祝福家庭と理想天国
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四 祝福について

祝 福

1662 祝福を受けた神の家庭は、既に恐ろしい名前であり恐ろしい立場である。それは実体と血統と心情に責任もった立場だからである。

1663 祝福家庭は永遠なる祖先であり、これからの誇りの条件は血統と実体と心情のみである。特に実体を誇るためには首から上、すなわち目と耳と口に気を付けなければならない。選んで見るし、選んで聞くし、そして口で消化させて黙っていなさい。権威と責任的位置で判定しなければならない場合以外は全部黙っていなさい。

1664 神様は祝福を受けた群れを糾合なさるが、祭壇、祭物の前で糾合なさる。それゆえに祭客となって祭物の惨状を感じながら、泣きながら立たねばならない。

1665 祝福は安らかな立場においては来ない。苦痛と十字架の峠を越えなければならない。今までの歴史は苦痛は大きかったが祝福は少なかった。しかし終わりの日には苦痛と祝福が正比例する。

1666 負債を負って祝福を受けようとせず、わら一つでもみ旨の前に加えて祝福を受ける心情の準備をしなさい。

1667 祝福家庭が祝福の内容を知らなければ千秋の恨みを残す。

1668 忠孝の道理を立てて讒訴を受けない基盤を築きなさい。その次には烈の家庭を誇りなさい。歴史上に忠と孝の基準は立てたかもしれないが、烈の家庭は見つからなかった。祝福は烈の家庭を立てるためである。

1669 これから皆さんはサタンが讒訴するのではなく、天使が讒訴し、歴代の聖人たちが讒訴するであろう。

1670 祝福を受けた人がたとえ足りなくとも、祝福してくださった神様がおられることを知って貴重に思わなければならない。

1671 祝福を受けた家庭を勝手に批判してはならない。神様の祝福を尊重してあげてこそ我々の歴史が生まれるのである。

1672 ある地方に巡回あるいは訪問したときには、まず祝福家庭を訪ねていき、その次に自分の仕事をしなさい。祝福を受けた人(家庭)はその地方の出入り口である。

1673 祝福家庭に対するとき、常に神様の立場で大事に接してあげなければならない。あとで本人が責任を果たせなければ、接してあげた人がその恵みを受けるようになる。

1674 地域のため真実に苦労していく祝福家庭を冷遇すれば、その村は打たれてしまう。

1675 祝福をなしたのち、それを奪おうとする試練がある。人々が、霊人たちが、イエス様と、神様までも……。

1676 先生は祝福家庭に対しては涙を流しながら祈るときが多い。なぜか? 祝福をしてあげたうえで、分別のため私が切らなければならないことがあるからである。先生は神様の前に面目がない。今日まで導いてきたのは、ある期間で神様の前に公認させるためであった。

1677 先生は皆さんが、もしかしたら統一教会史上に汚点を残して怨讐となりはしないかと心配する。

1678 忠は天使長、孝はイエス様、烈は我々。

1679 正常コースを経ない人を祝福してあげたために支障が多いのを知っている。しかし、皆さんは心情と実体と法度を相続し得る家庭となって新しい歴史をつくらなければならない。

1680 祝福家庭は今五パーセントの責任分担期にいる。したがって先生は試験官の立場であるので当面は敵と同じような立場である。しかし、先生がそうでなかったらサタンが試験をするのでどうすることもできない。

