真の御父母様の生涯路程 5
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第二次七年路程

第一節 一九六八年 全面的な進撃をしよう(一)

一 一九六八年の出発と摂理的意義(一九六八・一・一、前本部教会)

元旦祝祷

 お父様、長い歴史路程の上に希望の一年を立てられ、全体の蕩減復帰を勧告され要求されたお父様の摂理のみ旨が、この韓国の地と三千万民族を中心として成されるよう許諾してください。

 孤独な姿を呼び集められ、二十一年の苦難の道に追い込んだお父様であられ、七年路程を中心として最後の勝敗を分ける戦いを準備されるため、お父様の使命と、お父様の役割を完遂されるため、これまで数多くの曲折と事情を残されたことを知っております。

 一九六七年を送りながら、お父様の御苦労を再度心で深く考えつつ、お父様、この時間、二十一年路程と七年路程を、過ぎ去った過去の時代を再び回想しながら、一九六八年、第二次七年路程の初年度を迎えるようになりました。

 お父様、私たちに向かって歴史的な峠の道をたどってこられたお父様の御苦労の前に、今、私たちが力強い姿をもって新年を迎えることができるよう許諾してくださったことを心より感謝いたします。

 お父様、今や新しい七年路程で、民族的な運命の勝敗を決定づけなければなりません。私たちが世界的な使命の基盤を準備しなければなりません。

 お父様、この夜明け、今新たに来る一九六八年の新しい朝が始まりましたので、この日より、お父様の願いが解ける喜びを感じることができるよう許諾してください。解怨成就の勝利を誓うことができるこの年となり、七年路程が新たに出発されるよう許諾してくださることを切にお願い申し上げます。

 残してくださった勝利の基盤に向かって私たちは希望をもって走っていくことを約束しますゆえ、親しく保護してくださり、受け入れてくださるよう切にお願い申し上げつつ、このすべてのみ言を新年の冒頭に、真の父母のみ名により謹んでお祈り申し上げます。


年頭標語:全面的な進撃をしよう(一)

 今年は、平和を先導する全面的な攻勢をかけよう、すなわち「全面的な進撃をしよう」という標語を中心として第二次七年路程を出発しようというのです。

 この「全面的前進」という標語のもとで活動するためには、第一に内的整備、第二に目標意識の確立、第三に敗者の結果を体恤しなければなりません。私たちは以上の三つを備え、必ず勝利しなければなりません。

 個人の内的整備をするには、個人の信仰を中心として見た時、み言に対して神様の前に認められる私自身とならなければなりません。実体においても神様の前に認められる私自身とならなければならず、心情を中心としても、多くの人の生命に責任を負い、そこから新しい繁殖を起こすことができる能動的な力をもっていなければなりません。

 その次に、目標意識がはっきりしていなければなりません。一つのはっきりした目標を中心として進撃しなければなりません。

 今年からは、私たちが行くべき分野が変わりました。国家的な使命も果たし、氏族的な使命も果たさなければなりません。このような観点から見たとき、私たちの目標とすべきこととは何でしょうか。大韓民国を復帰することです。現在大韓民国は、共産治下の北朝鮮が南侵の機会をうかがっている状況に置かれています。それゆえ私たちは、内外ですべての情勢に立脚し、神様の願われる摂理と結びつけ、これを蕩減し、そこで勝利の基準を立てなければなりません。

 もし私たちが失敗すれば、すなわち目的を達成できない時は、敗者の悲しみを免れることができないということを知らなければなりません。

 今、一九六八年を中心とした統一教会の標語は、「全面的な前進」あるいは「全面的な進撃の年」です。進撃という言葉は、実感の出る単語です。戦争する気分になるようにさせる言葉です。進撃するところには勝利か敗北か、二つに一つだけがあるのです。それゆえ皆さんは、勝利するか敗北するかの結果をおいて堪え忍ばなければなりません。

 今後、統一教会の私たちがすべき分野は相当にたくさんあります。超教派運動から反共講義、原理研究会活動、そして経済事業と文化事業に至るまで多様です。個別的な指示はあとから別にしますが、これらを中心として全面的な進撃活動を展開しようとすれば、覚悟をしっかりとしなければなりません。一九六八年を神様が喜ばれる勝利の年にしなければなりません。


二 「神の日」宣布

「神の日」制定(一九六八・一・一・〇三:〇〇、前本部教会)

 「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」はあるのですが、まだ「神の日」がありません。神様は天地を創造されたのですが、その天地の中に、神様を中心として喜ぶことのできる日は迎えることができませんでした。それで、今年の正月一日であるきょうを「神の日」として設定しようというのです。

 「神の日」とは何か分かりますか。この世の何が反対し、何がどうしようとも、お母様の夫に対する心は変わらないというのです。死のうが、生きようが、夫の行く道を行こうということに変わりはないというのです。どんなに国が反対し、どんなに殺されるような目に遭ったとしてもそれを覚悟して行かなくてはならないのです。エバが信じることができない立場で堕落したので、お母様は神様が信じることができる立場に立たなければならず、同時に、夫が一〇〇パーセント信じることのできる立場に立たなければならないのです。

 それが一九六八年です。男性の蕩減復帰の基準と女性の蕩減復帰の基準を家庭を中心として立てたのです。エバが長成期完成級で堕落したのを復帰するための七年過程を経て八年目を迎える時、完成級の夫婦の資格を備えた夫婦がこの地上に現れることができたのです。

 本来完成したアダムとエバが愛を中心として因縁を結んでいれば「神の日」は始まっていたはずなのです。それが始まるべきであったその基準を、七年が終わり「神の日」を宣布することによって初めて、完成基準の父母の因縁を中心として、神様の愛と一致することができたのです。

 完成級において神様に会うのは直接主管圏ですが、結果主管圏の三段階を経て、十数の段階を越える時、神様と愛を中心として連結されるようになるのです。その日を探し求めて七年の期間が消耗されたのです。一九六〇年の御父母様の聖婚式以後、子女たちを率いて日々を送り、満七年となり、八年の最初の日となる一九六八年の正月一日に、初めて「神の日」を策定したので、そこから統一教会の文先生は世界的に伸びていくことができるのです。

 一九六八年一月一日は、神様が地上において創造理想を中心として願われていた日です。すなわち、神様を中心としてアダムとエバが一つの体となり、愛を中心として初めて神様が地上に着陸できる、歴史始まって以来初めての喜ばしい日です。

 「神の日」の決定と同時に、地上に神様が臨在できる基準を立てることができました。したがって、今や統一教会の発展は地上において急速に促進されることでしょう。そのような基準を成したので、統一教会は真理を中心として霊界解放とともに地上解放、そして地獄を解放するものとして発展していくのです。なぜなら、「神の日」を迎えたその時より地獄が壊滅され、サタンも滅亡するよりほかにない立場に至るためです。それで「神の日」の決定と同時に先生の使命は完成したのです。

 「神の日」を決定することによって、今やサタン世界が天の国の王権、父母の王権、子女の王権、万物の王権の支配下に入ってきたのです。もはや自分の思いどおりにはならないのです。「神の日」、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を備えたので、先生に属するすべてのものを、サタンは略奪していくことができないというのです。なぜでしょうか。真の父母圏、真の子女圏、真の万物圏に属していて、神様に属しているためです。これは型は小さいですが、サタンが手を出すことができないのです。

 今や「神の日」が始まることによって、神様を中心として皆さんの第一次七年路程と先生の二十一年路程(一九四五〜一九六七年)を越え、今や第二次七年路程に入りました。その後の世界においては天の家庭を中心として神様が直接的に指揮できる時代になるということを皆さんは知らなければなりません。これを連結させて氏族を立てたのは民族を救うためであり、これが神様の使命なのです。それゆえ今、私たちに残された使命は民族を中心として復帰の使命を完結していけばよいのです。


「神の日」宣布後、七ヵ月総整理儀式
(一九六八・七・三一 〔陰暦七・七・〇七:〇〇〕、前本部教会、在京家庭の集い)

