祝福家庭と理想天国
(全面表示) 戻る

み旨の道

一 み旨について

み 旨

一 み 旨

1 み旨は、私がいる前からあった。神様がみ旨の始まりであり、み旨の内容であり、み旨の目的である。

2 み旨は我々のすべての幸福の要素であり、我々の誇りであり、我々の権威であり、我々の知識ともなる。

3 人は生まれてそのまま死んでいけるけれども、み旨は、そのままで消え去ることはできない。必ず実を結び、結末をつけなければならない。

4 先生はみ旨に対しては、一歩も譲らない。み旨一つをなすためには、いかなる犠牲があってもそこには避ける道がない。

5 我々は、行くべき道を残しておいて、今日に満足する者とならずに、この世の未練を断ち切ることのできる、より大きいみ旨をもって新しい歴史を開拓していこう。

6 たとえ体は、現実の中に生きているとしても、生活感情と理想とすべての因縁は、カナンの理想郷を慕いつつその世界に住まなければならない。

7 我々は最低の基準で苦痛を受けながらも、サタン世界の最高の栄光を嘲笑し、踏み越えていける心情基準とならねばならない。

8 天国に行ける人は、この世の最高の栄光の位置を与えられても、み旨を捨てることはできない、という一片丹心の心情を所有した者である。

9 先生も身もだえしながらこの道を行く。いわんやあなた方が精誠を尽くさずにおれようか。

10 復帰は安定した立場においては考えられない。打たれて、また打たれながらも耐え忍ぶ立場において残らなければ、蕩減条件が立てられないのである。

11 地獄の底を貫きなさい。

12 打つことによっては征服することはできない。打って復帰するならば、また打たれなければならない。打たれながら復帰していくことによってのみ、結局は負けて勝つことになる。これが最後の作戦法となる。

13 「何を食べようか、着ようか、飲もうかについて心配するな」というイエス様のみ言を顧みる時が今である。
  神の国とその義よりも、自分の生活をより心配すれば滅びる。その国がなければ、個人、家庭、社会、民族、すべてが蹂躙を受ける。国のない故郷があるはずがない。

14 神様の苦しみ(心配)を避けて自己の安楽を求める者はみ旨の世界には必要ない。

15 必要のない数千人よりも、必要な一人がもっと大切である。

16 我々はきのうまで全宗教が行ったことのない未開の道を行くのである。

17 モーセを中心として十二支派、七十長老がいて六十万大衆を動かしたごとく、復帰は組織の緻密性を無視することはできない。

18 天の摂理的な「プログラム」は、根源と上から合わせてくるのである。それゆえに知らない道を行く我々は、命令する方向に従って従順になるのが近道である。

19 完全なる主体(+)が生ずれば、完全なる対象(−)が生ずる。しかし対象が生ずる前にまた異なったほかの主体があれば破壊される。

20 モーセはイスラエル民族の半分を失ったとしても、むち打ってカナンに入らなければならなかった。打つべきものを打たなかったがゆえに、モーセも、イスラエル民族も、摂理の時機もみんな失ってしまったのである。

21 神様は一時と一人の方と一つの仕事のために六千年間み業をなしてこられた。ゆえに、この一人の方がなさる仕事と一時を裏切る者は六千年を裏切る者であり、反対に忠誠をもって迎える者は六千年の不変の忠臣として認定される。忠臣は六千年の恵沢を一身に浴びるであろうし、裏切り者は累積された罰を一身に受けるのである。

22 自分の口でいったん悪いと言っていながら、ある日突然変わって、良いと言う日には、その人は、その良いと言った事柄に完全屈服してしまうであろう。

23 み旨を知った食口たちが落ち着きはらっているのを見るとき、先生はかえって異常な感じを受けるほどである。先生は神様と一体化し、サタンと三十億人類を相手として綱引きをする深刻な感じでみ旨の生活をしている。

24 堕落人間の願いは、
  @神側に戻っていくこと、
  A天地を自分のものとして取り返すこと、
  B敵サタンに対して恨みを晴らすこと。

25 モーセはみ言の十字架、イエス様は肉体の十字架、再臨主は心情(愛)の十字架。

26 先生は皆さんよりも一段階前に立って仕事をやっていくので、先生のやることに関心をもちなさい。それは皆さんの次の生活の目標であるからである。蕩減復帰の道は他人の援助なく一人で行くのが原則である。後援を受けるなら、その人の生命までも責任をもたねばならない。

27 皆さんは難事にぶつかれば百遍も変わることができるが、先生は決して変わることができない。たとえ先生の行く道に死が待ち構えていたとしても、行かなければならない運命である。その理由は、行かい場合に受けるであろう全天宙に侵入してくる苦痛のほうが、先生が死を乗り越えていく苦痛よりも、もっと大きいことを、あまりにもよく知っているからである。

28 神様は有能な者を選んで用いる。その理由は、サタンと戦って勝利しなければならないみ旨があるからである。

29 神様が自ら僕の立場で涙を流し、神様が自ら子女の立場で涙を流し、神様が自ら父母の立場で涙を流しておられる事情を知って、その恨みを解くために至誠を尽くしなさい。

