文鮮明先生御言選集 55
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はじめに

 文鮮明先生は一九二〇年、韓国平安北道定州でお生まれになりました。先生は幼いころから、人並み以上の知恵をもち、判断が正確であり、意見や主張がはっきりとしている方でした。さらに、成長されるにつれて、気骨があり、その力は衆を秀で、事の大小を問わず、何事をもてきぱきと片付けられるので、そのような先生の一挙手一投足を軽く見る人はいませんでした。先生はいかなる面から見ても、平凡な方ではありませんでした。最初は単純な一人の少年としての希望や人間的な理想でしたが、その考えがあまりにも高く、大きくて、誰も比肩してみようとする人はいませんでした。

 ある日、先生は忽然と一つの悟りを得られました。「人類歴史をよく見ると、人間は過去、現在、未来に至るまで、罪や窮乏、苦痛や悲しみの泥沼から抜け出せず呻き続けながら生きていくしかない。そんな中で、私一人が成功して有名になったとしても、果たして、そのような誇りが罪と窮乏と病気と苦痛の中にあえぐ多くの人類にとって、一体何の役に立つのだろうか。彼らにとって私の出世が何の意味を持つのだろうか。まず、誤った歴史の根源を究め、その罪と窮乏と病気、その他、多くの苦痛を取り除かなければならないとすれば、私はその責任を負おう。その責任を遂行しよう。他の人に難しくてできなければ、私がそれを成そう。過去・現在・未来にわたる数多くの人類の原罪を取り除くために、私がその責任を負おう。そして、すべての苦痛と悲劇から免れるようにしてあげよう」と、固く決意されたのです。

 その後、十六歳のある日、文先生は神様から召命されて、重大な摂理的使命を受けるようになりました。それは、「世界を救いなさい」ということでした。先生は、そのような召命を受けるにあたって、何回も固辞されました。しかし、その召命は天の決定であったので、それ以上地の事情で固辞することができず、ついにその召命を受け入れることになりました。

 それ以来五十余年、先生の行くみ旨の道は、常に既成勢力から罵られ迫害される道でした。また、苦労と茨の連なる道でした。さらに、それは孤独な祈りの道であり、涙の道であり、闘志と根気を要する道でした。先生の生活は常に徹底して公的に生きる生活なので、すべてにおいて、まず天のみ旨のことを考え、その次に地上のことを考える生き方でなければなりませんでした。さらに、それは犠牲や戦い、忍耐や誠を尽くす道であり、あらゆることを遂行するにおいて、命令や叱咤ではなく、自ら先頭に立って実践しなければなりませんでした。

 今日まで、先生は言い尽くせないほどの忍耐と戦いと誠を尽くした実践を通して、世界一二〇か国以上に天のみ旨を伝えて、天国への真なる道を切り開かれた世界的な宗教指導者であられます。

 世界の至るところに築いてこられた先生の業績を、この紙面ですべて紹介することはできませんが、一つだけ代表的なことを挙げれば、終始徹底した伝道の師として、み言を伝える生活でありました。先生は今日まで、多くのみ言を語ってこられましたが、それは何ものも比較することのできない宝物です。そのみ言のすべてに真理が秘められているのはもちろんのこと、歴史的教訓と神のみ旨を成す生活においての実践指針があり、未来の歴史に対するあらゆる予言が入っているのです。

 世界各国が競ってみ言を出版して読んだり、録音して聞いたりしてきましたが、それはどこまでも一時的に渇きを癒すための手段にすぎず、また、それらは断片的なもの、抜粋したもの、そして通訳によるものであり、そのほとんどが完全なるみ言であるとはいえないのです。このような状況から、韓国で二〇〇巻を超えるだろうと予想される『文鮮明先生御言選集』の出版作業を進めており、既に約四十巻を出版いたしました。これは非常に喜ばしいことであると思います。

 何とぞ、本書を読まれる皆さんの上に、天の恵みが満ちあふれ、心身共に健康な日々を過ごすことができますように…。


















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