統一教会と食口たち
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第四節 統一教会の活動

一 この世との差

 統一教会とは何ですか? ユニフィケーション(=統一)という言葉はどういう言葉ですか? 今まで考えることが違い、話すことが違い、行動することが全部違ったというのです。私たちはだれに似ようというのでしょうか? 私たちは主体に似なければならないというのです。神様に似ようというのです。(一九七六・三・二八、ベルベディア修練所)

 統一教会が良い教会なのか悪い教会なのか、どのようにして一遍に分かるでしょうか? 私たち人間の本性、堕落性ではない本性と関係を持つことのできる教会か、そうでないかということは何を見て分かるでしょうか? この世のようにしなければならない? そうですか? 何を見て分かりますか? この世と同じでなければならない?(いいえ)この世と異ならなければなりません。どれほど異ならなければならないでしょうか? 百パーセント異ならなければなりません。(一九七一・五・七、中央修練院)

 統一教会はこの世と同調して一つとなるために現れたのではありません。何かが異ならなければなりません。ですから、理念的な基準で人類の本心をもって追求することのできる内容を持って現れなければなりません。本来人間が行くべき最後の目的地が、エデンで堕落する前の人間として復帰し、そこで定着して生きていくことなので、人間がたとえ堕落したとしても、本心の心はいつもそこに向かって私を引っ張って行っているのです。(一九六八・七・一四、前本部教会)

 私たち統一教会の理論を踏まえてみるときに、私たちが指向するその世界というものはサタン世界ではありません。天の国、神様が志される世界です。神様が志す世界はサタン世界と本質的に違うというのです。質が違うというのです。一つが西に行けば、一つは東に行かなければならず、反対だというのです。一つが南に行けば、一つはどこに行かなければなりませんか?(北)北に行かなければなりません。

 では男性と女性を踏まえてみると、男性がすることを女性がすべきで、女性がすることを男性がすべきだという論理も成立するのです。人はご飯を食べて寝ますが、私たちは働かなければならないし、人は遊ぶのに私たちは闘わなければならず、人は休養に行くのに私たちは徴用に行かなければなりません。徴用、分かりますか、徴用? 徴発されて奉仕しにいくのを徴用というのです。すべての思考方式が違うというのです。(?)

 この世界は怨讐の世界なので、怨讐野郎たちが良いという道とは絶対に妥協せず、絶対に反対の道に行こうとするのが統一教会です。統一教会とこの世とは反対です。それを知らなければなりません。私たちはがむしゃらにこの世が行くままに行くのだ、そうですか?(いいえ)ではどうしますか? がむしゃら反対に行くのです。人が寝るときに私たちは?(寝ません)人が寝ないときには?(働きます)(笑い)さあ、みなさい。この世では食べて寝て、こうしていきますが、私たちが人のように食べて寝て、こうしては六千年かかっても復帰できません。

 ですから、皆さんはこれを考えなければなりません。人のように食べて人のように暮らしながらこの道を行こうという人は、本当に気がふれた人です。それは外的に狂ったというのです、外的に。人が食べるときに食べず、人が着るときに着ず、人が寝るときに寝ず、前もってすべてやってのけるのです。これが先生式です。分かりますか?(はい)(一九七二・五・三一、中央修練院)


二 反対と迫害

1 反対の結果

 統一教会というものは何でしょうか? 統一教会を主張するので全部反対します。全世界が反対します。黒人も反対し黄色人種も反対し、かのアフリカの人たちも反対し、全部反対するというのです。アメリカという国は、総合の国でしょう? 雑種株式会社のような国です。私が代表的に来て反対されれば、ここは全世界の人が皆入っているので、ここで反対すればそれが反映して全世界が反対し、外的世界も全部わけもなく決起して「レバレンド・ムーン、悪党! マフィアよりももっと悪く、ギャングよりももっと悪い。スターリンより悪い」こういうのです。(笑い)世界で一番悪い役職は私に持ってきてかぶせたのです。そうだったでしょう?(はい)それで私が「蹴ってみろ」と言ったのです。ひっくり返るかと思ったのに、ひっくり返らなかったのです。(一九七九・一・一、ベルベディア修練所)

 今まで悪口を言われ反対され、二十世紀の代表的な迫害を受ける教会団体として登場したのが統一教会ですが、この統一教会が反対されるのは人々が憎くてそうしたのではありません。世界的なサタンが発動してそうしたのです。これを見れば、そうなったのが今はたくさん上がったでしょう?(一九六六・五・二五、全州教会)

 統一運動を備えて現れる宗教の背景、基盤には神様がともにあるので、サタン側のすべてが動員され、それを反対するようになります。サタン側に属するすべての団体が動員され反対する運動が起こらなければならないというのです。だから、統一教会が歴史時代にたくさんの宗教人が迫害されたのと同様に、その歴史的伝統を引き継ぎ、世界史的舞台の上で過去すべての宗教人たちが迫害されたのを代表して、この時代のすべての宗教、すべての人種、すべての国家から反対される役事が起こらなければなりません。

 統一教会一つに対して民主主義世界も反対し、共産主義世界も反対し、それだけでなく共産主義と民主主義が一つになって反対しました。互いに他の教派も一つになって反対し、宗団も自分たち同士は分かれていますが、統一教会を反対するのには全部一つになって反対するというのです。これを知らなければなりません。それが不思議なことだというのです。民主世界でも全部自分たち同士争いながらも、統一教会に対しては一つになって反対し、共産主義国家でもそのようなことが起こるというのです。

 そうしながら、天の側である統一教会を打ちながら、自分たちはどんどん崩れていくというのです。今に来ては民主世界をだれも収拾する道がなく、キリスト教ならキリスト教を収拾する道がありません。共産世界も世界的共産主義でしたが、今は民族的共産主義でもありません。氏族的共産主義に落ちてきました。自分たちが収拾できず、すべてのことを反対した後は、全部壊れていきます。崩れていくというのです。(一九八七・二・二二、ベルベディア修練所)

