真の御父母様の生涯路程 10
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真のお母様と世界女性時代

第五節 解放後四十年と第二回三次七

一 真の御子女様の聖婚と真のお母様圏十歳

譽進様の聖婚

 一九八一年五月十五日、ソウル、ロッテ・ホテルにおいて、真の御父母様の御家庭の長女である誉進様が約婚式を挙げられ、翌十六日、ソウル市青坡洞の本部教会において、六百人以上の祝賀客が参席する中で、真の御父母様の主礼により聖婚式が挙げられた。誉進様の聖婚の日は、子女時代である第二回三次七年路程が本格的に出発する日でもあった。

 十五日に来てすぐに約婚を行い、一日で結婚式をすべて行ってしまいました。これはただの結婚式ではありません。プログラムです。別の言い方をすれば、家庭的救援摂理の方向を決定し得る厳粛な時圏です。今まで、個人救援の目的を推進させてきた天の歴史路程において、家庭救援が可能な時代に移ったという事実は、とてつもない飛躍と言いましょうか、何と言いましょうか。言い表すことができないことです。今まで神様がメシヤを送ってこられたのは、アダムを再創造するためでした。アダム一人を捜し出すために、歴史時代において受難の道を歩んでこられたのですが、今からは、家庭救援を成就していくのです。個人救援の時代は過ぎ去ったというのです。

 この日を中心として、「三十六家庭」は何年目ですか。二十一年です。満二十一年になるその日を期して、譽進を呼んだのです。その時、試験を受けていました。有り難いのは、すべて捨てて来たということです。そのようにして、先生の家庭において聖進と譽進が家庭的立場に立ち、橋を架けることができるようになったのです。平面的に定着基盤が築かれたのです。これによって、第二回三次七年路程の出発が本格的に可能になったのです。

 これによって、先生の第二世のアベル圏家庭が形成、確立されると考えるのです。先生が一世として、縦的な基盤を築くようになれば、そこに横的な第二世の基盤が確立されるのです。そのようにして皆さんの家庭を中心として見るとき、皆さんの家庭と先生の息子、娘の家庭と先生の家庭が、それぞれ蘇生、長成、完成の横的基盤として完結するのです。そのように考えるのです。

 カイン・アベルを中心として見るとき、祝福を受けた家庭はカイン格です。先生はこれらの家庭を横的基盤に連結しなければならないのですが、今までは、縦的基盤は連結されていても、横的基盤は連結されていなかったのです。今は横的に展開しなければならない時に入ってきたので、皆さんが第二回三次七年路程を中心として四方に伸びていくためには、先生の息子、娘を中心としたアベル的家庭が先生の前になければならないというのです。

 ですから、アベル的家庭と皆さんの家庭が完全に一つにならなければなりません。先生と一つになる前に、アベル家庭と完全に一つにならなければなりません。一つになれば発展するのです。一つになれば、神様が共にいらっしゃるようになります。主体と対象が完全に一つになれば、中心が生じるというのです。「原理」で教えているように、ここに必ず神様が臨在され、これを侵犯するいかなるもの、いかなる強力な敵も退治するというのです。


第二回三次七年路程の出発(一九八一・五・一六)

 第二回三次七年路程は、私たちの家庭がなさなければなりません。父母の時代が過ぎ、子女の時代に入ってきたので、今日、世界的蕩減をしたのちには迫害がないのです。

 今日、第二回三次七年路程を歩まなければならない皆さんは、先生がこの道を連結させるために、二十二年間、血の流れる闘争をしてきたという事実を知らなければなりません。個人から追われ、家庭から追われ、氏族から追われ、民族から追われ、国家から追われ、世界から追われ、追われながら打たれて奪ってくる作戦をとってきたのです。見事にも、死なずに一代において、途方もない内縁の様々な事情を理論的に集約して、実践的な内容とともに万民の前に公認させることができる材料をもち、それだけではなく、天が認め、サタンも公認することのできるものを、今日、統一教会の息子、娘に相続させることができる権限をもったのです。このような歴史的な事実を記念するために出発したのが、第二回三次七年路程だったということをはっきりと知らなければなりません。

 したがって、皆さんは、今からの第二回三次七年路程において、師が歴史時代の受難の道で迫害の矢を受けながら築いてきた伝統を受け継がなければなりません。今から皆さんは、歓迎を受けながら、伝統の相続を誓いつつ成長していかなければなりません。ですから、柱を立てる時になりました。家庭の柱はこうでなければならず、氏族、親族の柱はこうでなければならず、国の柱はこうでなくてはならないというように、柱を立て、新しい国の未来像を示すことができる伝統を確立しなければなりません。

 ですから、先生は、あらかじめその準備をするのです。それで、日本において全体を動員して、強力な活動を展開するのであり、アメリカにおいても、強力な教会活動を展開するのです。そのようにして韓国が基地になりさえすれば、すぐに日本が連結され、アメリカが連結され、全世界が連結されて、急進的に世界を救援することのできる時代に入っていくのです。


第十回「科学の統一に関する国際会議」参席者夫人招請晩餐会

一九八一年十一月十二日、ソウル、ロッテ・ホテルにおいて、真のお母様は、第十回「科学の統一に関する国際会議」(十一月九日〜十五日)に参席するために来韓した世界の碩学の夫人たちを招請され、晩餐会の席上で歓迎のみ言を述べられた。


真のお母様の歓迎の辞

 皆様が東洋に位置する静かな朝の国である韓国に訪ねてきてくださり、心から感謝いたします。長い間、文先生と私は、皆様を我が故国にお迎えしようと熱望してきました。

 韓国民族は、伝統的に白い服を好んで着ます。韓国民族は、神様をとても愛するので、清さの象徴である白い服を着ることを好むのです。また我が韓国民族は、先祖をとても尊敬し、平和を愛する民です。

 数百年間、韓国は、外国の勢力からの侵略を受けてきました。そのたびに私たちは、それを克服することができました。そして、五千年の歴史をもった韓国は、一度も他の国を侵略したことがありません。このことゆえに、我が国は「静かな朝の国」として知られるようになりました。

 一九五〇年の韓国動乱の時は、信じられないほど大きな惨事を被りました。全国土が共産主義の侵略者によって踏みにじられる直前までに追い込まれたのです。しかし、神様は、本当に自由の韓国を助けてくださいました。国連傘下十六力国の自由世界の青年たちが、韓国を助けるために韓国の前線に来てくれたのです。その時は、韓国の全国民が連合軍と一つに団結していました。その団結によって、私たちは共産主義から自由を守ることができました。

 一九七〇年から、韓国の国民たちは、自由主義体制の偉大さを知って一生懸命に働いてきました。その結果、韓国は、世界で最も経済成長が早い国の一つとして認められています。このような韓国の発展と成長を世界が認め、一九八八年のオリンピックも、その開催国家として韓国が選ばれるようになりました。

 歴史は、偉大な人物の背後には、常に素晴らしい妻がいたと言っています。この言葉の意味を考えながら、私は皆様の夫君を心の中で尊敬します。皆様は、人類救援と平和世界の実現のために多くの活動を展開してきた私の主人である文先生を助けてこられたからです。

 私も、夫の素晴らしい内助者になろうと、心の中で常に誓っています。しかし、御存じのとおり、文先生の理想と目標はとても高いので、それは難しいことでもあります。時には、果たして私が夫のためにどれほどの助けになっているだろうかと考える時があります。私は、その点において、一度も高い点数をもらったことがありません。しかし、様々な立場を総合してみるとき、私はそのお方の愛する子供を十二人も生んで育てたので、文先生は少なくとも一つのメダルを下さるだろうと期待しています。

 今日の世界情勢は、暗澹としていきつつあります。多くの家庭が崩壊しています。伝統的な家庭が崩壊するのを目の前で見ている私の心は、本当につらいです。幸福な家庭のために、私たち妻は、夫の前に愛を捧げ、犠牲的精神を発揮しなければならないと思います。どの家庭であれ、神様が臨在なさることができるようになれば、父母と子供は、神様の愛と希望を分かち合うようになるでしょう。家庭が社会の柱石となっていくに従って、私たちの国と世界には、限りなく美しい神様の愛があふれるようになるでしょう。唯一なる神様の愛の中で、私たちは、みな一つの家族になることでしょう。

 私は、皆様お一人お一人とより一層親しくなることを願っています。皆様が韓国ですべての日程を終えて帰国されたのちにも、愛と友情を交わしたいという切なる思いでいっぱいです。

 韓国にいらっしゃる間、神様の大いなる愛が皆様と皆様の夫君の上に共にあられることを祈願いたします。さらには、皆様の家庭に神様が臨在されることを願う次第です。ありがとうございました。



真のお母様の四十歳と真の御子女様の聖婚(一九八二)

《祈祷》

 この日(一九八二・一・一)、この朝、お母様においては、四十歳を迎える新しい日となりました。幼い体をもって、師のような、父母のような、あるいは兄のようなこの夫に侍り、今日の統一教会の歴史を創建するにおいて、血のにじむ道を歩みながら、よく耐えてきてくださったお母様を、お父様、あなたが愛してください! この方は、大きな心を抱いて怨讐の子女まで愛し、自らの子供も愛することができるこの位置に立ちました。

 今、統一家においては、統一教会の祝福を受けた家庭と、真の御父母様の家庭を中心とした娘、譽進と息子、孝進の家庭が一つにならなければならない歴史的使命があるので、三次七年路程が終わる年に結婚と約婚を挙行することができました。この驚くべき事実をお父様の前に心から感謝いたします。お父様、今、周囲を取り巻いているカイン的家庭が、天使世界が天の家庭を守ることができなかった歴史的恨を再び解くために、精誠を尽くして垣根となり、すべての面において手本となって、厳粛に天の前に孝行の道理を果たすことができるよう、見せてあげ、教えてあげることができなければなりません。

 このようなことを通して平和の基準を備えることによって、そのような基盤が家庭圏を中心として、氏族圏、民族圏、国家圏を成すようになる時、初めて真の御父母様の家庭が国家的真の父母の基準を通り、世界的父母の過程を経て、天上世界の真の父母の家庭になることによって、万世に恨を抱いた神様があの世で王として君臨なさることができる神様の愛の基盤がつくられるという、この驚くべき事実をもう一度思いながら、意義ある一九八二年を迎えたこの時間を、お父様、祝福してくださることを再度お願いいたします。

 真のカインの子女と真のアベルの子女がいなければなりません。二つが一つにならなければなりません。そのようにならなければ、真の父母の立つべき位置がないというのです。そのようにならなければ、天国に帰っていくことができないのです。二種類の息子、娘がいます。一つは義理の息子である庶子であり、一つは直系の子女です。

 それで、三次七年路程が終わったのち、譽進と孝進を昨年のうちに約婚してあげたのです。皆さんは、「先生の息子、娘は年が若いのに」と思うでしょう。十六歳から二十一歳圏内で引っ掛かるというのです。アダムとエバは、何歳の時に堕落したと思いますか。未成年の十五、十六歳の時です。それを蕩減しなければなりません。それで、お母様もティーン・エージャーの時に先生と結婚したのです。お母様もそうであり、息子、娘もみなそのようになるのです。

 アダムとエバ、カインとアベルというこの四人によって、サタン世界が完全に横的に実を結びました。それゆえに、歴史過程において、カイン・アベルを中心としてこれを一つにするのです。一つにしてこそ、単位が上がっていくのです。すなわち個人から家庭単位に上がり、氏族単位に上がり、民族単位に上がっていくのです。

 ですから、お母様、エバは、二人の息子を一つにして、長子を次子にして次子を長子し、アベルを右手に抱き、カインを左手に抱いて、どこに行かなければならないのでしょうか。アダムのところに行かなければなりません。そのようにしてこそ、アダムが受け入れるのです。ですから、今まで、お母様が四十歳まで何をしてきたのかというと、そのことをしてきたのです。自分の息子、娘の家庭とカインの息子、娘の家庭を抱いて夫のところに行くのです。夫は、これをもって神様の前に行くのです。

 カイン家庭を取り戻したからこそ、皆さんが入ってくることができたのですが、今はどのような時が来たのかというと、カイン家庭ではなく、長子の家庭を取り戻さなければならない時です。それで、皆さんは、先生の息子、娘に対して「お兄さん」、「お姉さん」と言うのでしょう?

