真の御父母様の生涯路程 4
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真の御父母様の聖婚と第一次七年路程

第三節 一九六二年 見せてあげて誇り得る者となろう

一 一九六二年出発と摂理的意義

年頭標語:見せてあげて誇り得る者となろう(一九六二・一・三、前本部教会)

 父の前に誇れる何かをもたなければなりません。今年は、父の前に何を見せてさしあげ、誇るのでしょうか! ただひたすらな心情のみです。統一教会に誇るものがあるとすれば、心情を通じた個人と家庭です。

 一九六二年、この年は歴史的にもう二度とない年です。今年は、皆さんはサタンの讒訴を避け、神様の心配の対象となることなく、前後、左右、上下、内外において不足することのない存在とならなければなりません。神様がこれまで摂理してこられながら誇りたかった希望の実体とならなくてはなりません。また、天と地、全被造万物の前に認定を受け、さらにはこの地とサタン世界にまで、見せて誇れる実体とならなくてはなりません。

 今年の標語は「見せてあげて誇り得る者となろう」です。逃げるサタンをどこまででも追いかけていかなければなりません。神様は個人を見せて誇りたがり、家庭を見せて誇りたがっていらっしゃるので、このために戦い、勝利しなければなりません。そうなってこそ、霊界と肉界を連結できる息子、娘になるのです。戦いに勝ってこそ誇れるのです。皆さんは天の家庭の復帰のために戦わなくてはなりません。

 見せてあげようとすれば、苦労の最高基準を立てなければなりません。苦労は一人でしないで、夫婦同士、食口同士でしなければなりません。今は個人的にでなく、家庭的に、民族的に苦労する時です。今年は、民族的に世界の前に見せてあげられる道を歩んでいかなくてはなりません。


三年路程と一九六二年

 この三年は歴史的な転換期です。皆さんには分かりませんが、内的にそうなのです。この期間に参加したことは非常に大きな栄光です。

 今年、この年はみ旨から見る時、重要な年であり、一日一日が重要な日です。イエス様が越えた一つの峠を越えなければならない時です。イエス様は先頭に立って戦われました。イエス様の思想を相続し、神様のために戦える信仰者、最後までサタンと戦える信仰者が必要です。

 この三年は短い期間ですが、重要な路程を、形象的に象徴的に歩む期間なので、いかなる困難があるとしてもしっかりと越えなければなりません。この民族が行きたがらない道を行くところにおいて先頭に立ち、世界の民主主義陣営がやりたがらないところにおいて先鋒とならなければなりません。復帰的な心情、希望的な心情をもって歩んでいる中で倒れるならば、肉身はサタンが引いていくことができても、精神は引っ張っていけません。霊的に占領されないからです。

 その次は、栄光の時代に入っていかなければなりません。絶えず戦わなければなりませんが、そのような中でも幸福を謳歌することができなければなりません。また、そのような中において内部では、環境を整理しなければなりません。

 一九六〇年に三年路程を約束して出発しましたが、既に二年が経過し、もう一年しか残っていません。私は寝ても覚めても常に、今年この一年をどのように送るべきかを考えています。み旨の前に勝利的な成果を上げるため、惜しげなく捧げる覚悟で行動しなさい。


二 七十二家庭合同祝福結婚式(一九六二・六・四、前本部教会)

 一九六二年六月四日、真の御父母様が直接典礼を主管される中、七十二双の男女聖徒たちによる合同結婚式が、ソウル青坡洞一街七一の三の前本部教会で挙行された。
 同式は、一度に二十四双ずつ、大きく三回に分けて挙行された。一回にかかる時間は三時間。その次の回までに一時間の休憩。このようにして、十一時間という非常に長い時間の末、七十二双合同結婚式は幕を下ろした。



カイン・アベルの家庭的復帰型

 三十六家庭はすべての人類の先祖を代表した先祖が再臨復活をした型です。復活した先祖たちです。その次に三十六家庭の二倍である七十二家庭が出てこなければなりません。カイン・アベルが一つにならなかったので、三十六家庭の二倍なのです。言い換えると、アダム家庭において、カインとアベルが一つになってこそ、アダム家庭が成立するのです。

 アダムとエバの息子であるカインとアベルから戦いが始まりました。そうしてこの世界をこのように滅ぼしたのです。それはどういうことかというと、その後孫たちが争う世界をつくったということです。これを蕩減復帰しなければなりません。そのためには、三十六代の息子、娘たちが神様の前で争わずに一つとなったという条件を立てなければなりません。それでカイン・アベルに分立した数、すなわち三十六を二倍にした数である七十二家庭を立てたのです。

 この七十二家庭が立てられることにより、カインとアベルが争わずに四位基台を成すことができる歴史的な先祖の基盤を築いたのです。そうして、サタンを防備できる絶対的な基準が立てられたのです。

 七十二家庭はヤコブの時までの地上に横的基盤を築く時までの家庭を中心として、カイン・アベルの二つの型として復帰した基準で立てたものです。それにより、今までの直系先祖の家庭がすべて復活した形態の家庭として地上に顕現したのです。これにより、重要な中心が決定されたのです。

 先祖家庭を中心としてカイン・アベル家庭が一つになるので、摂理歴史においてそれは、家庭を中心として必要なすべてのものが備わったことになるのです。家庭復帰を完成したことになるのです。それが七十二家庭までの祝福です。それが成就することによって、初めて地上に神様を中心として平面的にも立体的にも、一つの段階を成すようになったのです。


