真の御父母様の生涯路程 5
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第二次七年路程

第四節 一九七一年 統一基盤確保

一 一九七一年の出発と特別儀式(一九七一・一・一、前本部教会)

年頭標語‥統一基盤確保

 今年の年頭標語は「統一基盤確保」です。これまでは「全面的進撃」、あるいは「勝利的統一戦線」などの標語を設定し、外部に向かって進撃しました。そうして、み旨が外部に向かって出ていくことができる環境を開拓する仕事を一九六〇年以降今日まで、十年間なしてきたのです。一九六〇年度以後より一九七〇年度まで、まさしく消耗戦を繰り広げてきたのです。自体の利益のために戦ったのではなく、外的な環境の困難、言い換えれば私たち統一教会の行く道の前をふさいでいる障壁を崩すために多くの犠牲の代価を払ってきたのです。

 私たちはソウルならソウル、中央なら中央の最高の位置から出発したのではありません。私たちの行くべき道、み旨が願う標準を置いて見たときには、最高の基準から出発しなければならないにもかかわらず、私たちがこの民族と数多くの宗教界から反対を受けることにより、それとは反対に、最低の末端、下部より出発してこれまで上部へと発展してきたのです。

 その期間には、数多くの個人が犠牲になったのはもちろんのこと、私たち統一教会の家庭も多くの犠牲を払いました。韓国だけでも、統一教会に属する人々を中心として、その背後にいる親戚や、心情的な基盤を通じて関係している数多くの人々が、私たちのゆえに被害を被ったことを私たちはよく知っています。

 いずれにしろ私たちは、一つの目標を中心として、この国において必要、適切な時を迎えるため、外部で起きているすべての迫害の障壁を突き崩して勝利の一路を開拓するために一九六〇年から約十年間、あらゆる努力を投入してきたのです。

 今、一九七〇年代に入って見るとき、一九七一年度から一九八〇年度までの十年間は、私たち自体内において強固な基盤を築かなければならない事情に置かれていると見るのです。

 したがって、伝統を中心として再度収拾して確立できる基盤が必要なため、今年の標語は「統一基盤確保」としたのです。統一基盤が確保されるためには、まず体と心が一つにならなければなりません。み旨というモットーを立てておいて、一つにならなければなりません。そのみ旨は、個人のためのみ旨であり、家庭のためのみ旨であり、氏族、民族、国家、世界のためのみ旨です。そのみ旨の中にはすべてが入ってくるのです。

 このような事実を理解し、皆さんは一度しかないこの時を有意義に送らなければなりません。そうして、今年立てた「統一基盤確保」という、とてつもない基準を成さなければなりません。これが完全に一つになれば教会も統一されるのであり、国も統一できる運勢を迎えるようになるのです。このように一つになることにより家庭も完成されるのであり、個人も死亡圈から抜け出ることができる一つの統一的基盤が成されるのです。


真の御父母様の御家庭奉献式(一九七一・一・一、第四回「神の日」、前本部教会)

 真の御父母様は一九七一年一月一日、前本部教会において、五百余名の食□たちが参加する中、第四回「神の日」慶祝行事を主宰された。この日、真のお父様は、前本部教会の二階で「神の日」を祝う式と真の御父母様の御家庭の奉献式をされた。そして、一九七一年度の標語として「統一基盤確保」を下さった。

 きょうは三周年を迎える「神の日」です。三周年を迎える「神の日」なので三時に式を挙行しようかと考えましたが、一九七一年を象徴する七時十分に挙行することにしました。

 今年は三周年となる年であるため、例年とは違い、大きな意義があります。それで、先生の家庭を中心として、神様の前に新しい入籍式をするつもりです。また、イエス様がこの地上で解くことができなかったその恨を解いてあげる内容の儀式もしなければならないのですが、それは祈祷でしてあげようと思います。

 ここにいる池承道ハルモニをはじめとして、啓示を受けるおばあさんたちが「きょうは喜ばしい日なので、踊りでも踊りながら過ごさなければならない」と言ったので、舞踊服を作り、祝賀の意味を表す準備もしています。

 このようなことを見ても、きょうはこれまでの「神の日」とは異なります。今回の「神の日」は、三周年を迎える日であるので本当に大きな意義があるのです。これまで、先生の家庭自体も神様の前に入籍できませんでした。入籍しようとすれば、カイン的家庭を屈服させることができる立場に立たなければならないのです。今回先生が、皆さんが最も愛し、心情的基盤となっている妻を引き抜いて動員させたにもかかわらず、皆さんの中で反対したりデモをする人がいなかったという事実は極めて光栄なことです。

 したがって、先生の家庭を中心として全体が第一線に出ていき、互いに相まみえる家庭的一致の基盤が連結されたという、勝利の基盤が準備されたという条件を備えるようになったのです。そうして、先生の家庭が初めて神様の前に奉献できる勝利的条件を立てることができたというのです。それで、「神の日」を祝う式も行い、また、二階で先生の家庭の奉献式を行ったのです。それゆえ、先生の子供たちにも祝福をしてあげたのです。

 ところで、奉献をするにおいて秩序を立てなければなりません。天の家庭がある前に天使世界があったので、先生の家庭を奉献すると同時にイエス様の恨も解怨してさしあげ、地上の願いも解いてあげなければなりません。そうするために、今後は、イエス様の相対格、あるいは死んでいった使徒たちの相対格を私たち統一教会で準備するようになるかもしれません。このような内的な因縁を中心として、横的な立場にいる霊界の霊人たちをすべて地上に再臨させて活動できる基準に連結させてこそ、初めて地上に天国家庭が立てられるのです。


イエス様の御聖誕日、実体聖霊聖婚式(一九七一・一・三、前本部教会)

 イエス様の御聖誕日特別式が、一九七一年一月三日午前○時七分、ソウル龍山区青坡洞の前本部教会で行われた。この日イエス様は、真の御父母様を通じて地上の実体相対者である新婦を迎え、生涯と歴史を置いて願われていた恨を解く起源を備えるようになった。

 私たちがこの一月三日をクリスマスとして守るようになったのは、霊界を通じてこの日がイエス様が生まれた日だということを知らせてもらったため、この日を守り始めたということを皆さんは記憶してくれるようお願いします。

 それでクリスマスにも、カイン・クリスマスがあり、アベル・クリスマスがあるのです。(笑い)今年はカイン・クリスマスをアベル・クリスマスと連結させなければなりません。実際、きょうは祝宴をしなければならないのです。しかし、祝宴を催すようになれば様々な副作用が起こるため、内心で、家庭的基準を中心として神様との約束と条件を蕩減できるようにしました。それは皆さんには分かりません。カイン圈クリスマスがいくら良い日だとしても、ほかならぬきょうを除いたら、アベル圈と関係を結ぶことができないのです。そのような歴史的な一つの焦点が、今この時間であることを皆さんは知らなければなりません。

 一九七一年は、三年期間の中の二番目の期間です。イエス様が長成圏である二番目の息子としてこの地上に来られたため、長成圈である二番目の年は最も貴いというのです。それで二年目となる今年のクリスマスを中心として、どのようなことをしなければならないのでしょうか。イエス様はなぜ死んだのですか。イスラエルの国はもちろんのこと、教会がイエス様に侍ることができなかったためです。また、氏族が侍ることができず、家庭が侍ることができなかったためです。七かしながら、最も根本的なことは、イエス様が新婦を選び立てることができなかったためです。

 それで、このようなイエス様の新婦、すなわちイエス様の対象となり得る新婦を探し立てようとすれば、霊肉を中心としてキリスト教と統一教会が連結されなければなりません。そうなるためにはイエス様と相対因縁が結ばれなければならないのです。このような圈をつくっておかなければならないため、この内容を決定し、越えていく日が、この一九七一年度のクリスマスの日なのです。

 イエス様が昇天したのち、この地上に誰が来たかというと、聖霊が来たでしょう? 聖霊は新婦の神です。それゆえキリスト教は、霊肉を中心として戦ってきたのではなく、霊的な立場で戦ってきました。すなわち、実体がなかったというのです。これを地上に連結させなければならないのですが、そうしようとすれば、イエス様の恨を解怨成就してあげなければなりません。キリスト教も解怨成就するためには、実体的に一人の聖霊のような方を地上に代表的に立て、連結させなければなりません。そうすることより、霊的天使世界の代表の立場であるイエス様が、この地上に足場をもつことができ、使徒たちと、霊的天使世界のキリスト教圏と、全体の霊前な天使長圏が地上と関係を結び、初めてアダムに侍ることができる教団的な基準が決定されるのです。このように重要な歴史的な新しい起源を調えて越えていく日がきょうこの時間であるということを、皆さんは知らなければなりません。