 神様は六数である六日目に人を創造されました。七数は安息数ですが、人間が堕落したためこの七数を失ってしまいました。それで今日、この地上の人々は安息することができないのです。神様は七数を失ってしまったので、一日を千年に延長し、六千年の歴史を通して六数を探し立て、七千年の歴史で安息数である七数を復帰してくるのです。そのようにして復帰してくるのがキリスト教の望みの天国です。千年天国です。人間が六千年で六数を復帰し、七千年で七数を復帰して完成し、再出発する八数を再び探していくのが復帰の歴史です。

 人間の堕落により六日の創造期間、すなわち第一日目から六日目までに創造したすべてのものを失ってしまいました。人間のせいですべてを失ってしまったというのです。神様はこれを再び取り戻すために六千年の歴史を摂理してこられたのです。この六千年を中心として七千年歴史へと越えていくのです。キリスト教では千年王国を主張していますが、一日が千年になり得るのです。千年王国というのは世界的な復活圏のことをいうのです。このような歴史を経たのち、安息圏を得て、初めて神様を迎えて息子と娘であるという公認を受けなければなりません。言い換えれば、神様の喜びに同参できる安息をもつということです。

 今は、父母として権限を備え、子女として権限を備え、また万物として権限を備え、神様として権限を備えたのでサタンの攻勢を止めなければなりません。これまでは私たちがサタンに追われてきましたが、今や、逆に攻勢をかけることができる時が来ました。それゆえに「全面的な進撃をしよう」という標語を立てることができるのです。

 今年の七月は七数を越えていく月です。すなわち、アダムとエバが創造され七数過程を経なければならなかったのと同様に、七数の過程を越えていく月です。神様を中心として見る時、アダムとエバは子女の立場であり、神様は父の立場です。先生を中心として見る時、先生は父母の立場であり、皆さんは子女の立場です。一月から七月までの七ヵ月間は七年路程に該当する七千年の運勢を復帰する期間です。この期間を越えれば新しい時代が展開されます。それゆえ、この期間中に四十日夏季伝道期間を過ごすことは天的な意義があるのです。

 長成期完成級までは、アダムとエバが子女として歩んでいく道です。完成期まで上がっていってこそ父母になるのです。では、皆さんは今どのような立場にいますか。皆さんの今の立場は、イエス様がユダヤ教とイスラエル民族を中心として新たな出発をしようとする立場と同じです。またこの立場はユダヤ教がイエス様を信奉し、氏族と民族が一致して出発しなければならない立場と同じです。この立場は子女の使命を果たし、堕落したアダム家庭を復帰した形態の立場と同じです。ここから七年を経ていかなければなりません。出発当時は子女の基準ですが、この過程を経れば父母になるのです。


三 国際勝共連合創立

 真のお父様の指示により、一九六五年十一月十日、江原道で統一教会員を中心に反共啓蒙団が発足し活動したのを始まりとして、全国八つの道でも本啓蒙団が創立された。当時、反共啓蒙団の講師はほとんどが現の牧会者たちであった。その後、一九六八年一月十三日、各道の反共啓蒙団を統合し、文化公報部第一六四号に登録されると同時に、国際勝共連合を創立するようになった。


創立の動機と目的(一九六八・一・一三、創立)

 レバレンド・ムーンはなぜ今日この勝共連合をつくったのでしょうか。このような団体をつくり、権力構造の、ある象徴の一つの目標となるためにつくったのではないというのです。終局の目的において、韓国に必要な、世界の前に出せる実績基盤に連結できる思想をもった団体がなければならないと見たゆえにつくったのです。

 私たちの歴史は結局どこに行かなければならないのですか。思想戦の関門を通らなくてはなりません。私はそれを知っているのです。皆さん、そのことを知らなければなりません。いかなる主義をもったと誇っている国であっても、民主主義を追求している米国であっても、今後思想戦の関門において落後した立場に立つようになる時には流れていってしまうのです。

 先生はそのような面で徹底的な人です。今後迫りくる世界の思想戦において、誰が主役となるのでしょうか。深刻な問題です。今日、自分の生活を第一とし、自分一人の幸福を追求する人はそのようなことは考えないことでしょう。しかし、国家が必ずや行かなければならない道は、今後迎えるものは思想戦です。思想戦にぶつかるというのです。この事実を大韓民国の為政者たちが知らずにいるのです。大韓民国が知らずにいるというのです。

 先生は特別な天の恵沢を受けた人です。それゆえ、少年時代から青年時代、花の青春を誇り得るその時代をすべて流してしまい、人が遊ぶ所を訪ねていけば、私はその反対の道を行ったのです、すべてにおいて。「お前たちはそのような道を行くが、私は思想圏を突破するこの道を行かなくてはならない」と、そのようにしてきたのです。

 それゆえ、皆さんが知らなければならないのは思想戦において残らなければならないということです。これが勝共連合の最後の目標だということを皆さんは知らなくてはなりません。

 それでは、私たち勝共連合は何をする所でしょうか。文字どおり共産主義をこの地球村から追い出すということよりも、これに勝利し、消化できる運動をする連合体であるというのです。連合というのは組織体を意味します。一人だけでは駄目なのです。

 共産主義を防御するためには、私たちもそれ以上の組織的基盤が必要です。個人より連結した関係から家庭を越え、氏族を越え、民族を越え、国家を越えなければなりません。それで五色人種だとか、文化の背景が異なる様々な歴史的背景が問題となるのです。それを克服し、それ以上の目的に向かって一つの連結体を、関係を結んで切ることのできない関係になった上で、世界的な共産主義を、国家理想の上に立っている共産主義を防御しようというのです。


金新朝事件とその影響(一九六八・一・二一)

 「金新朝事件」ともいわれる一九六八年一月二十一日の武装共産軍浸透事件を覚えているでしょう。その事件は、韓国がのろしを揚げ、新たに登場できる契機となったのです。金新朝が属していた北韓の百二十四軍のような部隊で、訓練を受ける話を聞いたでしょう。彼らは苛酷な訓練を受けているのです。普通の人ならば倒れて放棄してしまうほどの訓練、死ぬほどの訓練なのですが、漸進的に加重される訓練過程を経ることにより、それよりもっと難しい環境を克服できるのです。

 ところで北韓はどうして今、大統領官邸を襲撃したのでしょうか。それが起こったのは一月二十一日です。見てみれば全部数字的に合っているのです。三十一名でしょう? 一月は新しい出発を意味し、二十一日は、三・七、二十一(三×七=二十一)を意味し、三十一名は四散を意味するのです。すべて原理的です。外的な大統領を打ったという事実は、外的にカインがアベルを打ったのと同じだというのです。天の側から見れば、こちらがアベルであちらはカインであり、カインがアベルを打ったことになるのです。しかしながら、時が来たので、打っても殺すことができないのです。この事件により、これを奇禍(注:思いがけない災難)として、韓国では国民が一致団結したのです。カインがいれば何をしなければならないかというと、アベルと一致しなければなりません。

 それで、大統領を中心として襲撃したその事実を中心として、サタン世界は、自分たちはうまくやり遂げるといって打ったのに、それがはずれ、自分たちの作戦ミスにより、逆に韓国で全国民が団結したのです。そのように団結して何を求めるようになるのでしょうか。殴られそうになったところで何を求めるようになるのでしょうか。「思想武装をしなければならない。反共思想が必要だ」と言うになったのです。そうして、ぶん殴ることによって飛び出すと思ったものが逆に飛び込んでくるようになったというのです。今はそのような時です。それゆえに私たちの理念が必要だというのです。


全国の勝共活動の実績

 近ごろ、既成教会の牧師たちが信徒たちに説教するのに、「統一教会の教理は悪いが統一教会員たちの活動は見習え」と言っているようです。それはなぜそうなのでしょうか。私たちの動きを見ると、既成教会員たちが夢にも思わない活動をしているためです。私たちが地方で活動した功績が面を通じ、郡を通じ、道を通じて中央圏に上がってくるようになるのです。それで農桃園から五・一六民族賞をもらうようになったのです。

 最近、私たちの教会には賞をもらう人がとてもたくさんいます。賞状大会を開けば多分数千名は参加することでしょう。この世の人は、統一教会がこのように良くなるだろうとは思わなかったはずです。国を愛することにおいては、どこの誰よりも愛し、共産主義者を捕まえるところにおいても、誰よりも一生懸命捕まえました。

