祝福家庭と理想天国
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指導者

292 指導者は復帰の目的をなす期間を短縮させて導く者である。大きいことをしようとすれば大きく信ずることを知り、大きく譲ることを知り、大きく飛び越えることを知らなければならない。

293 偉大な指導者はお金が一銭もなくても、素晴らしいことを成し遂げる根性と天下を抱くことのできる無限大の心を所有した者である。

294 指導者は誰よりも苦労しよう、祭物になろう、哀れな事情の主人公となろうという心持ちと、実践が伴わなければならない。

295 不変の恩師の立場、不変の父母の立場、そして神様の前に不変の忠臣となって、指導者となり得る。

296 指導者は涙なしでは指導することができない。

297 押し迫ってくる民族の苦難と試練を知って、ここに備えることのできる苦痛を与え、試練を与えて鍛錬させる者が真なる指導者である。

298 指導者の不足を補いはぐくんであげなさい。指導者を批判する者はカインの王である。指導者の欠点を包み、責任をもとうとする者は、いつの日かアベルの立場に立つようになる。

299 従っている人たちが願わないところにおいて命令する指導者は滅びる。

300 指導者は利用物である。しかし絶対に滅びない。神様のため三千万の利用物となってごらんなさい。そうしたら三千万は私の掌の中にいるだろう。

301 歴史的な指導者となるためには、歴史と時代の難事にぶつかっても押し出すことのできる者とならねばならない。そしてどんな不利な事件も良く利用することを知る者とならねばならない。英雄というのは自分の敵を友人にすることができる人である。

302 たくさん泣かなければ、多くを泣かすことができない。

303 他人を支配しようと思う者はまず自分自ら支配を受けてごらんなさい。

304 荒野時代を恐れる者はイスラエルではなく、滅びて、倒れてしまってはげたかのえじきになる者である。

305 今までは消耗戦であった。ゆえに自体内において力が抜けたことは事実である。しかし、神様を基準として三年間耐えて進んでごらんなさい。天的な基盤が築かれるようになっている。

306 イスラエル民族の出エジプトからの全路程を今日世界的に越えていっている。今日世界的な荒野が民主世界であり、カナンの地が韓国となるであろう。

307 韓国は世界主義を立てるための訓練場である。

308 苦難を受けて踏みにじられても、ここに不変の民族性をもって天的主導権の一日を慕おう。韓国はむち打たれる場合には神様にすがって打たれなければならない。

309 先生は誰よりも私の家族を愛した人であった。にもかかわらず家族の前には復帰に関する原理のみ言を語ってあげることができなかった。中心が決定されるためには取りあえず四方性が整わなければならないことを知っているからである。復帰摂理の原則を見てみなさい。どこまでも外部から内部へと訪ねてくるではないか。まず他人と世界を自分の家族のように感じ、真実に通ずることができなければならない。

310 皆さんが心配する以前に、中心はそれより気を配ったがゆえに、中心の前では言うことがないだろう。そして皆さんの生命の問題に対しても、中心ほど考えた人はいない。

311 一番信じ難い層の人(二十代から三十代)を一番信じて摂理されねばならない神様の心情を慰めなければならない。

312 創造は一つの目的と一つの動機から始まった。ゆえに散った世界の再編成も一つの動機のもとに再び集まることによって始まる。

313 神様は、天宙的な大きな幸福を与えようとなさるのに、人間は目先の微々たる幸福のみ求めているので、与えようとしていた大きな恵みがかえって大きな災いとして我々に与えられる。

314 地上に住んでいる数多くの人間たちは、この時間、自分も知らずに、より良いものを探し求め彷徨しているのが事実である。地上に住んでいる人間がそうであるように、地上に対している天も同じである。

315 先生は今日まで食口たちに対して悪なる心を抱いたことがなかった。倒れれば世話をして葬式をやってあげたい心情である。このように他人を大切にして愛してあげる立場で真心を尽くせば悪なる人の心も転換してくる。

316 先生は内的な基準から外的な基準へと向かうのであり、皆さんは外的な基準から内的な基準へと訪ねてくるのである。ゆえに先生と皆さんが復帰の一点で会って夜通しで事情を分かち合うそのような誠をもたなければならない。

317 先生は歴史的な悲しみを払いのけてきたので、掘り下げていけば神様にまで悲しみが連結され、これを持ち出すとき、この民族と世界人類が痛哭せざるを得ないのである。

318 神学、哲学を研究する専門家よりも神様の心情を研究する専門家が歴史と世界を支配するだろう。神様の心情をアダムの堕落以後四千年ぶりに知ったのがイエス様であり、神様がアダムを失ったのち、四千年ぶりに探し求めた実体であった。しかし、今日ではイエス様が神様の心情を理解するほど、イエス様の心情を理解する聖徒がいないのが嘆かわしい。我々は聞いても見ても行うことが難しい。神様が無言の苦労を六千年間もしてこられたその心情はいかばかりであろうか。

