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真の神様の祖国光復
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第一章 真の神様の祖国光復

一 真の神様が願う祖国

 イエス様も真の神様の祖国を創建するために来られたし、先知先烈(注:先駆けて道を悟った先人、義のために命を捧げた烈士)たちも祖国建設の役軍(注:担い手)たちでした。天国を創建するために完成した男性が来なければなりません。天地が公認する男性が家庭を成して、子女を繁殖し、氏族、民族、国家を成さなければなりません。カインとアベルを基準として蕩減し、接ぎ木して、この世界を神様が主管する祖国として創建しなければなりません。先知先烈たちがこれを願ってきましたが、願う個人、家庭、氏族、民族、国家、世界へとつながる地上天国を建設できなかったので、私たちは歩んでいた道を捨てて、行かなければなりません。
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 本来、人間始祖のアダム・エバが堕落していなかったならば、どうなっていたでしょうか。アダム家庭でのアダムは族長になるのです。族長になると同時に民族長になるのです。また国家の代表者になり、アダム王となるのです。ですからこの世界は、アダム主義一つに統一されるのです。くだらない主義はみな片づけなければなりません。くだらない主義がたくさん出てきて、世界を惑わしたので、私たちはこのような主義を根こそぎ引き抜いてしまわなければなりません。主義もアダム主義、言語もアダム言語、文化もアダム文化、伝統もアダム伝統、生活様式もアダムの生活様式、制度もアダム制度、すべてのものがアダム国家の理念制度にならなければならなかったのです。このような主義が神主義です。神様の心情によって神様と一体とならなければならないので、神主義なのです。
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 私たちが住みたい所は天の国、天国で暮らしたいというのが正しいのです。天の国に境界線がありますか。ありません。天の国で使う言語は二つですか。違います。人種の違いがありますか。ありません。では天の国とは何ですか。人はみな神様の懐から生まれたので、人類はみな兄弟です。神様を中心として見れば、神様の息子、娘ですから、みな兄弟であり、地上天国を中心として見れば、国民です。地上天国の国民なのです。国民だというのです。
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 私たちの目標は統一世界、神様を中心とした一つの国を築くところにあります。その国は、一つの主権、一つの国民、一つの国土、一つの文化です。真の父母を中心に一つの血統で連結されています。その国では、すべてが心情圏を成して、理想的な後継者になろうとするのです。聖書で「怨讐を愛せ」と言うすべてのものを成就することができます。
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 神様が創造した世界は、国境があり得ません。白黒の人種問題は問題になりません。善悪の闘争もそこには必要ないはずです。このような観点から見るとき、私たちが住む世界には各国ごとに国境があります。白黒の人種問題だけでなく、家庭において夫と妻、父母と子女の間にみな分裂が起こっています。善なる人と悪なる人が闘っています。このような現情勢を見るとき、来られる主は国境のない国をつくり、人種問題を超越して、世界を一つにしなければなりません。分裂した家庭をみな統一しなければならず、善悪が闘うこの世界に、平和の王国をつくらなければなりません。
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 それでは本郷の地と本郷の祖国はどこか、祖国は何を意味するのか。祖国はもちろんある特定の一つの国家的基準になるでしょうが、神様が求めて来られた人類の祖国はどこかと言えば、地球星です。この地球星です。この地球が人類が願う祖国だというのです。神様が願う人類の祖国なのです。過去に数多くの歴代の私たちの先祖たちが犠牲の道を歩みましたが、彼らが希望をもって天の前に訴えながら歩んだこととは何だったのか。「希望の祖国の一時が早く来るように」というものでした。天の一つの国家を立てることによって、今まで天の前に怨讐である大サタンを審判してしまい、悪を取り除き、善のみを中心とした平和の天国をこの地上に築かなければならないというものです。それが神様の願いであり、イエス様の願いであり、今まで摂理路程において、至大な貢献をした私たちの先祖たちの願いであったということを皆さんは、はっきりと知らなければなりません。
