真の御父母様の生涯路程 10
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真のお母様と世界女性時代

第八節 真のお母様と真の家庭

一 真のお母様の美しさ

魅力的な容貌

 お母様はとても知恵深い女性です。お母様の自慢を一度しなければなりません。

 まず何が素晴らしいでしょうか。お母様の目が素晴らしいのです。怒ったのちにさーっと笑うときには、私は、そのほほえむ魅力的な目にすっかりほれ込んでしまいます。(笑い。拍手)自分の妻にすっかりほれ込んだからといって、誰が罰を与え、悪口を言うでしょうか。私が、すっかりほれ込むだけでなく、すっかり引き込まれてしまったとしても、どうすることもできないでしょう。そのような魅惑的な目をもっています。そうだからといって、いつもそのようにしているのではありません。何かが起こる兆しがあれば、さっと曇ります。そのような目をもっています。

 また、その次には、お母様の鼻です。お母様が美人かどうかは分かりませんが、私は、お母様の鼻が本当に好きです。そのようなことがあれば、鼻をひくひくさせて笑うのです。(笑い)本当です! そうなのです。それがお母様の魅力なのか分かりませんが、夫に対してそのように感動させるのです。鼻が笑う才能は、私に対してだけそうなのか分かりませんが、ほかの人は分からないと思います。

 また、その次には口です。お母様の口が本当にそうです。深刻な時は、このようになっています。(表情をつくりながら語られる)できるだけ口を突き出さないように、すっとこのようになっています。その口が美しいのです。また、その次には態度が美しいのです。

 私がそのようなお母様を叱責すれば、その目は恥ずかしくて下を向かなければならず、鼻がぴくぴくしていたのが収まらなければならず、唇を出したり引っ込めたりしていたのが静かにしなければならないというのです。(笑い)ですから、お母様の顔は、美しいところがたくさんあるでしょう? それゆえに、夫人たちがそのような武器をもっていれば、万事が都合良く運ぶ秘密の鍵をもっているのではないかと思うのです。


世界が公認する東洋的・西洋的美人

 今、私の年齢は七十近いのですが、私は韓国の旧世代のあらゆる伝統をよく知っています。旧学問まで学んだ人だからです。孔子様の教えをよく知っています。そのような観点でお母様を見るとき、女性としてとても端正だというのです。お母様が、慎ましく静かにしている時は、誰にも劣らない、尊敬することのできる内的性稟をもっています。

 それゆえに、西洋の人々に、「東洋の女性美があのようだとすれば、私も東洋の女性と結婚したい」と思わせる教育を、座ったままでしているのです。その影響によるものは大きいのです。西洋の男性たちにとっては、東洋の女性はお母様のようなので、結婚対象を東洋の女性に決めたという人がたくさんいるのです。そのような面において、東洋の女性像を世界の食口に教えてあげるのに偉大な功績をあげたお母様だと考えることができます。そのような意味で、お母様としての資格が十分だというのです。

 最近、お母様の価値が、私よりも高い評価を受けています。お母様は、東洋的な美を備え、最近では西洋的美まで備えていると言われます。それで、最近私は、お母様から多くの教育を受けています。私は、東洋的訓練をたくさん受けたのであって、西洋的訓練は受けることができなかったのです。私がこの食卓に座っておいしく御飯を食べる時は、唇のここに何がつこうと気にしません。食べるのに忙しいのです。私は性急な性格なので、食べ物を口に入れれば、ひと息にこのように食べる性格であって、外国人のようにスプーンですくってこのようには食べません。(笑い)食べる時は、おいしく食べれば良いのではありませんか。しかし、顔に何かがつきさえすれば、お母様はティッシュペーパーでこのようにふいてくれます。ですから、無言の教育を受けるのです。それで、西洋でも通じるお母様になりました。そのような意味では、私は、男性として、有り難く感謝に思っています。

 最近では、お父様とお母様が本当に仲むつまじいといううわさが立ちました。ここでも、そのようなうわさを聞きますか。(拍手)私がここに立てば、お母様は、絶対に右側に立ちません。左側に立ちます。歩けば、お母様が来てさっと手をつなぎます。主にお母様が手をつなぎます。(笑い)そのように生きてきました。明洞の通りやロッテ・ホテルを歩く時、お母様と手をつないで歩くのですが、ここに来てみるとそれが困るのです。(笑い)それが、韓国と西洋の違いなのです。

 お母様は、劣っていますか、素晴らしいですか。(素晴らしいです)。西洋のどこに行っても、ドイツに行っても美人だと言われ、フランスに行っても美人だと言われ、イギリスに行っても美人だと言われ、アフリカではなおのことです。(笑い)アメリカに行けば、常に私は「ハッピエスト・マン(happiest man :最も幸福な人)」、「ハッピエスト・ハズバンド(happiest husband :最も幸福な夫)」と言われます。顔も素晴らしいですが、心も素晴らしいのです。(拍手)

 文総裁の夫人は美人だといいますが、本物の美人とはどのようなものかを私は研究しています。美人は、顔が美人なのではありません。心が美人なのです。何があろうと自らの姿そのままに、笑いながら千年を越えていくことができる和気あいあいとしたそのような純化した女性の姿をもち、環境を美しく輝かせ、大切に抱いてあげることができる、そのような女性が美人の中の美人ではないかと思うのです。


条件なく与えてくださる性稟

 お母様はあまりにも与えるので、ある時は私のほうが心配になります。(笑い)すべて与えるのです。しかし、ダイヤの指輪をはめるよりは良いと思っているのです。

 第一次と第二次と第三次の七年路程をすべて通過したのち、すべての経済権をお母様に与えました。その時に、「食口たちに対しては、いくらでもお金を使っても良いが、自分自身のためにたくさん使ってはいけません」と言いました。そのように言ったところ、お金をよく使うお母様になりました。誰かがあまり良い服を着ていなければ、「どこどこに行こう」と言って服を買ってあげるのですが、一番良い服を買ってあげるのです。ひそかに調べてみると、一ヵ月に使うお金がとても多いのです。しかし、「食口たちのために使うのは良い」と言ったので、過度に使っているのを見ても、私は、自分の言ったことに引っ掛かってどうすることもできず、何も言うことができないのです。(笑い)

 ですから、欲がありません。どれほど欲がないかというと、結婚指輪も、誰にあげたのか分からないでいます。自分の約婚指輪や結婚指輪までほかの人にあげるということ、あげて忘れることができるということは、女性としては普通の女性ではないということです。私は、そのような面においてお母様を尊敬し、誇っています。お母様を称賛するのです。(拍手)

