真の御父母様の生涯路程 2
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 韓国解放と摂理の出発

第二節 韓国解放とキリスト教を中心とした摂理の出発
        一九四五・八・一五〜一九四八・二・二二

一 解放直後の摂理の概観

一九四五年八・一五解放の日

 希望がない中、絶望の中で、新しい希望の日を迎える民族になり、希望の日を迎える家庭になり、希望の日を迎える個人になって、国の希望と家庭の希望と個人の希望が平面上で一度に一つになれば、国家基準を中心として勝利できる基盤になるのです。このような時が、一九四五年を中心とした韓国独立の日なのです。これはイエス様の当時に国を失ってしまったことを取り戻すことができる希望の日であり、氏族を失ってしまったことを取り戻すことができる希望の日であり、家庭を失ってしまったことを取り戻すことができる希望の、その日になるのです。

 解放されると、世界に広がっていた愛国志士という人々が入ってきました。いわゆる日本系列、中国系列、アメリカ系列、ソ連系列の人々が入ってきたのです。皆さんも知っているように、共産党の金日成が現れ、金九先生、李承晩博士、さらに中国派を中心として戦いが繰り広げられる、このような混乱時代になったのです。そこでは私は、万歳を叫べませんでした。人々はみな、解放されたと喜んでいるのに、手を挙げたくても手が上がらないのです。

 韓国民族が、八・一五解放後にうれしいと踊りを踊りましたが、先生はそれを眺めて、小部屋で涙を流しながら祈祷しました。

 先生は日本人から多くの拷問を受けました。しかし戦争が終わるとすぐ、拷問したその特別高等刑事に復讐を計画している友達を全部集めて、「哀れなのは敗れた日本である。既に主権を失ってしまい、ひざまずいてわびる人を殴る者は、神様が罰する」と諭し、また韓国で追われている日本人をひそかに呼んで、「拷問される前に早く帰りなさい」と言って、荷物を整理してあげたりもしました。

 一九四五年は、大韓民国においては解放を迎えた喜ばしい年ですが、日本においては戦争に負けた悲しい年です。それゆえ世界的に共に喜ぶことができる日、このような時をもたなければならないのです。


解放直後の七年期間(一九四五〜一九五二年)

 解放直後は軍政時代でした。主権を立てようとすれば、三年の期間がなければなりませんでした。政府樹立が一九四八年なので、解放直後より三年間の緩衝期間があったのです。この期間にキリスト教と統一教会が連合して復興しなければなりませんでした。

 第二イスラエル圏は、第一イスラエルの基盤の上に立たなければならないのです。キリスト教の代表国、第二イスラエル国であるアメリカを中心として、韓国の独立がなされたのです。そうして、第二イスラエル圏の独立したその基盤で、第一、第二イスラエルを収拾して、その上に立つべきなのが韓国独立であり、韓国の情勢だったのです。そうであったのにキリスト教が反対してきたのです。

 統一教会を中心として、キリスト教が歓迎し、韓国が歓迎していたならば、どのようになったでしょうか。瞬く間に、およそ七年の路程で、新教のアメリカを吸収できたのです。七年路程を中心として一九五二年に世界史的な出発ができたならば、先生が四十歳にさえなれば、世界のいかなる為政者も一つにまとめて、一つの方向に向かって、地上天国の理念に移されていったというのが全般的な摂理観なのです。

 今までキリスト教が四千年の歴史を通して、世界的版図、統一圏をつくってきたのです。キリスト教が先生に侍って一つになったならぱ、世界が統一天下になったのです。


韓国に入ってきた米軍政の失策

 それでイギリス、アメリカ、フランスなどが、統一天下の環境を中心として戻ってこなければならないのです。二人の息子、娘を抱えて戦っていた群れが、帰ってこなければならないのです。全世界的に見る時、天側の長子圏とサタン側の長子圏が一つとなって再臨する国を訪ねて来るのですが、何をしに来るかといえば、種を受けに来るのです。偽りの種を受けた凶悪な群れが、それを解消して天上世界の本然的道理の生命を受け継ぐためには、本然的国を訪ねてこなければなりません。

 ところで、米軍がこの韓国に進駐した時、第八軍司令官であるアーノルド軍政官を中心として、大韓民国行政処を掌握して全部収拾していたのです。

 ところで、外的に神社参拝していた既成教会の代表がみなどのような者たちかといえば、外国に留学した人たちです。皆、日帝の手先のような者たちです。結局は米軍政府が生じたとき誰が通訳官になったかといえば、牧師をしていた人や、牧師と関係して神学を勉強した人々が、通訳官として入っているのです。通訳官として入って、神様のみ旨の中において、アベル圏の宗教集団形成をしてくる歴史的基盤を無視して、彼らは国を中心として一つになってしまったのです。韓国キリスト教の混乱はこの時から始まったのです。

 このような難しい問題が起きたのです。歓迎と祝福と栄光の宴から勝利の天国に進展できる再臨理想の踏み台が、キリスト教文化圏と、韓国キリスト教と、韓国主権者と、アメリカ主権者と、アメリカ宣教師たちが誤ることにより、崩れ始めたのです。長子圏の立場にいるのがアメリカなのに、そのアメリカが、韓国における父と母の基盤を中心として復帰できる祭物的責任を果たすことができませんでした。


韓国政界とキリスト教指導者の不信

 神様はまた、キリスト教が反対する可能性がある立場にいることを知って、内的に、霊的に、数多くの団体を準備したのです。しかし、どんなに内的団体を準備したとしても、外的なキリスト教が国の形態を整えて反対する日には、イエス様に反対したユダヤ教とイスラエルの国と同じように、さっと回ってしまうようになっています。同じ運命の結果になるのです。

 大韓民国において、自由党の時だけ取り上げてもそうです。その自由党を編成した五人の中の一人が、私であったのです。私は、政治的体制を中心として、基盤をつかまなけれぱならないことをよく知っていたのです。

 先生はその時、二十五、六歳の若者でしたが、この国の高位層の人々と手を結んで出発しようとしたのです。皆さんが知っているように、その時の国防長官であった申性模を中心として、全般的な基盤をもって出発しようとしたことが外れたのです。最高の基準で出発し、世界的な舞台に行こうとしたことが外れたのです。もし、李承晩博士とその一派の何人かだけが、すなわち三人から十二人だけでも結束していたならば、その時必ず民主世界の主導国家であるアメリカが、この国に連結されて動くことができました。

 最高の立場で出発することが神様から許された位置でしたが、二名の牧師ゆえに、すべてふさがれてしまったのです。そして最高の牧師から切られてしまうことにより、最下位の道から復帰しなければならなくなりました。

 その時、先生と因縁を結んで、先頭に立って仕事をした人が既成教会の有名な牧師でしたが、彼は自分が、将来権力を握ろうという考えをもったために、先生を裏切りました。

 このように歴史は、一人や二人の人によって分かれたり、合わさったりするのです。時代の革命的な変革期も、多くの人から始まるのではありません。


神霊教団の分裂と既成教団の勢い

 韓国の大統領になる人は、アベルの代表にならなければならないのです。天に侍るアベル的な立場から、神社参拝した牧師を使ってはならないのです。そのような牧師は除去して、獄中や地下で苦労した人々をアベル的教団に立てて、再教育して国を立てることができる業をしなければならなかったのです。その時、私は長官級の人は、すべて知っていました。地下で運動する有名な人々に、私がみな会ってみたのです。その人々は、私が誰なのかを知っているのです。ですから、そのような環境にさえなっていたならば、どのようにしようが、その時、自動的にアベル教団を中心として、民族主体思想を中心として、新しい方向、世界に進む新しい道を主張して出発することができたのです。

