真の御父母様の生涯路程 3
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統一教会創立と摂理の再出発

第四節 青坡洞本部教会を中心とした内的基盤
        一九五五・一O〜一九五七・六

一 青坡洞前本部教会定着

青坡洞前本部教会 ソウル市龍山区青坡洞一街七一の三

 私たちがもってきた因縁とはどんな因縁ですか。立体的な因縁だということを皆さんは知らなければなりません。それは、今まで歴史上にあった、いかなる思想を基調として出てきたものではありません。神様の心情と神様の創造理想を基礎として、本性の人格を標準にして始まった因縁なのです。これはすべての因縁の核心であるため、絶対視しなければならないものです。その因縁がここ青坡洞から現れたのです。

 「青坡洞」と言えば、気持ちがいいでしょう。青坡洞は「青い丘」という意味でしょう。「龍山」とは何ですか。龍山とは「最高に高い山」を意味します(注:龍は君主や聖人を象徴的に意味する)。それで龍山区青坡洞は、高くて青い丘を意味し、それは理想を象徴しています。彼岸の理想世界を望みつつ歌う人たちの住む所、青くて(注‥青は若、しいことを意味する)、望みを歌う青坡洞ということなのです。

 その次に「一街」というのは「最初」ということです。その次に「七一の三」です。「三数」というのは「完全数」です。七数は「完成数」です。七十以下だと落ちてしまうので、七十より上で神様を中心として四位基台の立場に立たなければなりません。ゆえに、平面的四位基台を出発することができる根拠地が、青坡洞統一教会本部ということです。

 本部の中に柱がいくつあるかというと、六つあります。この六数基盤を越え、七数を立てるためのものが統一教会の本部です。ここに一を足せば七になるのです。この柱をちらっと見みて感じることは、世界のどこに行ってみても、教会に柱がある所は、ここしかないということです。それも開拓です。

 私は命の負債を負わず、反対に負債を負わせて生きています。皆さんは先生に命の負債を負ったので、負債を返済すべき立場にいます。そのような観点で今日、世界で神様のために死んだ人がどのくらいいるかというとき、エリヤが言ったように「私だけが残りました」という言葉しか言えないのです。天地の中で、そのような天の父の心情を中心として、堕落した世の救援の基盤を広げてきた場所が、このように悲惨でみすぼらしい青坡洞一街七一の三、統一教会なのです。ここを眺めながら、六千年の恨を解こうとしてこられた神様がどんなに哀れですか。そんな私自身をじっと見つめると、涙が出てくるのです。


本部教会の購入と修理移転(一九五五・一〇・七)

 ここは、昔、寺があった場所です。日本統治時代に日本が建てた建物でした。ここはまた歴史的建物です。それはどういうことかというと、私が一九五五年の事件で、西大門刑務所に入って、出てきたとき、どこにも行く所がないので、非常対策として設けた所です。ここは化け物屋敷のようだったのです。柱も何も全部真っ黒になっていたものを、苛性ソーダで磨いたのです。

 ここが、統一教会の先祖の教会です。ここは昔、廃屋でしたが、監獄から出てくると、教会を売り払っていて、家がないので、仕方なくこれを買ったのです。ここが全部で何坪ですか。二十二坪ですか。

 この教会を二百万ウォンの借金をして買い、若い人たちに大掃除をさせ、三日目に引っ越しました。

 「統一教会本部がこんなものか」と言いますが、それは事情を知らないからそう言うのです。詐欺師たちは看板を立派に掲げますが、本物をもっている人は、知られるのではないかと思って、隠しておいて暮らすのです。

 歴史的な因縁が、ぶつかり合った家なのです。「この家から怨讐に恨みを晴らさなければならない。むちを持って打ちつけた連中に、ひざまずかせなければならない。追い込んだ連中を、逆に追い込まなければならない」という信念をもって歩んできたのです。今でも、その信念を失ってはいないのです。


狭くて不便な空間

 先生の家に入ると、そこは真っ暗な洞窟の中と同じで、どこから入ってどこに抜けるか分からない、一方にだけ通じた道のようです。寄付をもらいに入ってきて、「金はない」と言えば「それはそうだろう、こんな所に金があるか」と、そのように思うのです。

 しかし先生は、洞窟のような、とても小さくて、ちっぽけな家に住みながらも、世界を一度料理してみようという夢をもっています。この夢の中で踊りを踊って、別の夢の中でも同じ踊りを踊ることができてこそ、二つの世界を主管できるということを知らなければなりません。それは先生が見ても、むちゃくちゃです。

 この狭い空間に人が多くて不便だと感じ、逃げ出したい人があれば、席を早くたってください。狭い場所に多くの人が座っているので、無理なことは分かります。しかし、我々だけがこれを知っているのではなく、神様は一層よく御存じなのです。先生は神様に「我々の教会を建ててください」という祈祷はしませんでした。こういう場所にいることを、むしろ光栄に思っているのです。昨晩も、あの門の後ろで押したり引いたりしながら、互いが入ろうとして大騒ぎでした。それを哀れだと思わず、眺めておられる神様の切ない心情を慰めてあげるために、「一時はこんなことがあっても良いことではないですか」と祈祷できる気持ちをもって参加した人がいなければなりません。このような環境は、悲惨な境遇にある我が民族だけがもつことができる、真実なる財産であり、蕩減復帰できる材料となるのです。

 ここでつらい鍛練を受け、試練を受けるのは、これから迫りくる試練の実戦場で、敗者のつらさを味わわないためです。ここで二重三重の試練を受けて、新しい信念で武装しなければなりません。ここで食べることは、生涯の何ものよりも貴いのです。ここで寝起きすることは、どんなことよりも貴いのです。


痛哭と涙で染み付いた祭壇

 ここは、血のにじんだ涙の歴史がある所です。ここは、天と共に、地と共に、天地人類が、心情をぶちまけて痛哭する祭壇です。祭壇は悲惨なものです。歴史的な祭壇であるこの家に入る時、門の外から涙を流しながら入ってこなければなりません。私には豪華絢爛な家よりも、この家のほうが貴いのです。たとえひびが入っていたとしても、そのひびは歴史的な風霜を表しているのです。歴史的な痕跡なのです。皆さんは、この家の傷を見ながら、「お前の傷はいまだにいやされていない」ということを感じなければならないのです。

 この家は、歴史的な行事を行った場所であり、天と地が痛哭した場所です。多くの人、が痛哭した場所です。血を流し、身もだえしながら訴えた場所です。永遠に忘れられない事情で結ばれた、涙の痕がにじんでいる所なのです。涙でにじんだ神聖な祭壇です。みだりに入ったり出たりする所ではありません。先生は、そのようにはしませんでした。

 先生が精誠を尽くしたこの基地を、皆さん自身が陳腐してはなりません。皆さんはこの青坡洞の路地に入る時、統一教会はさすがに神の六千年歴史を経てきた、天のみ旨を成してきた教会であると感じなくてはなりません。そのような青坡洞の路地を行きながら、すすり泣き、涙でにじんだ歩みができない人は、天の人にはなれないのです。私はそのように信じています。

 この床で涙し、この床にひれ伏して祈祷する時、この場所が、神様が千年、万年待ち焦がれた願いの一つの拠点であるということを感じたことがありますか。骨髄が痛哭し、血と肉がふるえる心情で、我が身のすべての意識を忘れ、涙のみをもって始め、涙のみをもって終えた悲しみとやるせなさが「私」を占領したことがありますか。自分の環境を忘れ、訴えたことがあるのですか。そのようなものが皆さんの生活の中になければなりません。

 みすぼらしい本部を眺めながら、「私が精誠を尽くしてきた所が、こんなことでいいのか!私はいかなる犠牲の代価を払っても、この本部を、どんな教会の本部よりも立派なものにしてみせる」と決意し、その場で天の前に、涙とともに訴える人がいるなら、その人は誰よりも次元の高い、天の懐に抱かれ得る、良い同志になるだろうと思います。