 神様が今まで二千年の歴史を通して蕩減の道をたどってきたのは、現世において民主主義世界とキリスト教を代表した再臨主を送って一つにするためなのです。ところが、もし再臨主が来られるときその基準で目的を果たすことができず、反対した場合には大変なことになります。再臨主は世界を代表して特定なる地域で、その国家の民族性を中心として生まれるに違いありません。その国のキリスト教は世界を代表します。その国の主権は世界を代表します。そのような立場です。そのような立場が統一教会で言うなら、韓国であり、韓国のキリスト教です。

 ですから、それが統一教会に反対したということは、統一教会だけに反対したのではありません。歴史的な神様の摂理全体に反対したのです。そうだとすれば、歴史的使命を完成させるために立てた教会が再臨主を迎えずに反対したことになるので、すべてのキリスト教はここに引っ掛かってしまいます。その背後の文化圏、すなわち国まで全部引っ掛かってしまいます。そうなれば、どのような結果になるでしょうか? サタン世界に巻き込まれることでしょう。だから、今日の民主主義国家とキリスト教国家は共産党に巻き込まれていく段階に来ています。(一九七二・四・二三、東京教会)

 統一教会にぞっとするほど反対しますが、なぜ? 全体が反対すればするほど、一時に全体舞台に正当化させることのできる一つの道があるので・・・。全世界が反対すること、統一教会の文某の一代の間において、この全世界が反対することは悪いことではありません。全一代の路程の上に統一教会を正当化させることのできる世界的基盤を許容するためです。そのような意味で、どのような世界的宗教指導者よりもレバレンド・ムーンがチャンピオンだというのです。一代でこれほどの基盤を築いたのを見るときに・・・。反対した国と反対した世界が仰ぎうる基盤を持つことができるようになりましたが、それがどれほど驚くべきことですか?(一九八〇・一〇・二六、本部教会)

 皆さん、風船が好きでしょう? 風船に空気をどんどん入れれば入れるほど大きくなるでしょう? これが割れれば大変なことになります。私たちは割れない風船だというのです。私たちは風船と同じです。どんどん大きくなるのです。反対の風に乗ってどんどん大きくなるのです。とても大きくなり、次には反対に(反対する人を)連れて上がっていくというのです。世界を知らず統一教会だけ反対していて、自分が(風船で)持ち上げられ、「ああ、助けてください、降伏します」というようになるのです。

 統一教会は反対すれば反対するほどどんどん大きくなるのです。そうなりうるでしょうか? そうなりうるというのです。どれほど大きくなるでしょうか? 何か部屋ぐらい大きければ「それは私たちもつくることができる」と言うでしょうが、世界的に大きくなれば、世界の人が全部接着され、神様も「やあ、あいつを見ろ、見学するだけの価値がある」そのようになるのです。皆さん、それ自信ありますか?(はい)ですから、「どんどん反対しろ。反対しろ。反対する以上に私は立つだろう」こうです。そうなれば、既に勝利は皆決定しておいて闘うのです。(一九七六・五・三〇、ベルベディア修練所)

 ある人が話すのに、彼は世界的に名の知れた日本人ですが、日本で第一人者だという人ですが「ああ、文先生! なぜ統一教会と言いましたか? 世界基督教統一神霊協会といったので・・・。互いに争うキリスト教が統一されるって何ですか? 全部かみつこうとするでしょう」と言うのです。それは合っている話だというのです。私が何、頭が悪くて、そうしたと思いますか? 私は分かっています。わざとでもそうしなければなりません。反対されるために送り出さなければなりません。そうでしょう?

 また、さらに、世界基督教統一神霊協会と言わず近ごろは統一教会と言いますが、「統一教会と言えば宗教統一だといって、仏教も統一し、イスラム教も統一し、全体を統一するという教会なので、泥棒のような文某ではないか?」と言って、ここ韓国で仏教が反対したと言い、儒教が反対したという声を聞いて、私は「よかった! よかった!」と言ったのです。

 さあ、統一教会が反対されたことはよかったのですか、悪かったのですか?(よかったです)皆さんの気持ちは「ああ、いつ反対が終わるだろうか」と切に切に待ちましたか、待ちませんでしたか? 蕩減にもならないその立場で「ああ、反対よ過ぎ去れ。私たちが勢いを得て、この世を一度思い通りに動かすことのできるときとなってください」と言えば泥棒たちです。悪質な強盗たちです、悪質な強盗。(一九七八・一〇・二二、本部教会)

 歴史をおいて数多くの宗教人たちが文先生に反対しましたが、それは何のためでしょうか? 今日、悪なる世界のすべての制度とすべての主権とすべての文化背景を全部否定してしまい、再び見いださなければならないからです。否定した後、否定されたその位置で一つとなって、肯定を捜していかなければならないのです。一度に全部否定されるなら、かの果てから個人たちが肯定して入ってくるのです。これは打たれて奪っていく神様の戦略です。それゆえ、宗教は迫害があるとき発展します。歴史的にすべての人々がなぜこのような定義を下すのかと言えば、これが原則だからです。

 統一教会は反対されるとき発展しました。今、反対をしなければどうなりますか? ここでしっかりしなければなりません。世界が統一教会を歓迎する時はどうなるでしょうか? 大変なことになります。その時が統一教会の一番恐ろしい時期です。私はそれを知っています。ローマが天下に号令する時が一番危機でした。ローマの法は世界のためのものなので、世界を動かすその時に、ローマのすべての財力や国力を世界に分けてあげる役事をしなければなりませんでした。そうしたなら、ローマはこの世界を征服したことでしょう。(一九八五・一二・二二、本部教会)

