文鮮明先生御言選集 55
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今後私たちが成すべきこと 1972年5月9日 韓国 中央修錬所


今後私たちが成すべきこと

 本国にいる教会長とか、さらに先頭に立って走っている皆さんたちの責任がどんなに重いか、今はそれが現れてはいないけれども、栄養分になって、歴史的な基盤になっていることを皆さんは知らなければなりません。

 アベルが必要なのは父母を復帰するためであり、復帰歴史は蕩減復帰歴史であるために、必ず祭物的過程を経なければなりません。ですから、皆さん自身がみ旨の前に、教会長とか班長としての責任を持っているということは、復帰歴史の中心的な責任を背負っているということです。

 原理的な観点からみて、中心的な責任を背負った人はどんな立場かといえば、アベル的な立場なのです。今日、我々統一教会は、既成教会に対して自分たちをアベルといい、私たちの教会内では祝福家庭をアベルといい、また祝福家庭の中でも長くなった三十六家庭などをアベルといいます。長くなった人ほど神の前に近いと見ているのが、普通の考え方なのです。

 ところでアベルという存在は、カインなくしてはアベルになることができないということを皆さんも知っているように、アベルが必要なのは父母を復帰するためなのです。堕落したアダム・エバを、再び復帰するためなのです。つまりアベルは、父母を復帰するために生まれた存在なのです。もちろんアダム・エバが堕落しなかったならば、アベルも必要ないし、カインも必要ないのですが、堕落したためにアベルという存在を通して、父母を復帰しなければならないのです。父母を復帰してアベルとカインが父母と完全に一つになってこそ、堕落しなかった本然の基準に上がっていくことができるのです。

 アダム・エバが愛を中心に堕落したために、今日私たち自身が復帰していくにおいて、家庭を持って四位基台の形態を備えたとしても、完成の立場ではありません。どんなに家庭を持ったとしても、その期間は長成期完成級を標準として越えていく期間であるということを、皆さんは知らなければなりません。

 この立場から(先生が黒板を使用される)、完成期間へと進んでいくのです。つまり、蘇生期完成、長成期完成、完成期完成期間を経ていくことになります。私たち人間始祖が長成期完成級で堕落することによって、万物を失ってしまい、実体を失ってしまい、愛を失ってしまいました。そのために、あらゆる問題を家庭から蕩減しなければなりません。

 ここから(先生が黒板を使用される)愛を失ったということは、偽りの父母が生まれたということです。ですから、真の父母の因縁を備えることのできる立場に立たなければならないし、真の父母の立場を備えて一つになって復帰することのできる立場に立った、真なるカイン・アベルが現れなければならないということを私たちは原理を通して学んでいるのです。


統一教会における祝福の意義

 ここで、父母と一つになって上がっていくのです。堕落してしまったので、再び探し求めなければなりません。父母の愛を失ったことによって、私たち人間は「父母の日」を失ってしまい、「子女の日」を失ってしまい、「万物の日」を失ってしまいました。人間が堕落することによってすべてを失ってしまったのです。

 それで、ここから失ってしまったものを再び探し求めなければならないのです。統一教会でいう「父母の日」とは、偽りの愛を中心として父母になったことを清算して、真の父母の立場を定めて現れる時に設定されるのです。「父母の日」を探した後には、「子女の日」を探さなければなりません。「父母の日」のみではいけないのです。子女としての蕩減復帰条件をすべて越えなければならないのです。そうすることによって、「子女の日」が設定されるのです。また父母と子女が一つとなることによって、万物を復帰したという意味から、「万物の日」が設定されるようになるのです。このような三つの重要な復帰の日を立てて、完成家庭を通して、完成期完成級まで上がっていくのです。

「神の日」というのは、神様に接することのできる立場であり、完成期蘇生級の立場ではなく、完成期完成級の立場です。本来の完成期完成級に立てば、神様と一つになるようになっています。ところで、人間が長成期完成級で堕落したために、我々は長成期完成級を再び復帰しなければなりません。そのような立場に立っているのが何かといえば、統一教会の祝福なのです。

 祝福のお祈りをしていただき、祝福を受けたということは、長成期完成級での祝福を受けたという立場です。アダム・エバがこの立場から堕落したために、我々人間はその落ちた立場から再び上がっていかなければなりませんが、一人で上がることはできないのです。

 アダム・エバは二人で堕落したために、復帰においても二人で上がらなければなりません。サタンを中心として落ちた夫婦の因縁を、神様を中心として完全に一つにして、長成期完成級を越えた夫婦が現れなければならないのです。ここにおいて、信仰の三人の息子娘とか、いろいろな蕩減の内容があるけれども、時間がないので省きます。

 まず、この立場、長成期完成級を越えなければなりません。この立場を越えるためのものが、統一教会の祝福であるということを、皆さんはよく知っています。では、祝福を受ければあらゆることが終わるのでしょうか。すべてが終わるのではないというのです。祝福を受けることにより神様の民として、神様のみ旨に対して、神様と人間が互いに協調できる平面的、横的な関係を結ぶようになるのです。

 祝福を受けることによって、そのような関係が結ばれるのです。ですから、祝福の前には、我々人間は神様と関係を結ぶ立場に立つことができないということを皆さんは知らなければなりません。


信仰の子女を立てなければならない理由

 もし、アダム・エバが堕落しなかったならば、アダム・エバを中心として、そこに何があるべきかというと、三人の天使がいなければなりません。そうして、アダム・エバは神様を中心として、三人の天使と完全に一体となって、完成期完成級を望みながら上がっていかなければならないのです。ところが、天使が堕落することによって、サタンになって人間を逆に落としてしまいました。これを復帰するために三段階、三代の家庭を通して横的に蕩減しなければならないのです。

 アダム・エバの創造においては、三人の天使が完全に一つになって協助しなければなりません。つまり三天使の目的は何かというと、アダム・エバの創造を助ける役割なのです。ところが、アダム・エバが堕落したために、堕落しなかったアダム・エバの立場にまで復帰するのが神様の摂理なのです。ゆえに、ここを探して上がるためには、まず天使からの協助を受ける過程を経なければなりません。その過程を経なければならない人間が誰かといえば、アダム家庭のカイン・アベル・セツなのです。この三人の息子は、三天使と同じ立場から蕩減しなければならないのです。

 ですから復帰の道においては、僕の僕の時代から僕の時代を経て、養子の時代、直系の時代に上がっていくのです。そのまま直系の時代と因縁を結ぶことはできないのです。必ず、原理によって「信仰基台」を経て、「実体基台」を経て、「メシヤのための基台」を経なければなりません。つまりメシヤを迎えないといけないということです。

 メシヤは神様の真なる息子です。養子と真なる息子とは、血統的な関係が違うのです。それゆえ、血統転換が必要だというのです。聖書を見ると、接ぎ木して復帰するということが出ています。野のオリーブの木をそのままにして置けば、野のオリーブの木の実を結び、原罪のある息子娘を生むようになるけれども、真なるオリーブの木を接ぎ木すれば、真なるオリーブの木の実を結ぶことができるということです。これは、原罪のない善なる息子娘を生むということです。原罪のない善なる息子娘を生んで、この地上で神様の愛を完全に受けなければ、天国に入ることができないということです。これが神様の創造原則なので、再び原理原則を通して復帰しなければならないということです。

 そこで、三人の天使と同じ状態が、再び横的な基準として現れなければならないのが、父母を復帰するための三人の息子であるというのです。それでアダムを中心としてカイン、アベル、それにサタンを加えた、三数の因縁の歴史であったということを皆さんは知らなければなりません。

 アダムの三人の息子と一つになって上がっていったのではなく、下りてきたのです。それゆえ今日、我々信仰生活において、失敗したすべてを再び探し出して蕩減して上がっていかなければ、復帰することができないということを知らなければなりません。

 この家庭を蕩減するためには、我々統一教会でいう、信仰の子女を立てることです。信仰の子女とはどういうものでしょうか、また、信仰の子女はなぜ必要でしょうか? 信仰の子女がいなければ、我々人間は父母の立場に上がる道がないということです。アベルを立てたのは父母を復帰するためですが、アベルをもって父母を復帰することはできないのです。原理的にみると、神様とアダム・エバと天使長、これが神様が創造した本来の原則的な基準なのです。しかし、これを失ったために再び原則に則して、神様、人間、天使長が一致できる原理型に合わせなければならないのです。原理を通して蕩減復帰する路程が必要だということです。それゆえ、三天使が完全に一つになった立場に立たなければ、上がる道がないのです。


アベルの使命

 アベル自体を見てみると、アベルは何をしなければならないのでしょうか? それは、カインと一つになって、サタンを屈服させて、そのサタンが順応できる立場に立たなければなりません。それがアベルの責任であることを皆さんは知らなければなりません。

 アベルは一人でアベルになることができません。アベルという名前は、カインを復帰してこそ設定されるのです。言い換えれば、失ってしまった横的な三人の息子を探していく責任を背負った人がアベルなのです。ですから、アベルの前には必ずカインがおり、サタンがいるはずです。分かりますか。

 アベルを中心として、神様は何を願っているかというと、神様は再創造の歴史を立てるために、アベル自体が、堕落しなかった天使世界、つまり堕落しなかった天使長を身代わりしてあげることなのです。

 では、天使とは何でしょうか? 天使長とは、神様が人類始祖アダム・エバを創造した時に協助した者です。これと同じく、アベルも父母を探すために協助しなければなりません。つまりアベルの立場は、神様がアダムを創造する時に協助した天使長の立場と同じだということです。このような使命がアベルにはあるのです。

 その前には、必ずカインがおり、サタンがいるのです。これらを屈服させなければなりません。その次にアベルのすることは何かというと、父母を復帰しなければなりません。堕落しなかったアダム・エバを再創造することの、中心的役割を果たさなければなりません。これがアベルの立場です。さらに、神様と人間の間の隔りをつなぐ役割をしなければなりません。そうすればアダム・エバが再創造されることによって、神様の愛を中心として神様と人間世界が完全に一つになるのです。アベルはそのような道を整えていかなければなりません。

 アベルは何を解放すべきかというと、第一に、カインを解放しなければなりません。次は、父母を復帰するために、完全な基盤を立てなければなりません。これがアベルの使命なのです。父母の前に、サタンの讒訴を許す立場に立っては、アベルとしての責任を果たしたとは言えないのです。

 アベルの使命を果たした人は、サタンの讒訴を受ける立場に立ってはいけないのです。アベルは父母を復帰するためにも、中心的な責任を果たさなければなりません。これがアベルの立場です。

 また、アダム・エバは堕落することによって、実体を失ってしまいました。その次に、心情を失ってしまいました。この代わりに復帰の中間的な責任を持たなければなりません。

 言い換えれば、アダム・エバは堕落することによって、神側とサタン側の中間の立場に立つようになりました。それゆえ、こちらにもあちらにも動く立場に立っているのです。彼らが人間を神側へのみ立つようにすることができるでしょうか? これはアダム・エバがやることではありません。アベルがやらなければなりません。そのためにアベルは、父母の実体と心情を復帰することにおいて、残された讒訴条件をすべて蕩減しておかなければなりません。


アベルの立場

 血を流す歴史的な祭物路程というのは、カインにあるのでもなく、アダムにあるのでもなく、父母にあるのでもありません。誰にあるかといえば、アベルにあるというのです。アベルの立場はどんな立場かといえば、天使長の立場です。では、どんな天使長かといえば、堕落しなかった天使長なのです。

 この天地をすべて堕落させた中心的な天使長がサタンになったために、これを復帰するために、アベルを通して蕩減してきたことを皆さんは知らなければなりません。それゆえに、血を流したのは、カインではなくアベルなのです。アベルが打たれてきたのです。堕落した天使長対堕落しなかった天使長の戦いなのです。これが今までの歴史であるということを知らなければなりません。主が来られる前に、真の父母が来られる前に、このような戦いをしなければならないのです。アベルという存在がそのような立場であることをはっきりと知らなければなりません。

 アベルとは、第一にカインを復帰しなければならないし、第二に父母の実体と心情を復帰しなければなりません。アダム・エバが天使長と愛の因縁を結ぶことによって、神様の実体を蹂躙し、心情を蹂躙したので、アベルはこのような事実を蕩減するために、その実体が犯されなければならないし、自分のあらゆる希望が蹂躙されなければならなかったのです。このような立場から出たのが、アベルなのです。反対だということです。

 天使長がアダム・エバを堕落させることによって、理想的な実体を犯し、理想的な愛の世界を犯したので、これを蕩減するために神様はアベルを立てたのです。それで、アベルが実体的に血を流さなければならなかったのです。歴史時代にアベルの立場に立った人たちには希望もありましたが、その希望を成就した立場で死んでいったのではなく、成就できないままに血を流し、犠牲になったのです。

 天使長が責任を完成することができず、アダムが堕落することによって、そのような結果がもたらされたために、神様は今日の世界に一つの中心存在を立てて、それを再び蕩減させようとしているのです。そのような立場が、アベルの立場なのです。

 ですから、アベルはカインを復帰しなければならないし、父母を復帰しなければならないし、その次には神様と関係を結ばなければなりません。本来あらゆる存在が神様から始まったために、アベルも神様から始まらなければなりません。そのために神様を絶対視する立場に立たなければ、アベルになることはできません。アベルは神様を絶対視する立場、神様のためにそのような立場に立つようになれば、天使長の立場で神様の愛を受けることができるのです。

 愛は先に誰が受けたのかといえば、天使長だったのです。ですから、アベルは復帰の道において、誰よりも神様から愛される立場に立たなければならないし、そのためには、誰よりも犠牲になる立場に立って、天使長の失敗を復帰する立場を果たさなければなりません。

 神様を絶対的に信じることのできる立場に立っても、神様の愛を受けることのできない人はアベルにはなれないのです。アベルはアダム・エバをつくる前の三天使長と同じような立場にいます。天使長はアダム・エバが神様の愛を受ける前に、たとえそれが天使長級の愛であったとしても、神様から先に愛を受けたように、復帰時代においては、アベルが神様の愛を先に受けたということになるのです。ですから、天使長は、自分の所有と全権限を誰に渡さなければならないかというと、アダムに渡さなければなりません。これと同じく、歴史時代にアベルも、自分の命を完全に犠牲にする立場に立って、一つの希望である主を中心としていかなければならないのです。このように一人のメシヤを希望として、その一点にあらゆる者を吸着させる歴史を、旧約時代から新約時代を経て、今日まで綴ってきたことを皆さんは知らなければなりません。

 天使長の願いは何かというと、再創造の復帰歴史を経ながら、天使長級にいる人たちができなかった真の父母の因縁を完遂させてあげなければなりません。そうすることで彼らの願いが成し遂げられるのです。今までの歴史時代において神様のみ旨に責任を持っていた人たちがアベルであり、そのアベルは天使長と同じ立場であり、天使長の願いは、堕落せずに完成した人類の真の父母がこの地上に現れることです。これが最高の目的なのです。

 あらゆる存在は結局、真の父母との因縁を完成させるためにあるのであり、自分のみ旨のためにあるのではありません。ですからアベルとして、祭物を連結させてきたのが、今までの宗教の歴史であるということを、皆さんは知らなければなりません。

 今までの歴史はメシヤ一人を迎えるためであり、宗教は天使長級歴史を継承して、完成した父母の因縁まで継承するための世界史的な使命を果たしてきました。それゆえ、高いレベルの宗教は、相対的な理念を付与することができなかったのです。宗教者は一人で生活しなければならないのです。なぜならば、天使世界は相対理念を持つことができないのが原則だからです。ですから今日まで、宗教は独身生活を強調しているのです。それは、アダム世界を復帰するために、天使長世界を復帰しなければならないからです。アダム・エバが堕落することによって、天使長世界も堕落した結果になったために、真の父母を復帰する過程において、先に復帰してきたのが天使長世界なのです。

 それゆえ、天使長世界復帰歴史過程において、宗教は必ずメシヤ思想を持つようになっているのです。原理がそのようになっているのです。今までの歴史的宗教がそのようになっているのです。では、今までいろんな宗教を立てて、願ってきたものは何でしょうか?それがメシヤなのです。メシヤ、これは養子なのです。

(先生が黒板を使用される)養子ということは、堕落したために生まれた言葉なのです。本来、養子はあり得ないのです。分かりますか? これは直系の子女なのです。この直系の子女の道を整えてあげなければなりません。そのために、直系の子女の前に現れるサタンを完全に防御しなければなりません。そのようになれば、サタンのいないエデンの園と同じ立場になるのです。分かりますか? そうして、養子と直系の子女が完全に一つとなるのです。

 アダム・エバの前に天使長が一つになるには、必ずアダム・エバが主人の立場であり、天使長は僕の立場で一つにならなければならないのです。それゆえ、どんな宗教であれ、メシヤ思想を持っているということを皆さんは知らなければなりません。キリスト教はもちろん、ありとあらゆる宗教が終わりの日に待ち望んでいるのはメシヤなのです。ですから、メシヤがこの地上に来てみ旨を成すためには、サタンの讒訴圏ではならないということです。サタンを屈服できる権威を持って現れなければなりません。


ヤコブから始まったイスラエルの歴史

 サタンは天使長であるために、アダムは天使長より高いレベルにいるのです。そうでしょう。天使長が僕であれば、アダム・エバは神様の直系の子女であるために、高いレベルにいるというのです。

 神様はアダムを直接主管するようになっており、天使長を直接主管するようにはなっていません。このような観点から見た時、堕落した世界の個人から家庭、氏族、民族、国家を復帰しなければならないということですが、堕落した世界は、神様が主管できる世界にはなっていないのです。サタンが主管する天使長圏世界が堕落した世界なのです。ですから神様が主管する世界に分立しなければなりません。

 では、分立しなければならない原因はどこにあるでしょうか? 神様がアダムを創造する時に、天使長を通して創造したのです。ですから、分立しなければならないのは、天使長の立場なのです。アダムを創造する時、天使長は神様の相談相手でした。これが天使長の立場なのです。アダムを創造することに協助できなければ、サタン側になるのです。このような原則によって、協助する立場に立てば神様が取るのであり、協助することができなければ、原理から離れて非原理的なサタンが管理するようになるのです。ですからサタン世界で原理的な立場に立てば、神様が奪ってくることができるのです。アダムを再創造できる要素と環境の因縁を提示する条件さえ立てれば、奪ってくることができるということです。

 こうして、人間が堕落以降四〇〇〇年の歴史を通して摂理されてきたのがユダヤ教の歴史なのです。僕の歴史は、神様を主人と呼ぶことができるのですが、僕の僕の時代には、僕を主人と呼ぶのです。その僕にもなれず、僕の僕の前に主人になることもできないのです。それと同じような立場を経なければなりません。

 養子圏が現れるには、そのような過程を経なければならないのです。僕の時代から、養子の時代に進んでいかなければなりません。では、僕の僕時代から僕の時代に入る時代はいつでしょうか? それはヤコブからです。ヤコブの時代に初めて、イスラエル民族が現れますが、これらはサタンの息子ではなく、復帰した天使世界の息子と同じなのです。

 このようにして復帰してきたのが、イスラエルの歴史です。サタン圏を逃れるためには、サタン圏よりも上でなければなりません。天使長が堕落したことによって、死亡圏がつくられたのです。堕落することによって、個人もサタン圏内に入り、家庭もサタン圏内に入り、氏族もサタン圏内に入り、民族もサタン圏内に入り、世界もサタン圏内に入ったのです。

 天使長が堕落することによって人類はどうなったかというと、堕落した天使長の子孫になってしまいました。堕落した天使長の子孫は非原理の形であるために、神様はどうすることもできません。それで、堕落しなかった天使長の子女と同じ立場に復帰させたのが、イスラエル民族なのです。分かりますか? そして、堕落した天使長の息子と、堕落しなかった天使長の息子とが戦って、誰が勝ち残ったのでしょうか。

 堕落した天使長の息子が勝っても、神様の前に帰ることはできないというのです。堕落しなかった天使長の立場にいる人、神様が選んだ民が堕落したサタン世界の非原理級にいる人たちよりも進んでいかなければなりません。堕落した僕を追い出し、堕落しなかった僕の息子たちが現れなければならないのです。

 復帰された天使世界に該当するイスラエル国とユダヤ教圏を中心に、完全に一つとなって、個人的に堕落した天使世界の個人よりも優れていなければならないのです。家庭的にも優れていなければならないのです。民族、国家全体を見ても優れていなければならないのです。優れた立場に立つことができなければ、復帰して越えていく道が生まれてこないのです。国の行くべき道が生まれてこないのです。