30 み旨の前で躊躇するとサタンが侵入する。み旨を知って躊躇する者となってはいけない。

31 神様は天理原則しか知らないし、先生はみ旨しか知らない人である。

32 古い衣を脱がずして新しい衣を着ることができないように、古い観念で新しい世界を見つめることはできない。

33 深く植えれば植えるほど遅く芽生えるものである。あまり時を急ぐな。六千年間植えておいた復帰歴史が一  日にしてなされようか。

34 統一の理念は千万人をアベルとして対してあげるときに成就される。

35 神様のみ旨のために苦労をしながら死ぬ時には、生きている間になせなかったみ旨を後孫を通して果たしてください、という祈りをもって死んでいくことによって、初めて再臨して協助することができる。

36 カナン福地は民族的福地でなく、私の福地であるという信念をもって行かなければならない。モーセが死ん  でも、族長が死んでも、私は行くという信念をもって行かねばならない。

37 み旨の道は神様を背負って、果てしなく遠い目的地に向かって、首まで漬かる水の中を渡っていくのと同じである。ここで私が溺れれば神様のみ旨は覆ってしまう。考えてごらんなさい。

38 「我が思いではなく父のみ意のままになさしめてください」という祈りのごとく、私の思いと父のみ旨とが  異なることはあり得ない。

39 神様を呼んで三度あっと驚くことのできることを提示すれば、神様はどうすることもできず、必ず自分の神様となる。

40 神様と私は好き嫌いが同じである。ゆえに人に良くすること、それがすなわち神様に良くすることである。それが善である。

41 今まで悪の歴史と悪の世界であったがゆえに、善が追われて、屈辱を受ける歴史であった。これが聖人、  預言者の歩んだ道ではなかったか。我々もみ旨のために追われ、幾度も屈辱を受け、涙を流さなければ、霊  界に行って彼らの前に恥ずかしくない堂々たる者となることはできない。

42 旧約の時代は望みを見つめつつ実践してきた時代であり、新約時代は信仰を実践してきた時代である。今後、  成約時代は愛を求めて実践していく時である。

43 歴史と世界が、それなくしては滅びてしまうほど貴重なものがあるとしたら、それをどこにおくだろうか。
  それを自分の心の一番中心におきたいと願うのが人間の常であろう。心の奧底におこうとすれば、それは見えてはならない。神様が無形なるものとしていまし給うのは、正にそのためである。神様が見えないということは幸いであって、もし神様が見えたとしたら人間による争奪戦を何でもって防ごうか。神様もこの苦痛を耐え難かろう。

44 我々の動機が神様であり、過程も神様と共に歩み、同一なる目的に向かっていったために発展したのであり、そうでないときには発展していかなかった。

45 神様は与えて喜ばれるために人間を創造なさった。与える場合は、あなたと私とは一心(同体)だという立場で与えようとなさる。

46 自分を中心として蒔き、自分を中心として実を結ぼうとするな。動機と結果を神様に帰しなさい。

47 幸福は与えてもまた与えたいし、大事にしてもまた大事にしたいし、愛してもなお愛したい人を探すことで  ある。

48 イエス様は個人的な勝利の条件はもったとしても、国家的に公認を受ける環境をもたなかったがゆえに十字  架にかかられたのである。

49 七年路程は、堕落した人間たちを救い出す道を連結しながら、外的に長成期完成級以上にサタンが侵すこと  のできない基準を築いたのであり、内的にはエバ(お母様)が完全に復帰され得る基準を整えたのである。
  ゆえにこの期間には、エバがアダムに絶対服従する基準を立てなければならないし、先生の家庭がサタンの  侵入し得る条件を完全に除去して勝利の基準を立てなければならない。

50 旧約時代は新婦格の時代であり、新約時代は新婦の時代であり、成約時代は妻の時代である。妻の時代は主  様と一体理想をなす時なので、祈りも自分の名前でやる時が来る。

51 我々のみ旨が事実なのか。事実だとしたら、今自分が生きていく状態がみ旨に合うかどうかを反省しなけれ  ばならない。

52 大きくなればなるほど、自分の足もとを見なければならないし、小さければ小さいほど神様を見上げなければならない。

53 先生はみ言を見いだすための十字架、実体を探すための十字架を背負って歴史の峠を越えてきた。

54 皆さんは統一教会の行く道において、本質を求め原型に近づくように努力しなさい。

55 人間には情的分野(愛―家庭)と使命分野(仕事)とがある。この二つがないときには、彼は存在世界で死  んだ人である。

156 真なる因縁は途中で変わるものではない。

57 混血民族を収拾することのできる民族は、世界を支配することができる。

58 「絶対に天を裏切ってはならない!」、これが統一精神である。

59 体は心に侍り、心は天倫に侍り、天倫は神様に侍って進まなければならない。

60 神様の最高の目的は人間である。

61 本部はゴルゴタの最高の山頂である。

62 すべての思考は神様を通してしなさい。

63 神様は精誠を尽くさないところにおいては働かれない。

64 最後の涙の場で会いましょう。

65 今や世界が反対しても滅びない。

66 真理と生命と愛は三者一体の関係にある。真理があるところには、愛と生命が伴わなければならないし、愛  があるところには、真理と生命が伴わなければならない。

67 怨讐である自分自らを打ち、生きて果たせなければ死んででも成そうという心情をもたねばならない。

68 目は天地を見つめ、生活はみ旨と一致したものでなければならない。

69 もしみ旨を果たせないときには、怨讐に死体も見せたくはない。「共に死のう」という心情で行こう。勝利  した道での死体ならいざしらず、敗北した道での死体は見ることができない。

