真の御父母様の生涯路程 3
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統一教会創立と摂理の再出発

第三節 西大門刑務所の受難
        七・四事件、一九五五・七・四〜一〇・四

一 ソウル中部警察署(治安局特殊情報課)連行

七・四事件(七・四午後五時、奨忠洞教会)

 一九五四年に統一教会という看板を掲げて出発するようになりました。その時、韓国は国家的な反対をしました。全体が反対したのです。第二次新約蕩減時代においても、一九五五年を中心として、先生がまた監獄生活をしたのです。監獄に入るという出来事が起きたのです。三年間は、常に蕩減をしなければなりません。原理がそのようになっています。

 それで一九五五年度に事件が起きたのです。七月四日に監獄に入っていったのです。彼らは一つになって「レパレンド・ムーンを捕まえて殺せ」と言ったのです。その時の罪名が何でしょうか。「共産党だ、何だ」と言いながら、この世の悪いことをすべて、私に負わせたのです。過去の歴史の過ちも、すべてレバレンド・ムーンになすりつけたのです。悪い名前であれば、すべて出したのです。

 先生が韓国人であるので、韓国を中心として、摂理の起点が出発することにより、韓国におけるキリスト教は、韓国内のキリスト教としてとどまるのではないのです。摂理と全体世界を代表したキリスト教の位置にあるというのです。そのような立場に立った教会と国が反対すれば、全世界が引っ掛かってくるのです。彼らは先生一人をどのように負かすかということが問題でした。そうした複雑な渦中を通過しながら、イエス様が十字架にかかっていったのと同じように、最後に、サタンに引かれていく出来事まで起こりました。七・四事件が、その代表的な例です。

 その時に、ばかにされ冷遇されたことは、私は今でも忘れられません。彼らがしたことが、私の骨髄にしみ込んで、いまだに忘れられないのです。

 私一人が苦痛を受け迫害を受けることはかまわないのですが、神様が数千年間準備した国と民主世界のすべての基台が崩壊してしまったというのです。


事件をけしかけた最終的背後勢力

 大韓民国で、私は李政権時代に監獄生活をしました。ですから李政権は怨讐です。その配下の者たちが私に、鉄刀を持って脅迫し、恐喝し、あらゆることをしました。彼らは私を追放するために監獄に入れましたが、私はこの大韓民国のために監獄に行きました。

 西大門刑務所事件の時、李博士が五大長官と一つになり、朴マリヤと梨花女子大とフランチェスカの威信を立てるため、あらゆることをしたのです。

 文教部と、文公部(その時は公報部)、それから内務部、法務部、外務部の五大長官が一つとなって、権力で文総裁を捕まえようとしたのです。

 その五大長官が、「文総裁を除去しろ」という指示を受けたことは知っています。その下にいた人たちが、私のところに来て報告したのです。「国がキリスト教を中心にして、あなたに対して、こうこうこのようにしようとしています」と言ったのです。

 統一教会といえば恐ろしくて隠し始めたのです。しかし人々は悪くて秘密にしたのだと思っていました。自由党も、本当は、恐ろしくて包み隠しながら「行ってはならない」と言ったのです。彼らは憎くてというよりは、恐ろしくて反対したのですが、人々は悪いから反対するのだと思ったのです。恐ろしくて反対しながら、最も悪いと反対して、大騒ぎしたのです。


兵役法違反容疑

 一九五五年の梨花女子大事件によって全国家が大騒ぎし、文総裁を捕まえてぶち込もうとしたのです。東亜日報が支持すると、それに対して政治的圧力が加えられました。そうして五代長官が文総裁を捕らえて殺そうと計画したのです。李政権を中心として、そういうふざけたことをしたのです。しかし、いくらよく探してみても、私には罪がありません。あらゆる凶悪な罪の東をすべて着せたのですが、罪に引っ掛かる内容がないのです。

 あらゆる怪しいうわさを立てて、「何がどうだ、こうだ」と言って私を調べました。しかし調査してみると何もないので、捕まえて殺すことができますか。それでくまなく探してみて、「兵役回避だ」というのです。私は北韓から出てきたのですが、監獄生活をして出てきたので、兵役の年齢は過ぎていたのです。それをもって兵役回避だと起訴したのです。それも事実を調べてみれば、法のとおりにしたというのです。

 容疑をかけるなら、引っ掛かるものがなくては駄目でしょう。うなぎと同じです。口に掛けても、つるっと外れてしまうし、尾っぽを引っ掛けても、つるっと外れてしまい、あれこれしてみても、つるっと外れてしまうのです。どんなにつるつるすべることか、引っ掛かるところがないのです。世の中が大騒ぎをして、文総裁は悪いやつで民族の反逆者だから捕まえなければならないと言い、そうしてこそ既成教会の千年、万年の王国が開けると思っていたのですが、これがつるつると抜け出てしまうのです、引っ掛かるものがなくては駄目でしょう。


拷問の取り調べ

 私は口があっても話しません。この民族の前にしみ通った多くの恨があっても耐えます。それは先生が骨なしだからではありません。先生は骨のない男ではありません。イエス様が三十余年の生涯を耐え忍んでこられたことを知っているがゆえに、また神様がイエス様以降二千年間、耐え忍びながら、み旨を成し遂げるための基盤と時を準備し、強固な土台を築くのに労してこられたのが復帰の路程だということを知っているがゆえに耐えるのです。

 「台風よ吹け。吹雪よ吹け。冬の季節よ来い」と言いながら耐え忍ぶのです。そのようなものはやがて過ぎ行くようになっています。今日の社会で自分自身の幸福を誇る人々も同じです。過ぎ行くようになっています。

 では、先生の責任とは何でしょうか。罪に追われ、監獄に入った時、先生はその立場で何をしなければならないのでしょうか。世界人類のために打たれながら、世界の苦難をすべて引き受けて一つ残らずなくさなければなりません。「世界の苦難の道を開拓して行くのに、これくらいの困難はなくはないであろう」と思いながら、苦難をむしろ当然と思ったのです。

