文鮮明先生御言選集 55
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メシヤが成すべきこと 1972年5月9日 韓国 中央修錬所

堕落によってサタンの主管を受けるようになった人間

 メシヤが来られる目的は、世界を救うためです。本来、イエス様の当時に、イスラエル民族とユダヤ教がイエス様と一つになって団結し、一つの主権国家を形成して、堂々とローマ帝国に誇ることのできる立場に立っていたならば、神様が直接主管されたのです。

 しかし今まで、天の権威と面目を立てる基準の神側の国家がなかったために、歴史過程において数多くのキリスト教の人たちが虐殺され、犠牲にされてもどうすることもできない惨めな歴史路程を経てきたということを、私たちは知らなければなりません。ですから、国が問題なのです。あなた方もそのような立場に立っているということを知らなければなりません。それゆえに、全世界のキリスト教の人々を一つにして、私たちの目的は国を探し求めることです。

 そうするためには、アダムが失敗したことを、イエス様が復帰しなければならないし、イエス様が失敗したことを再臨時代に復帰しなければなりません。したがって、再臨主がこの地上で成すべきことが何かというと、全世界のキリスト教の人たちを一つにして、国を復帰しなければなりません。イスラエル民族よりも、あるいはユダヤ教よりも、より団結して、一つの国家形態を備えて、世界のサタン国家の前に誇り得る一つの国を探し求めなければならないことを、はっきりと知らなければなりません。

 ですから今、韓国で伝道している統一教会の人々は何にたとえられるかというと、亡命者と同じなのです。同様に全世界の統一教会の人々は、神の国を探すための全世界的亡命者と同じ立場で活動しているのです。

 皆さん、(黒板を使用されながら説明される)こうしてアダム・エバは創造されましたが、人は生まれる時、女性を通して生まれます。そうでしょう。女性を通して生まれたのです。神様は、原理の神様であります。反対にサタンは、非原理的な立場に立っているものです。ですから人間が非原理的である時はサタンが主管し、原理的である時は神様が主管するのです。

 神様が天宙を創造されたその位置を見てみますと、まず神様がいて、その次にアダム・エバがいて、その次は天使長です。このようになっていたのです。本来、神様の次に神様の息子娘がおり、神様の息子娘の主管を受けるようになっているのが僕なのです。これが原理的なのです。

 しかし、堕落することによってどうなったかというと、サタンの下にアダムが入るようになりました。神様はアダムを失ってしまったのです。逆になったのです。まずサタンの下にエバが入り、その次にアダムが入るようになったのです。このようになったのです。堕落しなかったならば、神様の下にアダムがおり、その次に天使長が来なければなりません。それが順序なのです。(黒板を使用されながら)ところで、これが堕落によって完全に逆になりました。神様がどこにいるかといえばここに来ているのです。探し求めていけば神様がここにいるというのです。逆になったのです。ですから、この位置を復帰するために今何をすべきかといえば、アベルを復帰することです。そのアベル復帰は、天使長的立場から復帰完成した立場にメシヤを送って完結させて越えていくのです。

 それではメシヤとはどういう存在でしょうか? メシヤは血統的に蕩減復帰した基盤の上に来なければならないのです。言い換えれば、サタンの血統を受けて生まれた人類の前に、メシヤは血統的な面からサタン側に生まれたとしても、サタンが讒訴できない環境から生まれなければなりません。サタンが讒訴できる環境から生まれたならば、創造原 理的な立場に合わないのです。

 本来、神様がアダム・エバを創造した時、サタンが讒訴できる立場から創造したのではなく、天使長の助けを受けながら、天使長に侍られながら創造されたのが原理であるために、メシヤであるイエス様もこの地上に生まれメシヤとして登場するためには、胎中の時から、サタンに讒訴されるような内容を持っていてはいけないということです。これが原理なのです。

 しかし堕落圏内にいる人たちは、皆養子圏内にあるために、胎中から皆サタンの所有物になってしまったのです。ですから、神様はイスラエルの歴史を通して、血統転換の摂理の基盤を立てて来られたのです。人間は生まれる時、父から種を受けて、母を通して生まれてくるのです。分かりましたね。母を通して生まれるのです。

 しかし堕落したために、父はサタンなのです。サタンになってしまったのです。堕落した先祖を見てみますと、父よりも母が先に立っているのです。堕落の経路を見てみると分かるのです。当然アダムを通して子供を生んだのですが、その根本には母子関係、つまり母の罪の根が息子の罪の実になったということです。


血統転換をしなければ神様に帰ることができない

 本来、アダム・エバが堕落しなかったならば、一番目に生まれた息子のカインも、神様の息子になるはずだったのです。そうでしょう。堕落せずして息子を生んだならば、常に神様が思うままに主管できる息子になり、その後孫も、神様が自由に主管することのできる神側の善なる氏族になるはずだったのです。しかし堕落によって、人間はどうなったかというと、原理的な面では神側に立っているように見えるけれども、愛の因縁を中心として見るとサタン側に立っているのです。愛の因縁を持てば永遠に主管することができるのです。愛の因縁を結べば、すべて主管できるようになっているのが原理なのです。

 ところが、堕落の結果によって、愛の原理からして、サタンが主管できるようになってしまいました。原理的な立場から見ると、人間は神様が主管するようになっているけれども、堕落した立場から見るとサタンが主管するようになっているのです。このような立場に立っているために、人間はサタンに主管されたその基準を、再び否定する立場に立たなければ神側に帰っていくことができないのです。

 それでは、サタンを通して何を受けたのかというと、サタンの血統を受けたのです。サタンの血統を受け、汚れた後孫として生まれたがために、血統を否定しなければなりません。言い換えれば、母の胎から生まれたので、逆に再び母の胎中に戻らなければなりません。そうして堕落前の段階へと戻って行かなければなりません。そうでしょう。堕落した父母以上の立場にまで戻っていかなければ、復帰の道がないのです。

 このようにして、逆に血統を取り消すことをしなければならないのです。サタンの血統を否定しなければならないのです。再び胎中に戻っていって、サタンの血統ではなく、天の血統を受けて生まれ変わらなければならないのです。天の血統を受けて再び生まれると、カインは左側になり、アベルは右側になるのです。このようになれば、天の愛を通して生まれた順序になり、一番目の息子も神様が主管し、その次の息子も神様が主管することができるのです。そのように、再び母の胎中を通っていく運動をしなければならないのです。

 原理基準で神様の愛を中心として見ると、一番目の息子も神様の息子であり、二番目の息子も神様の息子なのです。原理の主人公であると同時に、愛を通して復帰された主人公にもなるのです。そのようにならなければなりません。ですから受けたサタンの愛を取り消して、サタンの息子が先に生まれたのではなく、天の息子が先に生まれたという立場に帰っていかなければ完全復帰にはならないのです。

 それで(黒板を使用されながら)このように回っていってはいけないのです。母と父に従っていては、天との関係を結ぶことはできません。ですから仕方なく反対するのです。それで再び胎中に入って蕩減復帰して来なければならないのです。このようになっているのです。堕落する時、エバを通して、この父母の立場から子供たちが生まれたのが堕落なのです。ですから、母と父の堕落する以前の心情的基盤を探していくというのは、ある高い位置を探していくのではなく、天の愛の圏内に入るということです。これを取り換える立場に入らなければならないのです。


カイン・アベルから始まった長子権復帰摂理

 本来、神様の愛を中心として生まれた長子は神様の息子であり、サタンの息子ではないのです。そして次子も神様の息子であり、サタンの息子ではないのです。ですから、そのような立場を復帰するためには、アベルが長子の立場に立って、カインが次子の立場に戻るようになれば、原理的な基準も復帰され、愛も本来の順序どおりに復帰されるようになります。神様は原理的なので、愛を中心としての因縁を結んだならば、神様は原理ばかりでなく、愛を中心として完全に主管することができたのですが、これが分かれてしまったのです。

 堕落することによってサタンが愛を先に取ったために、愛を中心に非原理的な形をつくりあげてしまいました。ですからこれを取り消すためには、蕩減復帰するためには、反対の経路を通らなければならないのです。それゆえに長子が次子になり、次子が長子になることが起こり得るのです。

 ところでエバは堕落したために、それ以上の立場まで戻らなければならないのです。摂理に相対できない立場にいるので、歴史を通してその後孫をして置き換えるのです。そのような戦いを通して血統転換をさせておかなければならないということを知らなければなりません。

 本来、カイン・アベルを中心として置き換えようとしたのです。置き換えればどうなるかというと、アベルは兄になり、兄は弟になり、弟は兄の立場に立つようになります。神様を中心として見ると、息子の順序が正しくなるのです。右にいたサタンが左に行き、左にいた神側が右に行くのです。そのようにして、順序が正しくなるので、神様、アダム、天使長の順序になるのです。

 堕落することによって、神様、サタン、アダムという、逆になったことを正すことによって、本然の原理的基準の復帰をするのです。そのために、このような順序を合わせるために交差作戦をせざるを得ないのです。そのようにして血統的にすべてを清算しなければならないのです。しかし、ここでカインがアベルを殺したために悲しいことが起こったのです。

 本来、この二人の息子は愛の実なのです。二人は、二つの愛の実として生まれるのではなく、一つの愛の実として生まれなければならなかったのです。ところが二つに分けられてしまいました。アダムを二つに分けることはできないため、カインはサタン側に、アベルは神側に立てたのです。これは、一人の息子を生んだのと同じなのです。一人のアダムを代身したのと同じことなのです。それゆえに、いずれも愛の実だということです。

 本来、一つの愛の実を中心として、一人の息子あるいは娘として二人が生まれたのと同じなのです。ですから二人を一つの愛の実の立場から蕩減しなければなりません。それでふたごの摂理をせざるを得なかったということです。

 このような順序を取り戻すために出た人が誰かというとヤコブなのです。ヤコブはどこを探していったかというと、交差点を探していきました。その交差点に向かって縮めていったのです。このように反対に探していかなければならないので、縮めていくのです。それゆえ、このような立場に立った人はエバより優れていなければなりません。優れていなければそのような使命を果たすことができないという結論が自動的に出てくるのです。

 こうしてヤコブとエサウを中心とした戦いが広がったのですが、この戦いを通してヤコブはアベルを復帰しなければならない責任、つまりアベルが失敗したことを蕩減しなければならない責任があると同時に、天使長によってアダムが主管されたことを再び復帰しなければなりません。ヤコブにはこのような二人の使命があったのです。アダムが天使長に屈伏されたことを復帰する責任があり、カインがアベルを殺したことを復帰する使命があったのです。

 原理的な立場から、原理を破ったサタンを復帰するためには、その反対経路を通らなければならないのです。なぜかというと、エバとカインが同じ立場に立ったために死亡が決まったからです。それではリベカはどういう存在かというと、エバと同じ立場だったのです。では、リベカはどのようにしなければならなかったでしょうか。エバは父をだまして、その次にアダムもだましました。神様をだまし、アダムをだましたので、父と息子をだましたということになります。親子をだましたのです。

 ですからリベカも親子をだまさなければなりません。ここで父はイサクであり、その次に息子はエサウなのです。エバが神様をだまし、アダムをだましたのと同じく、リベカはエバの代わりにイサクをだまし、その次にエサウをだましました。それではどうしてだますという立場に、復帰摂理をなされる神様が加担されたでしょうか。これが今まで問題だったのです。なぜそうしなければならなかったかということです。これは堕落した反対経路によって復帰しようとするため、不可避な現象であったということを知らなければなりません。エバは神様をだまし、アダムもだまして堕落したけれども、リベカはイサクをだまし、その息子エサウをだまして、天からの祝福を受けたのです。天へ帰ろうとする立場からそのようなことを行ったために蕩減復帰がなされるのです。これを皆さんは知らなければなりません。

 では、どうしてだまして神様が摂理なされるのか、神様はうそつきの代表者ではないか、という反論が出てくるのです。そうしなければ不可避的に反対経路を通して復帰することができないためなのです。ですからリベカがヤコブを立てて、祝福を受けるようにするのはごく当然なことなのです。母と息子が一つになることによって、神側の母と神側の息子が一つになることによって、罪悪世界を清算することのできる復帰の道が開かれるのが、自動的な原則なのです。このようにして、リベカがエサウとヤコブを胎中に持った時に、胎中で二人が戦いました。