70 み旨が滅びると言った場合には、いかなることをも受ける覚悟をしている。先生のために心配せず、各自の  責任を果たそう。

71 原理を探すのは茫々たる海の中で砂粒を拾うのと同じである。

72 み旨を遅延させたのは、その責任が、神様にも、国家にもあるのではなく、我々にある。

73 昼夜み旨を慕っていなければならない。それが消えればおしまいである。ゆえに、常に衝撃の中で生きなけ  ればならない。

74 原理を知ることが目的ではなく、それを通して神様を知り、中心たるお方を知るのが目的である。

75 み旨のためにあなたは今、何をしているのか。先生も常に自問自答する。

76 神様の心情を紹介して導くことのできる宗教が、神様の宗教である。

77 み旨は世界のためのものであり、後代のためのものである。

78 死んでも倒れても、正道においてのみ死ねば、天地の運勢がその中にあるので、天地を征服することができ  る。

79 み旨の目的を達成するということは、すなわち天地万物と人類の個体の目的をも達成することになる。

80 天地の軌道は私が眠っていても回っている。誰も見ていないからといって自分勝手にやれば滅びる。

81 「み旨」を抱いた人は、み旨がなされる時までは、「心配」から離れることはない。

82 我々は、神様と神様の目的と私の目的との三点において、直線を維持することができなければならない。

83 み旨のために働く態度を絶えずもって進もう。そうしたら、その環境の中でみ旨を知る日が来るだろう。

84 み旨と共に時も流れていく。この場で、皆さんは永遠を身代わりし得る一個体として立ち得るか。前進しな  ければ決定した基準を失ってしまう。

85 個人の使命が自分で終わってはならない。神様の全体目的と一致しなければならない。

86 神様がアダム、エバを創造されたことは、アダム、エバの子女に目的があった。メシヤを立てたのも、メシヤ自体に目的があるのではなく人類に目的があるのである。

87 神様を代表した宗教と世界を代表した思想を正しめようするのが統一教会の仕事である。宗教は縦的であり、  思想は横的である。

88 父子の関係こそが宇宙の根本的な立場である。

89 主流は短くまっすぐなものである。また近道である。それは、直線で行ける道だからである。

90 思いもしないところに因縁が結ばれるということはあり得ない。

91 堕落すれば、人間が悲しむ前に、神様が悲惨なのである。

92 神様の摂理には練習というものがない。ゆえに、最高の深刻さをもたねばならない。

93 我々の人生は、過ぎた道を再び立ち戻ることができないのである。

94 統一思想は、歴史の願望を通じるものでなければならない。歴史的な聖賢、君子たちもすべてが、これであ  ると言えるものでなければならない。

95 み旨のために傷つけば、それは後日まで自分にとって教育となり、後孫にも立派な教育となる。

96 神様と一つになりみ旨と一つになってこそ、第二の主体となる。

97 み旨以外には、信じるものがない。


二 善と悪

98 善は自己を中心としたものではない。人のために自己を犠牲にすることである。悪は自己を中心としたもの  であり、自己のために人を犠牲にすることである。

99 善は大げさに(大きく)始めることではなく、知らせて表れるものでもない。しかし、悪は大きく始めて宣  伝して表れるものであり、だんだん小さくなっていくのである。

100 善は条件なくして与えることである。

101 善を行ったことを後悔せず、積んでおいた善を売り飛ばさないように。

102 真なる善と幸福は、家庭よりも、国家、世界、天地間の創造主の心の中におかねばならない。

103 人間の欲望の究極は、神様を知って、神様の善と幸福と愛を所有し、神様を所有することである。

104 善なる人は食べ物に対しても、まず天、次に地、その次に人類を考えてから食べる。

105 常に善なる心と哀れみの心をもちなさい。

106 善はアルファとオメガが同じである。ゆえに人も、始めと終わりが同じ人が最後の勝利者であり、善人である。

107 善を行ってそれを忘れれば、その善は善の主体である神様の記憶に移される。

108 悪を分別することのできる指針として与えてくださったのが良心である。

109 個人を犠牲にして家庭が善くなることができればそうするのが善であり、家庭を犠牲にしてこの世が善くなることができればそうするのが善である。

110 愛と善は全体のものである。天地創造は神がもっておられる最高の善と幸福を分け与えるためである。ゆえに、愛が多いところ、善なるところ、幸福なるところに人は引っ張られていく。