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 祖国は、アメリカでも韓国でもありません。いかなる所であっても、家庭の編成、氏族の編成、民族の編成が成された祖国の地がなければなりません。神様は六千年の間、数多くの国家を経ながら、この地に築かれる天国を願いつつ、求めてこられたのです。天の忠臣、烈女がどこにいるかと求めてこられたので、今こそ私たちは天を中心とした国家と民族、家庭を再編成しなければなりません。祖国光復の解放の日のために、召されたということを忘れてはなりません。祖国創建が宗教人の使命であるのに、自分一人が救われようという間違った欲をもっています。
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 統一教会のメンバーは、個人から民族、国家基準まで築いてきました。これからは全世界の人類とすべての国家を動員しなければなりません。私たちは祖国光復、自由、平等、幸福の日を求めて行かなければなりません。その道が難しくとも行かなければなりません。それは先生が見つめる観点であり、神様が御覧になる基準です。イエス様はこの基準を目指して歩み、亡くなられました。私たちは祖国光復の過程において、苦労し、前進しなければなりません。この地の人類は、統一教会のメンバーを前に立てて行かなければなりません。統一教会のメンバーでなければ駄目だという時が来ても、三年は苦労しなければなりません。彼らが私たちのものを相続する時まで、伝統を立てて、血と汗と涙を流さなければなりません。まだ私たちには蕩減条件が残っているということを知らなければなりません。
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 神様は悲惨な神様、神様は孤独な神様、神様は言い表すことのできないほど悲しい神様ですが、この神様を解放するための旗手になり、第一線の将兵となり、「血を流しても正統に打たれ、血を流して倒れるとしても一度に倒れよう」と言うことのできる信念をもって、祖国光復のために、その世界を一つに収拾するために歩む勇士の隊列がだんだん大きくなれば、ここから神様の喜びが始まることでしょう。
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 今は摂理の時が、どのような環境になったかということが、分かりますか。天の国の祖国光復がなされ、神様の地上天国が解放されること、それが第一の目標です。そのためには自分の家庭だとか自分の一族を犠牲にしてでも、やらなければならないのです。難民になったとしても、それをやらなければなりません。
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 一つの神様の主権のもとに一つの国を建てなければなりません。皆さんがこれから神様を中心として、真の父母を代行する実権者であるだけに、地上に祖国光復、世界統一的な国家に税金を払う時が来ました。先生の財布から出たお金をもって、皆さん個人を助けてはなりません。天のみ意に従わなければなりません。ですから韓国は韓国なりに責任を果たさなければならないし、日本は日本なりに責任を果たさなければならないし、アメリカはアメリカなりに責任を果たさなければなりませんが、この三カ国が一つの国です。父母の国と兄の国です。
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 今後、言語の統一をしなければなりません。父母様が成就したすべてのことに対する記録を読むのに、翻訳されたものを読むということは恥です。天上世界の前に恥となるでしょう。天上世界にに行けば、神様の命令によって千年、万年を蕩減しなければならないかもしれません。そのように大変な問題が起こるのです。その峠を越えられない人は、祖国光復をしたと言っても、故郷に帰る道がありません。祖国に住むことのできる居住証がありません。国民として入籍できていないというのです。深刻な問題です。


 二 我々の祖国を求めていかなければ

 私たちは、神様の国を仰ぎ慕います。そこは、愛があるところだからです。一時的な愛ではなく、時間を超越し、永遠な愛の存続するところです。また、自分自身が高められるところであり、自分の価値が一〇〇パーセント認められるところなのです。すなわち、永遠に幸福なところです。それゆえ、人は天国を慕い、憧憬するのです。
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 もしも、地上で国家を復帰するということを自分の生涯で果たせない場合、皆さんは霊界に行っても天国に属する人としての価値をもつことはできません。地上で神様の主管圏内で統治されたという実績をもって、霊界に行かなければなりません。それが本来の創造基準なのです。
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 私たちの信仰の目標は、神様の国の民になることです。その国の民にならなければ、その子女として万民あるいは万物世界に、自由自在に誇り愛される道は現れません。国のない者は、いつも攻撃を受けることになります。かわいそうな立場に立つことになります。物も言えず攻撃される場合がいくらでもあります。それゆえ、神様の願う国がどこにあり、神様が足場とする国がどこにありますか。それが問題です。
