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宗族的メシヤ
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二 メシヤと血統復帰

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1 再臨思想の核心 ―― 血統転換

 再臨思想とは何でしょうか? それは、何をいうのでしょうか? メシヤをいいます。ここでいうメシヤは、父をいいます。

 皆さんは、新しい血筋を受け継がなければなりません。受け継ぐためには、メシヤが父として来て、サタン世界に勝利した、サタンが干渉することのできない全世界的な基盤でエバに侍り、蕩減復帰しなければなりません。そうして夫婦の因縁を中心とした、家庭を中心とした息子、娘を立て、それを中心として横的に接ぎ木する業が起こらなければなりません。それで統一教会で祝福をしてあげるのです。

 統一教会は違います。統一教会では、血筋はどこから始まったのでしょうか? 神様から始めたというのです。ですから、いくらでもサタン世界で反対してみなさいというのです。反対していては、損害賠償を払うようになるのです。(一九八七・一〇・四、本部教会)

 私たち人間は、血統的にサタンの血筋を受けたので、そのままでは天の前に戻っていくことができません。ですからメシヤは、絶対に血統復帰をして、サタンが汚した血筋を改造しなければなりません。これを転換させなければなりません。それでメシヤは、必ず来なければならないのです。メシヤが来ずしては血統復帰がなされないのです。血統を復帰しなければなりません。

 メシヤがなぜ地上に来なければならないのでしょうか? それは、根が違うからです。血統が違うからです。しかし、今日、他の宗教はこれが分かりません。他の宗教は全然知らないというのです。統一教会だけがこれをみな解決して、根になったのです。この根が一番深く、一番高いので、統一教会はしきりに深くなり、高くなるのです。国より高いものであり、世界より高いものであるので、今後、統一教会に従っていかざるを得ません。天が共にあることを知らなければなりません。今後は世界の善なる霊たちを、私たちが動員することができます。

 アダムが完成したならば、天使長を支配するのです。同じく皆さんが、今後完成基準に入っていくようになるときは、霊界の善なる先祖たちが天使長の立場になります。ですから、それを氏族として天使長基盤を世界的に拡大させなければならない責任において、その中心的な立場に立たなければならないのです。それを解決するためのものが宗教圏です。宗教がその責任を果たしてこそ、その氏族たちが主体的氏族圏として解放されるのです。自分の宗教に該当する善の基準に従って、解放の役事が展開されるのです。

 統一教会は、世界的な宗教です。ですから、メシヤに侍って血統転換をしなければならないのです。私たちは、根が違うのです。今までのすべての芽を打ってしまい、根を打ってメシヤを中心として接ぎ木して、メシヤの根からメシヤの芽へ行かなければならないというのです。同じ根の実を結ばなければならないのです。(一九八八・一・七、前本部教会)

2 メシヤは真のオリーブの木になられる方

 イエス様は、この地上に来て何をしたのでしょうか? サタンを屈伏させ得る、悪なる霊の代表を屈伏させ得る道理と道を築いたというのです。ところがその道理を一〇〇パーセント築かなければならないのに、五〇パーセントしか築けなかったので、再び来なければならないという言葉が成立するのです。

 神様は、この堕落した世界を救うために宗教を立てました。この世の中は、サタン世界の畑になりました。例えば、聖書を見れば、野生のオリーブの木が出てきます。それは、サタンが管理する野生のオリーブの木なのです。それゆえに、神様が思いどおりにできるオリーブの畑をつくるものが宗教なのです。

 野生のオリーブの畑は、サタンが思いどおりに管理するので、神様が管理することが一つもないのです。ですから、宗教を通じて、サタンが管理するオリーブ畑を神様が管理するオリーブ畑につくって、拡大して、世界サタン圏、悪なるオリーブ圏内のそれを凌駕することのできる基盤をつくるのです。そうするためのものが宗教文化圏なのです。

 神様は今までサタンに創造世界を全部奪われた立場に立ちましたが、神様は負けることができないので、この世の中に一つの真のオリーブの木の標本を送るというのがメシヤ思想なのです。ところで真のオリーブの木、メシヤが一人で来ては駄目です。サタン世界が全部、夫婦を中心として社会を成し国家を成したので、メシヤが一人で来ては、真のオリーブの木になれないというのです。メシヤ、真のオリーブの木とメシヤの相対になる真のオリーブの木を中心として、これが一つになってこそ真のオリーブの木としてすべきことをするのです。実を結ぶことができるというのです。