 それを越えていくためには、ここに、必ず蕩減がついてくるのです。そのような蕩減基準は何でしょうか? 蕩減は堕落の母体を中心として成されるものです。いつも家庭を中心として成されるのです。どういう時であれ四位基台を持たなければ、神様が足を下ろすことができません。個人がどんなに足を下ろしたとしても、死んでしまったら終わりです。四位基台を成して、この地上に定着しなければなりません。

 どういう時代であれ、戦って勝利して、一段階、一段階前進していくためには、必ず中心家庭が世界性を持ってサタン世界よりも優れる立場を占めなければなりません。そうしなければ前進することができません。

 サタン世界の家庭よりも優れなければ、絶対に上がっていくことができないのです。永遠に上がっていくことができないのです。個人も同じです。今までのキリスト教の戦いは、個人の戦いでした。

 サタン世界とは、この世界がサタン世界であるために、全世界のことをいうのです。またサタン世界の個人といえば、過去・現在・未来の歴史的存在をいうのです。堕落した個人を中心として見ても、そのような歴史的なサタン世界の個人に対して、それよりも優れた立場に立たなければ、蕩減復帰する道が生まれてこないのです。またサタン世界の家庭の代わりに選んだ家庭は、サタン世界の歴史的な家庭よりも優れた立場に立たなければ、上がっていくことができないのです。

 そして、サタン世界の歴史的な氏族よりも、神側の氏族が優れた立場に立たなければ上がっていくことができないのです。サタンは自分よりも劣る時に、自分のものだと主張するのです。それが原則なのです。囲いの中に包囲された人たちがその立場を逃れるためには、その囲いよりも強い力がなければ、脱する道がないということです。つまり自分が相対よりも弱い時には、自分はいつも相対に属するようになるのです。ですから、相対よりも強くなった時に、そこから脱することができるのです。

 それで神様は、今までこのような作戦を取ってこられたのです。神側の個人がサタン世界の個人に勝たなければならないし、神側の家庭がサタン世界の家庭に勝たなければならないし、神側の氏族がサタン世界の氏族に勝たなければなりません。そして、神側の民族がサタン世界の民族に勝たなければならないのです。

 そして、神側の一つの国がサタン世界に勝つ立場に立たなければ、神のみ旨、復帰歴史の勝利的な基盤を備えることができないのです。メシヤを送られた目的は、サタン世界を屈服させるためです。

 では、メシヤをどこに送るのが神の願いだったのでしょうか? 堕落した世界の個人の前に送るのではなく、堕落した家庭の前に送るのでもなく、堕落した氏族の前に送るのでもなく、堕落した民族の前に送るのでもありません。民族と国家が一つになった立場で、主権を持った国に送ることを願っておられるのです。カイン国家を屈服させるために、一つの国にメシヤを送るのです。

 メシヤは一つの国に来られて、そのような使命を果たさなければならないということを、皆さんははっきりと知らなければなりません。分かりますか? 国家以上なのです。国家以上の立場から世界を復帰するために来られるのがメシヤであり、国家以下の立場で勝利するために来られるメシヤではありません。

 それはなぜかというと、人間が堕落することによって、全世界がサタンに奪われてしまい、全世界がサタン国家になったからです。ですから数多くの国家があっても、一二〇か国家があっても、その中で一番の国家は一つであるということです。一番悪いサタンが誇ることのできる国家は一つなのです。そうでしょう。イエス様の時は、ローマ帝国でした。サタン世界の一番の国家というのは、一つなのです。一二〇か国があるにもかかわらず、一つしかないのです。

 サタン世界の民族がどんなに多くても、サタンが神様の前に、「ああ、神よ。私が自から指導して、私に忠誠を尽くし、私の言うとおりに絶対服従し、私と生死を共にする国として、あなたの前に誇ることのできる国はこの国である」と、言える国は二つではなく、一つなのです。その一つの国がローマ帝国です。歴史的に見てもそうです。

 その時、ローマ帝国は世界的版図を持って、世界的に誇れる国家圏を持っていました。そのようなサタンの讒訴に対して、神様は「いや、サタンよ。私がどうしてお前より劣ると思えるのか」と言うのです。サタンよりも優れてこそ、神様の権威が立つのです。さらに神様は、「お前がどんなに誇ってみても、それは私が願う国の基準を越えることはできない。私が願う国の基準を絶対に越えられないのが、お前の限界線なのだ」と。神様は、このように見ているのです。「お前の国民にその限界線を越えさせて、お前を屈服させて、お前を知って、アダムが天使を主管した立場に復帰するのだ」と言うのです。

 これが原則なのです。この地上にサタンが足を下ろすことのできないようにしておくのが、原則なのです。結局、神様がメシヤを送ったのは、サタンを屈服させるためなのです。サタンを屈服させて、この地上から追い出すことです。すべての人々がアダムと同じようになれば、天使長は堕落しなかったアダムの前においては僕であるために、僕の立場の天使長はアダムに屈服しなければ地上に足を下ろすことができないのです。この原則に従って、今まで神様は摂理されてこられたのです。

 サタンの国がどんなに多いとしても、サタンが誇ることのできる国は一つなのです。ですから、その国よりもより優れた神様の国も一つなのです。神様は絶対者であり、全知全能な方であるために、その一つの国を絶対的基準にまで引っ張っていかれるのです。それゆえ、昔から一つの宗教思想を中心として、天のために真心を込めることのできる群れを通して、一つの国を探し求めて来られたのです。一人の人ではありません。一つの教派、その教派は国をして、カインの使命を果たすようにするのです。そして、民族はカインであり、教会はアベルです。カイン・アベルがなければ、復帰ができないのです。

 まず、このような観念を皆さんの頭の中に、はっきり入れておかなければなりません。私たちは何をどのようにして、どこに行かなければならないのか? 戦いは、どのように戦い、どこまで行って判決を下し、追い出し、「今やすべて終わった」と言って、初めて手を洗うことができるのか? そのような立場をはっきり知るために、この観念をはっきり知らなければならないのです。サタン世界の国がどんなに多いとしても、サタンの誇ることのできる国は一つしかないために、神様がその一つの国を主管して思いどおりにするためには、神側の国の民がサタン世界の人々よりも優れていなければなりません。


サタンは国家主義、神は世界主義

 我々統一教会の願いは何でしょうか? 皆さんはサタン世界の人よりも優れていますか。優れていないとしても、サタン世界の人とは行動が違うのです。世の中の人たちのやることをやらずに、世の中の人たちがやらないことをやっているのです。世界の人たちが一〇〇の良いことをしたとしても、それはサタン世界でやったことであり、神様とは関係がないからです。

 神様は彼らに一点の点数も上げることができません。しかし我々のやることは、どんなに小さいことであっても、一から一〇〇まですべて神様を中心としているために、彼らよりも多くの点数を受け取ることができるのです。これが違うのです。

 ご飯を食べることも同じだし、統一教会の人だからといって、別に違うことはありません。外的には彼らより優れているものは、あまりないのです。しかし、目的が違っているのです。行く道が違っているのです。方向が違っているのです。サタン世界はすべてどうなっているかというと、国よりも自分が中心なのです。教会も自分のために通うのです。お父さんもお母さんも、自分のためにいると思うのです。すべて自分の役に立たなければ、捨ててしまうのです。すべてが自分のためにあるのだと思う世界です。これがサタン世界なのです。

 そして、サタン世界の行く最後の終着点は、国を越えることができないということです。これが、サタン世界の限界点なのです。サタンは一つの国を中心として、いかに誇ってもそれ以上上がることができません。サタンの一番誇る国を中心として、世界平等化できる基準、国以上の基準には上がることができません。サタン世界には世界主義がないのです。言葉では世界主義と言うけれども、内容は民族主義、国家観念を超越することはできないのです。

 今日、ソ連の共産党を見ても、スラブ民族を中心としたソ連共産党の理想は、世界主義であるけれども、その基盤は民族主義観念から脱することができないのです。

 サタンは世界主義者になることができません。世界主義を唱えているけれども、それは偽りなのです。嘘なのです。サタンはアダムとエバを騙す時も、理想的な言葉でもって騙しました。同じく世界的な嘘主義を持つことはできても、実体的な世界主義の基盤を持つことはできません。ソ連を中心として共産党が、どんなに世界主義を唱えて現れたとしても、共産世界の取得権を放さないために、宗教と離れてしまったのです。

 サタンは、外的にのみ世界主義を立てたのです。サタンがアダム・エバに対して、甘い言葉で「神様がそう言ったの。もっと良いことがあるから…」と言ったのです。表と中身が違うのです。ですから、世界人類を愛することのできる道を教えることができないのです。その道を教えて、そのように行動する日には、完全に壊されてしまうのです。共産党は、内外がそのようになっているのですが、神様は違います。神様は外的に世界主義を唱えるように、内的にも国家主義を超越しなければならないと唱えているのです。

 韓国が神様のみ旨の前に、世界主義を唱える神様の全体的使命を背負ったとしても、韓国の国民をもってはできないのです。韓国の国民のみが、常に主体勢力を持っていかなければならないという観念を持つことは神主義ではないということです。

 それで、神様の歴史的な願いを成すために一つの国が現れなければならないということを知らなければなりません。サタン世界の国がどんなに多いとしても、サタンが誇ることのできる国は一つなのです。その代表の一つの国をもって讒訴し、その国の法律を中心として、世界を一つにしようとするのがサタンの主張であり、共産世界がその役割をしているのです。それで、国家が問題なのです。もし神様が一つの国を持つようになる日には、犠牲・奉仕も要らないのです。原理的にそうなっているのです。このような国が現れる時、この国はアダムの国であり、神様の国であります。このような国さえあれば、サタンの国はあり得ないということです。天使長の国が世界的であっても、来られる主の前に世界が完全に屈服するようになれば、天使長という存在は残るけれども、そうでない時は、いっぺんに首にすることができるというのです。

 許すことのできない時が訪れるのです。そうしなければ、それが原理原則ではないからです。なぜ、そのようにしなければならないのかというと、それは神様の権威、アダムの権威をもって、天使長の下に降りて、神様が権能を顕現できないからです。ですから皆さんがどんなにお祈りをしても、神様はサタン世界に協助することができないのです。今まで僕の中の少しましな僕を通して、天使を介して役事をして来られたのです。なぜ先祖たちを通してこの地上に役事をしてきたのかというと、復帰する天使長およびアダムを探し求めるためです。

 終わりの日には統一教会でいうところの個人の復帰、家庭復帰、氏族復帰、民族復帰、国家復帰をしなければなりません。国家を復帰する時は、勝利したアダム国家となるために、それ以外の国はすべて天使長の国家として扱うのです。もし言うことを聞かなければ、容赦しないというのです。

 今までの神様の復帰歴史においては、国が現れるまで、個人、家庭、氏族、民族、国家というように上がっていったのです。何の話か分かりますか? 直線で上がっていくのです。この時に、平行歴史の平行権限は付与することができません。中心は二つもありません。中心を探さなければなりません。

 このような原則があるので、国家を中心として探してきたのです。その国は、サタン世界の国よりも大きくならなければなりません。サタン世界よりも上に立たなければなりません。神様がこのような国を願ってこられたのが、今までの歴史なのです。そして、その国を中心としてメシヤを送るのです。天使長よりも高い立場から来られる方が、完成したアダム、つまりメシヤなのです。

 そのようなメシヤが来られて、サタンの国よりも劣る国であるならば、神様の顔が立たないのです。金持ちの子供たちが僕よりも劣る立場で生活するくらいならば、むしろ死んだほうがいいと言うのです。それと同じことです。ですから、たとえ数は少なくても、「悪なるサタン世界よりも三倍以上強くあれ」と言うのです。なぜそうならなければならないかといえば、旧約時代、新約時代、成約時代の三時代の恨みを持っているからです。

 復帰は僕の僕の時代から僕の時代、養子の時代へと上がっていくのです。そのような三時代を経てきたので、三時代のどんな人よりも上に立たなければなりません。三時代のどんな国よりも優れなければなりません。今、神様が一番誇ることのできる国において、サタンが「過去に私が誇った国より良くない」と、言わせてはならないのです。

 天の側に立った人であるならば、地獄に行っている霊人たちよりも、中間霊界の楽園にいる霊人たちよりも、これから霊界に行くサタン世界の人たちよりも、過去・現在・未来に讒訴されることのない堂々たる国の国民となっていかなければなりません。そうしなければ、いっぺんにサタンが讒訴するのです。サタン世界よりも三倍以上強い、そのような民族にならなければなりません。


神様の願い

 神様が今まで一番驚かれたことは何かというと、サタン世界は多くの国を持っているので、一つの国が滅びると、また他の国を立てて、幾らでもやってきたことです。つまり一つの国が責任を果たせなければ他の国を立てて、神様を信じるキリスト教信者たちに反対してきました。神様には国がないため、それができないのです。神様はどうすることもできないのです。ですから、国の主権者が変われば、あらゆることが変わったのです。

 神の国がないために、Aという主権者の時代にはキリスト教を歓迎したけれども、Bという主権者の時代には、どんなに国民がキリスト教を信仰しても、その主権者一人によってキリスト教がすべて壊されてしまったのです。

 今日、大韓民国に統一教会がありますが、世界的時代を迎えて、世界の世論において、どんなに教会が強力な団体であっても、韓国の大統領がサタン側に立っていれば、すべて受け入れることができないのです。それゆえ、神様の願いとは、サタン世界の悲惨なる歴史的運命を逃れて、その限界線を越えることです。このことを地上の宗教者たちは知らないのです。それが何よりも悲惨だということを知らなければなりません。キリスト教はそれを知って、ローマを越えることができる国、神様が願われる一つの共同的な国、サタンよりも強い主権国家を地上に立てて、今までの恨みを蕩減復帰してきたのです。

 その国を目指してきたならば、既にこの地上にはそのような国が成されて、イエス様以降二〇〇〇年の歴史はこのように延長されなかったということです。再臨の歴史は完成して、この世の中を料理して、すべてを神の願いのままに成すことができたのです。

 神の国がない時代には、どんなに信仰深い家庭であっても、信仰深い氏族であっても犠牲にされるのです。そしてどんなに信仰深い民族があったとしても犠牲にされるのです。もし共産党が全世界を握れば、キリスト教の人々は犠牲にされるでしょう。このようなことを、キリスト教の人々は知らないのです。

 では、神様の願いは何かというと、神様の願いは愛する息子娘に会うことです。堕落したこの世において、神様の願いは愛する息子娘たちが讒訴されない世界的な国家を持つことです。神様の愛する息子娘たちを地上に送って、サタン世界の国より上に立つ基盤を持つことを神様は願っておられるのです。

 そのような基盤を持つことができなければ、神様の息子としての立場を立てることができないのです。イエス様もその基盤を持つことができなかったために、国から追われて死なざるを得ない運命の道をたどったということを、皆さんは知らなければなりません。統一教会の人たちも国がないのです。

 今の民主世界は、神様が六〇〇〇年苦労してつくりあげてきたものです。もし皆さんが昔、イエス様の時代のイスラエルに生まれていたならば、皆さんの首はもうなくなっていたことでしょう。先生も、もうこの世にいなくなっているでしょう。国家的なサタンの身代わりである、全世界的なサタンの身代わりである共産主義が宗教を抹殺しようとして、最後の手段を動員しているということを、私たちは知らなければなりません。

 統一教会の人々には国がありますか、ありませんか?(ありません)。ですから、どこにいっても軽蔑されているのです。これは何よりも悔しいことです。このことを忘れてはなりません。私たちがこのように悔しさを堪えているのは、一つの国を探すためなのです。

 神様は、世界の前に一つの統一国家を立てて、それを基盤として全知全能なる神のみ旨どおりに、すべてのことを成就する時を願ってこられたのです。もしそのような基盤が立つ日には、共産党であれ、いかなる党であれ、神様は取り除くことができるのです。

 ですから、そのような国が現れるまで、悪なるサタン勢力に対して戦ってこられたのです。今は、神様とサタンが世界的に対決する時です。個人的に、家庭的に、氏族的に、民族的に、国家的に、世界的に、一直線で対立しているのです。平面的に水平線上で個人的に、氏族的に、民族的に戦っているのです。このようにして個人的に戦い、社会的に戦い、国家的に戦い、世界的に戦って、その時代が来れば、その時が終わりの日なのです。

 今までそのように戦う時がなかったのです。イエス様の時にのみ、外形上、国家的に戦いました。サタン側も個人的に、家庭的に、氏族的に、民族的に、国家的に全体を動員し、神側も個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的に全体を動員したのです。この二つの群れがいっぺんに行列を成して、ぶつかり合ったのです。その時、神側に動員されたのがイスラエルの国とユダヤ教でした。ユダヤ教とイスラエルの国が一つになって、世界的なローマに対して、国家的にぶつかり合ったのです。

 もちろんローマのほうが大きかったのですが、それでもぶつかり合わなければならなかったのです。しかし、今はその時代とは違います。その時は国家的基盤を中心としての完成に向かっての出発でしたが、今は世界的基台を中心としての完成に向かって出発する時代なのです。そこでイエス様は、本然の使命を受け継いで、国家を越えて世界的に出発しなければなりませんでした。

 本来イエス様が来られたのは、国家を探すためではありません。世界を探すために来られたのです。それゆえ、イエス様は死んでも霊的に世界を探すため、二重の蕩減をしなければならないのです。一つは世界のために蕩減し、一つは民族のために蕩減するのです。この二重の蕩減のために、キリスト教は今まで数多くの犠牲の代価を払いながらも、これほどに発展してきたのです。

 それで今の時代は、そのような宗教者と非宗教者、つまり神側とサタンが対決する時なのです。個人的に、家庭的に、氏族的に、民族的に、国家的に、世界的に戦う時であり、左翼と右翼の時代なのです。

 ところで、今どちらが優勢かというと、共産党が優勢なのですね。それゆえ、神側の三つの国家が犠牲を払わなければならないのです。これが原理の観点なのです。それでここにおいて誰が犠牲になるかといえば、中国が祭物になります。そして次は、アメリカが犠牲になります。第一次世界巡回におけるアジアの防御がねじれてしまいました。第二次世界巡回では、世界的な面からアメリカがそのような立場に入っていくのです。それゆえ、これから一九七七年、一九七八年までが峠になるのです。


第三次世界巡回の目的

 アジアという地域的な面から見た時に、なぜ中国は国連から追い出されたのかというと、これはアジアにおいて、中心国家である韓国の南北問題のためです。そこで、金日成の年齢が問題になるのです。サタン世界の代表的な存在が六十歳になる時、その地域が世界的な時代に入っていくのです。

 今度、四月十五日は何の日ですか? 金日成が六十歳になる日です。中国が追い出された日が、この日から数えて六か月以内だったのです。そのようなことが六か月以内に起こったのは、私たちの時がだんだん近づいているということです。

 それで中国が国連から追放されたのです。金日成が六十歳になる時、六数圏がサタン圏であるために、サタンは七数圏内に侵入することができないのです。それで三年よりもっと延長されるだろうと見ているのです。三年延長されれば、私たちの第二次七年路程が終わるころになるのです。何の話か分かりますか? 私たちの第二次七年路程までには、国家的な基準においてサタン勢力は後退せざるをえないというのが原理的な観点なのです。それをアジアにおいて、韓国、日本、中国、この三つの国家をつなげようとしてきたのが先生の作戦だったのです。

 これを今、世界時代に越えていくのです。アジアで防御できなかったために、世界に及ぶようになるのです。これを第二戦線で、アメリカが防御しなければならないのです。もし、アメリカが防御できなければ、第三戦線はドイツなのです。

 一九七七年、七八年は一九一七年に共産党が出発してから六十年になる年です。二月十七日は、一九七七年、一九七八年の両年にかかるのです。それで今回、先生はアメリカに行ってこのような内容を話しました。一九七七年、一九七八年になると、アメリカは共産世界の脅威を防ぐことができなくなるのです。アメリカのキリスト教の人々があっちこっちで犠牲になる姿を見て、「これではいけない」と言いながら、皆生きる道を探して逃げるようになるのです。その前に、我々統一教会の人々は準備をしなければなりません。第三次七年路程を中心として、これらの準備をするのです。