 学士出身のうちの若い青年たちは、貧しくてかわいそうな人々のために、村で御飯をもらって食べながら学べなかった人々を教えました。御飯に飢えながらも、み旨を伝えたのです。また、労働をしながら彼らを食べさせてあげたりもしました。これが私たちの歩んできた道であり、また行かなければならない道です。

 今は、「統一教会の講師でなければ駄目だ」と言って、車でもって訪ねてきては、互いに競って講師として迎えようとしているのです。彼らは「統一教会は共産党に勝とうと言っているので勝共啓蒙団としなさい」と言って、名前までつけてくれました。イスラエルという名前は誰がつけてくれましたか。天使がつけてくれました。だから、ヤコブが勝利したのと同様に、私たちも実権を伸張していかなければならないのです。共産党をやっつけるのは、私たちでなければならないようになっています。思想的な面で、この統一思想でなければならないようになっているのです。私たちがどんなに足りなく愚かだとしても、千万の群衆を泣かせることができる材料をもっているというのです。

 私たち教会には逸話がたくさんあります。以前、うちのある地域長が反共講師として、ある地方に行った時の話です。そこには村の有力者たちが全部集まっていて、警察署長から郡守に至るまで、公務員たちがすべて集まっていました。ところが、反共思想講座に責任をもっている先生が来られると言ったのにその先生は来ないで、見知らぬばさばさ頭の青年がとぼとぼ歩いてくるというのです。初めは講師の使いだろうと思って「あんた、どこから来た? 講師の先生はいつ来られるんだ?」と聞いたというのです。

 ですからその講師はとまどうしかありませんでした。「きょう、講師として統一教会の誰それが来ると言ったのにどうなったのか」と尋ねるので、「私がその誰それです」と言ったというのです。そして、ばさばさ頭の青年が講師だとは思いもしなかったその人たちは、ひそひそと話し合ったというのです。自分の息子と同年輩の幼い青年が講師だというので、きまり悪いことこの上なかったことでしょう。

 しかし、自分たちが公文で招請したので壇上に立てざるを得ませんでした。それで、約二時間半講演をしたというのです。そうしたところ、彼らの目がひっくり返ったのです。(笑い)反共講師であるうちの地域長たちは全部二十代の青年です。そのような人たちが郡守や警察署長の友達になったのです。統一教会に入り、その年齢でこれくらいであれば出世したことになるでしょう? 先生の話を聞いて、行って滅びたことがありますか。

 どんなに理念が良くても、実践した実績がその理念の基準に及ばない時、その理念はいまだその価値を現していないのです。しかし、実績が理念の基準を越える時には、その実績以上に理念の価値が上がっていくというのです。それゆえ私たちは、実績をもって戦わなければなりません。


『新しい共産主義批判』刊行(一九六八・二・二五、執筆:李相軒)

 国際勝共連合では、一九六八年二月二十五日、『新しい共産主義批判』の初版を発行した。この本は共産主義の思想を分析、批判して、その代案としての勝共理論を世の中に宣布したものである。この本を執筆した李相軒先生は、真のお父様の指導を受けながら統一原理を基盤に本理論書を体系化させたのであった。

 では、『新しい共産主義批判』を一回以上読んだ人は手を挙げてみなさい。

 共産党を撃退することができる思想武装は何をもってするのでしょうか。これは統一思想でなければ駄目です。宗教を統一し、思想的な世界を統一するには、この統一教会の理念をもたなくては駄目なのです。統一教会のこの宗教思想を中心として、その思想の根拠のもとに今日の共産党を除去できる思想的な体制をもつことができるので、内外を統合させることができるというのです。内的な基準が宗教であり、外的な基準が共産党です。

 理念的な面で、宗教思想を中心として世界的な反共思想を体系的に具備して現れる、そのような新しい宗教人たちがいなくてはならないのですが、それが備わっている所が統一教会です。現在、現実的な立場において、実績を収めてきているものが私たちの反共思想です。

 このように国家が要求するすべての内外の面を私たちが既に備え、既に実績の上に乗せた結果となっているがゆえに、いずれにしても国家は私たちのみ旨を支持し、押し進めなければならない状況に置かれているというのです。

 私たちがしなければならないことは、私たちの理念を基盤として、三千里半島から共産党を全部追い出すことです。アジアから中共を追い出さなければなりません。さらに進んで共産党の頭であるソ連まで追い出さなければなりません。この戦いで勝利するため、背後勢力をつくることが、統一教会員たちのなさなければならないことです。そうして私たちの理念でまず南北を統一し、その次に中共を統一し、ソ連を統一しなければなりません。


日本勝共連合創立(一九六八・四・一)

 一九六五年以後、世界四十ヵ国を私が歴訪しながら、共産主義の体制に対し再検討をしました。共産主義がどれくらい勢力圏を拡大しているのか。その時思ったことは、急がなければならないということでした。

 それで一九六七年の正月から、日本に勝共連合を結成するため四十七名の要員を派遣しようとしたのですが、それを情報部が阻みました。情報部の背後には既成教会の要人たちが多いのです。「文なにがしが、統一教会の基盤をもって国家に恥をかかせようとしている」というようなありとあらゆる反対があったため、その仕事が延長されました。

 ですから、やむを得ず背後工作をして、一九六八年四月、勝共連合が発足しました。その時、日本の幹部たちを集めて「私たちはこれから日本で、この自由天地において、反共ないし勝共活動をしなければならない」と言ったところ、彼らの中には誰も歓迎する人がいませんでした。「ああ、それは、先生が韓国にいらっしゃって何も知らず、日本の実情を御存じないからです。共産党の足場がどんなであり、どんなに極悪で熾烈な闘争をしているのかということを御存じないから、そのようにおっしゃるのだろう」と言いながら反対したのです。

 それで私は、歴史的なすべての内容を中心として説得しました。「このような運命が訪ねてくるのにもかかわらず、皆はこのことをしないつもりか!」と言って、一九六八年四月一日に勝共連合を創立したのです。

 その前に何をしたかというと、全部理論武装をさせました。勝共講義ができるように理論武装をさせ、そして街頭に送り出しました。共産党がうようよしている街頭に送り出したのです。それから朝鮮大学に派遣したのです。

 大胆な日本女性に思想武装させて、「あなたはこれから三年半の間、死ぬ覚悟で朝鮮大学の前で勝共講義をしなければならない! 銃に打たれて死のうが、トラックにひかれて死のうが、しなければならない。お前の行く道は死が追いかけ回すであろう。間違いなくそうだ。けれども行け!」、このように命令したのです。そのような逸話がたくさんあるのです。

 そうすると、朝鮮大学は、日本の外務省を通じて私たちに圧力を加えようとしました。けれども私たちは終始、命を懸けて闘争してきました。そして東京駅や、全国の有名な街頭で、共産党と積極的な闘争を繰り広げてきたのです。


四 第二次七年路程出発(一九六八〜一九七四)

七年路程終結と有功者二百二名表彰
(一九六八陰暦一・六〔陽暦二・四〕〜一・七、真の御父母様の御聖誕日行事中、前本部教会)


〈祈祷〉

 今日、私たちの教会を中心として、私たちは真の父母の因縁を取り戻し、真の子女の因縁を取り戻し、真の万物の所有の権限を取り戻しました。そうして、神様を再び訪ねることができる喜びの日を迎えたという事実を思う時、両手を挙げて感謝し、飛び上がってもまだ限りない喜びを表現できない立場に立っていなけれぱならないことを知りました。

 恨み多き四十八年の間、お父様が御苦労の道の中で取るに足りない者を守ってくださいましたことを感謝いたします。今日まで生かしてくださり、この民族の前にあって、哀れな嘲笑の位置において消えることなく、もう一度、お父様が生きていらっしゃる事実を証すことができる位置に残してくださった恩賜を思う時、心より感謝いたします。