 そうして、地下教会と再建教会が一つになりアベル圏に立って、カイン圏の既成教会と一つになってこそ、国を収拾することができたのです。

 今になって回想してみるとき、その時、そのように戦った張本人たちは、すべて消え去ってしまったのです。このような戦いは、特定の牧師階級から長老階級を通って、一般信者階級にまでつながって下りてきました。

 そして、旧約時代の神霊派であるエデン復帰派は、自ら新約時代のエデン復帰派に従っていかなければならないのに、それを知らないのです。自分第一主義なのです。東と西で役事をするのは中心を求めるためであって、中心が現れなくなる時は、この全部がぶつかるようになるのです。南と北がぶつかり、東と西がぶつかるのです。先生は、そのような人々を連結させました。一人の食口でも連結しなければならないのです。


氏族と家庭の責任

 私の三番目のおじいさんに、政治的な風土があれば良かったのですが、純真なキリスト教の牧師でした。李承晩博士が帰ってきて国を立てたのですが、私のおじいさんを必要としたのです。旧学問に精通し、新学問に精通しているので、旌善にいる時、ヘリコプタ、で三度も迎えに来たのです。そのようにしても「あー、私は政治はしないよ。信仰する人が政治をすることは……」こう言ったのです。こうして李博士と一つになれなかったのです。もし李博士と一つになっていれば、どんなに素晴らしかったでしょうか。私が理論を中心として私の従祖父を説得しさえすれば、李博士一族と環境与件、キリスト教幹部のすべてのことを消化するのは問題なかったでしょう。

 ヨセフ氏族圏内にイエス様を中心とした家庭が入らなければなりません。それでこそサタンが讒訴しても、氏族圏内で讒訴するのであって、家庭圏内には入ることができないのです。それで氏族が絶対に必要だというのです。

 ところが、大韓民国と既成教会が一つとなって、聖進のお母さんを前に立てて反対しました。私がこのような世界的使命を担った、ということを知りませんでした。

 自分の母親と組んで、「主が人として来るというのは、偽キリストだ」と言ったのです。結局は、洗礼ヨハネが天から教えてくれることが信じられなくて、イエス様に従えなかったことと同じようになりました。すなわち摂理のみ旨の中で、先生はキリスト教を代表した一人の女性に会いましたが、その女性が洗礼ヨハネ以上に先生を信奉し、蕩減復帰摂理時代の新婦の使命を果たすべきであるのに、できなかったのです。こうして、ここから問題が生じたのです。時が来たから出発をしなければならないのに、出発するところにおいて、反対する環境的与件が徐々に生じ始めたのです。


摂理の挫折と再蕩減路程

 反対するようになるとサタン側の世界に戻っていくのです。それゆえ、先生の一生の中で、世界的版図をもって行動すべき使命を担った統一教会は、荒野に追われた群れのように、世界を失い、国を失い、民族を失い、氏族を失い、家庭を失ってしまった立場から、新たに収拾してこなければならない運命に立つようになったのです。それが統一教会が歩んできた道なのです。

 それゆえに、解放から十四年(一九四五〜一九六〇)、これは七年と七年を合わせたものです。旧約時代七年、新約時代七年、その次に成約時代七年(一九六〇〜一九六七)になるのと同じです。長成期完成時代に、家庭的に堕落したのです。それゆえに、摂理史的見地において、解放後十四年たったのちに成婚式を挙げたのです。七年、七年を越えてきたのです。

 それでアダム時代、イエス時代、再臨時代、三時代を経てきたために、三段階の歴史路程、三次七年路程を連結するのです。それぞれ別々に別れていたものを一つにするのです。それで、統一教会から三次七年路程(一九六〇〜一九八一)が出てきたということを知るべきなのです。この二十一年期間で、絡み合ったすべてのことを解いて、どのように個人から氏族、民族、国家、世界的に連結させる天のハイウェイを築くか、道を築くかというのです。それで家庭を引っ張って、全部この世界舞台まで出るのです。

 それで、今や第二回三次七年路程(一九八一〜二〇〇二)を宣布できたという事実、これは驚くべき歴史的事件であることを、皆さんは知らなければなりません。

 本来は一九四五年から一九五二年までの七年間で、キリスト教文化圏を統一しようとしたのが神様のみ旨だったのです。すべてのキリスト教文化圏が天のみ旨を知らずに一つになれないことにより、四千年歴史を再び先生の一代を通して、一九九二年まで蕩減して上がってとなければならないのです。

 これが何かといえば、世界的な荒野四十年路程です。一九四五年から四十年が過ぎて一九八五年までですが、それが七年が過ぎて一九九二年になりました。この期間が統一教会の受難路程であり、イスラエル民族が追われた路程です。


七カ国統一圏造成と共産主義克服の課題

 神様が復帰摂理路程において、一度選び立てた人を再度選んで使ったでしょうか。そのようなことは神様ができないのです。それは誰ができるのでしょうか。アダムはできるのです。先生のために立てたものが失敗したために、先生が責任を負えば可能なのです。それで、サタンが一番愛する日本を、イギリスの代わりに立て、その次に、ドイツをフランスの代わりに立て、アメリカをアベルの立場に立てたのです。

 四十年間祈祷したことが何かといえば、韓国・日本・アメリカ・ドイツ・イギリス・フランス・イタリアです。これは、夢の中でも祈祷したのです。私が病院で手術する立場にあっても、この言葉が出てくることでしょう。四十年間(一九五三〜九二)、毎日一日に五回ずつ祈祷してきたのです。それを越えなければなりません。

 そしてなぜ、韓国がこのように二つに分けられたのでしょうか。それは、アメリカの責任です。イギリスとアメリカとフランスが、使命を知らなかったためです。その間隙をぬって共産主義が生まれ、北韓に偽りの再臨主である金日成が父母という名で現れたのです。スターリンは、神主義の世界を、撲滅させようとする魁首でした。

 北朝鮮はサタン側のアダム国家であり、中共はサタン側のエバ国家であり、ソ連はサタン側の天使長国家なのです。それでサタン側と神側の双方が敵対視しているのです。

 ドイツは何でしょうか。ドイツの半分はサタン側がもっていき、半分は天側に属したのです。これを抱くことなしに、アダムの国に入ることはできません。これが一つになる時まで韓国も混乱が起こるのです。このように一度侵害を受けたために韓国も半分を明け渡しました。それが一つは韓国のアダム的国家の一部分であり、もう一つはサタン的アダム国家の一部分です。天側の天使長もサタン側の天使長に半分を譲って半分をもっているのです。この二つの国だけ統一されれば世界舞台はすべて解決されるのです。


二 金百文牧師のイスラエル修道院を中心とした摂理
     (一九四五・一〇〜一九四六・四)


解放直後の定州郭山支署収監事件(一九四五・一〇、一週間ほど)

 先生は四十年間に、六回も監獄に出たり入ったりしました。監獄で五年以上暮らしたのです。悪口を言われることにおいても、天下に、歴史始まって以来、私以上に悪口を言われた人がいないのです。粟の入った俵を持ってきておいて、その粒を数えられないように、それと同じくらい悪口を言われたのです。涙を、血と汗をどんなに流したか、皆さんは知らなければならないのです。