 世界巡回の時です。その時は厳しい時でした。オランダは、ダイヤモンドをカットすることで有名です。私はそれを知っていたので、わざわざダイヤモンドをカットする工場に立ち寄り、お母様に、「一つ選びなさい」と言いました。その時はお金がありませんでした。ですから、大きなものを選ぶことができるでしょうか。「小さくても、最もカラーが良いものを選びなさい」と言いました。カラーが素晴らしいので、小さいからといって無視できないようにです。このようにして、非常に高価なダイヤモンドを買ってあげました。そのようにして買ってあげ、それをはめていたのですが、「あれはどこへ行った?」と聞いてみると、「どこに行ったかって、流れていったでしょう」と言うのです。誰かにあげたということです。

 今回、昔の家から新しい家に引っ越したのですが、送られてきた贈り物があります。「良い物なので大切にしまっておきなさい」と言っておいて忘れていたのです。そのようなものが本当にたくさん出てきます。自分で使おうとせず、しまっておいて誰かにあげようとしたものがたくさん出てきます。それで今回も、すべて誰かに分けてあげたのですが、それが良いのです。

 見ると、ふろしきでこのように包んでいます。「何をするためにそのようなことをしているのですか」と聞くと、「使うところがあるからです」言うのです。一着ずつあげるのが気に入らないので、ふろしきごとあげているのです。(笑い)ふろしきであげるときに、お母様が正しくあげようとすれば、それぞれ国を代表して、「これはアメリカのふろしき包み、これは日本のふろしき包み、これは中国のふろしき包み、これはフランスのふろしき包み、これはアフリカのふろしき包み……」というようにしなければなりません。そのようにすれば、正しくあげることになるのですが、「これは祝福を受けた『三十六家庭』の誰々の家」としてはいけません。


二 真の愛の夫婦

夫婦間の尊敬と信頼

 お母様が自己主張をしていれば大変だったと思いますが、絶対従順したので、短期間内ですべて越えてきました。(拍手)ですからそのような意味で、先生は、お母様を本当に尊敬しています。先生が原理原則には許しのない人だということが分かっているのです。自分の夫や妻を信じてあげなければなりません。また、自分の妻はどのような人だということを知ってあげるのです。人が一度決めたら、その決めた法を中心として、全体の前にその志を立て、その法を生かすことができなければなりません。そのようにしてこそ、責任を負うことができる人であって、自分勝手にいい加減にしてはいけません。

 私が神様に対して不平を言ったかどうか、お母様に尋ねてみてください。皆さんもそのように思うことでしょう。統一教会の先生、統一教会のレバレンド・ムーン、統一教会の責任者になることは簡単ですが、お母様が支持し、お母様が歓迎する責任者になるということは難しいということを知らなければなりません。統一教会の壇上に立って先生の役割をすることは簡単ですが、お母様の前で先生の役割をすることは難しいというのです。(笑い)

 それを見れば、統一教会の皆さんよりも、お母様のほうが先生をもっと信じています。統一教会の皆さんが私を信じるよりも、お母様のほうがもっと私を信じているのです。あらゆる面において尊敬しているということを知らなければなりません。

 私は、お母様に対して大声を張り上げたことがありません。世の中の男性が使う「この女」などというような言葉は遣ったことがありません。「こいつ」という言葉を遣ったことがありません。私はお母様を教育してきました。涙があふれるほど多くの教育をしてきました。正義に立脚して教育してきました。夫のために生きなさいと教育したのではありません。道理に立脚して正しければ、嫌でも順応しなければならないのです。涙のあふれる訓示をしました。その代わり、公的な立場で糾弾されなければならず、批判されるべきことがあれば、お母様は私を無慈悲に批判しなさいというのです。私がうそをつき、語ったことで行わなかったことがあり、自分が行わずに欺いて利用し尽くす、そのような指導者ならば、糾弾しなさいというのです。そのような意味では、先生を尊敬するでしょう? (はい)。女性から尊敬を受けるということは難しいことです。


真実で永遠の愛

 私がお母様に対して、一言証します。お母様が、時には「お父様、私を愛しているでしょう?」と言ってきます。そうすると、「イエス」と答えます。そして、「どれくらい愛していますか」と言えば、「お母様ぐらい愛しています」と答えます。その時は「お母様ぐらい愛しています」と言えば良いのです。愛は、それしかありません。母を愛し、妻を愛して、それから子女を愛することしかありません。

 「おお、天地ぐらいに誰よりも愛しています!」。このようなことを私は言いません。「神様よりももっと愛しています」。そのようなことは絶対に言わないのです。(笑い)お母様に聞いてみてください。尋ねてくれば、常にそのようには答えません。私は、天に侍って生きているので、いい加減なことを言いません。私がまだ神様を本当に愛することができていないからです。夫婦間でも、そのような礼儀は整えていきながら暮らさなければなりません。

 先生はお母様を愛しています。それでは、本当に世界を代表してお母様を愛することができるのでしょうか。本然の世界は、堕落がなく、迫害がない世界だということを知らなければなりません。讒訴がない世界だということを知らなければなりません。世界の迫害圏を越えて、本然の愛の生活が始まるという事実を知らなければなりません。

 私が、お母様に対しても、キスしようとする時は、「永遠にキスしよう」と考えるのです。(拍手)いつだったか私が一度マイアミに行った時、若い男女二人がキスしていました。一人は図体が大きくて、見ると、ヒッピー、イッピーのような者たちです。二人がこのようにしてぴたっとくっついているのですが、私は、本当になんとも不思議で、身じろぎもせずに三十分を持ちました。(笑い)飛行機の時間ゆえに仕方なく行きながらも、「あー、この者たちはそれでもくっついているが、いつになったら離れるのだろうか」と思って見ていたのですが、角を曲がる時までくっついていたのです。やあ、これは大変だ! 「一度私も、お母様と三十分以上してみなければならない」と思いましたが、まだできていません。


真の愛の威力

 レバレンド・ムーンは、本当に力持ちです。(笑い)そうだからといって、使い走りの力持ちではありません。力持ちの中にも、使い走りの力持ち、高校の力持ち、大学の力持ち、何かの博士の力持ちがいるのです。夜寝るお母様に、私のこぶしと強い力で「手を出しなさい! 手を出しなさい!」と言えば、お母様はどのようにするでしょうか。「イエス」と言うでしょうか。違います。しかし、私がやさしく手を差し出す時、それが愛の手であれば、寝ていた手もこのようになり、顔が動きます。(笑い)また顔だけが動くのではなく、その次にはこのようにすれば両足まで、その次には五官がすべて引っ張られていくのです。(笑い)

 私は、世の中に名前が広く知れわたっていて、世界に号令する有名な人ですが、お母様に対してはどうすることもできません。(笑い)何ゆえにでしょうか。愛の前にどうすることもできないのです。愛という一言を中心として引っ掛かっていく時は、どうすることもできずに引き込まれていくのです。(笑い)それは、気分が悪いことでしょうか、良いことでしょうか。男性たち、どうですか。(妻に)捕まえられていても、気分が悪いのではなく、気分が良いというのです。