 これらすべてのものはみな、お父様が制定された恩賜であって、お父様の涙ぐましい闘争の結果であることを知っています。栄光のこの時間、私自らお父様の前に立つことができない恥ずかしさを感じますがゆえに、その栄光を、独り受けてくださるよう切にお願い申し上げます。師であるとして、心よりお父様の前に訴え、福を願う者たちがいますならば、その福を千万倍にして返してくださるよう切にお願い申し上げます。

 お父様が訪ねてこられた路程の前に、私たちは不忠なる自らを感じながら、再度この時間、お父様のみ旨の前に孝道することを誓いましたので、その心を殊勝であると思ってくださり、み旨の前に勝利の標的を立てられ、サタン世界の前に盾の権限を立ててくださるよう、お父様、切にお願い申し上げます。

 今日統一の子女たちが、この日を祝うためにここに集まるようにしてくださった恩賜を感謝申し上げます。二月四日(陰暦一・六)を契機として、一九六八年の場に立ちました。この日を中心として七年路程も終わり、二十一年路程も終わって、今、四十八年を越えていくことができるこの場を迎えました。この日を中心としてあすに向かって再度、第二次七年路程を行くべき責任を負った立場において、勝利の決定権を立てられ、お父様の立てたところの栄光と権威を現してくがさるよう切にお願い申し上げます。


長成期完成級を越える式(一九六八・二・八、前本部教会)

 一九六〇年から一九六三年までは、外的に家庭と氏族を探し立てる期間でした。それで百二十四組まで祝福を完了したのです。それ以後は、先生の家庭的な基準を立てる期間でした。

 一九六八年二月八日を期して、先般の四十日間の活動により先生の家庭は、ある区切りをつけて出発しました。これについては、先生のみ知るものです。

 一九六八年以後、父母となる家庭は復帰の基準を越えて立ちました。祝福家庭は長成期完成級から出発します。祝福家庭は、父母様の子供たちのように新しく生まれた立場です。

 一九六八年二月八日を期して、家庭を中心として心情的に長成期完成級を越える式をすることにより、エデンの園でアダムとエバが堕落する前の立場に入っていきました。

 アブラハムがイサクを神様に祭物として捧げようとモリヤの地に連れていく時、イサクが従順に従っていったように、皆さんも従順に服従して先生に従ってきさえすればよいのです。先生の家庭を中心として精誠を尽くさなければなりません。祝福家庭が四位基台を成し、先生と一つにならなければなりません。


祝福家庭が歩まなければならない第二次七年路程

 私たち統一教会は、一九六〇年から一九六七年までを第一次七年路程として定め、失われた日々を復帰しました。一九六〇年に「父母の日」と「子女の日」を探し立て、一九六三年に「万物の日」を探し立てたのです。この七年路程が終わり、一九六八年一月一日に初めて、神様の安息の年を迎え、「神の日」を宣布するようになったのです。この時までが第一次七年路程であり、父母の路程でした。

 そして一九六八年より第二次七年路程が始まったのですが、その時から子女の路程が始まったのです。子女は父母が歩んだ路程を手本にして歩まなければなりません。失われた信仰の子女を復帰して父母の祝福を受けなければならず、万物の祝福まで受けて使命を受け継ぎ、安息の年を迎えなければなりません。もしこれを、この七年間にできなければ、二十一年に延長されるということを肝に銘じなければなりません。

 第二次七年路程において知らなければならないことは、「神の日」は、真の御父母様が神様の実体として現れる日であるので、人間に屈服しなかったサタンが神様の実体を身につけられた御父母様に屈服する日だということです。この「神の日」を立てることによって、天使がアダムに屈服し、カインがアベルに屈服したという条件が立てられました。

 第二次七年路程は、復帰された長子の立場から出発する期間です。過去においては、次子の立場から長子の立場を奪わなければならなかったので迫害を受けたのですが、今は、長子の立場から福を分けてあげる立場となったので、私たちを憎むこともなく迫害することもないでしょう。そのような時となりました。これからは、応じなかったら殴ってでも天の子女に復帰しなければならない使命が長子にあることを肝に銘じなければなりません。第一次七年路程においては、父母様がメシヤの使命をもって役事されたように、第二次七年路程では、皆さんが氏族復帰のためのメシヤの使命を果たさなくてはなりません。

 皆さんが祝福を受ければ、家庭を成し、氏族を成さなければなりません。民族を救うことよりも、自分の氏族を中心として氏族的なメシヤの使命を担って行かなければならないのです。第一次七年路程で国家的な基盤を築いたのち、第二次七年路程では氏族的なメシヤの基盤を築くのです。

 神様の前に祝福を受けて真の父母の因縁を備えたならば、氏族的な先祖の立場を蕩減復帰すべき使命が残っているのです。そうして氏族的なメシヤの使命を完結づけるため、再度、第二次七年路程を行こうというのです。第二次七年路程において、民族のために忠誠を尽くしたそれ以上の忠誠をもって、自分の父母や兄弟、親戚をすべて復帰しなければなりません。すなわち、氏族全体を神様の前に復帰しなくてはならないというのです。


民族救援のための路程

 第二次七年路程とは何でしょうか。これまでは食口同士で出掛けていったのですが、今は家庭が伝道するのです。天国は、家庭が糾合し一つになってこそ成されるものではないですか。それゆえ、法度により、イエス様の恨を解いた理想的な家庭基準を決定づけ、必ずや家庭においてこれを編成しておかなくてはなりません。そうなってこそ、イエス様がこの地上において、十二部族の結実体として登場できる基準が立つというのです。こうして氏族的メシヤの使命をなすことによって、今後の世界は自動的に発展するというのです。

 メシヤがいてこそ、家庭、氏族、民族、国家、世界が救われるようになるのです。イエス様が個人的なメシヤから家庭的なメシヤとならなければならないというのが再臨思想です。そして第二次七年路程は、イエス様がなし得なかった氏族的なメシヤの使命と、民族的なメシヤの使命を代行する期間です。

 摂理は世界的に発展していきます。ユダヤ教、ユダヤ国とローマ帝国は、イエス様を中心として四位基台をつくらなければなりませんでした。現在と二千年前のイエス様当時を比較してみると、再臨主はイエス様の立場、キリスト教はユダヤ教の立場、韓国はユダヤ国の立場、民主世界はローマ帝国の立場と同じです。それゆえに再臨主を中心として、これらもまた四位基台を造成しなければなりません。

 イエス様は霊的救いだけを成しましたが、統一教会は、霊的救いと肉的救いをすべて成すための教団です。今の時は、ヤコブが二十一年路程を終えて帰ってきて、兄さんであるエサウに財物を捧げた時と同じです。したがって統一教会は、兄さん教団である既成教会のために超教派運動を始めました。また、民主世界を団結させるため、勝共運動もしています。

 統一教会員は、国を愛し、民族を愛する人となり、歴史的な忠臣の後継者となり、歴史的な孝子の後継者とならなければなりません。さらには、世界に責任をもつことができる人々とならなければなりません。そうして統一教会は、宗教中の宗教、生きている宗教、社会が必要とする宗教にならなければなりません。先生が追い出された群れたち、天が立てられなかった者たちを探して、彼らを救ってあげるために行く路程が第二次七年路程です。イエス様が追い出されない立場で復帰したのと同じ基準を立てるため、統一教会の息子、娘たちは出動し、第二次七年路程を歩むのです。


五 四百三十家庭合同祝福結婚式

 一九六八年二月二十二日午後二時、真の御父母様の主礼で、ソウル市民会館で四百二十六双の合同結婚式が行われた。三千余名の家族と来賓たちでいっぱいになった中で挙行されたこの日の祝福式は、初めて日本人が参加し、国際合同祝福結婚式の最初の契機にもなった。式後、新郎新婦たちは、二十五台の観光バスと数十台の乗用車に分乗し、カーパレードを繰り広げ、夜には祝賀公演を観覧した。韓国のマスコミや新聞は、この合同結婚式について特筆大書し、いわゆる「マンモス結婚式」という名前をつけた。


壇紀四三〇〇年、四百三十六組祝福(一九六八・二・二二、ソウル市民会館)