 統一教会は反対されながらそのように発展しましたが、歓迎されるならどれほど発展したでしょうか? 四十年の間、世界がレバレンド・ムーンの思想を中心として歓迎したなら、どうなったでしょうか? 私が、私を反対する世界を私の手でつかむことができるようすべて押し込んだのですが、大韓民国が歓迎し、キリスト教とアメリカが統一され、私をして顧問に立てたなら、大韓民国とアメリカがどうなっていたでしょうか? 共産党は私の手で皆なくなったことでしょう。それを失ってしまったので、ここで成せなかったのを収拾しなければなりません。同じです。西欧社会に入っていって収拾し、戻ってくる場合には全部それを蕩減しなければなりません。だから、キリスト教文化史を中心として統一圏を四十年前に失ってしまったので、四年間をおいて再び戻ってきて、受難の道を中心としてアメリカに行って収拾し、イギリスが責任を果たせなかったので日本民族を立てて教育しました。「お前たち民族が生きうる道は、アジアを制覇した独裁国家としてではない。だからお前たち民族とお前たちを犠牲にして世界のために生きうる民族となれ」と教育したのです。(一九八六・一・二八、シェラトン・ウォカーヒル・ホテル)


2 迫害の価値

 歴史発展と同様に十年の迫害過程において、統一教会は世界的基盤を築いてきました。その期間にまた、神様が世界的基盤を築くことのできる統一教会の宗教基盤を形成するために、どれほどたくさんの協助をしたかという事実を否定することはできません。ですから、迫害はサタンがし、祝福は神様がしたという話です。迫害はサタン側がし、祝福は天の側がしたというのです。このような観点から見るときに、統一教会は世界的宗教となりうる十分かつ満ち足りた内容を備えているということを知らなければなりません。(一九八三・一・一、世界宣教本部)

 これから統一教会には人の雪崩が起こります。今までは天が、多くの人が統一教会に入ってくるのを嫌ったというのです。なぜ? 多くの人々が入ってくれば、多くの人の蕩減をしなければならないからです。分かりますか? 蕩減するのには多くの人々が必要ないというのです。それゆえ、先生を中心として蕩減してきたのです。

 個人の責任分担、家庭の責任分担、氏族の責任分担、民族の責任分担、国家の責任分担、世界の責任分担、天宙の責任分担がすべて残っているというのです。アダムとエバが失敗した以後、地上から神様の御座の下までサタンの占領圏になっているというのです。これを突破して上らなければなりません。突破して上るためにはアダム自体がサタンの讒訴条件を除去しなければなりません。

 これを除去するためにはどうしなければならないでしょうか? 除去する方法において・・・。これを完全に歓迎してはなりません。全部否定し、全部切ってしまわなければなりません。全部切ってしまわなければならないのです。私が切ってしまったといっても、切れるでしょうか? 切れません。切れないのをサタン側で打ちたたくのです。迫害をするのです。怨讐が迫害するのです。このように間接的な迫害を受けることによって、切ったという立場に立って蕩減をするのです。迫害が悪いことではありません。やあ! 迫害が福を伝受させることのできる一つの公式になっているという事実を先生は知っています。分かりますか? サタンを否定しないでサタン世界に対して肯定的な条件を持てば、サタンの讒訴を受けるというのです。(一九八五・一二・二四、本部教会)

 それで、今日見てみれば、社会もそうですが宗教も同じです。宗教もやせた骨だけ残っているのです。私の生命を讃揚する歌がどこにあり、生命を謳歌する詩がどこに介在しているでしょうか? その威力を誇ることのできる時が訪れますが、そのような時に自分の威力を誇ろうと出しゃばれば犠牲になるのがお決まりです。そのような時代です。時代の環境がそれゆえ既成宗団も同様であり、既成宗教も同様であり、既成キリスト教も同様です。どのような宗団もそのような運命にぶつかるのです。そこに現れようとすればぶつかるのです。

 このようなことを考えるとき、統一教会もやはりそのような歴史的な運勢圏内で生まれたので、ここに頭を高く上げて現れてはいけないのです。神様が愛されるので現れられないように迫害を与えたのではないか。このように考えればありがたいというのです。現れるなというのです。皆死ぬのです。神様が摂理なさったすべての内力とすべての因縁を通した津液(=体内から染み出る液)があるなら、その津液を全部一時に集結させなければなりません。(一九七一・一〇・二四、前本部教会)

 統一教会から迫害が去りませんようにと言わなければなりません。迫害の道を避けていく宗教は敗退するのであり、迫害を受けてもそれを消化することのできる力量を持ち、自分の期待を目標とするのではなく、高次的な国と世界が期待することを目標と定めるとき、天がともにあるのです。それゆえ、統一教会は迫害を受けましたが、滅びずに発展していくのです。皆さんはこれを知らなければなりません。(一九七二・七・一六、鍾路教会)

 見なさい。私たち統一教会は社会団体とは違います。社会団体は法的制裁によって全部消えうせますが、宗教団体は法的制裁によってさらに爆発的な復興をするというのが歴史的事実だというのです。分かりますか?(はい)私に迫害を加えれば加えるほど、彼らの目玉が飛び出るというのです。筋肉がこわばるというのです。それを知らなければなりません。(一九七七・一一・六、ベルベディア修練所)

 今日サタン世界で統一教会が、本当の教会がなぜこのように反対されているのでしょうか? 迫害され反対されるのは何を意味しますか? 否定すべきことを否定しようとしないので、世界が合わさって強く打つことによって否定される立場に立てたのです。否定される立場に立って「お前たちが私を打つことで、お前たちと一つになれだと? こいつ! その反対の道を私は行くのだ」と言いながら、断ち切る立場に自動的に立てるのです。そうするために宗教は迫害の歴史を歩んできたということを知らなければなりません。分かりますか?(はい)妙な話でしょう。このようなことを文先生が知っているというのです。そのような話ははじめて聞くでしょう?

