真の御父母様の生涯路程 4
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真の御父母様の聖婚と第一次七年路程

第六節 一九六五年 勝利的主管者となろう(三)

一 一九六五年出発と摂理的意義

年頭標語:勝利的主管者となろう(三)
      (一九六五・一・一、前本部教会)


 特に今回の七年路程は、先生が自ら行くべき路程でもあります。先の三年路程は子女を復帰する路程であり、この四年路程は環境を復帰すべき路程です。このようなことを考える時、これから私たちがなすべき使命がどれほど切迫しており、焦る立場に置かれているかを、私たちは感じなければなりません。

 皆さんも知っているように、この四年路程の標語を「勝利的主管者となろう」と定めました。ではこの期間において私たちは何をしなければならないでしょうか。神様の前に地を探し立ててさしあげなければなりません。個人から家庭、氏族、民族、国家まで、どこに行こうとも全体が歓迎する、安全で自由な環境をつくることが、この四年路程における皆さんの責任であることを知らなければなりません。

 僕の位置における勝利的主管者、養子の位置における勝利的主管者、子女の位置における勝利的主管者、父母の位置における勝利的主管者、その中のどの位置も備えなけれぱならないということを、皆さんははっきりと知らなければなりません。

 昨日も洪陵聖地から仁旺山の聖地まで、聖地をざっと一回りして帰ってきました。きょうも、先生が米国に行く時にもっていく礼物を準備するために、明け方出発して日が沈んでから帰ってきました。先生が何をするために、こうして回っているか分かりますか。先生がどのような心情で回っているのか、夢でも見ますか。皆さんはありとあらゆることをやっていますが、先生はなすべきことで忙しいのです。

 それを理解して、残った路程において勝利的主管者の基準を、皆さんはどのような位置で決定するのかということを中心として、受けもった責任を果たさなければなりません。その分野がどれだけ大きいものかを知って、あらん限りの精誠を尽くさなければなりません。


一九六五年の時と活動方向

 先生の一生を見れば、十五歳から三十歳が蘇生期で、三十歳から四十五歳が長成期で、四十五歳から六十歳が完成期です。三段階計画をなしてきたのです。したがって三十歳まではあらゆる準備をなしました。そして準備ができたら全体に影響を及ぼすようにぶつかりなさい。国とぶつかり、あらゆる影響を及ぼすように、ぶつかりなさいというのです。それで三十歳以後はぶつかったのです。激しく戦ったのです。

 一九六五年を中心としてこのような基盤を築いたので、ようやく韓国の基地を備えるようになり、その時、その基地を中心として世界的な基地へと出発したのです。四十五歳以降は完成です。

 祝福家庭を中心として、国家に対するあらゆること、世界に対するあらゆることの完成圏が展開するのです。そして世界的な私たちの基盤、家庭圏を完全に構築するのです。

 一九六五の一と九を合わせればいくつですか。(十)。それから六と五を合わせればいくつですか。(十二。全部合わせると二十一、三×七=二十一、二十一数です。そのように理解して、今年は勝利を決定すべき年だということを知らなければなりません。これから地区長を通して皆さんに伝えられるでしょう。昨年十月から私たちが全国に復興団を組織したことを知っていますね。(はい)。その責任は大きいです。この期間、忠誠を尽くす人には前途が開かれ、そのようにできない人は苦痛を受けるのです。完全に基盤が分かれるだろうと見ています。時がそのような時なのです。越えていくべき時です。

 これまで天は多くの恩賜を統一教会に与えたのです。ですから皆さんが責任を果たせなければ、新しく入ってきた人がアベル的な責任者としてその責任を相続するのです。

 このことは協会長にも話しましたが、学生、青年は、今後すべて新しく入った人を責任者に立てなさいと指示しました。地区も同じであり、地域長もそのようにするのです。世代交代という言葉があるでしょう。それは統一教会に必要な言葉です。そのような時なのです。それだけに今回、六ヵ月間の復興団が終わると同時に何をするのでしょうか。これから地区長が皆さんを統率します。各地区内でそのような復興活動をするのです。それで三十僧団をつくって八個の地域、あるいは三、四の地区を中心として、六ヵ月間、そのような作戦のもとで動くのです。


二 第一次世界巡回(一九六五・一・二八〜一〇・一〇、四十ヵ国)

一九六五年一月二十八日午後三時三十分、真のお父様は崔元福、金永雲両氏を同伴され、ノースウエストー機で金浦空港を出発され、日本、米国、ヨーロッパ等、四十ヵ国を歴訪された。真のお父様の世界巡回路程の一壮途(盛大な門出)を見送るため、三年以上天のみ旨のために苦労を重ねてきた地方の食□たちとソウル本部教会の食□たち、合計約一千三百名が十八台のバスに分乗し、空港に集まり歓送した。


巡回出発前のお話

 先生にはまだ世界的に行くべき道が残っているがゆえに、もっと苦労しなければなりません。世界的な蕩減路程なので、神様と先生、また皆さんと先生の間には距離があります。この蕩減の道を、神様はむちをもってでも行かせようとなさいます。

 各食口は世界的運勢に接することができる立場で聖地を守る人にならなければなりません。新しい運勢が追ってくる時に、恥ずかしくない人とならなければなりません。

 先生は今ソウルにいますが、心は地方にあります。皆さんは私が戻ってくる時まで、冷たい部屋でひざまずいて祈祷する姿になっていなければなりません。

 皆さんは内的にも外的にも責任を果たさなければなりません。先生に従って悲痛な道を行くことを覚悟し、三千里半島(韓半島)の運命を担い、神様の願われる目標まで進んでいかなければなりません。先生が戻る時まで落伍者がないようお願いします。

 今後迫りくる苦痛を越えるためには、現在の先生の命令よりも協会長の命令に従わなければなりません。たとえその命令が間違っていると思っても、それを死守しなければなりません。個人的な感情があっても、民族的な立場に立った彼のために、涙でもって祈祷して越えていかなければなりません。


第一次世界巡回の意義

 復帰摂理の第一次段階と第二次段階が締めくくられる時代が来れば、第三次段階の道へと出発しなければなりません。すなわち世界的な舞台を中心として、世界的カナン復帰のために出発しなければなりません。ゆえに、四十数を中心とした路程を出発しなければならないのです。モーセがカナンの地を復帰するために、四十日間の偵察をしたように、今日先生も世界の偵察に出なければならないのです。このように四十ヵ国を連結しなければならない摂理的な内容があるため、今年一月二十八日を期して世界巡回に出たのです。本来ならば六〇年度以前、自由党の時代に行こうとしていたのです。

 今回先生が行くのは、まず何をするためでしょうか。日本の食口に会いに行き、米国の食口に会いに行くのではありません。ここ三千里半島(韓半島)に聖地を決定しましたね。(はい)。地域長たちが決めたでしょう。(はい)。韓国の聖地が悲しんでいると、私は考えています。先生が命令をしたのですが、決めなかったからです。しかし、今回米国や日本に行ったら、私が重要な所に聖地を決定してあげようと思っています。それでこそ、韓国と同じ基準に合わせることができるのです。数年間聖地を中心として精誠を尽くしたその基準に合わせることができるのです。米国、そうしてヨーロッパに行けば、約十二ヵ国程度は立ち寄るかもしれません。

 そしてこの七年路程が終わると同時に、統一教会は世界的なカナン、つまり世界的なイスラエルに向けて進軍しなければなりません。それで、それに対する準備をするために、先生が四十ヵ国を巡回する時、十四ヵ国に統一教会宣教部を設置したのです。私たちの舞踊団とうまく連結させて、内外で合わせていくのです。