1681 祝福は最高の幸福と不幸が重なった地点である。

1682 祝福の場は神様を売っても解決することのできない場である。

1683 我々は天民である。選民とは神様を完全にはもたない民であり、天民は神様を完全にもった民である。我々は天民であるがゆえに、死んでもサタンがもっていけない。

1684 小羊の婚宴は二人の男女を立てておいて天下を相続させるために祝福を下さる尊い儀式である。

1685 真の父母様は世界をあげても換えることができないし、真の子女は万民をあげても換えることのできない価値がある。

1686 祝福の価値を知っているか。祝福はイエス様と聖霊が復活して、二千年苦労しても果たせなかった基準の上に立てられたものである。

1687 祝福を受ける立場は堕落以前のアダム、エバの立場である。

1688 神様が祝福してくださったのは自分たちのためにではなく、氏族復帰のため、民族復帰のため、世界復帰のため、天宙復帰のためにしてくださったのである。

1689 祝福は良くなれる恵みの基台を築きなさいということである。

1690 蕩減棒をもって打つのはサタンがいるためである。

1691 家庭が不和であればその中にサタンが侵犯する。

1692 祝福された家庭によって横的な世界が出発するのである。家庭がなければ縦的なことのみで終わる。

1693 神様の愛が地上人と因縁を結べる所が家庭である。ゆえに家庭は天国をなす基準となる。

1694 聖婚式は復帰原理を解くことである。

1695 祝福家庭は先生が血を吐きながら、神様の前に訴えたそのような道を行かなければならない。

1696 祝福のあとには大移動の歴史があるようになる。ヤコブも二十一年間で子女と万物を取ったのちカナンへの移動があり、モーセもカナン復帰、イエス様以後にもゲルマン民族の大移動、今からも全世界的な大移動があるだろう。

1697 祝福家庭は統一教会の主人である。

1698 「神様の前に心情の遺業、実体遺業、命令されたみ言を相続いたします」という祈りと生活をしなければならない。

1699 心情には縦――父母、横――夫婦、左右――兄弟の関係がある。

1700 祝福はすべてを引き継がせてあげるものである。

1701 統一教会の生活は尊い式典の連続である。礼拝や敬礼の時間は王に会う時間と比較できようか。

1702 祝福家庭は民族復帰の根本とならねばならない。腐った根に接ぎ木することはできない。

1703 祝福家庭が見本とならない生活をして讒訴の対象となれば、その恨みは千秋の恨みとなる。

1704 祝福を受けたあと破れたら収拾する道がない。人間として行くべき最後の焦点が祝福である。

1705 神様の救援摂理の目的は、お父様の前に養子でない直系の息子を見つけて立たせることであり、その手続きが小羊の祝福である。

1706 先生が経験してみると、神様が与えてくださった祝福の約束は高貴な立場であったが、その約束を受けて神様が導いてくれた所を見ると至賤な所であった。

1707 復帰の道は自分に良いのではなく、あとから従う者たちを良くするのである。先輩家庭たちが貧しくみすぼらしい生活をするのを見て厳かな気持ちをもたねばならない。

1708 先生は、三代にわたってイスラエル民族が荒野に倒れた数ぐらいの家庭たちを選んで、忠誠の標本として天宙に自慢していかなければならない。

1709 祝福を維持し得る方法は苦労である。

1710 願望の中で残していくのは、祝福、ただこれだけを受けるためである。イスラエルの祝福は決して静かに座っていて受けるものではない。

1711 神様の恵みを受けるために、あなたたちは何でその代価を払うのか。「孝子のわきあふれる愛で払います」と言わねばならない。

1712 祝福の地を懐かしく思わなければならない。ヤコブも、死んだのちに自分の故郷に埋めてくれと言った。

1713 祝福の地をもつために我々は世界的な理念をもたねばならない。

1714 祝福は約束であるが、その約束は未来にそれをなした者のものである。

1715 祝福の式は簡単であるが、背後の歴史の内容は驚くほど難しいことがあった。彼が笑えば万宇宙が笑える基準が祝福の基準である。

1716 祝福家庭は第二のメシヤの使命をしなければならない。お荷物になってはいけない。使命を果たせなかったら祝福が災いになる。


理想相対

1717 心情の因縁を通じた伴侶を最高に愛しなさい。

1718 夫婦が因縁を結ぶことは天宙が共に会うことであり、天地が共に会うことである。聖婚した夫婦は各々二性性相の神様の一性を代表した者であり、これからは彼らが子供を抱くときにはアダム、エバが天宙をつかんでいる心情で和しなければならない。

1719 理想相対は主体と一つとなって宇宙を引いていき、天父のみ旨をなす目的のもとで成立するので、自分の平面的な思いのためではなく、み旨を楽しみ、またその理念のために生きることを目的としなければならない。