歴史的因縁の起源地

 この小さな家で、世界のどんな豪華な家でよりも、もっと精誠を尽くし、神様が記憶される精誠と心情の泉をつくるならば、のどの渇いた人が、この泉を訪ねてくるのではないかというのです。岩の洞窟であれ、山の尾根のどんな高い所であれ、清水があふれ出る所ならばどんなところでも、みなが訪ねていくのです。そこから出てくる水が真の清水ならば、そこに都市もできるのです。そこは、文化の発祥地になり得るし、歴史の起源地にもなり得るのです。

 ここは、真の父母の因縁が結ばれた場所であり、歴史になかったことが、この家で成されたのです。

 ここで、歴史上になかった聖婚式を挙行したのです。ここで、もろもろのうわさの種を残し、もろもろのうわさを経ていきながら、歴史上にない行事をしたのです。ここで、「神の日」、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を制定したのです。「三十六家庭」を祝福し、「七十二家庭」を祝福をしたのです。歴史的な場所なのです。

 ここから歴史が成されたのです。「世界の王子」が生まれたとしても、その胎盤とへその緒はみんな同じなのです。ここから歴史が蘇生し、世界の一つの試金石がここから生まれたのです。今後この家は、型を取るかして、清平に持っていって建てるか、そのまま置いておくか、考えてみるのです。

 地方にいる食口の皆さんは祈祷するとき、いつも原則的な祈祷をしなければなりません。神様に祈祷を捧げるときには、自分の所属を明らかにしなければなりません。本部教会の真南ならば真南で、本部教会に対する方向を整えて、「どこの地区のどの地域の何という所にいる誰である」と明らかにしなければなりません。どうしてそのようにしなければならないかというと、歴史的な伝統を尊重する意味でそうすべきなのです。

 重要な問題の解決のための祈祷であるほど、本部教会で精誠を尽くすのと同じ心情で祈らなければならないのです。本部教会が歩んできた今までの歴史的因縁、歴史的背後をたどって、涙でにじんだ心情の友にならなければならないのです。そこに、神様が共にいらっしゃいます。神様のみ旨を中心として、本部教会で祈祷する人がいるとすれば、その人よりもっと忠誠を誓った立場で祈祷しようという心をもたなければなりません。


唯一無二の価値をもった場所

 この本部という所は、いかなる場所でしょうか。我々の原理の教えどおりに見るならば、世界に二つとない場所です。皆さん、そのように思いますか。「統一教会本部という所は、世界に二つとない場所だ」と思いますか。「おい、きょう本部に行ってきた」と誇っていますか。「本部に行ってこなければならない」と互いに競争していますか。だから「ここは後にも先にもない、歴史的な、ただ一度しかないことが起きた場所である」と見るのです。皆さんは本部に来て、「ああ、素晴らしい」と感謝の涙を流したことがありますか。

 現在の自覚している価値が、世界のどんな現実的な価値よりも尊いということを知る皆さんにならなければなりません。我々統一教会の縁側でさえも、どんな高層建築の豪華絢爛な場所、すべての人たちがみな神聖だと思う場所よりも、貴いというのです。それゆえに、ここにあるほこり一つ、空気一つも、世界の何ものよりも無限なる価値をもっているということを自ら感じなければならないのです。

 皆さんが、ここ本部に出入りしながら、ガラス窓をどれだけ愛し、そこにどれだけ多くの真心を込めたかというのです。ここにいる娘たち、本部に来て掃除したことがありますか。

 考えてみれば、これらはみな聖なる物です。本部は、国の名勝であると同時に、我々教会の名勝です。

 ここは高貴な所なので、今後、一億ドルを払っても買えないのです。今後ここは重要です。ここに立入禁止の立て札を立てるときには、数億ドルを払ったとしても、むやみに一晩を過ごすことはできない場所にするつもりです。国の国王もここでは寝ることができません。そのような時が間もなく来ます。

 この家は、全部金でできている家とも取り換えられません。今、何の話をしているのか、訳の分からない人は、死んでみなさいというのです。死んで、霊界に行ってみれば分かります。


青坡洞前本部教会聖地(一九六六・一・一、聖地選定、一九八一 一〇・二〇、呼称確定)

 本部教会は中央聖地として、世界四十ヵ国の百二十箇所の聖地と連結しています。

 エルサレム聖地は何であり、釜山聖地は何であり、青坡洞聖地は何ですか。それらの聖地は「息子」の聖地ですが、ここは「父母」なる聖地です。父母の聖地が貴いですか、息子の聖地が貴いですか。

 青坡洞は、今日のこの青坡洞で終わるのではありません。今後、統一教会が立てられる至る所から、数多くの食口たちがこの韓国を本郷の地、祖国の地として愛して訪ねてくるでしょうし、この青坡洞をより一層愛して訪ねてくるはずなのです。今後、訪ねてくる人々は、文化住宅を建て、良い場所を選んで雄大な場所で礼拝を行う、そのような場所を慕ったりはしないはずです。まさに青坡洞のこの場所を慕って訪ねてくるのです。エルサレムに行ってみても、イエス様が生まれた場所であるとか、カルメル山に行ってみれば、木の茂みがあり、岩の塊がやたらに散在していてひどいところです。しかし、そのようなことは問題ではありません。

 皆さんが本部を改装したりしたのですが、先生もいないときに、全部改装したと聞いて、私は気分が悪かったのです。私が巡回していたとき、すぐ電報を打って「停止しろ」という命令まで出しました。なぜそうなのか。歴史的な遺物だからです。誰でもみ旨を知る人なら、その場所を、歴史的な内容が宿っている所であると思って訪ねてくるでしょう。どんなに上手にはがして直してみたところで、そんな形態をもって、誇ろうとする何物もないのです。誇るべき何物もないのです。

 不足であればあるほど光輝くのではないですか。そこに伝統があり、そこに光があり、そこに価値があり、そこに流れがあるのです。因縁が宿っているのです。現れた事実、今現在に歩調を合わせる立場に歴史が因縁を結ぶのではないですか。伝統を尊重視できない民族は滅びるというのです。それで私が気分悪く思ったのです。

 この柱を見ると、いつのことだったか、この柱をつかんで涙を流したことがふっと思い出されます。するとそこに歴史が回想され、その当時、国が我々に反対した状況が目の前に広がるのです。そのような刺激が必要だというのです。

 形や外観はどうであれ、その柱を見れば痛哭してしまうし、門の扉を見れば、事情が深いというのです。それは必要なものです。

 ここで血と涙を流した事情が様、あるのです。私が今残念に思うことは、これを改装してしまい、一つにしたことです。誉進を出産し、仁進、栄進を出産した部屋も全部壊してなくしてしまったのです。しかし、その部屋以上になるものがないというのです。協会長は歴史時代を保存できなかったという誤ちを犯したのです。私は大きな部屋を望んではいないのです。この板敷きの床も昔のものはなくしてしまったというのです。それはこの下に敷いてあるのですか。

 今後はすべて元の状態で復帰しなければなりません。設計をして家を建てておくのは第一の価値がありません。骨董品というものは、ゆがんだ家でもよく、壊れたかけらでできたそれが価値があるのです。それであそこに大きい教会を建てましたが、私は来ても、そこに入ってはいきません。ここに来て祈祷するのです。歴史の心情が通じる場所です。それで、お母様がしきりに行きましょうと言うのですが、私はこの門がすり減るまでは行かないのです。

 皆さんはそのようなことを知らなければなりません。郷愁に浸った生まれ故郷になるのです。父母がいなければ、父母が埋められた墓を訪ねていって夜を明かすことを誇りに思い、喜びと思う孝子を天が願うのです。ここが統一教会の歴史の材料です。