 ですから、これから統一教会の運勢は、国家を経て世界的運勢に伸びていくことでしょう。もしこの国、この民族が受け入れなければ、世界が受け入れるはずです。今後世界の万民がもろ手を挙げて歓迎する喚声が、三千万民族(韓民族)の胸に響き渡る日が必ず来ることを確信しています。

 今年宣教国が十四ヵ国を越えなければなりません。一九六七年には、四十ヵ国以上の基盤をつくり世界的な作戦を立てていこうしているので、そのような材料と計画が必要なため、先生はその国々を訪ねていったのです。

 先生は西洋で二十四、東洋で十六、合わせて四十ヵ国を巡回しました。四数は東洋を中心にして復帰しなければならないからです。六数は万物の創造数であるので、西洋文明が中心になって立てられます。四数と六数を復帰しなければなりません。四数、六数、十数を決定しなければなりません。先生が今回韓国に帰るのも二百五十六日ぶりなのですが、四つに分ければ六十四です。それで日曜日であっても帰るのです。

 四数と六数を復帰しなければならないので、四十×六=二百四十に、四×四=十六を合わせれば二百五十六日です。それで十月十日は意味があるのです。先生が東京を出発する時にも、三度も障害がありました。ソウルの滑走路のせいで、ノースウェスト便が変更になり、予定どおり到着できなくなったのです。


日本巡回(前半、一九六五・一・二八〜二・一二)

 真のお父様の最初の訪問地は日本。一月二十八日、日本の羽田空港に到着され、日本の食□たちの熱烈な歓迎を受け、真のお父様は迎えに出た庶事春宣教師、久保木会長など、食□の一人一人に握手をしてくださった。特に二十九日には、真のお父様は天宙統一を象徴する統一旗を日本教会に授与され、その意味を説明してくださった。その後、食□たちにみ言を与えられながら地方を巡回されて、二月十二日、米国に発たれた。

 神様が日本を任せることのできる真なる個人は誰でしょうか。問題はそこです。その家庭はどこにあるのでしょうか。またその団体はどこにあるでしょうか。このような重大な要件を前にして集まったのが統一教会です。

 もう少しすれば先生は米国に行きますが、この日本の地に足を踏み入れた時、先生は心から祈祷しました。「神様の心情にかなった真をもったこの先生を迎える人がいれば、その迎える心情を神様が記憶してください」と。私はまだ行かなければならない十字架の道を残しています。その十字架の道において、兄弟が迎える心は衰えることがないことを感じました。

 まず日本を復帰しなさい。先生以上に愛しなさい。世界を、先生が愛する以上に愛しなさい。父なる神様を、先生が愛する以上に愛しなさい。もしあなたの前に先生が倒れれば、先生の死体に取りすがって泣いてはいけません。先生が愛する神様を誰が愛しますか。先生が愛する人類を誰が愛しますか。先生が愛する天宙を誰が愛しますか。先生が負った責任を誰が負いますか。そのように愛せない立場で神様に嘆いてはいけません。これが皆さんに残したい言葉です。

 問題はただ一つです。それは皆さんが日本的か、日本的以上なのかということです。神様は日本的なものは必要とされません。日本的以上の人でなければ神様は必要としません。皆さんが日本人であることには間違いありませんが、日本人主義、日本的であっては役に立ちません。


北米巡回(一九六五・二・一二〜七・三、二ヵ国)

 真のお父様は二月十二日、米国サンフランシスコの国際空港に到着され、金永雲、金相哲、朴普煕氏等を含む、米国を代表する二十七名の食□たちの歓迎を受けられた。二月十四日にはサンフランシスコの聖地を決定されるなど、二月と三月の二ヵ月間、米国各地を巡回されながら、「聖地」五十五箇所を定められ祝福してくださった。三月三十一日、ワシントンに到着。四月二日には「父母の日」の行事を行われた。その後、四月三十日にニューヨークに行かれ、五月三日には国連の議事堂を訪問、安全保障理事会の会議の光景を見学された。そして、それ以後三ヵ月間、宣教現場を指導された。七月一日、カナダのモントリオールを経由し、オタワで一泊されたのち、マイアミに戻ってこられ、七月三日、パナマに発たれた。

 先生は、外国人はあまり泣かないと聞きました。ところが、米国に行って見ると、よく泣くのです。先生が何時に到着するかも分からないのに、その日に来るという知らせだけを受け、飛行場に来て一日中待っていたのです。待ちくたびれて気をもんでいたのか、先生が到着して飛行場にゆっくり現れると、迎えに来た人の中には泣く人、笑う人など種々様々でした。文化が異なり、歴史が異なるのですが、同じ統一信徒になってみると、笑うのも泣くのもすべて同じでした。`

 米国で、ある食口が先生の白髪を見て泣きながら、千年、万年生きてくださいと言いました。それが米国を生かす中心心情になるであろうと思いました。韓国の青年たちがこの話を聞けば、いきなり殴られたような衝撃を受けることでしょう。

 また、世界的に有名な霊能者たちに会いました。その時、先生は彼らに世界のあれこれの問題をどのように解決すべきかと、三、四回質問したのですが、彼らは返事に困って慌てふためいていました。

 米国に行った時、民主主義思想を基盤として築かれた今日の米国文化を見渡しながら、「全世界に号令できる中心本部が正にここだ。今後創建する新しい文化世界は、ここを踏み台として上がっていく世界でなければならない」と考えながら、そのために祈祷しました。

 エンパイア・ステート・ビルディングをどうして自慢するのでしょうか。それは流れゆく一時代の自慢の種にはなるかもしれませんが、新しい世界を創建するところにおいては、一つの立て札にも、一つの塔にもならないのです。新しい福地の文化を中心として、新しい世界、新しい歴史を創建しようとされる神様の願いは、それよりももっと高い境地にあるということを皆さんは知らなければなりません。

 米国がどんなに住みやすいとしても、神様の本然の心情を中心として見れば、神様の喜びの材料とはなれず、栄光の象徴には接近できないでいるのです。このように米国の天地が悲しみと嘆息の穴の中に巻き込まれていくのを神様が眺められる時、それは息の詰まるようなことです。


米国の進路と活動の方向

 今日のアメリカ合衆国は、二千年前のローマ帝国と全く同じ立場にあります。二十世紀のローマと言える米国は、自分たちの文化だけを誇った一世紀のローマと同じではいけません。また、他国を支配するためだけに努めてもいけません。神様の祝福は絶対的に公的なものです。その祝福はある個人のためだけでなく、またある家庭だけの、ある国家だけの、ある世界だけのものではありません。神様の祝福は宇宙全体のためなのです。

 きょう、この場に集まった米国の兄弟姉妹の皆さんは、神様がこの地上に大いなる祝福を下さるまで、この瞬間、この場を準備するまで、どれほど多くの苦難を受けてこられたのかを知ら々ければなりません。今や、偉大な理念が本当にこの地上に誕生しなければなりません。

 最もひどい迫害を受ける中でも、私の祈祷と関心は韓国のためではありませんでした。私は日本と米国に宣教師を送るために、最善を尽くしました。日本に宣教師を送る当時は、韓国と日本の正常な国交が樹立されていない時でした。その当時、私たちが米国に宣教師を送るということは誰も考えられないことでした。そのような環境であったにもかかわらず、私は米国に原理の種を蒔くために誰かを送らなければならないという決心をし、昼に夜に労苦を惜しまなかったのです。

