真の御父母様の生涯路程 10
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真のお母様と世界女性時代

第三節 聖婚以後の七年蕩減路程

一 七年路程の内的な意義

摂理的完成期の七年路程

 一九六〇年から一九六七年までが最後の七年間です。先生における二十一年路程の最後の期間です。先生は任せられた世界的蕩減基準として、万民の前に、または国、天宙、どこにおいても勝利の条件に対する基準を設定しなければなりません。一九六七年までは、先生の使命を果たすことができる最後の段階だと言うことができます。そうかといって、一九六七年に世界がひっくり返るというのではありません。勝利の基準を決定する期間です。そのような期間は、あとにも先にもありません。

 先生自身も一九六〇年度を中心として聖婚式を行いましたが、あくまでも聖婚式を行ったその家庭というものは、世の中に勝利し、世界に勝利し、霊界と肉界にわたる全体勝利の基盤を築いた土台の上で成立したものではありません。したがって、霊界と肉界が一つになって攻勢をかけてくれば、ここで闘ってそれを越えなければなりません。それを越えてこそ、本来人間がサタンの審判を受けることのない位置に立ち、神様の直接的愛の圏内に到達し、天国に入っていくことができる本然の家庭基準ができるのです。

 原理的に見れば、間接主管圏と直接主管圏があるのです。その期間で間接主管圏と直接主管圏が連結され、完成したアダムが神様の直接主管圏内に連結されなければなりません。ですから、七年路程とは何かというと、長成期完成級から残された七年の期間を蕩減する期間です。

 そのようにして、縦的歴史を横的に蕩減復帰しなければなりません。六千年歴史はこの七年路程に相当します。六千年を七年で蕩減するのです。六千年に千年を加えた七千年を七年で蕩減するのです。これが公式となっているので、堕落した人間は、誰もが七年路程を経ていかなければなりません。この期間を越えれば、いかなることでも収拾が可能になります。

 統一教会においては、一九六〇年度からが家庭の出発です。統一教会を中心として見れば、第一次七年路程が出発した年です。一九六〇年度を中心として、私たちは定着して出発したのです。


真のお母様の蕩減復帰路程

 聖書歴史には、女性を中心とした内容がありません。今までの縦的な歴史は、主体を捜す歴史でした。六千年間、アダム一人を捜してきたのです。アダムを捜し出せば、次は女性を捜し出さなければならないのではありませんか。この男性世界に女性がいないはずがありません。悲惨な事柄も、すべて女性と一緒になしてきたのです。「縦的歴史を横的に蕩減する」と、そのようになっているのでしょう? 横的な基準を中心として見れば、今までの歴史は七千年の歴史です。この七千年の歴史を横的な基準に立てて蕩減復帰してくる期間が、第一次七年路程の期間だというのです。

 エバを身代わりした存在が先生のところに来る時には神様の命を受けるのですが、先生のところに来たのちは、絶対的に先生に従わなければなりません。縦的な歴史を横的に立てるための証し人たちの基台の上で、お母様を立てなければなりません。その人は、二十歳を越えてはいけません。そして、その人は、横的な歴史を受け継いだ条件を立てなければなりません。それがまさしく従うということです。

 アダムを送って、すなわちアダムを再創造したのちに、彼を通してお母様お一人を捜し出そうというのです。これが再創造です。本来、神様は、アダムを創造されたのちに、アダムを中心としてエバを造られためで、再創造においても、アダムを送られ、彼を通してエバを捜し出されるのです。すなわち、お母様を捜し立てるということです。そのようにするために、この七年路程の期間、お母様に、サタン世界の讒訴条件から脱け出すことができる道を行かせたのです。

 このように、何も知らない十代の女性として、夫が行く道の前に「生命をすべて捧げて絶対的に従います」という誓いをなし、天を通じて公約を立ててこそ、お母様の位置に上がっていくのです。すべて知ってからではいけません。何も知らない状態から上がっていかなければなりません。

 お母様が何を知っていたでしょうか。先生は、齢四十にして十八歳になる夫人を迎えたので、どれほど息が詰まることでしょうか。御飯を食べることと神様以外には何も知らないお母様でした。しかし、そのようなお母様とそのような背後に神様の摂理的意味があったので、何も知らないお母様を連れてきて教育したのです。その期間が第一次七年路程の期間でした。

 それゆえに、お母様は、泣き叫んだりしながらでも従順に従っていかなければなりませんでした。泣いたとしても、タマルやマリヤのような決意をもたなければなりません。「私一身が滅びようとどうなろうと、それに構うことなく肥やしになろう」という考えをもたなければならず、「国のために、世界のために、み旨のために、祝福された血族を残すために、いかなる冒険でもすることができる」という決意をもつ立場に立たなくては、お母様という名を備えることができません。先生がその教育をしてきたのが第一次七年路程でした。

 先生は、アダムを復帰し完成するための闘争歴史を経て、勝利の基台を築いてきた男性として堂々と立っているのですが、女性が堂々とした女性として立つためには、エバとしての蕩減復帰路程があるのです。そのためには、誰も知らない心情的闘争はもちろん、精神的闘争や肉体的闘争、そして信仰的闘争まで経なければなりません。「ああ、統一教会も何も、煩わしくて死にそうだ。ああ、み旨も何もかも……」と、そのようになり得る道、危ういぎりぎりの道を開拓してきたのです。

 その七年間は、女性として絶対服従して神様の前に試練を克服した蕩減条件を立て、先生の前に相対的な基準を完全に備えなければならない、そのような期間です。お母様としての試練の期間です。女性として人間世界で受けなければならないすべての苦衷を受け、それを神様のみ旨を中心として消化し、克服して越えていかなければならない期間であるということを、皆さんは知らなければなりません。

 単純に「お母様はどれほど幸福だろうか」と思うかもしれませんが、幸福なその背後にはどれほど多くの困難があるだろうかということを知らなければなりません。それを消化し、そこで花を咲かせることができる女性としての美を備えることなくしては、その背後全体が神聖なものとして証できないのです。その神聖な背後が証できなくなるときは、歴史を収拾し、時代を収拾し、未来を収拾することができる家庭として前に立てることができないのです。途方もないことです。涙も、誰よりも流さなければなりません。先生自身においても、この道を歩んでくるのに誰よりも涙を流さなければなりませんでした。


夫婦愛完成の期間

 第一次七年路程とは何かというと、相対基盤を完成させる時です。家庭的完成基盤を越えていく時なので、お母様においてもやはり同様です。性格的な面において先生と合いません。それゆえに、すべて教育していかなければなりません。そのようにして教育してあげれば、ある一時が来るとそれが合い始めるのです。そのようになれば、昔合わなかったものは切り捨て、合うところから出発していくのです。それが七年路程です。第一次七年路程とは何の期間かというと、み旨を中心としてお母様と一つになることができる基準を合わせていく期間です。

 完全に一つにならなければなりません。信仰で一つにならなければなりません。夫が行く道の前で、妻が「ああだこうだ」と言いながら反対すれば引っ掛かるのです。その次には、体で一つにならなければなりません。実体で一つにならなければなりません。その次には、愛で一つにならなければなりません。すべて神様を中心として、信仰で一つになり、実体で一つになり、愛で一つにならなければなりません。

 七年路程は、誰が先に行かなければならない道でしょうか。堕落していないアダムとエバが行かなければならない道でした。父母が行かなければならない道だったのです。したがって、サタンがいかに讒訴したとしても、この期間は無事に突破しなければなりません。そのような家庭的代表の道を切り開いていく期間が、先生を中心とした第一次七年路程です。それゆえに、この七年期間内において、お母様と先生を中心として、歴史時代において絡まったすべてのものを解いてしまわなければなりません。

 ですから、先生が、先生の家庭を讒訴することができる内外のすべての基準を整理して勝利し、心情的な面において家庭を中心として発展したとしてもサタンが讒訴することができない起源を完全に決定した期間が七年路程だったということを、皆さんは知らなければなりません。そこにおいては、内的な問題などの複雑な問題があったのです。お母様と先生が「一つになった」と言うことができる心情基盤、この世界を一つにする心情基盤の上に立たなければならないので、そのようなことをしてきたのです。


真の御父母様家庭完成の十字架路程

 七千年歴史を限界として完成してこそ、安息圏を越えて八数の新しい出発をすることができるのです。これが第一次七年路程なのですが、これは、皆さんが行く道ではありません。この期間は、統一教会の文先生が家庭的基盤を築いていく時です。祝福式、聖婚式が行われたあとからは、先生の家庭は幸福な家庭ではありません。それは家庭的十字架を背負っていく道です。誰かが家庭的十字架を背負って勝利したという勝利的立て札を打ち立てるまでは、第二次的な皆さんの家庭の行く道はありません。