111 善なることをなすとき、環境のために失敗しても、それは失敗とならない。必ずほかの面において成就されるようになる。

112 事実がそうでないのに事実のように現れるのが悪である。私的に動く者、世界を自分の思いどおりにしようとする者は必ず滅びる。

113 善は、自分より家庭をより愛すること、家庭より国家をより愛すること、国家よりも世界人類をより愛することである。

114 善を打って残る悪はなく、悪に打たれて滅びる善はない。そのため、善なる立場で悪に早急に数多く打たれて損害賠償を請求しなさい。そうして復帰路程において忠臣となりなさい。

115 善はもっているものを万民に分け与えたい心情である。善を行って全体の心に合わせることのできる和動性があれば全体の中心となることができる。

116 善はより大きいものを大切にすることである。統一教会全体を犠牲にしても、この民族と国家のためになればそれは善である。国家を犠牲にしても世界のためになれば、世界が栄えるとき、その国は中心国家となり、ある民族を犠牲にして国家を生かせば、その民族はその国家の主動民族となるだろう。

117 善なる人にも、悪なる人にも、全部に友達となってあげなさい。しかし悪人と和することなく彼らを善に向けるコンパスの中心とならなければならない。

118 何が善であるか悪であるかに対しては、神様も教えてくださらない。時には、神様が、それは正であると教えてくださったとしても、ある時はそれが否であると教えてくださるときがある。ゆえに、それは自分で見分けをつけなければならない。

119 「怨讐を愛せよ」という言葉は怨讐の中にある罪まで、あるいは悪まで許せということではない。悪に取り付かれているその人をかわいそうに思えということである。

120 エデンの園のサタンは自己の罪悪性を明らかにしたが、終わりの日のサタンは自己の罪悪性を明らかにしない。

121 私たちをつくられた神様を父と呼ばなければならないのに、反対に、サタンを父と呼ぶようになったのが堕落である。

122 慈悲は、完全な善が積もって、より高い次元の世界に向かって進むようになるとき、設定されるものである。

123 善に対する管理と褒賞を与えるものは神様しかいない。社会法においては悪なる者を罰するが褒賞を与えるという法はない。

124 悪は制裁を受けるが、善は制裁を受けない。

125 生きるということは、悪の要素を除いて善の要素の本質へ接ぎ木することである。

126 我々は善のための代弁者となって、悪に対しては審判者にならなければならない歴史的岐路に立っている。

127 善は利用されない。一時的には利用されるように見えるが、結局、利用した者が滅びる。

128 流れゆく波も情で抱いてあげる心があるとき、その心の基が善である。

129 み旨の道を行きたい心が以前より何百倍も強くなってこそ初めて、善へと一歩発展することができる。

130 天理と法度を破綻させるのが悪である。個人としての食口は神様を代表した教会を先立たせなければならない。

131 いくら下がろうとしても下がることができないのが善である。

132 善は、動かない場にあっては決定されない。それゆえ、善は万民のための、すなわち第三者のための立場において動く時、決定される。

133 率直に語り、真実に行動するとき、善は決定される。

134 善と悪は未来において決定されるものではなく、現在の一日一日の時間において決定される。

135 悪が一人で滅びようとしないのは、堕落の経路がアダムを引っ張って堕落させた動機となっているからである。

136 善が、悪の発動するときに静かにしているのは、善が悪と共に行動することができないために、悪が過ぎたあとに現れるからである。

137 私が、見ることも話すことも、すべてを相対(対象)のためにするときは善である。


復帰・復帰の心情

138 復帰の道は、苦労しながら、血を流しながら行く道である。

139 復帰の道は取り返していく道、原理の道はたどっていく道。

140 今日までの歴史は打たれて奪ってくる歴史であった。ゆえに歴史は打たれて追われる群れが引っ張ってきた。皆が嫌がる立場、痛哭する所に行きなさい。その道が歴史の流れてきた骨髄である。

141 神様の嘆息の事情とやるせない心情を誰が担当するか。アダムによって凝結されてきた全歴史的条件をあなたでもって蕩減しなさい。そうするためには、アダムを恨むな。かえって彼を理解し同情しなさい。そうすることによってのみ、アダムを通じて出発できなかったみ旨があなたから出発することができるのである。

142 我々は幹であり、葉であり、神様は根である。葉を一枚つければ、そのぐらい根ではより大きい戦いが始まるようになる。

143 神様は人間のためにすべて犠牲の重荷を代わりに背負ってくださってもこれを忘れようとなさるが、サタンはこの負債を条件として我々を打とうとかかってくる。

144 あなたにおいて神様の恨みが凝結されていることを知らねばならない。ゆえにあなたは、個体を中心として動かず、六千年間積もってきた事情を解かなければならない歴史的結実体として動きなさい。

145 心と体、兄弟、国家、世界、天と地の間に積もったすべての嘆息の障壁を崩さなければ、神様は決してあなたを通じて喜ぶことができず、愛することができない。

146 先生は監獄で拷問を受けるときも、神様がこのような道に送ってくださる時、行けという神様よりも行かせねばならない事情をもっていた神様を先に考えた。

147 先生の胸の中にある事情を誰が知ろうか。妻子も分からない。孤独な先生である。誰かが「あなたはこのような事情があるでしょう?」とその事情の底に触れれば、ワッと大声で痛哭する先生である。