 次子の立場に立っているヤコブが長子の立場に立たなければならないのですが、エサウが長子の立場に立っているから戦うようになるのです。二人が胎中で戦っている時、リベカは神様に、「私の胎中で戦っている二人がいますがどうしてでしょうか」と神にお祈りをしたところ、「お前の胎中には二つの国がある。大きい者は小さい者に侍るであろう」と答えがありました。これが公式なのです。なぜそうしなければならないかということを、今まで誰も知らなかったのです。この原則からすべて解かれるのです。


アダムとアベルの立場を復帰したヤコブ

 このような復帰の原則に従ってヤコブとエサウが生まれて、一番ヤコブが願ったことは何かといえば、長子の嗣業を復帰することでした。ヤコブはアダムの代わりに責任を持たなければならなかったために、誰よりも神側に帰っていく長子の嗣業を願ったのです。これは、復帰摂理の運勢から見た時にそのようになっているのです。

 エサウは狩人で、神様のみ旨よりも現実主義者だったのです。しかしヤコブはいつも長子の嗣業を重んじ、神様の祝福を受けた人が祝福を受けるはずであると、自ら神側に立っていることを知っていました。そのように長子の嗣業が欲しかったヤコブであったので、エサウから長子の嗣業を買うようになるのです。パンとレンズ豆で買ったのです。これはキリスト教式でいえば、聖餐式のパンと葡萄酒と同じ条件になるのです。

 このようにして長子の嗣業はヤコブのものになったのです。そうして、ここからどんなことが起こったかというと、リベカも天法に引っかからず、ヤコブも天法に引っかからない立場で、原理原則でもって母が協助してヤコブが祝福を受けるようになったのです。また、祝福を受けた後に、カインがアベルを殺そうとした立場に戻っていくようになるのです。

 カインがアベルを殺そうとしたことと全く同じ立場に立ったために、そこからは交差できないのです。祝福を受けてからカインがアベルを殺そうとしたのと同じように、エサウがヤコブを殺そうとしたのです。それでヤコブは逃げたのですが、ここで蕩減復帰できましたか、できませんでしたか。蕩減復帰はできなかったのです。そこで母の協助でハランの地のラバンの家に行って、二十一年間受難の道をたどるようになるのです。

 しかしラバンもサタン側なのです。ですからヤコブを利用したのです。逃げたけれども、逃げることはできないのです。祝福を受けた人が現れれば、必ずカインと同じ行動をする人が現れるのです。それゆえにラバンも、自分でも知らずにヤコブを利用して、自分の富を築こうとしたのです。それでヤコブはそこで二十一年間苦労して、奪ってくるようになるのです。奪ってくるには、ただで奪ってくるのではなく、何か条件を立てる必要があるのです。

 「私はおじのために何年か働きますので、数匹の羊を私にください。またあなたの娘を私の妻としてください」という約束の上で奪ってくるようになるのです。結局、娘を利用して母を屈伏させることを条件にして、ラバンを追い出してしまうようになるのです。このような復帰原理的な内容は、すべて詳細に話す時間がありません。

 ヤコブは二十一年ぶりに帰って来るようになるのです。ヤコブは、アダムが失敗したことを復帰しなければならないし、アベルが失敗したことを復帰しなければなりません。アダムが霊的なサタンである天使に屈伏し、アベルは実体天使と同じようなカインに屈伏したので、ヤコブは二つのことを蕩減しなければ復帰する道がないのです。ですから、ヤコブはハランから帰る途中で、ヤボク川で天使と相撲を取って、アダムが天使から屈伏したことを蕩減復帰しなければならないのです。

 アダムが天使に支配されたことを蕩減復帰しなければならないので、ヤコブが帰ってくる途中で、神様は天使を送ってヤコブを殺そうとしたのです。神様が倒してしまえという命令をされたのです。ヤコブを助けてあげるためではないのです。これはまるでサタンが要求したことと同じなのです。神様は天使をしてヤコブを打とうとしたのです。そうしなければサタンが打つようになるのです。

 そこで夜を徹して相撲を取った天使は、ヤコブの腰の骨を折ったのです。ヤコブは骨を折られても屈伏しなかったのです。このようにして、人間が天使に勝ったという歴史的な基準が、初めて復帰されるようになったのです。ヤコブが天使と相撲を取って勝利したことによって、アダムが天使の前に屈したことを復帰することができたのです。アダムが犯したその罪を後孫が蕩減しなければならないために、ヤコブは腰の骨を折られても屈せずに勝利したという条件を立ててイスラエルという名前をもらったのです。イスラエル、つまり勝利したことを公認された人が現れたのです。二〇〇〇年の歴史以来、初めてサタンの代わりの天使を屈伏させて勝利した人が現れたのです。イスラエルとして祝福を受けることができたのです。

 アダムが天使の前に屈伏したことを復帰したので、その次は、カインがアベルを殺したことを復帰しなければなりません。そのような霊的勝利基盤ができたので、次にエサウを屈伏させる道が自動的に開かれるのです。皆さん、信仰生活においてもそうでしょう。霊的に勝利すれば、実体的に勝利できるのですね。ヤコブがエサウに向かっていくとき、ヤコブの賢いことは、二十一年間苦労して得たすべてはあなたのものであり、あなたの前に捧げますと言ったことです。今日の善なる人たちが自分のものをすべて寄附する心と同じなのです。

 エサウに上げたとしても、神様を中心として見たとき損にならないのです。分かりましたね。エサウがそれをもらって屈伏するときには、すべてプラスになるということです。ヤコブの財産は、マイナスにはならないのです。エサウが屈伏するときは、すべてのヤコブの財産を捧げたとしても、その財産はそのまま残っているのです。そこにおいてエサウよりプラスになるばかりか、神側は絶対損にならないということです。そのような立場に立って、ヤコブはすべてをエサウに捧げるようになりました。

 国家を復帰するようになれば、捧げたすべてが戻ってくるようになっているのです。このような観点から見たときに、損にならないということです。ヤコブがそのような作戦をして、エサウの歓迎を受けることによって、カインに殺されたアベルの立場を初めて復帰することができたのです。それでヤコブが霊肉共にアベルを復帰した形を成したのです。ここで勝利したとしても、この立場までは行くことができませんでした。(先生が黒板を使用される)それで再びもう一度成さなければならないのです。

 ここでエバと同じような、リベカと同じような人がいなければなりません。それゆえにヤコブの代になって、ヤコブとユダ、その次の息子の三代を経て、この道を開くために出た人がユダの嫁のタマルでした。このタマルが問題なのです。タマルはどういう女性かというと、神様の祝福を受けるためには、自分の面目とか威信とか、死ぬか生きるかという問題を超越した女性なのです。


エバの立場を復帰するために威信と面目を捨てたタマル

 エバは神様の祝福を受けるためではなく、自分の利益のために死ぬことさえ気に止めずにすべて捨ててしまったのです。その反対にタマルという女性は、神様の前に帰るために、神様の祝福を受けるために、自分の威信とか面目を捨てた女性として歴史時代に現れた代表者なのです。ですからエバと正反対なのです。エバは自分の利益のために神様を捨てました。その次に自分の利益のために夫を捨ててしまいました。そうでしょう。しかしタマルはそれと反対だということです。

 舅は誰の代わりかというと父の代わりであり、神様の代わりなのです。そうでしょう。自分の夫はいないのです。夫は死んでしまって、夫の代を続けるために神様の祝福を願って出た女性なのです。このように、エバを復帰する女性の代表者がタマルなのです。

 この地上に夫はいないけれども、希望の男性を願いながら、希望の男性の代を続けるために現れた代表的な女性が、エバと反対の立場に立ったタマルなのです。父と一つになり、息子と一つになることができなかったゆえに失われてしまったエバの立場を、タマルが舅の胸に入って行くことによって、初めて父と一つになる条件を立てると同時に、跡取り息子を得るための希望の基盤を立てることができたのです。このようなタマルは、アダムを殺して堕落したエバとは正反対の希望的な女性なのです。

 このように反対に原理に一致したために、タマルが舅と関係を持って生まれた息子娘が復帰摂理において重要な責任者となることを皆さんは知らなければなりません。すべてが原理的なのです。そこでタマルは、舅が畑仕事に行く道に立って、遊女のように仮装して、エバがアダムをだまし、神様をだました逆の道を行くのです。

 天使がエバを誘惑したので、今度は逆にタマルが誘惑するのです。そのことを通して蕩減復帰をしなければなりません。そこで舅と関係を結ぶようになります。タマルは関係を結ぶ時に、約束の象徴として紐と印鑑と杖の三つの保証の品をもらって保管しました。自分のおなかにいる子供の父が誰であるかということを確認させてあげるために、死んでもそれを残して死ななくてはならないという覚悟の上で、タマルはそれをもらって保管したのです。

 そのような関係で子供ができたので問題になりました。タマルのおなかがだんだん大きくなるのでうわさとなって、ユダの前にまで報告されました。「あなたの嫁タマルは姦淫によって身ごもりました」というのです。その報告を聞いたユダは「あの女を引きずり出して焼き殺してしまえ」と命令した時、タマルは「私はこの品々の持ち主によって身ごもったのです」と、その物を出して見せました。ユダがそれを見ると自分の杖であり、紐のついた自分の印鑑だったのです。そこでユダが責任を持つ立場で、タマルは死なずにすみました。死の境地から助けられて、初めて子供が生まれたのです。

 ここでエバと同じ形式に合わせるために、子供が生まれる時、ゼラという兄が先に手を出しました。そこで赤い紐を結んであげたのです。これが終わりの日に主が来られる、個人的血統復帰時代と世界的復帰時代を歩む時に、共産党が現れることを予告したのです。これは四十年でできなければ、六十年の蕩減へと越えていくのです。分かりましたね。ゼラが先に手を出して長子になって出てきたという条件を立てたけれども、その身は出てくることができず、ペレヅという弟が追いかけて出てきたのです。ペレヅという言葉は「追しのけてきた」ということなのです。そうして二人は母の胎中から既に交差することのできる天の基盤を整えて生まれたのです。先に出てきたほうが支配するようになっているのです。

 問題はこれが交差することです。ペレヅの時代になって初めて交差するようになるのです。胎中から、サタンの愛と神様の愛の結実として同じ立場で戦ったけれども、神側が先に出て、その次に神側に順応する人が出てくれば、スムーズに戦わずに息子娘として地上に生まれることができるので、サタンも讒訴できなくなるのです。何の話か分かりますね。ここで勝利したのですが、これはいずれもヤコブ家庭の問題なのです。ヤコブ家庭で起こったことです。


自分たちの摂理的立場を離れたマリヤとヨセフ

 それではメシヤはいつ来られるのでしょうか? この前話したように、天の選民圏がサタン国家よりも上に立つことのできる民族編成と国家形成時代を迎えなければメシヤは来ることができないのです。これが原則なのです。分かりましたね。その時まで、イスラエル民族はユダ支派を中心として、このような原則に従って、このような伝統的な因縁を経て、タマルが立ててきた伝統と同じように、二〇〇〇年後にみ旨のために生きる世界的な女性の代表が生まれなければならないのです。それが、誰かというとマリヤなのです。

 このマリヤもタマルと同じように、自分の面目や命のことなど考えない人だったのです。自分の家系も何も考えない人だったのです。その当時は処女に子供ができたら、石で打って殺してもかまわないという時代でした。ところで、マリヤに御使いが現れて、「あなたはみごもって男の子を生むであろう」と言われた時に、マリヤは「どうしてそんなことがあり得ましょうか。わたしには夫がないのに」と答えたのです。そこで御使いが「神には、何でもできないことはない」と言うと、「お言葉どおり、この身に成りますように」と、マリヤは答えました。マリヤがこのような立場に立ったということは、その時代にメシヤが来られて、国を救い天の願いが成就できるように誰よりも待ちに待ってきた女性であるということを知らなければなりません。

 その次にヨセフが出てきます。ヨセフは誰にたとえられるかというと、エデンの園における天使長と同じ立場なのです。エバがアダムを否定し、天使長と関係を結んだのが堕落なので、これを蕩減復帰するためには、マリヤの前に夫が立たなければならないのです。そのように、マリヤがヨセフを犠牲にする立場に立った時に、天が初めて蕩減復帰できる立場になります。アダムはエバの夫なのです。

 その夫であるアダムから、エバをサタンが奪っていったことと同じなのです。サタンがエバを奪っていったことを蕩減復帰するためには、神様が再びマリヤを奪って来なければならないのです。そしてヨセフは何かというと、天使長型なのです。ですからマリヤと一緒に住んではいけないのです。しかし一緒に住んだので、問題が複雑になったのです。

