真の御父母様の生涯路程 5
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第二次七年路程

第二節 一九六九年 全面的な進撃をしよう(二)

一 一九六九年の出発と摂理的意義

年頭標語:全面的な進撃をしよう(二)(一九六九・一・一、前本部教会)

 一九六八年は、第二次七年路程の出発と同時に、「全面的な進撃をしよう」という標語を立てて押し進めてきた年でした。全面的な進撃とは、ある個人を中心として願うものではなく、全体を中心として全面的な進撃をもって世界を’動かしていかなければならないということです。私たちの教会がそうであるように、韓国もそのような時があるはずです。韓国がそうであるように、アジアもそのような立場で出ていかなければならず、世界もそのような立場で出ていかなければなりません。ところが、世界もアジアも我が国もすべて、はっきりした目的がないというのです。そして目的なく流れていく時代の思潮に従って苦難を通過しなければ、新しい問題を中心として、全体的な動向に合わせることができないというのです。

 けれども統一教会では、「天的な目的を中心として全面的な進撃」という標語のもとで歩んできました。ところでこの全面的な進撃という標語は、全面的な勝利が成就できなければ、標語だけが残るようになってしまいます。すなわち、私たちは全面的な進撃という標語を中心として出発しましたがいその目的を達成するまではまだまだ多くの過程が残されていますから、少なくとも大韓民国なら大韓民国を中心として、国家的に統一教会を全面的に認め得る基準にまでしなければなりません。

 その時までは、私たちはこのような作戦体制を続けていかなければならないため、今年もやはり、「全面的な進撃」を標語にするようになったのです。それゆえ一九六九年度までは全面的な進撃という標語を中心として、体制と活動を強化しながら活動することを皆さんの前に明らかにします。


信仰伝統の確立と活動体制

 全面的な進撃をなすべき立場から私たちの構成要素を一つ一つ調べてみれば、第一に私たちの教会があり、第二に家庭があります。そしてその次に、教会を中心として外的な活動体制を備えた勝共連合と原理研究会があり、事業分野があります。このように五つの活動分野があります。このような体制で動いています。これらのものを全面的な進撃という側面から総進軍させなければならないということは、繰り返して言うまでもありません。これらのものを立体的な面で全面的に進撃させることが、神様の緊迫した要求です。

 統一教会が原理に立脚して歩んでいく蕩減復帰の路程は、公式的な路程と同じです。それゆえ、いかなる宗教団体よりも強固な思想基準を備えた基盤の上に、教会の数を増やしていかなければならないのです。ここにおいて何よりも先行されるべきことは、信仰的な伝統を立てることです。教会を中心とした伝統を立てなければなりません。そうしてこの伝統を中心として数を確保しなければならないのであって、伝統なく数を確保しても烏合の衆にしかならないのです。

 それでは、伝統に立脚した数を確保するためにはどうしなければならないのでしょうか。第一に、教会を中心として伝統を整備しなければ.なりません。第一次七年路程で先生が強調したことは伝統を立てることでした。皆さんは、み言に対する伝統を立てなければなりません。韓国の統一信徒も、日本の統一信徒も、米国の統一信徒もみな、み言を体得することにおいて統一された伝統を立てなければなりません。すなわち、原理に立脚した思考方式と生活態度をもって、み言を中心として一体となった伝統を立てなければなりません。

 第二に、み言と一体となり得る人格を備えなければなりません。すなわち、み言はみ言なりに、皆さんは皆さんなりにと、決裂してはならないというのです。終わりの日の審判には三大審判があります。その第一はみ言の審判、二番目は人格審判、三番目は心情審判です。これが絶対的な基準になっています。

 ですから皆さんは、み言を中心に一体化した伝統、心情を中心に一体化した伝統を立てなければなりません。そのためには神様の代身者として、神様の心情を身代わりした父母の心情をもって僕の体で人類を愛そうという心情をもたなければなりません。そしてサタンと対決して、サタンから「はい、そのとおりです」というサインをもらわなければならないのです。すなわち、サタンから「お前は勝利した」という確認書をもらわなければならないのでも。

 個性完成した神様の息子、娘として、全面的な進撃をしなければなりません。全面的な進撃をして、平和の福地の園をつくらなければなりません。平和の福地の園を建設するためには、男性と女性が理想相対を中心として、幸福の基台である神様の祝福家庭を成さなければなりません。それゆえ全面的な進撃をしようというその目的は、家庭を中心として、神様が喜ぶことのできる平和と安息の基台を準備しようというところにあります。

 大学街の活動は後代に責任を負うことであり、勝共活動は現代に責任を負うためのものです。そして宗教は永遠に責任を負うものです。したがって私たちは、すべての方面において、ただひたすら進撃だけをしなければなりません。そして教会内においては、家庭的な伝統と、宗教的な伝統と、経済的な伝統を立てて、確固たる基盤を築かなければなりません。一九七〇年度までは総進軍しなければなりません。

 皆さんは総動員されて七〇年度のアジアの危機に備え、天的な使命を完遂しなければなりません。これが急を要する問題だということを悟り、皆さんは、万全の準備をすることに精誠を尽くさなければ神様の前に面目を立てることができません。新しい歴史を創建するところにおいて、皆さんが主役を担っているということを悟り、新しい覚悟と決心をしなければなりません。


二 仙和子供舞踊団日本公演(一九六九・一・四〜二・三、四カ国巡回公演の中で)

 一九六九年一月四日、日本の羽田空港に降り立った仙和子供舞踊団は、六日、NETテレビに出演、「扇の舞い」と「僧舞い」を公演し、七日に仙台、十四日に京都、十六、十七、二十五日は大阪、二十六、二十八、二十九、三十日は東京、二月一、二、三日は名古屋で、大盛況を呈する中で公演を終え、二月四日に帰国した。特に岸前首相と、厳ミニョン駐日韓国大使の共同招請による一月二十六日の飯野ホールでの名士千二百名招請特別公演は、過去見られなかった歓呼と激賛を巻き起こした。


公演準備と活動指導

 仙和子供舞踊団の日本公演は大きな冒険でした。私が組織をつくって一つ一つ指示しました。それは当事者である朴普煕も知りませんでした。二ヵ月以内で全国的な大会をするために(計画を)押し進めていったのです。「私が言うとおりにさえすれば人々が統一教会に押し寄せ、全国的に大盛況を呈するはずだ。先生にはそのような作戦がある」と言ったら、日本の責任者たちも信じませんでした。

 何度か会って、「あなた方は先生のことを信じなさい。滅びるなら私が滅び、死ぬなら先生一人が死ぬ」と言って、口説き落としていったのです。何であろうと、皆さんの主観のままにすれば全部失敗し、先生がしなさいと言うとおりにすれば全部できるのです。

 それで入場券を準備するのに、三分の二をA券とし、B券は残りの三分の一の中の三分の二で作り、残りのC券は新聞で販売しました。このように入場券を作っておいたところ、最終的にはチケットがなくなってしまい、新聞を買いに回るのに大騒ぎでした。ところで初めは、四万五千枚の入場券を売らなければならないのに、公演の一週間前までで四千枚しか売れなかったのです。公演の一週間前までで、十分の一も売れていませんでした。

 先生が特別に指示をして笹川氏を会長に立て、岸前首相を名誉会長に立てるようにしました。そうして国家的に一度旋風を巻き起こそうと、そのような計画を全部組んだのです。

 ところで日本の会長である久保木が来て先生に、「リトル・エンジェルス公演を日本で最小限に減らしましょう」と言うのでした。それで先生は、「久保木会長! 相撲も試合をしてみて、初めて勝敗が決定するんだろ。試合もしないで、負けたといって退くのは人間ができていないからだ!」と、話が出る前に、はなっから押さえ込んでしまったのです。

 すると心配でたまらなかったのか、あの太っている人がげっそりして、とても心配するのです。それで、また来て言うには、「それでは入場料はどれくらいにしたら良いでしょうか」と言うのです。先生の考えでは、もし満員にならなかった場合は、「入場券が安ければ観客で満員になったはずだ。入場券が高いから大勢は来られなかったのだ」と言えば恥をかくことがないという考えだったのです。

 このような考えから、入場料は少なくとも千五百円以上にしようと決めたのです。それで「入場料はいくらにしたらよろしいでしょうか」と、尋ねてきた日本の会長に「特別席は千五百円、その次は千二百円、その次に千円にしなさい、このような時はとりあえず心理作戦を使わなければいけない」と言ったところ、呆然としてどうしたらいいか分からない様子でした。

 先生の命令ですからそうしないわけにいきますか。「費用はいくらかかるか」と聞いたところ、「三千万円かかります」と言うのです。それで先生は「八百万円以上使ってはならない」と言いました。そうして「どんなことをしても切符を売りなさい」と言いました。そのようにして入場券を全部売ったのです。

 三回の公演で入場券が一万枚とすれば、一万枚を全部売るのです。全部売ってしまえば、公演会場が超満員にならざるを得ないというのです。切符は全部売れてしまったのに、普通の公演のように、「公演会場に行けば、切符は買えるだろう」と考えながら来た人々は入場券を買えなくて、大騒ぎになって超満員になるのです。結局は会場前で入場券を買うための戦争が起こるようにするのです。こういうふうにしてこそ、公演の株価が上がるようになるというのです。そのようにしたのが全部当たったというのです。


超満員になった巡回公演(仙台−京都−大阪−東京−名古屋)

 日本の東北地方の仙台に行っても公演をしたのですが、それこそ超満員になりました。ところで一番の問題は、大阪と京都での公演をどうやって超満員にするかということでした。それで先生は、小さい都市から公演を始め、そこで超満員にするようにしてから大きい都市で公演をするように指示しました。

 このようにしておいたところ、全国の著名な人士たちが小踊りしながら私たちの公演に協助してくれるので、問題がこれで大きくなったのです。そのようにして公演会場前に「韓国の文化公報都後援」というプラカードも取り付け、公演を始めました。これがもし歓迎を受けられない場合には、完全に埋没してしまうのです。それで一巻の終わりです。そうなれば、私たちと関係を結んだ人々を全部失ってしまうのです。私たちと関係をもって後援した人々は、公演が成功すれば、胸を張って自分がうまくやったのだと宣伝するようになっています。