 拷問もたくさん受け、あらゆることをすべて受けましたが、「私が行く道は鉄石と同じだ。私が犠牲の道を行くとしても、希望の国を成す時までは戦って生き残るのであって、今死んではならない」と思いました。

 私は、神様に侍っていくなかにおいて、「私」というものを考えたことがありません。むしろ私が同情しなければならない神様であると思いました。西大門警察署に引かれていく場においても、牢獄の身、鉄格子に閉じ込められる身になっても、そうでした。み旨の道を行くための最初の歩みを出発したときから、「このように命が残っているので感謝します」と言って、むしろ神様を慰めてさしあげました。今日の統一教会の伝統的思想をもってきた歴史的な蕩減基準を残すために、そのような道を歩んできたのです。それは誰が侵犯しようとしても侵犯することはできません。

 私は西大門刑務所に入っていきながら、大韓民国に対して「滅びろ」とは思いませんでした。「既成教会よ、滅びろ」とは思いませんでした。「彼らが分かっていない罪をお許しください。かわいそうな大韓民国が罪を犯したことを蕩減するように、私にすべてを負わせてください。私を非難して、福を受けることができるならどれほど良いでしょうか」と、そのような気持ちをもっていました。

 「神様、私が愛する民族を私以上に愛してください。神様、世界を私以上に愛してください。私のために同情する必要はありません。もし私が死んでも気の小さい男としては死にません」。そのように考えたのです。世界万民を率いて導いていかなければならない責任がこの足らなき者に任せられています。その過ちを過ちと見ないで見逃してくださり、私にむちを加えることによって、世界人類を補うことができるならぱそのようにしてください、と思いつつ戦ってきたのです。

 それを神様が気に入り、神様の空になった胸を燃え上がる炎として満たすことができる要件となったがゆえに「統一教会の文なにがしは滅びる場に行ったとしても、滅びることはない」と保障してくださったのです。


調書作成

 私にかなう者は、誰もいません。警察署で調べを受ける時も、調書を作成する人が私と話をすれば、その人が私に巻き込まれてしまうのです。「あなた、今調書を書くのに、この話をなぜ書かないのか。今これを書かなければ駄目だ」と言って、私が教えてあげるのです。ところが、その教えてあげた話で、調書内容があべこべになるのです(笑い)。すると、そのように書いておきながら、びりびりと破くのです。

 調書を作成するって、何を作成するというのですか。遊んであげるのです。「あなたを見ると、このような容貌をしている。女房はこんなふうだな。行儀が悪くて、小便を漏らしても恥ずかしいということを知らないんだな」と言うと、「どうしてそれを知っているのか」と言うのです。それで「こいつめ、それが分からなければ、私はここに入って座っていないよ」と言うのです。「優れた人が入ってくるのだろう。ろくでもない人間が入ってくるか」と、からかって遊ぶのです。

 その時に治安局長をしていた人たちの名前も私は忘れないでいるのですが、言わないのです。一度、みんな呼んで会う時もあるでしょう。当時、足を組んで訓示したその人たちが、今日もそのような姿勢で現れるでしょうか。


二 ソウル地方検察庁送検(一九五五・七・一三)

西大門刑務所入監(ソウル西大門区(山編+見)底洞一〇一番地)

 私は、手錠を掛けられて、西大門刑務所に向かって行く時でも、恥ずかしいとは思いませんでした。私は天と地を見る時に、恥ずかしいものがありませんでした。堂、としていたというのです。

 手錠を掛けられ入っていったとしても、少しも恨めしく思わないのです。誰に対しても恥ずかしいと思ったことがないのです。私は、神の前に恥ずかしくない者なので、誰に対しても恥ずかしいことがないのです。

 私は、何一つ間違ったものがありませんでした。売春婦になるしかない小娘たちを集めては、純朴な貴婦人にし、ならず者になるような若者たちに、家門の孝行者、忠臣になれと教えながら、この国に必要な若者をつくることに生涯を注いだ男なのです。

 罪もない体に手錠をはめられ刑務所に行ったとしても、少しも恥ずかしくなかったのです。すべての人があざ笑い、指を指しながら「あれを見ろ」と言いましたが、「お前たち、これから十年後にどうなるか見ていろ」と、そのように思いました。悲惨な道を行く途上にいる私に、むごい矢を投げてくれた人が、「私は成功するんだ!」と、私に固く誓わせた教育の材料となって、今なお胸に残っているという事実を知らなければならないのです。

 悪なるものは滅びるのであり、善なるものは栄えるのです。どんなに泥まみれになったとしても、純粋で天下の歴史が公証できる真なる立場に立った時は、滅びることがありません。

 先生は、手錠を掛けられて行く時に、道行く女性たちまでもが、先生を横目で見ながら顔をしかめるのを見て、「そうか、お前たちの歩みは偉そうに見え、ここにいるこの男は哀れに見えるだろうが、まだ比較基準が出てきていないので解決できないだけだ。しかし、その立場が世の中にはっきりと現れた時には、正しいこと、間違ったことの判決が下る」と思いながら、今まで歩んできたのです。


苦労を共にした弟子たち
   (金元弼、劉孝元、劉孝永、劉孝敏)

 先生が今まで苦労しながらも、先生の財産は一つもありません。残ったものは苦労です。苦労したことはみ旨のための苦労です。神様が同情する心情的な内容を、誰も占領する道理はありません。それが財産です。

 考えてみてください。私が皆さんをちらっと見る時、どんなに顔がよく、どんなにあらゆることに精通しているとしても、彼がみ旨のためにどれほど苦労したかということが第一条件なのです。私が歩んできた道がどうだったかということをよく知っているがゆえに、その道中において共に涙を流し、共に同情しながら、天の願い、天の解怨のために、あらゆる精誠を傾けて歩んできたその事実は、私が死んだとしても忘れることができないのです。