 裏切り者だと言われるかもしれないけれど、イエス様とマリヤが一緒になってヨセフを追い出さなければならなかったのです。ヨセフを屈伏させなければならないのです。しかしマリヤとヨセフが一つになったのです。逆になったのです。マリヤとヨセフが一つになったために、イエス様は悲しい立場に立つようになりました。これが恨みなのです。


神様の愛の圏内から生まれたイエス様

 マリヤがイエス様をはらんだ時に、神様のみ旨の復帰原則に従っていたために、マリヤはタマルの歴史的な伝統を相続して勝利的基盤を立てたために、家庭的な代表の女性がタマルであり、国家的な代表となる女性がマリヤなのです。勝利したタマルの伝統的な基準を相続した立場にマリヤがあるために、マリヤの胎中にイエス様が宿っていたとしても、サタンは讒訴することができないのです。サタンが讒訴できなければ反対に神様が愛する立場に立つために、イエス様は胎中時代から神様の愛の圏内にあったのです。

 この立場はエバが堕落しなかった時の本然の立場なのです。神様がアダムとエバを創造した時に、天使長が協助した立場と同じなのです。そのようなサタンが讒訴できない立場を復帰したので、イエス様が初めて、この地上に神の息子として生まれることができたのです。それでイエス様が「私はひとり子である」と言ったのです。

 イエス様は堕落した人間の血肉を受けて生まれたのではありません。聖霊を通して生まれました。血統が違うのです。血統が違うので、サタン世界と関係がないのです。神様の直接主管圏内に立つことのできる代表者であるために、イエス様自身が「私は神のひとり子であり、私は神と一体である」と言ったのです。本来、アダムとエバが堕落しなかったならば、神様と一体になるようになっていたのです。一体なのです。

 ですから、「あなたは新婦であり、私は、新郎である。私はアブラハムよりも先にあった者」と言ったのです。アブラハムは信仰の先祖ですが、それよりも先だと言ったのです。これは何のことかというと、父母の立場にあるので、必ず人類の父母であるので、アブラハムよりも先なのです。このように、堕落しなかった血統の因縁を通して生まれた立場に立っているために、イエス様は堕落圏とは関係ない立場からの本然のアダムが備えるべきあらゆるものを備えてそのように言ったのです。


人類は真のオリーブの木として来られるイエス様に接ぎ木されなければならない

 それでは、その時まで神様は四〇〇〇年をかけて摂理されて、何ゆえにイスラエル民族を育ててこられたのでしょうか。世界的なオリーブの木の畑をそのままにして、神様の息子娘であるオリーブの木を送るならば、直ちに殺されてしまうのです。ですから仕方なく、そこに特定の野生のオリーブの木の畑と同じような民族を選んで摂理されたのです。これが、養子圏のイスラエルなのです。これが神様の管理するオリーブの畑なのです。サタンが対するオリーブの木は野生のオリーブの木なのです。野生のオリーブの木をそのままにしておいてはいけないのです。それで、これを真のオリーブの木につくり変えるには、必ずそこにはメシヤが来なければならないのです。

 真のオリーブの木になるためにはどうすればいいかというと、野生のオリーブの木をすべて切ってしまわなければなりません。そこには、ためらうような人がいてはいけないのです。ユダヤ教であれ、イスラエル民族であれ、反対してはいけないのです。すべて切ってしまわなければなりません。

 その次は何をするのかというと、野生のオリーブの木に対して初めて真のオリーブの木が現れたのです。そこに接ぎ木しなければなりません。そうすれば、個人、家庭、氏族がイエス様の思想を中心として、イエス様のみ旨に従って、皆、祝福を受ければいっぺんに国家復帰の基盤が立つのです。

 このように接ぎ木をして、初めてイエス様の家庭と一つになることによって、カイン・アベルが一つになるのです。アベル家庭であるイエス家庭とカイン家庭である野生のオリーブの木の家庭が完全に一つになって、イエス様の息子娘として生まれて、真のオリーブの木の実を結ばなければならないのです。それまでは分かれてはいけないのです。

 このようになれば、野生のオリーブの木も真のオリーブの木の実を結ぶことができるのです。これが復帰の原則です。ですからメシヤは絶対必要なのです。メシヤを通して接ぎ木することによって、血統転換ができるのです。しかしそれだけでは、まだ足りません。その次は、何をするべきかというと、悪の主権を屈伏させなければなりません。もちろんイエス様当時において、悪主権をすべて屈服させなければならなかったのです。それもいっぺんにしなければなりませんでした。しかし私たち統一教会は、二つに分けてやるのです。強い反対を受けて、一度にやるべき時を失ったために、今は二番目をやるのです。


キリスト教二〇〇〇年の歴史に該当する統一教会二十年の歴史

 統一教会の二十年の歴史というのは、キリスト教二〇〇〇年の歴史に当たるものです。統一教会の歴史は、キリスト教が霊的天国を望んできたことと同じなのです。地上に基盤がないのです。何の話か分かりますか。キリスト教二〇〇〇年の歴史は、地上に基盤がありません。ですから霊的に、息子娘の血統を転換させることの条件のみを立ててきました。この地上に再臨主が来られる時には、キリスト教は霊肉共に血統復帰したという条件の基盤を立てなければなりません。統一教会は実体的にこれを成し遂げなくては、イエス様が失敗したことを復帰することができません。

 再臨の主は、アダムが失敗したこと、イエス様が失敗したことを復帰してあげなければならないのです。それで統一教会が現れた時に、キリスト教の霊的勝利の基盤をこの地上で相続して、初めて出発できるのです。その地上出発の時にキリスト教が霊肉共に一つになって受け入れたならば、いっぺんに霊肉を中心とした地上天国を建設できたのです。ですから、二十年にわたって統一教会の歴史が延長されたのは、キリスト教歴史二〇〇〇年の延長と同じなのです。

 それゆえに、統一教会の二十年の歴史圏内で死んだ人はパラダイスのような所に行ってとどまるのです。何の話か分かりますね。そうしなければならないのです。国がないからです。

 パラダイスというのは、国を持っていない民族が行く所です。キリスト教も国を持っていません。そうですね。それでイエス様の時代と同じく実体再臨したのが、この二十年間の蕩減路程なのです。地上世界を中心として個人の蕩減復帰、家庭の蕩減復帰、氏族の蕩減復帰、民族の蕩減復帰、国家の蕩減復帰ができる基準まで蕩減する期間なのです。これはイエス様を殺そうとした時代に当たるものです。国家的に張り合い、世界的に張り合い、二つが張り合うそのような時点が、一九七二年なのです。

 こうしてヤコブの二十一年路程と同じく、今日私たち統一教会が二十一年間、六〇〇〇年の歴史を蕩減してきたのです。この期間に何をするかというと、第一次アダム、第二次アダムが失敗した基準、国家的基準を復帰しなければなりません。これが正に、第二次七年路程に当たるものです。

 この第二次七年路程で行くべき復帰の限界線がどこかというと、イエス様がイスラエル民族を失ってしまったことを復帰できるまでです。今や第三次七年路程を越えていけば、韓国の責任を全うしたことになります。次に、世界時代に入るのです。国家基準を越えて世界時代に入るのです。これがいま可能な圏内に、韓国自体が立っているということを皆さんは知らなければなりません。これを早く成就するために、先生は多方面からの作戦を立体的に展開してきました。

 しかし、ここで一つ問題になるのは、タマルやマリヤという人たちに夫がいなかったということです。それで、彼女たちの願いは何かというと、夫と出会うことだったのです。これが再臨思想、つまりメシヤ思想として延長されてきたのです。


この地上で聖霊を迎えるべきイエス様

 地上は聖霊であり天はメシヤなので、イエス様はこの地上に来られて聖霊と一つになり、母の神様と父の神様が一つになって、地上で手を組んで回りながら、息子娘を生む運動をしなければなりませんでした 。ところがイエス様の十字架によって一方は霊界へ、一方は地上にいるために、その中間にサタンがいて、サタンと戦って勝った息子娘は、この中から生まれた立場となり、サタンと戦って勝つことのできなかった息子娘は、その中から生まれた立場になれません。聖霊を受けなければ救いを受けることができないという話は、ここから出るのです。分かりましたね。それゆえ、今まで霊界に通じることが非常に難しいことだったのです。

 そのような難しい環境から今まで、悲惨な道を歩んできたのです。地上でサタンをすべて切り捨てなければならないので、世の中で一番嫌な道を歩まなければならなかったのです。そうしなければサタンを切り離すことができないのです。それゆえ、キリスト教は皆粘り強くなってきたのです。サタンの好きな人に従って行けば、サタンに従う環境になるために、サタンに勝った立場には入れません。それで、その反対の立場に追い出すのです。

 その人が正しいのにもかかわらず、サタンが血を流したり、殺したりしたときは、その環境にある群れが立ち上がるのです。これは何のことかというと、供え物を捧げる祭壇で血を流せば、神の子と考える人たちはそれによって復帰されるということです。そのように、ライオンのえじきになって血を流す環境から、神様を慰めつつ死ぬ時、それは滅びるのではなくむしろ環境的に天に従っていくということなのです。このようにして、正しい者を犠牲にさせて、探し求めていく運動をしてきたのが今までのキリスト教なのです。

 今やキリスト教は世界的な基準を整えました。しかし、これはどこまでも霊的なのです。霊的天国であり、主権的な基準で救われたということです。なぜならば、パラダイスに行っているからです。霊的に天国を目指してきたのであり、本当の天国にはまだ入っていないのです。

 このようにしながら、今まで聖霊は何をしてきたのかというと、サタンを否定するために、母の胎中まで導いてきたのですが、本来堕落しなかったアダムとエバの善なる血統を通して生まれる息子娘は、アダムの骨の中の子供の種から始まるのです。分かりましたね。(はい)。

 ところで、真のアダムという存在がなかったので、霊的に真のアダム、父と同じ立場に立ったのがイエス様だったのです。そのようなイエス様が聖霊の協助を受けて、聖霊はタマルとマリヤのような基準が立ったためにこの地上に出ることができたのです。この地上に母としての基盤を立てた国家的な基盤があったために、初めて聖霊として来ることができたのです。

 では、聖霊が来て何をするのかというと、イエス様を信じている人たちを中心として母子協助を行うのです。これが復帰原理なのです。母子協助なのです。ヤコブをリベカがコーチしたのと同じく、母がコーチするのです。母子協助によってイエス様を信じる人たちが聖霊の感動を受けて一つになるのです。そのようにして母が復帰された後には、父を復帰しなければなりません。父の骨の中に入らなければなりません。

 堕落しなかった天の側に立った母の血統の基盤に立った人たちは、次にどこへ入らなければならないかというと、堕落しなかった父の骨の中に入って、母が愛する以前の段階に入らなければなりません。今までキリスト教が待ってきた中心者とはどういうものかというと、結婚していないアダムの骨の中に秘められている息子娘の立場を、霊的に探し求めていこうということだったのです。


一九六〇年以前の統一教会における信仰運動の意義

 イエス様は結婚していないアダムと同じ立場なのです。新郎をめざしていくアダムと同じだったのです。霊的にそうだったのです。堕落しなかった立場に立った新婦を迎えるために、アダムと同じような立場に立った人がイエス様なのです。それで、この地上で新婦を待ちこがれなければならなかったのです。ですから、再臨主は、霊的なイエス様ではいけないのです。これを引き受けて再び来られる方は、今までのキリスト教のイエス様の中に入っているあらゆる子供の種をイエス様から引き受けて来られるのです。それゆえに、霊的な基準の勝利的基盤を建ててこの地上に来られる再臨主は、ヤコブが霊的世界の天使を屈伏させたように、あらゆるものを引き受けて地上に来られるために、第三次に勝利するというのが原則なのです。ヤコブが再び追われ追われながらも帰ってきてエサウに会って屈伏する道を開く条件を立てるのです。

 このようにして、再び来られる主を中心として、息子娘の実体として現れた再臨主の骨の中に霊的に入って一つになる運動が行われなければなりません。そうしなくては、地上から受け継いだ勝利的基盤が継承されないのです。話がちょっと難しくなりましたが、分からない者は分からなくてもいいのです。その人は原理の勉強が足りないということです。

 第三次アダムが地上に現れれば、霊的アダム自体も第三次アダムの子供と同じなのです。それと、結婚しなかった第三次アダムの骨に結婚しなかった母を迎えて血肉のようになって入ったという立場に立たなくては、母を通じて愛の実として生まれる道がないのです。復帰歴史はこのように難しいのです。何の話か分かりましたね。(はい)。