 米国に私たちの修練所を建てようと思います。五百名収容できる修練所を建てることが、今後の計画です。そうしてから、各国家の代表である青年たちを集めます。毎年百ヵ国から四名くらいずつ集まるようにします。そして彼らを世界各国に帰して、世界伝道集会をします。彼らを先頭に立てて復興会等をするのです。その人たちを集めて研究もします。そのようにして活動の基盤をつくります。第二回、第三回になれば、私たち教会に対して責任を負える人を送り、彼を中心にして一年に一ヵ国につき約十名ずつ米国に連れてきて、六ヵ月ほど訓練して帰します。そのようにすれば、私たちは自然に社会的にも成長します。


アイゼンハワー前大統領訪問(一九六五・六・二五、米国 ゲティズバーグ)

 真のお父様は六月二十五日、ゲティズバーグでアイゼンハワー前大統領を表敬訪問され、三つの重大問題についてみ言を語られた。アイゼンハワー前大統領もその内容を意味深長に聞き、その一つ一つに深く共感し、賛同の意義を表明した。

 先生はアイゼンハワー前大統領に三大条件を実践しなさいと話しました。歴史的な問題、宗教的な問題、そして思想的な問題をどのようにするかについて尋ねたのです。初めは五分間の面会時間が定められていました。ところが、二十分オーバーしました。「帰る」と言うと、彼は名残りを惜しみながら二階に再度連れていき、自分の生活の様子を見せてくれました。そして彼は、自分の回生一代に忘れられない記念品をくれました。また、チャーチル、スターリンのような人たちと何をしたかということなどを自慢したりもしました。

 私は一九六五年にアイゼンハワー大統領と会い、韓国動乱の参戦問題を中心として話をしました。民主世界が作戦を立て、共産世界を食い止める立場に立たずしては、もし民主世界が共産世界に一時的に勝ったとしても、共産世界はイスラム教圏を通じて再び民主世界に対抗してくると話したのです。サタン側の左翼においては、外的な共産世界と内的な宗教が完全に一つになっているのに、神側的な立場に立った右翼は、外的な民主世界と内的なキリスト教が一つになれなかったのです。

 私がアイゼンハワー大統領と会った時、彼に、宗教の怨讐は共産党であるので、世界四大宗教圏内に数十億の資源を投資して世界宗教圏をつくり、ここに経済力を投資して福地建設をする立場から、世界の宗教と宗教国家を糾合したら良いと言いました。宗教人が一つとならなければ、共産党に完全に破れ去る時が目前に追っているのです。

 それゆえ私たちはキリスト教や、あらゆる宗教を一つにし、共産世界の理論を凌駕する体制を備え、理論的に克服しなければならないのです。このようにするためには、世界の宗教が知恵を絞らなければならず、力を合わせなければならず、あらゆるものを動員しなければならないのです。


仙和子供舞踊団米国公演(一九六五・九・七〜一二・一六)

 海外での韓国民俗舞踊を通じた親善使節の重責を帯び、九月七日、金浦空港を飛び立った仙和子供舞踊団(二十六名)の一行(三十六名)は、期待以上の成功を収めて戻ってきた。舞踊団は米国内二十五州での五十余回の巡回公演と、十余回にわたるテレビ放送出演等をなし、日本の東京で数次にわたる公演を行ったのち、十二月十六日に凱旋帰国した。

 今は、二十世紀後半期の文化を建設しようという先進国家が、統一思想を問題視する圏内に入ってきました。それで、世界人類の前に韓国の文化を誇れる一日を迎えるため、私たちは仙和子供舞踊団を創設しました。

 数十年の間訓練した演芸団体でも米国の文化世界に入っていき公演したところ、彼らから批判を受けて倒れ、滅ぴていったのですが、小さな子供たちを集めて三年の短い期間で訓練したのちに、神様が役事されることを信じて米国に行き、初公演をしたら、その時から大歓迎を受けたのです。これは歴史的な奇跡だということを皆さんは知らなければなりません。

 私たちは子供たちが公演する前に、一箇所に集まり涙を流しながら「天のお父様、今回公演することになったこの子供たちの姿が、子供たちの姿だけとして見えないようにしてください。この子たちは天民として、天命を奉じている神様の使者ですので、米国の文化を制圧できるようにしてください」と祈祷したのです。このように天を慕ったがために、子供たちがこのような厳粛な使命を担い、天命を遂行するために進み出たという事実を知らなければなりません。

 公演が終わってのち、子供たちが互いに、「不思議なんだけど、祈祷して舞台に出ていくと、踊りもよく踊れし、失敗もしない」と言うのです。それはそうならざるを得ないようになっているのです。


中南米巡回(一九六五・七・三〜七・九、五ヵ国)

 一九六五年七月三日、パナマに到着された真のお父様一行は、コロンビア、ペルー、チリ、アルゼンチン、ブラジル等を巡回され、九日、リオデジャネイロを出発された。

 先生が世界四十ヵ国余りを巡回してみて思うことは、すべて見物したけれども、この世のどのようなものもうらやましいと思わなかったということです。そのようなものは問題になりません。この世の名誉と栄光の地位をもって喜び、誇れば滅びるようになります。そのようになるのは滅びる兆しです。この世の、何ものとも換えられない宗教、本来の権威と本来の望みを誇るためには、統一思想で精神的な武装をした人がいなければならないのです。

 先生が四十ヵ国を巡回してきたのは、近い将来、その国に統一食口を配置するためです。先生ができなければ神様がなさるのです。

 先生はブラジルに行き、日本のある食口がそこで、言葉もできない中で神様のみ旨を伝えるため、幼い年で自ら進んで十字架を背負っているのを見ました。この荒れ地で、七千万人が住むこのブラジルに来て苦労をしているのを見て、先生は胸が痛みました。心情の世界は国境と武力と今日のいかなる思想をもってしても阻むことはできません。その人は既に日本人ではありませんでした。皆さんよりももっと心情的でした。夕暮れの飛行場に立って、出発する先生を涙で見送っていたその忠誠に満ちた姿を私は今でも忘れられません。


ヨーロッパ巡回とバチカンでの祈祷(一九六五・七・九〜八・二四、十七ヵ国)

 七月十日、セネガルを経由してポルトガルのリスボンに到着された真のお父様一行は、スペインを経てロンドンに到着。金永雲駐英宣教師を随行陣に加えられ、デンマーク、リヒテンシュタイン、オーストリア、イタリア等を巡回された。八月十八日には、ローマのバチカンを訪問して祈祷され、八月二十二日、ローマを出発し、ギリシャのアテネに到着。二十四日カイロに発たれた。

 ヨーロッパ一帯を回りながら祈祷して考えてみましたが、アルプスを越えることは問題ではありません。ヒマラヤを越えることも問題ではありません。それ以上の難しい所、最前線に行って戦うのです。それが先生の作戦です。この道は復帰の道であるため、原理原則に合わなければ解かれません。

 世界に向かって祭物として訪ねていくその涙の基盤の中で統一の役軍(働き手)たちと会うことができなければ、このみ旨と使命は民族的なものにしかならないことを知らなければなりません。今回、ドイツの食口たちがその近隣の様々な国に配置され、開拓伝道に出ることになりました。

 今回、先生はヨーロッパを巡回しましたが、彼らの文化がどこの影響を受けたのかと考えると、すべてバチカンの影響を受けていると知ることができました。絵一つ描くにも十八年間、精誠を尽くして描いたというのです。それは宗教の影響です。それで先生は、統一思想を中心として十八年でなく、百八十年かかってでもあのような壁画を描こうと思いました。