 先生が幹部の中で、先生と共に苦労した人たち、獄中に入り苦労した人たちを、その時の心情で見れば、それは絶頂に達していた時なのです。するどい先端に立っていた時であるので、その時の一言の慰労は、千秋の慰安を宿していました。その時の一言の勧告が、死地から新しくわき上がることのできる力の源泉になりました。それゆえに、そういう人たちを、まず助けなくてはと思うのです。


法廷公判(一審七・二九、結審 一〇 一四、ソウル地方法院第四号法廷、裁判長尹ハクロ)

 皆さんは、過ぎし日に、教会と国の前に追われ、追い込まれ、囚人服を着て行った先生を忘れてはなりません。囚人服を着て手錠を掛けられ、裁判長の前に立った先生を忘れてはならないというのです。

 監獄に入り法廷に出ていって、冷やかしとからかいを受けたその痛みを忘れないのです。死ぬ前にそれを蕩減するつもりです。皆さんはそのような因縁をもって、ここに集まった者たちなのです。

 宗教界が一つになり、数多くの家庭、数多くの人が一つとなって、民族的に攻撃し、三千里半島(韓半島)に私の立つ場所がありませんでした。また三千万(韓国のすべての人、)の嘲笑とあざけりが地上にあふれる中で、私はたった一人で立っていたのですが、「私は風雨にもまれ、火に焼け焦げた木のようにすすけたとしても、焼けて死ぬ木にはならない。焼けてすすけた木の枝にも、春になれば新芽が出てくるのだ」という信念をもって、今まで歩んできたのです。

 三千方民族のあざけりが大きければ大きいほど、そしてその悲しみが三千万民族以上の立場に立ったがゆえに、また神様が私を愛し、私と因縁を結び、私を捨てない父の位置から、三千万民族に対する以上の心情をもって、私に対していることを知ったがゆえに、私は監獄に入っても悲しい顔をしようとはしないのです。

 それは私が行く道の前においては、何の妨げにもならなかったのです。かえって激励となりました。

 生涯をかけて闘争していくとき、それは激昂の心情を刺激させる燦爛と輝く動機にこそなれ、私を挫折させる、わなとはならなかったことを思う時、過去にそのようなことがあったことを喜びと思って、かえって私が商売の元金を稼いだと思うのです。そこから神様の心情を知ることができ、そこから神様が共にあられることを知るようになったのです。


ある平壌の婦人の嘲笑と厳しい非難

 私が一九五五年度に監獄にいた時、昔私に従っていたある婦人が訪ねてきて、「文さん、まだそんなことをしているのか」と言うのです。あきれた話でしょう。一時は「先生」と言って従っていたのに、私が監獄に入っていったので、「神の息子であり、神が愛しているならば、なぜ監獄に入るのか」と言いながら、背いて出ていった人です。体はカササギの巣のようにまん丸で、§がちょっとねじれていて、意地の悪そうな顔をした女性なのですが、当時、他の教派へ行って、激しく統一教会に反対したのです。そんな女がすっとやって来て、「文さん、まだ気がつかないのか」と言ったのでした。それで「お前みたいな女に訓戒を受けるような男であれば、こんなことはしてもいないよ」と一言言ってあげました。

 私が平壌にいた時は、精誠を尽くすんだと、旋風を巻き起こし、大騒ぎした婦人です。私が手錠をはめて検事室に呼ぱれ、入っていく時、玄関でぱったり会いました。うわさを聞いて来たのです。そして「まだそんなことをしているのか」と言うのです。

 「西大門刑務所から私が手錠をはめられて裁判所の公判廷に行く」といううわさを聞いて、見物したのち、どこかの教会に行って証したその女や、統一教会を見下して「ああ、滅びなければならない」と言ったやからたち、今に見ていなさいというのです。

 私は骨っ節のある男です。「私が老いて死ぬ前に、お前の子供が私の目の前に来て、号泣して悔い改めるのを見るまでは私は死ねない。お前が寝るならば私は走るであろうし、お前が努力した以上の何倍も走るであろう」と、いつもそのように考えたのです。「十字架を背負う時、私は勝利の盾をもって越えていくことであろう」という考えをもっているのです。疲れていても、「この足よ、立て! この足よ」とたたきながら、無理にでも引きずっていかなければならないのです。

 「そうだ、私は監獄で消えてなくなる男ではない。自分は解放の世界に向かって跳躍するのだ」と思いました。その人の顔が忘れられません。この間、惨めに死んだという知らせを聞いて、「気の毒だったな」と思いました。私はそのようにして生きる人です。

 困難なたびに「これを清算するまでは私は死ねない」と思いつつ歩んできたのです。先生は恨の多い男です。そのような歴史的ないきさつを話そうとすれば、私自身、声が詰まってしまわざるを得ない事情がどんなに多いか知れません。そのような伝統を子供に残したくはないのです。胸に秘めて私が背負って行こうと思うのです。ですから、統一教会の皆さんは、先生に対し、どんなに高く、広大な負債を負っているかという事実を謙遜に受け入れなければならないのです。


三 崔氏一家の不信と離婚の督促

聖進様の母親とキリスト教

 南に下ってきて七年間、キリスト教に対する作戦を繰り広げながら、統一教会を発展させる融合工作をしたのです。その中で、問題になったこととは何でしょうか。聖進の母親がキリスト教と一つになって反対し、ありとあらゆる争いが繰り広げられたのです。聖進の母親も、世の中の男の中で聖進の父親のような男はいないと、それだけは分かっているのです。

 それゆえに、「自分はどんなことでもするから、どんな女性にも負けないはずだから、統一教会をすべてほうり投げて、自分と楽しく暮らそう」と言ったのです。それは結局、「神様のみ旨をほうり投げさせて自分が主管しよう」ということなのです。完全に、堕落したエバの立場だというのです。「アダムを主管しよう」ということです。統一教会がどんどん広まっていくので、既成教会と組んで、先生に対し、「愛の関係がどうだ」とかいう問題を起こしたのです。「何がどうで、こうで」と言いながら反対を始めたのです。