 これが一九六〇年になるまで統一教会の人々が行ってきた運動なのです。その時は男たちも皆、先生が懐かしくて泣いたのです。これは聖霊の協助があったからです。霊界のあらゆる女性たちの霊人が動員されてそのようなことを行ったのです。分かりましたね。

 霊界全体が協助するのです。自分の先祖たちが動員され、母のような女性たちの霊人を動員して、先生に従いなさいと協助するのです。そうして、先生と一つになるようにするのです。先生が涙を流せば自分たちも涙を流し、先生が喜んでいると自分たちも喜んで一体化して、心情の一体点を持ったという立場から、初めて母が生まれる時に、母の胎中を経たという条件を立てなければならないのです。そうしなければ実体地上の完成者が、カイン側天使長級から現れることができないというのです。私が涙を流せば、一緒に涙を流し、悲しめば一緒に悲しみ、迫害を受ければ一緒に迫害を受けないといけないのです。そのような時を経ないといけないのです。これが一九六〇年の統一教会聖婚式の前までなのです。この時は、全国家的に一番反対を受ける時でした。そして、既成教会も最高に反対した時なのです。

 それは、イエス様の立場から蕩減復帰しなければならないからです。イエス様が追われて十字架上で死んだのと同じく、全国家が反対して、その次は全教会が反対する、そのような中で基盤を立てたのです。先生はその時、針のむしろの上に座っている気持ちだったのです。その時、皆さんは知らないけれども、毎日書類を書くために裁判所へ通ったのです。劉協会長と一緒にです。他の人は知らないのです。

 イエス様の十二弟子が反対した時と同じく、統一教会に入ってきた使徒十二人が裁判所に投書したのです。国家的に統一教会をなくそうとしてきたために、どこに行っても反対者に会うのです。そのぐらい激しかったのです。イエス様を殺した時と同じように、追い込んで「統一教会の文先生を殺せ」と言ったのです。自分たちが一つになっていっぺんに追い出せばいなくなるだろうと思ったのです。

 しかしそのような状況のなかで、一九六〇年四月十一日に聖婚式を行って峠を越えていったのです。そこからサタンは崩れ始めたのです。その詳しいことは、今日は話しません。詳しく話すには時間がないからです。その時は、男性も女性も先生が懐かしくて涙を流さなければならなかったのです。


三年期間の蕩減復帰歴史

 そのようにして母を迎えるために、母のおなかを通して生まれたという条件をどのようにして立てるかというと、これは正に三年の伝道期間だったのです。一九六〇年度以降、私たちがやった三年の伝道期間が正にそのような期間なのです。

 その時は、麦御飯を食べる時だったのでした。麦に雑穀を二、三種類混ぜて炊いた御飯を食べなければならない時でした。その国、その国民の前に、一番かわいそうな立場から復帰していかなければならなかったのです。

 それは、イエス様が死んだ立場を復帰したと同じ立場であり、弟子たちが裏切った立場を復帰したと同じ立場だからなのです。それゆえに先生はその時、誕生パーティーをすることができませんでした。三年間は断食をする期間だったのです。それを知らなければなりません。

 御飯を食べる時もテーブルの上で食べなかったのです。服もジャンパーを着ました。ジャンパーを着て説教をし、ジャンパーを着て御飯を食べました。分かりましたね。これが復帰なのです。六〇〇〇年の復帰歴史は、僕の僕の身から出発して、復帰していかなければならないということです。ですから、御飯も、床の上で体を丸めて食べたりしたのです。三年間はそのようにしたのです。それは戦争なのです。

 その三年間、そのようにしながら誉進が生まれたのです。そして誉進も四十日伝道期間を皆さんと一緒の御飯を食べながら生活したのです。おなかの中の孝進もそのような立場で育ったのです。皆さんは父と一つになった母と、一つになったという因縁を、どのように結ぶというのでしょうか。これは到底道がないのです。アベルを通して接ぎ木することを、おなかの時代からしなければなりません。これは何かというと、誉進のおなかの時代から孝進のおなかの時代の三年期間なのです。

 その時、母がスープを食べるとその子供もそのスープで大きくなるのです。そうですね。それと同じく、誉進が生まれた時に皆さんもスープを食べたことを思い出すでしょう。孝進が生まれた時に食べたスープのことを思い出すでしょう。これが蕩減復帰の歴史なのです。このようなことを、これから本格的に世界化させて、その伝統をはっきり教えてあげなければなりません。再び母のおなかを通じて生まれなければならないということです。

 このように母のおなかというのは、堕落したことを蕩減復帰するためですが、今まで誰も完成した人がいなかったのです。しかし血統的に完成した面と、あらゆる面を蕩減した基準を持った母が初めて誉進と孝進を生んだ立場から三年間に皆さんが一つになった条件で再び生まれたという立場に立たされたのです。

 このように復帰歴史は六〇〇〇年をかけても難しい歴史だったのです。今日に至るまでいかに難しかったことでしょうか。神様はその一日を中心として、歴史的な試練を受けて来られたのです。それゆえ、皆さんの命は誰と共に復活したのかというと、先生と共に復活したのではありません。母と共に復活したのです。では、誰のためでしょうか? それは子女様のためなのです。

 ですから皆さんは間違いなく子女の立場に入るのです。このようにして、父母の時代と子女の時代が世界中に広がっていくのです。そこで皆さんがこれからどうすべきかというと、各自が自分の家庭に責任を持たなければなりません。そこで、血統復帰した立場から生まれたために全面的に一つにならなければなりません。

 いつまでかというと、子女様たちが結婚するまでです。先生の息子娘が結婚するまでは、弁明の余地がないのです。先に生まれた立場ですから、絶対一つにならなければなりません。彼らが結婚するまでは、アダムとエバが堕落したためにまだ堕落する余地があるのです。ですから皆さんは絶対保護する責任があるのです。分かりましたね。

 皆さんは全員が三位基台を編成されているでしょう。三位基台とはどういうものかというと、これは皆孝進と誉進を中心として、アダムとエバと天使長と同じような立場に立って平面的に一つになって、カイン・アベル関係を通してアダム時代、イエス時代、再臨の時代。三人の息子の形としてはアダム家庭を代表した三人の息子を蕩減する基準なのです。

 この蕩減の期間は、皆さん自体を通して平面的に供えた立場なのですが、ここからは先生の家庭を中心としての新しい歴史的な国の出発となるのです。これが大きくなれば氏族になり、もっと大きくなれば民族になり、そして国になるのです。


必ず行かなければならない七年路程

 さて、私たちの目的は何でしょうか? 個人を探していくのが私たちの目的ではありません。また、家庭を探していくのが私たちの目的ではありません。統一氏族の目的は国を探していくことです。父も母も子供も皆国を探していかなければなりません。しかし今日、統一教会の人々、祝福を受けた家庭、子女圏内にいる人々、国も教会もみんな知らないと言います。そのようになると皆落第なのです。原理的にそうなっています。

 死の日まで国を探し求めて、天の国の解放のためにあらゆる精誠を込めて戦いに出て、勝利の凱歌を揚げる時を迎えなければなりません。世界的に見た時、それは三年、遅くとも七年と見ているのです。

 大使館を通して世界的に宣伝すれば、統一思想は素晴らしいと言って受け入れるようになり、いっぺんに国が復帰されるのです。皆さん、皆さんの家庭は知らなければならないことがあります。伝道も教会もいいけれど、今は定着して住みたいというのが一番の願いなのでしょう。三年間、妻と別れて暮らしてみると死にそうなのですね。そして自分の妻が大事な存在だということを知ったのですね。自分の妻が大事な存在ですか、そうではないのですか? 自分の妻が大事な存在であるということを知らなかった者はそれを知るまで三年間、別居し、そして知ってまた三年間、そのように七年を過ぎればどうなるのでしょうか?

 先生も七年路程を歩んだのですから、家庭を持って七年路程を歩まなければなりません。皆さん、みんな歩みましたか? 三十六家庭も、七十二家庭も、一二〇家庭も、四三〇家庭も皆歩まなかったのです。皆さん歩んだと考えていますか。先生の囲いになって、原理を持って自分の命を懸けて一つになろうと考えてみたことがありますか。考えてみたのですか、みなかったのですか? 考えてみなかったので歩んでこなかったということになります。

 先生がすべて教えてあげ、そのようにしなさいと言ったにもかかわらず、できなかったということです。

 皆さんが七年間歩んで条件さえ立てれば、国が解放されるのです。それが、これからの三年間です。ところでエバさんたち、自分の夫を交換しておかなければ帰ろうとしても帰ることができないのです。これが復帰歴史なのです。帰ることができないのです。自分の夫をその立場に置き換えておけば帰ることができるのです。公的な者たちは帰ることができません。これが七年路程なのです。いやでも七年路程を行かなければなりません。七年路程を通して、個人の解放、家庭の解放、民族の解放、国家の解放、世界の解放をしなければなりません。七年路程を歩んで条件を立てなければなりません。


国を探しに行くべきか、家庭に帰って行くべきか

 それでは皆さん、家庭に帰るべきでしょうか、国を探しに出るべきでしょうか? 国を探しに行かなければなりません。率直に話しますと、家庭に帰って団欒な生活をするのでしょうか、そのような生活はすべて捨てて、国を探しに出るべきでしょうか? 国を探しに出なければなりません。国を探さなければ皆さんの後孫たちが永遠に恨みを持って皆さんを讒訴するのです。私たちの先祖は先生の時代に生まれていながら、先生の言うことを聞けば間違いなく世界的な解放圏を得ることができたのに先生の言うことを聞かなかったと、祝福を受けた皆さんの後孫たちは、堕落したアダムとエバの後孫たちと同じように皆さんを讒訴して、その恨みが天と地に満ちあふれる時が訪れるということを知らなければなりません。分かりましたね? (はい)

 故郷に帰りたい人は手を挙げてみなさい。それではもっと率直な話をしましょう。夫妻で子供と共に面白く一度生活してみたいと、三年を望みながら何もできずに、流されてしまった人々が多いのです。それでも家に帰りますか、国を探しに出ますか? 答えてください。(国を探しに出ます)。もうみんな分かりましたね。もし、七年ではなく二十一年ならばどうですか? 二十一年路程は誰しもが行けるものではありません。それゆえ、先生は皆さんのやりたい放題にしておくのです。皆さんとは相対しないのです。先生を失って、先生がいない時代に二十一年を行こうとしても、その時にはどんなに先生の所に来ようとしても来ることができないのです。三十六家庭もできないのです。

 先生が原理原則を教えてあげたように、原理原則を経なければなりません。それでは家に帰りますか、国を探しに出ますか?(国を探しに出ます)。国がありますか、ありませんか? 国がないのでどこに行くのですか?家はありますか、ありませんか? 家がないのでどこに行くのですか? ですから家に帰るよりも、国を探しに出たほうがましだということです。そのように考えるのです。

 完全に荒野時代の避難民と同じなのです。分かりましたね。イスラエル民族がカナンの地に基盤を立てることができずに荒野で鳥のえじきになったのと同じように、皆さんもこの道を行くことができなければ皆掃除してしまうのです。カナン福地や天国はさておいて、より詳しい話をしましょう。

 途中で乞食の群れとなり悲惨なる群れとなるとしても、先生は皆さんをつかみません。先生は先生の行くべき道を行くだけなのです。そのくらいに厳しい先生であることは皆さんがよく知っているとおりです。なぜそうするかというと、皆さんが滅んでも世界人類は滅んではいけないからです。それで第二の戦線に向かって再び出発するのです。

 そうなれば血統転換は私たち統一の群れによって可能になりますが、主権復帰はどうなるでしょうか。家庭に帰ってしまってもできるでしょうか。その時には、祝福を受けた者たちはどうなるか、見てみなさいということです。それから三倍以上働きながら二十一年間をさかのぼらなければならないのです。原理がそのようになっているのです。天法がそのようになっているのです。これは恐喝や脅迫などではありません。その時になってみればよく分かるのです。それがよく分かるので今まで先生が戦ってきたということを知らなければなりません。皆さんのように適当にやってできることであれば、なぜこのように急ぐ必要があるのでしょうか。統一教会の本部にもお金がなくて困っているのに世界巡回路程だといって五か月の間に多くのお金をみんな地にまいたのです。そのお金を皆さんにみんな分けてあげたらどんなによかったでしょうか。そうですね。それを知りながらも、なぜこのようなことをしなければならないのでしょうか。

 これは、皆さんが行くべき未来のために道を整えておかなければ、皆さんの後孫たちの行くべき道がなくなるからです。今、皆さんが楽な生活をするよりも、これが皆さんの未来のための近道になるので、どんなに投入しても良心的に呵責を受けないのです。何の話か分かりましたね。反省しなければなりません。不平不満を言うこの者たち! 蹴られても仕方がないのです。一日語って得た結論はこのことです。皆さん、国を探しに行きますか、家に帰りますか? カイン・アベルの問題がこのことです。

 カインは何ですか? 上がるものですか、下がるものですか? アベルは何ですか? 上がるものですか、下がるものですか? どちらですか。個人は家庭のために生きれば、アベル家庭になることができます。アベル家庭はアベル氏族になることができ、アベル氏族はアベル民族になることができます。民族のアベルになれば、自分の妻や子供も供え物として捧げることができなければなりません。そうしなければ正当な復帰の道を行くことができません。先生の話が間違いだと思う人は抗議しなさい。何か間違っていますか!