 四百三十家庭とは何かというと、四千三百年の歴史とぴったり当てはまるのです。イスラエルは、四百三十年目にして、四代を中心として出てきたのです。それと同じように、四千三百年目にして、四十三数の地上基盤を経て出発することができる新しい全体を代表した、国家と民族を天のみ旨の前に立てることができる基盤を広めるための代表家庭が四百三十家庭です。

 この四十三数において、四と三を合わせると七数になり、これを掛ければ十二数になるのです。このような原則を通じて、四百三十家庭を韓国で祝福したのです。こうして、エジプトから四百三十年ぶりにイスラエルの解放が起こり移動が起きたのと同じように、統一教会でも移動が始まったのです。そのため、全羅道の人は江原道に行き、江原道の人は全羅道に行くというように、みな混ざって大移動が始まったのです。

 イスラエル民族はカナン復帰のため、四百三十年ぶりに出エジプトを果たしたでしょう? そうして新しい世界に出発したのです。それはエデン復帰と同じなのです。新しい、理想の本郷の地に向かって帰っていくのです。それと同じように、四数と三数が延長されるのです。それゆえ延長されたこのような数を中心として、韓国でも四千三百年目にして、そのようなことが起きるのです。

 その時は民族的な時代であり、今は世界的な時代であるので、韓国において四千三百年ぶりにそのようなエデン復帰をするのです。言い換えれば、本郷の世界天国に向かって帰っていかなければならないというのです。

 四数、三数に全体数はみな入っていくのです。四は、東西南北の地を象徴します。三は天を象徴しているのです。そのため人が立っていれば、このように三段階なのです。三数は、立っていることを表します。このような観点から見る時、三数、四数というのは天と地も象徴している、ということです。これを掛けると、十二数が出てくるのです。十二数は調和数です。

 それで、「天と地の調和数が十二数である」と見るのです。そのため、この数に該当するものは、全体数を代表したものです。十二数は全体数を代表することができる数であるため、大韓民国の地において四千三百年ぶりに、四百三十数に該当する祝福をしたのです。四百三十数は、四千三百数を代表し、四十三数を代表した数なのです。大韓民国で四百三十の数に合わせて祝福をしてあげたということは、大韓民国の家庭は誰でもみな、いつでも、自由に天国に入っていくことができるということです。

 それにより、金氏、朴氏など、すべての氏族が入っていくことができます。門を全部開けてしまうのです。そうして朴氏、金氏など、韓国にあるすべての姓を全部混ぜてしまうのです。それはどういうことかというと、天の国に入ることができるすべての道を開けてしまうことなのです。これができなくては世界と連結させることができないというのです。

 各界の各姓が全部、四百三十家庭と連結されるというのです。そこにはどんな人が入っているかというと、前科者も、妓生の息子も、ありとあらゆる人たちが全部入っているのです。また歴史的に見て、許されない罪を犯した、そのような人も入っているというのです。入っていないものがないのです。

 それが何を意味するのかというと、大韓民国の民が四千三百年の歴史を受け継いでくる中で、罪を犯して天の前に立つことができなかったすべての人に道を開いてあげたということです。全部ひもを通して、橋を架けてあげたのです。それがそうなることによって、大韓民国におのずと生きる道が生まれ、天の国と連結される道が開かれるのです。

 それで先生は、四百三十家庭を祝福する時、氏族的メシヤになりなさいと言いました。それは、自分たちだけで楽しく暮らしなさいという意味ではありません。言い換えるならば、イエスと聖霊のような使命、すなわち復活したイエスと聖霊の実体として、その氏族を救う役事をなす氏族的メシヤになりなさいということです。霊的でなく、実体としての氏族的メシヤの使命を果たしなさいということです。

 四百三十家庭にどれほど重要な意義があるのか知っていますか。本来は、昨年一九六七年を中心として越えていきながら、すべてしなければならなかったはずですが……。今年二月二十二日は、先生が平壌で再逮捕され、興南の監獄に入ってから満二十年を越える時です。満二十年を越えていく時なのです。

 そのため、内外のすべてのものが、先生の復帰路程二十年を過ぎていきながら、その中で二十年を越えていく内外の重要な意味があるために、皆さんがそのような場において、その日を中心として記憶することができるというのです。皆さんがそのような同参の権威を所有できるという事実が、どんなに栄光なるものであるかを知らなければなりません。


久保木夫婦と笹川氏

 日本がまず祝福を受けなければならないため、四百三十六双の祝福式の時、久保木(修己)を呼んで入れました。本来、一九六七年に祝福してあげようと日本に行ったのですが、できませんでした。それで一九六八年、四百三十家庭の祝福をしてあげる時、日本の代表として久保木を連れてきて、先に祝福の条件を立てたのです。

 久保木も一番最初、ここ韓国に来て、「韓国の女性と結婚できたらいいのですが」と、何度も繰り返して言うのです。それで私が、「やめなさい! お前は奥さんと祝福を受けるのだ」と言ったので、「はい」と言いました。先生の命令は本当に恐ろしいのです。そのようにして、今回来て祝福を受けたのです。

 そして、日本に笹川良一という財閥がいるのですが、日本が船舶会社として世界一等の位置を占めるようになったのは、このおじいさんの功労です。

 今回の合同結婚式の時、先生はそのおじいさんを招待しました。「御老人。今回いらっしゃって、二度祝賀をしてもらわなければなりません」という招待状を送ったのです。

 このようにして、今回久保木会長夫婦が祝福を受けるのに、笹川氏が来たというのです。

 それを見る時、原理的に見る時も、今回が良い起源になったというのです。七年が終わる中で、日本の久保木たちが来て、自動的なケースとしてこのような条件を立てたということは、日本復帰に本当に重要な転換点となったのです。彼が来ることによって、これから共産党をたたきつぶそうとしていたその計画が本格的に進捗するこのような基準になったという事実は、私たちのみ旨を中心として見た時、至大なる成果を収めることができる時点になったというのです。


四百三十家庭蕩減棒行事の際の地区巡回のみ言(一九六八・三・一〜二・九)

 それでは皆さんは今、祝福を受けて、夫婦が二人で喜んでいますが、喜ぶのはどの基準で喜ぶのですか。祝福を受けたというその基準は、イエス様が二千年間願ってきたその基準を蕩減復帰したということです。先生がこの基準を一九六〇年度に復帰したのと同じように、この基準を復帰するために身もだえするのです。

 ところで、ここまで連結させて神様の圏内に入ったならば、この圏内はすべてサタン圏内ではなく、天の主管圏内に至ったので、皆さんの行く道には迫害がないということです。今回宴をする時も、そのような立場から催したのです。

 ところで、これまで先生は迫害を受けたでしょう? 三つの国家、三つの主権を通して、個人、家庭、氏族、民族全体が迫害しました。そしてアジアと、世界に全部、うわさが広がらなければならないのです。日本でもとてもうわさになったでしょう。今日統一教会は、世界中でそのようなうわさにならなければならないというのです。

 完成を中心とした家庭的な基盤が、神様の愛を中心として成される時代に入ってきたがために、サタン世界から讒訴を受ける圏を越え、天の世界がサタン世界に蕩減させることができる時代圈に入ってきたというのです。時代が変わったというのです。それをはっきりと知らなければなりません。

 それでは今日皆さんは四百三十双の祝福を受けたのですが、この祝福を受けた基準がいかなる立場なのでしょう。世の中の権勢と天の権勢が五分と五分の時であり、この境界線で対立している立場です。大韓民国がいくら自分の力量を誇ったとしても、今後思想的な武装をしなければならないのです。

 皆さんがこのような時代に祝福を受けたとすると、どのような立場に立っているのでしょうか。民族の前に誇らなければならず、自分の氏族の前にあって、氏族を収拾する使命を完結しなくてはならない、ということです。皆さんにおいては氏族を収拾し、統一教会においては国家と折衝して思想的な面で、理念的な面で、これを収拾しなければならないのです。上では統一教会が国家に対し、下では皆さんが氏族に対して収拾しなければならないというのです。


六 三年路程出発と四十日伝道

第二次七年路程の前半三年(一九六八〜一九七〇)