 皆さん、今年に入って「イエス様の相対」という言葉を聞いたでしょう? 復帰歴史がそのようにならなければならないのです。イエス様の恨とは何かといえば、民族復帰、国家復帰を中心とした百二十名以上の家庭的基盤を中心として、主人の位置に立つことができなかったことです。それで今、百二十箇所を設置しているのです。先生は百二十名でなく、千二百名を百二十箇所に全部送り出し、平面的な基台を立てるようにしているのです。そうして先生の家庭を中心として、百二十箇所が一つになる場において百二十名が一つになれば、全国的な版図が変わるのです。千二百という数は世界的な数です。したがって、世界的基盤の解放圈が開かれるため、民族性をもったイエス様の願いは自動的に解かれるのです。それで今年、イエス様の相対という言葉が出てくるのです。


二 敷地および建物購入と一信石材創立

経済的基盤と未来の活動基地

 今日、私たちは七〇年代で七千年歴史の蕩減の起源をつくらなければならず、韓国自体においては、男性の威信を備えなければなりません。それゆえ、先生も家を買わなくてはなりません。それで仕方なく七百七十七組を立てて祝福してあげたのです。その七百七十七組を中心として、「先生の最高に良い家を買う」という条件を立て、「車も最高の車を買う」という条件を立てました。

 今は、私たち統一教会も時になったので、本部を建てなければなりません。既に先生がなすべき道理はみな果たしました。皆さんがそれでも責任を果たしたという条件を立てようとすれば、先生の家一つは準備しなければなりません。皆さんがそれをする前に私は、今後、天が計画している大きな基盤を築かなければなりません。

 そのため、今年になって汝矣島の土地を買う問題、清平の土地を買う問題、教会の土地を買う問題等、四箇所の土地を設定しておいたのです。四位基台を復帰できる経済的基盤を立てなければならないため、あるものをすべてかき集めて、この仕事をしているのです。それは、今後医家や世界に対して私たちが必要とする基地を調えるために着手しているのです。それは、現在、半分以上が着手された段階に置かれています。

 本部を中心として見るとき、先生がとどまることができる家も買わなければなりません。そのようにすれば、皆さんの前に発展があります。また、(祝福)家庭の前にも良いのです。しかし、私の良心上、私の家を先に買うことはできません。まず天の聖殿を建てるところにおいて、私の家より何百倍、何千倍も大きい聖殿を建てたという原則を立てておいて、その約束をしたのちに私の家を建てなければならないのです。


汝矣島世界宣教本部の敷地購入

 既に、教会を中心として汝矣島に土地を準備しました。本来は、さらに一万坪買おうとしたのですが、買うことができなくなりました。それでも、さらに約三千坪は買わなければなりません。残っている場所がそれしかありませんので、そこをさらに買わなければならないのです。そうしたら私たちの教会も建てるつもりです。私が願うのはもちろん、この場所が世界本部になることです。皆さんもそう考えるかもしれませんが、ここは必ず世界本部にならなければなりません。

 先生が地上に生きている間に主導的な役割をなして土地を買ったのに、財政上の理由で一万数坪だけ買い、世界本部を建てるということは恥ずかしいことです。考えてごらんなさい。これから十年、二十年、三十年、およそ五十年後になれば、その時はここが歴史的な殿堂として世界の数多くの人々が来るのです。そうなれば、汝矣島には撤収問題が起こるようになることでしょう。先生はそのように考えます。私の考えは、汝矣島全体を私たちの一つの庭園にしたいのです。ですから家を建てようとすれば、そのようなことまで考えていなければいけないのです。

 ところでそれは、統一教会の本部にいる人たちが買わなければなりません。一人が土地一坪ずつ、何かの商売をするか、でなければ自分の骨一つを売るかでもして買わなければなりません。土地一坪を買わなければ、歴史的に後孫たちが嘆息することでしょう。今に見ていなさい。先生があらん限りの精誠を尽くし、国を越えに越えてこのようなことをしているのに、国内でみ旨を知った者として、ここに加担できなくなるならば、千秋万代に恨が残るはずです。

 世界本部というものは一番であるという意識を与えなければなりません。また、世界本部は新しい場所に造らなければなりません。そのような意味で、汝矣島に土地を買うようになったのです。土地を買うには、新しく出発できる場所に買わなければならないというのです。長さが三百六十メートルで、幅は百六十二メートルです。そこにビルを一つ建てようと思っていますが、建てるときにはつまらないものは建てないつもりです。

 今後汝矣島がソウルの中心街になることでしょう。それを見れば、神様が御加護され、私の予想したことがぴったり当たったのです。また、購入した土地の前には民族の広場ができるでしょう? 国会議事堂が隅っこのほうに場所をとったのは、「その土地を私たちが買いなさい」ということなのです。ところが私たちがその土地を買ったところ、土地の値段が急に跳ね上がりました。私の気分が良いのは、麻浦大橋を渡っていくと、すぐに統一教会の看板がぱっと見えるようになっていることです。

 その汝矣島の土地を買うとき、数ヵ月の間で数億というお金を軽く現金で支払ったのです。

 汝矣島に一万五千坪近い土地を買ったのですが、その土地を買う時もお金が全部集まったのです。


地方教会聖殿準備補助

 私が今回、教会を建てるのに少しずつ援助してあげましたが、それは皆さんがすべて家庭を祭物として捧げたという立場に立ったからです。家庭を祭物として捧げて何をしようというのですか。氏族的標準を準備しようというのです。それがまさしく教会であるというのです。それらの

 教会は、今後既成教会と通じる基点になるのです。それで今回、私が地方教会にいくらかずつ援助してあげたのです。そうでなければ援助しないのです。

 今回、全国的に部屋を借りてあげたりしたのは、対外的威信のためです。皆さんを援助してあげるのは原則ではないのです。皆さんの背中の皮をはがして売ってでも、土を練って壁に塗り付けて基盤を築き、既成教会の聖堂よりも大きく造るようになっているのであって、先生が皆さんを助けてあげるようにはなっていないのです。正しい思想をもちなさい。自分の家は自らが造ってこそ精誠になるのです、誰かが造ってあげてそれで良いのですか。そのような人たちに国を任せたら、国を売り飛ばしてしまうのです。私が与えたくて与えるのはかまわないのです。しかし、皆さんが欲しくて「下さい」と言うから与えるというものであれば駄目なのです。


一信石材工芸株式会社創立(一九七一・二・二六)

 株式会社一信石材は、一九七一年二月二十六日、全北全州市八福洞二七〇-四で、代表理事に黄忠雲氏、理事に劉孝永氏と文昇均氏、監査に李秀卿氏が就任、初期の困難な与件の中で資本金一千万ウォンで創立するようになった。

 石というものはキリスト教思想の根です。すべてのものの根です。十戒も木版ですか、石版ですか。(石版です)。ペテロに対して何と言いましたか。(磐石になれと言いました)。また、イエス様を何と言いましたか。磐石であると言ったのです。花崗岩は最も強い石です。その中でも韓国の花崗岩は世界的に有名です。

 うちの一信石材が先取権をしっかりとつかんでも、このままでは駄目なのです。ですから、国際水準を凌駕できる基準を内部につくっておかなくては戦いにならないのです。ここで一、二年働いたら、何人かは外に出ていって、苦労しながら基盤を築かなければなりません。そうして、そこでみな支店を開いて販売するのです。「日本の大きな石材会社を締め出して、あるビルを受け持ってやってやろう」と考えてみなさい。安くやってみなさい。逆宣伝が起こるのです。

 世界の有名なビルは今や韓国の石で建てるのが誇りであるというその時が、将来遠からずして来ることでしょう。岩山を買いなさい。今は工場をもっと造らなければなりません。そして、彫刻家という人々をたくさん採用しなければなりません。ここにいる皆さんの中で彫刻科を出た人がいれば、しかも日本語ができる人がいれば、引き抜いて日本に送って訓練もさせなければなりません。その次には、イタリアなどヨーロッパの方面にも送りましょう。