 歴史家たちが言うには、宗教は迫害されてこそ復興するというのです。「なぜ?」と尋ねれば、「なぜだか分からないが、そうだ」と言います。「なぜだか分からないが、そうだ」というのがどこにありますか?(笑い)それは雲のように流れていくのです。なぜ?(宗教が)否定していくべき道を否定しないので、(宗教会から)否定されるべき人々(=この世の人々)が強く打つことによって否定をした(=サタン分立)という立場に立てるのです。これが神様の戦略による戦術的作用です。(一九八六・一・三一、漢南洞公館)

 では統一教会が反対されるのがいいですか、悪いですか?(いいです)それを知らなければなりません。真なる立場で迫害を受け(勝利す)るなら、壮士の中でもこれほど壮士はいないということを知らなければならないのです。真に対して打った者、打って屈伏しない者はいないというのです。それゆえ、今年に入っては全世界がレバレンド・ムーンに反対し、ソ連共産党までレバレンド・ムーンに反対するのです。今年に入って全世界がレバレンド・ムーンに反対するのがいい症状ですか、悪い症状ですか?(いい症状です)なぜ? いい症状ですか? 一度に屈伏することのできる原点が生じたという話です。見なさい。ワシントン・ポスト紙がニクソンを一年間でたたきつぶしましたが、レバレンド・ムーンについては五カ月以内にたたきつぶそうと考えたというのです。

 真は原子爆弾より恐ろしいものであり、どんな謀略よりも、どんな迫害よりも強いということを知らなければなりません。それゆえ、そのような意味では今や世界を・・・。世界が私をなぐったので、私が世界を打てば神様から許されるでしょうか、許されないでしょうか? どうですか? 私がもし世界を打ったならばというのです。私がもし誤って世界を打つなら、神様がだれの側になるでしょうか? こうしても勝ち、ああしても勝ちうる両面作戦をすることのできる驚くべき立場に立ったので、私たちはいつでも勝利するのであり、いつでも発展するのです。(一九七六・四・二五、ベルベディア修練所)

 それゆえ、反対されるのは悪くないというのです。反対されれば間接的に(自分が)善であることが証明されるのです。反対される以上のことをすればいいのです。悪い意味で反対を受けましたが、いい意味のこと以上をすれば、悪いことは蕩減し、この原則と同様に、蕩減して残れば上がるようになっています。同様の道理だというのです。それゆえ、統一教会は反対される場合に不平不満を言わないで、それを百パーセントうまく消化してきたのです。分かりますか?(はい)どんなに反対を受けても反対に全部消化してしまうのです。消化だけしてしまえばその人は三度以上の・・・。(一九七五・一・一二、前本部教会)

 深い谷に入った人は高い山に登ることができます。分かりますか?(はい)山の頂は谷と連結されるのです。頂と頂が連結される道理はありません。頂は全部谷と連結されるので、苦労する人は成功するようになっています。それが宇宙の原則です。

 近世において、宗教団体としてこのように世界的に谷にほうり込まれたのは統一教会がはじめてです。統一教会がここからはって上がるか、上がれないかというのです。上がれますか?(はい)どれほど? どれほど行ってやめるでしょうか?(終わりまでです)易しくないというのです。だれかが上ってそこに鉄柱を打ち、その次に網をかけて、橋をかけたりケーブルカーを作ったりしなければならないというのです。

 私たちは谷に落ちたので、谷から上らなければなりません。上ることは易しいですか、難しいですか?(難しいです)人間歴史の一番の谷間に私たちは降りてきているというのです、一番の谷間に。人間の歴史において私たちが持った高い思想のような思想はなかったというのです。天宙主義・・・。神様の愛を全部独占しようという主義はなかったというのです。これは世界で一番難しい道です。それを知らなければなりません。分かりますか?

 ここにケーブルカーを作っておいたとき、世界の人がここに来て上ろうとする行列がどれほど長いでしょうか? 歴史上で一番長い行列が生まれるでしょう。世界にない一番長い行列となることでしょう。そうなりそうですか?(はい)私たちが今そのような工事場に来て、工事をしているというのです。そのような工事場でレバレンド・ムーンが総監督であり、総責任者です。(一九七七・六・一九、アメリカ)


4 統一教会は悪口もたくさん言われた

 では私たち統一教会は一体どんな宗教でしょうか? 統一教会は何のために現れたのかというのです。今日、二十世紀後半において問題の宗教として登場したというのです。統一教会を指導するレバレンド・ムーンがどのような人ですか? 今、世界的に悪名高い問題の組織だというのです。滅びそうで、なくなりそうなのに、なぜなくならないかというのです。それが問題だというのです。行く所ごとにぶつかり、行く所ごとに統一教会、ムーニーだ何だと言って、皆つばを吐くのですが、滅びそうなのに、影も形もなくなりそうなのに、そうしながらもどうして生き残ったのかというのです。それが謎です。(一九七八・一〇・一、本部教会)

 統一教会をおいて一時世の中がどれほどざわついてさわぎを起こしましたか? 先生は監獄に入ってもご飯をよく食べます。監獄に入っても麦飯であれ何飯であれ、くれるままに食べることができます。しかし、それが問題ではありません。どこに行ってもただ一つの心配は、私が誤ることによって蕩減の道にマイナスとなる結果が現れないかということでした。それが恐ろしいことであり、ほかのことは恐れるべきことではありません。

 先生がはじめて監獄に入ったとき、企画課にいたやつらは今でも忘れないでいます。初めて先生が入っていくと、やたらと顔面に指を指しながら「何、お前が統一教会の文某だって。何だこいつ」と言ったのです。(一九六八・一・一、前本部教会)

 統一教会は悪口をよく言われました。今後春の季節になれば、ぐるぐる回って包んであったのを一皮ずつむいて既成教会の牧師たちにあげるというのです。このように一重ねずつ得て退けという時局です。何も分からずにつかみ捨てた数十年前の自分たちのふろしき包みを見れば、それを抱いて痛哭することでしょう。その時は同情することができないのです。万事休す、行く道をすべて行った後だからです。後の祭りだというのです。(一九七〇・一二・二七、前本部教会)

