真の御父母様の生涯路程 4
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真の御父母様の聖婚と第一次七年路程

第四節 一九六三年 勝利的主管者となろう(一)

一 一九六三年出発と摂理的意義

年頭標語:勝利的主管者となろう(一)
      (一九六三・一・一、前本部教会)


 今年、一九六三年度の標語は「勝利的主管者となろう」です。過去三年間は、人間として相続できるすべての条件を備えなければならない期間でした。しかし、今年からはその段階を越えて万物復帰をする年に入っていくので、今後は継続して同じ標語を使います。

 それで、聖地復帰も必要なので、どのようにしてでも聖地を買わなければならず、いったん買えば絶対に売ることはできません。住むにも聖地の近くへ行って暮らし、死んでも聖地の近くに埋められようとしなければなりません。聖地は血の代価を集めて買わなければなりません。すなわち、人類の父母として来られたイエス様を売った血の代価を払って、買わなければならないのです。

 今から商売をして集めたお金は神聖なお金です。商売するときも、うそをついてはなりません。また、不当な利益を残してもいけません。「いくら出して買ったものだが、いくらもらおう」と、率直に言わなければなりません。利益を三割以上残してはいけません。

 万物の主管者になるためには、まず勝利しなくてはなりません。神様を中心とした勝利です。それが最高の勝利です。私たちの標準はそれです。現在私たちはどんな基準の勝利を収めたのでしょうか。私たちの垣根の圏内において、天地の前で私たちを攻撃してきた戦いが終わっただけです。今は停止状態と同じです。すなわち、後方に来ている立場です。

 これまで私たちについて良いうわさも立ち、悪いうわさも立ちました。これからは準備をして攻勢をかけなくてはなりません。勝利のために歩む期間が今後の四年間です。これまでは防御的な戦いをしてきましたが、今後四年間は攻勢的な戦いをしなければなりません。

 これまで私たちに向けて攻勢をかけてきた霊界と肉界のすべてのものは滅び、私たちは夜のような時を過ぎ、朝に臨みつつ進んでいくのです。

 思想をもったこの地上のどの団体よりも強い信念と目標がなければなりません。そして、その目標のためにお金を使わなければなりません。そのための期間が経済的基盤を築く四年間です。

 今後は、ただ飯は食わせません。神様の世話になってはならないのです。イエス様の血の代価を払わなくてはならないと同時に、先生が歩んだあらゆる苦難の路程に対する蕩減基金も捧げるのが原則なのです。

 今後は言葉から注意して正さなくてはなりません。「ああ、死にそうだ(注:感情が極度に達したときによく発する言葉)」という言葉は使ってはいけません。言葉も、行動も、心情も、サタン世界と違わなくてはなりません。また「観」も違わなければなりません。私たちは常に、生活面においてサタン世界と違わなくてはならず、サタン世界を主管しなくてはなりません。そのような精神で生きなければなりません。少しでもサタン世界に先立たなければなりません。そうでなくては主管者にはなれません。主管者になろうとすれば、少しでも優れていなければなりません。


一九六三年度の重点課題

 教会を離れた人たちに一回ずつ会ってみましょう。そうして心にわだかまっている恨を解かなければなりません。今年は離れていった食口が再び入ってくる時です。

 歴史が複雑になっていくのは、先生の行く道と合わせるためです。四月までが重要な期間です。私たちに任せられた責任と使命を果たさなければなりません。これまでは解怨するために涙を流しましたが、これからは勝利的主権のために涙を流さなくてはなりません。先祖の恨を解くための涙ではなく、世界と国民のための涙を流さなければなりません。再臨主はこの地上、すなわち天使長の世界を収拾しなくてはなりません。地上で霊的、実体的なサタンを整理しなければ、再臨主も息子の位置を復帰できないのです。

 先生の四十年の闘争期間は、霊的、肉的に復帰してくる期間でした。この三年路程の最後の年は、息子の位置に立って三代(アダム、イエス、再臨主)に及んだ悲しみを蕩減復帰してさしあげなくてはならないのです。霊的世界の反映体である地上で、六千年の歴史を三年路程期間で復帰しなければなりません。この期間で、子女復帰から万物復帰までを成し遂げなければなりません。そのためにサタンに讒訴されない基準を立てなくてはなりません。このような勝利の基準を立て、万物の前にまで進み出なければなりません。

 今日、統一の理念は外国にも広がり、日本、米国等全世界に広がっています。韓国にいる統一食口はどれはどかわいそうでしょうか。皆さんを苦労させなくてはならない神様の苦衷があるのです。今からは、世界の伝道を互いが率先してしようとすることでしょう。日本でも、米国でもそうなるはずです。韓国人がしなくても、その国の人々が自分の国、自分の民族を引き受けようと自ら志願しているのです。既に多くの人々が、自分の国の復帰のため、苦痛の道を自任して歩んでいます。私たちは民族、国家を越え、世界を愛したという基準を立てなくてはなりません。

 今後、七ヵ国以上へ伝道に行かなければなりません。皆さんは韓国の中心の先祖となり、復帰の実体とならなければなりません。今年七ヵ国へ伝道に行けなければ、米国の中においてでも七箇所を選び、人を派遣しなければなりません。協会の各部長はソウル地区を分担し、食口に他の地区を割り当てなければなりません。

 本部教会を建築しなくてはなりません。自分のお金で教会を建てられたら良いと考えた人は、建築準備委員になるのです。本部教会は韓国人だけの手で建てなくてはなりません。韓国は本家です。本家は、私たち自らがきれいに整えなくてはなりません。地区長たちは聖殿の新築準備委員にならなければなりません。

 これからは統一教会の歴史をつくり上げていかなくてはなりません。歴史をつくるには家庭と氏族がなくてはつくれないでしょう。お母さん、お父さん、息子や娘もいないのに、どうやってその家の族譜(家系図)ができますか。これまでは統一教会の歴史をつくることができませんでした。けれどもこれからは、統一教会の歴史をつくらなければなりません。この仕事は、韓国にいるある食口たちの仕事ではありません。数多くの民族を代表した仕事として、このような仕事を中心にして歴史を残さなくてはならないのです。


二 既成家庭祝福式と独身祝福式
    既成家庭祝福式(一九六三・二・八、二十六双/四・七、二十七双、前本部教会)

 既成家庭は本来、七年間の聖別生活をしなければなりません。過去にもった夫婦の観念で考えてはならないようになっています。既成家庭自体は天の側から見ると、蕩減復帰すべき立場にあるため、一度否定しなければならないのです。自分の相対なら相対、自分の子供なら子供に対して否定的な立場に立ち、これを清算する過程を経て、新たに祝福を受け、これを吸収し、再び収拾する伝統を立てなければならないのが既成家庭ではないかというのです。

 ゆえに、既成家庭や、新しく祝福を受けた家庭が誇るべきことが何かというと、新しい相対を迎えたということです。既成家庭の夫たちは、新しい妻を迎えたのであり、妻たちも新しい夫を迎えたのです。また、新たに祝福を受けた家庭の夫婦も、自分たちはこの世にはない新しい夫婦であるということを知らなければなりません。このように、「新しい」ということを中心とした伝統の起源によって復帰された既成家庭と、既成家庭でなく新しく祝福を受けた家庭の正常な伝統が連結されるということを皆さんは知らなければなりません。

 既成家庭は、既成家庭でない家庭の前に垣根とならなければなりません。言い換えれば、歴史時代にアベルが犠牲になったことを蕩減してあげられる、家庭的な摂理においてアベルが信じられる家庭とならなければならないのです。過去には違いました。過去にはお互いが反発の要因になったのです。

 けれども今は、相手のことを思うとうれしく、問題があれば互いに訪ねていき、相談もできるのです。相談だけでなく、その家庭のことを誰よりも心配し、保護してあげられる家庭とならなければなりません。なぜでしょうか。家庭としてみれば、兄の家庭と同じだからです。兄の家庭ではないですか。カインはお兄さんです。アベルは何ですか。弟です。

 原理的観点において、先生の家庭を中心として、既成家庭でない新しく祝福を受けた家庭と、カインとアベルの立場で一つにならなければなりません。既成家庭の皆さんは、新しく祝福を受けた家庭と生死を共にする運命で立てられたので、皆さんは横的な面で頼みにすべき家庭なのです。ですから、侍らずしては行く道がないのです。


独身祝福式(一九六三・三・二八、前本部教会、四十一名)

 六十歳以上の年齢で「今はもう、このように高齢なので、嫁に行こうとしても行けないし、妻をもらおうとしてももらえない」と自認する人は、今回の「父母の日」に集まりなさいと言いました。死んだのちにあの世に行き、家庭的な楽園型をつくっておかなければならないのです。これまでの楽園は家庭的な楽園ではありませんでした。相対因縁が決定されていませんでした。天使世界と同じように、みな相対がいないのです。