 それで、先生は孫までもち、三代をもったのです。今日、この地上の三代圏家庭はすべてカイン的家庭ですが、アベルが長子の位置に立った天国の家庭をもったので、長子を復帰せずにそのまま順理的に天国に入っていくことができるのです。

 今は、素晴らしいお母様になりました。それで、私が全権をゆだねるのです。生活費もゆだねるのです。四十歳を超えたので、今はそのようなことにおいては安心です。(歓呼、拍手)

 今まで、正しく教育して、私の言うことをしっかり聞くことができるように育ててきました。今はもう、お母様は合格です。昔は、一銭のお金も勝手に使うことができないようにしました。

 私がお母様を教育するにおいて、言葉にできない様々な事情がありました。私が願う心の前に変わることなく、私が行く道の前に変わることのないその日が来ることを願ってきたのですが、お母様は立派なことをたくさん行ったのです。

 最近では、お母様は素晴らしいというのです。西洋世界に行っても、「レバレンド・ムーンの夫人を通して、東洋の代表的美貌の女性に初めて出会った」という話をたくさん聞きました。(笑い)私がどうしてうらやましいでしょうか。このような一等美人の妻をもっているので、どうして女性を慕わしく思うでしょうか。それくらいで十分でしょう。


二 荒野時代と興進様の犠牲

荒野四十年路程の最後の三年(一九八三〜一九八五)

 統一教会は、四十年の荒野時代にあるということを知らなければなりません。幕屋教会時代にあるということを知らなければなりません。世界的カナン福地に入っていかなければならないのです。ですから、地に対する分け前を分けてあげなければなりません。十二部族に統一教会の分け前を分けてあげなければならないのです。そのような蕩減条件を怨讐たちが認める基準において、四十年以後に私たちが定着することができるカナン福地の基準を、国境を越え、主義思想を越えて世界に広げることによって、私たちの国の創建が始まるのです。

 イスラエル民族がエジプトによって包囲された立場からカナンを復帰する四十年のように、第二次大戦後の四十年を突破口として、新しいカナン復帰、新しい世界理想に向かって越えていかなければな力ません゜これが原理観です。

 モーセの時代において、荒野四十年間で、モーセに従ったイスラエル民族は、モーセが石板を受けるためにシナイ山に登っている間に、アロンを中心としてすべてが淫乱によって混乱したのと同じように、この四十年間で、キリスト教の主体思想をすべて忘れてしまい、淫乱とフリーセックス、アルコール中毒や同性愛といったあらゆることが起きるのです。共産主義が現れてくるので、ますます混乱するのです。思想的混乱、家庭的混乱、愛の混乱、男性と女性の混乱が起きるのです。

 ですから、四十年を締めくくらなければなりません。この期間を通してムーニーを歓迎することができなければ、ムーニーはこの国と分かれます。法廷闘争を中心として、この三年の期間で完全にイエスか、ノーかを決定することができる時代に越えてきているということを知らなければなりません。その前に皆さんが早くなして、ムーニーを歓迎することのできる雰囲気をつくれば、「ワシントン・タイムズ」などのすべての作戦をそこに投入するのです。

 今は何かというと、ヨシュアとカレブが立ち上がってイスラエルの再起を図ることができる瞬間だということを知らなければなりません。私たちが行く所には、カナン七族の怨讐がいます。ですから、そこに正面から挑戦していかなければなりません。それで、先生は深刻なのです。神様も深刻だというのです。今、先生は、それに代わって南米を置き換えふための準備をしているのです。それゆえに、私が最善を尽くさなければならないと思い、カウサ(CAUSA)運動を国民に展開させているのです。


真のお母様の日本歴訪

来日歓迎式でのみ言

 一九八三年三月十三日、日本の東京教会で催された真のお母様日本歴訪歓迎式において、真のお母様は、「私たちは、何であろうと成すことができる」という題目のみ言を語ってくださった。

 到着して、この新しい本部教会の建物に足を踏み入れた時、限りない感激に浸りました。私一人で来るのではなく、お父様と一緒にこの建物の中で皆さんとお会いすることができれば、どれほど良かっただろうかと考えてみました。

 今まで、皆さんがお父様のみ言を受け入れて、内的に外的に、すべてにわたって苦労する姿を、しばしば訪ねてくる指導者たちの報告を通してたくさん聞いています。私も、本当に何をもって皆さんを慰労し、激励することができるだろうかととても考えました。

 栄光から始めなければならない歴史でしたが、アダムとエバの失敗によって、恨み多い復帰歴史として出発しなければならなかったのが父なる神様の歴史でした。また、お父様一人で歩まれた生涯は、迫害と苦難と絶え間ない受難の路程だったのであり、そのような路程を通して今日の統一世界の基盤を広めるまでには、言葉で言い表すことのできない、そのような隠された事情がたくさんあったということを、私たちはよく知っています。一言で言って、涙なくしては身の置き所がない血と苦痛の歴史であったということを、皆さんは体験されたことと思います。このような歴史過程を通して、今日多くの国で成されている役事を見るとき、本当にお父様が重要で、貴重だということを、骨身にしみるほど感じます。

 サタンは、私たちに余裕をくれません。今回、アメリカでなされた裁判を皆さんは詳しく知っていることと思います。必ず天が勝利を収められるということを、私たちは知っています。しかし、その過程において、お父様は陰に陽に大変疲れていらっしゃいます。言葉には出されませんが、内的に血の出る闘争をしていらっしゃいます。その激しい闘争の中で成されたアメリカでの多くのことは、皆さんがあまりにもよく知っていることでしょう。「ワシントン・タイムズ」の創刊や二度にわたる巨大な祝福行事など、これ以外にも推し量ることができないほど多くのことを行われました。

 最近、「ニューヨーク・タイムズ」が、ホンジュラスのカウサ活動に対する報道を行いました。その記事では、カウサ活動は文牧師が後援する団体だと報道しています。この世の中は理解することができないでしょう。南米や中米はもちろん、アフリカのような世界に至るまで、百三十七ヵ国に宣教師を派遣し、そこで、み言の炎が燃え上がっているのです。

 なぜ私がこのような話をするのかというと、子女の物心がつく時は、その父母が年を取ったあとではないかと思われるからです。

 お父様は、常に「既に私は、いつでも死ぬ準備ができている」とおっしゃいます。そのようなお言葉を聞くたびに、私は、ただそのまま聞き流してしまうことができません。

 私たちの誇りがあるとすれば、私たちの喜びがあるとすれば、そして私たちの幸福があるとすれば、ただ一人のお方であるお父様なくしては、それらの意味はあり得ないというのです。

 日本にも数千の祝福家庭がいます。祝福家庭の願いとは何でしょうか。統一教会の願いとは何でしょうか。それは地上天国であり、神様と真の御父母様に共に侍って暮らしたいということではありませんか。私たちの時代にできなければ、私たちの子孫を通してでも、必ずその日をこの地球上に到来させることが私たち父母の責任ではないでしょうか。統一運動、統一の歴史は必ず真の御父母様と共にみ旨を完成させ、それを見た子孫たちが本当に誇らしく思うことができる家庭となり、私たち自身になることを、私たちは懇切に願っています。

 今、アメリカでは、三月一日を期して、すべての日本食□を動員させました。ニュースを通してよく知っていると思いますが、その中には祝福家庭として多くの子女をもった母親もいます。「ひとたびみ旨に従って子供をあとに置いて出発したこの体であれば、できないものがどこにあるでしょうか」という話を聞きました。私たちは、何であろうとなすことができるのです。

 何であろうとなすことができるならば、お父様が、国家や人々のいかなる拘束も受けず、心の願うとおりに、この地に送ってくださった天のみ旨に対する使命をこの時代にすべて果たすことができるようにしてさしあげなければなりません。そのためには、皆さんが続けて努力し、精誠を尽くしてくださることを心の奥深くで祈願します。



興進様の昇華

 一九八三年十二月二十二日、夜九時十分、アメリカ、ニューヨーク州ピーキプシー市近郊、八イド・パーク九番の州道上で、大型トレーラーが加速走行中に興進様の運転される車に衝突する交通事故を起こし、興進様が重傷を負い、ニューヨーク、聖フランシス病院三〇五号室で入院加療中の一九八四年一月二日午前一時十五分、昇華された。
 興進様が昇華される前の一九八三年十二月三十一日午前六時四十分、真の御父母様は、入院していらっしゃる病院二階の待機室で、誉進様、孝進様などの直系の御子女様方と各家庭代表および四ヵ国代表(韓、日、米、独)、第一、第二、第三イスラエルの代表であるユダヤ教、キリスト教、統一教会の代表を集められ、「統一式」を挙行なさった。


 一九八三年十二月を中心として、韓国に行って全国民を動員したのです。全国民を完全に一つに結ぶ運動をしました。世界とキリスト教を代表する七十二ヵ国の「(世界平和)教授アカデミー」の代表を集めて、一つに結ぶことをしたのです。そのようにして、完全に全国を席巻したのです。そのようにサタンと激しく闘ったのです。ですから、韓国の国家全体が、レバレンド・ムーンの運動に心が浮き立ったのです。そのようにしてサタンを支配しようというのです。

 その時、先生の家庭は混乱時代でした。先生の家庭が全世界を代表して家庭的攻撃を受ける時だったので、サタンは、先生を攻撃することができないので、興進を攻撃したのです。最後の光州における講演時間にその事件が起きました。国が父ならば、教会は息子と同じです。このような立場で、キリスト教が依然として反対をするので、そのような立場を蕩減するために興進が祭物となっていったのです。

 キリスト教が地上で反対することによって、霊界のイエス様を中心としたキリスト教が地上に協助する道がなくなったのです。霊界にいるキリスト教の霊たちが、イエス様を中心として地上に降りてきて協助しようとすれば、地上にいるキリスト教が反対する所では協助することができないのです。ですから、必ず祭物的な条件を捧げて、霊界と地上が連結されなければなりません。そのようにしてこそ、その祭物を捧げた団体やその主義を通して、地上世界で横的な代置運動として発展させていくのです。

 もし興進の犠牲がなければ、二つの不幸な大事件が発生していたかもしれません。北の傀儡が武力で韓国を侵犯していたかもしれず、先生が地上における生涯を終えていたかもしれないのです。しかし、先生は韓国で勝共決起大会(一九八三・一二・一四〜二三、全国八大都市勝共決起大会、十五万市民が参加)を通して勝利したので、彼らはそれ以上先生を侵犯することができませんでした。したがって、韓国で勝利を収めた同一の時刻に、昇進を犠牲の祭物として要求したのです。

 み旨的、歴史的に見れば、アベル的な存在が祭物として逝く確率が高いのです。すなわち、摂理史的にアダムを個人的な人類の先祖として見れば、イエス様はアベル的な存在でした。それでイエス様は、十字架の祭物としていくようになられたのです。同じように、真の御父母様の家庭においても、聖進をカインとするアベルの喜進が逝き、また譽進をカインとするアベルの惠進が逝き、また今回は、結局このように、孝進をカインとするアベルの興進が逝くようになったのです。

 興進が逝くことによって、二番目のものがすべて連結されるようになりました。喜進も連結され、劉協会長も連結され、イエス様も連結されて、天上世界と地上世界が連結される橋が架かるようになったのです。

 二番目の息子としてこの地に生まれてきて、お父様の保安問題に対してはこの上なく心配したのです。もしお父様の前に元凶が現れて銃を撃てば、自分がその銃弾を受けて死ななければならないと考えたのです。

 ところで、興進が、自分が生きようとして死んだのか、ほかの人のために死んだのかというのです。私が事故現場に行ってみて有り難く思ったのは、興進が死んだのは、池生蓮さんの二人の息子を助けるためだったのです。そうでなければ、車を右側に切る必要はなかったのです。そこに行ってみて、私が本当に有り難く思ったことです。

 そのB、ずっと現場調査をして車を見ると、今、その車は管理していますが、意識的にハンドルを右に切ったということが分かるのです。それは、珍福、珍吉自身が知っていることです。これを摂理史的に見るとき、先生の家庭を中心としてサタンがかぎで引っ掛けて奪っていこうとしたすべてのことを阻止したのです。