319 統一教会は自由天地から始まったのではなく、最低の立場、監獄から出発したことを思いなさい。

320 国がなくては入籍することはできない。主権は神の主権を代行する場である。

321 神様が最後にこの地上でなさねばならないみ旨があるがゆえに、我々はこの地上で滅びる立場におかれても滅びずに残されてきたのである。

322 ヨセフがエジプトに訪ねてきた十一人の兄弟を許すことができたのは、自分がいない間、それでも父母を養った兄弟たちであることを思えば、許さざるを得なかったのである。それと同じように、我々に反対してきた既成教団を祝福せざるを得ないのは、それでも統一教会が現れる以前に神様に侍ってきた基準があるからである。

323 身体の目、耳、鼻、口などはみな、生まれる前にこの世にあるすべてのことを知って生まれたのである。しかし、人間自身がすべてを知り得ようか。それらすべてを知った存在は人間以上の全知なる存在であらざるを得ない。
  その存在が神様である。

324 木が大きくなればなるほど根は地下に深く入っていく。根の浅い木は枯れるか、あるいは風が強いとき、引き抜かれてしまうだろう。指導者とは根のような者である。

325 勝利的主管者となりなさい。勝利的主管者となるためには、信仰の分野と愛の分野で勝利者であることが認められなければならない。

326 指導者は天運に合わせて行かなければならない。天運を左右する主人公が神様である。

327 責任者になろうとすれば、
  @立つべき立場を整えて環境を主管しなければならない。
  Aみ旨の目的に向かっていく立場において先頭に立たねばならない。
  B数においては負けても、全体を思うことにおいては勝たねばならない。
  C食べる前にも眠る前にも、彼らを思い祈ってあげなければならない。
  D彼らが私のためにいるのではなく、私が彼らのためにいると思わねばならない。
  E神様が与えてくださったものの上に私がプラスさせようという心がなければならない。

328 イエス様が復活なさったのちに弟子たちを訪ねられたのは、彼らと立てた誓いを彼らは裏切っても、天は裏切ることができなかったので訪ねていったのである。誓いが果たされるまで責任者は責任を放棄することが  できない。

329 荒野時代のイスラエル民族はモーセを批判し、族長を批判し、責任をもった者を批判したので滅亡した。この群れをモーセが再び押し出し、打たねばならなかった。そのまま放っておけば死ぬので、刀を取ってでも  押し出さねばならなかったのである。

330 み言だけではいけない。汗を流す人が人を動かす。

331 聖人は神様を紹介して天の道を植えつけるために苦労する者である。

332 人を嫌う人は指導者になり得ない。

333 環境に引っ張られていくのではなく、私が環境を引っ張っていかなければならない。

334 自分自身を一度振り返ってみよ。私は後退しているのか、それとも前進しているのか。

335 先生は永遠に現役であると思う。私が八十の老客となったとしても、あなた方に引っ張られていくのではなく、杖をついても堂々とみ旨の旗手となって先頭に立つことを神様の前に誓う先生である。

336 指導者とは一刀両断する勇断の性格をもっていなければならない。彼は大きいときには泰山(注:高く大きい山)も見透かしてみなければならないし、また小さいときは髪の毛一本でもふいて調べるほどでなければ  ならないし、また厳しいときには自分の骨肉も顧みないで、それでいて慈愛を施す場合には虫も踏み殺せな  い人とならねばならない。

337 大きな恵みを食いつぶさないで、小さな恵みを育てることを知らねばならない。

338 天と地の前に威信と体面をもてる面目を整えたか。

339 千万人が喜んで用いることのできる材料となりなさい。

340 来なければ来るようにしなければならない。

341 小さい地域一つにも責任をもてない人が、どうして天と地に責任をもつことができようか。

342 敗残兵は再び精鋭部隊には立たせられない。

343 指導者は涙が涸れてはならない。

344 針になることができなければ、せめて糸にでもなろう。

345 真の主人になろうとすれば、
  第一に神中心の所有観念が確立されなければならない、
  第二は責任観念が強くなければならない、
  第三は他人のものではなく、私のもので祭祀を神様の前に捧げなければならない。

346 どうせ生きるなら素晴らしく生き、素晴らしく闘い、素晴らしく生を終えよう。

347 神様は二人の中の一人が必要である。第一は指導者が呼んで相談できる人であり、第二は指導者が命令できる人である。

348 引っ張られていく人とならず、歴史的に公的責任をもっていた数多くの人たちを呼び起こす動因となり、引っ張る人となりなさい。

349 蕩減水に引っ張られて出される排泄物とならず、実って残る実体となりなさい。

350 接待を受けても常習化されてはならない。常にそのあとには涙で祈らなければならない。

351 我々指導者は、神様のために気が狂ったと言える伝統を立てなければならない。

352 指導者は、日が暮れて夜が早く来ることが怨讐であるように感じるほどに、昼夜働かなければならない。

353 どんなに困っても食口の世話になるな。与えることができないのが悔しいという立場をとりなさい。

354 怨讐を打つ前にまず愛しなさい。

355 根は静かに深く張っていくように、先生は現れない。

356 高く貴重な立場にいればいるほど責任を感じ、未来に希望をつなぎなさい。

357 先駆者が成功すれば従う者も勝利するのである。

358 先生の青春時代を考えてみなさい。死を踏み越えてこそ生命の価値を感じることができる。

359 祭司長は祭物の代わりであるために所有観念があってはならない。

360 知ってみると多くの面において「あ! 足りないな」と言う、これが良い賜である。

361 指導者とは、人生の行くべき正道を発見した人である。そして六千年の苦労のふろしき包みを負わせてあげて、一日のうちにやり遂げても残りがありますと言って命令することのできる人である。