 小さなお母様のおしりにしっかりと従っていきます。(笑い)私も、小さな女性に従っていくのです。(笑い)その間で結ばれた事情は、天下を抱いて余りあります。それは、どれほど素晴らしいことでしょうか。宇宙全体を越えて愛するのです。複雑で想像できないその世界を超えて愛することができるというのです。

 レバレンド・ムーンの夫人は、慎ましい妻です。人形のように慎ましい夫人です。その夫人が、時には愛で「あなた、私がこの上に立ちました!」と言います。そのような時は、いくら大きなことを言っても、気に障りません。「はい、はい」と言うのです。そこにすべて同調し、同じ場所にいたいと思うのです。愛とは偉大なものです。

 お母様は、目が小さいのです。アメリカの女性たちと違います。(笑い)そのような女性が「愛の力は偉大です。褒めたたえなければなりません! 私の夫も、私の指先で踊るので、女性がどれほど素晴らしいでしょうか、どれほど偉大な存在でしょうか! このように図体の大きな夫を操縦することもできるのです。私は、どれほど驚くべき存在でしょうか!」と言います。そのように愛の力は偉大です。普通の愛も偉大なのに、真の愛はどれほど偉大かというのです。


愛妻家と愛男家

 私は、お母様に女王のように侍っています。(笑い)私が夫の役割をきちんと果たしているかどうか、お母様に聞いてみてください。(笑い。拍手)このような愛の道理を解析するにおいて、私は一番です。愛の天理を解読するにおいて、哲人の中の大哲人はレバレンド・ムーンだという名がついているのです。それを教えてあげながら、それを行うことができなければ、詐欺師の中の大詐欺師でしょう。

 家庭一つを立てるということは、どれほど難しいことでしょうか。それゆえに、最近では、男性の中で妻を最も愛する世界的なチャンピオンは誰かと尋ねれば、「私たちの先生!」と答えるのです。あー、私が言っているのではありません。聞いてから話しているのです。(笑い)お母様も聞いたでしょう? お母様、聞きましたか、聞きませんでしたか。お願いですから、はっきりと言わなければなりません。聞いたでしょう? (はい)。「聞いた」と言うではありませんか。(拍手)最近、私に対して厳妻家だと言いますが、厳妻家の反対は何ですか。順妻家でしょう。(笑い)順妻家の最も高い位置に立ったのが愛妻家です。最近、世界一の愛妻家は誰かといえば、誰ですか。私は知りませんが、この人だと言うのです。(笑い)

 それから、愛妻家の反対は何ですか。夫を愛することを何と言いますか。愛男家と言いますか。愛男家という言葉はないでしょう? 今、私たち統一教会でつくりましょう。愛男家です。世界一の愛男家は誰かといえば、お母様にならなければならないというのです! (アーメン)(拍手)お母様は世界一の愛男家でしょう? (笑い)私がそのようにさせなくても、神様がそのようにさせるのです。


三大心情圏の愛

 先生とお母様は仲むつまじいと思いますか。(お母様を見ると)あたかも娘のような感じがします。そのような気がするのです。エバが愛をどのように行ったのかを考えなければなりません。神様を中心として見るとき、エバが堕落することによって、妻をもつことができなかったことが恨であり、娘をもつことができなかったことが恨です。この地上に母として立ててあげることができなかったことが恨であり、そして妻としてもつことができなかったことが恨であり、それから娘としてもつことができなかったことが恨です。この三つが恨です。

 男性も同じです。父として立ててあげることができなかったことが神様の恨です。人類の真の先祖となるはずだったのに……。そして、新郎として立てることができず、夫として立てることができなかったことが恨です。それから、神様の遺業を相続することができる息子の権限をもった存在として立ててあげることができなかったことが恨です。三大恨です。男性も女性も同じです。

 先生も、お母様を見ると、妻にもなり、娘にもなることができますが、母のような感じがしません。しかし、その気分をいかにして感じるのでしょうか。ですから、先生がお母様にどのように対するかというと、私が呼ぶ時は、わざと「オンマ」と呼びます。今、私がお母様を呼ぶ時の代表的な用語とは何でしょうか。「オンマ」です。「オンマ」はどこへ行きましたか。それは、子供たちがお母様に対するのを私が学んでいるのです。

 お母様が立派なところがそのようなところです。私がいくら何をしても、耐える時は耐え、拍子をきちっと合わせることができます。ここにいる文総裁は、気性が大のように恐ろしい人です。少しだけ誤っても、伏せておけば雷が落ちるのです。しかし、それはお兄さんの立場で弟を生かしてあげ、お兄さんの立場で妹を生かしてあげ、滅びていく夫に代わって生かしてあげ、またおじいさんとおばあさんの立場、そして父と母の立場で助けてあげているのです。

 最近では私が年を取って、このように座って爪を切ろうとすれば見えないので、それで、仕方なくお母様に「ちょっと爪を切ってください」と言います。お母様は、私の爪を切ることにおいて専門家になりました。

 あー、随分時間がたちましたね。それを見れば、お母様の功労が大きいのです。私が話せば一日中話すのですが、このように「随分時間がたちましたね」と言うことができるように、お母様が私を教育したのです。(笑われる)あー、これは本当です。私が八時に終わってから行けば、「ああ、お父様、お疲れ様です」と美しい声で褒めたたえるのですが、「二時間半、三時間話しましたね」と言う時は、約束を守らなかったということです。(笑い)私の秘密の話をしているのです。あー、私たちの傷となることではないではありませんか。一つの家で暮らしてみれば、お父さんとお母さんがけんかをしたりするともいいますが、これはけんかではないのです。


三 真の子女の養育と愛

子女出産の苦労と功労

 先生は、息子、娘を十二人もたなければなりません。十二方位です。一年は十二ヵ月であり、春夏秋冬の四季です。また、天上世界は、十二真珠門であり、十二方位を満たさなければならないので、これを合わせなければならないのです。

 お母様は、有り難いことに、十三人を生みました。先生がいなくても、代わりするをことができる人が必要なので、十三人を中心として十二方位を合わせ、地上世界において、天上と連絡することのできる十二真珠門と同じ基盤を立てることによって、父母を中心とした順理的な長子と次子の法度を中心として、順理的な代を継ぐことができるようになったのです。その伝統的環境が横的に拡大される時、それが天国の世界になるのです。

 ヤコブがエジプトに下っていく時、ヤコブの十二人の息子を中心として七十二人でした。モーセを中心としてみても、十二部族に、七十二人門徒です。イエス様を中心としてみても、十二弟子に、七十二人門徒です。先生の時代も同じです。十二家庭と七十二家庭です。それで、七年間でこの八十四人が一つになったのでしょう。七年を中心として、十二家庭が一つになったので、どこにでも通じるのです。先生においても、お母様を中心として十二人の息子、娘を生まなければならないという根拠がここから出てきます。それで、二十年の過程において、そのことがすべて成されたのです。

