成約人への道
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 第二章 家庭観

 一 理想的な家庭とはどのような家庭か

  1.なぜ家庭が良いのか

 家庭とは、神様の理想が顕現し得る起点であり、人類の幸福が顕現する起点なのです。人間におけるすべてのことが果たされる場であり、神様においても、すべてが完成する場なのです。なぜ家庭が良いのでしょうか。それは、父母の愛を中心とした自由な活動の基地となるためです。
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 神様を中心とした永遠な父母の愛、永遠な夫婦の愛、永遠な子女の愛、この三つの愛があるのが理想的家庭です。
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 人は必ず家庭をもたなければなりません。家庭を中心に見れば、家庭には父母がいて、子供がいて、物質があります。旧約時代、新約時代、成約時代における縦的な歴史のすべてを、代わりに横的に展開することのできる実体とは何でしょうか。万物と子女と父母です。すなわち、父母と子女と、その所有物です。これらが、家庭という一つの囲いの中で必要とされるものです。
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 統一教会の理想は、どこか別のところにあるのではありません。出発も家庭であり、結論も家庭です。いまだこの問題を解決した者がいないので、それを願ってきました。そして、そこに幸福があるがゆえに、これを体系化し、天宙化して無限の価値を現したので、統一主義が公認されたのです。したがって、この主義を嫌う者がなく、皆が頭を下げて好むようになれば、世界は自動的に統一されるのです。
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 聖書六十六巻はすべて、理想的な家庭を願ったみ言です。また、万民が願うこととは何でしょうか。理想的な妻を迎えることです。「そうではない」と言う男性がいるとすれば、それは人ではありません。また、女性として生まれた者の一番の願いは、理想的な夫に出会うことです。女性は、たとえ博士になって世界に向かって大きなことを言ったとしても、その願いは、理想的な男性に出会うことです。愛することのできる理想的な男性に出会って、福の多い息子、娘を生むことです。これが幸福の根本です。このように統一教会の教理を家庭に打ち込んであるので、これを取り除く者はいないのです。
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 天国はどこで成されるのでしょうか。私たちの家庭からできるのです。では、私たちの主義は何主義でしょうか。家庭主義です。私たちの標榜する天宙主義とは、「天」という字に、家を意味する「宙」という字、すなわち天の家主義ということです。こうしてみれば、天宙主義という意味がはっきりするのです。
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 家庭とは、小さな社会に立脚した小さな国家です。小さな国家であり、小さな世界であり、小さな天宙だと言うことができます。ですから、家庭を離れては何もできません。このような家庭というものを教えてくれるので、統一教会は偉大だというのです。
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 家庭は、万古不変の起源であり、礎です。それは父親にも直すことはできず、兄弟にも直すことはできず、どの国のいかなる制度によっても直すことはできません。また、世界的にも直すことはできず、天と地も、神様にも直すことはできません。ですから、家庭というものには、革命という名詞が永遠に必要ないのです。
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 人の一生の中で、最も重要な時とはいつかというと、生まれる時、結婚する時、死ぬ時です。
それでは、生まれる時はどのように生まれるべきでしょうか。良く生まれなければなりません。私たち統一教会で言うところの、「心情の因縁」を中心として生まれなければなりません。
 次は結婚する時です。結婚というのは生きるためにするものです。すなわち四位基台をつくるためにするのです。このような宇宙の公法を地球上に立てて初めて、神様のみ旨が果たされ、人間の志が果たされるのです。そのように、宇宙の法度が志向する内容を備え、その形態を整えるところが家庭です。
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 世界は家庭に倣ってできました。どんな世界もみなそうです。今後、理想世界は三位基台、家庭の三位基台を中心として成されなければなりません。
 それでは創造目的とは何でしょうか。四位基台を完成することです。人間がまず四位基台を完成しなければならないので、誰もがみな、家庭を築くのです。人間は神様に似ており、人間を中心とした社会は、神様を中心として人間に似ているのです。統一教会の先生は、今世界に統一教会を立てて、そうなるようにしています。世界はすべてそうなるべきだと知っていながらも、それが表に現れてはいません。しかしながら、そのような原則を通して、世界がそうなっていくのです。理想世界というものは、全世界が一人の人の形を形成する世界です。そこにおいては、国家と民族を超越するのです。