148 先生は、皆さんのように若い時節に、青春を楽しむことを知らなかった。早く花盛りの青春よ過ぎ去れと言いながら四十を見つめて生きてきた先生である。

149 先生に財産があるとしたら、血涙、神様までも泣かざるを得ない、これしかない。

150 送去怨世之年
  歓来幸世之年

151 天宙之願孝進
  衆生之願忠進

152 先生は人が考えないことを考えたし、人が夢見ることのないことを事実として認めさせるために身もだえした先生である。

153 先生は統一をいかにするか心配せず、蕩減条件をいかに立てるかを心配してきた。

154 先生が誕生日に断食したという今日の歴史が後孫に伝えられるとき、それは偉大なる伝説の資源となるだろう。

155 神様は学識があって、権勢をもっている者を訪ねていらしたのではない。十字架の道、茨の道を平地にするため血涙の苦労をする者を訪ねていらっしゃる。

156 萬世之願 統一世界
  天地之願 統一教会

157 祝福や歴史的な尊い因縁の相続は十字架上でなされなければならない。

158 我々がいつアベルのように祭壇を築こうとして苦労し、いつ我々がアブラハムやモーセやイエス様のように苦労したことがあるか。

159 イエス様の血と肉はただの血と肉ではなく、イエス様が抱いていた世界であり、天国理想であった。

160 終わりの日、神様から全体的な相続を受けるためには、神様が相続することができず保留して訪ねていらしたその因縁を、十字架上で心情的な条件を結んでおいて受けなければならない。ゆえに、終わりの日にはすべて保留した条件を実体的に心情をかけて立てねばならない。

161 歴史は神様の全体を真の御父母様に相続してあげるための復帰歴史であり、我々人類は真の御父母様と一体となって、神様のものを相続しなければならない。

162 イスラエル民族に対する神様のみ旨は世界的な理念で摂理なさったのだが、そのみ旨に対するイスラエル民族は、民族的なもののみで満足しようとしたために失敗してしまった。それゆえに、終わりの日、天宙復帰の理想の前に立った我々もその神様の理想と同行せねばならない。

163 知られざる苦労を、先生が分かってくれなければ、神様が分かってくださる。

164 今まで神様は眼鏡をかけて眺めていらした。御自分の子女を眼鏡をかけて見つめていらした神様がいかにかわいそうか。我々がその眼鏡を外してあげなければならない。

165 神様は人間を試練の中において打つが、これは悪を断ち切って、私の心を神様の心と一つとなるようにさせ、私の心情を神の心情と一つになるようにする基準にまで到達させるためである。

166 神様は公平であり、また愛である。いくら悪者だとしても、三度以上はその心を通じて行く道を導いてくださる。

167 神様の愛は互いに和合するところに現れる。復帰摂理の目的も、和合されない被造世界に和合され得る中心を立てて神様の愛の範囲を広め、凝固した恨みを晴らそうとなさるのである。

168 歴史上において最高の哀れみと口惜しさ、怒りの路程を歩まれた方が神様である。宗教はこのような哀れな神様を解放しようとするのであり、このような神様を父として侍って、絶海の孤島においてその島でできない物を植えてでも侍りたい心情があってこそ道人であるといえる。

169 先生は妄想的でも、空想的な先生でもない。実質的な先生である。掘っていけばいくほど心が縮こまってしまいそうな悲しい心情の埋もれているのが先生である。

170 真なる神様の子女たちは、祖先の歴史的な過ちに哀痛の心を抱く者である。

171 ノアは荒れ地のような世に初めて神様が錨を下ろすことのできる基点であったが、ノア自身はそれを知らなかった。
  アブラハムもモーセもやはり同じであった。我々の祖先たちは神様が尋ねてこられたこのような深刻なみ旨を知らなかったので常に失敗してきた。イスラエル民族も、イエス様はメシヤとして尋ねてこられたが、それを知らなかったがゆえに再蕩減路程を歩むようになったのである。

172 神様はその時を知って、その時機に合わせるため努力するという心情をもった人が現れて、神様の摂理の基点となってくれることを願っているのに、そのような人がいない。それでこの地上は神様から見ると荒れ地と同じようである。

173 我々は我々の立場を離れ、神様の立場になって考えてみよう。復帰の土台と人材が必要なのに、それがなされていないために、いかに切なく歯がゆい思いがするだろうか。

174 復帰歴史は、まず一つが収拾されて全体に摂理されていく。

175 父子の間の心情は革命を起こすことができない。それは神様もなすことができない。神様が父子の因縁を教えてくださるのが最後の目的である。世界を統一することのできる武器は父子の因縁である。

176 キリスト教は父を教えてあげようとしたが、明確に教えられなかった。

177 歴史のすべてはなくなっても、残らなければならないのは父と子である。あなたは私の骨の骨であり、肉の肉であるといえる子女をもつことが何よりも神様が一番願うことである。

178 イエス様の三十年準備期間は涙、三年の公生涯は汗、三日の復活期間は血を流す期間。

179 復帰歴史は象徴歴史、形象歴史、実体歴史の順になしてきたし、この一段階を上げるたびごとに神様は大きな革命を覚悟なさる。象徴歴史で数千名犠牲にさせても、形象歴史を引き継げる一人の人が貴く大切である。