イスラエルの氏族編成型家庭

 この七十二家庭はイエス様の七十人門徒に該当する数です。私たちが家庭を復帰することによって、この家庭は、イエス様が十二弟子と七十人門徒を中心として氏族を編成しようとしたものを成就した型です。すなわちイエス様の十二弟子と七十人門徒を復帰した氏族型が七十二家庭です。言い換えれば、この三十六家庭と七十二家庭はイエス様のイスラエル民族を中心とした十二弟子と七十人門徒のようなもので、イスラエル民族を指導できる代表的な型を復帰した型だということなのです。これは、神様がイスラエルを中心として復帰しようとされた基本数がすべて復帰された型なのです。

 聖書を見ると、七十人とあり、七十二人ともありますが、本来はこの七十二数が正しいのです。十二部族を中心として六数、六名の族長を合わせれば七十二です。七十人だと数が合いません。ゆえに、七十二家庭が本来正しいのです。

 イエス様の当時、十二使徒を連れて回り、七十二人門徒を生死の岐路まで連れて回ったのは、イエス様の目的を成就しなければならないからでした。これは共同の運命だということです。

 神様の願いは何でしょうか。個人の救いではありません。家庭の救いを求め、氏族の救いを求めているのです。ですから、イスラエルの十二部族(支派)の部族長(支派長)だけいても駄目なのです。族長が必要だというのです。七十二門徒は族長になるのです。族長圏ができるのです。七十二族長はカインも抱き込み、アベルも抱き込まなければなりません。これが一つにならなければなりません。それゆえに三十六家庭が先祖ならば七十二家庭は先祖の垣根だというのです。第一の垣根です。

 そうすることによって、統一教会に初めて氏族圏ができたのです。ヤコブが七十二人(聖書では七十人)を中心としてエジプトの地に入っていったのと同様に、そのような移動が起こり得る一つの氏族になったというのです。三十六家庭はアダム時代なので家庭時代であり、七十二家庭は民族時代です。氏族にもなり民族にもなるというのです。

 今回の六月四日の祝宴は、皆さんがしなければなりません。先生は父母の立場にあるので、カイン的な息子、娘たちに祝宴をしてあげたのちに、アベル的な息子、娘に祝宴をしてあげられるのです。先生がお金を出してはいけません。皆さんがしなければなりません。

 また、式を終えたあと、すぐに追い立てることを私は願わないのですが、サタンを防ごうとするので仕方がありません。


三 四十日伝道と聖地選定および全国巡回

三年路程の最後の公的巡回(一九六二・七・四〜七・一一)

 今年までは内的に迫害を受けます。これを越えれば、入ってくるのが難しいでしょう。入ってこようとすればどれだけうるさいか知れません。それで七月四日、巡回に発ちます。その日が意味のある日なのです。

 三年期間の公的な巡回は、今回が最後になるかもしれません。今回だけでも共に巡回する心情をもつようにしてください。全体を代表する時は、特に気を引き締めるようにしなさい。そのような期間に精誠を込めると、皆さん自身が生きるのです。八日間行ってきますので、協会長と団結して、祈祷しながら暮らすよう願います。

 今回の巡回が三年期間の公的巡回では最後です。次からは、巡回を直接しなくても神様は問責されません。

 巡回に出発し、公的な立場に立てば、子供に対する思いさえももつことができません。先生は新しい歴史の創造のために生きているのです。


四十日動員伝道
夏季:二九六二・七・二〇〜八・三一、三千余箇所
冬季:一九六二・一二・二〇〜一九六三・一・二八、四千余箇所


 私たちは、この民族だけでなく、世界まで探し立てなければならない群れです。このような立場にある皆さんですから、いかなる所に送られたとしても、最後まで屈してはなりません。死の峠で、誰が最後まで残るかが問題です。最後まで残る者が貴い者です。

 皆さんは三つの国家ぐらいは掌握する腹をもたなければなりません。皆さんが地方に配置されれば、皆さんはその地方の哨兵のような立場に立つようになります。ゆえに、皆さんが倒れたら全体が倒れるようになるということを知らなければなりません。皆さんは任地に出ていき、揺るがすことができる人にならなければなりません。最低の場で揺さぶり、最高の位置にまで伝達されるようにしなければなりません。このような信念をもって少なくとも三年以上、十年は戦うことができなければなりません。

 信仰の息子、娘を立てる前は、自分の子女を愛せないのです。自分が伝道から抜ければ、先祖がないのと同じで、その後孫が礼儀を身につけることができないのです。赤ん坊のいるお母さんたちも伝道しなければなりません。天国に行く人は自分の赤ん坊よりも神様をもっと愛する人です。神様もアダムとエバより自分の理念を重視されました。白分の赤ん坊を見ながら神様の心情を体恤しなければなりません。

 婦人は赤ん坊をおぶって苦労することによって、夫をして忠誠を尽くさせなければなりません。赤ん坊を任せてでも三位基台を中心として伝道しなければなりません。先生が語られたことを実践できる方案を立てなければなりせん。もし伝道の地に出ていくことができなければ、気をもむ祈祷でもしなければなりません。


全国地域本部設立計画

 一九六二年度に全国に地域本部を立てるため、全国の地区長を集め、その方法を教え、その通りにしなさいと命令をしました。ところがその時、地区長たちは「できない」と言ったのです。もしその時、先生の命令どおりにさえしていれば、どんなに困難であってもすべてできていたはずです。時を逃せばこのように難しいのです。それで結局は先生が責任を負ったのです。食口たちが責任を全うし、天の前に功労を立てることができなかったので、先生が責任を負ってきたのです。