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 家庭というのは世界を縮小した横的な基盤です。ここから国家と世界が始まるのです。家庭とは何でしょうか。家庭とは世界の横的な縮小体であり、絶対的な中心の前に相対的な基準です。では、私というのは何でしょうか。絶対的な中心がとどまることのできる足場です。
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 この世界を審判することのできる絶対的権限をもつものは、個体ではありません。真なる家庭です。サタンも何を打ってくるのでしょうか。家庭を打ちます。それゆえ、家庭をもって一つとなれなければ破綻するのです。親子の間に、夫婦の間に、破綻をもたらすのです。そして、家庭をもったのに、その家庭が破綻したならば、その人の傷は永遠にいやされないのです。その人をいくら慰めたとしても、どうにもならないのです。
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 私たちは、神様の願う家庭を中心とした父母、夫婦、兄弟とならなければなりません。
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なぜ家庭が良いのでしょうか。家庭には、お互いに自由に愛を授け受けることのできる基台があるからです。それゆえ、人は故郷を慕わしく思い、父母、兄弟のいるところを慕わしく思うのです。
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 父親が喜べば、家庭全体が喜ぶのであり、妻が喜べば、家庭全体が喜ぶのであり、子供が喜んでも家庭全体が喜ぶのです。一時に宇宙全体が喜ぶことのできる場が、家庭というところなのです。
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 心と体を収拾して完全な個人となり、夫婦が一つとなって完全な家庭を築かなければなりません。
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 お母さんとお父さんが一つとなれば、その家庭は発展し、子供と親が一つとなれば、より次元の高い家庭へと発展することを知らなければなりません。それでは、家庭と親戚の間で一つとなればどうなるでしょうか。そこには新しい民族正気がわき起こることでしょう。それがより高い次元に向かっていこうとするならば、すべて環境的に結束し、国家基準にまで忠臣の血統として残り得ることを忘れてはなりません。
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 天国の家庭は、無理強いしてできるのではなく、喜びの中で自動的にできるのです。愛するときも、受けようとばかりするのではなく、互いに授け受ける作用をしてこそ理想的な愛が成立するのです。
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 幸福な家庭とは、夫が帰ってくれば、外であったことを妻と話し合い、新しく開拓し得る要因を発見する家庭です。互いに力を合わせて研究する家庭が、幸福な家庭だというのです。父母がそうなれば、子供たちもそこに加担して、「自分たちもそのような家庭を築こう」と同調するようになるのです。
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 真の家庭とは、妻を母親のように思って愛し、「ため」に生き、夫を父親のように思って愛し、「ため」に生き、妹と兄のようにお互いに愛し合うところです。さらには、自分の妻を神様のように愛し、自分の夫を神様のごとくに愛し尊敬する世界が、理想家庭の暮らす天国です。そのような伝統が、この地球上に立てられなければなりません。
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 母親と父親は、愛なしには一つになることさえできないのです。皆さんは、なぜ愛が好きなのでしょうか。好まずとも好まざるを得ないようになっているからです。両親が互いに愛し合う力が、自分のことを思う力よりも強ければ強いほど、理想的なのです。お母さんとお父さんを完全に一つに結びつけるものは、愛の綱です。鉄でできた綱は、時間がたてばさびついて切れてしまいますが、愛の綱は永遠です。また、親と子の間は、食べ物によっても、お金によっても結びつけることはできません。唯一、親子の関係の愛でのみ結びつけることができます。
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 革命の要素を加えることのできない、そのような礎の上にできた家庭は、いかなる主義や思想にも吸収されることはありません。むしろ主義や思想を支配し、凌駕します。そのような基準が立てられた家庭は、十年、百年、千年たっても永遠に変わることはなく、民族と国家の形態が維持されるのです。