 どんなに反対してもうまくいかないから、釜山北部署に来て、すなわち「官」を通して、「統一教会は、みんな妖しいことをする連中が集まった団体だ」と告発したのです。北部署でうまくいかないので、今度は大邱署に来て、訴えるのです。警察署の力を借りて、夫を取り戻そうとしたのです。自分の夫が自分の胸に来て、抱かれるような夫であると考えた、そのこと自体が間違っているのです。行くべき道が違うというのです。

 統一教会が苦労したのも、すべてその人が警察に通いながら宣伝したためなのです。「私の夫が悪いことをしている」と言って、ありとあらゆるうわさを立て、ある話、ない話、なんでも言いふらしたのです。


崔氏一家の告訴

 聖進の母親の名前は崔先吉です。崔氏が問題です。それから崔ソンモという人がいます。韓国が貧しい国家の復興期であった当時において、崔ソンモは韓国の第一人者であったというのです。崔ソンモさえ一つになっていれば、統一教会は迫害を受けることもなく、世界的な宗教になったはずです。梨花女子大事件も起こりはしないし、延世大事件も起こらなかったのです。

 聖進の母親の叔父が崔ソンモです。一九五五年の事件を誰が起こしたかというと、崔ソンモが起こしたのです。崔氏が先生を監獄に投げ込んだのです。内務部長官と手を組んで、統一教会をなくしてしまおうとしたのです。その息子の名前が崔スニョンです。今でも反対しているではないですか。

 結局、崔氏のせいで監獄に入ったのです。彼らが告発してそうなってしまったのです。


離婚要求

 その母親と父親、一族が少しだけ協助していたならば、聖進の母親はあのようにはならなかったのです。あのようになっていなければ、統一教会は、四十年のこのような受難の道を行くことはなかったのです。私が刑務所にいる時、母親と上の兄、下の兄の三人が面会に来て、脅迫、恐喝するのです。「離婚書を書け」というのです。「判を押せ」というのです。それで私が、「三年だけ待ちなさい」と言いました。「そうすれば、あなた方が疑っているこういうものは、すべて過ぎ去るはずだ」と言いました。

 西大門刑務所に拘束されている時、聖進の母親とその兄が離婚状を持ってきて、「あなたを信じていたら、我々一族はみな乞食になってしまう。うちの娘は、そんな文家のたねをもらうつもりはない」と言ったのです。言いたいことをみな言ったのです。

 聖進の母親は、「あなたとは一緒には住めないから離婚してくれ」と言うのです。だから私がそっと耳打ちをして、こう言って聞かせたのです。「『女必従夫』(妻は必ず夫に従うべきである)という東洋思想もあるから、嫌であっても一度考えてみて、三年だけ待ってみなさい。そうすれば、私が離婚しようと言っても逃げていくようになるから」と、そのようにうまく説き落として送り出したのに、私が出るや否や、自分の母親と兄たちを連れてきて、脅迫し、「判を押せ」と言うのです。


四 西大門刑務所生活(一九五五・七・一三〜一〇・四)

罪なき未決囚の牢獄生活(囚人番号三八〇番)

 先生は、統一教会を中心として大韓民国を率いて出発しなければならなかったのに、監獄に入ってしまったのです。しかし私は、約束の時代でもそうであったのだから、実体の時代である現在においてそうならないはずがあろうか、と思って平然としていました。だから先生は、監獄に入っても、いつ出られるかというようには考えませんでした。

 監獄で十年生きようが、そこで死のうが、み旨のための道であると思い、平然としていました。他の人たちとは違っていました。その場所で道を切り開いたのです。どんな道を切り開くのでしょうか。「このすべてのことをいかに正し、将来、生きがいのある道をいかに行くか」ということを考えました。「高くて大きな山が幾重にも重なり合って立ちふさがったならば、トンネルを掘り、高速道路を造ってでも行く」というのです。そうして破れれば、神様が責任を負うのです。しかし、気力が残っている限りは、神様の助けは必要ないのです。それまでは、私のために祈祷する必要もありません。そうして、私の気力が尽き果てたのに、み旨の前に私が必要であるというならば、神様は協助するなといっても協助なさるのです。

 先生は西大門刑務所に入っても、足を伸ばし、いびきをかいて平然と寝ました。彼らが私をのみ込めない時には、運が開いていくというのです。そのためには、時にはみすぼらしくもなければならず、時には後ろ指を指されなければなりません。この道を開拓しながら様々な苦難を受けました。そのたびに「神様はこれよりもっとひどい風霜を味わってこられたのに、私がどうしてこれくらいの風霜を味わないであろうか!」と思いました。公的な立場で迫害を受けたそのような事情が多いほど、人がもつことのできない宝物で倉庫をいっぱいに満たすことができるのです。

 先生は監獄に入っても、御飯をよく食べます。麦飯であろうと何の飯であろうと、与えられるまま全部食べます。しかし、それが問題ではありません。どこに行こうが、ただ唯一の心配は、「私が誤ることによって蕩減の道にマイナスとなる結果になりはしないか」ということでした。それが恐ろしいのであって、他に怖いものはありません。

 偉大なる愛の力がなかったとしたら、統一教会は成立しなかったことでしょう。そのような力があったから、すべての迫害を押しのけて、孤独な身で昼夜を分かたず、万世にない悲しみの曲折をすべて私の懐で溶かしていきながら、新しい世界のために、開拓者の使命を尽くしたのです。それが素晴らしいと思うのです。この地上に人として生まれ、生きがいのある道を行くのは、一生という「生」を天が与えてくれたからです。それで私がこのような「生」の喜びを知って、力強く、生きがいのある愛の価値を探し求めていくのです。監獄に入っても、私にとっては監獄ではないのです。愛の宮殿です。愛は、次元の高い「拍子」として、高めてあげるべき一つの芸術作品になるのです。


入監時の屈辱

 先生が西大門刑務所に入るようになった時、一番最初の門に入るや否や、所長が目をむいて、「統一教の教祖の文なにがしが来たな」と、あざ笑うように言いました。先生はその時、「お前が私に降参するかしないか、試してみよう」と思いました。