 私は、医師たちから「野蛮人レバレンド・ムーン」という別名をもらいました。アメリカでは、普通、子供を生むのは一人か二人なので、三人、四人生んでも口を開けるのです。それが十人だといえば、目がこのようにひっくり返るのです。(笑い)最近の何という手術ですか。帝王切開手術です。帝王切開手術を何回したでしょうか。一回して、二回して、三回して、四回しましたか。ですから、半分しか生むことができませんでした。帝王切開手術をしなければ、間違いなく二十一人を生んでいました。私の子供たちは、私に似て頭が大きいのです。それで私がドイツに行っている時に、産んでいる途中で危うくお母様が霊界に行くところだったのです。

 お母様は、「私は、生まれる時に天から福を受けて生まれたものがありません。しかし、子宮だけは福を受けて生まれました」と言いました。丈夫だということです。お母様がそのように言っていました。正しいか、正しくないか、疑わしく思うならば尋ねてみてください。子宮だけは丈夫だというのです。赤ん坊を宿せば、間違いなく産むのです。

 二十年間でこのように子供を産むことができなければ、大変なことが起きます。皆さんは、そのような内容をすべて知りません。それを知っている私としては、天の前に本当に感謝しています。お母様の子宮が丈夫だったので、そのように産んだのであって、弱々しい女性をもらってくれば、どのようになったでしょうか。私は、そのようなことをすべて分かるので、そのようにしっかりとしたお母様をもらって来たのです。子供を十二人以上産まなければなりません。産むことができなければ、問題が大きいのです。


子女教育の責任

 お母様は、お父様よりももっと立派です。それで、私がお母様に指示したことは、「あなたは、このような立場に立っており、あなたの内的な面が現れたものが子供たちなので、子供たちの教育は、あなたが責任をもちなさい」ということです。

 問題が起きれば、お父様が直接、指摘するのではなく、直ちにお母様に回します。そのようにしています。お母様の力では対処できず、お母様が子供たちを私の所に連れてきて忠告する時は、お母様から忠告します。「あなたがこれこれこのような責任を果たさなければならないのに、このような責任を果たすことができませんでしたね」と言います。その次に私が子供たちに忠告するのです。そのような生活をしているということを皆さんは知らなければなりません。そのようにすることが正常の流れであり、そのように処理する団体を構想することが、今後のみ旨に一致できる内外の伝統になるだろうということが、先生の日常生活の哲学です。

 お母様もそうです。家庭に帰ってくれば、夫の権威を立ててあげ、また教主の権威を認め、真の師だということを信任しています。語るとおりに行っているからです。ぱっと判断して、その次にはそのとおりに行います。それゆえにお母様は、子供たちに対して、「お父様に似なければならない。お父様は立派なお方だ」と教育しています。ですから、私は幸福な人でしょう?


子女たちの尊重と精誠

 私は、息子、娘が十二歳になる時までは、どれほど忙しくても、どこかに行って夜遅く帰ってくれば、子供たちにキスしてあげます。常に一日に一度、夜にキスしてあげるのです。「お前たち、お父さんとお母さんに会いたかっただろう? 済まない」と言いながらです。「済まない」と言う時は、のどが詰まります。「しかし、お父さんには行くべき道があるということを知らないだろう? お父さんが責任を果たすことができなければ、人類が滅び、天が滅びるのだ。お前たちは、困難であっても耐えなさい。二十歳を超えれば、お父さんとお母さんのことが分かるだろう。早く大きくなれ。早く大きくなれ」と言ったのです。

 父母の役目を果たすということは簡単なことではありません。それを果たすことによって、自分の父が自分を愛したように、自分も親になったら息子、娘を愛さなければならないということを自動的に学ぶのです。また、自分のお父さんが世界で最も良い人だということを分からせなければなりません。皆さんも、そのようにしなければなりません。

 お母様に対して「一生の間、私たちの息子に絶対に涙を流させてはいけない」と話します。子供に「お父さんとお母さんが大声を張り上げてけんかしたことがありますか」と尋ねてみても、「私は、けんかするのを見たことがありません」と答えることができるように、死ぬ時までそのように生きなければなりません。子供が最も恐ろしい審判官です。天地のどこにおいても公認できる証人となるのが息子、娘だということを、皆さんは知らなければなりません。

 それゆえに、私とお母様は、息子、娘の前では絶対に涙を流しません。涙を流すところを見せてはいけないのです。子供たちが神様なのです。先生がお母様を教育しなければならない時がたくさんあります。また、訓戒しなければならない時もたくさんあります。しかし、父母は、自分の息子、娘に涙を流すのを絶対に見せてはいけません。

 父が母に対していくら残念なことがあっても、怒った顔で息子に対してはいけません。これが先生の哲学です。ですから、私の子供たちは常に平和で、常に仲の良い父母だと思っています。母の中で1番であり、父の中で丁重だと思っています。ですから、父母は第二の神様です。「神様を選びますか、父母を選びますか」と尋ねたとき、「父母を選びます」と言うことを、神様も好まれるのです。それが貴いのです。教育の中で最も貴いことです。それが教育の中で最も貴いのです。


子女を誇る競争

 写真を見れば、私の息子たちは本当に美男子です。(笑い)あー、本当です。どれほど美男子なことか、私がほれ込むほどです。(拍手)この世では、「息子、娘や妻を誇れば、愚か者だ」と言うでしょう? しかし、事実なので仕方がありません。(笑い)お母様と一緒に子供の写真を見ながら、「やー! ハンサムだ。誰に似ましたか」と言うと、お母様がにやっとこのようにします。「自分に似たのだ」と言えば、誰もが喜ぶのではありませんか。その気分を味わいながら暮らすのです。(笑い)男性ともあろう者が、それをもってけんかするのですか。知らないふりをするのです。ですから、お母様を私が愛しているのではないですか。(笑い)

 お母様と私も、お互いに「誰々は私に似た」と言うのです。「りりしくて、運動が上手で、あらゆる面においてチャンピオンの素質をもっているのは、私に似ているからだ」と言えば、お母様はどうすることもできません。(笑い)それは悪いことではありません。誇っても、愛をもって誇ることは、称賛の条件になり、話題の条件になるのです。そして、世界の因縁をすべて私たちの家庭に引き込んで花を咲かせ、愛の雰囲気を造成していくのです。

 先生には、そのように多くの子供がいるにもかかわらず、子供が一人いなくても、家の中ががらんとしているような気がします。神様もそうだと思います。そうではありませんか。ある子供が、お母様に会うためにすっと入ってきました。入ってくればお母様がいると思ったのですが、お母様がいないので「誰もいない!」と言ったのです。(笑い)父も横にいて、弟や妹たちもたくさんいるのにです。それは、どれほど寂しい言葉ですか。やI! そのようなことを見れば、お母様の力は本当に大きいというのです。