 北側に行って、監獄に入って出てくるのが三度です。三度まで監獄暮らしをしましたが、その時は、お金のために引っ掛かって入ったのです。貨幣問題のために引っ掛かったのです。それはお金に対する未練を、全部切るためなのです。一切を否定させるための神様の作戦でした。


金百文牧師と「イエス教イスラエル修道院」

 李龍道牧師を中心として三代を継いで続いた人が誰かといえば、金百文です。この人が、信仰生活において、最高の立場まで上がっていました。この集団は、洗礼ヨハネ格の集団です。

 彼は、天から「一つの修道院をもて」というみ言を聞き、そして「再臨主を迎えることができる勢力を準備しろ」という啓示を受けました。

 金百文氏と私は、カインとアベル、洗礼ヨハネとイエス様のような立場にあったのです。金百文という名前が、それで出てきたのです。ある人々は、先生が金百文の弟子だとか何だとか言いますが、先生が彼の弟子になるとはなんですか。その人は、キリスト教の信仰をしていましたが、キリスト論ではイエス様が神様と同位の人だといいます。根本をよく知らずにいます。けれども、その人は神霊の面では、当時の既成教会の、最高の信仰基準にあったことだけは間違いありません。

 そして、当時、金百文は李承晩博士と近い立場にあったので、彼を洗礼ヨハネの立場に立ててみ旨を成すことができたのに、そのようにできませんでした。


イスラエル修道院上道洞教会

 その集団に神様のみ旨があることを知って、先生が訪ねていきました。その時が、解放直後の、一九四五年十月でした。

 先生が、一番最初にこの道を出発した時は、一九四四年から一九四五年です。その時は、上道利教会で教会員たちを指導しました。

 先生がその集団に行って、六ヵ月以上の期間、何をしたでしょうか。僕の暮らしをしたのです。み旨はすべて知っていますが、その相続を受けるために、誰もできない精誠を込めるのです。皆さんが想像もできない懇切な心情をもって、祈祷をしたのです。その時、先生が祈祷した床には涙が染みついて、乾く日がありませんでした。

 ここでは、この世のように工作して、人をこっそり引き抜けないのです。真は真であるゆえに、真の価値を知ることができる時を待って、神様の復帰の内容を備えることができる人的資源を、その集団から発掘しなければならなかったのです。それゆえに、その集団の中で、無言の僕の暮らしをしました。


三人の女性の証と金百文牧師の祝福

 もし、先生がその霊的集団から一人の男と、そしてその男と一体になった三人の女を復帰することができていれば、それによってエバの復帰のためのすべての条件を立てることができたはずです。旧約時代は老いた女、結婚した老いた女に比喩でき、新約時代は、婚約はしたが結婚できなかった女に比喩できます。

 一つの家庭では、その老いた女は、おぱあさんに比喩でき、新約時代の女は、お母さんに比喩できます。そして成約時代の女は、娘に比喩できます。その女は、イエス様の姉妹を意味します。金氏が先生を祝福する前に、そこで先生を証した三人の女性がいました。

 六ヵ月後に、金氏は天から啓示を受けて、彼は先生の頭に自分の手を載せて、全世界のソロモン王の栄光が先生に臨むようになることを祝福しました。

 三月の復活節を迎えて、彼の食口を中心として天の役事が起きたのです。それで、自分に従うすべての食□たちの前で、先生を祝福してくれたのです。洗礼ヨハネがイエス様に引き継いだのと同じ役事が起こったのです。白い服を着て祝福をしてくれたのです。

 原理観から見る時に、アベルは、カインを一つにしなければ行く道がないのです。これが一つになれば、男の世界を統一して、旧約時代、新約時代、成約時代がぴたっと連結されるのです。そうなれば、今までの縦的な歴史時代を横的に立てて、完全に蕩減復帰した勝利の基盤が生じると、そのように見るのです。


祝福後の責任分担

 金百文が先生にそのように祝福をすると、その集団で神霊的恩恵の役事をする婦人たちや食口たちすべてが、「金先生に従わず、文先生に従え」という啓示を受けるのです。その時、先生は先生自身を前面に立てたり、弁解したりせずにじっと待ちました。その時神様は、前後をすべて備えておいたのです。

 金百文は、先生に対して「ソロモン王のような使命を受けた方だ」と祝福をしましたが、彼はその真の意味が分かりませんでした。そして、先生に一言半句尋ねることもしませんでした。しかし先生は、そのことを自ら進んで言うことができませんでした。

 彼は、すべてのことを悟るために、先生に質問をしなければなりませんでした。それが彼の五パーセントの責任分担でした。とにかく先生は彼から祝福を受け、それで先生は、彼がもっていたものを相続したのです。

 新しい霊的運動を受け入れるところには、常に人間の責任が伴います。二千年前に、ユダヤ人たちにはイエス様を受け入れるのに必要な、人間の責任である、謙遜な姿勢がありませんでした。彼らが受け入れられなかったのは、人間に責任分担があることを知らなかったためです。

 しかも、その人の非行や誤ちを私はみな知っているのですが、話しません。知っている人は、保護してあげなければならないのではないでしょうか。なおかつ、それが、宗教人、道義の道を行く人々の態度ではないかというのです。


金百文教団の不信の結果

 もし、金氏の集団が先生と一つになっていたならば、正にそれが完成段階の集団になったでしょう。先生はその集団と既成教会の牧師を連結させなければなりませんでした。そののちに連結すべきものが政府です。それで、それが三数をつくります。それは金氏の集団が完成段階になるという意味です。それは縦的な摂理が終わりの日に横的に復帰されなければならないためです。

 三人の女性たちが、先生を証しました。その後、彼らは先生と一つになるべきであったのですが、先生に従いませんでした。それで、先生は北韓に行かなければならなかったのです。

 北韓で先生は、そうした三人の女性と一人の男を復帰するために、すべての条件を通過しなければなりませんでした。

 金百文が受け入れようが受け入れまいが、先生としては忠告して清算しなくては、心情的な再出発をすることができませんでした。それで先生は、彼に十八枚の手紙を書いたのですが、彼はそれをみな破いてしまったのです。その後、先生は責任をみな果たした立場で、平壌へ出発しました。この日がなくては、平壌に行くことはできませんでした。


三 天命に従い平壌に(一九四六・五・二七〜六・六)

「三十八度線を越えろ」(一九四六・五・二七)

 先生は今や、自分は自分としての行くべき道を決めたので、最後のあいさつを兼ねて、当時金百文氏が修道院を造って、特別集会を開いていた沈山へ出発しようと考えました。それでも人間の道理があるのです。人が会ったのち、別れる時は、「行きます」というあいさつでもして行かなければならないのです。

 その時、私はソウルにいました。ソウルの上道洞に家が今もあるでしょう。その時、鹿島組というのがあったのです。日本では大きな電気会社でした。当時、会社にも通い、教会も預かっていましたが、解放直後だから米がないのです。

 先生はその時、黄海道の白川に米を買っておきました。それで、その米をトラックに積んでこようとして、行く途中、車の中で「三十八度線を越えろ!」という天の命令を受けたのです。五月二十七日に命令を受けて出発して、六月六日に平壌に到着しました。