 今のような国際競争時代には、開発と開拓がかぎです。ここでも機械のようなもの、銅像のようなものもコンピューターにほうり込んで、手一つでもってボタンだけを押せばいいのです。機械が自動的に全部仕事をして、完成品がしっかりと出てくるのです。そのようなシステムが考案できればつくって使いなさい。ですからどんなに出発がうまくできたとしても、開発が遅れたら負けるのです。


三 協会職制改編(一九七一・六・一)

 協会では一九七一年五月二十四日正午、本部の二階で、真のお父様の主宰により協会部長および地区長が列座する中で会議が開かれ、六月一日付で地方編制を大きく改編し、また、その代案として大々的な巡回師制度を新設することにした。すなわち、地区と地域制度を撤廃し、大小を問わず、地方の各級教会機関をすべて独立性をもった教会制度に還元させたのである。これにより三十四の地区長と二百一の地域長は自動的に教会長になった。全国巡回団は、六月二十一日、それぞれが重任を帯びて任地に向かって出発した。


全国教会の協会直轄制

 六月は統一教会を中心として歴史的な摂理を置いて見るとき、重要な月です。一九七一年度は、先生が話してあげたように歴史性を帯びた重大な年です。そのような一九七一年の六月、陰暦で見れば七月までは、私たち統一教会において重要な期間であると考えます。それで、皆さんが知っているように、六月最初の一日である、きょうを期して協会機構を改編したのです。

 これまで、私たちの教会の組織は、本部があり、地区があり、地域があって、その下に地方教会があったのですが、今回、本部で直接、全体の教会を管轄できるように改めました。地区長制をなくすことにより、地区長たちも教会長になりました。一九六〇年には、本部教会で直接地方教会を指導していたのです。そうするうちに地区体制を経るようになったのです。このような体制では、中間段階にいる地区長たちが責任を全うする立場であればよいですが、責任を果たせないようになるときには、末端の教会から必ずいろいろな話が出るようになるということを感じてきたのです。それで、きょう六月一日を期して全体機構の改編をするようになったのです。

 道庁所在地にも教会があり、市にも教会があり、邑にも教会があって、面にも教会があります。これから教会長たちは実力を尽くして活動をしなければなりません。自分に実力が多くあれば、発展できる体制を講究したのです。教会長の中には邑の教会長もいるし、面の教会長もいるでしょう。

 したがって一人の教会長は、必ず自分の教会一つに責任をもち、その地域で原理的編制を拡大させていかなければなりません。原理は四位基台の組織形態であるので、一つの主体教会を中心として四位基台形態の基盤をつくろうというのです。そうして、礼拝人員が四十名以上集まるようになるときに、教会として認めてあげるのです。


全国巡回師(十六名)制度設置

 そして、本部に全国巡回師制度をつくりました。男性八名と女性八名で全国巡回要員を置き、最大限の機動力を動員して地方の郡、邑、面まで、全体を本部で管轄するようにしました。そうすれば、少なくとも一ヵ月に二回ずつは、地方教会を巡回できるのではないかと見ているのです。

 これまでは地区長の指揮下に地域が属していたため、地区長が毎月一回ずつ巡回することも難しかったのです。ある地域では三ヵ月に一回、あるいは、ある特定地域では六ヵ月に一回も巡回できない場所がありました。このような立場から見て、私たちの教会が発展するところにおいて、かなりの副作用を引き起こす結果となったため、今回このように改編を断行するようになったのです。教会の基本活動は、本部が直接主動して地方を動かしていこうということです。

 これまでは、教会の伝道活動は個々の教会で主管してきました。地区本部や地域本部でそれぞれ四十日伝道期間なら四十日伝道期間を計画し推進してきたのですが、これからは本部で全国を管轄するようになります。もし今後、四十日伝道期間があるときには、地方教会ではその名簿を本部に提出し、先生の特別命令によって進行した六〇年代のように、先生から直接的な命令を受けて自分の地方に配置されたと感じながら活動するようにし、天に対して精誠を込めるところにおいても直接連結して精誠を込めるという立場になるようにするつもりです。

 過去にどのようなことがあったかというと、ある特定のことを地区本部に示達すれば、それが各地域に伝達されずに地区にとどまっているケースが多くあったのです。また時折り、中間にいる地区長が地域長との感情が良くなくて、地域長の要求する事項がいつまでも本部に伝達されない事例がたびたびあったのです。しかしもう、そのようなことはなくなるでしょう。

 ところで、地方巡回班をつくるとどのような弊害が生じるでしょうか。ある道なら道に巡回班を固定して配置してしまうと、八つの地区長がいた当時のような傾向が生じる恐れがあるのです。それでそれを是正するため、巡回地域を三ヵ月に一度ずつ交替しようと思います。そうすれば、本部では巡回師から一つの区域の報告を受けるのですが、三ヵ月後には交替した他の巡回師からの報告を受けるようになるのです。こうすれば、一年間で四人の巡回師からその区域に対する報告を受けるようになるので、ある教会に事件が生じ、その事件に対する報告を受けるようになるとき、四人の報告が一致しなければ、一致していないその巡回師班が責任を負わなければならないのです。こうすることによって、これまでの巡回のときや地区長を中心としていた弊害を防止できるはずです。

 そして、地方教会には、教会長が六ヵ月に一回ずつ、巡回してきた巡回師についての報告と、これまでの全体的な活動事項に関する報告、および建議ができるようにしました。なぜなら、どのような巡回師が来てプラスになったとか、あるいはマイナスになったとかいう全般的な問題点を知らなければならないためです。それで、このようなことの問題を六ヵ月に一度ずつ本部に報告する体系を整えたのです。このように一九七〇年代からは、新しい体制を備えて出ていかなければなりません。


四 「週刊宗教」創刊と統一原理公聴会

「週刊宗教」創刊趣旨と目標(一九七一・六・二、文化公報部登録 七・四、創刊)

 「週刊宗教」が一九七一年六月二日、文公部(文化公報部)長官から登録が確定され、通知されることにより、七月四日創刊された。週刊宗教社は、ソウル鍾路五街キリスト教会館二階二〇四、二〇五号室に社屋を設けた。発行人には金元弼、社長は李戴錫氏が選任された。

 私たちの教会は、宗教協議会や「週刊宗教」を中心として、宗教の最高責任者たちをひとつところに追い込むための作戦をなしているのです。そうして、その風土がある程度造成されたら、すべての宗教団体は超宗派的な立場から、宗教の怨讐である共産党の脅威から国家の運命に責任をもつ思想的基盤となることができるようにしなければなりません。したがって、私たちが宗派を超越し、超宗教的な立場から反共姿勢をどのように確立するかということが何よりも急を要する問題とならざるを得ません。

 私たちのみを中心として見れば個々人の使命ももちろん重要なのですが、全体に責任を負っている先生はこのような問題を急いで解決しなければならないため、これを心配し、皆さんが理解できない超教派運動を中心として宗教協議会まで率いてきたのであり、また、それを中心として「週刊宗教」まで作ったのです。このように「週刊宗教」を作ってみると、私たちに有利になったことがあります。それは、いくら立派な宗教団体の長でも週刊宗教新聞社で招請すれば出てこざるを得ないということです。

 こうして、彼らに一次、二次と打診し、国の悲運を彼らも心配できる立場で合意して共同戦線を立て、彼らに、いかにして反共精神をたたき込むかという問題を考えたのです。本来は、宗教協議会を中心としてそのことをしようとしたのです。宗教協議会を指導する責任者が公的な民族的使命をもち、すべての宗教団体を超越し、個人を犠牲にして全体の利益のために仕事をしなければならなかったのです。

 そうであるにもかかわらず、そうできなかったため、今、宗教協議会が不振状態に落ちています。それで「週刊宗教」を通じて追い出したのであり、新しい宗教協議会強化運動をしなければならない時点に置かれていることを皆さんは知らなければなりません。

 ともかく十万部以上は突破しなければなりません。「週刊宗教」が十万邦を越す日には、私が借金でもして日刊新聞社を造ることができるのです。気持ちさえ起こせばそのようにすることができます。私が気分を良くすれば神様も喜ばれます。私たちが韓国で一番の新聞社を造ろうというのです。

