真の御父母様の生涯路程 10
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真のお母様と世界女性時代

第四節 第二次・第三次七年路程

一 第二次七年路程と喜進様の犠牲

第二次七年路程の前半三年(一九六八〜一九七〇)

 一九六八年以後、父母の家庭が復帰の基準を越えました。祝福家庭は、長成期完成級から出発します。祝福家庭は、真の御父母様の赤ん坊のように新しく生まれた立場です。
 一九六八年二月八日を期して、家庭を中心として、長成期完成級を心情的に越える式を行うことによって、エデンの園においてアダムとエバが堕落する前の立場に入っていきました。アブラハムがイサクを祭物として神様に捧げるためにモリヤの地に連れていく時、イサクが従順に従ったように、皆さんも、先生に従順に従っていきさえすればいいのです。先生の家庭を中心として、精誠を尽くさなければなりません。祝福家庭が四位基台を築いて先生と一つにならなければなりません。

 一九六八年から第二次七年路程が始まったので、その時から、すぐに子女の路程が始まったのです。子女は、父母が歩んだ路程を手本として歩まなければなりません。失ってしまった霊の子女を復帰して父母の祝福を受けなければならず、万物の祝福まで受けて使命を引き継ぎ、安息の年を迎えなければなりません。もしこれをこの七年間で果たすことができなければ、二十一年に延長されるということを肝に銘じなければなりません。

 神様の前に祝福を受けて真の父母の因縁を備えれば、氏族的な先祖の立場を蕩減復帰しなければならない使命が残っているのです。それゆえに、氏族的なメシヤの使命を完結するために、再び第二次七年路程を行こうとしているのです。

 今までの七年路程は、先生に当てはまる路程です。先生の時代に該当する路程なので、皆さんがその時に伝道したのは、先生のための伝道です。父母が家を建てることに協助したのです。ですから、皆さんが社会に出ていき、妻をもらって家を建てる時は、また建てなければならないでしょう? では、皆さんの時はいつからですか。第二次七年路程からです。

 一九六〇年代は、父と娘、父と子の立場の時代であって、祝福を受けた家庭を中心とした蕩減時代ではありませんでした。それは、その時まだ先生が定着することができなかったので、皆さんの家庭も定着できる立場に立つことができなかったのです。しかし、一九六八年度に入ってきてからは、先生が定着した基準に入ってきたので、皆さんも、家庭を中心として定着して出発することができたのです。

 先生は、一九六〇年から一九六三年の間に祝福をしてあげることによって、家庭復帰の基準を立てました。したがって、食口たちも、第二次七年路程が始まった今年から三年間、すなわち一九七〇年度までにこの基準を立てなければなりません。地上で勝利することができる基準が立てられることによって、六千年歴史の中でみ旨の先鋒で苦労してきた先祖たちが、この地上に再臨役事することができるようになりました。

 祝福家庭は総動員されなければなりません。私たちがイエス様の歩んだ三年路程を歩み終えれば、氏族的メシヤの使命を果たしたことになります。そのようになれば、第一次七年路程と合わせて十年路程を歩んだことになります。


喜進様の志願伝道出発と殉教

 真の御父母様家庭の二番目の御子息である喜進様が、ソウル市にある中東中学校二年の時の一九六九年八月一日(陰暦六月十九日)、夏季伝道中に昇華された。喜進様は、四十日伝道の意義を強調なさる真の御父母様のみ言を重んじて、ソウル市地域の成和学生たちと共に四十日伝道の先頭に立ち、八月一日、慶尚北道金泉を伝道地として列車に乗っていく途中、忠清北道梅浦駅付近で不慮の事故に遭われた。

 第二次七年路程の二次年度である今年(一九六九年)九月が最も険しい峠でした。二次年度はイエス横的な年ですが、先生の息子を中心として見れば、喜進が該当します。それで、皆さんが責任を果たせなくなるや、喜進が引っ掛かっていったのです。本来は、喜進は伝道するために出掛けていくのではありません。

 今年は、全面的な動員をしなければならないのですが、「食口たちが動員されないので、先生の威信が立たない」と言って、「自分も行かなければならない」と言うので許可しました。先生は、そのように指導してきました。「その代わり、注意しなさい」と言いました。先生がサタンを越えたので、サタンは息子、娘をねらっているのです。それで、先生の家庭において喜進が引っ掛かっていったのです。これが、この期間、深刻に祈祷した内容です。

 イエス様が三十代において霊的救援の基盤をつくったように、喜進の犠牲によって、青少年圏内の子供たちまでも救いを受けることができる霊的救援の基盤が広がったのです。彼らを中心として再臨復活することのできる平面的な恵沢圏が広がったのです。

 一九六九年度は、三年路程の二年目の年なので、全体が動員されなければならなかったのです。その時、喜進が入ってきて、「全体が行かないので、私一人でも行かなければならないではありませんか」と言うのです。そのようにして、「金泉に行く」と言ったのです。

 そのようにして、喜進が私の家庭の第一代殉教者になったのです。咲くこともなかったつぼみのような少年として殉教の鮮血を流すことによって、栄光の位置に参加することができるその輝く価値は、歴史時代に伝統として永遠に残されるものなので、先生は誇らしく行った道だと思っています。

 喜進が伝道に出ていく前に、「原理」のみ言をすべて聞いたのち、「韓国に主が来られるとは、私の家にそのようなことがあるとは……」と言いながら、板の間で飛び跳ねながら喜んでいるのを見ました。その時、「そうか、私が神様の前に孝行を尽くすことができなかったことを喜進が代わりに孝行し、神様が御覧になって慰労をお受けになることができるのだなあ。お前は、そのような心の性質をもって生まれたのだなあ」と喜びました。

 そのような言葉を残して出発したのち、私は、食口たちに、「歴史時代で】度しかないこの神聖な時代に、神様の前に最初の祭物となる個人や家庭や氏族は福を受ける」と話しました。喜進が逝った時、このようなことを回想しながら、「神様、家庭でそのようなことがあるのは、私個人の悲しみではなく、私の家庭の喜びです」と祈祷したのです。

 み旨のために生まれてきたので、み旨のためにいさぎよく逝ったというのです。男性として生まれ、父母の前に孝行の道を行くということは、その父母の志を敬い、死の道も意に介さずに行くことではないでしょうか。そのような孝の道理を立ててから、国家の運命を開拓していく道の前においても死を意に介さないのが忠の道理ではないでしょうか。

 先生の家庭を見るとき、彼はイエス様と同じ立場であり、聖進はアダムと同じ立場です。このように、彼は長成期の段階にいたので、第二次七年路程を中心としてそのようなことが起こったという事実です。これは、皆さんの知らない背後において、ある天的な摂理の帰結点があったのだということを先生は感じています。このことによって、先生は神様の悲しみを体恤したのであり、一生において、皆さんに話すことができず、誰にも話すことができず、忘れることのできない釘のあとが残っているのです。


劉孝元協会長の昇華

 「三家庭」の二番目の家庭である劉孝元協会長が、ソウル大学病院に入院して三度の手術を受けるなど、闘病中だった一九七〇年七月二十四日、昇華し、協会葬による昇華式が挙行された。満五十六歳を一期に昇華した劉協会長は、一九一四年九月二十五日、平安北道定州で出生し、一九三九年、在学中だった京城帝国大学医学部を病苦により中退。一九五三年、『原理原本』の筆写本を通読したのち、その年の十二月二十四日、釜山で真のお父様と出会って入教。一九五四年、協会長に選任され、原理講義、『原理解説』と『原理講論』の整理等、大きな活躍を遂げ、一九六〇年四月十六日、真の御父母様から、史吉子女史との「三家庭」の祝福を受け、一九六八年には七年路程大賞を受賞した。

 み旨から見れば、常に二番目が問題になりました。息子も、常に二番目の息子が問題になりました。アダム家庭においても二番目の息子であるアベルが問題になり、ノア家庭においても二番目の息子であるハムが問題になったのであり、アブラハム家庭においても二番目の息子であるイサクが問題になりました。また、六千年歴史を見てみるときも、第二アダムとして来たイエス様が問題になったのです。このように、常に二番目の人、あるいは二番目の家庭、二番目の責任を負った国が問題になったのです。

 どの年においても、四月から十月までは、私たちの協会において問題の期間でした。それで、先生は、劉協会長を心配したのです。彼は、喜進の責任をもった人です。それゆえに、彼には、神様が願われる基準の前で、どのように生き、どのように責任を果たさなければならないかという問題がありました。このような観点から見るとき、劉協会長の家庭には、神様の願われるその基準において、喜進を中心として侍義の生活の伝統を立てなければならないという責任があったのですが、それを果たすことができなくて喜進が死んだのです。

 劉協会長は、陰暦から見て、喜進が逝った日(一九六九・陰暦六・一九)から三日後(一九七〇・陰暦六・二回に逝きました。このように見るとき、二番目が常に問題になるということを皆さんは知らなければなりません。先生の家庭の二番目である喜進も逝きました。このように、蕩減歴史というものは避けることができないということを、皆さんは知らなければなりません。

 困難な立場に置かれた国を蘇生させるためには、その国のために精誠を尽くした宗教団体ならば、その宗教団体が祭物を捧げなければなりません。また、世界のために精誠を尽くす個人や団体があるとすれば、必ずその個人や団体は、祭物を捧げなければなりません。祭物には、必ず貴いものを捧げなければなりません。このような観点から、今回の私たちの出来事は、人情的に見れば悲しい出来事かもしれませんが、み旨の道を行くにおいては非常に大きな奉献となるのです。


二 祝福家庭夫人の三年総動員

 第二次七年路程の三年目である一九七〇年の十二月一日、真の御父母様は、その年の十月二十一日に祝福を受けた「七百七十七家庭」の夫人たちを含む全祝福家庭の夫人たちを、民族復帰の一線に総動員なさった。み言に従った千二百人の夫人たちは、十人ずつ一組となり、全国百二十箇所で三年間の任地活動に入っていった。


世界家庭の全国的蕩減路程

 三年が過ぎて七〇年を迎え、第二次七年路程の三年を越える場においては、家庭的勝利の基台を築いていなければならないのですが、これを備えることができなかったので、不可避的に、再び皆さんの家庭を中心として十字架の道を行かなければならないのです。それで、十二月の最初の日から、「七百七十七組」の祝福を受けた家庭に動員しなさいと通告しているのです。それだけでなく、この人たちを中心として、すべての家庭を動員する時が来たというのです。