 それで、この時代において先生がすべきことは、そのような年を取った人たちにこの地上で相対理念を備えさせ、あの世に予約された楽園的な家庭をつくっておくことです。天国は本来、家庭を中心として父母、妻子をみな率いて入っていく所なのですが、それができなかったので楽園的な天国が繰り広げられるのです。ですから、その人々をそこで保護してあげなければなりません。そうして先生が行く時にはと約束しておいたので、先生が行けばこれまでの預言者、烈士をみな呼んで、おばあさんになって死んだ人も霊界ではお嬢さんなので、「おい、このお嬢さんを誰が嫁にもらっていくの」というようにして結んであげるのです。アブラハムおじいさんとか、誰それおじいさんなど、そのような人がたくさんいるのです。そのような人をみな呼び集めて相手を組むべき責任があるかも知れません。それが嫌なら祈祷してあげませんよ。

 地上人と相対を結ぶことができずに死んで霊界に行くとするなら、霊人と相対できる基準の約束でもしてから逝かなければなりません。そのようにして行けば、あの世では本当に申し込みが多いことでしょう。あの世では、早く来てくれたらと、もう首を長くして待つことでしょう。そのようにしておいて逝くべきであって、それができずに逝くようになれば困るのです。統一教会を信仰してあの世に逝けば、恩恵圏内にいると思って誰もかれもが押し寄せてくるのです。ですから有利なのです。

 それゆえ、先生はせっかくならばと、このような責任までもって、六年以上苦労した人たちをそのようにしてあげなければならないのです。共に非難されたりしたので、そのような祈祷でもしてあげるために集まりなさいと言ったのです。しかし、六年以下の人たちは、私は知りません。

 また、六十歳を越えたとしても「原理を学んだので、せっかくなら地上で肉体をもっている人間のほうがどんなに貴いだろうか。実体をもったことがどれほど貴く美しいだろうか。私の顔の皮はこのように老いたとしても、私の心は年老いているだろうか。私にも女性、男性がいるはずだ。おぱあさん、おじいさんがいるはずだ」と言って、おじいさん、おばあさんをもらっていくことができる人たちは祈祷しなくてもよいのです。おじいさん、おばあさんを連れてきて、神様の前で先生から認定を受け、祝福を受けたらもっと良いかもしれないのです。枯れ葉のような人であっても、相対を決めておいてからあの世に逝くほうが、ただ一人祈祷を受けて逝くよりは悪くないというのです。


三 協会登録と財団認可

登録のための準備基盤

 先生はこの三年路程を最初に出発する時、獄中生活のような立場で出発しようと言いました。先生は世界的な迫害を考えます。三年路程中に三つの政権を経て、世界的な患難を体験しなければなりませんでした。自由党政権はアダム型、民主党政権の朴順天はエバ型、そして共和党政権は天使長型を象徴しています。米国は現代のローマであり、韓国は財政的には米国の植民地を免れ得ずにいます。

 統一教会が政府に登録された時、政府では大きな闘争が起きました。その時が一九六三年でした。先生はこのような日が来ることを知っていたので、これに備えた天的な基準を立てなければならないと考えていました。それで外国宣教を準備をしたのです。それは、アベルが束縛されたらカインを立てて、蕩減復帰できる準備をするためです。昔はカインがアベルを殺しましたが、今は、外国を中心にカイン的な祭壇を形成し、アベル祭壇を支え、アベル祭壇を救うことができるのです。そのような世界的な因縁をつくるため、追われ追われながらも、外国に宣教師を送ったのです。

 こういう時であればあるほど、必ず国家的な弾圧があるので、それに備えるための内的な準備をしなければなりませんでした。そのような責任を感じ、米国と日本に宣教師を送り、ドイツにまで宣教師を送ったのです。そうして、私たちの教会の登録が問題視される時には、既に米国連邦政府に統一教会が登録されていたのであり、日本にも登録されていたのであり、ドイツにまでも登録されるようにしようとしたのです。そうなれば、世界民主主義の先導国家である米国でも統一教会が歓迎されているのに、韓国で反対し登録を問題視するようになれば、国家的な恥になるからです。

 そうなれば、政府が慌てざるを得ないし、私たちを侮れないということが分かるようになるのです。このような天的な事情があったがため、皆さんを五千五百人以上動員して地方に送り、啓蒙をさせたのです。皆さんが地方に行き、道知事や郡守、また面長から数百枚以上の表形状をもらったことは、本当に素晴らしいことです。皆さんが血と涙を流す苦労と戦いをしたがゆえに、地方の人々が統一教会を擁護できる段階にまでなったのです。


協会登録(一九六三・五・三一、社会団体第二六一号)と財団法人認可(一九六三・一〇・四)

 復帰摂理はカインとアベルの間の戦いです。それで、事件においては常に、文氏がカイン側から現れるのです。いつも先生を迫害する人は文氏です。家庭的レベルと国家的レベルでも文氏が反対したのです。私たちが政府に登録しようとした時、文教部(文部省)が登録を取り扱ったのですが、その時の文教部(文部省)長官であった文氏が私たちの申請を拒否しました。私たちはそれと戦わなければなりませんでした。一週間後にそれが覆されました。その一週間は七十年、七百年あるいは七千年に該当するのです。

 その当時それが覆されなかったならば、私たちはどのような宗教的な運動もできなかったことでしょう。それは覆されるようになっていたのです。ついに私たちは、一九六三年五月三十一日に登録されるようになりました。

 それでは統一教会はいかなる立場にあるのでしょうか。第三イスラエルという祝福を受け、忠孝の道を受け継げるユダヤ教の立場として復帰されているのです。それゆえに登録証が出たのです。ローマ帝国のような米国にも登録され、ユダヤの国のような韓国にも登録されたのです。

 そして先生が出獄してから八年目に(一九六三年十月四日)財団認可が出ました。一九六〇年から三年は、イエス様の公生涯期間三年を復帰する期間でした。

 しかし先生は喜びませんでした。なぜなら第二次の戦いが残っているからです。第四次まで行き、神様が喜ばれる時、共に喜ぼうと思います。三年路程は先生が行く道です。七年で終えようとしていたのを二十一年で終えようと思います。ですから、今から四年で二十一年は終わるのです。

 この民族はますます混乱に陥っていきます。私たちはその時に備えなければなりません。贖罪の祭壇は統一教会しかありません。四年が過ぎたらこの民族を動員し、世界のために犠牲となり奉仕しなければなりません。そうして涙と血でもって世界を復帰しなければなりません。韓国が問題ではありません。


協会登録の奉献祈祷

(一九六三・六・四、閏四・一三〔閏月:陰暦で見ると、閏年に同じ月が繰り返されることがある。ここでは後の月を閏月と呼ぶ〕、前本部教会、登録自祝会)

 一九六三年間四月十三日、この日をお父様が誇りの日として受けてくださいますように。六月四日は私たちの記念すべき一日でした。父の愛の心情を体恤したことを永遠に万民の前にお祝い申し上げ、全天宙の前に表すことができますように。

 泣いても泣いても尽きることがない、悲しみと喜びが交差するこの日であることを私たちは知りました。神様にあっては褒めたたえられる日であり、サタン世界にとっては審判が下されるべき、民族的な勝利の日、世界的な開拓の日とならしめてくださったことに感謝申し上げます。

 今、世界に散らばっている統一食口は、この日を迎えて喜んでお祝いしますので、父の胸中に積もっている恨をすべて解いてください。子女たちをお集めになり祝福なさるこの日、この子女たちをあなたの息子、娘として召命され、天の主権を立て、天の家庭、天の国民、天の国土を復帰して、父の栄光を享受してくださらんことを切にお願い申し上げます。

 今、私たちは一日を迎えました。この日を新しい覚醒の日として立ててくださり、天の前に私たちが悔しく無念なこの心を、サタンに対して悲しみ同情する自分自身にもう一度再整備する日にならしめてくださらんことを切にお願い申し上げます。

 万世の栄光と、父の玉座から心情で造られた万物、そして復帰した子女が全体の上に共に臨むことができるよう切にお願い申し上げます。

 この日、この登録を中心として許可されたすべてのものを、父の前に捧げますので、どうぞお受け取りください。この地上の真の父母を中心として、四位基台の基準を中心として祝福を受けたあなたの息子、娘が、喜びのこの日をすべてゆだねますので、受けて主管してくださらんことを切にお願い申し上げます。


四 三年路程終結と四年路程出発

三年伝道期間終了(一九六三・六・二〇、閏四・二九、前本部教会)