 皆さん、週刊宗教新聞社の登録だけにしてもそうです。文公部長官が棄却の判こを押しても私たちは申請をするのです。一次棄却、二次棄却、三次棄却、四次棄却までしても最後まで出すのです。

 課長、局長とけんかし、長官ともけんかして、てっぺんを押さえるのです。そのような道もあり得るのです。ある人は「早く勝てば良いものを、なぜ今まで苦労するのか分からない。そのような方法があるのに」という人もいます。

 しかしながら順序があるのです。それで李載錫牧師が「先生がしなさいというとおりにすれば、間違いなくできる」と言うのです。

 今回、私たちが「週刊宗教」新聞を出すというので、キリスト教会館でどんなに嫉妬したことか知れません。そこには新聞社が四つあります。クリスチャン新聞、連合新聞、基督公報、週刊基督教です。そして私たちのものまで合わせると五つです。五社が競争だというのです。

 「週刊宗教」の第二号が出ると、クリスチャン新聞社のある局長が、「もう、自分たちのところの新聞社はやっていけない」と言うのです。統一教会がそのような実力をもっているとは思わなかったというのです。

 私たちの教会と既成教会が同等になるときが一九七一年度です。それで、今、キリスト教会館に週刊宗教新聞社が入ったのです。そこには文句が多かったというのです。「統一教会のせいで大変なのに、キリスト教の本拠地となる所に統一教会の新聞社が入ってくるんだって、怨讐が?」と言っていたというのです。「けれども入らなければならない」と言って、そうしたのです。結局は、借りることは借りたのです。

 こうして今は、対社会的な面においても対内的な面においても、一線に立ったというのです。ですから今が越えていくときです。それで七月前までで七次の教役者(注:キリスト教の宗教活動に携わる人)公聴会をしました。今後、さらに三次だけすれば、そのときはみな知るようになります。八月に八次までしました。今年中に十二次までするようになれば反対しなくなるでしょう


教役者招請原理公聴会

 第二回教役者招諸原理公聴会が、一九七T年二月十五日から十七日まで二泊三日にわたり、ソウル市内の豊田ホテル、サンポ会館で、国内既成教会現職教役者八十七名が参席し、大盛況を成した中で開催された。
 三月二十九日から三十一日までの第三回教役者招請原理公聴会は、九重面水澤里中央修練所に変更、場所の制約ゆえに参席通知者全員が参席することはできなかったが、現職教役者百三十二名という大盛況を成した中で開催された。第四回は、同じ場所で約七十余名の現職牧師たちが参加する中で、四月十九日から二泊三日間“実施された。特に韓国滞在中であった欧米宣教師崔サンイク氏と日本の食□たちの証と和動は、我々の原理の価値を一層引き立たせ、満ち足りた雰囲気を造成した。
 教役者原理公聴会は、一九七一年度だけでも十二回にわたり、合計九百十五名の教役者たちが経ていった。原理講義は李戴錫(前編)、安昌成(後編)の両氏が各々受け持った。


 一つの国を成すために、イエス様の氏族とイエス様が一つにならなければならなかったのであり、全ユダヤ教が彼らと一つにならなければなりませんでした。私たちが今これを復帰しています。今が分岐点の頂上です。

 それで、今年一千名以上の既成教会の牧師たちを招請して原理修練をしました。イエス様を十字架にかけたユダヤ人たちは、今なお地上に残り、イエス様を否認しています。それゆえ、この二十年路程の間に私たちはそれを蕩減しなければなりません。このような目的から牧師たちを招請したのです。

 彼らが原理を聞くと、その原理に感化を受けて、「ああ、知らなかった。統一教会の文先生がどのような人であるのか知らなかった」と言ったのです。昔は何も知らずに自分たち同士で「統一教会の文なにがしを追い出そう」とやっていたことを今になって考えると、「昔と比べることさえ恐ろしい」と言うのです。実際、今、そのようになりました。世の中が変わったというのです。

 「原理公聴会に牧師たち、来てください」と言うと、上のほうでは公文を出して「行ってはならない」とか、何だかんだと言ったのです。しかし、上では「行くな」と言っても、下のほうではどんどん抜けて出ていくのです。それで公文を送っても「そのまま伏せておこう」というのです。いくらでも公文を出して送ってみなさいというのです。

 原理公聴会に来れば、あれこれ世話になり、たくさん学び、衝撃を受けます。考えてみたら自分たちは何でもないのです。ですから大変なことになったというのです。彼らは頭をがくっと垂れるのです。最初入ってくるときは、目をぴかぴか光らせていたのですが、出ていくときは頭が垂れているのです。実力で負けたのです。

 これは借金をしながらでもしなければならないのです。ヤコブがエサウを屈服させるため、二十一年間精誠を込めて集めた財物をエサウに捧げたように、今、私にものがあり、人があり、物質があるとするならば、それらすべてのものを既成教会を経て大韓民国のために使わなければなりません。


教授招請原理公聴会

 全国大学生原理研究会主催による「教授招請原理公聴会」が一九七T年}月十日から十一日まで一泊二日にわたり、ソウル城北区水踰洞所在のクリスチャン・アカデミー・ハウスで、各大学の原理研究会指導顧問を中心にした各分野の教授五十二名が参加する中で実施された。
 参加した教授たちの中には、李恒寧、金ソンシク、洪ヂョンシク、チャンビョンギル、朴徳培、コソック、李サノク、林漢永、李大偉、シンドウク、朴ノシク、金セワン(弁護士)、チョンヂョン、朴ドンウン(言論人)、尹テリム、金永斗教授等、学長級、総長級の権威教授たちも多かった。李載錫(前編)、安昌成(後編)の両氏が講義を担当し、黄鉉洙(原研)、洪鍾福(勝共連合)、李起錫(協会)の諸氏が各々ブリーフィングを行った。一方、聴講教授たちは、講評を通じて統一原理出現の歴史的意味を高く評価した。


 私たちが一九七〇年度に入ってから既成教会の牧師たちを招聘して原理公聴会をもつことや、教授たちを中心としてアカデミー・ハウスで原理セミナーを開くのは、これが一九七〇年代において、国家的な環境を私たちと連結させ、全面的な方向を打開するのに重要な契機になると考えたからです。それで先生がこのような作戦をしているのです。今後、大学街を主としてこのような作戦を強化していかなければなりませんにそして、今後、日本における思想武装も、私たちが責任を負わなければならない時がすぐに来るであろうと、今予想しています。

 私たちは莫大な経費を使いながら、大学街の有名な教授たちを中心として私たち統一教会の原理を研究させ、各自の専門分野から見た統一教会の原理に対する対照批判とともに、自分の所感を添付したものを書籍として早くつくろうというのです。著名な教授たちが公認した書籍を見る人々は反対できないことでしょう。それゆえ、その仕事を早急にしなければなりません。「驚異的統一原理」という内容を中心として、今年中に書籍を発刊しなければなりません。そうして、これを日本語や英文に翻訳し、各国の指導層に影響を及ぼすことができるようにしておかなくてはなりません。

 こうして、教授たちが書いた本が数カ国語で翻訳されたとなれば、それは、大韓民国の教授として自慢の種になることでしょう。実際、原理の内容がそれだけ膨大なものなので、彼らは称賛することができるのであり、また、称賛が受けられる内容が十分にあるというのです。


五 清平聖地開拓と清平修練所建設

精誠の基盤と敷地購入(一九六九〜一九七一、京畿道加平郡雪岳面松山里)

 良い場所は必ず湖に沿っていなければなりません。ところで東海岸(日本海側)はソウルからあまりに遠いのです。西海岸(黄海側)はいくつかの都市が集中していて、干満の差がかなり激しく、水が引くと干潟になり、また、泥水であるために良くありません。ですからソウルから遠くなく、一番適格な所は清平しかないというのです。それで、三十分以上かかる場所で選んでみたら、清平の松山里になったのです。その地域は本当にすてきです。私が清平地域を中心として一番良い所に場所をとったのです。