 これまでの七年路程は、先生に該当する路程です。先生の時代に該当する路程であるため、皆さんがその時に伝道したのは、先生のための伝道です。父母が家を建てるところにおいて協助したのです。ですから皆さんが世間に出ていき、嫁さんをもらって家をもつ時には、家を建てなければならないのでしょう? それでは皆さんの時はいつからですか。第二次七年路程からです。

 先生は、一九六〇年から一九六三年の間に祝福をしてあげることによって、家庭復帰の基準を立てました。したがって食口たちも、第二次七年路程が始まった今年から三年間、すなわち一九七〇年度までにこの基準を立てなければなりません。地上で勝利の基準が立てられることにより、六千年の歴史の中でみ旨の先鋒で苦労してきた先祖たちがこの地上に再臨役事をすることができるようになりました。

 祝福家庭は総動員されなければなりません。私たちがイエス様の歩んだ三年路程を歩み終えれば、氏族的メシヤの使命を果たしたことになります。そのようになれば、第一次七年路程と合わせて十年路程を歩んだことになります。

 ならば皆さんはこれから、第二次七年路程において、皆さんの家庭が三位基台を中心とした四位基台を形成し、十二家庭を中心とした復帰の基準を完結しなければならないのです。使徒たちは、イエス様が婚礼式を挙げるのと同時に自分たちも婚礼式をなせば、イスラエルの十二部族の家庭の結実が成されるのです。

 そうすることによって初めて天国に入っていくのです。それ以前は全部、自分勝手になっているのです。神様の祝福を受けた十二部族ではない、ということです。しかし、これが始まることによって新しい天国に入っていくのです。それを合わせるため、この七年路程の三年間、一九七〇年度まで、皆さんはあらゆる精誠を尽くして、出掛けていき仕事をしなければなりません。

 第二次七年路程に踏み込んだので十二家庭の生活圏を編成しなさい。十二家庭が一つの型、機械とならなければなりません。互いに疎通をはかり、連絡し、会いたいと思うようにならなければなりません。


全食口百日特別祈祷(一九六八・五・二〇〜八・三〇、題目:死ぬまで力を尽くします)

 韓国協会では、一九六八年五月二十日から八月三十日まで、「特別百日祈祷」を実施した。祈祷の代表項目は「死ぬまで力を尽くします」であった。

 み旨に対したのちには天が導いていく運命である、ということを知らなければなりません。それゆえ、勝敗の決定を分かつ前に、私たちは最大の精誠を尽くさなければなりません。イスラエルが十五倍以上にもなるアラブ圏を一週間以内で撃破したように、内外で武装した人員が少数であっても、数日以内で屈服させ、撃破することができる作戦が必要です。

 このような観点から見る時、今日の統一教会の立場は、そのような作戦をしなければならない時に来ているというのです。こめような戦争の時点に向かって、追いたてている期間が百日精誠期間です。


第二次七年路程の最初の夏季四十日伝道(一九六八・七・二〇〜八・二八、千八百余名参加)

 堕落とは何でしょうか。父母のせいでサタンが讒訴するようになり、世界と天の前に行くところにおいて、父母の失敗のおかげでこれがみなふさがれてしまったというのです。それゆえ父母が父母の責任を果たすためには、霊界とこの世の落とし穴を全部埋め、息子、娘が行く所に怨讐サタンが讒訴できる道を開放してしまわなければなりません。こうして父母としての責任を果たしてこそ、息子の前にしてあげる父母の道理を果たしたという基準が成立するのです。

 それゆえ一九六八年は、世界へと行く統一の門が開かれる時です。このような時代に祝福された家庭は、氏族復帰をしなければなりません。そのような時代なので、全体動員の命令をしたのです。もしそこから抜け出すようになれば、イエス様が昇天する時、昇天できないのであり、聖霊が降臨する時、降臨できないことになり、そうすれば、第二次七年路程の出発を見ることができないのです。新しい出発を見ることができない、というのです。それゆえに祝福された家庭は全体動員しなさいという命令を下すのです。命令をしたのに動員しない人は、私は、どうなっても知りません。

 先生が今回、七月二十日から全部地方に派遣するという命令を下し、尻に火を付ける時、皆さんはどこに行くつもりですか。家に逃げますか、世界に飛び出していきますか。

 今は私たちの前に最後の時が来ました。最後の決着をつけるべき時が来たので、全体的に動員しなければなりません。したがって今日皆さんが流す涙は、昔のように怨讐たちが嘲弄する中で流す悲しい涙ではなく、民族の悲しみを代表し、祭司長の立場から流す涙であるということを知らなければなりません。すなわち、皆さんが迫害され追われることは、民族が迫害され追われざるを得ない悲しい運命を身代わりして受けるものであるというのです。ですからプライドをもたなければなりません。

 先生が追われ追われて涙を流す立場でも、天と地を抱き締め、木を抱き締めて痛哭しながら耐えてきたのは、この民族が行かざるを得ない悲惨な道を防ぐため、神様をつかんで抱いて訴えることができる一つの場をもつためでした。そうして、この民族を再度復活させようというのです。

 カイン的な息子、娘を育てるためには、皆さんが御飯を食べなくても御飯を食べさせてあげ、夜を明かしてでもみ言を伝えなければなりません。先生がこれまで皆さんに対してしてあげたように、皆さんも彼らのためにそのようにしなさいというのです。陰暦の八月末さえ無事に越えれば、共産党は絶対に出てくることはできません〇今回入教してから三年以上になった人で動員されない人は、絶対に教会に出てこれません。


夏季伝道激励のため全国巡回(一九六八・八・五〜八・一八)

 真のお父様は、夏季伝道で天のみ旨を広げるために血と汗を流している一線隊員たちを慰労、激励、鞭撻するため、八月五日、ジープでソウル本部を出発、八月十八日まで全国を巡回された。この巡回期間中、御子女様の文孝進様と崔元福氏、金榮輝氏が同行された。

 第一次七年路程では、伝道をしたとしても先生の路程を協助する意味で伝道したことになります。それで皆さんが伝道した信仰の息子、娘(霊の子女)は、先生の息子、娘(霊の子女)であるという条件になります。ゆえに皆さんが責任を負わなくてもいいのです。しかしながらこれから伝道する人々は、皆さんを中心として父子の関係となるので、第二次七年路程中において、四十日夏季伝道期間に因縁を結んだ子女をそのままにしておいたら大変なことになります。

 伝道した信仰の息子、娘(霊の子女)を第二次七年路程でよく指導し育てることができなければ、のちに彼らが讒訴してもどうすることもできないのです。特に祝福家庭はそうです。なぜならこれは、自分の氏族的な圏内で生んだ息子、娘を道端に捨てて孤児にしたのと同じだからです。この孤児たちが父母の胸ぐらをつかんで責任を追及するならば、弁明する余地がありません。

 ゆえに今回の伝道期間に伝道した人は、自分が抱いて育ててあげなければなりません。手紙を出したり物質的因縁をかけてでも、彼らが皆さんを父母のように侍ることができるようにならなければなりません。

 第二次七年路程は食口たちが行かなければならない路程です。どのようにすれば、草創期の志のまま歩ませることができるかということが問題でした。今回の地方の地域長の異動の意義もここにあります。今回先生が全国を巡回した結果は、総じて安心できるものでした。

 今年の八月さえ無事に越えていきなさいというのです。そうすれば、この八月を中心として一九七〇年代まで連結させることができるのです。その時に私たちはどうしなければならないのでしょうか。大韓民国の皆さんでは責任を果たせないので、日本人を立てて責任をもたせるようにするのです。そのようにして、日本に橋を架ける第二次作戦を展開することを先生は考えているのです。ですからすごいことなのです。皆さんはより多くの精誠を尽くさなければなりません。


冬季四十日伝道出発(一九六八・一二・二〇)

 十二月二十日から全国に総出動しなさい。先生はすべてのことを一人でしましたが、皆さんには温かく同情してくれる対象がいます。

 伝道をしなければなりません。伝道をしないであの世に行けば、夫婦同士がつかんで痛哭するようになります。それを考えれば、夜、まともに眠ることができないのです。

 私たちの教会には、特権階級というものはありません。十二月二十日には全員伝道に出ていく準備をしなさい。


七 協会修練会および主要行事

第二十目協会修練会(一九六八・四・五〜四・一八、前本部教会、六十七名)