 そうなれば、今後何をしようが、私たちがその人々を招待すれば、私たちの計画に歩調を合わせざるを得ないというのです。私たちの計画に歩調を合わせることが好きにならざるを得ないというのです。そうして、行く先々すべてで、公演を見た人々の称賛が広まったというのです。このようになったので、今や私たちが願うとおりの追い風が吹くようになったのです。こうして、韓国の仙和子供舞踊団を中心として日本の財界、政界等で役職に就いている人々に旋風を巻き起こしたので、これが問題になったのです。


三 真の御父母様の第二次世界巡回
 (一九六九・二・二〜五・二、二十一カ国、崔元福、劉孝元、久保木随行)

 真の御父母様の第二次世界巡回が一九六九年二月二日から五月二日までの三ヵ月間、劉孝元協会長、崔元福先生、久保木会長等が随行して行われた。真の御父母様と随行員たちは、日本、米国、ヨーロッパ、東南アジア等、合計二十一カ国を巡回した。


巡回出発前の指示事項

 一九六九年度は、失われた世界を取り戻すために、アジアにおいて、民族の運命から国家の運命、すなわち最高の峠を越えなければならないとても重要な時期です。アジアにおいて、より一層最高の峠を越えなければならない時です。先生は、今、韓国を出発したらこのような覚悟をもって、約百日間の世界巡回をしようと思っています。

 今回先生が外国に行くのは、世界的な勝共連合の看板を付けようということです。それから、原理研究会を世界的に組織し、国際大会をたくさん開催しなければならないというのです。韓国だけでなく、日本や米国など、様々な国で開催しようと思っています。

 先生が帰ってくる時まで歌う歌を、一つ聞かせてあげてから行きます。歌は「統一の歌」です。先生がいない間、各自難しいことがあっても、この歌を中心として耐えていってくれるよう願います。これは民族が願うものです。

 それから、統一教会の全食口は聖地祈祷をしなければなりません。先生が帰ってくる時まで、雨の降る日には本部教会で、雨の降らない日には聖地で祈祷するようにお願いします。祈祷内容は統一に対する内容を中心として祈祷してください。

 「統一の歌」を一生懸命に歌い、その心が民族感情、あるいは人類と神様の復帰摂理に統一的な感情をもつようにし、万民が見習うことができるよう、聖地を中心として精誠を尽くして祈祷しなさい。また、「先生が戻ってこられる時には、数多くの民族に統一の起源を分けてあげられ、責任を果たして戻ってこられるように」と、祈祷しなければなりません。この二つの問題を中心として、統一教会の皆さんは全体が一体化して、二月から総進軍しなければなりません。先生がさらに指示するのは、全面的進撃に備えて全体的に修練会を実施して伝道を強化しなさいということです。

 七十名から百二十名の人員で、一週間ずつ修練を受けなければなりません。修練を受けながら、み言を中心として昔自分がみ旨の道を出発した時に、み旨を恋しがりながら先生に従った、切実だった思いをよみがえらせなければなりません。そうせずしては、天国の門を開くことができません。切ない心情をもって「会わなくては生きられない、『ため』に生きなくては生きられない」とならなくてはなりません。「食口たちに会いたい、食口たちがいる所に行って住みたい」とならなければなりません。そのような心情を再度もたなければ、天の国に行ける鍵を失うようになります。

 以前より話してきた内容ですが、これからは全国的に復興活動に入っていくことでしょう。今後、各地区の地区長を通じて、皆さんに通知があるでしょうが、今回の復興活動を通じて新たに伝道される人々を中心として、七月二十日には少なくとも三千名以上動員させる計画です。

 ですから勝共に対する訓練と武装をしなければなりません。今回の修練会では、このような問題を中心として反共講義もしなければなりません。これからは反共活動を強化しなければなりません。全員が反共闘士にならなければなりません。


十力国四十三家庭祝福結婚式(二・二八、米国ワシントンD・C、十三双/
三・二八、ドイツ・エッセン、八双/五・一、日本・東京、二十二双)


 真の御父母様は、第二次世界巡回路程の期間中に米国、ドイツ、日本など三箇所で四十三組を祝福してくださった。祝福式は、一九六九年二月二十八日、米国のワシントンD・C統一教会で十三組(新婚七組、既成六組)、三月二十八日、ドイツのエッセンで八組(新婚七組、既成一組)、五月一日、日本の東京で二十二組(新婚十二組、既成十組)の合同結婚式が行われ、合わせて四十三組の祝福が成された。

 世界巡回路程中、先生は米国と日本とドイツで多くの人を祝福してあげました。先生は、第二次七年路程でなぜ世界を巡回しながら祝福をしたのでしょうか。それは、イエス様が第二アダムとして来られながら世界的な使命を果たせなかったことを蕩減するためでした。それで、世界を代表して四十三家庭を立てました。これはイエス様の時までの四千年の基準と同じ立場として、四十数を合わせたものであり、二十一カ国を巡回することによって、二十一致を合わせたのです。

 この四十三数、三数に四数を足すと七数になります。また、三数掛ける四数で十二数になります。すなわち百二十数です。世界国家を代表し、十二の国を代表したこの十二数は十数と対等であるため、一九六九年に四百三十組に相対する四十三組を祝福してあげたのです。四百三十組に相対する四十三数を、十カ国を通じて相対を結んであげたのです。それにより環境が築かれ、世界と相対的関係をもつことができるようになったのです。これが二次巡回路程に先生がしたことです。

 今回の祝福は全部国際結婚でしました。米国人はドイツ人と、オランダ人は英国人と、すべてこのように国際結婚をさせたのであり、自分の国の人同士では結婚させませんでした。世界を復帰するためには民族感情や愛を超越し、世界的な感情をもたなければなりません。それで全部国際結婚させたのです。それでもみな「うれしい」と言うので、それを見る先生の気持ちも良かったのです。

 米国には今サンバ・クラスがあります。これは、米国で、我が教会を開拓した表彰するに値する女性たちの集まりです。彼女たちの年齢がどれくらいになったかというと、今、みな四十二、四十三です。結婚をしていればみな息子、娘もいるであろう人々です。この人たちを祝福してあげなければならないのですが、相対をどこから求めるのかということが、先生がここを出発する時からの大きな問題でした。

 それで、先生がそこに行ってその問題をずーっと説明したところ、よく理解するのです。それを見れば、確かに西洋の人々はそのような観念を超越しているのです。四十二歳の女性と言えばおばさんと同じですが、この(未婚の)女性に対して、三十三歳の(未婚の)男性が「結婚します」と言うのです。彼らの観点は、年齢一つだけを見るのではありません。彼らは名誉を非常に尊重します。その人がどれくらいの功績と実績をもっているのかが、その人の人格を代表するのです。そのような観念が東洋人とは異なります。

 また、オランダを開拓した人の中にテディラという人がいますが、彼は米国でかなり有名な技術学校を出た旋盤枝術者です。彼は、先生に会ってからオランダに伝道に出向き、オランダ教会を開拓し、オランダにおける初代の先祖になりました。彼の話を聞いてみると、言い知れない苦労が多かったことを知ることができます。

 食べて暮らすことで忙しいにもかかわらず、それを割いて通帳に預金し、そのお金で原理を翻訳、出版しました。そしてその本に血書を書いて先生に贈呈しました。それを見る時、先生は感じるところが非常に大きかったのです。

 「あなたは誰と祝福を受けたいの?」と聞くと、「自分が米国にいる時、本当にみ旨に忠誠を尽くしながら従ってきた人を知っている」と言うのです。「それは誰だ」と言うと、「ポーリンという女性です」と言うのです。その女性は三十三歳で入教し、八年になる食口なのですが、ドリスという食口と三位基台を成している人でした。

 「もちろんオランダ教会にもかわいくて自分のためにとても苦労した娘たちがたくさんいるのですが、それが問題ではない」と言うのです。「オランダにおいて、どうしても統一家の伝統を残すためには、オランダを愛し、影となって内外のすべての嫌なことをみな抱いて踊ることができる母のような人が必要だ」と言うのです。

 また、初めてヨーロッパに行き、合同結婚式をしてあげた時のことです。ドイツ人の女性、(彼女は)ポール・ワーナーの妹ですが、この女性は見るからに男よりも強そうなのです。そしてまた、イギリス人の男性、こちらは慎ましやかな女性のようなのです! この二人を合わせておくと、その息子、娘は立派なのが出てきそうなのです。

 よくよく見ても、その二人が合わさったならば良い、何かが生まれてきそうだったので、(二人を)結んであげたのです。そうして「お前たち、(仲良く)楽しく暮らしなさい。間違いなく良い息子、娘を生むよ」と言ったのですが、果たしてその次に私がイギリスに行った時、彼女が赤ん坊を連れていたので、「来なさい」と言って、(その赤ん坊を)見たところ、どんなに器量が良いことか、私が盗んで奪ってきたいくらいに器量が良かったのです。


日本の情勢と巡回時の措置事項(一九六九・二・二〜二・五、四・一八〜五・二)

 皆さんも新聞を見て知っているでしょうが、日本では天皇の誕生日とメーデーのような日は、市街戦が繰り広げられます。一九六五年に先生が日本に立ち寄った時、日本の高位層にある、ある人士に会って話したことがあります。その時先生は、「あなた方が現在のような微々たる態度を取っていたら、絶対に共産党(の攻勢)に耐えられない」と強力に主張しました。

 ところで、既に共産党では一九七〇年度を期して、大学街を中心に革命を起こそうと準備していました。彼らは、今の大学生を先頭に立たせ、大学だけでなく一般社会にまで混乱を起こしています。このような事実は、彼らが単純に大学術の混乱だけで終わらせようとしているのではないということを物語ってくれています。

 大阪、名古屋、京都のような所は、共産党が勢力をつかんでいる所です。我が原理研究会の学生たちが、そこで命を懸けて決死的な活動をした結果、日本のすべての経済人たちは共産党と戦わなければ駄目だということを自覚するようになりました。それで彼ら自ら、原理研究会の背後で挙国的に後援会を組織しているというのです。

