文鮮明先生御言選集 55
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アメリカに負けるな 1972年5月6日 日本 埼玉・狭山

アメリカの底力

 アメリカに負けるか勝つか? (勝ちます)。何で? 心情? 何の心情? 同じだよ。アメリカ人には心情ないの? 彼らを甘く見たら、ちょっと困ります。働くところを見たら、これはもう夜も昼も働くんだね。実に先生は感服したよ。これはアメリカの底力だ。彼らには監督がいりません。各自が責任を持っている。「こうやれ、ああやれ」と言わなくても、すーっとプログラムして分けておけば、そのままにしておいても、ちゃんと計画どおりに、夜遅くまでやります。

 しかし、東洋人は横目で見ながら、先生とか監督がちょっといない場合には、そっと入ってきて御飯でも食べて、さっと帰るのですが、アメリカ人はそういうことをしません。

 そういうように見た場合には、日本人よりアメリカ人は、それは従順である。そう思わない? 日本人よりアメリカ人が先立つのです。神がなぜアメリカの民族を祝福せざるを得なかったかというのは、その背後には祝福を受けるにふさわしい何かがあるんだよ。従順だよ。そういう場合には、日本人よりこれは純粋なのです。


日本は信用できない

 日本人は本当は信用できません。ちょっと気持ちが悪い場合には、すぐ顔が真っ青になっちゃう。「ええ、そうじゃないの」先生も学校時代、たくさん見たよ。たまには日本の女の子をね、ちょっと試してみるために、すーっと通り越して、「間違いました」と言って通りがかりに気持ち悪いことでもちょっと言ってみるのです。

 電車に乗る。雨なんか降る時にはね、高田馬場からずうっと品川という所へ省線に乗っていると、上着なんかみんな雨に濡れているよ。すました顔でちゃんと立っているんだよ。きれいな女の子たちに会った場合には、あの女の子たち、ああ、あの女はこういうタイプだろう、それで性質はこうであるし、近寄った場合、間違いなく口を横にして人のことべらべらしゃべるだろう。そうしてもう少し突き詰めるというと、まあぶうぶう言いながら気持ち悪く、周囲の三、四人に分かるような表情をするだろう。一から二、三、四、五、ずーっとそういうふうに考えて、人相を見て、こんな性質の者に間違いないので、すーっとやってしまう。そうすると、まさしく、一、合いました。二、合いました。三、合いました。それがたくさん合った場合は、気持ちがいい。

 将来人間を取り扱う場合、そういう訓練をしなければならない。勉強だ。それで、そういうのをやってみたことがあるよ。その時、先生は思うんだね。「何言うか、このお嬢さんよ。もし私があんたのお兄さんだったら、あんたが学校へ行く学費をみんなもうけるために、こういう工場に行って帰ってくる兄さんだったら、あんたはどうします」と、反問するんだね。

「あんたは、その方面においては、心情的には落第だ。あるいは自分の父親だったらどうする。一人この娘のために生涯捧げて、つらいその道端を行き来しながら、雨に降られ、いろいろなつらさも辛抱しながら、たった一人、娘のためにと励んできた親だったらどうするか? 涙ぐみながら、着物でも自分が父親にかぶせて、それを自分が抱えて慰めなければならない、それがあんたの立場じゃないか」。

 そんなこと、時たまやったことがあるよ。そうするともう、日本人の女はね、足にすーっと下駄なんか履くだろう。それできれいな足袋をはいているよ。それを少しでも汚した場合には、真っ青になっちゃうね。

 アメリカに行っても、先生はそういうことをやってみたよ。アメリカでは靴をはいている。通りがかりに……。しかしかえって向こうで、こちらで言うより先に、「エクスキューズ・ミー」。そういうことを言うのです。そういう意味で、これは勝っているよ。東洋人として及びがつかない何ものかがあるというんだね。我々が通りを急いで走っていると、こういうふうにして行きがけに立っているというと、「何かあなたの助けになることができますか?」。そういうことを言うのです。