 ですから、一九七〇年度に、皆さん「七百七十七家庭」まで、全員に三年路程を命令したのです。この三年路程とは何でしょうか。全世界の家庭が韓国に来て韓国の家庭と一つになり、国家と世界的版図を広げる条件を立てる期間です。このような基盤が築かれることによって、先生は、一九七〇年を中心として、七〇年、七一年、七二年までの三年蕩減路程の家庭基盤を中心として、氏族基盤を中心として世界に出ていくのです。

 そのために、「三十六家庭」、「七十二家庭」、六百二十家庭」、「四百三十家庭」、「七百七十七家庭」まで、その時までに祝福を受けた家庭が、家庭を中心として赤ん坊を生み、生活基盤を築くために準備してきたことを一度にすべて壊してしまったのです。別の言い方をすれば、家庭を祭物にして、その国の氏族と民族を救うための全国的な三年蕩減路程へと出ていったのです。

 祝福された家庭千二百人を百二十箇所に派遣したのは、全体の数を代表したからです。派遣された大韓民国の地は、大韓民国の地という限られた地ではなく、世界全体国家を象徴的に代表している地だというのです。このようにして派遣された家庭の夫人たちは、エバの立場で、天使長の誘惑に負けていくエバではなく、天使長世界のカイン的な家庭を導いていくエバの立場を決定しなければなりません。

 第二次七年路程を行く時代になって千二百人の夫人を動員したということは、イエス様の時代より一段階上に上がって、百二十の十倍をもって世界的基盤を築くためなのです。千二百人門徒が現れる前に千二百人のエバが現れ、皆さんは、そのエバを中心として絶対的に一つになる立場で編成され、民族の運勢と世界の運勢を越えていこうというのです。

 これは、イエス様の弟子たちが分裂したそのような環境を、代わりに女性たちが一体となり、環境を備えて天の前に一つになるためのものであり、一つになることができずに分裂したイスラエルの族長編成の基盤を身代わりすることのできる基台として完結するためのものです。

 皆さんは、イエス様が弟子たちの足を洗ってあげたのと同様の心をもたなければなりません。本当に広い母の心をもたなければならないのです。そのような母の心情をもって、昼夜彼らのために、愛し、和動の中心になって一つにしなければなりません。そのようにしなければ、伝道するにおいて多くの支障があるでしょう。もし一つになることができれば、先生が計画した目標は間違いなく達成されるでしょう。


家庭夫人たちが行動する時代

 原理的に見るとき、祝福家庭の夫人たちをすべて送り出したということは、時代的に夫人たちが先頭に立つことのできる時が来たということを意味します。過去、一九六〇年代に女性が先頭に立ったのは、堕落する時にエバが先頭に立ったからです。一九六〇年代が、アダムとエバが天使長と堕落する直前の時代だとすれば、今の時代は、エバが行動することによって堕落して落ちたことを復帰し、行動の出発者として立ち上がる時代だというのです。それゆえに、祝福家庭の夫人たちが立ち上がったのです。

 エバが堕落することによって神様が離れ、アダムが離れ、真の夫婦の因縁が離れ、真の子女の因縁が離れ、真の民族と国家の因縁がすべて離れたので、これを一度に復帰することができる運勢をつくろうと思い、今回、千二百人の祝福家庭夫人を一線に送り出したのです。

 このようにすることによって、離れていた神様が関心をもってくださるようになり、離れていた夫が新たな関心をもつようになり、離れざるを得なかった子女たちが関心をもつようになり、離れていた夫婦の因縁、父母の因縁、民族の因縁、国家の因縁、世界の因縁を一箇所に集結させることができる一つの時代点をつくるようになるのです。ですから、今回、祝福家庭の夫人たちを動員したということを知らなければなりません。

 まさしく、女性を中心として母子一致の基準を決定し得る良い機会なのです。それだけでなく、夫婦がお互いに協助して完成することのできる良い機会でもあるのです。別の言い方をすれば、家庭の四位基台が一度に協助目的を完成することのできる機会は、この時しかありません。天は、六千年間、母子協助の基盤のために苦労をされましたが、ここでは、母子協助の完成はもちろん、夫婦協助の完成までも成して、四位基台完成の協助基盤を決定することができる機会なのです。

 今は、女権を中心として進んでいかなければなりません。このような運勢圏が第一次世界大戦以後に芽生え始め、一九七〇年代に入ってきたのです。この一九七〇年代は、女性の最高の一時、女性の花を咲かせることができる時です。六千年の人類歴史が始まって以来、初めて女性が花を咲かせることのできる時です。言い換えれば、この時は、人類歴史が始まって以来、女性たちにおいては、天国を創建するにおいて第一の息女となり、烈女となり、孝女となることができる一度しかない時だというのです。


イエス様の三年公生涯の解怨

 第二次七年路程と国家の運命は同一です。この路程は、長成期に該当し、イエス様の時代にも該当しています。この七年路程の中で、私たちは、国家と国民、そして既成教会が私たちの運動と一つになるようにしなければなりません。これを、イエス様が三年の公生涯路程を歩んだように、三年以内で成し遂げなければなりません。一九七〇年から一九七二年までが、この三年期間に該当します。それで、祝福家庭の夫人たちを一線に送り出したのです。それは、イエス様がその使命を果たすことができなかったからです。

 イエス様は、妻を迎えることができず、家庭を築くことができませんでした。それを蕩減するために、夫人たちが家庭を出ていかなければならないのです。もし新婦が探し出され、家庭がイエス様と一つになっていれば、ユダヤの国とユダヤ教徒も、彼と一つになることができていたはずです。一九七〇年から一九七二年までの三年路程は、それを蕩減するための期間です。

 今この時は、先生が以北において三年間の監獄生活をしたのと同様の期間です。この期間は、天が祝福なさることのできるキリスト教とキリスト教の女性たちが先生に従うことができなかったことによって、先生が歩まなければならなかった受難の路程を、すべて解いて越えていくことができる重要な時期です。家庭ならば、家庭において最も貴いものを取り出して植えなければなりません。家庭において最も貴いものは母です。それゆえに、母親たちを動員したのです。

 赤ん坊を産む母親に、「大変ならば、少し我慢しなさい」と言えば、どのようになりますか。母親と赤ん坊をすべて殺すことになるのです。大変で苦しかろうとも、「もっと力を入れなさい。もっと力を入れなければならない」と言いながら、目をむいて大声で叫ばなければなりません。出産する時は、目をむいて、無慈悲に、「力を入れなさい」と雷のように大声で叫ぶ人が本当に愛する人です。ですから、今の時は、先生が皆さんに対して最大に無慈悲な立場に立つ時だというのです。


氏族圏のカイン家庭の復帰

 アダムを中心として天使長が一致しなければ、堕落する前の本然の基準を形成することができないので、アダム家庭の立場が先生の家庭ならば、皆さんの家庭は、天使長家庭の立場に立って、先生の家庭と一致しなければなりません。そのようにしなければ、統→の基準を形成することができません。

 エバが天使長の生命を受け入れ、天使長の愛を受け入れたことが堕落の動機となったので、エバによって、神様の愛を天使長世界に分け与えなければなりません。エバによって、天使長世界に新しい生命を与えなければならないのです。そのようにすることによって、神様を中心とした生命の因縁が天の家庭を通して連結され、その連結された家庭の夫人を中心として、夫と息子、娘が連結されると同時に、カイン的な家庭が屈服することのできる因縁ができるのです。

 このように、神様を中心として、先生の家庭と皆さんの家庭が連結され、カイン的な家庭まで連結されて、ここに神様の生命と神様の愛の因縁が結びつくようになる時、これが、家庭を中心とした統一の基盤になるということを知らなければなりません。

 今、祝福家庭の夫人たちが出ていって伝道するのは、家庭的代表としてカイン家庭を屈服させるためです。先生の家庭が、個人的勝利、家庭的勝利の基盤を築いて、氏族的基台の上に立っているのと同じように、祝福家庭の夫人たちは、サタン世界に出ていってカインを屈服させ、個人的なカインと家庭的なカインを連結させると同時に、カイン的氏族圏を代表し得る位置に立たなければなりません。皆さんの家庭同士が一つになれば、一つになったその基盤をもって、サタン世界の氏族的なカインの基準を越えることができるのです。

 その時、子供たちを、父母や親戚に預け、孤児院にまで預けて出ていったのですが、その子供たちが冷遇を受けたのです。先生が冷遇を受けたのと同じように、冷遇を受けたのです。

 なぜそのようにしなければならないのでしょうか。蕩減の三年路程を経なければ、アベル的基準に対して民族が反対し、教会が反対したことを蕩減することができないのです。それゆえに、私たちの家庭がその道を歩まなければならないのです。

 もし蕩減したにもかかわらず信じなければ、その時は、再度キリスト教のすべてのものを私たちが奪ってくることができるのです。そのようになれば、キリスト教のすべての運勢は、統一教会に完全に引き継がれるのです。


世界進出のための国の基盤確保

 この七〇年度は、先生の家庭が迫害の途上を貫いてきて三年目を迎える年です。また、皆さんが横的な基盤を蕩減することのできる三年路程期間です。ですから、今から私たちは、完全に一つになって蕩減し、国家と世界へ伸びていかなければなりません。そのような方向を備えていくようになれば、世界の運勢は統一家に回ってくるのです。天運は、統一教会に向かって近づいてくるようになるというのです。

 ですから、一九七〇年から三年間という期間をおいて、それぞれの家庭が訓練をしたのです。父母の前に引き継ぐための訓練を受けさせるために、一九七〇年から一九七一年、一九七二年までの三年間、すべて家庭から追い出したのです。そのようにしながら、その基盤の上で、私が本格的にアメリカヘ出発したのです。一九七三年から本格的な出発をしたのです。それは、韓国の先生の家庭と子女たちの家庭が定着したということです。そのようにして、国家的基盤を中心として世界へ伸びていくことができるようになったので、先生が世界舞台に立ったのです。

 その時は何でしょうか。非常時でした。統一教会において、まさしく歴史始まって以来の非常事態を迎え、悪魔世界の氏族や民族と対峙するにおいて、私たちが優先権を握った三年期間でした。ですから、民族と国家において、その時すべてが、「統一教会の信徒たちがしたのと同じようにしなければ、国が生きることができない」と言ったのです。先生がその基盤を築いてこそ、世界的基盤を築いて越えていくことができるのです。