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 愛のふろしきとは、どんなふろしきでしょうか。本郷の国へ行って、そのふろしきを開いてみると、理想的な夫が飛び出してくるし、理想的な妻が飛び出してきます。また、理想的な家庭が飛び出してくる福袋です。ここから出てくるものは、一等復帰です。ですから、個人も一等、家庭も一等、氏族も一等、民族も一等、国家も一等、世界も一等なのです。すべてが一等ならば、高い低いということはありません。ですから、兄弟も、家庭も復帰されるのです。このように統一的基盤を造成していくために、宝の壺である愛のふろしきが必要なのです。

  2.家庭において社会愛、民族愛、人類愛が芽生える

 神様を中心として一つとなるとき、千態万状の様相で回るようになるのです。それゆえ、兄弟の間で愛するときも、親が子を愛するのに倣って、兄が弟を愛さなければなりません。そのように愛して一元化した家庭には、家庭愛の花が咲きます。そして、これが社会愛にもなります。そしてさらには、これが民族を愛する民族愛となります。このように愛すれば、世界になるのです。ところが、今日それが漠然としているのです。
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 子女の間の愛とは、どのようなものであるべきでしょうか。何を基準として愛さなければならないのでしょうか。お父さんとお母さんが愛するように、兄弟も愛さなければなりません。愛は誰から学ぶかというと、両親から学ぶものなのです。
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 理想的な愛は、家庭から生まれます。しかし、神様は真の息子、娘をもつことができませんでした。真の兄弟をもつことができず、夫婦をもつことができず、また、父母となることができませんでした。それゆえ、それを成そうというのが神様のみ旨なのです。そのようなところであってこそ愛がとどまるのです。そのような愛のある所には、人々がこの世のすべてを捨てて、やって来るのです。
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 真の愛とは何でしょうか。父母の愛、夫婦の愛、子女の愛です。愛は、互いに犠牲となる伝統が備わっていなければ、長く続くことなく壊れてしまうものです。父母は子供のために犠牲となるので、父母が子を愛する因縁は壊れることがないのです。そうして、真正なる父母の愛を受けて育った息子、娘であるならば、絶対に自分の父母に親不孝をすることはできないのです。また、夫は妻に、妻は夫に対して「あなたは私のために生きた」という立場で、よりお互いのことを思い、より犠牲となる立場が広がれば、その家庭は恵みを受けるのです。そのような家庭が、神様の訪ねてこられる福地なのです。
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 一つの家庭を中心として、最も良いものとは何かというと、皆さんの子女に結晶するものではありません。それでは、家庭における最高の価値とは何でしょうか。父母です。一人の個人を考えてみても、皆さんにとって権力や知識、あるいは名誉やお金も貴いものかもしれませんが、そのどれにも勝って良いものは「父母」以外にはないのです。その次には皆さんの妻や夫が良く、皆さんの子女が良いことでしょう。
 実際、皆さんの家庭において皆さんの父母や妻、そして子女よりも大切で価値あるものがあるでしょうか。ないのです。それでは、なぜ父母が良いのでしょうか。そしてまた、夫と妻、子女がどうして良いのでしょうか。「愛」があるからです。父母の愛、これは子供にとって絶対的に必要です。夫婦の愛、これは夫と妻にとって絶対的に必要なものです。そして、兄弟の間の友愛であるとか、子女が父母に対してもつ孝誠の心も、一つの家庭に絶対的に必要なものです。
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 皆さん、誰が家で一番良いですか。お父さん、お母さんですね。なぜ父母が一番良いのでしょうか。愛を中心として一生の間関係を結ぶことのできる、最も近い立場にあるからです。
 その次は愛する夫と妻でしょう。その夫と妻の、ある条件的な愛ではなく、無条件の愛です。その愛が、絶対的に天によって与えられた永遠な愛と密接に関係した愛ではなかったとしても、夫婦間の相対的な関係において結ばれる愛であるとすれば、その家庭に幸福と和睦をもたらす最も良いものではないかと考えられます。
 その次は、父母に対する子女の愛、父母を思いやる子女の愛です。絶望ではなく、あすの希望として芽を出すことのできる理想的な環境を慕いつつ、明るく肯定的な姿勢で子が親のために犠牲となり、愛することができるとすれば、その子女の愛は、その子の幸福のための、純粋で真実な価値をもつ愛となることでしょう。
 このように父母の真の愛と夫婦の真の愛、そして子女の真の愛を完璧に具備した家庭があるとすれば、その家庭は私たち人間世界で、最も理想的な家庭だと言わざるを得ないでしょう。
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 一つの家を考えたときに、その家の中心になる人とは誰でしょうか。年を取った方、すなわち、曾おじいさんがいるとするならは、その曾おじいさんが中心です。亡くなる時が近づいたからといって、家族がそのおじいさんを無視したとすれば、それは縦的な世界を無視するのと同じです。たとえぼけているとしても、その家庭の中心は曾おじいさんです。何か食べ物があれば、まずおじいさんに差し上げなければなりません。たとえお父さんがその国の大統領だとしても、先におじいさんに差し上げなければならないのです。なぜならば、息子は横的だからです。