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 私たちがこの国、この民族のために血の汗を流すのは、結局のところ永遠な天国をつくるため、千秋万代の子孫が永遠にたたえることのできる福地を築くためです。
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 その国とは、神様を中心として直系の子女が天命を受け、神様を身代わりした命令をもってその王権によって治める、そのような国であることに違いありません。そこに民主主義や、共産主義はあり得ないのです。一度形成されれば、永遠な国家体制として残るのです。そのようなことを考えるとき、私自身がそのような国の民となれなかったという事実が恨めしいことではないかというのです。自分自身がそのような国で暮らせないということを嘆かなければなりません。そのような一つの国をもてなかったということを嘆かなければなりません。そのような一つの不変の主権をもてなかったということを、私たちは嘆かなければなりません。
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 主権と国と国土を復帰するために、人類は主権国家を立ててきました。その中で多くの人が死に、多くの民が犠牲となり、多くの国が滅び、多くの主権が入れ替わってきたという事実を知らなければなりません。そのように犠牲になった多くの人、天側にいる人、あるいはそのようなみ旨のために犠牲になったすべての哀魂は、いつの日かそのような国、そのような世界を築いてくれることを願っているのではないでしょうか。
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 神様は愛する息子、娘を地上に送り、絶対的な一つの国家を建てるためのみ旨を進行させてきましたが、現時点では一つの国家を復帰し得る土台は築かれていません。いつも失敗してきたので、この地上に天の人を遣わし、それを治めさせ、推進させ、成就させるために苦労してきたのが、今までの天の歴史なのです。
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 主権のない国の国民はかわいそうなものです。ですからイエス様が心配して「何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」(マタイ六・三一〜三三)とおっしゃいました。まず息子を求めなさいとおっしゃいましたか、国を求めなさいとおっしゃいましたか。神様の求めている国を求めよとおっしゃったのです。
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 イエス様も楽園に行って待っているのです。天の宝座の前には行けなかったということを知らなければなりません。イエス様は神様の前に国の主権を立て、国を治めて、地上から天国まで直通することのできる権限のある国をつくることができなかったので、神様の前に立つことができないのです。ですから楽園は天国へ行くための待合室です。また、天国は一人では行くことができません。本来堕落しなかったならば、天国はアダムとエバ、家庭単位で行くべきなのです。息子、娘と一緒に行かなければならないのです。そうでなければ行けないのです。
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 今まで宗教人たちは、なぜ生き残れないようなことをしてきたのでしょうか。宗教を協助することのできる家庭もなく、社会もなく、国もなかったからです。国のない民なのです。国があったならば、氏族が反対する立場に立ったとしても、その国の圏内に残る道があったはずなのに、今まで宗教を信じる人たちが、どこへ行っても迫害を受け、どこへ行っても血を流す祭物の道を歩んできたのはなぜでしょうか。国がなかったからです。主権者がいて、国さえあったならば、「おい、これは正しいのだ」と言えば、「ちぇっ」ということになったであろうに、国がなかったので……。国のない民なのです。
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 国がなかったとすれば、いくら幸福で良い家庭だとしても黄馬賊団(注:馬に乗った盗賊)が出てきて首をはねられるかもしれないのです。それゆえ国を求めなければなりません。宗教人は、これが分からずにいます。宗教人は確実に知りません。善なる国を求めなければなりません。これが宗教の目的です。
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 国がなければ国籍がないということになります。国がなければ入籍するための土台がないということです。私たちは民族を編成して、新しく入籍しなければなりません。この地上に天国を編成し、その国籍をもって、愛国、愛族の真実で善なる父母の血統を受け継いだ勝利的息子、娘として、自分の一族、あるいは家族を率いて生きたのちに、天上世界の天国に入ることができるのです。それが原理です。