 このように見るとき、民主世界と共産世界を代表することができる犠牲の祭物として逝ったという理論的な根拠を、ここから知ることができるのです。その二人は、民主世界と共産世界を代表し、イエス様の右側の強盗と左側の強盗と同じ立場だったのですが、その彼らの身代わりとなったのです。イエス様の時代にはすべて死んでいきましたが、先生の時代には、興進一人が祭物になっていったので、二人は助かり、民主世界と共産世界の道が開かれるのです。


「愛勝日」の宣布

 一九八四年一月三日午前四時、アメリカ、ニューヨークのベルベディア修練所の一階応接室において、真の御父母様は、アメリカの韓国人教区長と主要食□が参席する中で、「愛勝日」を宣布された。「愛勝日」は、神様の勝利を記念する日であり、興進様がお父様の身代わりに祭物として逝こうとされ、またそれを実践された至高の愛の勝利を契機として制定された。

 興進は死ぬことは死んだのですが、地上世界と霊界において、死なずに愛の復活圏を成すだろうと、このように思っています。お前は死を通してそこに行ったが、お前の死を通して愛を復活させるのだというです。霊界をつかみ、地上をつかんで、愛の復活圏を宣布するでしょう。これによって、死亡圏と決別するのです。

 蕩減条件をすべて越え、この「愛勝日」という日を宣布するためには、息子が死んだということを思ってはいけないのです。死体を横において神様の愛のために闘いをなしたということを知らなければなりません。それはどういうことかというと、父も母も、死んだ息子を思うよりも、神様の愛を思わなければならないということです。死亡圏に勝利する愛を思わなければならないというのです。

 全体の責任を先生が負うのです。それで、先日(一九八三・一二・三一)、「統一式」という特別な式を挙行したのです。それで、お母様に、「あなたと私は、この時間、天が御覧になって誇ることのできる父母にならなければならず、霊界にいるすべての先祖が誇ることができ、霊界の天使世界と何千万の聖徒とすべての聖賢、賢哲が誇り、世界人類が『やはり死亡圏を支配することができる愛の権限をおもちになったお方だということは間違いない』と言って頭を下げることができる雰囲気をつくらなければならない」と言ったのです。そのようにしてすべての人類が、私に向かって、「やはりあなたは神様の愛の中心者だ」と証することができるようにしなければならないのです。息子を送りながらもその死と引き換えで、私は前進しながら愛の旗を掲げて新世界のために出動するという、このような起源の日が「愛勝日」だということを知らなければなりません。

 そのようにして、民族的、世界的な新しい愛の方向を立てていくことができる基準ができたので、「愛勝日」という言葉を使用するようになったのです。一月三日(午前)四時を中心として、三と四を合わせれば七数です。すべて合わせれば八数です。全体が新しい出発なのです。

 公的な人は厳格だということを知らなければなりません。それで私は、お母様に、「お母様は知らなければなりません! 木の頂の芽は、高い所にあって、風が吹けば最も危険な峠を越えなければなりませんが、そのようにしながらも、その芽は育たなければなりません。どれほど苦痛であっても、公的な芽の時代には、根を深く下ろすために、台風が吹いて揺れるそのような立場でも、芽は育たなければならないということを知らなければなりません」と言いました。

 それで、このような死亡圏を越えて、今から入っていく世界は、真の父母によって宣布された「愛勝日」の壁を中心として、それ以上は入ってくることができないという条件を立てることができる時になりました。先生を愛する限り、自分の生命よりも先生をもっと愛する限り、サタンはそこから先を侵犯することができないというのです。なぜでしょうか。興進が皆さんを身代わりして逝ったからです。その上で興進以上に真の御父母様を愛する自分となれば、そこにいたサタンはどうすることもできません。今まで、サタンが愛を支配してきましたが、今からは、神様が愛を支配するのです。

 「愛勝日」を設定してあげることによって、原理結果主管圏と直接主管圏内から、サタンの愛によってふさがっていたものを取り除いてしまったのです。取り除いてしまい、神様の愛をもつようになれば、地獄であろうとどこであろうと境界線がなくなるのです。一番底まで、思いのままに下りていくことができるのです。

 興進君が逝くことによって、この死亡の垣根を壊してしまうのです。それで、「昇華式」と言うのです。死は、落胆や失望ではありません。落ちるのではなく跳躍することです。昇華することなのです。ですから、統一教会の食口は、死に対する恐怖をもってはいけません。


真のお母様のみ言

 これまで、皆さんが、興進の事故の知らせを聞いてよく知っているであろうと信じ、誰よりも精誠のこもった祈祷の祭壇を積んでくれたことに対して、母として心から感謝いたします。

 昨年の年末の出来事でした。突然、科学者会議(科学の統一に関する国際会議)を終え、お父様は私に「私は韓国に行ってくるが、どのように思うか」とおっしゃった時、初めは「少し今年を越えてから行かれたらよいです」と申し上げました。その理由は、私としてはもちろん感じるもの、様々な予感があったのであり、今回の冬だけはお父様と子供たちがI緒にいてほしいという思いがより大きかったのです。それで、そのように申し上げたのです。お父様は説明をすべてされませんでしたが、お父様が行かなければならす、また行かざるを得ないみ旨をおいて、大きな摂理があるということを知った時、無言で従いました。

 韓国で勝共大会を宣布されて日程が決まった時、特別精誠を捧げて祈祷するすべての方々の話は、「お父様の身辺に気をつけなければならない」ということでした。一言で表現するならば、生命にかかわる深刻な問題でした。

 予定された日程どおりに無事に大会を終え、ソウルに上がってきた時、アメリカのミスター金(金孝律氏)から電話をもらいました。国民の積極的な呼応と勝利的な大会の結果をおいて、もちろん喜ぶ思いは大きかったのです。しかし、一方では、なぜか知らす重い影があるのをどうすることもできませんでした。

 勝共大会を成功裏に終え、十二月二十三日午後五時ごろ、ソウルに到着した時、二時間前にアメリカから電話があったということでした。「いつお母様は帰ってこられるのか、もう一度電話する」と言ったというのです。電話の内容が何だったのかと聞くと、「説明がなくてよく分かりませんが、『急ぎのことだ』と言っていました」と言うのです。ちょうどその次の日は恩進の誕生日であり、私が外に出掛けてこざるを得なかったので、少し出掛けてから戻ってきました。外出してから家に戻ってきて調べてみると、興進が交通事故で手術室に入ったということでした。

 何日か前に家に電話をかけた時、仁進と興進と電話で話をしました。興進に、「あなたは、冬休みの期間、何をするの?」と聞くと、興進が、「私は何をしたらよいでしょうか。お母様が願われるとおりにします」と言うのです。「それならば、どこかに行ったりするよりも、あなたが車を修理することにしたので、そのことをしなさい」と言いました。そのように言うと、「ベリータウンで、誰かが自分にオートバイをくれると言うので、それも修理しながら、冬休みの期間、家にいます」と答えたのです。「それならば、そのようにしなさい」と言ったのですが、その言葉が最後の言葉になりました。

 二十二日に冬休みが始まり、冬休みになると同時に、オートバイをチェックしてみたくて、友達二人を連れていき、その帰り道でそのような悲惨な事故に遭ったのですが、ちょうどその時間が、光州で最後の勝共大会を開催する時間に相当していました。皆さんは報告を聞いてよく知っていると思いますが、その光州大会こそ、本当に深刻な大会でした。

 韓国には、霊界と密接な関係をもっている食□もたくさんいますが、外で世の中と関係をもちながら霊界と通じている人々もたくさんいます。その人々は、みな一様にお父様を証し、言ってみれば、自分なりの精誠を尽くしています。その人々が、一言でお父様を証して言うのは、「真の御父母様が何もせずにいらっしゃったとしても、統一教会の食□ならば、何よりも真の御父母様の身辺に対して命を覚悟して守ってさしあげることが、統一教会と世界と人類と神様のための道になる」ということでした。

 教会内の霊界に通じる人々が言うには、今回、興進がこのようになったのは、お父様の命をねらっていた三十六人のテロ集団が集中的にお父様を殺そうとしていたのに、その機会を逃したので、サタンは代わりに興進に襲いかかったということでした。それは、私が考えてみるとき、世界のサタンが総結集して、言ってみれば、最後の攻撃をしたのだと思います。

 事故直後の昏睡状態にいる時、その興進の霊が韓国のある人のところに来て、「私はお父様の身代わりとして行きます」と言ったというのです。その時に、その食□が興進に向かって、「行ってはいけません。どうぞ行かないでください」と言うと、興進が、「いいえ、私は私の行く道を行かなければなりません。しかし、私は祝福を受けることができずに行くことが残念です」ということを言ったというのです。

 今、言うべきことはたくさんありますが、けさ、ここに来る前に、韓国の霊通する食□から電話を受けた話だけをします。けさ、神様が直接その人を通して現れたのですが、「あなたがアメリカに電話しなさい。今、真の御父母様の心情は、平然としているように見えるが、特にお母様の立場はそうすることはできないだろうから、あなたが伝える言葉がお母様にとって慰労となればよいだろう」とおっしゃったというのです。

 興進は、一言で言って男らしく立派に成長し、その反面注意深い面があって、父母の心情を読み取って、どのようなことをしてでも安らかにしてさしあげようとしたということを、一つ一つ例を挙げて説明してくださったそうです。

 第一に、興進は、父母に対して犠牲の道理をすべて果たしていったというのです。第二に、兄弟間に和睦の道理を立てたということです。また、弟として、兄に対する愛を果たしたというのです。それは、アベルの責任を果たしたということです。

 興進は、満十七歳、韓国の年齢で十八歳ですが、完全に成人になっていました。興進は、精神的にも肉体的にも完全に成長した男性です。神様が興進をそのように急成長させた理由があるというのです。彼がそのようになることによって使命が定められたのです。イエス様は真の父母の使命を果たすことができずにいきましたが、興進は、地上で真の父母を通じたイエス様の立場を完成する立場に立ったそうです。

 興進が、きよう出発すれば、韓国には五日に到着し、八日に昇華式があり、それから三日後の一月十日から四十日間にわたって、神様の特別な復活の役事があるだろうということです。言ってみれば、実体復活期間となるのです。

 事故の状況から見て、興進は事故が起きたその場で落命せざるを得なかったのですが、十日も引き延ばしたのは、お父様の祈祷と兄弟たちの懇切なる祈祷、皆さんの精誠、そして祝福を一身に受けていたからです。

 神様は、ある一人の人を通じて私にメッセージを伝えられました。神様も興進に対してかわいそうに思われ、神様の心も興進を再び生かしたいという思いだったのですが、「今後、お父様にまた一つの危険が迫ってくるかもしれないとすれば、私はどのようにしたらよいのか」と言われながら、「私が興進を連れていく以外になく、直接興進を訪ねてきたのだ」とおっしゃったということです。

 それで、その時、私は心を決め、心の中で興進に感謝の言葉を言いました。彼が生まれる時も三日目に死からよみがえったのですが、それも、アベルの立場でお父様の身代わりとなってそのような死の過程を経たという証拠がありました。ところで、最後にいく時も、父母に最大の孝道を尽くしていったのだなあということを思うとき、むしろ私の考えが足りなかったということを知るようになりました。(すすり泣かれる)

 興進が昇華することによって、霊界と肉界がより一層直接的に真の御父母様と一つになり、摂理を完成するために拍車をかけることができる天の祝福があるということを知ったのであり、それによってお父様と兄を再び取り戻すことができたというその慰めが、きのう、最後に送るその席において、心を落ち着けさせたと思っています。

 興進は決して死んだのではありません。皆さんと一つになって活動しますので、私は、皆さんが、興進の過去と今聞いたみ言を通して、より一層忠誠と孝道を天の前に尽くしてくれることを願う心で、少しお話をさせていただきました。



真の御子女様との心情一体

 興進とイエス様が一つになるのです。それはカイン・アベルと同じです。先生の息子、娘の家庭と皆さんの家庭が完全に一つにならなければなりません。イエス様と興進の家庭が一つになるのと同じように、皆さんの家庭と統一教会の先生の息子、娘の家庭が完全に一つにならなければなりません。

 レバレンド・ムーンの息子、娘は、なぜ苦労するのかというのです。学校に行けば、「レバレンド・ムーンはあうだこうだ」と後ろ指を指され、ひそひそ話をされて帰ってくるのです。それを知らなければなりません。皆さんがいくら統一教会のレバレンド・ムーンに反対するその痛みを受けたとしても、皆さんが受ける痛みは何でもありません。統一教会の先生が反対される時に受ける痛みと、父親が反対される時に受ける痛みとでは、比較することができないのです。