 その西大門刑務所所長は既成教会員だったのですが、私を見るや「あんたが文なにがしか。一ヵ月は拘留されろ。こいつめ」と言うのでした。先生は、こういうどうしようもない人に冗談で一言言いました。「こいつとは何だ。あなたはこういうことをやってきただろう」と言うと、胸を突かれたのか、びっくりするのです。それで「こいつめ、黙っていろ」と言いました。こういうどうしようもない人が先生の心を傷つけました。

 私が西大門刑務所に入る時、拘置課長が、入ってきた人たちを引率していき、判を押させました。その時の、その課長のことは永遠に忘れないでしょう。今はその人の名前を忘れてしまいましたが、その時、その男が私に向かって「統一教会が何だかんだと言っていたが、結局こうなってしまったな」と言ってあざ笑いました。その時、私の気分は相当に悪く、「うるさい、いい加減にしろ」と言いました。そして「私がここから出ていく時には、必ず刑事と看守ら、所長までも屈服させて出ていくんだ」と思いました。

 いつかその者ともう一度会う時があるでしょう。昔、イエス様がローマ兵に捕まり、ピラトの法廷に出ていく前に、看守たちに愚弄されたように、先生もそのようにされました。そんな立場で先生は「そうか、どんなことでもやってみろ。けれども私がここを出る前に所長を屈服させてやるだろう」と、そのような決心をしたのです。

 ある日は、私が気合を入れてやりました。どういうことかというと、ある日私に差し入れが届いたのに、勝手に手をつけたようだったので、怒鳴りつけたのです。本人は私が気がつかないだろうと思ったのに、私は知っていたのです。それで私が「どうして手をつけたのか。何と何に手をつけたんだな」と言って、たたみかけたところ、それ以降は私の顔さえ見れば、ものも言えなくなってしまいました。


囚人たちの感化

 私が西大門刑務所に数ヵ月いる時、人々は私に向かって「統一教会の文なにがし」と呼びました。こっけいな話なようですが、刑務所に入ってみると、王様でない人がいないのです。みんな自分が一番だと思っているのです。しかし私は、私にむかって「なんとか」と呼んでも、何の返事もせず、じっと座っていました。入ってきた日から、静かにしているのです。そのまま一カ月でもいられるし、二カ月でもいられるというのです。けれども一、二週間ぐらい過ぎるようになると、彼らが私に気を遣いだしました。朝早くトイレに行けば、私が祈祷しているというのです。それを握りこぶし(腕力)で妨げることができますか。

 先生は、彼らの中で一番やっかいな者、みんながその人は死んだらいいと思っている人を連れて来て、しばらく一緒に話をしながら、よく教え諭しました。すると、「以前は、あんなにやっかいな者だったのに、文という人が入ってきたら、その人が変わった」と言うようになりました。このように三、四ヵ月過ぎると、「監房の人たちはみんな、文という人の言うことは、よく聞く」といううわさが立ちました。

 言葉が問題ではありません。なぜかというと、先生は大韓民国に代わって、大統領ももち得ない心情をもって、現在の韓国の運命と未来の韓国の運命、そしてこの民族が行くべき国民思想を中心として、彼らのために涙を流して祈祷したからです。心情の主人になっているからです。

 囚人を、その母や父のように愛そうとするからです。食べるものがあれば、自分が食べずに食べさせてあげようとし、不便で一番悪い場所は、私が行って寝ようします。それを彼らは知っているのです。朝一食食べれば十二時まで、どんなにおなかがすくか分かりますか。舌がすれて臭いがするのです。

 そのような環境において、自分もおなかがすいているのですが、彼らを慰労するために、一度、長編小説を編纂するのです。そうしてみると、一ヵ月もたたずに、自分の面会に差し入れを持ってきてもらうと、私の前に持ってきて、「先生の思いどおりにしてください」というようになったのです。それは恐ろしいことです。

 統一教会は簡単です。「ため」に生きる愛をもって完全投入をするのです。天理の根本がそうであるために、その根本を私が抱き締めていく所には、それを破壊する者がいないのです。私が行動すれば、出力は強くなるのです。

 そうして、監房にいるすべての人たちは、朝になると必ずあいさつをせざるを得ないようになりました。そうしてうわさが立ち、監房の中で「あんなに善良で良い人を閉じ込めてしまった大韓民国が悪い。この監獄が悪い。お前たちが悪い」と抗議する人たちも出てくるようになったのです。

 また、そこで牧師だというある男性は、先生が異端で、怨讐だといって、最初はすごい見幕で、「あなたが主張する教理とはいったいどんなものか」と食ってかかってきました。しかし、そうこうするうちに、時間を決めて訪ねてきて、かなり親しくなったこともあります。一緒に入った弟子たちも、しゃにむに先生に従い侍るので、人々は「世の中があんなに非難し反対しても、あんなに粘り強いなんて、やっぱり統一教会の文先生は優れた人だ」などと言いました。


霊界の証と協助

 先生が口を閉じて静かにしていると、霊界から天使たちが現れて、彼らに「お前、文という人の所に行ってあいさつしろ! それから差し入れが来たら全部捧げろ」と言って、しかりつけるというのです。

 ある看守が、私を訪ねてきて話をするには、「ある日の朝、餅をつくって食べたのですが、もちがのどに引っ掛かってのみ込めない」というのです。なぜのみ込めないのでしょうか。先祖が引っ掛かるようにしたというのです。彼の先祖は、先生を冷遇しては大変なことになるということ知っているのです。ですからそのようにするのです。それで彼は餅を作って食べて、ひどい目に遭ったのです。

 先生が監獄に行く時は深刻な心をもって行きます。「天が望むように行かなければならない。そこでは、このような心が原因となり、このように生きていくのだ」と思う時、私が固く誓ったその結果が、必ず相対的結果として現れるようになるのです。完全な主体があれば、完全な相対が創造されるのが原理です。それゆえに、口を閉じて黙っていても先祖たちが現れて、「こいつめ、お前はあの方が誰なのか分かっているのか」と、霊界の法度を中心として大騒ぎするのです。御飯を食べても「先生の正面に座って食べるな」と言うのです。食べているときも「頭を下げて食べろ」と言うのです。

