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人間の生と霊魂の世界
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五 ただ一つの願いが残っているとすれば

 堕落した世界で迫害を受ければ受けるほど、より理想的な、より高い所に行くのです。霊界に行けば高貴な天国人になるのです。神様が見下ろして「これは私の愛する息子だ!」と言われるのです。その時は五官が神様の愛に酔うのです。全宇宙が頭を下げて称賛するのです。そのような世界が待っているのです。聖子が来るのを待っているのです。それが私たちの究極の目標です。分かりましたか。すっきりしましたか。
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 文総裁は闘いませんでした。最後まで耐えに耐え、また耐えて頭を下げて行ってみると、その道は、闘わずに最高の立場、神様の相続権を受けることのできる立場まで行くことのできる道だったというのです。そうしてみると、滅びずに、「滅びろ」と言う世の中の前に勝利の覇権を握って、国を越え、世界を越えて歓迎を受けることのできる環境をつくりました。地上世界と霊界まで平準化できるこのようなことをすべて終えたのです。アーメンです。アーメン!
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 私が韓国に対して血肉を削って奉仕した時代は過ぎたというのです。国家を中心として、時は来ているのです。私が立てた手本を見せてあげたならば、「先生以上に死ぬ前に仕事をして自らの生涯に残さなければならない」と言わなければなりません。これをしなくては、天上世界の父母様のあとをついていけないのです。
 今や、相続権を受けたので、父母様の影のような姿でも、その国、その地で家庭周辺に影響を及ぼすことができなければならないのです。幹になれないなら枝にならなければならず、枝になれないなら葉にでもならなければならないという、木の存在に所属するのです。自らの霊界と接近できるというのです。
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 私が手に力を入れて夜に寝ると、これが固まるから、天が私の手を握って広げてくれます。そのようにするなといわれるのです。そうすれば、解けていくのです。そのような神様を信じて暮らす人にとって何が心配でしょう。統一教会の背後にはそのような奇跡がいくらでもあるのです。霊界に対して相軒氏が証したことは何でもないのです。私はそれを知っています。世の中は信じようとしませんが、私は一〇〇パーセント、一〇〇〇パーセント知っている人です。信じるのではなく、知っている人なのです。
 人類はそのようなことを信じないので、天が支援しません。霊界に行けば、先生に対して有り難いと思うのです。李相軒氏も統一教会を信じて霊界に行けば苦労すると思ったのですが、最上の立場で仕事をしているというのです。驚くべき事実で、こうであるとは思わなかったというのです。かといって笑って過ごさないでください。深刻な問題です。それを信じることができなかったなら、そばに刀を刺しておき、うとうとすれば死ぬと決心して祈祷してみてください。そのような談判祈祷をしなければなりません。適当では駄目です。
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 先生はおかしな人です。一度しっかりと記憶すれば忘れてしまわないのです。それが心配なのです。何も知らないで、今……。何、痴呆? 八十になったのですが、まだそうなっていないのです。おじいさんでも賢くてはっきりとしたおじいさんです。コンピューターが私に来てあいさつをするおじいさんだと思えば間違いないのです。私の頭に入れれば永遠に忘れません。霊界まで行っても記憶するのです。地上で自分が誤ったことがあれば解かなければなりません。
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 先生は一九六〇年以後に、山に行ってハンティングをしたりします。国のためのすべての責任を全うするために、動物世界を経て水産事業まで、六三年から準備したのです。海を占領しなければならず、陸地を占領しなければなりません。それから占領する場合は祭事を捧げます。祭物を捧げてアベル的基盤に立ち、カインを愛したというそのような因縁を結ぶことができる人は、真の父母以外にはないのです。誰もできないのです。統一教会の食口たちはすることはできません。
 偽りの父母によって分かれたすべてのものを、真の父母によって成さなければならないので、雨が降っても雪が降っても海を中心としてすべて……。その海で犠牲になったすべての霊人たち、地獄の、地上に生きて死んでいった霊人たちの霊界解放が展開されるでしょう。それと同じです。海で死んだ霊人たちをみな祝福してあげるのも、すべてそのためなのです。ですから、真の神様という言葉を主張したということが、どれほど深刻なことであったかを知らなければなりません。何の話か、分かりましたか。
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 皆さんのような、そのような闘いも知らない純潔な人たちの前に、王の座をすべて譲ってあげて、ふろしき包み一つもなしに気楽に霊界に行こうと思うのです。霊界も準備されているので地上でもっていくべき何かがありますか。もっと良い天国が願っているのに。
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 今は大体すべて終わりました。先生がすべて教えてあげました。複雑な世界で疲れ果て、いじめられ、責められ、今ではそのようなことは嫌です。嫌いになるのです。ですから、静かな所で松一つを見て十年も生き、岩を見つめて十年を生き、このようにしながら霊界に行く準備をしなければならないのです。霊界の複雑なすべてのことを収拾しなければならないのではないですか。それは知っていますか。