 一番最初、先生がここに来てさっと見てみると場所が良かったのです。それで、ここに場所をとって祈祷を捧げ始めたのです。私が一生の間精誠を込めるところとして祈祷する道を磨き始めたのです。いかなるグループでも最高のグループは、精誠を込めた段階があるのです。このようにして、独り、ウロプ山の頂上に登って祈祷したことがきのうのことのようです。私はたとえこの手のひらしかない、何もない人ではありますが、私が決心してこれまでできないことがありませんでした。一度成すと決めたことはどんな手段を使ってでも必ず成してみせるのです。

 その時はテント村として有名でした。そこの人々は、病気の人たちが来て療養しているものと思ったり、何もすることのない人々がソウルから暇をつぶすために来ているものと思っていたのです。そうではなくて、その時この地方を探知して回っていたのです。

 私が釣りで、魚を獲りに回ったりするでしょうか。うわさを立てることなく基盤を握らなければならないため、三年前からここに人々を派遣していたのです。そうして、彼らに船を買ってあげ、贈り物もしてあげるので、彼らは、自分たちの暮らしに良いといって、それだけに熱中したのであり、先生の計画を全然知りませんでした。それで非常対策を立てたのです。ここに基盤を握っているすべての親分たちを懐柔し始めたのです。

 この土地を買うときにも、地主百余人から買うのに約九ヵ月くらいかかりました。主人が百人ですから一人と契約をするのに二日くらいかかります。とにかく三日以内に一軒ずつ契約をしました。世の中ではこのようなことはできません。彼らが容易に売ると思いますか。統一教会がその土地を買ったので、その次の人たちは「土地の値を何倍にしてもらわなければ売らない」と言うではないですか。そこには反対派たちがいるのです。そしてこんなふうに反対し、あんなふうに妨害をするのです。

 しかし、「この土地は誰の土地ですか。神様、あなたのみ旨をこのような所を中心として成さなければならないのではないですか」と精誠を込めるのです。私個人のことで精誠を込めるのではありません。それで、ここに手をつける者は、統一教会の運勢にへし析られていくというのです。多くの人が霊界に逝ったのです。反対していた人々の中には、名前の分からない病気で手術するなど、病院に入院している人もいます。このようなことを見たら、神様が特別に記憶されていらっしゃるということを知らなければなりません。

 あの三角地帯の前の天留荘の別荘の主人が、ボートに乗っていて転覆して死んだのです。崩れた谷間の深く入り込んだ場所で私たちが修練しているとき、そこを管理している人々に追い出されたことが思い出されます。その時から、この清平の地形が良いことが分かって土地を買い始め、今も買っている最中なのです。清平の湖を中心として私たちの修練所の場所を知っているでしょう? もともとその場所は、家を建てられる敷地が全くなかったのです。そこには水に溺れて死んだ文氏の墓が一つあって、小さな谷に桑の木が十五本くらいしかなかったのです。

 その地帯があまりにも良いので、清平全体の山野をずーっと回りながら見ると、そこが中心地だったのです。それで、そこにテントを張って土地を買い始め、修練所を建て、これまで土地をたくさん買ってきたのです。それで、ここを将来、国際修練所、全世界の若者たちがここに来て修練を受けることができる世界本部のような所をつくろうと思うのです。


修練所建設作業
(一九七一六・一七、くわ入れ、六・二〇、建設団作業開始、七・二〜七・一二、建物完工)


 仕事をする人々をどのようにしてでも集めなければならないのですが、今回約三十名を地方に人事異動することによって、地区長の下にあった部長級の職がなくなりました。それで、その人たちに「すぐに上がってきなさい」と言って、清平で土を掘らせたのです。それで、特別修練会をして「三日間土を掘りなさい」と言って、誰がどのようにするか、ほうっておいて見るのです。

 清平で仕事をする人たちは、これまで数十日の間、土を掘りました。そのようにしながらも、普通四時間、五時間しか寝ることができません。最悪の状況だというのです。きのうは私が「負傷者、前に出なさい」と言うと、二十六人中、八人が出てきました。三分の一が負傷者でした。それで、さっと見てみると、死ぬようなけがではありません。つるはしでちょっと傷ついたり、釘が刺さったりして足の甲がちょっとはれたのを、「けがをした」と言ってびっこを引いているのです。それで私が「何だお前たち、この場には負傷した者が出てこなければならないのだ。血を流す者が出てこなければならないのだ」と言ったのです。この場は蕩減する場であるというのです。

 家を建てる仕事を数十年した人がする仕事も、私が行ってコーチして、初めてまともにできるのです。私は大工でもないのにです。そのようなことを見れば専門家が特にいるわけではありません。深刻な立場でその標準の価値を観察するようになれば、それがふさわしいか、ふさわしくないか一遍に見分けることができるのです。

 オンドルを置くにも、私が「オンドルはこのように置くのだ」と、コーチして初めてできたのです。また、きのうは井戸を掘る人たちが来たのですが、「井戸をどこに掘らなければなりませんか」と尋ねるのです。それで、「どこに掘りますかだって? 井戸だけ何十年も掘った人がそれも分からないで、今までどうやって仕事をしたんだ? 井戸は、硬い地と軟らかい地の境があれば、その筋が直線に流れていって横になったとき、その筋に沿って突き剌せば水が出てくるものだろう。そうではないか」と言ったところ、「いつ井戸を掘ることを全部学んだのですか」と言うのです。それは自然の理致です。

 清平に家を建てるにも、二ヵ月くらいかかるものを八日目で完成させるのです。七月一日から「地ならしをしなさい」と言って、二日から始めました。ですから、一週間の間で全部やるのです。きのうまで床を敷き、壁を塗って、その次には天井を全部やりました。雨が降ればこれも有り難く思える立場なのです。そうして、きょうは整理をするのです。清平に建てた家は九十三坪です。講堂だけ見積もれば約七十坪になるので、二百余名は寝ることができます。

 七月十日までしたのですが、塗装をするのに二日さらにかかったのです。ですから、建てた期間は十日間ですが、八日目に建てたことになるのです。十二日から公聴会をするのにその日までやったのです。片方では塗装をしながら、何とかかんとかして恥をかくのを免れて公聴会をしたのです。

 スレート(注:石版の瓦)を上げるときのことです。三日前から契約がなされていました。ところが、そのとき連絡する人がどこかに行ってしまい、最終日になってもスレートが上がってこないのです。それで、大変なことになったのです。牧師たちが十二日に来るので、その日に終わらなければすべてのことが崩壊するのです。どこからか大工を連れてきて補家を建てるのを手伝ってくれ」と頼むのですか。(笑い)大変なことになったのです。これは何、鬼神の風を起こしてでも何かをしなければならないのです。そうこうするうち、追いかけ回しながら「お金を出さなければスレートはやれない」と言うのを頼んで、また、ぽんぽん船を貸し切って、夜十一時半にようやく修練所に積んできたのです。

 それを全部下ろしてみたら、夜中の二時半くらいになりました。そうして、ぽんぽん船が上がっていくにはもう遅いということで、その主人があそこに登っていって一晩寝ることになったのです。ところで、一晩寝て、朝、降りてきて見たら、一晩の間にスレートが全部屋根の棟に上がっていたのです。(笑い)

 その人の考えでは、そのとき雨が降っていたので「合掌のようなものが濡れたらいけないので、臨時にあのように上げておいたに違いない」と考えたというのです。ところがどうしたことか、上がったスレートの上には仕事をする人が一人も見えないというのです。夜中に、数時間で、すべて完全に上げてしまったのです。それでこの家は、鬼神の家というあだ名がついたのです。(笑い)

 これをずーっと見回してみると、色を塗ったので調和しているのです。見れば、平べったくなっているのが、ひれ伏して道を修めている相だというのです。(笑い)


修練所一帯の山と湖(一九七二・七・一〇、山と湖の二十一箇所に新しい名前を命名)

 先生が大概の有名な国、数十カ国に全部行ってみたのですが、このように美しい所はないのです。さらに、うちの修練所の前のあちら側に行くと、平べったい私たちの別荘があるのです。その別荘を「天留荘」と言いますが、その後ろを上って行くと、実に妙なる所なのです。この地方全体が牡丹の花のようになっているのです。

 皆さん、平壌を「牡丹峰」と言うでしょう? その牡丹峰がなぜ有名かというのです。牡丹峰が有名なわけは、牡丹の花はぐるりと囲んでいるのですが、その真ん中の黄色い部分が調和をなして種を生じる、そのような所であるためです。それと同じように、この天聖山を中心としてそのようになっています。