 三年間で、そのことを準備するのです。三年間準備して、完全に防御戦線を拡大させることが、今回の第三次世界巡回の中心的な計画であったということを知らなければなりません。アジアの日本と韓国と中国に続き、第二防御線を準備しなければならないので、ヨーロッパにおいて自由世界を代表した国家を中心として、アダム国家圏、エバ国家圏、天使長国家圏を備えなければなりません。その国家圏がアメリカとイギリスとドイツなのです。

 それで、今まで韓国で整えた基盤を持っていって植えてあげるのです。そうしなければ、韓国が不利になると後退せざるを得ないのです。分かりますか。後退作戦もあり得るということです。今日、先生は韓国にのみ住まなくてもいい時が来たのです。今回、第三次巡回路程が終わり韓国の地に帰って責任を果たせば、韓国自体は過ぎ去るのです。

 韓国にだけ投入しても仕方がないのです。中国、日本まで完全に傾けば、すべてが滅んでいくのです。そのような基盤の時代を越えていく時になったのです。深刻なのです。結局責任はどこにあるかというと、アメリカに責任があるのです。天使長国家の中で、アメリカに責任があるのです。復帰の歴史は正分合作用によって、発展していくのです。

 これが、(先生が黒板を使用される)プラスが三つであればマイナスもやはり三つなのです。これを一つにしなければなりません。これを一つにするためには、サタン世界は強制的に打つのですが、私たちは自然屈服させなければなりません。自然屈服する時が訪れたのです。三天使もこのような段階を経なければなりません。

 中国はアジアの地域においての天使長であり、アメリカは世界的な天使長です。サタンを中心として最高の決断をしなければならない、サタンを屈服させる最後の決戦地であるということです。霊肉を左右する最後の決戦地です。このようになって、地上に天国が立てられるのです。

 このような基準を中心として、世界の情勢が動いているということが、復帰原理から見た世界観なのです。これは必ず国家を中心として、神様が愛する国家であるか、サタンが愛する国家であるかによって、左右されるのです。このように世界的に対決する時が、縦的な歴史を横的に蕩減する時なのです。

 今日の世界を見ると、共産世界からの脅威を受けていない国はありません。祭物を捧げる時に、その祭物が受け入れられるかどうか恐れながら、祭壇に向かうことと同じ瞬間が、私たちの目の前に迫っているのです。


復帰摂理をされる神様の苦しみ

 今までは、カインが個人的に、家庭的に、国家的に打ってきたのですが、世界的には打つことはできませんでした。今や世界的に打つことのできる、神様が最高に許す一時が私たちの目前に近づいているのです。

 サタンは、イエス様を中心として国家的に打ってきたのですが、今や世界を中心として来られる再臨の時代には、世界的に打ってくるのです。今、自由世界が打たれています。自由世界を打って、最後に統一教会まで打とうとしているのです。サタンは今までイスラエルの国を打って勝った基盤の上に、世界的に発展して、個人的に打ち、家庭的に打ち、氏族的に打ち、民族的に打ち、世界を蹂躙してきたのですが、今や神側がサタン世界に向かって打つことのできる時になったのです。

 今、キリスト教が共産党に打たれているのです。最後の時なのです。そのような時が過ぎ去って、もし神側がサタン側より上に上がる日には、両面作戦を取るのです。今までサタンは両面作戦を取って、神様は一面作戦を取ってきました。何の話か分かりますか?(先生が黒板を使用される)この人は、堕落した人なのです。堕落した人は、霊的にサタンに支配されています。実体的にもカインの主管を受けているのです。ですから両側に掛けているのです。もし神様にサタンが負けても、カインが戦う基盤が残っているのです。サタンがいなくても、カインが勝手にやることができるのです。

 しかし神様は、神様の選んだ人が残っていなければ作戦ができないのです。基盤がなければ、神様はどうしようもないのです。しかしサタンは、この世界が皆サタン世界なので、人間も皆サタンのものだから、いつでも、この国、あの国へと移っていくことができるのです。この国の個人から、あの国の個人に移ることができるのです。そうでしょう。もし、神様の愛する家庭が出たならば、サタンが襲ってきて、四方八方へ飛び回って、妨害作戦をすることができるのです。

 しかし神様は、そのようにすることができません。ですから神様は、今まで不利な立場で作戦を立ててきました。イスラエルの国とユダヤ教をつくるのにも、四〇〇〇年かかりました。四〇〇〇年のみではなく、人類歴史を考えれば、八〇万年にもなるのです。

 一つの国を立てるために、そのような歴史的な受難の道を経てきたのです。そこで過ちを犯す度に、必ず蕩減してきたのです。一度過ちを犯せば、三人が因縁を結ばなければなりません。一度過ちを犯す日は、三回も引っ繰り返さなければ逃れることができないのです。

 サタンはいつも両面作戦をすることができるのですが、神様は一面作戦しかできないというのです。その一面作戦も、人が真心を込めてお祈りして、初めて神様が直接に接することができるのです。

 神様は一面作戦しかできない状態なのです。なぜかというと、神様がお祈りしてあげれば、サタンが打つからです。神様はお祈りもできないのです。


共産主義の脅威を受けている自由世界

 子供が犯した罪を、その親が蕩減することができるでしょうか? 親が刑務所に入ることができるでしょうか。そのような法律はないのです。罪を犯した人が、その罪を蕩減しなければなりません。神の前に、アダム・エバが「神様、過ちを犯しました。許してください」と言わなければ、神様が手を下すことはできないのです。ですから神様はどんなに不利な作戦をしてきたことでしょうか。

 このような世界的基盤を立てるまでは、どんなに神様が多くの犠牲の代価を払ったかということを、皆さんは知らなければなりません。

 今や、世界的に共産党の脅威を受けていない国はありません。私たちの韓国もそうです。北韓の共産党が、いつも攻めてこようと考えているのです。アメリカも同じです。今回、私はアメリカの上院議員、下院議員などいろんな人々と会ってきましたが、彼らのほとんどが、共産党の脅威を感じているのです。

 「あなた方は、今アメリカの富を前に立てて、共産党を防ぐことができますか」と質問したら、「自信がありません」と言うのです。すべてがそうなのです。イギリスに行っても、同じことです。今、新教・旧教の戦いが広がっていますが、その背後は共産党が操っているのです。ドイツに行っても同じだったのです。いかなる国も、共産主義の脅威を感じていない国はないのです。そのような時が来たということです。皆さん、分かりますか?病気にしても、極に達して初めて、死ぬか生きるかということが分かるのです。

 蕩減復帰ということは、そのままではできないのです。ある村で祭りを行うといって、人々が真心を込めて準備をするとします。するとその反対に、「祭りを見にいこう。何か貰いに行こう」と言う人たちが集まって来るのです。祭りを行うと、何か貰うものがないかと思って、乞食たちが集まって来るというのです。霊的な乞食たちも集まって来るのです。

 それでもし、互いに喧嘩でもすれば、その祭壇は乞食たちの祭壇になってしまいます。そこで一つになれば、根っ子でも残るのですが、不平不満を言うと、すべて失われてしまうのです。キリスト教が今、そのような状況なのです。祭物を捧げる群れと同じ立場にいる全世界のキリスト教徒たちが、乞食の群れになって押し寄せてくる、このような状況において、共産党と手を組もうとしているのです。

 昨日まで、僕に「この者め」と言った主人が、きょうは僕になったのです。今までは主人の役割をしていたけれども、今はすべて共産党と手を組んで、「共産党のどこが悪いか」と言うのです。これが今のキリスト教なのです。これでもいいですか、いけないですか? いけないのです。

 あなた方は、共産党に反対しながら死にますか? 反共も、勝共も、捨てて死にますか? 「私は勝共、反共を知りません」と言いながら死にますか? 勝共・反共をやりながら死ぬのです。それで当たり前です。

 統一教会の人は、代弁をする時には同じ代弁をしなければなりません。体が苦痛であればやめればいいのです。途中でやめる人は、今やめたほうがいいのです。最後まで行った群れだけが、アルパでありオメガなのです。分かりますか? 原理は右の目であり、勝共は左の目なのです。皆さんは片目になるのですか。

 このような状況で、世界的にキリスト教を一つにし、宗教を一つにし、思想を一つにしてきた群れがいるでしょうか? 神様もどんなにつまらないでしょうか。呆れてものも言えないくらいなのです。それは、目も閉じ、鼻も塞ぎ、息もできないくらいなのです。皆一度やってみなさい。鼻を塞ぎ、耳を塞ぎ、何分くらい耐えることができるでしょうか。

 そのような神様の目を開き、神様が鼻で息ができるようにしてあげ、神様が口でものが言えるようにできるそういう群れが、この地上にいるでしょうか。いますか、いませんか?(います)。それは誰ですか?(統一の勇士です)。立派ですね。

 それで、皆さんは共産党を防ぐことができますか? 皆さんは、直ちに処分されるのです。何の議論もしないで、直ちに処分されてしまうのです。もし、北が南を攻めてきた日には、統一教会の人々は皆殺されてしまうのです。白頭山の谷間に逃げても、穴の中にいても、匂いを嗅いで探して来るのです。皆、首が地に落ちてしまうことはもちろん、骨一つも残らないのです。

 今我々は、そのような状況に置かれているのです。なのに、自分の息子娘のことを考える暇がありますか? 自分の夫のことを考えることができますか? 逃げる時は、一人で必至に逃げなければなりません。「あなた、私と一緒に行きましょう」と言う夫がいるならば、その夫は愚か者です。自分の息子娘たちを見て、「お前たち、早く逃げなさい」と言わなければなりません。

 そうすれば、皆殺されずに、一人は残れるということです。もし共産党が攻めてきた時には、よく逃げなければなりません。どこに逃げるかということですが、どこに逃げますか? 逃げる場所を調べておきましたか。行くところも分からずに逃げれば、どんなに逃げても、自動的に網に掛かってしまうのです。どこに逃げますか?どういう方向に向かって逃げますか。

 真心を込めるとしても、それだけでは駄目なのです。神様が導いてくださる道に従って行かなければなりません。


神様が導かれる道

 それで先生は今回日本に行って、機動隊をつくっておきました。ある人に、「君は、このようなことを準備しなければならない」と言ったのです。もし韓国で三十八度線が崩される日は、何千名が太平洋を渡って、サンフランシスコに行っても歓迎されるし、台湾に行っても歓迎されるし、ドイツのハンブルグに行っても歓迎されるし、イギリスのロンドンに行っても歓迎されるようにつくっておかなければなりません。

 そのようなことを考えなければなりません。作戦が不利になる時には、後退が必要なのです。だからといって、韓国を捨てるということではありません。どこへ行っても、韓国を紐で結んでおいて、その紐で引っ張るとおりに行かなければなりません。そして、必要な時は、その紐を引っ張ると韓国が付いてきて、紐を緩めると現状に戻るようにしておかなければなりません。ですから責任を持つ時には、世界的に素晴らしい責任を持たなければなりません。

 戦う時も素晴らしく戦い、死ぬ時も、素晴らしく死ななければなりません。今そのような時が訪れたのです。自分の夫や子供のことを考える時ではありません。夫や子供を信じても、もし国がなければ、いっぺんに塞がれてしまうのです。今、皆さんに国がありますか? 今まで皆さんは、どのくらい軽蔑されてきたことでしようか。軽蔑されましたか、されませんでしたか? この大韓民国も腐っています。世界の指導者たちを見ても、神のみ旨のために働いている人は一人もいません。

 このような内容を訴えて帰ってきたのが、今回先生の第三次巡回路程です。世界がこのような時に、キリスト教徒たちが一つになれなければ、滅んでしまうのです。アメリカも一つになれなければ、滅んでいくのです。見ていなさい。一九七七年、一九七八年を見ていなさい。レバレンド・ムーンの言ったことが、正しいか否か、見ていなさい。現在のアメリカ国内には、そのような現象が芽生えているばかりでなく、そのような基盤のもとに、攻撃をすれば、誰もが皆知るようになるのです。


自ら先に打たれようとして前に立って戦わねばならない

 ですから、今や我々のやるべきことは何でしょうか? 韓国を防御するよりも、アメリカの防御が忙しくなったのです。何の話か分かりますか。今や、先生が働かなければならない時になったのです。金日成の誕生日までに、韓国がいかに越えていくかということを、先生は問題にするのです。我々は金日成の誕生日まで、金日成を防ぐために祈ってきましたが、これからは大韓民国のために祈らなければなりません。この国が神様の選んだ国にならなければなりません。

 そのような国になれば、金日成、毛沢東は神様に一晩で呼ばれていくこともできます。しかし、なぜ呼ばれていかないかといえば、アダムの権威を立てて、天使に対して「この者!」と言った時、天使が恐れて「はい」と言えるようにしておかなければらないからです。ですから、それを待っているのです。そうなれば、私たちが手を打つ必要がありません。我々統一教会が早く、目前の人民軍よりも何倍も強くなって、三十八度線上に立つ日には、金日成が何千名いても問題にならないのです。

 これからそのようになるのです。復帰原則において、もちろん男性たちも共に戦うけれども、人民部隊の責任者は女性なのです。女性がサタンの誘惑を受けたために、最後には女性によって勝ったという立場に立たなければなりません。何の話か分かりますか。もし、人民軍と戦って南が勝って、降伏を受けるとすれば、その降伏は男性ではなく、女性が受けるようになっています。女性も、若い二十代の女性を前に立てて、確認書を貰ってこなければならないのです。

 今日、我々統一教会の女性たちが最後の戦線を担わなければならないのです。この世界の多くの国々の中で、立派な国は過ぎ去り、立派な教会は過ぎ去り、立派な教会の責任者たちは皆、過ぎ去り、足りない者たちが集まって、この世界に責任を持とうとしているのです。

 皆さんがよくやっていけば、良いことになるのです。もし我々がこれに耐えて成し遂げる日には、世界は我々によって左右されるのです。冬空を飛んでいく雁の群れを見ると、最初は互いに先頭に立って飛ぼうとするのですが、最後には強い者が先頭に立ち、「世界は私たちの行列を見習え」とばかりに飛んでいくのです。それと同じです。今は、お互いに自分が一番であると大騒ぎしてるのです。そのような時が訪れたので、だんだん複雑になっていくのです。

 イエス様は真理の王子でした。そうでしょう。ですから、イエス様が言われた言葉は世界的に成し遂げられなければなりません。「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」という言葉は、個人に関して言った言葉ではなく、団体であれば団体、国であれば国に関して言った言葉なのです。国を懸けて、世界のために死のうとする国は生き、その国のために世界を犠牲にしようとする国は滅んでいくのです。

 アメリカが、世界のために死のうとする国として、先頭に立って責任を果たせば滅ばないが、世界を無視して自分の国のために生きようとすれば滅ぶのです。これが原理原則なのです。復帰の恨みの道を行くために、その最後の終着点を皆さんははっきりと知らなければなりません。

 それでは、我々統一教会において、統一教会の国がありますか、ありませんか?(ありません)。統一教会はあるんですね。では、この教団自体が死のうとした時はどうなるでしょうか? 生きようとした時は死ぬのです。また、キリスト教がもし死のうとした場合、生きようとした場合には、どうなるでしょうか? 終わりの日には、それを比べるのです。国のために教団を犠牲にしようとすれば、その教団は国と共に生きるけれども、国を逃れていく教団は、国と共に滅んでいくのです。これは歴史的な鉄則です。ですから今日我々は、このことを標準にして現われ出た群れであることを、堂々と語らなければなりません。


世界のために自己犠牲をする道が我々の道

 今日、統一教団はどのようにするべきでしょうか。生きようとする立場に立たずに、死のうとする立場に立ち、悪と対決して防波堤になろうとする立場に立ち、歴史的な恨みを晴らすために親孝行する決心を持った立場に立たなければなりません。矢が向かってくれば自分が先に打たれ、倒れる時にも自分が先に倒れようとする立場で犠牲になり、親孝行の標的を先にもらおう、中心の標的を先にもらおうという覚悟の上で、現れたのが統一教会の群れであることを皆さんは知らなければなりません。これがきょうのみ言のテーマです。

 ところで教会が滅ぶかもしれない時に、自分の息子娘、夫のことを考える余裕はありません。私の生活が心配になって、ああだこうだと言うことはできません。おばさんたちは、三年期間が終わったらどうしますか、家に帰りますか? 家に帰りなさい。我々統一教会が死ぬほど大変なのに、家に帰って何をしますか? 楽しく住むことができるでしょうか? できないのです。いつもそのままなのです。

 家に帰って、無価値であるということが分かったら、また出て来なければなりません。これは、先生の言葉ではありません。三年動員が終われば、家に帰りたかったら帰りなさい。今は韓半島を中心として、その中心に向かって走らなければならない時なのです。今までは、準備の時でした。訓練の時だったのです。その訓練を受けた人たちが実戦部隊で落第したければ、帰りなさい。勝手に帰りたかったら帰りなさい。一九七二年末には、勝手に帰ることができたのですが、今訓練を受けた精兵たちが宙を逆に駆けて歩けば、非難民の扱いをされるのです。分かりますか。ここにいる女性たち、動員期間が終わったら帰りたい人は帰りなさい。私は知りません。実戦部隊において、皆さんたちが後退する時に、一〇〇名でも、一〇名でも募集しておかなければならないのです。

 国家の世話になっておきながら、素手で逃げてきた人を神様は許すことができません。先生が来られたならば何か良いことを聞かせてくださると思っていた人は、きょうのみ言を聞いて、もう首が地に落ちてしまったと思う人がいるかも知れません。それでも仕方ないのです。我々が滅ばないために、それでも成さなければなりません。国が滅ぶようになっても、世界が滅ばないためには、我々統一教会の一〇〇〇名ぐらいが犠牲になってもいいでしょう。爆弾でもって、一度に死んだとしても世界を救うことができるならば、いくらでも死ぬこともできるでしょう。女性たち、そうですか、そうではありませんか?(そうです)。

 そのように考えていますか? ああ、愛する息子娘たちが懐かしいということですか。死ぬ時に、息子娘の名前を呼びますか?「あなただけは死なないでください」と。そのように、死んだら天国には行けないのです。なぜでしょうか? イエス様の右側の強盗を見てください。今まで、どんな生活をしてきたとしても、その時には、「夫よ、私の前から退け」と言わなければなりません。その時には、夫が統一教会の怨讐なのです。自分が愛する息子娘が怨讐になるのです。イエス様は亡くなられる時、「エルサレムの息子たちよ、私のために泣かないで、あなたたちのために泣きなさい」と言ったのですね。ほんとうによく言ったものです。すべてを清算して、今や死の道の中で、光を発しなければならない中心として、永遠の主人となる最後の道に向かって堅実に走っていくイエス様の十字架の歩みであったということを知らなければなりません。

 イエス様のみ言は真理のみ言なので、個人的に死のうとすれば個人的に救われ、家庭的に死のうとすれば家庭的に救われ、氏族的に死のうとすれば氏族的に救われ、民族的に死のうとすれば民族的に救われ、国家的に死のうとすれば国家的に救われるのです。また世界的に死のうとする国家が現れる時は、世界的に救われるのです。

 ですから、これから全世界の宗教人たちが一つになって、一つの世界に向かって死のうとする群れになれば、統一の歴史はこの地球村に訪れるというのです。これが真理のみ言を通した結論です。

 結局、家庭も個人を植えたものであり、国家も個人を植えて繁殖したものであり、世界も個人を植えてより多く繁殖したものなので、個人が生きる真理も、家庭を代表したものであり、世界を代表したものなのです。

 今はそれが危機の時代に来ているのです。行けば行くほど高い山なのです。山また山なのです。しかし、世界の山になるためにはまだ遠いのです。私たちは今、富士山くらいに来ていますが、これからエベレストの山、ヒマラヤの山脈に向かって出発するのです。どうせ山に登るのならば、その山の頂上に標的を立てなければ、大声で叫ぶことができないのです。そうしたいですか、そうしたくないのですか?(そうしたいです)。


解放直後におけるキリスト教の責任

 それでは皆さん、キリスト教がどうして風に揺れるような立場に立たなければならないのでしょうか。第二次大戦直後に共産党はありませんでした。あったとしても、それはないも同然のものだったのです。まだ共産党が世界的な活動部隊を備えることができない時だったので、あってもないようなものでした。その時に統一教会は出発したのです。

 復帰の原則によって、カイン・アベルを中心として見ると、当時韓国にはアベル的な既成教会はあったのですが、カインがありませんでした。神様はなぜ、我々を日本の前に四十年間、圧迫を受けるようにしたのでしょうか。これは神様の愛であるということを、我々は知らなければなりません。アベルの前に必ずカインがあるのですが、その時、アベルのキリスト教の前にはカインがなかったのです。カインの国がなかったのです。解放地区に国がなかったので、その時に指導的役割をしたのがキリスト教なのです。