 学校に行って、周りにいる外国の子供や反対する子供たちから父親に対するそのような話を聞き、隠れて涙を流す場面がいくらでもあったという事実を知らなければなりません。先生の悪口を言われてそのような痛みを感じながら涙を流す時が、皆さんにどれくらいあったのかというのです。反省しなければなりません。そのような意味では、息子、娘たちが心情的基準において高い位置にいるという事実を知って、貴く思うことができなければなりません。

 そのような苦難の中で、「私はレバレンド・ムーンの息子として生まれなければよかった。私は統一教会の家庭にならなければよかった」と身もだえしている中で失敗したとしても、その失敗は、一つの同情できる内容だと思うのです。孝進のような人がそのような三角地帯で身もだえしたとしても、皆さんは、十字架を背負って受難と苦痛を受けたその事実に同情して、涙を流しながら祈祷し、代わりに祭物となったとしても感謝する心をもつことができなければなりません。

 お母様と孝進君について話せば、孝進君がレバレンド・ムーンの息子だといって、一時は学校で反対され、その背後に蔑視する環境がたくさんありました。それを私は知っているのです。それを収拾することができなかった時、そのたびに私は、「私たちが責任を果たせないので子供の代で迫害を受けるのだ」とお母様に言いました。受けなければならないというのです。お母様が、痛哭し得る場面で感謝して受けなければならず、お父様が、涙を流さなければならない立場で感謝して消化をしなければならないのです。もし子供たちが行動を誤れば、そしてその責任を負って転換するようになれば、何倍の効果として返してくれるのです。それゆえに、私が話したことを信じれば、損にならないという話です。ですから、今後、孝進君が孝道を尽くせば、誰よりも孝道を尽くすだろうと思われるのです。統一教会の誰よりも忠誠を尽くすでしょう。お父様がどのようなお方か、すべて分かるのです。

 そのような意味で、孝進君を誰よりも愛したお母様です! もちろん先生も愛しました。しかし先生は、愛しているということは言いません。すべてのみ旨の過程において、お母様が孝進君のために本当に多くの苦労をしました。多くの涙を流したのです。そのたびに、「私の言うことが正しいか正しくないか見ていなさい」と言いました。統一教会の行くこのみ旨の道が間違いない限り、孝進君は、私がこのような困難から抜け出る時に、必ず我知らずその位置に入っていくようになるのです。これが原理観だというのです。


三 ダンベリーの受難と真のお母様

脱税容疑裁判のアメリカ連邦最高裁判所上告棄却

 アメリカ連邦高等裁判所が真のお父様の脱税容疑裁判に対する控訴審で原審どお0の確定判決を下したことに対し、これを不公正な裁判によるものという理由で、弁護入団は、T八八四年一月二十六日、アメリカ連邦最高裁判所に上訴した。四月九日、最高裁判所に検察側の意見書が提出され、四月十六日には弁護人側の意見書が提出された。
 しかし、一九八四年五月十二日、アメリカ連邦最高裁判所裁判部は、上告を何の論評もなく棄却した。同裁判所は、相当数の宗教団体が今回の事件をいわゆる宗教の自由と関連づけ、判事たちに慎重に扱ってくれるよう促したにもかかわらず、その勧告を無視したまま、結局、原審確定(懲役十八ヵ月、罰金二万五千ドル)の判決を下した。


 何万ドルの税金を出さないようにするために、陰謀して脱税をするでしょうか。今後アメリカは、この歴史的な恥をどこに行って隠すのですか。大変なことになりました。顔も上げることができないようになったのです。すべて記録が残っているのです。それをどのようにしますか。今後、皆さんは外国にも行くはずですが、統一教会の教会員になったアメリカの人々にとっても恥ずかしいことです。この恥をどのようにしますか。どのようにして、この国の子孫たちにこの恥を免れさせるのかというのです。

 私の目は、法廷を見つめているのではありません。天上世界、神様の玉座に行く道と焦点を合わせるのに忙しいということを知らなければなりません。「一審の時はどうだった」と言って、むしろ私が弁護士を慰めてあげたのです。何がどうだこうだと言いますが、先生は、それをすべて超越した人です。弁護士は何か家族に不幸があったかのように言いますが、偉大なことを行う人は、監獄に入っていっても、そこを隣の家のように思わなければなりません。そのように思うのです。私は既に監獄生活をパスした人です。全く問題にならないというのです。

 ただ問題は、正道の焦点を私の生涯とどのように合わせていくかであり、国と世界の前に、民族の前に、統一教会の信徒たちの前に、若い人々の前に、その正しい焦点を踏んでいくことができるようにするには、どうすべきかが問題でしょう。それが問題であって、ほかのことは問題にならないというのです。既に勝利していくのです。私が死ねば、その墓に花が咲き、白人たちが来て大声で激しく泣くであろうと思うのです。歴史的な悔い改めをしなければならないと思うのです。

 皆さんが知っているように、その時は、ソ連共産主義のKGBを中心として、すべての怨讐が先生の生命をねらう時です。私の子供たちを拉致する計画があるという報告を私が受けているという事実を知らなければなりません。しかし、このような決定が出ることによって、すべての計画を中断しなければならなかったのです。

 外的な面から見れば、世界的に統合運動を開始し、悪魔たちの攻勢を防御することができる良いチャンスだと思うのです。怨讐たちは、「レバレンド・ムーンはお金もたくさんあるので、ただレバレンド・ムーンを始末するよりも、その息子、娘を拉致し、お金を受け取ってから始末するほうがよい」と考えるのです。自分たちが利益を取って、その上でいくらでもレバレンド・ムーンを始末することができると考えているのです。そのような計画を、一年半という闘争期間において行動を開始すれば、愚かな人になるのです。また、内的に統一教会を見れば、団結することができる良い機会になるのです。


「愛天日」の宣布

 アメリカ連邦最高裁判所による脱税容疑裁判の原審確定最終判決から四日後の一九八四年五月十六日、午前零時四十五分、アメリカ、イースト・ガーデンにおいて、真のお父様は、「愛天日」を制定され、五月二十日、ベルベディア修練所において聖日の説教をされながら、公式宣布をされた。「愛天日」は、真のお父様を十字架につけようとするアメリカを許し、真の愛で監獄まで消化されるという宣言とともに決定された。

 イエス様は、死んでから三日間、どこに行ったのでしょうか。三日間、地獄に行ったのです。サタンの地獄世界に入っていって、愛の復活の日、主管権を立てる責任を果たさなければなりません。主管権を復帰しなければならないのです。ですから、地上の父母の権限を中心として、神様の愛を中心とした統治時代に越えていくという宣言をしなければならなかったのです。ここに宣布式をしなければなりません。皆さんは知りませんでしたが、天は、一九八四年五月十六日午前零時四十五分に、既に宣布式を行ったという事実を知らなければなりません。

 さあ、それで、ここで先生が質問をします。立てておいたこの日が、今後再び侵犯を受けることなく、サタンが讒訴できる条件をなくすために、ここで私が質問するので、それに答弁してください。

 初めにお母様に尋ねてみましょう。お母様は、み旨の前において完全にお父様と一つになり、生死を越えてでも行くことができる自信をもっているでしょう? (はい)。そうだと答えました。お母様が約束したので、今から、もしお母様が間違って失敗することがあったとしても、サタンが讒訴条件を立てることはできません。そのサタンの侵犯を防いでおかなければならないのです。

 それから、孝進とお姉さん、幼い弟、妹たち、きのう話したとおりです。もし孝進、あなた自身が間違ったとしても、父と母、真の御父母様と完全に一つにならなければなりません。今から、もしあなたが失敗してサタンの讒訴条件に引っ掛かることがあったとしても、いくらサタンが侵犯してあらゆる悪いことをしたとしても、真の御父母様とみ旨の前には何の支障をもたらさないということを約束しますか。(はい)。

 愛を通して、統一教会がそのことをするのです。それで、三十六家庭」を中心としたすべての祝福家庭は、完全に真の御父母様と一つになり、子女たちと一つになり、みな共に一つにならなければなりません。今までは、皆さんが間違えば父母が責任を負ってきましたが、今からは、父母が責任を負わないというのです。

 興進は、霊界を中心として霊界地獄の撤廃運動をしたのであり、先生は、肉界地獄の撤廃運動をしました。私が監獄に行ったとしても、監獄を監獄と思いません〇監獄に行ったとしても、そこを監獄と思うのではなく、それ自体も天国の延長として見るのです。なぜでしょうか。地上地獄を撤廃したからです。地獄、監獄まで撤廃してしまったというのです。地獄、監獄までも天国圏に追い込んだのです。

 そのような条件のもとで、真の御父母様の愛を中心として杭を打ち込まなければなりません。その杭が打ち込まれた日、サタンと神様の前に間違いなく杭を打ち込んだ日が何の日ですか。それが「愛天日」です。今から、神様の愛を中心として越えていくことができる時代に移っていくというのです。

 このろうそくの火は、イースト・ガーデンに行ってつけてきたものです。十六日に宣布したので、その席でこのろうそくの火をつけてきたのです。ですから、この準備したろうそくにすべて火をつけますが、これは、家庭をもった人がもつことができるのです。これは何かというと、真の御父母様を中心として、天と一つになることによって愛の主管権が生じるということです。その主管権のための一つの象徴的なろうそくなので、結婚した家庭がもつのです。

 それで、真の御父母様がこの「愛天日」を定めたその基盤を中心として、これを全世界的に、すべての祝福家庭が連結するのです。これは愛天のろうそくです。これには天の主管という意味があります。

 それで、きょう、ここで名前を「一情祈祷会」と定めましょう。一つの情、一つの統一された情、心情的紐帯を結ぶ祈祷会だという名前で「一情会」です。ここから、今回の事件は全世界を結ぶのです。


ダンベリー出発前の祈祷

 コネチカット州ダンベリー連邦刑務所に出発される前の一九八四年七月二十日午後六時四十四分、真のお父様は、イースト・ガーデンにおいて、真のお母様と真の御子女様方と共に祈祷されたのち、一人一人から敬拝を受けられ、激励のみ言を語ってくださった。

 愛するお父様! きょう一九八四年七月二十日午後六時四十四分、この時間を期して、今、イースト・ガーデンを出発する時に、子女たちと共に全体を身代わりして、一つの式典をお父様の前に奉献しようと思いますので、お父様、受けてください。

 行く道が険しくともあなたが生きていらっしゃることを知って、あなたが導かれる道に従って有終の美を備えなければならない最後の峠に向かって前進する道において、耐えて、悲しみを抑えながら行かなければならない立場を受け入れてくださるよう、懇切にお願い申し上げます。

 今、お母様を中心として、幼い子供たち、十二人の息子、娘をここに集め、また孫たちをここに集めて、お父様の前にお願いいたします。今、お母様を中心として、特に孝進と譽進が一つになってお父様の苦労の道を身代わりする立場で十字架を背負い、お父様がすべての重荷を下ろして出てくる時まで、受難の責任と重要な責任、お父様の仕事を代役するにおいて彼らを立てますので、お父様、協助してください。

 私がこの地域を離れたとしても、私の家族を中心として祝福家庭が完全に一つになり、祝福家庭の子女たちが完全に一つにならなければなりません。さらには、興進君が、悲しみながら残したこの家庭を保護することを知っておりますし、イエス様と霊界全体が、この恨を解くための総攻撃的進軍をして、ここに全面的に協助することを知っております。

 私は、心の重荷を負ったのでもなく、心の苦痛を感じているのでもありません。その場に行ってもお父様に侍り、堂々と、私に任せられた行為を果たすにおいて恥ずかしくないように責任を全うしなければならないことを知っておりますので、お父様は御心配することなく、さらに家庭を守ってくださり、教会を守ってくださり、外部のキリスト教を守ってくださり、このアメリカと自由世界を守ってくださり、あの共産世界まで救いの道を開くことができるようにしてください。

 そこはあなたが残された領土なので、私がそこを管理し、そこを調べ、そこを視察するために行く立場で行こうと思いますので、祝福してくださるよう懇切にお願い申し上げます。そこを管理する所長から職員全体が一致協力するようにしてくださり、新しい霊的雰囲気がそこに現れるようにしてください。

