文鮮明先生御言選集 55
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真の父母と我々 1972年5月7日 日本 東京教会

善と悪

 神様の創造理想からみた場合には、我々人間の先祖であるアダム、エバは間違いなく神様と一つになって善なる血統を、全人類を通して引き継いでこなければならないのが、理想的神の願いでありました。その願いが堕落によって思いもよらない結果となったということを、我々は堕落論を通して習いました。現在、我々サタン圏に属している者は、神の血統とは全然関係ありません。すなわち善なる父母の子女として生まれるべき我々は、悪の父母を中心として、因縁をもって生まれてきました。それで、悪を中心とした家庭、氏族、民族、国家、世界となっている。これを蕩減し乗り越えなければなりません。

 そういうふうにするには、サタン世界は上中下というような階級を中心として、ずーっとつながっているんだから神様のほうも、そういう基準を元の理想の基準にまで引き上げるには、ただ神様の願いのままにやることはできません。それは段階を経て、ずーっと歴史的に上げていかなければなりません。それで僕の時代から養子の時代、実子の時代から真の父母の時代、こういうような段階を通して、悪の世界からこれを蕩減して、再び神の善なる元の理想世界に戻そうとするのが、全般的神の摂理である。そこには数多くの宗教や民族、あるいは文化の背景の違う宗教を立たして、これをまとめてきている。

 一つの大きい川を成すには、その上の多くの支流がより合って大きい川となるように、川の谷間を流れる川の方向はいろいろと違う。東西南北、あるいはこういうような支流からみた場合には、東に流れるものもあれば、南に流れるものもあれば、北に流れるものもある。本流を成すまでに上のほうではいろいろな宗教の形がある。これが今まで世界的人類の背後にあって、神の摂理をこの地上人類の上に働きかけてきたんだから、その方向はいろいろあります。

 これがだんだん歴史の流れによって、支流が本流に合併するように、文化はだんだん、だんだん一つの思想の方向をたどりながら、ある宗教の目的地に向かって今まで発展してきたのである。この間においてのその時間というものは、発展していかれない。その期間においては多くの蕩減を成さなければならない。その蕩減たるものは、アダム家庭において植えたとおりの内容を通過しながら蕩減していかなければならない。カイン、アベルの問題が引っかかっている。カインという者はアベルを打った者である。より善なる立場に立って、より神のほうに近いとするその者に対して、いつも反対をしてきた者がカインの立場である。こういうような関係は堕落以後、今日まで歴史を通して引き続いている。あんたたちの生活内においても、そういうような環境に包まれる。

 我々一日の自分自身も、一日の生活においても、朝夕においても、それは自分を中心としてみればカイン的であるかアベル的であるか、そういうような内容になっている。あるいは一時間においてもそういう関係にある。前後関係、左右関係、上下関係みんな、そういう善悪を中心としてどっちのほうが神に傾いているか、どっちのほうが反対のほうに立っているかという、我々一切のものに引っかかってくる。もし一つの言葉を言うとしても、その言葉を中心としてそれはカインかアベルか、きのうの基準から、きょう話す自分の立場が違うという場合には、より良ければ、きのうよりアベルの立場に立つ。悪ければカインの立場に立つ。

 一切がそういうような関係に、こういう因縁を結んで、神はよりアベルのほうに向けようとして働き、サタンはその反面のほうに引っ張っていこうとしている。人間からみた場合には、アベルのほうにより寄って高く上がっていくという喜びがある。これはうれしい。喜びがくる。その反面に、サタン圏カインの方向に引っ張られていくというと、何気なしに悲しみを感じる。だからうれしい悲しみの交差点をつくってきたのが、我々先祖より今まで人類の行かれる道になっている。

 だから、我々の毎日の生活を見た場合には、自分に損害なる場合には悲しさを感じ、自分に利益になる場合にはうれしさを感じる。その悲しさを感じるうれしさを感じるというのは、結局カイン・アベルの問題を中心として、これが行き交う、そういう立場においてそれが成される。善なる立場に立てば一歩前進して、善なる立場に立つというと神のほうに近くなる。神を中心として世界が解放される。それが今まで、アベルの立場に立った者が、その立場に立った者が、その立場より前進したいのが願いであるにもかかわらず、それに反して後退した場合には、それに比例した悲しみが自然と生じてくる。それは何を意味するかというと、結局神様に到達する。そういう基準を中心として我々は喜びを感じ、悲しみを感じる。


個人の救いから

 そういうような立場を、我々人間が個人より家庭を通して、社会をつなげて、国家をつなげて、世界につながっている。こう考えてみるというと、いくら個人、家庭、社会人としても、社会人というものは、個人をつなげて連結したものが社会であり、国家であり、世界である。結局、このような人間たちを解放するには、個人を中心としての解放運動を、初めからしなければならない。家庭の解放の動機も個人にある。国家を解放して世界に行く道を開くのも結局、個人個人合わせてそのような運動をしなければならない。これを目指して神は、宗教というような機関をつくって、神の摂理の方向に近くさせようとしてきたのが今までの摂理である。

 そうすると、摂理の究極の目的というものは何か、今までの宗教の使命として考えたのは、世界のために、世の中のために献身するとか、世の中のために利益になるような使命を果たすべき立場が宗教であるということを、一般の人は考えてきた。一般の宗教も、そういうふうに考えてきた。しかし神から考えれば、一般の世界に対して、善なる影響を及ぼすのは第二の目的であって、直接の目的は何かというと、真の父母を地上に立たせなければ何にもならないんだね。悪の父母より生まれたものを、完全に蕩減し勝利するには、善なる父母をいかに立たすかということが神の立場として解決しなければならない重大な問題である。


メシヤ

 そういう立場からみた場合には、外的にはもちろん、世界的に発展する悪の世界が個人より家庭、氏族、民族、国家、世界より成り立っているから、背後において神もそういう基台をつくり上げていくには、天使長圏、あるいは僕の圏を広めていく。そこから一段上げて養子圏を広めていく。そこから養子圏から一段上げて実子圏にまで行かなければならない。

 実子圏を中心としてみた場合にも、ここにもカイン、アベルがある。いつも、カイン、アベルがある。堕落した父母によって生まれたカイン、アベルは、争って落ちていったカイン、アベルである。我々復帰時代におきまして、実子として立つべく、神様を中心として実子というような問題を引き出す所は、カイン、アベルというような戦いの立場ではありません。カイン、アベルが完全に一つになったという基準を立てないと堕落圏を越えることができない。

 我々の原理からいえば、実体基台を立たせることによって、初めて堕落圏を乗り越えることができる。しかし堕落圏を乗り越えたけれども、そのまま蘇生、長成基準の堕落圏に今までは引かれて、蕩減の世界を通過してきているんだけれど、長成基準を乗り越えるということは、実体基台を勝利的に立たせなければそれを乗り越えることができない。そうして、完成基準に入ったとしても、これはどこまでも、血統的にはまだ清算されていない。サタンの血統を受け継いだものだから、血統的にはまだ清算されていない。

 血統的清算をなすには、必ずメシヤが必要である。だから信仰基台、実体基台、メシヤのための基台というものは、堕落した人間において絶対に必要である。最後の問題は、何かというと、メシヤのための基台をつくって、メシヤを通して自分が血統転換をなさなければならない。そういうふうな立場に立つには、必ず神の実子の立場に立てるようなものにならなければならない。それで、アダムとエバが堕落したためにアベル・カインが縦的に一つになる道がありません。アダム、エバが堕落したために、カイン・アベルを通してアダム、エバの失敗を復帰する立場に立っている。だから、アダム、エバが縦的に結ばれる基準がない。アダム、エバの立場でこれがなくなったから、実子圏を願っている我々にとっては、それは縦的に結ばれる父母とその子供が一つになったところが得られなければなりません。それが養子という立場において、一つになっては上がっていかれません。

 完成基準は、堕落しない実子の立場を結ばないというと、完成基準を神様と一つになって上がることができないと同じように、我々人間においても、そのことを再び通過しなければならない段階に復帰されて上がっていく。そうなるというと、いくら神の子供になったとしても、いくらカイン、アベルが一つになったとしても、そこにいわゆる堕落しなかった父母の基台を復帰しておかないというと、これは縦的に上がる道が生まれてこないんだから、この問題の責任を果たすには、神様も今日、真の父母という基準を再びよこさなければならない。それを中心として初めてカインとアベルが結ばれるにしたがって、上がる道が生まれてくる。結ぶ基準においては、必ず血統転換をなさなければならない。これを結ぶには一人ではできない。


祝福

 堕落は、長成完成基準において堕落したんだから、これを元返しするには、堕落した反対の方向を通して、元返ししなければならない。堕落する時は、アダム、エバが愛の問題を中心として堕落したんだから、我々は復帰の路程におきましても、その基準に到達したならば、必ず愛の問題を中心にして乗り越えていかなければならない。その愛の問題というものは、今までは、サタンの父母から受けていたものだから、愛の問題を中心として乗り越えるには、神の愛を中心とした真の父母の愛を中心としてつながらせないと、これを乗り越える道がありません。

 だから堕落した父母の血統を受け継いだ我々堕落圏にある人類は、最後には父母を迎えて縦的に一つになって、堕落圏を乗り越える道をたどっていかなければならない。これが原理の立場である。これを乗り越えるのは一人ではできない。必ず男女が組まなければならない。これが統一教会で行っている祝福問題である。だから祝福というものは、自分なりにやって成されるものではない。これが縦的の中心である父母を中心としてそれが始まる。堕落世界において、堕落血統を受けて結婚する者は、自分を中心としてやったのではない。父母を中心としてやってきたと同じように、復帰路程においても真の父母が生まれてきて、縦的父母、父母が完成するとともに、カイン、アベルが一つになって、一つになるところにおいて、勝利の条件を満たす圏において祝福をなすことによって、堕落した限界を初めて乗り越えることができる。