 先生はそのように生きてきたのです。米がなくなっても、子供たちの学費がなくなっても心配することはありません。今日まで先生はそのようにやってきたのです。そのようにやっていけば、すべて失ったように見えても、すべて滅びるように見えても、天が周辺のすべての環境を動員して守ってくれるのです。原則に間違いはないということです。


国のために祈りなさい

 このようなことを知った以上、家に帰りますか、国に帰りますか? (国に帰ります)。それでは、平壤を占領せよと言ったらどうしますか。行きますか、行きませんか?(行かなければなりません)。それは、イスラエル民族がエリコ城を占領したことと同じなのです。イスラエル民族が素手でエリコ城を征服したことと同じく、統一教会の人々は北と戦うことができるでしょうか。しかし、全知全能である神様の原則に従って三十八度線を越えてサタンの讒訴できない立場に立てば、そこから、すべてが引っ繰り返るのです。そうして、一回まわればすべてが終わりなのです。

 神様が苦労に苦労を重ねて私たち統一教会がこの場まで上がってこれたのは、二十年の歴史に過ぎなくても、ここに投入された犠牲は統一教会の何万名が問題ではないのです。数千数億の人々が犠牲にされてきたということを知らなければなりません。多くの犠牲の上に国の主権を立てるとともに、天の希望と万民の解放の旗も高らかに掲げ、「世界の良心ある人は動員せよ」という世界的な宣伝の時代を迎えなければ、天国建設は始まらないのです。今まで共産主義者たちは「世界の労働者、労民たちよ団結せよ」と言ってきたのですが、私たちは「世界の良心的な人は動員せよ」と言うのです。これは階級を超越したからです。まず、宗教界の良心的な人、その次は世界的な良心的な人、すべて動員されて動くようにならなければなりません。このような群れに対して反対してはならないということをよく知らなければなりません。

 伝道することは当然なのですが、伝道それ自体が私たちの目的ではありません。伝道して天の民をつくることが大切なのです。伝道してその国の指導者をすべて感動させなければなりません。伝道だけするのが問題ではありません。ですから皆さんは地方に行って活動する時に、この国が私たちによって復帰されるまでは韓民族は解放されず、韓民族の運命が解放されなければ、世界の運命も解放されないということを知らなければなりません。

 韓民族の運命の解放は、世界の運命の解放と世界人類の運命の解放につながるのです。それゆえ共産党と対決しているのです。三十八度線の解放は韓国と北韓のみの解放にはならないのです。全世界の自由世界と共産世界を共に解放することができるということは皆さんがよく知っていることです。

 ですから国に行かなければなりません。ところで、国がありますか、ありませんか? (ありません)。かわいそうな群れですね。それゆえに、皆さんは統一の歌を歌う時は、このことを考えなければなりません。国のない人は死んだ人と同じく、訴える所がないのです。これは神様もどうしようもないのです。人間が国を失った立場に立った時、再びアダムの後孫が国の主権を探してくれる時までは、神様もその権能を行使することができないのです。

 ですから国を復帰する日には、世界は七年以内に復帰されるのです。先生が何にも知らないように見えても、目に見えない何かをもっているのです。皆さんの目には先生が牛か熊のように見えるかもしれないけれども、今や先生の目には世界が明らかに見えているのです。

 それでは、結論をつけましょう。すでに話した供え物の話ですが、蕩減復帰には供え物が必要なのです。この供え物は、必ずサタンと神様とによって成り立つのです。供え物は犠牲の立場に立った世界的なものでなければなりません。これを皆さんはよく知らなければなりません。それゆえ先生が今度、そのようなことを世界的にやってきたのです。ですから今、皆さんはこの期間に本格的に国家のために祈らなければなりません。

 そして先生は今や本格的に国家を超えて世界のために祈る時が訪れたということを皆さんは知らなければなりません。今までの受難時代において先生のために祈ってきた、その祈りはみんな捨てるのです。先生は、皆さんの世話にならなくてもいいのです。これからは皆さん自身の息子娘のために祈りなさい。皆さん自身の国のために祈りなさい。大韓民国のために祈りなさい。

 今まで先生のために祈ってきたことは、今まで道案内として先生が必要だったからです。皆さんがとまっている国は正にあの国だと教えてあげるまで先生が道案内として必要だったのですが、今はみんな教えてあげました。


一日も早く復帰しなければならない既成教会

 皆さんが探していくべきところは国なのです。国を探していかなければなりません。今まで先生が整えてあげたことをすべて相続して、国を探して超えていかなければ平面的な環境が訪れてこないのです。このようなことをして三年間団結して、一九七四年、一九七五年四月まで行かなければなりません。

 血統転換の歴史は、皆さんが先生を通して接ぎ木されて家庭編成、氏族編成を成して超えなければならないのです。したがって、統一教会は既成教会を早く伝道しなければなりません。既成教会が反対しないその日にはカインが屈服したということになります。反対せず、過去の面目もすべて忘れて、今こそ手を組んで一緒に行きましょうという日には、統一教会が勝利するのです。その日は遠くありません。三年間行えば、今や統一教会しかないと皆が公認するようになっているのです。ですから、街頭伝道も積極的にやらなければなりません。巡回も積極的にやらなければなりません。班長たちも積極的にやりなさい。

 個人的な感情で教会長はこうあるべきだ、教会はこうあるべきだと言ってはいけないのです。皆さんは、みんな愛国者にならなければなりません。愛国者と同じ立場で命を懸けてどんなに犠牲の道であっても、国を探していくのです。いくらお金があっても、洋服があっても気持ちが悪いのです。このようなことには何の価値もないのです。国を救うために、今まで自分の身を捧げ、犠牲となり、供え物になった霊魂たちがどんなに多いことでしょうか。牧師たちに軽蔑されて、耐えられないとでもいうのですか。ここにいる代表の班長たち! しっかりと受け止めておきなさい。君たちは特攻隊なのです。

 これが供え物になる時には対立するのです。分かりましたね。統一教会は今まで既成教会と対立し、時の政府と対立し、共産党と対立して戦ってきたのです。これが一点なのです。共産党と戦っている国は韓国であり、金日成と対立しているのも韓国なのです。偽りの父母と真の父母が、サタン世界の実体と天の世界の実体が張り合っているところが韓国なのです。国と張り合い、教会的にも張り合っているところなのです。

 ですから、これからは国も統一教会と手を組まなければ生きる道がないのです。この大韓民国の人たち、政府の人たちも統一教会の人のような精神を持てば、共産党なども問題ないのです。政府の最高幹部たちもそのように考えていますか、いませんか? そのようになっているのです。すでに道は整えられているのです。あとは時間の問題なのです。ですから、自分を捨て、昼も夜も走らなければなりません。

 もし既成教会が反対しても、「この者たち!」と言えば、国民が立ち上がって戦い、既成教会よりも先立つようなります。今年までは、金日成が戦争の準備を整えて、南へ攻めて来ようとしますが、これも第二次七年路程期間まで延長されるだろうとみています。私たちが基盤を立てれば、その次に一人、二人と霊界に連れていくのです。見ていなさい、そうかそうではないか。

 先生が平面的作戦、世界化作戦をするのです。その準備を今や整えました。皆さんは、今までそのような内容も何も知らずにただ逆らいながらやって来たけれども、今や世界的な基盤を立ててその焦点を合わせなければなりません。皆さんはこのことをよく知らなければなりません。今回、第三次世界巡回路程から帰ってきて、なぜ皆さんにはっきりと教えてあげるかというと、これから国を探すためなのです。分かりましたね?(はい)。

 皆さんが、「今まで私たちは亡命客だったなあ。私たちに血を流すようにした怨讐たちのことだったなあ」と、感じるような立場から完全に一つとなり、新しい次元から出発できるように、先生がこの韓国の代表者としてやらなければならないことです。これをはっきり知らなければなりません。


国を探すために信義の種をまこう

 今回、はっきりこのような信念を持って行かなければなりません。きょうの話の中心は、不信の種を取り除いて信義の種をまこうということです。皆さんは信義の種をどこにまきましたか? 私たちの国にまかなければなりません。この韓国にまかなければならないということです。

 大韓民国はこのままでは滅んでしまうのです。思想が弱く、腐敗したものはすべて掃除して清算しなければ滅んでしまうのです。ですからここに、私たちの思想が必要なのです。

 それで、昨年末に国会議員特別公聴会を開こうとしました。最初統一教会が牧師公聴会を開こうとした時、みんなに狂ったと言われました。みんなが嘲笑したのです。それは天倫のことを知らないからです。そこで来たかったら来ればよいし、来たくなかったら止めなさいと言ったのです。そこで代表的な三、四人が協力すれば、みんな指示できるようになっています。今まで継続する必要がないのです。しかし、救ってあげなければならないためにそれでもキリスト教歴史において、今まで血を流しつつ苦労してきた人たちがいるために、私が責任を持っているのです。

 それではもう一度聞いてみましょう。家庭に帰りますか、国に戻りますか? (国に戻ります)。今は国がないので、国を探す道が穴の中にあれば穴の中に入り、野原にあれば野原に行かなければなりません。個人的な好き嫌いは問題外です。嫌いでもその国を探さなければならないし、好きでもその国を探さなければなりません。嫌であれ好きであれ、そのことをやらなければならないのが統一教会の群れなのです。

 嫌いなことでも自ら出てやらなくてはならないのが私たちの運命の道であることを知らなければなりません。はっきり分かりましたね。はっきり分かった人は手を挙げてみなさい。手を下ろしなさい。そのようにするという人は手を挙げてみなさい。下ろしなさい。アブラハムが、その子を供え物として捧げたのと同じく、世界あるいは国のために皆さんの手で皆さんの子供を供え物として捧げることも問題なく、妻を備え物としてあげることも問題ないという決意をしなければなりません。

 先生もそのようにして越えてきました。今までそのようにしてきたのです。先生の生活がそうだったのです。そればかりではありません。父、母、妻、一度に六人を供え物として捧げて人類の恨み、天の恨みを解放することができれば、自分の手でやろうと決心した男であることを知らなければなりません。何の話か分かりますね。このような伝統を立てた先生に世話になってはなりません。皆さんの知らないうちに、先生が血と涙を流す戦いをしてきたということを知らなければなりません。

 しかし、私が偉大になるためにそのような道を行くのではありません。天の息子娘の前に、すべてを遺言として教育するつもりです。「皆さんの家庭は、これを中心として行け」と。永遠に変わらず、ここまでぴったりと合うようになれば、もう話をすることもありません。それゆえに、これからは新しい教育をしなければなりません。「国の編成はこうあるべきだ。教育制度はこうならなければならない」ということをみんな知っているのです。皆さんもみんなそうならなければなりません。皆さんがそのような立場になっていないために、先生は今までこの世の中で足りない者たちの後ろにいなければならなかったのです。皆さん、そのような先生がかわいそうではないですか。

 大韓民国の誰にも負けない信念を持った男として生まれながら、自分の名前を宣布することもできずに、影の中で生きてきたのです。なぜかというと、もし間違えば民族が滅んでしまうからです。皆さんを立てて迫害を受けても、父母は今まで迫害を受けない立場に立って、許してあげることのできる期間を延長させる作戦を取ってきたことを、皆さんは知らなければなりません。このことをはっきりと知って、国に向かっていく決意を今回もう一度しなければなりません。

 このようにみた時、皆さんはかつて五月十六日の軍事革命も十二人でやったと言うでしょう。このように、世の中でも命を懸けてやるのですから、天と地の歴史が今日我々の両肩にかかっており、我々の歩みによって左右されると考えた時、自分の命を懸けて行かなければならないのです。これが、天の前に血と肉を持って現れた天の息子娘たちの責任であることを皆さんは知らなければなりません。