 それで、イエス様はこの地に新郎として来て、新婦を探し求め、真のオリーブの畑をつくり、サタン世界の野生のオリーブの木を全部切ってしまい、接ぎ木する運動ができるように準備しなければなりませんでした。ですから、神様が管理する氏族圏、すなわち、一時に全部切って、接ぎ木できる環境をつくったのが選民イスラエル圏であり、ユダヤ教であったというのです。

 接ぎ木をするならば、どこを切らなければなりませんか? 首を切らなければなりませんか、足を切らなければなりませんか? (根を切らなければなりません)。人は、木と反対になっているのです。精神が根になっているので、逆になったこの首を切らなければなりません。精神が根になっているのです。

 それで、イエス様の真のオリーブの木の枝の芽を一つ持ってきて、その切ったところにさっと植え込んでおくならば、そこから真のオリーブの木になるのです。接ぎ木する道理を明らかに教えてあげたというのです。本来、堕落しなかったならば、真のオリーブの木として生まれるはずなのに、堕落して野生のオリーブの木として生まれたので、野生のオリーブの木を全部接ぎ木して、真のオリーブの実を結ぶようにするために、戻す歴史が救援歴史です。ですから、救援歴史は、復帰歴史だというのです。それで、今や神様が僕たちに、野生のオリーブの木を全部切るのです。切れというのです。(一九八五・一・一、世界宣教本部)

3 メシヤと接ぎ木しなければならない堕落人間

 今日の宗教の中で、最高の宗教はどのような宗教でしょうか? 愛の論理を立て、堕落した世の中の完全否定を主張してくる宗教です。堕落した世の中を否定し、そこで否定した以上の肯定的愛を展開させ得る宗教でなければなりません。そのような世界になるならば、理想世界が来るというのです。

 統一教会は、何をする所でしょうか? 神様をして、まだ人間との関係で愛の味を味わえなかったのを味わえるようにし、また、神様が愛の根を人間と人間世界に下ろすことができなかったのを下ろせるようにする使命を果たす所です。

 ですから、統一教会を立てたレバレンド・ムーンは、どこまでも神様の愛を中心として、個人から家庭、世界まで愛の一つの根によって、一つの幹になり、一つの枝になり、一つの葉になるよう再び接ぎ木する役事をしなければなりません。接ぎ木するためには世の中のすべてのものを切って捨てなければなりません。どこを切らなければなりませんか? 足を切らなければなりませんか? 首を切らなければなりません。それでイエス様は、「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きん」と語りました。首を切るという人は生き、首を切らないという人は死ぬというのです。接ぎ木しなければならない運命にあるので、そうだというのです。簡単な内容です。

 今、「終わりの日が来るならば、幸福の世界が来る。終わりの日が来るならば、地上天国が来る」と、このように語っているのです。終わりの日までは引きずっていきますが、終わりの日以降は引きずっていけないのです。ですから、世界が一つにならなければなりません。終わりの日になって、一つにならなければ滅びるのです。全滅するようになります。一つにならなければ、神様が火をもって全部焼いてしまうというのです。本当に神様の愛の根をもった人が二人いるならば、その二人だけ残しておいて、それ以外の人はみな偽物として全部掃き捨てなければなりません。

 掃き捨てることはできないので、接ぎ木する摂理をなさるのです。接ぎ木するのに芽接ぎのようなことをするのです。それで、真の愛、愛の根をもった芽を早く配給し、分け与えようとするのです。ですから、サタン世界は、「わあ、配給とは何ですか。このあやしげな奴ら。我々の国を滅ぼし、我々の世界を滅ぼす神様の作戦だ」と言いながら、積極的な反対をしています。それで芽接ぎをしようとするのですが、野生のオリーブの木の芽と、真のオリーブの木の芽とは違います。接ぎ木するのは同じです。ところが、子供がどこかに出かけていき、野生のオリーブの木と全く同じくらいの真のオリーブの木の芽を一つ持ってきて、「ああ、私たち野生のオリーブ畑を全部切っても替えることのできない貴い芽だ。真のオリーブの木の芽!」と言っても、それが真のオリーブの木だと誰が分かりますか? 神様ぐらいは分かるのであって、誰が分かるかというのです。分からないので、それがすてきなのです。(一九八六・二・一、本部教会)













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