成約人への道
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 第三章 国家、世界観

 一 人類が追求してきた一つの国家、世界

  1.アダム主義、アダム国家、アダムの世界

 本来、人間始祖アダムとエバが堕落しなかったならば、どのようになっていたでしょうか。アダム家庭でのアダムは、族長になるのです。族長になると同時に民族長になるのです。また国家の代表者となり、アダム王となるのです。それゆえ、この世界はアダム主義で一つに統一されるのです。つまらなくみっともない主義たちは、ほうり出さなければならないのです。くだらない主義が現れて世界を攪乱させているので、私たちはこのような主義を根こそぎ全部引っこ抜いてしまわなければならないのです。
 主義もアダム主義、言語もアダム言語、文化もアダム文化、伝統もアダムの伝統、生活方式もアダムの生活方式、制度もアダムの制度、すべてのものがアダム国家の理念制度にならなければならなかったのです。このような主義は「神主義」です。神様の心によって神様と一つにならなければならないので「神主義」と言うのです。
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 家庭を中心として見るとき、堕落していないアダムとエバの家庭が、アダムとエバ二人だけの家庭でしょうか、宇宙を代表した家庭でしょうか。その次に、神様においてその国は、誰の国でしょうか。神様の国ですか。アダム、エバの国ですか。神様との共同目的をもった、神様を中心としたアダムとエバの国です。そして、その国が拡大されたのが世界ですが、その世界もやはり神様を中心とした世界です。それを知らなければなりません。
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 私たちはどこに行くのでしょうか。天国ですが、家庭的天国から、氏族的天国、世界的天国、宇宙的天国に行くというのです。そこまで行かなければならないのです。地上での世界を自分の国と思い、万民を自分の兄弟と思い、世界を中心としてこのように伝統を受け継いだ人は、間違いなく天国に一番近いところに行くのです。これは理論的です。
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 皆さんが天国に行くとき、「うちのお父さん、お母さん、息子、娘を連れていく」と、こんな考えをしないでください。「国を連れていく」と言わなければなりません。国を捨てて自分の家庭を中心として、「ああ! 私の息子、娘よ……」ではないのです。国を連れて入らなければなりません。国の中に民族がすべて入っていて、自分の息子、娘もすべて入っているのです。先生で言えば、先生の考えでは「世界を連れて天国に行かなければならない」と、このように今まで御飯を食べ、行動し、生きてきたのです。このように生きてきたので、この天上世界の中心位置に行くのです。正にこれが神様の考えです。真の父母の考えであり、真の子女の考えではないでしょうか。
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 神様が創造した世界には国境があり得ません。黒人、白人の人種問題が問題になりません。善悪の闘争もそこには必要ないはずです。このような観点から見たとき、私たちが住んでいる世界には各国ごとに国境があります。黒人、白人の人種問題だけではなく、家庭においても夫と妻、父母と子女間にすべて分裂が起こっています。善なる人と悪なる人が闘っているのです。このような現情勢を見たとき、再臨主は国境がない国をつくり、人種問題を超越して世界を一つにつくらなければなりません。分裂した家庭を全部統一しなければならず、善悪が闘っているこの世界に平和の王国をつくらなければなりません。
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 神様が確実にいることさえ分かれば、神様のみ旨についていかざるを得ません。神様のみ旨とは何でしょうか。この世界人類を御自身が愛される民につくり、この地球星を御自身が愛される国土につくり、この国土と民を合わせて一つの主権国家をつくろうというのが理想世界です。
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 皆さんにはそのような国がありますか。ないので、その国を求めて成さなければならないのではありませんか。その国はどんな国でしょうか。理想の国、統一の国なのです。万民が行くことのできる国なのです。この国を成すのには例外があり得ません。ここには家庭も協助し、氏族も民族も世界もみな協助することでしょう。そうして個人を統一することができ、家庭、氏族、民族、国家、世界を統一することができるのです。
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 人は誰でも自分の国で生きるべきです。それは人間に賦与された絶対的な条件です。一人も漏れなくその国とその義のために希望に満ちた義の生活をしなければなりません。思いによって理想郷を描き、生活によって義の法度を立てながら、その国とその義のために生きよというのです。
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 普通、世界主義と言えば、民族と国家を無視して全世界を一つの国家、全人類を同胞と見るという意味で終わりますが、統一教会で叫ぶ世界主義は、家庭からその壁を超越するのです。父母であられるお一人の神様と、血肉の本当の兄弟と変わりない同じ兄弟たちである全人類が、一つの世界を成すという世界主義です。これは、どれほど素晴らしい世界主義でしょうか。
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 天国とはどのようなものでしょうか。地上天国とはどのようなものでしょうか。私たち統一教会の食口のような人が、全世界に住むのです。それが地上天国です。この地上のすべての人たちが統一教会の食口のように住めば、それが地上天国です。その世界とは、神様と共にある世界です。誰かが「神様はいない」と言うこともなく、神様に対して疑いません。神様を私たちの父として、すべてが一つになった世界です。その次にサタンの誘惑……。サタンがいないのです。神様が主管する世界、それが地上天国です。神様が私たちと暮らすのです。
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 これからこの世界問題を解決して、人類の道徳問題をすべて解消させるためには、堕落論がなくてはならないのです。堕落論なくしては人間の問題が是正されないのです。これは、サタンが天を裏切って歴史を引っ張ってきた最後の絶望的終末現象だというのです。これは人類を破綻、滅亡させるための戦略です。これを解消しなければ歴史が解かれないのです。歴史が解かれなければ歴史を清算することができないのです。これに対する代案を中心として、神様の創造と理想の代案を中心として、私たちは神主義に帰ろう、真の愛主義に帰ろうというのです。それは自分自身のためではなく、為他的なのです。愛の相対を創造しなければならないというのです。そのような内容でなければ収拾する道がありません。
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 結婚をなぜするのでしょうか。神様の愛を中心として、神様に侍り、男性、女性を統一するためです。天下の起源、平和の起源はここから始まるのです。真の愛の本質は父と母のために生き、母が父のために生き、兄が弟のために生き、このように「ため」に生きることです。「ため」に生きる愛によって、もつれてしまったそこに永遠な神様の愛が臨在することにより、その家庭は永遠無窮の永生的家庭になるのです。これを統一思想と言います。