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 不幸はどこから出発するのでしょうか。愛の安息所がなくなるところから始まるのです。幸福な家庭とは、その家の囲いとなる父母に仕えて生きる家庭です。そのような家庭は、上には天を代表する父母に侍り、横的には家庭を代表した他人同士がその因縁の愛を夫婦として結び、この夫婦が天倫の法度に従って、その代を継いで生きる家庭です。
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 家庭には必ず、父母がいなければならず、妻子がいなければなりません。そうであってこそ、その家庭が幸福の基台となるのです。神様が人類を探し求めてきた目的も、神様御自身の幸福を模索するためであったに違いありません。それゆえ、神様御自身が幸福の基台を求めようとしても、人間を離れたところにはそのような理想はあり得ないのです。人間と関係を結んでこそ、一致点をもたらすことができるのです。私たちが家庭において、情緒的な内容をすべて備えた立場で幸福を感じるのと同じように、神様もやはりそのような立場で幸福を感じようとなさるのです。
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 「これほどならば天上天下にうらやむものはない」と幸福を謳歌する人がいたとしても、「そのような外的なことで幸福だ」と言うことはできません。幸福を求めるための条件にはなっても、幸福それ自体にはなり得ないのです。それでは、何が決定されれば幸福を感じることができるのでしょうか。愛する父母がいて、夫婦がいて、子女がいなければなりません。このことは、誰にも否定することができません。その中の一つしかないとするならば、その人はそれに該当する比例的な悲しみを感じ、比例的な不満がその胸の中に残るしかないのです。
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 人間祖先を通じた神様の理想は、男性と女性が結合し、理想的な家庭を築くことでした。そうなれば、理想的な家庭の中心は男性でもなく、女性でもありません。家庭というのは、父母と子女、夫婦の結合による一つの結びつきなのですが、その結ばれたものの中心は、正に神様の愛です。神様の愛を中心として家庭を完成することが、神様のみ旨であるという結論になります。
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 父母と子女、夫婦、そして兄弟姉妹が真の愛を中心として一つになることを願うのが、私たちの理想家庭です。ここから永遠な世界的平準化が始まることによって、地上天国が出発するのであり、天上天国も自動的にできるのです。神様は真の愛の本体なので、真の愛に連結されればみな同じ体になります。父母は神様に代わる、生きた神様であり、夫と妻は互いにもう一方の神様であり、息子、娘もまた、一つの小さな神様です。このように三代が、真の愛を中心とする家庭の組織が、天国の基盤です。そのような基盤を築かずしては、天国はできません。
 家庭というのは宇宙の中心です。家庭の完成は、宇宙の完成の基礎となるがゆえに、家庭において愛するがごとくに宇宙を愛すれば、どこでも無事通過です。その場合、神様は宇宙全体の父母として、愛の複合的な中心の位置にいらっしゃるのです。
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 神様を中心とした創造本然の家庭的基台には、男性の愛、女性の愛、息子の愛、娘の愛、父母の愛、神様の愛が、すべて含まれています。このような消化された立場で、父母を愛し、夫を愛し、息子、娘を愛すれば、誰でも天国生活をすることになるのです。
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「家和万事成」という言葉があります。家庭が平和であれば、万事がうまくいくという意味です。完成した家庭は平和の家庭であり、それは天国の基礎です。家庭の原動力は、真の愛です。自分よりも神様を、そして相手を、生命のように愛するという純粋で美しい愛、それが真の愛です。神様はこの宇宙に、真の愛の力よりも強い力は創造されませんでした。真の愛は、神の愛です。
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 人間は、父子の関係がなければならず、夫婦関係、兄弟関係がなければなりません。すなわちこの三つの関係が一点になければなりません。その中心点は神様です。上下、左右、前後の中心が異なるようではいけないのです。その中心点が違えば、上下、左右、前後関係の均衡がすべて崩れるのです。それで結局、上、下、左、右、前、後、そして一つの中心点までの七数になるのです。そのような七数を成すということは、すなわち、神様を中心として完全な真の愛で一つとなって、そのすべてが完全に球形となり、調和し、統一された家庭になるということなのです。





















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