 先生はバチカン宮殿の前で神様に祈祷を捧げました。「神様、二千年の歴史で六億以上の信徒をもった教会がここに建てられています。けれども彼らがどのようになるのかを考えると、憂えざるを得ません。数えきれないほど分裂した教派や教団を、天のお父様が願われるとおりに一つに統一いたします」と祈祷しました。そこはヨーロッパ文明の総本山の地であり、また集結地です。ヨーロッパ文明の神髄が集まっている所です。しかし神様が私と共にあるので、今に見ていなさいという心で祈祷したのです。

 先生は世界を一周する時、多くの十字架を見ながら、私の使命はこのすべての十字架をなくしてしまうことだということを再確認しました。キリスト教は十字架を道理とするのでなく、復活を道理とするのです。


中東巡回(一九六五・八・二四〜九・六、六ヵ国)

 一九六五年八月二十四日、エジプトのカイロに到着された真のお父様一行は、二十八日、ヨルダンのアンマンに到着。イスラエルを往来されながら、イエス様の足跡をくまなく調べられた。その後シリアを経て、九月四日、レバノン ベイルートの地中海の海辺で「純石」を採取された。九月六日、ベイルートを出発し、イランのテヘランに到着された。

 私は今回の世界巡回の時、シリア、イスラエル、ヨルダンを中心として中東一帯を注意深く回ってみたのです。それは彼らの背後にある霊人たちがどのように動いたかということを知りたかったからです。

 先生が、ナセル(Nasser)を中心として軍部が統治しているエジプトを訪問した日は、エジプト軍が創設された日でした。それで、その国の軍人の数などをいろいろ注意深く見たのですが、エジプト軍も現代式武器で武装されていることが分かりました。

 また、エジプトの首都カイロでは、彼らの工業や産業の発展の様子を知ることができませんでした。それで、カイロから四十里余り離れたアレキサンドリアに行き、そこの産業と工業の発展の様子を見ましたが、彼らがどのように大きなことを言っても駄目だと思いました。その当時、エジプトはイスラエルより十年ないし二十年は後れていました。それで先生は、彼らが東西の冷戦を利用して計画したことが一次的には的中して発展したが、再考してみるべきだと思って帰ってきました。

 共産主義は大きく中共とソ連の二つに分かれています。この二つの国は、今、中東地域において微妙な動きを見せています。インド問題では中共とソ連が援助しているように見えますが、またそれで内紛が起きているのです。中共は早くアジア側に基盤をつくろうとしており、その反面、ソ連は中東側を自分たちのものにしようとしています。そのため、ナセルと手を組んで米国とイギリスに反対しているのです。

 そして、ナセルはスエズ運河を中心にして成功したわけです。それは、今後中東において重要な条件になるに違いありません。ソ連はナセルを中心にしたイスラム教のアラブ人と団結しようと今盛んに動いています。そしてナセルは、自分たちの宗教を背景としてイスラム教徒を中心に、中東地域を自分たちが掌握しなければならないと考えています。

 これに対して米国とイギリスがソ連と対決するようになります。どのように対決するのでしょうか。ローマ教皇庁を中心とした宗教統一問題を背後で行うのです。莫大な資金援助で間違いなくそのようにするはずです。それでソ連は、ナセルを援助してあげながらも、どのようにすれば中東地域に宗教戦争を起こすことができるかを考えているのです。

 現在、インドとパキスタンが戦っているでしょう。カシミールは中共とパキスタン、インドの三ヵ国の国境地帯です。中共がインド洋に出ようとすれば、カシミールを通らなくては出る道がありません。それでこの地域は、今後中共がインドを赤化する戦火の発端とならざるを得ません。ところがパキスタンはインドと戦っています。パキスタンはイスラム教国家ですから、中東の国々が一つとなってインドと対決します。そして、さらに中共と一つになって、インドと対決しているのです。

 戦争をすれば、パキスタンの首相が中共に協力を要請するようになるのです。この宗教戦争をどのように誘導するかということがソ連の政策で、問題の種です。私たちはこれに巻き込まれてはなりません。

 中東に行ってみると、ナセルは既にイスラム教圏を統合して一つの目標点を目指した統一アラブの第三勢力圏を形成する段階に入っていることが分かりました。しかし、実際にはみな疲れ果てていました。スエズ運河を利用できなければ、すべてが火のついたガソリンと同じです。そのようなイスラム教圏の統一的路線に照らしてみるとき、キリスト教はバチカンを中心として統一理念を掲げずには進み出ることができません。

 ではどのようにするのでしょうか。彼らがどんなに努力してみても駄目なのです。ここに統一教会が必要なのです。私たちがしなければなりません。ですから死んではいけません。私たちは行かなければなりません。復帰の道が私たちを待っているのです。


エルサレム聖地巡礼(一九六五・八・三一)

 皆さん、エルサレムに行ってみてください。イエス様の墓に行ってみれば、思いもよらない五色人種が来て、墓にしがみついて涙をぽろぽろと流しているのです。これを見ると、「ああ、こういうわけでイエス様は立派なんだなあ」ということを感じるようになります。歴史は過ぎ去り痕跡はなくとも、その因縁をたどる中で骨髄に響き渡って溶け出る脂汗を流し、血のにじむ深刻な心情をもって対することができるという事実を見るとき、なるほど偉大な人物で聖人だと言わざるを得ないのです。

 先生がエルサレムを訪問した時、イエス様がゴルゴタの山頂まで上がる途中で倒れたという所に立て札が打ち込まれているのを見ました。十二回も倒れたというその場所を眺めながら「このような蕩減の道を経ていったのだなあ」と思いました。その場で先生は「暗黒のような二千年前に新しい天的な使命を担い、砂漠と荒野のような、このまっただ中に訪ねて来られたイエス様の事情は、いかぽかり切なくつらかったでしょうか。しかし、大きくて裕福な多くの民族をさしおいて、このように全く取るに足りない、ひどくやせこけたイスラエル民族を訪ねてこられたのは、民族復帰の恨を一日でも早く解こうとされた天のお父様の事情があったからだということを知りました」と祈祷しました。

 そこを訪問する人は、誰でもイエス様が抱いていた事情を深く慰労してさしあげる祈祷をしてこなければなりません。そうしてこそ、その場でサタンはやきもきし、神様は慰労を受けられるのです゜それでサタンは悲しくて泣き、神様はうれしくて泣かなければなりません。

 そこに行ってみれば、半分は砂漠地帯です。ラクダなどを見れば、あの大きい体格で腹いっぱい食べられるのかというくらいに草のない、半砂漠地帯でした。そこのぶどうのつるは一抱えにもなりません。

 昼は太陽熱で三分の一が乾いてしまいます。ところが昼熱いだけに、夜と明け方はたくさんの露にぬれるとのことです。その露で植物は再び生気を取り戻すようになります。このようにイスラエルの地、ユダヤの地で育っている植物のように、ユダヤ民族も明け方を待ち、その明け方の静かな中で神様の前に絶叫の祈祷をした民族であるということを切に感じました。

 また彼らの目をじっとのぞくと、何か感動のようなものがあります。感動して歌う歌が最高の絶叫であり、心霊が込められた祈祷なのです。それで「ああ、ここから新しい歴史が始まったのだなあ」ということを感じました。

 また、新しく入ってきたイスラエル民族には、彼らの収容地、野営地とも言える所があります。この民族は、主権を復帰しようという復古思想をもって、昔アブラハムが祝福された地に再び訪ねてきたのです。このようなことを見るとき、イスラエル民族からその思想を取り除くことができないと感じました。彼らがどのような環境に追い込まれたとしても、彼らの選民思想は、徹頭徹尾変わらないのです。


アジア巡回(一九六五・九・六〜二九、八ヵ国)