 ある朝突然、行くべき道に出発したのです。その時、聖進が四月二日に生まれて、私が五月二十七日に出発したので、一ヵ月と少しになるでしょう。

 出発する時、三十八度線を越えるのが難しいので、全部天が教えてくれるのです。このような話をすれば信じないでしょうから、すべては話さないのです。三十八度線をどこから越えるか、直接案内を受けて北側に入ったのです。

 三十八度線を越える時、虹が前を導いてくれました。十二里の道を、直接導いてくれたのです。


天の命令とみ旨だけに従い

 神様のみ旨、命令に従って、先生はすべてのものを捨てました。

「このようなところに、神様の命令が必ずあるはずだ」ということを、私は知っていたのです。

 家庭のための道を行くのか、公的な神様のための道を行くのか。そこで、すぱっと切って「天のための道を行くのだ」と言って、神様の命令に従って北側に行ったのです。そのような峠があるのです。

 二つをすべてもつことはできないのです。二者択一です。安楽な家を捨てて、死の道を求めていったのです。

 そこには、援助があり得ません。神様のために、世界のために、家庭を犠牲にすることは問題になりません。「ああ、うちの息子、娘のために行けません」、このようなことは通じないのです。先生は何のためにそのようなことをしたのでしょう。可能ならば、先生は子女を捨てて北側に入っていかないのです。

 先生は、ただカナンを復帰しようという神様の理念にだけ徹していたのです。祝福が受けられる民族、祝福が受けられる地がどこか、それを探し迷ってきたのが、今までの先生の立場でした。


最低の立場、サタンの本拠地に

 下がっていく時は、必ず最低の立場まで下がっていかなければなりません。そのため、北側に行って、再び上がっていかなければならなかったのです。イエス様がヘロデ王に追われる時、イスラエル民族とユダヤ教が一つになってイエス様に侍り、ヘロデ王の意志に反対しなければなりませんでした。しかし、彼らが神様の前に果たすべき天的な使命を果たすことができなかったので、イエス様がエジプトに行ったのと同じように、先生もやはりそうした路程を歩まざるを得なかったのです。

 北側に行った時も、相対がいませんでした。いつも一人でした。

 リュックサックを担いで、「愛する妻子を残しておいて、私は行かなければなりません。行かざるを得ません」と祈祷した時を、先生は今も忘れることができずにいます。旅人の行路を歩む、天の道を探していく青年の姿は、追われ追われる一匹の羊と同じです。

 先生が北側に行ったことは、サタンの本拠地に行ったということです。それは、世界的なサタンです。共産圏に、死を覚悟して入っていったのです。

 怨讐の本拠地を訪ねていったのです。韓国キリスト教を中心としたみ旨の基盤がサタン側に帰してしまったがゆえに、それを取り戻すために、サタンの巣窟である北側に行ったのです。

 神様は、カインに対せなかったことが恨であり、カインを愛せなかったことが恨であり、カインの祭物を受け取れなかったことが恨でした。それゆえに、先生が聖進を捨てて、三十八度線を越えて北側に行ったのです。それは内的に子供を捨てて、三十八度線の北側にいる人々を愛したことになるです。


七年間の家庭的犠牲

 先生が家庭をもつようになったのは、教会を連結させ、国を連結させるべき神様のみ旨があったためです。ところが、国と連結されず、教会とも連結されませんでした。それゆえ、再び初めに戻らなければなりませんでした。

 分立する業をしたのです。そしてこの分立した基準を中心として再び取り戻す時まで、蕩減条件を立ててきたのです。

 手紙が来れば門前で、全部送り返したり、破いてしまいました。私に便りが来ることを怨讐のように思ったのです。

 聖進のお母さんも、聖進をおぶって歩きながら、りんご売りもしたのです。警察に追い回されながら、いろいろなことをしました。そのような話を聞きながらも、私は心が動きませんでした。

 これを知ってみると、聖進のお母さんも、すべて、一つの峠を越えながら再び取り戻してこなければなりませんでした。七年路程を歩まなければならないのです。赤ん坊と共に母子協助しながら、この地上において、エバの運命は、縦的基準を立てられなかった夫を探していくのです。この地球上において、七年間、赤ん坊を抱いて、その赤ちゃんを、この地上のどんな王子よりも大切に育てなければならないのです。国家を代表して世界を代表して越えるべき七年路程が残っているということを、私は婚約段階でみな話したのです。「このような私であるが、このような公的な道を行く人であるが、この道を行くことができるか」と、その時すべて話しました。それが実際そうなるだろうとは思わなかったでしょう。しっかりそのとおりになったのです。


四 「東洋のエルサレム」平壌開拓伝道
     (一九四六・六・六〜一九四八・二・二二)


キリスト教信仰の中心地 平壌

 平壌は、「東洋のエルサレム」と言われるほどキリスト教徒が集中した所です。それゆえに、平壌に行って、この道を出発したのです。

 当時、平壌では解放を迎えて、新しく教会を再建しながら、歴史的な使命を果たすために新たに出発した時でした。このような環境にある時、先生が平壌に行って新しい原理運動を展開したのです。当時、キリスト教界では、この民族の前に訪れた解放の喜びとともに、日帝時代に圧政を受けながら悲しい信仰生活をしてきたすべての恨を取り除いて、新しい望みと希望に満ちあふれ、教会の再建と信仰の新しい革新運動が起こっていました。

 そのような環境の中で先生が伝道をしていると、既成教会の中心になる信徒、あるいは特別な恩恵を受けた人たちが、所属していた教会に行かずに先生の前に集まり出しました。そのため、当時平壌で問題視され始めました。その時は、先生は西門に近い景昌里で伝道をしながら、統一教会の出発の基盤を立てていた時でした。


景昌里集会所

 私が平壌に行ったのが、二十六歳の時でした。とても若い青年でした。聖書を教えるのですが、ローマ書だとか黙示録を解釈するので、みな目がひっくり返ります。世上万事(世の中で起こるすべてのこと)に関して現在までその人々が生きていたならば、「いやー、文総裁! 千年史をみな知っていたんですね。どのように知ったので、みな当たったのだろうか」と、そう言うことでしょう。

 賢い人を引き抜くのです。引き抜けというのです。うまくいかなければ、直接会って説得するのです。このようにして青年会長たち、言葉の巧みな人々、熱心な執事たち、賢い人々、全部選び抜くのです。一つの教会から四、五人だけ引き抜けば、その教会が崩壊するのです。

 平壌で章臺?(山偏+見)教会という大きい教会がありました。昔、吉善宙牧師がそこで復興会をしたり、祈祷をして恩恵を受けた所です。その教会には千から千五百名近く集まるのですが、そこから賢い人を十五名引き抜くと、崩壊したのです。ですから、長老たちが「大変なことになった」と大騒ぎしたのです。そのようなことをして、平壌で私は悪口を言われたのです。

 「ここに天が引き抜くほどの人がどれくらいいますか。義人が五名だけいてもソドムとゴモラを滅ぼさないと言われましたが、その義人になれる人がどれくらいいますか。いなければ、何ヵ月か待ってください、私がつくり出します」。ですから、どんなに忙しいでしょうか。


子供を愛する

 先生は、二十六歳の時から論難の対象になりました。平壌に行けば平壌が大騒ぎになり、ソウルに行けばソウルが大騒ぎになるのです。その時、私が行く所すべて、問題になったのです。