180 あなたが必要なときに会う先生として考えるな。

181 神様の摂理の方向と個人や国家の方向が一致すれば、その個人や国家は栄える。

182 復帰摂理歴史は母子協助から始まる。しかし母子協助がある前に夫婦の協助がなければならないし、夫婦の協助がある前に父娘の協助がなければならない。

183 創造も一から始まったので再創造も一から始まる。ゆえに世の終わりには、今までの歴史的な因縁は全部分裂して分かれ、個人主義の思想が到来するのである。そうして、初めて新しい一つの世界をなすことができ  る。

184 復活節は過去を回想するのではなく、復活する未来を想像して覚悟をより高める記念日とならねばならない。心情復活の日宣布(一九六〇年四月十七日)
実体復活の日宣布(一九六一年四月十七日)

185 統一教会は死なずに休みなく発展するだろう。

186 時が貴重である。春に種を蒔かなければならないのに、秋蒔けば冬が過ぎるまでの苦痛を受けねばならない。

187 神様が真に私に願うことを見つけなさい! これがなければ、目的地なく航海する船と同じである。この願われることを見つけ、歴史の祖先たちがどういうとき失敗したかを知って、私は失敗すまいという決心をもって進まなければならない。

188 先生は今まで針先に立ったのと同じような、そのような霊的雰囲気の中で過ごしてきた。

189 各種の味がなければならないのと同じように、人も各種の人が必要である。辛い味、甘い味も度が過ぎれば嫌だが、そのどんな味も適当なときには素晴らしいものである。統一教会はこのようなものを中心として統  一しようとするのである。

190 復帰摂理の目的は、和合され得ない被造世界に和合し得る一存在を立て、愛の範囲を広め、個人、家庭、国家、世界にあるもつれを宇宙的に解こうとするところにある。

191 本性の心を取り戻すためには、世俗的な私を捨てて、天の前に不足な心で懺悔する柔和で謙遜な自我を見いださなければならない。

192 イエス様は、神様の栄光を一身に受けて、神様の代身として来られたが、自分の栄光のための努力はせず、堕落人間に、その栄光と希望のみ旨を現すために三十三年間努力されたのである。

193 勝敗の決定の場は現在にある。

194 祖先が立てておいた道を後孫が後退させるとき、蕩減が来るのである。ゆえに、祖先たちがもっていた以上の目的をもたねばならない。

195 なくてはならない群れになりなさい。

196 カナンに入って良い暮らしをするのも重要ではあるが、カナンの地にいる怨讐に勝利して恨みを解くことがより重要である。

197 すべての人は、自分の行動と自分の生命と自分の心情とに責任をもってくれる人を探し求めている。

198 神様が、歴史的な公売場に皆さんを連れていって公売に出そうとするとき、皆さんはどれくらいの価値になるだろうか。

199 涙が先にある場においては復帰の土台は明るい。

200 人間には一代の恨みしかないが、神様の恨みは歴史的な恨みであり、怨讐は歴史的な怨讐である。

201 たとえ足に穴があいたとしても、よろめく足になったとしても、行かなければならないのが皆さんである。

202 神様と私の心が一つになることが第一の対象であり、私の心と私の体が一つになることが第二の対象であり、神様と子女が一つになることが第三の対象である。

203 我々は善の主体とならねばならない。そうするためには、犠牲奉仕しなければならない。

204 廃墟になった家を収拾して再起しようとする主人がいた場合、それは何年でできるだろうか。一つの家庭でさえそうであるのに、いわんや一国家が、傾いた運勢を正すとすればたやすいことではない。

205 三千里(韓国全土)山河には統一教会の血と汗と涙がにじんでいる。

206 平安な立場において生ずるような蕩減というものはない。

207 先生ほどかわいそうな者はいない。心の置き場所がない。

208 我々が行く道は、父母を失ってしまった息子の行かねばならないような道である。ゆえに、墓前でするように心行くまで泣き、決意をしよう。

209 我々は、民族が育つことのできる温床になろう。

210 復帰していく原理は教えてあげることができない。それゆえ、自分が尋ね求めていかなければならない。

211 腐った木々を切り捨て、残った根をもって新しい歴史を開拓しようとするのが、統一教会の先生である。

212 愛したくても、愛されたくても、思いどおりにできずに行かれたイエス様の恨みを再臨主が晴らさなければならない。

213 目的の主人になり得る人がいなければならない。

214 霊的な流れと社会的な流れが一つになれば、世界に平和がもたらされる。

215 運動選手がスタートしてゴールラインに立てなければどれほどの恥であろうか。

216 過程で満足せず、未来に向かって走らなければならない。

217 現実を見て働くのではなく、歴史を見て後孫に及ぼすために働かなければならない。

218 世界的な運勢を開いておいてから死ななければならない。

219 復帰の心情と因縁で神様を父母とし、真なる子女の立場において、天と地と人間を身代わりした誓いをしなければならない。

220 宇宙の根本は「父母と私」である。

221 神様は十字架の道を直くする者を訪ねてこられる。

222 一片丹心で最後の峠を越え、勝利的主管者になろう。

223 サタンが口をあけ、サタン自らが敗北したことを告白する時まで、我々は闘わねばならない。

224 復活という名詞は、喜びを前提としてのみ成立する。

225 メシヤは歴史を正しく回す中心者として来られた方である。

226 救援はメシヤと共に行くのである。心においても心情においても生活においても不可分の関係になればなされる。

227 復帰の道は、実に恨みの多い道である。

228 皆さんは、実体復活を通して栄光復活まで行って初めて神様の前に出ることができる。

229 南北を指している羅針盤の方向を反対方向に巻き返そうとすれば、それよりもっと大きな強い力が必要であるように、堕落の世界を巻き返すためには、より大きな力がなければならない。