神が祝福したアメリカ

 そういうような環境を見た時に、日本人より従順なんですね。だから、神が祝福したアメリカ人を、これを捨てたいか、どうか? 捨てたくないに違いない。そこにおいて、日本がかみついて「神様は平等な神様だから、彼らだけを愛するのは困ります」。こういう反抗をする自由があるんだね。「神様が髪の色や顔の色を見て愛するとすれば、これはたまりません」。こう反抗できます。

 その代わり神様を、その何倍も愛した場合には、「神様は愛さなければならない」。そういうことが成り立ちます。そういうふうにやれる自信があった場合には、神様が愛している愛を、こう切り替えしてあげることができます。それはできるのです。そういう自信があります? 先生は応援しません。先生が紹介してやって、「この日本人の若者たち、このくらいだったら希望がありますから、神様どうか気持ち悪く思わないで、もう一度考え直してください」と言えば、神様はそうだろう、見ておかなければならないとして、試してみるかもしれないよ。その試しで若き者がみんな逃げてしまう。そういうような試験に合った場合には、全部すべり落ちる。そういうことはあるかもしれない。


何倍も苦労しよう

 みな、とんでもないものを横入れさせるには、その最高のものに匹敵し得るそのもので打ってみる。一発でころげてしまった場合、永遠にグッドバイだよ。そうならない? なりますね。だからテストするそのテストは、普通のテストじゃいけません。先生だって普通のテストはしないよ。だから、日本には三倍、四倍の難かしいことをさせてみましょう。先生はそういうふうに決心しました。

 それで今度アメリカに行く時にちょっと寄って、日本の幹部たちに言ったのです。先生が日本に寄ったのは、日本の地区長とか、統一の勇士たちに話をして勇気づけるために来たんではありません。目的はアメリカだ。世界的大運勢をみんな集めて、日本に持ってきて、このふろしきをみんな解くから、その時まで待てと約束していったんだよ。それがちょうど今、ここに来て、あんたたちと会うこの場がこの時だ。その約束した時間であるというんだね。

 いいおみやげ持って来たと言えば、何かポケットに入れて踊るようなものを授けると思ったら大間違いですよ。向こうの者が一つの荷物を背負えば、こちらの者は少なくとも四つくらい背負わせようという決意でもって、素晴らしい荷物、素晴らしいおみやげを持って来ました。そのみやげを喜んで受けて、喜んで日本全国民に配給した場合には、アメリカをけっ飛ばして、日本は堂々と横取りすることができるんだよ。どうだ? それはいいの? 少くとも四倍くらい押しつけるだろう。そればかりじゃない。朝夕に働かせるよ。それでもいいの?


日本人は聖書が分からない

 アメリカに行って驚いたのは、アメリカ人で聖書が分からない者はいません。もうすべての人が、聖書を分かっている。どんな難しい話をしても、「そうだね、そうだね」とみんなうなずく。ところがこの前、先生が武田尾で開いた大集会の時、聖書のことをずーっと話した時、あんたたちみたいな若い者がたくさん来たところで難しいことを言ったら、自分だけが分からないと思っているのです。自分ばかりが分からないと思って、恥ずかしいから目がまん丸くなって、このように長くなった顔をするのです。そして、みんながそうなんで、「はあー、自分と同じだ」と思って安心した顔をしたのです。

 彼らは一生涯、風土もそういうキリスト教文化圏に育てられた。教育もそうだし、幼稚園から、小学校から、中・高、大学とか、みんな育てられる環境が、みんなそういうキリスト教の思想圏のつながりで結ばれている、訓練されているので、これはもうどこに行っても聖書に強いというのです。ここで火をつけた場合には、ぐわっと揮発油に火をつけたみたいに、いっぺんに全国に伝わる可能性がある。