362 モーセは豪華なパロ宮中で生活をしたが、「これが何だ!」と言って民族をもっと思ったゆえに民族的な指導者になり得た。

363 百人がやることをやらねばならないし、百人がやる仕事の先頭に立たねばならない。

364 国の主権者は心のようで、民は体のようでなければならない。国は全体を統治する主体性が、個人は個体を統治する主体性がなければならない。

365 歴史を無視する人は現実の責任者になり得ない。現実の責任者になりたい人は歴史の相続者となりなさい。イエス様は死によって過去を相続し復活によって未来を収拾した。

366 聖日礼拝三日前から準備しながら、その日、万民のため祝福を与えるよう精誠を尽くさねばならない。

367 責任者は幸福なのではなく、極めて悲惨なのである。この世とぶつかっていって新しい歴史的伝統を立てなければならない。

368 開拓者は常に先頭にいるゆえに寂しいのである。二人で行く道でないからである。資料を収集してそれをつくっていくのである。ゆえに開拓者には歴史がなく因縁がない。

369 責任者として知らねばならないことは子供の心である。

370 母親が病になっても子供に乳を与えなければならないのと同様に、指導者には疲れとか自分の事情というのはあり得ない。
371 人に接するとき笑顔で対しなさい。それは自然な防御となるのである。

372 指導者につまずいて古い食口が出てこなければ、伝道の道は完全にふさがれる。

373 希望的な人は常に建設的だ。


実 践

374 正しいと思われたら、無条件に着手し、果敢に推し進めていけ。必ず神様が共に働くことであろう。

375 善なることなら損害を受ける覚悟でやってみなさい。絶対に滅びることはない。

376 自分が計画することは何でも果たすことができる。しかし、三つの峠を越えることのできる決死的な努力が必要なのである。

377 我々には武器がない。しかし、赤い血、赤い汗、赤い涙を砲弾として突撃戦を開始しよう。

378 同一なる実力をもっても勝つ秘訣はたくさん動くことである。

379 天は命令してくれることを待つ心情の上に運行なさる。

380 神様は人間が願いもせず、思いもしないことに対しては干渉なさらない。

381 我々は理念に燃えているし、神様の理念に向かっているし、天運が共にありさえすれば世界を動かすことは問題ではない。

382 一寸の土地、一人の人でも神側に探し出して渡そう。

383 目標がはっきりしなければ、生活が明確になり得ない。

384 私が汗を流す時、父の汗が混じっていることを感じなければならないし、私が涙を流す時、父の涙が混じっていることを感じなければならないし、私が血を流す時、父の胸の血が締めつけられるのを感じなければならない。この心さえもって神様をつかんでいれば絶対に滅びない。

385 あなたの若い血が尽きる前にこの民族を立てて神様の前に捧げることを祈りなさい。年を取って戦うよりは、若くして忠臣、孝子女となるように願いなさい。

386 引っ張られて歩む群れとなってはいけない。

387 み旨を知ったなら自らみ旨を中心としての目的を与えてくださいと言って、自らの道を開拓していかなければならない。

388 時の転換点における勝負は時間と努力が問題である。そしてこれを動かしていくためには勇気が必要である。強くて大胆な勇気は信念から生ずるのであり、信念は無責任な立場ではなり得ない。

389 自動的で、自進的で、自成的な者となろう。

390 関心あることを果たし得なかったら大きいことはできない。謎のようなことを多くやってごらんなさい。

391 士気を失うな。自信のないところに前進があるはずがない。自ら士気を呼び起こして、ことをなしていきなさい。神様は意欲がないところには協助なさらない。

392 我々は、原子爆弾を爆発させるボタンのごとく、人類の良心を泣かせるボタンとなろう。

393 やることがないとき、生命は死んでしまう。使命がないときには生命の権利を主張する資格がない。

394 一から全体までサタンより以上にやらなければならない。このような生活に徹しよう。そうしたら感動して従ってくるようになる。

395 十分な準備が必要である。イエス様も三十年の準備期間があった。十分な準備が整えば実践時代は短く、闘争期はより短くなるだろう。

396 考えないところに物事は起こらない。活動を前進させようとすれば自分を特殊化させよう。そしてそのことのため眠ることも、娯楽も、愛も、見物もすべて忘れて全力を尽くしてごらんなさい。