  2.その国は私たちすべての願い

 私たちは、神様の国を慕い仰ぎます。そこは、愛があるところだからです。一時的な愛ではなく、時間を超越した永遠なる愛が存続することができるところです。また、自分自らを高めることができるところであり、自分の価値を一〇〇パーセント認定してくれるところだというのです。すなわち、永遠に幸福なところです。ですから人間は、天国を慕いあこがれるのです。
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 もし地上の国家を復帰することを自分の生涯に果たせなかった場合、皆さんは霊界に行っても天国に属した人としての価値をもつことができません。地上で神様の主管圏内で統治された実績をもって、霊界に行かなければなりません。それは本来の創造基準なのです。
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 私は今、世の中にうらやましいものがありません。この世的に見てもうらやましいものがありません。この世的なものには考えがいきません。何、お金の端切れ、土地の端切れ、家の端切れ、そんなものには関心がないのです。「部屋一部屋でも何でも、死ぬとしても私の国で死ななければならない。神様が保護することができるその国で死ななければならないのではないか。私がそのように生きていくことができなければ、その生涯は悲惨な生涯ではないのか。だから死ぬ前に一日でもその国を求めていかなければならない」と、これが先生の一生の願いです。その日のためには、数千日の犠牲を投入しようという心で前進しているのです。皆さんは休んでも、私は前進しているのです。皆さんができなければ、外国人を動かしてでもやらなければならないし、大韓民国ができなければ、外国を通して包囲作戦をしても行かなければなりません。
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 私たちの信仰の目標は、神様の国の民になることです。その国の民になれなければ、その子女として自由自在に万民、あるいは万物世界に誇り、愛される道は現れません。国がない者は常に攻撃されるのです。かわいそうな立場に立つようになります。あきれるほどやられる場合がいくらでもあるのです。ですから神様が願う国がどこにあるのか、神様が足場とする国がどこにあるのか、これが問題です。
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 私たちがこの国、この民族のために血と汗を流すのは結局、永遠なる天の国を成すため、千秋万代の後孫たちがとこしえに褒めたたえることができる福地を成すためです。
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 その国は、神様を中心として直系の子女が天命を奉じ、神様に代わる命令をもってその王権によって治め、そのような国であることは間違いありません。そこには、民主主義や共産主義があり得ないというのです。一度形成されれば、永遠な国家体制として残るというのです。そのようなことを考えるとき、私自身がそのような国の民になれなかったという事実が怨痛なことではないかというのです。私自身がそのような国で暮らせないことを嘆かなければなりません。そのような一つの私を備えることができないことを嘆かなければなりません。そのような一つの不変の主権をもつことができなかったことを、私たちは嘆かなければなりません。
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 主権と国と国土を建てるために、人類は主権国家を建ててきました。その中で数多くの人が死に、数多くの民が犠牲になり、数多くの国が滅び、数多くの主権が交代してきた事実を知らなければなりません。そのように犠牲になった数多くの人、天の側にいる人たち、あるいはそのようなみ旨のために犠牲になったすべての哀魂は、ある一時にそのような国、そのような世界を成してくれることを願うのではないでしょうか。
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 神様が愛する息子、娘を地上に送り、絶対的な天の国家を建てるためのことを進めてきましたが、現時点で一つの国家を復帰し得る基盤をつくることができませんでした。何度も失敗したのでこの地上に天の人を送り、それを経営させて推進させ、成就させるために努力してきたのが、今までの天の役事だったのです。
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 主権のない国の国民はかわいそうなのです。それでイエスが案じて「何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」(マタイ六・三一〜三三)と言われました。先に息子を求めよと言われましたか、国を求めよと言われましたか。神様が望んでいる国を求めよと言われたのです。