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 先生は万人に道を開いてあげなければならないので、死刑囚とも友になり、窃盗犯と手錠を一緒にかけられ、共に御飯を食べながら彼らを慰労してあげました。この前はラスベガスにまで行って刑務所に収監されている人々のために祈祷してあげてきました。ニューヨークのニューヨーカー・ホテルを買ったのも、今後ニューヨークで一番のサタンの巣窟から掃討して新しく基盤を築こうとしたからです。
 そこに行って、付き合ってあげ、慰労してあげなければなりません。それでこそ各界各層、サタン世界の滅びゆく人にまでも道を開き、道を築いてあげることができます。それとともに地上で道を築いてあげれば、霊界のふさがったものが開き、世界が一つになることができます。それゆえに超民族的に黒人も結婚させてあげ、白人も結婚させてあげ、白人にも家を買ってあげるし、黒人にも家を買ってあげます。このように先生は世界にないことをしている人です。
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 この国の扱いを考えれば悔しく思います。おじいさんが使って捨てた杖のように考えて、肥だめをつっつこうとする統一教会の群れがたくさんいます。どのようになるか霊界に行ってみてください。烈祖の審判台の前に、千年万年の恨を抱き痛哭の涙を止めることができない悲運が宿っていることを知らないでいるというのです。レバレンド・ムーンはそれを知っているためにここまで来ました。
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 気楽に寝る者は、誰かが夜に毒薬をばらまくかもしれません。これは千万年の道を汚すことです。ですから先生は生涯をかけ、針の座布団に座ったような気分で生きているのです。気楽に座ったこともなく寝ることもできないのです。横になって体を曲げて寝るのです。使命を果たす前には自らの肢体を天に向けることができないのです。先生はそのような生活をしています。皆さんはみんなネクタイを結んでいますが、私はこのように着ています。いつでも走っていくというのです。ですから誰よりも先に行くというのです。
 家にいる時は靴下を脱ぎ捨てて裸足で過ごしています。できるだけ服を脱いで暮らすのです。なぜですか。そのようなことがすべて預金です。飢えた人のために与えるのです。それがくせになってしまい、靴下をはいただけで煩わしいのです。どこに行っても脱いでしまうのです。一生の間でいくらになるかを計算するのです。私が霊界に行けば、これが何千ドルになるならば、預金し、アフリカのかわいそうな人を生かしてあげなさいというのです。基金をつくっておいて逝こうとするのです。
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 本来、神様の創造理想とは何ですか。真の父母の名前を通して天国の王国と地上王国を成すのです。真の父母の名前をもたずに地上天国と天上天国は生じません。今日キリスト教徒たちに「イエス様が神様の愛する長子であり息子ですが、どうして天国に行っていなくて楽園に行っているのですか」と尋ねてみると、返事ができないのです。天上天国と地上天国は真の父母の完成と愛の基盤を通じてのみ成されるというのです。霊界に行って王国を統一することが真の父母の使命であって、他の人の使命ではないのです。
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 先生は生涯の間、命を懸けて闘ってきました。世の中で苦しい仕事は避けることができますが、この仕事は避けることもできないのです。腕力や暴力をもってしてもできることではないのです。原理原則によってしなければ、四方から打ち込まれる矢を避けることができません。このような闘いは神様が天地を創造なさることよりも、もっと難しいことではないかとも思います。そのようなことをしながら、蕩減条件を立てて内的基盤を築いてきたとは、皆さんは夢にも思わなかったことでしょう。そのような基盤を土台として転換点をなしたというのは、「天宙的な勝利だ」と言うことができます。
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 文先生がこの道を探すために死の道を何百回も越えてきたことを、皆さんは知らなければなりません。神様を数百回も泣かせた人が文先生です。歴史始まって以来、誰も文先生くらい神様を愛した人がいないのです。それゆえに、いくら世の中が私をなくそうとしても、文先生は絶対滅びません。神様が保護してくださるからです。皆さんも文先生が教える真理圏内に入れば、神様が共に保護してくださいます。
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 新しい開拓精神で生きていけば年を取りません。私が性格のゆえに横になって死なないし、死ななければいつも動くのです。はってでも動き、そうやって見ればいばらの道でしょう。年を取って周辺の注目を浴びてお世話になりかねない、このような立場で生きるというのは、恥辱の中でもこのような恥辱はないのです。私たちは、霊界を知っているために、体を脱ぎ捨てればどれほど自由でしょうか。
 今後は海、水を占領するというそのような主張、そのような思想をもてば世界を主管できます。水が一番重要なのです。それで、私が霊界に行く前に、大きい地域を中心として着手しておいて逝かなければならないのです。ですからせっせとみ言も多く語り、すべて語っておけば、後世の人たちがなすと考えています。