 今、日本の大学街で起こっている共産党の組織活動と、原理研究会の活動には天と地ほどの差があります。正に神様の役事とサタンの役事が起きているのです。ゆえに私たちは、犠牲を覚悟して彼らに対抗しなければなりません。

 このような事実を見た時、あまりにも緊迫した現時点であるということを私たちは知らなければなりません。万一日本が共産化された日には、韓国がいくら反共の王国だと声を張り上げても、袋のねずみにすぎないという事実を知らなければなりません。

 このような時点に置かれているため、日本の食口は命を懸けて戦わなければならないのです。今回も先生は、今の日本の有名な右翼主義者である笹川先生と会い、どんなことをしてでも民団を抱き込んで左翼勢力を除去させようと、話をしてきました。摂理的な面から見ても、一九六八年から三年間は重要な時です。ですから、どんな冒険をしてでも韓国はもちろん、日本でも極右団体を組織し、挙国的に総決起できる契機を準備しなければなりません。

 六、七万近くの壮健な青年たちが精鋭部隊を組織し、今、日本共産党とぶつかり合う準備をしています。それで今回先生の趣旨で、「東京をこれこれこのように処理しなさい」と指示してきました。今後ここに反対する共産党のフラクションをどうやって粉砕すべきかという問題を、日本の著名人士たちと意見を交換し、それに対する計画を組んで戻ってきました。


世界情勢の変化とみ旨の進路

 今の時代は相当に緊迫している時代です。世界を巡回しながら先生が感じたことは、全世界が私たちのみ旨を緊急に要求しているという事実です。一九六五年と、四年後の今年とでは、天と地ほどの差があります。世界では、想像できないくらい多くの変化が起こりました。米国やヨーロッパなど、世界のどこに行っても、もはや私たちのみ旨でなければ世界は収拾することができないということを目前の事実として感じることができました。時がたてばたつほど私たちのみ旨は大きくなり、世界はだんだん死亡圏内に陥っていくようになるはずです。

 一九六五年に先生が米国に行った時、米国人の社会生活を見ながら感じたこととは何かというと、「米国は民主主義の先導国家として、常に、自分の国でなくては世界は収拾できない」という、そのような自負心でした。しかし今回行ってみて感じたことは、米国自体の力をもってしては、米国自体はもちろんのこと、民主世界全体の問題も収拾することはできないというふうに全国民が認識しているということでした。

 「米国が、太平洋の中にあるからといってベトナムから手を引いて大丈夫だとでも思うのか。共産党は米国の中にもいる。もしベトナムから手を引いたとしても、ブラジルやメキシコのような国がすぐそばにあるではないか。私が一六五年に南米一帯をずーっと調査してみた結果、どこも反米思想をもっていた。ここにはキューバがあって、隣接国家の中で一カ国でも(キューバに)加担する日には、例えばメキシコなどの国でそのようにぱっと火がついてしまったら、ベトナム戦争のようなことが米国のすぐ鼻の下で起こるのだということが分からないのか。十年以内に、共産党がそのような策略をもって米国の地に火をつけることを考えないのか」というような話をしたのです。それは間違いなくそうなっているのです。

 ゆえに米国が対共作戦において後退するということはあり得ないことなのです。それで私は、これに備えて米国における戦線網を張るため、全力を尽くして活動するよう強調してきたのです。

 もちろん私たちは、世界的な宣教事業を早くしなければなりません。まず米国を中心とした宣教を早くしなければなりません。世界をずーっと見回してみれば、何だかんだ言っても、今は米国が世界の中心にならざるを得ないということが分かります。経済的な面で見ても、政治的な面で見ても、軍事的な面で見ても、あらゆる面において米国が中心になっています。もちろんヨーロッパが西欧文明において開拓的な使命をなしましたが、今は先導的な役割は米国に譲歩しています。イギリスに行き、若い人たちをつかまえて聞いてみても、米国を相当に憧憬しているということを知ることができます。

 今は英語が世界の共通語になっていますが、今後見ていなさい。先生が生きている間に伝統を立ててしまえば、将来の世界語は間違いなく韓国語になるはずです。先生は今回ドイツで、十一カ国の宣教師を集めて会議をしました。少なくとも来年四月までには、聖地として選んでおいた四十カ国に、全部宣教師を派遣する計画です。そして三年後には、百二十カ国にまで宣教師を派遣するつもりです。


イスラエル巡回(一九六九・四・一四〜四・一六)

 今回巡回しながらエルサレムに立ち寄った際、先生はオリブ山に登り、三千年になるオリーブの木が立っているのを見ました。二千年前にイエス様がペテロ、ヨハネ、ヤコブの三弟子を率いてゲッセマネの丘に登り、三度の祈祷を捧げる時、ペテロ、ヨハネ、ヤコブの三弟子は多分その木の下で眠ったのかもしれません。その場所は、イエス様に咎めを受けた場所であり、その弟子ユダが来てイエス様を売り渡した所であるだけに、とんでもない場所だというのです。ところが、その場所に来る人、ことごとくが、「我が主は死ぬためにここに来られ、私のために死んでいかれた。よく死んでいかれた」というように考えるというのです。本当に息の詰まるような話です。

 また先生は、ガリラヤの海にも行ってみましたが、今もひどい所です。ペテロが住んだという家もひどく粗末な洞穴でした。このように全くさえないペテロを一番弟子に選んで、この世界に福音の役事を起こそうとしたのです。ですからヨセフ家庭が責任を果たせなかったことにより四千年間準備してきた基盤がすべて失われ、再度出発されなければならなかったイエス様の事情がどんなに悔しかったことでしょうか。皆さんはその事実を知らなければなりません。

 皆さん、考えてみてください。イエス様がユダヤの地、ベツレヘムの馬小屋で生まれたことをキリスト教徒たちはひたすら良いことであると思っているのです。実際は悔しく恨めしいことだというのです。神様が四千年間準備し、イスラエル民族に送ってあげようと約束したメシヤが馬小屋で生まれるとは、それはどんなに悲惨な事実ですか。先生が行って見たら、その馬の飼葉おけは石で掘ったくぼみです、くぼみ! あきれて物も言えないというのです。


疲労と戦った強行軍の日程

 世界の至る所を回るたびごとに、外国の人々が先生をつかんで涙を流すのを見る時、喜ばしい反面、悲しい心情になったりもしました。数多くの人々の中で、彼らが私を恋しがり、私が去ってしまうといって涙を流すその因縁はどこから出てきたのでしょうか。六千年前から出てきたというのです。

 このような人々に対する時、私は責任者として一つ見失わないことがあります。それは彼らに負債を負って行くか、負債を負わせて行くかということです。私は絶対に負債を負いません。皆さんが夜を明かしながら精誠を尽くしたならば、私も夜を明かすというのです。ゆえに、眠気が来て疲れていてもそれが問題ではありません。

 今回の世界巡回期間は、先生においては本当に大きな戦いの期間でした。疲れるといったらそれ以上の疲れはありません。彼らは数年の間、先生が来るのを心の中で待ち焦がれていた中で初めて出会ったため、時間の制限を受けないのです。夜十二時になろうが一時になろうが「先生がもうちょっといてくれたら」と願う彼らの心を先生は知っているため、それを無視して「疲れている」と言って思いどおりに休むことはできないのです。

 米国からヨーロッパ、ドイツ、日本まで戻ってくるときは、それこそ精神力があったため支えられたのであって、そうでなかったら倒れていたことでしょう。本当に無理をしました。ですから彼らは先生をとても疲れさせてくれました。それで彼らに反省できる基準を立て、刺激を与えるために先生が残してきたみ言は「韓国のために祈祷しなさい」ということです。


四 顯進様誕生の意義

顯進様誕生の意義(一九六九・五・二五〔陰暦四・一〇〕、二〇:三三)

 イエス様は個人復帰のための使命をしたのですが、統一教会の文先生は家庭復帰をして世界的基盤を築いてきたのです。イエス様は三弟子を取り戻すことができませんでしたが、先生は三弟子と同じである三つの国家に、三家庭を立てました。ですから滅びないというのです。

 将来、統一教会の時代が来るはずです。先生には二人の息子(孝進様、興進様)がいますが、あと一人さえ生めば、祝福を受けられる時が来るというのです。それで先生は急いで韓国に帰ってきたのです。このような、皆さんが夢にも考えられないようなことを先生はしてきているのです。

 これまでは、長子個人から長子家庭、長子国家、長子世界をサタンがすべてもっていったので、これを奪還しなければなりません。そうしようとすれば、個人的な長子奪還は何をもってするのですか。お金でもってですか。違います。心情をもって奪還しなければなりません。サタン世界の心情よりももっと大きな心情でなくては奪還できません。皆さんはそれを知らなければなりません。統一教会の原理が偉大だというのは正にこのためです。

 ヨセフのような役割をしましょう。サタン世界と連結させたのがヨセフだったように、大韓民国で憎まれていた私たちが進み出て、北韓と韓国を連結し、一つにするようにしなければなりません。七年間で六人の子供(譽進様、孝進様、仁進様、興進様、恩進様、顯進様)を生みました。顯進が今回誕生したのは大韓民国の大きな勝利です。アダム家庭の八人家族の完成型になりました。それで急いで帰国したのです。旅行中に赤ん坊を生めば、福がそこに落ちるのです。


家庭を中心とした活動時代

 先生の家庭を中心として精誠を込めなければなりません。祝福家庭が四位基台を成し、先生の家庭と一つにならなければなりません。今年、四カ国の十個の民族を中心に祝福家庭を立てたので、韓国のために祝福できる時となったのです。

 今は先生を中心として相続を受けなければなりません。父母が築いた条件の相続は父子の因縁をもって受けられるのです。しかし、それは家庭を中心としてのみ受けられるのです。