 それは、なぜ論難の対象になったのでしょうか。町に行けば町の人たちが寝ないで、私がいる部屋にだけひっきりなしに来ようとするので、論難の対象になったのです。

 なぜ、そうであったのかというのです。子供たちに会えば、本当におもしろい童話を聞かせてあげるのです。ひたすら、御飯を食べることも忘れさせてしまうのです。御飯を食べることを忘れて楽しく遊んだのです。一日で何十種類、何百種類のことを考案して、子供たちを連れて、楽しく遊んだのです。

 平壌で、下宿した家に行って、そのようなことをみなしたのです。三歳になる子供と出会えば、敬礼したのです。幼子に対して、天のように侍ったのです。幼子のようでなければ天国に行くことができないために、子供たちからしたのです。彼らが涙を流して「そのようにしないでください」と言うことができる立場まで高めてあげながら……。

 幼子を愛しなさい。天のようにあがめながら愛せというのです。それゆえに、幼子に対して詩を詠んで、歌を歌って、神様の息子であると称賛できるためには、尊敬語をもってほめたたえることができなければなりません。そのようにすると神様の公認を受けてその子がほめたたえることができるのです。それで相対的圏をつくっておいて、彼らが喜んでそのようなことを相続して、行うことができる基盤になったために、初めて私は先生の位置に立ったのです。


食口たちのための精誠と恋しさ

 先生が平壌にいる時、サタンの役事がどんなに多かったか分かりません。そうした中でも先生は、食□のために精誠を込めました。朝、ある食口のために祈祷をして、その食口が来るか来ないか待ってみれば、間違いなく来るようになっています。

 先生が平壌にいる時、食口が恋しくて、一日中、門の外を眺めながら待ったことがありました。

 先生は、年を取ったおじいさん、おばあさんを連れて、夜を徹して話してあげられるのです。我々統一教会の若い指導者たちは、「ああ、年を取った者は嫌だ」と言いますが、人間の待遇をそのようにできなくては駄目なのです。人が精誠を尽くすために来た時、私が精誠で対してあげられなければ、私が負債を負う者になるのです。

 先生は、ある特定の摂理的なおばさんを引き抜くために、一年半の間、その家に訪ねていって、その夫とその家の家族全員を伝道したこともあります。夫が、「殺してやる」と、とても憎んでも、反対できませんでした。間違ったことがあればこそ反対するのです。腹の中ではうんうんうなっているのですが、息子や娘がみな、先生を好きになるようにしておいたので、反対すれば、結局お父さんが悪いという結論が、ぱっと下されるのです。それで一年半の間、その家の御飯を、さじでぎゅうぎゅう詰めて、ぱくぱく食べながら伝道しました。


霊界の導きで訪ねてきた人々

 先生がこのようなことをしながらも、本当に有り難いのは、神様が、既に先生のために一生を懸ける人々をたくさん準備していたということです。先生が生まれる前に先生を見て、生まれる前から先生に侍って、この道に準備した人々がたくさんいるのです。

 私が北側の平壌に行っている時のことです。私より年齢が高い一人のおばさんに会いました。私よりも約二、三十歳年上です。

 そのおばさんが堂、と、「私が先生に会ったのは、霊界で教えてくれたからです」と話すのです。そして、「自分にはそれが謎だ」と言うのです。「自分が二十四歳の時、先生の指導を受けた」と言うのです。先生が、まだ生まれもしなかった時なのにです。それは平面的には、理解できない話です。

 心情を主管する神様は、未来でも会うことができる因縁を常にもっているために、霊界は時間を超越しているのです。未来が今であり、今が永遠なのです。そのような心情の世界観があるために可能なのです。

 私が平壌にいる時、おぱあさんたちが霊界から全部教えられて、統一教会に入ったのです。霊界で教えてくれて集まったおばあさんたちは、先生の服のすそを、ほんの一度触って行くようになれば、その日は帰って踊りを踊ったりしたそうです。服のすそでも一度触って行くようになれば帰る時、ひらひら飛んでいくようだと言うのです。なぜそうなのでしょうか。それは、何かの妖術を使うからではありません。真なる愛の雰囲気に浸って、そうなるのです。


平壌時代に因縁を結んだ食口たち

 玉世賢ハルモニにしてもそうです。誰かが伝道したのではありません。主が来ると祈祷して、大騒ぎして、霊界を通してみると、「主は雲に乗って来るのでなく、人として来る」と神様が教えてくれるのです。ですから誰かが信じるなと言っても、絶対信じるようになっているのです。

 その時、景昌里で由緒ある金持ちの家の長老の奥様として、十人の息子、娘たち抱えて、羽振りよく暮らしていた身分の高い人でした。ところで先生に会ってからは、その夫をけって、自分の息子、娘をけって、従ってきたのです。

 章臺?(山偏+見)教会といえば平壌で有名な教会ですが、その教会の長老夫人がこのようになるので、その家門は滅びたと、平壌が突然ひっくり返ったのです。

 この池承道ハルモニも無学なおぱあさんです。先生が彼らを連れて今まで何十年、共に来ましたが、今も証してくれるのです。私が誇らなくても、そのような人々が誇ってくれます。それを見ればおもしろいでしょう。けれども、そこから新しい創造が起きるのです。

 そのような人が先生のところに来て、先生の手をつかんで「ああ! 恋しい!」とキスをするのです。この世的に考えれば、それはどんなに気持ちが悪いことでしょうか。

 「私が若い時には、一日に三度、先生に会わなければ狂うほどで、御飯も食べられなかったのですが、今もそうなのです。なぜそうなるのですか。今も私は一人で生きられません。先生に会わなければならない」と、そのようにしているのです。

 また金仁珠もそうです。先生が平壌に行っている時、このおばさんの舅はキリスト教の長老ですが、頑固な長老でした。「長男の嫁が出ていって、統一教会の文総裁に狂って、自分の家門を滅ぼす」と言って、手錠をかけて、むちで打つのです。

 そのような中でも、統一教会に行き、先生の服のすそでも見ようと、泣いて夜を明かすのです。そのようなことを、皆さんは知りません。それをどうしてさえぎることができますか。愛の道は遮ることができないのです。

 そして、皆さんは知らないですが、歴史的背後において摂理の内容と一致した点があるために、金元弼を私が今まで伴っているのです。それは霊界だけ知っているのです。そうして鄭達玉、その父親も牧師で、お兄さんも牧師だったのです。そのような家柄です。父親であるおじいさんの牧師が来て、どれほど達玉を迫害したか知れません。

 逸話が本当にたくさんあるのです。そのように過激に反対した怨讐の娘を、私が一番愛する人と祝福をしてあげたのです。それが、怨讐世界を一つにするための一つの始まりだったと、このように見るのです。金元弼より八歳も年上です。そのように歴史的路程を経てきながら、先生のみ旨にたくさん協助して、苦さ、甘さ、すべて味わったのです。ひたすらに忠実な人です。


懐かしき過去の因縁

 ここにおいて、この人たちは自分の子供よりも何よりも、国のために、そして公的な面のために尽くすことにおいて、「私たちは死んでも行かなければならない」という心情が芽生えるようになったのです。むちで打たれて、足が折れて、頭が割れて、見るも哀れなそのような立場でも、「私は死んでも、私たちは滅びても、先生が願うみ旨を、神様が願うみ旨を成すべきではありませんか」と言ったのです。復帰は、ここから出発します。

 今は、昔、過ぎし日に因縁をもった人が懐かしいのです。数日前、私は、誕生日の膳を前にして、「そのおぱあさんたちが生きていたら、私が牛を何十頭つぶして、全国の山河に膳を整えて、そのおぱあさんたちに、一度、よくもてなしをすればどんなにいいだろうか」と、そのような思いをもったのです。