 一九六〇年からの七年路程は、先生においては家庭的基準を立てる期間です。それゆえに、お母様が食口たちに対して模範となっていないことはないだろうかということを心配しました。

 内的な基準を立てるためには蕩減復帰しなければなりません。外的に祝福の基準を立てたならば、内的には整備をしなければなりません。それゆえに、三年路程においては四位基台を完成して越えていかなければなりません。それは、先生を中心として成されるのです。このような問題を中心として標語が出てきたのです。

 先生の家庭を中心として四位基台の基盤を広げてきたのです。その基盤が広がっていくのに合わせて皆さんが復帰されるのです。ここにいる先生の家庭の子供たちの名前を見れば、すべて復帰歴史と関係しています。そのようにしながら、今、これくらいまでに上がってきました。

 それでは、その期間に何をしなければならないのでしょうか。お母様が無事に子供を生まなければなりません。お母様が子女たちを生むことは簡単な問題ではありません。エバ一人が堕落することによって、今まで数多くの女性たちが悲惨で耐え難い、そして複雑な曲折を経てきました。それゆえに、そのような恨みをもって死んだ人たちの魂を救ってあげなければなりません。それらの人々を救ってあげようとすれば、神様の前に許しを受けることができるように、道を開いてあげなければなりません。このようなことをすべて収拾してくる道が、お母様の行かなければならない道です。このように、数多くの人々を連結させて勝利の基準、すなわち勝利の条件を立てることによって、初めて祝福の日を迎えることができるのです。

 私の息子、娘たちは、すべてそのような中で生まれ、必ずお母様の言うことを聞いて一つになっていかなければなりません。この期間は、先生の家庭において蕩減を受ける事件がたくさん起こるのです。子供たちまでも、この期間においては気を休めることができずに育ちました。この期間は、家庭において思いもよらない事件が起きたりするのです。

 父母と子女と万物が一つにならなくては、神様の愛の圏に到達することができません。それで、七年の間、お母様を中心として訓練をなし、お母様と子供たちを中心として大変な迫害を受けました。そのような過程を経るのです。


世界的氏族編成期間

 今日、統一教会が一九六〇年を中心としてこのような父母を迎えたのですが、この父母は心情の父母です。父母の因縁を立てれば、その次には氏族の基準を立てるのです。家庭を中心として、その次には氏族を中心として内的編成をすると同時に、サタン世界にいる死亡の家庭が天の前に進み出ることができる道を整理してあげるのです。

 いかなる反対があったとしても、天倫が行くべき正しい道に向かって行かなければなりません。今後、私たちの家庭が行くべき道は、氏族解放の基盤を築く道だという確固たる信念をもっていたので、私がどれほど打たれ、傷を負ったとしても、勝利の基盤を立てるために行かなければならないのです。氏族解放のメシヤの使命を成し遂げなければならないという厳粛な天意の宿命的課題を前において前進命令をしなければならなかった時が、一九六〇年度からの七年期間でした。

 イエス様の家庭とイエス様の氏族が行くことのできる道を切り開かなければなりません。このみ旨は、個人のみ旨ではないので、この七年という期間において、全世界と連結させ、世界を一つの氏族圏内外の因縁へ連結させるために、合同結婚式、祝福という問題を掲げて連結させてきたのです。

 一九六〇年代に、天とサタン世界の家庭に新しい分立が起きました。それで、世界史的な観念を中心として祝福を行ったのです。祝福家庭は新しいイスラエルの国を編成するのです。第三のイスラエルの国を築かなければなりません。それで、一九六〇年から上がっていくのです。


二 真のお母様の三年試練期間

三年の外泊暮らし

 ここにお母様もいますが、洪氏おばあさんに「三年間、絶対にこの表の門を出入りしてはならない」と言いました。この世から見れば、年老いた義理の母なのですが、その義理の母に向かって「自分の娘だからといって、絶対に目の前に現れてはならない。私が見るこの正門を出入りしてはならない。三年間は、私の目の前に現れてはならない」と命令したのです。なぜそのように命令したのか分かりますか。こそこそと内緒話をしていれば滅びるのです。お母様となる人は、この世の女性のように内緒話をすることはできません。

 そして、お母様は親戚に対する観念を絶対にもってはいけません。「すべて切りなさい」と言いました。自分が果たさなければならない主流の責任を残しておいて、傍系的な心情に蹂躙されてはいけないのです。そのようになれば問題が発生します。そのようにしておいて、三年間はお母様を金寅哲氏の家に間借り住まいさせたのです。

 エバが行かなければならない道とは、どのような道でしょうか。蘇生時代のエバの勝利圏、長成時代のエバの勝利圏、完成時代のエバの勝利圏を整理していかなければならないので、連れてきたからといって、そこからは相対として対することができる時には絶対にならないということを、皆さんは知らなければなりません。ですから、サタン世界からすべて整理し、内的世界まですべて入ってきて、同じ位置に立つことができるまで、言い換えれば、母として失敗したことをすべて再度蕩減し、失敗の条件を乗り越えた母として育てあげなければ行くことができません。

 それゆえに、お母様は先生と結婚しましたが、他人の家で暮らさなければなりませんでした。他人の家で三年期間を経てから戻ってきたのです。三年期間を越えてくるのです。

 連れてきておきながら、三年間は別の場所で外泊しながら生活するのです。譽進を生む時は寅哲氏の家に行っていたのです。ですから、他人の家で生活するのです。一日に教会に二回も来ることはできません。一日のうち、夕方に一回来るのであって、二回来てはいけないのです! その上、来る時は正門から入ってきても、出て行く時は裏口から出ていかなければなりません。いったいそのような道理がどこにありますか。外泊暮らしです。

 もし閉じこもっていれば、「死ね」と祈祷する人もいくらでもいたはずです。お母様の候補者だと思っていたその妖怪のような者たち、昔の歴史を見れば、女性の世界というものはどれほど意地の悪いものでしょうか。毒薬を注いで飲ませるなど、ありとあらゆるまねをするはずです。ですから、そこが一番の安全地帯なのです。(笑い)お母様がそこにいれば、私がそこに一度行ったからといって、誰も批判したりはしないはずです。そこに行って、何週間ぶりに会って楽しく話をするのを見ても、誰もそのようなことはしないはずです。しかし、教会にいて、額を合わせて一日に何時間も楽しく話をするのを見れば、どれほど気分が悪いでしょうか。作戦上、いろいろと必要だったのです。(笑い)

 それゆえに、整備する時までの三年間は、家には迎えず、ほかの家に住まわせて、すべて整備したのちに迎えなければなりませんでした。それまでは、お母様と一緒に暮らすことはできません。息子、娘は、父母と一緒に暮らすことができないのです。この蕩減的路程においては、お母様が越えなければならない峠をすべて越えてこそ、初めて息子、娘を収拾することができるようになっています。このような複雑な環境を越えなければなりません。そのようなことを思う時、先生一代においてこのようなことをすべて成し遂げたという事実は、先生が大胆に、危険を顧みることなく、生命を捧げて成してきたからです。


過酷な憎しみの矢

 七年間は内的に、心情的蕩減期間が必要でした。それで、女性として経るべき受難の道をすべて経ていきました。そこにおいては、どのような人々がいたでしょうか。女性で言えば、妾がいたのであり、ありとあらゆる者がいたのではないですか。養母や何だといった、ありとあらゆる女性たちの群れがいるのです。そのようなすべての人々がお母様の周囲で、むやみやたらに締めつけるのです。迫害するのです。そのような群れがすべてお母様の周囲にくっつき、お母様を倒すために、ありとあらゆる謀略中傷を行うのです。

 統一教会の女性信徒たちがそっとしておきません。やたらにいじめます。「目玉をくりぬいたり、唇をかみそりで切り裂いたりしたい」と思うのです。ですから、お母様の合格証をもらうためには、試験を受けなければなりません。試験をするときには教師たちは、引っ掛かって倒れる条件ばかりを探します。最も難しいことで首を引っ掛けるのです。

 「誰々がいなければ、私の娘や孫娘がなっているはずなのに」と言っているのです。三代がありとあらゆる準備をしていたのです。準備しておいた婚礼家具、それら一切のものをほうり出すのです。「誰々ゆえにこのようになった!」と言って、どれほど憎んだことか分かりません。ですから、その憎しみの矢を防ぐために、三年の間外泊をさせたのです。そのような時に譽進を産んで、風に当たって産後の病が生じました。