 それで、来られる再臨主を中心として、キリスト教がアベルの立場ではなく、カインの立場に立たなければならなかったのです。そうなれば、それですべてが終わるのです。その一点で、歴史的なあらゆることを蕩減できたのです。結局、キリスト教が先生の行く道と統一教会の行く道に反対して、ねじってしまったのです。そのためにこの国がどうなったかというと、カイン・アベルが別々に生まれてくるようになったのです。何の話か分かりますね。このことをはっきりと知らなければなりません。それを知ってこそ、世の中がどのように回っていくかということが分かるのです。先生が何をしているかということが分かるのです。

 その時、キリスト教はカインを持っていませんでした。キリスト教は国家のために、犠牲の祭壇に立って先頭に立ち日本の帝国主義に対して戦っていました。このキリスト教が怨讐の国であるカインに対して戦う時はアベルだったのですが、解放直後にカインがなくなってしまったのです。そこでもしキリスト教が先生と一つになっていたならば、神様はキリスト教内に、カイン・アベル型をつくったのです。霊的な集団を中心とした基盤を広げて準備してきたのです。そうして解放直後に私たち統一教会が、国の主権を中心として活動するようになっていたのです。もし、李承晩博士と一つになったならば、すべてがうまくいったのです。李博士は、西洋の水を飲んだ人であり、キリスト教の思想によってすべてが回っていく人なのです。先生がその李博士一人を説得すれば、カイン・アベルの復帰は国家的基準からいっぺんに回っていったのです。また、キリスト教を動かすことのできる原理的な基盤さえ立てておけば、いくらでもできたのです。

 しかし、その時、李博士は自分が天になってしまったのです。博士の主権はキリスト教の主権だというのです。さらに当時は、仏教の勢いが強かったのです。ここでまた、一つのカイン・アベルが生まれたのです。このように複雑になっていったのです。そうなってしまったために、私たちの受難の道がだんだんと拡大されていったのです。

 結局、我々統一教会が追い出されてしまうことによって、神様がイスラエル民族の前にイエス様を送った時に、イスラエルの国とユダヤ教が一つとなってイエス様の前に立つカインの立場にあったにもかかわらず、一つになることができずに、悲惨な歴史を迎えたことと同じようになってしまったのです。

 そのようなイスラエル民族がその後どうなったかというと、世界に離散していく民族となったのです。そうですね。彼らは国のない主権のない民となり、世界のどこへ行っても、イエス様に反対した運命を乗り越えるまでは罰を受けるようになったのです。それゆえ、キリスト教よりも悲惨な血を流してきたイスラエル民族であるということを知らなければなりません。

 そのような歴史的な事実は、皆さんもよく知っているとおりです。キリスト教よりも多くの血を流してきたのです。そうせざるを得なかったのです。


縦的、横的関係の切れる現象

 今や、その国が二〇〇〇年後の今日、再びこの地上によみがえるということは、春を迎えて、春の日が再び訪れるということを予告するものです。二〇〇〇年の歴史を経て、それが蕩減になって、新しい主権国家の復帰を神様が付与してくださったのです。ですから今日統一教会に反対した世界のキリスト教徒たちは、かつてのイスラエル民族のように散らばっていくのです。まるで私たち統一教会の人々が、家を離れて真理を求めた時と同じく、彼らは滅びざるを得ない世の中に、ご飯をもらいに出ていくのです。

 我々が行ったとおりに彼らもその道を行くのです。我々はどんなに悲惨な道でも神様に侍って行きましたが、彼らは神様を失って出ていくのです。それが滅びの道なのです。これが今日の歴史的な傾向なのです。

 今やサタンに支配され、サタンの前に完全に料理されているのが共産世界のキリスト教文化圏なのです。共産世界のどこにキリスト教の思想が残っていますか、どこにイスラエル民族の思想が残っていますか、どこにその民族性が残っていますか? すべてが失われてしまった立場なのです。

 エリアがバアルの神の前に屈することなく、七〇〇〇人を残したのと同じく、そのような群れを通して新しく収拾する運動がキリスト教の前に、世界的に起こってくるのです。そうなると、イスラエル民族のように悲惨な運命にぶつかるのがキリスト教の指導者たちなのです。キリスト教は今に秋風の中の落ち葉のように落ちていくのです。希望の基準がすべて失われていくのです。若い人たちがすべて落ちていくのです。権力を持った人たちがすべて落ちていくのです。そして年寄りだけが残るのです。基になるものだけが残るのです。

 神様は、青年世代、壮年世代、老年世代の中で、最後の基になる者だけを残すのです。彼らさえ残ればよいというのです。涙を流しながら真心込めてきた老人たちをキリスト教に残して、迫害の中から新しい伝統を受け継ぐ群れにするのです。

 このような新しい運動が起こる日には、新しい春が訪れるようになるのです。では、サタンの迫害はどこにいくのでしょうか? サタンが、年寄りに対して迫害する時がくるのです。ですから、キリスト教の年寄りが問題になってきます。そのような時代に入るのです。

 イスラエル民族がイエス様を裏切ったことによって二〇〇〇年が延長されて、今日ようやく世界的な時を迎えたのです。まるで春を迎えたように、今日完成時代において、二〇〇〇年を二十年で蕩減できる期間が一九六〇年から一九八〇年なのです。この二十年の間に、全世界で大騒ぎが起きるのです。国がどこにあり、氏族がどこにあり、家庭がどこにあり、お父さん、お母さんがどこにおり、兄弟がどこにおり、先生がどこにいるかということです。

 すべてが個人主義化して、共産主義の思想が入ってきたのです。国も信じられず、世界も信じることができないのです。そうなった時、これではいけないということを人間たちが知って、新しい主義の世界に越えていくために、人間の前に共産主義という思想が現れて、それに群らがっていくのです。そのような現象が今の流れであるということを知らなければなりません。

 神様の前にキリスト教はどのような計画になっているかというと、キリスト教は天使長圏であるために終わりの日には一人になるしかないのです。団体でもって立つことはできません。家庭を持って息子娘を連れて立つことのできないのが、天使長の立場なのです。

 今アメリカでどんなことが起こっているかというと、男性同士で結婚して住んでいる人々が多いのです。女性は必要ないと言うのです。そのような運動が起こっているのです。これからアメリカの女性たちは大変です。嫁に行きたくても行くことができません。男性たちが、女性はすべていらないと言うからです。これは、世紀末的な現象なのです。ですから女性たちは男性たちに従うなというのです。来られる主に従えというのです。終わりの日にはそのようなことが起こるのです。


復帰の時代においての女性の使命

 エバが何をしたかというと、エバは堕落した後、二人の夫に侍りました。不倫なる夫と本来の夫、二人の夫に侍ったのです。そして一番目の夫も気に入らず、二番目の夫も気に入らず、三番目の夫が気に入ったというのです。それゆえ理想的な三番目の夫を探そうとして、女性たちが浮気をしているのです。女性たちは三番目の夫を探さなければなりません。その三番目の夫を探すための運動が、今までの復帰歴史だったのです。

 一番目の夫アダムが滅びることによって、二番目の夫イエス様も滅びるようになりました。今は希望を持って来られる三番目の夫を探す歴史的な運勢に立っているために、男性よりも女性たちが浮気をすることが多いのです。世の中はそのようになっているのです。

 なぜ女性たちがそうなるのかというと、霊的な立場で父と因縁を結ばなければならないのがエバの立場だからです。しかし、父と因縁を結ぶことができず誰と因縁を結んだのかというと、僕と関係を結んだのです。そのために、人類は今日これを離れて父との因縁を結ばなければならないのです。それで先生に対して父と言うのです。

 少女が成長して、女性としての内容を備えるようになれば、心情的に変化が現れてくるのです。先生に対しても、時には父のように、時には夫のように考えるのです。原理がそうなっているからです。

 女性は、そのようなことを感じたことがありますか。それでは、今夜はそのような話をしてみましょう。男性たちは聞きながら十分ぐらい休んでも構いません。終わりには男性ではなく、女性が問題になるのです。

 世界のすべての興亡は常に女性によって起こっているのです。そうでしょう。何かが滅びる時には、そこに女性がいるのです。今の世も、みんな女性によって亡んでいくのです。どの国でも女性が賭け事をするのです。女性が餌なのです。皆さん、気持ち良いですか? どんな歴史であれ、悲惨な歴史には必ず女性がそこに介入しているのです。

 統一教会もやはり同じなのです。統一教会の餌は何かといえば、女性なのです。今までサタンが女性を餌にしてきたので統一教会の文先生も皆さんを餌にしています。気持ちが悪いですか、良いですか?(いいです)。

 皆さん、釣をする時の餌のことを知っているでしょう。餌は釣針についていくのです。嫌だといっても釣針のひもについて、餌はひもの動くとおりに動くのです。それと同じです。女性は気持ちが悪くてもしかたありません。そのようにしなければ復帰することができないのです。

 皆さん、「エバ」とは、復帰のことを知って帰れということです。「アダム」とは、神の子ができたということなのです。それで、それを越えなければなりません。頭が壊れ、足が折れても越えなければなりません。そのように考えれば疲れないのです。男性は男性の行く道が神の子であるということを考えていたならば堕落もしなかったでしょう。

 エバは堕落することによって、完全な神様の娘にはなれませんでした。娘になろうとしたのですが、崩れてしまったのです。ですから、神様の愛する完全なる妻になることもできませんでした。神様に認められた完全な妻になりましたか?(なりませんでした)。

 その次に、母になるはずだったのですが、すべて落第だったのです。これは一日、一代で起きたことなのです。それで、蕩減復帰するのに誰が必要かというと、神様の愛を受けた私たちが必要なのです。み旨を成すには女性がいなければなりません。しかたがありません。醜くてもみんな許してあげなければなりません。

 それでは、「私は間違いなく神様の息子になりました」と言える人は手を挙げてみなさい。先生は一つ聞いてみたいことがあります。皆さんは息子になりましたか、娘になりましたか、なろうとしましたか?(なろうとしています)。

 この復帰歴史は、なろうとすることで六〇〇〇年かかったのです。ですから皆さんは何代かかるのでしょうか。神様でさえも何千年もかかったのですから、皆さんはどのくらいかかるのでしょうか? 十人の中で、十代で復帰すればよいでしょう。しかしエバは、エバ一代ですべて成し遂げて越えなければならないのです。ですから幼い息子として、成熟するまで神様の愛をたっぷり受けることができなくてはなりません。

「お前は間違いなく、私の息子の中の息子だ。間違いなく、私の息子だ」というように、愛されなければなりません。その愛の量があふれて越えるのがいつかというと、成熟期なのです。分かりますか? お父さん、お母さんを必要とすれば、僕なのです。僕の心情の成熟を受け継いで横的に出発しなければなりません。これが天のみ旨の道なのです。

 父母の愛を受けた息子は、いつまでも父母と共に住んではいけないのです。これを徹底して教えてあげなければなりません。女性は男性を求めるようになり、男性は女性を求めて行くようになっているのです。女性たち、そうですか、そうではありませんか?(そうです)。

 男性たちはどうですか、聞いていましたか、聞いていませんでしたか?(はい、聞いていました)。


成熟すれば父母の下を離れなければならない

 それで、神様の愛を受けて成熟すれば、心がそわそわするのです。女性たち、そわそわしますか? 先生は女性ではないので分かりません。

 成熟すると、胸が大きくなり、腰が大きくなって、そわそわする心が生まれてくるのです。これは何の話かというと、因縁を結ばなければならないということです。その時期には、すべてが興奮の対象となるのです。おもしろくないものは何もないのです。何の話か分かりますか。何もかもおもしろいのです。すべてが理由なしにおもしろいのです。また、木の葉が落ちて風に飛んでいくのを見ても心が暗くなるというのです。少女時代はそうなるのです。多方面に、平面的に広がっていく時なのです。

 あらゆることを、自分と関係させなければならない時なのです。なぜならば、愛は全世界を支配するのが原則なので、愛の感情が訪れる時には、すべて自分と関係を結びたいと思うのです。愛の素性がそのようになっているので、これは不可避なことなのです。

 その時は、鳥が歌えば、自分でも知らずに一緒にふんふんと鼻歌を歌い出すのです。春の歌を何回歌っても一人では面白くないのですが、そばに茫々とした髪の毛の青年がいれば、何となく気持ちがいいのです。

 私はよく知らないけれども、そうだということです。女性たち、そうですか、そうではありませんか? 人であればそうならなければならないのです。そうならなければ女性ではないのです。そうでしょう。ですから女性は二十歳にもなると、お嫁に行きたいと思うのです。お父さんお母さんと離れるのは寂しいけれども、気持ちは悪くないのです。そうですね。私が見ても、そのように見えるのです。

 私の妹が十三歳の時、私はよく冗談を言いました。「お前の夫になる人は目がこうで、鼻がこういう人だったらどうか」と言うと、「嫌だよ」と言ったものです。そして、十八歳になるころに、おばが来て、「仲人をするので嫁に行きますか」と言ったら、「どんな人か一度会ってみたい」と言ったのです。そこでお父さんとお母さんが、「あした、お見合いの相手が来るので、準備しなさい」と言ったら、妹はその日、朝早く起きて髪の毛をきれいにして、化粧したのです。そればかりでなく、洋服も着替えて、家の内外をすべて一人で掃除をしたのです。それはなぜでしょうか? お嫁に行きたいからなのですね。私はそれを見て、間違いなくそうだと思いました。

 私はお嫁に行ったことがないので、皆さんに聞いてみます。そうですか、そうではありませんか?(そうです)。ですから、二十代になり春の日になると、そわそわする風が吹いてくるのですね。

 マラソン大会に出場して一等になった人を見て、「私が一番になるべきなのに、なぜ彼が一番になったのか」と思うのです。男性たちはみんなそのような考え方をするのです。何にしてもよいことはすべてやってみたいのです。その時期には、詩の書けない人はいないのです。歌を歌えない人はいないのです。春になれば、鳥でも歌うのに、感情豊かな人間が歌わないはずはないのです。

 愛は万宇宙を支配するようになっているので、あらゆるものと関係を結ぼうとするのは愛が芽生えてくるからです。それで、そのような現象が起きるのです。


世界的な女性の前にアダムとして来られる主

 同様に、人間が成熟するようになれば、父母の下を離れなければなりません。女性は夫に従わなければならないということです。そうでしょう。皆さんは成熟しましたか、しませんでしたか? みんな成熟しましたね。この前も「祝福してください」と言ったでしょう。人間は成熟すると、新郎新婦になって夫婦としての因縁を結び、その次は神様の愛を受けて、息子娘を生んで、初めて神様の創造原理に即した父母の立場に立つことができるのです。そうでしょう。神様の喜ぶことのできる人間、神様の愛を濃く受けることのできる人にならなければなりません。

 今まで愛してきたことは、すべて落第なのです。息子としても落第であり、妻としても落第であり、母としても落第なのです。では、これを何代にまで引っ張らなければならないでしょうか。いっぺんに落第したのを引っ張り上げなければなりません。そして、誰と関係を結ぶかというと、神様、アダム、エバがトップの立場でもって再び会わせなければならないのです。

 それで再臨の主は、世界的な女性の前にアダムとして来られるのです。この世界にどんなに多くの人がいたとしても、みんな世界的な男性の結実体であり、世界的な女性の結実体なのです。これを復帰基台において総合してみると、世界の人類は一人の男性と女性の結実体という結論が出るのです。

 そして、その男性はどういう男性かというと、本然の堕落しなかったアダムではないというのです。このことを、男性たちははっきりと知らなければなりません。本来の堕落しなかったアダムの後孫としての血統を受け継いだ男性ではないのです。天使長の血統を受け継いだ不法な男性として登場したというのです。気持ちが悪いですか? そのようになっているので、気持ちが悪くても仕方ないのです。復帰時代において、男性も、女性もそのままであっては復帰できません。復帰原則がそのようになっていないからです。

 人間が堕落した反対の経路を通って、復帰していかなければならないのです。それゆえ、男性は堕落前の天使長の形に、女性も堕落前のエバに逆転して入らなければなりません。男性は天使長型であり、女性はエバ型なのです。彼らの結実として、このような実を結んだのですが、今は世界的に実を結ばなければならない時なのです。種を蒔けば、蒔いたとおりに実を結ぶようになっているのです。アダムとエバも同じです。堕落したアダム・エバと同じような人間として再び実を結ぶのです。このように見た時、男性はアダムの立場であり、ヨセフと同じ立場であり、女性はエバの立場であり、マリヤと同じ立場なのです。

 そこで問題になるのはメシヤなのです。メシヤとは何かというと、堕落しなかった完成したアダムとして来られる方です。そこで全世界の女性たちが、エバが三代にわたって失敗したことを復帰しなければ男性たちを復帰する道はないのです。分かりますか。

 もちろん男性たちも息子になれなかったし、夫にもなれませんでした。しかし、女性たちが復帰されなければ、男性たちの復帰される道がないということです。先に女性が問題になったために、女性はこの三代の問題を抱えて、心情的に引っくり返して復帰しなければなりません。これが問題なのです。

 それで統一教会に入ると、何が起こるかといえば、先生に対して、みんな「お父さん」と呼ぶのですね。そうですか、そうではありませんか?(そうです)。本当にそうですか? そうでなければ、「お父さん」と呼べる男性を探さなければなりません。本当にそうですか! お父さんと永遠に一緒に住みたいですか、住みたくないですか?(住みたいです)。このような考えがなければ、みんな整理して家に帰りなさい。


エデンで失われた神様の娘の心情を復帰

 最後の日には、最後の宗教を中心とした一つの大王が現れなければなりません。その大王が誰かというと、メシヤなのです。そうでなければ原理原則に合いません。皆さんは父母であるメシヤと出会って、心から、世の中の因縁をすべて切って、いっぺんに越えなければなりません。天使長との因縁を通してもたらされた娘の感情、妻の感情、母の感情をすべて捨て去る革命的な心情の道を立てなければならないのです。そうでなければ生きる道、行く道を探すことができないのです。

 統一教会に入ってくると、それが可能なのです。それは、先生の祝福を受けたからです。先生は世の中で一番悪い人として名前が通っていました。しかし、霊界に行ってみると、先生が若い時に出会った様々な人たちが多くいたのです。私があるアパートに住んでいた時に戸を開けて入ってきて、私をつかんで「救ってください」と言った女性がいました。先生は、そのような女性たちを利用して、男性として成功しようとする考えは持っていません。先生は神様が信じることのできる立場をパスした人なのです。何があっても倒れることのない習性を持っているので、神様は先生を呼んで、使わざるを得ないのです。

 純粋なる女性たちを立てて、あらゆる面においても心情的に堂々と責任を持つことのできる男として公認できる何かを持っているのです。どんな美人が先生に言い寄ってきても、先生を誘惑することはできません。

 このようなことを見ても、統一教会の人たちの最高の関心は先生なのですね。先生に対して関心がありますか、ありませんか? ある人は手を挙げてみてください。恥ずかしがることはありません。恥ずかしがれば復帰ができないのです。先生に会えば先生に対して「お父さん」と呼びたくなるでしょう。先生がそれを教えてあげたのですか? 先生は何も言わなくても、皆さんが先生に対して「お父さん」と呼びたがるのですね。原理がそのようになっているためです。そうでなければ偽り者です。ですからそのようにならない人は整理して帰りなさいということです。帰れば、霊界の善なる先祖たちが、「この者め、おまえはなぜ静かにしているのか」と言いながら、夜寝る時に首を締るのです。ですから、どんなに目が痛くても、先生が恋しくて、恋しくて、先生を思うと、いっぺんに走ってくるのです。不思議なことです。ですから皆さんが霊的な体験をすると、先生を探して来ざるを得なくなるのです。動物でも、その内容が分かれば、メスはオスを探して、死の境地も越えて行かざるを得なくなるのです。

 先生が分かるようになれば、自分の父、夫、息子、娘が嫌になるのです。それは霊的に清い人ほど、自分の先祖の功績が多いほど早く感じるのです。統一教会の先生のみ言を聞いて、自分でも知らないうちにそのようになるのです。一番の関心事が先生になるのです。息子娘のような心で先生が恋しくなり、先生に会いたいと思うのです。