 中心国家を三カ国だけ復帰して、国家的四位基台を立てればよいのです。今回、三つの国の人を中心に四十三家庭を祝福したことが正にそれなのです。家庭自体を中心としてはなりません。その家庭が体と心を合わせて先生の家庭と一体になったという基準を立てていかなければなりません。

 今は、家庭を中心とした攻撃戦をしなければなりません。特に祝福家庭は全部、攻撃戦に加担しなければなりません。家庭的に一つになって楽しく暮らし、その氏族に影響を及ぼすようにして氏族的なメシヤになりなさいというのです。

 この活動は家庭を中心としてしなければなりません。家庭教育をし、家庭を中心として集会もして活動もするのです。そのようにすれば、神様が先生にこの道を出発する時にしてくださったように、皆さんにも新しい役事をしてくださるのです。一片丹心で、神様の目的を中心として一致した心、一つの心のみもてば、神様は間違いなく役事してくださるというのです。これは、皆さんが実際に体験するようになるはずです。


五 百二十日特別祈祷と全国地区分割

摂理機関の活動方向

 今年の五月、六月、七月、八月、九月、この期間は国家的に見る時、相当に危機であると見ています。北韓では緑陰期(夏場)となるこの期間、スパイをたくさん南へ派遣して国内を混乱させようとするはずです。それで不祥事がたくさん起こるだろうと見ているので、今回の期間を中心として私たちは全国的に反共活動に総力を注がなければなりません。

 これまで私たちは一生懸命反共活動をしてきましたが、私たちの反共活動の目的を達成し、これまで活動してきたことを結実させるための大々的な活動を九月まで実施しなければならないと計画しています。その次に、十月、十一月、十二月、この三ヵ月間は原理研究会の結実期として計画しています。

 今や、私たち統一教会が提唱するこの勝共思想は、世界舞台に登場できる段階に入っていくことができる基盤が築かれました。これをうまくやりさえすれば、アジアの問題から世界の問題にまで連結させることは、さほど難しいことではないと先生は考えているのです。それでこの勝共連合の活動をこれまでしてきました。

 その次に超教派運動ですが、この運動を、一九六六年からしてきました。これからは超教派運動を本格的に展開しなければなりません。私たちの教会のための活動よりも、すべての宗教を中心として今後宗教統一運動をするためには、私たちがこのような進歩的な観点から超教派運動をしなければなりません。

 ここには物質的な問題だとか、内外において様々な複雑な問題がありました。それでも、約二年間、よく引っ張ってきています。そうすることで、韓国宗教界に正に超教派の雰囲気を造成しました。それで既成教団の前に、これがとても大きな脅威的な活動として浮び上がるほど、これまで活動してきたのです。

 このような問題を置いて見る時、宗教を代表しては超教派を通して運動をし、また思想を代表しては勝共連合を通して活動をし、学界を代表しては原理研究会を通して活動してきたのです。既にこれらの団体はすべて、名実共に社会に公認され得る段階にまで上がってきています。

 教会復興活動だとか、勝共活動だとかいう、それらの影響を全部どこに結び付けなければならないかというと、原理研究会に結び付けなければなりません。それで十月から十二月まで大学原理研究会を結束することができる方向で動こうと思っています。


世界食口百二十日特別祈祷(一九六九・六・一〜九・三〇)

 今年は第二次七年路程の第二次年度です。第二次年度は二番目の息子に該当するので、私たちは一生懸命しようというのです。第二次年度は前半期の三年期間を越えていかなければならない峠であるため、今年が重要だというのです。

 今年の六月から十四ヵ月ないし十六ヵ月間が大韓民国において最も大きな危機です。大韓民国が危機だというのは、共産党が侵略できる準備をし、いつでもボタンさえ押せば攻め込んでくることができるということです。

 ですから私たちがこの期間に神様を迎える準備をして精誠を尽くし、サタンよりも神様をもっと愛するという立場に立ち、歴史的な恨をみな忘れて、共産党までも愛することができる心を施し、彼らが神様の前に屈服できる起源をつくらなければならないというのです。そのような責任が私たちにはあるのです。

 そのために今月から出発していくのです。それで外的には反共運動をし、内的には神様の心情を植え付ける仕事をしなければならないのです。そうして長子の基準を復帰しなければならないのです。

 先生は地域長修練会を終え、六月二日には帰ってきますから、それまでソウルにいる食口たちは、世界を代表して六月一日から九月末日まで四ヵ月間、大韓民国の統一のために精誠を尽くして祈祷しなければなりません。今年、先生が世界巡回に出発する時、皆さんが「統一の歌」を歌ってくれましたが、その歌は私たちだけが歌う歌ではありません。三千万の民衆がみな一緒に歌わなければならない歌です。

 今や国家的な危機が私たちの目前に差し迫っているため、韓国が一致団結しなければならないということを皆さんは知らなければなりません。今、私たち統一教会は、アベル的な立場で打たれるか打たれないかという立場に処しているため、私たちが打たれる前に精誠を込めなければならないというのです。

 これまで統一教会では、全国的に、あるいは世界的にこのようなことをしたことがありません。しかし今回先生が世界を巡回しながら私たちの宣教師がいる所すべてに指示をしました。したがって六月一日から四ヵ月間は、全世界的に信仰の祖国韓国のために精誠を込めることでしょう。世界の食口たちが、朝になれば韓国に向かって切実に祈祷しているということを皆さんは知らなければなりません。

 ですから本国にいる私たちは、彼らに負債を負ってはなりません。そのため、今回の六月一日からソウルを中心とした三つの地区、三十三箇所に皆さんを送り出すという原則的な条件を既に立てておきました。伝道ができるできないは問題にはなりません。条件でも立てておかなければならないのです。

 昔ヨナが、「ニネベ城のために祈祷しろ」と言った神様の心情を知らず、そのみ言に従わない立場に立ったようになることなく、皆さんは今回の期間、この民族のために灰を敷き麻の服を着て精誠を尽くして祈祷しなければなりません。


伝道優勝旗製作と月一人伝道

 総務部長は優勝旗を作らなければなりません。本部のあるソウルで使うものを一つ、その次に地方で使うものを一つ、世界で使うものを一つ、そのように三つを作らなければなりません。今回の第二次世界巡回記念旗を作るのです。これで何をするかというと、今後争奪戦を繰り広げるのです。これを懸けて、各教会が毎月T回ずつ争奪戦を行うのです。

 毎月そのようにして、一年間そこに一回も参加できなかった教会は全部、罰として餅でも一斗ずつ作らせ礼拝に参加させるのです。

 これからは、統一教会の信徒であればいかなる責任を負うのでしょうか。一ヵ月に一人を伝道するのです。二人も伝道するなというのです。一ヵ月にただ一人のみを中心として精誠を込めなさいというのです。他の家には行かないで、ただ一つの家だけを中心として毎日精誠尽くし、毎日原理のみ言を伝え、一ヵ月に一人を復帰しようというのです。そのようにすれば一年なら何名ですか。十二名になるでしょう。十二名だけ伝道しなさいというのです。

 今後毎月一人伝道できない人は、ここに絶対来れないようにするつもりです。ある人は「自分は会社に責任をもっていてできない」と言うかもしれません。けれども先生はそれを認めません。ここにいる部長たちも例外ではありません。全員責任を負ってしなければなりません。李耀翰牧師もしなければなりません。ここに来て説教をする時は説教をしても、時間を作ってしなさいという。のです。一ヵ月に一名伝道、これを全世界的に命令をしてきたので、韓国が何パーセント達成するか、統計を出すつもりです。


全国九つの地区を三十四に分割(一九六九・七・一)

 協会では、一九六九年七月一日付で、全国の九つの地区を三十四の地区に分割し、同日付で各々その長を任命した。この地区分割は、地方の八つの地区を二十四の地区に、ソウルの一地区を十の地区に分割したことがその特徴である。

 今回の先生の計画は、これまで全国が九つの地区になっていたのを、一つの地区を三つに増やして編成しようとすることです。言い換えると、三倍に増加させて三十の地区に編成しようということです。なぜそうしなければならないのでしょうか。これをそのままにしておけば、皆さんがみな枯れて死んでしまうからです。

 そのため、本部を中心に体制改善を断固として行わなければなりませんでした。本部に所属し長くなった人たちは、ソウルの十の地区に全部再編成しました。全国の地区本部も改編しました。また、経済部分である企業体を分離させました。

 これまで一つの地区で毎月お金をどれくらい使ったかというと、三十万ウォンないし三十五万ウォンです。皆さんが想像できないくらいお金を使ってきたというのです。

 もしここで、私たちが物質を自由に授受できる環境にあっても、責任を果たせず追われる日には、統一教会は第二次受難の道を行かなければなりません。このような立場を未然に防止するため、新たな対策を講じざるを得ません。それで九つの地区を三十四の地区に改編したのです。

 そして本部の各部署で全国を管轄しなければなりません。各地区ごとで各種各様の刊行物が出ていますが、これはすべて廃止しなさい。その代わりに本部の刊行物に各地区版を編集しなさい。「成和」紙体制を革新し、発行日の一週間前に出るようにしなければなりません。毎月、状況報告とその他の原稿を一生懸命書いて送り、成和紙に対して関心を集中するようにさせなさい。

 各地区から本部に報告書を送る時、一部は郵送し、一部は持ってきて手渡しするようにしなさい。毎月三日に地区長会議をもち、毎月二十五日までの分を報告書で作成し、三十日までには本部に到着するようにしなさい。各地区の本部教会の人員を百二十名以上確保しなければなりません。

 皆さんは怨讐サタンを殲滅するために乗り出した人々です。世の中のことは適当に越えていくことができますが、心情の世界ではそのようにできません。今認められるのが問題ではなく、刃をさやに納めたのち、栄光の場で認められなければなりません。食口たちに「うちの地区長は神様と先生に狂った」と言われる伝統を立てなければなりません。先生が外的なことに関心をもつならば、皆さんは内的な先生に対して関心をもたなければなりません。


六 夏季四十日伝道と喜進様昇華

夏季四十日伝道(一九六九・七・二〇〜八・三一、千五百名参加)