 今日、人類歴史路程における悲惨な姿の事情を中心として見るとき、復讐の事情がいかに多く、恨みの事情がいかに多かったことでしょうか。それをすべて消化して残らなければならないのであって、消化不良を起こしてはいけません。ですから、とてつもないことでしょう。消化することができなければ死ぬのです。何によって消化するのですか。愛によってです。お母様となる人も、その道を行かなければなりません。女性の悲惨な姿です! 打たれても、消化して残らなければなりません。

 反対するのです。激しくひっかいて大騒ぎするのです。部屋に入ってきて両手両足を広げ、お母様に対して「お母様の使命は私の使命です。あなたはお母様ですか」と言って大騒ぎしたのです。本当に、私はありとあらゆる姿を見ました。意地の悪い姿、妙な姿、良い姿も悪い姿もすべて見ました。

 そのような仕打ちを受けながら何をするのでしょうか。蕩減していくのです。お母様には言葉が必要ありません。私が世界の舞台に行って神様の前にお捧げする時までは、お母様が「ああだこうだ」と言って私をコントロールすることはできないのです。エバの悲運の歴史がそのようになっているからです。

 「私がお母様にならなければならない」と言って、韓氏を代表する女性がお母様の部屋に来て、「自分が韓氏だから、お母様の位置を差し出しなさい」と言いながら、胸を大きくはだけて大騒ぎするのです。それでも、お母様が静かにすっと退くのを見る時、事実、お母様は立派でした。よくやったのです。お母様を妨害すれば、どうにかなるのだと思ったのでしょう。(笑われる)

 おばあさんたちから、統一教会の人たちのすべてが「お母様はどうだこうだ。ほかのお母様を選ぶ」などと言って、ありとあらゆるうわさが立ちました。しかし、ここで対抗すれば両方ともすべて砕け散っていくのです。無言で行かなければなりません。無言で行きなさいというのです。ですから、どれほど息が詰まったことでしょうか。例えば、お母様が先生と誕生日が同じことまでも「それはすべて四柱観相を合わせるためにそのようにした」などという、ありとあらゆるうわさが立ったのです。そのような環境を経てきたので、誰もが本当に偉いと思うのです。「あのお方でなかったらできなかった」という基準が徐々に表に現れてくるのです。


真のお父様の冷淡な態度

 お母様が愛の十字架を背負うにおいては、いかなる困難があったとしてもすべて克服していかなければなりません。したがって、先生は試験するにおいては無慈悲な先生です。「あのように良い夫があのように冷淡になり得るだろうか」と、涙だけでなく、痛哭するような態度を取ってきたのです。

 お母様の血と肉が交差しているのです。そこではお母様は、多くの涙を流しました。結婚をしたので、どこかに行こうとすれば夫に付いて歩かなければならないのではありませんか。ところが、おばあさんの三位基台、お母様の三位基台がいるのです! どこかに行く時はその人たちを連れていくのであって、お母様は連れていきません。ですから、どれほどあっけにとられるでしょうか。峠を越える時までは、そうするしかありません。そのようにすることによって、周りにいる女性たちが「あの先生は、あまりにひどいではないか!」と言うようになるのです。

 ある時は、何の理由もなく、ただお母様に対して私が面と向かってしかるのです。「どこどこに行く」と言えば、付いて行きたいでしょう? それが女性の気持ちだということを私はよく知っています。(笑い)付いて行きたいのです。「行きたい」と思っている人を連れていくことが夫の責任だということも分かっていますが、多くの人々を従えていくためには、苦い味、甘い味をすべて知らなければなりません。「どうして出てきたのだ。上がっていなさい」と言って、面と向かってしかるのです。涙がすーっとにじんでくるのを見ました。そのような姿が今でも目に浮かびます。

 そのようなすべての事情を通過して根を下ろせば、それはいかに高貴なものとなるでしょうか。全体のために、統一教会の者たちを万人でも殺してはならず、落としてはいけないがゆえに、そのようにしながら、あの塀の向こうから戻ってきて三年後に一緒に暮らすようになったのです。


洪順愛大母様の支え

 洪氏おばあさんにとっても、世の中で最も恐ろしい人が私でした。ですから、部屋の中にいても、正門から私の声がすれば裏口へ逃げていくのが常でした。そのおばあさんの素晴らしい点は、すべてのことに対して啓示を受けて、それを一つ一つ報告することです。お母様がそのような孤独な立場にいるので、「あすはどのようなことがある」ということをあらかじめ知って、人の名前まですべて教えてあげるのです。そのようなことを見れば、霊界は生きているということを知ることができます。

 お母様を激しく攻撃すると、おばあさんにすべての矢が行くのです。ですから、祈祷しなければなりません。お母様を中心として裏口から出入りしながら、内的、霊的に啓示を受けるのです。どのようなことがあり、何がどうだこうだということをすべて教えてくれます。教えてくれるようになっているのです。

 そのようにすることによって、霊的キリスト教の基盤をお母様の実体基盤と連結させる橋が架けられるのです。片方はキリスト教を最高に信仰する信者だというのです。主が来られるまで準備してきた立場で精誠を尽くしてきたので、霊的キリスト教の基盤を実体基盤に連結させることができるように、おばあさんはその後ろ盾にならなければなりません。それゆえに、洪氏おばあさんは、「そのような内容は、これこれこのようになるだろう」と言ってすべて教えてあげたのです。

 このような役事をしながら、おばあさんはお母様に内的な立場で協助していくのです。そのような難しい道を経ました。その道を行くにおいては、先生がすべて教えてあげるのではありません。お母様が独りで、身もだえしながら越えていかなければなりません。

 ですから、どのようなことが起きたかというと、このおばあさんがお母様のところに来て秘密裏に教えてあげたのです。このお母様を育てるにおいては、私よりも母親のほうが近いのです。満十七歳の娘にどのような所見があるでしょうか。考えてみてください。私は四十歳であり、お母様は満十七歳の娘なのです。

 エバが自分勝手に行動することによって主管性を転倒して天地の道理を破壊した、そのようなすべての内容を収拾するために、お母様の母親であるおばあさんがそのようにしたのです。霊界からすべて教えてくれたのです。ですから、一段階越えます。家庭の塀を越えるのです。夫に対して疑い得るすべての環境を越えるのです。


アベル的心情で食□を包容

 お母様は、先生から七年間訓練を受けなければなりません。絶対服従しなければなりません。お母様の位置に立ってはいますが、訓練を受ける時にはお母様ではありません。アベルとして、統一教会の女性たちをすべて愛することができる位置に立たなければなりません。それが難しいのです。統一教会の婦人たちは、お母様を最も讒訴するのです。突き剌すのです。そのような中で、すべて感謝しなければなりません。男性たちは好意をもつのですが、女性たちは嫌うのです。

 その間、おばあさんの口から「先生は良くない」という言葉が出てきてはいけません。お母様自身も、「先生は間違っている」という言葉を言ってはいけません。−どうすることもできません。心情的アベルになるためには、心情的カインの基盤をすべて消化し、すべて生かしてあげなくてはいけません。それが原理原則です。

 七年路程の中で、お母様はどのようにしなければならないのでしょうか。十字架の道を行くことに対して、心情的基準で不平をもってはいけません。お母様を中心として東西南北の十二人の女性が行くことができる真珠門があるのですが、その真珠門とは何の門でしょうか。愛の門です。真心から天を愛する人だけがその門を通るのです。人間的な愛を行う人は通ることができません。そのような人は地獄に行くのです。

 それゆえに、お母様自身が、歴史時代において数多くの女性たちが誤ったすべての内容を背負っていくときに、その十字架を背負ったことに対して恨んではいけません。感謝しなければなりません。難しいそのすぺての事情を感謝しなくてはなりません。先生がいなければ、お母様も行くことはできません。先生がすべて保護するのです。昔、エバを保護しなければならなかったアダムは、そのようにすることができませんでした。

 そのようにして、最も憎まれる状態から解放され、憎んでいた人が「最も愛さざるを得ない女性の代表だ」と言って認め、「私の福をすべてあげてもいいです」と言って頭を垂れるようになるとき、初めてお母様はお母様の位置に上がるのです。


食□たちの同情と愛

 すべての食□がお母様の母親をうらやましいと思いませんでした。洪氏おばあさんをうらやましく思う人が一人もいなかったのです。そのような作戦を行いました。洪氏おばあさんのそのような姿を見てからは、今まで自分の娘を立てて成そうと思っていた母親たちが、すべて意気消沈したのです。「ああ、祝福を受ければすべて良いものだと思ったのに、あのように身を滅ぼして……。あのようになるのであれば、かえってその位置に立たなくて良かった!」。そのように反省をさせるようになりました。

