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宗族的メシヤ
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第二節 必然的な還故郷

P157
一 摂理の中の故郷

1 ヤコブと故郷

 ヤコブがハラン生活でラバンの反対を受ければ受けるほど、心において追求したこととは何でしょうか? 故郷というものを考えたというのです。神様が許してくださる祝福があるとするならばそれを受け、その地で良い生活をするということよりも、自分の家と共に、自分の兄弟と共によく生きるという観念に立っていたというのです。ハランの地で自分の妻子とよく生きるということよりは、故郷に帰って父母に侍り、兄弟と共に一つになってよく生きるという考えをしたというのです。その考えとは何でしょうか? 民族のために生き、世界のために生きる基礎的な思想になるのです。

 結局は、どのように父母と一つになるのかということと同時に、兄弟と一つになるのかということがヤコブの日常生活の中で忘れることができない主流思想だったというのです。羊を飼う牧者生活をしながら、寂しい生活をすればするほどその寂しさと悲しさを通して何を考えたのでしょうか? 自分がそこでお金をもうけ、あるいは祝福を受けるそのことが目的ではありませんでした。故郷を思う心、神様が祝福なさった自分の父母、イサクの家庭、自分の父母とアブラハムおじいさんから受け継いだその祝福を尊重する心に、いつも徹したというのです。そのような心の姿勢だったというのです。自分がじっと考えてみるとお兄さんについても分かるというのです。長子の嗣業を根こそぎ奪ったので、兄がそのように自分を殺そうとすることもあり得ると考え、兄に同情する心ももったというのです。

 ヤコブが生活するのに、一番必要としたことは何でしょうか? 環境が難しく、あるいは孤独な生活の中へ、迫害生活の中へ、巻き込まれていけばいくほど、その位置でお兄さんを恨むとか父母を恨むのではなく、むしろその環境を通じて、そのようなお兄さんのために生き、父母のために生きるという心がいつもありました。自分がもし、故郷に帰る道があるならば、自分の一生の間苦労して得たものを、全部彼らに分けてあげても感謝するという心があったのです。

 もしそこで、自分を中心として、自分のものであり、自分のためのものであると考えたならば、ヤコブの信仰路程は失敗に帰したはずです。それは、なぜでしょうか? ヤコブを祝福したのは、ヤコブ個人が良い生活をせよと祝福したのではなく、民族を編成なさろうとする神様が、イスラエル民族が良く生活することができる基盤を築く目的で祝福したのです。(一九七三・五・二七、ベルベディア修練所)

2 イエス様と故郷

 皆さんに故郷がありますか? (はい)。どのようですか? どこなのですか? 皆さんが住んでいたその所が故郷ではありません。どこが故郷なのですか? 今まで歴史時代に真なる人たちには故郷がありませんでした。そのような人たちに故郷がなかったのに祖国があったでしょうか? 祖国はなかったのです。

 アブラハムも夜間に荷物をまとめてカルデアのウルから逃げていったのです。ジプシーになれと追い出したのです。イスラエルの名前でもって祝福を受けたヤコブも、自分の兄が殺そうとするので故郷を捨てて逃げていったのです。また、イスラエル民族を今まで、二〇〇〇年の間追い払ったのです。ローマが追い払いました、全部。キリスト教はイスラエルの国から始めてローマへ行ったのですが、ローマから追い払われたので、いかばかり犠牲をたくさん強いられたかというのです。もし故郷があり、祖国があったならば、そのように死ななかったというのです。ユダヤ教もキリスト教も今まで故郷がないというのです。

 イエス様に故郷がありましたか? ありませんでした。イエス様は家を捨てて出てきました。母に対して、「女よ、私と何のかかわりがあるのか?」と話したのです。兄弟もいたのですが、自分の兄弟でないと語ったのです。神様が見る兄弟ではなく、神様が見る父母でなかったというのです。神様が見る故郷でなく、神様が見る国でなかったというのです。

 ですから、今まで善を追求したすべての宗教の指導者たちには、その国全体が故郷ではなく、祖国ではなかったのです。これは、合っているというのです。世界の人々が、国はもったけれども、その国はいつ失うのか分からない国であり、故郷をもったけれども、その故郷はいつ失うか分からない故郷なのです。ですから、雲の上でさすらう人類であることを知らなければならないのです。さすらい人なのです。

 本来、神様が人類に許した故郷は、一つの所なのです。一つの所。そこがアダム家庭が住む所でした。それでは、その故郷の主人とは誰でしょうか? 神様なのです。神様。また、故郷の主人が誰なのかといえば、神様を中心としたその時の真の父母なのです。アダム、エバが堕落しなかったならば、その時代に真の父母になり、神様と一つになったはずです。それで真の父母の愛の圏が展開され、愛を中心とした出発基地が、人類の故郷になったはずだというのです。

 それでは、神様の恨みとは何でしょうか? 故郷! イエス様の恨みとは何でしょうか? 故郷! 数多くの義人たちの願いとは何でしょうか? 故郷! その次に祖国を探し求めることだということを知らなければなりません。これは、人類の希望なのであり、宗教人たちの希望なのです。(一九七九・一・一四、ベルベディア修練所)












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