 いくら年齢が高くても、いくら年齢が低くても、愛は必要です。きょうも、私が朝早く下りてきて服を着て、このように祈祷していると、情進が、ちょこちょこと来て、ちょこんとあいさつして「アッパ(パパ)」と言うのです。私は、それを見て、「ああ、神様も同じだっただろう」と思いました。(笑い) 一歳なのに、入ってきてあいさつして「アッパ」と言うのを見るとき、そこには説明することのできないきずながあるのです。(笑い)そのような何かがあるというのです。(笑い)全員が笑うのを見ると、みなそれが分かっているようですね。そして、ある時は、私とお母様の二人がいれば、情進がさっと来て、必ずお母様のほうに行きます。さっと行ってお母様の懐に抱かれるのです。それゆえに、芸術というものは愛から出てくるようになっているのです。その美しさ! すべての芸術は、愛を除けば失敗です。


子女たちのこの上ない孝心

 私の子供は、本当に良い子供たちです。「私のお父さんとお母さんが一番だ」と言います。「世界の大統領よりも良く、誰よりも良い」と言います。私の言うこともよく聞きます。「さあ、今から私が韓国に行ってくるが、あのかわいそうな韓国の人々のところに行って、少し悪口を言ってあげてくるが、どう思う?」と言えば、「駄目! 悪口は言わないで、良い話だけしてあげてきて」と言うのです。(笑い)

 数日前も、子供たちを連れてロッテ・デパートに行き、「おもちゃを買ってあげる」と言いました。それは何でしたか。「レゴです(お母様が答えられる)」。それを買うと言うのですが、それがアメリカよりも安いと思ったのに、七万ウォンするということでしたか。ですから、「アメリカよりも高い」と言って、自分たち同士でひそひそと話をしているのです。それで、「何の話をしているのか」聞くと、「今、お父様は、中国やソ連を中心として、お金をたくさん使っていらっしゃるので、高くてどうして私たちが買うことができるでしょうか。それで、買うのをやめようと話しました」と言うのです。それを誰が教えてあげたのでしょうか。中共やソ連などといった、そのような話を私がしたでしょうか。心がそのようになるのです。それも、天が下さる心です。そのようなことを見るとき、直接教育しませんが、天がすべて関与していらっしゃるのです。一人一人を見れば、みな孝子です。誰もが自分なりに真の御父母様のために孝行しようとする心をもっています。

 お母様が、車に乗りながら「お父様は福が多い人です」と言うのです。女性たちは誇りたいと思っています。そうです! どうして福が多いのでしょうか。國進が孝子なのです。息子、娘たちは、みなそうです。國進は、お父様をこの上なく愛しています。朝、私が御飯を食べなければ、学校に行く時間になっても、学校に行かずに座っているのです。

 息子、娘をよく見れば、父と母をこの上なく愛しています。それを見ているので、お母様が誇らしくしているではありませんか。「私が息子、娘をよく産んであげておめでたいのですから、それを理解してくださらなければなりません」ということでしょう! (笑い。拍手)


孫の愛

 それで、このお母様をよく見ていると、最近では私よりも孫です。「あー、私のかわいい孫よ」と言っています。(笑い)三十年近く一緒に生きてきた夫、そのおじいさんを横にほうっておいて夢にも思わずに、「孫、孫、孫!」と言っているのです。それは、しぐさがかわいらしいのです。一歳になる信元という孫がいますが、さっと見ると、もう既におばあさんの機嫌を取ることができます。どこかに行きそうになれば、自分も連れていってほしいということでしょう。どこかに行くような気配がすれば、さっとげた箱のところに行って、靴をさっと置いておくのです。ですから、おばあさんがたまらないのです。(笑い)

 老人たちは、孫や孫娘を連れてきて抱かせてあげれば、それ以上の幸福はありません。お母様もそうです。最近では、孫や孫娘をどれほど愛するか分かりません。自分の息子、娘を生む時は、その味が分からなかったのですが、孫を味わったところ、これは何と言いましょうか。ようかんのようなものです。このようかんのようなものに触れれば、ぷよぷよしているのです。これに触れれば、「どれほど神秘的か分からない」と言うのです。昔は、おなかをすかせる時間を見計らって準備して食べさせ、よく食べるか食べないか見て、また排泄をしたりするので、そのような余裕がありませんでした。しかし孫は、すべて嫁が見て処理するので、孫がさっと来て「おばあさん!」と言って抱かれる時は、夫が自分の懐に抱かれることは何でもないというのです。(笑い)それは気味が悪いことですが、花を見て香りをかぎ、その実まで口に入れてのみ込んでしまうような感じです。ですから、たまらないのです。

 今回も、アメリカから来る時、孫の信元を抱いて「ああ、孫一人を連れていきます」と言うのです。なぜでしょうか。自分の息子、娘を連れていくことができないので、孫でも連れていって、息子、娘に会いたいと思う時に、孫をそっとなでながら誰々の代わりにキスをするのです。キスもして、象徴的に愛そうということです。そのように条件を立てて行う愛は、条件のない愛よりももっと多くの味がします。

 今回、先生の家庭に信春が生まれることによって、家族が四十人になりました。(拍手)ぴったり四十を満たしました。信春とは何でしょうか。新しい「新」ではなく、信じる「信」です。信仰において、統一教会に春の日が訪れてくるのです。今からは、あらゆる面から見て、蕩減数から見てもそうだというのです。今後、先生の家庭には、息子、娘がたくさん生まれてきます。孫がたくさん生まれてくるのです。


四 真の御子女様たちの才能と友愛

子女の愛の祝福

 私が、今まで私の子供たちのことを考えてみると、天は本当におもしろいのです。次は、このような子を生まなければならないがと考えました。そのために、人間の欲ではなく、神様のみ旨を中心としてそのような考えを行い、そのような子供を私たちの家庭が受けるためには、より一層み旨のために努力し、より一層苦痛を受けながら行こうと思い、そのようにしていけば、子供たちがすべてそのように生まれるのです。そのような観点から見るとき、統一教会の食口たちは、今まで苦労してきましたが、神様の祝福を受けているということは事実です。

 文先生の家庭の子供たちは、みな天才的な頭をもっています。絵を描いてもよく描き、できないものがありません。お母様よりも優秀であり、先生よりも優秀になることができる子供たちです。どのようにして、神様が祝福をしてくださるのでしょうか。愛の祝福をしてくださるのです。愛の道に従って千里の道のりを行きながら、数多くの事情を越えて受難の道をすべて忘れてしまい、心に愛だけをおいてすべてのものを流してしまい、通過していってみると、神様が訪ねてこられ、愛を中心としたその中心に神様がいらっしゃるのです。神様がいらっしゃってすべてを導かれることによって、天国の最も貴いものを愛の結実として送ってくださったものが息子、娘です。