 静かな夜明けの冷たい風がよぎるそこに、神様の恩賜を下してくださり、朝日の光に輝く露のように、お父様の誇りの栄光が芽生えるように祝福してくださることを願いながら、再びこの場で出会う時まで祈祷することができるようにお願いいたします。その祈祷を、私がこの人々と共に祈祷しているのと同じように受けてくださり、毎週の敬拝の時間を祝福で施してくださり、心配してくださるよう再度お願い申し上げます。

 より願うことは、ここで真の御父母様と息子、娘が一つになり、祝福家庭が一つになり、統一教会が一つになり、既成教会が一つになり、自由世界が一つになって、あなたの本然のみ旨を成すことができる真の御父母様の立場を求め、栄光で侍ることができるその日を心の奥深くに大切にしまっておきながら、力強い歩みを踏み出しますので、お父様、記憶してください。

 万万世の恩賜と愛が共にあることを信じながら、すべてのみ言を真の御父母様のみ名によって祝願いたしました。アーメン。


ダンベリーの受難期間の真のお母様と真の御子女様方

 今回、先生が有り難く思っているのはお母様です。ダンベリーを中心として、お母様は、心情的に何度も深い次元の谷間を経験しただろうと思います。幼い時に出会い、その時から平衡線に上がってくる人生でした。そのように生きてきたので、基準が少しずつ上がってきているのです。それ以前は、心情の深い谷間を体験することができなかったのです。先生がダンベリーに行って離れてみると、先生の貴い価値が分かるようになったのです。女性の夫に対する寂しい事情がどうだということが分かったのです。

 先生がダンベリーに行っている時は、お母様にとってどれほど幸福な時間だったか分かりません。手を取り合って歩いた時を慕わしく思いながら、面会時間になれば間違いなくそこに来たのです。その時間にお母様が来れば、お父様がどのようなことで刑務所に入っているかということは考えもしません。その方は夫だというのです。それが真の愛です。夫が監獄に入っているのですが、妻が正々堂々と訪問するのです。罪なく入ってきたので、どれほど正々堂々としていますか。恥ずかしいことではありません。それは、歴史をおいて誇ることができるのです。

 先生が行く道は、受難の道があったとしても行かなければなりません。それゆえに、家族をみなアメリカに引っ張ってきて、子供たちは韓国語も分からない子供になったのです。見てください。あの物心がついていない子供たちをアメリカに連れてきたのですが、父だということでついてきてみれば、アメリカ政府に追われてダンベリーの監獄生活をする、世の中から見れば体面が立ったでしょうか。ですから、お母様が私のために苦労したのです。

 監獄を信じることができますか。今、全世界の共産党がねらっている局面だというのに。それは、真っ裸になって原野に横たわっているのと同じ立場です。お母様は、涙を流しながら、そのダンベリーに毎日のように通いました。お母様がみ旨を知らなければ、夫であろうと何であろうと投げ出していくらでも逃げだすことができるのです。イースト・ガーデンで暮らしながら、涙を流さなかったと思いますか。聖日の朝五時に敬拝式をして祈祷する時には、涙を流したのです。子供たちも涙を流し、みなそのようにしたのです。何ゆえにそのような涙を流すのかというのです。

 先生はお金もあります。権威もあり、知識もあります。人々を指導することもできます。ところが、なぜ私がアメリカに来たのかというのです。なぜレバレンド・ムーンが闘いを好む人になったのかというのです。なぜでしょうか。それは、ただ神様のみ旨だからです。私は、神様のみ旨を注視する眼鏡をもっているのです。

 今、アメリカの状況はどのようになっていますか。神様はそれを喜ばれません。神様だけが、その困難を克服することができます。誰もそれを信じませんが、私はよく分かっています。レバレンド・ムーンだけが分かっているというのです。なぜそのように多くの迫害を受けながら、ここに立っているのでしょうか。皆さんは、これを必ず記憶しなければなりません。

 それで、先生がダンベリーでしたこととは何でしょうか。父母が道をすべてふさいでしまったので、(一九八五年)二月一日、午前三時、先生とお母様が、ダンベリーとイースト・ガーデン、地獄から霊界まで直通するハイウェイを築く式(「開天門の日」宣布)を行ったのです。それによって、地獄にいる人々がその道を通って上がってくることができるようになりました。道が開かれたので、自分たちの先祖が地獄に下りていって蕩減してあげるようになるのです。教育をして、一段階一段階、引き上げていくのです。

 極と極の立場を連結させます。極とはどのような極でしょうか。平衡の極ではありません。垂直的な極です。これを連結させることのできる立場においてのみ、初めて一つの解決点が生じるのです。霊界と肉界を連結させるのです。二月一日午前三時を中心として、ダンベリーとイースト・ガーデンを中心として、そのような基準を立てたのです。


ダンベリーでの最初の面会後の真のお母様のみ言

 真のお父様がダンベリー刑務所に入所された翌日の一九八四年七月二十一日、真のお父様に面会して帰ってこられた真のお母様は、ニューヨークのイースト・ガーデンに集まった食□たちに、「お父様の代身者になろう」という題目のみ言を語ってくださった。

 きのう出発される直前、お父様は、御自分が住まわれていた部屋の中を見回されながら、過ぎし日を回想するかのようにされ、手あかのついた一つ一つのものを真心を込めてなでてから出てこられました。お父様は、淡々とした姿勢を見せられましたが、妻である私は、平然としようと努力しても、そのようにすることができませんでした。私がお父様を慰めてさしあげなければならなかったのですが、むしろ私がお父様から慰められました。そのようにお父様を送り出さなければならなかった私自身の無力さが、この上なくもどかしく感じられました。

 きょうは、いち早く、子供たちと一緒にお父様に面会するために行きました。お父様に会ってから二時間ぐらいすると、そこの看守長という責任者が来て、「十二時が過ぎたら席を外してもらえるか」と言ってきました。ちょうどその時、何はともあれお父様に昼食を召し上がっていただかなければならないと思って、サンドイッチを召し上がっていただいてもよいかを聞くと、「そのようにしなさい」ということでした。それで、孝進にサンドイッチを買ってこさせてお父様に差し上げました。

 そのようにしていると、きょう一日は、お父様のなさる仕事が何もないではありませんか。それで、あまり早く出てくるのもいけないと思って、三人の子供は先に帰しました。そして、機関にいる人々がお父様と交わす話があるということで、少し席を外してあげなければなりませんでした。孝進を通して、隅のほうで待っていてもよいかと伺ったところ、「そのようにしなさい」ということでした。

 私は、お父様のそばを離れたくなくて、何度もドリンクを買って飲んだり、電話をかけるために小銭を替えたりしながら時間を引き延ばしました。そのようにして、わざと時間を長く遅らせました。

 お父様は、サンドイッチを召し上がりながらも、「神山氏が一人で長く待っているはすだが、私だけこれを食べるので、のどを通らない」と、神山氏のことを思われるのです。それで私が、「神山氏は、あした面会がありますから、心配なさらすに召し上がってください」と言いました。

 そのようにしているうちに、ケース・マネージャーが来たということで、その人に会いました。そこに入ってくる人は、誰もが仕事をしなければならないようです。お父様も仕事をしなければならないのですが、工場のような所に行かれるようになれば、このように面会に来て奪われる時間を補充勤務しなければならないということです。

 そこでは八時間労働をするようになっているのですが、短い時間の間に受け持った仕事をさっさと片づけてしまう仕事場を受け持ったらどうかと尋ねてきたのです。受け持った仕事を早めに終えて、自由時間を継続してもつほうが良いではないかと、様々な面から便宜を図ろうと努力してくれました。親切で有り難い人だと思いました。

 彼らも、お父様が来られる前にもいろいろと考えていたようです。普通の方とは違うので、正しくお迎えしなければならないと考えている姿を見ました。しかし、彼らの中にもお父様に対する偏見をもった人がいるかもしれないので心配になります。

 私たちに、「何日か過ぎてから来なさい」と言いました。お父様のために、一人の息子が霊界から積極的に保護してさしあげていると思うと、少し心が楽になりました。また、今、お父様はイースト・ガーデンにいらっしゃいませんが、孝進がお父様の代わりに責任をもつ立場で私たちによく侍り、「自らの本分を果たします」と繰り返し申し上げながら、お父様に、「心を楽にしてくださり、安心していらっしゃってください」と慰労してさしあげる時は、この上ない喜びを感じました。

 私自身、一つ希望に思えることは、それが法的にどのようになっているのかは分かりませんが、仮釈放というものが三ヵ月後に可能なようです。仮釈放が可能かどうかに対する最初の対話がすぐにあるということです。そこの機関員がそのような話をしてくれながら、「レバレンド・ムーンに対する仮釈放問題は相当に重要で、関心ある問題になるだろう」と言っていました。その時のそのような様々な態度を見て、お父様にとても協力的な人だという良い印象を受けました。

 そこに入っていけば、一週間はオリエンテーションを受けるということです。ところで、ほかの人々、入所してから何力月かたった人々を見ると、囚人番号がありませんでした。ズボンの後ろ側に番号があるのですが、何度も洗っているうちに消えて見えなくなっていたのです。お父様は、入所してから一日しかたっていらっしゃらす、まだ番号を受けていらっしゃらないようでした。お父様が囚人番号をつけて歩くことを思うと、この上なく耐え難い思いになりました。いったい、お父様が何の罪を犯したということで、刑務所に入っていかなければならす、凶悪犯などがつけて歩く囚人番号を受けなければならないのでしょうか。

 何よりも心配になることは、お父様がそこで生活する間に起こるかもしれない不慮の事故、すなわち身辺問題でした。私が心配すれば、常にお父様は「心配するな」とおっしゃいます。超然とした態度で、むしろ私を安心させてくださいました。

 お父様がお休みなって生活される部屋は、四十、五十人ぐらいが寝起きすることのできる所だということです。現在は、四十数人が一緒に生活しているということです。お父様は、神山氏と共に二段ベッドを使用なさるそうです。それは、そこの責任者の配慮があったからだそうです。

 お父様の横のベッドで生活する人が、朝来てあいさつをしながら「握手しましょう」と言って、お互いにあいさつを交わされたそうです。ちょうどその人も、夫人が面会に来て面会室に現れたのですが、ミスター金がお父様と話をしている間、その人と少し話を交わすことができました。その人は私に、「きょうの朝、レバレンド・ムーンとあいさつをしました。今から毎日一緒に運動をするだろうし、レバレンド・ムーンのおなかの肉も取ってさしあげる考えです。また、英語も教えてあげます」と言ったのですが、この上なく有り難く思いました。

 今でこそ皆さんに言いますが、お父様がダンベリーに出発される時は、本当に大きな挫折と痛みを味わいました。生き別れするかと思うと、目の前が真っ暗になって全身の力がすべて抜けていってしまいました。それで、お父様に向かって「私は、本当にこのようになるとは夢にも思いませんでした。まさかお父様がダンベリーにまで行かれるとは思いもしなかったのですが、このように現実として訪れてくるのを見ると、今、私自身もどうすることもできません」という内容の言葉を申し上げざるを得ませんでした。しかし、きょう一日中お父様が子供たちと対話されながら、また、「私は現実の中でも絶対に損をしないので、心配するな」と重ねてお願いされるのを聞き、心を少し楽にすることができました。

 お父様は、私に、「今から成されることを見て、今後、いくらでも感謝の祈祷を捧げなければならないだろう」とおっしゃいました。お父様のみ言の中には、苦難を勝利に変えてしまおうとされる意志が確固としてあり、「むしろアメリカと世界が救援を受けることができる道が開かれるだろう」とおっしゃいました。

 現在、皆さんに内的な決意をすべて話すことはできませんが、これまで外的な面において私が目立って活動したのでもないので、皆さんが一致協力して助けてくださらなければなりません。突然お父様の仕事を引き受けるようになり、心の準備もしなければならないので、少し時間をもちたいと思います。そして、この期間は、子女たちをお父様の立派な子女として教育して立てたいと思っています。特にお父様の願いがあったのですが、「孝進を教育する時間にしなさい」ということでした。

 また、内的な面で直接判断し、教会のことや、今までお父様が心血を注いで推進してこられた人類救援の事業に対して、すべての報告を聞いて対策を立てていこうと思っています。いつもお父様がいらっしゃる時と同じように、朝、全員来てください。毎朝会って話し合う中で一日を出発し、成されることに対して成果を検討していこうと思います。