 この山を越えると全然味もそっけもないのです。登っていって見ると好き勝手になっているのです。しかしながらこれを屏風にして、この前に連結しているすべての山野は本当に牡丹の花のようになっているのです。一度見てみなさい。遠い山々がぐるりと囲んで私たちの修練所に向かって全部生い茂っているのです。

 それも良いですが、また、川の水が流れているでしょう。私たちの修練所の前庭から眺めるとその川の水が、どこから流れてきてどこに流れていくのか分からないのです。一度見てみなさい。川の水が入ってくる道も分からないし、出ていく道も分からず、湖のように思われるのです。そして、私たちの修練所から見下ろすと景色がそれこそ絶品なのです。湖畔と山野が調和した美しい所だというのです。本当にここは、世界に誇るに値するのです。

 この山は本来長楽山でしたが、先生が名前を「天聖山」と別につけました。「天」という字に、神聖の「聖」の字で天聖山と名前をつけたのです。そして、ここから皆さんの目に見えるあの大きい山々にはすべて、新しい名前を先生がつけたのです。

 この修練所の裏山に名前をつけるのに、「天勝台」とつけたのです。ここ全体を天勝台と名前づけました。あの裏山のまん中の峰には神聖なる「聖」の字を使い、あちら側の峰には完成の「成」の字を使い、こちら側の峰には城の「城」の字を使ったのです。三つの「ソン」、「三ソン山」なのですが、それぞれ神聖を表し、完成を表し、保護を表しているのです。

 その山がどうなっているかというと、その山は直線上に屏風のようになっています。この地形を見ると、屏風のようになっているのです。全体の山々は高いのですが、屏風のように直線になっていて、全部がそれを臨んで生い茂るようになっているのです。それで、私があの山の向こう側に、あの山よりももっと高い山が十里以内にあったら駄目だと思ったのです。あの山の向こう側にある大きな山脈が山並みを伸ばして長い山を経ていくようになっていてはならないというのです。

 私が七月十日に登りました。登ってみると、この山は思いがけず直線になっているというのです。それこそ実に形が良いのです。これは屏風になっていて、これは屏風の前の食膳のようになっているのです。食膳のようになっているのですが、ここにあるこの水はすべての調和を意味するのです。

 水を見ていると、常に、一日にも何百回ずつ変わります。よく見てみなさい。これは調和を意味しているのです。調和というものはすべての希望を意味し、あるいは無限を意味し、全体の繁栄を意味するのです。このようなことを象徴しているというのです。そのような観点から見れば、この場所がとても明堂(注:風水説で非常に良いとされる土地)であるというのです。

 清平という名前も良いのです。清平とは、すべてのものが完全に定着をし、新しい出発をすることができるということです。清平の「清」は「青」を意味し、青い(注:若々しい)ということであり、「平」は「平平」なこと(注:平たいという意味)を意味するのです。それで清く平らなことを意味します。ですから、すべての整地作業は全部できているので、設計して柱だけ持ってきて立てれば、いつでも出発することができるというのです。そして将来、清平が天平になるのです。(笑い)

 修練所の前のこの湖の名前を「天心湖」としました。この山は「仙人峰」、あの山は「天善山」としました。善良の「善」の字、正しいという意味の「善」です。この前にずーっとある二十一個の山に対する名前を先生が七月十日に仙人峰の頂上に登って命名しました。

 ここからずーっと上がっていった所にあるのが天引台です。将来、私たちの本来の修練所本館を建てる所です。そこは精誠の度数が満ちていて、外国から訪ねてくる特別な人々のほかは絶対に入っていくことができません。聖域地帯をつくり、王宮のように建てることができます。あの山の下にはおよそ一万五千坪ほどの平地をつくることができる所があります。そこからずーっと山奥に道を切り開こうとするので、神様が導かれるという意味で「天引台」と名づけたのです。このように、全部その名前を解くようになれば、理想の園が出てくるようになっているというのです。


清平を中心とした精誠時代

 先生はこれまで水澤里を中心として精誠を込めました。今後は、清平を中心として精誠を込めなければなりません。天に祈祷する基準があるのです。時間さえあれば、私がここに入り、歳月を送ろうと思うのです。精誠を込める所、すべてそのような所なのです。今は、水澤里時代から清平時代に移行したのです。ここは精誠を込める所なのです。

 どうかすると清平に行きます。待っている人がいて行くのではありません。誰もいないのです。私が昔、この道を切り開きながら苦労したその立場が恋しく、山野が恋しく、聞こえてきた風の音、鳥の声が恋しくて行くのです。その流れ落ちる自然の摂理を通して天の感動の世界に接触していたその気分が恋しくて行くのです。

 皆さん、春が恋しいでしょう? 夏を迎え、秋を迎えれば春が恋しくなるのです。その恋しさは、死ぬ時まで誰も奪っていくことはできないのです。困難な立場で、おなかがすいた立場で、耐えて瞑想をしながら天と因縁を結んだその時間が恋しくなるというのです。あるいは、吹いてくる風の便りを感じるようになるとき、それが過去の認識を現実の生活圏内へせき立ててくれるために、過去が刺激的な動機になったとすれば、現実の生活的な動機として顕現できる立場となるためにそれを好むのです。

 私が清平に行っても、ある人たちは「することもなく通っている」と言うかもしれませんが、どうしてすることもなく通ったりしますか。とんでもありません。通っては、私なりに、行かなければならない道を切り開いていくのです。深刻だというのです。戦争をするのに刃を研ぐ、そのような生活が必ず必要だというのです。その位置で追求するものは私の幸福ではありません。

 私は「どうやって豊かに暮らし、何をどのようにしようか」という考えは、絶対に、一生の間、してみたことがありません。「どううまくやって、私の息子、娘に良く着せてやろうか」という考えはしないというのです。この国と世界をどのようにするかという問題を置いて考えるのです。


六 全国伝道と主要行事

全国地区巡回および地方伝道地巡回(一九七一・一月〜七月)

 皆さんを送り出し、先生は「良かった」と言って安らかに生活をしたのではありません。皆さんに負債を負わないため、今年の正月一日から七月まで全国を巡回しました。

 そこに行っておばさんたちに会うと、涙をぽろぽろ流すのです。「目が病気にでもかかったのか、どうしてそんなに涙を流すんだ」と言っても泣くのです。本部では、毎日、朝会ってもあいさつもしなかったおばさんたちが「会えてうれしい」と泣くのです。母と出会え、「会えてうれしい」と首に抱きついて泣く、そんなふうに泣くのです。そのようなことを見るとき、神様のためにそのようにうれしく懐かしがることができるその時間というものは、金をあげても、お金をあげても換えられないものです。

 青春時代、壮年時代、老年時代を経て、死の境までそのような心で行くようになるなら、間違いなく、死んでも悪い所に行かないというのです。

 おばさんたちが任地で苦労するのを見れば、その苦労は私がさせたことのようですが、私に向かって「統一教会の文先生が何者で、苦労させるのか」と拳を振り回しながら不平を言う人がなく、涙をぽろぽろ流すのです。自分を苦労させた張本人であるにもかかわらず、行ってしまうのではないかと心配し、ひたすら「行かないでください」と泣くのです。それが不思議だというのです。それを見たとき、「私は良くないことはしていないのだなあ」ということを感じました。

 この結末は、私が滅び、私たちが滅びてもこの国は栄えるようになるということです。私が滅びたとしても、この国は残るようになるということです。涙でつづられた統一教会の伝統だけは、この民族を泣かせるであろうし、世界の人類を溶かし尽くすことでしょう。


夏季四十日伝道出発(一九七一・七・二〇)

 この七月を中心として思うことは、七月二十日から始まる四十日伝道期間です。この七月二十日は、私たちの脳髄から忘れられない日であると同時に、私たちの教団でも常に重要視する日です。

 一九六〇年度から一九六三年度の前半期までは、四十日伝道期間を出発するときは、本部が中心になって動かしてきました。その体制が一九六三年度後半期からは、各地区、あるいは地域を中心として活動をしてきているのです。しかし今年からは、この四十日夏季伝道期間は、再び本部が管轄し、直接先生の指導のもとで実施しようと思います。一九七一年度と一九七二年度のこの期間で、特別にこのような活動をしようとするのは、み旨的立場から見たときにとても重要なかぎにもなりますが、私たちの教会が一つの契機を設けることにもなるのです。