 それは心だけではなく、心霊的な面においてもそうなるのです。科学的なのです。先生はこのようなことを偽りで言うのではありません。ですから統一教会の人たちは、父母兄弟がおり、夫がいても、自分の家に先に帰るのではなく、必ず教会に寄ってから帰るのです。市場に行って物を買っても、家に帰る時には必ず教会に寄って帰るのです。このようなことが起こるのです。心が先に立つのではなく、体が先に立つようになるのです。

 そのような立場で、堕落しなかった本来の基準を、心と体が戦う立場を通りすぎる体験をするのです。皆さんはそのような体験をしたことがありますか? そのような体験をしてみましたか。自分の家と言う時に、それは自分の妻、自分の夫、自分を生んでくれた父母の家を言うのではありません。先生が懐かしいという心情になって、心情一体にならなければなりません。

 先生と心情一体になって、エデンの園において失われた神の息子の心情を復帰しなければなりません。どこまでもそのような心を持っていくようになれば、先生が現れるのです。先生を忘れることのできない、先生が頼りであり、自分を救ってくれる者となるのです。そのような境地に入らなければなりません。

 先生を懐かしいという心がどのくらい強くなるのかといえば、昔自分を愛してくれた人が来て、歌を歌ってくれても嫌な気持ちになるほどにです。それほど心情が一つに集中されるのです。そういうことがいっぺんに起こるのです。愛を失った存在ですから、愛で結ばれなければなりません。そうですね。娘になることができなくて堕落したので、堕落しなかった娘になるためには、再び天地に実を結ばなければならないのです。

 ほとんどの皆さんは、夢の中で先生と会ったことがあると思います。先生と会おうと思えば、いつでも夢の中でも会えるのです。そのように、皆さんは先生と度々会わなければなりません。霊的にも先生の指導を受けなければ、それは零点です。先生と会いたいという心があれば、先生と会えて、公式的に指導を受けられるようになっています。本来、公式的に先生と会えるようになっているのです。

 全世界に広がっている統一教会の人々がこのようにして先生の指導を受けているということは、世の中の組織にはないことです。過去、イエス様と会おうとすれば、七年、二十年と真心込めてお祈りをしなければ会えなかったことです。たとえイエス様に会ったとしても、十字架上で血を流しているイエス様の姿だったのです。どんなに悲惨なことだったでしょうか。その姿しか見ることができませんでした。理想世界のエデンの園で踊ったり歌ったり、花畑で遊んでいるようなイエス様の姿は絶対見ることができなかったのです。

 皆さんはそのように精誠を込めたことがありますか、精誠を込めていますか? 精誠とは、どんな精誠でしょうか、お祈りさえしていればよいのでしょうか? 自分自身のために食べて、自分勝手に生きるために歩き回っているのでしょう。


霊的心情復帰の現象

 だんだん心情が高くなって、息子として成熟すれば、その次は、心情的因縁を中心として相対を定めなければならないのですが、世の中には相対がいないのです。ですからしかたなく、先生を中心として霊的に探していかなければなりません。エバが霊的にサタンと関係を結んで堕落したために、霊的に心情復帰の内容を経ていくのです。

 それで先生は、皆さんを連れて歩き回りながら見物させるのです。ある時は花の指輪をはめてあげ、ある時は結婚式場で、結婚式の様子を見せてあげるのです。これは、個人的な考えを持ってはいけないのです。エバが妻の基準を失ったので、心情的に復活させるためなのです。そのような心情的な基盤が整っていなければ、霊的な心情基準を通して天使長を復帰することができないからです。エバが天使長と堕落した後で、アダムを誘惑して堕落させたからです。二人の男性と堕落したからです。これと同じく、皆さんもそのような形を経なければ復帰することができないのです。それで皆さんも祝福を受けて、初めて復帰された立場に入るのです。

 男性が前に立つようになってはいません。女性が前に立つようになっているのです。男性たちは何の話か分かりますか?(はい)。先生は皆さんに対してどのようにしなければならないかというと、心情的に接ぎ木をしなければなりません。女性たちが堕落したために接ぎ木してあげなければならないのです。良い息子になるために、良い妻になるために、接ぎ木してあげなければならないのです。

 今回、日本に行ってみると、日本の食口の九十九パーセントが、夢の中で先生と会ったということでした。それは韓国よりも優れているということです。彼らは単純であるけれどもみ旨に対して深刻な立場、先生に対して深刻な立場に立っているということが分かります。

 夫は、自分の妻に対して「先生に対して、そのような考えを持つな」と言ってはいけないのです。夫たちは寂しいけれども、しかたがないのです。夫たちが手紙を送ったり、電話をしたりして、「帰って来い」と言っても、統一教会の女性はその言葉を聞いてはいけないのです。結局心情的に接ぎ木できないものを、接ぎ木してあげなければなりません。ですから、先生は神様の前においてアダムのように愛されて、完成された男性の資格を持って来なければならないのです。

 先生がそのような原則的な基準に立っているために、今堕落圏内にいる人であってもそのような天の心が分かるのです。本性の行くべき道を知ることができるのです。自動的に先生についていくようになっています。先生は、幹となり枝となる人たちを一回見ると分かるようになっています。先生を無視すると大変なことが起こるのです。皆さんはサタン的な心情的因縁を通してサタンの子女になったので、先生との心情的な因縁を通して神様の子女にならなければなりません。

 皆さんは復帰の歴史においてエバのような立場です。しかし、同じ立場であっても皆さんは許されることができるのです。歴史を通したカイン・アベルがいるために、皆さんは救われることができるのです。もしカイン・アベルがいなかったならば、絶対救われることはできません。カイン・アベルのない男性たちは結婚することができません。これから、世の中の男性たちはみんな男やもめになるようになっているのです。

 今までの宗教では、男性に対して生殖器の不完全な男になれということなのです。そのことを、パウロはどんなに強調したことでしょうか。

 神様はカイン・アベルの復帰歴史を綴ってきたのです。ですからカイン・アベルとして絶対的に一つにならなければなりません。絶対服従の因縁を持たなければ、祝福家庭に入ることができないのです。そして、世界的なアベルは誰かというと、来られる主なのです。先に世界的に良くなる国は、カイン国なのです。そのようなカイン世界の前にアベルとして生まれた方がつまり、メシヤであり、そのメシヤを中心として天使長を復帰しなければならないのです。

 天使長がアダムを屈伏させて打ってきたことを、反対に復帰しなければなりません。メシヤは堕落しなかったアダムの因縁を持って来られる方です。本来人間が堕落しなかったならば、神の前に理想的な祝福を受ける理想相対理念を持つことができたのです。ですから、神様の前に帰ってくる立場に立てば、祝福を受けることができるのです。受けることができますか、できませんか?(できます)。

 しかし、そのままではできません。カイン・アベルを復帰しなければなりません。カイン・アベルを復帰して、神様、アダム、天使長の順序になるのです。これが原理なのです。そのアダムの身代わりとして来られた方がメシヤであるから、メシヤの前には絶対服従しなければなりません。どれほど服従すべきかというと、自分の財産、息子娘すべてを捧げなければなりません。堕落によって天使長が、万物と息子とその家庭をすべて奪っていったことを全部復帰しなければなりません。

 ですからサタンが、「嫌だ」と言っても一緒に、三回ずつ、追っかけて、はいつくばってでも、すべてをもらってこなければならないのです。そのような男性になれば、彼は完全に復帰したカインの立場であり、堕落しなかったカイン的な長生期完成級のアダムよりも上の立場に立つために、祝福を受けることができるのです。これが統一教会の結婚なのです。アベル・カインとして絶対服従の因縁を持つことができない人は、祝福家庭に入ることができません。それで今回先生の命令に従わない家庭は切ってしまうのです。これが原則なのです。分かりますか?(はい)。

 今までそのような立場に立った男がいないのです。女性たちも、何かの病気であればしかたがないけれども、今回の動員に応じなければ、先生と何の関係もないのです。女性が動員に応じない家庭は関係ないのです。このような原理原則を皆さんは知らなければなりません。

 李牧師、分かりますか?(はい)。この原理から逃れることはできないのです。「私は原理講義の責任者であるので、知りません」。これが事件の始まりです。これは、恐ろしいことなのです。今重要な話をしているのです。これを知らなければなりません。教えてあげる時に、はっきり受け止めておくことです。

 今までは何をしても良かったのですが、これからは原理どおりに生活しなければなりません。そのようにしなければ許されないのです。どんなに弁解しても、先生もしかたがないのです。先生も勝手にすることはできません。原理どおりに生きなければならないのです。カイン・アベルを復帰しなければなりません。個人復帰、家庭復帰、国家復帰、世界復帰と、このように大きくなっていくのです。これを天からみると、個人、家庭、国家、世界の四つなのですが、段階的に見ると三段階なのです。

 今までの歴史は、個人から出発して家庭基準まで探して来るのであり、その基盤の上にメシヤが来られるのです。完全に個人から家庭を、勝利的に治めることができる外的な基盤を拡大させてこられる方がメシヤなのです。家庭的な基盤を立てて、その基盤を横的に、国家に、連結させるのがメシヤの使命なのです。そして、その国家的な基盤を、世界的に連結して、勝利するのがメシヤの使命なのです。イエス様は国家基準で世界を分けてきたのですが、再び来られるメシヤは、世界的な基準から天宙へと一段階を越えていくのです。

 ですから、霊界を早く解放しなければなりません。これが最後なのです。そうして個人、家庭、国家、世界、この四点が三段階に広がるのです。それゆえ、皆さんは、個人的にメシヤの前に絶対服従しなければなりません。個人的に絶対服従し、命をささげなければならないということです。

 誰にささげるのかというと、メシヤにささげなければなりません。アブラハムがイサクを供え物としてささげたようにささげなければなりません。皆さんはそれができますか。羊は主人のために首を切られても、どんな苦痛も我慢するのです。それが重要なのです。でなければ、皆さんは復帰されません。

 皆さんは個人的に絶対服従しましたか? メシヤが審判する基準は何かというと、個人的に絶対的服従したかということです。そして、先生によくすると同時に、息子、娘にもよくしなければならないし、自分の妻に対してもよくしなければなりません。三段階でよくしなければならないのです。これからは家庭を中心として、家庭の囲いにならなければ個人が安息できません。

 その次は、家庭的に絶対服従しなければなりません。それゆえ、皆さんは子供の教育をよくしなければなりません。祝福家庭の子女たちが首を横に振ってはいけないのです。そのようなことが起これば、これが問題になるのです。復帰歴史は、縦的な歴史を横的に復帰することになるのです。

 縦的歴史は旧約時代、新約時代、成約時代なのです。成約時代は父母の時代であり、新約時代はイエス様、つまり息子の時代であり、旧約時代は供え物、つまり万物の時代なのです。そしてこれらが横的になっているために、自分の家庭を中心として息子娘すべてがここに引っかかるのです。ですから家庭が主体の前に、必ず一つにならなければなりません。先生の家庭を中心として、皆さんの家庭が必ず一つにならなければならないということです。

 それで今回の動員も同じです。イエス様にも個人的三年路程がありました。個人的三年路程を通して、み旨を成就する立場に立つためです。それは、縦的、横的に「家庭はすべて絶対服従せよ」ということです。ここに負債を残せば、それを再び成すためには三倍以上の力が必要になるのです。何の話か分かりますか。家庭的に絶対服従して、その次は国家的に服従しなければなりません。国家的に一つになれなければ、世界的に行くことができません。天国にも行くことができません。

 ですから、一つになって絶対服従するという鉄則の基準を持って、これを伝統にしなければなりません。これが審判の基準になるのです。それ以上にならなければ国家基準にまでいくことができません。

 ところが、途中でやめてしまう人がいるのです。祝福を受けた家庭が責任を果たすことができなければ、これから祝福を受ける人たちに対して僕の位置を免れることができないのです。何の話か分かりますか。私はこのような恐ろしい話はしたくないのですが、そのようになるのです。

 サタンまでもが讒訴するのです。「私は長生期完成級の心情基準でサタンになったけれども、お前は完成期完成級で父母の心情の基準にまでいって、心情的に堕落したではないか」と讒訴するのです。そして世の中の乞食たちが来て命令する時も、それに絶対服従せざるを得なくなります。

 もし、そのような人たちが子供でも生んでみなさい。その子供たちは乞食の子供たちにあれこれ引っ張られながら、僕のような扱いを受けるのです。使命を果たせなければ、そのようになるのです。原理がそのようになっているのです。


三年期間の必要な理由

 これから原理が立法化されて、世界的になる時が来るのです。そのようになれば立つ場がないのです。先生が遠いところにいると考えないでください。世界は今、先生を中心に左右されるようになっているのです。

 ところで教会長たち、教会に責任を持っていながらも、世界のことを知らないので、統一教会のみ旨がいつ成されるだろうかと思っているでしょう。皆さんがいなくても、私一人でもみ旨は成されるのです。もう少したって、国家的な蕩減をする時は、人々が一度に統一教会に集まって来るのです。その時、あまりにも数が多くて蕩減復帰するのに頭が痛いのです。分かりますか。その時、皆さんは教育がよくできなければなりません。

 男性たちはカイン・アベルの問題があるために蕩減復帰をして、復帰されたアダムの立場に立たなければなりません。その立場はアダム級の立場です。カインとアベルは、原理的に養子の立場を通って、直系の子女の立場に立つようになるのです。そして初めて息子の立場を継承して、オリーブの木に接ぎ木されて、オリーブの木の実を結ぶことにより原罪のない立場に入るようになります。それによって本然の子女の立場を受け継いで、天国に入ることができるのです。

 カイン・アベルは、一つになって誰を復帰しなければならないかというと、エバを復帰するのです。順序から見て、父母の復帰ではなく、エバの復帰なのです。それはカイン・アベルが愛の種を通して、母のお腹を通して分かれたからです。

 復帰時代において、先生と皆さんはカイン・アベルを復帰した立場に立っているのですが、皆さんはカイン・アベルだけの復帰ではいけないのです。では、何をするべきかというと、エバを復帰しなければなりません。その次に、母を復帰するのです。母が再び生んでくれたという過程を経なければならないのです。それを通して、別かれなかったという血統を復帰することができるのです。

 血統はどこから始まるかというと、愛を通して母のお腹から始まるのです。父を通して、母のお腹に植えられるのです。それゆえ、母を通さなければならないのです。母を通す道を経なければ復帰ができないのです。そこで女性たちは皆、母の使命を成さなければなりません。ですから三年間絶対服従しなさいということです。先生を通して心情的に受け継いだすべてを負債のないように、喜びとして切り換えなければならないのです。

 三年期間がなぜ必要かといえば、先生を通して、先生の心情基準に接ぎ木するためなのです。三年間、自分を通してではなく、母を通して接ぎ木するようになっているのです。ですから女性たちは絶対服従する期間の三年路程を経なければなりません。そうしなければ、サタン世界で生まれた皆さんを復帰する道がないのです。そのような内的な条件、外的な条件を先生がすべて一致させたので、皆さんを祝福してあげられるのです。

 ところで、私たち統一教会の人が皆、経なければならない一つの重大な問題があります。それは神様の治める国がないということです。サタンより上に立つことのできる国がないために、神様が神様としての権威を立てて、天下を治めることができないのです。神様の国が成立する日には、サタン世界を七倍以上、十倍以上審判することができるのです。スターリンが問題ではありません。何の話か分かりますか。ですから来られる主は、歴史上における最高の栄光の価値を持って来られる方です。


成約聖徒の使命

 先生が今進めていることは、国を探すために、個人から家庭、家庭から氏族、氏族から民族を編成することです。それで、民族としての祝福をしてあげたのですが、その祝福は大韓民国にのみではよくないのです。世界のいろんな国家にも祝福してあげなければなりません。それで七次祝福までに、世界の十か国を平面的に結んでいこうとするのです。

 それでは、皆さんが蕩減復帰していくにおいての根本問題とは何でしょうか? それは旧約を完成し、新約を完成し、成約を完成することです。成約の完成は、全世界が神様の統治圏内に入っていくことです。旧約時代は万物を復帰する時代であり、新約時代は神の国の民を復帰する時代であり、成約時代は神の国の主権を復帰する時代なのです。

 世界主権のすべてを復帰しなければなりません。世界の民を復帰しなければならないのがイエス様の使命であり、世界の万民を一つの国の民として復帰しなければならないのがキリスト教の使命であり、世界を一つの主権に復帰しなければならないのが再臨主の使命なのです。旧約時代は万物を復帰するための世界的な条件を立てる時であり、新約時代は世界の万民を復帰するための基盤を世界的に整える時であり、成約時代は世界を一つの主権に統一させるための時なのです。

 主権を復帰するためには、その国土を解放し、その民と一つになって、神様の代わりに立たなければなりません。これが主権復帰なのです。国土と国民、万物と人が、神様の代わりに一なる父母を中心として、完全に一つになったその立場が天の国を代表した地上の主権であるということです。

 神様が探し求めている主権は、この世の主権ではありません。旧約時代は万物復帰時代、新約時代は子女復帰時代、成約時代は父母復帰時代なのです。家庭を見てもそうなのです。国家、世界を見ても、旧約時代は万物、地、つまり国土復帰時代に該当します。新約時代は国民復帰時代なのです。そして、成約時代は主権復帰時代に当たるのです。家庭を見ると、自分の所有物と、子女、父母があり、これを拡大したのが国家です。国家には国土、国民、主権があります。したがって、主権を持つ父母の立場は、神様の代わりであるということをはっきり知らなければなりません。イエス様が死ぬことになったのも、国家を探すことができなかったからです。

 それでは今日、統一教会が探し出すべき道は何でしょうか。その道もやはり同じなのです。何を探していくかというと、悪なる主権を打破し、善なる主権を復帰することです。これが本来の統一教会の使命です。

 皆さんは、先生が今までカイン・アベルの使命を果たしてきたということを知らなければなりません。先生は今まで皆さんに対して何をしたかといえば、カイン・アベルを復帰する使命をやってきました。個人的なカイン・アベル、家庭的なカイン・アベル、氏族的なカイン・アベル、民族的なカイン・アベル、国家的なカイン・アベルを復帰する使命をやってきました。

 復帰はカイン・アベルがなくてはならないからです。個人的なカイン・アベル、家庭的なカイン・アベル、氏族的なカイン・アベル、民族的なカイン・アベル、国家的なカイン・アベルがなければなりません。それゆえ、南北が分かれなければなりません。カイン・アベルなくしては復帰ができないのです。いっぺんにカイン・アベルを復帰したならば、一息に主権復帰が成されたのですが、それができなかったために、再び繰り返されなければなりません。

 ですから、個人から出発して、個人的な蕩減路程、つまり個人的なカインを屈伏させて勝利した路程を経なければならないし、家庭的にカインを屈伏させて勝利した路程を経なければならないし、子女的なカインを屈伏させて勝利した路程を経なければなりません。このような路程は誰かが教えてあげてできるものではありません。先生自らが成してきたのです。


神様の作戦

 このような意味において、今回の三次路程は歴史的な責任を遂行する重大な時期なのです。これは世界史にない出来事です。面白いことに、私がワシントンに行って集会を開いた時、ニクソンも中国に行って毛沢東と会っていたのです。すべてそのようにピッタリ合うようになっているのです。一方は神側に行って、一方はサタン側に行くのです。これは偶然の一致ではありません。摂理的なみ旨の中で公式的な原則によって動いているのです。このように一致できなければ、蕩減路程を越えていくことはできません。

 それゆえ統一教会は、これから天の国の堂々たる主権を探し求めて、どのような国にも、宗教にもない思想と理念を持って、全世界の宗教と国家を収拾しなければなりません。それで各国に、宣教師たちを大使として送るのです。宣教師たちを国民が歓迎し、大統領が屈伏するようになれば、その国はいっぺんに復帰することができます。個人復帰、家庭復帰、氏族復帰は必要ないのです。頂上からいっぺんに復帰されてくるのです。三つの国がそのようになれば、皆先生の言うとおりになります。一瞬に復帰できるようになります。

 今まで反対してきた者が、再びカイン・アベルの形をつくって、個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、民族復帰をしてくるのです。今先生は、キリスト教が果たすことのできなかったことを再びやっているのです。今までキリスト教が犯した過ちを蕩減しているのです。反対を受けながらも、絶えず打たれながら、奪ってくる作戦をしてきたのです。神様は六〇〇〇年間も、そのことをやってこられたのです。そのように、私たちも打たれて奪ってくるのです。サタンは打って奪われるのです。サタンは打って滅びるけれども、神様は打たれて滅びる立場から、復帰してくるのです。サタンは打って奪われる作戦、神は打たれて探してくる作戦をするのです。戦法が違うのです。