397 大きいことをなすためには冒険が必要である。そうするためにはまず体を鍛練しなさい。いくら貧しい食事をしたとしても、朝運動をしなさい。

398 神様は戦うときは戦わない者を除いて、戦う者を選んで用いる。生命を懸けてみ旨のため、先頭に立ちなさい。神様はいつでも命令できる人を探している。

399 自信のないところに完成はあり得ない。

400 良心が落ち着かない所なら、早くその場から去りなさい。その場にそのままいれば滅びてしまう。まず、み旨と一致した目的点を立てて、自分の良心点と結びつけ、正確な一つの方向を決めて、一直線上で努力し、  誠を尽くすことが重要である。

401 天と地のすべての精力を一つにかき集めることのできる秘法を研究しなさい。同級の同僚が同じことをするとき、自分が一番できないと思うときには、現在自分がやっている仕事のほかに、任せてもらえる仕事が何  であるかを知って、誠を尽くすのが神様の前に近づく秘訣である。

402 きょう何かの覚悟と決心があれば、これをきょうのものとして立てていかずに、未来のものとして立てていきなさい。

403 軍隊は征服して勝利するためにある。あなた方はすべての障壁を越えいく天の軍隊である。善をもって環境を広めていきなさい。これが我々の目的である。

404 あなたはサタン世界に監禁された捕虜である。サタンの包囲網を破って新しい道を開きなさい。そうしなければ死ぬ。

405 戦争に負けた者が味わわなければならないつらい結果を考えてみなさい。どうして我々が戦いに負けられようか。

406 これまで歩んできた苦難と涙の道は蕩減のためのもの、これからは勝利のための栄光の涙を流そう。蕩減の歴史の中で涙、汗、血を流したが今は復帰のための本物の涙、汗、血を流してこの民族、この地を神に捧げ  る貴い仕事をなそう。

407 我々は神様のための闘いをしよう。絶対に滅びない。イスラエル民族が荒野で倒れたのは、勝利しなければならないという信念がなかったためである。

408 時間を主管できる者は大物である。時間はすべてをもってきてくれたり、すべてを奪い去っていったりする。時間を主管することのできる人は人生を支配することのできる者である。

409 愚かな者とは、時を知りながらも実践しない者である。

410 今までの我々の苦労はいくらやってもサタンのため。神様が心配なさる復帰の苦労はしたけれど、神様が安心して喜ぶことのできる苦労はしなかった。すなわち蕩減的苦労はしたが、復帰的苦労はしなかった。

411 悪は今まで善をだまして悪にしてしまったが、善は悪をだまして善にできなかった。これが今日のキリスト教がみ旨を果敢になし得なかった理由かもしれない。

412 自分自らを刺激することができなければならない。

413 生きている者は発展するのが当然だ。生きた死体となってはいけない。

414 正しい考えを多くし、実践を多くなせば、人より先に進むようになる。考えてばかりいて滅びた人は多いが、実践をしていて滅びた人はいない。

415 楽しみを感じながら仕事をしなさい。

416 闘志力以上の財産はない。

417 食物をおいしく食べる方法を考えなさい。そして眠りを征服せよ。歴史的な人物たちは一日に三時間しか休まなかった。

418 良心を中心として準備し、実践しなければならない。我々の動きは良心が爆発して我々の側にならざるを得ない立場をつくっておこうとするのである。

419 人よりも多く考え、多く準備し、多く動きなさい。そして自分が行ったり来たりした所はプラスにはしたとしても、絶対にマイナスにはしないという信念をもって進まねばならない。

420 涙と血と汗が我々の武器である。

421 イエス様は神様のみ旨と理念を残した。皆さんも父のみ旨と理念を残さなければならない。そうするためには「見せてあげて誇り得る実績」がなければならない。

422 神様に対し話す言葉のある人は恵みを受けるであろう。

423 真実を連結させるのにおいては、人のものを借りてはならない。自分のものでなければならない。自分の実績でなければ後孫や後代を導くことができない。

424 内容だけもっていてはいけない。誰もが認め得る実績をもちなさい。

425 我々は神様と人類と民族と子女の前に少なくとも三つは分け与えることのできる、自慢し誇れるものをもたねばならない。

426 いかなる者もなし得なかったことを我々はなしておこう。

427 神様の命令があるとき、これに応じなければ神様は再び同じ命令はなさらない。

428 運命を怖がる人は運命に食われてしまう。しかしその運命にぶつかっていく人には運命が道を避けてくれるのである。

429 我々の生活においての勝利は眠ること、食べること、着ることを少なくし、この三つの上に努力を加えれば勝利することができるのである。人が眠るとき眠らずに、人が遊ぶとき遊ばずに、人が食べるとき食べずに働かなければならない。最後の決勝戦に向かって走るのに休む間がない。