 私たちがみ旨的な立場から見たとき、これまで家庭を中心とした伝統性を確立するために歩んできました。ところが今見ると、婦人たちは出ていって活動しているのに、男たちはみ旨の道を行くのか来るのか分からないほどです。それで、新たな拍車をかけなければならないというのが先生の考えです。

 それで今回、七月二十日を中心として全国に動員するところにおいて、全体動員を準備しているのです。このときに私たちは、言葉だけでなく、実際に新しい点を見せてあげなければなりません。「私たちはこのように戦った」と言いながら見せてあげられるものがなければならないというのです。

 夫たちは、今一線に出ている自分の夫人と一体になって精誠を込めなければなりません。昼も夜も、あるいは夢の中や寝言ででも、「愛する妻が勝利の娘となり、神様に愛されることができる烈女になるように」と、祈祷する心をもたなければなりません。今回の三年期間は、そのような気持ちをもって妻と共によく越えていかなければならない家庭的受難の期間なのです。

 今や、韓国を協助してくれるお方は神様だけであり、信じられるお方も神様しかありません。北韓を見れば、今、彼らは武力で韓国を南侵できる万全の準備を整えているのであり、しかも中共とソ連が背後で加担しています。このような共産圏を東北部に迎えているのが今日の韓国の実情です。ここに日本が今、中国と手を結んで出る立場にあります。これを見るとき、韓国の行き得る道が前後でびっしりふさがれているのです。

 このように、韓国が周辺国家に包囲された状況の中にあるということを知っている韓国の民が、安逸な生活をすることができないということは繰り返すまでもありません。さらにみ旨を知っている私たちの立場では、韓国がいくら周囲の怨讐国家に包囲されているとしても、神様を信じ、神様のために精誠を込め、その精誠の度合いが世界万民を動かし出すことができるものとして残るようになるときは、どんなに強固なサタン世界の権限もここに手をつけることができないという信念をもって、この三年期間にあらゆる精誠をすべて込めなければならないのです。

 そうしてこそ初めて、この三年期間が家庭全体を祭物にして捧げることができる期間として越えていくのです。


全国教会員修練会(一回:一九七一・八・一二〜一八、二回:八・二六〜九・一、清平修練所)

 一九六〇年代と一九七〇年代を比較してみるとき、次元が違うということを知ることができます。このように変化した立場から、新しい次元に向かって進んでいる現実を直視するたびに、摂理のみ旨もそれに歩調を合わせ、新しい角度から前進しなければならない時代に置かれていることを知るようになります。このような観点から過去を革新し、私たちの使命意識を鼓吹しながら、各自担ったところの責任を遂行しようと新たに誓わなければならないため、新しい契機となることを願う心で、今回の集会を始めるようになりました。

 伝統を正しく立てなければなりません。伝統を立てることができなければ滅びるのです。伝統というものは、その国の愛国思想を連結させて立てることではないですか。したがって、思想的伝統を立てる時期はこの時代のほかにはありません。皆さんが妻と共にこの時代を迎えたという事実は、驚きに驚くべきことです。世界を統一することよりもっと難しいことなのです。世界の統一はここから始まるのです。

 したがって皆さんは、どの時代のいかなる人よりも幸福であり得るのです。そのような立場であるだけに、そこには悲しみと喜びが交差しているというのです。そのような悲しみと喜びをすべて消化させることができる主体性をもたなければならないのが統一信徒、特に地方教会に責任をもった皆さんの使命であることをよく知らなければなりません。

 父母の心情をもち、僕の体となって、汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために注ごうといったでしょう? そのようにしなければならないのです。そうして終わりの日になれば「この体がすべて倒れたとしても、み旨のために働いたことに恨はない。私の手と足を切ってどうなろうが、恨むことはできない」と言えなければならないのです。


既成家庭祝福式(一九七一・九・一二、中央修練所、七十二組)

 一九七一年九月十日から十三日まで三泊四日にわたり、水澤里所在の中央修練所で既成家庭特別修練会および祝福行事を挙行した。祝福行事は九月十二日、七十二組が参加した中で進行したが、その内、五十四組は既成夫婦であり、十八組は独身者たちの新たな結合(組み合わせ)による祝福ケースであった。

 私が一昨日、既成家庭の祝福をしてあげました。その中に八十八歳になるおじいさんもいましたが、祝福をしてあげました。婿に出してあげたというのです。私は腹がへって統一教会の先生になったのでもないのに、ここまで来て見ればなるにはなった(注:発展はしたという意味で)のです。あすあさってには共同墓地に行く入籍書が書いてあるおじいさんたちを結婚させながら、そのおじいさんに尋ねてみたところ、二十四、二十五歳の独身青年と同じだというのです。それで、そのおじいさんに「婿に行きたいですか」と尋ねてみたところ、にやっと笑いながら(笑い)、恥ずかしくて話ができないのです。ちょうど子供のようでした。また、おばあさんもひたすら指を口にくわえ、どんなに恥ずかしがることか……。(笑)聡ずかしいのですが、祝福は受けなければならないというのです。祝福を受けるためには恥ずかしいも何もないというのです。そのような立場では、どんなに年の多い人も、若い人もみな深刻なのです。

 考えてみてください。老人と結婚するようになれば世話をすること以外にありますか。それは分かりきっていることです。しかし、その人の世話をしてあげ、使いをしてあげ、奉仕をしたとしても、自分を愛してくれるならば、良いですか、悪いですか。良いというのです。執拗に干渉をするとしても、それが通じる一つの道は愛です。独身男性たちは何の話か分からなくてもいいです。独身男性たちはこのような話をするときは聞かないでください。(笑い)


全国成和第十六回特別総会(一九七一・一〇・八〜一〇・一〇、中央修練所、百四十三名)

 全国成和学生会第十六回特別総会が一九七一年十月八日から十日まで、二泊三日間にわたり全国から百四十一三名が参加した中で水澤里所在の中央修練所で開催された。

 私たちは、行かなければならない道の前に国家的な伝統思想をどのように残すのですか。その国を訪ねていく道は悲惨な道であり、血の涙の出る道です。そこに歴史的な先祖たちの伝統的思想の起源がつながっているのです。先生一代を中心としてそれが見いだされるのです。六千年の歴史はみな過ぎ去るのです。それは悲しみの歴史でした。先生一代の歴史も悲しみの歴史でしたが、皆さんは、先生を中心として喜ぶことができる歴史をつくらなければなりません。私がこれまで皆さんに「苦労しなさい」と言ったのであって、いつ「よく食べて豊かに暮らしなさい」と言いましたか。しかし、いつかはよく食べてよく休みながら暮らす時が来るはずです。

 それで一昨日も、中高等学生たち、成和第十六回の学生たち百四十二名を選抜しました。彼らを集めておいて、回線に出て行く人は手を挙げてみなさい」と言い、一人一人に「行くの、行かないの?」と聞いて、「行きません」と言った人は除いて、「行きます」と言った人は全員教育するのです。出発しなければならないというのです。それで、今清平で教育を受けています。「毎日四時間は労働である」というのを公式に立てておきました。もう三年もすれば、農村に行って四百名以上の機関要員を養成しなければなりません。皆さんを先頭に立てて勝共理念等で教育するのです。


七 真の御父母様の第三次世界巡回(一)
(一九七一・一二・五〜一九七二・五・八、十五カ国へ崔元福、金榮輝随行)

 真の御父母様は、崔元福先生と金榮輝協会長が随行する中、一九七一年十二月五日から一九七二年五月八日までの百五十六日間、第三次世界巡回をされながら食□たちに激励のみ言を語ってくださった。巡回は日本、カナダ、米国、英国、ドイツ、オランダ、フランス、オーストリア、イタリア、ギリシャ、イスラエル、イラン、インド、タイ、自由中国(台湾)等、合計十五カ国であった。
 巡回されながら、各国での要員修練会を通じて巡回伝道機動隊を編成、統一十字軍として活動するようにされたことは画期的なことであった。また「イエス様の十字架の受難は神様のみ旨であったか、人間の失敗であったか」という宗数的主題で十万ドル小説大懸賞募集を「ニューヨーク・タイムズ」「ワシントン・ポスト」「デーリー・ニュース」「ロンドン・タイムズ」などの新聞に全面広告を出し、言論の大きな反響を呼び起こしもした。



第三次世界巡回の目的

 七百七十七家庭を中心として世界の家庭を、世界の氏族圈を成すのです。民族的各宗教、各氏族を超越した立場から、この基盤を築いたのちに世界相対権を中心としてこの世界氏族圈を連結するためのものがスリーセブン、七百七十七家庭です〇これをもって七数を中心として結婚するものはみな終わったのです。先生が一度、三家庭が一度、三十六家庭が一度、七十二家庭が一度、百二十四家庭が一度、四百三十家庭が一度、七百七十七家庭が一度、そして七数がすべて終わったのです。

 このようにして世界氏族編成基盤を完成したというのです。これにより、世界のいかなる民族でも統一教会に入ってくることができる道が開けたのです。ここから世界の摂理をするのです。その時が七〇年代でしょう?