三時代を通過

 それは一人で上がって行くんではないのです。必ず祝福という問題を通して長成完成基準を乗り越える。すなわち、完成蘇生基準に立ち返ることができるというんだね。そこから、祝福された家庭は七年間という期間が必ず必要である。三段階というものは、蘇生期間も、長成期間も、完成期間も、二十一年の期間だから、完成基準は七年間という期間が残っている。これはまだまだ誰でも行っていない過程に属している。ここにおいて、各自誰でもが、七年間を通過しなければならないというのが原理の基準になっているから、統一教会に入ったら、必ず七年間は通過しなければならない。

 この期間においては何をするかというと、この七年間という期間は、その期間において、我々堕落したその父母の心情を受け継ぐとともに失われたすべてのものを復帰しなければならない。堕落する時に、人間はどういう結果になってしまったかというと、まず万物を失ってしまった。それから実体がサタンに汚されてしまった。それから心情を奪われてしまった。これみんな蕩減復帰しなければならない。

 いわゆる物の問題、実体の問題、心情の問題を、これを完全に神を中心にして結束させて完成期間を通り抜けないというと、完成基準に到達することができない。これが我々の原理原則だ。完成基準に上がるまでの七年間は、人類歴史の六〇〇〇年、あるいは、聖書でいえば、再臨の主が来られた場合には、千年王国時代が来るように、その一〇〇〇年をプラスさせて七〇〇〇年の歴史に値する。それをこの七年間において、再び蕩減するようなその内容を、内外共に勝利した基準を決定していかなければならないというんだね。

 この期間に祝福を受けて、それから万物の祝福を受けるというと、いわゆる家庭の基準が出発する。万物を復帰しなければならないし、実体を復帰しなければならない。それから心情を復帰しなければならない。これを横的に見た場合には、万物は蘇生であり、実体は長成であり、心情は完成である。この横的基準というものはこれは、歴史的に今まで縦的の摂理をすべて横的に並べた基準になる。物の基準は旧約時代に当たるし、実体基準は新約時代に当たるし、心情基準は、これは成約時代に当たる。だから我々成約時代は心情の世界をとらえるようになったのも、それを意味するというんだね。

 三つが完全に一つにならなければならない。旧約時代は物を中心として蕩減し、新約時代にイエス様を通して、イエス様、神の子供という実体を中心として蕩減する時代、それが勝利的結果になるんだから心情的基準が生まれてくる。そういうような家庭基準が、地上に初めて立つという基準が祝福されて立つ立場である。


子女

 祝福された家庭からみた場合には自分の子女というものがあり、その前に何があるかというと、信仰の子供がある。イエス様みたいな外的な実体の立場が信仰の子供である。自分の子供は再臨した実体の子供みたいな立場である。イエス様が死なず、地上において完成すべき立場の子供の位置が、自分の子供の位置になるんだね。今は霊界のキリスト教と地上のキリスト教が一つになっていないんだよ。

 霊界のキリスト教圏、いわゆる今まで楽園圏というものが生まれてきたね。それとキリスト教が地上にある。これは霊的キリスト教圏、地上のキリスト教圏が一つにならなければならない。これはイエス様が、二つに分かれてしまっているんだから、これを再び一つにつくるような立場を元返さなければならないのが、我々平面的基準においての、自分の子女と信仰の子供、これは霊的象徴だよ。いわゆるカインの立場だよ。カインというものは天使長圏をいうんだよ。アベルというものは、アダムの立場で地上圏をいうのである。だから地上と霊界が一つになる。

 これが地上と霊界が分かれたんだから、これを一つにさせるには、あんたたちの信仰の子供と実の子供が完全に一つにならないというと、分かれた霊界と地上のキリスト教が一つにならない結果となる。だから根本的に、家庭によってこれが分かれた結果、霊界と地上界、これは結果として分かれたことになっているんだから、それを復帰するには、地上において、平面的にこれを一致させる基点をつくっておかなければならない。それをなすために信仰の子供と、祝福された家庭から生まれる子供が一つになって、霊界と地上界に分かれたのが結ばれるようになるんだね。


父母の位置

 こういうふうにして、これが初めて一つになってこそ、カイン、アベルが一つになってこそ理想的父母が生まれてきますよ。理想的父母、カイン、アベルが一つにならないというと、父母を復帰することができないというんだね。カイン、アベルが一つにならないというと、父母に帰る道も出て来ないし、カイン、アベルが一つにならないというと、父母というものを復帰することもできません。だから地上において蕩減の基台として、信仰の子供と自分の子供が完全に一つになるというような立場に立つことが、堕落しない時の天使長とアダムが一つになった立場である。

 そういうような立場に立った場合には、神様はいつでも愛されると同じだよ。神様は父母の立場である。これを横的に自分の信仰の子供と自分の祝福され生んだ子供が完全に一つになるというと、神様の理想の愛の位置に立たされる真の父母の位置が初めて復帰される。この縦的歴史過程を横的に再び表して蕩減勝利していかなければならないのが、我々統一教会の行かなければならない道だよ。

 だから結果を復帰するには、その原因を元返しして正しておかなければ、それは復帰される道はありません。それで、我々に絶対必要なのは何かというと、信仰の子供が必要である。これは何かというと、アダムにおいて見た場合には三人の天使長がありましたね。エバにおいても三人の天使長があったね。まあそういうような立場からみて、アダム、エバにおいては三人の天使長を迎えて、その天使長たちが生まれると同時に一生涯自分のために奉仕する僕の立場に立たせなければ、完成された天の娘と息子になれません。それを蕩減復帰しなければなりません。

 そういう立場からみた場合に、我々男も女も、三人の信仰の子供というものは、平面的においては三人の天使長になるんだね。それが完全に一つとならなければならない。しかし我々が伝道したのは、あるいは二十歳、あるいは三十歳、大きくなって伝道して、一つになる道を求めて行っているんだよ。もともとは、天使長が神と一つになったところにおいて、アダム、エバがつくられたんだよ。そうだろう。

 天使長が先につくられて神と一つになったところにおいてアダム、エバがつくられたんだよ。その基準を我々は復帰しなければならない。だから信仰の子供が先に生まれていなければならない。本当はね。信仰の子供が前もって準備された基台において、アダム、エバがつくられると同じような結果に立たなければならない。そういうふうになるべきなのが原則だよ。だからイエス様を中心としてみた場合には、信仰の子供の基台は、堕落しない前の天使長を初めてつくり、アダムをつくったと同じような立場と、イエス様が来られる時に、イスラエル国家とユダヤ教が既に天使長圏をつくっておいた基準だよ。ここに、イエス様と一つになった場合には、念願がその時にみんな解決したよ。


再臨の主

 だから我々統一教会が望んでいるように、もしも我々の国家基準が一遍に復帰された場合には、そういうような条件を正して、我々は苦労しなくてもみんなそれを原理基準に一致させることができる。これがどういうようになったかというと、再び反対してイエス様を殺したために、すべてがなくなってしまった。特にキリスト教を中心としてみた場合には、これは霊肉共の天使長の立場ではありません。どういう立場かというと、霊的立場に立ったのがキリスト教である。だから霊肉一致した基準を成すには、必ず、再び霊的には天使長基準になっているんだけれど、肉的にはまだつながっていない。これを再びつながらせる蕩減条件を通過しなければいけないのが、再臨の主が来られてやらなければならない道になっている。

 イエス様の時代はそうじゃない。霊肉共の天使長基準が地上にあったから、その時、霊肉共にアベルを中心として、イエス様を中心として一つになったならば一遍にやれるんだけれど、イエス様が死んだために、霊界と肉体が別れたよ。イエス様とキリスト教は霊肉共の完成を求めて来たんだから、肉的部分を再びつながらせなければならない。それで、霊的世界が発展する背後の蕩減の道を再びたどって、地上において元返し運動をして、勝利させて、一致させておかなければ霊肉実体圏の天使長、いわゆるカイン圏が生まれてこない。

 ここにおいて、まず再臨の主が地上に来られて個人の勝利圏を地上に立たせ、家庭の勝利圏を立たせるというと、その家庭の勝利圏は限られた一環境の家庭ではありませんよ。その家庭は世界の家庭ではありませんよ。その家庭は世界のキリスト教を代表した家庭になるよ。

 それから氏族が連結された場合には、その氏族は一氏族に限らず世界的な氏族になるよ。だからそれは再臨の主が地上に来られて、それをキリスト教が反対しなかったならば、つなげて発展させることは問題ではない。


勝利の時

 しかし再びそういう過程があるというんだね。イエス様の時代と違う。霊肉が分かれているんだから、これを再び歴史的蕩減の道を通って、世界的に来た道を実体的基準において、それを結ぶ簡単なる蕩減の過程でも通過しなければならないのが、再臨の主が地上に来られてやるべきことである。再臨の主がもともと地上に来られるには、霊界において勝利圏を完成されて、地上に来なければ地上の出発をなすその基準がとれないんだね。だから地上に来て、霊界の勝利のその基準を地上において再び、屈伏させなければならない。

 これはどういう立場であるかというと、ヤコブがエサウを屈伏する前に、天使長を屈伏して勝利した基準を得ているから、実体的エサウを屈伏したのと同じである。これは、イエス様が天使を屈伏したのは、アダムが天使によって屈伏されたのを蕩減復帰する立場だよ。それからエサウを屈伏したのは、アベルがカインによって屈伏されたのを地上において、これを再び地上において復帰したのがイエス様の復帰だよ。

 内外二つの勝利圏をもたらすと同じことを地上に成さなければならない。だからヤコブが天使に勝利することによって、霊的基準をすべて引き継ぐようになった。その基台の上に実体エサウを屈伏することによって、実体世界のカインを勝利したことになる。だから霊肉勝利の基台が初めて立ったのである。そこで、イスラエル民族を中心としてイエス様と一つになったならば、霊肉勝利圏をそのまま成立することになったにもかかわらず、イスラエル民族はイエス様を殺したために、霊的基準と肉的基準が分かれてしまった。だから、これを再び勝利しなければならない立場がまさしく、ヤコブの立場と同じような立場に立った、再臨主がやらなければならない立場である。こういうふうにして蕩減の道を進めていく。しかしキリスト教が反対する。