 先生が一九六。年度に聖婚することにより、初めて個人が定着するようになりました。一つの基点を立てたのです。それはいかなる基点でしょうか。モーセが紅海を渡る前の三日期間に立てたのと同じ基点なのです。復帰歴史のすべてがきょうまでの三年間に入っています。この期間を終えることによって成し遂げられた四位基台を中心として、陰暦四月十三日に協会登録の宣布式をもつことになったのです。

 皆さん、四月十三日に私たちは宣布式をしましたね。陽暦だろうが陰暦だろうが、閏四月だろうが、関係ありません。今後その日を全部四月十三日としてお祝いしなければなりません。ですからそこに歴史的な因縁がすべてあるのです。こうして今年、この三年の峠を中心として、皆さんの七次伝道期間と共に、先生が計画したすべてのことに一段落がつくのです。

 今、この三年期間を経て、私たちはどのような新しい方向を開拓していくのでしょうか。この三年間は民族的な基盤を中心として、この民族が私たちの行く方向と同じ方向で生活や活動をしなくては、この民族が救われず、この三千里半島(韓半島)に天国が成し遂げられないことを見せてあげるための試練と戦争の期間でした。しかし、今から私たちが行くべき道は韓国を主体として、世界が行くべき方向を提示しなければならない、より大きな使命をもった新しい道であるということを皆さんは知らなければなりません。

 きょう、統一教会の信者たちは、三年間を通して第一次勝利的基準をもったといってここで喜ぶのではなく、これからは、第一次勝利を盾にして第二次勝利的基盤を私たちの力で、私たちの手で、私たちの体で築かなければなりません。そうでなくては、今後民族の前に許される世界的な運勢を引き込んであげられないのです。今後この民族の前に許される天宙的な恩恵の因縁を結ぶことができないのです。

 きょう、三年の最後の日を迎えて、皆さんはいかなる立場に立たなければならないでしょうか。私が越えていくこの一つの分水嶺において、除去される、歴史的な恨の陰の中で消えて滅びる者となるのか、それとも、新しい朝の日ざしを浴びるため、その峻嶺(険しい山)を越えて新しい天地を見渡すことができる、新しい希望の中で繁栄し、最上の栄光を受ける者となるのでしょうか。このような瞬間がこの期間であることを皆さんは知らなければなりません。

 皆さんが「三年間苦労する」というこの基準のもとで動いたので、皆さんは今残っているのです。それゆえ天が役事できるのです。もし、統一教会がこのような作戦を取らなかったとすれば、きょう皆さんは、勝利の感謝の祈祷、あるいは賛美を天の前に捧げることができなかったのです。

 皆さんがそこで苦労したので、その苦労、血のにじむ苦難の路程を自ら経験して歩んだ人が、この国、この民族のため、万民に対して涙したそのような道を歩んだことを吐露するならば、最高から最低までが涙し得るのです。讒訴できないのです。どんな学者、どんな権勢をもった人でもその場では涙を流すのです。世間から見ればどんなに足りないそのような微々たる存在であっても、その微々たる存在が国のために忠誠を尽くした、国のために苦労したその心情の前には屈服せざるを得ないのです。これを残そうというのです。

 今から三年半だけ苦労しなさい。前の三年、後の三年がある理由がここにあります。今年、閏四月があるのも意味があるのです。涙と共に神様の苦痛を相続しなければなりません。


百二十四家庭の祝福式と献貢式の延長

 本来は、皆さんが知っている今回の成婚式と献貢式は四月にするものなのです。すべて四月に終えなければならないのです。

 ですから、きょうなぜ集まったかというと、これをすべて終えることができなかったので、天の前に延長させる式をしなければならないからです。そうするには、天の全体的な条件を代表した皆さんの家庭の中に、天地を先祖的な面でくくり、因縁を立て、実質的な基準において延長させるという基準を立てて越えなければならないのです。そうしなければ問題が大きいのです。

 それで、先生は三日前からそれに対して祈祷しました。三日前から祈祷したのです。三日の間にどんなことが起こるか分かりますか。三日間に何か事が起きて、間違いが生じ、最後の日、ここに参席できないかもしれないのです。それゆえ三日前に象徴的な条件を立てておくのです。

 そしてまた、今回も天の役事です。今回の四十日も、なぜか閏四月がありますが、それはみな役事なのです。イエス様の復活四十日と同じなのです。ですからこの四月圏内において、統一教会に反対したことをすべて許してあげるのです。もう一度収拾して、イエス様が復活して役事したように、すべて許してあげる基準を立てて越えていくのです。

 本来皆さんがここに参席し、この道を越えて、この峠を越えていくには、個人では越えることができないのです。祝福という二文字をもって、家庭的な因縁を備えずしては越えることができません。それで今年に入ってからは、先生は既成家庭も祝福してあげ、それからおばあさん、未亡人まで祝福してあげ、未婚の男性と女性も祝福してあげ、みな祝福してあげるのです。それは何かというと霊界と肉界を接触させるのです。

 それから中間にいる男やもめもみな結婚させてあげるのです。すべての代表者を総合して越えていくことができる道を完結させておかなければなりません。それで今回、男やもめ、未亡人も全部結婚させようというのです。

 このようなことをするために聖地を決定するのです。聖地を決定してから苦労した息子、娘を表彰するのです。その表彰を受けた息子、娘は神聖なる人々です。サタン世界において代表的な型を選び出して、彼らの功労の基台の上に祝福の基準を立てて越えていくのです。


七年路程の前半三年と後半四年

 イエス様が三年の公生涯路程を歩んだのと同様に、公生涯路程を歩まなければなりません。公生涯路程を歩む時は何を宣布しましたか。新約のみ言を宣布しました。それでは統一教会の信徒は何のみ言を宣布しなければならないのでしょうか。成約のみ言を宣布しようというのです。こうして、このみ言に従って三年公生涯路程を経て、神様が加護され、喜ばれる条件を立てて初めて神様の前に進み出ることができるのです。

 一九五九年十二月四日に渡米許可が下りましたが、皆さんのために行けないでいます。三年前から米国へ行けるパスポートを財布に入れて歩きながらも、まだ行くことができないでいるのです。皆さんのためです。私が出発したら皆さんがかわいそうなことになるのです。この地でなすべき責任を果たせなかったので、三年の期間をかけて命懸けでなしていくのです。

 三年という期間はサタン分別期間です。三数と四数はサタンを分別する数です。七数を蹂躙されたことが天地の恨です。人間始祖の堕落により神様は息子、娘を失ってしまいました。それで、三数は息子、娘を復帰するための蕩減数であり、四数は万物を復帰するための蕩減数です。ゆえに、この三年間は先生が命を懸けて、世界に散在しているサタンたちと、天上天下に散在している数多くの悪霊たちと、世界にいる人類と対決する期間なのです。

 今後四年間は個人的な万物復帰の期間です。神様は聖殿を建てることを最も願われます。がむしゃらにお金も稼がなくてはなりません。北韓から下ってきた避難民が、約十年目にして韓国の経済圏を握りました。北韓の人が十年目にして経済圏を握ったとしたら、統一教会は何年で経済圏を握るか見ていなさいというのです。私がお金をもうけるのは、世界のかわいそうな人々を抱いてあげるためであり、彼らに施してあげるためです。私が学ぶのは、サタン世界の鉄条網を切る秘密を彼らに教えてあげるためです。

 イエス様がイスラエル民族を掌中に収めることができなかったので、今から私たちは四年路程を歩み、それを蕩減しなくてはならないのです。ゆえに、因縁だけあっても駄目です。土地と主権を復帰しなければなりません。私たちは打たれて奪ってくるのです。今は民族創建のために進むのです。これからの四年で二十一年が終わるのです。

 朴政権との第二の闘争が残っています。また、三千万(韓国民族)を導く闘争が残っています。その次に、民主友邦国家が頭を垂れて従うところまでいかなくてはなりません。そうでなければ、新しい運勢から審判されるのです。


五 百二十四家庭合同祝福結婚式(一九六三・七・二四、ソウル市民会館)

 一九六三年七月二十四日午前十時二十分、百二十四双合同結婚式がソウル市民会館大講堂において、食□たちと貴賓、合わせて三千五百名の人員で埋め尽くされた中で挙行された。午後には、警護用パトロールカーと両脇に「サイドカー」の警護を受けた四台の本部幹部たちの車に続き、「新しい国自動車」百五十台に新郎新婦たちが分乗し、中央庁正門を皮切りに街頭行進をした。