 アジアは、一九六五年九月六日のイランを手始めに、インド、タイ、シンガポール、マレーシア、ベトナム、フィリピン、香港、台湾等を巡回され、九月二十九日、台北を出発され、日本の羽田国際空港に向かわれた。

 先生はいろいろな国を巡回する時、その国に二日しか滞在しなくても、先生がもっているすべてのものを与えたい衝動にかられたりしました。心情が通じるようになれば、みな神様の子女になります。文化の背景や歴史的な環境、あるいは時代の位置いかんによって人間の価値は左右されるものではありません。そのいかなるものも人間の価値を決定することはできないのです。天を知り、地を知り、天の目的と地の目的と人間の目的を知るところにおいてのみ、人間の価値が決定されるのです。

 先生がアジアの南方の国々を巡回しながら、一番大変だったのが暑さでした。暑い所では宣教が難しいのです。インドのカルカッタに行き、約一週間いたのですが、温度が四一度まで上がりました。それで扇風機をつけたまま寝ました。扇風機をつけて寝ると病気になると言いますが、病気になるなんてとんでもありません。扇風機の下で昼寝でもして起きれば、気持ちがいいのです。それで先生は、「ここで伝道しようとすれば本当に大変だろう」と思いました。皆さんの中でそこに行く人はいますか。

 アジアでどこに人がより多くいるかと考えてみると、極東地方より熱帯地方により多くいるのです。中共でも全人口の半分が暑い地方で暮らしています。比率で見るとき、アジアでも北方よりも南方に人が多くいるのです。


日本巡回(後半、一九六五・九・二九〜一〇・一〇)

 九月二十九日、日本に到着された真のお父様は、十月一日、日光を観光。十月五日、箱根の芦ノ湖を観光。六日、富士山方面に立ち寄られたりされ、十日、ソウル国際空港に帰国された。

 日本は一時、大東亜共栄圏を主張したことがありました。その理想は良いものでした。もしその時、日本が彼らのために本当に国力と犠牲を払っていたならば、今日の日本は世界に誇れる国家になっていたでしょう。では、日本は何をしなければならないでしょうか。善を蒔かなければなりません。

 神様は日本の兄弟たちに何を願っているでしょうか。世界復帰のためには「死になさい」というのです。ですから、人が寝る時に私たち若者は、ある場所に集まって歌も歌い、訓練もするのです。昼も夜もそのような運動をするのです。

 日本がエバ国家として世界的になすべき使命は何でしょうか。何と言おうとも服従することが勝利することなのです。完全に服従すれば完全に征服します。一〇〇パーセント占領されれば、一〇〇パーセント勝利します。動かすことができるのです。

 皆さんが日本を愛するならば、早く広げていかなければなりません。青少年問題、共産主義問題、宗教界の問題、すなわち、現在問題となっているこの三大問題をどのように消化するのですか。韓国よりも悪い条件に立っています。韓国では共産主義に対しては絶対的に反対です。それで、日本は韓国よりももっと難しいのです。

 皆さんを残して先生は行かなければなりません。そして西川(西川勝:崔奉春)先生も米国に行きます。そうなれば久保木君が責任を負わなければなりません。それを考えるとき、先生として最も強調したいことは、組織を強化して互いに密接な関係を結びなさいということです。それで、組織の連絡性、あるいは統轄性が何よりも重要であり、そこで従順に従うことが必要なのです。ですから第一には組織、第二に団結、第三に行動が必要です。これが私たち日本を中心として世界を動かすための三大要素です。


三 世界四十ヵ国百二十箇所の聖地選定(第一次世界巡回前後)

 一月二十八日、世界巡回路程に発たれた真のお父様は、十ヵ月間にわたって世界四十ヵ国を巡回され、百五箇所の聖地を選定され、十月十日、帰国された。その後、十二月八日から翌月一月一日まで、全国九大都市を巡回されながら、十五箇所の聖地を選定されることにより、合計百二十箇所の聖地選定を終えられた。


百二十四家庭と「万物の日」と聖地選定

 どうして先生は世界を巡回したのでしょうか。聖地を知っているでしょう。これまで先生が勝利した基準を、世界的に分配してあげなければならないために巡回したのです。韓国において成し遂げた使命は、韓国を中心とした勝利的基準であり、そしてそれを世界全人類に分けてあげなければなりません。そうするためには何をしなければならないのでしょうか。聖地を決定すれば、それは堕落する前の天地が生じた基準と同じことになります。人間を創造する前の期間に万物が生じたのと同じことなのです。それがあれば、霊界と天使は、神様の創造に協力してアダムをつくることができるのです。それゆえ霊界が地上に役事する基台が成立し、そこにアベル格であるアダムの勝利圏をもった、堕落していない心情基準をもった私たちの天の子女を送れば、彼らを中心としてみ言の実体再創造と心情基準の出発がなされるのです。それゆえ世界的に宣教師を早く送ろうとするのです。

 聖地決定は蕩減復帰の原則によって、また神様の創造の原則によってするのです。神様は万物を造られてからアダムとエバを造られました。そうしてアダムとエバをして万物を神様に連結させようとなさったのです。

 それで百二十四双を韓国各地に配置しながら聖地を選定したのです。その聖地を中心として一体的な因縁を備えていき、使命を果たすように願ったのです。このようにすれば、個人的な使命を全うしたことが基準となり、世界史的な全体の責任を中心として、世界と連結できる勝利の時代が訪れてくるようになるのです。

 先生は百二十四双の祝福をしたのちに世界巡回路程に出かけ、聖地の選定をしたでしょう。失った先祖と失った民の中心を復帰してこそ、失った地を復帰できるからです。それはすべて原理的です。それが終わって、一九六五年に先生が全世界に聖地を選定したのです。どうしてそうしたかというと、神様のみ旨を中心として三十六家庭を復帰し、その次に七十二家庭を復帰して、民族的な中心として、世界国家型百二十家庭の基盤をつくったので、世界国家を管理しなけれぱならないからです。そのようなことができる時代に入っていくので、全世界四十ヵ国に、結局百二十箇所の聖地を選定したのです。

 そして「父母の日」は、父母が決定することによって生じましたが、「子女の日」はその時決定されませんでした。その「子女の日」を立てるためには、父母を中心として四位基台となる子女たちと、祝福を受けた家庭の子女たちが一つになる基盤を築いておかなければならなかったのです。アベル的な子女の位置とカイン的な子女の位置を歴史的に失ったため、失った縦的なすべてのものを復帰し、讒訴圏をなくしたそのような外的な子女の立場で一つになって初めて「子女の日」が設定されるのです。そこに讒訴圏があってはなりません。

 そうして初めて三年期間を通して一つとなる条件を立てたので、「子女の日」が決定されたのです。その日が決定されることにより、「万物の日」は自動的に決定されたのです。どうしてそうなのかというと、人間だけが万物を主管できるからです。ところでこれが二国家だけであってはならないので、世界的に連結させるために一九六五年に聖地の選定をしたのです。


韓国の聖地と世界の聖地

 先生はソウル地域に東、西、南、北の四大聖地と中央聖地、そして本部などの七箇所の聖地を選定しました(一九六二・一〇)。このようにして世界と連結できる勝利の時代が来るなり、すぐに先生は、一九六四年十二月三十一日と一九六五年一月一日を期し、七箇所の聖地から土と石を取ってきて外国に持って行く準備をしたのです。