 しかし、日本に来て話しかけてみるというと、統一教会に入って何か月かたっている者は、「まあ、先生だから、分からなくても分かるふりをして、こうこうしなければならない」。そういう者がなきにしもあらず。それは通じないや。少なくとも一年半勉強しなければ。一年半でも及ばないよ。全部公式的に一年半以上、これは、原理を少なくとも何十回も聞かして、読むようにするのです。これはもう、背後でもって差し込まないといけないよ。日本ではキリスト教というものは、ありふれたものではない。あてにならないだろう。だから、今まで切支丹が影響を及ぼした歴史がないのです。

 ここに今、統一教会が、世界基督教統一神霊協会というものが生まれてきて、日本や世界において問題視されてきているんだけれども、今のこの風潮は初めてのことだよ。

 しかし面白いことには、日本は女の子と男の子たちがよく入ってくるんだね。入ってくる者が落ちる者より少なければ、なくなっちゃうね。入ってくる者も多いんだけど、出ていく者も多いんだね。その比例がどうかといえば、今ごろはちょっと比例が上がるかもしれない。それは見ておかなければいけない。入ってくる者が出る者より少なかった場合には、なくなっちゃうよ。どうだ? あんたたちの中には、入って来る者より先だって出ていこうという考えを持つ者がいませんか? (いません)。いるだろう、いるよ。

 人間という者は信じることができません。君たち、自分自身が、自分を信じることができるの? 自分で自分を信じられない。自分で自分を信じない者を、誰が信じてやるか。世界的な先生は、もっと信じることはできません。人間というものは、全体的に信じることができません。それは肯定的で論理の結論だ。間違いありませんね。いくらすました顔をしていても、いつ倒れるか分からないや。いくら言っても、それは信じられません。それは、見ておかないと。見ておく期間は、キリスト教文化圏によって訓練された場合には、短いんだよ。訓練されていない者は長く見ておかなければならない。

 こういうようになった場合には、アメリカに負けるというのは、これはもう公式的じゃないの? 日本で二十年かかるとすれば、アメリカでは二、三年で済む。結論的にそういうふうになるよ。それなのに、あんたたちはアメリカに負けない、負けないの?


いつも先生についていく

 それには一つの方法があるが、先生のしっぽをかたくなに持って、死んでも放さない。それしかないんだよ。アメリカ人以上に、先生がどこに行っても逃がさないようにして、何かひもでもつけて、いつも合図する。どこへ行ってもついて回り、死んでも放さない。このようなことやったら、負けないかもしれません。

 アメリカ人が先生に一回会うには、これは日本のお金で五十万以上かかる。七十万円なければ、ずーっと回ってこられないよ。これを見るというと、日本から韓国へはどのくらいで行くの? 七十万円だったら十回往復できるよ。地域的に恵まれている。一度会うより二度会ったほうが、それは仲良くなるんだよ。二度より三度、三度会ったほうが仲良くなるんだよ。そうじゃないの。それは、長いほど親しい友達というんだよ。ある数から見て、それが一つ天願うほうの立場に立って、それ以外、何も有利な立場に立っていません。

 それから、日本は韓国の門前にあるから、出る時にも寄るし、入る時にも寄るんだけれど、そういう面においては先生を何回か見ることができる。それが勝っているかもしれない。それ以外には何もない。有利になることは一つもありません。分かりました?

 しかし、先生に一つちょっと困る病気があります。習慣性という病気がある。習慣性が東洋人の見る見方になっているんで、西洋人のようにはなり切れないんだね。東洋の風習に慣れているので、西洋の風習には慣れていないのです。