世界百二十ヵ国の代表型の家庭

 百二十家庭は、イエス時代の百二十門徒の立場であり、世界的な部族を編成するところにおける世界百二十ヵ国を代表した国家的な基台です。国家的な基台が十二部族であるならば、その国家的基準を中心として世界に出ることができる世界的な出発基準となるのが百二十門徒なのです。

 百二十門徒が死ぬようになった原因とは何でしょうか。百二十門徒のような百二十名の女性がいなかったからです。それでみ旨を成し遂げられなかったのです。イエス様を中心として百二十人の女性が一つとなり、生死を共にすることができたならば、イエス様がどこかの砂漠に入っていこうともみ旨は成就するのです。このような伝統的な歴史を中心として私たちの統一時代においては、百二十門徒に代わり得る基準を、内外を中心として世界的に分立し、立てておかなければならないのです。

 イエス様が十字架で亡くなり、聖霊が降臨したあと、五旬節に百二十門徒の策定が起こり、世界国家へと発展したのです。これは新しく出発した立場です。百二十門徒とは何かというと、世界国家を代表したものです。

 イエス様の十二弟子の十二数を十倍した百二十数は、平面的な世界を代表できる数です。それでこの百二十門徒と同じ数を合わせるために、百二十双の祝福をしたのです。本来は百二十ですが、四方数である四双を加えて百二十四双を祝福しました。

 イエス様の百二十門徒を身代わりした百二十家庭は、世界的な型です。彼ら自体に世界を統治し、世界を支配できる権限があるというのではなく、世界の代表型として、世界的な蕩減条件を立てることができる基台になるというのです。それで、百二十家庭を立てることによって、神様が世界的に訪ねてこられる基準を立てるようになったのです。

 それゆえ、国連総会に百二十四ヵ国が加入する日には、この地上に新しい終末時代が来るというのです。それは統一教会で行う百二十四双の祝福と一致するものです。


百二十四家庭に含まれた既成家庭四家庭

 統一教会の歴史から見るとき、既成家庭の出発は三十六家庭のアダム家庭からであることを皆さんは知っているでしょう。そのアダム家庭に該当する十二家庭はどんな家庭でしょうか。既成家庭の中から立てたのです。十二家庭を立てたのはどういうことかというと、世界にいる数多くの家庭は神様の前に戻る道がないゆえに、これを連結することができる先祖の立場を決定したのです。そのような先祖を中心として初めて代を継ぎ、百二十家庭が祝福される時、ここに既成家庭が四家庭加わったのです。

 一人の先祖を中心として経てきながら、三十六家庭を中心として、七十二家庭の起源を準備した時、縦的な家庭として初めて地上にその基準を連結することができるようになるのです。そこに、横的な面において初めて、世界的な家庭を代表した百二十家庭の中に既成家庭四家庭をつけ加えて祝福したのです。その四家庭はいかなる家庭でしょうか。既成家庭として祝福した人々を再度祝福してあげた家庭なのです。そのような基台の上に初めて既成家庭が解かれていく歴史的な因縁をもつようになったのです。

 それゆえ、世界的な国家代表を立て、家庭的な門を立てて世界万民が入ってこられる門を立てると同時に、これまで罪を犯し獄中でうめいている人までも通ることのできる門を開けてあげなければならないのです。そのような意味から百二十四家庭を中心とした祝福の基盤が成立するようになったのです。


一つのチームを成す三十六、七十二、百二十四家庭

 三十六家庭から七十二家庭、百二十家庭は一チームです。分離することができません。三十六家庭は堕落した人類の先祖たちが復活した型であり、七十二家庭はその先祖の息子、娘たちが復活した型であり、それから百二十家庭は世界の人々が復活した型です。ですからこれが一つになれば、結局、家庭と息子、娘が一つとなり、世界が一つとなるのです。それで百二十家庭までは、私が責任を負わなければならないと見るのです。これからは皆さんの思考方式も、先生のような思考方式にしなければなりません。

 三十六家庭は歴史的な代表家庭であるので、過去からつづられてきたものを代表する家庭です。この家庭を中心として現実的な基盤として立てられたのが、七十二家庭と百二十家庭です。過去から願われてきた家庭的な蕩減条件を防ぐことのできる家庭が三十六家庭ならば、それを現実的な家庭の基盤として防ぐことのできる家庭が、七十二家庭と百二十家庭であるというのです。七十二家庭は氏族を代表した家庭であり、百二十家庭は世界を代表した家庭です。


最初の外部行事である百二十四家庭祝福式

 私たちが合同結婚式を対外的にしたのは、何家庭からですか。(百二十四家庭です)。百二十四家庭。それは世界型であるからです。大韓民国は、既にキリスト教圏から見ても、あるいは現時点の世界から見ても、世界の運勢を中心として摂理を推進させる主体国であるがゆえに、百二十家庭を世界の代表として設定する時であると判断したのです。三十六家庭と七十二家庭は、教会内でしたのです。これは、ユダヤ教を中心として民族形成の基盤を築くものと同じものなので、教会を中心として、内的基盤を確保することにあるのです。その次に外的基盤を見れば、世界史的キリスト教文化圏につなぐために、百二十四家庭を中心として、世界基盤を拡大させていくのです。

 今回百二十双を市民会館に集めて結婚させる時も、その父母に対して「お宅の息子、娘を結婚させてあげます」という公文は出しませんでした。「あなたの息子、娘を合同結婚させてあげるのでどうか承諾してください」と言って、頭を下げませんでした。それなのに、「どうして人の息子、娘を連れていって勝手に結婚させたのか」と抗議する人は一人もいませんでした。いったい誰がそのようにできますか。それは統一教会だけができることです。

 今回の合同結婚式はすごいものでした。タクシー百五十台を走らせたので、「いったいこれはどこから出てきたのか」と驚いたのです。首都ソウルがひっくり返り、三千里半島(韓半島)が揺れ動く場で挙げる豪華絢爛な結婚式こそ、男性でも女性でも一度ぐらいはやってみる価値があるものではありませんか。今後世の中が私たちについてくるか、来ないか見ていなさい。


百二十人伝道課題

 一九六。年から一九六三年までは、外的に家庭と氏族を復帰する期間でした。それで百二十四双まで祝福を完了したのです。先生には第一イスラエル、第二イスラエル、第三イスラエルの責任を完結すべき使命があります。皆さんが第三イスラエルの子孫になるには、三人の息子、娘と、十二人の息子、娘、そして七十人、百二十人まで復帰しなければなりません。

 統一教会の行く道は、父母たちがみな反対します。兄弟たちが反対します。反対するということはどういうことかというと、伝道してはいけない、伝道ができないということです。ですから仕方なく外的な伝道をしてきたのです。それで三十六家庭、七十二家庭、百二十四家庭を中心として、一九六三年までで、一九六〇年度から一九六三年度までは先生が代わりにこの道を築いてきたのです。

 イエス様が失敗したすべての基準を、氏族的メシヤの使命を果たせなかったことを、先生が代わりに築いてあげたのです。ゆえに、先生が築いてあげた基盤を中心として、皆さんの時代においては、皆さんの一族、血族を代わりに伝道できる時代に入るのです。それで皆さんのお父さん、お母さんも、結局は一九六三年度を過ぎて、その時から統一教会に対して協助するようになるのです。もし統一教会の基盤が築かれていない時に父母が協助すればどうなるでしょうか。それまで自分の血族の前に築いておいた功績、善なる基盤が全部崩れ去ってしまうのです。そこで終わってしまうのです。それゆえ自分の息子、娘が統一教会に通っても協助できずに反対するのは、結局それを失わないようにするためなのです

 先祖たちが発動して反対するのです。そのような時代なのです。無性に憎く、わけもなく、見るのも嫌なのです。そうしながら、皆さんは心情的な基準においては、自分の父母よりも神様、自分の兄弟よりも神様というように、そのような二重作業をしているのです。このような過程を経て越えてきたがゆえに、この時代が過ぎて時が来れば、天地の運勢が、家庭の門が開くのです。

 では教会とは何ですか。神様が願われる氏族復帰の一つの型をつくるためのものです。ここで鍛錬し、新しい群れ、この世と異なる新しい宗教をつくるのです。今日、教会がそのような意味をもっていることを知らないのです。ですから、教会というのは七十人を中心として、百二十人に向かって進むのです・それは氏族から始まり世界の代表者を意味するのです。


六 「万物の日」制定と献貢式

「万物の日」制定(一九六三・六・二一 〔陰暦五・一〕)

 天地、万物を造ってくださった神様に蕩減基金を捧げるのです。しかし、聖別して捧げなければなりません。アブラハムは供え物を捧げる時、鳩一羽を裂かずに、すべてを失敗しました。天地がすべて回ったのです。アブラハムが三つの供え物を誤って捧げることにより、すべてのものが落ちたのです。