 だから、これは歴史的な殿堂として残しておかなければなりません。もし、ここに教会を大きく建てるとしても、難しいことがたくさんあるのです。

 我々の本部教会を新しく建てるとしてもこの建物を壊してはなりません。これはそのまま置いておき、今後博物館を立てるのです。


二 家庭的試練と苦難

聖進様の母親の激しい反対

 聖進の母親は烈女です。ただ一つ犯した罪が何かと言えば、「あなたは私の夫であって、統一教会よりも私の夫の役割をすべきでしょう。統一教会の先生であるよりも、夫であることが先だ」としたことです。それが間違ったというのです。

 私にこのように言ったことがあります。「あなたは何がそんなに物足りないことがあるのですか。お金が必要ならば私が稼いでさしあげましょう。絹織りのパジチョゴリを作って着せ、花模様の座布団に座って本を読もうが、何をしようが、みな整えます。私がどんな仕事をしてでも、すべて責任をもちますから、どうか夫の役割をなしてください。どうしてそうなのですか」と言うのです。そして、「私の言うことだけ聞いてください。私の言うことだけ聞けば、千倍、万倍、楽にしてさしあげ、一言も悪口を言われないようにお世話してさしあげるのに、なぜそうするのですか」と言うのです。

 それで、あちらこちらで反対して、自分のやりたいように全部したのです。先生に「この道を行くな」と言いながら、指にかみついたり、つねったり、ひっかいたり、それでも駄目なのでゴム靴の裏でほっぺたをひっぱたいたり、女性からひどい虐待を受けました。

 そして統一教会の幹部らも、聖進の母親から、ありとあらゆる受難を受けました。ほっぺたをひっぱたかれ、けられたり、糞尿をかけられたり、もろもろのことがあったのです。幹部たちがむち打たれ、あらゆることをされたのです。糞を持ってきてまいたり、ありとあらゆることをしたのです。それこそまさにサタンの役事をしたのです。このような意味で先生は女の人から世界で一番極悪な試練を受けた男であるということを、皆さんは知らなければなりません。皆さん、ソクラテスの妻が悪妻だったという話がありますが、そんなものではなかったのです。

 この世のあらゆる所業を受けながらも甘受したのです。そういうこともあり得るというのです。「その恨は世界に及ぶだろう。天上に及ぶだろう」と考えながら、その恨をみな解くことができるように、私が甘受してあげたのです。自分がすることに先生が悔しがって、足の裏でもたたいてくれたらいいのに、先生はそうはしないのです。そのように聖進の母親は先生を愛しながらも何というべきか、悪妻になって、攻撃したのですが、それに対して先生は、悪くは考えませんでした。「私が夫としての平面的な責任を果たすことができなかったので、それを甘受しなければならないだろう」と思ったのです。しかし、縦的な面では私が責任を果たせなかったことは一つもありません。

 霊的であろうが、この世的であろうが、条件に引っ掛からずにこの道を行くために、最後まで耐えてきたのです。条件に引っ掛かることがなく、良心の呵責を感じることが、これっぽっちもないのです。


天の最終裁可のもとに離婚(一九五七・一・八、協議離婚申告)

 離婚は、私が願ったものではありません。向こうのほうから母親、父親、兄の三人が来て、家にあった物をどれほど奪い取っていったことでしょうか。三回にわたってやって来て、みんな持っていき、売り払ってしまったのです。公的な国のものであるのにもかかわらず、私的に使ってしまったのです。それも一度ならず、二度、三度もしたのです。それは天法に引っ掛かるのです。いくら妻子であってもその法に従わなければならず、その法度により、判断を受けなければならないのです。

 先生は時間さえあれば、その母親と兄さんを呼んで、「あなた方があとで後悔するはずだから、どうかそうしないで、三年間だけ待ってくれ」と頼んだのですが、毎日のように訪ねてきて「離婚してくれ」と言ったのです。「なぜ離婚してくれないのか」と言うのです。教会も売り払ってありとあらゆることをしたのです。まさにそれこそサタンです。先生はもろもろの屈辱を受けました。

 私は大声一つ出すこともなく、ずっと辱められてきました。こうして期間が満ちてしまったのです。こうしていては、天のみ旨であろうが何であろうが、すべて駄目になってしまうのです。天が知り、サタンも知り、すべてが知っているのです。夫に対してだけでなく、食口たちに対しても、そのようなことをするので、天はこれ以上ほっておくことができず、「彼らの願うようにしてやりなさい」と、命令するようになったのです。そうして離婚するようになったのです。

 一つの国を生かし、世界を生かすべきであって、妻を生かすことが問題ではないでしょう。それで、天が「切れ!」と言って、天命によって切ったのです。誰が天命に反対しますか。国のためには統一教会の信徒が犠牲にならなければなりません。教会を生かすためには、家庭を犠牲にしなければなりません。同じことです。家庭を生かすためには、私個人が犠牲にならなければなりません。私個人が一〇〇パーセント犠牲にならなければならないのです。その原則が、一人の個人として見ても、天上世界の神様の立場から見ても、歴史的な聖人賢哲の立場から見ても、また良心的にあらゆる面から見ても、限界線を越えに越えていたのです。そのままほっておけば国が滅び、民族が滅びるために、決断し処理しなければならないのです。

 皆さんの中で、「先生も離婚したから私たちも離婚してよい」と考える人がいますか。それは事情が違うのです。それは、先生が蕩減路程を立てていく過程だったのです。原則を立てるための過程だったというのです。そうした内容があったために、世界中で「統一教会が何だかんだ、先生が何だかんだ」と言うのです。そういう非難の対象になるのは、一人の女性の間違いによって、世界史的な問題が残ったためです。そのように恐ろしいことなのです。けれども仕方がないのです。行ってしまったので、仕方がありません。天であってもどうすることもできないのです。天が願ってはいないのに、その願っていない行動をして出ていくのをどうするのかというのです。したがって聖進のお母さんは、堕落したエバの立場に立ったというのです。


家庭分離を助長した背後

 先生と聖進の母親との家庭が破綻したのは、既成教会のゆえでした。韓硬直牧師を中心とする瓔珞教会ゆえにそうなったのです。離婚させるために、聖進の母親のいとこを引き入れたのです・邪悪なサタン、悪魔の教祖と言って、無条件に反対して、よくやったと言っています。

 聖進のお母さんが悪いのではありません。瓔珞教会全体が主導となって、「異端はつぶすべきだ」と、「平安北道の恥だ」と言って、裁いたのです。瓔珞教会の韓硬直牧師が、五山工業高校を出たと言いましたか。

 この前、聖進の母方のおじが水原教会の金明大教区長を訪ねてきて、歴史時代のことを話したということを聞きました。彼は聖進の母親の兄で、先生の義理の兄になる人です。昔は、やたらに反対していたその人が言うには、「自分の一族が、自分の母親を中心として家族会議を開き、全体が一つになって、文先生とは信仰が異なるので、家庭を破綻させ、離婚をさせるために煽動的なことをした」ということを、ありのままに話したというのです。彼が、そのような話を詳しく話したというのです。私は今まですべてをかぶってきました。「文先生は美人の奥さんをもらうために妻を追い出した」という、あらゆるうわさを聞いたのです。それでも、「そうかそうか、天のみ知り、私のみが知っている事実だ。当事者だけが知っている事実だ」と、そのようにしました。

 結局、母親が悪かったのです。再建教会に通っている母親が全部指導して、そのようにしたのです。結局は、反対した動機が、自分の運命を台無しにしてしました。今は哀れな立場に置かれているのです。


弁解せずに責任を負ってきた家庭問題

 皆さん、昔、聖進の母親が狂ったように反対したのです。ついてきていれば、どんなに良かったことでしょうか。そうしていれば、統一教会はこんなに苦労しなかったはずです。二つの道があるということが分からなかったのです。皆さん、道には間違いなく二つの道があるのです、レバレンド・ムーンが現れる時も、二つの道があったということを知らなければなりません。