 それで統一教会は今まで打たれて迫害されながらやって来ましたが、今や国を屈伏する時が来たのです。アメリカも統一教会に反対して来ましたが、必ず屈伏する時が来るのです。日本も屈伏する日が来るのです。それゆえ、統一教会の人たちは鉄のような信念を持って、後孫たちがその先祖たちを世界の前に敬うことのできる立場に立たなければなりません。そのような立場を失っては何にもなりません。

 十年勉強しても、今、水に流されてしまってはいけないのです。それゆえ皆さんは、天下が滅びるような立場でも先生のような信念を持って、一致団結していかなければなりません。信念を持って最後まで残れば、先生が結論をつけるのです。これが先生の作戦なのです。


メシヤの使命

 大韓民国でも今は様々な迫害を受けていますが、統一教会と一つにならざるを得なくなっています。交差するようになっているのです。世界が交差するようになり、国家が交差するようになり、社会が交差するようになり、家庭が交差するようになり、個人が交差するようになっているのです。サタンの血と、サタンの主権が交差するようになるのです。そこで、サタンの血統が問題なのです。

 第一に血統の交差がなければならないし、第二に主権の交差がなければなりません。この二つが問題なのです。個人はサタンの血統になっており、国家も悪なる主権によってできています。ですからメシヤの使命も、第一に血統復帰であり、第二に善主権復帰なのです。統一教会はこのことをしようとするのです。悪主権の世界を打倒し、善主権の世界に復帰しなければならないということです。どんなに善なる血統的基準に立っているとしても、悪主権内においては何も復帰することができないのです。

 アダムとエバも、純粋な神様の息子娘になることを願っていたのですが、彼は堕落しましたか、しませんでしたか? 堕落しましたね。堕落したのは、死ぬ立場に入ったということです。今もその死ぬ立場に入っているのです。ですから我々も、どんなに復帰された神様の息子娘の立場になったとしてもサタンが悪主権を握っている限り、祝福を受けた群れたちも首を切ることができるのです。気を付けなければなりません。

 今や時が来たために、このような内容をはっきりと教えてあげるのです。今まではサタン主権内から逃れることができなかったために、このようにやってきたのです。この二つを解決して、悪主権から逃れなければなりません。そこにメシヤの使命があることを、皆さんは知らなければなりません。

 それでは統一教会で祝福を受けた人々は何かというと、血統が転換された群れであるということです。血統を転換させるのが祝福なのです。皆さんは血統転換されましたか?(はい)。しかし、まだ悪主権内にいるのです。これを復帰しなければなりません。そのためには、先生を中心として個人的に絶対従順しなければなりません。

 三天使長と同じ立場が三家庭なのです。その三家庭で、劉協会長の立派な点は何かというと、足が不自由であっても先生に絶対服従したことなのです。また金元弼も先生に絶対服従します。金栄輝はどうですか。この人々は純粋なのです。このように一つにならなければなりません。

 個人的にそのような基準に立ったならば、その次は家庭的に一つにならなければなりません。この三家庭が一つにならなければ個人的に被害を受けるようになり、家庭的に被害を受けるようになり、氏族的に被害を受けるようになります。さらに先生の家庭にまで被害が及ぶのです。それゆえ、この三家庭が重要なのです。

 このような問題を考えた時、常に血統復帰において相対的な責任を果たさなければなりません。血統的な因縁を展開させるために、心情的に一代を通して根をつくり、幹をつくらなければなりません。これが教会長たちの責任なのです。教会長たちが悪口を言われてはいけないのです。何の話か分かりますか。批判されてはいけないということです。また、批判をしてもいけないのです。カインがアベルに対して批判すれば、サタンなのです。

 復帰歴史は、個人を復帰し家庭を復帰しなければならないために、先生は一九六〇年の聖婚式の前に三弟子の約婚式をしてあげました。そして先生の聖婚式を挙げ、次に三十六家庭の祝福式をしてあげました。そのように、家庭も一つにならなければなりません。

 その次は何かというと、個人がプラスになるとしても、それより大きいものの前にはマイナスの形にならなければなりません。個人的に二つになれば、より大きなカインに対して一つにならなければなりません。それが国家であれば、その国家に対してマイナスになって、一つの世界になるのです。発展の原則がそのようになっているのです。ですから、一つの原点から大宇宙まで、このような作用によって発展していくのです。このような原則を皆さんがはっきり知っていれば、非難という言葉は成立しないのです。


存在、作用、発展の原則

 発展するためには、必ず自分より優れた立場を求めていかなければなりません。よりプラスになるところから作用するのです。マイナスになるところからは作用しないのです。皆さん、そうですか? 二人が一つになってこそ発展があるのです。二人が一つにならなければ絶対に発展はあり得ません。これが宇宙の鉄則であることをはっきり知らなければなりません。

 一つになるには、互いにプラスになることのできる価値を発見しなければなりません。マイナスになって一つになることが原則であれば、この世はなくなるのです。小さくなる原則で一つになれば、この世は逆になるのです。ですから、そのような原則はあり得ないのです。発展のためには主体と対象の関係が必要なのです。

 今日、存在が先か力が先かという時、存在の主張性は皆知っているのです。しかし存在するためには力がなければなりません。つまり存在が先か力が先かという時に、存在が先であるというのですが、力があってこそ存在があり得るのです。存在するものは見ることができますが、力は見えないのです。力は精神力の象徴なのです。

 それゆえ、唯物論者たちは「物質が根本である」と言うことができないのです。存在それ自体は力であるけれども、力は見えないのです。存在するためには力がなければなりませんが、力はそのまま出ることができないのです。絶えず作用するところから力が出るのです。つまり力があるためには作用がなければなりません。

 それでは作用を続ける力の原則とは何かというと、一人では作用することができません。必ず主体と対象がなければなりません。これが鉄則なのです。主体と対象が作用するにも、そのまま作用するのではなく、主体と対象の立場より、良いものが発見されてのみ作用が可能になるです。これが原則なのです。

 プラスとマイナス各々五つがあれば、これは合わせて、十一、十二になることのできる何かがあれば作用するのです。そのように作用すれば新しいものが創造されるのです。より大きなものがあれば作用するけれども、一つであれば、一つの作用のみでストップして、ある環境にとどまって終わってしまい、分解作用をするようになります。これが宇宙の原則なのです。ですから、主体と対象が授け受けることにおいても、それより勝れた他の何かを発見するところからのみ作用が起こるのです。そうでなければ作用しないということです。

 科学の実験において、ある元素と元素を一つにするために、薬を加えたり様々なことをしても一つにならないことがあります。一つにしようとしてもマイナスになるのです。作用するようになれば、互いにマイナスになるために絶対に作用しないのです。神様も絶対に作用させないのです。それが原則なのです。しかし、ある元素同士は思いもしないのに、作用するようになります。互いに作用し合って、必ずより大きなものに形成していくのです。よりプラスの立場になるために作用するのです。これが原則なのです。宇宙の形成の原則なのです。今日まで、我々はこのことを考えることができませんでした。

 例えば、美男美女がいたとします。彼らはすぐに仲良くなるかもしれませんが、互いにマイナスになるということを知るようになれば、一つにはなりません。しかし互いにプラスになるということが分かる時には、一つになるなと言っても、一つになるのです。命がなくなることがあっても、その命よりも大きな価値を得るから、死の道をも越えていくのです。


カイン・アベルの復帰も宇宙の生成発展の原則

 世の中のすべての万物もそうなっているのです。国家も互いに融和して繁栄すればよいのですが、マイナスになる点があれば一つにはなりません。皆さんがここに来たのは、先生を見てマイナスになるため来たのでしょうか。もし、マイナスになるならば、先生が来なさいと言っても来ないのです。一度会って、二度会って、三度会えば、どんなに来るなと言っても来るようになっているのです。これは宇宙の存在原則なのです。

 ですからカイン・アベルの復帰は、その原則に従って行うのです。創造原則がそのようになっているので、家庭を復帰するにも、主体と対象が互いにプラスになる時に一つになるのです。カイン・アベルが互いに損になれば、一つになりません。同じように皆さんも、このような真理を聞いて、個人復帰はもちろん、家庭復帰、天宙復帰ができると分かったので私に従って来るのですが、もし利益がなければ従って来るでしょうか? 来ないというのです。創造原則がそのようになっているために、皆さんは私について来るのです。

 カイン・アベルの復帰も同じです。個人を見ると、体と心が闘っていますが、この体と心が完全に一つになれば、完全なるプラスになるのです。また、男性がいれば相対的な女性がいるはずです。そして男性はその女性と一つになるようになっています。夫婦になるのです。夫婦になって子女を生むのです。その子女が夫婦の前にマイナスになってはじめて家庭が成されるのです。家庭が一つになれば、家庭の前に氏族がマイナスになって一つになるのです。そうなると新しいプラスになるのです。次に、氏族を中心として民族がマイナスになって一つになっていかなければなりません。このように拡大していくのです。これが復帰原則です。カイン・アベルの蕩減復帰の原則なのです。

 それでは、体と心が一つになるためにはどうならなければならないでしょうか。まず犠牲にならなければなりません。互いにプラスになろうとしてはいけないのです。それで、体が犠牲にならなければならないのです。自分を犠牲にすることが利益になるのです。これが神様の作戦なのです。この作戦を広げようということです。相手を殺す立場に立つのではなく、まず自らが死ぬ立場に入っていくのです。自分が死ぬまいと思って相手を殺す立場に立てば、二人とも死ぬことになります。ですから神様は、相手を殺す代わりに自ら死んであげるというのです。これが復帰の歴史なのです。

 作用がなくては、アメーバーより大きな存在が現れません。より大きな存在が出るためには、必ず作用が起きなければなりません。そこに、より大きな力が連結されなければなりません。つまり力が連結されるためには作用しなければならないし、作用するためには主体と対象の関係がなければなりません。主体と対象は、マイナスになるところには絶対に作用しないのです。プラスになるところでのみ作用するのです。それで主体と対象の関係は、必ず相対的な関係によってできているのです。

 ですから、アメーバーが発展しようとすれば、発展することのできる他の何かのマイナスか、また他のある主体と、授け与える行動作戦をしなければなりません。そうしなければ何も出てこないのです。第二の力が必要であるということです。

 その次に目的が必要です。方向性が必要なのです。ですから、進化というのは自分勝手にするのではなく、まず方向がなければなりません。方向には、終着点がなければなりません。これが目的点でもあり、その目的観がなければなりません。これが問題なのです。その次に力なのです。

 力の公式的な原則を見てみると、このような公式なのです。(先生が黒板を使用される)入力と出力が同じにはならないのです。運動すれば消耗が起こるのです。作用して出る力は常に小さくなるはずなのです。進化論者は作用して出る力がより大きいと言うのですが、そのような公式はありません。そうなると、この世の中は引っくり返されてしまうのです。そのために第二の力が必要です。

 では、第二の力はどこから補うことができるでしょうか。より大きな目的を達成するために、第二の力の介入が成立するのです。第二の力は主体と対象が一つになる立場から可能なのです。主体と対象が一つになって、より大きな力が出て来るのです。それゆえ、神様が主体と対象の発展的な相対関係を備えて、新しい目的の価値を提示した結果より大きな発展をするのです。創造原則がそのようになっているので、小さい物質から宇宙が形成されるのです。

 それは面白いことなのです。二人が対立して戦って一つになるというのです。すると女性と男性が毎日戦って、朝にはより発展するでしょうか。喧嘩をすれば互いに損害を受けて後退するようになります。世界に歴史的な戦いをして強くなった国があるでしょうか。


既成教会と一つになって国家的な復帰の基盤を備えなければならない

 それでは、統一教会が今行っていることは何かというと、血統転換なのです。まず個人的な血統転換、その次に氏族としての血統転換をするのです。今や統一教会の氏族が編成されたのです。氏族といえばヤコブの時に十二支派でした。三代までいけば氏族になるのです。同じように我々統一教会は、いま祝福家庭としては七代なのです。七代の統一氏族になったということです。先生の家庭を中心として、プラス的な相対関係を整えて統一氏族をつくったのです。

 統一氏族は、韓民族を中心として復帰しなければなりません。カイン・アベルを復帰しなければならないのです。統一氏族の前に、カイン・アベルの蕩減復帰の形が既成教会なのです。それで皆さんに、既成教会を伝道しなさいと言ったのです。既成教会の牧師たちのところに、長老たちのところに行くようにと言ったのです。既成教会を伝道しなければなりません。既成教会を中心として、命懸けで真心を込めて責任を完遂すればいっぺんに越えていくのです。ですから既成教会に対して、責任を持って伝道することを急がなければなりません。

 統一教会は今まで伝道してきたのに、なぜ伝道が進まないのでしょうか? それは、原則から離れたからです。原則に合うように伝道しなければならないのです。皆さんが伝道に行く時に、私は既成教会を伝道しなさいと言ったでしょうか、一般の人を伝道しなさいと言ったでしょうか? 既成教会の牧師を訪ねて行っても、「あの牧師は私よりも優れて、私は聖書も知らないのに」と考える必要はありません。そうであればあるほど行かなければならないのです。そうしましたか、そうしなかったですか? そのようにすれば必ず道が開かれるようになります。

 その家に行って家政婦をするとしても、自分の家のように、自分の家族のように考えなければならないのです。その家はカインが管理する家ではなく、アベルが管理する家であると考えなければなりません。それが完全に逆になっているのです。原理的ではないのです。難しいけれども、そのようにしなければなりません。そのようになれば、いっぺんに入って来るのです。分かりますか。道が開かれるようになれば、いっぺんに回っていくようになっています。この民族の死ぬか生きるかという問題が、既成教会にかかっているのです。

 統一教会と既成教会が一つになれば、プラスになるのです。プラスになって、その次には三千万民族を中心としてマイナスにならなければなりません。これはユダヤ教とイスラエル民族との関係と同じなのです。

 私たちと既成教会が一つになって、大きなプラスになってより大きな民族を中心として、マイナスになって、完全に一つにならなければなりません。そうなれば南は自動的に復帰されるのです。初めて国家的なプラスが形成されるのです。

 一つの血統を結んで、一つの子孫を中心として、結ばれた国家になれば、北は問題ではありません。人口的に見ても同じなのです。何の問題もありません。既成教会を中心として、「宗教連合」を前に立てて、一般の宗教を一つにするのです。共産党があるために、宗教が一つになるのです。このような良い条件の中にあるのです。それで週刊宗教社を通して今までそのようなことをやってきたのです。キリスト教を先頭にして、宗教の新聞をつくって、宗教の怨讐である共産党に対抗して、各宗教団体の責任者たちを集めて勝共戦線、アジアの反共戦線をつくるのです。すべての宗教や国家を越えて、アジアの宗教に対しての機動性を発揮するのです。中共も問題としない防御線をつくろうとするのが先生の計画なのです。それで『週刊宗教』をつくったのです。

 そのような基盤を外的環境において立て、内的なキリスト教を動かせば、いっぺんに反共という枠の中で連結されるようになるのです。共産党がある限り、宗教人たちは皆首になるということが分かるからです。例えば、北において天道教がすべて抹殺されたということを知っているので、北が攻めてきた日には皆殺しされるということが分かるために、防御線を張るようになっているのです。それで我々は、その背景を拡大させていく作戦を準備しているのです。救国的な国民運動を行っているのです。昼も夜も、救国的な国民運動を行なわなければなりません。共産党に勝利しなければなりません。

 私はその話を聞いてとても良い気持ちでした。統一教会の群れは、心配せずに農村に行って昼も夜も国民運動をしなさいということです。国を救わなければなりません。皆愛国者にならなければなりません。


全国的に国民運動を展開しなければならない時

 この前私はアメリカに行き、「街頭で宣伝するように」と言ったのですが、そのようにやった人は手を挙げてみなさい。今、我々は国民運動をしなければなりません。分かりますか?(はい)。

 国会議員たちは選挙の時のみ国民運動をするのですが、我々は選挙期間でなくても長期的に運動するのです。国民の前に影響を与えよう。大学の学者たちに影響を与えよう。キリスト教の牧師たちに影響を与えよう。そのような総括的な目的を持って、環境を動かして一つの目標にゴールインさせなければなりません。

 先生は今回の第三次巡回路程において、統一教会にお金がなくても、お金を使わなければなりませんでした。何の話か分かりますか。復帰の途上において、ヤコブがエサウを物質をもって屈伏させたように、今まで我々を無視した人たちが、すべて先生について来るようにしておかなければなりません。今回、そのようなことを行ったのです。このようにしてアメリカも助けてあげました。イギリスも助けてあげ、ドイツも助けてあげ、イスラエルもイランも助けてあげたのです。また中国も助けてあげました。六か国を助けてあげたのです。

 第三次時代は、そのようなことをしなければなりません。先生がボタンさえ押せば、いつでも行動できる機動隊をつくっておいたのです。アメリカの機動隊、ドイツの機動隊、イギリスの機動隊、日本の機動隊、みんな先生が指導するのです。この機動隊を中心として、三年以内にアメリカも一〇〇〇名以上を伝道し、一年以内に日本も二〇〇〇名を伝道するのです。

 今回、私がアメリカに行って、アメリカの上院議員たちをテストしてみました。そして、「あなたたち、反共思想を持たずに親共思想を持っていればアメリカは滅びる。そのようなことをやってはいけない」、と言ったのです。

 ミスター・ムーンがアメリカに行ったので、アメリカの上院議員が二つに分けられました。社会的にも分けられてしまったのです。これから問題が起こるのです。


活動基盤が整えられたアメリカの統一教会

 このようにして、先生の噂が広がっているのです。『ニューヨーク・タイムズ』紙にも、十万ドルの懸賞広告を載せました。それで、「上院議員たちがミスター・ムーンに一度会いたいと言うけれども、時間がないから会ってあげることができない」と答えたのです。それでも会ってみようとするのです。そのようにして、今こそ神の権威を立てて、最高のキリスト教文化圏であるアメリカの頂上を押えておかなければなりません。これは、誰も知らなかったことです。先生と、サタンと霊界だけが知っていたのです。

 面白いことには、霊通人たちが「先生、今回巡回に行けば何かが起こるでしょう」と言うのです。私は「何のこと、何もないんだよ」と言って、何も話してあげませんでした。先生に対してただ手を挙げて民衆が大騒ぎして歓迎し、霊人たちが先生について回ったり、どんなにしてもそのようにはなれないだろうと思ったのです。しかしそのことのために、先生は前もって準備してきたのです。準備して働いてきたので、皆知るようになるのです。これは、教会長にも分からなかったのです。教会長と相談してやることではないからです。

 先生が公的な立場でアメリカの食口に、このようなことを行うと話をすれば、皆目を回して、「もう一銭もお金がなくなって、どうしたらいいだろう」という様子だったのです。そして、「私たちが動かなければ先生もしかたがないだろう」と考えていたのです。私が一回話し、二回話し、三回話しても動かなかったのです。そのようになっていたのです。今までの観念でそのようになっていたのです。それで先生は、直ちにニューヨークのリンカーン・センターに行って契約を結んできました。その時になって、初めて皆目を光らせて大騒ぎになったのです。

 また宣教師の中でも反対する者がいたのです。それで先生は、アメリカに行く時に一大決心をしました。「皆去ってしまっても、五人でも残れば、彼らを中心としてやっていこう」と決心しました。今回、彼らは本当に苦労したと思います。しかし皆頭を振りながら、「アメリカでは、先生のいう通りにやっては通じない」と言うのです。通じなければなお私のやり方通りにやるべしというのが先生なのです。それで、先生は最も善良な金サンチョルを打ったのです。先生に打たれながらも我慢しているその姿がとてもアメリカの食口たちの前に見本になったのです。それでその人を先頭に立てたのです。そうすると、すべての食口が付いてきたのです。

 そのように、先生の願う基準にピッタリと合うようにしておいたのです。内外を一つに貫いておいたのです。気持ち良いですか、悪いですか?(良いです)。世界歴史上において、そのようなことをした東洋人はいません。

 アメリカを復帰しなければなりません。アメリカが復帰されれば、ヨーロッパは自動的に復帰されるのです。それで先生はアメリカで夜も昼もなく話してきたのです。「原理を中心として、復帰摂理がこうであるから、世界情勢がこうなるのだ」と結論づけて、それで「私たちは、このようにして行かねばならないが、行くか行かないか」と言ったら、「行きます」と答えたのです。ですから皆行かざるを得ないのです。間違いなくそのようになっているのです。