 旅人の立場を免れることができなかったことが千秋の恨だったので、自分がこの道を行くことができなければ、後世の人々がもっと苦労するということを知っている祝福家庭の母親たちは、スカートをつかんですがる子女を振り払い、目をつぶって千里、百里を走っていったのです。そのような母の事情を誰が知っていますか。父母の事情を誰が知っていますか。「あの曲がり角を回っていけば、母と離れて泣く子女の姿は見えないだろう」と、山すその曲がり角を回って走っていった父母の身の上を誰が知っていますか。

 皆さんは、親戚や孤児院に赤ん坊を預けたり、姻戚の八親等まで訪ねていって赤ん坊を預けたりして、泣きながら出ていったのです。韓民族は、統一教会に反対し、文先生の行く道に反対したことによって捨てられなければならなかったのですが、祝福を受けた子女たちを彼らが育てることによって許されるようになったのです。゛彼らが、その子女たちを見て、母がいないのを同情して食事を与えたこと、この民族を代表して食事を与えたことを、私は知っているのです。それが、私に過ちを犯すことによってこの民族が背負ったものを許すことのできる条件になったのです。


真の御父母様家庭の奉献式

 一九七一年一月一日、五百人以上の食□が参席する中で、真の御父母様は、第四回「神の日」慶祝行事を主宰なさった。この日、真の御父母様は、青坡洞の前本部教会の二階において、「神の日」を祝賀する式と、真の御父母様家庭の奉献式をなされた。また、新年の年頭標語として「統一基盤確保」を与えてくださった。

 今まで、先生の家庭自体も、神様の前に入籍することができませんでした。入籍しようとすれば、カイン的な家庭を屈服させることができる位置に立たなければならないのです。今回、先生が、皆さんの最も愛し、心情的基盤となっている妻たちを引き抜いて動員させたにもかかわらず、皆さんの中に反対したり、デモを行ったりする人がいなかったという事実は、限りなく栄光なことなのです。

 それゆえに、先生の家庭を中心として、全体が第一線に出ていって相まみえることができる家庭的な一致の基台が連結され、勝利の基盤が築かれたという条件を備えるようになったのです。そのようにして、先生の家庭が、初めて神様の前に奉献することができる勝利的条件を立てることができるようになったのです。それで、「神の日」を祝賀する式を行い、二階において先生の家庭の奉献式を行ったのです。それゆえに、先生の子供たちも祝福してあげたのです。

 ところが、奉献するに当たっては、秩序を立てなければなりません。天の家庭がある前に天使世界があったので、先生の家庭を奉献すると同時に、イエス様の恨も解怨してさしあげ、地上の願いも解いてあげなければなりません。そのために、今後は、イエス様の相対格、あるいは死んでいった使徒たちの相対格を、私たち統一教会から準備するようになるかもしれません。このような内的な因縁を中心として、霊界の霊人たちをすべて地上に再臨させて活動することができる基準を連結させてこそ、初めて地上に天国家庭が立てられるのです。


イエス様の御聖誕日、実体聖霊聖婚式

 一九七一年一月三日、午前零時七分、ソウル市龍山区青坡洞の前本部教会において、イエス様の御聖誕日特別式が挙行された。この日イエス様は、真の御父母様によって、地上の実体相対者である張貞順様(一九四二・三・二九生)を新婦として迎えられた。

 一九七一年は、三年期間(一九七〇〜一九七二)のうち、第二番目の期間です。イエス様は、長成圏である二番目の息子としてこの地上に来たので、長成圏である二番目の年は最も貴いというのです。それで、二年目となる今年のクリスマスを中心として、どのようなことを行わなければならないのでしょうか。イエス様は、なぜ死んだのでしょうか。イスラエルの国はもちろん、教会が従うことができなかったからです。また、氏族が従うことができず、家庭が従うことができなかったからです。しかし、最も根本的なことは、イエス様が新婦を選ぶことができなかったからです。それで、このようなイエス様の新婦、すなわちイエス様の相対となることができる新婦を探し出そうとすれば、霊肉を中心として、キリスト教と統一教会が連結されなければなりません。そのようになるためには、イエス様と相対因縁が結ばれなければなりません。このような圏をつくっておかなければならないので、この内容を決定して越えていく日が、この一九七一年のクリスマスの日なのです。

 イエス様が昇天したのちに、この地上に誰が来たのかというと、聖霊が来たでしょう? 聖霊は新婦の神です。それゆえに、キリスト教は、霊肉を中心として闘ってきたのではなく、霊的な立場で闘ってきたのです。すなわち、実体がなかったということです。これを地上に連結させなければならないのですが、そのようにしようとすれば、イエス様の恨を解怨成就してあげなければなりません。解怨成就するためには、実体的に、代表的な一人の聖霊のようなお方を地上に立てて連結させなければなりません。そのようにすることによって、霊的天使世界の代表の立場であるイエス様がこの地上に足場をもつことができるのであり、使徒たちと霊的天使世界のキリスト教圏と全体霊的天使長圏が地上と関係を結び、初めてアダムに侍ることのできる教団的な基準が決定するのです。そのように重要な新しい歴史的起源をつくって越えていく日が、きょう、この時間だということを皆さんは知らなければなりません。

 皆さん、今年に入って、イエス様の相対という話を聞いたでしょう? 復帰歴史はそのようにならなければならないのです。イエス様の恨は何かというと、民族復帰、国家復帰を中心とした百二十人以上の家庭的基盤を中心として、主人の位置に立ってみることができなかったことです。それで、今、百二十箇所を設置したのです。先生は、百二十人ではなく千二百人を百二十箇所にすべて送り出し、平面的な基台を立てさせるのです。そのようにして、先生の家庭を中心として、百二十箇所が一つになる立場で千二百人が一つになれば、全国的な版図が変わるのです。

 千二百という数は、世界的な数です。したがって、世界的基盤の解放圏ができるので、民族性をもったイエス様の願いは自動的に解かれていくのです。それで、今年、イエス様の相対という話が出てきたのです。


三 第二次・第三次七年路程転換期

第二次七年路程後半三年(一九七二〜一九七四)

 民主世界とキリスト教を中心として、再度霊肉に連結させることができる基準、カイン・アベルを復帰すると同時に実体復帰基準を立てて内外を合わせようというのが、今からのアメリカにおける摂理歴史だというのです。イエス様が三年間を中心として勝敗を決定したことと、韓国で三年間を中心として勝敗を決定したことを、霊的にでも勝利を決定しようというのが、アメリカにおける一九七四年までの三年期間だということを皆さんは知らなければなりません。

 この三年路程、一九七二年、七三年、七四年の三年は、このアメリカの地で活動を展開したという歴史的な意義をもった期間です。このアメリカの地というのは、住んでいる皆さんたち、アメリカの国民だけを中心とした国ではないということを、私たちは摂理的な観点から知っています。結局は、神様の全体のみ旨の中において、世界的な使命を全うするためにこの国を立てられたのであり、この国民を育ててこられたのだということを知っているのです。

 第二次七年路程が終わる前の三年路程であるこの期間は、世界的な七年路程へと前進するための準備期間です。この第二次七年路程における三年路程を基盤として、世界的な七年路程を本格的に出発するのです。そのための準備期間だということを皆さんは知らなければなりません。このような立場はどのような立場に相当するのかというと、イエス様が、生存当時に、ユダヤの国を一つにし、ローマの国を一つにすることができる、そのような基盤を霊的基準において身代わりしたのと同様の立場だというのです。

 それでは、イエス様の時と今の時とでは、どのような違いがあるのでしょうか。イエス様の時は国家的時代でしたが、今の時は世界的時代だというのです。それゆえに、三年路程を中心として、民主世界を代表する世界的なアメリカに来てこのような基盤を築くということは、勝利できる歴史的意義をもっているということを、皆さんは知らなければなりません。それに対して、民主世界の怨讐のような国、この民主世界をアベルとして見ればカインのような国、ここが神様の国だとすればサタン世界の国のような所がどこかといえば、それは共産世界です。

 今、私たちが、アメリカでの勝利の結果を誓い、第二次七年路程のこの三年路程さえ越えていくようになれば、霊的基準において、世界的なサタン世界は後退せざるを得ない段階に入っていくというのです。

 一九七二年から先生がアメリカに飛び立って、国家的基準を中心として、長子権基準を中心として、本然の基準において上がっていくことができる時になったので、ここで世界的カインと闘うのです。それゆえに、韓国から、日本から、またヨーロッパの統一教会の中心者をすべて集めて投入するのです。一人残らず投入するのです。ですから、サタン世界は、あらゆる力を尽くして反対してくるのです。


アメリカの永住権獲得と世界的出発(一九七三・四・三〇)

 韓国を中心として見れば、僕の国である第一次イスラエルの失敗を復帰した基準を立て、世界的な基準において養子の使命を果たさなければならないキリスト教の使命を受け継ぎ、世界的代表の基準を立てたという条件を、霊的な基準において立てました。それゆえに、この世界的なキリスト教国家であるアメリカに来てそれを延長させ、世界的にその基盤を拡大させることができるのです。僕の基盤を失ってしまい、養子であるキリスト教の基盤を失ってしまったので、それを再び築かなければならないというのです。

 イエス様が霊的に再臨して、霊的な基準で国家を保護することができる基盤を築いたので、国家的基準を中心として世界へ発展することができたのと同様の立場を連結させることによって、今日、世界伝道を行うことができるのです。皆さんが一つになって、このアメリカなどで、このような世界復帰運動をすることができるというのです。

 一次、二次の巡回講演が終わったのち、一九七三年四月三十日に永住権を取得したのです。永住権を取得せずに闘うのは愚かな人です。そして、永住権を取得してからは闘うのです。一年半以内で、私たちは完全に基盤を築き、アメリカ人を配置してしまったのです。

 先生が、アメリカにおいて、一九七二年に七都市、今年(一九七三年)二十一都市、来年二九七四年)に五十都市を中心とした復興会を計画しているのは、すべてのアメリカの人々に知らせるためです。ミスター・ムーンの話を聞けなかったという言葉を聞くことがないように、知らせるためなのです。別の言い方をすれば、新しいイスラエルのカナン福地に向かう出動をするためなので、すべての人に知らせてあげなければならない責任がこの三年間にあるのです。