 夏季伝道期間はなぜ必要なのでしょうか。それは皆さんに決定できる立場を立ててあげるためです。すなわち、サタンと神様の間にいる皆さんが天の側の立場に決定づけられるようにするためです。

 堕落した人間は、真なる人になってサタンを凌駕することができなければなりません。それで本然の人間の権威を回復すると同時に、天の前に痛みを与えた心情基準を蕩減しなければなりません。そのようにして、天の父母に再び侍ることができる基準を生活環境で決定づけなければなりません。そうしなくては天国の民になることができません。これは天理です。

 それではどうして四十日を定めたのでしょうか。四十の峠が問題であるためです。皆さん、蕩減するためにはどうしなければならないですか。第一は、中心人物がなくてはならず、第二に、期間がなければならず、第三に、条件物が必要です。このように、その期間というものが絶対的に必要なのです。

 アダムからイエス様までの四千年歴史、アブラハムから現在までの四千年歴史を蕩減するための蕩減期間として立てたものの中の、代表的なものがこの四十日伝道期間です。このような峠を越えるために行く道は一つしかありません。

 どんなに広く大きくて数千里になる道であっても、最も早く行ける道は一つしかないというのです。蕩減の道も同じです。

 四千年路程があり、あるいは四十年路程がありますが、それは全部四十数を中心にした期間です。この峠を越えるためには近道を切り開かなければなりません。このような代表的な期間が四十日伝道期間です。

 その次には何がなければならないのですか。条件物がなければなりません。私が探し立てなければならない条件は、信仰(霊)の三人の息子、娘です。そのためには、この期間にあらゆる精誠をすべて注がなければなりません。

 これを復帰歴史に連結させるために七年路程があるのです。この七年の間で個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、民族復帰、国家復帰までしなければなりません。四十日を基盤にして国家復帰までしなければなりません。それで、先生がこの七年路程が終わる時、国家的な因縁に区切りをつけなければならないと、み言を語ってきたのです。


喜進様自ら志願された伝道と殉教
(一九六九・八・一 〔陰暦六・一九〕、慶北金泉行き列車、忠北梅浦駅で事故)


 真の御父母様家庭の二番目の御子息であられる文喜進様が、中東中学校二年の時の一九六九年、夏季伝道に昇華された。喜進様は、四十日伝道の意義を強調される真の御父母様のみ言を奉じ、ソウル地域の成和学生たちと共に四十日伝道の先頭に立たれ、八月一日、慶北金泉を伝道地と定め、列車に乗って赴く途中、忠北梅浦駅で不慮の事故に遭われた。

 世界は今最高の緊張状態にとどまっています。宇宙征服という目標のもと、その第一段階である月の世界を征服するという立場にあるかと思えば、(一方では)米国の政策方向は修正され、思想的な問題より自国の利益を追求する傾向におかれているのです。現在の韓国経済や日本経済だけ見ても分かるように、全世界はみなこのような立場に巻き込まれていっているのです。

 それゆえに先生は今年の六月から百二十日間の祈祷期間を定めたのです。皆さんには話しませんでしたが、今年の八月をどうやって越えていくかという問題を置いて、誰よりも深刻に精誠を尽くしてきました。十二時に眠れば、一時あるいは二時に起きて、ひれ伏して祈祷しながら夜を明かしました。

 第二次七年路程の第二次年度である今年の九月が一番大変な峠でした。第二次年度はイエス様的な年ですが、先生の息子を中心として見れば喜進が該当します。それで皆さんが責任を果たせなくなるや否や、喜進が引っ掛かっていってしまったのです。本来は喜進が伝道しに赴くのではありません。

 今年は全面的な動員をしなければならないのに食口たちが動員しないので、先生の威信が立たないと、自分だけでも行かなければならないと(喜進が)言うので許可したのです。「その代わり注意をしなさい」と言いました。先生はサタンを越えたので、サタンは(先生の)息子、娘をねらっているのです。それで先生の家庭において、喜進が引っ掛かっていったのです。

 喜進が伝道に出ていく前に原理のみ言を全部聞いてのち、「韓国に主が来られるなんて、家にそんなことがあるなんて……」と言いながら、床の上で飛び跳ねながら喜んでいるのを見ました。その時、「そうか、私が神様の前に孝道を尽くせなかったことを喜進が代わりに孝行し、神様は(それを)御覧になって慰労を受けることができるようになるんだなあ。お前がそのような心の下地だけでももったんだなあ」と喜びました。

 先生がこのような話をしたことがあるでしょう。「統一思想を中心とした歴史時代に殉教者をもつ家庭には福があるのだ」という話のことです。先生の家庭では、一九六九年に喜進が代表として逝ったのです。一九六九年度は、三年路程の二年目となる年であったため、全体が動員されなければならなかったのです。その時、喜進が入ってきて、「全体が出ていかないなら、私一人でも行かなくてはならないではありませんか」と言うのです。そうして「金泉に行く」と言うのです。その時先生は、京畿道に金泉があると思い、そこに行くのだと思ったのです。慶尚道にある金泉に行くということを知っていれば、出しはしなかったのです。(同じ)垣根の中にあって、互いに近くで交わりながら注意しなければならない期間であることを知っていたからです。

 そうして喜進が我が家の第一代殉教者になったのです。咲いてもいないつぼみのままの少年として殉教の鮮血を流すことによって栄光の場に参席できる輝かしい価値は、歴史時代に永遠に伝統として残されるものであるため、先生は誇らしく逝った道であると思っています。

 喜進が進んで「伝道事業に行く」と言ったので、先生は数多くの我が統一教会の青年男女に「民族復帰という課せられた使命を完遂するためには、血と汗を流しながら活動しなさい」と命令を下すことができたことを心(の中)で感謝しています。変な予感がしたので「くれぐれも注意しなさい」と言っておいたのに、結果がこのようになったことに対して、私たちの教会に被害となり、先生の家庭に被害となったとは絶対に考えていません。み旨のために(生まれて)来たので、み旨のためにきれいによく逝ったというのです。

 男として生まれ、父母の前に孝行の道を行くということは、その父母の志を奉じ、死の道をも介すことなく行くことではないですか。そのような孝の道理を立てて、国家の運命を開拓していく道の前にあってもなお、死を介さないことが忠の道理ではないですか。私の行くべき死の道を代わりに行ってくれたと考えたのです。このような面で、先生はひどいといえば本当にひどい人なのです。


イエス様の生涯と喜進様

 先生がここで望むことは、今日、全世界が共に越えていかなければならないこのような峠道において、喜進が神様の哀れみの恩賜により一つの祭物的な条件として受け入れられることだけを待ち望んでいることです。彼の行った道の前に、皆さんが感じた思いをすべて集めて追慕しなければなりません。

 先生の家庭をおいて見る時、彼(喜進様)はイエス様と同じ立場であり、聖進はアダムと同じ立場です。このように彼は長成期級にいたがゆえに、第二次七年路程を中心に、事実としてそのようなことが起こったのです。これは、皆さんが知らない背後において、天的な摂理のある帰結点があるのだということを先生は感じているのです。先生はこのことにより神様の悲しみを体恤したし、これまで皆さんに言えなかった、そして一生においてその誰にも言えないであろう忘れることのできない釘の痕が残っているのです。

 喜進もイエス様のように道で生まれました。イエス様と全く同じ運命なのです。しかし、イエス様は三十代で民族から追われる立場で、イスラエルの基盤のない立場で逝きましたが、喜進は追われる立場でなく、基盤をもった父母を中心とした立場で逝きました。洗礼ヨハネとヨセフ家庭から反対を受けていた悲しい立場のイエス様、追われていたイエス様の立場ではなく、歓迎を受けることができる立場で逝ったので、よく逝ったというのです。またそのことで、イエス様の青少年時代の恨を解いてあげるようになるのです。そうして、霊界を中心として全体が動員できる新しい時代に入っていくことができるようになるのです。若い人はもちろんのこと、全体が動員できる霊的な基盤を地上に強固につくり上げることができるようになるのです。

 これをもって、イエス様が三十代において霊的救いの基盤を準備したように、喜進の犠牲により、青少年圏内の子供たちまでも救いを受けることができる霊的救いの基盤が広められたというのです。彼らを中心として、再臨復活できる平面的な恵沢圏が広がったというのです。そのような意味から、私は少しも涙を流しませんでした。私が涙を流せば公的な立場の父にはなれないのです。それでこれまで涙一滴流しませんでした。流してはならないのです。喜進は祭物としてきれいに捧げられたのです。

 喜進は日本で生まれました。イエス様は外国に行ってきたのでしょう? ゆえに喜進も外国に行ってこなければならなかったのです。皆さんが知らない中、このような歴史をつないで復帰の基盤を準備したのです。皆さんはどれはどの苦衷と悲しみと悲運の歴史が詰まっているか分からないことでしょう。将来、皆さんが先生の直系の息子、娘となり、共同的な運命だとして「一つの穴の中で死ぬ」という決意をもち、「絶対間違いなく私はここで生き、ここで死ぬんだ」という決心をするようになれば、もっと細密な話をしてあげるつもりです。


七月七夕特別記念式(一九六九・八・一九〔陰暦七・七、〇七:○○〕、前本部教会)

 真の御父母様は、一九六九年陰暦七月七日午前七時、前本部教会で「七月七夕特別記念式」をもち「責任は誰にあるか」という題目でみ言を語ってくださった。

 きょうは陰暦で七月七日、二十四年前の陰暦七月七日は、大韓民国が解放される正に前日でした。その時、解放とともに、み旨はキリスト教と一致すべきことであったのに、既成教会が責任を果たせずに摂理は延長してしまいました。

 韓国キリスト教が責任を果たせなかったことは、世界が責任を果たせなかったことと同様の立場であるため、先生自身は、この外的宗教の過ちを二十一年にわたり、内的に再現して収拾しなければなりません。これは一時にするのでなく、一、二、三次にわたってしなければなりません。そうしてこそアダムの歴史が合わさるのです。