 先生が地域本部をつくりなさいと命令した時、全国的に、少なくとも百五十地域に完全につくっておかなければなりませんでした。先生が「家を売りなさい」と言った時、皆さんがそのようにさえしていれば、今日、教会の発展に至大なる貢献をなしたはずです。ところが一時を逃すことによって、今までの教会の発展に莫大なる被害をもたらしたのです。ですから、皆さんは二度と時を逃してはなりません。


全国聖地選定と聖別(一九六二・九・一〇〜一〇・八〔陰暦九・一〇〕)

 隊員たち同士で三位基台を成し、お互いが接触できる機会を頻繁にもつようにしなさい。隊員たちが互いに出会う場所は、聖別をして、万物復帰の基準を立てるようにしなさい。そうして、その付近を通る食口たちが往来時に立ち寄り、祈祷していけるようにしなければなりません。このようにして、聖別地域に対する関心をもたせ、聖地を遍歴する習慣を養うようにしなさい。

 万物の価値に対する刺激によって、自分の価値を感じるようになります。イスラエル民族が倒れたのは祝福を受けたことに対する愛着を失ってしまったためです。

 隊員がいない所も聖別し、聖別した所を死守するための目的で伝道しなければなりません。四方八尺以上の地を午前〇時三十分に聖別するのです。陰暦九月十日以内に、各地方の聖地を決定して聖別しなさい。アブラハムが、自分の死体を聖別した地に埋めてくれることを願ったように、過去には聖塩を外部にまくことができなかったのです。


全国地区本部巡回(一九六二・一二・一一〜一二・一九)

 先生が今話すのは、思いの限りを込めて話しているのです。本当です。責任があるのです。数多くの人が「来なさい」と言われて来たのですから、帰る時には、来る時よりも良くなくてはならないのです、来たときよりも少しでも良くなっていなくては駄目なのです。責任を負わなくてはならないのです。「来なさい」と言ったならば、「百里の道を歩いて来なさい」と言ったならば、百里の道を歩いて来たことに対して責任を負わなくてはならないのです。四方から数多くの人がここに寄り集まったならば、この数百名の人々の努力と、彼らの心の中にある千態万状の曲折がたくさんあるはずです。心の線上に成された内容があるはずです。そのすべての内容の上に一点でも良い点を添付してあげて帰してこそ、先生として責任を全うするのです。

 また皆さんもそうです。そのような先生に対して、皆さんもやはりそのような立場に立ち、自分自身の内容において善を成すことができる基礎をもち、それが相対的に喜び得る一つの因縁としてうれしいという決定を下して帰っていってこそ、皆さんがどこへ行こうが、その良い気分を奪われないというのです。一度根を張った良い気分を奪われなければ、皆さんはこの険しい、統一教会の行く道を行くことができるのです。

 今日、統一教会の信徒たちはかわいそうな群れです。韓国は世界においてかわいそうな国です。かわいそうなこの国の中でかわいそうな群れは誰でしょうか。私たちが血と汗を流したことを誰が分かってくれるのかというのです。私たちは教派を拡張するために、御飯を食べられずに飢えながら伝道するのでしょうか。そうではありません。先生にはそのような欲望はありません。

 ある人は、「あ! 統一教会のあのなにがしは、地方に至るまで信徒を派遣して、将来の大きい何か、政治的な野望を抱いて思いを巡らしている」と、あらゆることを疑うのです。彼らはよく分からないのです。そんなふうであるならば、私はこの韓国の地にはいないのです。

 けれども神様は宝物を、一番探すのが難しい谷間や薄暗い所に埋めておいたのです。世界の終末時代に、神様が万民の前に、愛する息子、娘の前に相続させるために宝物を埋めておいた場所は、誰も知らない深い谷間です。泰山峻嶺(大きな山と険しい峰)を越えて、人けのない所を訪ねていくのと同じ道理です。今日、私たち統一教会の信徒たちもそのようなものです。

 それゆえに、この国、この民族が理解してくれない道で、私たちは痛哭し、涙を流し、汗を流しました。また、私たちは血を売って伝道をしたのです。そのような話を聞いて先生は、人知れず痛哭しながら、「父よ! 私が罪人ならば大罪人です。私を知ったがゆえに彼らは血を売り、私は彼らの血をもてあそび、彼らの肉をもてあそんだので、天罰を受けねばなりません!」と祈祷しました。しかしこれは、私のためのものではありません。


四 天の子女代表の授賞と「私の誓い」公布
(一九六二・一〇・二八〔陰暦一〇・一〕、第三回子女の日、前本部教会)

 一九六二年度「子女の日」の行事は、十月二十八日(陰暦十月一日)より三日間にわたって本部教会で行われた。式は二回に分けられ、第一次は午前六時に二階で、第二次は引き続き一階講堂で昼の礼拝時間を兼ねて行われた。
 この三日間にわたる大行事の中、二十九日の晩には、全国百四十四地域を抽選に基づいて三個地域単位に基台を形成し、手紙による連絡および、可能な限りの協助による有機的紐帯をもつこととした。その次に、代表的に苦労をしながら顕著な伝道実績をあげた「天の子女代表者」を、全国から四名(李月星、崔允和、張徳姫、趙貞姫)選抜、栄誉の褒賞をした。また、大人事異動が行われ、「私の誓い」が制定、公布された。