 ですから、この三年間は、先生が直接み言を与えようと思っています。先生の一生において、大衆に対して公式の集会に現れるのは初めてのことです。メシヤが行くべき道は、国家基準から世界基準へ行くことであって、それ以下では行くことができないのです。私たちは、世界的時代に向かっているので、このようなことを始めることができるのです。ですから、この三年間は、貴い時だというのです。


真の御子女様たちのアメリカ移民

 一九七三年十二月十八日、誉進様、孝進様、仁進様、興進様、恩進様、顯進様、國進様の七人の真の御子女様が、真の御父母様のいらっしゃるニューヨークのベルベディアに行かれた。共に渡米した人たちは、洪順愛女史、韓相吉氏、李ドンニムさんと李ナムヒさんであった。

 男性の蕩減復帰基準と、女性の蕩減復帰基準と、家庭を中心としてエバが長成期完成級で堕落したことを復帰するための七年過程を経て、八年目を迎える時、完成級の夫婦の資格を備えてこの地上に現れることができたのです。それによって、今からは、家庭を率い、息子、娘を率いて、国家基盤を越えて世界に向かって出動することができる時代が来るので、アメリカに渡ってくることができたというのです。

 私はできることならば、子供たちのことはすべて神様に任せたので、子供たちのために考えることはしますが、深刻な立場では祈祷しません。昔は考えませんでしたが、今からは考えるべき責任があるので、考えながら歩んでいくのです。譽進だけ見ても、電話をしながら涙を流しました。しかし、子供たちが涙を流し、お母様が涙を流したとしても、私は涙を流すことができないと思いながら精誠を尽くしたということを皆さんは知らなければなりません。それは霊界でも知っているでしょう。

 今、私の子供たちをここに置いておけば、私が切迫すればするほど、皆さんは、子供たちに責任をもって管理することができるのかというのです。譽進だけ見てもそうであり、子供たちが多いというのに、この子供たちをみな、共産党がうようよしている所に置いて、どのようなことが起こっても責任をもつことができるのかというのです。問題が起きれば、皆さん全員が引っ掛かっていくのです。そのような意味で、父母のひざ元に置くということが、様々に、内外において有利なのです。

 それで、アメリカに連れていこうと思っているということを知らなければなりません。そうかといって、永遠にそこで暮らそうというのではありません。私が韓国に入ってくる時は、皆さんが勝利の旗を掲げて迎えることができる立場で帰ってこなければなりません。


アメリカ初期三年路程の講演会

 今から三年前(一九七二・二・三〜五)、私たちはリンカーン・センターで講演を行ったのであり、昨年(一九七三・一○・一)はカーネギー・ホールで講演を行い、今回(一九七四・九・一八)はマディソン・スクェア・ガーデンでの講演を終えました三年期間に、先生は、心の中で、誰も知り得ない神様の作戦を定めました。そして、このアメリカに来る時は、深刻に来たのです。三年間で、すべてのアメリカ人に知らせなければならない責任が私にあるということは間違いないことなのです。そのようにしなければ、神様のみ旨に支障があるということを知っていたので、この機会をどのようにして選ぶかということが今までの苦心でした。

 第一の問題は、人員がいないということでした。どのようなことをしてでも、三年期間内で、マディソン・スクェア・ガーデンをいっぱいにして余りある人員を準備しなければならなかったのですが、どのようになすべきか悩みながら、それを目標としてきました。ここに第二次に足を踏み入れた一九七二年十一月から、本格的な作戦に着手したのです。その時から計画して、一九七三年九月から全国巡回講演を始め、一九七三年、一九七四年を経て、全国三十二の大都市での講演を終えたのです。

 このマディソン・スクェア・ガーデン集会というのは、誰でも行うことができる集会ですが、摂理的な観点から見て歴史的意義をもつものだということを私は知っていました。今回のアメリカにおける三年期間は、イエス様当時の三年期間に該当するものなので、この集会は、もしイエス様が死なずに成功していれば、ローマ帝国に行って大講演を行おうとした、その基準に匹敵するものなのです。

 韓国とアメリカ、韓国と日本がいくら分裂したとしても、この統一教会はアメリカと一つになることができるというのです。そのような観点から見るとき、摂理的に、キリスト教圏内に霊肉を中心とした国家的基準形態の条件を立て、霊肉を中心とした世界三次七年路程を出発することができる起源を確定することができたものがマディソン・スクェア・ガーデン(大会)だったというのです。それは、歴史的な一つの起源をつくるものでした。

 三年間で講演した箇所が全部で七十箇所になるのです。七十回を越えたので、世界的に越えていくことができると考えているのです。

 このようにして、一九七四年までに、アメリカのすべてが先生を歓迎したのです。その時は何ですか。感謝状だけでも千枚以上になるのです。何かの市民権をもらわなかったでしょうか、名誉提督、名誉将軍の称号、私がもたなかったものはないのです。それほどすべてのアメリカが褒めたたえたのです。

 そのような霊的歓迎基盤を築いたこと、世界的キリスト教文化圏に行って歓迎されたという事実は、国家的基準で韓国が反対したのですが、世界的版図圏でキリスト教が文先生と統一教会を歓迎したということになるのです。これを見るとき、反対した韓国以上の立場であるアメリカが歓迎することによって、韓国が反対したことを蕩減復帰することができるのです。


第二次・第三次七年路程連結期間(一九七二・〜一九七八)

 第三次七年路程は、蘇生、長成時代を経て完成時代に向かう時です。第一次七年路程は、先生が家庭的基盤を築いて、皆さんが蕩減の道を行くことができる家庭的ハイウェイ、高速道路を築く時です。第二次七年路程は何かというと、家庭を中心として氏族的な大路、高速道路を築く時であり、第三次七年路程は、国家を中心として大路を築き、国家から世界へ向かう大路を築く時です。ですから、今まで、先生がアメリカに行って活動してきたことは、先生がやりたくてやったことではありません。原理的な観点において、避けることのできない役事としてしなければならなかったことです。

 別の言い方をすれば、第二次七年路程がある限界点に来ることによって、第二次七年路程が終わって第三次七年路程に連結させるためには、三年前から出発しなければならないというのです。三年前から出発しなければ、連結することができないのです。それゆえに、第二次七年路程の一九七二年から第三次七年路程の一九七八年まで、つまり一九七二、一九七三、一九七四、一九七五、一九七六、一九七七、一九七八、この七年間を設定するのです。結局、第二次七年路程の後半期と第三次七年路程の前半期の七年間を通して国家と世界を連結させ、世界的基盤まで外的基盤を連結させなくては、後半期に入っていって全世界に影響を及ぼすことができる時がなくなるというのです。

 霊肉に分かれたイエス様の死によって、霊的救援と肉的救援という摂理的時代に分野が分かれて役事されるようになりました。霊的基準の基盤を築いてきたのがキリスト教なので、このキリスト教の世界的代表国家であるアメリカの公認を受けなければならないのです。それで、アメリカに、ある基準を立てなければならない期間が、一九七二年から一九七四年までなので、その期間に先生がアメリカで活動したのです。

 一九七二年という期間は、ただ大会をすれば終わるのですが、一九七三年十月から出発して一九七四年十二月まで、一年二ヵ月の期間で、霊的、世界的基盤であるアメリカにおいて勝利的基盤を築き、それを肉的基盤である韓国と連結させることが、先生が韓国に来る目的なのです。それで、一九七五年を迎えると同時に世界的国家基準を中心として韓国を連結させなくては、第三次七年路程を世界へ連結させることができる道がなくなるので、そのことを始めたのが今年一九七五年からなのです。


第三次七年路程の出発と韓国の行事

 アメリカ、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン大会など、八大都市での巡回講演会を終え、一九七四年十二月二十九日に帰国された真の御父母様は、七五年一月十六日のソウル市、朝鮮ホテルにおける「希望の日」韓国晩餐会、二月八日の奨忠体育館における千八百家庭祝福式、四月一日から五月十六日まで行われた九都市における「希望の日」フェスティバル、五月一日の清平修練所における紐解怨式、六月七日のソウル市の汝矣島広場における百二十万「救国世界大会」等、主要行事を主宰なさることをもって、アメリカを中心とした勝利基盤を韓国に接ぎ木され、第三次七年路程を盛大に出発された。

 キリスト教、イエス様の時代と、今日の統一教会時代とでは違うというのです。イエス様の時代は民族的基準を出発点としたのですが、統一教会は、世界的基準を出発点としているのです。それゆえに、先生は、一九七五年に初めて大韓民国の公式的席上に現れたのです。世界的時代の起源を収拾することのできる見えない霊的な基準を私が築いたので、今日、大韓民国に来て初めて前線に現れたのです。一月十六日にバンケット(ソウル市、朝鮮ホテル、「希望の日」韓国晩餐会)を行い、初めて公式的席上に現れ、大衆の前でみ言を語るようになったのです。世界的使命を担ったがゆえに、そのようになっているのです。それ以前には、先生を見た人がいないのです。

 そこから、一九七五年を中心として、この民族の前に霊肉を中心とした世界的事件を展開しなければならないのです。一月十六日のバンケットを中心として、初めて先生がこの民族の前に登場しました。それを起源として、二月八日には、千八百組合同結婚式を挙行したのです。統一教会が、個人的にデビューし、家庭的にデビューしなければならないというのです。この歴史的な平衡時代において、世界史上で誰も成し得ないことを実際に行い、その条件をもってこの民族の前に現れたのです。

 全世界の二世の若者がその時、機動隊としてやって来て、祖国光復のために入城し、この国で反対するキリスト教、反対する主権、反対するその何ものかに対して闘ったのです。

 韓国でキリスト教が反対することによってみ旨を延長させたのですが、キリスト教の世界的代表国家であるアメリカが歓迎することによって、復帰できる門が聞かれたのです。ここで勝利したその結果を中心として、再び韓国に帰っていくのです。これはちょうど、ヤボク川での闘いと同じだというのです。それで、国際機動隊を連れて入っていくのです。キリスト教の運勢圏を集めて韓国に入っていくのです。