 統一教会を信じるといって悪口を言われても臆さないでください。悪口は入ってきては出ていくので心配ありません。悪口は風に揺れる木のようなものです。悪口を少し言われて立ってこそ気分が良く、称賛されて立てば問題になります。他人が違うということをやっておいてから、大言をはくことが男の気質に合うのであり、初めから従順だけするのは男の気質に合ってもいないし、おもしろくもありません。このような立場から見ると、統一教会の道は文先生の気質にぴったり合っています。(一九六七・八・一三、前本部教会)


三 神様の作戦

1 神様はどのような作戦をなさるのか

 私たち統一教会はどうしなければならないのでしょうか? 「大韓民国を生かすためには統一教会を犠牲にしろ!」これが統一教会の道であり、善が行く道だというのです。分かりますか? 国が救われるときまで、国に悪いものがなくなるときまで、終わりまで行く日には、統一教会は逃げようとしても大韓民国は従ってくることでしょう。そのような時が必ず来るのです。

 見なさい。それゆえ、統一教会は迫害を受けながら滅びるのではなく、迫害を受けながら発展してきたのです。分かりますか? 天の作戦は打たれながら奪ってくるのです。サタンはたたいて占領しますが、奪われる場合には自分が損害を賠償して返済してくれるのです。これが素晴らしいというのです。これを知らなかったというのです。悪はまず打って、奪われるときは損害賠償を添付してすべて奪われるのです。こうなるのです。そうではないですか? 善なる人を侵犯したら損害を賠償するでしょう? それと同様に、悪は打って占領しては、必ず返してあげなければならないのです。返してあげる場合には損害賠償を添付して返してあげなければならないのです。

 それゆえ、神様は宗教人たちを立て、打たれて全部奪ってきたのです。ローマがキリスト教を打って、結局はキリスト教にのまれてしまったというのです。全部そうでしょう? 今日、大韓民国も初めはキリスト教を打ちましたが、第一共和国政府がキリスト教によって成立したというのです。全部そのようになるのです。

 皆さんはこれを知らなければなりません。善の作戦は打たれて奪ってくる作戦であり、悪の作戦は打って占領してから失ってしまう作戦です。それゆえ、悪は滅びるようになっており、善は栄えるようになっています。これを知らなければなりません。分かりますか?(はい)

 神様は知恵の王であられるので、そのようなことをすべて知って、そんなにまで緻密に間違わず今まで計画してこられたのです。それゆえ、最後の勝利は私たちのお父様(=神様)がするのです。気分がいいですか、悪いですか?(いいです)最後の勝利はだれがしますか?(お父様です)お父様がした後、その次には? お父様が勝利した秘法を学んで「私」も勝利しうるのです。今まで歴史的な聖人たちはその秘法を知らずに勝利できなかったので、勝利できなかったすべての聖人たちも私たちに指導を受けなければならないというのです。(一九七二・五・一四、水澤里)

 統一教会は反対されながらどうなるのでしょうか? 神様の作戦とサタンの作戦がどうなっているかと言えば、サタンは打って失ってしまう作戦をしてきて、神様は打たれて奪ってくる、取り戻してくる作戦をしてきたのです。これを知らなければなりません。善の側と悪の側が闘うところにおいて、神様の作戦とサタンの作戦がどう違うかを皆さんは知らなければなりません。この世はそれを知りません。悪の側は打って占領しようとしてから奪われてしまうのであり、善の側は打たれながら占領してくるのです。反対です、全く反対です。打たれながら、罪なく犠牲になりながら奪ってくるのです。蕩減して損害賠償を請求し、拡大させてきます。この二つの作戦が展開するのです。

 一つの父母の前に兄弟同士でもそうではないですか? 悪い子どもが、どんな子どもかと言えば、先に打った子どもです。これが一つの公式になっています。神様の作戦法とサタンの作戦法は違いますが、天は打たれて奪ってくる作戦をし、サタンは打って失ってしまう作戦をします。(一九八七・二・二二、べルベディア修練所)

 これからの統一教会はどうでしょうか? 今まで統一教会に対しては全部悪いと言いました。共産党より悪く、民主世界より悪く、ヒッピー、イッピー(=過激な反戦派の若者)よりも悪いと言いました。それは何でしょうか? 天の側においては保護するための作戦だったということを知らなければなりません。染まらないようにするための作戦であり、サタン側においては警告作戦だったというのです。それを知らなければなりません。二つの作戦が展開されるというのです。(一九八三・三・二〇、ベルベディア修練所)

 神様は私たちの血と汗と涙を備え、打たれて奪ってきます。打たれて奪ってくる作戦法を使うのです。天の作戦法はそうなのです。先生は剣を持って闘えと言ったらできないと思いますか? そのように闘ったなら、既にすべて片付けたことでしょう。私が死んでいきながらであっても、既に片付けたことでしょう。しかし、そうなっていないのです。打たれて奪ってくるのです。

 だから、今まで統一教会が打たれたでしょう。打たれるときは皆さんの個体は、家庭単位としても打たれませんでした。統一教会の先生が打たれるときは、大韓民国のために打たれました。天地のために打たれました。天宙をかけて打たれたのです。そのような天宙的な基盤を築いたため、サタンは今や後退すべき運命にあるので、皆さんは幸福の中の幸福です。それを収拾しなければなりません。この世界に散らばっているサタンは全部敗残兵と同じです。(一九六三・一一・一五、前本部教会)


2 打たれながら勝利する

 そういうふうにたたかれ、そういうふうに踏みにじられたら、なくなるのが原則でありましょう。しかし、統一教会は、その間において世界的基盤をつくってきました。(一九七四・五・七、帝国ホテル)

 韓国なら韓国で私に対してどれほど反対しましたか? しかしながら、私は聞くふりも・・・。それは私の責任です。日が沈み暗くなれば光を知るというのです。それゆえ、韓国が複雑で、日本が複雑で、アメリカが複雑であれば複雑であるほど統一教会が必要だ、統一教会が必要だ、このような話が次第に現れるようになるのです。(拍手)