天の子女代表の授賞(李月星、崔允和、張徳姫、趙貞姫)

 統一教会で一番多く苦労した人に、先生自らが賞を与えるのは、この前の「子女の日」に、天に祈祷して賞を与えたのが初めてです。先生がサインをして賞を与えるのは生涯で初めてです。祝福はしてあげたでしょう。すべての条件を天と地に掲げておいて賞を与えるのは、この間の「子女の日」が初めてです。三年目を越える「子女の日」にしなければ駄目なのです。

 それで、彼らを立てておき、彼らが歩み出てくることにより、人間としての誓いの文を宣布することになったのです。歴史的な意義があるのです。皆さんは彼らを見習わなくてはいけません。そうかといって、天が彼らを見る時に、完全に誇ることができる基準かというと、そうではないというのです。そこにおいては、心情的な立場においては、先生が彼らのために精誠を尽くした、その精誠があるのです。それが問題になるのです。皆さんが苦労したのが問題ではないというのです。先生がみ旨に対して、このような期間に対して精誠を尽くしたのです。一日一日を、一時間も忘れることなく思うその精誠とともに、そこにそのような基準を立てたので、今後世界的な運勢が近づいてくるのです。

 では、どうして女性は、三人を選び立てなければならないのでしょうか。女性は復帰歴史過程において、新婦復帰をするためです。アダムから今日まで、女性たちがすべて失敗したでしょう。三時代を経てきたのです。そのような人々を立たせておいて、彼女たちを中心として、すべてをなすことによって、すべてのものが全部解決されるであろうと、そのようにしてきたのです。

 「子女の日」に賞を与えたのは神様が与えたのです。それゆえ、私たちは誓いをなすことができるのです。息子、娘に賞を与えることによって、世の中の人々が入ってくることができる契機をつくったのです。皆さんは、この期間に同参したということだけで、世界の他の民族に先立つことができるのです。


「私の誓い」(全五節)制定公布

 誓いという意味は、第一に、神様の前に約束するという意味であり、第二に、未来に対して約束するということです。その誓いの文の第一の誓いが何かというと、神様が宇宙を創造したのに、その創造した世界を、宇宙を失ってしまったことを言い、二番目は、息子、娘を失ったことを言い、三番目は、神様の権限を言い、四番目は、理想を言い、五番目に入って条目的な内容が出てくるのです。言い換えれば、三番目は何かというと、神様が蕩減復帰路程のために苦労されていらっしゃる内容です。四番目は何かというと、私たち個人が平和の世界を建設するため、家庭、氏族、民族、国家をもって復帰していかなけれぱならないという内容です。五番目になると何でしょうか。総論です。

 これまで神様の前に誓いをなした人がいないのです。僕としても誓うことができず、息子、娘としても誓うことができませんでした。誓いをなそうとすれば、心情が通じなくてはなりません。この誓いとは何かというと、真の息子、娘になるという意味の誓いです。それでは、みんな立ちなさい。立って一度唱えてみましょう。皆さん各自が誓うのです。


〈私の誓い〉

 一、天宙の中心存在として、父の御旨(創造目的)と任せられた責任(個性完成)を全うし、喜びと栄光を帰し奉る善き子女となり、創造理想世界において永遠に父に仕え奉る真の孝子女となることを私はお誓い致します。

 二、父は六千年間供物として十字架路程を忍ばれ、死したる私を真の子女として活かすべく、み言と人格と心情を与え一体化せしめて、天宙の相続圏を与えたまわんとなさる聖なる御旨を私は受け、完全に相続することをお誓い致します。

 三、怨讐によって失われた子女と天宙を復帰せんがため、父は父母の心情を抱かれ僕の体を受肉したまい、汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流され、私の身代りに歴史路程における怨讐サタン粉砕の武器を与えたまい、それらを完全に審判するまで父の性相を受け、真の子女私は敵陣に向かって勇進することをお誓い致します。

 四、父は平和と幸福と自由と理想の源泉であらせられ、父を奉る個人と家庭と社会と国家と世界と天宙は、本性の人間を通じてのみ心情一体の理想世界を完結することができ、私は真の人間となり、心情の世界において父の代身者となることによって、被造世界に平和と幸福と自由と理想をもたらし、父に喜びと満足を帰し奉る真の子女となることを私はお誓い致します。

 五、我々は神を中心とした一つの主権を誇り、一つの民を誇り、一つの国土を誇り、一つの言語と文化を誇り、一つの父母を中心とした子女となったことを誇り、一つの伝統を受け継いだ血族であることを誇り、一つの心情世界を成す役軍であることを誇り、これを実現せしめることを私はお誓い致します。このような義務と使命を成就せしめるため、責任をもって生命を賭けて闘うことを私は宣誓しお誓い致します。宣誓しお誓い致します。宣誓しお誓い致します。


五 全国伝道師修練会と成和学生総会

第十回伝道師修練会(一九六二・三・五〜四・一三、前本部教会、百六名)

 第十四伝道師修練回が一九六二年三月五日より四月十三日までの四十日間にわたり、前本部教会で修練生百八名が参加する中で開催され、百六名が修了した。

 皆さんがここに来る前は、生活環境と生活方法が各自異なりました。しかし、いったんこの修練会に参加したからには、これからは過去のすべての習慣と観念を捨て、新しい生活をしなければなりません。最初の六日ないし一週間は、皆さん自身の試験期間になるでしょう。ここでは目をぎゅっと閉じて、「私は無い」という立場を取らなければなりません。