 私が主張したいのは、結婚する時にもったその心、初めて結ばれた愛の心をもって行かなければならないということです。そのような初めての愛の心をもって神様の前に行かなければならないのです。ところが「自分の夫としてのみいてくれ」と言うのです。「社会も何も、国もみんな嫌だ」と言うのです。

 エデンにおいて、一人の女性によって天地が滅ぼされたのですが、今日の復帰時代においても、一人の女性によって、歴史上に統一教会の悲惨な歴史を残したことを、私は悲嘆したのです。その代わり、私が非難を受けたとしても、私が責任を負おうと、一言も弁解しませんでした。

 私は今まで、「滅びてしまえ」とは思いませんでした。その人に対して「できればあなたを一度訪ねていきます」と言ったのです。彼女が死ぬ時は、天下にない福を祈って行かなければならないのです。

 聖進の母親がそうだったではないですか。男の中で、聖進の父親のような男はいないというのです。だから嫁に行こうとしても、良心が許さないので結婚できないというのです。

 六五年だったか、やって来て「どうか台所にでも入って、仕事ができるようにさせてくださいませんか」と言ったのですが、もうすべてが過ぎたというのです。

 また、いつだったか、一度私はその女性と道端で会いました。どれほど哀れだったことでしょうか。それを見れば、愛しているようなのです。それはどんなに哀れなことでしょうか。そのことが忘れられません。

 聖進の母親が反対しなかったならば、絶対的に夫のみを信じていたならば、知らない内にみ旨は全部成し遂げられていくのです。統一教会がなぜ、全世界的に反対を受けたのですか。監獄になぜ、行かなければならなかったのですか。聖進の母親が反対することによって、準備していたすべての団体が犠牲を被ったのです。腹中教もそうなり、既成教会もみんなそうなってしまったのです。ゆえに、民主世界がすべて引っ掛かって行ったのです。

 私がそれを考えれば、それを一対一で考えて、復讐心をもつならば、雷を落としてしまわなけれぱならないでしょう。しかしながら、地獄まで復帰しなければならないというみ旨があるために、この前、聖進の母親が住む家の前までお母様を連れていったのです。この世的に考えれば、そこはお母様がついていくところではないのです。背を向けるべきところなのです。そして家を買ってあげるにも、全部お母様が買ってあげるようにしたのです。今までも生活費をまかなってあげたでしょう。別れた中でも今まで夫の役割をしてきたというのです。復帰はそのように難しいのです。

 それはすべて、蕩減条件に引っ掛からないためです。私だけではありません。お母様もそのようにしなければならないのです。女性の中の女性、「ため」に生きる女性の姿を残さなければならないのです。そのような意味で、お母様は立派なのです‐。何の不平不満もなく「ええ、そうされなけれぱならないでしょう」と言うのです。そのようにして、それを越えたお母様が立派なのです。

 私はいつか、その一家を全部招待して宴をしてあげようとも思うのです。怨讐を残してはならないのです。

 み旨をすべて成した時には、「あの時は残念だった」と言って、私が立派な料理店で会い、一度、宴をしてあげるかもしれません。そう、いつか一度会って、すべて慰労してあげなくてはならないのです。


崔氏を前面に立てて蕩減する摂理

 崔氏一族がそうしたために、崔氏を中心とした役事をするのです。

 因果の法度というものは本当に恐ろしいものです。今でも反対していて、その余波によって世界的な問題が起こったのです。しかしその家門を滅ぼしてはいけません。怨讐、カイン的な立場に回ってしまったのですが、引き受けてあげなければならないのです。彼らを解放してあげるべき責任を果たしてこそ、大韓民国救援の道を行くことができるのです。救援摂理はそのように複雑なものなのです。

 日本を開拓したのは崔奉春なのです。崔氏をまず前面に立てたのです。また、米国で宣教師らが争うのを収拾しなさいといって、送った人も崔奉春だったのです。先頭に立たせたのです。また、崔元福がいます(笑い)。名前が元福です。原理的になっているのです。「先吉」(聖進様の母親)が失敗したから、「元福」が収拾するというのです。「元」という字は元首、根元の「元」で、「福」は幸福の「福」です。ですから女性の代表として、しっかりとしなければいけないのです。

 復興会をするときも、劉協会長を立たせずに、ヤマガラのような崔チャンニムを全面に立たせたのです(笑い)。これを許さないで切ってしまえば、自由世界を収拾する道がありません。国と民族の生きる道がありません、だから崔チャンニムがうまくやるから立てたのではありません。国家の運命がかかる、生死の岐路まで、境界線まで、崔氏を前面に立てていってこそ、韓国が生きる道があるのであり、他には道がないと考えるのです。それが原理です。好きで前面に立てるのではないのです。


聖進様の犠牲

 聖進を生んでから、私は聖進の手を握ったり、抱いたりして愛してあげることができなかったのです。

 聖進の母親がみ旨を信奉することができなかったことにより、聖進に対して私の息子だと言うことができませんでした。息子扱いができなかったのです。

 ところが聖進が立派なのは、七歳の時、あんなにも自分を愛する母親であるのにもかかわらず、その母親と一緒にいるのではなく、母親を捨てて父親を訪ねてきたのです。これは普通の子供ではないというのです。それは自分の考えではないのです。母親が父親に反対するのを知っているのです。ですから我々が奨忠洞教会にいた時、正に母親が反対しに来るというときには、明け方早く連絡してくれるのです。

 けれども、父親として一度もまともに接してあげられませんでした。つれなくしたのです。自分の息子を愛する前に、カインをまず愛さなければならないからです。神様は、探し立てた第二イスラエルをまず愛したのちに、息子、娘を愛するためにイエス様を送られたのです。それが復帰摂理です。摂理は、原則どおりになされるのです。

 お母様を迎えた六〇年までは、私は聖進の手も握ってあげず、キスもしてあげませんでした。そして父親がいる所では住めないようにしたのです。それで外で寺を訪ねたり、食口たちの所をあちこちと巡ったりしたのです。なぜそうしなければならないのかというのです。天道を立てるべき責任を負った家庭となるためには、世界の基盤まで築かなければなりません。当たり前の道理を準備しなければならないのです。そのような曲折の道を歩みながら、激しい迫害を受けて生きてきました。


喜進様の母親とイエス様の家庭の蕩減の道

 聖進の母親が反対したがゆえに、この家庭の型を中心として、歴史的な過程を経るようになったのです。聖進の母親がエバの立場であり、喜進の母親はマリヤの立場です。マリヤがイエス様を連れてエジプトに行ったように、喜進の母親も喜進を連れて日本に行かなければなりませんでした。

 喜進は日本の大村収容所で三年以上育ちました。怨讐の鉄格子の中で育ちました。喜進は世の中のいかなる息子よりも貴い息子として生まれたのですが、愛することができなかったのです。天道を立てるまでは、愛を中心として父子の因縁を結ぶことができなかったのです。

 喜進の母親は、海を渡って日本で冒険をしなければならないのです。そこで適応し、再び帰ってくる時には民族が歓迎しながら迎えなければならなかったのです。しかし、それ自体が失敗しました。マリヤが失敗したのと同じ結果になったのです。そのために、喜進もあのようになりました。イエス様と全く同じ因縁なのです。喜進は旅先で生まれ、旅先で死にました(一九六九・八・一、夏季伝道に向かう途中、忠清南道梅浦駅で殉教)。イエス様も旅先で生まれました。ベツレヘムの馬小屋で生まれたのです。そして、よその土地で十字架にかかったのです。