 そのようにすることによって、最も問題となる母親クラスの人々を収拾したのです。そのようにすることによって、環境の半分は折れていくようになりました。洪氏おばあさんをそのように扱うことによって、その母親たちが同情するのです。「いやあ、先生にあのような面があったのか。冷淡で、無慈悲な人だ」と言って、すべての人が同情するようになるのです。そのようにならなければなりません。

 ですから、「お母様は毎日涙を流して暮らしているそうだ。今は御飯も食べることができない状態になっているそうだ!」といううわさが出てきます。「他人の家のひと間で暮らしているので、子供を産んでからは産後の養生もできず、寒さでこれこれこのように過ごしているそうだ」というような様々なうわさが出てくるのです。

 最初、お母様の候補になっていた女性たちやおばあさんたちは、その話を聞いてみな喜びました。しかし、一度聞き、二度聞き、三度聞いているうちに雰囲気が変わっていくのです。その雰囲気が変わるとともに、おばあさんたちが、選ばれたお母様に対してそのように接するので、ついには十代の少女たちが、おばあさんたちを捕まえて説得するようになりました。「お母様が代表の位置にいるのに、どうしてそのようにすることができるのですか」という雰囲気が沸き起こったのです。

 あとになって、おばあさんたちも、自分の娘や孫娘がお母様の立場になっていれば、どれほど息が詰まっただろうかということを考えるようになったのです。そのようになって初めて「私たちが反対したのでお母様の立場がこのようになったのだなあ!」ということが分かり、「かわいそうに、お母様はすべて私たちのゆえにあのような立場にいるのだ」と女性たちに教えてあげるのです。そのようにして、三年間で雰囲気がひっくり返りました。おばあさんたちが先生のところに来て「お母様をお迎えしなければならない」と話し、すべての人がそのようになることを願う心で全体が一つになったのです。そのようになってこそ、初めてお母様を迎えることができる基盤が立つのです。

 先生は原理を知っているので、このようなことをすべて整理してきました。大乱闘が起きて修羅場と化し得る、そのような環境でした。この世であれば、実際に人が死ぬような事態が起きていたはずです。「お前を殺して私も死のう」というそのような局面でした。いくら自分が心情の開拓者として来たとしても、この心情の十字架を誰よりも勝利しなければ、心情的主人となることはできないということを知らなければならないという話です。したがって、お母様がお母様として振る舞うことはできませんでした。その道に合わせていこうとするので、誰にも教えてあげたり、話してあげたりしたのではありませんでした。


真のお母様のみ言

 聖婚後、大母様は、私に起こるすべての出来事を、啓示を通してすべて見ていらっしゃいました。誰にとってもこの位置は大変な位置でしたが、大母様がいらっしゃったので克服することができました。すべての女性の誤りを大母様がすべて清算されました。大母様が誰よりもよく御存じです。

 今、私の年齢は六十になりつつありますが、幼年期や青年期よりも、その後の四十年間のほうがもっと波瀾万丈な人生を送ってきました。すべてを□に出して言うことはできません。

 (たくさん泣かれながら)神様にも健忘症がおありになるのでしょうか。健忘症があるのですべてのことを忘れ、克服して越えていくことができるのだと思います。健忘症があるということは祝福です。憎い人を憎いと思わすに、愛ですべて克服するということが簡単なことだったでしょうか。

 外からちらっと見るときには、お父様がどのようなお方だということを知っているので、皆さんは全く同じように思い描き、単純に、・私がとても幸福で、すべての面において完全な人であるに違いないと思うことでしょう。「あなたは神様からそのように創造され、もともと完全な姿としてお生まれになっているので、自分では何の努力もする必要がなく、ただそのままその位置に選ばれるようになったお方だ」と思うかもしれません。そして、「全天宙の母だということ、お父様に出会って幸福な家庭をもっていて人生を楽しんでいる」というのが、私に対する人々の一般的な見解でしょう。

 しかし、それとは反対に、お父様がその位置に立たれるために苦難と十字架の道を歩んでいかれる限り、私においても当然、私なりに信じることができないほどの耐え難く、乗り越え難い十字架を背負ってきたのです。もちろん私も、最初から完全な人間として出発したのではなく、完成まで行かなければならない過程がありました。その到達しなければならない基準はあまりにも高く、時には本当に目標まで行くことは不可能ではないだろうかという気までしました。その使命を果たし、神様の期待にこたえるためには、とても難しい試練と、苦難と、絶対的な信仰が必要でした。私はそのような立場にいました。

 過ぎし日のこのような事情と、私が歩んできた路程について思い起こす時、私はこらえることができずに涙が出てくるようになります。なぜなら、これについて話そうとすれば、苦難と試練のすべての記憶が再び生々しくよみがえってきてしまうからです。ですから、私にとってはそれを話すということは大変つらいことなのです。

 私が歩んできた道は、考えるだけでも耐え難い苦難の連続の道でした。神様は、お選びになったお父様に試練を与えたのと同じように、私に対しても何度も試練を与えられました。そして、サタンもまた、お父様とイエス様を試みたように、私に対しても試みました。メシヤが通過されたのと同じ、そのような過酷で激しい試練をこの弱い女性が通過したと言えば、本当に皆さんは信じることができないでしょう。

 一九六〇年に聖婚式が挙行され、私は、天宙的な使命を帯びられた偉大なお父様と結婚しましたが、お父様がその天宙的な使命を成していかれる生活を傍らで見守るならば、普通の自然人には、そのような使命を果たすということは考えることさえも不可能なことです。

 私は、温室の中に咲く一輪の花のように成長してきました。平和な周囲の雰囲気という温室の中で、「砂漠に咲く花のようだ」と私自身が感じてきました。砂漠のようなものは私が生きていた環境であって、行くところはすべて荒海が狂ったように暴れているかのようでした。それは、私の周囲が一寸先も見ることができないほど多くの誘惑と、試みと、様々な苦難が渦巻く、難しい現実的、また霊的な状況だったからです。私は、本当に荒海に浮かぶ小さな帆掛け舟のようでした。

 一方で、その当時は、私に訪ねてこられる神様の恩恵を最も深く感じた時でもありました。私が苦痛の中にいる時でも、神様は親しく現れて啓示を下さり、導いてくださいました。そのような直接的な導きがない場合でも、私を愛し保護してあげようとする周囲の人々を通して、絶えず導きと啓示を下さいました。ですから、その時が、あれほど難しい試練と苦難の中で耐えなければならない時であったにもかかわらず、同時に、その時こそ最も美しく、神様の恩恵に満たされた、神様が本当に共にいてくださるということを実感することができる時でもあったのです。



三 一九六〇年代の開拓路程と重生の役事

真のお母様の顕現と女性解放運動

 聖霊は、地上に来て新婦の体をまとうことができませんでした。霊界に行ってみれば、聖霊は母の神様です。イエス様が地上で実体を備えれば、新婦は天道のすべての内容を知って、すなわち真理の中で新婦の資格を完遂し、新婦としてメシヤが来られることを待ち望みながら彼を迎える準備をしなければなりません。そのようにして一つの家庭を準備し、一つの国家を準備七、世界を準備しなければなりません。これが新婦のなさなければならない責任です。それゆえに、一九六〇年代に入ってきて女性運動が世界的に展開しているのです。

 女性は、男性が解決することができなかったことを解決しなければなりません。この地上の人間がいかに多かろうと、すべて悪の血統を受けて生まれてきた堕落の子孫なので、母の愛をなすことができる真の女性が現れなければなりません。終わりの日が迫れば迫るほど、そのような代表的な存在が現れることができる時が近づいてくるので、世界的な女性運動が展開するのです。終末期は、堕落したことを女性が復帰することができる時なので、終末期である今、女性は天的なエバを代表して立つことができる恵沢圏にいるのです。

 今日、女性たちは、解放と同時にそのような位置に立つことができるようになったので、このような時に真なる母が現れなければなりません。私たちは、地上でその母に侍ることができなければなりません。人類はこのような時を迎えて神様を取り戻してくるので、地上に新婦が立てられなければなりません。父母がいなければ子女がいるはずがなく、子女がいなければ家庭があるはずがなく、家庭がなければ氏族が、氏族がなければ民族が、民族がなければ国家が、国家がなければ世界があるはずがありません。

 第二次大戦が終わり、女性運動が展開していますが、それほど簡単にはいかないことでしょう。母となるべきエバが堕落して罪を誘発させたので、このような歴史的な罪を蕩減し、母となることができる存在にならなければなりません。それゆえに、再び出産の苦労を経ることによって蕩減の勝利圏を備え、新郎を迎えることができる勝利的な基準を築かなければなりません。このような女性が現れなければ、メシヤは父的メシヤとして王位に就くことができません。したがって、女性の解放もあり得ません。