 そうするためには、勝利の過程を経なければなりません。統一教会は打たれながら勝利してきて、追われながら勝利し、発展してきました。発展は勝利を意味するということを知らなければなりません。そうですか、そうではないですか?(そうです)アメリカで今レバレンド・ムーンを反対しますが、私たちは発展しますか、後退しますか? どちらですか?(発展します)なぜ? 真であるので。金が汚水に入ってももとの光を失ってしまわないのと同じです。(一九七六・四・二五、ベルベディア修練所)

 統一教会は打たれても倒れないというのです。(笑い)分かりますか? 打たれるには打たれますが、倒れないというのです。私が三十年間打たれましたが、いまだに耳一つ不自由になっていないというのです。心に少々傷だけ負いました。寝床の夢だと思います、夢。一篇の夢だと思うというのです。「その夢みが悪かったな」そう考えるのです。ですから、やられますか? 自分(=打つ方)はひたすら歯を食いしばって打っても、こちらは「ほほほ」と笑うのに・・・。そのようにして、私はその人々を怨讐と考えないというのです。私を育ててくれ、私を宣伝してくれるための一つの生きたポスターだと考えるのです、ポスター。その人々がいなかったなら、私が有名になれないでしょう。(一九七六・二・二二、前本部教会)


3 追われながら発展した

 私たち統一教会が今までどんな宗教団体も知ることのできない、現実的起点をはっきり持ち、その現実の起点から確実なる価値的な内容を、より次元の高い所に引っ張っていくことのできるこのような方向性を備えたので、統一教会の文先生が行くところは追われながらも発展するのです。そうではないですか? 国家的に反対され、世界的に反対されながらも統一教会は根を下ろすのです。

 腐った所で、それを収拾し・・・。木の葉が腐って何になるのですか? 肥料になります。腐ったにおいがする所に根を下ろせば、そこで発展的生力素を摂取することができるのです。それゆえ、少し行けば飛躍的な発展をすることでしょう。しなければ私がそのようにさせることでしょう。そのようにする自信があるでしょう?(はい)ここに初めて来た方々、私が自信ありげに見えるでしょう? そのような自信を持った男がいわゆる文某という男です。何、青坡洞の谷間で裸になって踊りを踊っていると思いますか? それは考え違いだというのです。(一九七五・一・一二、前本部教会)

 レバレンド・ムーンが、統一教会が今、追われているというのです。追われています、どこに足を付けますか、どこに? ですから、私たちは早く兄弟にならなければならないというのです。サタン世界にいる人も知れば兄弟です、兄弟。兄弟だというのです。弟であり兄さんであり、姉であり兄です。ですから、そのような話をするのです。「サタン、お前が二十四時間動けば私は二十五時間動くだろう」このような心を持ってこそ奪ってくることができるのです。「お前が憎めば私は愛で対決するだろう」こうでなければなりません。とてつもないというのです。(一九七九・一・一四、ベルベディア修練所)

 「われら統一教会の前に激しい狂風よ吹いてこい。火山よ飛んでこい。ふさぐであろう」このような闘いを先生自身もしてきたというのです。たとえ大韓民国が滅んでも、統一教会は滅ばないだろう、このような信念を持って、大韓民国が消化できずにいる共産党まで私が消化させることでしょう。(一九七六・三・一、慶南教区)


四 統一教会の活動目的

1 統一教会を立てた目的

 統一教会を立てた目的は統一教会自体だけのためではありません。ですから、その対象が大きければ大きいほど神様は喜ぶというのです。(一九七二・一一・一二、前本部教会)


2 統一教会は何のために働くのか

 では、統一教会は何のために働いているのでしょうか? 皆さんはそれを知らなければなりません。統一教会のために働くのではありません。統一教会は統一教会のために働くのではないというのです。統一教会を犠牲にして統一教会を指導している天のみ旨を尋ねているのです。(一九七一・九・五、前本部教会)

 それでは、統一教会なら統一教会自体は何をするのでしょうか? 統一教会なら統一教会自体も統一教会のためにあるのではなく、どこまでも神様の対象として、神様のためにあるのです。そうでなければなりません。一切のすべてのものを統一教会の勝手にしてはなりません。神様が願う通りに、東に回れば東に回っていき、西に回れば西に回っていかなければならないのです。また、前に押せば前に行かなければならないのです。前に押す場合に落ちるのは・・・。皆さん、雪が降った後に、雪かきで押すのと同じだというのです。押して進むにおいて、横に流れていく雪になってはなりません。どこまでも中にくっついて追われいくことができるのと同じ立場に立たなければなりません。(一九七二・一一・一九、前本部教会)

 良い人のためには、ために生きてあげることができるのです、良い人のためには。では、神様と私たち人間を考えると、神様は良い人にもよくしてあげ、悪い人にもよくしてあげるというのです。ところで、今問題が何かと言えば、失ってしまった一匹の羊を捜さなければならないというのです、九十九匹の羊を残しておいて。
 さあ、それでは統一教会は統一教会のために生きてはいけないという話です。失ってしまった羊を捜し出すために、世の中のために生きなければなりません。(一九七八・一二・一〇、アメリカ)

 統一教会は何のために働くのでしょうか? 統一教会のために働くのではありません。世界のために働きます。世界の前に福を分けてあげなければならないというのです。(一九八四・七・一〇、ベルベディア修練所)


3 統一教会は人のために働いている

 統一教会では今まで泣きわめき、ありとあらゆることをたくさんしました。それはだれゆえにそうしたのでしょうか? 統一教会自体ゆえにそうしたなら、統一教会は滅びるのです。それは同情されません。しかし、国のために、世界のために、神様のために泣き叫んだなら、神様も後になって、「ああ、お前はよくやった。どうしてそんなことができるのか。(世界のために、神様のために)お前が泣くのは一日だけではなく、千年でも泣くだけの価値はある」と言いながら慰労してくれ、他の人々も来て皆こうしてくれるのです。そうなるというのです。(一九七一・一一・一八、前本部教会)