 サタンが讒訴できない歴史的な伝統と、時代的な内容を備えた家庭になることなしには、アベル家庭になることはできないというのです。だから、それはどれほど十字架ですか。また子供に対する十字架を負わなければならないのです。このような観点から見る時、代表的な十字架を先生が背負っていくのです。皆さんは夫と息子、娘だけですが、先生は複雑なのです。家庭的に見たとしても、聖進のお母さんがみ旨を立てることができなかったために、三代にわたって延長されることになりました。


三 血と汗と涙の精誠で食口を育成(一九五七年から七年間)

真の牧者の苦行の道

 夜を明かしたとしても目は明星のようでなければなりません。私に勝てる人はI人もいませんでした。一九五七年から七年間は、二時間も寝ませんでした。一時間寝るのが普通だったのです。そのようにしても疲れを知りませんでした。疲れないようにする訓練をしたのです。

 先生は七年間、服を脱いで寝る時は特別なかったのです。服を着て寝たのです。

 一九六〇年代に新しい世界へ出発する時に、私自身が天の前に恥ずかしくない二十年路程として勝利するために、七年間、そのための準備をし、訓練したのです。

 居間にかがんで座って三時、四時まで、七年間、毎日、そのような歩みをしてきました。天が公認する時まで、私の精誠をすべて注ごう! 疲れ果てるまで注ごう! 空腹であっても注ごう! 眠い中でも注ごう! そのように種を蒔いてきたので、その蒔かれたものは今日統一教会員たちが受け入れられなくても、その種は神様の心情を通して世界に連結されていくのです。必ず、それが一時に刈り取られる日があり、韓国で刈り取ることができなければ、世界で刈り取られるであろうと考えました。

 先生は草創期には夜を明かすのが普通でした。だから先生は疲れていて、トイレに行っても、うとうとしたのです。それほどに疲れていたのです。行って座るや否や、もたれていびきをかいて寝るのです。それが理解できますか。そのように気が狂うくらいに熱心だったのです。

 先生は六〇年度が過ぎる時まで、座ってかがんで御飯を食べました。あまりにも忙しかったのです。

 おかずも三種類以上置いては食べなかったのです。三年間そのようにしました。テーブルが何ですか。床に置いて食べたのです。全体を生かしてあげようとするので、仕方がないというのです。

 御飯をテーブルで食べなかったのです。こんな小さな板の上に置いて食べたのです。罪人のようです。七年間、誕生日には断食をしたのです。それはなぜですか。責任を果たせず、天理の法度を立てることができずに、御飯を食べたり、表を歩いたり、ずうずうしくしていられないからです。それは深刻な問題だというのです。国があっても、私の国ではないのです。世界があっても、私の世界ではないのです。何も私のものだとは主張できないのです。これをやり遂げてこそ、私のものになるのです。


食口一人一人のため祈祷

 統一教会の草創期の時代に、先生は寝ませんでした。鼻血をこぽしながら祈祷しました。「鼻血よ、どんどん出てこい。歴史的な血を代表し、万民が恥じ、痛哭しても報いることのできない鼻血となることができるなら、それはどんなに栄光の中の栄光の鼻血であろうか」と、考えたのです。

 一九五七年ころになってからは、約四百名の食口のために、常に祈祷してあげたのです。ある限界点を越えていくためには、祈祷してあげなければならないのです。それですっと祈ると、心霊状態がどうだということが分るのです。そのようなことが起こるのです。神様が主体であるので主体と共にあれば、食口たちは枝と同じなので、神様が食口たちについて教えてくれないでしょうか。必ず教えてくれるのです。精誠を尽くしてみてください。食口のために精誠を込めれば、彼らの心霊状態が傷ついていれば、あらゆる形で見せてくれるのです。

 食口たちの名前を呼びながら祈祷しました。名前を呼ぶと顔がさーっと全部現れます。名前だけ呼ぶのにも、約四十分かかります。笑顔で現れたり、心配そうな顔で現れたりもします。だから誰に何があったのか、一遍に分かります。

 教会を始めたころは、先生が流す涙で床が乾いたことがありませんでした。四百名の食口がいるなら、四百名の名前を呼びながら祈祷すれば、誰が病気になったということが分かります。すぐに電話をして「あなた、これこれのことがあるようだが、事実なのか」と尋ねてみると、間違いないのです。そうすれば、どこが病気なのかを診察して治さなければならないのです。そうしてこそ、縦的な真の父母、横的な真の父母の道理を正常的に果たすことができるのです。そして食口たちが、曲がらないで正しい方向を整えて、しっかりと従ってこようとするということを忘れてはなりません。

 また名前を呼びながら、「きょうは、この婦人が間違いなく来なければならない」と祈ると、来るのです。市場に行こうとして家を出てきたのに、自分でも知らないうちに教会に来て、「あれ? 教会に来てしまった」と言うのです。それでも神様がいないと言えますか。霊界が私を助けている、ということを否定することができますか。


個別的な食□養成

 一九五七年度に、韓国で食口を育てる時には、寝ることもしなかったのです。一対一作戦をしました。残るものは一対一作戦なのです。一人を置いて講義する時、百人、千人置いて講義するのと同じように思ってしたのです。その一人に数千、数万名がかかっていると考えたのです。私がどんな命令をしても、聞くことができる、そのような人に育てるためには、私がそれだけ精誠を尽くし、そうすることができる動機をつくってあげなければならないのです。

 民族を愛さなければならない立場でありながら、民族を愛することができないのが悔しくて、食口たちに夜を明かしながら話をしてあげたのです。「私に似るように、私に似るように」と言って育てた時があってこそ、立派になるのではないですか。幼い子供は、七歳くらいまで精誠を尽くして育ててこそ、小学校に送ることができるのではないですか。それが原則なのです。ゆえに皆さんに七年路程がなければならないのです。カインを育てようとするなら七年は育てなければなりません。

 私の手で個人を収拾しなければなりませんでした。それで五十年代は、食べずに、寝ずに、休まずに仕事をしたのです。その事情を皆さんは知らないのです。「ああ、先生は自由な人で、骨なしだ」という人がいますが、とんでもありません。先生は骨っ節のある人です。個人をぎゅっとつかんで、涙し、痛哭しながら、その人を通して民族の悲運を解こうとし、その人の家庭を通して民族の恨を解こうとしました。

 天が共にあるので、そこにはたくさんの電流が流れるのです。何億ボルトも流れるのと同じような力が共に働き、世の中を揺さぶれば行ったり来たり揺れる、そんな気分になるのです。どんなに痛快かというのです。そういう時は、目を閉じようとしても閉じないのです。寝ていても、ぱっと目が覚めるのです。

 一九五七、五八年度の先生は、どんな人だったでしょうか。どんなおばあさん、どんな人であっても、彼らの話を最もよく聞いてあげた先生だったのです。そして彼らから、自分の話を大韓民国で一番よく聞いてくれた人だという通称を受けたのです。そんなことをしたのです。ですから、おばあさんたちが来れば、嫁に行ったその日から、年取った夫をどのように愛したという話まで、私にすべて話してしまおうとするのです。今まで話したかった話をみなぶちまけるというのです。誰であっても先生を訪ねてくる人は、「先生は私の話を全部聞いてくれる」と言ったのです。

 先生が話を聞いてあげる時は/世の中でそれほどまで楽しく聞いてあげられないほどに聞くのです。夜を明かしながら聞いてあげるのです。それだから一対一です。話を心から聞いてあげ、また心から話してあげるのです。それが秘訣です。そのようにやり取りするのです。聞くときも熱心に聞き、話す時も血の汗を流し、涙を流しながら話すのです。ですから精誠を尽くして聞いてあげて、精誠を尽くして話してあげるのです。一人のおばあさんの話を十二時間から二十時間まで聞いてあげるのです。夜を明かしながら、聞いてあげるのです。そしてすべて聞いてあげたから、これから私の話を聞きなさいというのです。