 今回、私たちがすることの中には、もろもろの役事があることでしょう。血を売る人もいるだろうし、あらゆる苦労をしながら商売をする人もいることでしょう。今後、そのような役事があるはずです。皆さん自身がそのようにできない時には、恨になるのです。そのような役事を見るたびに、涙を流す立場に立たなければなりません。

 宇宙的な理念を中心としたみ旨というからには、その理念圏内に立った父母を中心とした一つの兄弟、そのような兄弟を中心とした一つの家庭、そのような家庭を基盤にした天宙が必要なのです。それで万物復帰のその一日を制定したのです。

 完全復帰のためには本来、万物の祭物時代、子女の祭物時代、父母の祭物時代を経なくてはなりません。ところが、アダムとエバが神様を裏切ったあとは、ただの一度も父母の立場から供え物を捧げたことがありませんでした。

 ところが皆さんの前に「父母の日」が立てられたので、父母を通じた「子女の日」が現れなければならず、「万物の日」が現れてこなければなりません。これをもって神様の心情を解怨成就し、父母の心情、子女の心情、万物の心情を解怨成就しなければなりません。そのようにして初めて、アダムは堕落したが私たちは堕落しなかったという条件を立て、嘆息圏を抜け出ることができるようになっているのです。

 人間始祖の堕落により、万物をサタン圏内に陥れたゆえ、万物を復帰するためには人類の真の先祖が顕現しなくてはなりません。その次に、子女の因縁を中心として、神様がアダムに祝福された主管性を復帰しなければならないのです。そうして、父母と子女を中心として横的に連結させ、全被造世界を主管できる基準を立てなければなりません。それで私たち統一教会では「父母の日」を中心として、「子女の日」を立て、そこにまた「万物の日」を立てたのです。

 神様の心情と一致する家庭が現れることにより、家庭を中心として造られた万物を通じて心情的な門を開門することができる基盤ができたので、その基盤を決定する式が「万物の日」、の式であるのです。そのような式をしたのが、正に一九六三年のきょうなのです。

 神様と真の御父母様が決定し、サタンが認めたというのです。初めて地上に真の父母を中心として、神様の所有が始まるのです。それゆえ先生のものは私のものではありません。これは人類のものであり、神様の愛を中心として一体となった、堕落の侵犯とサタンの讒訴圏を抜け出た、本然の所有決定の条件基地であると考えるのです。神側の愛を中心として相続された所有物であるのです。


「天勝号」の進水と魚取り(進水式:一九六三・六・二六、京畿道仁川市萬石洞埠頭)

 劉孝元氏の主宰のもと、鄭敢淳氏を棟梁とする一組七名の大工たちが一九六三年五月二日から着手した天勝号は、六月二十六日に建造が終わり、当日、その進水式が仁川市高石洞の埠頭のほとりにある造船場で真の御父母様と食□たち約二百名が参集した中で挙行された。

 皆さん、「天勝号」を造ったことを知っていますか。皆さんは水の中から生まれてきましたね。お母さんの水の中にいたでしょう。ですから水の中に入ってから出てこなければなりません。水の中の試練を経てこそ、陸地で生きることができるのです。

 今度、船が出ていく時、先生は一緒に出ていって漁師になろうと思います。今回も先生は出かけていき、船長にコーチをしてきました。うちの船が西海(黄海)で一番速いです。

 先生の作戦どおりにしさえすれば、たくさん獲れるようになっているのです。同じ時間に仕事をするといっても、多くの努力をし、作戦をうまく立てるならば、たくさん獲れるようになっているのです。そのようにして、魚獲りでも一等にならなければなりません。皆さん、これはお金でするのではありません。心でするのです。


「万物の日」献貢式(一九六三・七・二六〔陰暦六・六〕前本部教会)

 きょう献貢日を迎え、皆さんが参加したこの場を考えてみる時、この道は涙の道です。この場は涙の場であるのです。泣いても泣いても止めることができない涙の場であり、痛哭しても、どのようにも形容できない、何をもってしても止めることのできない場です。

 これが、皆さん全体の中心心情としてわき上がるようになる時、神様はここで初めて六千年の悲しみを私たちに相続させることができるのです。

 では、この場はどのような場でしょうか。神様の悲しみのすべてを厳粛なものとして相続した場です。それを相続し、父が立てようとされた本然の父母と本然の子女と本然の万物を私たちの世界に、方宇宙の上に、父の喜びとして復帰できる、このような基盤を築くという信念が皆さん自身になくてはなりません。それでこそ、ここに参加できる資格者となるということを忘れてはなりません。悲しい歴史の天の曲折を忘れてはならないということを、皆さんは再三、肝に銘じなくてはなりません。

 ここに来られた真の父母と皆さんが一つとなり、神様を安息させなければなりません。そして、皆さんは来られた真の父母を安息させるべき責任があるということを知らなければなりません。このようになる時初めて、善なる神様が国王として君臨されるのです。そのお方が私たちの父として君臨される時、善の天国が初めて地上に再現されるというのです。

 〈祈祷〉

 きょう神聖なるこの日、一九六三年七月二十六日でありますが、閏四月最後の日まで延長することを父の前に通知いたしましたので、通知した日のその翌日である五月一日、この日を万物を奉献する日として宣布しようと思いますので受け入れてください。

 この日があるためには「父母の日」がなくてはならず、この日があるためには「子女の日」がなくてはならないため、「父母の日」を三月一日として父の前に立て、「子女の日」を十月一日として父の前に立て、今、「万物の日」を五月一日として父の前に立てたのでございます。造られし創造の世界において、復帰のその日を見いだすための地上に、平面的な諸条件は具備されましたが、今、これらすべての日を基盤として「神の日」を探し立てるべき一日が残っていることを知っています。

 この日が提唱される日は、天宙と共に宣布する日でありますので、その日の完全なる勝利的な条件の日としてこれらすべての日を立てましたので、その日を延長し、お父様、「神の日」を完結する時まで私たちは戦いますし、私たちは忍耐しますし、私たちは進んでいくつもりでございますので、私たちの隊列に父の直接的な御加護が共にあってください。

 天と地が一体となり、天と民が一体となり、天を中心とした真の父母と子女が一体となりますように。こうして、血肉を中心とした心情の因縁の歴史を中心として、人類を一つの一族としてまとめる時まで、私たちはこの足場より九万里の(非常に広い)地球上を占領しようと思いますので、すべてのことはこの日から始まりますが、成就した基盤として受け入れてくださいますようお願い申し上げます。

 精誠を尽くした統一の信徒、子女たちは、ありったけの心と体を尽くし、ここに万物復帰の日を記念するため、血と涙のにじんだ献金を集め、父の前に捧げようと思います。ここに捧げるこの封筒を中心にして、天勝号を造り、そのほかに運営する工場とすべてのものを天のものとして名前をつける諸万物の基盤の上に、あらかじめ申し上げ消費したことも喜びとして受けてくださることを知っておりますので、自ら父のものとして受けてくださいますように。

 お父様、この献貢金は、万物をすべて父の前に捧げる条件の供え物でございます。これをなさるため、真の父母をお立てになり、真の家庭をお立てになり、真の聖地をお立てになりました。この聖地を基盤として精誠を尽くした基台の上に、条件をお立てになり、多くの子女が集めたこの献金を父の前に捧げました。

 これは、この国の全体を象徴するものであり、天宙を象徴するものであり、父が六千年歩んでこられた悲しみを解怨してほしいという極めて小さな条件物です。物質それ自体を見ていらっしゃるのではなく、その背後に連結した心情を御覧になる父であることを知っていますがゆえに、この条件を父の前に捧げます。

 ここには血と涙が混ざっています。統一信徒たちが聖地を復帰し、涙を流して父の前に訴えた因縁が連結されているので、エデンの地の上に、韓半島の上にある万物を父のものとして、今、掌握してくださり、全世界を掌握できる勝利の基台として受けてくださらんことを、お父様、切にお願い申し上げます。

 ここで活動するあなたの子女のすべての周囲を、父が保護してくださいますように。今、国家的な勝利の基盤の拠点を宣布してから三日目になる日です。これらすべてが栄光的に世界の門を開放し、父の息子、娘が第三イスラエル世界に向かって、全世界に向かって突進し、勝利の歓喜が天上天下に行き渡るようにしてください。実質的な生活の基盤を通じて、これらすべてのものを開放する責任を、私たちが果たすことを誓いながら捧げますので受けてくださいますように。ハレルヤ、アーメン。