1720 男子と女子は例えれば骨と肉のようである。男子は神様の身代わりであり、世の骨である。ゆえに威信と節度を失ってはいけない。

1721 理想相対はその動機と結果が神でなければならない。

1722 相対を思慕する前に神を愛し、兄弟と同胞を愛したという条件が立って初めて神様に接することのできる基準が立つ。

1723 新婦は新郎の前で所有権限がないのが原則である。新郎、新婦の理想を立ててきたキリスト教が、最後の日に神様に対する立場において所有の権限や自我意識があってはならない。

1724 六千年歴史以来初めておとずれた復帰歴史路程において、我々は節度と威信をもたねばならない。そして、神様の種とならねばならない。今の時を準備なさって、我々を通して神様の血統を残す予定でいらっしゃる。それゆえに今の時は貴重であれば貴重だし、厳しいといえば厳しい。以後は、復帰の運勢のない路地の突き当たりのような時になることを知りなさい。

1725 個人を立てる目的は一段階前にある家庭を立てようとする天的なみ旨があることを多くの道人は知らなかった。ゆえに家庭的な祝福があるようになれば、その祝福の目的は国家復帰にあることを知らねばならない。

1726 イエス様は三十三歳まで独身で過ごした。統一原理を知っている皆さんも、どんな所においても男女問題は神様が安心することのできる者とならねばならない。


家庭・家庭生活

1727 愛の法度は、相克に侵入されるのではなく、かえって相克を支配することができる。

1728 家庭における日常生活も正分合の現象を具現する。朝別れるときも喜びで別れ、夕方会うときも喜びで会わなければならない。また帰ってきては、その日なしたことを妻と子供たちに話して聞かせ相談して直すようにしなさい。

1729 愛で連結させ、笑いで全体を連結させなさい。そして夫婦の間でみ旨のために話をしてもこれ以上は秘密に保とうとすれば、それは永遠に秘密として保ち得るそういう夫婦とならねばならない。今までのこの世の夫婦はそうではなかった。

1730 子女たちが、我が父はいい! 我が母はいい! 父さんと母さんが喜ぶのを見てうれしいと言って誇れる、そこが子女たちの安息の巣である。

1731 妻に対して怒ったり、子供に対してむちを加えたなら、謝ってその何倍も愛してあげなければならない。

1732 祝福家庭が総合して新しい歴史をつくらなければならない時が来た。六〇年代は個人の十字架を負う時であったが、七〇年代は家庭的十字架を負っていく時である。自分自身を中心とした「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」、「神の日」を自分の氏族を中心として見つけなければならない。これから家庭を導いてイスラエルの地を訪ね、勝利の決定権を立てなければならない。

1733 祝福家庭は神様に侍る生活において手本とならねばならない。聖日と一日が来るのを、体と心を整えて待つ生活をしなければならない。

1734 まずは父母様の前で子女として孝を尽くし、大きく成長しては夫婦として烈を感じる。これが内的な情的な舞台であり、外的基盤として表れるときは忠の秩序として表現されねばならない。

1735 子女を生んでから誠を尽くそうと思わないで、子女を生む前から誠を尽くさねばならない。子女の手をつかんで、夫婦が朝早く起きて涙を流しながら祈ってごらんなさい。

1736 父と母がどこかへ行っていないとき、その子女たちが父母を慕いたたえることができなければならない。昼でも夜でも不快な顔を見せず、笑いながら起きて働き、笑いながら床に就こう。

1737 夫婦の仲のバランスが傾けば心情と誠で補う誠実性をもちなさい。

1738 父母の心情で生活する者はそこに雑草が生えない。

1739 孝子は父母の心情をもった者である。この世的な知識と地位が問題ではなく、ただ一つ、天の心情を所有したかが問題である。

1740 これからは父の直接の主管のもとにいるので、すべてを父と相談してなさねばならない。そうするためには自分は公的な存在であることを知らなければならない。それゆえ、個人的な苦痛と幸福を無視してでも公的な苦痛と幸福に参与しなければならない。

1741 一番無難な道は同情を受ける立場でみ旨の道を行く道である。そうするためには神様が与えてくださる生活水準以下の生活をしなければならない。

1742 祝福を受けて生んだ子女たちが苦労するとしても、その子女に調子を合わせて遅らせてはならない。神様と世界と国の運勢に拍子を合わせて生活しなさい。

1743 世界の人々が韓国の祝福家庭を訪ねてくる日が来るだろう。その時に見せてあげるものがあり、語ってあげる言葉がなければならない。礼拝の日には、子女たちがうらやましがってついてくるように、夫婦が仲良く教会へ行きなさい。