一九六〇年代における女性たちの開拓路程

 神様とエバが一体となることができる位置を模索してこそ、サタンとエバが一つになったその基準に匹敵する立場に立つことができるのです。

 それでは、その一つになったという条件を立てるためには、どのようにしなければならないでしょうか。一つにさせないように妨害するサタンに対して、必ず勝利して越えていかなければなりません。そのとき、サタン世界の女性にとって、自分がもっている環境的条件が十字架です。すなわち、夫がいれば夫が十字架であり、子女がいれば子女が十字架です。そのように実体的な家庭を中心とした十字架も十字架ですが、ここに無形のサタンまで加担して、夫の名をかたり、息子、娘の名をかたって、統一教会の婦人たちが行こうとする道をあらゆる方面から阻んでいるのです。このような道を歩んできたのが、一九六〇年代の統一教会の歴史でした。

 それゆえに、女性たちが神様を中心として神様と一つにならなければなりません。一つになるためには、エバが堕落したのと同じ立場において、絶対に堕落してはならず、堕落するすべての要因を乗り越えることができる基盤を勝利して備えなければなりません。女性たちがこのような基盤を備えなければ、男性たちの行く道が定まりません。それが原理的な見解です。それゆえに、一九六〇年代に入ってくると同時に、統一教会は、女性たちを中心として苦難を経ていったのです。

 そのように、一九六〇年代は、女性たちを先頭に立てて蕩減の役事を提示しながら開拓してきた、ということは間違いのない事実です。女性たちが開拓した勝利の基盤の上で、その女性たちが築いたものを男性たちが受け継ぐことによって、初めて天の男性として立つことができる位置を立てた時でした。これはどういうことかというと、堕落したエバがアダムを誘惑して堕落圏内に立てたことを蕩減復帰するために、女性たちが堕落せずに開拓して、勝利の基盤を築いた基盤の上に男性たちを立てた立場へと復帰するということでした。教会を中心として見れば、これは教会の復帰の基台を整えてくる役事でした。

 そして、皆さんが個人的な闘いをしていたその期間、先生においては家庭的な闘いの路程を展開していたのです。そして、第一次七年路程の期間、女性たちが万緑で基盤を築いている時、先生はその背後に立って、サタンの讒訴条件に引っ掛からないように、時には父の立場で導き、時には夫の立場で周囲を収拾してあげていました。


三年路程の四十日開拓伝道

 一九六〇年七月二十日から八月三十一日までの四十日間、全国四百十三地域に六百五十九人の食□が開拓伝道に出掛けると同時に、三年路程が公式的に出発し、その後三年間、夏期および冬期四十日伝道活動に全国の食□が投入され、教会基盤を開拓した。現在まで、この四十日動員伝道活動は、世界の食□の公式的伝道活動期間として、その伝統が伝承されてきている。

 皆さんが真の父母の息子、娘になるためには、蕩減法によって、父母の骨髄を通じて出てきたという原理的条件を立てなければなりません。そのようにしてこそ、息子、娘の位置に出てくることができるのです。

 そのような条件を立てる期間が、一九六〇年を中心とする一九六一年、一九六二年の三年間にわたる四十日伝道期間でした。この期間は麦飯を食べました。なぜ麦飯を食べなければならなかったのかというと、その三年間は蕩減期間だったからです。この期間は、先生の直系の子女を中心として四位基台を復帰して越えていく期間でした。そして、皆さんにおいては、父母を中心としたカイン・アベルの関係を立ててカイン・アベルを一致化させていく期間でした。どこから一致化させなければならないかというと、母の腹中から一致化させる位置に立たなければなりません。

 そのようにして、皆さんが真の父母の骨髄の中から心情的に接ぎ木されることによって、真の母の腹中を通じて本然のアダムとエバの立場で生まれたという条件を立てるのです。そのようにしなくては復帰することができません。したがって、皆さんは、お母様を中心として復帰されていかなければなりません。先生の息子、娘がお母様の腹中にいる時に、その胎児を中心として皆さんはカイン・アベルの関係を復帰するのです。

 そのように先生の家庭を中心として一つになれば、天使長がサタンの立場ではなく忠臣の立場に立って神様の息子、娘に従順屈服し、蕩減復帰する立場で養子として代を継がせてあげるのです。それで、長子の立場を取ってきたサタン側を次子の立場に立たせ、神様の祝福を受けた本来の直系の息子、娘を長子の立場に立たせるためにあるのが、今日の統一教会における三年路程の役事です。

 それでは、皆さんはどのようにしなければならないかというと、先生を中心とした愛の因縁を通して一つになったという条件を立てなければなりません。お互いに闘うのではなく、お互いに一つになるために努力しなければなりません。それゆえに、お母様も麦飯を食べ、それと同時に皆さんも麦飯を食べなければなりません。子供も麦飯を食べて育つのです。

 それゆえに、先生も、その三年間は誕生日のお祝いをしませんでした。その三年間は、断食をする期間だったのです。それで、お祝いの膳も整えてもらいませんでした。服もジャンパーを着ました。ジャンパーを着て説教し、ジャンパーを着て御飯を食べ、背広のようなものは着てみたことがありませんでした。復帰です。六千年復帰歴史において、僕の僕の身から復帰して上がっていかなければならないのです。


真の御子女様の誕生と重生儀式

 一九六一年一月二十七日(陰暦一九六〇・一二・二)、真の御父母様家庭の御長女であられる譽進様の誕生と二月二日に挙行されたその奉献式、そして一九六二年十二月二十九日(陰暦一二・三)、御長男であられる孝進様の誕生と一九六三年一月一日のその奉献式によって、真の御父母様家庭の天的四位基台が完成した。これを期して真の御父母様は、三年開拓路程を歩んでいる食□たちにわかめ汁と御飯と牛乳を共に分かち合うようにされ、米と豆と栗と十圜銅銭を分配してくださることによって、アベルの子女である真の御子女様の出産を通して、カインの子女たちが真のお母様の腹中を通じて重生するという恩賜に同参させてくださった。

 その三年間の活動をする時に譽進が生まれました。それゆえに、要道も四十日伝道期間中は、皆さんと一緒に御飯を食べて暮らしました。腹中からそのようにしたのです。孝進もやはりそのようになった立場でした。皆さんは、お父様とは一つになったのですが、お母様と一つになったというそのような因縁をいかにして結ぶのでしょうか。アベルを通して接ぎ木されるということを腹中時代からしなければなりません。それは何かというと、譽進の腹中時代から孝進の腹中時代の三年期間です。

 皆さん、子供が生まれるとき、母が汁御飯を食べれば、子供は母が食べるその汁御飯を食べて育つのです。それと同じように、譽進が生まれる時に、皆さんが汁御飯を食べたことを覚えていますか。それが蕩減復帰歴史なのです。今は、皆さんは知らずにいますが、今後この式を本格的に世界化させ、そのような伝統をはっきりと教えてあげなければなりません。再びお母様のおなかの中を通じて生まれなければならないのです。

 そのように、お母様のおなかの中というものは、堕落したことを蕩減するためのものですが、今までは完成した母がいませんでした。しかし、血統的な面やあらゆる面を蕩減して完成した基準を得てお母様が譽進と孝進を生むそのような立場で、三年間皆さんが一つになったという条件を立てることによって、初めて再び生まれたという立場に立てられたのです。

 このように、復帰歴史とは、六千年かかってきた大変な歴史だったです。このことをなすまでどれほど大変だったことでしょうか。神様は、その一日を中心として今まで歴史的試練を経てこられたのです。ですから、皆さんの生命は誰と共に復活したのかというと、先生と共に復活したのではありません。お母様と共に復活したのです。誰ゆえにですか。子女様ゆえにそのようになるのです。

 女性はみな、真のお父様と、真のお母様と、その真の娘と一つにならなければなりません。それでは、男性はどのようにしなければならないのでしょうか。真の父母と、その真の息子と一つにならなければなりません。このような罪がない真の子女め誕生によって、歴史上初めて天的四位基台が復帰されるのです。これが、統一教会における天的四位基台の復帰です。

 四位基台を復帰しようとすれば、歴史的な蕩減条件を立てなければなりません。その三年期間は、子女を取り戻す期間です。子女様の奉献式の時、先生は、三大祭物の条件として三種類の贈り物を分配し、わかめ汁と牛乳を飲ませ、御飯を食べさせました。三年期間は、イエス様が築くことができなかった四位基台を完成する期間です。