優れた霊的感覚

 私が驚いたことは、私の子供たちも霊人体を見ます。声を聞きます。そのようなことが起きるのです。ピアノならば、ピアノを弾いている背後で、誰かがそばで見守っているようです。よくそのような話をします。孝進も、本当に遊ぶことが好きで男性的ですが、静かな中でこのように歌を歌っていると、神様の声が聞こえ、歌声が聞こえてくるというのです。そして、夜の十二時、一時、二時でも(それに合わせて)笛を吹くのです。その一面だけでなく、ほかの而もあるのです。

 孝進が学校に通っている時、特別に歌を学んだことは一度もありません。すべて自分一人で勉強し、ギターを弾くのも一人で研究しました。それがある程度進むと、夜中になって目を閉じていると、天国のオーケストラが聞こえてくるのです。恩進や譽進もそうです。

 恩進も、祈祷室に入っていくと、モーセが訪ねてきて話をしてくれ、あすどのようなことが起きるのかすべて教えてくれます。「あまりにも恐ろしい」と言います。現れるその人々が恐ろしいというよりも、ぴったり当たることが恐ろしいのです。「あす、何かがこうだ」と言えば、そのようになるのです。

 譽進が既にそうではありませんか。譽進が学校に行けば、「お父さん、私、不思議です」と言うのです。「何が不思議なのか話してみなさい」と言うと、子供たちが、みな何かをなくすと自分に尋ねてくるというのです。それで、「あなたの家のどこどこを探してみなさい」と言うと、そこから見つかるということです。それが理解できますか。そのように、すべて分かるようになっています。

 そのような霊的背景があるので、ここに出入りする人がどのような人か、すべて分かります。「お父さん、あの人は良くないので、今後用いてはいけません!」と、私に勧告するのです。「あの人が頻繁に通うのは良くありません。影響が大きいです」と言います。このような現象が、皆さんの知らない背後で展開しています。おもしろいでしょう? 世の中の普通の家庭にない霊的背景をもっている家庭だということを皆さんは誇らしく思わなければなりません。

 何も知らずに口を閉じている子供だと思って扱ってば困ります。座ったままで既に知っていて、「お父さん、あの人はこのようなことで来たのでしょう?」と言うのです。「お前、どうしてそれを知っているのだ?」と聞くと、「それが分かるので、私がお父さんの息子ではありませんか、お父さんの娘ではありませんか」と言うのです。(笑い)


明晰な頭脳と優れた才能

 亨進が、韓国日報で主催した絵画大会に出品したのですが、全世界の四十万近くの児童が出品した絵画の中で一等を取りました。三年前にも一等賞をもらったのですが、今回、また一等を取ったのです。亨進が金メダルを取り、妍進が銀メダルを取りました。(拍手)ですから、私の子供たちは、みな本当に上手に絵を描きます。学ぶ必要がありません。

 併進は、四年生全体で一番になりました。榮進は六年生全体のトップです。それで、このボストンにある有名な学校に行きます。そこは、八〇パーセントがハーバード大学に入ります。九〇パーセントが入るということです。

 それで、私の家庭でも、みなハーバード大学に行き、コロンビア大学に行ったでしょう? そのボストン高校に、榮進が入学申込書を提出した時、家族背景や学力を見て、仰天したのです。そのような学校に行った人がたくさんいるからです。「このようなことがあり得るだろうか、一家庭から一人が行くだけでも驚くべきことなのに、五人、六人と、すべてこのようになっている。おー!」。そのように言ったのです。

 今、國進は、二十二歳にしかなっていません。高校に通う時、ハーバード大学に行くと約束し、「間違いなく入ります」と言っていました。勉強もよくでき、高校をオールA(all A )の成績で卒業しました。それで、ハーバード大学に申請したのですが、統一教会のレバレンド・ムーンの息子だということで、入ることができなくなりました。ハーバード出身の地方責任者がいるのですが、その人が、既成教会の熱心な信徒で、國進を故意にはずしてしまったのです。

 それで、別の学校に入ったのですが、「ハーバード大学に行かなければならない!」と言って、三年生の時に転学試験を受け、三人を選ぶのに、百六十対一の競争を突破して入りました。そして、教授がしているような勉強をしたのです。ですから、質問すれば、先生が本当に困ります。ちょうど昔の私と同じです。

 今まで、私が呼んで「勉強しなさい」と言ったことはありません。すべてお母様に任せました。二十歳が近づいてきて分別がつけば、行くべき道をはっきりと教えてあげるのです。あなたの所属はどこであり、あなたは誰の息子であり、あなたの父と母はどのような人だということ、それだけ教えてあげれば良いのです。愛とは一つになることなので、その愛を失わないためには、いかなる犠牲の代価も払わなければなりません。勉強が問題ではありません。すべて解決されるのです。

 あの仁進がそうではありませんか。私がダンベリーに入っていく時は、十七歳でした。その時、数百人の国会議員や、アメリカの口八丁手八丁の有名な人々が集まって、アメリカ政府に対して信仰の自由化運動を行ったのですが、その大集会に行って、先生を紹介する演説を行いました。度胸は大したものです。「何が間違っているというのか……」と言ってです。

 権道は美男子になりました。この子は、どれほど頭が良いことか、上の大人たちの心を動かして、自分の使いをさせるのです。車に乗って行く時は、さっと車の運転台の隣りに行ってお父様に侍るのです。「私は(運転手の)誰々さんが本当に好きです。運転がどれほど良いでしょうか、いつかお父様の車を運転するのが、私の最高の理想です」と巧みに話すのです。

 運転が上手だという話はしません。帰ってくると、「やー、あなたのお母さんが喜ぶでしょう。あなたの奥さんが喜ぶでしょう」と言うのです。なぜでしょうか。気分が良いからです。「お父様も気分が良く、自分も気分が良く、すべて良いので、あなたが帰る時、良い気持ちをもって帰っていくので、あなたの奥さんはどれほど良いだろうか」と話しているのです。どれほど考えが深いことでしょうか。ですから、アメリカの大統領になって余りある息子だというのです。私は、アメリカの大統領にしようと思っています。

 私の子供たちを見ても、お母様は小さいのに、仁進は大きいではありませんか。善進も大きくなるでしょう。みな、誰に似たのですか。お父様に似ました。(笑い)女の子の種も男の子の種も、どこに入っているかというと、女性にあるのではなく男性にあるのです。そして男性も女性も、原因に似るようになっているのであって、結局は、二性性相の主体であられる神様に似たというのです。

 私の娘、譽進がいますが、顯進という弟の肩ががっしりして格好が良いのです。それで譽進は「あー、弟の顯進をもらっていく女性は福も多いでしょう!」と思っているのです。(笑い)肩と背中がとても力強く見えるのです。