 反対するということになると、キリスト教が今まで霊的に発展して上がっていったそのコースに比例する地上の戦いが再び起こってくる。それが今まで、統一教会のやってきた歴史である。それはイエス様を中心として二〇〇〇年の歴史を通して戦ってきたんだけど、これ自体においては、霊的基準において勝利した基準が、霊的サタンを屈伏し得る勝利の基準を持って地上に来たんだから、霊的サタンが今まで霊的な勝利基準の上、優秀なる立場に立ってキリスト教が反対したんだけれど、今の時代にはそうではありません。霊的基準において、もう既に勝利した基準だから、反対してもそれは、結局はヤコブの前にエサウが屈伏したと同じような立場におかれるようになる。だからその期間というものは長くありません。また今の時は昔の時と違う。イエス様の時は国家を中心として働く時代だ。

 今の時代は霊的ではあるけれども世界を中心として働く時代である。再臨の主というものは国家を中心として来た者ではなくして、霊的ではあるんだけれどもイエス様の時代より一段階上がった世界的基盤を中心として来られるのである。だから世界が一つになって反対しない以上は、国を越える道は勝利し得る必然的な基台の上に立ったことになる。


統一教会

 イエス様が求めたのは何かというと、個人完成、霊肉勝利基準と、家庭完成霊肉勝利だよ。それから氏族霊肉勝利だよ。国家霊肉勝利した場合には、そこから初めてローマを屈伏させる実体勝利圏を出発させるのがイエス様の使命だよ。イエス様が再び個人復帰、家庭復帰とか、それを果たすのが目的でなくして、イエス様が出発しなければならない目的というのは、国とイスラエル教団が一つになったその基準においてローマ帝国を屈伏させることが、イエス様の本当に地上に来られてやるべき使命である。それはユダヤ教イスラエル民族が一つにならなかったんだから、再び復帰の道をたどってくるそういう立場において、追われて十字架につけられた。

 その失敗した基準を我々は元返ししなければならない。霊的には世界的勝利をしてきたとしても、行くべき道は、イエス様が失敗された地上基台を、再びこれを勝利の基台に立たせなければ歴史的イエス様の蕩減ができない。イエス様は何かというと、イエス様は父母だよ。この勝利の父母として立つべき使命を持って来たんだけれども、それを果たせずして死んで行ったんだから、これを再臨時代において、そういう立場を再び勝利基台としてつくって、蕩減復帰しなければこれ以上の世界に上がることはできません。そのことを今までやってきたのが統一教会だ。

 それで統一教会の先生を中心として、霊肉共なる勝利圏をいかに獲得するかという、霊的には獲得したんだけれども、肉的には反対するキリスト教を迎えているんだから復帰されていないことになる。それでイエス様はユダヤ教を捨てて、新しいキリスト教を中心として、霊的でありながら出発したと同じように、キリスト教が反対した場合には、新しい方向を通して二度、そのキリスト教の基台をつくり替えたという基準をつくらなければ、復帰実体蕩減基台をつくることはできません。それを今までなそうとしてきたのが統一教会の先生だよ。世界的統一教会なんだよ。それで、これは氏族的基盤がなければ、家庭が安息することはできません。氏族が包囲して垣根の使命をしてくれないと、その中に一つの家庭が安息することはできない。


サタン不可侵圏

 アベルの家庭が初めて氏族圏を勝利的に抱えることによって、アベルの圏の家庭が初めて安息することができる。サタンに攻められない。サタンに攻められたらいけない。もともとアベルの家庭は、復帰完成したアダム、エバの家庭と同じだから、それはサタン圏に犯されたり侵害されてはならない立場だから、それを侵害する天使長の立場にあるカインが、サタン的天使長の立場にあるカインが、サタン的天使長に勝つ基台を成したところにおいて、それが保護されるんだね。だからサタンを中心としてみた場合には、自分の立場より以上の神に仕える天使長の立場に立った者があった場合には、サタンも防備することはできない。

 サタンは堕落した天使長だから、堕落しない神と一つになった天使長の立場に立って、自分の前に立った場合には、それを据えることができない。そうなれば神のほうに立った天使長は、サタンを屈伏することができる。勝利圏に立つ天使長の基台を持った所には、サタンは侵入できません。その侵入できない圏をつくっておかなければ、勝利した天使長が生まれてこなければ、アダムという勝利の圏は生まれることができません。

 だから、それは何を意味するかというと、家庭を中心としてみた場合に、アベルの家庭がある。アベルの家庭にカイン的な家庭が生まれて、初めてサタンを防備することができる。それでイエス様が、個人が安息するには、個人が侵害されないためには、家庭がその周囲を包囲して垣根の使命を果たす。そういう立場に立ったならば、イエス様は個人的に攻められませんでした。すなわちエデンの園において、堕落しなかった天使長に守られたアダムは堕落しないのです。

 復帰基準において、アダムの立場において、その安息圏に、いわゆる理想的な生活基台が立つには、理想的な天使長が、イエス様に従うような蕩減復帰したカインというものが、アベルであるイエス様と完全に一つになったとするならば、そこには、再びサタンが侵入する道はなくなる。こう考えてみると、イエス様の家庭がイエス様と一つになっていなかったことになる。それはマリヤとヨセフを中心として、その兄弟や親戚は本当からいえばイエス様と関係ないんだね。それだから、イエス様は全体の家族から、氏族から、追われる男になったんだよ。だから家庭基盤が垣根の使命を果たして防備させるのである。

 完全な基台に立つイエス様の立場であったならば、イエス様は絶対に家出をしません。三年公生涯という期間は、絶対必要ありません。そういうふうな家庭と完全に一つになったならば、イエス様は個人の基準より家庭の基準の編成が可能になる。これによって、父母や親戚のところを経ながら、初めて地上に新郎新婦の基台をつくることができるんだよ。それがつくられたならば、イエス様を中心として、新しい血統が地上に生まれる。これはエデンの園において堕落しなかった神を中心として一つになった、いわゆる新しい理想的家庭の出発をなすことができたにもかかわらず、イエス様はそういう基台を見つけ得ずして、十字架につけられたんだから、新しい血統を受け継いだ家庭はまだ生まれていない。だからこれを再び、歴史を通して、イスラエル民族の失敗を世界に、霊的でありながらも世界基台まで上げて、発展させてきたのがキリスト教である。


一九六〇年

 イエス様も真の父母であり、真の父母が損なったというのは、真の父母によって生まれるすべての子孫が損なった結果となる。父母が引っかかったんだから、父母より生まれるすべての者は、その基準を凌駕せずして、世界に向けて神のみ旨を思って出発することができず、イエス様の十字架の下に集まっている立場が今の世界的キリスト教徒である。そういうふうな立場から、霊的には個人的勝利、家庭、氏族、民族、国家、世界基準をつくったけれども、肉的にはなっていません。しかし、再臨の主と一つになって絶対に服従したならば、この時に特別な氏族を中心にして働きかけないといけない。世界的時代圏に立っているので、民族を超越した基準においてこれを再び組み合わせて、そういうことをなさなければならない。

 それで、イエス様において、氏族を中心として失われたその基台を蕩減復帰するには、それ以上の基準の内容でなければ蕩減復帰できないから、ここで、氏族自体で基準を超えるんだね。それでいろいろ心情を中心とした心情基台が新しいイスラエルである。心情基台は世界的実体基台だから、その基台を通して蕩減復帰していかなければならない。これが、再臨の主において立てなければならない問題だよ。それで家庭基準をつくる。家庭基準をつくるには、統一教会を中心として新しい氏族圏みたいに、対敵において命懸けで家庭を保護する氏族的環境をつくっておかなければ、家庭出発をなすことができません。それが一九六〇年の聖婚式の前の立場である。

 統一教会というものが、新しい教団として生まれ、サタン世界はもちろんキリスト教が反対するとしても、そのキリスト教の身代わりの基台として氏族圏を成してきた。だから絶対的氏族圏が成されて一つになって、もしも家族が生まれてきた場合には、その家族を命懸けで守るような基台が造成されたんだから、その中において初めて祝福という問題が生まれてくる。聖婚式が生まれてくる。これは一九六〇年だよ。その家庭が生まれるとともに、だんだん、それに比例して氏族圏、民族圏に拡大していくのが今で、韓国において我々が働きかけた時である。それによって既成教徒がだんだん下がっていくとともに、我々がだんだん上がっていくんだよ。結局ユダヤ教がイエス様を打って殺してしまったその基準を、家庭、氏族、民族、教会を失ってしまって民族までも失ってしまった結果になったことを、再び復帰して、それ以上の基台を目指して発展していかなければならない。


三人の子女

 それが、今までの世界統一教会である。そういうふうにして発展してきた。先生の家庭を中心として一九六〇年を中心として、それから何をしたかというと、イエス様が家庭編成した場合の氏族を編成しなければならない。その氏族が何かというと、イエス様を中心として、弟子たちもイエス様と同じような立場に立たないといけない。それでイエス様が、もしも相対基準を得て家庭をつくったとするならば、イエス様の弟子たちも相対基準を得て家庭をつくらなければならない。ユダヤ教内において、新しく氏族を編成するんだよ。それでイエス様が聖婚式を成した場合には、十二弟子も完全に聖婚式をなせば、そこにはイエス様の家庭を中心として、誰も侵入することのできない、霊肉共に侵入することのできない勝利圏が固められるんだね。その祝福され新しく編成された氏族というものは、堕落圏の養子圏とはまるっきり違うんだよ。

 ここにおいて、初めて神の実子氏族圏が生まれる。そうすると、イエス様の子供たちが生まれる。それで十二弟子の家庭があって、イエス様の子供と完全に一つにならなければならない。それは何かというと、地上において我々が統一教会に入ったとしても、二十歳とか、三十歳とか、みな違うんだね。ある者は五十歳で入った者もある。五十歳以前はサタン世界であった。五十歳以後において段階を上がった者であって、本当からいえば、生まれながら一つの基台を持っておくべきが、堕落しないアダム、エバの立場である。