 そのように教育してきたのです。その人たちを教育するには、修練だけではできません。ニューヨークからアメリカ全地域に連れて回りながら、雨が降っても、雪が降っても、街頭に立たせるのです。

 私がアメリカにおいての基盤を立てたので、若者たちが集まってきたのです。その若者たちを指導するには、一つの秘訣があるのです。それは、早く引っ張りながら行うことです。宣教師であれ誰であれ、今までのような方法ではいけないのです。アメリカに風を引き起こして、大韓民国をすべて整理しなければならないのです。ですから、機動隊を連れて回りながら、そのようにしたのです。そのようにすれば、何百名も自由に集まって来るのです。

「先生が他の国へ来て、このように通訳を立ててやっているのに、君たちは自分の国の言葉を使いながらそれができないのか」と言って、彼らを激励したのです。そのようにして、完全にアメリカで基盤を立てたのです。


火がついた機動隊活動

 さらに、「今は伝統を立てなさい」と言ったのです。アメリカでそのような機動隊をつくって活動を始めたので、イギリスにまで、その噂が広がるようになりました。それで毎日のように電話がきたのです。「今先生は何をしていらっしゃいますか。いつ来られるのですか」と。けれども私は返事をしません。それで、先生がいつ来られるのかと度々聞いてくるのです。「今先生は何をしているか、アメリカはどのようになっているか」、ヨーロッパ全体に先生の噂がひろまって、アメリカと同じようになったのです。

「先生がヨーロッパに来られると間違いなく、アメリカで行ったとおりになされるだろう」と準備しておいたので、先生はイギリスに行って機動隊をつくりました。イギリスも、お金がないのです。ですから、私がセンターをつくってあげました。それからドイツに行って、九人乗りのマイクロバスを六台買ってあげました。さらに、八人乗りの移動式キャラバンを六台買ってあげました。

 今やすべてに火が付いたのです。「ドイツ人はアメリカ人に負けるな」と言うようになったのです。第二次世界大戦の時に負けたことを蕩減しなければならないのです。「イギリス人はアメリカ人に負けるな」と、イギリスは独立戦争でアメリカに負けたので、アメリカ人と競争させたのです。

 また、日本に行って、「ドイツ、アメリカに負けるのか」と言ったら、「負けない」と答えたのです。アリのように背は小さいけれども、蜂のように大きな人たちに負けないようにと、今名古屋で六〇〇名の機動隊員が修練を受けています。それで、六〇〇名を二十人乗りのマイクロバスで二十八台編成したのです。

 先生は生きている間に、世界的に伝統を立てておかなければならないので忙しいのです。それで、毎月先生に報告するようになっているのです。このようにして、世界的に私たちの機動隊が出発しました。これから毎年、人数が増えると思います。アメリカは三年以内に二〇〇〇名でもって、一五〇台のマイクロバスを買うつもりです。バス一台が二〇メートルだとすると、長さ三キロメートルの行列になります。ニューヨークの街でバスをストップさせれば、宣伝にもなるのです。

 ニューヨークの街にこのように車を並べておいて、車に装置したマイクを出して、宣伝するのです。考えただけでも気持ちがよく肩が上がるような感じがしますね。そうですか、そうではありませんか? 男性たちはそうだとしても、女性たちはどうでしょうか。女性たちも同じなのです。

 来年はアメリカに四〇〇人が行くのです。先生の言ったことを成し遂げることができなければ、大変なことが起こるのです。伝統を立てて、今世紀においてそれを遵守できないとすれば、大きな問題になるのです。アメリカができなければ、それ以上のチームをヨーロッパにつくらなければなりません。来年一年間にイギリス、ドイツ、ヨーロッパの各国から八〇〇名をアメリカに送る約束をしたのです。

 機動隊をつくって熱心にラッパを吹くのです。これから、子供たちの舞踊団もそこに入るのです。先生はすでに世界的な基盤を整えたので、これからはだんだんと大きくなっていくのです。この十月には、私はまたアメリカに行かなければなりません。「世界科学者大会」を行うためです。世界経済人協会をつくらなければなりません。


第三次世界巡回期間中に成したこと

 今まで新しい理想世界、経済世界を夢見てきた経済学者を先生は十五分間の話でノックダウンさせました。これからの世界経済全般の問題点を話してあげたのです。その経済学者が、「あなたは経済学をどのくらい勉強したのですか」と聞いてきたのですが、私は経済学を勉強したことはありません。彼らにおいて一番難しいことは何かというと、人権問題と思想の問題をどのように扱うかということなのです。国と国が争いながら、主導権を握ろうとして、互いに利益を奪い合えば権力闘争になるのです。それゆえ、自分の国を中心とした思想的立場をいかに超越するかということが問題なのです。

 それには、新しい思想がなければなりません。それで先生は、その人たちに「準備をしなければなりません」と言ってきました。三月には「世界経済人大会」を行うつもりです。その時は、私が基調演説をしなければなりません。このように、先生は世界的なことをやっているのです。ですから、韓国にだけ住むことはできません。韓国を離れて、私は世界各国を行ったり来りしなければならないのです。しかし、韓国からビザをもらうことは、一年、十二か月かかっても難しいのです。ですからしかたなくアメリカに定住して、しばらく韓国には行ったり来たりするのです。

 私は巡回に出発する時、「これからは、世界的な活動基盤を立てて帰って来る」と公的な席で話しました。きょう、そのごとく基盤を立てて帰って来たのです。先生は韓国に対してすべての使命を果たしました。日本に対しても責任を果たしました。中国に対してもすべての責任を果たしたのです。

 今回、久保木会長を通して、蒋介石が五月上旬に私と会いたいと申し込んできました。「今は会わない」と私は答えました。私はすべてに責任を果たしたのです。蒋介石は久保木会長の言うことだけで十分なのです。しかし、私は五月に会ってあげることを約束しました。先生の大韓民国に対する責任は、これから幾人かの韓国政府の人々と会ってあげることです。それで、先生の韓国に対する責任は果たしたということです。皆さんが先生の言うとおりにやってくれれば、韓国は滅びることがないのです。北がどんなに攻めてきても、南を呑み込むことはできないのです。

 一九七五年から第三次七年路程が出発するために、三年前から基盤を立てなければなりません。その基盤を整えることができなければ、世界的な第三次七年路程で勝利圏を収めることができないのです。ですから、一九七二年からの三年間で準備することを定めたのです。三年間で峠を越えなければなりません。先生は今年中に、第三次路程を通して、大韓民国を世界と連結する責任を果たさなければならないのです。今まで大韓民国で整えた基盤を中心として、アメリカや世界の重要な国家に相対的基盤を整えて、帰って来なければならないのです。これが、第三次世界巡回路程なのです。

 ですから今や、各国で機動隊の風が吹いているのです。来年の十月になれば、ヨーロッパ全域に機動隊がつくられるのです。日本にも機動隊がつくられるのです。韓国には機動隊が必要ですか、どうですか? 他の国がみんな整えた後に、見に行くだけで十分でしょう。


来られる主が成すべき使命

 先生が韓国にいるので、韓国は威張っているけれども、先生が韓国にいなかったらどうなるでしょうか。取るに足りない存在になるのです。女性たちはそう思いますか?(はい)。男性たちはどうですか?(そうなります)。

 これほどに先生を苦労させてきたならば、今や先生を解放してあげなければなりません。今まで先生がやったことは何でしょうか? 本然の先生の使命を果たすことができなかったということを、皆さんは知らなければなりません。先生は本然の使命を果たしたのではなく、息子の使命を再蕩減してきたのです。イエス様ができなかったこと、ユダヤ教ができなかったこと、キリスト教ができなかったことをすべて蕩減してきたのです。ですから完成時代には、旧約時代に失敗したことを蕩減し、新約時代に失敗したことを蕩減しなければなりません。

 第三次アダムとして来られる主が勝利したアダムとして現れるためには、第一次アダムの実体蕩減復帰、第二次アダムの実体蕩減復帰をしなければなりません。世界的に蕩減復帰しなければならないのです。

 それでは、第一次アダムの失敗は何でしょうか? 心と体が分かれたことです。つまり、心と体が分かれて、天と地が分かれたことです。そのような人間始祖がこの地上に現れたので、そのような子孫が生まれたので、終わりの日を迎えるまでは、新しい春が訪れないということです。アダムが堕落してそのような人間となったので、皆さんもそのような人間になったのです。個人として分かれなければならないし、家庭として分かれなければならないし、氏族として分かれなければならないし、民族として分かれ、世界的に分かれなければなりません。今がそのような時なのです。

 その次に、第二次アダムの失敗ですが、第二次アダムは何をしたのでしょうか? 第二次アダムであるイエス様が何をしたかといえば、個人的に思想を残そうとしたのです。宗教理想を残そうとしたのです。あらゆるものを個人的に蕩減して、新しい宗教理念を中心とした思想を残そうとしたのです。世界的な思想を残すために来られた方がイエス様なのです。また、イエス様は国家を形成するために出発したのではなく、世界的な思想を残すためにイエス様が来られたのです。このような立場から見た時、イエス様もアダムが堕落することによって体と心が分かれたことを、世界的に収めなければならないのです。

 さらにイエス様が死ぬことによって蒔かれたことを、世界的に収めなければならないのです。イエス様が死ぬ時、十字架を中心として右の強盗と、左の強盗と、バラバがおりました。今は、それが世界的に現れる時なのです。右の強盗は右翼であり、左の強盗は左翼なのです。ここにおいて右翼と左翼が始まったのです。左の強盗はイエス様を否定しました。イエス様と神様をすべて否定したのです。人類の二番目の子女であるイエス様を中心として、そのような現象が起こったのです。そのことを世界的に収める時が終わりの日なのです。

 それゆえ今日、世界的に二つの群れに分かれる現象が起こるのです。右翼はキリスト教文化圏であり、左翼は共産世界であり、バラバが回教文化圏なのです。この回教は、宗教の本質から外れているのです。一方の手にはコーラン、一方の手には剣を持っています。これは攻撃的、サタン的なことなのです。ですから回教は内的なサタンであり、共産世界は外的なサタンなのです。この二つが一つになる時が終わりの日なのです。これらが一つになって、攻撃してくるのです。

 右の強盗は、「私たちは死んで当たり前の人間である」と言ったのですが、左の強盗は、「神様はいない。イエス様はなぜ神様の息子であるか」と言ったのです。それと同じ結果をキリスト教は成立させなければなりません。神様は、民主世界の代表国家でありキリスト教の代表国家であるアメリカを祝福して、共産党を越えるためにあらゆるものを与えられました。それゆえ、アメリカは共産世界のすべてを退けることができたにもかかわらず、それをしなかったのです。右の強盗とイエス様を証することができなければ、楽園に行くことができません。同様に、これからアメリカは共産世界を退けることができなければ、天国に入ることができず、その門は塞がれてしまうのです。
 民主世界は今そのような立場に立っているのです。今の時代は、死んだイエス時代ではなく復活されたイエス様の再臨時代なのです。キリスト教文化圏を中心として新しい再臨の思想が現れなければならない時代なのです。復活したイエス様とキリスト教が一つになって、内的外的に一つになって、共産党と戦わなければならないのです。これをキリスト教が成せなかったために、その戦いが残されているのです。


 先生が一九六五年に、アイゼンハワー・アメリカ大統領と会った時に、話した内容もこのことなのです。「共産党は我々の恩讐です。宗教を中心にして共産党を打ち破るために、援助してください」と言ったのです。その時、宗教を一つにできたならば、世界的な宗派の責任者を結んでおいたならば、「共産党は宗教の恩讐である」と宣伝しながら基盤を立てたならば、神様の行く道は復帰時代において、苦労の道ではなかったのですが、これを成すことができなかったのです。その時、もし共産世界と戦って勝利するようになれば、共産世界は必ずバラバ圏と手を組んで、自由世界を攻撃するだろうと話したのです。今、正に、そのようになりました。


世界的な使命遂行の先頭に立つべき韓国

 このような観点からみて、私たちが成すべきことは統一教会を中心としたキリスト教の結成運動です。これが先生の第三次世界巡回路程以降の使命なのです。先生がアメリカで活動するようになれば、韓国は心配ありません。

 今は間接的な戦法なのです。このような作戦をする時代に入ってきているのです。ヤコブはエサウに対して懐柔作戦を取ったでしょう。霊的に天使長を屈伏させましたね。それでエサウはヤコブを打たなかったのです。これが今日、結実段階に入っているのです。今、共産世界とアラブ圏が手を組んでいます。ですから、今日のキリスト教と統一教会の使命がどんなに大きいことでしょうか。このようなことは、先生でなくてはできないので、先生が先頭に立って、世界のかじを取るのです。それで、新しい活動のために機動隊をつくって、総進軍するのです。

 キリスト教は、自分たちのみがよく食べてよく生きながら、「我々は統一教会に負けてはならない」と言いながら、私たちのために刺激は受けても、私たちについて来ることはできないのです。刺激を与えて、私たちに従って来るようにして、私たちが若者たちをみんな吸収する作戦をしなければなりません。そのために新しく出発したのが機動隊作戦なのです。アメリカもそのようになり、イギリスもそのようになり、ドイツもそのようになり、日本もそのようになっているのですが、主体国である韓国は、それを見て回るようになっているのです。

 先生の願いは、復帰歴史において、日本、イギリス、ドイツ、アメリカの四つの国を一つにすることです。この四つの国を一つにし、その中に韓国が入れば、世界は私たちの手中に入ってくるのです。そして、その中心になるのがアダム国家です。アダム国家はどこかというと、恨みの多い韓国なのです。

 先生は五十歳になるまで、皆さんと共に青春時代を過ごしてきました。アメリカにおける世界的な基盤はすでに整えました。アメリカに行って、たった一年間でこのように基盤をつくってきたのですから、今や世界的な男になっているのです。なのになぜ、一番遅れている韓国の人と共に、このようなことをしなければならないのでしょうか。考えてください。

 その間、二十一日の断食など、あれこれ報告を受けたのですが、報告することは良いことです。しかし、戦って勝利したにもかかわらず、戦わなかったよりも良くないという場合、そのような戦いにどんな意味があるでしょうか。何の話か分かりますか。

 三年間、伝道生活をしながら戦ってきたのですが、その結果、むしろ神様が食べさせてあげなければ生きることのできない立場になったということです。皆さん、そのような立場になったでしょう。すべてを明らかにしてみましょう。十年の歳月の中で戦ってきたのですが、戦わなかったことよりも良くないという時には、戦いの実績があっても、「ああ、お前は不合格だ」と言うのです。世界の人々をすべて食べさせることができるくらいの戦いを成したならば死にませんが、そうでなければ、その戦いはやらなかったのと同じです。

 皆さんは、先生が「三年伝道をしなさい」と言ったのですが、「私は家族を捨て伝道したので、先生が何かをしてくれたらいいのに…」と首を上げ、あごを上げるようなものです。それと同じです。それでは五か月間何をしたのですか。どのくらい実績を上げましたか。何人を伝道しましたか。ここに参加する教会長たち、何をしましたか? 話して見なさい。

 みんなやりますとは言ったけれど、この実績は何ですか! このような実績がありますか? 何で首をたれているのですか。人間は率直でなければなりません。先生に首をたれることは許されないのです。首を真っすぐに立てて、先生を見て、「誤ちを犯しましたと」言いながら、涙を流しながら、許しを得なければなりません。なぜ首をたれているのですか。三年の間何をしましたか。答えてみなさい。三年の間伝道しましたね?(はい)。(修練をしました)。修練も同じです。修練は何のためにしたのですか。


信仰の主体国としての責任を果たすべき韓国

 皆さんは、これから急激に衝撃的なことが訪れることを恐れなければなりません。世の中は冷たいのです。なぜ先生を見て喜んでばかりいるのですか。もし、先生がどこかに飛んで行ったらどうしますか。今や先生の年齢からみてもそうなのです。先生が満六十歳になる時、第三次七年路程が終わるのです。

 この期間に歴史的な引っくり返しがあるのです。二〇〇〇年のイスラエル歴史は、今日の統一教会の二十年の路程なのです。先生一代を中心として蕩減復帰する時代なのです。たとえ死んでも蕩減復帰しなければならないことを、生きて蕩減復帰するという歴史的な運命を経ていくのです。最後に一人で残るような立場に立っても、その峠を越えればそこから勝利を収めることができるのです。我々はその道を今行っているのです。今や世界的にすべてがそのようになっているのです。外国の食口たちが韓国へ来てみんなを評価するのです。

 先生が久保木会長に、「韓国に行って何を感じたのか」と聞いてみると、彼は素晴らしくよく評価していたのです。それで、彼は本当に責任者になる人物だなと思ったのです。久保木会長が言ったことは、「三十六家庭のアダム家庭である、一番目の家庭はこうであり、二番目の家庭はこうであり、三番目の家庭はこうでありました。七十二家庭のこの人はこうであり、その家庭はこうであり、七七七家庭はこうであります」と、みんな結論を出したのです。

 皆さんは居眠りをしていますが、世界の人たちは、もうすでに評価しているのです。ですから、「私は韓国から来た」と威張ってはなりません。先生は民族主義者ではありません。再臨主は天の国の心情を中心とするものです。私は日本に対しても話しましたが、天の心情は国家を越えるのです。

 ですから、聖人たちは皆世界主義者なのです。イエス様も世界主義者であり、釈迦も世界主義者であり、孔子も世界主義者でした。そうでなければ、世界万民を抱くことができないのです。天は世界的です。国家を越えたところから出発するのが、天の心情の基台なのです。悪主権を勝利した善主権から天の心情が、地上の人情と合わさって基盤になるのです。

 皆さんは先生についてきましたが、国家的勝利基盤の上に立って天の心情の因縁を求めて来たのかという問題を考えた時、備えができていないということです。天の心情に従っていく者は天の心情に残り、人情に従う者は人情で終わるのです。今はそのような時なのです。このような話を聞くとちょっと寂しいですか、寂しくありませんか? 本当は寂しいでしょう。はっきりと「寂しくありません」と言えなければなりません。神様は世界を復帰することにおいて、足りない子女を犠牲にできないのです。足りない者がアベルになることはありません。

 世界的この時代において、韓国はアダム国家として世界的なアベルであるために、アダム国家の権威を持った皆さんが、世界の国家群の前に立たなければならないのです。結論は既に出ているのです。他の国家よりも優れなければならないのです。

 皆さんは主体国の国民として優れていなければなりません。ですから、皆さんはこれからお金のことを問題にしてはなりません。草や木の根を掘って食べながらでも、果たさなければなりません。この戦いは最後の峠でありどうしても恥じることがあってはいけないのです。冬に薄いジャンパーを着てでも戦い、彼らの前に負債を負ってはなりません。ですから、今回先生は世界の人々の前に、みんな負債を負わせてきました。分りますか。今回先生は、すべてを世界の人々にあげてきたのです。皆さんも人に何かしてあげられる基盤を立てなければなりません。主体国の皆さんが、負債を負ってはいけないのです。負債を負いますか、負いませんか?(負いません)。

 すべての態勢を改善しなければなりません。統一教会の責任者たちは態勢を改善しなければ、民族の恨みを免れることができません。祝福家庭も同じです。もし祝福家庭がそのようになったとしても、先生は責任を負いません。私は、原則的な面から責任を果たせなかったとは夢にも考えていません。韓国が責任を果たすことができなければ、日本と交代させることもできるのです。


反省しなければならない韓国

 アメリカは、新しい法律をつくることができます。各州ごとに法律をつくることができるのです。それは良いことだと思います。その法律がアメリカ全地域に広がっていくと、それを連邦政府が見習うようになっているのです。それで、アメリカに投入しようとしているのです。韓国でできなかったことの恨みを、アメリカで晴らそうとしているのです。

 その時は、先生の子供たちみんなを連れて行くのです。そして私の信じることのできる人、私の手足になる人、間違いない人たち七十人を連れていく考えです。そうなると、韓国も同じ立場でついて来ることができるのです。でなければ、世界主義者だと言えないのです。

 皆さんは先生が韓国を離れる時、先生の代わりに韓国の責任を持たなければなりません。皆さんが韓国の責任を持たなければならないのです。韓国が滅んでも世界が救われるならば、韓国は復帰できるのです。韓国のみを守っていて世界が滅びるようになれば、その時はすべてが滅びるのです。それゆえ、より大きな世界的な聖戦に向かって出発しなければならない時代的な使命が、この先生にあるのです。大韓民国 が滅んではならないので、最小限でも復帰できる基盤を立てておかなければなりません。私が大韓民国に生まれたので、そのような基盤を韓国に残しておかなければなりません。