 今後民族的な運勢とともに世界的な運勢が歩調を合わせていく時が来るのです。それゆえ先生は、韓国の首都ソウルで選んだ聖地を世界的に接ぎ木しようとするのです。国内だけでなく、世界的に接ぎ木するのです。韓国の聖地を世界的に接ぎ木するのは何のためでしょうか。世界を韓国の地とするためです。蕩減復帰の原則により、サタン世界に行って聖地を決定すれば、そこが韓国の地になるのです。どうして韓国の地になるのでしょうか。天的に見るとき、聖地さえ選定すれば、その場所が韓国の地になるようになっているからです。

 追われに追われる時、祈祷しに行く所のなかった私たちに、今や、神様の前に嘆願することができる聖地が選定されたということは歴史的であり、世界的な勝利の立て札が立てられたという事実を知らなければなりません。このような基準を拡大するため、先生は世界を巡回しながら四十ヵ国に百二十箇所の聖地を選定したのです。多くの経費を使いながら様々な国に聖地を選定し、そこの石と土を韓国に持ってきたのは、そのようにしなければならない神様の摂理があるためです。このようなことは歴史にないことです。

 四十ヵ国の百二十箇所の聖地は、神様の選民圏を守ってあげることができる地です。この地を肉身をもった人たちが守れなくても、霊界の霊人たちが守ってくれるのです。神様が共にされることができる立て札を打ち込み、戦うことができる基盤をつくり、民族復帰運動の戦いを勝利に導くことができる基点を立てるためなのです。


経済的な復帰のアベル的基盤

 私たちが七年路程の期間でなすべきことを果たすことにより、地が一つになれる条件を立てるようになるのです。この条件を立てるということは、どのような意味でしょうか。それは、経済的基準が神側に回復してくることができる時になるということです。つまり経済的基準、物質的基準を回復できる基準が成立されるということです。物質的基準を回復できるということは、今後、統一教会の財政的基準がさっと広がる時代圏内に入っていくということです。

 先生は、うちの教会のある所に行くたびに、今後アベル的な存在の基盤を復帰しなけれぱならないという祈祷をしてきます。先生はそのための摂理的な計画によって、聖地を選定してきました。聖地を選定してきたのは、経済的な復帰のための基盤を準備することでもあります。それゆえ、それぞれの場所にアベル的な財政支援をしなければならないのです。それで先生はそれぞれの国へ行くたびに先生の名前で貯金をしてあげました。米国に行けば米国のお金で、日本に行けば日本のお金で、ドイツに行ってはドイツのお金で預金通帳をつくってあげました。

 先生の名前で預金できるということは、子供が万物に対することのできる心情的な因縁に参与できる特権を、父母から付与してもらったのと同じことです。先生が行く道に同参できるということは、世界史的な誇りです。それは今日、物質復帰のためのアベル的な祭壇を築くのに重要な条件となるのです。それで国ごとに貯金通帳をつくってあげたのです。

 私たちは昼御飯を食べなくても、人類のために貯金しなければなりません。今日、多くの人は貯金をしています。個人のために貯金する人もいるでしょうし、家庭のために貯金する人もいるでしょう。また、自分の会社のために、自分の国のために貯金する人もいるでしょう。しかし、統一理念を中心として、世界の問題のため、天と地の公的な基準のために貯金することは歴史始まって以来私たちが初めてです。このとてつもないことを私たちはしなければなりません。


韓国の土と石と随行員三人(崔元福、金永雲、崔奉春)

 この土と石は何を意味するのでしょうか。アダムが堕落することにより、神様はアダムだけを失ったのではなく、世界をすべてサタンに奪われたのです。しかし今は、神様が訪ねてくることができる勝利的な基盤が築かれたため、地を復帰できる時代圏内に入ってきています。ゆえに聖地にある土と石は、神様が臨在なさることのできる基盤となるのです。それで聖地を宣布したということを皆さんは知らなければなりません。

 四十ヵ国を中心として、その三倍となる百二十箇所の聖地を選んだのです。そこで韓国の地を四十ヵ国に連結させるために、石と土を持っていって埋めたのです。それは人の心と体を象徴しています。体は土であり、骨は石です。イエス様が石を象徴し、私たち人間が肉を象徴しているのと同じことです。それは天と地も象徴しているのです。

 その次に何をするかというと、これを人と人とを合わせて連結させるのです。その時、四人の人が行ったのです。四位基台ならば四位基台を編成し、これをすべて越えていくのです。それで、百二十箇所の聖地に、韓国の地と韓国の石と韓国の人を象徴的に植える、すなわち連結させるのです。そこは未来のカナンの地です。その霊的基準をつくっておくのです。

 聖地を選択することは、エデンの園で失った人と地と万物を復帰できる地を備え、人を復帰し、神様と対せる焦点を決定することです。天使世界は、アダムとエバが早く完成して、神様の愛を受けることのできる圏内に入ることを望んでいたのです。天使世界はアダムとエバに協助し、アダムとエバが神様の子女となり、神様を中心とした家庭を成し、神様の愛を受ける平和の基盤を成し遂げることを望んでいました。ですから聖地は、神様に祝福された家庭のように聖別された所であるので、そこに霊界が協助できるのです。

 その時、先生と崔元福と金永雲と崔奉春がそこに参席しました。それはどういうことかと言うと、み旨から見れば、崔奉春はエバ国家である日本を代表し、金永雲は世界的な天使長国家である米国を代表した立場であり、アダム国家を中心として四位基台の型が整えられたので、この四人が世界を巡回するようになったのです。ここにエバ国家は男(崔奉春)がなり、天使長国家は女(金永雲)がなったのです。そのように入れ違ったのです。それを見ると、内的アダムとエバを象徴的に合わせておいたのです。

 このような重大な巡回が第一次世界巡回路程であったということを、皆さんは知らなければなりません。のちに皆さんが霊界に行けば、先生が感じたような心情的事実を感じる時があるでし

 その時、私が行ったことが何かというと、その国の中央庁とか博物館を主に訪問したのです。歴史と現実の主権とを結びつけてみようとしたのです。世界を巡回し、聖地を選びながら主にそのような所を訪問したのです。そうしながら韓国から持ってきた石と土を聖地のあちこちに埋めておき、その国の石と土を持ってきたのです。


米国聖地の選定期間(一九六五・二・一五〜三・二九)

 一九六五年になって、四十三日間で四十八箇所の州を私は回りましたが、何をしようと思って回ったか分かりますか。空港に着いたときから、この地の上に、私が踏みしめる所すべてに、神様の愛を中心として爆弾装置を仕掛けなければならないと思ったのです。

 世界百二十箇所の聖地を選定したのですが、ここにも六十二、三箇所、そのような数の聖地(九号〜六三号の聖地)をつくっておいたのです。ですから、米国に対する全体活動の構想は、既にその時に、骨髄からなしていたということを知らなければなりません。それはここを中心としてしたのではなく、世界的になしたのです。世界四十ヵ国に百二十箇所の聖地を選定するのに、五十五箇所の聖地を米国内に選定したということを知らなければなりません。

 先生は米国に初めて降り立つや否や、四十日間で四十八州を完全に走破しながら、回るべき所はすべて回ってみました。皆さんがする前に既にすべてなしたのです。走れ! 走れ! 運転手が居眠りすれば、「こら! 何をのんびり居眠りなんかしてるんだ、こいつめ」と言いながら、回ったのです。フォルクスワーゲンという車があるでしょう。それで砂漠地帯を走るときには、あのネバダとアリゾナには巡査もいないので、アクセルを全部踏めと言ったのです。(笑い)