1744 真新しい布団の上に夫の友達が泥酔して、靴を履いたまま寝転ぶとき、あなたはどんな顔で彼に対するか。寛大に思って、かえって有り難く思いなさい。その友達は夫をそれほど信じているのである。

1745 涙なしに生きる家庭はみ旨とは関係がない。

1746 報告して許可を得た生活でなければ、命令のままに生きなさい。

1747 祝福家庭はどのように生きるという生活基準を定めるな! 今、直ちに行けと言えばどんな所にでも行くことができなければならない。先生が行く先々に関心をもちなさい。今度の世界巡回をするとき、先生のために誠を尽くせなかった家庭は引っかかる。

1748 情的な最高の祭物が夫婦である。

1749 復帰過程の標語は父母と夫婦と子女である。これから父母の愛を立てる時が来たし、兄弟を愛すべき時が来たし、民族を立てて忠臣を探し立てなければならない時が来た。

1750 先生は夢うつつの境においても目が覚めればすぐ腹ばいになる。父母の心情を知った立場にいる先生が平安に休むことができようか。子女を育てる父母の心情をもって生活していけば絶対に良心の呵責は受けない。
  真なる孝子とは、父母の一番困難な部分を相続して万事に自信をもって臨む者である。

1751 孝子とは細密な面まで相談して生活する。孝誠からすべてを学んで進みなさい。

1752 み旨のために死の場へ夫が出掛けていくのを妻は喜び、またそのような道を妻が行くのを夫が喜べる心情的因縁を神様と結びなさい。

1753 父母の立場に立つ者は、子女たちが考えていない点を考えなければならない。

1754 男性は真の父の分身であり、女性は真の母の分身である。ゆえに夫が妻を無視すれば真の母を無視するのであり、妻が夫を偽れば神様を偽ることになる。

1755 先生が民族的な責任を果たすとき、皆さんはそのことに同調して、同時に自分たちの家庭を探し立てなければならない。民族はあるけれども、皆さんの家庭がなければ孤児の悲しみを味わわなければならない。

1756 イエス様が神様に対して「神様は私の父である」、そして人類に向かって「私は新郎であり、あなたは新婦であり、私の兄弟である」と言ったのは神様を中心とした家庭を立てるためであった。

1757 父母の心情は息子が自分より素晴らしくなることを願うのである。神様も人類の父母でいらっしゃるので、御自分が造られた人間が御自分より善くなることを願われるであろう。

1758 夫婦が一体となるのは家庭が一つとなるためであり、家庭が一つとなるのは父母様と一つになること、父母と一つになるのは氏族と一つになること、氏族と一つになるのは民族、国家と一つになるためである。

1759 公的な日を思慕する心をもたねばならない。このように伝統を立てておいてこそ、後孫たちの生活的伝統を立てることができる。公的な日は神様が喜ばれる中で互いが分け与え、楽しく過ごさなければならない。この日は家庭を中心にして天的法度を立てていく日である。

1760 民族がうらやましがる家庭、世界がうらやましがる氏族の家庭となることを願うことが父母の心情である。

1761 真なる天の家庭をつくる前には、真なる愛の世界は訪れない。我々は神様の中に深く潜んでいる御自身の愛に接する資格がないことを痛感して、神様の愛が慕わしくて行く歩みを催促しなければならない。

1762 神様を抜かしておいて先にやろうとするな。

1763 最後の単位は家庭である。家庭を中心とした教会、家庭を中心とした国家にならなければならない。祝福家庭は新しく誕生したアダム、エバと同じ立場である。家庭ですべての天的規範を立てて生活しなければならない。

1764 朝、夫と口喧嘩をしたときにも、夕方夫が帰ってくるときには、いつそんなことがあったかと言わんばかりに微笑で対しなさい。家庭は神様が通過なさろうとする関門であり、イエスや聖霊が通過しようとする関門であり、全人類が通過しようとする関門である。それゆえに、その関門は平和でなければならないし、幸福でなければならない。