 統一教会の昔を思えば、そのような人がたくさんいます。先生が監獄で苦労している時には、監獄に訪ねてきたりしました。そのような歴史的事実が、走馬灯のようにすーっと過ぎていくのを思う時、私は多くの人の前に負債を負った人であると思うのです。

 先生が今までこの道を来るのにおいては本当に孤独でした。孤独だったのです。この世に友達が一人もいませんでした。その時の食口たちは、本当に悲惨で、あまりにひどい時に出会ったので、私はその因縁を残してあげようと思っています。


五 平壌大同保安署の受難と腹中教(一九四六・八・一一〜一一・二一)

大同保安署に拘束(一九四六・八・一一)

 先生は一九四六年八月十一日、北韓の共産党により、宗教と称して詐欺をしたという罪名で、大同保安署に投獄されました。

 動機がどのようになって、このような問題が起きるようになったのでしょうか。皆さんの中でも、腹中教について聞いたことのある人がいるでしょう。

 一九四六年六月、共産党は、北韓全域において新しい宗教団体に対する弾圧を始めたために、それと類似した団体があれば糾弾しなければならない立場でした。

 許孝彬氏の集団が摘発されました。純粋な国民に宗教という美名のもとに詐欺を働いたというのです。なぜなら、財産を売って作った服が、トラック数台分になるからです。そして、その神霊集団の許孝彬氏ゆえに、私が引っ張られて入ったのです。

 また、私が南側から来たから、李承晩の手先だとか。しかしどんなに調査をしてみても根拠をつかむことができませんでした。それで、男の巫女であるとか、社会の風紀を乱すとか言って、捕まえて閉じ込めました。

 蕩減復帰の原理に従って、先生は、先生を待ちながら準備しているその集団に会いに行くことができませんでした。もしその準備された集団の指導者だったその許夫人が、主がおられる所を知るために神様に祈祷したならば、神様が彼女にそこを教えてくれたはずです。それで先生は、彼らが来る時まで待っていました。

 そうこうするうちに先生はその集団に人を送り、許夫人に、「先生の集団が何であるか、祈祷して調べてみなさい」と言いました。しかし、その時、許夫人は、一つの大きな兆候を期待したのであって、一人の若い男などには期待もしませんでした。それで彼女は、彼を送り返しました。そののちに、先生は一人の若い女性をその集団に送りました。しかしその集団からは、何の反応もありませんでした。

 しかし神様は、準備したその女性に責任を負わなければならないために、先生を監獄に入れるようにしました。一九四六年八月十一日から十一月二十一日まで収監されている間、先生は彼ら集団の幹部たちや、その婦人の夫、その集団の協会長のような人に会って、彼らが行くべき所を教えてあげました。


腹中教徒釈放のための獄中措置

 監獄に入ると、その婦人と相対になって、教育して、全体に責任をもっていた黄元信という人が、その部屋にいました。その時が一九四六年八月十一日ですが、十一時ごろに私が入ったのです。ところが、その翌朝、その人が私の所に来て、敬礼をしたのです。それで私がどうしてそうするのかと聞くと、「私は知っています。私は申し上げなければなりません」と言って、自分の集団に関するすべてのことを話すのです。「霊界から知らせてくれたので、この方だけには報告しなければならない」というのです。

 それで私は「これはあなたの責任だから、このように処理して、このようにして、許孝彬氏に早く出るように言いなさい」と言ったのです。出なければ、全部この監獄で倒れるというのです。それで黄元信が一人出たのです。その後、私が監獄から出たのちに訪ねてきたのです。訪ねてきて言うには、「信徒たち一同に、いくら勧告しても聞こうとしない」というのです。

 その人が釈放されたのちに、許夫人の夫が先生の部屋に来ました。先生は夫に、先生がその人に言ったことを話しました。しかし夫は、「自分は妻に従うつもりだ」と言いました。そうして彼は、先生の話を受け入れようとしませんでした。

 最後に、先生自身が一通の手紙を書きました。それは九月十八日の朝でした。先生は食事の時に、御飯を配る人に、その手紙を許夫人に渡してくれるように頼みました。彼女は、その手紙を読んでから破いてしまおうとしたのですが、その時、彼女は共産党の監視員に見つかってしまいました。それは、その紙を持っていってくれた人が、看守に知らせたためでした。それで先生は拷問を受けました。それは一九四六年九月十八日午後二時のことでした。

 その時、奥歯にひびが入ったのです。机の足に、打ちつけられたのです。何のスパイかというのです。その時逆さに倒れてこの歯が割れたのです。


むごくひどい拷問

 先生が共産党に捕らえられ、むちで打たれる時、そのむち打ちがとても激しかったのですが、踏ん張りながら、どんなに打たれても倒れないと決意しました。

 袋だたきになって、東西南北の十二方位を全部打たれても、ひたすら無言で打たれなければならない時が、一度や二度ではありません。牛の陰茎棒というのがあるのです。そのようなもの、知らないでしょう。牛の生殖器で作った棒です。それは革のようです。革よりもっとすごくて、溝がすーっと入っていて、このくらいの長さです。これで強く打つと、肉をえぐってしまうのです。一遍に、そこに血のあざがつくのです。そのようなもので打たれても、「打ってみろ、こいつ!」としたのです。

 先生がそのような辱めを受ける立場で流した汗は、どんな汗でしょうか。ありったけの声でわめき散らしたならばそれ以上で、血を流したならばそれ以上だということを知らなければなりません。涙を流したならばそれ以上だというのです。一週間の間座って泣いたのちには、太陽の光が見られなかったのです。なぜでしょうか。神様がこのようにかわいそうであるのか、初めて知りました、歴史始まって以来。

 先生は、それを知ったがゆえに、監獄で血を流して拷問を受け、死ぬようになる場でも、「神様、安心してください。私は弱い者ではなく、サタンのどんな威圧にも勝利できる男です」と神様を慰労してあげたのです。

 先生はソ連の共産党に、一週間、眠ることのできない拷問も受けてみたのです。「こいつ、お前が耐えるか、私が耐えるか」としながら、おもしろい時間だと考えるのです。普通の人々は一週間も過ぎれば、全部こうして、寝ながらすべてを話してしまうのです。先生は、目を開けたままでもよく眠るのです。それを研究したのです。その時に訓練を受けたので、今も眠気が来れば、その方法を利用するのです。

 真っ赤な部屋に座らせて、御飯も与えずに、一週間閉じ込めておくのです。真っ赤な部屋にずっと座っていると、狂ってしまうのです。何も見えなくなります。ですから、私のような人は目を開けて眠るのです。よく見ると、目は開けているのに眠っているのです。

 それで、文総裁は男の巫女だといううわさが立ったのです。「あの人は閉じ込めておけば、鍵を開けて出てくる」と言って、七人が広がって、二十四時間見張るのです。


慰労と同情の差し伸べられた手

 先生が、忘れられないことは……。監獄で拷問を受けて、一人で体を支えることができない境地で呻吟する時に、本当に多くの体験をしたのです。神様がその場に共にいてくれて、神様自ら抱いて共に夜を過ごすことを感じるようになる時、どれほど神様が私を、親しく愛しているかということを感じたことがあるのです。そうした死の境地で保護してくれた神様が、私をそのように保護された神様が、皆さんと共にあることは間違いない、ということを私は知っているのです。