 顯進は、お父様に似て運動神経がとても発達しています。馬に乗るのも、六ヵ月乗った子が、十年乗った人よりも優れているのです。孝進も、今、日本に行って、一万人の群衆をすべて主管しています。日本の指導者五百人を集め、涙を流させているのです。そのようなことも、すべて生まれつきのものです。


本性と友愛

 この世の子供たちは良い車に乗ろうとしますが、私の子供たちはそうではありません。それで、私が有り難く思っています。最も粗末な車に乗って学校に行こうとします。なぜそのようにするのかと聞いたところ、ベンツに乗っていけば、百メートルぐらい前で降りないと自分の心が平安でないというのです。人々の前で、自慢げに乗って通っているように思うからです。ガタガタいっている車に乗っていけば、近くまで行っても誰も分からないというのです。また、注目しないので、襲撃の対象にもなりません。すべてよく分かっています。それを見るとき、私は有り難く思うのです。「うん、そうだ。それはお父さんに似たのだ」と思いました。

 私の家庭をよく見ていると、弟はお兄さんに絶対服従しているのです。また、お兄さんたちは、弟や妹を自分よりも称えます。この世であれば、自分よりも優秀な時には憎んだりするのですが、顯進を見ると、國進を本当に称賛します。「國進は、あらゆる面で私よりも優れている」と言います。そして、弟はお兄さんたちを絶対的に敬っているのを見れば、お父様がいなくても、自分たち同士で愛し合って生きることができると思うのです。そのようなところがこの世と違います。

 榮進と亨進がいるでしょう。そして、善道と妍進がいます。おもしろいのは、父と母に何かを買ってくださいと言う時、妍進は、情進を前に立てて来ます。自分よりも愛しているのを知っているので、その子を前に立てて、後ろから操縦しながらすーっと来るのです。(笑い)それは原理的です。また榮進も、自分が好きなものを買いたいと思えば、誰に言わせるかというと、自分の弟に言わせます。「お兄さんがこのようなものを一つ買ってほしいと言っていました」と言わせるのです。そのようにして、自分はその背後からじっと見守っているのです。それが原則です。愛する人を通じて天を訪ねていくのが原則です。

 ですから、そのように生きているのを見る時、カイン・アベルの長子権が自動的に復帰された立場だと思う時がよくあります。また孝進も、よく見ていると、弟や妹たちを愛しています。兄として本当に愛しているのです。そのような家庭は、万年の歴史を受け継ぐのです。


カインの子女に対する愛と真の子女の犠牲

 「三十六家庭」を愛するのに、私の息子よりももっと愛しました。それは、「三十六家庭」自身が証するでしょう。私は、三十六家庭」を偶像のように崇拝しました。お金がなければ無条件に食べさせてあげ、着せてあげたのです。私は、私自身のことはほうっておきながらも、そのように愛してあげました。なぜでしょうか。世界の人々をすべて愛することはできないので、代表を立てて愛したのです。

 私の子供たちには義理の息子扱いをしながら、皆さんを実子よりももっと愛しました。それは事実です。先生に近くで侍っている者で、「それは違う」と言う者はいません。それゆえに、私の子供たちがそうです。譽進や孝進といった上の子供が、一時、問題を起こしましたが、それは何ですか。「お父さんとお母さんは、自分のお父さんとお母さんではない」と言ったのです。それを私は知っています。すべて知っています。世の中がそうなので、そのようにもなったのでしょう。今まで、聖進も、「お父さんがどうしてお父さんなのか」と言っていました。最近、み旨を知ってからは、そのようにしなければならなかった父だということが分かるのです。孝進と譽進も、お父様が教えてあげた内容がすべて分かるでしょう。カイン・アベルを中心として、カインを愛したという条件が世界的な基準を越え、サタンまで愛したという条件を立てることができなければ、天国に息子を連れて入っていくことができないのです。「原理」の教えを受けてそれを知り、分別がついて理解するので、すべてそのようになるのです。

 二十歳が過ぎたので、本当に分かります。「やあ! 私のお父様!」と言います。今、その息子、娘は、このように向き合ってお父様の顔を見ることを恥ずかしがります。自分が、分別のつかない時に、お父様に対して「お父様は、統一教会のお父様であって、かわいそうな私たち兄弟のお父様ではない」。このように話したことが思い浮かぶのです。それで、どれほど恥ずかしいことか、顔を上げることができません。

 ですから、先生の家庭に困難なことがあれば、皆さんがその困難を中断させ、また先生の家庭が背負わなければならない十字架があれば、皆さんの家庭でその十字架に責任をもち、金城鉄壁の垣根をつくらなければなりません。皆さんが、背後で垣根となり、肥やしとなって、先生の家庭が発展できるように、あらゆる精誠を尽くさなければなりません。そのようにしてこそ、皆さんの家庭が発展するようになるのです。


真のお母様のみ言

 お父様を拝見すれば、小さなことでも大きなことでも、責任者は孤独です。気分が悪くても我慢されるのです。ですから、私でなければ誰がそのようなお父様の心を解いてさしあげるだろうかという思いになります。妻ではありますが、時には娘の立場になって、お父様を喜ばせてさしあげ、何か助けてさしあげたい、そのような思いで生活してきました。

 子供たちには、「本然の創造理想を成し遂げてさしあげよう。堕落世界を早く清算して、神様を完全に解放してさしあげよう。お父様を安らかにしてさしあげよう」と、常に強調して話してあげています。

 常に心情的闘いの中で凄絶な生活をしてきてみると、青春時代もなく老年期に入ってきたような気がします。「私の代で複雑な摂理はすべて終わり、子供の代には、神様の創造理想を成した世界で育つようにしてあげたい。ですから、難しいこともすべて私がする。すべて私がする」と、常に心の中で誓いながら生きてきました。

 私は、私の子供たちのことを思うと、ふびんに思います。それは、子供たちが常に父母と離れて暮らしているからです。普通の正常な家庭では、お父さんかお母さんのどちらか片方が、常に子供たちの面倒を見てあげています。統一教会の祝福家庭の父母たちも、時折離れて生活したりはしますが、大抵は子供たちと一緒に時間を過ごしています。しかし、真の父母の家庭では、み旨の事業ゆえに常に忙しいので、なかなか時間をつくって家族が全員で{緒に過ごすようにはなりません。私たちには、一緒に食事をしたり、話を交わす時間がほとんどありません。それで、子供たちは常に寂しがっています。

 彼らの教育に関して考えてみると、幼い弟や妹たちは、お兄さんやお姉さんから学ぶことができます。お兄さんやお姉さんたちが自らの責任分担を履行し、天の伝統を守っていく限り、幼い弟や妹たちは、彼らから学ぶことができるのです。