 先生は、一九六〇年代に、聖進、喜進、譽進、孝進を中心として、腹中から復帰してくることによって、すべてそのような条件を立てました。その時に、皆さんはわかめ汁を飲んだでしょう? そして、牛乳も飲み、御飯も食べたでしょう? それがすべて条件なのです。また、一九六一年のことでしたか、私が十圜銭を分けてあげたことがあります。今、それをもっている人は手を挙げてみてください。それをなくさないようにしなさい。


世界的氏族編成のための祝福式

 第一次七年路程の前半三年期間に、真の御父母様の世界的な氏族編成のための祝福式が相次いで挙行された。一九六〇年四月十六日に行われた三家庭の祝複式に続き、一九六一年五月十五日には三家庭を含む三十六家庭、一九六二年六月四日には七十二家庭、一九六三年七月二十四日には百二十四家庭の祝福結婚式が、それぞれ真の御父母様の主礼のもとで挙行された。

 七年路程を経ながら父と母が一つになってこそ祝福があるのですが、三十六家庭の祝福、七十二家庭の祝福、百二十四家庭の祝福、四百三十家庭の祝福を中心として基盤を広げてきたのです。その基盤は何かというと、アダム氏族を失ってしまったので、アダム氏族の形態を中心として蕩減条件を立ててきました。割礼を受けたり、洗礼を受けたりしたのはユダヤ教徒とキリスト教徒でしょう。それと同じように、祝福を中心として基盤をつくってきたのです。

 そのようにして世界の中で失ってしまった理想的家庭を、すべて新たに再現させて天国へと導いていくためには、世界という舞台を蕩減条件として立てて、自分の父母よりも、自分の国よりももっと愛する、そのような心情的基盤を高めて飛躍、跳躍させ、ここに入ってきて新しい家庭の編成に加担させなければなりません。今日まで、統一教会は、そのような役事を行ってきました。

 霊の三子女を選んで家庭形態を備えなければなりません。それで、イエス様は三弟子、すなわちアダム、ノア、アブラハムを象徴する三子女を取り戻そうとされたのです。しかし、その三弟子までがイエス様と一つとなることができなかったので、イエス様は亡くならざるを得なかったのです。

 イエス様と聖霊の恨を解くために、三子女を中心とした三十六家庭を立て、それをなすことによって失ってしまった先祖を捜し立てるようになりました。そのように先祖を立てることによって、その子孫たちが入っていくことができる道が開かれました。そして、アダムを中心としてカイン型とアベル型を完結しなければならないので、七十二家庭を立てました。この家庭を立てることによって、四位基台型の先祖基盤を完成するようになりました。また、イエス様が百二十人門徒を中心として楽園に入っていかれたので、それと同じように、この百二十人門徒を地上においても立てなければなりません。それで、百二十家庭(百二十四家庭)の祝福があったのです。

 三十六家庭から、七十二家庭、百二十家庭は一つのチームです。これは、分けることができません。三十六家庭は堕落した人類の先祖たちが復活した型であり、七十二家庭はその先祖の息子、娘たちが復活した型であり、それから百二十家庭は世界の人々が復活した型です。ですから、これらが一つになることによって、結局、家庭と息子、娘が一つになり、世界が一つになるのです。それで、百二十家庭までは私が責任をもたなければならないと思っているのです。

 三十六家庭は代表の家庭なので、過去からつながってきたものを代表した家庭です。この家庭を中心として、現実的な基盤として立てられたものが七十二家庭と百二十家庭です。過去からつながってきた家庭的な蕩減条件を防ぐことができる家庭が三十六家庭ならば、それを現実的な家庭の基盤として防ぐことができる家庭が七十二家庭と百二十家庭です。七十二家庭は氏族を代表した家庭であり、百二十家庭は世界を代表した家庭です。


四 七年路程と惠進様の犠牲

七年路程の前半三年と後半四年

 イエス様は、二千年間内的に基盤を築いてこられ、外的には再臨の理念を残しておかれました。それと同じように、来られる主においても内的な基盤を築き、外的な基盤を築かなければならないのですが、その内的な基盤を築くのが三年路程であり、外的な基盤を築いて決着をつけるのが四年路程です。

 先の三年期間は、先生が本郷を取り戻す期間でした。イエス様は、三年期間で神様、イスラエル、ユダヤ教、そして義のために闘って死んだ烈士の恨を解かなければなりませんでした。それを成すためには、ユダヤ教徒たちがイエス様を信じなければなりませんでした。なぜならば、イエス様は、世界的な主権をもってこられたからです。イエス様は亡くなりましたが、統一教会は、韓国を中心としてサタンと闘って勝利することによって、イエス様の恨を蕩減復帰しなければなりません。そして統一教会は、先の三年にわたって勝利の実績を収めたので、イエス様の恨を解くようになりました。

 イエス様は、天国に行くことができませんでした。天国は一人で行くものではなく、家庭を完成して行かなければならないからです。父母に侍り、相対基台を成して息子、娘を抱いて行かなければなりません。

 三年という期間は、サタン分別の期間です。三数と四数は、サタンを分別する数です。七数を蹂躙されたことが天地の恨です。人間始祖の堕落により、神様は息子、娘を失ってしまいました。それで、三数は息子、娘を取り戻すための蕩減数であり、四数は万物を取り戻すための蕩減数です。それゆえに、この三年期間は、先生が命を懸けて世界に散在しているサタンたちと、天上天下に散在している数多くの悪霊たち、そして世界にいる人類と対決した期間です。

 三数は子女を取り戻すための分別数であり、四数は万物を捜し立てるための数です。私たちは、このような第一次的な計画に成功しました。この三年期間で勝利し、世界へ進出していく基盤を築きました。このような基盤の上で、第二イスラエルを復帰しなければなりません。今後残された四年は、民族復帰のために活動しなければならない期間です。それゆえに、すべての力を尽くして、民と国土を復帰するために活動して勝利しなければなりません。先生が歩んできた四十年を、皆さんは四年間で行くのです。


民族的総蕩減のための四十日動員

 第一次七年路程の後半四年の第二次年度である一九六四年の七月二十日から四十日間、統一教会創立十周年(一九五四〜六四)を総蕩減する意味の夏期伝道が始まり、全国から二千百人の有能な食□が動員され、八月三十一日まで活動した。

 全体のみ旨の前において、民族復帰という使命の内的責任は先生が果たすのであり、外的責任は皆さんの努力で果たしていかなければなりません。統一教会が出発してから十年がたちました。十年の間(一九五四〜一九六四)、私たちは個人的、家庭的、氏族的に発展してきました。

 先生が皆さんを、実績があろうとなかろうと、できる限り動員させようとするのはなぜでしょうか。皆さん、ある皇帝が山で木を切り、それを担いで宮中に入っていくときに、その木の先にありが一匹付いていたとすれば、そのありも一緒に宮中に入っていくでしょうか、行かないでしょうか。くっついて入っていくのではありませんか。一年、二年……十年を歩んでくるときに、一緒には来ることができませんでしたが、ここからでもつながっていこうというのです。

 戦場に赴く途中で戦争が終わったとしても参城兵なのです。また、戦場で銃を撃ち、誤って撃って味方の将兵を殺害してしまったとしても、その軍隊が勝利すれば戦勝兵になるのです。ですから、皆さんをこの七年路程に、できればどのような作戦を通じてでも動員させようと思っているのです。

 陰暦の八月までが危機です。天がこの闘いで疲れ果てることのない将兵をいかにして立てるか、これが問題です。闘いには軍隊が必要です。私たちは一時に個人的、氏族的、国家的に勝利した立場に立たなければなりません。天の命令を奉じることができる私たち自身と国家になっていなければなりません。

 今、時は、総蕩減の使命を果たさなければならない時代なので、皆さんは先頭に立って、民族的な蕩減のために民族を身代わりして十字架を背負い、前進して闘わなければなりません。今はもういくつかの峠しか残っていません。

 今回の伝道期間は、できるだけ全員が動員されなければなりません。今回は、回数にして何回目ですか。今後、何回も行うと思いますか。できるだけ時を逃すことなく参加して、たくさん苦労し、責任をもった立場で任せられた天の将兵の目的を達成してくれるよう願います。


惠進様の昇華

 真の御父母様の五番目の御子女様であり、次女であられる惠進様が、一九六四年七月二十八日(陰暦六・二〇)に誕生され、誕生されてから八日目の八月四日(陰暦六・二七)午前四時十五分に昇華された。真の御父母様は、青坡洞前本部教会において、惠進様の昇華後十日目である八月十四日(陰暦七・七)午前七時、「霊的サタンを打つ式」を挙行され、その七日のちの八月二十一日(陰暦七・一四)午前十一時、「肉的サタンを打つ式」を挙行された。そのようにして、アベル子女の犠牲を条件として霊肉間におけるすべてのサタンを打ち、攻勢的立場の摂理を進めることができる基盤がつくられた。