 真の父母の栄光と真の子女の栄光、そして真の万物の栄光を父の栄光としてお捧げいたします。永遠無窮に、再び怨讐に汚されることがないようにすることを約束してくださり、このすべてを受けてくださいますように。真の父母の名で万民を代表し、全宇宙圏を代表し、この全地を代表し、天宙に代わって父の前に奉献いたしました。アーメン。


献貢式の前後の時

 神様がイエス様を通して成就できなかった個人的、家庭的、氏族的、民族的な基盤を成就するために、復活の実体として来られ、み旨をなすべき方が再臨主です。その歩みを三年間しました。この三年は子女を復帰する期間(縦的期間)に該当します。この期間は、イエス様がユダヤ教とユダヤ民族を収拾しなければならなかったように、復活の実体である一人のお方を立て、それと同じ歩みをなす期間です。

 先生は、アダム、イエス様、再臨主の三代にわたってしみ込んだ恨を総蕩減しなければなりません。この三年間で三十六家庭、七十二家庭、百二十四家庭を祝福してあげなければなりませんでした。それで、三次にわたった世界的な基準を立てなければなりませんでした。

 信仰を決定したのちに、心情復活、実体復活を宣布しました。そして、縦的に復帰してきたものを横的に立てたのちに祝福をしました。その基準の上に賞を与えました。また、そのような横的な基準が立てられてのち、聖地選別をしたのであり、それを捧げる式が献貢式です。この献貢式をすることで縦的なものが横的に展開されたのであり、平面的な基準が生じたのです。それで、八月からは、世界が別の方向に向かっているのであり、共産世界にも戦いが起こっています。

 今や、私たちは生きた資料をつくるため、苦労しなければなりません。今後四年間は「勝利的主管者となろう」という標語を中心として活動しなければなりません。よく我慢し、耐え忍んできたので、これからは攻勢をかけましょう。

 本部教会において、一九六三年度までは私が指導し、それ以後は劉協会長に任せたのです。私が統一教会の皆さんを苦労させたので、乞食の群れが国家的に現れるということを知っていました。経済問題を解決するために、これまで基盤を築いてきたのです。


万物奉献

 「万物の日」を祝う理由は何でしょうか。皆さんに属した万物を、神様の前に結束させるためです。そのためには、皆さんの私有財産はもちろん、共同財産である国のすべてのものを神様の前に奉献し捧げなければなりません。それが皆さんの責任です。また世界、地球星を神様の前に奉献してさしあげなければなりません。

 皆さんの知るべきことは、これまで自分がもっていた物、あるいは自分所有の財産は、自分が少しの間管理している過程にあるということです。すなわち、皆さんは管理人です。各自がよく管理し、神様の前に奉献すべきこの万物は、真なる父母の懐を経て神様の懐へ帰らなければなりません。言い換えれば、神様のものであると同時に、真の父母のものであるという過程を経ずしては、私のものになれない事実をはっきりと知らなければなりません。

 祝福を受けた人々は、必ず自らのすべてを神様の前に捧げ、神様の名で再び相続しなければなりません。ある期間さえ過ぎれば、神様はそのようなことをされることでしょう。

 皆さんは大きいものを神様の前に捧げ、神様から小さいものをもらったとしても、それを栄光に思うことができなければなりません。それが今後遣る統一世界の経済的な方向です。それに世界的に火がつくようになれば、それは世界で最も長い行列になることでしょう。我先に捧げようとする争いが起きるのです。


万物の公的管理

 万物とは何でしょうか。第三の父母ということを知らなければなりません。自分の体を愛するように万物を愛せる皆さんにならなければなりません。まず天の父母と一つにならなければならず、その次は自分の本然の父母と一つにならなければならず、その次に万物と一つにならなければなりません。第一の父母と第二の父母に侍ることができない人は、第三の父母と因縁をもつことができません。

 万物に対する本当の価値を設定する時になって初めて、聖書で言う万物の解放時代を迎えるようになるでしょう。そうせずして万物に接することは、管理でなくて強奪です。したがって、万物には真の主人が必要です。万物はこれまで公的な権限と価値を賦与されませんでした。今や万物は、そのような立場で扱われることを望んでいます。すなわち、万物は真の愛の管理を受けなければなりません。

 皆さんが着る服や一つ一つの必需品までも万物の一部分であるため、自分が使っている日常生活のあらゆる必需品を自分の生活の限界圏内にとどまっている万物として接してはいけません。すべてのものを被造世界の万物を縮小させた直接的な相対物として接し、その価値を世界的なものとして評価する生活をしなければなりません。

 十分の一は、私が所有している物質の中から十分の一を神様に捧げることによって、全体を捧げるという意味をもっているのです。父に全部を捧げなくても、その中の一つを精誠を尽くして捧げるということは、そのような意味から価値があるのです。そのように一つを捧げることによって、残りの九つも神聖なる物として取り扱われるようになるのです。このように十分の一を捧げる人は絶対滅びることがないのです。日がたてばたつほど、その倉庫が増えるようになっているのです。

 人間を再創造しようとするには、神様の前にアダムとエバがいない世界から再創造しようとするので、神様の前にアダムとエバが存在する前に造られた被造万物がなくてはなりません。しかし、堕落することによって、私にはそれがないのです。それゆえ統一教会では三年ないし三年半以上、七数の半分になる三年ないし三年半の路程で、必ず私を再創造できる天の物質的要件を復帰しなければなりません。それは誰がしなければならないのでしょうか。それは神様がするのではありません。したがって、三年路程が必要になったのです。六数は蕩減路程であり、七数が安息圏だと見るとき、三年ないし三年半路程は絶対的に必要なのです。

 このようにして自らの血と肉を注がなければなりません。自分の血を与えたからといって、それが物質的条件とはならないのです。血と体を投入し、サタン世界の物質を聖別できる立場に立たなくてはなりません。それは自分の欲望のための物質ではありません。その物質は宇宙的で公的なものです。天の公的なものにならなければならないのです。神様のものにならなければなりません。自分を中心としたものになってはいけないのです。この三年路程で、神様の公的な物をすべて聖別し探し出し、そこで私のこの一身を再創造できる物質的条件を探し立てなければならないのです。そうしようとするので、ありとあらゆる冷遇を受けるのです。


七 仙和子供舞踊団創立

 韓国舞踊を全世界に紹介する目的で創立された仙和子供舞踊団が、一九六三年七月二十七日、十七名の子供を中心として、楽園洞会館で創立された。舞踊指導は申順心嬢。


仙和子供舞踊団(リトルエンジェルス、一九六三・七・二七、十七人で創団)

 皆さんがよく知っているように、私たちは、人が米の御飯を食べる時、麦飯を食べ、一銭一銭貯蓄したお金を貧しい人々にすべて分けてあげました。また、伝道隊員が任地へ行くにも、旅費もなく汽車に乗り、捕らえられて留置場暮らしをしたことなど、様々な報告を聞きながらも、先生は国を愛しました。それだけでなく先生は、大韓民国の古代文明国家の権威を二十世紀の現代文明国家である米国に行って紹介してあげることを考え、借金をしながら、子供舞踊団をつくったのです。

 子供舞踊団を始める時も「統一教会は、婦人たちが裸になって踊っていたかと思うと、今度は、子供まで踊るのか。それ見ろ、昼も夜も踊っていたので、また踊る子を生んだのだ」などと、あらゆる話を耳にしました。

 ツイストという踊りは何ですか。それは蛇の踊りです。体をくねらせてお尻を振って踊るその踊りは、蛇の踊りです。それがおもしろいですか。ツイストという言葉はくねらせるという意味ではないですか。神様がくねらせることを喜びますか。サタンがくねらせることを喜ぶのでしょう。それを思うと忌まわしいのです。そのようにしてサタンは世界を自分の網の中にすべて追い込んだのです。そのような世界的風潮をつくったのですが、これを私の手で全部まっすぐに直さなければなりません。

 そして、服を脱いで踊るというのです。このような世間の踊りを阻止しようとしたのが、韓国の踊りを中心として、リトルエンジェルスを世界へ送ることなのです。リトルエンジェルスは服をきちんと着て踊るのです。足を見せないで踊っても世界的に有名になったのです。それは風に乗ったのです。今日、神様が喜ぶことがそれですから、リトルエンジェルスが世界的に歓迎を受けるのです。そのような時に合わせ、神様が支持できる踊りを踊るがゆえに、それを見さえすれば、知らないうちに、気がおかしくなって「ああ、素晴らしい」というようになってしまうのです。好きにならないように努力しても、心がうかれてうれしくなってしまうのです。私はそのように思います。