 その基準を復帰するには、既に生まれてから統一教会を信じるようになり、そうして統一教会で伝道するようになって、カイン、アベルの基台をつくったが、生まれる前からそういう基台をつくっていないので、それをいかにして蕩減するかというと、あんたたちの祝福された子供に、信仰の子供たちは希望の相対として侍るとともに、その子供が生まれるのを待ち焦がれながら、はらんだ腹の中から侍らなければならない。これをはっきりさせないと復帰の道は分からない。信仰の子供が腹の中から侍って一つになったという立場に立たないと、三人の天使長が神と神の援助によって創造されてくるアダムと一つになった結果に立たない。信仰の子供だけではいけないよ。統一教会の信者、あんたたちはもう二十以上、三十以上になって入ってきて、伝道して信仰の子女を横的な基準において結んだよ。それは天使長的基準においてのカイン、アベルであって、父を中心としてはまだ蕩減されていない。だからそれをいかにして蕩減するかというと、祝福されて生まれてくる子供を腹の中から、三人の信仰の子供が侍るような立場に立つというのが、アダムを創造する時、喜んで三人の天使長が援助しながら侍ると同じような地上基台を蕩減復帰しなければならない立場を通過しないというと、完成基準の立場に立つ家庭が生まれてきません。だから、あんたたちが祝福されて子供を生む、子供をはらむ時には、三人の信仰の子供が自分のおなかの中にある子供と完全に一つになるような基準を蕩減復帰しなければなりません。

 そのようにして祝福された父母より生まれた子供は、二十一歳以上結婚するまで、信仰の子供は堕落させるようなことをさせたら絶対にいけません。天使長には、成長するまで保護して、理想的夫婦になれるように守ってやるべき使命がある。天使長がやるべき使命と同じように、信仰の子供は、自分の信仰の親が生んだその子供は、初めてつくられたアダム、エバと同じである。アダム、エバを堕落させたのが今まで神の恨みである。神の悲しみであるから、堕落させないという天使長的使命を、信仰の子供が果たさなければ、天使長の立場に立っている信仰の子供の行く道が生まれてきません。

 信仰の父母と信仰の子供の関係において、そういう因縁をなすことによって、その子供を中心として、初めて父母も復帰された父母の立場に立つことができる。結局堕落したアダム、エバは、アベルによって復帰されると同じだよ。だから祝福された父母も、二代目の子供によって完成されるのは、まさしくアベルによって堕落した父母が復帰されるのと同じである。こういうふうにして蕩減復帰される。だから、信仰の子供がなければ、自分の子供をはらんではいけないというんですね。生んで愛することもできないというんだね。これが原理の道だ。

 復帰原理は、堕落した反対の方向に落ちたんだから、反対の方向に当てはめて、水が漏れないように当てはめて一致させて、上がっていく道が復帰の道である。だからあんたたちは絶対に、必要なのは何かというと、まず信仰の子女。メシヤよりそれが問題だよ。神様も、いくら神様に愛されるといっても、神様に愛されることが問題ではありません。愛された立場に立った場合には、アベルの立場である。アベルというものは、これはアダムの立場だから、アダムの立場の前には、三人の天使長がなければならない。それは、三人の天使長がアダムに完全に服従する基台において、堕落しなかったアダムが生まれるというんであって、三人の天使長が主管し、それを恐れるような立場だったら、絶対復帰できない。


迫害時代

 だから統一教会の食口たちも、み旨を知った場合には、神の愛を受けるようになった場合には、アベルになれるよ。そういう基準になった場合には、それなりの善霊人を中心としたアベルの立場だよ。あるいは二十歳に入った場合には二十歳を中心として、三十歳に入った場合には三十歳を中心として、それなりの年齢を中心としてアベルの立場に立つ。そこから伝道した場合には、それなりの年齢基盤上に立ったカイン、アベルの基準が復帰された基台であり、それ以外は許されていない。それを再び成さなければならないから、子供を通して復帰していかなければならない。そうするには三人の信仰の子供が絶対に腹の中から侍り、それから子供が結婚するまで力を尽くしてすべてを援助するような伝統を正さなければ完全復帰はできません。

 先生もその道を行かなければならないし、あんたたちもその道を行かなければならない。先生が世界的使命を持ったとするならば、あんたたちは国家的使命までやればいい。先生は一段先だ。このようにして世界的勝利基盤をつくって、国家的勝利基台はあんたたち個人がしなければならない。世界的勝利の基台をつくるにはどういうようにするかというと、その相対基台を広めることによって、蕩減の勝利圏を今つくってきている。それが第三次世界路程である。

 だから個人の完成は、カイン、アベルがなければならない。統一教会に入ると神様の愛を受ける。神様から愛を受けるところは、必ずアベルの立場である。アベルの立場、一人ではアベルになれません。カインがなければアベルになれません。カインは先に生まれてきた。だからカインというものは、そもそも根性が悪いものである。反対するものである。アベルのためのものではない。カインというものは先に生まれた。天使長というものはアダムよりも先に生まれた。同じことだ。だから天使長がアダムを打ったそういう伝統的な血統を受け継いでおるんだから、これを打つようになる。どのくらい打つかというと、神に愛される立場に立って打たれるのは、個人的に打たれているよ。個人的に攻撃する。

 サタンの世界はどのように打ってきたかというと、キリスト教、あるいは信者たちを、宗教人を、個人的に迫害したね。宗教を信じる家庭まで迫害した。あるいは部族氏族全体までも迫害したね。あるいはキリスト教民族自体も迫害したよ。そういうようにやってきた。だから個人的迫害時代、家庭的迫害時代、民族的迫害時代、こういうふうな迫害を受けながら、打たれて奪っていくよ。個人的に完全に世界的に打たれた場合には、個人の勝利圏が生まれてくる。打たれてもこの部落において打たれただけでは絶対なりませんよ。これは世界的でなければならない。世界的になるには、ある環境内に特定なる一人を神が世界的に選抜したならば、それが世界的な個人として勝利圏に立つには、その部落内においても世界的に迫害する。結局、世界的な迫害の的は何かというと、生命をねらう。生命が襲われるというと、これは個人的である。いくら環境内の個人対個人でも、世界的な迫害すべてを代表することができる。


二十一年間

 だから、生命を献げるならば、献げながら神の国家的その理由を心に留めて死を覚悟して立ったならば、いくら個人に反対されても、それは、反対されるアベルの立場は国家的でなく世界的になる。だから死ぬまでやり抜け。これには期限があるよ。七年とか、二十年とかいうことになるよ。その期間には頭をふりかけたりしてはならない。こうすればいいか、ああすればいいか、神のみ旨に入らなければよかったと、入らなければよかったなら完全に引っかかってしまうんだよ。

 そうなった場合にはそこからまた七年間、七年間はヤコブもラケルをラバンからもらうために約束して、七年間それが成され得なかった時には、二十一年かかったね。同じように七年間で成せなかった場合には二十一年かかるよ。それで先生からいえば七年の路程が二十一年に延長されて、統一教会にも二十一年の路程が残っているよ。一九六〇年から一九八一年までだ。世界はこれで完全に回ってしまうよ。一九六〇年は新しい歴史時代に入った。これは、世界的歴史学者が皆いうんだね。


第三の父母

 ある者は自分の親を殺した者もあるし、あるいは兄弟を殺した者もあるし、いろいろな者があるんだね。親戚同士で殺し合い、あるいは氏族同士で殺し合う。こういうような、縦的数千年の歴史のすべてがこの地上に横的に現れてくる。それでみな個人主義になってくる。神も何もあったものではない。先生も何もあったものではない。社会も何もあったものではない。個人主義だ。それが今の世界だよ。あんたたちも皆そうだ。文化国家になればなるほど個人主義になってくる。これがサタン世界の一番先頭に立つ機関車だ。みな国もなければ家庭もなければ、兄弟もなければ誰もない、個人だ。それが天使長の立場だよ。天使世界には相対関係は許されていない。だからみな個人主義になるにしたがって国を失う。家庭を失う。すべてを失ってしまう。自分だけしか思わない。これがそういうふうにして分裂していくよ。

 それで蕩減の道を行くには、個人、家庭、氏族、民族だよ。少なくとも十二家庭以上なければならない。氏族になりません。それから氏族を中心として、日がたつにしたがってだんだん増えて民族になるよ。民族編成して、その民族が他の民族と戦って、勝った民族にならないというと国を立たせることができない。そういうようになっている。なぜか、サタン圏にどこかの民族に支配されている民族になっているんだよ。どこかの支配圏に入っている。だから最後に、国として生まれてくるには、その支配している民族と戦って、勝った基準に立たなければ新しい国家は生まれてきません。そうなっています。だから復帰路程も同じである。

 ある民族をサタン圏内に編成して、これが反対されるものと戦って勝利しなければ、新しい原理的国家が生まれてきません。同じ道である。そういうことを成して、イエス様を中心として、国家基盤において世界的サタン世界の誰よりもいかなる国よりも優位なる国家を編成して、ローマ帝国を世界的カインを屈伏させれば、それ以後はもうおしまいだ。そういう段階を通して上がってきます。

 それで、一九六〇年を中心として、イエス様は父母だろう。イエス様は神様が送られた第二番目の父母である。この父母が失敗したのを元返ししないというと、第三の勝利した父母は生まれてきません。これはもっともである。第二の父母様は、第一の父母様になるべきアダム、エバの失敗を元返ししなければ、第二の父母として勝利の基台に立つことはできません。第一の父母の基準を復帰できなかったんだから、イエス様は死んでいったんだから、第三次まで延長する。だから第三次に来られる再臨の主は、第一の父母の失敗、アダム、エバの失敗と、第二の父母の立場で来られたイエス様と聖霊の失敗を霊肉共に、これを実体的勝利基盤を立たさなければ、地上に勝利した真の父母として現れることができません。だから子女たちが蕩減するのは問題ではありません。カイン、アベルを復帰するのを問題視する、その根本は何かというと真の父母である。