 再び帰った時に、権威を立てることのできる基盤を残しておかなければならないのです。それゆえ、今まで大韓民国のために血と汗を流してきたのです。もし、アジア作戦が不利になれば後退作戦をするのです。それは単なる後退ではなく、より高次限的な前進作戦なのです。国家を中心として戦ったので、民族のレベルに落ちてはいけないのです。しかし、世界に向かって戦う責任を持とうとする時は、神様は「やあ、時が訪れた」と言いながら、いくらでも参加することができるのです。

 外国の人々の尊敬を失ってはなりません。それはなぜかというと、皆さんが願えば機動隊をつくりますが、皆さんが今のようなままであれば私は相対しないというのです。これは、皆さんが決意しなければなりません。私がやってあげることではありません。願うならばやってあげますが、願わなければやめてもいいのです。皆さんやりますか、やりませんか?(やります)。

 男たちは何人を伝道しますか?(一〇〇〇名です)。ここにいる人たちはみんなで何名ですか、教会長と言われる人たちは何名ですか?(一七〇名です)。班長を除けば何名ですか?(一七三名です)。一七三名が、一人当り七名伝道しなければなりません。一人が七名ずつ伝道すれば、三×七=二十一、七×七=四十九、一×七=七、七名ずつ伝道すれば少し残りますね。各教会長は七名ずつ集める自信がありますか? 自信のある人は手を挙げてみなさい。どのくらいいるか見てみましょう。一人もいないということですか? この者たち! そのような計画のために皆さんを動員したのです。いっぺんに、世界的な権威を立てることのできる面子を立てておこうと動員したのです。

 今まで皆さんが責任を果たせなかったので、再びそれを果たさなければならないのです。私は金元弼に、「今まで同情してあげる先生だったが、これからは、厳しい先生になる」と言ったのです。同情すれば、二人共滅びるのです。一人でも滅びないためには、厳しくせざるを得ないのです。切る時は切らなければならないということです。冷たくすべき時には冷たくしなければ、二人共滅びるのです。

 今回私が日本に行ったのは、み言を語るためではありません。「世界的運勢を日本に吹き入れてあげる」と言ったので、何か良いことでもあるかなと思って集まってきたのですが、先生はその場で機動隊をつくりました。それをつくらなければ大変なことが起こるのです。それで私は、「四倍化運動をしなさい」と言ったので、四か月の間に二・六倍に増えました。み言を聞けばみんなそのようになるのです。みんな恐ろしいけれども親わしいというのです。やることがさわやかだというのです。ですから、外国の食口に負けないという覚悟で臨みなさい。

 それで韓国にいる皆さんは、先生が「伝道しなさい」と言ったのに、伝道しましたか? 伝道した食口がいますか、いませんか? 女性たち、伝道しましたか、しませんでしたか? 返事をしてください。実績が必要なのです。報告を聞きましたが、実績の話は一つもありませんでした。外国では、科学的根拠と実質的な原則によって報告するのです。世界に出た時、私は恥ずかしくなります。ですから機動隊をつくらなければなりません。そのようにするという男たちは手を挙げてください。

 私が金浦空港に到着した時に雨が降りました。それは恵みの雨ではなく、韓国の悲しい涙の雨だと考えたのです。良い日がないのです。今は忙しい時なのです。今までは基盤を立てることに苦労しましたが、ここで最後の戦いをして、条件を立てておかなければ私たちは外国の食口たちに負けるのです。日本の食口たちの前に顔を上げることができなくなります。

 今回日本に行って来た人は手を挙げてください。日本の食口たちに勝てそうでしたか、勝てないようでしたか? 見ればすぐに分かることです。

 それでは、これから機動隊を編成しなければなりません。七〇〇名を動員するのです。そうしなければ権威が立たないのです。少なくとも六〇〇名は越えなければなりません。皆さんはそれ以上伝道しましたか。七〇〇名いれば韓国の道が八つありますから、八掛ける九で七十二になり、一道を九十名ずつにすることができるのです。ソウルを入れると九つになります。七〇〇名を動員しましょう。


 統一教会の人が行くべき運命の道

 私たち統一教会の人の行くべき運命の道がいかなる道か、はっきりと知らなければなりません。個人から家庭、家庭から氏族、氏族から民族、民族から国家を越えて行かなければなりません。国家を越えて、世界を越えて行かなければなりません。大韓民国を中心として見ると、これからは、政府も私たちを支持する段階に入ってきているのです。今や韓国が主体的な立場で未来世界の前に影響を及ぼすことのできる道は、統一教会をおいてほかにありません。このような事情において、これから私たちは誰よりも強力な機動性を発揮して、既成教会を復帰しなければなりません。

 既成教会を復帰すれば、国家も復帰できるのです。カイン・アベル復帰歴史において、個人的カイン・アベルがなければ、個人的蕩減復帰ができないのです。家庭でもカイン・アベルがなければ蕩減復帰ができません。氏族もカイン・アベルがなければ蕩減復帰ができないのです。今、我々統一教会は氏族復帰型です。私たちがアベル的氏族であり、既成教会はカイン的氏族なのです。これを復帰しなければなりません。

 これを一つにするのが我々の行くべき目的地なのです。そのようになった時、全国家的な宗教界を吸収することができるのです。その運動をするのが、『週刊宗教』なのです。今までそのようなことをやってきましたか。宗教が一つになる方法は何でしょうか。金日成が絞ってくればくるほど、宗教が一つになるため、国家的方向が決まるのです。ですから宗教者は、勝共理念で武装されなければなりません。

 それで、南北のカイン・アベルがあるのです。北韓では金日成に対して父と言うし、皆さんは先生に対して父と言うのです。対立しているのです。ですから実力対決で、私たちが優れた立場に立たなければなりません。数は少なくてもそれが問題ではありません。北韓の共産党が一つになっている以上に、私たちは信念を持って完全に一つにならなければなりません。彼らは金日成が命令さえすれば昼も夜もなく、三十八度線を越えて来る準備ができているのです。死んでもやろうとするのが共産党なのです。

 ですから皆さんは、それ以上にやらなければなりません。それ以上にやらなければ、復帰ができないのです。何の話か分かりましたね。女性たち分かりましたね?(はい)。今度先生がヨーロッパに行って、「共産世界のモスクワで地下運動をしなければならない」と言いました。そのようなことを準備をして、基盤を整えてきたのです。皆さんは、東ヨーロッパのソ連の衛星国家から先生に供え物を贈ってくる食口がいるということを知らなければなりません。彼らは今銃剣の前に命を懸けて、死ぬか生きるかという立場に立っているのです。これ以上詳細な話は省略します。

 皆さんは、命を懸けて殉教の道を堂々と行くことのできる覚悟、新しい国家のために犠牲になることのできる覚悟をして、先生に相談する食口たちがいるということを知らなければなりません。ですから、そのようなことを知って指導する先生はどんなに深刻なことでしょうか。

 日本の共産党も先生のことをよく知っており、朝総連も先生のことをよく知っています。私が日本にいた時、朝総連から「文先生が来られたのですか」という問い合せが来たのです。いっぺんに分かってしまうのです。私たちは世界の先頭に立って、世界的な共産党に対立しているのです。まるで昔のダビデとゴリアテのような状況なのです。天下の危機一髪という途上にあって、誰も神様を信じて命を懸けて出る人がいない時、羊飼いのダビデがゴリアテの前に一人で立ったことと同じ状況なのです。その時、神様がダビデの代わりに立っていたことは皆さんもよく知っているとおりです。ですから皆さんも、そのようにしなければなりません。我々統一教会の祝福家庭は今、国のない民なのです。国のない民はどうなるのか、いつも心配なのです。


国家的機動隊活動法案

 このような観点から、私たちの教会的使命を見た時、これからはアメリカを中心として活動しなければなりません。そのような希望のある者は英語を勉強しておきなさい。日本にいる幹部たちも三年後にはみんなアメリカに連れて行こうと思っています。韓国にいる幹部たちはパスポートを取るのが難しいのです。それでしかたなく、日本が先頭に立つのです。それで、アメリカを中心として全世界を救う運動をしなければなりません。早い内に強力な基盤をつくらなければなりません。

 これからは、アメリカ全域に勝共要員を派遣しなければなりません。CIA局長やFBI局長など、共産圏に対する専門家たちを教育するのです。そのようにして、世界的に民族を統一し、共産党を防ぐ作戦をするようになれば、必ず彼らが後援するのです。このようになれば、世界統一十字軍の旗を立てていくところには、上院議員たちがみんな集って来るのです。このようにしなければ世界を救う道がないのです。今その準備をしているのです。

 私たちは諦めることではなく、早いうちに韓国でも国家的基準を中心としての強力な体制を整備して、頂上に向かって突進する作戦をしなければなりません。我々が七〇〇名、二〇〇〇名を動員して、一度に二五〇名ずつ活動すればどうなるでしょうか。昼も夜も休まずにラッパを吹くのです。

 それで各国においての緊急問題が何かといえば、いかに指導者を輩出するかということです。修練所をつくって教育するつもりはありません。機動隊を中心として教育するのです。移動修練所なのです。一班、二班、三班に分けて、六か月以内に原理試験をパスできるように教育するのです。パスできなければ一時延長して、一年は見てあげるのです。それでも原理試験にパスできない人は、落第者となるのです。

 それで一班、二班、三班に分けて、創造原理班、復帰原理班、堕落論と再臨論班で、二か月に一回づつテストを行い七十点以上取るように教育して、一班は二班へ、二班は三班へ、三班は一班へと回りながら二か月、二か月、二か月で、完全に原理をマスターさせるのです。そして一班は機動隊生活をしながら経済の責任を持つのです。総務的な責任を持つのです。生活すべてを担当できる訓練をさせるのです。その次の班は、原理の全般的な面を教育して訓練させるのです。いろんなシステムを訓練させるのです。その次の班は、渉外と伝道をするのです。最高幹部の人々を渉外して、言論機関を伝道するのです。責任者は全体を一度に動員するのではなく、三人が一組になって巡回しながら行うのです。そのような訓練をしなければなりません。

 そうして、自分の使う経費はすべて自分で負担しなければなりません。この機動隊には、新しい人がいつも四十名はいるようにしておかなければなりません。そして復興会は、すべて原理講義をするのです。原理講義は機動隊要員の修練ともなるのです。修練と同じ心でもって講義するのです。機動隊要員一人は、一般の人を三人連れて来るのです。このようにして四十名になると、一二〇名は集まるのです。地方に行って、このような運動をするのです。

 機動隊が毎週移動するためには、一週間以内に一人を伝道することができなければ、一年五十二週の間、一人も伝道できないという結論が出るのです。一週間ごとに移動するので、一週間の間に伝道できなければ、この機動隊は一年に一人も伝道できないという結論が出るのです。それゆえ、一週間で一人伝道するという運動を広げなければなりません。

 まず三人と因縁を結んで、その中から一人を伝道するのです。一日に三人ずつ伝道すれば一週間で二十一名になります。新しい人を一週間に二十一名は連れて来なければなりません。一日に三人ずつ新しい人を連れて来るのです。昨日連れて来た人は、きょうは自分一人でも来れるようにしておいて、新しい人を三人連れて来なければなりません。そのような運動を広げるのです。そのようにすれば、一週間に出会った二十一名の中で一人を伝道することは問題ありません。

 伝道の専門家にならなければなりません。二十四時間伝道するのです。日本の統計資料によると、そのようにして普通四パーセントが食口になるそうです。ですから、一日に一人は伝道できるということになります。一日に一人が三時間以上伝道をすれば、三十日で九十時間になります。そうでしょう。もし、一週間に九十時間だとすれば、一日に十二時間以上伝道しなければなりません。男性も女性も、朝から晩まで伝道しなければなりません。一人が一日に三時間ずつ伝道すれば、一か月に一人を伝道できないということはあり得ないのです。


『原理講論』を読ませること

 このような観点から、一日十二時間以上はみ旨のために走らなければなりません。一週間に一人伝道の運動をするのです。日本では今そのようにしています。でなければ、機動隊は一年の間、一人も伝道できないということになるのです。また機動隊が移動する時には、伝道した人にポストカードを送って、いつどこに行くと教えてあげるのです。そのように連絡をしながら伝道をするのです。

 これから食口は、一人が原理の本を三十冊買わなければなりません。日本では『原理講論』を原価であげることにしました。これからは地方の有志に本を貸してあげるのです。一か月に一冊ずつ貸してあげるのです。一か月で一冊の本をみんな読むことができるのですが、皆さんが一生懸命に勧めれば二週間で読ませることができます。何の話か分かりましたね。

 これからは、皆さんが宣伝する時代です。子供たちがいれば、「必ず読む価値のある本ですよ」と宣伝をして、貸してあげるのです。『原理講論』三十冊を持って、一日に一冊ずつ貸してあげて、一冊ずつ回収するのです。一年たてば三六〇冊になります。三六〇名が『原理講論』を読むということになるのです。そうでしょう。さらに二週間に一冊ずつ貸してあげるようにすれば、七二〇冊で、七二〇名の人が原理の本を読むようになります。

 日本では、原理のみ言を聞いて食口になった人は四パーセントなのですが、原理の本を読んだほうが、多くの人が食口になるのです。『原理講論』を読んで理解できる人が統一教会に入れば、その人はいっぺんに中心食口として活動することができるのです。しかし原理を聞いただけで入って来る人は、そのようにはなれません。

 今、韓米文化自由財団は全国民に対して、募金のための手紙を送っています。それによると、一〇〇通送れば二パーセント以上の返事が来るそうです。しかし原理の本を読んで感銘を受けた人たちは、それ以上だとみているのです。私たちが直接訪ねて、真心を込めて伝道すれば、それ以上の効果が現れるだろうと思っているのです。もし一パーセントだと考えてみてもどのくらいですか。

 また、原理の本を貸してあげるにしても、そのまま貸してあげるのではありません。途中で感想を聞いて、良いという人たちには本を売るのです。そして原理に関心のある人たちの親戚や、お母さんお父さんに、「お話をするのでみんな集まりなさい」と言って、原理の本を一冊ずつ配ってあげるのです。このようにして講義を続けながら、一週間とか二週間ですべて読むようにして、そこで「どこまで読みましたか」と、解釈してあげながら勉強させるのです。

 このように講義をする所が十か所ぐらいになり、十名ずつ集めて集会を開くことができれば、自分の父母、姑と舅に「きょう私が講義をしますから、一度一緒に行きましょう」と言うのです。舅が「今まで家庭生活はしないであれこれ悪い噂があったけれども、いったい何の話なのか」と言えば、「良い話ですから一緒に行ってみましょう」と言うのです。舅が反対すれば、その舅に原理のみ言を語るのです。原理の話をするのです。すると、「私の家の嫁は本当に立派だ」となるのです。

 一週間もみ言を聞けば、後援するなと言っても後援するようになります。このようになれば舅の誕生日に、パーティーを開きながら「今私のしていることは間違っているのですか、正しいのですか」と言ったら、「正しい」と言うようになっています。こうして誕生日のパーティーに村の人たちを集めて、親戚の中の一人を司会者にして講義をするのです。そうして家庭全体を伝道するのです。すると自動的に十人は問題なく復帰されるというのです。

 それで一年に十人を目標にして総進軍するのです。分かりましたね。一万名が原理の本を持って三十名ずつ伝道すれば、三十万人になります。三十万人が三六〇冊ならば一億八百万になります。

 共産党が今日世界を制覇したのは、本をもってやったのです。皆さんは今まで考えてもみなかったでしょう。今まで伝道してきたのですが、本をもって伝道する方向を知らなかったのです。本で伝道すれば、このように膨大な数字が出て来るのです。三千万復帰は『原理講論』で伝道しなければなりません。統計的に見ても、日本の場合も四パーセントが食口になっています。一年に十人を伝道できないということはあり得ないことです。これは科学的数字によっても確かなことです。

 それでは『原理講論』の原価はいくらですか? 原価でみんなに配りなさい。日本はそのようにしました。原理の本を三十冊持っていない人は、統一教会の人ではありません。これは全世界が同一なのです。全世界の統一教会が統一的な行動をしているのに、主体国である韓国ができないと言っては話になりません。まず韓国で伝統を立てておかなければならないのです。

 責任者たちは夜明け前から活動しなければなりません。ただ座って時間だけ潰してはなりません。一日に一人会って、本を一冊あげて、一人からは一冊の本を回収するのです。それはできないことではありません。これをやらない人は祝福であれ何であれ、何もやってあげません。全世界的にこのような風が吹いたのですから、私たちはついて行かなければなりません。先頭に立たなければなりません。先頭に立ちますか?(はい)。

 日本はもう既に『原理講論』を配り始めました。大学生に七五〇〇冊を配りました。大学から早く始めなければなりません。大学で十人が一日に一冊ずつで、一年でいくらですか。三六〇〇人が『原理講論』を読むことになります。そうでしょう。三十名では、一万名を越えるのです。三十名になれば、教授から学生に至るまでみんな読むことができるのです。このような成功の秘訣を、教会長は知らなければなりません。それで一年に十人の伝道目標でやるのです。今後、先生は世界的にどの国が平均的によくやるか見ていくつもりです。

 今回私が日本に寄ってみたら、以前よりも一・五倍食口が増えていました。東京でも今は一〇〇〇名以上なのです。しかし私が行くたびに激しく指導するので、全国的に平均二・六倍が増えたのです。二・六パーセントではなく二・六倍です。分かりましたね。十名の二・六倍は、二十六名です。そのように増えたのです。ですから先生を知らない人が三分の二もいました。先生に初めて会う人が三分の二以上だったのです。

 鹿児島などにいる人たちが東京に来るためには二十四時間、三十二時間も車に乗って走って来なければなりません。先生を一度見るために、北海道からも、二日間もの時間を取って来るのです。日本にはこのような運動が広がっています。皆さんもそれを知って準備しなさい。早ければ早いほど早く達成できるのです。

 地方の有志たち、小学校卒業以上には、みんな『原理講論』を読ませなさい。分かりましたね。皆さんは早く自分のお父さん、お母さん、兄さん、姑、あるいは舅に会って伝道しなさい。全部が『原理講論』を買って伝道しなさい。分かりましたね。漢字を知らない人には、漢字を教えてあげなさい。教えてあげながら伝道するのです。それでは歌を一曲歌って終わりにしましょう。何の歌を歌いましょうか。「園の歌」にしましょう。


祈祷

 お父様。あなたが探し求めて来られた復帰の限界線が、このように一つの主権国家を立てて、サタン世界が付いて来ることのできない、サタン世界より上に立つ国を捜し求めて来たことを、今日この地上に住んでいる人は誰も知らなかったことを、この時間、私たちははっきりと知りました。

 お父様。この国、この民族がこれから行くべき道を心配するこの時において、救国的な民族運動を通して、この思想を各自の前に伝えてあげなければならない責任が私たちにあることを考える時に、どんなに忙しいかということを私たちはもう一度悟ることができますように。

 全国の状況を見てみると、アジア全体の世界史的な流れを見た時に、統一教団の使命がどんなに重いかということを今や知るようになりました。私たち個人は言葉だけでなく、実戦においても勝利した個人にならなければ、あなたと共に因縁を結ぶことができないということをはっきり悟らしめてください。常に同じ立場からは真の因縁を結ぶことができないということを自ら知っているので、これを拒否し動かすことができないということを、今日、み言を通して新たに認識し、新しく決意しますので、お父様、お許しください。

 かわいそうな統一教団をお父様が育てて来られたので 、これらをして、あなたが願われるみ旨を相続することができますように。それを世界の前に相続して余りある資格を持った人たちになりますように。そのためには、どんな犠牲が伴っても、それを克服しなければならないことが残されている現時点において、強く大胆な信念を持って出ることができますように、切にお願い申し上げます。荒野路程において、疲れたイスラエル民族の力を整えて、カナン七部族を征服しなければならなかったヨシュアとカレブの立場がどんなに難しかったかということを考えた時に、今日、私たちが立っている立場はそれよりもたやすい立場であるということを知って、私たちが自ら強く大胆な心情を持って、自主的な立場を決意する各自になりますように、お父様、切にお願い申し上げます。

 この時間以後の全体にも、自ら共にあってくださるように、再三お願い申し上げます。万万世の恵みと愛が、私たちが計画するすべてのみ旨の上に共にいてくださいますよう、真の父母の御名によってお祈り申し上げました。












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