 このようにして、釜山から押し上がっていきます。既成教会がありとあらゆる反対をし、彼らと闘ったのですが、完全に私たちが勝利しました。それで、六十ヵ国の代表を中心として、六月七日に世界的な汝矣島大会(百二十万人以上、「救国世界大会」)を行ったのです。この大会は、国家以上の大会となりました。歴史にないことを行ったのです。それは何かというと、韓国の国家的勝利の基盤の上で世界国家が勝利することができるように接ぎ木を行うということです。そのような条件があるので、アメリカに来て激しく打つのです。それで、霊肉を中心として国家的勝利の基盤をもって、そのような条件に立った六十ヵ国の代表を集めてアメリカ作戦に投入したのです。


総解怨式

 公式路程を始められた一九四五年からは三十年、協会を建てられた一九五四年からは二十一年になる一九七丘年五月一日、真の御父母様は、清平修練所において紐解怨式を挙行なさった。この解怨式は、堕落世界の母の代表格である崔元福先生を中心として、天使世界と宗教人、善王、忠臣、良心的人士、哲人たち、先に他界された真の御子女様方と統一教会の人物たちはもちろん、ルーシェルから歴史上の代表的な悪側の中心人物たちまで、全体を解放し、新しい道を開かれ、その基盤で神様と真の御父母様が解放を受けられるという、総体的解怨儀式であった。

 きょうは、二十一年になる協会創立記念日であり、また第二次七年路程の最後の期間となります。また、先生自身の一代をおいて見れば、三十年(一九四五〜一九七五)を越えていく時だというのです。

 このような時代なので、この全体の解怨成就、蕩減式をしなければなりません。この式を行う時は、最初に神様の前に解怨式をしてさしあげなければなりません。その次には何かというと、真の父母の解怨式をしてさしあげなければなりません。

 崔元福先生がきょう還暦だということですが、還暦という言葉は何かというと、再び帰っていくという意味です。言い換えれば、復帰して帰っていくということです。崔先生の還暦も還暦ですが、これは、崔先生を中心として、堕落した世界の真の婦人として一人の母のような立場に立ち、新しい復帰歴史のすべてのものを蕩減するという、そのような式にもなるのです。今からは、崔先生を中心として、すべてが変わっていきます。今までの堕落した世界、霊的世界全体は、崔先生を中心として蕩減しなければならないというのです。本来の父母を中心として蕩減するのではありません。

 もちろん先生がすべて築いてきたのですが、結局、女性が失敗したので、そのような条件を中心として、これをすべて一度に追い込んで蕩減しなければならないのです。そのようにしようとすれば、どのようにしなければならないのでしょうか。崔先生は、完全に蕩減して峠を越えていくにおいて、一人で越えていくのではないというのです。ここでは、キリスト教や、それからイスラム教や仏教や儒教など、今までの数多くの宗教をすべて糾合しなければなりません。それから、今までの歴史時代において、善君がいたのであり、忠臣たちがいました。忠臣の中には、文官がいて武官がいました。一つ一つの国を中心として、善君と忠臣たちがみな一つになって越えていくのです。

 それから、今までの歴史時代において、宗教は信仰しなかったけれども良心的な立場に立った、そのような人々を糾合しなければなりません。天は証したけれども神様のみ旨に侍らなかった人々です。哲人、哲学者や、良心的な系統の人々です。そのような人々をすべて糾合しなければなりません。また、その次には、カイン的世界です。それはルーシェルから、イスカリオテのユダ、皇帝ネロ、今の共産党世界に至るまで連結されているカイン的世界をすべて一つにして、蕩減条件の道を開いておくのです。共産党までも救うことのできる道を開いておき、一つにまとめて、きょうこの日にすべて屈服させ、今からはすべてが天倫に従っていこうという、そのような式を行って屈服させなければなりません。そのようにして、ここに崔先生を中心として連結させて、すべて解怨成就しなければなりません。そのような基盤のもとで、真の御父母様の解放と神様の解放が成されるのです。

 ここに膳を整えましたが、この膳は何を意味するのでしょうか。私たち統一教会が今まで歩んでくるにおいて、統一教会を信仰したのちに霊界に行った霊たちがいるのです。そのような統一教会の教会員たちもまた解怨してあげなければならないというのです。そこには、喜進もいて、惠進もいて、先に逝った人々がいるのです。また、協会長をはじめとする統一教会を信仰したのちに霊界に行った人々をすべて霊的に解怨してあげると同時に、地上の解怨もしてあげなければなりません。統一教会を信仰している途中で流れていってしまった人々がたくさんいるのです。その人々まで連結して、すべて蕩減してあげなければなりません。

 キリスト教を中心とした宗教人を東側にし、天使世界は西側にして、それから南側には善君、愛国烈士、北側にはカイン型のサタン世界、このようにして解怨成就しなければなりません。それで、きょうは何の日かというと、総解怨をする日です。歴史における総解怨を行う日です。この日が現れることによって越えていくのです。


崔元福先生の使命完了

 第二次七年路程を越えたので、今からの第三次七年路程は、父と母を中心として越えていかなければなりません。今まで崔先生が、皆さんの知らない中で、お母様の基盤を築くためにどれほど多くの苦労をしたか分かりません。そのような功労の基盤によって第二次七年路程を無事に突破したのだということを、皆さんは知らなければなりません。しかし、これからは、誰よりも真心を尽くして孝行する孝女の立場に立ち、お母様に侍って天の法度を立てるにおいて再度困難な道を歩んでいかなければならないであろうと思っています。

 このような意味で、心的に、あるいは外的に、皆さんがよく慰労してあげ、声援してあげることを願ってやみません。もちろん先生自身も導いていかなければなりませんが、ここに何よりも、個人の事情も事情であり、個人の立場も立場かもしれませんが、私たちは、み旨のために公的な立場を立てなければならないので、個人が悲しいことに遭ったとしても、公的な喜ばしいことのために決断を下していかなければならないのです。これが、今まで先生の歩んできた道であり、また復帰摂理路程なのです。

 そのように知って、皆さんは、今までの崔先生の功労を通して、このような位置に越えてきたのだということを知って、そこに感謝し、今後、より一層力強く歩んでいくことを願いながら歓迎してあげるよう願ってやみません。拍手で歓迎しましょう。(拍手)

 今までは、崔先生が世界舞台に立ってすべて先頭で行ってきたのですが、今からは、そのような時代は過ぎ去っていきます。第三次七年路程は、そのような時代ではありません。完成時代なので、お母様が全体の責任をもたなければなりません。今までは崔先生が前に出てきたのですが、今からは後ろに下がっていかなければなりません。そのような時だというのです。先生が行く道は、原理を立てる道です。原理世界を立てなければならない責任があるのです。そのようにすべて収拾して、ずっと原理的に行かなければなりません。

 本当は、お母さんという言葉をむやみに使うのではありません。崔先生に対しても「お母さん」と言い、誰かに対しても「お母さん」と言っていますが、それは違うというのです。今後は、崔先生には「崔先生」と言わなければなりません。そのような時になってくるのです。


四 第三次七年路程と真の御父母様の世界的解放

第三次七年路程の前半三年(一九七五〜一九七八、前半)

 韓国の汝矣島大会を中心として、既成教会も国も、すべて抑え得る基準に入ってきたので、霊肉を中心として築いた勝利的基盤の上で、アメリカを中心とした世界的三年路程の摂理が始まったということを知らなければなりません。それで、二九七五年から、世界的な第三次七年路程が始まったのです。霊肉を中心として世界的、歴史的転換点を成したということです。一九七丑年、一九七六年、一九七七年が、世界的な三年転換期です。アメリカの運命がこの時に変わります。アメリカの運命であると同時に世界の運命が決定する時がこの時だということを知らなければなりません。

 共産党のねらっているのがアメリカですが、いつまでがアメリカの危機かといえば、一九七七年、一九七八年までです。その時までに、私たちが共産党を防御することのできる基盤を全国に築かなければ、今後、とでも難しい立場になるということを知っています。そのような観点から、先生は、今までアメリカに対する作戦を展開してきたのであり、今後もアメリカに対する作戦を展開しようとしているということを、皆さんは知らなければなりません。

 アメリカが一つになれば、世界は完全に生き返るのです。共産党は、いくら強くても下がっていくのです。一九四五年以後、第二次世界大戦直後に全世界を支配するはずだったのですが、アメリカが失敗することによって、先生は、三十年という歳月を流してしまったのです。ここに三年をプラスして一九七八年までです。これは、イエス様が三十三歳で使命を完結するのと同じ時だということを知らなければなりません。数理的にすべてぴったり一致しているのです。

 それで、七月二十日に三年路程を出発しなければなりません。これは、一九五七年から三年を中心として、六〇年代を迎えるための準備をした時に相当するのです。そのような基準で国家を越えて世界を受け継ぐことができるこの時において、三年路程を終結すれば、新しいイエス復活の国家形態基盤が完成するのです。

 イエス様が失敗したことを、皆さんが民族と教会を中心として統一し、世界に進出することのできる摂理的基盤がこの三年間で決定するのです。それが原理観です。歴史はそのようになるのです。


「天勝日」宣布

 アメリカ、ニューヨークのマディソン・スクェアーガーデン大会(一九七四年・九・一八)とヤンキー・スタジアム大会(一九七六・六・一)、およびワシントン・モニュメント大会(一九七六・九・一八)等、主要大会を成功裏に終えられた真の御父母様は、西大門刑務所出監二十一周年記念日である一九七六年十月四日、二ューヨークのベルベディア修練所で行われたワシントン大会勝利祝賀集会において、「天勝日」を宣布された。真の御父母様は、天が勝利したという意味をもった「天勝日」を期して、霊界も新しく組織されるというみ言を語られた。

 このアメリカにおいて、マディソン・スクェア・ガーデン (一九七四・九・一八)、ヤンキー・スタジアム(一九七六・六・一)、ワシントン (一九七六・九・一八)という三次にわたる挙国的な大会を行うことによって、韓国が備えた勝利的結果をアメリカの地において実体で成し遂げるのです。そのようにすることによって、一つの世界的な中心型をつくりあげ、新しい道を開放することができると考えているのです。

 今まで歩んできながら、一九七六年を中心とした闘いとして、霊肉を中心としたこのような世界的な闘いとしてワシントン大会を掲げ、その闘いにおいて勝利の一日をもたらしたことが基盤となって、初めて民主世界に対するカインとアベルの勝敗が変えられました。一九七六年九月十八日のワシントン大会によって、歴史的な転機がつくられたのです。それから二週間後に、「天勝日」を設けたのですが、それがきょうだということを知らなければなりません。