 天の墓石を建てる列女となり、忠臣の群れにならなければならないということをはっきり知らなければなりません。先生が今日このような話ができるということは、そのくらい私たちの基盤が整えられたということです。私が今、牢獄に入って死ぬようなことがあったとしても、み旨は成されるようになっているのです。もう少したてば、過ちを犯した者は、政府であれ誰であれ、すべて正面から攻撃するようになるのです。


縦的歴史の横的蕩減

 今まで生きてきたのは蕩減の時代です。私たち教会のマイナスの時代だったのです。しかし、これからは私たちの教会も平面的に、一九七四年から私たちが動けば少しずつ解かれていくのです。これからは今の数倍の群れが統一教会と因縁を結ぶことのできる段階に入るのです。ですから、全国的にこのような伝統を立てるために総進軍しなければなりません。第二次七年路程は、皆さんが責任を持つことのない路程なのです。

 先生が今まで何をしてきたかというと、カイン・アベルの問題を中心としてやってきたのです。家庭においてもカイン・アベルの問題を中心としてやってきました。父母の家庭を中心としては何もできなかったのです。アベル自体において、私が犠牲になってきましたが、父母時代が訪れると皆さんが犠牲になるのが原則なのです。皆さんが犠牲になって先生を助けなければならないのです。

 そして、先生がお金持ちになり、そのお金を世界的に弱い少数民族のために使わなければなりません。そのためには、先進国を抑えておかなければなりません。

 そのためにアメリカに渡ろうとするのが先生の計画なのです。世界の全財産の六〇パーセントをアメリカが持っているのです。巨大なる国なのです。一九六〇年度において、先生の計画は七年路程を通して行うのです。十年前には、このようになるとは皆さんも信じることができなかったでしょう。これから一九八〇年代においてアメリカがどうなるか見ていなさい。間違いなく、先生の作戦どおりに韓国も先生の作戦に追い込まれるのです。どんなにアメリカが威張っていても先生の作戦に追い込まれるようになっているのです。それゆえに国内の外的な責任を早く終えようと思うのです。何か質問ありませんか? 質問ないんですか。

 皆さんの家庭は、(先生が黒板を使用される)これは父母でしょう、これは子女なのです。これは万物なのですね。縦的な歴史を横的に蕩減するのです。旧約時代は物質を供え物として捧げ、新約時代は子女を供え物として捧げたのです。

 これが新約時代なのです。そして成約時代なのです。これが三掛ける七で二十一なのです。今が長成期完成級がここであり、そして七年路程の根本の立場に入ってきて、完成時代となるのです。ここから「父母の日」「子女の日」「万物の日」「神の日」を中心として、堕落しなか った直接主管圏内に入るのです。このようになることによって、初めて中心が決定されるのです。

 この天と地の間を神様と人間が合わせて、その中心を決定しなければならないのです。今この世界には中心がないのです。その中心は家庭的な中心でありながら、国家的な中心でもあり、国家的な中心でありながら世界的な中心なのです。

 メシヤによって全体の中心が決定されるために、それまで人類は中心のないままに暮らしているのです。ですから、メシヤが必要なのです。今の韓国もどこに行くのか分からないのです。日本もそうです。日本の主権者は天使長と同じであり、統一教会の久保木はエバと同じなのです。エバは天使長を復帰しなければならないのです。このように日本自体も今どこに行ったらいいか分からないのです。統一教会はどこに行くか分かっているのですか?

 統一教会はどこに行くべきか、間違いなく分かっているんですね? (はい)。先生と一つになり、個人的な路程、家庭的な路程、国家的な路程を経て、縦的な歴史をすべて横的に蕩減復帰してくるのです。これは万物の型、これは子女の型、これは父母の型です。ここに七年路程が残っているのです。これは三掛ける七で、二十一の三段階です。皆さん自体を見ても、皆さんの家庭を見てもこのようになっているのです。物、子女、父母なのです。


神様が一番愛される統一教会

 皆さんは自分の所有権を持っていますか、お金とか財産がありますか? (あります)。少しはあるでしょう。十円玉一つくらいはあるでしょう。その次に、靴下一足でも自分の所有物なのです。世界の金持ちたちが数億、数十億を神様の前に捧げるような時が来ると、皆さんは靴下一足でもって数億を蕩減できるのです。

 皆さんは数十億を蕩減するその金持ちよりも先にアベルの立場に立ったということです。神様は誰の供え物を先に受け入れるかというと、数十億の財閥の供え物ではなく、統一教会の人たちの靴下一足を先に受け入れるということです。そのようになれば、皆さんは、一番の世界の代表者となるのです。そして皆さんの子供たちは、今はみすぼらしい姿であっても、神様は世界で一番にその息子娘たちを貴く思って保護されるのです。

 今は何の価値もないように見えるお父さんお母さんたちも、世界的ないかなる大統領や王様よりも先に立つのです。それゆえ、皆さんは王様よりも優れた立場なのです。世の中のいかなる皇太子よりも、その子供たちよりも優れた立場の価値を誇ることができるのです。ところがそのような価値を分かっていないのです。

 今の自分が足りないとか、こじきのような群れだとか、心配してはなりません。時が来て先生が良くなった時には、皆さんが今はこじきのような群れだったとしても引っ張ってあげるのです。肉を配る時には、一番良いところの肉を配るのです。その時は下痢をしないようにして、たくさん食べてください。そうして七年間で二十一年を蕩減するには、毎日皆さんに肉を食べさせるつもりです。アダムとエバが堕落したことによって、神様は一度にすべてを失ってしまいました。ですから、一度に捧げなくては天国に入ることができないのです。では誰に捧げるのでしょうか? 神様に捧げると同時に真の父母様に捧げなくてはなりません。このような原則があるために、世界を統一しなければならないのです。

 それではこれからどうすべきでしょうか? 女性は年が幼くても長男の嫁になることができるし、母にもなることができるのです。母が兄より年下になることが起こり得るのです。カイン・アベルの血統転換の原則において、神様はそのような基準を持って摂理するのです。

 それで男性はできるだけ自分より年下の幼い女性と一緒に住みたいと思うのです。そうですね? これは復帰路程において、結婚の経験のない乙女を通してそのような道を開いていくことを願っているのです。マリヤも男性経験のない乙女でした。そのように娘のような人を経なければ、復帰できる息子は出てこないというのです。分かりますか。そのような伝統があるために、神様は今まで年をとって娘のような人と一緒に住んでも許したのです。そうでなければ許しというのはあり得ないのです。世の中はみんなそうなっています。

 また今まで王宮において複雑な問題を起こしてきたように、男女問題などの複雑な問題は、みんな神様のみ旨の中でそれを蕩減しなければならない時代だからです。皆さんにもそのような時が来るかもしれません。原理を知ってみると、神様はすべて一時のために今までに歴史時代を経てきたということを知らなければなりません。

 では、皆さんが祝福を受けて生んだ息子は誰の息子でしょうか? (神様の息子です)。ですから皆さん、男性は三年間、女性に絶対服従するようにと言ったのです。結婚すれば三年以内は先生の管轄圏内にあるのです。み旨を中心として勝利せずしては愛することができないのです。このような法度は、すべての息子は誰の子かというと、自分の所有でしょうか、個人の所有でしょうか? 国の所有なのです。自分の体も自分のものではなく、みんな国のものなのです。


人間はみんな相手のために生まれた

 人間は本来生まれるとき自分のために生まれたのではありません。男性は男性のために生まれたのでしょうか。そうであれば、なぜそのように醜く生まれたのでしょうか。男性の体は男性のために生まれたのでしょうか。答えてみてください。男性のためですか、女性のためですか? この者たち! 自分の体は自分のために生まれたのではありません。また女性の体は女性のために生まれたでしょうか。

 女性のような男性を好む女性がいるでしょうか、男性らしい男性を好むのです。それゆえ男性は手が大きくて、荒っぽくならなければなりません。女性はかわいい男性ではなく、手が大きくて堅くて体が大きい男性を好むのです。しかし言葉も荒っぽい男性を好むようにはなっていないのです。お互いに愛し合う時は言葉よりも力なのです。それがより魅力的なのです。

 女性は女性のように静かな男性と結婚するでしょうか、大きくて荒っぽい男性と結婚するでしょうか。どんな男性が好きですか? 力があり男性らしい男性と一緒に住みたいと思うのが女心なのです。そうなのですね。

 また、ここにいる男たち、男性のように大きくて堅い女性と結婚したいと思う男性がいますか? いたら手を挙げてみなさい。女性はなめらかでなければなりません。夕方も朝も触ると気持ちが楽しくならなければなりません。それゆえ女性はなめらかに、男性は堅くなっているのです。そうなのです。腰も柔らかく、胸もふくらんで、すべてになめらかなのです。そうですね。しかし男性はそうではありません。男性は棒のように堅いのです。そのようになっているのです。このようなことを見ると、人間は自分のために生まれるようになっていないのです。皆さん、自分のために生まれましたか?

 女性が化粧をするのは結局女性のためですね? (いいえ)。誰のためですか?(男性のためです)。男性だけの世の中ならば化粧などはいらないのです。マニキュアなどは塗る必要がありません。では、女性だけの住む世の中では化粧する必要があるでしょうか? それは男性がいるからであり、男性はそのようなことを好むのです。本来自分が生まれたのと正反対を好むのです。それゆえに人間は生まれる時、自分のために生まれたと考えてはならないのです。人間は他のために生まれたのです。そうですね。相手のために生まれたということです。

 愛は自分のものではありません。今日の男性たち、今までの人間たちがそれを知らなかったのです。愛は自分のものではないのです。それでは愛はどこから来るものでしょうか? 愛は相手から来るのです。これを自分のものにすれば大きな間違いなのです。滅びてしまうのです。愛が自分のものですか?

 どんなに男性同士で愛し合おうとしても、女性がいなければ愛することができません。女性がいて愛が生まれるのです。ですから女性は聖なる存在なのです。また女性において男性は聖なる存在なのです。ゆえに、妻は聖なる妻であり、夫は聖なる夫だということです。目的がそうなのです。自分のために生まれたのではありません。本来そのように生まれたのです。


国のために行こう

 それでは父母は誰のためにあるのでしょうか? それは子女のためにあるのです。それで、なぜ子女のために精誠を込めなければならないのかというと、子女を通して行く国があるからです。家庭よりも自分たちよりも国を愛さなければならないために、父母は子女を愛するのです。父母が子女を愛する伝統は、国を愛するためだということを知らなければなりません。

 それゆえ、自分の命を失う立場に置かれても、子女を残しておかなければならないというのが原理原則なのです。そのように、国のために自分の身体よりも子女を愛する立場に立ったところから、すべての歴史の発展があるのです。ですから皆さんの家庭は、先生の家庭のために生きるのではなく国のために生きなければなりません。国を探したあとは世界のために生きなければならないし、世界を探したあとは天宙のために生きなくてはなりません。そうして統一教会の群れは天宙を探したあとはどうするべきかというと、天宙のために生きるのではなく神様の愛のために生きなくてはならないのです。これが最後なのです。そのようにして国を探せば、七年以内でもっていっぺんに合わせることができるのです。

 今やすべて整理されてはっきりとした要点が立っているのです。分かりましたね。皆さんこれからは統一教会を信じる段階から、統一の国の民とならなければなりません。そうするためには統一教会を宣伝しなければならない時が来なくてはならないのです。統一原理がこうであり、勝共思想がこうであるということはみんな過ぎ去ってしまうのです。

 国があって初めて、永遠なる私たちの後孫の前に相続できる伝統が残るのです。私たちの血と汗を流した努力が残るのです。神様の苦労を祝賀することのできる記念塔が、この地上に生まれるのです。すべての栄光の足跡が、この地上に残ることができるのです。国がなければ、すべてのものが水に流されるのです。

 今日の世界でキリスト教に残されてきた十字架などを天が探そうとする時、もし国がなければすべてを河に流し、火で燃やさなければならないのです。サタンの成すがままに流れていくということを知らなければなりません。このように国が問題であることを皆さんは知らなければなりません。それでは、自分はその道を行くという人は手を挙げてください。下ろしなさい。もう一度、行きますか、行きませんか? (行きます)。行く、行く、行く。行く、行く、何のために行くのですか? 国のためです。皆さんはこれからこの思想を全国的にはっきりと伝えていかなければなりません。

 今までははっきりしていなかったのです。今回先生が世界を一巡りしてきたのは、この思想を世界的に一元化させて、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本をこの思想で横に並べてそこに韓国を加えて五つの国家を一つにするためです。