 皆さんが、受け持った分野において責任を全うして大きな実績を積めば、お父様は、ダンベリーにいらっしゃる間に多くの慰労を受けられるでしょう。また、それが、子女の道理を全うすることだと思います。すべての人がお父様の代身者となって、お父様がお喜びになることができる孝子、孝女となってくれればと思います。



ニューヨーク地区の中心食口集会

 一九八四年七月二十二日、ニューヨークのイースト・ガーデンにおいて、真のお母様は、ニューヨーク地区の中心食□が集った聖日の夕拝を通して、ダンベリー刑務所に面会に行ってこられた内容を中心として、「誇って、見せてさしあげる実績をもとう」という題目のみ言を語ってくださった。


真のお母様のみ言

 私が思うとき、これまで皆さんは、とても多くの愛のみ言を受けてきました。その価値と比重は計ることができません。皆さん自身をおいて考えてみてください。真実の命令一つだけおいてみても、皆さんは責任を全うしたとお思いになりますか。今までしてきたとおり、会議も良く、み言を聞くのも良く、再度決意することも良いのですが、今はもう、皆さんが何かお父様の前に見せてさしあげる実績をもたなければならないと思います。

 一九八四年七月二十日は、本当に、永遠の歴史の中から取り去ってしまいたい日でもありました。お父様は、ダンベリーに出発される瞬間から皆さんを激励され、皆さんに希望を吹き込んでいかれました。

 二十日の晩十時にイースト・ガーデンを出発して、キャンプ・オフィス(ダンベリー刑務所)までお連れしてさしあげました。何度も唇をかみしめながら、心を強くもたなければならないと誓いましたが、我知らす流れてくる涙を抑えることができませんでした。

 車から降りられる前までも、御自分の前に迫ってくることに対しては少しも心配なさらす、むしろ私を慰めるためにすべての神経を遣っていらっしゃるのを見るとき、私はどうしてよいか分かりませんでした。

 お父様が入っていかれると、警備員たちが、「あの方はわなにかけられました(He is in the trap)。あの方がわなにかけれたことははっきりとしています」と言っていました。

 お父様は、出発される前に、「私は監獄まで解放するために行くのだ」とおっしゃいながら、「私のために泣くのではなく、み旨成就のために祈祷しなさい」というみ言を何度も語られました。なぜかその言葉を聞く時、自分でもどうすることもできない抑えられない悲しみが込み上げてきました。なぜ私がこの話をするのかというと、皆さん全員に、「本当に責任をもって仕事してください」というお願いをしたいからです。真の父母と同時代に共に呼吸しながら、共に働いた皆さんは、歴史の記録となるでしょう。しかし、このようになった事実をおいてみるとき、皆さんは、皆さんの子孫に何か言う面目があるでしょうか。

 最低の立場から出発した統一教会の歴史は、国家的基準を越えて、世界的基盤と言うことができるアメリカで十四年間役事してきました。

 けさ早く、お父様が私に電話をかけてこられて皆さんにお願いされたことは、ほかでもなく、「神様の召命を受けた者として、キリスト教にのろしの火をつけなさい」というみ言でした。

 お父様に対する自由の保障は、皆さんの意志にかかっているのです。今は、神様が私たちに下さった最後の機会だと思います。今まで成してきたことと、また、今指示しているすべての内容を、精誠と積極的な活動で必ず成就させてください。皆さんの精誠に神様が感動され、サタンが降参し、歴史は新時代を迎えるでしょう。お父様のみ言は、「今後四十日以内で、神様が役事なさることのできる祝福の期間をつくりなさい」ということでした。

 お父様がお願いされたことの中の一つは、今、アメリカでは多くの日本の食□が来て活動しています。韓国の幹部はもちろんですが、特にアメリカの食□たちは、日本の食□と一つになりなさいということでした。お父様は、避けることができない牢獄の身となられ、苦痛を受けていらっしゃいますが、日本の食□たちは、この時代において、世界的な経済的十字架を背負っています。そのような点から見るとき、この機会は、アメリカの食□の皆さんが日本の食□と一つになることのできる機会なのです。「この機会を皆さんが逃せば、歴史をおいてどのように言い訳することができるのか」とおっしゃっていました。

 それでは、最初の日に面会した内容を報告いたします。譽進、孝進以下、上から六人の子供たちを連れて、朝八時に面会に行きました。

 お父様が出てこられる前に面会者名簿に署名し、心の中で、お父様を待つ私の姿がどうなのかと、焦る思いで隅に場所を取って座っていたのですが、出てこられて最初に御覧になった人がデイビッドでした。お父様は、デイビッドに握手をされてから私と子供たちが座っている所に来られました。その心や表情を見ることはできませんでしたが、お父様はとても自然でした。

 皆さんは、お父様がどのような姿で出てこられたのかが最も気になるでしょう。一言で簡単に表現すれば、濃いベージュ色系統、力ーキ色というよりもベージュ色が強い予備軍のような服装をしていらっしゃいました。履物も、もちろんそこで出してくれる履物を履かれ、それは、コットンとポリエステルを混ぜた布で作ったようなスリッパに似た青緑色の履物でした。

 朝八時三十分から面会が始まったのですが、その日だけは、朝の食事が十時三十分に始まるということでした。それで、食事を召し上がることができなかったのですが、食堂はカフェテリアだということです。それで、「何か少し召し上がらなければならないでしょう」と言うと、「あー、私は食べてきた」とおっしゃるのです。それで、「まだ朝食が始まっていないのに、何を召し上がったのですが」と聞くと、クッキ−とティーなどを召し上がってこられたということでした。それで、「それでは、どのようにして召し上がったのですか」と聞くと、その横にいる方々が、それぞれ来て、「これも召し上がってみてください」「あれも召し上がってみてください」と言って何でも持ってきてくれるので、食事をなさったというのです。そのように与えたいと思い、助けてさしあげたいと思う、そのような雰囲気だとおっしゃいました。

 一晩を過ごされたのですが、その中に一緒にいる人々がレバレンド・ムーンにとても積極的で協助的だという報告がなされたようです。一つの部屋に四十、五十人がいるので、全員がみな良いと言うことはできないでしょう。ですから、私たちが多くの精誠を尽くして、霊的にでも最善を尽くさなければならないという気がします。

 ところで、本来そこは、女性の囚人たちのために造られていた所ですが、女性の囚人が少ないので男性の収容所にされたということです。それで、お父様が出てこられておっしゃったことは、「男性のためのトイレが一つもなく、すべて女性のためのトイレだった」ということです。

 けさ、お父様は電話で、「私は食堂で仕事をするようになった」とおっしゃっていました。

 私が知るには、入っていかれた日、ベリータウンから何人かの食□がアメリカの国旗をもってきて、お父様の乗られた車が過ぎる直前に、そこに横になって絶対に入っていくことができないようにしようとしたということです。それで、ようやくやめさせて帰したということです。そのようにしてでも入っていかないのであれば、私たち全員でそのようにするかもしれませんが、そのようにすることができないところでは、そんなことをしても何の助けにもならないと思います。

 お父様の天的な使命と全体的になしてこられた業績など、様々なことを見るとき、その場所に長くいらっしゃるようにすることはできません。一日が急がれます。皆さんの精誠が天に届き、神様が生きてレバレンド・ムーンに直接役事なさることを、満天下に見せてあげる役事が継続して起こり、未来の歴史に大きく記録されるように、受け持った仕事を、最善を尽くしてT生懸命にしてくださることを願います。



指導者会議

 一九八四年七月三十一日、アメリカのニューヨーク、ベルベディア修練所において開催された指導者会議の席上で、真のお母様は、「内外が一つになって責任を完遂しよう」という主題のみ言を語ってくださった。


真のお母様のみ言

 今まで、皆さんは一生懸命に活動してこられたことと思います。お父様は、「次に備えた目標と計画に対する指導者会議を、きよう緊急にもちなさい」と指示されました。

 私の生涯の目的はただ一つだけです。すなわち、私は、いかにしてきのうよりもきょうをより感謝する心で生きていくかということです。日ごとに感謝する心をもつことが、私の人生の目標でした。

 私は、神様に向かう信仰生活をするにおいて、より真なる道とはどのようなものかということを常に考えてきました。私たちが、神様のみ旨をはっきりと、そして確実に知ることができる方法を知っていれば良いのですが、時々、それが分からなくなって挫折したりします。それは、人間だからではないかと思います。したがって、神様に対する絶対信仰をもつにおいて最も良い方法は、神様とお父様のみ旨に従順に従うことだと思います。

 お父様がダンベリーに出発される直前におっしゃったことは、「不平を言ってはいけない。立てられた位置で感謝し、感謝することによって完全に一つになれば、大きな奇跡が起きる」ということでした。

 お父様の歴史を、皆さんはよく知っていらっしゃいます。お父様は、侍られるために来られました。もし世の中の人々がいち早くお父様を受け入れていれば、お父様の路程は、今日とは異なって展開していたでしょう。しかし、お父様は、世の中の人々から反対されながら、寂しい苦難の路程を歩んでこられました。

 しかし、はっきりとしていることは、いかなる反対と迫害があろうとも、お父様は神様のみ旨を成してこられたということです。お父様は、常に天のお父様のみ旨のために全体を投資してこられ、ほんの少しも退かなかったというのです。

 皆さんは、先輩たちの証を聞いて、お父様が過去において歩んでこられた路程をすべて知っています。言ってみれば、誰にも負債を負わす、逆にほかの人々に負債を負わせながら生きてこられたのです。そのようにして、常にほかの人々のために生きてこられたのです。

 お父様がダンベリーに行かれるとき、私はお父様が心の中で悲壮な決意をなさっているのを感じました。もし、人間たちが自らの責任分担を正しく履行していれば、お父様は、このように難しく、大変な道を歩んではこられなかったでしょう。反対と苦難の道の代わりに、勝利者としての栄光の道があったでしょう。しかし、お父様は、到底言葉で言い尽くせない苦難の道を歩んでこられました。いったんその道が運命の道だと思われながら、常に御自分のことは忘れて神様を慰労し、その状況の中で最善の道を通して、神様に喜びを捧げながら生きてこられました。

 お父様がダンベリーに収監されていらっしゃる間、私は、何度かお会いするために行きました。先日の指導者会議の時に皆さんもお聞きになったように、お父様は、「この四十日の間に、私は奇跡を起こさなければならない」とおっしゃいました。お父様は、面会に行く私と子供たちを慰められ、勇気を植えつけるために努力もされました。お父様は、私たちに、「私の生活は心配するな。断食や祈祷することよりもずっと楽だから」とおっしゃいました。

 お父様は、また私たちにおっしゃいました。「二千年前、イエス様は二人でゴルゴタの丘を越えていかれた。その時は、誰の助けもなく理解もない中を一人で行かれた。甚だしくは、弟子たちからの同情もなかった。今、私には、多くの支持者がいて、宗教指導者たちもいて、世界の至る所に理解してくれる正義の勇士たちがいる。だから、レバレンド・ムーンは、一人ではない」とおっしゃいながら、私たちを安心させられました。

 皆さんも知っているように、お父様は、何年間も私たちに向かって「世界復帰のために、何万人の指導者が必要だ」と、繰り返し語ってこられました。しかし、残念にも、私たちはそのようにすることができませんでした。お父様は、「今がその時だ。アメリカの牧師たちを通して、その数を復帰する機会だ」とおっしゃいました。

 私は、皆さんが、ワシントン大会の結果を通して、その目的を達成することができるという自信をもったと思っています。きょうの会議の目的は、ワシントン大会の勝利をアメリカ復帰のための国家的次元に高めようということです。

 そのためにまずしなければならないことは、四十日間の「一情祈祷会」を通して、勝利の四十日にすることだということを知らなければなりません。お父様は、モーセの立場で山(ダンベリー)に行かれました。群集(私たち)を導いていく立場に立っていらっしゃるのです。すべての人が一つになって、固い信仰を見せてさしあげなければなりません。特に今は、イースト・ガーデンの真の家庭を中心として、すべての祝福家庭が一つになることが内的な統一です。外的統一は、私たちがすべての宗教団体と一つになることです。