 皆さん、きょう十月四日は、先生において忘れることができない解放の日でもあります。私が、韓国において、西大門という所にある刑務所から出てきた日にもなるのです。そこから始めてアメリカに入ってきて、今日ワシントン大会まで勝利し、解放を記念する一日として意義あるこの日をもつようになったということ、二つの解放を祝賀するこの日になったということを感謝に思うのです。

 一九七六年、その時、世界的にサタン世界全体が動員されたのです。サタン世界全体とレバレンド・ムーン一人が闘ったのですが、神様の愛に一致したものは世界のいかなるものが反対したとしても除去することができないという事実が判明したのです。天下に判明したのです。そのような勝利の基準を立てたという標準の日が、何の日でしょうか。「天勝日」だというのです。

 このようになることによって、霊界のすべての霊がレバレンド・ムーン歓迎一色になったのです。歓迎せざるを得ないのです。アフリカ、アジア、西欧、白人、黒人、キリスト教、イスラム教、仏教など、すべて分かれていた霊人たちが、みなレバレンド・ムーンによって一つになって歓迎することのできる一つの雰囲気がつくられたのです。それで、一九七六年十月四日を中心として、地上に「天勝日」を策定することができたということを知らなければなりません。

 今まで霊界には、仏教の群れ、キリスト教の群れ、儒教の群れ、イスラム教の群れというように、多くの境界線がありました。それらをすべて統一したのです。それで、「天勝日」としたのです。「天勝日」とは、神様が勝利なさった日です。霊界がそのようになったので、地上でも、遠からず国境線撤廃運動が起こるようになるのです。


真の御父母様の世界的受難の克服

 キリスト教が反対していなければ、理想完成は、既にすべて成されていたのです。それで、私は、超教派運動を通じて「既成教会は恩讐だが愛しなさい」と教えてあげているのです。キリスト教が怨讐の立場に立ちましたが、それを迂回していく道はないので、レバレンド・ムーンが蕩減の道を歩んだのです。

 それでは、ここにおいて誰が迫害を受けるのでしょうか。来られる真の父母です。この二人のお方は、全世界に暴風雨が吹き荒れる中で、アメリカとサタン側にいるキリスト教とユダヤ教と共産主義と地上にあるすべての国が反対するというその一時を迎え、滅びずに、追い出されずに、交わることができる一日がなければならないというのです。それが、一九七六年のアメリカ独立記念日を中心として、マディソン・スクェア・ガーデンからヤンキー・スタジアムに続くワシントン大会です。その時は、全世界がレバレンド・ムーンを追い出そうとしました。私ゆえに、キリスト教界と自由世界、ユダヤ人、共産主義者、アメリカ、百二十七ヵ国の全世界がムーニーに反対したのです。

 歴史時代において、このような迫害を受けた人はいませんでした。このように数多くの主義、数多くの国、数多くの人類が一つになって歩調を合わせ、共同して攻撃した、そのような宗教指導者は、一九七六年までいなかったというのです。唯一レバレンド・ムーンしかいなかったのです。悪魔サタンはJ「個人勝利してもかまわない。家庭勝利してもいい。あなたがここで死ねばそれで終わりだ。世界的に反対する中で、あなたが生き残るかどうか見てみよう」と言って待っていたのです。「すべてが一つになって激しく打つだろう。その時、あなたがどのようになるか見てみよう」と言って、闘いが起きたのです。

 お母様は知りませんでした。お母様は、夫に絶対服従しなければならないので、異議がないのです。知らないのです。エバは、知って堕落したのではなく、知らずに堕落したのです。ですから、絶対服従して、困難であっても行かなければなりません。ですから、お母様を常に引っ張り回すのです。反対したことがあれば、お母様は悔い改めなければなりません。どのようなことがあったとしても困難を克服し、「夫が行くのは、私たちの理想的愛の鉄則を復帰していくためであり、神様の懐へ帰っていく元亨利貞(注一事物の根本原理)の道を踏むためだ」と思い、夫に対して絶対信仰をもたなければなりません。いくら夫が間違っていると言われても、聞くことなく、「私の夫は、神様が願う道を歩んでいる」と弁明し、サタン世界に誇ることができる度胸をもって従っていかなければならないのがお母様の立場です。

 それで、神様と因縁が結ばれる時までは、先生がお母様を立て、お母様と共に世界の迫害を受けて、艱難の道において共に闘って勝利したという本然の覇権をつかむことができなければなりません。これが、アメリカの地において、お母様が行くべき道だということを知らなければなりません。その時までは、服一着も勝手に買ってはいけません。


真のお母様の苦労の生活

 先生を見れば、お母様と愛する暇もありません。先日ラスベガスに行ったので、お母様を愛してあげる時間があったのです。そのような時間しかありません。公的な時間以外にはないのです。

 「お父様、今夜はとても疲れているので、早く上がってきて休んでください」と約束したとしても、その約束を実行することができないのです。夜、誰かが来て話をすれば二時や三時になっていて、部屋に入っていけばお母様は寝ていて、私一人で過ごしたのちに、また朝早くから出てくるのです。そこに何の楽しみがありますか。(笑い)そのように先生がお母様の愛を受けることはできなくても、皆さんは、我知らず近くに行きたいと思うのです。

 お母様は、早朝に起きて敬拝式が終わると、コーヒーを飲みます。それで私が、「それは良くない」と言いました。コーヒーを三ヵ月飲んで胃に穴が開き、それで胃の手術をしたという人の話をおばあさんが話していたので、その話をしながら、「コーヒーを飲んではいけない」と言うと、(お母様は)「飲まなければ、ただもうしきりにまぶたが下りてくるというのに、どうするのですか。子供たちはみな出掛けていくことができますが、私はここに座りながらどのようにしていればよいのですか。眠気が来ないようにするために仕方なく飲むのです」と言うのです。それは、見ればかわいそうです。ほかの人と同じように心置きなく寝て、グウグウ昼寝もして、眠ければ二十四時間でも寝て、そのようにできればいいのですが、そのようにすることができないので、かわいそうだというのです。

 お母様はかわいそうでしょう。休ませる暇がありません。きょうも、「きのうの夜は二時間も寝ることができなくてめまいがします」と言うのを、私が引っ張ってきました。「あなたは公的な人だ」と言うのです。「めまいがするからといって眠ることができるような幸福な立場に立つことはできない」と言うのです。「全体に連結されてその表象となるために、嫌でも行かなければならない!」と言うのです。めまいがするからといって、先生が「かわいそうに」と言って見逃してあげるのではありません。それは、お母様がよく理解しているのです。先生は厳格な人です。公的なことには許しのない厳格な人です。今すぐにひっくり返って死んだとしても、事情を見てあげない性格だということを知らなければなりません。また、そうだからといって、お母様は倒れたりはしないというのです。

 そのような立場で祈祷するとき、真心からの祈祷をするようになります。そのようにしてこそ、悪くなる子供が生まれてくるのではなく、天の福をより多く受ける子供が生まれてくるのです。くたくたになりながら歩む時に生まれた子供のほうがもっと丈夫だというのです。このようにつらい歩みをすれば子供に悪いと思ったのですが、その子供のほうがより知恵があるのです。


真の御子女様方の迫害を甘受

 統一教会の原理から見るとき、長成期完成級で堕落し、その立場で、愛の因縁を通じて子女を繁殖したので、真の御父母様は、間接主管圏を完成した基準、すなわち直接主管圏内から出発することはできないのです。完成という一つの基準を残した長成期完成級から出発することによって、七年路程というサタン圏内に落ちていき、家庭をもって、厳しい風霜を経ていかなければならないのです。真の御父母様家庭の祭物時代になるのです。

 それゆえに、真の御父母様が行く所、その息子、娘が行く所は、すべてサタンたちが讒訴するのです。学校に行けば「レバレンド・ムーンの娘、息子だ」と言って後ろ指を指されるのです。アメリカでは韓国よりも、さらに多くの迫害を受けるのです。イエス様が生前に受けた立場を再現させ、それを、民族、国家、世界の基準を総合した基盤の上で蕩減しなければならないのです。そのようにしてサタンを除去したという条件を立てなければ、天理の道を順理の基準に連結させ得る道がありません。それゆえに、レバレンド・ムーンは、摂理史的運命を担ってアメリカに向かわざるを得なかったというのです。

 皆さん、私の子供たちが学校で「ムーニーだ」と反対され、「レバレンド・ムーンの息子、娘だ」と反対され、「東洋人だ」と反対され、苦痛を受けて涙を流すその事実を、私が見なかったと思いますか。

 そこにおいて子供たちも感じることができなかった悲惨な侮辱を感じ、悲痛な事実を感じたということを、皆さんは分からないと思います。しかし、その時レバレンド・ムーンは、「私は世界の迫害を受けているが、あなたは私の息子となったので、その学校の迫害は甘受し、克服しなければならない」と教育しました。彼らは分からずに迫害を受けています。しかし、先生は、行くべき道が分かって受けているので、どれほどいいでしょうか。彼らが受けるものは範囲は狭いのですが、先生以上の被害を彼っているという事実を知っているのです。


洪順愛大母様の独身祝福式
(一九七六・一二・二一、〔陰暦一一・一〕、イースト・ガーデン)

 先生は、父も母も伝道することができませんでした。親戚を伝道することができませんでした。それはなぜでしょうか。イエス様が、氏族を中心として復帰しなければならなかったのですが、できなかったからです。父と母が責任を果たすことができなかったので、そのできなかったことをすべて蕩減してあげたのちに父と母を伝道することができるのです。そのようにしなければできないのです。

 ここに、お母様のお母さんが、今、イースト・ガーデンにいらっしゃいます。たった今、私が独身祝福をしてあげてきました。なぜ今になってようやくしたのでしょうか。今まで、私は、完全に隣町の家政婦の老婆のように、近所の人のように扱ってきたのです。

 イエス様が三年路程で終わったのは、彼の母親が誤ったからですが、私が、アメリカにおいてヤンキー・スタジアム大会を中心として、三年路程で勝利的な結果をもたらし、民主世界に対して世界的な使命を果たしたので、「今は先生が祝福してあげる時が来たのだ」と言って、祝福してあげたのです。それで、「今からは、これこれこのように歩んでいきなさい」と、すべて指示してあげてから祝福してあげたのです。ですから、今からは先生自身も、この方に対してこの世の母親と同じように大切にしてあげることができます。完全にそのような時になったのです。復帰歴史はそのように厳格だというのです。