真の父母と我々

 きょうの話は「真の父母と我々」。この真の父母という方は、これは人類歴史の最高の希望の存在である。歴史の最高の勝利の基台である。いかなる民族も求めなければならない歴史的希望の中心点である。今まで歴史がたどってきたのは、どこに行くべきかというと、国に行くんでもなく、世界に行くんでもない。日本の国に執着するんじゃないんですよ。日本の国は通過過程に立ち寄った旅館みたいな所である。歴史の願いの的は何かというと、国でもなければ世界でもない。これは外的に、国のように世界のように見えるんだけれども、外的世界においては解決しない。神の摂理はどこを中心としてやってきたかというと、世界を救うのが目的であるけれども、世界を救うには善なる父母がこの地上に完全なる基台をつくって、これが生まれてこないというと、完全なる国家、世界を救う道は生まれてきません。

 だから歴史の全体なる希望というものは何か? 国じゃない。世界でもない。何か? 真の父母。これをあんたたちは、はっきり知らなければならない。ここには民族観とか世界観というものは許しません。民族観も父母の血統を受け継いだあとにおいて願う問題だよ。それができて初めて、氏族を編成しなければならないし、民族を編成しなければならないし、世界を復帰しなければならないという問題になってくるんであって、父母がなければ何にもない。真の父母を迎えなければ何事もなりません。これをはっきり知らなければならない。

 だから我々が、日本の国に定着することが我々日本にいる統一教会の使命じゃありません。また日本人の使命じゃない。それはどうでもいい。世界の中心になればいい。みんなそう思うよ。しかしそう思ったって、そうなりません。絶対なりません。常に行けば行くほど希望が我々に迎えられるように思うんだけど、希望はありません。だんだん暗闇になってくる。そうなってくる。だから最後まで行ってみて、「ああしまった、回れ右しなければならない」というように、今まで人間がやったそういうような方式は捨てて、新しい方式でなければ、回れ右して行く道を見いだすことはできません。神はその場になって世界が回れ右するそういう段階になるまでは、神様は摂理の準備をなされて、個人復帰完成、氏族復帰完成、国家復帰完成を成して、行く道を知らない者に、このように行かなければならないというような状態をつくろうとしているのが、今統一教会を立たせてやる仕事なんですよ。

 どうしても民主主義社会では世界は救われない。共産主義でも世界は救われない。しかし、仕方ないから行くだけ行ってみたらめちゃくちゃになっている。行けば行くほどめちゃくちゃになっている。だから仕方なしでも、これじゃ行けない。一番最高の者も、最下の者も帰らなければならない。ここから新しい方向を見いださなければならない。こういう世界で、うごめくそういう段階まで行くようにして、その背後においては彼らが知らないうちに、個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、民族復帰、国家基準まで立たせて、これは世界に通じる道に、はしごをかけるようにして、この道でなければならないという場合には、いっぺんに世界はこの道にたどりつく時、問題になるんだよ。その時は、最初の先祖より一番恐ろしい困難な時代が来るよ。なぜ困難かというと、先を争って行きたいというその時に、圧死事件とか、そういう事件が起こるかもしれない。統一教会にその時は誰も入れない。窓を狭くするんだ。そういう時が来ますよ。


勝利の結実体

 そういうような作戦を、歴史を通して神はやっていく。まさしくそういうような現実を我々が見て、測り知る時代に来ているというのは末の時であるというんだね。世界人類が分からない時に、統一教会の君たちはここに入って、「世界はこうなるんだろう。真の父母がこう言われる」と言う。あんたたちは、真の父母といえば、君たちの部落における有名なお金持ちの父母だと思ったら、それは大間違いだよ。国家の主人であれば、王様とか、あるいは貴族とか、いろんな問題がある。これは一時のホテルの主人に違いない。だから歴史のすべての目的は世界を一つにするどころじゃない。

 世界を一つにするには、真の父母を迎えなければ世界を一つにする道を人間として見いだすことができません。だから真の父母というお方は、歴史の希望の結実体である。望みの結実体だよ。すべてを蕩減した勝利の結実体である。これを知らなければならない。真の父母とアメリカと取り換えることができるの?


地上から

 今までの歴史は過去の歴史だよ。今までの貢献したものは、君たち自体にはありません。今まで摂理上に貢献した者たちは、皆どこに行っているかというと霊界に行っている。この霊界に行っている者たちも真の父母を求めているんだけれど、真の父母が現れた場合には、真の父母は、今まで貢献した霊界に行っている者の真の父母じゃありません。これはもう永遠に因縁を持つことができません。地上にいる者のための真の父母に限るというんだね。霊界に行っている者は、天使長世界と同じだ。だから援助してやって、地上の世界はアダム、エバの世界と同じだよ。

 真の父母が来ることによって、今まで霊界において、数多くの者が蕩減復帰に動員してきた。その蕩減復帰は何かというと、天使長が堕落したんだから、天使長圏を復帰するために、堕落したサタンのために、それを蕩減復帰した基準というものは僕圏の天使長とみなすんだよ。

 あんたたちにおいても、天使長と同じだよ。天使長の使命は、三大宗教だね。回教は左手にコーラン、右の手には剣を持って戦っている、これは宗教の本質に一致しない。だから悪の内的宗教というんだよ。だから三人の聖人、三大宗教は三人の天使長と思えば間違いありません。

 そういうような形において、イエス様はその中心の使命を果たしている。だから今から、サタンに向けて戦うのにイエス様を大将にして、霊的サタンを追い出し、地上において基盤をつくってやる時が来たよ。カインを祝福してやったと同じように、先生はイエス様を祝福してやったよ。ここにおいて初めて地上に影響を及ぼす霊人体を動員して、堕落したサタンの霊人体を追い出す勝利の基盤を必然的に持つようになるんだから、地上のサタンの主管圏の因縁ある人類を神のほうに引き戻すことができる。


アメリカと世界

 もう少したてば、世界はすぐ回るというんだね。だから今まで数多くの宗教が苦労してきたんだけれど、それは真の父母が生まれる基台をつくるその道の準備をしてきたのである。それは、真の父母は完成したアダム、エバだから、アダム、エバの前に生まれた者は、すべてが天使長である。だから統一教会より前に生まれたすべての宗教は天使長宗教である。そうなるというと統一教会は素晴らしいの? 内容は素晴らしい。事実は? 日本においていまだに追われているや。内容は素晴らしいんだよ。しかしこれが大きくなって鷲の子みたいに、羽に完全に毛が生えて、飛んだ場合には、世の中の飛ぶものはすべて自分の目の下だ。だから今は、雛だから何でもないんだね。動かされるものがたくさんあるよ。それと同じだよ。

 これから成長した場合には、国を持つ時代をつくったならば、かなうものはありません。その国の編成にも民族を立たせてやるのではありません。世界人類を立たせてやる。ここには黒人も入っていく。みんな入っていく。そういうようにあらかじめ天使長国家として準備したのがアメリカで、それは二〇〇年の祝福期間だよ。二〇〇年の祝福期間の国家的基準の代表的国家がアメリカだよ。だから一九七六年までが建国二〇〇年になるんだよ。アメリカの祝福は、アメリカの運勢は二〇〇年内の運勢だから、一九七六年からこれを越えていくんだから、アメリカの危機が来るというのは原理的見方だよ。二〇〇年の歴史内にあれだけ世界的な国家になったのは、神がなければそんなことにはならないよ。これが二〇〇〇年の蕩減である。二〇〇〇年の蕩減復帰である。

 それにつれて、今までアメリカは世界的に発展してきたよ。だからアメリカの構成をみるというと、超国家的であり、超国民的である。だから日本民族も移民して直ちにアメリカ民族となるんだよ。それは未来の神の国となっている。遠からず、直ちに天国に入ってその国の国民としての仕事をするようになるよ。キリスト教が先生を迎えた場合には、一時にそれがアベル圏に復帰される。それが追い出されて、神のほうを打ったんだから、サタンがまた打つんだよ。それで共産党にやられていくんだよ。中共がサタンのエバ国だよ。

 日本が二十年間に世界的な経済復帰をなしたと同じように、サタン的なエバ国家である中共も二十年間で世界的になっている。UNから侵略国家として追い出されたことが、一九五二年にUNにおいて決定したことが、二十年間において、侵略者が世界的国家として帰るなんてそういう前例はない。それと同じように、統一教会もそうなるかもしれませんよ。二十年だ、二十年。統一教会が第一次七年路程を中心とし、第二次七年は七四年までだよ。第二次七年を越えたら、世界的にならざるを得ないだろうというのが原理観である。その期間に世界はぶつかるよ。とんでもない日本を中心として、アメリカとソビエトと中共とぶつかるんだよ。

 この世界の、このように激動する圏内において、それは舵をとって港に着かなければならないのが、統一教会だよ。侵害せず、破船せずして今生きようとするんだね。それをコントロールするのは先生だ。真の父母というその基準は、世界すべてがそれによって動かされている。だから摂理すべてがそれによって動かされる。神自体もそれを願っている。神自体も、それがなければとんでもないことになるから、それが今まで神存在して以来、最高の望みである。そんなに恐ろしいほど素晴らしい世界であるということを世の中は知らないだろう。


父母の必要性

 あんたたちは先生に対して関心を持たなければならないという結論に到達しますよ。先生はこういうような原則をよく分かっているんだけれども、君たちは分かりません。我々に真の父母はどのくらい必要だろう、また神様はどのくらい必要だろう、神様は真の父母をどのくらい必要だろう? 絶対的に必要だよ。全能なる神様も、真の父母をどのくらい必要とするか? 絶対的に必要とするんだよ。霊界に行っている数億数百万の霊人たちは真の父母をどのくらい必要とするだろう? それはもう、絶対必要とするんだよ。

 真の父母が生まれて来ない以上は、天使長界は地上において涙ながらに、神の前において、これを何とかしなければならない。蕩減の道を開拓していかなければならないのが天使長の使命。だからアダムを復帰する前に天使長が堕落したんだから、堕落しないみ旨の前に、完成された天使長圏を果たさなければならない使命がある。復帰といえば、アダム、エバの復帰だけではない。天使長復帰をしなければならない。