430 神様の命令を受けるときから、神様の時は始まるのである。

431 時は知らないうちに尋ねてきて、知らない間に去っていく。我々がみ言を受けるその日から私の最後の日は始まり、願いの日は始まるのである。

432 春の日ざしは冷たい冬の雪の下でも準備をしている。今の時代を心配するより未来を心配すべきではないか。

433 批判する人は革命的なことを行えない。

434 小さな希望をもって大きな準備をしなさい。

435 イエス様は天宙的な純粋性と高潔性と敵愾心と和動心をもってこられた方である。我々もこのような理念をもってイエス様の代わりに実践しない限り、イエス様によって負わされた荷は永遠に下ろすことはできない。

436 これまでは父と子とみ霊の名で働いてきた。「私の名で働くときを与えてください」と言わなければならない。

437 信念が立たなければ実践にならない。

438 信念でもって制圧しなさい。忠誠でもって凌駕しなさい。行動でもって強力でありなさい。

439 三千万のために信念をもちなさい。忠誠を尽くしなさい。闘いなさい。

440 自分を信じて進め! ひたすら一人で行くという立場で結晶体とならなければならない。

441 見せてあげて自慢することのできる固い決心でもって前進しなければならない。

442 「この地よ! 今はこうであるが、何年後には見ていなさい!」という気概が必要である。

443 み旨と目的がいくら大事なものであっても、現せなかったら何の価値があろうか。

444 み言は実践によって語らなければならない。

445 神様は後退しなかったし、失敗しなかった。百年に一歩でも前進した。

446 闘おうとすれば自信と万全の準備がなければならない。

447 すべての創造の行為が歴史的発展をするためには、始めは考え、次には決定したことを準備し、最後には実践しなければならない。

448 いかなる環境に入っていくとしても、私の生涯において屈しなければ、最後まで残る群れとなる。

449 先生が「ダイヤモンド」の鉱脈を発見すればそれでよいのであって、掘ってくださいとまで言うのか。

450 自分の精力を一二〇パーセント注ぎなさい。そうして失敗するとすればそれは失敗したのではなく必ず協働者が現れる。

451 自信をもつためには思想が必要であり、思想は過去、現在、未来の歴史に通じなければならない。

452 最後の決勝戦に向かって走るので、休む間がない。

453 現実に重要な信念をもって実践する人が未来の主人公になる。

454 常に最後の場は自らが越えなければならない。

455 祈る前に実践することが祈ることより貴重な場合がある。

456 一生の間を区分し計画を立てていかなければならない。一生は短い。

457 現在の自分の位置を第二段階のための基地にしなければならない。無駄に過ごす人が多い。

458 犠牲は発展の原動力である。真なるものは弁明が必要ない。

459 「過去にも勝ったのでまた勝つことができる」という確信と信念だけが、最後の山頂を突破できる。

460 誓いを立てずに実践しなさい。

461 道の世界での約束は絶対に守らなければならない。

462 希望というのは現実的なものではない。未来的な夢であるが、その希望が現実的なものとして現れたときには、より多くの価値の喜びをもつことができる。

463 農夫が種を蒔くとき、元になる種まで蒔くことは愚かなようであるが、これは賢明なことである。それは現実を願ってやるのではなく、未来のより大きな収穫のためである。

464 神様の戦法は奇襲するのではなく、ゆっくりと正規の戦法を使うのである。もし激戦を始めたときには戦いに勝利したとしても全部使うことはできない。虜にした獲物には完全なものがない。しかし、ゆっくり戦うなら虜にした獲物もみな使えるのである。

465 戦いで始まった歴史は戦いでもって解決することができない。ただ和解する道しかない。

466 強く、また雄々しくあれとは、ほかの誰にでもなく自分に対して言うのである。

467 栄光の褒賞をもって多くの民に褒められることよりも、焦る思いでもって何代かの後孫の時代のために苦労する人がいればその人が成功する者である。

468 一心は父母の心情をたどることによってなり、統一は不幸な条件を共にすることによりなる。

469 追われる神様に侍って、反対に勝利の進軍をなしていく勇士とならなければならない。

470 天地を主管される万王の王であられる神様が記憶することのできる、追憶の日をつくれるなら、それが最高である。

471 後退することも前進することも、自分自身が母体である。後退する人は人も嫌うが神様も嫌うのである。


伝統・公義・責任感

一 伝 統

472 万民がひざまずいて痛哭しながら仰ぎ見ることのできる、生きた歴史の伝統を成し遂げよう。

473 先生の伝統が皆さんをつくり、皆さんの伝統が民族を構成しなければならない。伝統はこの民族が見習うことができ、世界万民が従っていける伝統でなければならない。

474 後孫たちが見て痛哭し得る資料をもちなさい。それが誇りとなる。

475 善のための闘争を生活目標としよう。そして闘争の過程を通して、勝利の栄光を仰ぎ見つつ進もう。個人的な勝利をしたといって喜んでいてはならない。個人を越え家庭、氏族、民族、世界を越えていく第二の闘争  に備える者とならねばならない。