 それで今年の年頭標語は「統一戦線守護」なのです。なぜ「統一戦線守護」かというと、統一教会の統一戦線というのは、統一の国というのは少なくとも五つの国が天の前に真心を込めて、四つの国が一つの国の防波堤となって、そこに入国しても安息できる国となることです。そうして初めて天国建設が始まるということを皆さんは知らなければなりません。サタン世界に対しての防波堤が生まれたために、今日このような蕩減的な路程をも知っておかなければならないのです。

 今回先生は日本で大講演をする心情をもってやってきました。ゆえに東京集会、大阪集会、東北集会は生死を懸けたものだったのです。そして新しく機動隊を編成しました。大勢の人々の前では講演しなかったのですが、統一教会に新しく入った人々を中心として集会を開いたという蕩減条件を立ててきたことを皆さんは知らなければなりません。


世界復興団創設計画

 これから私たちも機動隊をつくって山奥も伝道しなければなりません。三年もたてば各国にも機動隊ができるでしょう。少なくとも六〇〇名、三〇〇名を越えると、一人が三人ずつ伝道すれば、どこに行ってどういう大会を開いても、自動的に満員になるのです。今回東京で勝共大会をしたときも、三〇〇〇名は来ていました。一般の人々が入らなくてもそうなのです。一週間に一回ずつ開いても、一回に三〇〇〇名も満たす大会ができるのです。

 これから三年間そのような基盤を整えておけばどうなるかというと、その次に世界復興団をつくろうとするのが先生の計画なのです。それで今回世界復興団をつくることを宣布しておいたのです。十か国ができなければ、七か国を中心として、一か国から二人か三人ずつ出て二十一名が一つの組になるのです。このようにアジアのチーム、ヨーロッパのチーム、南北アメリカチームの三つのチームをつくって、どこに行ってもこのような人たちが先頭に立つのです。

 世界的な学者、大神学者、権威のある復興師など七か国の人々を中心とするチームを組んで活動すれば、その国の宗教指導者たちがみんな訪ねてくるようになるのです。そのように世界的に一つになる運動を拡大して、世界的大復興講演会を開き、世界的な新しい神学者教会を建て、世界的な教育者教会をつくってみんな動かすのです。

 そうなれば、講師を招待するために今の三倍に月給を上げればみんな来るようになっているのです。三倍まで上げなくても、一・二倍か、一・五倍に上げればみんなやって来るのです。三年分をいっぺんに払えば、みんな来るようになっているのです。ですから三倍プラス三年分をいっぺんに払ってしまうのです。そうして二〇〇名も集まれば、世界大復興団講師は間違いなく計画通りにできるのです。そのように行うということを、今回先生が決めて帰ってきたのです。そのような人々を選んで世界的な組織をつくっておけば、最初は全神学者たちが集まってセミナーを開くのです。その次は、復興会を開くのです。その次は何をするのかというと、今まで統一思想に対して世界的に反対してきたが、反対せずにその内容を神学的にタイトル別に見てみたとき、統一思想はこうであるという論議をするようになるのです。このような世界的運動を展開しようと思っているのです。その時のために子供たちを中心とした舞踊団も準備しておきました。そのように集まった世界各国の優秀な機動隊の人々を四三〇名ずつ飛行機に乗せて、世界中に送るようにするのです。

 そこで、今回私がありがたいと思ったのは、ジャンボ飛行機があるということです。このジャンボ飛行機は四八〇名が乗れるのです。その中に座っていると、これは飛行機ではなくホテルだという思いがするのです。これが滑走路を走ってる時は、これが飛べるだろうか、どこかにぶつかるんじゃないだろうかという気がするのです。見下ろして見ると、五階建ぐらいの高さに見えるのです。

 そのような飛行機に四八〇名の機動隊の人々が乗って、世界巡回に出たならばどうなるでしょうか? 韓国に到着した日には、四八〇名の各国の人々が穴から虫が出るように出てくるのです。彼らはフランス語もよくでき、英語もよくでき、スペイン語もよくでき、世界中どの国に行っても、すべてに通じるように訓練してあるのです。こうして機動隊のメンバーは、世界的な記録を持った人たちなのです。機動隊チャンピオンなのです。これが約数十か国になるのです。

 そして一九七五年には必ず一二〇か国に宣教師を送るのです。どんな小さな国であっても宣教師を送らなければなりません。このようにして選ばれたチャンピオンの立場は、行けば行くほど、時間がたてばたつほど競争率が高くなるのです。記録を持った人たちが集まっているからです。例えば韓国に四八〇名の機動隊が入ったと考えてみましょう。

 どんなに転んでもしわのつかない世界一番になる洋服を着てデモ行進をすると考えてみましょう。そのデモ行進の場に素晴らしい私たちの機動隊の車があるとすれば、どんなに素晴らしい大会になることでしょうか。私たちの車があって、そして機動隊の人々がその国と一つになって国家的な大会を行って、ラッパを吹いたり太鼓をたたいたりして行進しながら回り歩くと考えてみましょう。気持ちがよいですか、悪いですか?(よいです)。どんなに考えてもこれはうそではありません。


機動隊のチャンピオンたれ

 韓国にいる皆さんも、機動隊のチャンピオンクラブに参加したければ機動隊をつくりなさい。参加したくなければ機動隊をつくらなくてもいいのです。機動隊をつくることを約束しましたね?(はい)。そのようにして、そこから優秀な人を選ばなければなりません。そしてアメリカに連れていって英語の勉強をさせるのです。アメリカに一年半か二年いれば、英語もマスターできるのです。英語をマスターすれば、その次はフランスに行って一年間フランス語をマスターするのです。

 その次はスペイン語です。このように私たちの組織があるので、先生のサイン一つですべてが終わりなのです。フランスの責任者へ、「この人に御飯を食べさせてあげなさい」と、先生がハガキさえ送れば、「ありがとうございます」というようになっています。「いらっしゃいませ。一流ホテルにしますか、二流ホテルにしますか、 どこにしますか」という時が近いうちに訪れるのです。

 そのように通過しながら、一か国で一か国語を学んでいけば、どの国に行っても伝道できるのです。分かりましたね。そのように一度機動隊のチャンピオンになってみたいと思う人はいますか?

 その時には、優秀な妻が機動隊に入ればその夫は仕方なくついて回るようになっています。反対に夫が優秀であれば、その妻は仕方なく機動隊の夫に従って回ることになります。夫が住みたい国に行って住めばいいし、妻が住みたい国に行って住めばいいのです。アメリカに住みたければアメリカに行って住み、ドイツに住みたければドイツに行って住み、どの国に行っても統一教会の群れのあるところには、「いらっしゃいませ、私たちの国を復帰するために来られた有り難い方よ、いらっしゃいませ」と、両手を挙げて歓迎する時が来るでしょう。そうですね。

 これから私は、機動隊の優秀なメンバーを選んで世界一周をさせて、行く先々で「指導者になれ」と言いながら、バス一台ずつあげたいと思うのです。世界的な実力のある人四十名ほどをアメリカに送って一グループをつくって「アメリカを救え」と言って競争させるのです。伝道はこのようにするのだという見本を見せてあげて、コーチするのです。そうして世界が勝ち取るべき平面的な統一的な形を備えるのが先生の計画なのです。お金の心配はしなくても大丈夫です。

 話を聞いて、お昼を食べなくてもおなかの空いていることを忘れるくらいです。そうでしょう?(はい)。うそではありません。このような状況の中で、これから世界的に拡大していくためにはアメリカに本部を置かなくてはなりません。そうですね。アメリカに本部を置いて私がその総司令官になってトップを抑えておくのです。

 ここにいる女性たち、どんなに醜いとしても先生のために苦労したから良くみてあげなければならないのですね。親は自分の子供がウンチをしたとしても他の身分の高い家の馬に乗って通っている子供よりもより愛するようになっています。そのような立場からみた時に、苦労してきたあなたたちを良くみてあげざるをえないのです。 ところで今、教会が心配なのです。「苦労しなさいと言ったので、私は苦労してここまでついてきました。ところで持っているもの何もありません」と言うのです。

 皆さん、一九七二年九月九日、先生が「家を捨てて出なさい」と言ったときに、みんなそうしてきたのですが、今はこのようになって何の実績もありません。けれどもどうしますか? 一度相談してみたことがありますか。私のために苦労したという条件を立てなさい。先生はあなた方のためにいるのです。

 しかし先生は皆さんよりもより高次的な仕事をやっているために、皆さんのそのような姿は許しません。先生が自分のために生きれば、皆さんにとやかく言われるのですが、皆さんよりも大きな問題のために生きているので、皆さんのそのような姿は許すことができないのです。これがアベルが行くべき伝統的な道なのです。

 私は何か名誉などを欲してこのようなことをするのではありません。私は今やるべきことをやっているのです。しかし、やるべきことはもうやったのです。私は一度語り始めると七時間、十時間、十二時間継続するようになるのです。そのようになると後には言葉も出てこなくなり、換気扇が回っているような音がするのです。しかし、それでも、私はやるべきことはやるのです。

 日本でも私はやるべきことをすべてやりました。私は十五日過ぎて帰ってこようとしたのですが、それ以前に帰ってきても良心的に少しも呵責を感じません。どんな時間でも誰か訪ねてくればその人一人に対しても、全日本の食口に対するように語るのです。私は疲れを理由に追い出したことなどありません。ですから私は良心の呵責は感じないのです。私が死ぬときもこれ以上やることができないほどにやって父の前に立てば、天の父も私に対して知らないとは言わないでしょう。今はそのように考えているのです。きょうも私は朝から忙しい生活をしています。ですから皆さんもそのように行かなければなりません。


アメリカ教会の経済問題解決法案

 一つ皆さんにうれしい便りを伝えたいと思います。今回アメリカに行った時に何を計画したかというと、これからのアメリカにおいて経済問題をこのように解決しようと思うのです。アジア人として、積極的にアメリカ人を後援する伝統を立てなければなりません。これが先生の今後の作戦なのです。そのようにしながらアジア人の中で誰を使うかということですが、韓国人は経済問題で苦しんでいます。また国家的な状況において、アメリカや外国に出るためにはビザの問題、パスポートの問題があります。ドルの流出を防ぐために、なかなかパスポートの発行をしてくれないのです。

 しかし、日本は、招請状さえあれば三日以内にパスポートが出るし、しかもそのパスポートの有効期限が五年なのです。ですからいつでも外国に行くことができます。そのような立場に立っているために、アジア人の代表として日本を立てようとするのです。また日本はエバ国家ですから世界の人々のために母の使命を果たさなければならないのです。みんな血を流すほどの苦労をしても世界の人々を食べさせなければならない責任があるのです。みんな母の手を経て発展するようになるのです。ですからアジア人の代表としてそのような日本を立てて、伝統を確立しようとするのが先生の計画なのです。

 今アメリカにおいて何が問題になっているかというと、クリーニングサービスです。アメリカの家庭は、男性も女性もみんな就職しています。それで皆出勤するので昼は留守が多いのです。そして掃除することが大きな問題になってくるのです。今は黒人の女性たちがそのような掃除をしていますが、そのクリーニングサービスとは、特殊な技術を使ってする掃除なのです。そこで、柱などを簡単に掃除できる魅力的な掃除の方法を私たちの食口が研究しました。

 クリーニングサービスといって一日四時間働いて、平均四十ドルを稼ぐのです。食事代は月三十五ドルから五十ドルくらいです。生活するのにそんなにかかりません。こうしてみたときに、間違いなく一日三十ドル稼ぐことができます。それで、どのくらい動員しなければならないのかというと、ワシントンだけでも何千名何万名必要なのです。ニューヨークだけでも何万名が必要なのです。ですから早く基盤を立てなければなりません。

 そしてクリーニングだけではなく、ペイントも塗るのです。家を買って修理し直して売るのです。そうして不動産会社をつくるのです。このように拡大して、全国化して家を買って銀行の抵当に入れてお金を借りるのです。そして売る会社もその家を通してお金を借りて二重にお金を借りるのです。こうしてこれをプラスにするとその家の値段は倍以上になるのです。そうすると、そこに三十万ドルを投入すれば五年以内に二千万ドル以上のお金が入ってくるようになるのです。このような作戦でもって、アメリカにおいてこれから三年から五年以内に基盤をつくる計画を今指示しているのです。