 六千年の歴史を二十一年で蕩減復帰しなければなりません。それを縦的に再現させ、完全に蕩減しなければなりません。その再現する外的条件が三十六家庭です。三十六家庭は、人間的に見れば何の価値もありませんが、先生が立てたのちには、キリスト教全体を代表した立場であると同時に、民族、国家、世界の型をもって主を迎える型なのです。このようなことを見れば、統一教会は復活したキリスト教と同じ立場です。第二次七年路程は、キリスト教が失敗し責任を果たせなかったことを完全に蕩減復帰しなければならないのです。

 皆さんが一つになれば全キリスト教が一つになった結果となるのです。第二次七年路程は第二次年度に該当し、喜進も第二の息子です。皆さんもそのような息子として天の前に連結されなければなりません。喜進はイエス様が馬小屋で誕生したのと同じような立場で生まれ、イエス様が十字架の路程を歩んだように十字架の路程を歩んだのです。

 今や先生自身が重大なことを決定する時となりました。中間霊界は協助してくれるのではなく、かえって先生の行く道を遮っています。第二次七年路程においての先生は、お母様を中心として戦うのです。

 喜進は少し前から原理のみ言を一生懸命聞き始め、啓蒙に出掛けなければならないと主張したのですが、それを私としては遮る道がありませんでした。喜進の死により、霊界にいるすべてのキリスト教信徒たちに解放の道が開かれました。数多くの人を最前線に立ててくる中、喜進が第一殉教者の立場に立てられました。私も、地上で喜進が神様の心情を体恤するようになったことを有り難く思っています。これから先生は子女たちのための三時代の涙を流さなければなりません。先生は、家庭を中心とした戦いを継続しているのです。

 キリスト教が責任を果たせなかったため、尹清浄心などのような異邦の宗教の人が出てきて、代わりに責任をもったのです。彼女は先生とお母様の服を作ってきたのです。陰暦七月七日七時、七数が三つで完成数である二十一数となるので、完成段階に越えていくのです。


七 大学の原理研究会を中心とした集中的活動

 第一回全国成和大学生総会(一九六九・九・三〇〜一〇・四、前本部教会および東丘陵、百名) 第一回全国成和大学生総会が、前本部教会および東丘陵で、一九六九年九月三十日から十月四日まで、五日間にねだり実施された。全国各地から百余名の大学生たちが参加する中で開催された同総会では、地区対抗原理講義大会、音楽コンクール大会、雄弁大会、体育大会、文化行事など多彩な行事が催された。真のお父様はこの総会で、「大学生たちは大学を革新するための主体として大学を蕩減しなければならない」と語られた。

 きょうは九月最後の日です。清平で百二十日精誠祈祷が終わる最後の日です。きょうをよく終えなければなりません。

 先生は大韓民国のソンファックン(注:聖火ランナーのこと。ソンファは「成和」と同音異義語)です。また村に行けば村のソンファックンです。サタン世界のソンファックンであると同時に神様の世界のソンファックンです。

 韓国の言葉の意味は本当に妙です。教会に通う人はイエスックン(注:「ックン」はそのことを職業的、習慣的にする人の意味)、寺に通う人は寺ックン、皆さんは何の「ックン」ですか。ソンファックン(成和人かつ聖火ランナー)です。皆さんは自らがソンファックンだと考えたことがありますか。

 化学の「化」の字と成和の「和」の字では何か違うのですか。化学の「化」の字は自分の本質的な性格と形態までも変わってしまうことであり、成和の「和」の字は主体的な「観」がはっきりした絶対的主体として相対的与件をつくるものです。どこに行こうが形式にとらわれることがないのです。そうあってこそ成長するのであり、一段階上がっていくのです。

 皆さんは正にこの成和をもってみ旨を成していくのです。皆さんは、自分を中心とした世界観と生活観、そして自分を中心とした天的な心情を強固化させなければなりません。そうして完全な種粒として結実し、皮をはがなければなりません。

 そうしてこそ精穀(注:皮をはいだ穀物)になるのではありませんか。それなのに「先生の姿は立派なのに弟子たちの姿はそうなっていない」と、そのように言われてもいいのですか。いけません。

 「成和」という字に「大学生」を付けるならば、その「大」という字は大きいの「大」という字でしょう? これは天と地のために祝福するための中心だと考えなければなりません。皆さんは、原理研究会の学生として、革新を起こすための主体的な存在です。したがって皆さんは、大学生として大学を蕩減しなければなりません。大学がこのままではいけません。このままでは祝福を受けることができません。それでは「学」というのは何ですか。知識のことでしょう? 何をするために学ぶのですか。

 女性は勉強するのも、真の男性に出会い、真の母になるためにすると言わなければならないのです。母となるためにはまず、国のために勉強しなければならず、夫に真の夫として侍り、真の妻にならなければなりません。このような私となれなければ、真の夫に侍ることもできず、真の息子をもつこともできないのです。


大学生を中心とした活動時代(一九六九・一〇月より)

 一九六九年は重要な年です。そうであるだけに、若者たちを中心にして越えていこうというのです。今は若者の時代です。したがって、ここに焦点を合わせなければなりません。それで、十月からは原理研究会の組織を再編成し、各大学別に活動を展開していく準備ができているのです。皆さんはそこで先頭に立ちなさいというのです。

 先生はこれまでどんな人々を動員しましたか。高校生を動員したのです。それは彼らが長成級であるためです。統一教会が復帰歴史を担当しなければならないのですが、高校生の立場が復帰歴史の中心となるべき長成期であったため、そのようにしたのです。それで彼らに、「大学に行ってはならない」と言いました。

 学校が問題ではありません。天命を成さなければならないでしょう。運命を超越し、運命を主管し、天命に従っていかなければならないのです。天命を代表して未来を開拓し、勝利の基盤を築かなければなりません。

 そのことを成すためには十代が必要でした。アダムとエバがその時代に堕落したため、復帰も二十歳を前後した人がしなければならないのです。皆さんには、そのことを成すためのその時、その時代に参加できなかったことが千年、万年の恨として残るこその時参加した人々がその環境で基盤を築き一つの峠を越えたので、これからは皆さんが先頭に立たなくてはなりません。

 大学を造ってでも勉強させようとしている私が「大学に行くな」と言ったのは、時ではなかったからです。時ならぬ時に時のことを願うということは、堕落の動機と全く同じなので、大学生たちはこれまで継子扱いを受けざるを得なかったということを知らなければなりません。

 そして今は、これまで苦労した地区長、地域長たちを大学に行かせ、卒業させなければなりません。彼らを学校にも行かせず苦労させたので、彼らに対しては先生が責任を負わなければなりません。いずれにしろ早い時期に、これまで苦労した高校出身の地区長、地域長たちに大学の卒業証書がもらえるようにしてあげるつもりです。

 これまで苦労した人々はアベル的な立場であり、学校に通った皆さんはカイン的な立場です。ですから皆さんは、アベルの立場に立っている先輩たちに仕え、(大学で)勉強させようという心をもたなければなりません。

 彼らを大学に行かせてあげなければなりません。そうしながら、残された十字架を皆さんが「担当しよう」と言って乗り出さなくては、皆さんには生きる道がないということを知らなければなりません。

 第一次七年路程を歩んだ六〇年代には、無学文盲な女性たちと、少年少女たち、小学校も出られなかったような人々が、この国のために涙と血と汗を流しながら精誠を尽くしたのです。しかし、この第二次七年路程では、知識層の若い大学生の男女たちが彼らと同じ心をもって一つになり、この民族の前に立たなければなりません。そうなりさえすれば、この民族はあっという間に復帰されることでしょう。

 既に十月に入ってからは、統一教会に復活の歴史のような新しい時代が来ています。また、十月四日のきょうは先生の出獄記念日です。西大門刑務所を出てきた日です。そしてあと十日さえ過ぎれば、先生が二十一年の峠を越えるようになります。興南監獄出監日を中心として二十一年の峠を越えるようになります。

 このような問題を中心として夜を明かしながら祈祷する群れがあります。ですから今からでも、このような時代とこのような時点を越えているのだということを理解し、皆さん方は一致団結しなければなりません。神様の代わりに戦い、先生の代わりに戦って勝利するという信念をもって、天の代身者になりなさいというのです。


原研活動の社会化方案

 今後原理研究会の活動は、大学内の活動としてのみ終わってはなりません。大学生であれば、中・高等学校を卒業したので必ず母校があるはずです。大学内の活動にだけ局限するのでなく、自分の先輩後輩関係をよく活用し、母校にまで影響を及ぼすことができる活動をしなければなりません。

 総じて大学街をおいて見る時、彼らの家庭は中流以上の家庭です。ここから私たちは、愛国愛族の思想を発展させていかなければなりません。そうしてその家庭に行き、何か一つ、感動を与えなければなりません。その家庭に行き、真摯な意味で愛国愛族をなし、父母の前に孝行することを教えてあげなければなりません。この俗なる世の中で、私たちはそこに染まることなく、新しい生活をしなければならないということを残しておかなければなりません。

 また大学には、社会の著名人士の子女たちも通っているはずです。それで学校内の活動体制を強化し、分担的な活動を通じてその子女たちに私たちの活動に協助するようにさせ、彼らを原理研究会の活動圏内に導かなければなりません。連結されたその家庭を中心として、原理研究会の部長や、あるいは幹部たちがその家庭を訪問して活動しなければなりません。そして何家庭かだけでもそうしておけば、自然に問題が大きくなります。そのようになれば、国家や最高の機関にまで影響を及ぼすことができるようになるのです。

 そのような基盤を築くための活動をして、それを、現在私たちがしている反共活動に連結させなければなりません。大学内で、私だちと連結された家庭を基盤に反共活動を繰り広げ、共産思想をもった赤色分子たちが浸透できる路線を事前に封鎖してしまおうというのです。

 そのような基準から、大学街を中心とした活動を社会活動に連結させるため、今後学舎制度を置くことにしました。それで学舎を各大学の前に一つずつ造らなければなりません。そうして原理研究会の学舎と、成和学生たちとの関係を強化し、三年生、四年生になった人たちをみな原理講義ができる責任者にしなければなりません。