リトルエンジェルス芸術学校の建学理念

 この芸術学校を建てたのは、統一教会の理想を世界に連結させ、文化創造の基本となる芸術文化を互いに補給し、互いに協力できる関係を結ぶためです。

 この学校の教育目標は簡単です。天を愛する愛天、国を愛する愛国、人を愛する愛人により、世界人類を一つに連結することを教育理念としています。このリトルエンジェルス学校は、韓国で有名な学校です。日本でもそうであり、アジアでもそうです。


八 全国伝道師修練会

第十五回伝道師修練会(一九六三・二・五〜二・一六、前本部教会、二百二十一人)

 第十五回全国伝道師修練会が一九六三年二月五日より三月十六日までの四十日間、ソウル前本部教会において、特別に六、七回成和学生会修了生六十名余りを含み、修練生二百二十一名が参集した中で合宿修練として聞かれた。

 皆さんは公的な義憤心に燃え上がる人にならなければなりません。そのような人をつくろうというのが、修練をさせる目的です。ここはそのような人をつくる所です。

 皆さんがここに来たのは、神様の息子、娘になるためです。修練を受ける目的は、短時日内に神様の息子、娘になるためです。では戦いのあとに、上がっていき、踊りだけ踊ればいいのでしょうか。神様も踊れるようにしてさしあげなければなりません。それは完成した美の実体である息子、娘によってのみ可能です。神様が愛する息子、娘に玩具として与えたのが万物です。ゆえに、神様の万物創造は、息子、娘のためであったと言えます。

 私たちと神様の願いと事情が一致し、心情が通じるようになった時、神様は何をしようとされるのでしょうか。万物を相続させてくださるのです。そのような実体となり、万物を従え、そのような立場で息子、娘を生み、その息子、娘にすべてのものを相続してあげることを願われたのです。

 天は、人をして全宇宙の主人公に立たせるため、役事なさるという結論が出てきます。言葉は理念に代わり、生活は人格に代わり、内容は心情に代わるのです。このようなすべてのものを備えた者が現れるようになれば、皆がその人を慕い尊敬するでしょう。

 統一食口は万民を収拾するために、人が理解できない場の先鋒に立たなければなりません。それでこそ願われた善の主権、善の国土、善の民、善の理念を立てることができるということが分かるのです。そのようにして、三千里領土(韓半島)に向かって一斉に進み、力強く戦ってくださるようお願いします。


第十六回伝道師修練会(一九六三・四・一〜五・一〇、前本部教会、百十人)

 第十六回全国伝道師修練会は、一九六三年四月一日より五月十日までの四十日間にわたって、前本部教会で行われた。百十名の修練生が参加し、九十六名が修了した。真のお父様は七回にわたりみ言を下さった。

 天の父は主権をもっても悲しみの責任を負い、主人の立場でなく僕の立場で戦い、勝利されたので、私たちもそのような位置に立たなければなりません。来たるべき真の父母もそのような道を歩まなければなりません。修練を受けていく皆さんの生活と活動するすべてのことも、この一つの目的を立てるためのものでなければなりません。

 霊界と肉界、そしてこれまで修道の世界に入っていったすべての人々が協助しなければならない時が来ました。過去には、霊界から協助することができませんでした。誤って協助すれば、むしろ損害が甚大であったからです。過去にはイエス様を通して協助しました。今は、第一イスラエルと第二イスラエルが協助しているので、み旨のために心配し、責任を負って戦えぱよいのです。

 今日、再臨時代にいる皆さんは、真の父母のためにみ旨を歩むことができるので、どれほど幸福でしょうか。私たちは三時代の内容をもって出発しました。神様も僕の時代を経られ、四十の峠を越えられ、ゴルゴタを経て三日路程を歩む立場にいらっしゃいます。皆さんは僕の立場で苦痛を受け、子女の立場で苦痛を受け、ゴルゴタを越える父母の立場で苦痛を受けなければなりません。時代的な運勢は、蘇生時代を過ぎ、長成時代を過ぎて完成時代に至りました。


第十七回伝道師特別修練会および百二十四双婚約
(一九六三・五・二五〜六・一三、前本部教会、二百六十三名)


 第十七回修練会は、全国各地区より選抜された青年男女、合計二百六十三名が参加する中、五月二十五日より六月十三日までの二十日間、前本部教会で開催された。同修練会で二百四十八名、百二十四双の約婚基台が造成された。

 きょう皆さんは、この特別修練会という課程に参加しました。今回皆さんを中心として、このような集まりをもつようになったことは、もちろん天的にも大いなる意義がありますが、今からは自然的な環境で皆さんに対し、天が祝福できる道を開けてあげるためです。今年、三年路程の最後として、このような集まりをもつことも、もちろん一面では意味がありますが、今後全体の前に自由な雰囲気を許諾する代表的な集まりであるということを知らなければなりません。

 なぜそうなのかと言うと、三十六家庭と七十二家庭は、プログラムにより、長成基準までの、ある使命的な責任を完結すべき天的な内容があったのですが、完成時代においては、自由な雰囲気で全体を代表し、平面的な基準で広げていくべき使命があるためです。

 皆さんがここに向かって一歩一歩入ってくる時は、どのような帝王が式場に入っていくよりも、より一層厳粛でなくてはなりません。悔い改めなければなりません。堕落の血統を受け継いだので、僕としての基準を通過し、養子へと移っていく手続きを経なくてはなりません。また、この養子の位置から、直系の息子、娘へと進んでいかなければならないのですが、ここでも途方もない手続きを経なくてはなりません。食口の一人として立つときにも、とてつもない式を経なくてはなりません。

 修練期間は、誰についても批評することなく、人に聞いてみてもいけません。聞こうとするなら、自分の心に聞き、神様に聞いてみなさい。三数の基準をもってすべてを決定しなければなりません。決定は先生も神様もしてあげられません。ひたすら自分自身が決定しなくてはなりません。

 相対を決定するときは喜んでするのでなく、無限なる苦痛の心でしなければなりません。終わる時まで、出発する時と同じく注意深く歩まなければなりません。皆さんにとって、今回の二十日間は、六千年の歴史と時を合わせる重要な期間です。無限なる苦痛の場で、同時に極めて悲しい場で、また死を覚悟した場で決定しなければなりません。最高の苦痛と悲しみと死を味わう場で決定しなければなりません。


第十八回伝道師修練会(一九六三・九・一五〜一。・二四、前本部教会、五十二人)

 皆さんはこの式を終えて帰る時、過去の私と現在の私がどのように変わったのかを考えてみなければなりません。そして戻ってからは、環境に屈服することなく、むしろ環境を屈服させる私とならなければなりません。

 世の中では、喜びと悲しみが、善と悪が、信じられることと信じられないことが交差しています。このような世の中に生きている私にも、過去・現在・未来があるのです。そして先祖がいて、父母がいて、また子孫がいるのです。

 統一の群れは、希望と責任と使命に燃える「第二の自我」を見いださなければなりません。私たちの先祖の中には、真の孝子、忠臣がいませんでした。メシヤがこの地に来られれば、そのお方は、内的には神様を慰労しなければならず、外的には人間を保護しなければならず、自分を基準に孝子、忠臣を立てなければなりません。主が「孝子と忠臣になれる最小限の基準を立てておきなさい」と命令する時が来ることでしょう。私はどうしたらいいでしょうか。忠臣と孝子にならなければなりません。


九 全国成和学生会特別集会

第三回修了証授与および第七回修了予定者修了式(一九六三・三・一五、前本部教会)

 きょう、成和学生会の第三回修了証授与式と第七回修了予定者修了式が重なったことは、偶然の一致かもしれませんが、この三数と七数は二つとも復帰摂理歴史において貴重な数です。

 きょう、皆さんが参加したこの場が福なる場とすれば、極めて福なる場です。この中には学校を卒業する人もいるでしょうし、一線で歩んできた人もいることでしょう。しかし、皆さんの生活内容は、うれしい時も悲しい時も、ただ一つみ旨のためであったし、歩む目標もただ一つみ旨のためだったのです。

 皆さん、第七回修了生と第三回卒業生の中でも、ただ一人が問題になるのです。復帰歴史においては、常にただ一人の人が問題でした。

 皆さんの中には、これから修了式を終え、各自住んでいる所に行けば、迫害を受ける人もいることでしょう。しかし、皆さんはそこでたった一つの存在にならなくてはなりません。時には飢えることもあるでしょう。そこでも見事に勝利し、第一人者にならなくてはなりません。恥辱的なことを受けても、そこでただ一つの存在になればよいのです。

 皆さんは、三千万(全韓国人)が信頼し、世界の全人類が信頼できるただ一人としての統一教会人にならなければなりません。神様は心情を中心としてただ一人を立てようとするのです。ただ一人の人、信頼できるただ一人の人になって、天の偉業を相続する皆さんになるようお願いします。