476 あなた方は上にいなさい。我々は底から築き上げて登っていくから。しかし、我々が築いた誠の塔のほうがもっと高ければ、言うまでもなく踏みつけられるだろう。

477 天倫の方向を知らねばならない。あなたの指向する目的が神様の願いと時代と歴史の目的の前に一致しなければ、無慈悲に清算してしまいなさい。

478 花盛りの青春が過ぎ去る前に、天地が公認することのできる忠孝の立て札を立てておこう。

479 我々は歴史の運勢を引っ張っていく機関車となろう。

480 血を吐いて倒れるその立場でも決して背信者の後孫になるな。

481 お金に売られて歩いてはいけない。思想的な伝統を立てておいて人を復帰したのちには物質がついてくるようになっている。大韓民国を金でもって救うつもりか。我々の思想と伝統をもって救おう。

482 天と地が生じたのち、我々のみがもっているたった一つしかない誇りをもとう。千秋万代に公認されて誇ることができる伝統を立てよう。

483 先生は伝統と基準が立つようになるまでにお金がもうかるのが心配である。苦労するあなたたちを見るのを好むからだろうか。否、食べて、眠って、着るのを超越しなければ地獄までも復帰することができないからである。

484 根が深ければ大木が育つ。

485 天の願いと事情と心情に一致しなければならない。その内容、方向、目的観に一致しなければ破壊されてしまう。黒ずんだ出来物はかいて取り除くように、相対的な内容を整えず、原因と結びつくことのできる力を伴わなければ必ず破壊されてしまう。

486 我々は幸福の種を蒔こうと思わず、苦労の種を蒔かねばならない。

487 千年の大計を見つめて、今日を耐え忍んでいく祖先としての伝統を立てなさい。新しく入ってくる食口たちは先輩たちが歩んだ家庭的、氏族的な十字架の路程の伝統を引き継ぎ、残された国家的な蕩減路程を歩もうと自ら進んで出なければならない。

488 皆さんは死ぬ時、どこで死ぬのですか、どの分野において条件を立てて死ぬつもりですか。

489 すべてを捧げて喜びなさい。空いている所は必ず満ちるようになっている。これが創造原理である。あなたがすべてを捧げたその空所に何が来るのか考えてみたことがあるか。イエス様は三十三年の苦労と難しい環  境の中で体を捧げた空所によって、世界を生かす救いの基準を立てた。

490 知恵のある人は、飢え死にする立場においても、一枚のパンを自分が食べずに同じ立場にいる人に与えて、千年を食べていける報償をつくる人である。

491 神様の願いの扉を開く者は誰か。神様はその人を探しておられる。語る言葉があり、見せてあげるものがあり、残してあげるものがある者を。

492 涙はすべての腐敗と障壁をも崩す。そして真実な汗と涙と血とが結びつくとき、復帰摂理は早くなされるであろう。

493 「私は父の仕事を代行するにおいて僕の中の僕(神様が記憶なさる代表的な僕)です。養子の中の養子(代表的な養子)です。子女の中の子女(代表的な子女)です。統一教会の中の篤信者(代表的な信者)です」  という覚悟と生活感情をもちなさい。

494 人類の永遠なる勝利は、あなたの勝利がすなわち私の勝利であると言えるようにならなければならない。

495 見せてあげるには最高の苦労の基準を立てなさい。

496 伝統的な思想を受け継がなければならない。神様の内情を相続せずには伝統が相続されない。

497 統一教会は福地建設が主流思想である。このためには伝統が必要である。本郷を愛することを知らない人は国を愛することをも知らないのが常である。

498 伝統は風化作用によって変化されない。天孫的立場が絶対に確立されなければならない。伝統を忘却しないようにしよう。良心に立脚した伝統を確立しなければならない。

499 主流思想の伝統を立てなさい。その根源は父母の愛である。

500 伝統は過程を連結させるのには必要であるが、結果を結ぶのには必要でない。

501 皆様は統一教会を代表した展示品のような人とならなければならない。

502 歴史を伝統的に保存することのできる人には自由が与えられる。いつのときでも、その国の伝統を保存することのできる国民にならねばならない。

503 流れには、いくら大河であっても主流があり、先頭の流れが必ずある。

504 今日の私は過去の延長であり、現在の集約体であり、未来の出発体である。

505 恩師の生まれた日を記念するよりも、師のもつ生きた伝統をもたなければならない。


二 公 義

506 恵みは公的であるため、恵みを受けようとすれば、公的な祭物となって恵みを受ける条件を立てなければならない。公的な仕事に責任をもって立ち向かうことがいかに尊く貴重なことか。

507 公的な立場を守る父母が親不孝の子女をもつはずがない。

508 先生は公的に売られていく人である。

509 終わりの日には万民と万国を平等に(平準化)して再出発するようになさる。

510 自分には損害になっても公的なことにプラスさせなさい。公的なことは天的な恵みの土台となるものである。恵みは行くべき道をすべて歩み、戦いを終えたのちに訪れる。

511 善、幸福、義、恵みなどは公的なものであるので、これをもつためには公的過程を経なければならない。個人は過ぎていっても、公的な恵みは民族や人類のために残してあげなければならない。