 今年は第二次七年路程を出発する最初の年であり、また皆さんが受けた今回の修練会は、一九六八年になってから初めてのものであり、第一次七年路程が終わってから初めてもつ修練会であるだけに、大変意義が大きいものと思っています。

 今回の修練会では、以前とは違い、外部の講師をたくさん招請しました。それは、私たち統一教会が、対外活動である程度体面を立て、また彼らが認識できる平衡基準に立ったとみなすからです。

 韓国で著名だという人士たちを招請し、彼らの講義を聞くことにより、皆さん自身と比較し、批判し、観察し、打診して得られた結果が多いことと思います。

 また一つの利益は、その人たちに統一教会の活動を紹介したことです。統一教会の青年たちは、外的に見たら何ということもないと思っていたのに、その質問する内容を見たら「若いのにできているなあ」と思ったというのです。このようなことを考えた時、今回私たちはその人たちに良い資料を与えたと見るのです。

 ただし皆さんは、これまで聞いたことを教会に戻って話し、家庭に戻って話すことはできるかもしれませんが、統一教会を代表した者として、民族に向かって話せる皆さんにはまだなっていません。

 民族に向かって話せるようになろうとすれば、民族の要求する材料を備えなければなりません。その民族が乱世に処したり、あるいは非常時に処している時、そのような環境を克服していくことができる実質的な基準、すなわちその人々が公認できる生きた材料をもっていなければならないのです。そのような材料をもてない人が民族のために語ると言えば、その人は民族の前に非難を受けるようになるのです。

 それでは、まずどのような人にならなければならないのでしょうか。そのような材料をもとうとすれば、記憶される人にならなければなりません。各家庭の家族に記憶される人にならなければならないのです。皆さんの町の人々に記憶される人にならなければならないのです。

 そのようになれば、皆さんの生きている民族に記憶される人とならざるを得なくなるのです。このようになれば、統一教会の信徒たちに記憶される人になることでしょう。そうすれば先生の心に記憶され、神様にも記憶される人に自然となるのです。


第二十一回協会修練会
(一九六八・五・二二〜六・四、前本部教会、地域長・区域長級五十名)


 皆さんがこれから地方に戻れば、地域長は、地域を中心にしてこの戦いをしなければなりません。これまでは迫害を受けて追われる戦いの期間でしたが、今は反対する教会に対さなくてはならない時です。

 皆さんは七年路程において、部落なら部落、面なら面に責任をもって出ていき、精誠を尽くし、涙を流す心情をもってこれまで導いてきたため、その部落民全体が私たちの側に集まることができる基盤となったにもかかわらず、彼らが全部サタン側になってしまったので問題が大きいというのです。これを占領すべき責任が皆さん各自にあるということを、皆さんは知らなければなりません。

 それゆえ皆さんは、開拓精神が強い人とならなければなりません。そのような決意をした人が必要です。沈着な人は開拓精神がありません。義憤に燃える人、義憤で自分の命など惜しいとも思わず恨みを晴らすために決意する、そのような人に神様は役事してくださるのです。

 人に対するときも、どんな人に対しても、私の前を遮ることはできないという精神をもって押し通す時、そこにおいて勝利を得るようになるのです。このように勝利の一つの基盤を築くことが全体を主管できる特衛隊のすべき仕事です。まず先発隊員全員が戦って勝たなければなりません。


第四次全国成和学生総会(一九六八・一〇・二三〜一〇・二七、前本部教会、二百十名)

 成和学生会創立第十三周年を記念する第四次全国成和学生総会が、一九六八年十月二十三日から二十七日まで、男性百四十七名、女性六十三名、合計二百十名が参加する中、前本部教会で開催された。原理講義大会では金サンジュン(忠南地区)氏が、雄弁大会では学生の申鎬K(慶尚北道地区)氏がそれぞれ一位となった。また、十月二十六日に実施された体育大会は、奨忠壇公園で、サッカー、リレー、騎馬戦、地区旗争奪戦などの種目で行われた。

 青少年期は、人生において最も貴い時代です。目的を立てる決心をなせる時代がこの時代です。ゆえに青少年期は生涯の分岐点です。十八歳を前後して人生の計画を立てなければなりません。この時代は人生における交差路のような時代です。この交差路ではっきりと悟り、どのように行くかが重要です。一番重要なことは、少年期、壮年期、老年期を一貫して無事に行くことができるかということです。

 先生は第一次七年路程によって、蕩減の一つの路程を立てました。したがって今は、地上の一つの期間を越えて立つことができる時期に到達しました。成和の「成」は創造理想の完成を意味します。すなわち、宇宙全体の完成を意味するのです。本来、完成の基準を立てる時期は、人間始祖が堕落した年齢である十七、十八歳の時です。成和の二十代を中心としてすべてのことが成されることを願われる神様です。未来の完成の位置を占めることができる人は、青少年期の人です。

 第一次七年路程は、壮年と青少年のために歩んだ道です。第二次七年路程は、エデンの園のアダムとエバが行進したのと同じ路程です。ですから凛々しく進んでいかなければなりません。み旨を知らない学生や先生たちを哀れに思わなければなりません。そして、神様が、私一人を立てるためにどれほど御苦労されたかを考えなければなりません。

 原理は交通巡査であり、原理の目標は先生の生涯です。誠心誠意を尽くして目標に向かっていけば、表示燈が現れます。皆さんは各自、自分の置かれている環境で歴史的な出発をしなければなりません。そして真実の種を蒔いて培わなければなりません。

 そうして三十年なら三十年の間、変わらずにずっと行かなければなりません。そのように努力していく人が勝利します。そうしようとすれば、一片丹心、一意専心、一心統一しなければなりません。先生は一つのことにかかれば死にものぐるいでやり遂げるのです。

 皆さんは、環境に引っ張られるのでなく、環境を引っ張っていかなければなりません。出発したので最後まで力強く歩みなさい。実力は一つの面だけを照らしますが、精誠は中心であるためあらゆる面を照らすことができます。自らを最高の位置に立たせようとすれば、最低の位置に根を下ろすことができなければなりません。人生の交差路をすべて打破し、直行の道を走っていく皆さんの姿がどんなにすてきで幸福でしょうか。


地区別家庭総会全国巡回(一九六八・一〇・一七〜一〇・二五)

 真のお父様は、全国の祝福家庭を激励なさるため、十月十七日から二十五日まで地方巡回された。巡回日程は次のとおりである。十七日〜十九日江原地区(場所一言岳山)、二十日〜二十二日京畿・忠南・忠北地区(場所:俗難山)、二十二日〜二十四日全南・全北地区(場所∵内蔵山)、二十四日〜二十五日慶北・慶南地区(場所:海印寺)。

 祝福家庭は自分によってなったのではありません。神様から、そして先生を中心とした歴史性をもっているのです。自分たちが原因となって成されたのではなく、他意的に成されたのです。ここに神様の願われるものがあるのです。

 祝福はどれほど難しいことでしょうか。式は簡単ですが、背後の歴史においては途方もなく難しい内容があるのです。このような歴史の過程を経なくてはなりませんでした。彼が笑えば万宇宙が笑い得る基準が祝福の基準です。

 足りないところを改めてただし、神様の願われた夫婦の義理を成さなければなりません。家庭に対する認識が足りません。男性と女性は天と地を代表して生まれたのです。すべてのことを祝福を中心として誓うのです。この誓いの基準を破る人は、地上において存在の基台が容認されません。天国は家庭を中心として成し遂げられます。家庭の家族として守るべきプライドを忘れてはなりません。

 私たち統一教会が、世界の歴史に伝統として残さなければならないことがあるとすれば、それは、天宙の前に一致する家庭の基準です。統一教会が指向する伝統とは何でしょうか。その基準は家庭です。勝敗と動機の源泉となり得るものは家庭です。これをもって、これまでの既成家庭の愛も審判を受けるようになります。これが愛の審判です、大審判です。