 過去においては、「私の家庭」、「私の村」と言ったのですが、修練を受けたのちは、この世界を抱き、さらにはこの天宙の願いをつかんで進まなければなりません。終わりの日に神様はこのような人々を召集なさいます。今日でもこのような人を必要としています。このような人をつくるのが統一教会の使命です。

 私たちの任務は、この三千里領土(韓半島)に散らばっている青年男女を呼び集め、修練をさせ、歴史的な恨の曲折を総清算する忠臣、孝子、烈女をつくることです。統一信徒は悲しみと苦痛の場に追い込まれもするのです。そこで力を尽くして倒れるならば、滅びるでしょうか。その道が正道であるならば滅びません。先生にはそのような道に追い込むことができる腹があります。

 道を行くところにおいては、協助を受けないでください。それぞれが散らばり、責任をもった場所に行く時は、「ここは私でないと駄目だ」という覚悟をもって行かなければなりません。父の仕事のため、三千里の津々浦々に力強く出ていかなければなりません。そうしてこそ祝福を受けることができるのです。


第十一回伝道師特別修練会(一九六二・四・一九〜五・八 二十日間、前本部教会、百八十五名)

 七十二家庭の祝福行事に先立ち、約婚期間でもあった第十一回修練会は、通常の伝道師修練会と兼行する形式で、現職伝道師と地域長が、所属地区長の指示に従い、二週間ずつの短期修練を受けるようになっており、全国各地に派遣され何年も苦労してきた未婚男女、中堅信徒たちが参加し、二十日間行われた。四月二十八日からは、本格的な約婚が始まり、その事務が終わり次第に任地などへ出発するという特殊な性格の閉会がなされた。

 神様の偉業を相続するために真の父母がいるのであり、皆さんは、真の父母の偉業を相続するためにある存在です。私たちは、真の父母の心情と摂理歴史の悲しい内容を知らなければなりません。真の父母と一体となってこそ、祝福の場に進み出ることができるのです。そのためには、真の父母の悲しみと苦痛と喜び、イエス様の悲しみと苦痛と喜びを、私のものとしなければなりません。完全に一つとなって生活し、代身者の立場に立たなければ何の必要もないのです。

 真の父母の代身として立つべき私にならなければならないのが修練の目的であり、この二十一日の期間を過ごす目的です。このような修練とこのような信念をもたない限り、祝福はできないというのです。

 それゆえに、不足な「私」ですが、この期間は、天と、自分自身が再び取り戻され得る、第二の父母の立場に立てられ得る条件的な恩賜を許す期間ですから、この許された期間において皆さんは、これを完全に受けるに不足のない自分とならなければなりません。そうなるよう決意し、皆さん自身がお互いに協力し、お互いに不足なところを補い合いながら、この二十一日期間を過ごしてくださるようお願いします。ですから、もう皆さんは、「私」ではないのです。それゆえに男性は、お父様の代身の立場に立たなければならず、女性はお母様の代身の立場に立たなければなりません。


第十二回伝道師修練会(一九六二・六・七〜七・一六、前本部教会、百二十二名)

 七十二家庭祝福式が終わった三日後の六月七日、夏季伝道を目の前にし、全国伝道師修練会が開催され、四十日目の七月十六日に閉会した。修了者は、男性八十四名、女性三十八名で、合計百二十二名。

 皆さんは、これから四十日間の団体生活をするようになりますので、きょう皆さんは、公的な「私」としての第一歩を踏み出す厳粛な瞬間に置かれています。公的な目的の前に吸収されなければならず、また、その目的を成就するため、各自が材料とならなくてはなりません。

 皆さんの手も、皆さんのものではありません。手で御飯を食べる時も、三千万(韓国全体の人々)のために食べ、世界人類の手を代表して食べると思わなければなりません。たとえ麦だけの御飯に味噌鍋(注:貧しい食事の意味)であっても、公的な立場で食べなければなりません。四肢五体をすべてそのように動かさなければなりません。ですから不平不満はあり得ません。

 本然の人格体とは、万物が敬拝し、神様が懐に抱いてキスしてあげられる幼子のような姿です。ゆえに、皆さんは本然の人格体を標準として修練を受けなければなりません。皆さんは、実情はどうしようもない存在です。ですから最低の立場から訓練しなければなりません。天下を抱くことができる人になるためには、ひいては、サタンまでも屈服させるためには、地獄のどん底の洗礼を受けてもこれを克服しなければなりません。修練は、このような本性の自我を復帰するためのものです。

 今や希望の時を取り戻したので、それを人に伝えたくて涙を流し、生きた祭物となったので、万物に愛を与えたくて涙を流す、涙の所有者にならなければなりません。涙を流すのですが、歴史上に現れた先祖たちのように悲惨な涙を流してはいけません。占有するための涙を流してもいけません。与えるための涙を流さなければならないのです。

 皆さんの心の中には真の父母、真の夫婦、真の実体があります。ですから皆さんは、自分の実体、自分の血統、自分の心情を誇らなければなりません。そして、与えるための生活をしなければなりません。先生もこれまでは、すべてのことを探し立てるための祈祷をしてきましたが、これからは違います。与えるための祈祷と与えるための生活をすることでしょう。


第十三回伝道師修練会(一九六二・九・一〇〜一〇・一九、前本部教会、六十五名)