 先生は外から見た場合には、なんでもありません。皆さんと全く同じでしょう。けれども、私は皆さんが及ぶことのできない動機をもっています。皆さんがどんなに研究しても知り得ない動機をもっているのです。それは、皆さんが死んでも分からない動機です。それがあるがゆえに、先生はあの世に行っても、万民に向かって「この者たち」と言えば、「はい」となり得る主体性が決定されているのです。それは皆さんが正しい道を行ったならば、霊界に行く直前に自然に知るようになるのです。

 それゆえに、真の愛を受けることを望むなら、真の幸福の位置を願うなら、全体の不幸な立場の身代わりとなって、私一人で不幸な立場に行けというのです。そのような立場に行けば、神様が私を慈しみ、私が十回打たれれば、百回、千回の受難も意に介することなく、私の行く道を前もって整えながら、戦ってくださるということを、いくらでも体験できるのです。


所長と刑務官たちの態度の変化

 一ヵ月もたたずに、刑務所の所長が訪ねてきて、私に「自分が間違っていた」とあいさつし、その上、幹部たちが私を招待し、昼食の接待までする運動が起こり始めたのです。

 一ヵ月もたたずに、彼らが私を訪ねてきて、「昔聞いた統一教会の文さんと、今、知ったあとの統一教会の文さんは違っていたなあ」と謝るのを、この目ではっきり見たのです。そのように正義は、どんなに苛酷な迫害の鎖につながれていても、勝利するということを見てきたのです。ですから、正義の道は大変ですが、神様が探し求めていらっしゃるその道に責任をもって行く道であるので希望を失うなというのです。統一教会の文先生は希望を失わなかったのです。受けた受難のむちの痕が、あまりにもたくさん残っているとしても、その時受けた傷はなんでもないのです。

 神様は祝福の約束をしてくださったのちに、どこに送られるかというと、監獄に送るというのです。逆にどん底にほうり込むのです。そこにいてみなさいというのです。黄金は、どこにあっても黄金色の光を発するのです。先生は刑務所に入っても、所長まで感動させました。私を取り調べる刑事らは先生を憎みましたが、刑務所では所長までも感動させたのでした。そこでは多くの言葉は必要ありませんでした。自ら変わらない立場に立てば、神様が同情されるのです。その時は、まるで春のようなものです。

 例えば、刑務所にいる人たちが先生の夢を見て、起きてはハッとして、「何号の監房のなんとかだ」と私を思い出すのです。それで朝になれば、私の所に来て「おはようございます」とあいさつするのです。刑務官たちも訪ねてきてはあいさつをし、暑い時ならアイスキャンディも買ってくれるのです。頼んでもいないのに、なぜそうするのでしょうか。天が共に行く道だからです。その道は誰も遮ることはできないというのです。

 看守たちが「先生、何か不便なことはありませんか。何か必要な物があればおっしゃってください。買ってさしあげます」と言います。それで「もちを買ってくれ」と言えば、もちを買ってくれ、「何かの連絡をしてくれ」と言えば、連絡をしてくれたりしたのです。それは、自分たちが喜んで「やります」ということなので、罪ではないのです(笑い)。天下がいくら反対し、世の中がいくら手強いとしても、その天下と世の中を溶かすことができ、のみ込むことができる気迫があるならば、その人は英雄の称号を受けることができるのです。


最高の面会記録

 私が西大門刑務所に入っている時に有り難く思ったことは、統一教会の食口たちが、全員先生と面会しようとしたことでした。互いに我先に面会しようと争うというのです。

 統一教会の文先生は、みなが「死ね」と言ったり、「滅びろ」と言ったのに滅びませんでした。人、がののしればののしるほど、私が孤独ならば孤独なほど、涙を流して私を慰める人がだんだん増えていったのです。私が刑務所に入っていた時、統一教会の者たちは朝八時以降にならないと会えないのに、互いに競いながら夜中の一時から列をなして、座って待っていたのです。それが西大門刑務所での記録です。

 だからそれを見た人々は、「いくら人を狂わせるといっても、あんなにめちゃくちゃに狂わせてしまったのか」と言うのです(笑い)。家で母親が父親になじられ、しかり飛ばされると、息子、娘が「オンマ(お母さん)!」と言って慰めるのです。お母さんが一番だ、うちのお母さんが一番だと言うのです。そのようになるのです。なぜですか。愛の力のゆえにです。

 ある人は三日も待って、初めて面会できるくらいでした。そんなふうになるので、「刑務所に自分の息子や夫や妻が入ってきたというならぱともかく、関係もない人なのに、あれほどまで至誠を尽くすことができるのか」といって、そのことが問題にならないはずはありませんでした。反対する人たちは「文なんとかは、うちの息子や娘を強制的に教育して洗脳工作をした」と言いましたが、無理やりにしておいて、彼らがそんなことをするでしょうか。ですから刑務所の中から、すべて分かり始めたのです。「文先生が独裁者で、搾取する人だというのは、みんなたわごとだ」と言うようになったのです。

 歴史始まって以来、刑務所の前に朝から二十四時間、列がどんどん長くなっていったのは、レバレンド・ムーンが記録です。それを見た時には、異常だというのです。そうしておいて、会えば、私が褒めるのではなく、「こいつ、何で来た、騒々しい。そのまま引っ込んでいればいいものを、うわさを立てて」と、ののしるのです。すると、彼らは涙を流しながら、「でも来たいのに、どうしたらいいのですか」と言って泣いているというのです。

 私が手錠をはめて裁判所に通った時、統一教会の食口があっちに、こっちにと殺到したことを忘れていません。その時の人たちの顔、誰と誰なのかを、今も記憶しているのです。先生があんな姿であってはならないのにと、涙をはらはらと流しながら立っていたのです。私は、全部見ていました。いつまでも私の記憶に残ることでしょう。私が死ぬ時まで記憶しておいて、死ぬ前に呼んで祝福をしてあげるかもしれません。