 食事などというものは、食パンがあるでしょう。それから何ですか。ソーセージ。パン二つとソーセージ一つとそれからピクルス一つ、これが朝、昼、晩の食事です。

 この人たち(=随行した人)は夕方になればモーテルに行って夕食をとろうと、頭の中で想像するのですが、モーテルとは何ですか。車がモーテルです。車がベッドであり、テーブルなのです。(笑い)

 先生くらい米国の四十八州を何日間かで漏れなく回ってみた人はいませんでした。先生は誰よりも米国を愛したのです。ある時は寝ても机をけりながら、米国の地をいつ復帰するのかと考えたのです。

 この国に世界のどの国よりも多くの聖地をつくったのは、主にこの国で勝敗の決定をなすということを既に予告していたということなのです。ここの一州に、ある一国以上の価値を付与したのです。ですから宇宙のセンターとして考えたのです。世界のセンターとして考えたのです。


難しかった聖地選定の道

 私が四十五歳の時、百二十箇所の聖地を選定するために四十ヵ国を巡回しました。ほかの人たちはカメラを担ぎ、ある国に行けばそこの写真を撮ると大騒ぎなのですが、先生は石と土をトランクに積んで百二十箇所の聖地を探して四十ヵ国を回ったのです。(笑われる)

 飛行機に乗って、税関を通過する時は、石を積んで旅行しているので不思議に思うのです。人々は大きな荷物を持って旅行しているのですが、ただの重い石を持って歩いているのです。誰がそれを理解しますか。狂った人だと思うのです。そのようにしてつくられた聖地が、天の前に万民が共同で精誠を尽くす基地になったのです。

 先生がそのように巡回する時は、統一教会が楽な時代ではありませんでした。患難を受けていた時でした。困難な時でした。そのようなことが新しい歴史において、大切な石になり、基礎になったのではありませんか。

 先生がシリアに行って聖地を選ぶのに七時間以上かかりました。それで世界の聖地の中で最も印象に残る所がシリアです。先生がそこに行った時、東ヨーロッパ一帯を中心とした世界博覧会、すなわち国際博覧会が開かれていました。そこにソ連の衛星国家が、みな自分の国の産物をもってきて展示していました。私はソ連の展示館に入りましたが、その時の印象が忘れられません。

 昼は聖地を選べず、夜選んだので時間がとてもかかりました。もし昼間、立って祈祷するキリスト教徒がいれば、人々が石で殴り殺そうとするのです。

 それで一緒に座っていたセルビア人の助けを借りて、聖地を選んだのです。そのようにして聖地を選んだことが一昨日のことのようです。それはまたイスラム教圏内の文明が霊的にはどの段階にあるのかを知りたくて、先生がそのようにしたのです。

 その時、ここは「聖地の中で最も忘れられない、印象的で悲惨な聖地です。昼選ぶことができずに、夜このようにすることは十分ではありませんが、それだけにこの国がさらに大きな恵みを受けるようお願い申し上げます」と祈祷しました。そのように祈祷すると、イスラム教圏が回り始めたのです。


韓国の地方とソウルの聖地を祝福
  (一九六五・一二・八〜一九六六・一・一、地方八箇所とソウル七箇所)


 韓国では七十数を中心にして、七十二箇所を探して条件を立てなければなりません。米国よりも多くの聖地がなければなりません。

 聖地を選ぶ期間は、一九六四年十二月三十一日と一九六五年一月一日から始めて、一九六五年十二月三十一日と一九六六年一月一日から四日までです。年数としては三年にわたって聖地を選ばなければなりません。

 この聖地を誰がどのくらい守りますか。世界四十ヵ国、百二十箇所に設けた聖地では明かりが消えてはいけません。これは一年中を通じて回りに回らなければなりません。そして韓国が一つの放送局となり、世界に電波を送らなければなりません。韓国で電波を送れば、世界の聖地でその電波を受信し、天の前に感謝と称賛を捧げることができるのです。

 そして、本部教会は世界の中央聖地ですから、ここで祈祷することが最も効果的です。本部教会は中央聖地として、世界四十ヵ国の百二十箇所の聖地と連結しています。韓国は五千年の歴史をもっていても安心できる主権をもっていないので、最終的に安心できる天的主権を立てようというのです。


聖石奉献式(一九六六・一・二七〔陰暦一・六〕、真の御父母様の御聖誕日、前本部教会)

〈祈祷要旨〉

 四十ヵ国の百二十箇所の聖地からもってきた、天地全体を象徴する石と土を奉献いたしますので、その国の全体を奉献する条件として立ててください。この式を執り行うことによって、すべての権勢は神側に集まり、サタン世界の権勢は崩れていくようにしてください。

(続いてソウル各地域に金千ウォンずつ下さりながら)これは先生の名前で貯金するのと同じ立場で貯金しなさい。毎月最低十二名以上がここに貯蓄をし、また、それは下ろして使えません。

 貯金せずにやり過ごしてはいけません。地域長であっても貯金していかなければなりません。これをもって世界的な祭物復帰の基準を立てるのです。これは既に先生が世界巡回の時から世界的な運動として実施しました。


四 国際共産主義と勝共啓蒙運動

共産世界とイスラム教

 私は一九六五年にアイゼンハワー大統領に会い、次のような話をしました。「あなたは韓国の戦争を休戦させ、共産主義と戦うことを後退させましたが、もし民主世界が共産世界を打って勝ったとしても、共産世界はイスラム教圏と手を結びます。今も手を取り合っています。共産世界は宗教の怨讐であるので、そのような時が来る前にあなたがすべきことは、早急に彼らを糾合する世界的組織をつくることです。そうでなければ米国が大変なことになります」と言いました。もし数十億というお金を世界に散在している宗教団体に与え、「福地世界をつくろう」と言っていれば、数多くの宗教団体の指導者たちは糾合されていたはずです。

 イエス様が十字架にかかって亡くなる時に、バラバと左側の強盗が一つになって右側の者を打ったのです。そのように打ったので、これを屈服させなければ神様のみ旨を成就できません。かといって武器を持って戦えというのではありません。正義を求めよというのです。

 また私がアイゼンハワー大統領に会った時、ダライ・ラマ事件のことを話しました。一九五九年、チベットヘの中共の侵攻によって、ダライ・ラマがインドの国境を越えた世界的な事件がありました。その時は、天が民主世界において、この地を中心として宗教を糾合できる良い機会だったのですが、その機会を逃してしまいました。その当時、十億、あるいは数十億ドルぐらいなら、米国にとってはわずかのお金でしかなかったのです。その事件を中心として、宗教の怨讐は共産党だというテーマを掲げて世界的な宗教指導者を一つにまとめていたら、今日、民主世界はこのように破綻しませんでした。良い機会を逃してしまったのです。統一教会の文先生がこのような問題まで責任を負って収拾しなければならない使命を感じたので、その話をしたのです。歴史的にざっと説明をしました。


日本の当面の課題と勝共運動

 現在、日本やアジアにおいて、共産主義が非常に大きな問題の焦点となっています。理念主義的な共産主義はソ連から出てきましたが、行動主義的な共産主義は労働者、農民を中心として展開しています。とても組織的に動いています。今後日本のあらゆる面を支配しようという政治家にとっては、共産主義者とどのような戦いをするかということが問題になることでしょう。今、日本は思想的に再武装しなければならない時が来たのです。

 それゆえ今、統一教会が飛躍的に発展できる時代に入ってきたのです。私たちは、世界情勢と日本が置かれた立場を、彼らが認識するようにさせなければなりません。そのために今、猛烈に活動をしているのです。

 今、日本にどのようなことが起きているのでしょうか。日本にある五十六の大学に全国大学連合原理研究会が登録されており、学士・博士たちがその背後で統一理念に対して研究するというようなことが起こっています。そして共産主義の学生たちと原理研究会に参与する学生たちが戦っています。この闘争で、ある大学の共産主義の学生たちが、みな統一教会に来てしまうというようなことが起こりました。