第一回全国成和学生会特別修練会(一九六三・七・二七〜八・五、前本部教会)

 若者たちはより良い価値のものがないと失望するのでなく、より価値的なものを創造するのだという信念をもって生活していかなければなりません。そのような生活をしていく時、第二の希望を抱くようになり、また、その希望に向かって発展していくことができるのです。腐っていく木の枝のような若者たちを、再び創造し、環境を整理していこうという信念をもたなくてはなりません。

 再創造するには、相対的な位置でなく、主体的な位置に立ち、主体的な存在とならなくてはなりません。再創造の価値がもてないので、学生会が発展できないのです。歩んで途中で倒れれば結局滅びるのです。皆さんは、どこから再創造の目標を立てて行進してきたのですか。私自身から再創造しなければなりません。善を創造する「私」、善を代弁する「私」として再創造しなければなりません。


第二回全国成和学生総会(一九六三・一〇・二〜一〇・四、前本部教会、九十八名)

 ヤコブはハランでの第一次路程で勝利したのち、第二次路程でエサウに勝利しなければなりませんでした。モーセにおいては、パロ宮中で、パロからイスラエル民族を救い出すことが第T次路程でした。しかし、第一次路程で満足してはいけません。紅海を渡ったのち、第二次路程でも勝利しなければならないのです。きょう(十月四日)で第一次的な路程は、勝利に終わりました。しかし、これで満足にしてはいけません。これから第二次勝利路程を行かなければならないのです。

 既に先生が刑務所を出てから八年がたちました。ここで八年を越え「新しい道を行こう」と言う時、八年前の人たちがこのような立場に立てないことが悲しいのです。ゆえに、皆さんがこれをなさなくてはなりません。年を取った人は生活に縛られています。「死んでも行くぞ」という数多くの人々が、先生の四十二年の生涯の間に、来ては去っていきました。神様が世界的な祝福を与えようとなさるのに、家庭で倒れるならば、その子孫はそれ以上の道を行けません。


第一回全国成和同窓総会(一九六三・一一・八〜一・一五、前本部教会、百六十四名)

 第一回全国成和学生会同窓総会が十一月八日、青坡洞にある前本部教会講堂で百六十四名が参席する中で開催された。同総会で総会長金秉浩、副会長宋文金、崔英子等が選出された。

 今日、皆さんを指導する先生の立場はどのような立場でしょうか。考える統一教会、準備する統一教会、実践する統一教会の過程を経るようにしてくるのです。神様の摂理もそうです。考える復帰の世界、準備する復帰の世界、実践する復帰の世界、そして、考える善の世界、準備する善の世界、実践する善の世界、この三段階の過程を経てきているのです。それでは、皆さんが先生に従ってきている現在は、どのような時でしょうか。実践する時です。

 ですから皆さんは、み旨から見て、今がいかなる時代であるかを知り、そこに合わせて、まず個人的な勝利の基盤を築かなくてはなりません。今は、氏族と民族が一遍に連結され、氏族的な勝利の基盤の上に、民族を収拾すべき時代です。

 今私たちがもっている目標においては、学校とか職場とかという世間的なものは何でもないのです。こうして、今回の「子女の日」を期し、全国的にこのような無慈悲な活動を展開しようとするのです。

 きょうこのように、成和卒業生の集いをもつようになったのはすべて、苦労をうんざりするほどさせるためです。そうしてこそ恨が解けるのです。三千万民族(韓国民族)すべてが、反対しても変わらないという信念をもった皆さんになりましたか。なれなかったのです。先生はこれまで、そのような信念を中心として準備したことをもって実践の舞台に立ち、いかなる怨讐にも押し出されませんでした。皆さんにもそのような自信がありますか。

 皆さんは、自分が考える内的な世界で、心を中心として戦い、勝利の基盤を築かなければなりません。そしてその位置で誓いをもってこつこつと準備し、善それ自体にならなくてはなりません。そうして最後の実践の舞台で、韓国でなく世界の舞台で、見事に戦って勝利することによって、最高の栄光の立場に参席できなければなりません。


十 四十日伝道と全国特別復興会

夏季四十日伝道(一九六三・八・一〜九・一〇)

 各地域の食口が二百人以上にならないといけません。人員が足りない地域は、近接地域と結合しなければなりません。地域長としての皆さんは一個人ではありません。その郡の生命と財産までも責任を取らなければなりません。地域の食口は地域長に似るのです。地域長が前進すれば全体が前進し、地域長が後退すれば全体も後退するのです。

 講義録を中心とした啓蒙運動を展開しましょう。抽選による地方配置は、地方色を排除しようというところに意義があります。世界的に民族的相違をなくすためには、このような伝統を立てなければなりません。伝道隊員は中卒以上とし、小学校卒業者の中に特殊な能力をもった人がいれば、彼らも隊員として送り出すつもりです。今後私たちが行く道に中間団体の助けがなければならないので、有志の中に後援者になり得る人を見つけておかなければなりません。

 ここソウルに残っている人が多いですが、この人たちを動員して光復節を中心に約四十日間復興会を開催するようにしなさい。先生が皆さんに四十日期間を特別に命令しますから、皆さんはソウルを中心にして活動してください。今は機関長を伝道する時になりました。

 皆さんは氏族復帰時代というのを知っていますね。そうであるからには、家庭のために伝道し、知り合いのために伝道しなければなりません。八月一日から九月十日まで四十日間を設定したからには、今回の期間、あらん限りの力を尽くして新しい決意で、これまで先生に従ってきた信仰を総結実するという覚悟のもとで伝道しなければなりません。


秋季全国特別復興会(一九六三・九・一六〜一〇・一三、千四百二十箇所)
地区巡回(一〇・一六〜一〇・二三)


 九月十六日より十月十三日までの二十八日間を期間とし、全国八個の地区を南北それぞれ四地区ずつの二大軍団に分け、競争的大復興会を開催した。今回の行事は、過去三年の間、挙国的に伝道と啓蒙を実施し、教会が設立されていたり、設立の基盤がつくられている所をより分け、その結実的な収拾と画期的な再出発の基盤を準備するものとして、合計一千四百二十箇所で実施するようになった。

 今回私たちは南軍、北軍に分かれて全国的に特別復興会を実施しましたが、今回の大統領選挙でもそのような様相が現れました。この国はいつ安定するのでしょうか。天が立てようとする理念が定着してこそ安定するのです。それまでは安定できません。

 この民族が統一教会の理念でなければ駄目だという立場に立たせなければなりません。韓国を万邦に号令できる祭司長の国家にしなければなりません。倒れるとしても韓国民族をつかんで倒れなければなりません。

 七年の大患難は個人を復帰するための七年、家庭を復帰するための七年など、七年ずつ七回行かなければならないのです。しかし、先生だけ信じて行けば七年目に終えることができるのです。第二次大戦後、七年目に行こうとしたのですが、食い違うことによって獄中を経てくるようになったのです。

 ヤコブがハランに行って苦労した二十一年路程が、今や四年の期間で終わることができるようになりました。この期間は一度しかありません。先生は、皆さんが先生と共に苦労する蕩減期間が早く去るようにしてくださいと祈祷しています。皆さんは民族のために、先生は世界のために行くのです。


冬季四十日総動員伝道(一九六三・一二・二五〜一九六四・二・二)

 来年は摂理的にとても重要な時期です。国内情勢から見ても、世界情勢から見てもそうです。特に、今から七ヵ月間は摂理的にとても貴重な時です。今は全体が動員されなければならない時です。先生は時間さえあれば、神様が願われる最高の基準で皆さんを指導しようと思っています。人は自分の環境を収拾し、時を合わせることができなければなりません。

 今から七ヵ月間が峠です。皆さんはいかなる迫害にも打ち勝つことができなければなりません。苦労を多くした人が幸福な人です。先生は苦労においては、生きた歴史をもっています。

 一九六〇年度から一九六三年度の前半期までは、四十日伝道期間を出発する時に、本部が中心になって動いてきました。そのような体制が、一九六三年度後半期からは、各地区、あるいは地域を中心とした活動になっているのです。

 最も重要なことが何かというと、伝統です。伝統は一日、二日で立てられるものではありません。長い間の歴史的過程を通じて立てられるのです。それで一九六〇年代からこれまで強調してきたことが何かというと、伝統を正しく立てようということです。

 統一教会の祝福家庭の子供たちが、任地に出ているお母さんと会い、お母さんを呼んで見つめて立っている悲惨な姿を全部写真に撮っておかなければなりません。その写真を子孫たちが見れば、先祖たちがこのようにしたと言ってひざまずき、ついてこざるを得なくなるのです。
















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