 この世であれば、そのようにすることができますか。それを、一般人は理解できないのです。お母様のお母さんなのに、なぜあのようにするのかというのです。その方は、私さえ見れば恐れ、とても気兼ねするのです。それは、お母様もよく分かりません。今私が話したので分かったのであって、お母様もよく分からなかったのです。ほかの人々はすべて祝福してあげながら、なぜ私の母は祝福を受けられないのだろうか。洪順愛氏をいつ祝福してあげるのかという話を、私は何度も聞いたのです。それでも、何も言いませんでした。現在、お母様と結婚してから二十年近くになります。霊界では、そのようなことがすべて通じ、すべて知っていたのですが、今になってようやく祝福してあげたのです。

 それゆえに、親戚関係は近ければ近いほど責任が大きいというのです。責任と使命が終わらなくてはなりません。そのような法則があるので、神様は最も愛する人を死の場に追いやって苦労させ、愛する息子、娘を打ち、御自身の側を打って犠牲にさせながら、他の人、世の中を救おうとなさったので、先生もそのようにするのです。同じ道理です。

 それゆえに、お母様は、結局、今までその難しい道をすべて従順に来たのです。従順に従ってきながら、それを合わせてくるのです。それで、お母様と先生が世界的な峠を越える時までは、お母様は、自分の母親に対して母親扱いすることができないのです。父母に対しても、家庭に対しても、自分の血族に対しても、血族扱いすることができなかったのです。それは、すべて原理観がそのようになっているからです。しかし今は、外的な立場ですべて収拾したので、初めて家庭に戻ってきて家庭の面倒を見ることができる時に入ってきたというのです。

 今後は、どのおばあさんよりもよくしてあげなければならないと思っています。今はもう、世界的峠を越えたというのです。このアメリカまで来ても、条件に引っ掛からないというのです。お母様がそのような基準を築かなければ、子供たちがみな引っ掛かっていたのです。すべてが問題となっていました。復帰歴史とは、そのように難しいものなのです。


「地勝日」および天紀元年宣布

 真の御父母様は、一九七七年二月二十三日(陰暦一月六日)の御聖誕日を期して、アメリカのベルベディア修練所において、「地勝日」とともに天紀元年を宣布なさった。

 アメリカは、キリスト教を代表した世界の版図です。アメリカは全世界のキリスト教の結実国家なので、そこで様々な闘争を三年半の期間、すなわち一九七三年四月から一九七六年九月までの三年半にわたって行いました。その闘争期間を通して勝利の立て札を突き立てることによって、世界的な統一教会の勝利の基盤を霊肉を中心として成し遂げるようになったのです。そのようにしてその期間を越え、一九七七年二月二十三日、新時代に越えていくという宣布を行ったのです。

 今は先生が死んでも、み旨はすべて成されるのです。それで、そのような勝利の基盤を中心として、一九七六年十月四日、「天勝日」を宣布しました。天が勝利したという勝利の一日を設定したのです。その日は、天の喜びとなり、地の喜びとならなければなりません。また、先生の喜びとなり、統一教会の家庭の喜びとなり、皆さんの喜びとならなければならないのです。

 そのようにして、二月二十日、陰暦で正月三日に──一九七六年が、陽暦でも陰暦でもすべて過ぎてから三日目に──何を行ったのでしょうか。祝福家庭の七百七十七家庭でも千八百家庭でも、片方になった人は、喜ぼうとしても喜ぶことができないのです。それで、今回、特別に許可したこととは何でしょうか。私たち統一教会の祝福家庭が喜ぶことができる、このような道を開いてあげるために、今回、七十四組の結婚式をしてあげたのです。

 それで、天が喜び、地が喜び、統一教会の先生も喜び、祝福家庭も喜び、皆さんも喜ぶ、そのことを終えた三日後がきょう(二月二十三日)だというのです。おもしろいことは、お母様についていえば、三千三歳を超えて三十四歳を迎える最初の誕生日なのです。イエス様が願ったこととは何でしょうか。三十四歳の誕生日を、天と共に喜びで迎えたかったのがイエス様の願いではなかったかというのです。そのようなことを、地上でお母様を通して蕩減することができる条件にもなる日だというのです。(拍手)

 そのようにすることによって、私たちは、新しい天紀一年という年を定めることができるのです。新しい時代の一年を策定することができるのです。それゆえに、権威をもって、サタンの前で守勢の方向を攻勢に変えなければなりません。


真の御父母様の世界的解放時代
(一九七七・五・三、陰暦三・一六、真の御父母様聖婚十七周年記念日、アメリカ)

 お母様、立ってこれまでの所感を話してください。きょうは、真の御父母様の聖婚式満十七年が過ぎ、十八年目が始まる日です。これまで大変だった話や、統一教会に従ってくることがどれほど大変だったとか、多くの人々から注目されることがどうだとか、言うべきことがたくさんあるでしょう。(以後、真のお母様が少しの間お話しされる)


真のお母様のみ言

 お父様は、きょう、皆さんに私自身の証と十七回「聖婚記念日」を迎えた感想を話しなさいとおっしゃいましたが、もし皆さんが三度の食事よりももっと証を聞きたいと思うならば、一日中話してあげます。(中略)

 完成に向かって苦悩してきた成長期間が終わり、今、天が願われる基準に到達した私がその当時を振り返る時、その苦難に満ちた記憶すべてが喜びに変わりました。

 私は、お父様と常に深く話を交わし、交流することができました。別の言葉で言えば、お父様と私の間には、尽きることのない話題と限りない理解があったのであり、信頼で完全に満たされた無限の対話がありました。お父様とそれほど多くを話さなくても、お互いの事情を深く理解することができたのです。なぜならば、お父様が通過してこられた事情と私が歩んできた道が神秘的なほどに、あまりにも似ていたからです。

 お父様とは、共通した一つの目的を深く理解し、そのことゆえに不屈の信仰ですべてのことを忍耐し、すべての苦難と闘って完成基準に到達し、今やサタンが一切侵入することのできない基準まで歩んできたという勝利感があります。お父様と私がお互いを見つめ合う時、お互いが感じる勝利感によって、私は限りない慰労を受け、安らぎを得ることができます。

 私は、私自身の体験を通して、神様に対して、神様はどのようにそのみ旨を成就なさるのかということに対して、多くのことを知りました。私の人生において、私は、本当に天国と地獄をすべて通過してきましたが、そのどちら側も、神様が期待なさり、完全に成熟した人格を形成するために必要なものだったということを知るようになりました。

 もし私が天国の喜びだけを享受してきたとすれば、天国の生活をそのように深く味わって感謝することはできなかったでしょう。私は、地獄の一番底までも通過し、その苦みも味わいました。「これ以上このように難しい道を続けることができる力が私にはありません。この道を継続していくということは、絶対に不可能です。神様! なぜ私にこのような道を行けとおっしゃるのですか」と尋ねた時も、数えきれないほどあります。私に必要なものは、本当にくじけない不屈の信仰と決意と忍耐だったのであり、それが、今日の私自身をつくりあげたと言うことができると思います。

 もう一つ話したいことは、皆さんは、天国に行く道において、天国的な面だけを期待してはいけないということです。地獄的な面も、当然予期しなければなりません。地獄のどん底、監獄を通過することも当然予期しなければならないというのです。

 そして、それこそが、神様の恩恵を感じることのできる最も貴い部分だと言うことができます。それを通過するために克服する時、皆さんは、より一層堅固に立って強くなることができ、円満で総合的な人格、神的人格を成熟させることができ、天国をより一層深く鑑賞することができるでしょう。そのようなすべての体験が、いつか皆さんの誇りとなるでしょう。勝利と忍耐の記録こそ、いつの日か皆さんの誇りになると思うのです。

 この二、三日間、お父様が釣り競争をさせましたが、その時、皆さんは、ふっと心の底で、「なぜ、お父様はこのような無意味なことを私たちにさせるのか。そのようなことは強いてする必要もなく、川の水がこのように深いのに、死ぬかもしれない」と思ったでしょう。誰もが、一瞬でも、ふっとこのような思いが浮かんだに違いありません。

 なぜお父様は、何かに狂ったようにこのようなことをされるのか。なぜこのようなことをしなければならないのでしょうか。しかし皆さんは、そのような時、「私はそのようなことをしなくてもかまわないでしょう7 私はできません」と言わないでください。このような瞬間こそ、皆さんが早急に決定したり、考えたりしてはいけない時なのです。そのような時であるほど、その試練を通過して越えていくことが、喜びをもたらしてくれることになるのです。

 そして、なぜお父様は、皆さんを泥がたまった川の中に入っていかせるのでしょうか。そのような霊的試練がある時こそ、そのような考えがどのような人にも、正常な人ならば誰でも、自然の本能的考えとして心の中をかすめるのです。そのような時、どのようにしてその考えを克服するか、それを喜びに転換することができるかが問題です。私の生涯全般は、毎日毎日が正に皆さんが経験した釣り競争に比喩することができると思います。

 私が言いたいことは以上です。ですから、皆さんは、常に忍耐をもって、不屈の状態で活動していただけたらと思います。どのようなことであっても、早急に決定したり、考えたり、すぐに反発したりしないようにしなければなりません。そのようにすれば、どのような難しい試練も喜びに変わり、いつの日か、それが誇りになるでしょう。

 けさ、私が流した涙には、二つの意味があります。一つは悲しみの涙ですが、単純に悲しみの涙ではなく、喜びの涙だということを理解していただけたらと思います。勝利したその喜び、そして、このようにお父様と共にいることができるという喜びの涙だということを。実際にそのような二重の意味をもった涙でした。

 そして、これからは、ただ喜びの涙だけを流してみたいと思います。ですから、どうぞこれからは、私の過去に関して聞かないでください。ひたすら勝利的な未来の大きな理想に対してだけ話を交わしましょう。このように皆さんにお願いしたいと思います。未来に来る偉大な日のために、何度でも喜びの涙を流しながら喜ぶようにしましょう。