 みんな、アメリカに行きたがるんだけれども、アメリカに行って、ひと月、ふた月になった場合に……周囲を見回すんだね。「ちょっといい方法はないか」と。「これはもう日本にでも帰ってみたほうがいいな」。そういう思いがするんだね。先生は世界をずっと回ってバンコクに行ったよ。インドから行ったよ。インドは、ヨーロッパほどの大陸だ。骨格が、すべてが大きい。目玉は大きいし、背がのっぽになっているんだよ。歩くのも違う。西洋人も違うよ。しかし、タイに着くというと、もう何時間前の印象と、まるっきり違ってしまう。それこそ純粋な東洋人だよ。それ見ると、もう実に親しい思いがする。故郷に着いた思いがする。「それじゃ、ここに来たんだから、記念となるものを一つ残していこう」。そう思うよ。

 人間というものはおかしなもんだね。そういうような印象に残る感情や何か因縁があった場合には、何かの印象を残そうとするんです。ホテルに着いたが、ちょうど着いた所が日本人のホテルだ。それで、先生は昔、学生時代の立ち食いの寿司の味を知っているんだよ。雨がしとしと降るころにね。遅くなって一人で帰り、寂しい部屋に一人でのこのこ帰って食べるよりは、立ち食いの寿司を、立って食うその味が印象に残っているんです。

 日本のホテルに来たんだから寿司があるに違いない。それで「石井君、寿司知っているんだね。何がおいしいや? 何がおいしい」。何がこうこうと、数えあげてもおいしいんです。「どのくらい高いや?」「高いものは一つ四〇〇円を超えます」。「ああ、そうか。きょうは気前よく、君がいいと思うもの、我々がもう満腹して余るように買って持ってきなさい」。そのように言って、入るとすぐに交渉させたんだよ。その主人とか、寿司屋のおじいさんとか、みんな交渉するようにして、その寿司屋へ行ったよ。

「きのう、懐かしい、仲良くしていた寿司屋のおじいさんの所へ行って、どちらがおいしいか、買っていきますから一つ試食しましょう」と。味はみんな知っているんだよ。ま、九個、八個は食べたね。お金を払わずにね。「それで、一番おいしいのを選んで持っていきたいや」。生涯に初めて迎える誕生日みたいに思ってね。

 タイは今、真夏だね。一番暑い時なので、もう外を見ただけでも、これはもう暑い気がする。そういう環境だよ。いい気になって夕方、すーっと映画を見に行ったんだね。タイの風習はどうかというと、それは映画を見るのが一番早いよ。実にそれは素晴らしかった。いい気持ちになって帰ってくると、ちょっとひもじくなって、寿司を注文して、もうベルトを抜いて食べた。実においしかった。わさびとかまぐろの寿司とか、もういろいろあったが、腹いっぱい食べた。食べたことは実に記念になるんだけれど、惜しいことには、実に思いもよらない金を払ってしまったことだ。出る時は気持ちが悪かったね。それが今、第三次路程において忘れることのできない印象です。(笑い)

 それはタイに着いたばかりでも、もう、国に帰ってきたように思うのです。緊張した思いは一つもなくなってしまう。西洋にいれば緊張だよ。環境がはっきり違う。まるっきり緊張しているが、東洋に来るというと、そういう気持ちの習慣性で十分に解放される。日本に来ると、まるで自分の奥の間に入ったような気持ちになるんだね。

 まあ、結論を出して帰りましょう。アメリカに絶対に負けるべき立場が日本にあるというんだね。さあ、アメリカに負けるか、負けないか?


温かい心情

 第二次大戦に負けたのを蕩減復帰しなければならない。昔は鉄砲で、強い鉄砲、強い日本刀、強い日本精神で戦ったんだけれど、それは強くなくてもよいのです。外的に強くなくても内的に温かい心情、雪が解けるような温かい心情。それは西洋人でも温かい心情、忘れることのできない心情、印象を残すようなその心情だけ持ったならば、勝ったアメリカ人を使うことができるのです。勝ったアメリカ人も、いくらでも旦那さんにすることもできる。奥さんにすることもできるのです。もしも負けた場合に、全部日本人をアメリカ人と結婚させたならば、アメリカの女性を日本の男性がもらった場合には勝つのです。そういうふうにしても、一度は勝った基準を立たせなくてはならないというのが先生の思いです。気持ち悪い?