理想世界

 悲しいとか、嘆きとかのない未来へ出発する基台が、今から我々のあとに残る。そこには嘆息とか、蕩減とかいう基台がなくなってしまった。それは理想ばかりの一つの夢みたいな世界が現れてくるというんだね。だから、あんたたちの後孫は実に素晴らしいだろう。

 それにはある限界があるよ。何年までに入らない者たちは、みんな痛いほど涙する時が来るよ。神の摂理には年限がある。だから第一次、第二次、第三次期間というものは重要な期間ですよ。そうなるというと、あんたたちは一つにならなければならない。一つになるには自分なりの過去の罪を清算しなさい。過去の罪があった場合には大変だね。過去の罪は早く清算せよ。罪ある者が真の父母と一体となることはできません。本当はね。だからまず歴史的罪を清算せよ。それは先祖以来今までのずーっと歴史につながった血統的汚れを清算しなければならない。自分を中心として、今までなしてきたみ旨の路程を中心として比較対照してみた場合に間違ったすべてを、清算しなければならない。

 それから、自分は将来善なる先祖にならなければならない立場である。善なる先祖になるには、善なる後孫に何か自分が荷物を残してはいけない。重荷をその後孫に譲ってやるような先祖になったならば、讒訴されるような先祖になった場合には、真の父母の統治主管する圏内に入ることはできません。統一教会の祝福された家庭たちは、今、現在においてすべてを蕩減して、それを清算しなければならない。

 復帰路程において、誰よりも先頭に立って蕩減の道を自分一代の蕩減の道よりも、国家民族の蕩減を背負って立っていくんだから、後孫においては誇れる先祖だというんだね。それで国が立った場合には、祝福家庭が先頭に立って、初めて永遠なる基台をつくって、地上安息とともに永遠の霊界安息の基準をつくる場合には地上で完成される。その時に、歴史は世界的注目の的になるだろう。だから現実においてあんたたちは、あんたたちの足場からじゃなく、過去、現在において、自分の気の合ったすべての危害を早く清算しなければならない。清算する一番良い方法が何かというと、まずもってサタンと戦って勝たなければならない。それが第一の条件だよ。サタンと戦って勝つ人間にならなければ、サタンに打ち勝っておかなければ、いくら歴史的清算をしたとしても、再びサタンが寄りかかってくる。だからまずもって、根本的サタンを屈伏させなければならない。屈伏させるための教えが我々の原理だよ。

 サタンがどういう罪を犯したかということ、それを教える。それを中心として、サタン世界に行って、サタンを屈伏させたという条件は、サタン世界に行って三人のカイン的存在を取ってきて、これを完全に自分の命を懸けて奉仕し得る、イエス様の前に、堕落しないアダムの前に、命を懸けて、死を覚悟して、保護してくれる天使長のものとして、自分の防備隊となれるような者につくってやらなければならない。その真の子女というような、真の信仰の子女というような、真のカインというような勝利したカインの立場は何かというと、イエス様を中心としてみた場合には、イエス様が十字架につけられるという、そういうような恐ろしい環境ができた場合に、みんな逃げてしまうような者となってはいけません。イエス様を守る。イエス様に先立ち、死を覚悟して立つ。そういう者にならないというと、完全なる勝利し得た三人の天使長として、信仰の子供として立つことができません。そういうような人をつくらなければならない。そういうような人をつくるのは、自分の実体の子供を育てるよりも三倍あるいは七倍以上難しい。


愛の復帰

 だから愛は誰によって始まったかというと、サタン、天使長より始まった。復帰するにはサタン、天使長より奪い取ってきて、天使長(カイン)を通して、信仰の子供を愛して、自分のほうに帰ってくるんだよ。信仰の子供を愛して、その後自分の子供を愛して真の父母がなしたように、復帰される道なんだよ。愛はサタン圏より始まった。その愛の圏から、奪い取ってこなければならない。サタンが奪い取っていったんだから、それを反対にサタン圏から探してきたものが勝利的天使長。

 絶対服従する天使長の立場に立つ三人の信仰の子供を求めて、そこにおいて完全に神と同じような立場で愛したというような立場に立つんだよ。愛の問題で愛を失って堕落したんだから、それ以上の愛を成さなければならない。だから信仰の子供をどのくらい愛すればよいかというと、この世の中の父母が自分の子供を愛するより以上に愛さなければ、信仰の子供が復帰されません。これは、父母はサタン的な愛だろう。それ以上の愛の道でなければ、人は引っ張られてこない。

 だから愛によって引っ張られた者は、愛によって元返ししなければなりません。そうすることによって勝利した愛の基準が、三人の信仰の子供において、勝利されたその基盤において初めて自分の子供を愛することができる。これは公式だよ。先生もそういう生活をずっとやってきている。その公式を通過しなければ完成基盤は生まれてきません。だから、いくら子供があっても信仰の子供が完全に復帰されない場合には、この子供を自分の家に入れて一緒に住むこともできません。神様から見れば蕩減復帰するために今までイエス様を地上に送って、死ぬ場においても、共に死ぬような信仰の子供を完全に愛して、自分の子供のために犠牲になるような基台を立たせないというと自分の子供を愛する道は生まれてきません。信仰の子供なくしては、何ものもない。


完成の時代

 それを復帰することによって、相対理想アダム、エバを組み合わせると、相対理想を合わせた場合の八人の堕落したアダム家庭を、神の愛によって復帰した基台をつくることができる。それはみんな堕落圏より復帰された基準であって、本来の神の愛のもとにあって生まれた子供は一人もありません。堕落しない圏は、本来の神の愛によって初めて生まれたものが、長成完成基準圏を通過するというのが原則だよ。だから神の愛によって生まれた自分の子供、結婚して生まれた子供によって、完成時代を初めて上がってくる。その祝福された家庭は、「父母の日」を決定しなければならない。自分なりの「父母の日」だよ。自分なりの「子女の日」を決定しなければならない。自分なりの「万物の日」を決定しなければならない。自分なりの「神様の日」を決定しなければならない。それは先生に比べれば、先生は世界的であるけれど、あんたたちは氏族的、あるいは民族的勝利をして、国家基準まで引き上げて、国家基準まで勝利しなければならないのがあんたたちの使命だよ。

 こんなに厄介とは思わなかったね。こんなに厄介だから、神様は六〇〇〇年かかりましたよ。そういうことを専門的に分かる者が生まれて来なかったから、堕落は人間がやったものだから、復帰も蕩減も人間自体がやらなければならない。罪を犯した者が罪を蕩減しなければならないのが原則である。父母が偽りの父母になったんだから、偽りの父母を乗り越える真の父母が来て、それをすべて分かって蕩減してやらないというと、歴史が新しく神に帰る道がない。このすべてを解決してくれたお方が真の父母だ。だからあんたたちの生命を何千万、何億人やっても換えられない。だから自分が早くそういうお方の前で、「自分が命を懸けて奉仕します」と言うのは、無礼なことだよ。だからイエス様の宣言もそうだ。「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」。出発点はそこだよ。まずもって切り換えの転換点はそこにあるんだよ。ちゃんと背後の目的はそこだ。最後の結論を下しているのが、このアジアだよ。

 統一教会に入って、「ああ幸福になろう」という者は幸福になれません。自分が幸福になる前に父母が幸福にならなければ、自分の幸福の道は絶対に生まれてきません。世の中、宇宙において、神様が幸福にならなければ宇宙に存在するすべての万物は幸福になれません。同じだ。完全に蕩減するには罪を清算しなければならない。君たち、過去、現在。そういうふうにしながら原理原則に正すようなことをしなければならない。だから統一教会で一番恐ろしいのは、「伝道するな」ということが一番恐ろしい。「信仰の子供を連れてくるな」。「伝道をしなくてもよい」というのはサタンの願う第一条だ。


涙の道

 子供を、生まなくてもいいの、子供は必要なの? それがなければ滅んでしまうや。何も残らない。父母が生活するような様式を、自分も将来そういうふうにして生きていかなければならない公式になっているんだよ。だから結婚するんだよ。

 今までの宗教ではできなかった。真の父母がこの地上に生まれて初めて、我々地上に宗教を中心にして結婚しなければならないという教団が生まれたということは歴史的問題である。そういうふうに考えなければならない。信仰の子供を育てるには、三倍あるいは七倍以上愛さなければならない。信仰の子供を愛せない者は、自分の子供を愛する資格はありません。復帰はそうだよ。サタンを屈伏させる過去、現在を悔い改めるには、ただ「天のお父様これこれこういうわけでした。許してください」。そういうふうにしては許されません。

 そこにおいて涙を流さなければ帰れない。それはもう顔がふくれるような痛みを感じながら、内臓が引っ繰り返るような痛みを感じながら、黙って罪を悔い改めなければならないということが、我々の現実の問題であるということを知らなければなりません。そう考えると自分と関係を持つんだよ。みんな自分一人のためにそうなっている。あんた一人のために……。みんなそうなっている。結局自分のためであり、我々の国のためであり、我々の世界のために、こんなに苦労している。それは自分が行かなければならない国のためであるし、自分が行かなければならない世界を征服するために、こういう苦労の道を逃れることはできない、あるいは国家的戦いを逃れることはできない。あるいは内的戦いを逃れることはできない。

 統一教会がこういうふうになったのは個人的逃れる道、家庭的逃れる道、氏族的逃れる道、国家的逃れる道、民族的逃れる道を取り払わなければならなくなってきているので、こういう環境が必然になったと思ったら大間違いだ。数多くの涙のキリスト教会圏が犠牲になって、蕩減の条件として犠牲になって、こういう状態になったことを知らなければならない。真の父母がここまで来られて立ったというんだから、その背後であんたたちの思いもつかないような涙ぐましい泥水の重なる、あんたたちの知らないところの背後に、いかばかり涙を流したか。その一点において、そういう涙が問題ではない。過去を通じて現在に至るまで、いまだにそういう戦いをやっているということを知った場合には涙ぐまずには語れない、そういう自分を発見するのである。それが神である。

 自分の過去、現在、罪を犯しながら、何でもありません。泣く者は泣くんだが、それが問題ではありません。だから、涙を流しながら落ちていった者が、神の前に感謝の涙を流しながら復帰していかなければ、天の世界に入る道がありません。その心情は、誰でもそうなるようになっている。神様が迎えておられる親子の一点は実にそうである。