 さあ、これがだれのゆえにそうなのですか?(神様)私ゆえにするのではありません。統一教会のためにするのではなく、神様のために世界のためにするのです。もし、統一教会のためにするなら、それは引っ掛かるのです。文先生のためにすれば引っ掛かるのです。私でもなく統一教会でもなく、私たちは世界と神様のためにするのです。他人のためにするのです。統一教会は他人のためにしているというのです。

 他の宗教は、既成教会は働くならだれのためにするでしょうか? 既成教会のために働くのであり、世界のために神様のために生きるそのような観になってはいないというのです。ですからそれが違うというのです。他のことが違うのでなく、それが違うというのです。

 先ほど話をしたように、どのようなことがより公的でしょうか? 統一教会が、統一教会自体のためにするのは公的ではありません。統一教会を犠牲にして世界のためにするのでそれが公的であり、神様のためにするのでそれが公的だということを知らなければなりません。(一九七六・六・六、ベルベディア修練所)


4 統一教会は国と世界のために

 では今日、統一教会はどこに立っているのでしょうか? 統一教会が捜すのは、統一教会それ自体ではありません。統一教会より高いものを捜しています。統一教会より劣ったものではなく、統一教会よりも高い次元のために、より優れた次元のために捜していくのです。

 それでは、より高い次元の基準とは何でしょうか? 統一教会それ自体よりも統一教会員たちは、団体が大きければ大きいほどこの世で数多くの団体を消化することのできる能力が必要です。そこで学んで再び私の栄養素として飲み込むことのできる資格を持たなければなりません。そこに同化されるのではなく、私が同化させなければなりません。それが一元化され、三千万民族を越えて南北韓の国民性として提示されなければならないのです。そうでなくては、国が形成されたとしても、その国の主権は困難を被ることでしょう。それゆえ、国の主権以前に国民がまず必要だというのです。

 統一教会は国よりもまず国民のために闘わなければなりません。民族のために闘わなければなりません。ところが民族を見ると、南北に分かれています。民族が分かれていれば、主権があっても南北韓が平和統一をすることのできる主権となれません。一方的な主権にしかならないのです。何よりも一番重要なことは、南北韓を凌駕することのできる民族的精神基準をどう一元化させるかということです。これが今後の統一教会が力を尽くしていくべき課題だと考えるのです。

 それをつくっておかなければ、祖国という言葉が現れないのです。そうでなくては、祖国という名が現れたとしても、傷を負った祖国となってしまうのです。権威と信念を持ってつくった祖国ではなく、さまざまな傷を負い恥じをかく祖国であることでしょう。そのような祖国は迎えてはならないのです。

 それゆえ、今日統一教会の若者やあるいは志のある人であるなら、統一教会の発展よりも、統一教会は滅びても、統一教会の願う国が栄えることを願わなければなりません。統一教会が滅んでも統一教会の願う国は栄えなければならないというのです。そうするためには統一教会が犠牲にならなければならないのです。二つとも発展すればいいでしょうが、そうできないので、統一教会が犠牲にならなければならないのです。

 「祖国よ明けてこい」という思いと希望を持った皆さんだとするならば、祖国が明けてくる場合にはどのように明けてこなければならないでしょうか? 日が暮れる黄昏や夜中を楽しく迎えることのできる心がなくてはなりません。今日、次第に近づく世界的な終末時を眺めるとき、私たちはここで暗たんさを感じるのではなく、「来るべき現実が来た。夜よ来い、夜が来れば私は走っていく」と言えなければなりません。その夜を避けていくよりは「輝かしく明けてくる朝を迎えるために、私は夜中に向かって走っていくだろう」と言うことができなければならないのです。

 夕方の黄昏があればまた早朝の未明も来るので、その過程には間違いなく漆黒のような午前零時があるのです。そのときはすべてのものが眠りに入っているときです。すべてのものが停止するときなのです。だれもが行動するのを嫌がるときなのです。(一九七一・一〇・九、中央修練院)

 今、この世界が必要なものは何かと言えば、アメリカが必要なのではなく、共産主義・民主主義が必要なのではなく、統一教会自体が必要なのではありません。何が必要なのかと言えば、地上の天国が必要なのです。この膨大な責任を統一教会がしようとすれば、統一教会は犠牲にならなくてはならないのです。それが鉄則なので、犠牲の道に送らざるをえないのが神様の事情です。レバレンド・ムーンがそのような責任を分担したならば、その責任を遂行するためには、皆さんをたたいて追わなければ師の資格がないという事実を、皆さんは知らなければなりません。

 統一教会をなくしても天の国を地上に残しておこうというのが神様のみ旨なので、統一教会をなくし、天国をつくることのできる教会を捜していこうとするので、このような道を行かなくては不可能だというのです。これが最後の道であり一番良い道なので、この道を選ばざるをえないという事実を知らなければなりません。何の話か分かりますか?(はい)これは万民が願う、また神様が願う神聖な・・・。このような責任を負った集団もしくは教会、国の神聖な義務なので、この義務を果たすことによって、神様が私たちと百パーセント一つになるのです。何の話か分かりますか?(はい)

 皆さんが天国建設に髪の毛を何本持ってきて補ったり、汗を持ってきて補ったり、お金を持ってきて補ったり、頭を持ってきて補ったり、涙を持ってきて補ったり、何であっても全部補ってこそ天国になるのであり、全部取っていけばできないようになっているのです。天国がないというのです。国がないので・・・。全部取っていくのでなくなるでしょう。(一九七六・五・一六、ベルベディア修練所)

 既に世界情勢は言葉にできないほど混乱と、解決できない混沌とした情勢に巻き込まれています。これをどのように収拾するかというのは神様だけが知ることですが、統一教会は神様だけが知るその方向を中心として帰結点を一致させるための役事をしているのです。これは統一教会のみ旨のためにするのではありません。統一教会も統一教会の国、統一教会の世界に入らなければなりません。神様のみ旨の国、み旨の世界に入っていかなければならないのです。ですから、統一教会は教会のために働くのではありません。統一教会が願う国と世界のために働くのです。(一九七二・九・一七、大邱教会)