 現時点において、私たちの活動における先輩である金元弼先生と郭錠煥牧師、朴普煕総裁が教会活動を指導するにおいて、内的にも外的にも完全に一つにならなければなりません。これが、お父様の第一の指示のみ言でした。言い換えれば、「内外が一つになって、責任を完遂しなさい」ということです。



第十三回「科学の統一に関する国際会議」開会式

 一九八四年九月二日、アメリカ、ワシントンD・Cのマリオット・ホテルにおいて開催された第十三回「科学の統一に関する国際会議」の開会式で、真のお母様は、「そのお方は神様と人類のために生きてこられたお方」という主題のあいさつのみ言を述べられた。


真のお母様のあいさつのみ言

 尊敬する議長、著名な学者、そして紳士、淑女の皆様‐・ 私は、第十三回「科学の統一に関する国際会議」に来られた皆様に、歓迎の言葉を述べさせていただくことをとても喜ばしく思います。

 この会議が、毎年開催されるたびに、より重要になり、より成果のある集いになっているのは、まさしく皆様の積極的な参与と、絶え間ない努力のおかげです。

 私の夫は、きょうこの場に参席することができないので、私をして、今回の会議に参席するために来られた皆様全員に深い感謝の意を伝えてほしいと語られました。

 今回の集いは、私においては特別な意味をもつものなので、私の夫である文鮮明牧師の活動とそのビジョンに関して証言をする機会にしようと思います。

 私の夫は、自分自身のために生きていません。そのお方は、神様と人類のために生きていらっしゃいます。しかし、そのお方は、連邦刑務所に収監されていらっしゃいます。

 皆様の中で、なぜ文牧師は監獄に行かなければならなかったのだろうかといぶかしく思われる方もいらっしゃるでしょう。私は、これに対して、そのお方は、神様の召命を受けたお方であり、既にその全生涯を通して迫害を受けてこられたということを述べさせていただこうと思います。

 一九七一年、そのお方は、アメリカに来てキリスト教の信仰心とアメリカの建国精神を復興させるようにという神様の召命を受けました。

 韓国で暮らしていた時に私におっしゃったことは、「自分はアメリカから迫害を受けるようになるかもしれず、また監獄に行く苦難までも耐え抜かなければならないかもしれない」ということでした。それにもかかわらず、そのお方は、「全世界の生存はアメリカがその責任を果たすか果たさないかにかかっているので、神様から受けた使命を成就するためには、アメリカに行かなければならない」とおっしゃいました。

 この十二年間、そのお方は、この国と世界のために、深い心情と自らの霊魂、そして多くの汗と涙を注いでこられました。

 私は、このように重大な時点で、私の夫がアメリカの宗教の自由のために注目される立場に立つようになったことを、神様の前に感謝いたします。

 アメリカは、ついに霊的覚醒が起こり始めたのであり、キリスト教の統一運動も同じように事実化されてきています。このすべての目標は私の夫にとってとても重要なものであり、そのお方は、この目標のために生命まで捧げようとしていらっしゃいます。

 私の夫は二人ではないと感じています。そのお方は、神様がこの国を祝福されるように、監獄において祈祷していらっしゃいます。そのお方は、宗教の自由のための闘争を導く特別な責任を賦与されたことを、神様の前に感謝していらっしゃるのです。

 私は、文牧師の妻であり、そのお方の子供たちの母であり、そして神様を固く信じる信者であることを誇りに思います。私の夫と家族、そして私たちの運動が苦難に置かれているこの時に、皆様が送ってくださった慰労と愛と声援、そして何よりも皆様の祈祷に対して、深い感謝を申し上げます。私の夫も、私と共に皆様全員に深く感謝していらっしゃいます。

 「科学の統一に関する国際会議」(ICUS)は、私の夫にとって、常にとても特別な意味をもつものでした。

 本会議は、この地上に神様の国を建設するために寄与する事業の中で、最も重要な模範事業の一つになっています。全世界の各地域から、そしてすべての学問領域の学者たちをこのように一箇所に参席させることができるということは、ほかのいかなる機関もできないことであり、世界の問題を扱って解決することができる可能性を見せてくれているものです。

 この時間、私が最も懇切に熱望し、お祈りすることは、皆様が「科学の統一に関する国際会議」の意義と事業を継続的に支援してくださり、学者世界の重要な責任を活気をもって成就される方案を絶え間なく模索してくださることを願っているということです。もし皆様がそのようにしてくださるならば、それ以上に私の夫を喜ばせてさしあげるものはないと思います。

 私の夫が毎年伝統的に行ってきた創設者の演説を、長男である孝進君をして代わりに行わせていただきます。皆様が、私の息子をして父のメッセージを代読するように許諾してくださったことに対して、心から感謝申し上げます。



日本食□父母招請の集い

 一九八四年十月十日、アメリカのニューヨーク、イースト・ガーデンを訪問した日本の食□の父母たちに、真のお母様は、「神様の愛が日本と共にありますように」という歓迎のみ言を語ってくださった。


真のお母様の歓迎の辞

 私が皆様にお話ししようとすることは、外的な日本ではなく、内的な日本に対することです。今、神様の摂理を成すにおいて、日本を先頭に立てて活動している統一運動の内容を見れば、日本は、神様と近い関係を結んでいます。また、日本は、真理と愛に根ざして神様のみ旨と一体となったということと、神様の心に最も近い国として常に愛を受けていると言うことができます。

 これが日本を世界の中で外的に繁栄させている原因ではないかと思います。しかし日本の外的な発展は、摂理的な一時のことです。この時代が過ぎれば、またどのようになるかは誰も知りません。それは、歴史を見れば常に知ることができます。

 ところで、皆さんが神様の前に感謝しなければならないことは、皆さんの子供たちが神様の前に父母と一つになって活動しているという事実です。特に、理念に基づいて築いた因縁は、時間がいくら経過しようと、年が変わろうと千万年消えないものであり、一つの貴重な贈り物として残るようになるのです。そのような愛の贈り物を神様から受け取ったということを切実に悟ってくださるようお願いします。

 皆さんが御存じのとおり、今、文先生は、歴史的に最も重大な路程を歩んでいらっしゃいます。将来の歴史家は、この事件、すなわち文先生が今なされていることこそ、神様の前に永遠に切れることのない偉大な功績と実績を成してさしあげる最も偉大な瞬間であったということを、必ず証明するようになるでしょう。

 今、皆さんを歓迎しながら、一方ではうれしい気持ちなのですが、もう一方では、文先生がいらっしゃらなくてつらく悲しい側面もあります。一人の女性として、そのお方の妻として、痛みの心を感じるのは、私としてもどうすることもできません。

 皆さんが、今回の旅行を通して、この天宙的な最後の闘いにおいて、必ず最終的な勝利を収めようという固い決意をしてくださることを願います。文先生の歴史的な闘争の隊列に皆さん自身も参与するという思いで、今回のアメリカ旅行の意義を深く心に刻み、日本に帰っていかれて、その志を伝える皆さんになってくださるならば、それ以上願うことはありません。

 皆さんの今回のアメリカ旅行が、神様と皆さんの間で深い愛として発展し、永遠の生命を得ることができる機会となることを心から願う次第です。



第二十五回「子女の日」慶祝行事

 一九八四年十月二十四日(陰暦十月一日)、アメリカのニューヨーク、ベルベディア修練所において挙行された第二十五回「子女の日」慶祝礼拝の席上において、真のお母様は、祝祷をされ、「責任を果たす子女となろう」という主題で記念の辞を語ってくださった。


真のお母様の祝祷

 愛するお父様! きょう、「子女の日」に、全世界の統一家において、ダンベリーとこのベルベディアに向かって式典を挙げていますので、興進君をはじめとする天軍天使、多くの聖なる霊と霊人たちを動員なさってこの場を聖別してください。あなたが親しくお座りになる中で、きょう挙げるこの式典を受けてください。今から挙行するこの式全体の上に、あなたの喜びが満ちあふれることを祈願いたします。また、真の御父母様を式典に捧げます。

 お父様! この日は、一九八四年十月二十四日、陰暦十月一日、回数おいて二十五回目を迎えるようになった「子女の日」です。この日を仰いであなたを慕うすべての場所において、お父様の満ちあふれる愛と恩賜を等しく与えてください。

 お父様! ここに集まった小数の群れは、あなたの貴く大きな哀れみと愛の中で召命されてから数十年を過ごしてきました。きょう、二十五回目を迎える「子女の日」に、天の前に真の子女として、召命を受けた者として、頭を上げることができない罪責感と重い心をもってこの場に来ました。

 愛のお父様! 再度お願いいたしますので、この場で座り込むことなく、あなたの貴く大きなみ旨に向かって一歩飛び上がっていき、誇らしい息子、娘の姿として立つことができる固い覚悟と決意をすることができるこの時間となるようにしてください。再度、父と息子間のこの困難を越えることができるようにしてください。

 お父様! 私たち全員が、過ぎし日の覚悟を回想し、その責任を全うすることができなかったことを自責しております。私たちは、お父様の前においてもっているものがなく、不足で意気地のない群れでしたが、それでも、お父様に向かう一片丹心の忠節の心だけは変わらず、残った生涯を尽くしてあなたの前に誇らしい息子、娘の姿として立とうと、再度誓うこの瞬間であることを受けてください。

 お父様! 今、世界の至る所において、あなたを欽慕し、慕いながら、この日を祝賀し、記念しているすべての統一家の息子、娘たちの上にも同じ恩賜を与えてくださり、彼らが決意して進んでいく全体の上に、お父様のより大きな哀れみと愛の手と祝福の手を広げてくださるよう懇切にお願い申し上げます。そのようにして、全国的に、全世界的に、あなたを勝利と栄光の立場で再度褒めたたえてさしあげ、今やすべて成し遂げたと言うことができる「子女の日」を迎え入れることができるその日まで、私たちが勇進奮闘することのできる真の子女の姿になるように導いてくださることを懇切にお願い申し上げます。

 すべてのことがお父様の前に勝利の日として訪れるように誓うことができるこの瞬間になったことを感謝申し上げながら、すべてのみ言を真の御父母様のみ名を敬ってお祈りいたします。アーメン。



真のお母様の記念の辞:責任を果たす子女になろう

 韓国の昔の言葉に、父母のいらっしゃる時は父母の有り難さが分からず、父母がこの世を離れたのちに、孝道を果たすことができなかった自責感と恨をもち、自分の心に対してその慰労をしようと必死の努力をするようになるという言葉がありますが、それが不孝ということです。

 私たちがよく知っているように、堕落した人間においては、「子女の日」というものもあり得ず、「真の父母」という言葉もあり得ません。何ゆえに生まれ、何ゆえに生きているのか分からない、そのような状態において、「子女の日」や真の父母という言葉はあり得ず、真の愛の関係もあり得ないというのです。天のお父様が、言葉では表現することのできない数多くの蕩減の路程を経られ、真の父母の一代において、迫害と反対の中で蕩減路程を勝利することによって、「子女の日」が生まれるようになったということを考えるようになる時に、感謝を捧げると同時に、過去を回想せざるを得なくなります。

 お父様が、「基盤がなければ滅びる」というみ言を何度もおっしゃっていることを、皆さんは聞いていることと思います。お父様が、父母の立場で、天全体を身代わりして歩まれている道は、世界を抱かなければならない立場で、子女たちがすべて備えてさしあげることができなかった立場で行かざるを得ない苦難の道であり、十字架の道でしたが、同時に愛の道でした。

 この期間、皆さんが何よりも深く悔い改め、叫ばなければならないことは、「一つになろう」という運動ではありませんか。もちろん個人においては、心と体が一つになる立場でみ旨を中心として一つになることが重要です。

 それで皆さんが、真の父母を中心として、自分を主管する立場で、三位基台を成す三人が完全に一つになった立場でその基台を広げていけば、み旨は成し遂げられるでしょう。世界の縮小型と見ることができる四位基台において、横的数は三人ではありませんか。四位基台の横的三人が一つになれば、世界を一つにすることは易しいことだと思います。その言葉をまた世界的に広げてみるとき、世界は、三人が一つになって成す四位基台の拡大的形態になっていると見ることができるのではないですか。

 そのような意味において、きょう、皆さんにお願いしたいことは、一つになった子女の立場で、次の「子女の日」を迎える時は、真の父母をお迎えした立場で世界の子女たちと共に祝賀を捧げることができるように、その日を待ち望み、誓いながら進んでいくことです。それをお願いしたいと思います。