 死の道に入っていっても、必ず恩人が現れるようになっています。私が共産党の世界に行った時、一人の者が、「死ね」と、やたらにたたいたり殴ったのですが、ある人が、何か買ってきて侍りながら言うには「なんとかさん、あの刑事のやつの性格がああなので、あなたがひどく殴られました。だからといって保安所員が、みなあの人と同じだろうとは思わないでください」と言って慰労しながら、餅も買ってくれ、おいしい物を買ってくれるのでした。ひそひそと話をしてきて、使いまでもしてあげようとするのです。悔しさを受ける絶頂には、必ずそのようなことがあるのです。

 先生が今も忘れられない人は、その時に捜査を担当した洪という人と、仕事全体の責任をもって指導した朴チャンヂョンという人です。この人たちも、ある時が来れば、みな会うのです。


釈放(一九四六・一一・二一)と腹中教の結末

 その時、先生は韓国にいる米軍のスパイとして告発されて、ソ連の調査官によって尋問を受けましたが、無罪だということが判明しました。

 先生は、十一月二十一日に釈放されました。その時先生は、血をあまりにたくさん流していたので、ほとんど死んでいました。それで先生に従っていた人々は、先生が死んでいくと考えました。先生が再び生き返ったことは、一つの奇跡でした。

 許孝彬集団の失敗のゆえに、先生は他の人々を探さなければなりませんでした。先生は条件的な数を探し立てられる時まで、そこで伝道をしました。監獄から釈放されたのち、先生は他の集団と関係を結び、またその集団の人々を指導しました。しかし一九五〇年に韓国戦争が起きた時、彼らはすべて虐殺されました。

 許孝彬氏以下、すべての監獄にいた人々を、順川だったか、そこから共産党たちが後退する時、連れていって全部虐殺してしまったのです。

 その時の腹中教は、夫の李夢龍に再び会って解怨成就、解放される、その日を待ち望みながら、獄中で待つ春香の心情のような、正にそのような状況だったのです。私はそのように伝道したのですが、私の話を聞かずに、みな死んでしまったです。

 それゆえ、いつも謙遜な立場に立たなければなりません。自分をまず主張することは、危険なことです。

 彼らは、カイン的な立場で死にました。それゆえ彼らは、この時代に統一教会が出てくるまで、霊界の哀魂になっています。それで、アベル的立場の私たちが彼らを復活させなければなりません。復活させるには、彼らの業績までも復活させなければなりません。


受難前後、継続的な迫害の克服

 北韓の共産治下で、キリスト教会がキリスト教連盟をつくり、共産党と一つになって反対するという、そのような環境で戦いました。キリスト教が、なぜ私に反対したのでしょうか。信仰の篤い人々賢くて信仰の篤い人は、みな先生のところに来るためです。しかしながら、先生が出現した背景が天にあり、キリスト教を動かせる内容を備えていたという事実、そのことを世の中は知りませんでした。

 北側では、すべてが怨讐です。敵国でした。国と教会はもちろん、一般市民までも先生を殴り捕まえようとしました。そのようなところで、生きられる方法とは何でしょうか。げんこつで対するようになれば、滅びるようになるのです。ですから仕方なく、犠牲となり奉仕をしなけれぱならないのです。十回殴られても、彼らのために福を祈ってあげ、千回冷遇されても、彼らのために祈祷してあげる作戦をしたのです。千回、万回悔しいことをされても神様を愛しているゆえに、神様が耐えてこられたがゆえに、そうしなければならないのです。先生はこのことを知っていたので試練を受けても今まで克服してきたのです。千年の恨めしい事情が一年の間で回ることを願いながら、黙々と克服していくのです。


六 「主なる神の夫人」朴老婆を中心とした摂理

「主なる神の夫人」出現の意義

 その時、先生は二十六歳の年齢でしたが、霊的な世界のプログラムをすべて組み立てていたのです。「復帰の道はこのように行くのである」と、はっきり組んでいたのです。霊界においてある程度までの基盤を築いて、実体の世界に向かって出るのです。

 男から祝福の相続を受けたならば、女からも祝福の相続を受けなければなりません。そのため、金百文の集団を中心として、男性の前で祝福を受けたので、女性からも祝福を復帰しなければなりません。そうでなければ、今まで韓国の全土で神様が築いておいたすべての摂理の基盤の相続を受けられないのです。

 そのために、「私は神様の夫人である」と言う、地上において神様が直接導ける婦人が出てこなければならないのです。そうすれば、その婦人を神様が直接導くために、神様を中心として連結される霊的世界が、ここに動き入っていくのです。そうして、初めて地上に着陸できる基地を、一人の婦人を通して、すなわち「主なる神の夫人」だという婦人を通してつくるのです。

 エバとは何かといえば、アダムの夫人なのですが、神様の外的な夫人であるというのです。体的な夫人だというのです。それは正しい話です。神様の夫人だとか、主の新婦だとか何とか、そういう人が現れて、相対的に実を結ばなければならないのです。

 解放されたその年に、先生が南にいながらシオン派、新約的エデン復帰派である金百文集団に入って、六ヵ月の間そこにいました。大韓民国の神霊的、人々と全国にすべて、通じる所です。そこで「あるおばあさんが神様の夫人だと言っている」と言って、金百文一派が嘲弄するのです。私は、その話を聞くや否や、北側に行ったのです。


善悪の中間立場の役事

 その婦人が、朴氏(朴ウルリョン)ハルモニでした。その婦人は、復活したエバであると同時に、堕落直後のエバの身代わりの役事をしているために、二つの側の役事をする人でした。ある時は神様も入ってきて役事され、またある時はサタンも入ってきて役事をする、緩衝型の実体です。

 その夫は、韓氏の姓をもった地方の有力者でした。

 またその家に十人の息子がいたのですが、その息子たちが、どれほど、たちが悪かったか知れません。その家は、平壌で一番の金持ちだという人の、妾の家です……。

 主管性を転倒したエバにおいて、悪は悪なりに、善は善なりに収拾しなければならないのです。天が蒔いた善を、一時に収拾しなければなりません。そうしようとすれば、数多くの僕、天国の卑しいはしため、浮気者、淫女たちから収拾して上っていかなければならないのです。悪いものは全部整理して、別々にしておかなければなりません。真なるものは真なるものとして全部まとめて、女性を代表できる一人の母の代身者を、再創造しなければなりません。


最低の立場で絶対服従し仕える

 天的な使命を担って、天のプログラムがどのようになっていき、どのように帰結されるかということをすべて知っていた先生は、何も知らない小さな子供のようにして、そのおぱあさんが死ぬ時まで、精誠を尽くして侍りました。

 そのおばあさんの僕になるのです。完全に僕の暮らしをしたのです。そのおぱあさんを伝道したのではありません。先生は、その息子、娘たちに敬礼までしました。人々が先生に従い侍りたくて、何でも貴いものを持ってきてくれると、先生は、おばあさんの家族たちの前に、すべて持っていき、捧げるのです。

 息子、娘が見張っていて、夜も寝かさずに仕事をさせようとするのです。しかし、それをすべて克服しなければなりません。

 私は、その家の子供たちが大便を漏らしたものまで、みな片づけました。その時、五十七歳になったそのおばあさんの月経のものまで私が洗ってあげたのです。何、家に帰って寝るですって? 「寝ろ」と言う所に行って寝なければならないでしょう。「納屋で寝ろ」と言えば、そこで寝なければならないのです。