 夏季四十日伝道が終わった十日後の十日から行われた第十三回修練会は、夏季期間に伝道された新しい食□たちの中より選抜された人を対象とし、四十日の間進行した。輩出した修練生は六十五名。

 この修練会で皆さんは、修練生活を通じて、皆さんがどれほど価値的な存在かということを示しました。今や、神様が与えてくださったことをどれだけ吸収するかということは、皆さんの努力いかんにかかっています。ですから皆さんは、神様の前に何かを残して報いなくてはなりません。

 天地を見せてあげる「私」、神様の代わりに誇る「私」、そのような価値ある「私」とならなくてはなりません。天が見せてあげたいし、地が誇りたいものとは何でしょうか。天地の心情的な因縁でつくられた「私」です。天も地も、「よし、私の息子、娘よ!」といえる息子、娘を求めているのです。

 ののしられながらも、その部落のため、その地域とその民族のために善を紹介することさえできればいいのです。「私」を導いてくださる真の父母を発見し、侍ることが目的ですので、永遠なる愛の心情をもって根気強く訪ねてくださった伝統の父母に侍るため、忠誠を尽くすために生きるならば、その人はすぐに父母の血と肉を身代わりにした存在となるのです。父母の心情と生活観を学ばなければならないのです。皆さんの個体は真の父母を見せてあげるための存在です。

 そのためには左右、すなわち兄弟を探し出さなければなりません。二人が一つにならなくては父母に侍ることができず、父母が一つにならなくては天地が一つになれません。


第一回全国成和学生総会(一九六二・一〇・七〜一〇・九、前本部教会、二百名)

 十月七日より三日間にわたり、ソウル前本部教会で歴史的第一回全国成和学生総会が開催された。全国から約二百名が集まった本大会では、総会開会式のほか、学生原理講義大会と各種授賞式、そして記念野外礼拝も行われ、大盛況をなした。全国学生会初代会長は朱東文。

 全国の青少年たちと、このように会ったのは初めてです。先生の生涯で初めてです。皆さんとこのように出会って本当に気分が良いです。

 皆さんは、世界は私のものであると思って生活し、実践しなければなりません。ですから皆さんを、希望の実体、希望の灯台だというのです。皆さんは天地を相続する神聖な王子たちです。それなのに御飯一握りに気を奪われてまわるのですか。それではいけません。人間の本性を回復し、自分自身の本然の価値を知って、天地の法度によってすべての因縁を結び、現実と未来を連結させなければなりません。

 神様は両手を挙げて叫んでいらっしゃいます。人類の代わりに、神様の代わりに闘う勇士がいないのかと。イエス様の立場で死なずにみ旨を成すべき運命が私たちの前に残されています。死んでいった先祖たちと、私たち自身と、後孫のために、必ず成さなければなりません。個人の恨みを晴らすのも難しいのに、歴史の怨讐、人類の恨みを晴らすのが簡単でしょうか。

 一介の部落のために生きることは、三十億人類を代表して生きるということです。神様と共に一時間でも生活できる時を考え、その時のために仕事をしなければならないのが、父のみ旨の前に立てられた私たちの使命です。十字架まで行くのです。先生はまだへこたれていません。そればかりでなく、いかなる難しい道ももっと歩むことができます。個人的に怨讐がたくさんありますが、全く憎んでいません。まずは世界の恨みを晴らさなければならないからです。


第十四回伝道師修練会(一九六二・一一・一〜一二・一〇、前本部教会、百十五名)

 一九六二年、冬季啓蒙への出動に備える意味も兼ねた第十四回全国伝道師修練会は、十二月十日、終了式を挙行した。修了者総数は百十五名。

 今回が十四回ですから、この時が、原理的な数字において最も貴い時です。私がしっかりと訓練すべき重要な時です。ヤコブの二十一年路程とは何かというと、人間復帰をして万物復帰時代へと越えていく時代です。それゆえ本当に重要です。それで、私たち統一教会で生活するところにおいて、先生がこの道に乗り出し、その数字をすべて合わせてきたのです。その時代、その数の中で、重要な年代が連結されてくるのです。

 それゆえに十四数は、最も良い数であると同時に、最も熾烈な数です。闘争しなければならない数です。最も鍛錬しなければならないのです。それゆえに十四回だけはしっかりと訓練しますから覚悟しなさい。

 今回の十四回は、第十四回だけの伝統を立てなければなりません。ヤコブにとって、十四年という期間は重要なものです。定着して越えていく時であるのに、この時に、つまらない話を残したら駄目なのです。それゆえに今回の修練会だけは強力にやらなければなりません。今、三位基台を結びましょう。

 皆さんが行くべき舞台は怨讐の世界です。荒れた荒野のような所であり、おおかみとライオンがねらっている所です。皆さんはそのような所に行かなければなりません。皆さんは、そのような環境を制圧して立つことができる自分とならなくてはなりません。行くその瞬間から「心よ! 私の行く道において友となってくれ」と言い、決して横道にそれてはなりません。

 神様の心は、今なお、憂いの中から離れられないでいらっしゃいます。同様に、み旨を抱いた人もみ旨が成される時までは、憂いを振り払ってしまうことができないのです。

 皆さんは、もうあすから韓国各地に出発しなければなりません。神様と、皆さんと、ここにいる師がなすべきことは、この憂い事を解決することです。良心の憂いと体の憂いが延長され、家庭と社会と国家と世界に広がっていったので、結局、全天宙が憂いの中にあるのです。