 それは最後の作戦であって、第一の作戦を練っている最中に、一つやってみたいという先生の思いだ。それで、日本の十字軍をね、八十名か、八十五名くらいやったら、日本では四倍以上、五倍以上やりましょう。あ、倍以上やりましょう。六掛ける八、四十八、四八〇名動員させようと思って来たよ。気持ちがいいだろう? 六倍になったら、数で勝ったよ。もう勝ったよ。数では勝ったが、質からはどうだ? 数で勝ったんだけども、質からも……。もう腰が曲がって伸びないように、一つ訓練されて、統一教会でそういう訓練をされて、そういうような名物が残ったとするならば、そういう人は有名な邸宅で待っていても、世界万民が訪問する。客の列ができるのです。


勝たねばならない

 そういうふうにしても、日本は勝たなければならない。そういうふうになれる男、女、手を挙げ8 本当にそういうふうになれるの? 気持ち悪いよ。そんなことをして、先生のために左の目を今抜いてくれと言えば、くれるのですか? だからとんでもない男だと言ったんだね。さあ、それに間違いありません? じゃ、目玉はもらいません。「目玉の代わりに、三年くらい日本のために先頭に立って走る、気違いみたいな姿で走ってくれれば、「それで蕩減可能なり」と言えば、みんな両手を挙げるだろう。それでも目玉を一個出すか? それとも三年間気違いみたいに先頭に走るか? どっちをやります? それはもう訓練されているね。

 日本人は損するのが、絶対嫌だというのです。今まで先生が話したすべてをいっぺんに、け飛ばしてしまった場合、そうじゃないの? 目玉より、三年と言えば、「ははあ」。まあ、三年ばかり問題ありませんね。三年間バットを振って、足に、腰に、胸に、頭にぶっかけても、これを走らせた場合に、結局利益になるものは誰か? 先生の利益になるか、日本の利益になるか? それは日本の利益になるよ。だから、全体が利益になるという場合には、それは惜しげもなくやれるのが正義であり善の道だ。分かりました? さあ、そういうふうにやれるか? (やれます)。信じられません。人間が信じられません。それでもやれる? まだ信じられません。

 それを自分一人に聞いてみて、天のお父様と決意した場合には、目をつぶって両手を挙げてみなさい。(――)間違いないね。さあその者は、もう下ろしてもいいですよ。自分が自分の良心と神に約束したのだから、この松の木も見たことだろう。この土が、「君は素晴しいことを誓ってくれたので、この土としても生まれた最上の栄光である」とたたえているんだよ。

 誓ったもので成されないということがあるか? とんでもないこととして誓って、とんでもない実行力でもって成していったならば果たせるのです。

 先生は六〇年代に言ったね。「今から十七年とか、十二年たった場合には、我々は世界的になる」。そう言ったらみんな、「ぷっぷっぷっ……」と。その時は、先生はこういう洋服を着ていません。ジャンパーだ。それもアメリカの作業服をジャンパーに作り直して、そういう洋服を着て、説教も堂々と立って大衆に向かって話した。

 今、日本に来てみた場合、その伝統精神に違反する者がたくさんおる。ジャンパーを着てから、それを勝利して背広を着るんだよ。それを勝利して帽子をかぶるんだよ。それを勝利してステッキを持つんだよ。それを勝利して世界旅行に出るんだよ。順序がある。そういう伝統を無視して、みんな背広にネクタイをして、すました顔している。いい気になっているや。

 まあ、そうかといって、明日からそうなれと言っているんじゃないよ。時代が違うんだね。その時はまだ、ろうそくを使う。今は電気を使う時代なんだから、電気をみんな取り外してしまえ、そういう命令はしないのですから、もういいのです。その反面、その時代の先生より、皆さんがあらゆる方面に優れた環境に立っているんだから、これは負けちゃ話にならない。分かりました?(はい)。












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