 共産党が自分たちの活動を強化するために、要所要所に配置した地下団体の中のIつが、統一教会にみんな移ってきてしまったのです。これが問題になり、共産党員たちが統一教会に来て、あらゆる調査をしたり、反旗を翻せと裏工作したりして大騒ぎしたのです。それで東大から京大および東北大学等のあらゆる大学街で問題になりました。原理研究会が大会をするたびに、共産党の手先だ何だと言って大騒ぎになりました。

 先生が気分の良かったこととは何でしょうか。日本の有名大学の五百名余りの賢い学生たちが、韓国から現れた統一教会に入って活動しているということです。

 日本が当面している第一の問題は共産党問題であり、青少年問題です。将来、国家全体の運命を左右する青少年の倫理問題、すなわち社会倫理問題において日本は絶望的です。ですから国策上の問題にならざるを得ないのです。

 日本の国民はこれまで宗教を非現実的なものだと認識していました。このような状況で創価学会が出てきて、政府と国会にまで問題視され、日本の国民全体が関心をもつようになりました。そうして日本でも宗教の力は偉大であるということに気づき、宗教に対して関心をもつ段階に入ってきました。今この時が伝道するのに本当に良い機会です。それで日本の久保木会長に創価学会と立正佼成会の中心人物と会い、また言論機関の中心人物に会って私たちのみ旨を伝え、彼らと戦って勝ちなさいと言ったのです。


江原道から起こった勝共啓蒙運動

 今日江原道で起きていることは、ただごとではないことを皆さんが知らなければなりません。

 金中尉の一家殺害事件が起きたのは、神様の摂理だと考えることができます。北韓が韓国に対する工作活動を強化させ、強力な行動に出てきたという事実も、今後の天的な運勢を立てるための神様の内的な摂理です。もちろんサタン世界で作用したことですが、これは天的な基準を立てるための基盤を準備することです。金中尉一家殺害事件により、与党も野党も江原道を反共の模範道に指定し、反共闘争を強化しなければならないと言いました。江原道から模範道になって、徐々に他の道にまで広がっていかなければなりません。

 このように反共を強化させ、十九歳から五十五歳までのすべての男性で反共組織を編成しなければならず、教団までも反共闘争を強化しなければならないのです。このような局面であるのに、政府では反共闘争に対する理念的な代案がないというのです。それで治安局や情報課で大変なことになったと大騒ぎしたのです。計画は立てたものの、精神的な武装ができる何らの内容もないというのです。それを私たちは既に知っていたのです。

 それで統一教会の理念でなければならないと考えて、江原道の知事を通じ、郡守を通じ、面長と里長を通じて、私たちの反共理念を広く標榜し、江原道全体を巻き込んでいるのです。

 では私たちの勝共運動が、江原道から起こる原因がどこにあるのでしょうか。一列に並んで歩き、途中で方向を変えるために全体が回れ右をすれば、一番後ろの人が一番前になるのと同じように、江原道は我が国で一番哀れな道なのですが、摂理的に見るとき、一番近い道となるからです。

 また江原道には軍隊があります。私たちが願うことは、今後統一教会の思想で六十万の大軍を武装させることです。そうして北韓にまでも思想的に押して上がっていくのです。北韓が最も大きな問題です。六十万の大軍ならば東洋の天地に恐ろしいものはありません。次期大統領選挙よりもっと急を要することが、南北韓の総選挙に備えるための国家的な運動を展開することです。これを準備するために、昨年三次にわたって復興団を編成したのです。少なくとも百二十の郡、三百六十個以上の面を対象として思想武装をさせ、また、汎社会的に思想運動を展開し、鍛錬させ、訓練させようというのが先生の計画です。このようにして、これまでの観念を覆しておけば、米国に入っていき活動する時が来るのです。

 統一教徒は共産主義の唯物史観に対する批判を徹底的にしなければなりません。そうして南北韓の総選挙問題が出てくる時、統一理念を中心として北韓を完全に押さえつけて、勝利の結果をもたらす功績を立てなければなりません。そうなれば世界を復帰できる基盤がつくられるのです。それで時が急がれているのです。

 このような観点から、私たちは今後思想的な面で共産主義を凌駕できる主義と思想を立てなけれぱならないのですが、それが天宙主義です。天宙主義を中心として共産主義を批判できる道を模索しなければなりません。この道を一九六二年から準備して、一九六五年から始めました。共産主義に勝てる団体は、まさしく全国で大きく成果を上げている勝共啓蒙団です。


教会幹部および地区長人事異動(一九六五年一一・一)

 私たちは今、再度決意しなければなりません。全国的に再編成しなければならないことを感じます。再教育して再編成することが不可避です。三年さえ越えれば、すべてが打開する道があります。その時までどのように押し進めていくのでしょうか。

 全国で一箇所が突破することを願っていた中で、江原道が突破したのです。皆さんはこれを契機に全国的な活動を集中させなければなりません。地区長の実力がなくて包摂できないというのは、社会の実力家が入ってきたときに、その実力を発揮してあげることに力を注がなかったからです。

 世界を平準化するために一周して帰ってきたので、韓国も平準化するために地域長を移動させようと思います。江原道が突破したので、この地域から固定させて忠誠を尽くしなさい。

 今、四年路程を経ていく過程にあります。三年残ったこの路程をきれいに歩みきらなければなりません。十月一日を前後して、韓国の各地の責任者である地区長を新たに選びました。これまで彼らは責任者の立場で命令することだけは知っていたのですが、食口の事情は知りませんでした。ですから食口の立場に立ってもう一度この道を歩みなさいというのです。

 今回活動する皆さんは、昔先生が直接走った伝統を相続して走らなければなりません。先生自ら民族のために命懸けで走りたいのですが、皆さんを代わりに立てて命令しますから、先生の代身者として一生懸命動いてくださるようお願いします。


冬季四十日伝道と勝共啓蒙(一九六五年一二・二〇、出発)

 先生の家庭は一九六七年まで内的な責任を果たさなければなりません。これに準じて、皆さんの家庭も各自の責任を果たし、追及されることがないようにしなけれぱなりません。祝福家庭となったなら、家庭生活だけにとどまるのでなく、祭司長の使命を果たさなければならず、家庭完成の環境を築き上げなければなりません。

 私たちはお互いに団結し、協同し、共同で歩調を合わせることによって、一遍に蕩減できる条件を立てなければなりません。これが統一教会の食口たちの使命です。それで私たちは「行動統一」「理念統一」「心情統一」を唱えるのです。このような統一理念は今日において、地域と環境が異なっても、行動的な面では全体を一遍に蕩減することができるのです。

 三年路程、七年路程を経ていきながら、農村に入っていけば、鎌を持ち、農民と一緒に農地を愛し、真の心情で涙を流しながら農地の手入れをしなければなりません。父母が無学なため、教えることができなかった子女に、私たちが手をとって教えなければならず、父母が教育に無関心だったので、目覚めさせてあげなければならず、この民族が個人主義的になり、国に関心をもたず、愛着心がなくなったので、再び関心と愛着心を育てなければなりません。

 今日皆さんは統一の理念をもって壁を越え、境界線を越え、三千里半島(韓半島)と韓民族の前に出ていかなければなりません。今韓国は、街頭の青年でも引き止めて統一理念を教育しなければならない実情です。そのようなことが起こらなければなりません。そうでなければ滅びるということをすぐに感じることでしょう。
















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