 国を憂う人は愛国者であり、神様を心配する人は神様の息子、娘です。国のために仕事をする人は、国の将来のために心配する子女を生むのです。世界的に見た時も、このような民族と人々をもった国は滅びませんでした。そのような人々だけが古い歴史を正すことができるのです。

 「私を送ってください」という時、「よし! お前が行って、お前の部落と面と郡と道を救って、さらに進んで国を救え」とおっしゃることができるようにしなければなりません。このために決意して行かなければなりません。


六 七ヵ月間の峠と孝進様誕生
    七ヵ月間の峠の期間(一九六二・陰暦一〇〜一九六三・四)

 ケネディー大統領が死ぬ前の一九六二年十月二十八日、その時、カリブ海岸問題が起こり、ソ連の輸送船を阻止するかどうか、この問題を中心として大騒ぎしました。先生のその時の祈祷は、「殴れ、殴れ、ぶん殴れ、打たなければ歴史がひっくりかえる」という談判祈祷をしたのです。その時になさなければ、この情勢がもっと複雑になるのです。「中共とフルシチョフ、分裂しろ!」と、このような問題を既に一九六〇年度から先生は祈祷してきたのです。分裂するかしないか見てみよ。戦わないか否か見ていなさい。人が知らないところで、このような業をしているというのです。

 荒野時代が終わったなら、カナン復帰のために全力を尽くして戦わなければならないのです。私たちは今、世界的なカナン復帰のための四十年荒野期間の中を生きています。この世界は神様の世界であり、全人類の世界であり、私の世界であると言える日を眺めつつ生きているのです。

 皆さんは血を売って仕事をしていますが、実際は血だけでなく体の一部さえ売るくらいの思いで、天の忠臣にならなければなりません。今は世界のために立ち上がるべき時です。今年の陰暦十月から来年四月までの七ヵ月間が峠です。

 夫婦を成した人は、これから七ヵ月間が特別な期間です。イエス様からの相続はゴルゴタで受けるのです。それも相続を受けるべき人を立たせておいて相続するのです。この相続を受ける者は歴史的な相続者です。この七ヵ月間でイエス様から相続を受けなくてはなりません。そのためには三人以上伝道しなければなりません。この期間はもう二度とない期間です。寝ても覚めても伝道に専念しなければなりません。


孝進様誕生(一九六二・一二・二九〔陰暦一二・三、一七:四九〕)

 先生は、今回三年になる「子女の日」の前にうちの子供が生まれるのではないかと、とても心配したのです。子女の日が過ぎてから生まれたので良かったのです。なぜ心配したのでしょうか。天の全体的な運をもってくる使命的な何かがあるとすれば、そのような基盤を外的に築いておかなければならないからです。

 これまではみな先生が祝福をしてあげましたが、息子を先に生んではいけないのです。娘を先に生まなければならないのです。そう、元弼はいま娘が三人ですが、それはみな天がプログラムを合わせるためにそうしたと見るのです。このような祝福をみなしてあげて、のちに先生から定着してこそ、四位基台の原則的な基準となるのです。皆さんが先に定着してはいけないというのです。そのような見地から「息子を生んだら駄目なのだが」と思ったら、娘を生んだでしょう。みなそうでなければならないというのです。原則的な基準が定着してこそ、すべてのことが解かれていくのです。

 それゆえ、私たちの教会はこれからです。この世の人たちに聞いてみても分かるはずですが、統一教会は大運が開いたと言うことでしょう。また、霊界に通じる人たちは、今はもう、すべて時が終わったと言うことでしょう。そして、善の世界が来ざるを得ないと言うことでしょう。

 陰暦の四月が過ぎる前に、食口同士でわだかまっていたものはすべて解かなければなりません。怨讐に福を祈ってあげるべき理由がここにあります。この期間は、今年出ていった人たちが再び戻ってくることができる期間です。そうすることで、サタン世界に対して、「門を開け」と言える条件を立てられるのです。そのような時があるので私は怨讐を憎めなかったのです。


孝進様奉献式(一九六三・一・一、前本部教会)

 皆さんは、お父様とは一つになりましたが・、お母様と一つになったというそのような因縁をどのように結ぶのでしょうか。それには到底道がないのです。アベルを通じて接ぎ木をする業を腹中時代からしなければならないのです。それが何かというと、譽進の腹中時代から、孝進の腹中時代の三年期間であるというのです。

 皆さん、赤ん坊が生まれるとき、母親がわかめスープと御飯を食べれば、子供は母親が食べたそのわかめスープと御飯を食べて育つのです。それと同様に、譽進が生まれた時に皆さんがわかめスープと御飯を食べたことを覚えているでしょう。そして、孝進が生まれた時も、わかめスープと御飯を食べたことを覚えているでしょう。それが蕩減復帰歴史なのです。この式を、皆さんは知らずにいますが、今後、これを本格的に世界化させ、このような伝統をはっきり教えてあげなければなりません。再びお母様のおなかの中を通じて生まれなければならないのです。

 このように、お母様の腹中というものは、堕落したものを蕩減するためのものですが、今までは、完成した母がいなかったのです。しかしながら、血統的な面など全幅的な面で蕩減した、完成した基準において、お母様が初めて譽進と孝進を産む、そのような立場で、三年間、皆さんが一つとなった条件を立て、再び生まれたという立場に立てられたというのです。それがその業であるのです。