 皆さん、各自の「一情祈祷会」をしっかり守っているでしょう? きょうこの日を期して、今後四十日間、特に皆さんの三位基台の三人が一つになった立場で祈祷の条件を立ててくださればと思います。可能ならば、この近所とイースト・ガーデンにいる祝福家庭は、イースト・ガーデンで祈祷会をもってくれるようお願いします。もちろん現在も継続していることを知っていますが、ベルベディア聖地において、すべての三位基台が参加する中で「一情祈祷会」をもっていただけたらと思います。もし事情があれば、三位基台の中で、一人が継続して抜けないように順番に回りながらすることによって、四十日間という精誠の条件を立ててくださるようお願いします。

 今まで、そのように実施してきたでしょう? 金元弼氏、どうですか。(はい、そのように実施してきました。今、十二月までの祈祷会の日程をすべて作成して配ってあげました。四十日の一情祈祷会は、三人ずつ一チームにして実施されています。お母様が言われたように、祝福家庭でチームを組んで実施しています)。

 ここに集まった人々だけが一つになっても、アメリカ復帰は問題ないでしょう? きょう、私が式典で涙を少し見せましたが、今、私の心情は、一言で言ってとても落ち着いており、感謝する心で生きています。皆さんも、子女の立場でお父様に心配をおかけすることがないように、各自が心を正しくもち、受け持った責任に最善を尽くす子女となってくれることを願います。



アルゼンチン、ラ・プラタ大学名誉神学博士学位授与式

 一九八四年十一月十七日、国連本部内において、アルゼンチンのラ・プラタ大学が真のお父様に名誉神学博士学位を授与した。この授与式において、真のお母様は、真のお父様を代理して学位を受けられ、あいさつのみ言を語られた。


真のお母様のあいさつのみ言

 文牧師の妻として、私は、私の子供たちと全世界の統一教会の食□たちと共に、困難な状況にいる私の夫を理解して、栄誉ある学位を授与しようとされる貴大学の勇気ある姿勢に対して敬意を表したいと思います。皆様の勇気ある決断に大きな感動を受け、これに対する私の深い感謝の意をこの場を借りてお伝えしたいと思います。

 現在、文牧師は、コネチカット州のダンベリー刑務所に収監されていらっしゃいます。そのお方は、自らの自由よりも、神様をより愛されるがゆえに刑務所生活をしていらっしゃいます。自らの安逸よりも、人類をより愛されるがゆえに刑務所にいらっしゃいます。個人の名声よりも原理原則を固守するお方であり、現世のために生きるよりも歴史のために生きていらっしゃるがゆえに、そこに行かれるようになったのです。

 私たちが今までの歴史を深く調べてみるとき、神様に従う人々や原理原則に従う人々は、しばしば受難の道を歩んだという事実を知ることができます。

 ラ・プラタ・カトリック大学では、文牧師が生きてきた生涯の価値とビジョンと彼が成した業績を認めて、学位を授与するのだと思います。そのお方は刑務所にいらっしゃるので、きょう、このような栄光なる場に参席することができないことはとても胸痛いことですが、収監中に学位が授与されたということは、より大きな歴史的意味があると思われます。

 私は、ダンベリー刑務所で夫と共に過ごしたのちに、ここに来ました。そこを離れるとき、そのお方は私に、「私がしていることに対して深く認めてくれたことに深甚なる感謝の意を伝えてほしい」と言われました。貴校が見せてくださった行動は、そのお方が本当に私心なく、自分自身よりも人類のために働いてきたという事実を全世界に証することになりました。さらにこの栄光は、そのお方の苦痛が決して無駄ではなかったということを立証し、世界の人たちが、神様と人類のために生涯献身してきたそのお方に感謝を表したということになったのです。

 私の夫である文牧師は、皆様の偉大なる国、アルゼンチンを訪問したことがあります。そのお方は、「アルゼンチンの国民の前に広がっている無限の未来を見てきた」と言われました。貴大学は、南・北米大陸において最も素晴らしい大学の中の一つであり、ローマ・カトリックの二千年の伝統をもった大教育機関です。皆様の基準、特に神様の前に真実の自由を死守しようとする皆様の姿勢は、文牧師の心を動かしました。それゆえに、ラ・プラタ大学とこのような特別な因縁を結ぶようになったことに対して、とても喜ばしく思っています。

 文牧師と私は、近い将来、貴大学を訪問することができることを待ち望んでいます。

 神様の祝福がラ・プラタ大学と共にあられることを願います。大変ありがとうございました。



アメリカ、バプテスト教会系のショウ神学大学名誉神学博士学位授与式

 一九八五年五月十一日、アメリカ、コネチカット州のダンベリー刑務所にいらっしゃる真のお父様は、アメリカ、ノースカロライナ州ローリーに所在するバプテスト教会系統のショウ神学大学から名誉神学博士学位を受けられた。この日、真のお母様が真のお父様を代理して学位を受けられたのち、あいさつのみ言を語られた。


真のお母様のあいさつのみ言

 私は、私の夫である文鮮明牧師と私のすべての家族を代理し、きょう、博士学位を授与してくださった学校当局に対して、深甚なる感謝の意を表したいと思います。

 私と私の夫は、ショウ神学大学の歴史と現況、そして創設者ヘンリー・マルティン・トゥフォー博士に関する文献を読み、特別な感銘を受けました。なぜならば、この学校の創設者であるトゥフォー博士の人生に、二つのキリスト教的特性を発見したからです。一つは神様に対するその愛であり、もう一つは人類に対する奉仕でした。

 私は、創設者の日に、皆様全員と共にキャンパスの中央にあるその方の墓を回り、大きな声でその墓の碑文を読みました。「彼は、自らのために生きず、兄弟たちを神様の近くに送る人生を生きた」。

 トゥフォー博士は、その理想ゆえに多くの迫害を受けましたが、勇気をもって耐えました。私の夫である文牧師も、やはり理想のために迫害を受けていますが、私はその迫害の意味をよく知っています。そのお方は、今この時間も、そのような理由ゆえに連邦刑務所に監禁されています。そのお方の人生の唯一なる目的は、すべての人々を神様の近くに送り、人類の苦痛を和らげることです。

 また、私の夫は、人種間の統合と理解を促進させるために、すべてのものを捧げてきました。そのお方は、「二十世紀において、アメリカの偉大な指導者は誰だと思うか」という質問を受けられた時、「マーティン・ルーサー・キング牧師」と答えました。迫害を受けた多くの人々は、自らに向けられた憎悪に対して憎悪で報いることを望みましたが、キング牧師は、その憎悪に対して、「愛で返さなければならない」と言ったからです。キング牧師は、数回にわたって監獄に閉じ込められました。彼は、彼が信じることのために彼の人生を捧げたのであり、今もなお、彼の言葉は私たちに大きな勇気を与えています。

 同じように、私の夫、文牧師は、自らに対する反対者たちを愛しています。彼は、すっと以前に自らを罪に定めた人々を許しているのであり、今までの誰よりもアメリカを愛しています。そのお方は、偏見によるあらゆる形態の抑圧に対抗して闘うアメリカ人に、勇気を与える一つの道具として自分自身が使用されるようになったと考えているので、神様に感謝しています。

 文牧師は、国際的に、宗教間の和解と一致、そして人種間の調和のために尽くしているという点において、ショウ神学大学と共にあります。イエス様が私たちに、一つの愛する人間家族として働き、勉強するように教えてこられたのと同じように、その思想がまさしく文牧師の信仰だったので、文牧師は、あらゆる形態の宗教的偏見と非寛容性、そして人種主義を終息させるために、献身的な人生で聖職生活に一生を捧げています。

 ショウ神学大学は偉大な過去をもっており、文牧師は、それを信じ、神様の祝福が共にあられることを祈っています。神様のみ旨によって設立されたショウ神学大学は、未来においても、より一層神様によって用いられることでしょう。私の夫は、神様の子女たちのために献身し、神様を愛するように教えてきたショウ神学大学の偉大な伝統と接するようになったことを喜ばしく思っています。

 ショウ神学大学の素晴らしいリーダーシップと勇気に対してもう一度感謝申し上げ、この大学が神様の国を建設する生きた道具として用いられることを祈ります。ありがとうございました。



「一勝日」と「聖水式」

 一九八五年八月十六日、韓国解放後満四十年が過ぎたこの日、真の御父母様は、韓国の清平修練所で開催された祝福家庭子女の四十日修練会を無事に終えて帰ってこられた孝進様を歓迎する席において、「一勝日」を宣布され、「聖水式」を挙行された。そして、それから四日後の八月二十日、牢獄の身から完全に解放された真のお父様は、ベルベディア修練所において、全世界の祝福家庭を対象に聖水式を挙行された。

 アメリカにおいてキリスト教が反対した事実を再度蕩減するための祭物として興進が逝き、それからダンベリーの事件は何かというと、国家が反対したことを蕩減するものです。先生がそれを蕩減しなければならないのです。

 それで、一九八三年、一九八四年、一九八五年の三年間、家庭が艱難を受けたのです。家庭的十字架です。一九八四年、その時に興進が亡くなったのです。一九八三年十二月に事故が起き、二九八四年正月二日、霊界に行ったのです。すべて艱難時代です。それから先生が監獄に入っていったので、一九八五年までは、家庭的に艱難時代です。第二次大戦直後、一九四五年八月十五日が光復した日ですが、一九八五年八月二十日にダンベリーから出てきたのです。光復節が八月十五日でしょう? これを過ぎてから出てきたのです。四十年圏内のあらゆるものが清算されるのです。ですから、イスラエル民族を新たに編成するのと同じです。

 蕩減復帰をしてこそ、長子権と次子権の基盤の上に、真の御父母様が世界的によみがえることができるのです。原理がそのようになっているので、この立場がなくては、世界を主導することのできる父母の世界圏が出てこないということをはっきりと知らなければなりません サタンと闘わなければなりません。そして、長子権を奪ってくるのです。先生が長子権を奪ったので、長子と次子が一つになっていくのです。

 獄中にいながら七千人の牧師の連合運動をしたのです。これは、すべて旧約時代の七千の群れ、エリヤに残された七千人の群れです。イエス様の時代にも、イエス様を中心として七千人が一つになれば、その国を動かしていたのです。それを、現実的自由世界の舞台において再現するのです。

 今、統一教会を中心として、右側の強盗と同じものが何かというと、アメリカの国民です。アメリカの国民が、すべてそれと同じ立場に入っていったというのです。右側の強盗がいて、左側の強盗がいるのですが、今回、キリスト教が統一教会と一つになり、アメリカの国民が反対せずに一つになって、私たちを支持しました。そのような雰囲気ができあがりました。

 世界的に、このようなことが外的に起こり、統一教会内においても、このように先生の息子、娘と、それから祝福家庭の息子、娘が一つになったのです。内外で一つになったのです。外的な世界舞台ではカイン・アベルが一つになることのできる立場に立っており、内的な立場でも、ヤコブがエサウと闘って勝利したのと同じように、このようなことが世界史的な現世を中心として、先生が出獄したこの期間を中心として、このような現象が成し遂げられていくのです。

 今、統一教会時代は、私たちの息子、娘を中心として内外ですべて入ってきて一つになるのです。したがって、十字架を下ろして出てくる日には、すべての反対が完全になくなります。それで、先日十六日に行った式が「一勝式」です。「一勝式」を宣布したのです。

 皆さんは、今まで地上にあったすべての観念を一掃してしまわなければなりません。今、皆さんがもたなければならないものは、新しい式、「聖水式」です。人の体は、四分の三が水です。この聖水式を通して、皆さんにあるすべてのものを清算しなければなりません。「聖水式」は、真の御父母様が勝利した基盤を皆さんに伝授する式であり、またカイン・アベルが闘争していることをすべて解消する式です。

 この式を行うのは、先生自身が、四十年間で、父母の立場でカイン・アベルを導いて家庭基盤を正常に築き、サタンの讒訴圏を抜け出たからです。先生が、歴史時代になかった真の父母の立場でカイン・アベルの蕩減条件を初めて完成することによって、サタンが讒訴できる基準を越え、先生が築いた世界的な基盤を皆さんに伝授する式にもなるということを知らなければなりません。それで、皆さん、祝福を受けた家庭は、今から天国の伝統をその息子、娘の前にすべて教えてあげなければなりません。


















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