512 公的本位に一貫して生きていく人が一番強く、恐ろしく、知恵ある人である。

513 公的なことというのは、歴史性、未来性を帯びていることを意味する。すなわち、歴史が保証し、時代と未来を自証できるものである。

514 今日、自分自ら公的な立場に立ったのではない。因縁は遠い我々の祖先たちの願い、環境、神様の公的利益のため、その位置をつかんだと思いなさい。ゆえに歴史的に因縁づけられたすべての霊人たちは我々の味方である。その公的使命を知って、公的信念をもって蒔かれた忠誠よりももっと祭物的な立場に立ちさえすれば、歴史的なすべての公的因縁が今日、現実の中に再現される。

515 先生は情の王者である。しかし公道、公的な立場に立てば無情であり、また厳格である。誰でも公的な面においては公憤の心情をもたねばならない。

516 私的な事情が通じるのもよいが、いったんみ旨を中心としては、私的な因縁は切らねばならない。「天情を立てるため、人情を切る先生となってください」と祈るのが真に先生を慰めることである。

517 歴史始まって以来、人類は公的な使命を完遂できなかったので、この人たちに代わって歴史的な公的使命者だという信念をもって戦いなさい。

518 公的な私を認識してみなさい。公的なものは上下、前後、左右の中央に位置しているために責任ある立場だ。その位置が変われば全体が崩れる。良心が正しいというのは、天と地とを結ぶ直線上にいるという意味である。ゆえに公的な存在は自分の思いによって動いてはいけない。

519 忠孝の公的道理は人も認める。その道へと行きなさい。

520 語る言葉をもった人、なすべきことがある人として何かを残して死ね。

521 国を愛することのできない者は決して神様を愛することができない。十度屈服すれば十度勝つようになる。世界がすべて反対すれば世界の恵みをすべて奪ってくるだろう。

522 公的な立場は祭物の立場である。祭物は存在意識と所有観念を超越しなければならない。

523 天が任せた責任に対しマイナスにはせず、与えられた恩賜としてプラスにしなさい。食口の前に心情的な負債を負うな。

524 公的な私の立場を固守しよう。

525 公的な権威をもつためには、
  @信仰を与えてください(どんなことでもみ旨のためならやれる)、
  A愛を与えてください(神様がいまだかつてやったことのない愛を)、
  B知恵を与えてください。

526 先生は個人でありながら個人ではない。全体を代行し、歴史の代身者たる先生であるから、皆さんが一度引っかかれば手続きが複雑である。先生が公席上で大声をあげるのも皆さんが憎くてそうするのではなく、天法に引っかかれば、天と地を懸けて公席上で宣布しなければ蕩減とならないからである。それゆえ、公席上で宣布するときはもう既に先生が責任を負うのである。

527 神様が一番悲しい時は、祝福を与えようとしても眠っているために、彼らを目覚めさせて与えなければならない時である。

528 公的な品物を勝手に持っていったり、乱暴に扱ったりしてはいけない。その物を間違って扱えばその物によって自分が積んだ公的なものが全部崩れてしまう。

529 恵みを受ける前に、まず永遠に恵みを奪われない条件、サタンの讒訴を防ぐ条件をまず立てておかねばならない。恵みを保つための一番安全な方法はいつも公的立場において苦労することである。

530 公的というのは、歴史が保証し、時代が保証し、未来が自証し得る歴史性と時代性と未来性を帯びているのである。

531 公的な存在は私のものであると言うことができず、全体のものであるから最高のものである。

532 個人的な事情をもって全体の事情であるかのように適用する群れになってはいけない。

533 公的な義憤心に燃えなさい。

534 百人の人が自分を中心として思うなら、公的な思いが百以上なければならない。

535 み旨を先に立てて私的なすべてを超越して動けば神様が協助する。体の願うままに動いてはならない。

536 より大きな中心に相対的基準を立てることが公的問題である。

537 公的なことのために生きる人は、神様(天)に生命線がある者である。

538 誓いの条件は大きい。生命を懸けて誓い立ち上がるとき、神様は対さざるを得ない。


三 責任感

539 先生がこの道を歩みだしたとき、足を伸ばして楽に床に就いたことがない。なぜならば責任を果たし得なかった場合、どうして安らかに休むことができようか。それと同時に初めに父を大事にし、愛するという心情基準をサタンに奪われないために必死の闘いを続けてきた。我々に任せられた責任が重いと思うな。我々が五パーセントの責任分担をなすためにも神様は九五パーセント以上の苦労を既になさったということを知らねばならない。

540 責任に対して追及されるのが一番恐ろしいことである。

541 アベルは誤ったことに対する責任の追及は先に受けなければならないし、良くやったことは全体に帰さなければならない。

542 責任をもって仕事をするときは、自分の力量が量られる瞬間であり、審判を受ける期間であると思いなさい。

543 行動をなしたら責任をもちなさい。責任を死と取り替えることのできる者であってこそ天国に行ける。

544 責任をすべて果たせなければ、死後、その後孫たちが墓を掘り返すであろう。神様の栄光の園にサタンの前に倒れた者を置いておけるか。

545 勝利は戦わずにあり得ない。死ぬか生きるかという闘いの末に勝利は決定されるのである。

546 外的な環境に主管され、あちらこちらにさまよう人を、どうして大きな仕事を前にし、呼んで相談することができようか。現実の悲哀を逃避すれば既にその立場から押し出されるのである。