 そうでなくてはカインを私の方に引きつけることはできません。サタンの包みをすべて引っかき回して、これをぶちまけてなくしてしまわなくては、私に引きつける秘訣がありません。個人指導をしなくてはなりません。母親が一度に双子を産みますか一人一人産むでしょう。ですから、汗を流しながら、精誠を込めなければなりません。だから「この人はもう、ある程度までになった。十二時になり、一時になったとしても、あと二時間だけ話せばこの人は峠を越える」という時は、ためらわず三時、四時まで明るくなるまで話をしてあげなければなりません。そのように一人の命を尊く思わなければなりません。精誠を尽くさなければなりません。

 決闘するとき、先に刃先を当てなければならないのであり、先に銃を命中させなければならないのです。深刻なのです。注射をして、患者が生きるか死ぬかという医者のような立場に立っているのです。命をそのように尊く扱うことができなければなりません。


公判廷に立つ心情の礼拝

 私は、公的な場に出て祈祷することを恐ろしいと考える人です。考えてみてください。喪中の家の主人のような父に侍り、多くの生命を、生死の岐路から生命圏に移さなければならない立場にあるのです。それは深刻な問題です。それは決着をつけることであり、談判です。生死の決定を分かつ線を引くことなのです。最後の線を引く立場なのです。

 そのために、その立場に責任をもち、この場に出てくるということは、刑場に出てくるのと同じことなのです。公判廷に立つ、そうした心情だというのです。それゆえに神様の同情を願わななければならず、神様の哀れみがなければならないし、神様の慈悲が漂う立場に立ってこそ、生命がうるおうことができるのです。

 私は、公的場に出る時は、「何の説教しようか」と題目をあらかじめ考えない人です。それは、死んだ結果をもたらすのです。それは、私の知識と、私の組織的な計画を自慢できる基準にはなるかもしれませんが、心情を吐露することはできないのです。その代わりに、説教する前に十時間以上精誠を尽くすのです。根を深く伸ばして出ていくのです。順番はどうでもいいのです。虫が食って話に穴が開いていてもいいのです。言葉は、整えたり飾らなくてもいいというのです。真実の心情を、どのように連結させるかという問題が、生死の圏を決定します。


痛哭で染み付いた感動の説教

 先生は講義もし、説教もたくさんしましたが、一九五〇年代、涙を流さずに説教した日が、一日でもありましたか。痛哭しない日がありましたか。自分の器に入れて、あふれなければならないのです。そのままではあふれません。もてる力を全部出しきって、血の汗を流し、ふっと気が遠くなった境地、私は死ぬんだと倒れたその場から、飛び立とうとしてこそ、天が慰労し、役事してくださるのです。

 先生は草創期には、激しい迫害の渦中でも、血の汗を流しながら説教をしました。のどが張り裂けるくらいに説教をして、集まった人に感動を与えなければなりません。きのうよりもきょうの迫害に疲れてはいるが、これから行くべき道が残っているがゆえに、力を投入するのです。力を投入しようとすると、消耗戦をしなければならないのです。それで私は、もてる精力をすべて注ぐのです。そのようにして引っ張ってきたのです。

 だから説教する時は、この背中に汗がにじむのです。ワイシャツや下着は、完全にぬれて、頭からは汗が玉になって流れたのです。

 昔は、壇上で背広を着て説教しませんでした。労働着から出発したのです。説教をする時は、一人しかいなくても、血と汗と涙を流し、精誠を尽くして説教をしたのであって、通り過ぎていくお客さんを迎えるような説教はしなかったのです。そのような事情が過ぎてみると、今は懐かしいというのです。

 きょうは皆さんの前に、背広を着て来ましたが、昔はジャンパーを着ていました。下には韓国ズボン、上には米軍が着ていたジャンパーを染めたのを着ていたのです。

 そのようなもの着て説教を始めたのです。それでその当時、統一教会を訪ねてきた人々は、「文先生はどこにいる?」と探すというのです。すると、「文先生がどこにいるかって? 壇で説教しているだろ!」と言います。今は亡き劉協会長が椅子にでんと座って、目をぎょろつかせていれば、人々はかえって「あの人が文先生だ」と思うというのです。背広を着るようになったのも、西洋の文化が入ってきたので、そこに拍子を合わせようと、仕方なく着たのです。だから、この世の人々は文先生がいつもそのように生きる人であると思ったのです。だらしない人の代表格だというのです。


劉孝元協会長への原理講義指導

 統一教会が出発した時、青坡洞で三年八ヵ月の間、劉協会長が病の身になっても、一日に十八時間ずつ講義しました。

 一日に十八時間ずつ、三年八ヵ月の間、毎日、病の身である人に講義させたのです。それが伝統です。二日で、一通りの講義をするのです。人がいなければ、自分が電話して友達を呼んでくるとか、おじさんを呼んでくるとか、母親を呼んでくるとか、甥姪を呼んでくるとかして講義をしなければなりません。そうして二日で前編、後編の講義を全部するのです。毎日続けるのです。

 それはどれほど大変なことですか。肺が痛く、他の所も痛かっただろうけれども、講義をしなければ、「こら! 天のみ旨のラッパ吹きなのに、十八時間吹けと言ったら吹かなければ駄目だ!今霊界では吹く準備をしているのに、お前がそんなことでいいのか。すぐにやりなさい!」と言ったのです。そのように三年八ヵ月やったのです。それは記録です。

 講義をさせる時、私が寝ていたと思いますか。屋根裏部屋に座って、みんな聞いていたのです。「誰、が来た」ということの報告を全部受けていたのです。

 人がいなければ、私が座って聞いてあげました。一生懸命聞いてあげたのち、その次には質問してみるのです。そうやって劉協会長を育てたのです。

 じっと見守って座り、監督しました。間違えれば、こうこう、このようにしなさいと悪い点を正してあげました。そのようにして三年八ヵ月が過ぎたのちに、代役者として立てたのです。

 そして講義が終わり、夕食の時間になれば、座って歓迎会をするのです。娯楽をしたり、おもしろい話をしたりして、全体の雰囲気を、講義以上の楽しい雰囲気にするのです。昔は、講義が終わって歓迎会をするとき、先生が全部仕切ったのです。講義を聞いた人は、先生が誰なのか分かりません。座って夜を明かしながら宴会をするのです。そうして一週間が過ぎ、半月が過ぎたのちに「あー、あの方が先生だったのか!」と言うのです。

 私が申し訳なく思うのは、十分食べられなかったことです。一日に麦飯で二食でした。かといって、まともなおかずがあるわけでもありません。キムチを漬けて一晩寝かせて食べるのです。劉協会長がよく食べたものは、あみの塩辛でした。彼はそれを好んで食べました。私は、そのふたをして隅に置いていたのを見て、「あれは何だ」としかったものです。その臭いは糞の臭いよりもひどいのですが、それを付けて食べながら「うまい」と言っていたことが、鮮やかに目に浮かびます。

 どれほど大変だったことでしょうか! ある日などは昼食も食べられずに横になっているのを見て、息が詰まってしまったことが今も忘れられません。今でも披州に墓参りに行けば、「あのかびくさい塩辛がなんだ。今なら、さざえもまるごと採って食べさせてあげるものを」と、そんなことを思うのです。

 「劉協会長が今も生きていれば、どんなに良かっただろうか」と思う時があります。劉協会長は一日に十八時間以上原理講義をしました。結局、食口の増加率は、原理講義の数に比例します。他にはありません。


終わりまで責任をもって、保護育成する指導者

 七年間、先生は二時間以上は寝ませんでした。邪悪な世の中で、流れていってしまう人、とならないようにと、昼夜を分かたず訓練したのです。雨の降る日は、みんなで雨にざあざあぬれながら冠岳山に登っていくのです。登っていく途中で、滑ってひどい格好になっても登っていくのです。登らなければいけないのです。将来、国家と戦い、世界と戦うことができるように、大きな戦場に出ていって、敗者にならないように、敗残兵にならないようにするための訓練をしてきたのです。様々な悪口を言われながら、そのような訓練をさせました。