 さるまたまで作って、着せたのです。「しろ」と言えば、しなければならないのです。絶対服従しなければなりません。

「風呂に入れてくれ」と言えば、入れてあげなければならず、その家から背負子を背負って十里の道、百里の道を行ってこいと言えば、行ってこなければならないのです。

 それゆえに、愛をもって行くところには垣根がありません。どこへでも行くのです。その愛は良いのは良いのですが、行く道は悲惨だというのです。二律背反です。犠牲奉仕です、犠牲奉仕。


段階的な証と祝福

 僕のように扱われるその位置で、精誠を込めれば、次々に復帰されるのです。この期間は、先生が「原理は必ずこうだ」ということをはっきり提示する時まで、実験する期間です。

 僕から上がっていきながら、「あー、ここに神様が愛する僕が来た」、その次には「養子が来た」、そうしながら、どんどん上がっていって、祝福を復帰しなければならないのです。主管圏を転倒させることによって、女性の前にアダムが押さえつけられて堕落したのと同じように、この主管圏を再び転倒して、そのおぱあさんを通し、僕から養子、庶子、息子の位置まで上がっていけば、「天の国の総理大臣である」と証をするのです。その次には「天国の全権を代表したイエス様の位である」、その次には「神様の対象実体である」と、はっきり証をするのです。

 天の総理であると同時に、イエス様の身代わりであると同時に、神様の身代わりであると、はっきり祝福するのです。宣布するのです。その宣布する式がぱっと終わった次には、自主権をもって、反対にひっくり返すのです。アダムの権限を蹂躙したのを、アダムがここで蕩減的条件を立てて復帰したので、アダムの位置に立つためには、完全に反対にしなさいというのです。


主管性復帰と朴老婆の不信

 そうしたのちにこそ、先生が「私があなたに仕えたのと同じように、あなたも私に仕えなさい」と言ったのです。今まで僕の僕の立場から、誰も成し得ないことをしながら自分に仕えていた人が、自分が言った一言の証とともに、権威を立てて「すぐに私がしたように私に対してもそのような僕の業をしなさい」と言うので、彼女には青天の鼻息と同じです。先生は、証をするその言葉を受け、即座に「敬礼しなさい」と言いました。それが、復帰するための主管性転倒です。

「今までこれこれこのように先生に従っていき先生に仕えようとしたのに、こうまで自分に容赦なく命令することができるのか。僕に対するように命令できるのか」とひっくり返るのです。人間的な考えでしょう。天の定めた標準になっていれば、きのうの弟子でもきょうの師匠になり得るし、天の国の王子の位置にも上っていけるのです。自分の息子、娘がみな、一夜にして王妃になり、皇太子妃になれば、そこに頭を下げなければならないのが父母の立場なのです。


朴老婆の不信の結末

 そのようにして、二つの群れに分かれるのです。おばあさんに同情する連中と先生に従う群れ、二つの群れにすべてが分かれるのです。おばあさんも先生に従わず、おばあさんを支持した人たちも先生に従って来ないので、そこで分かれるのです。

 こうして、すぐにそのおばあさんは精神異常になったのです。そして「文なにがしという人は天国の逆賊であり、世の中のすべてのものを奪っていき、自分のすべてのものを盗んでいった」と言うのです。

 ゆえに、完全にサタンが発動するのです。そうして、ありとあらゆることが起こったのです。おじいさんを連れて歩き、息子、娘を連れて歩きながら、梶棒で私を殴り殺そうとするのです。そうこうするうちに、そのおじいさんがぽっくり死にました。天に対して自分の責任を果たせない時は、そこにサタンが侵犯できるのです。それは本当に恐ろしい死に方でした。私を殴って追い払おうと、杖を持って出てこようとしたところで倒れて死にました。全身が青くなって、腹が張り裂けて死んだのです。棺に入れられないくらいに膨れていました。

 私がその人の話をみな聞いてあげて、その人の仕事を助けてあげたならば、その次には私の話を聞いて、私の仕事を助けてくれるのが人間世界での礼法であるのに、そのようにしないのです。そうなると、その女性が今までどんなに多くの精誠を込めたしても、無駄になるのです。私は、その女性が精誠を込めたものを、私にすべて移して、くくってきたのです。それゆえ、天から始めたか地から始めたか、すなわち、神様中心か自分中心かということを分別できなければなりません。


四十日霊界勝利と神様の御印

 どのような試験まであったのかといえば、四十日の試験期間がありました。その時は、霊界のすべての霊人たちが、みなそのおぱあさん味方になって、責め立ててきます。イエス様までも先生の所に来て頼みながら、「そのおばあさんは主なる神の夫人であり、神様が愛する娘ですから、どうか侍らなければならない」と言いました。けれども、先生は天理の原則をもって彼らと戦いました。先生は一人で四十日間、今まで来て逝った数多くの霊界の道人たち、イエス様と神様まで全部が動員された全霊界と戦いました。

 戦場の天地にしてしまうことができないので、天は、四十日の期間が満ちれば、結局判定を下してあげなければならないのです。

 天理の原則でなければ天と地が滅びるのです。先生が探してきたこの道は、間違いありません。先生は最後の決戦で、勝利したという判決を受けました。イエス様以下数多くの霊人たちが、逆賊として追い込んで反対した文という人の主張が、復帰の恨を解く原則であり、天倫の秘訣の中の秘訣であるという判決を受けて、勝利の基準を立てたのです。

 「文総裁は洗礼ヨハネで自分が再臨主だ」と言いながら、「自分が再臨主、メシヤだ」と言う人々がたくさん出てきたでしょう。みな、やってみなさい。「しるしがあるか」と尋ねられれば、どうしますか。メシヤならば、霊界の総決議により公認を受けな神様からのしるしがなければなりません。


女性心情の代の伝授と獄中暮らしの苦しみ出発

 このような業をしながら、そのおぱさんのような通じる人を再び立ててくるのです。神様の夫人から始めて本然の母の位置を取り戻すためには、八十歳から再びするのです。八十歳から七十歳、六十歳、五十歳、四十歳、三十歳と、そのような基準を中心として、これを再び延長して、母の時代まで、お母さんの年齢まで下りてくるのです。それを、みな収めなければなりません。

 朴氏ハルモニが先生に反対したので、代わりに他の人を立てるようになりました。エバは再創造できる原則があるためです。家庭的な基準を立てられなかったことにより、先生は平壌で一九四八年二月二十二日に収監されて、二年八ヵ月の間、獄中にいました。それは洗礼ヨハネが使命を果たせず、イエス様が十字架の道を行かれたのと同じことでした。獄中には、ラケルの立場である金氏が共に収監されていました。金氏はラケルの立場、朴氏ハルモニはレアの立場であり、さらにまた羅氏という婦人がいました。この三人の婦人が先生に協助しなければならなかったのです。失った娘、姉、母、この三代の心情を復帰するために、おばあさんから二十代の年齢の女性に至るまで、みな復帰しなければなりません。先生は、三時代の女性を復帰する基準を立てなければならないので、心情の十字架を背負う道を行かなければなりませんでした。それに比べると外的苦難はなんでもありません。

 そのような復帰の基準、主管性転倒の基準を築いたならば、実際に行って取り戻してこなければなりません。人類の僕の僕まで取り戻してこいというのです。それを取り戻すために、最低の場である監獄にまで行くのです。監獄から門を開けて、出てくるのです。

















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