らなければなりません。

私が日本に行くとき、ソウル駅から下関まで、オーバーを被って慟哭をして行ったのが何時間だったか。今も忘れられません。そのとき、韓国人たちは全部日本に行く人たちですが、彼らには父母がいます。しかし私は「神様! み旨の中であなたが行くことのできる、力を振り絞って行くことのできる礎を置くために、愛の情熱に燃える心情が熔け出ていって、流れる涙の跡を通さなければならないということを私が分かりましたので、そのような道を行かせてください。」という祈祷をしたのです。

高いところから訪ねて行かなかったというのです。貧民窟から、人間の末端のところからたどって訪ねていきました。その世界の生活苦に喘ぐ人間像を知って…どんな分野でも全部経験しました。労働もしてみて、農業もしてみて、船乗りもしてみて、してみなかったものがありません。

私の人生の千秋の恨とあなたの哀れなすべてのものをこの息子が受けて…。六千年歴史の中であなたの心情になんらかの恨が残っているならば、この息子一人を打っておいて、千万代打っておいて解くことのできるその心を持ってくださいと言いながら、そんな道を探して来たのです。(一二七\三〇)













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