 アダム、エバと、天使長を代表した真の父母がなくなった場合には、深い痛みを感じるようになる。それで、イエス様が地上に来られて死の道を行かれたことが、いかにつらい神様の心情か分かるようになる。そして第三次再臨の主を遣わして、三代目のアダム完成基準を願って、神は数千年来キリスト教ばかり中心としてきた。考えてみなさい。自由民主国家にすべてキリスト教関係がピッタリと入った。そうだろう、その上に、キリスト教が数千年の歴史を通して行くところで、血を流さなかった日はありません。日本においてもそうだろう。島原の乱というのもそうだ。


聖婚式

 だから一九六〇年において聖婚式をする前に約婚をした、式を挙げる前に三十六家庭の三人の家庭を約婚して、先生が聖婚式を挙げて、三人の家庭を祝福しました。それで、イエス様を中心として、ペテロ、ヨハネ、ヤコブがいっぺんに神の理想圏に立ったという条件が立つし、完全に分かれることができないという勝利的基盤を立てたことになるよ。それに反対したのが最高の迫害だよ。分かったの? イエス様が国家から追われ、教会から追われ、全部から追われた環境圏に立たなければ復帰できません。このために韓国民は総動員して迫害してきた。総動員して、警察とか保安庁には、数十名の統一教会の投書があって、統一教会の文先生は捕らえてしまわなければならない……と。いろんな投書が入るんだよ。これは国家民族挙げて、これを倒して、それでもそれを終わらせてしまわなければならない。終わらない。それが統一教会だよ。

 聖婚式の前の日までもみんな先生は投書されたよ。だから劉協会長と協力しながら一九六〇年、戦いのまっただ中に、のるかそるかのそういう環境において、その聖婚式はあんたたちの思うような心安らかな神に栄光を帰す立場ではありません。戦いである。門の外では反対する声、そこで結婚式を行った。そういうことをしながら、戦いのまっただ中で統一教会は勝利する。そうした場合には善悪が交代する。我々がそうならなければ神様は喜ばない。三家庭を立てながら、三人の弟子が死なずして、生きて新郎新婦の理想を、死んで残した基準を勝利した平面的基盤を立てたことになる。イエス様が死なない立場に立ったことになる。それから三家庭を中心として、三家庭というものは歴史全体のすべてを蕩減する家庭の中心だから、歴史はどういうふうになってきたか……。

 先生の時代には、第一アダムと第二アダムのすべてのことを蕩減してやらなければならない、歴史的過去のことを蕩減してやらなければならない。だから旧約時代完成、新約時代完成、成約時代完成圏を蕩減してやらなければならない使命なんだよ。そうするには、過去の歴史を無視することはできない。過去の歴史、それがアダム家庭よりヤコブまで、ヤコブ時代までは、ヤコブまでの基台は、ヤコブに初めて養子圏の出発がなされるんだよ。それでイスラエル圏を中心として、メシヤを送るようになりながら、選民圏の初めは何かというと養子圏だ。養子圏の初め、それ以前は僕の圏だよ。だから蕩減復帰においては、僕時代と養子圏時代を蕩減してやらなければならない、そういうように全般的歴史を蕩減しなければならないんだから、まずもってアダム家庭よりノアを通して、ヤコブ家庭までの歴史というものは、ヤコブ路程の延長がモーセ路程であり、モーセ路程の延長がイエス様の路程なんだね。だから、第一基台はヤコブ路程、これは養子だよ。イエス様路程が一度、実子を迎えるには民族的蕩減時代を経なければならないんだから、それを代表したものがモーセだよ。

 だから民族的勝利を成すようになったんだから、家庭は勝利じゃない。家庭的勝利は、その層を経た国内においては成すことができるんだけれども、それは民族的や日本的だね。だからイスラエル民族をエジプトに送って勝利した基台をつくらなければならない。そういうようになっている。それでモーセの路程というものは、ヤコブの家庭的勝利と天使と基盤を受け継いだ上に、範囲を広げた民族的勝利の基台だよ。イエスの時代はその民族より範囲を広げた国家基台をつくったものだ。


三十六家庭

 こういうように発展していくんだよ。それで一番問題なのは、歴史全体復帰である。それで三十六家庭というのはどういう家庭か、最初の家庭は旧約時代を象徴するんだよ。第二家庭は新約時代を象徴するんだよ。第一家庭は旧約時代を象徴するんだから、それは神が許されない前に結婚した立場だよ。そうだろう、新約時代は初めて神様が求めた地で結婚を願った時代だよ。願ったけど失敗した。成約時代は失敗ではなく、神様が願い求めて完成した成約時代だよ。出発は、家庭より出発だ。だから神の復帰摂理はヤコブの時代へ元返るんだね。復帰されるよ。

 だから先生が復帰しなければならないのは僕の基準、それから養子の基準。養子圏国家的基準がモーセを通してイエス様までだよ。それから実子が失敗したね。実子、イエス様だよ。これは三つを象徴して復帰しなければならない立場に立っている。この三つがいつでも十二派を、十二数を、十数か十二数の平面的基盤を中心としてイスラエル民族を率いた。これは原理的内容になるんだよ。旧約時代に当たるのは、復帰前に結婚した立場だろう。そうだろう。イエス様時代は結婚の願いを成すに成せなかった時代である。ヤコブにおいて苦難の時代である。それを全部継ぎ合わせたような立場に立って、三十六家庭は旧約時代、イエス様時代、再臨時代、それが歴史的象徴の基準として、アダム、エバよりヤコブと二〇〇〇年を蕩減するんだよ。それに勝利したのは、先生自体においては一代、旧約時代ばかりではないよ。家庭勝利の完成だから、その内容は三時代、歴史的なものだよ。

 三十六家庭はアダム家庭というんだね。アダム家庭というのは、カイン、アベルを中心として、それからノアまでの十二数だよ。だから十二家庭が生まれてくるんだよ。それからノアを中心としてアブラハムまでの十代だよ。それがイサク、ヤコブまで延長した十二代が、これがサタンに取られていかなかった情的、天的な立場に立たないというと、ノアからアブラハムまで、神に立つ先祖が生まれないというと、それは時代を確立できないから、それをつなげる数の十二代がノアの家庭というんだよ。

 それから最後にヤコブの家庭というのは、そこで初めて個人的になったんだよ。これは縦的になるんだね。ヤコブにおいて初めて蘇生、長成を地上に現したのがヤコブ家庭の十二双だよ。それがまさしく旧約時代、新約時代、成約時代に入るんだよ。こういうふうにヤコブ時代になった場合は、アダムを中心としてこういうふうに六〇〇〇年の歴史を延長するならば、アダムを中心としてイエス様の時代はノアに当たる。再臨の時代はヤコブに当たるのだね。分かったね。このように、数的基準を中心として大きく同時的歴史性を象徴して立つことができる。分かった?


勝利した先祖

 三十六家庭は何か? すなわち復帰路程において我々の先祖が神に召されて果たし得なかったすべての思いを、実体でもって地上に再臨してすべてのことを勝利した結果をきたすことによって、サタンによって蹂躙された歴史を、再び神によって情的歴史性を復帰したことになる。何の話か分かる? すなわち、この人類というものは、復帰現象上から見た場合に、神の復帰現象の心情を受け継いだ完成の人類にならなければならないというんだね。その先祖になるべきすべての者は、神の摂理において失敗した先祖でなく、勝利した先祖の基準を地上に確立させたのが三十六家庭である。だから三十六家庭は何かというと人類の先祖である。復帰された人類先祖だよ。

 それを中心として、七十二家庭は何かというと……。今まで二つの家庭を中心として家庭を完全復帰するには、カイン、アベルの家庭が一つにならなければならない。アダム、エバが完全に神の前に立つには、カインとアベルが完全に一つになった基台の上に乗らなければならない。この先祖というものは父母の立場だよ。この父母の立場が完全に神の前に立つには、カイン、アベルの基台を復帰してからと同じように、三十六家庭は先祖である。先祖が立つには、カイン、アベルが一つになった家庭の基盤をつくった上に立たなければならないんだから、三十六家庭の二倍の七十二家庭になる。七十二家庭はイエス様に対しての七十人に当たるんだね。それが一つになったという地上の蕩減圏を成し得た基盤になるから、神の摂理の時代はだんだんと地上の壮婦の基台を訪ねてきたんだよ。


七十二家庭

 こうなるというと、家庭先祖を中心としてカイン、アベルの家庭が一つになったんだから、摂理歴史においてそれは家庭を中心として要求してきたすべてのことが家庭復帰完成自体を成したことになる七十二家庭までの祝福だよ。それが決まるにしたがって、初めて地上に神を中心として平面的でも立体的でも段階ができるよ。蘇生、長成、完成を見れば線が四つになるよ。だから三家庭を縦にすれば、神様を中心に三段階になるんだね。それを横的に見た場合には四位基台になるんだね。分かったの? だから、これが決まるにしたがって、中心的基準が立つんです。すなわち、神の摂理によって決まるべき中心点が、縦的の足場として完全に歴史性の勝利として立った三十六家庭、七十二家庭が一つになることによって、それが完成することになる。

 その中心点が決まったんだから、神が要求するすべての中心的先祖の勝利圏を成したことになるから、その原因が完全な基台だから、それを横的に引き付けられる。その基準を中心として一二四家庭の祝福があるんだよ。一二四家庭というのは、イエス様が十字架につけられたあの五旬節のペンテコステにおいて、聖霊が降臨したが、その時一二〇人の門徒が集まって一つになって祈った結果によって、聖霊の降臨を迎えることができたのである。聖霊降臨は国家基準を超えた基準において降臨すべきことだよ。イエス様が新婦を国家基準の基台の上に結ぶことによって、彼らが一つになる基台を霊的ながら、結んだんだよ。それで一二〇人は何を象徴するかというと、一二〇国家を象徴するんだよ。だから西洋が基準となった時には、神のほうに一二〇国家以上の基台ができるというんだね。