 クリーニングサービスをするためにニューヨークが一番大きいので、ニューヨークに家を買うようにしたのです。数百名を訓練できる場所をつくろうとして今ニューヨークに素晴らしい私たちのセンターが生まれたのです。そこはニューヨーク一の金持ちが住んでいた家です。今それを買おうとしているのです。まず日本の食口の中から、代表的な人十二人を選んで教育して十二都市に派遣するのです。その次に今年の末には十名ずつ、一二〇名を送るのです。十二人が十人ずつ担当して訓練するのです。このようにして全国的組織にするのです。

 このようにした後に、四〇〇名以上、約六〇〇名動員、あとは全国的に広がっていくのです。アメリカは五十 州ですから、一州に十人ずつしても五〇〇人になります。まず四〇〇人以上を考えておくのです。四〇〇名から六〇〇名、その限度内に一週間に十名ずつ訓練していってその伝統を立てるのです。その次はどうするのかというと、ヨーロッパの人たちと合わせて、アメリカで活動しなければなりません。

 ヨーロッパの人たちは英語のできない人もいます。みんなどんなに大学を出ていても、二年間は英語を勉強しなければなりません。そして大学に行って講義をするのです。二年間で英語を勉強するには家でやっていては限界があるのです。ですから私たちのクリーニングサービスで英語のできる人が案内すれば、英語ができなくても大丈夫だということです。そこに行って掃除をしてあげるのです。「グッドモーニング、グッドアフタヌーン、グッドバイ」と言えばいいのです。相手が話しかけてくれば、「私は仕事をしなければならない」と言えばいいのです。ですから一言でも英語ができれば、一〇〇パーセント話せる人以上に能率的に仕事をすることができるのです。これは神様が守ってくださるからです。

 それで三〇〇名ないし四〇〇名くらいを動員すれば、一人三十ドル稼ぐことによって一日に一万二千ドルが入ってくるのです。そうすると一年に四〇〇万ドルを超えるのです。四〇〇万ドルになるとアメリカで活動しているすべての機動隊のメンバーが使っても余るくらいの金額なのです。このようにして英語ができるような人たちはみんな一線に立たせるのです。日本の人たちはみんなクリーニングサービスをして、アメリカの人たちは伝道活動をするのです。

 このようにしてキリスト教会を越えるための運動を行えば、秋によく実った粟のように、棒でたたくとみんな落ちるようになるのです。今、ヒッピーたちが既成教会にも侵入して大騒ぎになっています。しかし、私たちは統一のヒッピーなのです。彼らは「神の国がどこにあり、家庭がどこにあり、お父さんお母さんがどこにいるか」と言うのです。けれども統一のヒッピーたちは、国のために、家庭のために、理想的な兄弟のために、みんな新しく生まれ変わった姿であり、彼らとは一〇〇パーセント違うのです。彼らは死にそうになってふらふらしながら町を歩くけれども、私たちはラッパを吹き町を行進するのです。それはアメリカの人々の性格に合うのです。


日本の食口とアメリカの食口の使命

 今回アメリカを巡回する途中で、うちのバスが故障してエンジンが壊れてしまいました。その修理のための費用が三千五百ドルもかかったのです。その町で食費もなくなり、どうしようもない状態になりました。けれどもそこでお母さんを連れて回りながら復興会をしたために、コーラスをよく編成しておきました。そしてそこでいろんな方法で、私たちが自立しなければならないことをよく教育しておいたのです。そのような時にはさまざまなことをやるんだと教えてあげたのです。さまざまなことができるようにしておいたのです。

 ところでその日はちょうどその町に有名なコーラスが来る予定だったのです。ところが、市民が講堂にいっぱい集まったけれども事情があってコーラスが来ることができなくなったということです。そこで神様が守ってくださって、「私たちがやります。私たちはコーラスであれ何であれできないことはありません。二時間でも十時間でもやります」と申し出たのです。私たちの群れはよく訓練されていました。ラジオ放送局でも大騒ぎになったのです。新聞にも出たりして市民全体に知られるようになりました。

 そのようになれば、市長やいろんな人々が私たちを訪ねてきて、町のために良いことをしてくれたということで、自動車の修理もできてお金も余るほどになったのです。そしてアメリカという国はどういう国かというと、その国にもし利益五千万ドルを出したら、それがすべて公益事業のために団体に寄付するときには一銭も税金がかからないのです。そのようなシステムになっているのです。ある所では、利益よりも税金が一・五倍になるときがあります。そのようなときは、静かに私たちを訪ねて、「これを寄付します」と言うのです。すると税金がすべて免除になるので、会社もよくなり、会社の社長もよくなり、私たちも寄付を受けてよいし、このようなことが数えられないほどあるのです。

 このような時代に、世界的にラッパを吹き太鼓をたたいて、統一十字軍を前に立てるのです。日本の人たちを動員して経済的に後援する伝統を立てておけば、アメリカの人たちが全世界に教会を立てるようになるのです。アメリカでは、どこに行って聖書の話をしても、大人も子供もみんな受け入れるのです。聖書を知らない人はいないのです。日本ではあまり聖書に対して知られていないのですが、アメリカはキリスト教文化圏内であり、よく教育がされているために再臨思想だけをよく教育しておけば、そしてそこに世界観だけ吹き入れれば、みんな走ってる馬のようにすぐ乗って走ることができるのです。よく準備されているのです。

 アメリカは全人口の三分の二がキリスト教信者として登録されています。一億二千万がみんなキリスト教徒だと言っても過言ではありません。ここに一度火がついた時には、先生はお金の山に追われるために避難しなければならないほどなのです。

 そしてアメリカはみんなアパート生活を好むのです。おじいちゃんおばあちゃんたちは、息子娘をみんな育てて結婚させたあとは大きな家を管理することができずに、売ってアパートのような所に移って住んで、そのお金を銀行に預金している人が多いのです。このような状況ですからお金はいくらでもあるのです。

 ですから皆さんの時代の世界的な機動隊は本当によいことです。これを導いていくために、私が世界的に権威ある科学者、経済界で権威のある人、政治界で世界的な権威のある人、文化や言論界で世界的な権威のある人、宗教界で権威のある人、この五つの分野に権威のある人たちを中心として、世界的ブレインと、あらゆる分野に真の父母と同じような世界的頭脳部のようなものを編成しようと思っています。そして三年前から計画した世界平和統一連合会としてこれを立てようと思っています。今年十月から出発するのです。このような膨大な計画を今立てているところです。

 皆さんは井の中の蛙のような考えは捨てなければなりません。私たちは少なくとも国に影響を及ぼすことのできる一つの革命軍となって、国家復帰、主権復帰をしても余るほどの勇士にならなければなりません。そうして世界舞台に出て誇り得る者とならなければなりません。共産主義のスパイのようにいつも難しくてふらふらしてはいけないのです。このような心を持って、個人を宣伝するための個人になってはいけません。


日本での摂理

 その次は日本に対して一つお話しましょう。日本には一億の人口が住んでいるため、その一世帯を五人ずつと考えれば二千万世帯になります。この二千万世帯の日本の経済を近いうちに掌握しなければならないというのが先生の計画なのです。これは可能なことなのです。

 三菱、三井という人たちを見てください。今何を計画しようとしているかというと、三年以内に三〇〇〇名ほど、これが一九七六年三次七年路程が終わるときには、事業分野に七万名の動員が可能なのです。このようにしておいて先生の特別命令によって一人が三百軒ずつ担当すれば二千百万世帯になります。ですから一人が三百軒ずつ毎日回りながら、朝から晩まで回りながら何をするかというと、消耗品を配達するための注文を取るのです。

 そのようにして全国家的な基盤をつくって、一人が三百世帯ずつつかんで行けば、ある家の蟻が戦って足を折ったということまで詳細に知ることができます。その家の箸の数を数えるくらいは難しくないのです。このようにしておけば、生産地から電話を通して、私たちの業者を通して全国的に直接配達してあげるのです。そうするためには大きなビルディングが必要になるのです。このように全国的な連絡網を通して、何県には何世帯、何世帯と、すべてを組織してセンターから全国的な活動ができるように、約七万名を定めてつなげておかなければならないのです。

 このように三百軒ずつ配達できるようになれば物は生産地から原価で買ってくるのです。利益は原価より少し加えるようにしてできるだけ少ない利益ですべて配ってあげると、一年以内に基盤が立てられるのです。このようにしていけばみんな私たちの作戦によってデパートもつぶれてしまうのです。大きな商店もみんなシャッターを降ろさなければなりません。こうなると、みんなが統一教会に対して反対デモを行うでしょう。共産党までデモをすると思います。そうしてみてももう時は遅しです。そうして、「あなたたちは売りたかったら売ってみなさい」と言うのです。

 そして私たちは、「国民の利益のためにやるんだ。個人の利益よりも国民の利益のための公益事業だ」と、このように堂々とラジオ放送でもして宣伝するのです。「私たちの理論はこうであるため、民衆の利益のために私たちは奉仕しているので、利益として残す値段の三分の二を持っていきなさい」と言うのです。そうなると、デパートはみんなつぶれてしまうでしょう。こうなると、国家が必要とするある大きな会社の製品に対して少なくとも半分以上、三分の一ぐらい私たちが掌握するといって自由にすることができるのです。生産地から値段が高いと、この値段を少しおまけしてくださいと言って、原価から少し利益を加えるのです。その工場の生産従業員が働いて御飯を食べられるぐらいの利益を残してあげるのです。このようにして私が日本経済界を七年以内に掌握して、彼らを修練してみんなをアメリカに連れていこうと思うのです。そしてアメリカで版図を広げて世界的な組織をつくって、世界経済を握ろうとするのです。このように基盤を立てて先生がアメリカにいる食口たちに、「あなた方はアメリカのフォードの自動車に乗ってはならない。日本のトヨタ製品を買いなさい」と言うと、フォードの車は買わないようになっています。そうでしょう。国家を越えて世界的に、その国家主権が制裁を加えても防ぐことができないのです。私たちが主張するのは、その国家の高い税金を払ってその国に行って売ることのできる財政だけ立てておくのです。すると世界経済は私たちの手の中に入ってくるのです。

 このようなことをするために日本では今七〇〇〇名を訓練しておけば、そしてその七〇〇〇名が一人あたり十人ずつ訓練すればいっぺんに七万名が確保されます。そして全国的な組織を編成しておけば、他はみんな私たちの計画どおりに入ってくるのです。アメリカは威張るなということです。

 統一教会で苦労しているかわいそうな人たち、これから私が基盤を立ててあげます。気持ちがよいですか、悪いですか? 私が楽な生活になるようにしてあげましようか、皆さんを助けてあげましようか? なぜ返事がないのですか?(助けてください)。弱い少数民族の悪い習慣は正にそれなのです。みんな自立精神が足りないのです。

 お金を儲けるとき、韓国のために儲けましたか? 世界のために儲けたのです。ですから皆さんは、時が至るまで世界のために戦ったという立場に立たなければなりません。世界のために戦うことのできる立場に立つと助けてあげるのです。自分の家の資金のために働いている者は助けてあげません。それゆえに、日本で今七〇〇〇名の人を訓練させて四年計画をしています。

 このような活動をしようとするので、皆さんも英語の勉強をしなさいというのです。外国に出る準備をしなさいというのです。そして外国に行くとしても、みんな国境なしに出入りできなければ、私は非常に気持ちが悪いのです。そのようなことを知って、そのように祖国の解放の一日を迎えるために、犠牲を覚悟して、明日の希望と共に今日の開拓者として強くたくましい皆さんになってくれるようにお願いします。


 祈祷

 あなたの守りとあなたの無限なる経綸の摂理が、この地上に決定的な基盤を立てる限界点が何かということを私たちははっきりと知りました。国のない国民がどんなに悲惨であり、国のない運命がどんなに言うこともできないものかということを、私たちは天のことを知って再び悟るようになりました。そしてどんなに驚くべきことかということを知りました。

 それゆえ、このような基盤を立てておかなければならない、このような基盤を広げていかなければならない私たちの活動は、正に緻密で立体的な活動をしなければならない使命があるということを知ったときに、その日のためにどんなに難しいことや、その基盤を立てるためにどんなに難しい戦いにも、気にせずに先頭に立って走っていくことのできるあなたの息子娘になることを両手を挙げてお誓いしましたので、お父様、悲壮な国家の運命を迎えたこの時代において、私たちが責任を持っていくことができますように、切にお願い申し上げます。

 かわいそうなこの民族とかわいそうな私たちの行くべき道を見分けてくださり、あなたの指導の下で私たちの行く道が常にあなたと共にありますように。この民族の運命をあなたが許した摂理の運命と共に一致することができますように、切にお願いいたしながら、すべてのみ言を真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。












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