真の御父母様の生涯路程 2
韓国解放と摂理の出発
第一節 解放を前後した摂理的基台
一 第二次世界大戦とキリスト教文化圏
世界のキリスト教歴史の主流
キリスト教文化圏と民主主義
国際連盟失敗と第二次大戦勃発
第二次大戦の摂理的意義
連合国勝利の摂理的結果
アメリカの戦後処理責任
摂理圏のアジア委譲
二 韓民族の日帝四十年の受難とキリスト教
新しい選民、韓国
四十年の民族的受難
キリスト教の受難と愛国運動
神霊役事とキリスト教の内的復興
男女相対的な役事
神霊教団と既成教団
三 金聖道氏の聖主教と白南柱牧師
「新しい主」金聖道女子
金聖道女史の信仰と神様の啓示
感謝の歌
夫、鄭恒俊氏の激しい迫害
二人の息子、鄭錫天、鄭ピョンファと長男の嫁、崔愛善
白南柱牧師と聖主教団認可
金聖道女史と白南柱牧師の決裂
聖主教の受難と金聖道女史の他界
四 李龍道牧師の「新イエス教」と許孝彬女史の「腹中教」
李龍道牧師の復興運動
既成教会の反対と李龍道牧師の他界
李龍道牧師のために追悼した女性たち
許孝彬女史夫婦と腹中教
許孝彬女史に降りたイエス様の啓示
腹中教の侍る訓練と準備
解放前後の腹中教の受難
五 氏族的信仰基盤と真のお父様
真のお父様の内的な準備完結
従祖父文潤國牧師
忠母様と大兄様
崔氏新婦と妻の実家の信仰
第二節 韓国解放とキリスト教を中心とした摂理の出発
一 解放直後の摂理の概観
一九四五年八・一五解放の日
解放直後の七年期間
韓国に入ってきた米軍政の失策
韓国政界とキリスト教指導者の不信
神霊教団の分裂と既成教団の勢い
氏族と家庭の責任
摂理の挫折と再蕩減路程
七カ国統一圏造成と共産主義克服の課題
二 金百文牧師のイスラエル修道院を中心とした摂理
解放直後の定州郭山支署収監事件
金百文牧師と「イエス教イスラエル修道院」
イスラエル修道院上道洞教会
三人の女性の証と金百文牧師の祝福
祝福後の責任分担
金百文教団の不信の結果
三 天命に従い平壌に
「三十八度線を越えろ」
天の命令とみ旨だけに従い
最低の立場、サタンの本拠地に
七年間の家庭的犠牲
四 「東洋のエルサレム」平壌開拓伝道
キリスト教信仰の中心地 平壌
景昌里集会所
子供を愛する
食口たちのための精誠と恋しさ
霊界の導きで訪ねてきた人々
平壌時代に因縁を結んだ食口たち
懐かしき過去の因縁
五 平壌大同保安署の受難と腹中教
大同保安署に拘束
腹中教徒釈放のための獄中措置
むごくひどい拷問
慰労と同情の差し伸べられた手
釈放(一九四六・一一・二一)と腹中教の結末
受難前後、継続的な迫害の克服
六 「主なる神の夫人」朴老婆を中心とした摂理
「主なる神の夫人」出現の意義
善悪の中間立場の役事
最低の立場で絶対服従し仕える
段階的な証と祝福
主管性復帰と朴老婆の不信
朴老婆の不信の結末
四十日霊界勝利と神様の御印
女性心情の代の伝授と獄中暮らしの苦しみ出発
第三節 興南監獄の受難
一 平壌での三ヵ月受難と興南移送
「平壌内務署」拘束
剃髪
過酷な拷問、取り調べ
法廷公判
食口たちの見送り
平壌刑務所に収監
反対主謀者の面会
興南本宮特別労務者収容所に移送
二 興南肥料工場での強制労働
興南徳里特別労務者収容所に投獄
朝の身体検査と一里の道を徒歩で労役に
「朝鮮窒素肥料株式会社 興南工場」強制労働
全心全力を投入した作業
最も困難な仕事を自ら進んで引き受ける
素肌を隠す
模範労働者賞を受賞
三 残酷な飢えとぼろをまとう
御飯を思い描きながら死んでいく囚人たち
名節と鯖の給食
御飯についていった牧師たち
三週間の半分の食事
そば飯
御飯の真価
食べ物を分ける
愛の服
針一つの真価
四 収容所の受刑生活
獄中祈祷
便器の隣の席
体の管理と寝床の礼法
看守たちと監獄の囚人たち
死刑囚
懐かしく、うれしいこと
読報会
忠母様の面会
五 獄中での弟子伝道
獄中で共にいらっしゃった神様
雲界の役事で弟子を伝道
出役時間の緊密な目のあいさつ
作業場に隠し持ってきたはったい粉餅
誕生日にはったい粉を持ってきた人
六 韓国動乱勃発と興南監獄出監
韓国動乱勃発
B−29の興南一帯の爆撃
囚人たちの一線投入
国連軍の興南上陸と劇的な出獄
監獄暮らしの歴史と伝統
第四節 興南から釜山まで自由南下
一 平壌帰還十日
再出発の決意
四名の獄中弟子と文正彬氏
ぼろぼろの囚人服
北朝鮮の戦争準備確認
二 平壌滞在四十日
故郷を顧みず食口収拾
神様が背を向けろと言われる時まで
腹中教訪問
反対した牧師たちの結末
み旨に背いた食口たち
平壌時代を代表する四人の食□
獄中の弟子四人を代表した朴正華氏
三 平壌からソウルまで
平壌出発
平壌から青丹に
避難の道のりでの炊事
御飯のさじを先に置く
龍媒島一・五里の干潟道の往復
郷土防衛軍の検問・検索
夢の啓示を受けて準備した食事で歓待
真夜中に強行軍で臨津江まで
臨津江を渡りソウルに
三十八度線の祈祷
四 ソウルに一週間滞在後、釜山に
兵役招集の身体検査
布団を売って餅を作って食べる(慶尚北道店村の農家)
永川で破いた手紙
あらかじめ準備した食事の歓待(慶尚北道月城乾川)
南で聞いた最初の歌(慶尚北道慶州)
貨車に便乗して釜山まで
第五節 釜山避難時代
一 哀歓が秘められた避難民生活
釜山到着時のいでたち
ひもじい避難生活
援助してくれた故郷の友達
埠頭労働と草野潜伏
あずき粥売りのおばさん
生活体験と原理原本執筆開始
韓国に避難してきた避難民たちの哀歓
二 ポムネ。コルの土壁の家から再出発準備
土壁の家の建築
釜山市東区凡四洞一五一三番地
懐かしい一間の部屋
土壁の家時代の身なり
釜山港を眺めながら
戦時状況を感知
原理原本の執筆と弟子に対する精誠
米軍たちの肖像画を描く副業
食□を待つ恋しさ
過去の食□収拾
『原理原本』脱稿と伝道の開拓
姜賢實伝道師入教
聖進様母子との再会
反対と迫害の高まり
三 水晶洞の受難と伝道拡散
南韓の生活適応の三年期間
頻繁な引っ越しと身を隠すこと
食口伝道と神霊集団訪問指導
大邱開拓伝道派遣
(一九五三・七・二〇:姜賢實、八月中旬:李耀翰)
韓国動乱の休戦
四 釜山ポムネッコル聖地
釜山凡一洞
凡一殿開館
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