 「学校が何だ。君たちは全員特別隊なのだ。学校を捨て、回れ右して行きなさい……」と言って始まったのを知っていますか。それは何のためですか。国のために、世界を生かすためにです。

 一つ、私が天の前に有り難いと思うことは、私の覚えた人が離れて出ていけば、その人と同じような人が二人ないしは三人、外見も立ち居ふるまいも同じで、声も似たような人が入ってくるのです。本当に不思議でたまりません。神のみ旨を中心として行く主体的な心情圏をもった者には、絶対に相対圏に損害が出ないのです。私がとりわけ彼に対して特別に接してあげなかっただけなのに「ああ、寂しさを慰労するために、天は彼と同じような人を送ってくれたのだなあ」と感謝しているというのです。そのようなことがたくさんあります。

 「ため」に生きれば、中心存在となります。中心存在は責任を負わなければなりません。責任を負うだけでなく、保護してあげなければなりません。保護だけでなく、育成してあげなければならないのです。先生が私が中心であると言うときには、皆さんのすべてに対して責任を負わなければなりません。困難なことを私が責任を負うのです。困難なあらゆることに責任を負わなければなりません。その次に保護しなければなりません。それだけではなく、育成してあげなければなりません。

 そうです。皆さんが先生に従ってきてみたら、保護も受けていたというのです。皆さんが非難されるところのものを、私がみな非難を受けているというのです。皆さんが誤ったことをすべて文総裁が負うのです。皆さんの命に責任をもつのです。皆さんの先祖の問題まで、永生問題にまで責任を負うのです。


四 青坡洞時代の真の愛の春風

個人的な心霊復活の時

 人、が統一教会運動に加担するようになる理由は、年齢が高いとか若いとかにあるのではなく、「統一原理」の中に入っている磁石のような真理による引力のためです。真理に接すれば、誰でも火がつくようになっています。絶対的で完全な真理に接すれば、それまでの次元の低い真理につかまってはいられないのです。

 親子の関係は愛が充満していて美しいのです。それにもかかわらず、子供が家庭で両親との間で味わったそれ以上の愛を味わったとしましょう。その時には、その子女は霊的な満足のために、より偉大な愛の巣に行かなければならないと思うようになるでしょう。人、がそのような生命の力を発見する時、彼らはその磁力に引っ張られずにはいられないのです。神様の新しいみ言は、生の根本であり、光となるのです。

 表に現れていない統一教会の過去の歴史には、悲惨な出来事が本当にたくさんあるのです。逸話も多く、曲折も多く、現れていないことがたくさんあるのです。一九六〇年度、先生の聖婚式の時から表に現れたのです。

 それ以後は、大衆がみ言に触れることができる時代に入ったがゆえに、大衆に必要なみ言を話すようになったのです。それ以前のみ言は、大衆に必要なみ言ではなく、一人の心霊をどのように復活させるか、一人の生命をどのように維持していくことができるか、そのような力をどのように与えるかという問題が、責任を負っている指導者である先生として、話したことのすべてであったのです。


縦的な愛を体恤する時

 統一教会において、私がお母様を迎える三、四年前から、春風が吹いたのです。

 一九五七年から七年間は、愛の春風が吹きました。

 我々は、来られる主の縦的な愛を受けなければならないのです。縦的な愛を受け、それと全く同じ愛が、夫婦間の横的な愛へと伸展していかなければならないのです。それゆえに、まず縦的な愛が必要なのです。先生は昔、そのような縦的な愛を施したがゆえに、先生に従った人がたくさんいたのです。

 家に帰って寝たとしても、教会の方向とは反対に寝ていても、心はこちらに向かっているのです。それはなぜですか。統一教会の文先生は妖術を巧みに使って、どうしてこうしてと言います。

 妖術とは、なんの妖術ですか。自然術であり、天術でしょう(笑い)。妖術は一時しかもたないのです。催眠術のようなものも時間が経てば、そのまま全部解けてしまうのです。しかし、私は一生を通じて、うんざりするような悲惨な道を歩んでいるのです。だからどんなに罵られてもびくともしません。

 どうしてかというと、そのような何かがあるからです。プラスの心とマイナスの体が完全に一つになることができるなら、プラスである心と一つになるその力は、神様の力の権限に同参できるというのです。全能なる神様の創造力、あるいは生命力があれば、その創造力と生命力につながる可能性がある、ということが発見されるので利E

 神様の愛の風、本然の愛の風を起こすのです。それゆえに、統一教会に入り、春の園の香りをかぎ、春の園で遊び、それを体恤した人は、世の中に出ては生きられません。ため息ばかり出るのです。先生を忘れようにも忘れられないのです。自分の父母を忘れることができますか。忘れようとしても忘れられないのです。故郷は忘れることができません。統一教会は心の故郷なのです。人間の生命の本郷の基地となっているために、忘れることができないというのです。


三大心情圈の再現と体恤


 堕落することによってエバが何を失ってしまったかといえば、父の愛を失い、夫の愛を失い、兄の愛を失ってしまったのです。三大愛を失ってしまったのです。この三大愛を一時に再現させて蕩減しないことには、本然の道を探していくことができないというのです。

 兄の情を破壊し、兄の心をとろけさせてしまったのが女性です。その次には、自分の夫を滅ぼしてしまい、その次には父を滅ぼしてしまいました。三大の恨を抱いているのです。三大滅亡の条件を備えているのです。三大心情を蹂躙したエバです。この世に再臨時代が来なくては、女性を解放する道がないのです。

 なぜこのような現象が起きるのか、世の中の人は分かりません。それで先生に出会うと、「ああ、いつだったか会ったことがあるお方だ。目も耳も鼻もどこかで見たことがあるんだが、いつだったかな」と言うのですが、どんなに考えても思いつかないのです。そのような因縁があるのです。

 したがって、誰よりも、親しい兄のようです。先生が胸に抱いたとしても、どこかの男性のようには思えないのです。父母の胸に帰ってきたように感じ、兄に向かった妹のような感じ、それが先生に対する思いなのです。そして、一方では夫のように「あー、恋しい。会いたくてたまらない」と言って、夜も眠れないのです。そこまでなるのです。

 今もそのような体験をするでしょう。お兄さんのように案内して、エデンの花園に連れて歩きながら、ずっと教えてあげるのです。夢の中で何度も先生に会うことでしょう。時には婚約指輪をはめてもらったり、婚約の花束を抱かせてもらったり、幼子のように何も着ないで、一緒に布団の中で眠ったりもすることでしょう。そのような夢を見るようになるのです。

 その心情圏が何かというと、失ってしまった夫の心情圏を原理どおりに、元に戻す天的恩恵であるのです。そしてそうした段階を過ぎて、完全に、心情圏内で父のようになるのです。幼子のようになり、先生の膝の上とかで、どんなにひどくいたずらしても嫌でない、父と娘の関係のような思いになるのです。そのようにして、神様を知るようになるのです。

 十二歳から八十歳までの女性たちは、みんな春風が吹いて真っさかりの花らしい色を帯び、香りがするのです。みな先生は自分だけの父であり、自分だけの兄であり、自分だけの夫であると思うのです。エバと全く同じなのです。エバの心情圏復帰を実体的にするのです。そのようにしながらどんな立場に入っていくかというと、先生との心情一体圏に入っていくのです。先生が寂しいと思えば自分も寂しくなるのです。そうした体恤圏に入るのです。恋しくて恋しくて我慢できなくなるのです。