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 国があって初めて私たちの千秋万代の子孫の前に、大切に残してあげることのできる伝統も残るのです。私たちが血の汗を流したすべての努力も残るのです。天の労苦をたたえる記念塔がこの地上に生じるのであり、すべての栄光の形跡がこの地上に残るのであって、国がなければすべて無駄なものになるのです。今日、世界のキリスト教にとって残された十字架やすべての涙も、天の求める国がないとするならば、すべて川に流さなければならないのであり、燃やしてしまわなければなりません。サタンの籠絡に倒れていくということを知らなければなりません。それゆえ国が問題だということを皆さんは知らなければなりません。
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 私たちが求めるべき祖国というのは、今日この地上にあるような歴史と伝統をもった国ではありません。そのような国とは本質的に次元が違うのです。私たちが次元の異なるその国を受け継ぐには、そのための思想的な主体性をもった国民にならなければなりません。しかしその主体的な思想は、絶対的な創造主の思想と一致する思想でなければならないのです。絶対者の願う国が存在するには、その国の主権を中心として、その国の国民が一致し得る国となることを願わなければならないのです。そのような国民性をもち、国家形態をもたなければならないのです。
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 国が形成されるためには、国土がなければならないし、国民がいなければならないし、主権がなければなりません。主権とは何でしょうか。根源的な神様と因縁を結ぶことです。国を治める人は、国民が深い眠りについたあとで、神様と因縁を結んで政治をしなければなりません。そうして主権者は国民と一つにならなければなりません。国民と一つになって自分にあるすべてのものは自分のためのものではなく、天のためのものであると考えなければなりません。そうなれば、その国は繁栄するのです。
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 一つの国が形成されるためには、主権がなければならないし、国民がいなければならないし、国土がなければなりません。天国もやはり同じです。主権に代わるものが父母であり、国民に代わるものが息子、娘であり、国土に代わるものが国なのです。この中の、どれ一つとして欠かすことはできないのです。これは鉄則です。
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 一つの国を見ると、国が形成されるためには、その国の主権がなければならないのです。そのような観点から地上に天国を実現するという問題を考えてみると、天国の主人は誰でしょうか。主権者は誰でしょうか。間違いなく神様が主権者です。では国民は誰でしょうか。国民は万民です。それでは国土はどこでしょうか。地球星です。
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 自分が行き来するのも、その国を求めるための、祖国光復のための建国の功臣になるために、そのような使命を負って、あるいは天の密使としての指令を受けて、今日の悪なる世に来てこのようなことをしているのだという事実を考えながら生きていくべきです。そうでなければ、皆さんは今後来たるべき国の国民として、その威信と体面を立てることができないということを知らなければなりません。
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 さあ、六千年間神様に打撃を与え、苦しめてきたサタンが、そのままおとなしく「ああ、我は降りる」と言って目を伏せて引き下がるでしょうか。皆さんはぼろの雑巾でも、捨てようとすればもったいないと思いますね。ぼろでも裏返して臭いをかいでみてから捨てるでしょう。サタンがそのまま引き下がるわけがありません。それでしぶとく闘いを挑んでくるのです。ですから中心に合わせなければなりません。統一教会の文先生も、中心から外れれば折れて出ていくのです。方向が合わなければ発展しないのです。
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 統一教会のメンバーは、はだしで立ち上がり、祖国を創建しなければなりません。食べて残ったものでこの国を生かすことができるでしょうか。食べて、着て、乗り歩くことに気を遣っている暇があるでしょうか。はだしで、素手で開拓していこう、このようにしていくのが統一教会です。


















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