1765 個人、家庭、氏族、国家から歓迎を受ける家庭となって、初めて家庭的に天宙主管を復帰することのできる道を出発するようになるのであり、その時がちょうど「家庭の日」が立てられる時である。

1766 イエス様が家庭を中心として氏族、民族を復帰しなければならない使命は子女の立場でなさることであった。我々は子女の立場で民族の基盤を築かなければならない。

1767 我々は長男の家(本家)であるので訪ねてくる人たちを食べさせる責任がある。昔、先生が夜寝ず、食口たちに対していたことを祝福家庭が代わりに責任をもたなければならない。

1768 原因があって初めて結果がある。我々が手本となり種となって子女たちを教育しなければならない。子女たちは父母の内的生活、外的生活の反映体である。

1769 子孫の前に恥ずかしい者となってはいけない。

1770 毎聖日、神様の前に敬拝するのをこれからは家庭ですべきである。

1771 朝の敬拝式は神様の前に生活を報告する儀式である。

1772 毎日曜日は子女たちが一番慕う日にならなければならない。夫婦が定めた時間に共に喜びの環境の中において、子女と共に迎えることができるようにしなければならない。

1773 侍る生活、子女を育てる生活、み旨を大切にする生活のため、家庭の三位基台同士が相談しながら生活しなさい。

1774 子女を愛するときには、個人的に愛するな。父母様の前に孝行し、理念の前に忠誠を尽くし得る子女として育てなければならない。そうするために私の子女たちは間違いなく忠臣、烈女、孝子、孝女になるという確固たる基盤をつくっておいて、初めて天国生活をすることのできる立場に入ることができる。

1775 先生は家庭復帰のためにいかにしたか。アダム家庭、ノア家庭、アブラハム家庭、イエス様の家庭の基準を立てておいて、その基準を通過した者を養子とした。四十年制限された期間内に、このすべてをなさなければならないので、いかに忙しく切ない心情であったか。このために最高の難しい環境の中においてもすべてのことを収拾してきた。このようにしてなされた統一教会であり、このようにしてなされた家庭である。

1776 私の身は既に父のものであるので(コリントT三・一六)善なる場所でなければ行くことを慎み、善なることでなければ行ってはいけない。

1777 私を立ててくださった神様が悲しくて涙しないように常に祈りなさい。

1778 私たちは神様の息子、娘となるために、神様の国を支配するために、神様と共に生きるために統一教会に来たのである。

1779 孝子、孝女の道理を尽くす子女をもったら、サタンが屈服するのが原則である。(孝子、孝女の道理を尽くすアダム、エバと神様が一つとなったところは、サタン、天使長が屈服しなければならないところであるから)

1780 祝福を受けた食口として自覚するときが来た。これからは愛で対するときでなく法で対するときが来る。

1781 妻は情緒生活に負債を負ってはならない。夫に対して関心をもちなさい。

1782 妻が夫を操縦し得る方法は、み旨に徹底して先に立つ道しかない。

1783 情緒生活をおろそかにするな。夫の表情、衣服、体に対して関心をもって、化粧をし、笑顔をもちなさい。

1784 天情がとどまることのできる最高の起点と終点は家庭である。

1785 家庭の父母より国家的な父母、それより世界的な父母、それより天地の父母を大切にするのがもっと大きい孝の道である。

1786 この世で貧しく生きたとしても、天、地の理念をもって生きる人は一番恵まれた人である。世の中のものは変わるが、天と地は変わらないので天地の理念をもって生きるのが一番の恵みである。

1787 皆さんはみ旨の前にいかなる子女を養成して、いかに奉仕すべきかを考えなさい。

1788 良心の苦痛を受けて生活するのが最高の悪であり、自己自身、家庭、民族、国家、世界、神様まで滅ぼす者である。

1789 家庭の権威を立てるためには個体の権威を立てて、個体の権威を立てるためには、み旨に対する権威意識を高めなければならない。

1790 真の孝子とは、サタンに手渡したとしてもサタンは手を着けることができないで、あなたが言っていた孝子に間違いない、とサタンが神に言うことができてこそ真の孝子なのである。