 そうして、彼らを各大学の各学科別に配置し、私たちの思想を指導できる組織を強化しなければなりません。このように強化してしまえば、短い期間で急速な発展があるだろうと見るのです。

 これまで超教派運動をしながら、問題を提起し、ある程度にまでは引き上げたのですが、それだけでは駄目だというのです。これからは既成世代とぶつかって、既成世代を退かせる運動をするのです。キリスト教の青年たちを団結させて彼らを早急に追い出さなくてはなりません。このようなことを計画し、先生はこれを背後で操作してきているのです。

 人的資源補強問題に至っては、原理研究会とこの道しかないので、これに替えていくのです。それから原理研究会を中心とした全人教育をする背景もここにあるのです。そうしたことをはっきりと知らなければなりません。そして今後、キリスト教青年運動も展開できるようにしなくてはなりません。


八 教会および経済の二元化と銃砲事業

銃砲事業を中心とした経済基盤復帰(一九六七年から)

 一九六七年に初めて「経済基盤復帰基台完成」という標語を掲げることができました。それ以前には、先生は「お金のことを考えては駄目だ」と、皆さんに言いました。しかし先生は、皆さんを苦労させながら背後では経済問題を中心として一段階先を行っていたのです。その当時、大体七年もすれば相当に難しい状況に処してしまうだろうということが分かっていたので、先生は一段階先に立って経済問題を心配してきたのです。それで造ったのが鉄工場です。

 私は、十二年間、工場を発展させてくるとき、大韓民国のいかなる企業主よりも多くの精誠を込めました。神様はそれを御存じなのです。私が決心して自信をもって進む時、悪なるサタンは後退するようになっています。これは鉄則です。

 先生の経済観には私心がありません。大韓民国の運勢を支配するところに神様があられ、また大韓民国の経済を建設するところに神様の経綸がある限り、私は大韓民国の誰よりも私心を離れ、公的な立場からその目的を追求してきました。それゆえにここで誰かが言いがかりをつけて反対するならば、その反対した人が敗れていくというのです。このような信念をもっていくならば、できないと思われることもみなできるのです。

 私は、統一産業に一日に三度も通った日が何度もありました。毎日行くのは言うまでもありません。夜十二時前後に帰ってきて、朝早く出掛けるのです。何をしに出掛けるのですか。精誠を尽くさなければならないのです。産業基盤を通じて天に橋を架けようとすれば、産業に従事しているいかなる人よりも精誠を込めなくてはならないでしょう。天運の先を行かなければならないでしょう。

 私が忘憂里峠を行き来しながら「お前たち霊たちは、私が行ったり来たりすることを知っているが、この世の人々は(それを)知らない。私は今は、この手に何もない惨めな道を出発しているが、十年、二十年、三十年後を見ていろ。必ず民族が私たちの力に頼り、世界が私たちの力に頼る経済基盤があるはずだ」と考えたのです。

 南山を回っていき交通巡査に引っ掛からないようにするため、逃げ回ったことがどんなに多かったことでしょうか。そうして千年の経済基盤を築かなければならないので、千年期間に、そのどの時代にももち得なかった精誠の道理を通し、蕩減条件を立てるのです。また、未来において、神様の祝福の経済基盤が我が統一教会にあるのを予見したため、そのようなまねをするのです。

 そうして、先生が一つ言いたいのは、先生はこの地において銃を中心として事業をしてきたので、今後統一信徒たちはみな、銃に対する関心をもたなければなりません。

 一九七〇年代になれば、先生が精誠を込めながら直接引っ張ってきた時代は過ぎ去るので、それ以前に作った銃は、将来、歴史における宝物となるのです。


国家防衛と銃砲事業

 この銃は、先生が神様のみ旨のために先頭に立って開拓したものです。そのように先生が心血を注いで精誠を込めてきた物なのです。それを自分の家門の家宝として残そうと思えない皆さんにどうして銃を売ることができますか。

 三面が敵に包囲された韓国の実情を見る時、今後は思想的観点を正しく立てて国家と民族を保護しなければなりません。ゆえに、国家防衛のための思想に責任をもってアジアを防御する中で霊界に行くようになる時には、後孫たちに厳粛にこの銃を引き継ぎする式をしなければなりません。このような思想を息子、娘や娘婿に継承していくことができなければなりません。

 現在の国家情勢から見る時、先生は、間違いなく大韓民国が防衛産業を重要視する時が来るだろうと考えています。十年を中心としてそのような時を見越しつつ歩んできました。ところで案の定、今時が来たのです。今回、国が「軍事力を強化する」と言ったので、あちこちで「工場を造る」と言って大騒ぎです。

 今年は、十年間精誠を込めた内容を通して最後の勝敗を決定しなければならない年です。もしこの時を逃してしまえば、十年間精魂を込めて築き上げた塔が崩れさってしまうのだということを知らなければなりません。そのためどんな無理をしてでも、五月前までには今年の計画量を達成しなさいと命令したのです。先生は、この時代に責任を負った者として、予備し、準備せざるを得ない立場にあるのです。これをしなければならない責任があるため、そのような冒険をしたのです。

 私は、今年すべての要員が一致団結して動けば、政府が要請するものは成し遂げることができると判断しました。本来、六月末までにはお金を準備しておかなければならなかったのです。しかし、七月までにお金を準備してから政府と契約を推進したのです。

 今年の九月から、資金問題を心配することなく押し進めていける契機が準備されました。先生が外国に行き、そのような覚悟のもとですべてのことを指示しました。それで私たちが七月末までに契約を完了したのです。昨年(一年かけて)千辛万苦の末に作った数量を、今年は四月の末までで作り上げたのですから、ものすごく一生懸命仕事をしたのです。


空気銃販売現況と計画

 今は国を生かさなければならない非常時です。全国民が動員されなければならず、全霊界が動員されなければならないこの時にあって、人の後ろで休んでいては駄目です。

 また、現在在庫が五万丁ほど残っています。これを月賦にして一万五千ウォンずつ収金するようになれば、七億五千万ウォンになります。そうすれば全部で九億七千万ウォンになるのです。そこに日本に送るものまで合わせれば、十二億ウォンに該当する資源が作られるようになるのです。

 既に作ってある物だけ売っても、三億ウォン以上の現金になります。ですから今年の販売の全国大会さえよく行えば、我が国のどんな大財閥も問題ではありません。韓国での販路は、ある段階までくれば途切れることでしょう。今年が最後かもしれませんが、うまくやれば一九七〇年代へと越えていくこともできるでしょう。

 今年、日本に二千五百丁を送りました。今年、一万五千丁出れば、来年は三万丁ないし五万丁まで出るだろうというのです。

 今年、先生は米国に五百丁送りました。「今年だけで日本で一万五千丁出た」と言えば、米国の食口たちは「ひゃあ」と言うのです。「日本で五万丁、十万丁を売った」と言えば、米国はそれ以上売らざるを得ないのです。先生は米国全域を巡回しながら調査しました。米国は黄金市場であり、処女地です。そこには無尽蔵の資源があるため、数など超越して販売することができるのです。

 今後私たちは世界に出ていかなければなりません。今年末まで、でなければ遅くとも来年四月までは、四十カ国に私たちの宣教部が設置されるでしょう。皆さんは知りませんでしたが、現在ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、ギリシャ等に宣教師が赴くことになっています。先生が世界巡回時、どこに聖地を定めたのかさえ連絡してあげればすぐに赴くようになっているのです。

 アフリカの多くの国にも宣教部が設置されています。今後遅くとも三年ないし四年以内には、三百六十箇所に宣教部が建てられることでしょう。名もない国、国連に加入できない国にまで全部宣教師を送り出すつもりです。


水澤里工場運営と拡張

 私たちが水澤里に工場を建ててから満三年四ヵ月になりました。一番最初はトラックで数合にしかなりませんでしたが、今はトラック数百合になってもなお余ります。これまで私たちは悲惨な生活をしてきました。しかし今回、水澤里に韓国で一番の施設を造りました。今後私たちは誰よりも豊かに暮らさなければなりません。

 先生は今年も一千八百万ウォンを投資しました。今後これが二元化される時、苦痛があるだろうということが分かったので、これを補給できる補給路をこれまで講究してきたのです。昨年も八百万ウォンを投資しました。このように非常作戦をしてきたのです。

 でも皆さんは、すべてのことが自然にできると思ったでしょう。これまでソウルでこの複雑な環境を切り開いてくるため、どんなに多くの辛苦をなめたか知れないというのです。難しい問題が起こるたびに、私の信念を神様と一致した立場に連結するため、ありとあらゆる冒険をしたのです。

 私たちは、一九六七年六月から物品税に対する免税を受けています。一九六七年六月からこれまで満二年四ヵ月の間、免税の恵沢を受けたのです。その間、あらゆる方面に努力し、三年計画をもってこれまでやってきたのです。したがって、三年の内にすべてのことを整理しなければならないのです。もし物品税を納めるようになれば、一丁の銃も作ることができなくなります。贅沢品に対する物品税が七五パーセントであるため、私たちは工場の門を閉めるほかないようになるのです。

 それゆえ、そのような時に備えて四年前から機械を製作してきました。初めは機械については何も知らない状態から冒険をしたのです。しかしながら三年を計画したことが、一年八ヵ月目にして二台の機械を造るようになりました。そうして満三年になった現在、私たちの工場の機械の内、九〇パーセント以上が私たちの手で造られています。これまで日本から輸入してきていた一千五百万ウォンぐらいの機械も、今では私たちの手で簡単に造ることができます。性能面でも全然引けを取らないのです。

 ですから、今後工場で銃を作らなくても工場を休ませることなく回転することができ、工場にいる人々も生活できるようになりました。このような基準を立てるまで、背後において先生が心配し、冒険しながら決定してきたということを知らなければなりません。

 現在の韓国の実情から見て、これ以上は銃は売れないと言いましたが、先生は今年、五百坪近くの土地に第二工場を新築しました。それで今後生産量を倍に増やす考えです。一年に少なくとも百万丁、百五十万丁まで作る計画です。そうしてから工場をもっと建てるつもりです。七一年度後半までに世界的な大きな工場を造るつもりです。