 その時を中心としてこの基盤を築いたために先生の世界的進出が可能であったのです。それで、世界舞台の航海に乗り出したのです。それをしようとすれば、皆さんは国家的再蕩減をしなければなりません。韓国民族が反対したすべてを再蕩減しなければなりません。私たち祝福家庭が再蕩減しなければなりません。家庭復帰基盤を築かなければならないため、三年間、「苦労をしなさい」と言って全部追い出したのです。それで一九七一年度に世界的な行路に出発したのです。

 第三次七年路程を行くのに皆さんだけをもってしてはできません。今回、三次世界巡回に行くのは何をするためでしょうか。米国に定着するためです。その次に経済復帰のためです。今や、お金が必要だというのです。お金さえ備えれば、人はいくらでもいるのです。

 今回が第三次巡回路程であるだけに、皆さんは知りませんが、先生は世界的な計画をしているのです。これまでは韓国のキリスト教を救おうとしましたが、今後は韓国のキリスト教よりも世界のキリスト教と米国を救ってあげなければならないのです。それゆえ今後は、新しい角度に方向を展開させ、国際的な活動を準備しようと思っています。そうするためには、相当な資金が必要です。

 現在、各講師たちや若い人たちは準備しておきなさい。遠くない将来、韓国を代表した世界的な復興団が出現する時が来るはずです。全世界を代表した復興団が世界を歴訪するとともに、国家を代表した復興団が世界を歴訪できる組織を遠くない将来につくるつもりです。そうして、数カ国の復興団が、一チームになってするときもあり、あるいは数カ国が一時に世界を攻撃する作戦をしようとも思っています。

 それで今回巡回に行ったら、少なくとも四十カ国以上に宣教部を設置して帰ってこなければならない使命を感じています。そして数年以内で、百二十以上の国に宣教部をどうやってつくるかという問題が、今後、統一家がしなければならない使命であることを皆さんは知らなければなりません。


巡回期間中の韓国食口の任務(一九七一・一・五〜二・七、出発前の全国巡回大集会)

 真のお父様は、第三次世界巡回を控えて一九七一年十一月五日大邱、六日光州、七日ソウルなどでの巡回大集会を通じ、韓国食□の健闘と活動方向、および依頼事項を平均四、五時間にわたってくださった。

 今回、先生がいない期間に皆さんが第一に何をしなければならないかというと、一つになって祈祷をするということです。先生がこの国、この民族に対して祈祷したのと同じように、先生がいないため、皆さんが代わりに守る意味で精誠を込め、今後南北が統一されるその日のために内的に外的に約束し、天と誓う祈祷時間をもつことを願うのです。

 第二に皆さんは、韓国各地どのような所でも統一教会を知らない人がいないよう、宣伝をしなければなりません。夜も昼も休むことなく、この短い期間内で宣伝をしなければなりません。本来は各宗教団体と力を合わせてそのことをしなければならないはずなのですが、そのようにできないため、私たちが倍の十字架を背負ってこの業をしなければなりません。このようにして、この民族が行くべき方向を提示しなければならない使命があるためです。

 私たちだけでもこの業をしなければ行く道がないため、このような悲運の運命をかき分けるためにあらゆる知性を尽くして、皆さんの一身に疲れてだるいことがあったとしても、それを越えて責任を全うしてくれることを願います。

 その次には、今一線に出ている伝道隊員と教会長が一つになっていません。一つにならない仲に何かがあるのです、それを皆さんが訪ねていってみな解きなさいというのです。祈祷して出ていき活動してぶつかりながら、できれば仲が良くない者同士、昔は怨讐であった、あるいは反対していた人を連れて出掛けていき、共に活動しながら一つになりなさいというのです。仕事を置いて一つになり、国を置いて一つになりなさいというのです。


米国入国までの難関打開(一九七一・一二・五〜一二・一八)

 私たちが一番最初韓国から日本に出発するとき、政府が非常事態宣言をする正にその前日に発ったのです。よくよく見ると事態が切迫しているようなのです。それで、出発しようとするのですが、聖日なので手続ができないのです。外務部旅券課課長の決裁を受けておかなければならないものを受けておくことができなかったのです。

 聖日でも出発しなければならないのに、認証書がないために出発できなくなったのです。大変なことになったのです。そうしてその時間にみな待っているのです。ところが三十分前に旅券課課長と会ったのです。それは天の役事なのです。

 その旅券課課長は聖日なので自分の課の職員たちを連れて清平の湖に遊びにいく約束をしてあったのです。それで、課長が朝起きて行こうとすると体がだるくて、「ああ、なぜだか絶対に行きたくない」と思ったというのです。そうして自分で「どうも体の具合が悪いので行けない」と電話をしてから、仕方なく起きてごそごそやっていたところだったのです。そこに、うちの連中が訪ねていったのです。

 また、米国旅券(ビザ)を出してもらえなかったので、カナダに行って出してもらおうとしたのです。ところが一週間前では駄目だというのです。「韓国の牧師がカナダ大使館を通してビザをもらい米国に逃げていき、今探しているところなので韓国人は絶対カナダに入れない」と言うのです。そのようになったのです。

 そうして、根掘り葉掘りどんなにしつこく尋ねることか、そこで一時間ほど過ごしたのです。しまいには、「現金をどれくらいもっているのか」と言うのです。それで、十四日間の通過ビザをもってカナダに入り、米国に行く工作をする策定をしたのです。

 ところで、米国大使館に行ってどんな問題があったのかというと、米国に入るビザを出してもらおうと申請をしたら、三日後に来てくださいというのです。それで三日後に行くと、その大使が「駄目だという通知が来た」と言うのです。

 それで、食ってかかり「なぜ行かしてくれないのか」と言うと、仕方なく「ミスター文は一九六七年度に共産党活動をした内容があるので行かせることができないという報告書が来ました」と言って、見せてくれたのです。よし、やった! 「私がいつ共産党活動をしたか」と食い下がったのです。

 そうして、うちの団体が四つあるのですが、四つの団体がみな米国の上院議員を通して米国国務省に陳情書を出したのです。「ミスター文が一九六七年度にいつ共産党活動したか」とめちゃくちゃに抗議するのです。

 大使館に対しても抗議文を送り、大きな問題を起こしておいたのです。そうしたら、東部から、西部から、ワシントンD・Cから全部カナダ大使館に問い合わせが来るのです。それで、大使館は国防省に問い合わせをしたのです。すると、「ミスター文にはそのような事実はない」という反対の陳情書がカナダにある大使館にまで送られてきたのです。

 こうなったので今度は、韓国大使館に照会し、本国にあるカードを調査してみたら、結局はミスター文はそのような輩ではなく勝共指導者だということが判明したのです。口をぴたっと縫いあわせて何も言わせなくしてしまったのです。そうして、十二月十八日にワシントンD・Cに到着したのです。

 先生は、韓国で戦って得た勝利的な基盤を日本、カナダ、そして米国に連結させてあげようと思います。

 先生はカナダを経て米国に来るようになりましたが、カナダが米国に対してエバの立場にあるためにそのようにすることができました。先生が米国にその勝利的基盤を連結させようとしたので、サタンはそれができないようにしようと全力を尽くしたのです。ここに来るのに多くの困難があった理由はそこにあります。

 米国の次にはドイツに行くつもりです。それも問題なのです。英国を経て行かなければなりません。それが成功すれば、そのような反対する条件はなくなるようになるでしょう。














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