5 統一教会の活動

 今日統一教会が活動しているすべての道というのは何をしようというのでしょうか? 再現しようというのです。万物を愛し、微小の動物から万物を愛し、人間を愛し、その次にはこの大韓民国なら大韓民国を愛し、世界を愛そうというのです。どのような立場で? 昔のその立場ではないというのです。今日、創造的な本質を中心として見るとき、神様の愛と連結されるようになっている私たちであるからには、その愛を中心として越えていこうというのです。越えていくのです。越えていけば必ず帰ってくるのです。因縁を結べば必ず帰ってきますが、どこに入ってくるのでしょうか? 中央に来るというのです。中央に。分かりますか? そこは犠牲の道となり、奉仕の道となるのです。(一九八一・四・二六、本部教会)

 私たち統一教会が今まで闘ってきたのは何のためでしょうか? 外的なカイン世界をアベルの前に屈伏させるためです。そのために個人的な闘いから家庭的な闘い、氏族的な闘い、民族的な闘い、国家的な闘いへと発展させてきたのです。(一九七一・一・一、前本部教会)

 私たち統一教会が動くのは平面的な世界だけでなく、立体的な世界と関連しているという事実を、皆さんはよく知っています。(一九八四・一・一五、アメリカ)

 今まで統一教会が活動したのは、サタン世界の外的な環境を崩壊させるためのものでした。私たちが反対する環境にあったので、そのような環境で民族を捜し出すための作戦に過ぎなかったのです。だから、統一教会自体に消耗が多かったのです。消耗戦をしたのです。(一九六九・六・八、前本部教会)

 では統一教会はだれを中心として動くのですか?(神様です)初めも神様であり、過程も神様であり、終わりも神様ですが、何をしようという連中ですか? サタン世界を売り飛ばそうというのです。売り飛ばしてしまわなければなりません。では、売ってだれに持っていってあげるのでしょうか? 真の父母です。真の父母は泥棒ではありません。真のご父母様のほかは皆泥棒に近いですが、真のご父母様だけは泥棒になりえないというのです。その方に担せればどうなるのでしょうか? 皆天の前に帰っていくのです。(一九八五・一二・一五、本部教会)


五 統一教会の能力

 統一教会がどれほど強力ですか? 私たちには武器がありません。しかし、問題になることはありません。私たちに武器はありませんが、もっと強力な武器を持っています。それはどこのだれも持つことのできないもので恐ろしいものです。一度決心すればサタンも恐れます。私たちは神様のような立場になります。その力がどれほど強力なのか皆さんは知りません。(?)

 統一教会は精神的に強いですか、強くないですか?(強いです)共産党よりも強いのです。これがどのくらい世界的に強くても、経済的にめちゃくちゃならば滅びるのです。分かりますか?(はい)これが私たちの生活哲学です。存在の哲学だというのです。(一九七八・一・二、アメリカ)

 統一教会は終わりの日において一番弱い宗教になりたいか、強い宗教になりたいか? 一番強い宗教になりたいですか?(はい)本当ですか? 「世界の数十億の人類が来い、歴史時代のそのだれも来い、また未来においても私たちしかいない」と言えなければなりません。(一九七二一一・一、前本部教会)

 私たち統一教会はもちでできたわっかだというのです、もちのわっか。一度くっつけば、自分が落ちてしまいますか、くっついてしまいますか?(くっついてしまいます)間違いないでしょう?(はい)(一九七五・一・一二、前本部教会)

 韓国では統一教会をとてもしぶといと言うでしょう? それで、皆さんはしぶといですか? そのようにしぶといですか? しぶとい統一教会とよく合うでしょう? それ、だれがしぶといですか? 統一教会の文先生がしぶといというのです。(一九七二・九・一七、前本部教会)

 統一教会は一番という言葉が似合うのです。統一教会は一番になろうという教会です。しぶとい教会です。しぶとくなければ一等になることができないというのです。だから、統一教会はしぶといのです。子どものころ、村で問題を起こすことで一等になるやつもしぶといやつです。しぶといので一等になるのです。何をするにもしぶとくなくては一等になれないのです。では、しぶといの反対は何でしょうか? 間抜けと言いますか?

 それなら、統一教会はしぶとくなければなりませんか、間抜けでなければなりませんか? しぶとくなければなりません。(一九七〇・一一・二九、前本部教会)

 今日、私たちの教団は今までサタン世界に押し流されてきた、そのような宗教とは違います。ぶつかれば壊れていくというのです。打てば壊れていきます。「私たちがお前たちの前に行けば、お前たちが私たちをのみ込めないが、お前たちが私たちの前に来ればのみ込んでしまう」そのような自信を持たなければならないというのです。真と悪が対決すれば、悪が負けるのです。このような局面です。(一九六五・一・二一、女性会館)

 今日この世界に向かって、そのような暴風雨が吹いてきて、混乱した環境がぶつかってきますが、統一教会はこのすべての闘いで二千年前のローマ帝国に勝利すること以上の力を持って闘う理想と思想を持たせてあげることができるでしょうか? そうなれば、この統一教会は間違いなく世界を消化させても余りあるでしょう。その一部分を満たそうとするので、私が仕方なく嫌だというこのような若者たちに仕事をさせるのです。(一九七七・一〇・一、米・パサデナハウス)

 統一教会は悪いものを食べて太ろうというのです。悪いという所に私たちが行って、それを銃や剣で掃討するのではなく、真の愛ですべて痕跡もなくのみ込んでしまおうというのです。それを肥料として消化させうる能力があるかということが問題になるというのです。それゆえ、自主力を持って芽を育てなければなりません。(一九七〇・八・二三、中央修練院)




















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