真の愛に魅せられた食□たち

 先生がずっと祈祷していると、統一教会の人たちはみな、すっかり先生のとりこになってしまい、市場に買い物に行っても飛んで行って、すぐ教会に来るのです。男であろうと女であろうと、みんな魂が奪われたようになってしまうのです。私がそのようにしたのではありません。愛がそうしたのです。会えば訳もなくうれしいのです。何もなければ、ポソン(注:韓国固有の足袋)の片方を売ってでも、持ってきてあげたいのです。そして、もっともっとあげたいというのです。

 昔は、午前四時まで通行禁止が実施されていましたが、通行禁止が解除されると、青坡洞に訪ねてくるのです。夫が反対するので教会に行けずにいる夫人たちの買い物かごを持って市場に行く足が、自然と自分も知らないうちに教会に来るのです。そのように愛の力は強いのです。自分の意識など何でもありません。意識圏をコントロールして、その目的の世界に、自分の霊肉の四肢が動いて訪ねてくるのです。

 心の中で「ああ! 行きたい」と叫ぶ声が聞こえるのです。その声は他の世界の声なのです。内的な電線から来る霊界の声です。神様と通じることができる内的な電線、真の愛に通じることのできる電線になっているというのです。その境地に入っていけば、すべてのものが見えるのです。

 自分の家にいながらも、先生が何をしていているかすべて分かるのです。「先生はきょう、悪いことがあったな。だからきょう行けば気分が悪いので、私が行かないほうがいいだろう」とすべて分かるのです。それでも行かずにはいられなくて、来てしまうというのです。

 この青坡洞の坂は、何ですか。化け物坂です。そこに行かないわけにもいかず、また行ってみれば大したものでもないのです。

 ところが行ってみると、先生が有り難がりますか。「こいつめ! なんでこんなに騒々しく、あちこちにうわさを立てるんだ」と言うのです。そのようにののしられて、ひたすら鶏の糞のような涙をぽろぽろ落としては、「ああ! もう二度と来ない」と言って帰っても、御飯を一食食べれば、またこちらに向かうというのです。

 泣きながら「もう来ない」と、どんなに心に決めたとしても、家を出て庭をくるくる回っているうちに、門を開けて、いつの間にかバスに乗って教会に来るというのです。自分でも知らないうちに来るのです。そのような妖しい力があります。そのようなことを感じたことがない人は、本当の愛を知らないのです。

 青坡洞の前本部教会時代の話ですが、こちらの門から追い出せばあちらの門から入ってきて、いすの後ろに隠れていて、先生が行ったあとにさっと現れて、祈祷しながら夜を明かした、そのような歴史をみなもっているでしょう。そうして朝になったら、先生の顔でも一度見てから行こうとしたのです。

 新しいチマ(スカート)をはいて行こうと慌ただしく来たのに、来てみると穴の開いた古いチマをはいていたりします。新しいチマをはいて来たつもりでいるのです(笑い)。呉執事のような人は、御飯を炊くときに、米をといで釜に入れなければならないのに、水がめに米を入れ、釜には水だけを注いで炊いていたというのです。しばらく炊いてみると、御飯がなかったというのです(笑い)。そのように狂ったのです。先生は、ここ道峰山や三角山、冠岳山に行く時にも、女性たちがついてこれないようにしました。私は、女性たちがついてくるのを一番嫌ったのです。しかし、ひたすら先頭に立って行くと、先生のあとにくっついてくるのです。お母様、耳をちょっとふさいでいてください(笑い)。


家庭紛乱と逼迫が高潮

 青坡洞時代、教会が小さくて本館で寝起きしていたのですが、女性たちが塀を越えて入ってきたりしたのです。夫が何と言おうと、教会に行って先生の顔を一度見なければ御飯がのどを通らないし、息もすることができないのです。ところが、毎日のように行くので、夫はその妻をそのままほっておけますか。手錠を掛けて、閉じ込めておくのです。それでも行くので、パンツだけはかせておいて、髪の毛を切ってしまうのです。

 この世であれば、女性は夫からむちで打たれたら、「ああ、これからは二度としません。あなたの言うとおりにします」と約束して、それで収まるはずですが、統一教会の女性は、打たれても「先生のところには行かない」という言葉を絶対に言わないのです。ですから、家庭にどれほどごたごたが起きるでしょうか。

 雪の降るひどく寒い冬に、夫が妻にパンツだけはかせて、「お前、男と密通して夜遅く帰って来るんだろう。この野郎!」と家から追い出されるので、どうしたらよいのですか。行くところが統一教会しかないので、ここを訪ねてくるのです。塀を越えていくその女性を見た人が何も言わないでしょうか。

 冬場に家から追い出されてどこへ行くのですか。先生のところ以外に行くところがありますか。そのころは、私が一人で住んでいた時だったのです。四十代まで私が一人で住んでいたのですが、青坡洞の塀の高さが十尺半あるのに、女性がパンツだけはいて、塀を越えてきては「先生」と言うので、うわさが立つだけ立ちました(笑い)。

 「パンツだけはいた裸の女が塀を越えて入った」と、青坡洞中のうわさになって、私は悪口を随分言われました。

 しかも、白分の夫がかぱんを持って出ていく姿が、「双頭の蛇」になって見えるのです。体は一つで、頭が二つある「双頭の蛇」のことです。そして夕方、時間になって帰ってくると、その双頭の蛇が門をたたくのです。そして夜、寝床に入る時は、その双頭の蛇が体中に巻き付いて、陰部にしっぽを打ち込んでくるのです。そう見えるのに、夫婦生活をすることができますか。夫婦生活をすれば下血するのです。こんなあきれた事情を誰が理解してくれますか。誰に話せますか。

 その上、親たちがどれほど憎んだでしょうか。どれほど憎めば、子供の上に乗っかって座り、背中に刃物を刺すことができますか。我々統一教会の食口の中には、父親から刃物で剌された人がいるということを覚えておきなさい。


地方の食□たちの思慕と愛

 男性たちもそうです。釜山に住んでいた男性たちも、チャガルチ市場などに行って、ぴちぴちとはねているぽらやスズキのような魚を見ながら、先生のことが思われて、それをぎゅっとつかめば手が開かないのです。魚が放してくれないのです。

 なぜでしょうか。その時は、哀れな先生だったのです。国に追われ、既成教会に追われ、同情する人がいたでしょうか。天が同情したのです。

 そうして、ぴちぴちはねるその魚をつかんで「ああ、死なないようにしてソウルまで持っていけたらいいのに! 飛行機があればいいのに!」と思うのです。そうして歩いていくわけにもいかず、汽車に乗って来るのですが、お金のない統一教会の連中たちが切符を買って乗れるでしょうか。こっそり無銭乗車して上京するのですが、途中で見つかればその魚も奪われてしまい、戻ってきては号泣するのです。

 釜山にいる食口たちは、一週間に一回ずつ行ったり来たりするのですが、貧しい統一教会の者たちに、行ったり来たりする交通費がどこにありますか。そうして無銭乗車して途中で見つかり、留置場に行って、一晩か二晩寝るというような話がざらにあるのです。そのように、愛の旋風がものすごい時があったのです。

 また、ある男性は、妻も息子もいるのに、先生のみ言を聞いたらうれしくて、先生が話すとなると、夜明けだろうが、朝だろうが、昼だろうが、夜だろうが、とにかく行きたくなるのです。そうして妻も、子供も、知ったことでないと、先生だけについて回り、先生に狂って、泣きながら通うのです。

 そのような話を聞いたことがありますか。男が男に会いたいために泣いているのです。それはどんなに気持ち悪いことですか。なぜそうなのか、自分でも分からないのです。先生のことを考えただけで、訳もなく涙がぽろぼろと出てくるというのです。

 またある人は、わあわあ泣きながら「うちのかわいそうな先生」と叫んでいるのです。そんな奇妙で、奇怪なことを私はたくさん見てきました。












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