547 我々に与えられた使命が大きいほど、その使命に比例し試練と闘争も大きいだろう。試練と闘争を恐れる者には使命を授けることができない。

548 小さいことに目を奪われれば大きいことはなせない。

549 先生の命令を受けて自分の位置を離れる者は落第だ。神様は我々が担当しきれないほどの大きな責任を追及している。ゆえに我々は常に足りなさを感じ大きな力を与えてくださることを祈らなければならない。

550 責任をもった者はかわいそうな人である。時間は休みなく過ぎ去っていくので、心は不安で常に追われる生活が責任者の生活である。

551 先生がいると思うな。いなくてもいるときと同じ基準を保って、より発展することのできる心をもって歩まねばならない。

552 責任上から見るとき、神様のことはみ子が責任をもち、み子のことは聖霊が責任をもち、聖霊のことは聖徒たちが責任をもたねばならない。なぜかというとみ旨とは全体のみ旨であるから全体が責任を負わなければならないからである。

553 勝利の栄光はその戦闘の総司令官から始まるのであるが、共に参加した全戦友にもその栄光は平等に分配される。

554 六千年の歴史を蕩減しようとするからには、すべての分野においてなくてはならない第一人者が必要である。ゆえにいかなる分野においても、自分がなくてはならない責任分野を見つけなさい。そのような責任をもった者なら、神様は憎らしくともかわいくとも捨てることができない。その理由は、その人のみが担当し得るその分野の使命をほかの誰もできないからである。

555 習って、食べて、着て、地位に就くのは私のこととして終わるのではなく、み旨の要求があるということを知らねばならない。私がその要求の内容を果たせなければそれが私を讒訴する日が来るだろう。

556 死の場にまで自分を投げ出すことができるものでなければ、天の道を一代で越えることができない。

557 神様は私の父でいらっしゃるので父のことはすなわち私のことである。私がみ旨のために受ける悲しみと苦痛を、私が私のことで受ける悲しみと苦痛として実感し得ない限り、まだ私は真の子女の立場に立つことができないのである。

558 先生はいくら疲れたときでもやらなければならない責任を思えば、そのすべての疲れが一時に吹っ飛んでしまう。

559 古い歴史をもつのも重要であるが、瞬間を大切に過ごすのはなお貴重である。眠って食べるその一瞬間が歴史的な運命が決定されるその瞬間であることを忘れるな。一瞬間の失敗が一生かかって積み上げた功績を食  いつぶしてしまうことがある。

560 この世界とか人間は一度生まれて去ることができるが、み旨は一度去ってしまえば再び訪れないので、このみ旨をなすために責任をもって常に誠を尽くす生活をしなければならない。

561 善の世界を失ったのも人間であり、罪の種を蒔いたのも人間であるため、我々人間が責任をもって人類の罪を脱ぐことをしなければならないし、善の世界を探し出すこともしなければならない。

562 この瞬間、皆様はあすを開拓するか否かの厳粛な基点にいるのである。責任をもつことを恐れなさい。

563 皆様一人一人を呼んだのは神様の六千年のみ旨の代わりとして立てるためであるから、皆様は皆様一個人を通して、サタンの墓の中であえいでいる多くの民を解放すべき大きな責任を感じなければならない。

564 神様の前で「父よ、このみ旨のために私に責任を与えてください」と言える皆さんとならなければならない。

565 我々は絶対者の代わりに、真の父母の代わりに、真の主人の代わりに責任をもち、勝利の勇士とならなければならない。

566 責任をもった者は、そのみ旨に徹しなければならない。

567 仕事が小さいといっておろそかにしてはならない。目は小さいけれど一番重要なものではないか。命令してくれることを願う者となろう。

568 祖先たちが残していった歴史的な足跡を蕩減し、殉教者、先烈たちが残していった血の足跡に責任をもたねばならない。

569 山野に広がっている草木さえも、ある期間が過ぎれば各々創造の目的に対して、生長することによって報いてくれている。いわんや人間はどうなのか。

570 我々に加重された責任は、我々の一代において、悲しみをなくし、喜びをどれほど立て得るかということである。

571 栄光は神様の愛なくしてはなされない。自分の責任をなさずに神様の栄光を願ったのが堕落である。忘れてはならないことは、栄光よりも責任を完遂しなければならないことである。栄光は自分から始まるものではない。

572 名だけ先生の代わりにならずに、責任、心情において先生の代わりにならなければならない。

573 一度責任をもてば死ぬか生きるかである。

574 革新も反省も、私の生活の中で実践せねばならない。

575 神様は愚かではない。神様の前に弁明しようと思うな。神様は約束したことに対し損害があろうとも弁明しようとはしない。その責任をもたねばならない。














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