 六月、七月は、七年路程の三年半を越える峠なので、祝福を受けた老人たちと惠進が亡くなったことには大きな意味があります。死去した四日、ベトミン(ベトナム独立同盟会)の問題が発生しました。

 皆さんが、先生に最も近い存在が死ぬことを経験するということには大きな意義があります。皆さんが行く所には何かしら危険が存在するようになります。以前のサタン世界とは違います。皆さんは、モーセとアロンとホルの前に立ったヨシュアのような信念をもたなければなりません。

 以前は、サタンが祈祷中に現れれば外部から問題が発生しました。しかし、今年からは、そのような時には家庭から問題が発生します。今後、蕩減の供え物がもっとあるはずです。

 神様は、アベルが供え物だったので、アベルを打ってカインを許してくださいました。これを条件として、神様はサタン世界を打つことができたのです。今からは、み旨に反対する人は打たれることでしょう。私たちは、誰が何と言おうと、神様のみ旨だけを見つめて進んでいかなければなりません。

 私は、惠進の死を通してイエス様を失った神様の心情を体恤し、まだ死を免れるほど神様の前に忠誠を尽くすことができていなかったということを悟りました。

 先生の蕩減路程は、キリスト教の蕩減路程を経て、統一教会で再蕩減路程を歩んでいるのです。それで、先生の家庭において、子女たちを供え物として捧げるという歴史的な事件が起きるのです。

 七年間でこのすべての世界的蕩減路程を歩まなくてはなりません。先生はこの勝利的基盤を築いたのですが、お母様は築くことができていなかったので、それを築いて越えていくことができる道をすべてつくってこそ、天の中心女性として堂々と立つことができるのです。それゆえに、七年の間、個人として三年の闘い、それから四年間の家庭的闘いをなしてきたのです。

 母子、兄弟、前妻後妻関係において、愛の闘いが今までの人類歴史の闘いでした。崔元福先生は、マリヤとイエス様の夫人格であると同時に、レアの立場です。したがって、先生のみ言に絶対服従しなければなりません。また、長成期完成級まで復帰しなければならない堕落した母の型です。完成期は堕落人間の心情では通過できないので、完成期に到達しようとすれば、お母様が絶対的に必要です。それゆえに、お母様が苦しんだのであり、先生の家庭において惠進が蕩減を受けたのです。

 一九六四年度に入ってくると同時に、協会長に教会を任せました。今、私が経ていかなければならない道は個人の道ではありません。家庭的時代を迎えて歴史的な悲運の家庭的環境を喜びとして消化し、氏族的悲しみ圏を迎えていかなければならない責任をもっているので、その因縁を整理するために、誰も知らない内情的心情を中心として独りで闘ってきたのです。皆さんには分からないはずです。これは、協会長も分からなかったはずです。近くにいる誰もが知らない心情をもって歩んできたということを、この時間、皆さんの前に話すということを知らなければなりません。

 私たちの家庭、私たちの部落において、千人、万人が犠牲になることがあったとしても、あるいは子供たちが死んでいくことがあったとしても悲しんではいけません。そのような時、逆に先生は、人類のために歴史的な恨みを食い止めることができる家庭として立つことができなくなるのではないかと思い、むしろそのことを心配したということを、皆さんは知らなければなりません。


五 四大名節の制定と七年路程の勝利

真の御父母様家庭の七年路程

 第一次七年路程は、先生を中心として先生の家庭が行く道だったいう事実を知らなければなりません。その途上においては、誰の協助も受けてはなりません。誰であろうと協助してはならない道です。その道は、人類の父母であるアダムが失敗することによって失ってしまった道なので、父母の立場で来られる方だけが責任を負っていかなければならない道です。

 エバがアダムを主管したことが堕落なので、これを復帰しようとすれば、エバはアダムの主管を完全に受けなければなりません。しかし、前線で闘うのはアダムがしなければなりません。なぜならば、三十億人類を苦しみのどん底に陥れた張本人はサタンなのですが、天使長をして決定的にサタンになるようにさせた人は、エバではなくアダムだったからです。したがって、アダムが最後の決着をつけなければなりません。それゆえに、世界的な最後の決着をつけなければならないのが先生の使命です。

 第一次七年路程は、天と地の全体の使命を担った先生が行く道です。先生の二十一年路程における最後の路程です。イエス様はダビデの氏族、すなわちヨセフ家庭を中心として一体となり、イスラエル民族の反対のない勝利の一路を開拓してイスラエルの国を蕩減復帰しなければならなかったのですが、それを成すことができなかったので、統一教会は、それを蕩減復帰することをしているのです。それで、個人復帰、家庭復帰、氏族復帰をして、統一氏族を編成しようとしているのです。

 統一氏族を中心として大韓民国の前に民族復帰の使命を果たすために、第一次七年路程を設定して活動してきました。これによって、大韓民国においては、統一教会の行く道をふさぐことができなくなりました。

 第一次七年路程の初年度の標語は、「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」であり、それはサタンに完全勝利しなさいという意味です。第二年度の標語は、「父の代身者となろう」でした。それは神様の代身の立場で主体になりなさいという意味です。第三年度の標語は、「見せてあげて誇りうる者となろう」でした。それは四位基台を完成しなさいという意味です。その翌年からは「勝利的主管者となろう」でした。それは、四位基台を完成して勝利的主管者とならなければならなかったからです。

 皆さんは分からないかもしれませんが、これはすべて公式的な事柄です。皆さんは、そのような標語をもって出ていって、生涯における最大の実績を残さなければなりません。第一次七年路程をすべて成したというのは、全体を中心として言っている言葉です。皆さん個人の七年路程はいつ出発するのですか。それは、皆さん各自において異なります。


四大名節の制定
(一九六〇・陰暦三・一「父母の日」、一九六〇・陰暦一〇・一「子女の日」、一九六三・陰暦五・一「万物の日」、一九六八・一・一「神の日」)

 アダムとエバが堕落することによって、長成期完成級から落ちて堕落した人類始祖となり、堕落した息子、娘となりました。また、万物も、堕落圏内において、深くしみ込んだ恨をもった万物になってしまいました。人間は、サタンの主管圏内に入っていったので、すべてを失ってしまったのです。

 統一教会においてこのようなことを復帰した基準を立てた時が、第一次七年路程である一九六〇年から一九六七年までの七年間です〇すなわち、失ってしまったものを復帰することができる基準に立ったのです。アダムとエバが堕落することによって、「父母の日」「子女の日」「万物の日」を失ってしまったので、復帰時代において、このような日を捜し立てて越えていかなければなりません。それで、統一教会では、「父母の日」「子女の日」「万物の日」をこの七年の間で捜し立てて記念するのです。

 この時期は、血統的問題において、アダムとエバが失敗したすべての歴史的曲折を解いて清算しなければならない内的な闘いの時です。

 先生においてはサタン世界の勝利的基盤の上に立っていたのですが、お母様においては、まだそのような基盤ができていなかったので、先生を中心としてお母様を再度創造する立場に立つことによって、初めて心情的一体基準、み旨の前に自分一身はもちろん、自らのあらゆる心情問題までも天の前に奉献することができる因縁を整えていくのです。そのようにしながら第一次七年路程を完結することによって、父母の起源が勝利的誕生を迎えるようになりました。

 そのようにして、第一次七年路程を中心として「神の日」を宣布することによって、初めて神様を家庭の上にお迎えすることができる時代圏内に入ってきました。そして、その神様をお迎えした家庭的勝利基盤の上で、初めて第二次七年路程を出発するようになったのです。

 過去において、聖進の母親が受けた悲しみ以上の悲しみを受ける困難な立場に置かれても、それを克服しなければならないのがお母様の歩まなければならない道でした。お母様が女性として、夫がどのようなことをしても従順屈服し、それ以上の条件を立てることができないという限界点までも越えて従順に従ったという基盤を立てたので、その基盤のもとで「神の日」まで設定することができたということを、皆さんは知らなければなりません。

 世の中の何が反対し、何がどうなろうと、お母様の夫に対する心は変わることがありません。死のうと生きようと「夫が行く道を行こう」という心が変わることはないのです。いくら国が反対し、たとえ死ぬようなことがあったとしても、それを覚悟していくのです。エバは、信じることができない立場で堕落したので、神様が信じることができる立場に立たなければならず、また夫が一〇〇パーセント信じることができる立場に立たなければなりません。エバがアダムを滅ぼしたので、女性は一〇〇パーセント信じることができない歴史を経てきたのですが、神様がお母様を一〇〇パーセント信じ、夫が一〇〇パーセント信じることによって、初めて「神の日」を設定することができたのです。それが一九六八年です。