 お母様もおばあさんも、最も低い位置から出発したのです。統一教会で最も低い位置、誰もそのような扱いを受けたことがないという最も低い位置から出発しました。このような低い位置から最高の栄光の玉座をつかむことができる祝福を受け継いでこそ、その祝福が永遠に続くのです。私自身がそのように歩んできたのであり、お母様に対してそのようにしたのであり、私の子供たち、子女たちもそのように歩んできたのです。この原則をそのまま越えていくことはできません。これがそのまま越えていくことのできるものであれば、お母様にそのようにさせなかったのであり、私の家庭がそのようなことをしなかったのです。

 ですから、不平を言うことができますか。お母様も不平を言えば、すべて壊れていくのです。見てみなさい。自分を中心として不平を言った人々は、すべて離れていきました。自分を中心とした考えをすれば、すべて壊れていくのです。原理がそのようになっています。

 けさ、皆さんが、お母様のみ言を聞き、先生のみ言を聞いて、先生の家庭の背後にそのような曲折があったということを初めて知ったと思います。ですから、そのようなことを見れば、先生は、許すことを知らない先生だということを知らなければなりません。それを聞いてみれば、原理どおりに生きてこなかったと思いますか。(原理どおりに生きてこられました)。それゆえに、天地の前に自信をもって言うことができるのです。自信があるのです。それで、一九七六年が終わると同時に、今は、お母様も完全に解放されました。そして、先生も完全に解放されたのです。先生とお母様が完全に解放された時が、一九七六年だということを知らなければなりません。

 そのような意味で、一九七七年二月二十三日、先生の誕生日を期して、新しい次元の時代が聞かれたのです。それは、統一教会をおいて宣布するのではありません。先生が行く道をおいて宣布するのです。先生とお母様が行く道をおいて宣布するのです。今まで、お母様は、十ドルのお金を使っても先生に報告しました。勝手に使うことを私が許可しませんでした。しかし、今からはそれに対する自由も与えようと思います。また、私が全体の主体的な立場ですが、今後はお母様に、家計のことなど多くのことを任せようと思います。


真のお母様の特性と誇り

 お母様の特別なところは何かというと、霊感が素早いところです。ぱっと人を見て「良い人だ」と思えば、その人は良い人なのです。それを鑑別することのできる天性的な素質をもっています。そして、先生が「しなさい」と言うことは何でもしようと決意し、またその決意したことを常に失わずに歩んできたので、受難の道も克服することができたのです。これは、目的を中心とした忍耐心に相当するのです。

 そして、私がお母様に有り難く思うことは、自らの貴いものを、自分の息子、娘ではなく皆さんに、ためらうことなく一〇〇パーセント譲ってあげようとするその性格です。その性格は、神様が贈り物として下さった性格だと思うのです。西洋人たちは「ああ、レバレンド・ムーンの夫人は、服もとてもたくさんあり、宝物もとてもたくさんあるはずだ」と思うかもしれませんが、そのようなことはありません。お母様は、自分が良いと思うものがあれば、すべてそれを食口たちに分けてあげようとするのです。実際、数日前も、出掛けなければならないのに着るものがなかったのです。そのような時が多いのです。自分を中心として、「自分だけ良かった」とするのはいけないというのです。

 ですから、第一は、霊感が素早いということに対して天に感謝し、第二は、み旨に対して絶対従順しようとすることに感謝し、第三は、自分のものを、自分のものではなく、世界のものとしてそのままためらわずに分けようとすることに感謝するのです。どんどん与えて神様が心配なさるほどです。それが天性的に生まれついているということは、お母様としての性格を備えているのです。それで、今考えてみれば、今まで私の家庭に多くの子供を下さったことなど、すべて、神様が私たちの家庭を祝福されたことだという気がするのです。

 それで、今は、国家対国家の問題になりました。今はもう、レバレンド・ムーンが一国の責任者以上の基準を越えたのです。今後は、皆さんの想像することのできないことが起きるだろうと、先生は思っているのです。

 それゆえに、皆さんは、自分を中心とした考えをしてはいけません。お母様も、自分を中心とした考えをしていれば、この統一教会を信じることができなかったでしょう。既に荷物をまとめて出ていったはずです。皆さん責任者たちも、自己中心的な人は荷物をまとめて退いていくようになるのです。先生はそのように思っています。また、そのように指導しているのです。そのような面において、どの責任者はどうで、誰はどうだということを、すべて細かく見ているのです。先生の人事措置は、そのような原則によって行っているのです。

 ですから、皆さんはそのことを知って「あー、私も、そのように歩まなければならない」ということが、はっきりしたことと思います。それゆえに、今やお母様も、結局お母様として成功した女性であると、このように思うのです。また、そのような女性を育てた先生も、成功した男性だというのです。(拍手)


家庭教会運動出発

 「地勝日」宣布一周年を記念する一九七八年の一月十日から二月二十日まで、アメリカにおいて年始四十日伝道活動が実施されたが、この時、真のお父様は、アメリカの食□たちが各自三百六十戸を選定して活動するように指示なさった。その後、四月一日から、アメリカ活動要員三万人確保活動を指示されながら、三百六十四軒家庭教会(ホーム・チャーチ)運動に対する具体的方案を提示され、その年の五月十三日からの百二十日間のイギリス巡回中にも、同様に家庭教会運動の方向を設定してくださった。続いて、九月二十五日、二年半ぶりの韓国帰国歓迎礼拝において、真のお父様は、十月一日からの本格的な家庭教会活動の展開を命じられ、翌年から五年間の毎年の年頭標語を家庭教会中心に定められると同時に、全世界の食□たちが真の御父母様の世界的勝利基盤を相続する氏族的メシヤ活動に入っていくようにされた。

 今、時は、どのような時でしょうか。「天勝日」を過ぎた時なので、アダム完成とエバ完成の時代です。それゆえに、神様と共に天使世界がプラスになるのです。今まで、天使たちは、霊界で活動してきました。しかし今は、肉的救援摂理なので、天使が活動する方向、神様が活動する方向は地上に移されたということを知らなければなりません。それゆえに、その働きが強くなるというのです。そのような時代なので、天を信じ、霊界が協助するので、「私は一人だが、すべてのものを制覇することができる」と思わなければなりません。地上で実績をもつことができなかった人は、霊界に行って最も冷遇されるのです。

 それで、「天勝日」がもたらしてくれた贈り物がホーム・チャーチです。そのホーム・チャーチ活動は、どのような背景をもつようになったのでしょうか。今まで神様の活動してこられた方向が、霊界から肉界に移されるようになったというのです。ですから、新しい時代になったというのです。

 その三百六十軒とは何かというと、築いた世界的な蕩減条件を接ぎ木して世界を代表した一つの中心型として現れたものです。ここで勝利すれば、自らの氏族は、世界的氏族圏に登場して、同じ価値の立場で蕩減するようになるのです。それで、初めて一つにして蕩減し、父母の立場に登場するのですが、自らは、新郎の立場に立って新婦を迎えることによってメシヤ的資格を備えた氏族的メシヤ、すなわち氏族的真の父母になるのです。


真の御父母様家庭の三次七年路程の勝利

 一九八〇年四月十五日(陰暦三月一日)、アメリカ、ベルベディア修練所において、第二十一回「父母の日」記念行事が挙行された。真のお父様は、「み旨の完成と父母の日」という題目のみ言を語られながら、この日を期して、六〇年度に出発した三次七年路程の勝利と、翌八一年度から本格的な出発をなすようになる第二回三次七年路程の内的な出発を宣布なさった・四月三十日(陰暦三月十六日)の真の御父母様聖婚二十周年記念日と五月一日の協会創立二十六周年記念日には、一九七三年四月三十日のアメリカ永住権獲得と世界的出発後満七年期間の勝利を締めくくられ、新しい出発を督励なさった。

 陰暦で三月十六日が先生の結婚した日です。それが、きのう四月三十日です。そして、私がアメリカに来た時が、一九七三年四月三十日です。先生の聖婚後満二十年とこの満七年が、四月三十日という一日にぴったり一致したというのです。二十四時間以内に、すべてがぴったり一致したというのです。何とも不思議だというのです。アメリカにおいて七年路程が完全に終わったのです。それを見れば、神様は数理的な神様です。

 本来イエス様は、二十七歳で出発したのです。これが、きょうの協会創立二十七回とすべて絡まって回っていくのです。二十四時間以内にすべて引っ掛かっているのです。それゆえに、歴史的な時代に入っていきます。ですから、今、このアメリカのカーター政権が大変な目に遭っているのも、すべて摂理に関係しているのです。

 一九七八年、七九年、八〇年の三年期間です。このようにして、今や名実共に統一教会は、霊肉を中心としたいかなる国家の試練も越えたのであり、今は、反対することのできない蕩減条件の峠を越えたというのです。ただ一つ残ったとすれば、今からソ連が反対するでしょう。しかしソ連が反対してみたところで、反対すればするほど、統二教会は上がっていくのです。ソ連が統一教会に反対すればするほど、金日成が反対すればするほど、民主世界はますます結束するというのです。急進的な結束が加えられて、今後約七年、先生が考えるには、一九八七年まで統一教会が正しくなせば、「ひゅーっ」と飛躍していくのです。

 打たれて奪ってきます。打たれて奪ってくるにおいては、男性がいくら個人として打たれて奪ったところで、女性はそれに同参することはできないのです。女性が越えなければならず、子女が越えなければならないというのです。蕩減路程はそのようになっています。三段階の蕩減を越え、私の家庭が民主世界のアベル圏を代表し、カイン圏の総攻勢を受けるその立場から生き残ることによって、新しい統一世界の凱歌が挙がり始めるのだと思うのです。

 また、そのようになるように整えていくのです。一九七五年に宣教師をすべて配置し、世界が反対する環境の中で、統一教会の家庭を中心として迫害を受けて倒れないで残り、今回二十一年をすべて終えたのです。今は私の子供たちもそうです。今、学校で、ムーン・ブラザーズといえば、とても有名だということです。私の子供たちには多くの素質があるでしょう。運動をすれば運動ができないでしょうか、絵を描きなさいと言えば絵を描くことができないでしょうか、歌を歌いなさいと言えば歌を歌えないでしょうか、勉強をしようとすれば勉強ができないでしょうか、私に似て、できないものがないのです。(笑い)

 「ムーニーだ」、「チャイニーズだ」といって受ける侮辱が、ちょっとやそっとの侮辱ではないのです。二十一年路程で、その過程をすべて経なければなりません。それは何かというと、先生は、家庭を中心として、国家基準を越え、世界基準を越えたということです。


















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