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 先生は性格的に、霊界に行って静かに玉座に座って命令できる先生にはなれません。レバレンド・ムーンが霊界へ行くようになれば、今まで霊界に行っているすべての人々が開拓することができなかった神様の心の世界、次元の高いその世界を、考えることもできなかった世界を、また開拓する勇士になることでしょう。
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 ある霊通人は、文先生が偽物か本物かと祈祷をしている途中で痛哭をするのです。我知らず痛哭するというのです。一日、二日、毎日痛哭するのです。彼らは不思議に思うのです。文先生を知るためには痛哭する心情を知らなければなりません。それを知らずして文先生が分からないのです。
 誰かが私に対して一言だけ言えば、私が千年の恨を抱いて痛哭できる事情をもっていることを、誰が知っていますか。私が神様を知らなかったならそのように非難されはしないのです。神様をあまりに知った罪で……。私だけを信じるしかない神様がどれほどかわいそうですか。二千年間誤った歴史を二十年間で蕩減復帰しなければならないのです。ですから易しいですか。言うことがたやすいですか。
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 私が霊界に行った時、最高の希望とは何でしょうか。私が慕い、私が愛した最高のクライマックスの時に考えたその心情圏内でお父様を呼んで、お父様の愛を受けたその基準を願うのです。涙で分かれたので痛哭したあとにすすり泣くその息子をつかんで、「お前の願いがこれではなかったのか」と、祝福のみ言を伝授されてこそ、永遠の勝利の真の父母の覇権が伝授されることを知っている人なのです。深刻です。その一日のために一生を捧げているのです。
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 霊界に行く時、神様の前にどういう贈り物をもって行くのか、それが先生の問題なのです。神様が願う国と世界のために働いたし、今後来る理想的な社会と理想的な世界を成すことのできる二世のために生きてきました。神様のように愛しました。それゆえに霊界に行っても不自然ではありません。そのままの延長です。ほかのことではありません。そのことをするのです。神様がそのことをしているので、私も神様に近い所へ行き、そのことを共にせざるを得ないという結論が出てくるのです。
 ですから、お父様におかれても「私の国はお前の国だ」と言われるのです。なぜですか。「変わらない愛をもって、お前が私を知ったのちにも変わらなかった」、これが理由でしょう。「お前は私が愛する愛をもって変わらない立場で、台風が来て暴風が吹いても、監獄にほうり込まれ、どんなに蔑まれても、個人の反対、家庭の反対、社会の反対、国家の反対、世界の反対、全霊界の反対を受けても変わらないで、私のような不変の姿勢をもち、その愛と理想を追求したので、お前が成した国は私の国であり、お前が人類のために探したものは私の国に違いない」と言われるのです。
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 ただ一つの願いとは何でしょうか。私が霊界に入る時、神様が私にどのように対するかということが問題です。私がそのみ前に立つ時、神様が王座に座っていて、御自身でも知らずに矢のように駆け降りてきて、「御苦労だった」と抱き締めてキスをされながら「永遠の祝福がお前にあるよう祈る!」と言ってくださるその一日が願いです。そのことを地上に残さないでは死のうとしても死ぬことができないのが真の父母の事情であることを知らなければなりません。
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 家庭を救ったならば国家を救わなければならないし、国家を救ったならば世界を救わなければならないし、世界を救ったならば天宙を救わなければなりません。そののちには神様まで解放しなければならないのです。すべてのサタンまでも、神様までも解放しなければならないのです。そのような立場にはまだなっていないのです。その立場にまで行かなければならないのです。先生がそのような立場で仕事をすることができなければ、霊界に行って罪人の生活をしなければなりません。自己の責任を果たせなかったという恥ずかしさ、ですから冒険をしているのです。
 霊界をすべて解放してあげるのです。解放してあげ、「私があなた方を解放させてあげたから私のために生きなさい」というのではありません。「霊界では神様のために生き、私がつくった基盤の上で、世界のために生きなさい、生かしなさい」と言うのです。それが孝子の心であり、忠臣の心です。自分というものが中心になり得ないのです。
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 アダムが責任を果たさなかったことで地獄の谷間に入っていったのを、逆に立って、羞恥と謀略と恨の心情をもって再び生命の道を開拓しなければならない道がどれほど悲惨なものか、誰も知らないのです。神様だけは知っていることでしょう。霊界に通じる人が文総裁のことを誰であるか祈祷する時、痛哭でしか答えられないという天の心情を聞くたびに、私が「お父様、何でもありませんでした」と答えると、神様は感謝の涙をどれほど流されるだろうかと考えました。
 そのような心情をもって出ていって、このようなことを宣布することによって、神様が捕らわれの身から解放されるのです。そしてそのことによって、私が霊界に帰る時、神様がアダムの千倍万倍の価値的存在として私を迎え、何千倍の喜びをもって私を歓迎したいと思われるような自らにいかになるかということが、先生の生涯の目標だったということを皆さんは知らなければなりません。

















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