230 宗教は下層から上っていき、世界史は上流階級から下層階級へと下ってくるのである。

231 私は、残された歴史の因縁を相続し、背負っているということを固く心に刻み込んでおかなければならない。

232 皆さんが今残す歴史は、千秋万代にわたって追慕する後孫たちに残す理想世界の材料となる。

233 我々は悲しい歴史を相続したとしても、後孫の前には、希望の歴史を渡してあげるために努力する私たちとならなければならない。

234 絶対者の本質を中心として出発された方がメシヤである。

235 私のすべての恨みを苦痛と悲しみとを一つの矢の力に総結集して、怨讐サタンの胸に打ち込むという信念をもたねばならない。

236 荒野に生きている人は自分の人格的な尊重や体面を論ずることができない。我々は今荒野にいる。

237 責任を果たせなかった先祖が果たして先祖といえるか。アダム、エバの墓があったらどうなっていただろうか。子供たちに墓を踏まれないようにしなさい。

238 時を知ろう! 時が来てから見れば、その時は、既に過ぎているのである。

239 民主世界は共産世界より一段階進んでいるが、宗教人たちは、神様と共に生きる世界においても一段階進んでいなければならない。

240 神様は今も叫んでおられる、「人類の代わりに、神の代わりに闘う勇士はいないか」と。

241 他人に与えようと作戦を立てる者は、かえって与えられるものである。

242 人類始祖は、堕落しなかった心的基準をもって神様に侍っていても堕落したのに、我々がどうして人の力だけで救援されようか。

243 復帰原理を通して、残してくれたものと援助したものとを比較しなければならない。

244 神様のために忠誠を尽くすことを誓ったならば、彼は、たとえ今日生きている人であってもこの時代のみの人ではなく、歴史的な存在であり、彼がなすべきことは歴史的な使命である。

245 神様の内容を発表して、共産主義者までも泣かすことができれば、その力は共産主義をも克服して余りある。

246 メシヤとは、自体が信仰の目的体であり、希望の目的体であり、愛の目的体であり、または全人類の信仰の結実体であり、希望の結実体であり、愛の結実体である。

247 悲惨な世界で後退する人は、悲惨の向こうにある幸福を勝ち取ることはできない。

248 全世界のキリスト教徒が勝利すれば、来られるメシヤは終末史的な悲痛とは関係がなくなる。

249 世界の人類はアダム一人を復帰するための資料なのである。したがって六千年の歴史はアダムの復帰歴史であるといえる。しかしその目的を達成するためには死線を越えなければならない。

250 教団的な十字架の道は神が共にいて役事をすることができるが、民族的な十字架の道は神の協助なくして行かねばならない。そして教会が内的霊界となって外的な世界を救わなければならない。

251 み旨をなすときまでは食べても罪であり、着ても罪であり、寝ても罪である。いわんや働かなかったらどれほどの罪であろうか。

252 苦しく、悲しく、寂しく、悔しく、恨めしいことを喜んで堂々と受け止めることのできる信念と意志が必要である。

253 先生は綿入れのパジ、チョゴリ(服)がびしょぬれになるまで祈ったことがどれぐらいあるか知れないし、刀を握って誓ったのが何度あるか知れないし、死の峠を心に誓ったのが何千何万回あったか知れない。

254 ヤコブがヤボク川ですもうを取るときには、いかに深刻であったろうか。天使は一代の心情で対したのに、ヤコブは千年の心情で対したために勝利することができたのである。

255 蕩減条件は秒を刻む一瞬間であり、過程は長いが、完成のときは瞬間であり、完成したというその時から、人はどのように行くかが問題になる。

256 一日は八万六千四百秒である。この時間の中でみ旨を守り抜くために動員されたと自覚する人がいるか。その中の一秒でも私が責任をもつと思わなければならない。

257 敗者の結果を体験してみなさい。敗者になって感じる内容を今から内的に感じつつ進もう。敗者の嘆きがいかに悲惨であるかを出発の時に感じて進まない人には、勝利の栄光はない。

258 完全復帰されるためには神の同情、真の父母の同情、兄弟たちの同情を一時に一カ所において受けられなければならない。それによってのみ心情的な統一的三位基台がなされる