 恩進が二歳の時のことです。四人のお兄さんとお姉さんが敬礼式に参席する時、恩進が目を覚ましました。あとで、「なぜ私を起こさなかったの? 起こしてくれれば、私も敬礼式に参席することができたではないの」と言いながら泣きました。幼い子供たちは、このように自然な方法で自分たちがしなければならないことを学びます。言ってみれば、これは、父と母が公的に生きれば、子供たちは、父母の公的な生活を学ぶようになるということを意味しています。

 興進が他界する前、「私はお父様を輔弼しなければならない」といつも言っていました。お父様や私が言わせたのではありません。それは、興進が全く一人で決定したことです。興進は、お父様を非常に尊敬し、お父様に献身的に侍りました。子供たちの侍る生活は、興進だけでなく、そのお姉さんやお兄さんも同様です。十三人の兄弟姉妹が、みな愛で深くつながっています。

 真の家庭として、私たちは家庭の伝統を守っています。例を挙げれば、誕生日の祝賀の宴のような所では、常にお父様が最初にはしをつけて食事を始められます。そのようにしたのち、子供たちは、年齢の高い順から順々に食事に臨むようになります。たとえアメリカで十三年以上暮らしたとしても、中心となられるお父様と共に、常に私たちは、私たちの伝統思想を守ってきました。そして、私たちは天の伝統も守ってきています。これによって、天にいらっしゃるお父様も、真の子女たちを保護され、導いてくださるのです。

 昨年の夏、顯進が、フロリダ州で開かれた世界ジュニア乗馬競技に、アジア圏のただ一人の代表として参加しました。この競技には、イギリスのチャールズ皇太子も参加したことがあります。顯進は、四千人以上の選手たちを退け、堂々と一位になりました。それで私は、顯進がこの分野に特別な才能をもって生まれたと信じるようになりました。

 顯進のニックネームはランボー(Rambo)ですが、彼の馬の名前は皇帝(Emperor)だそうです。顯進は、この八月にもまた別の競技に参加します。私は、皆さんに、今度のオリンピック競技で顯進が良い成果を得ることができるように祈祷してくださることをお願いしたいと思います。

 國進は勉強がよくできます。特に数学に秀でています。その点では、顯進を凌駕しているでしょう。國進は、常に論理的に考え、とても正確な決定を下しています。いつだったかお父様が、「國進よ、お前はいつか弁護士になりたいと言うだろう」とおっしゃいました。國進が考える時は、常に正しく、ですから彼は、彼の考えを裏づけする論理的理由を探し、結局はその理論を主張するのです。彼は、必要であればその意見をお兄さんたちにまで主張しようとします。

 顯進と國進は、第二次世界大戦に関する歴史に興味があると同時に、そこに精通しています。この二人の兄弟は、当時戦闘に参加した軍隊や軍艦や戦闘などについてよく知っています。

 権進は、國進よりも五つ年下です。権進はまだ幼いですが、彼はイギリスのちびっこ紳士のように振る舞います。それで、アメリカの若い食□たちにとてもかわいがられています。例を挙げれば、自動車に乗る時、「こんにちは、運転手さん。きょうは、とても上品に着こなしていますね」、あるいは「私は、いつかお父様の運転手になりたいと思っています」と言って、このようなやり方で運転手のおじさんの士気を高めてあげます。権進は、音楽に生まれつきの才能があります。学校のオペラの演出で、彼が王の配役を受けたのですが、その演技が高く評価されました。

 亨進は、とても礼儀正しいです。彼は、天の法度に正確に従っています。毎晩、寝床に入る前に、その日にあったことを反省します。さらに驚くべきことは、子女たちの世話をしているお姉さんたちまでも、亨進からその立派な信仰姿勢を学ぶということです。そのお姉さんたちは、亨進がとても正義感にあふれ、不義に強硬なので、時々恐ろしさまで感じると言います。

 ある一人の姉妹が彼をしかったところ、妥当でない叱責に抗議して、「それは、お姉さんの間違いだ!」と言いながら、間違っている点を指摘し、その間違いを説明して、そのお姉さんが自分の間違いを認める時まで、寝床に入らなかったそうです。お父様や私が、亨進にそのようにするように教えたのではありません。しかし、子供たちは、父母の生活態度を常に観察することによって、自らの行いを体得してきているのでしょう。

 今日のアメリカの社会環境は、子供たちにとってとても悪いものです。これに対して、私信とても残念に思っています。アメリカの道徳水準は、際限なく下落しています。このような環境で暮らしながら勉強しなければならない子供たちを思うとき、私は心配せざるを得ません。私ができることは、ひたすら天を信じ、頼ることです。

 栄進は、子供たちの中で最も理知的です。彼が考えることは、常に正確です。お父様は、絶えずお兄さんやお姉さんたちに、「外国語を勉強するように」とおっしゃいます。これを知っている榮進は、中国語に挑戦するようになりました。中国語は、最も難しい言語だといいます。しかし榮進は、早く、そして簡単に理解するので、一度やると決意した以上、どれほど複雑でややこしい中国語だとしても、その単語を覚えてしまうことでしょう。子供たちは、父母の立ち居振る舞いを観察することによって、あらゆることを自ら学びます。

 善進と権進は年齢がほとんど同じです。善進が、時々私のまねをするかと思えば、権進は、お父様のまねをするそうです。善進は、とても良い性稟の持ち主であり、霊的にも敏感です。善進は、心情が落ちた幹部のお姉さんを見るたびに、「お姉さん、きょうは家に行ってしまいなさいI・」と言います。

 妍進が生まれる時、その子の顔は、お父様にとても似ていました。妍進は、幼い時に少しぽっちゃりしていました。それで、太っちょというあだ名がつくようになりました。しかし、今の妍進は、その品のある姿から、私をしてお父様を連想させます。妍進は、とても寛大で、お姫様のような性稟をもっています。また、肯定的な面に根気強いです。一度何かを始めると、最後までそのことをやり抜いてしまいます。ほかの人たちが妍進と友達になるのは難しいのですが、一度付き合うと、長い間友情が持続します。

 情進は、私の幼い時にとてもよく似ていて、あらゆる人々からとてもかわいがられています。一度、霊通人が私に、霊界で情進を連れていくことができないようによく見守ってあげてくださいということを言いました。情進は、やはり音楽的に生まれつきの才能をもっています。そして、霊的にするどく、明るいです。

 真の子女たちは、それぞれ神様から才能を受けて生まれました。私には、十三人の子供がいますが、今もって子供が多すぎると思ったことはありません。

 結論的に、子供たちは、愛と献身で養育しなければなりません。私たちすべての家庭は、天と調和を成さなければなりません。愛は、すべてのものを溶かし、統一を可能にさせます。ですから私たちは、子供たちの情緒に対してあまり心配せずに、愛で教育すれば、彼らの生活は自動的に正しい方向に向かうようになるでしょう。





2004.08.17


















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