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 イエス様も楽園に行って待っているのです。天の玉座の前に行けなかったということを知らなければなりません。イエス様は神様の前に国の主権を建てて国を治め、地上から天国まで直通し得る権限をもった国をつくれなかったので、神様の前に立つことができないのです。ですから楽園は、天国へ行く待合室です。また、天国へは一人では行けないのです。天国へは本来堕落していないアダムとエバ、家庭単位で行かなければならないのです。息子、娘と共に行かなければなりません。そうでなければ行けないのです。
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 今まで宗教人たちは、生き残ることのできないようなことをしたのでしょうか。宗教に協助してくれる家庭もなく、社会もなく、国もなかったからです。国がない民なのです。国があったならば、氏族が反対する立場に立ったとしてもその国圏内に生き残る道があったのですが、今まで宗教を信じた人たちはどこに行っても迫害され、どこに行っても血を流す祭物の道を歩んできたのは何のためでしょうか。国がなかったからです。主権者がいて国があったならば、「やあ、お前たち、これが正しいのだ」と言えば、「はい」と言うのに、国がないので……。国がない民なのです。
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 今日、この地上に霊的救いを完成した世界圏、キリスト教文化圏の世界が民主主義世界です。ところが神様が選定したイスラエル民族が選民思想を受け継いできたのと同じように、その選民を定め、間違いなくお前の国にメシヤを送ってあげようとイスラエル民族に対してきたのに、その約束と共にあるべきキリスト教国家が世界にはないのです。皆さん、これを知らなければなりません。ですから地を失い、国もなく空中に名前だけもったその国を追求して、東から追われれば西に逃れ、北から追われれば南に逃れ、彷徨しながら、死の道を避けながら世界的な発展をしてきたのがキリスト教文化圏の世界です。
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 統一教会員たちも国がないのです。今の民主主義の世界も、神様が六千年間苦労してつくってこられたのです。もし皆さんが昔のイエス時代のイスラエルに生まれていたならば、皆さんの首は既に落ちて久しいはずです。先生のような人は既に、この世の中には痕跡もなくなっていたことでしょう。国家的に不義のサタンの代役者がいるかと思えば、現在の世界的な不義の代弁者である共産主義が宗教を抹殺するための最後の背水の陣を敷いているというこの厳然たる事実を、私たちははっきり知らなければなりません。私たち統一教会員たち、国がありますか。ですから賤しい者ではないですか。行く所がない賤民扱いを受けたのではないですか。その誰よりも悔しいことを忘れてはならないのです。
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 国がなければ、いくら良い幸福な家庭であっても、馬賊が出てきて首を切られることがあり得るのです。ですから国を求めなければなりません。これを宗教人たちは知らないでいるのです。宗教人たちは全く知りません。善なる国を求めなければなりません。これが宗教の目的です。
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 その国を探すことができる代表的な一人の個人はどこにいるのでしょうか。この地上にはいません。それで宗教を通してそのような代表的な一人の方に仕えようとする思想が、再臨思想です。この再臨思想を中心として新しい個人が現れるのです。新しい家庭、新しい氏族、新しい民族、新しい国家、新しい世界の形成が起こるのです。それで再臨思想は、他の思想とは根本的に次元が違うのです。
 それでその代表的な人は、死亡の世界から腐った死体を取り除き、そこに根を下ろし、それを肥やしにして大きくならなければなりません。ここで良いというものを肥やしにすることのできる力をもった、新しい主体的な人格を備えてこられる人です。サタン世界で良いというものを自分の生命体として復活の権限を誓うことのできる息子ならば息子、民ならば民が備えなければならない人格を見るとき、この死亡の世界、腐った死体のようになったものを肥やしにして大きくなることのできる主体力をもった人格者でなければなりません。言い換えれば、死亡の世界に支配される人ではありません。
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 人類を救うために来られる方が再臨主です。天は基準さえ立てられれば打ちます。攻勢を取ります。だからと言ってスターリンのように首を切って殺すのではなく、一度に降伏させるのです。一番目は理念、二番目は民、三番目は主権、四番目は領土でサタンを降伏させなければならないのです。人は誰でも、お金と権勢と友達と理想が共にあることを願いますが、その四つは正にこれを代表したものなのです。




















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