259 ほかの教祖は堕落した血統を受けたまま選ばれたのであり、イエス様は蕩減が晴れて、堕落と関係ない血統をもって生まれたのである。

260 戦いの命令は大統領がするが、終わったときの収拾は部隊長がするのである。

261 真なる父、夫、兄、息子、真なる母、妻、姉、娘、この八数の基準が真になされなかったのが恨みである。

262 イエス様の十字架は悲惨なものであった。しかし、神様はこれを誇りとして立たしめようとしたために復活の権限が生じ、万民の生きる道となった。それ以上のものを誇れればより広く発展する。

263 イスラエルは四千年間メシヤが来るという自信があったが、我々は今日自分の国に来られると自信をもつ国となっているだろうか。否である。この地に(メシヤのための)国家的な基盤がないためである。

264 神様は、
  @人間を子女として愛することができなかった。
  Aその子女を聖婚させてあげることができなかった。
  Bそのような一つの家庭を愛することができなかった。
  これを復帰するのである。

265 メシヤ一人を探し求めるのにも無限な歴史的な苦労があった。その神様において、家庭、氏族を立てていくこと以上に喜ばしいことはない。

266 蕩減条件に順調な道はない。

267 歴史を抱き、宇宙を抱き、涙を流し、汗を流し、血を流さなければならない。

268 西洋の先進国家においては復帰を実感するのが難しい。しかし、韓国は歴史と境遇がこれを実感させた。

269 死を恐れては成功することはできない。怨讐に対し復讐せずに祝福を祈ってあげれば、そこに残れる道がある。

270 第一次七年路程は個人の伝統を立てることであり、第二次七年路程は家庭の伝統を立てなければならない。

271 神様は目標を達成するために、仕事をしている中において条件を立てて延長することができるが、人間は一生という一つの限界圏の中でそれを達成しなければならない。ゆえに、行けば行くほど忙しさを感じなければならない。

272 統一教会に入って荷をほどいて置くのでなく、荷を換えて負うのである。私が荷を重く背負えば背負うほどそれは万民のためである。ゆえに、神様もその人を通して万民に祝福を分け与えなければならない。その時、私は祝福の基となる。

273 キリスト教徒は「イエス様を信じて天国に行こう」と信じているが、統一信徒は統一教会を信じて世界を救わねばならない。そうして世界がかえって「あなたが必要です」と言って統一信徒を引っ張ってくれれば、その時になってやっとついていこうとするのである。

274 神様が全体の動機になって成してしまうと、そこには蕩減がついてくるようになる。

275 復帰歴史を相続し受け継ぐためには、霊界に行ってすべてのことを勝利したという基準を立てなければならない。来たり給う主は霊的な勝利の実であり、肉的な勝利の出発者である。

276 堕落した血統圏内に生まれたゆえ、完全に自己否定しなさい。そうすることによって初めて、完全なる復活が得られる。

277 復帰の歴史は一番嫌なところから出発しなければならない。

278 統一教会は宗教を中心とした生きた神の思想をもった社会をつくろうとするのである。このみ旨が遅れれば遅れるほど地獄に行く人の数が莫大になる。それゆえにできるだけ復帰の年限(期限)を短縮したいものである。

279 戦争の起こる動機は男、女、私、君がいるためだ。夫婦、兄弟に戦いはある。しかし父母の心には敵がない。神様は父母である。ゆえに神様の本質は愛である。

280 皆様は歴史的な実であり、時代的な中心であり、未来的な祖先である。

281 神の国に入籍しようとすれば、神様の愛を受けることのできる人でなければならない。言い換えれば、蕩減の道と責任分担を果たして、原理的な条件を完全に備えていなければならない。

282 神様は判事の立場であり、サタンは検事、イエス様は弁護士の立場である。したがって判事は被告を弁護することができず、ただ検事と弁護士の言葉を比較検討して判断を下すのである。ゆえに神様が人間を悪から救い出したい心情は計り知れないが、人間に対し弁護することができないため人間をただでは無罪にできない。ゆえにひたすら蕩減の道を行かねばならない。そのため神様も人間がサタンの讒訴条件に引っかかればどうすることもできない。

283 サタンの条件に引っかからない人は、神様から完全であるという認定を受けることができる。六千年間、男子を先に立てて復帰摂理をなしても恨みが晴れなかった。これからは女子が先立って神の恨みを晴らしてあげなければならない。

284 十字架によってキリスト教が生まれたのではなく、復活したゆえにキリスト教が現れたのである。

285 統一教会において食口という名称が使われるようになったのは、イエス様が父母、兄弟をもって共に愛することができなかった恨みを晴らすためである。

286 神様が願う前線は、世界に向かう道を模索する道において、世界の前線をかけて闘う道であるために、後ろを振り向いて、ついてくる者たちを心配することができない。

287 復帰の進路はあなたがやることも私がやることであり、私がやることはもちろん私がやることであると言って、互いが責任をもちたいという思いを中心として開拓される。

288 怨讐の間であるけれど心情的因縁を残す、そのような人になるときは歴史をもとがえして会うことができ、再び生きることができる。

289 蕩減復帰したのちにも、責任分担は残っている。

290 二千年の歴史を二十年で蕩減しようとするのが三次の七年路程である。

291 歴史は軸を中心として回っている。一つの軸は神様がもち、もう一つの軸は人間がもつ。














SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送