 獄中生活している先生に面会したとすれば、それは歴史に残ることです。当時、先生に面会したという面会証を持っている人たちを、今後表彰するつもりですが、それをなくしてしまった人が多いことでしょう。もしそれを持っている人がいれば、嫁に行く時や、妻をもらう時に胸に抱いて行き、それをその家庭の宝物として大切に保管しなければならないのです。


五 西大門刑務所出監(一九五五・一〇・四)

無罪の言い渡しと釈放

 七・四事件の事件を中心として先生が刑務所に入ったので、世間ではみな「文なにがしの時代は過ぎ去った」と、そのように思ったのです。しかし韓国の歴史において、悲運の男として消えてしまうと思った文なにがしが、そこからまた出発したのです。

 その時、文なにがしをひっ捕らえて、踏みつけて片づけてしまおうと、既成教会と政府が一つになってありとあらゆることをしたのです。しかし公判廷で無罪釈放となることにより、新しい統一教会の歴史は始まったのです。

 あらゆる調査をしても何も出てこないので、十月四日に無罪釈放となりました。そして、そこからまた始めたのです。反対するものは切ってしまい、新しく出発するのです。

 国が問題視した点に引っ掛かって倒れたとすれば、問題が大きいというのです。しかし十月四日に無罪釈放を受けたがゆえに、その基盤を失わずに、そこから霊肉を中心とした新しい出発をすることができたのです。それでは、キリスト教と国が反対することによって、基盤を失った立場にあるので、統一教会自体、どのようになるのでしょうか。もちろん分立された立場から、失ったものをすべて取り戻したのではありません。今から、再び取り戻さなければならない立場だというのです。キリスト教が霊的世界の基盤を築いたので、その霊的基盤の代わりとなり得る基盤を、先生が築かなければなりません。キリスト教のような基盤をもたなければならないというのです。それで再びこれを再編成するのが統一教会です。

 統一教会を中心として、国家的にどのような影響を及ぼし、国家とキリスト教が一丸となって反対したことを蕩減復帰し、いかにそれらを一つにまとめるのかということが、蕩減できる基準を立てる条件となるというのです。そうした基準を成そうとすれば、霊的基準を一段階前進させた立場で築いていくと同時に、肉的基準を立てていかなければなりません。霊的基盤の上に再臨するために、それを一致さなければなりません。そうしようとすれば、統一教会は数は少ないですが、国と教会が強く打ってきたとしても、退いてはなりません。踏ん張って立ち、完全にこれを越えていかなければなりません。


獄中生活の克服と勝利

 先生が歩んでくる道において、神様は歓迎されなかったのです。見捨てておかれたのです。協助してはいけないようになっていたのです。協助してしまえば、もうキリスト教には手をつけられないのです。キリスト教を再び救うことができないというのです。私はそれを知っていたのです。だから神様は私を打ってでもキリスト教を保護してきたし、私に苦労をさせながらでも韓国のキリスト教を育ててきたというのです。私を保護してしまえばその時点で、キリスト教を保護できないのです。それで、そのままほっておかれたのです。そして迫害を受けながら、本来の位置まで上がってこなければなりません。

 だから先生の生活は、監獄が個人基盤を築く、縦的基盤になったのです。地上地獄の上に、縦的な神様の愛を中心として、神様の縦的心情圏を残すためには、刑務所に入っていくのが神様から見る時、一番近い最短距離です。その立場に入っていき個人的に勝利しなければなりません。苦痛を否定する体と心の闘いです。

 心を縦的基準に合わせ、体を横的基準の九〇度に合わせた生活圏をもたなければならないのです。そうしてから愛さなくてはなりません。その環境のすべてのものを、自分の兄弟のように愛し、神様が望んだ願いを代表できる家族の一員のようにして、獄中生活をしなければならないのです。それゆえに、父母の立場を代身した文先生という人は、個人的十字架の道を行かなければなりません。個人的に、国家の十字架の環境を克服しなくてはなりません。

 先生が満三ヵ月ぶりに出てくる時には、所長も課長も、そこにいた既成教会の牧師も、「よくよく見たら、うわさとは違っていたなあ」と言ったのです。そして、何人かの人、が、統一教会に来るようになりました。

 看守たちと所長までも出てきて見送り、看守たちの中には、先生に従って教会に来るようになった人もいます。そのように、天が行く道には怨讐が出てくるのですが、必ずその道は開拓されるというのです。このような実績をおいて考えてみれば、アベルになるためには必ず神様と一体とならなければなりません。いかなる受難の道を行ったとしても、自分だけ行くとは考えるなというのです。

 神様は、アベルをいかなる立場で決定するのでしょうか。サタンの讒訴を受けない立場で決定するのです。それではサタンの讒訴を受けない立場とはどのような立場でしょうか。神様と一体となった立場のことですが、それがどんな立場かといえば、うれしい立場ではなく、最も悲しい立場、最も困難な立場なのです。死のうとする立場、最も悲惨な立場において、神様と一体となることができるというのです。それゆえ、真なる宗教は監獄から出発するのです。皆さんはそれを知らなければなりません。サタンも嫌う人間の「魔」が集まった世界でも、普通の人間たちがもっている、それ以上の希望と願いをもつならば、そこから新しい世界の歴史は出発するのです。そのようにしてこそサタン世界の讒訴を受けないのであり、また高い場所に上がったとしても干渉を受けないのです。そこから新しい世界まで連結される新しい出発の起源が起こるのです。そこから神様と一つになるのです。

 「善なる立場で打たれた」と、無念に思うなというのです。それによって、四方を代表する祝福の時が来るということを知らなければなりません。それが、先生の生活標準です。韓国が大騒ぎして、一九五五年に刑務所暮らしをした歴史がありますが、そうであればあるほど、どんどん強くなるのです。

 先生は入っていく時以上に、もっと武装して出てきました。監獄に行ってきたのですが、それは先生にとっては旅行に行ってきたのと同じでした。コースが違っていただけだったのです(笑い)。その次には、ふろしきのひもを大きく結んで、解決していかなければならないと思いました。