 夫婦二人が、東方、西方になれば、四方を支配します。その半径が大きければ大きいほど及ぼす影響圏が大きいのです。女性は男性を、男性は女性を誇らなければなりません。

 家庭が成功すれば、歴史的な様々な峠の失敗がすべて失敗しなかったのと同じことになるのです。アダム、ノア、アブラハム、モーセ、すべて生き返ります。

 子供たちが「男性の中ではうちのお父さんが一番だ、女性の中ではうちのお母さんが一番だ」と、死ぬまでそのように認めることができる伝統を立てなければなりません。夜明け前の敬礼(聖日の敬礼式)のあとは、小さな何かをもってでも聖餐をしなさい。このような伝統のための生活的な起源を残さなければなりません。

 家庭は家庭でとどまるのではなく、氏族が必要です。先祖としての責任を完成しなければなりません。祝福を受けて公職にない人は脱線したものです。

 婦人は夫を出世させなければなりません。すなわち内助を上手にやらなければなりません。実体的、心情的、生活的に、み言の完成者となりなさい。み言を中心に神様の愛の花を咲かせたところが家庭です。

 神様が願う家庭、教会が願う家庭、皆さんが願う家庭、そのような家庭で精誠を尽くして生まれる子孫は、立派に生まれることでしょう。父母はひどく苦労しても、子孫は、天の運と先生の運に従って生まれることでしょう。

 家庭の権威を立てるためには個体の権威を立て、個体の権威を立てるためにはみ旨に対する権威意識を高めなければなりません。世話になってはいけません。倍の努力をしなさい。先生は、今の現実はこうでも、後日、先生が祝福した者の中の最後に残った一人が世界的な人材として栄光を受けることを望みにしていきます。


日本教会代表団訪韓(一九六八・一・二七、六・一四、九・五、一二・一八など)

 先生はこの民族にののしられ恨みを聞く中でも、反対を受け、追われてありとあらゆる侮辱を受ける中でも、この民族を放さずにつかんできました。

 今は、外国人たちがこの地に来て、師が生まれたここに立って涙し、自分の祖国よりも、故郷よりも、もっとこの国を恋しがるようにしてしまいました。これを思う時、大韓民国の未来が明けてくることを褒めたたえざるを得ません。それでは、皆さんがもつべき姿勢と権威は何でしょうか。それは、万国に誇り得る息子、娘の姿勢と権威です。

 故郷でそのまま暮らす人と、異郷暮らしをしながら故郷を懐かしがりつつ意欲をもって毎日毎日開拓的な生活をし、自己の目的のために闘志をもって戦っていく人とを比較した場合、十年なら十年を置いて比較する場合、それは自然と格段の差をもたらすようになるのです。それと同じように韓国と日本の統一教会の食口たちの間にも、そのような差があることを皆さんは知らなければならないというのです。

 そのような観点から見た時、遠からずして将来、皆さんがどんなに努力をしたとしても日本について行くことができないようになることでしょう。皆さんはあらゆる苦労しましたが、今後、皆さん自身は、三十六家庭だとか何家庭だとかいっても、みな彼らの前に世話にならなければならない運命を避けることができなくなるでしょう。それを皆さんははっきりと知らなければなりません。

 信仰的な面でもそうです。この人たち(日本人)が原理の勉強をするのを見れば、原理の本を暗記する人が本当に多いのです。今回、『新しい共産主義批判』を勉強をするのを見てもすごいのです。彼らが質問する事柄を見たら、著者が一番悩んだ急所をついてくるのです。これを見れば、まず実力でかなわないというのです。

 私が今願っている統一教会の信徒たちは、君たちが考えている統一教会の信徒とは違います。若い者たちの中に、外国の食口たち、日本の食口たちが来たので、自分たち自ら団結して彼らに負けてはならないというこのような義憤心に燃え、どのように動き、どこどこに出ていき活動しなければならないと、夜を明かしながら相談し、早朝から公的な行路を開拓していこうと身もだえする人がどのくらいいるのかというのです。


八 超教派運動の強化

全国的な教会一致運動

 現在私たちの二十一年路程は、ヤコブがハランの地を捨てて自分の故郷の地、カナンを訪ねてきた時と同じ時に置かれています。したがって、その時ヤコブが試練を経て、天の祝福の基盤を築いたのち、故郷を訪ねていってお兄さんを迎えたように、統一教会も、既成教会と再び相まみえなければならないのです。

 アベルがカインを屈服させて実体基台を立て、子女を復帰すると同時に、父母を復帰する条件を立てなければなりません。その条件を立てようとすれば、アベル一人ではできません。カインと一つになって立てなければならないのです。そのような面で、アベル的な教団である統一教会と、既成教団が一つにならなければなりません。このようにお互いが協助し、サタンを完全に屈服させることができる時が来ました。それで私たちは、カインとアベルが一つになる条件を立てるために超教派運動をしているのです。

 皆さん、この前、全国的な教会一致運動を中心として、一週間の祈祷会がありました。天主教(カトリック)が中心でしたが、それは誰がコーチしたのか知っていますか。先生がコーチして、この韓国の全教会が踊ったのです。今は天主教と私たちの教会とはより近いのです。そこのとても有名な神父が、今私たちの講義を聞いているのです。そしてソウル大学を中心として、今後青年たちの首根っこを結んで全部引っ張ってくる計画をしているというのです。

 それゆえに私は、統一教会の発展よりも超教派運動の発展にお金をもっと使います。


「新興宗教研究の集い」での原理宣布
(一九六八・九・九〜九・一〇、クリスチャン・アカデミー・ハウス)


 一九六八年九月九日から十日まで、ソウル牛耳洞所在の「クリスチャン アカデミー ハウス」で、既成キリスト教界の指導者、および学界の権威者たちが参加する中で統一原理宣布式が行われた。
 参加者は、主催者である「アカデミー」院長姜元龍博士、金在俊韓国神学大学名誉学長、洪顕■監理教(メソジスト)神学大学長、安炳茂中央神学大学長などの学界権威者四十名と、真のお父様をはじめとした劉孝元、金榮輝、李戴錫、金元弼など、十名の統一教会側人士、そして十余名の記者等、合わせて七十余名が参加した。
 集いでは、姜元龍博士が主催者側あいさつをし、互いを紹介する時間をもったのち、真のお父様のみ言があり、続いて劉孝元協会長が統一原理を宣布する時間をもった。


 先生は、イエス様を中心としたあらゆる教派、すなわち分裂したすべてのキリスト教を、ただお一人で結合しようとされる神様のみ旨を成そうとしましたが、彼らは受け入れませんでした。しかし先生はそれを気にかけることなく、彼らに比肩できる新しい教派圏をつくってきたのです。そうして神様の摂理を受け入れて遂行することができる基盤をつくったのが韓国での統一教会、すなわち統一教団なのです。

 一九六八年九月、クリスチャン・アカデミー・ハウスで、既成教会と正式に対話するようになりました。その時に、既成教会の博士など、統一教会の先生に対して反対していた指導者たち、約四十名が参加しました。みな立派な人たちが集まった所へ堂々と入っていく時の気分は悪くありませんでした。

 その人たちが見れば、ふっ、と吹けば飛ぶような、取るに足らないもののように思われる姿だったのですが、時が変わり、時代が過ぎてみれば、自分たちが考えていたそのような男ではなかったというのです。今や、彼らに対し、同情の思いをもって現れる立場になってしまいました。結局その人々が先生を迎え、統一教会の真理を推挙できるようになったことは、要するに頭を下げるのと同じ段階に来ているということを証明している結果を意味しているのです。

 そうして私たちは、韓国で非常な関心を呼び起こしてきたのです。彼らは「統一教会が一番恐ろしい。文先生はスターリンの上を行く人である。キリスト教でも手がつけられない。理論的にも全く歯が立たない。だから相手になるな」と言いながら、これまで烏合の衆のようにわあわあと騒いできました。

 統一教会はそのような迫害の中にあっても、復帰の道を開拓してきました。天下のすべてのものが立ち上がって反対したとしても、先生は海のような包容力をもって、そのすべてのものを迎え入れるつもりです。私が死んだとしても神様のみ旨を遂行することができる圏を既につくったのです。














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