「神の日」の宣布後

 一九六八年一月一日、「神の日」が決定されました。「神の日」の決定と同時に、地上に神様が臨在される基準が立てられました。したがって、今から統一教会は地上において急速に発展していくことでしょう。そのような基準を立てたので、統一教会は、真理を中心として霊界の解放とともに地上の解放、そして地獄を解放するものとして発展していきます。なぜならば、「神の日」を迎えたその時から地獄が壊滅し、サタンも滅亡せざるを得ない立場に立つからです。それは理論的に正しいのです。それで、「神の日」の決定と同時に、先生の使命は完成されました。

 サタンが神様から奪っていったものを再び取り戻した基準が立てられたので、そこから初めて完成基準を地上に成すことができるようになりました。新郎と新婦がサタンを押しのけて出会ったのです。その一日が神様の念願だったのであり、二千年のキリスト教歴史の目的でした。新郎はイエス様として天を意味し、新婦は女性神として地を意味するのですが、この二人がお互いに出会うことによって、空中の権勢をもっていたサタンが粉砕され、天地が一つになったのです。宗教人の最高の目的を、私たち統一教会が果たしたのです。

 先生が一九六〇年から始めて一九六八年の一月一日を期して「神の日」を宣布する時までの内的受難の路程は、皆さんには分かりません。永遠に分からないはずです。先生は、サタンと対決して家庭的段階へ越えることができる一つの基盤を築いたのです。これは世界史的な勝利です。今ようやく天下を私の指揮下において、神様に向かっていくことができる自由な時代に入ってきたのです。

 「神の日」を決定することによって、今はサタン世界が天国の王権、父母の王権、子女の王権、万物の王権の支配下に入ってきたのです。今からは自分の思いどおりにはできません。「神の日」「父母の日」「子女の日」「万物の日」を備えたので、先生に属したすべてのものを、サタンが略奪していくことはできないというのです。なぜでしょうか。真の父母圏、真の子女圏、真の万物圏に属し、神様に属しているからです。型は小さいですが、これにサタンが手をつけることはできません。手をつけることはできませんが、包囲してすべて死亡の道へ追い込んでいくことはできます。

 なぜでしょうか。家庭が行かなければならない道はどこでしょうか。国家基準を越えてローマまで越えていかなければなりません。アダムは世界統一圏を失ったのであり、統一圏とともに天国と地上の王権を失ってしまったので、世界的水準まで越えていかなければならないのです。

 七年を経て一九六八年正月一日を中心として、このすべての蕩減の道を越えて「神の日」を策定することによって、お母様の権威が生まれ、地上に着陸時代が到来し、世界的進出の出発が始まったのです。氏族基盤の上に立てることができなかったイエス様の新婦基盤を経て、民族基盤を連結し、国家と世界基準を越えることができる七〇年代の三年路程を経て、世界基準を越える蕩減の道を築いていったのです。


真の御父母様の御家庭と教会幹部の日本歴訪

 真の御父母様は、第一次七年路程の勝利基盤をエバ国家日本に相続されるために、一九六七年六月十二日、孝進様、仁進様、興進様の三人の御子女様と、崔元福氏、劉孝元氏、金元弼氏、金榮輝氏、柳光烈氏、黄煥ァ氏、李起錫氏、崔容碩氏、李耀翰氏、文成均氏を同伴して日本を訪問され、二ヵ月間滞在されながら、日本語版『原理講論』の出版、修練を通した原理武装、心情生活の具現、天のみ旨の民族別分立化傾向止揚など、多大な成果を収められ、八月十日、金浦空港を通して帰国され、中心食□約三百人の出迎えを受けられた。真のお母様は、巡回中の八月三日、日本の幹部たちに「原理を知って真の子女になろう」という主題のみ言を語ってくださった。


真のお母様のみ言

 皆さん、私たちの世界においては、なんといっても心情を体位することができる皆さんになるようにしなければならないと思います。それで、今回、修練会もあるので、お父様が帰られたのちにおいても、どうか皆さんは、「原理」の実力をより一層付けてくださるようお願いします。「原理」を通してのみ、お父様の心情と通じることができるので、この点に留意して「原理」の実力向上に全力を尽くしてください。

 ふと頭に浮かんだ孝進の話を少ししようと思います。お父様が第一次世界巡回路程に出発されたあとの出来事です。寝言の中でお父様を捜すだけでなく、一日中お父様の姿を絵に描いていました。ふだんはとても情熱的、活動的であり、じっとしていることができない性格なのですが、お父様の世界巡回期間中は二生懸命お父様の顔だけを描いていたのです。お父様の姿を変化させて何枚も描いていました。一日中そのことを続けていても飽きるということがありませんでした。

 事実、孝進の年が二歳になる前なのですが、一日中お父様の絵を描くことを繰り返していても飽きることなく続けているのです。二日過ぎ、三日過ぎ、お父様が帰ってこられるまで一年近く、お父様の絵を描くこととお母様の絵を描くことをすっと繰り返していました。その子が思慕しているお方の顔を一生懸命描きながら飽きることを知らないその姿を見るとき、様々な思いが浮かびました。それは、真理の追究には飽きるということがないという言葉を確認する時間でした。

 また孝進は、おもちゃをすらりと並べておいて楽しく遊ぶことも、一日中繰り返します。私は、その幼い子の姿を通してお父様と再び出会い、新たに認識する時間をもちました。

 皆さんは、崔先生を通して、釣りに行かれたり、狩りをしに行かれたりするお父様について、話を聞いて知っていることと思います。お父様が釣りに行かれるたびに、私はいつも思います。お父様は、この世のいかなる人よりも本当に忙しいお方です。御自身で常におっしゃられるように、お父様は、摂理を成し遂げるための様々な用務と複雑な計画を考えて推進していらっしゃいます。しかし、釣りをされる時は、釣り以外には何も考えていらっしゃらないお方のようであり、世の中でそれしかおもしろいことがないかのように真剣に釣りに専念されています。ある時は、池で大きな魚を見られ、「必ず釣らなければならない」とおっしゃって四十日間もすっとそこで釣りをされたお方です。

 そのようなお父様を思うたびに、歴史上お父様ほど意志と執念が強い方はいなかっただろうということを思ったりします。皆さんも、天のお父様を思って思慕しながら、自らもその方のお姿に似て完成した人間になるその瞬間まで、真理を体得し、自らが真理の根源となってくださるようお願いします。

 韓国には「枝の多い木に風の静まる日なし」ということわざがあります。枝の多い木は、ひときわ風に揺られます。それは何を意味するのかというと、枝の多い木に風の静まる日がないように、子供を多くもった父母は子供に対する心配が絶えないということです。子供を多くもった父母は、その子たちをすべて育てて教育する時に、いろいろと心配事が絶えないという意味です。

 お父様は、御自身の私生活のすべてに対して、振り返られるということがありません。本当に忘れてしまったかのような生活をしていらっしゃいます。しかし、世界人類に対しては、最後の一人までも御自身の心の中にしまっておかれ、神様の前に正しく立てなければならないという信念をもって、孝子、孝女として重生させることに心血を注いでいらっしゃり、特に食□の皆さんの身辺に対しては常に考えられ、心配をされない日がありません。

 私は常にお父様に対して申し訳なく思っているのですが、寝床に入って明け方に目を覚ますと、いつ起きられたのか、既にお父様は一生懸命祈祷をされていらっしゃいます。風が吹こうが、雨が降ろうが、昼も夜も、皆さん統一教会の子女たちのために祈祷をされていらっしゃいます。また、み旨を成すために深い瞑想に浸っていらっしゃるお父様の姿を拝見する時、私は、本当に神様が愛さざるを得ないお方だということを思うようになります。

 皆さんは、どうか「原理」で武装して、そして天の心情を通して、主人と僕の関係ではなく、父と息子の関係で連結された心情世界で生きていくことができるようお願いします。つらい時はいつでもお父様の姿を思ってください。

 皆さんのために祈祷してくださり、皆さんのことを思われ、必死に協助されているお父様がいらっしゃるということを心に固くもち、いかなる困難が迫ってきたとしてもその逆境に耐え抜き、真理と愛をこの世の果てまで伝えることができる子女となってくれるようお願いします。

 私たちにおいて「原理」は本当に貴重です。日本を離れる前にお話ししたいことは、皆さんが「原理」で武装して、本当に神様が願われ、信じられることができる子女となってくれることを願っているということです。「原理」で実力を磨いてサタンと闘って、最後の勝利をつかむ者となってくれるようお願いします。



















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