祝福家庭と理想天国
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第四節 愛を中心とした終末の現象

  1、終末とはどのような時か

 本来、終末という言葉は宗教から出た言葉です。仏教では終末を末法時代といっています。キリスト教では終末といいますが、この終末がどのようにして生じるのかという根本的問題を考えてみましょう。

 絶対的な神様の計画されるその世界は、永遠なものでなければなりません。いったん始まれば、永遠に行かなければならないのです。絶対的な神様が治められるこの世界に終末が生じたのは、神様が設定されたのでなく、人間の堕落によって生じたと考えざるを得ません。結局、善が永続できず、悪が出発したということが終末の生じた原因なのです。(273)

 善なる神様がつくられたアダムとエバは、善なるエデンの園に住んでいました。もしアダムとエバが堕落しなかったならば、善は永遠に続いていたはずです。ところが、アダムとエバの堕落によって善は出発しないまま終わりを見たのです。

 神様のみ言を正常な立場で信じることができたにもかかわらず、人間始祖はそのみ言を不信し、死亡がこの地上に生じたということを知らなければなりません。アダムとエバが神様のみ言を不信し、戒めを犯すように誘惑した、もう一人の主人が現れたのです。

 アダムとエバが神様のみ言を不信し、この主人の誘惑に引きずられていったことにより、サタンがこの世の主人になりました。堕落したアダムとエバは、サタンの対象になったのです。不信の結果、滅亡の世界、神様と関係のない死亡の世界が出発しました。

 このような立場に至った神様は、善で出発できなかったこの世界をそのままにしておくことができません。これを再び回復して、ある時期にもう一度善の出発をしなければならないのです。(274)

 終末はいつでしょうか。悪なる世界が始まったために、天の側の人が現れてこれを清算し、個人的に、家庭的に、氏族的に、民族的に、国家的に、世界的に、善なる世界に向かって帰っていこうとする時に、そのつど終末の現象が現れるのです。つまり悪なる世界のすべてを清算し、サタンのすべての讒訴条件と汚れたものから脱して、善なる世界に超えていける中心的人物が(現れ、)個人的に超えていくときが、個人的終末であり、家庭的に超えていくときが家庭的終末であり、氏族的に超えていくときが氏族的終末であり、民族的に超えていくときが民族的終末であり、世界的に超えるときが世界的終末となるのです。(275)

 歴史上数多くの先祖たちが現れては消えていきましたが、神様のみ旨に沿って責任を果たそうとした者はいつも完成を見ることができませんでした。それゆえ、神様は個人、家庭、民族、国家、世界を代表して勝利したという基準を一度に備えて、サタンの前に堂々たる権威をもって現れることのできる一人の世界的代表を送るという約束をされました。その方がまさしくメシヤなのです。

 歴史が始まって以来の悪なる世界を完全に清算して、善なる世界に超えていける時に主が来られるのです。それゆえ、終末とは一つの時代が終わり、新しい一つの時代が始まることをいうのです。終末になったからといって、神様がつくられた太陽や月が壊れ、地が滅んでしまったなら、それはサタンのゆえに壊れてしまったのですから、失敗した神様になってしまうのです。(276)

 終末はいつ来るのか分からないうちに来るのです。皆さんの時計が、十二時を示す「カーン」という音を鳴らせば、きのうは終わり、きょうが始まります。ところが間違いなく新しい日は今からだと言いながら迎える人がいるでしょうか。ここにそんな人は一人もいないでしょう。かといって終わる時間がなかったということでもありません。

 きのうの終わりときょうの新しい出発を分けるのは困難です。もう秋が過ぎて冬が来ます。ところがいつ秋が過ぎていつ冬が来るのか、一般の人が気づかないうちに来てしまいます。ここに年配の方が何人かいらっしゃいますが、一生の間たった一度でも秋と冬が代わる明確な限界線に出合った人がいますか。うっかりしているうちにすぐ冬になり、冬が過ぎたと思えばもう春になっているでしょう。かといって季節に終わりがないというのではありません。

 エデンの園でアダムとエバが堕落したときも、正しいことなのか間違ったことなのかはっきり判別できる目的観があったのでもなく、主管性があったのでもなく、判断できる能力ももっていなかったということを知らなければなりません。右に方向をとらなければならないのに、左へ方向をとったのが堕落です。アダムとエバはすべての事実をはっきり知らない混沌の中で堕落したのです。

 それではいつを終末と考えるべきかというと、今であると言うことができます。なぜなら、聖書がいうように終末になれば羊とやぎに分けられるからです。羊は主人のあるものを、やぎは主人のないものをいうのです。

 皆さん、共産主義は左翼であり、やぎです。左におくのはやぎだと聖書にあります。やぎは主人がいても主人を知りません。共産主義者たちが神様を知っていますか。民主世界は羊です。羊は主人を見分けます。民主世界の人々は神様を知っています。今日のすべての現象は聖書に表された終末を彷彿させます。