 それがちょうど、一九六七年から六八年にかけて、そういう基台が既にできている。歴史は偶然に蕩減することはないよ。そういうふうにして全部が、内外共に数的な発展として現れている。だから一二四というのは世界国家を象徴する。ここに正常基準が立ったという勝利的基盤に立ったんだから、これは世界的構成だね。それをみんな一つにまとめて結びつけるようなそういう相対理想基台をつくってやったのが一二四双の祝福、一二〇と言っているんだけれど、四双をプラスさせた。四双は何かというと、今まで結婚した家庭の四家庭が入るよ、なぜかというと、それをしておかないというと結婚した家庭が、神の国に帰る道が開けてこない。だから東西南北の門を象徴して祝福された四家庭を加えて一二四家庭になる。人類は今まで相対理想というのを望んできたんだよ。


世界的時代圏

 今まで宗教は相対不可侵圏を望んできたよ。だから今までの宗教は独身生活だ。家庭的な相対理想は先生の時代に入って初めて、相対的理想圏を勝利的イスラエル圏から世界的イスラエル圏に拡大して、この勝利的基台を横的に引き上げたのが一二四家庭である。

 神様からみた場合には、イエス様の場合は三人の弟子、十二人の弟子、七十人の弟子、一二〇人の門徒と、すべての地上の願いにおいて、神の理想的家庭編成を成し得ずして死んでいったことを、地上において蕩減復帰してやることによって、第一アダム、第二アダムの失敗圏を地上において復帰完成したことになる。その次は、人間が堕落したことによって万物を失ってしまったので、万物が神のほうに帰る道として、一九六五年を中心としての世界的一二〇聖地を決定した。韓国の石を持って、同じように築いた勝利の基台を、世界的に平面的に結んでいく。万物基台がないと働けない。神の活動舞台が成立しないから、その条件として一二〇聖地、四十か国を中心として四十年の勝利の基台、いわゆる真の父母の勝利の基台を世界的に決定した。四十か国、一二〇聖地を決定したので、世界的に万物を復帰する天的道が開けた。だから韓国の土と石を持って、本部のように黙祷するんだよ。それを中心にして、世界の相対圏内において復帰される道が開かれる。初めて神を迎えることができるんだよ。

 それで、一九六七年を越えて、一九六八年の十月において第一次七年路程が完全に終わるというと、それが終わって初めて、完成基盤を成し得なかったすべてを解決しておかなければならない。だから七年間において、これをすべて蕩減して勝利した位置に立ったから、一九六八年において初めて完成基準に立って神様と一つになる。そういう位置に立ったのが「神の日」というんだよ。父母の内的において、神様が初めて相対者を中心として結びつけられるその結婚式であるために、人間にとっては真の父母の結婚式である。だから「神の日」とともに、「父母の日」とともに、「子女の日」とともに、「万物の日」をきちんと迎えるのだ。七年間を通過して、蕩減復帰して、元の位置に帰ったんだから、そこから世界的時代圏に入るよ。


四三〇双

 先生を中心として、アメリカとか世界各国において、力を入れてやれるだけやったらいいし、日本との共同作戦もさせるんだよ。それは日本のためになるんだよ。三年間真心を尽くして、物と実体と心情が一つになって、アダム国家の先生が成したその勝利の基台を復帰するそういう基台をつくらなければ、日本はエバ国家として、何らかの使命を成し得たという条件が成立しません。これは同じく、イエス様において三年路程においてエバを迎えることができなかったことを再び、国家的基準において蕩減するということも、日本の統一教会はしなければならない。それ以前、先生は絶対命令しなかった。命令するなと止めてきた。三年路程が済んだ場合には、日本のすべての解決策も、祝福家庭のアパートも、いろいろな問題を考えている。七四年までに解決しなければならない。そういう使命が残っている。それを成しながら、そういう関係を結びながら、四三〇家庭を祝福したり、そういう世界的因縁の条件を立てるための、韓国においては統一教会内において蕩減するんであって、国家基準の蕩減の因縁はまだ結んでいない。これが四三〇双の祝福なんだよ。

 四三〇双という数字は何かというと、その年がまさしく韓国の四三〇〇年であり、それはイスラエル民族においてのエジプト路程四三〇年目に当たるんだよ。だからイスラエル民族は、民族解放理想を願ったんだよ。その基準を中心として、韓国全土のすべての国民が、天のみ旨に立つような道を開いてやる。それは相対的理想の道だよ。今の宗教は、個人の理想を中心として道を開いてやっていたんでは、役に立たない。我々統一教会は相対的理想の道を四方八方に、全国民を動かして歴史を通してそれに一致した歴史的蕩減実体自身を一代で成し遂げなければならない。

 四十三数というのは、数から見た場合に掛ければ十二、プラスすれば七つになる。それが四数に東西南北に相当する。三数は蘇生、長成、完成人間の発達からすべての万物の数を象徴するそういう数に当たるんだから、我々には蕩減復帰によって絶対的数である。だから四三〇双の祝福をしたんだよ。それで韓民族は誰でも入って祝福を受けることができるというんだね。その国家的基準をつくったんだから、一九六九年にその相対的基台を外国につくっておかなければならない。それで一九六九年の第二次世界巡回の時に、四十三双を祝福して相対国家を結んだよ。世界的になるよ。内的なものを優先して、十か国家圏を中心として四十三家庭をつくり、相対圏を世界的に広めたよ。


七七七双

 世界は統一教会の運勢に入って、だんだんと動くようになるよ。それが一九七〇年の七七七双だ。これは地上において、世界的にすべてが寄ってくるんだね。しかし、四三〇双までは先生が行って、ずーっとしてやったことになるんだよ。韓国に連れてきて祝福をさせたら駄目なんだ。初めて韓国で全世界的な、すべての祝福家庭を中心として七七七双を完成していくのである。そこにおいて十か国がある。

 こういうふうにして、家庭的理想を中心として世界いずこの国でも、神に立ち帰ることのできる道が完成できた、この時を中心として開いた世界の運勢は、統一運勢へと一致するようになってくる。だから国家も、南北の国家も、世界の左翼、右翼の人たちも、我々と対立する段階になってくる。そこにおいて我々は、これを引き続けて「生めよ、殖えよ」というふうにして、だんだん伝道しなくてもいいという。本当はね、伝道しなくても、もう何だから、これは全部アメリカに連れていって一つの州に固まって、黙っておっても世界は復帰されていくというんだね。分かる? 我々は汗を流し、本当に反対して汗を流し、血を流し、そういう苦労をする必要はないというんだね。「生めよ、殖えよ」そうして、それを新しい民族に編成をして、一つの国が自然とできるよ。我々はエジプトにあって、イスラエル民族が健康な子供を生む。そういう子供と同じく、祝福されて双子がたくさん生まれてくるよ。我々には産児制限できません。こういうふうにして世界に新しい血統的基盤を広げる、世界超民族国家的にもう組んでおるんだよ。


家庭の行く道

 だから我々家庭においては、祝福された家庭は東西南北を問わず、将来は一か所に、教育も一か所に連れてきてするんだよ。それで先生は韓国の大学問題も考えておるんだよ。幼稚園から中、高等学校から、大学まで行くよ。だから祝福された家庭は、本国に留学するのが最高の望みになるよ。できればその時に、日本とか、そういう世界的な我々を、父母が真心を尽くしてそういう大学を立てることに賛成したとすれば、歴史の誇りの時が来るというんだね。

 そういうふうに、新しい文化、新しい世界が生まれてくるんだね。これが真の父母を中心として我々が行かなければならない世界的な蕩減の道だから、君たちは何も知らなかったんだけれど、知らない中に世界的内外蕩減基準を完成するようになった。その基台がつくられる。先生は堂々と何も引っかかるものがないというんだね。世界に初めて旗揚げしてきた。

 今や先生は死んでも、イエス様みたいに失敗の男ではありません。死んでも、このみ旨はサタン世界を占領してしまう。そういうふうになっているんだよ。再び来なくていいということになっている。今度、帰って先生が祈っておけばすべてが完成される。だから、韓国に留まる先生ではないということになるんだね。日本に来ていて気持ちが良かった場合には、日本に留まることができるし、アメリカが良かった場合にはアメリカにいて、それこそ世界を舞台として先生は万民もいかなる大統領も行けないような道を世界的に進んで行かなくてはならないのが、今からの先生の生涯だよ。


変わってはいけない

 だから「真の父母と我々」。結局、真の父母は完成したアダムであり、失敗した第一の父母の基準を完成復帰しなければならない、第二のイエス様の失敗した父母の基準を完成しなければならない。しかし、再臨の時代において先生がもっと苦労したのは、イエス様は霊的勝利基台だけを世界的につくることができたんだが、先生においては霊肉共世界的な統一圏のみ業をここまで上がってきている。

 今から三年、我々は結束して日本でも力を出して動けば、日本は世界的に認められるその国になるだろう、なぜならエバ国家だから、今から日本は発展しますよ。発展するようになっている。三年間の期間が過ぎた場合には、発展するようになるのが原理の観ですよ。だからそれを迎えるために、特別にそれを成就するために、今機動隊編成をしたんですよ。分かりました?

 早く人材養成しなくてはならない。人材養成、数が問題である。そう思って、日本において先生にその心配かけるようなことになった場合には、エバとして忠誠を尽くす忠孝の烈女としての使命を果たせません。未来において我々は、フラフラする人間になっては困ります。今にも行ったり来たりする者は、神の信じる者にはなれません。だから絶対変わるな。それが先生の結論になる。

 こういうように素晴らしい歴史的勝利の基台に立って何が欲しい、何が欲しいかというんだね。それ以上のものはないというんだね。ここにおいてそれを得た自分たちの価値を世界に分けて、それを無上の価値の実体者として誇り得るようにして、神が信じなくても、神を信じせしめる主体者になるという信念を持って、絶対、行ったり来たり、あるいは変わるような者になってはいけません。今から三十年、四十年死ぬまで変わらない? (はい)。しっかり手を挙げて。先生は信じて帰るよ。












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