 そして今回、水澤里工場に社宅を建てようと思っています。韓国で一番の社宅を造ろうと思います。そして工場も今よりももっとたくさん建てるつもりです。今後私たちの工場に入ってきてから出ていく人は、絶対再び入ることができません。また一九七二年まではどこの工場よりも少ない月給にするつもりです。

 先生はこれまでの生涯で、日曜日はもちろん一ヵ月に一回も休みませんでした。一日に十八時間以上仕事をしました。現在皆さんは、一日に十二時間仕事をしています。しかし今後はどんどん短縮させるつもりです。また、待遇も改善してあげるつもりです。皆さんの宿舎を見ると、こんな所に人が住めるのかという感じを与えるほどです。たとえ豚小屋のような所に住んでいても、その豚小屋から天国が開かれるのだということを知らなければなりません。


教会と事業組織二元化措置(一九六九・一〇・一六〜二一、全国地区本部巡回)

 それで、一九六七年から二元化しなさいと先生が指示したのです。原理的な立場から見ても、二元化させなければなりません。ところが二元化しなさいと指示しだのにもかかわらず二元化しなかったので、今年の六月に先生が直接断行したのです。二元化させてしまえば、先生に責任があるので、六ヵ月間は最小限の生活費の面倒を見てあげるのです。

 第二次七年路程は子女時代です。ですから先生は内的な立場であり、皆さんは外的な立場です。それと同じように、私たちも教会分野と経済分野に分けられなければなりません。すなわち二元化時代になるのです。二元化の原則は何よりも重要です。教会責任者と経済責任者をはっきりさせておきましょう。

 このような立場から見た時、今日統一教会自体内でも、組織が完結されなければなりません。すなわち、人をつくることにおける代表機関が教会であり、物質に対する組織が事業部です。人が物質を主管しなければなりません。


九 日本勝共運動国民大会

日本を中心としたアジア勝共運動

 一九七四年までの第二次七年路程では、大韓民国の復帰と天国基盤をつくらなければなりません。それではそれをどのようにしてつくるのでしょうか。復帰は霊肉を中心としてしなければなりません。それで、教会的にはみ言を中心として霊的に、世界的には思想を中心として肉的に動くのです。

 ゆえに民主世界ができない反共思想を私たちがもって出ていくのです。これはモーセが出エジプトをする時、彼らを導いてくれた火の柱と雲の柱に該当するのです。火の柱と雲の柱を中心として、外では世界共産圏を屈服させ、内では家庭の法度を立て、これが世界舞台に連結されていくようになれば地上天国が完成するのです。

 世界をどのようにするかが問題であり、世界のための道を築くことが問題なのです。それで今先生は、日本でも扱わない勝共問題と反共問題を扱っているのです。アジアを生かすためにアジア人を誰がより愛するかというのです。それは日本でもなく、韓国でもなく、その誰でもありません。唯一統一教会のみです。ですから実践しなさいというのです。実績の前には誰も頭を上げることができません。それで今、日本全体が引っ掛かりました。

 現在日本でこのような実情に処している統一教会員は、先生が指示した作戦を中心として、命を懸けて戦わなければなりません。今日本における私たちの立場は、白昼、裸で怨讐から鉄刀で脅されているのと同じ立場です。そのような状況であるため、久保木会長に脅迫状が飛び込んできたり、恐喝、脅迫電話がきたりと、あらゆることが起きているのです。

 しかし、日本を生かすために統一教会の者たちは大学街を訪ねていったり、夏であれば、通りやピクニックをする場所にまで行って、共産党と理念闘争をしてきたのです。多くの迫害を受ける中で何度も組織を通じて深く浸透していった結果、今では日本での活動が大変復興しているのです。一番最初、日本の食口たちに反共活動をしなさいと言った時には目を丸くしていたのに、先生のみ言どおりに反共活動をしてみて、今に至っては先生に感謝しているのです。


日本勝共運動国民大会
(一九六九・一〇・七、大手町サンケイ・ホールおよび日比谷公園、五千余名)


 日本の放送で報道したように、日本では七日に、全国勝共国民大会を東京の日比谷公園でもちましたが、ここに約五千余名が参加し、拍手をしながら歓迎したそうです。

 共産党はこれまで、日本が自分たちの意のままに間違いなく赤化されると信じてきました。それで、昼も夜も活動しながら赤化するために努力をしてきたというのです。ところが彼らの前に私たち少数の統一の群れが反旗を翻して出てきたという事実は、日本の共産党にも問題となり、日本政府にも問題になったというのです。

 全国民が新しい角度から自らを批判し、将来を再検討し得る立場に立ったというのです。たとえ私たちの行動は微々たるものであったにせよ、そのような内容があったという事実を見る時、これが日本に一つの波紋を起こした結果になったのであり、この波紋はアジアの全域に及ぶ事件になったのです。

 ではそれでもって終わるのでしょうか。共産党を克服するためにはまずゲリラ戦法を使わなければなりません。しかしその後は、大兵力を投入して全面的な戦いを展開しなければならないのです。

 なぜこのような冒険をしなければならないのでしょうか。今日の世界のいかなる思想や団体も共産党と対決できずにいるという実情の中で、私たちがこのような運動を展開することにより、共産党と対決できるという信念をそれとなく国民大衆に植え付けてあげるためです。それで、我々の勝共理論と国民の信念が一つになりさえすれば、共産党に勝つことができるようになるのです。

 このような問題を置いて見る時、今日私たちはアジアにおいて既に戦いを展開しています。今日、大韓民国が私たちの怨讐ではありません。日本が私たちの怨讐ではありません。今日の共産主義が私たちの怨讐ではありません。共産主義を操縦してその背後で天的な摂理を破綻させようとしている原因者、すなわち私たちがよく言うサタンこそ私たちの怨讐なのです。


十 冬季四十日伝道と一九七〇年代の迎え

一九六〇年代の基盤と一九七〇年代の課題

 一九六九年は私たち教会としても重要な時期であり、世界的にも重要な時期でした。一九六〇年代は私たちの教会が教会としての基盤をある程度築いてきた時期でした。すなわち、個人的、家庭的、教団的な試練を経験しながら開拓してきた時期でした。それ以前は、先生が個人的な基盤を築いてきたのであり、一九六〇年代は教団的な基盤を築いてきました。

 一九七〇年代には、私たちの教会が世界に影響を及ぼすことができる国家的な基盤を築かなければなりません。一九六〇年代に私たちは国家に多くの影響を及ぼしました。そうして今は、国家の前に堂々とした位置をもつようになりました。一九七四年度までは、大韓民国により大きな影響を及ぼすようにしなければなりません。

 一九七〇年度には、「アジア勝共大会」、「国際勝共大会」などを通じて内的な実績を立てなければなりません。その次には大韓民国を動かすことができる主体性を備えなければなりません。ここで私たちは核心要員を養成しなければなりません。原理研究会の学生たちを通して、キリスト教を信じる学生たちを動かすようにしなければなりません。超教派運動と原理研究会運動は、一九七〇年代の活動のための外郭的な運動でした。

 日本食口たちの活動を通じた外的な影響はいいのですが、内的精鋭要員が問題です。今後大学出身者が七千名ないし一万二千名が必要です。キリスト教徒が入ってくれば二ヵ月だけ訓練させれば要員になれます。しかし人的資源をつくるためには経済問題がつきまといます。超教派運動、学生運動などをするためには莫大な資金が必要です。

 徐南同教授がセムナン教会で講演した以後、統一教会は到底なくすことができないものとして広く認識されるようになり、恐怖を感じる群れまで生じました。私たちの超教派運動に既成教会の指導者たちも関心度が高まりました。したがって対既成教会活動と大学生運動を活発に展開しなければなりません。

 先生が教会の基盤を築くために闘争した、心配したその期間が完全に過ぎ去りました。今は先生が死んだとしても統一思想は残されるはずです。このように教会を中心として心配していた時は過ぎました。

 ですから今は国のために心配しなければなりません。教育をしなければなりません。思想的な教育をしなければならず、生活的な教育をしなければなりません。このような面で、一九七〇年代には三千万民族(韓民族)を再教育する運動をしなければなりません。それが神様の願いであることを知らなければなりません。


冬季四十日伝道と勝共啓蒙活動(一九六九・一二・二〇〜一九七〇・一・二八)

 第四次冬季伝道および勝共啓蒙活動が、一九六九年十二月二十日から一九七〇年一月二十八日まで実施された。この時の活動の特徴は、現居住地を離れ、新たに配置された任地で四十日間活動をすることであった。

 世界の門を開く時が七〇年代です。個人は家庭のため、家庭は国家のため、国家は世界のために犠牲にならなければなりません。重大な立場に立っていることを自覚しなさい。各地で新しい朝(新年)を迎えながら流す涙は希望の涙です。歴史時代に輝ける一つの祭物になるため、大韓民国の三千万民族を抱いていかなければなりません。

 今年は怨讐になったものにすべて報いる年です。六〇年代から七〇年代に越えていく前の今年の十日間で蕩減しましょう。この期間は一つの分水嶺です。先生は来年一月六日ごろから巡回をする予定です。その時、先生は新しいお金を分配するつもりですが、そのお金は歴史的な宝物になるでしょう。夫たちは妻の伝道地に一回ずつ行ってくるようにしなさい。妊娠した人は赤ん坊を生んで四十日後に伝道に出なさい。七〇年代は輝かしい戦果を収めましょう。

 皆さんはイエス様や聖霊よりも良い立場です。イエス様や聖霊は息子、娘を抱いて伝道してみることができませんでした。赤ん坊を置いたまま伝道に出掛けるということは、アベルよりカインをより愛したという条件になります。したがって、そのようにすればカインは屈服するようになります。

 今や私たちは歴史的な悲しみの中に立ったのではなく、これを完全に超越して新しい次元で光明なる新しい朝を純粋に迎えることができる姿勢をもたなければなりません。もし歴史的な悲しみが少しでも残っているならば、清算して新しい希望と善だけで満ちることができる光明の七〇年代を迎えることができなければなりません。














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