 神様は私に対しては無慈悲です。逆さまに閑じ込めておいて、そこから出てくる時までは教えてくださりもせず、ただ見ているだけなのです。そうして、そこから出てきて、元気を取り戻し、再びがさがさ歩みだすようになると、「どこ行くの?」と言いながら干渉されるのです。神様は、本当に上手なお方です。


無責任な言論の弊害

 自由党の時代に、刑務所に入って、出て来た時の新聞を見れば、もろもろのうわさが載っていて本当におもしろいのです。これは億千万のお金を出しても買うことのできない、黄金のような宝物です。正義のために、国のために血の汗を流し、三千万民族のために寝ないで夜を明かし、血を売りながらでもこの民族を救おうとした正義の愛国者を、彼らが勝手にひっ捕まえて、閉じ込めたのです。見ていなさい。今後彼らの後孫に、彼らの墓を掘らせることもあり得ます。

 ところで、皆さん、無罪釈放になったという話は聞きましたか。新聞(京郷新聞十月五日付)を調べてみると、その記事は三行しかありません。文総裁があのような汚名を着せられ、それを突破してくるのに、どんなに血と涙を流したか分かりますか。

 全国的なその印象を、どうやって変えるかが問題です。統一教会の宣伝をしたところでみな反対するのです。法廷問題になり、争いが起こって警察署で調べてみると、「統一教会は、そんな所ではない」ということになりました。ところが、すべての国民が悪く考えているのに、警察だけそのように考えているとなれば、直ちに、「何だ、こいつら! 統一教会員たちが買収した」となるのです。したがって、その悪宣伝に染まった環境与件を越えていくことは、不可能な圏内に追い込まれたのです。

 高い階級では教授、教会責任者から、すべてそのように思っていたのです。そして、そうした牧師たちが、先生の親戚ならば親戚に、「あなたの親戚に当たる何とかは、こんな人だ」と、会う人ごとに悪宣伝をしたのです。そんなふうだから、説明しても通じますか。だから仕方なく、汚名を着て、それを脱ぐ時まで、歳月をかけて、我々が実績をもたなければならないのです。それで私たちがそれを取り除く段階まで上がってくるのには、数十年の歳月がかかるというのです。

 こういうことなので、今まで騒がれたすべての汚名を私がすべて着て、何も言わずに生きてきました。消化するのに、それが肥料となります。すべて歴史的なものです。ですから、今後、大韓民国が私に放送局のマイクを預けて三日だけありのままの事実を話せば、この民族がはらわたをつかんではい回りながら痛哭するようになります。世界が信じることなくしては、戻る道がないと考えるのが文総裁の結論です。


弟子たちの義憤心

 神様が祝福し、世界を福地天国にできる、ダイヤモンドの鉱脈のようなものをすべて取り上げ、どぶに入れて、足で引っかき回してしまいました。牧師らは殴ったり踏んづけたり、あらゆることをしました。けれども、統一教会の文先生の名前で声明が出されたのを見ましたか。

 私は西大門刑務所に入り、もろもろ仕打ちを受け、無罪釈放になりました。その時、我々の幹部らが集まってきて、「先生、もう悔しくて我慢できません」と言うのです。劉協会長はとても性格がのんきな人でした。そんな性格の人が、いかほどの事情があれば、「こいつら、腹を裂いてやる」と毒、しい言葉をはいたでしょうか。私が一言言えば、腹を裂いたことでしょう。殺人まで起きたかもしれません。しかし「こら、神の愛はそういうものではない。打って衝突して奪ってくるのではなく、愛で感動させ自然屈服させてくる法度ではないか」と、いさめたのです。こうして、今まで、踏まれたり、倒されたりしながら、私は追い回されてきました。

 その時、劉協会長や幹部らが声明を出し、反旗を翻して攻勢をかけようとしたのですが、「こら!」といって、いさめました。個人的時代なのです。個人的闘争時代なのです。家庭時代を経て氏族、民族時代を経て行かなければならないのです。

 言葉よりも事実が必要であり、弁解よりも実績が必要だというのです。結果は森厳なものであり、冷徹なものです。正しければ正しいものとして帰結するのであり、悪ければ悪いものとして帰結するのです。勝利は、勝利として帰結するのです。刑務所に入っていく時、私は恥ずかしいと思って入ったのではなく、堂、として入っていったのです。しかし出てくる時に「こいつら! 私が力をつけたら覚えておけ、全部復讐してやる」というような祈祷はしなかったのです。「父よ! 笑って訪ねてくることができるようにしてください」と祈祷したのです。それが、天の行く道です。そのような道を行く人は、天がいつも保護されるのです。


以南出監日と百日記念期間(一九五五 七・四〜一〇・一四)

 統一食口ならば、十月四日は深刻に思わなければならない日です。韓民族が統一教会をなくすために迫害の旗を掲げて現れ、追って追って突き剌して、死の道に追い詰められた立場から、解放された日です。

 み旨を知っている人たち、特にその中でもみ旨を知った若い人たちは、地にひざまずき、痛哭しながら記念しなければならない意味の深い日です。

 きょうは光明の新しい朝です。解放の新しい朝であった十月四日なので、きょうは天気が良いようですね。

 十月という月は、我々統一教会においては解放の月であり、祝福の月であるということを歴史が証しています。きょうは十月四日です。人は歴史を知らなければなりません。このような日を過ごすたびに先生はいつも、自分の目的としたとおりに成してきているのか、そうでないのかを反省します。

 先生は、「七月四日から十月十四日まで、百日祈祷をしなさい」と言いました。「先生の獄中での祈祷をもって、祈祷しなさい」と言ったのです。心情的な面で、神様の同志になることを願う意味で、そう言ったのです。神様の同志になることができる条件をつくってあげるために、そう言ったのです。

 「十月十四日まで、百日間を監獄で服役するように、生活しなさい」ということは、十月四日の西大門刑務所出監日と、十月十四日の興南監獄出監日を特別に記念するためです。












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