 そのように復帰歴史は、六千年かかってきた大変な歴史であったというのです。その業をなすまで、神様は、その一日を中心として、これまで歴史的試練を経てこられたのです。ゆえに、皆さんの生命が誰と共に復活したかというと、先生と共に復活したのではありません。お母様と共に復活したのです。誰ゆえに? 御子女様ゆえにそうなのです。

 それゆえ皆さんは、間違いなく子女の立場にいるというのです。そうして父母の時代と子女の時代へと、けた違いに違う世界が開かれてくるのです。

 真の父母という言葉が成立するためには、子と一つになることができる起源があって、一つにならなければならないのです。人間が堕落したゆえ、外的子供と内的子供、カインとアベルがいるのです。したがって、一九六一年と一九六三年の間に譽進と孝道の二人の息子、娘が生まれたということは、復帰摂理において至大なる貢献をなす事件であるという事実を皆さんは知らなければなりません。

 イエス様は、三年の公生涯が終わって亡くなられましたが、統一教会は、地上天国の基盤を築かなければなりません。先生の子女の奉献式の時、三大祭物の条件として三種類の贈り物を分配し、わかめスープと御飯と牛乳を食べさせました。三年期間はイエス様が成し得なかった四位基台を成す期間です。

 それゆえ、先生が皆さんに三年間の標語を、第一に「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」、二番目は「父の代身者となろう」、三番目は「見せてあげて誇り得る者となろう」に決めてあげたのです。ここで見せて誇りなさいというのは、四位基台の復帰をいうのです。

 こうしてきょう皆さんは、この三段階を中心として腹中にいる赤ちゃんと共に食べ、共に生きたのと同じ条件を立てるのです。お母様も三年間は、皆さんが麦飯を食べる時、共に麦飯を食べ、皆さんが出ていって活動する時、同じ条件の活動をしたのです。譽進と孝進はお母様が麦飯を食べて産んだのです。言い換えれば、お母様も皆さんと全く同じ心情で生活したのです。

 今皆さんは、腹中から生まれたカイン的存在として、お母様を愛すると同時に子女様を愛する立場に立たなくてはなりません。そうして、彼らと一致することにより、胎内の双子のような序列に同参したという心情的条件を立て、彼らを中心として侍る立場に立たなければなりません。


孝進様誕生三・七日(一九六三・一・一八、前本部教会)

 きょうは孝進が誕生して三×七=二十一、二十一日目になる日です。この日は先生よりも皆さんがもっと喜ばなくてはなりません。本来は、むやみにこの場に参加することはできません。これまで私は、腰の折れた虎のようでした。不安の中で生きていたのです。天があるためです。しかしこれからは、私たちが攻勢をかける時に入っていくのです。

 韓国の風俗では、三・七日(出産後二十一日目の祝い)を大概みな守るでしょう。それを見ると、本当に我が民族はユダヤの民と大変よく似ているのです。旧約聖書を読んでみると、祭祀を執り行う方法だとか、礼式のようなもの、あるいは祭器のようなものなど、その内容と風習において多く通じているのです。

 そしてまた、子供を生んでから普通三日目に胎盤とへその緒を埋めるとあります。ところが、私たちにも昔からそのような風習があったでしょう。また、死後の三日葬だとか、あるいは結婚時、三日後に布団を片づけることだとか、こうしたものを見れば、ここにはすべて、復帰時代における一時のために準備した、実に深い摂理の意義が隠されているということをうかがい知ることができます。

 さらに、子供たちに対して三・七日を守るとか、あるいは百日を守るとかということがあります。百日というのは、いわば帰一数なのですが、再び人間としてこの地上に新しい姿をもって現れたその心情的な基準をもって歩み出すことができる一番重要な期間です。およそ百日を過ぎて、子供たちとも初めて心が通じ合えたりするのです。そのようなことを見れば、天的に大きな意味があるのです。

 なおかつきょうは、この子を生んでから三・七日(二十一日目)ですが、この日は一九六三年度を迎えた日であり、また、三年の峠を越えていく期間にもなり、これらはすべて拍子がぴったり合っているのです。また、この子はうちの子の中の三番目として生まれ、娘も一人いて、復帰歴史の全面的なすべてのこともぴったり一致するのです。

 それでこの日は、皆さんが知ってみると、本当に良い日であるのです。天の心情的な基準として、新しい約束の一つの礼物を中心として、怨讐の世界へと越えていくことができる、そのような一つの条件も立てることができる時です。そのような時にいるというのです。それで皆さんに、きょう早めに来なさいと言ったのです。実際、これは本当にみな踊ったりしなければならないのです。

 先生がこれまで四十年の生涯を戦ってきたのはほかでもありません。四位基台の復帰です。四十年の生涯をこれまで戦ってきたのは四位基台を復帰するためでした。皆さんには分からないことでしょう。今日、このような位置にまで来るため、どんなに苦衷が多かったか分かりますか。それは言葉では表現できません。

 また皆さんは、この子を祝うと同時に、心情的な一つの結実を結ぶことができなくてはなりません。先生もこの子を架け橋として出ていくことができるのです。こうして今や、道の方向が、目的に向かって直行することができる一つの基準が定まったのです。

 したがってこれからは、世界的な運勢や国家的な運勢も、私たちに歩調を合わせることができる道をもっていくならば、そのような面で収拾されると見るのです。見ていなさい。間違いなくそうなります。ケネディー大統領も今後平和運動をもっと強調すべきだと話しましたが、実際、そうでなくてはならないのです。そうあってこそ私たちとも出会うのであって、そうでなければ出会うことができません。
















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