1791 先生の家庭を中心としてカイン・アベル復帰の実践生活をしなければならない。

1792 子女たちがこのような面において、自分の父が第一である、自分の母が第一である、と言えるものを持たねばならない。

1793 夫婦は年を取っても昔の因縁を基準として、一生の間ひたすら変わらぬ愛を感じて生きなければならない。

1794 夫婦の間で子女が生まれるとき、心情的な一致点において生理的一致点を兼ねた立場において生まれれば最高である。

1795 家庭をもってからは、以前より三倍以上の感謝する生活をしなければならない。

1796 子女は言葉を語らずに父母を指導する師である。

1797 子女は父母の心情を探って自分を中心において働く者である。
1798 父母が子女に「神様を知る人となりなさい」と言えば、これは最高の教えである。

1799 宗教の最高の目的は真なる家庭建設にある。

1800 家庭は三代が伝統を立てなければならない。

1801 家庭は天国の母体であり、理想は愛にある。

1802 妻は夫を自分の父以上に愛さなければならない。夫はこの世の人が妻を愛することより劣ってはいけない。どんな孝子が母を愛するより以上に愛しなさい。子供が母を愛するよりもっとその妻を愛しなさい。妻はまた子供たちが父を愛するよりもっとその夫を愛しなさい。それが理想的家庭である。

1803 祝福家庭の三位基台は一カ月のうち三週目以内に連絡し合いなさい。三家庭を中心として生活しなければならない。

1804 復帰された家庭の中心は神様である。統一食口の願いは復帰の家庭である。

1805 六千年間神様は家庭を探すために摂理してこられた。この家庭といかに関係を結ぶかを教えてくれるところが統一教会である。

1806 本来アダム家庭は宇宙に影響を及ぼすことのできる家庭としてつくったのであって、影響を受ける位置につくったのではない。習慣的世俗的家庭であってはならない。今はこうでも将来においては良くなるだろうと言ってはならない。既に完全な家庭でなければならない。

1807 男子は主体である。主体は中心に立たねばならない。位置を守り得る中央に立たねばならない。これが神様の代わりの位置である。家庭が不和であれば男子が責任をもたねばならない。

1808 我々統一教会が世界歴史に伝統を残さなければならないとすれば、天宙の前に一致され得る家庭の基準と伝統をいかに残すかそれが問題である。

1809 忠臣は民を泣かすことができてこそ忠臣である。善王は万民から有り難く思われてこそ善王である。神様の願い、先祖の願い、自分たちの願いに合致する家庭とならねばならない。

1810 祝福家庭はすべての人々の願望の的である。しかし祝福を受けておいて、そこに負荷された責任を果たせなかったら落第である。

1811 自分たち夫婦は去ってしまっても、天道は残していかなければならない。

1812 霊通者たちが家庭を攻撃するのは悔しい。皆さんが基盤を整えておいてこそ先生が霊界に行って家庭編成することができる。霊界を地上に動員することのできる責任は皆さんにある。

1813 三位基台は生活も一緒にしなければならないし、生活感情も同じくしなければならない。

1814 三位基台は原則としては一つの家庭が三家庭の責任をもち、二つの家庭は出ていって仕事をしなければならない。

1815 神様が摂理される最後の基点は家庭である。怨讐の中においても最高の怨讐は愛の怨讐である。

1816 神様において最も近い立場は長男の立場である。

1817 統一教会が偉大であることは、すべての問題を「家庭」を中心として結論づけたということである。平常時の個人、家庭の生活過程が、最後の勝利の基礎とならねばならない。

1818 喜びと幸福は神様の愛と一致するところにおいてしかない。すなわち父母の喜びは子女から始まり、子女の喜びは父母から始まる。

1819 家はすべての因縁の始まりであり、終わりを終結させることができる所である。

1820 父母の事情と自分の事情が重なったとき、父母の事情が先に解決されることを願う心をもっている人は孝子である。

1821 個人は客車と同じであり、家庭は機関車と同じである。個人において失敗すれば復帰することは簡単である。家庭において失敗すれば破綻である。

1822 我々においては家庭が出発である。呼吸する穴(空気穴)のようなものが家庭である。

1823 孝子は笑うとしても父母の顔を見ながら笑わなければならない。















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