 終末がどういう時かと言うと、昼なのか夜なのか、正しいことなのか、うそなのか混沌として、どれもこれも見分けることができない時です。最近の様子を見ると、イエスを信じる人が良いのか信じない人が良いのか分別できません。むしろ信じない人が良いような場合もあります。また、世界的に民主世界と共産世界を比較してみれば、むしろ共産世界が民主世界よりも外的な面においてより堂々としていて、実質的であるようです。ですから判別できない時代に入ってきたのです。

 このようにすべてにおいて、どれがより良いのか見分けがつかなくなってしまいました。そのような時には必ず終末が訪れてくるということぐらい知らなければなりません。歴史は繰り返すといいます。蒔いたとおりに芽が出る、そのような時代になったのです。(277)

 復帰というのは人間が堕落してしまったために生じた言葉です。これは原理的な観点です。堕落した人間は復帰されなければなりません。すなわち、堕落する前の状態にもう一度上がらなければなりません。これが神様が今まで摂理してこられた主目的です。

 人間は何ゆえに堕落したのでしょうか。サタンの愛のために堕落したのです。それではサタンの愛、すなわち「堕落した愛」とは何でしょうか。それは下がれば下がるほど、すべて分離される愛です。個別的に分離された愛を示すのです。

 では、この世の終末とはどういう時代なのでしょうか。世界人類が個人の愛を絶対視する時です。堕落圏の愛を中心として世界の終末が起こるのです。つまり、世界の終わりとは個人の愛が絶対視される時代であり、国に対する愛、民族に対する愛、家庭に対する愛が否定され、自分を中心とする愛が肯定される時代なのです。倫理や道徳による愛ではなく、動物的な愛が地上に吹き荒れる時代です。

 現在、愛に対する観念はどの世代まで濁っているのでしょうか。幼い青少年の世代までが濁ってきています。これを見ると現在がこの世の終わりだということが分かります。

 青少年たちの乱れた愛の行為を父母も止められず、国も止められず、世界も止められない、そのような段階に来ています。国も収拾できず、世界も収拾できない、そのような時代なのです。

 なぜサタンはすべての人間をこのような破綻状態まで引っ張ってきたのでしょうか。それは神様が愛を中心とする復帰摂理をしてこられたからです。神様の摂理を妨げるためにサタンは否応なく家庭に対する愛、氏族に対する愛、民族に対する愛、国家に対する愛、世界に対する愛(、そういった愛)と反対の愛を人間に与えて、このような破綻状態にまで引っ張ってきているのです。

 人類を堕落させたサタンの願う最高の目標が何かといえば、人類の愛を余すところなく破壊してしまうことです。一方、神様は人間たちを創造本然の愛の世界に導こうとしておられるのです。(278)


  2、終末の現象――青少年の堕落

 アダムとエバが堕落した時期がいつかといえば、十代すなわち青少年期でした。年を取った人たちではなかったのです。堕落において、何を中心として堕落したのでしょうか。愛を中心として堕落したのです。

 愛の問題を中心として堕落し、二種類の愛に分けられた堕落の種を蒔いたのです。二種類の愛が生じたのは悪が侵入したためです。悪が侵入した不倫な愛の結果によって、その種は世界中に蒔かれたのです。

 これが次第に拡大し、世界は二つの群れに分かれ、左右の問題が起こりました。愛を中心として、最高の先進国から最低の後進国に至るまで、世界中に台風が吹き荒れる時が、世界の終末であるのを知らなければなりません。そのように植えたのだから、そのように刈り取らなければ……。(279)

 アダムとエバはいつ堕落したのでしょうか。青少年の時期に堕落したのです。青少年の時期に偽りの愛が植えられたのです。原理的な愛が植えられたのではありません。その偽りの愛から人類は生まれたのです。それゆえ、それを刈り入れる時が来なければならないというのです。(280)

 今日、世界のどこに行っても、一番大きな社会問題は青少年の倫理問題です。植えた種が因果法則によってそのままの結果を結んだので、これを解決し、超えていかなければなりません。宇宙の法則がそのようになっているので、世界的にそのような現象が現れているのです。(281)

 現在青少年たちが木の陰に隠れるようにして堕落しているのは、アダムとエバが木の陰で父母の許しもないままに不倫の因縁を結んだためです。そのような種を蒔いたので、そのような刈り取りが必要となったのです。これが国境を超え、時代を超え、思想や主義を超えて世界的な共通の現象が起こる時が来るのですが、その時が終末なのです。ではそのような時になりましたか、なりませんでしたか。(282)

 今日、青少年問題が台頭しています。これは堕落論から見ても否定できない事実です。今日の大学の青少年、二十代とティーン・エージャー圏内にいる青少年の問題が深刻です。彼らは国を売ってしまおうという気持ちを抱けば、自分たちの思いどおりに売ってしまうほどです。彼らが反抗すれば国もうろうろするばかりです。そうでしょう。若者たちが反旗を翻せば国が右往左往します。このことは文化国だといって自負している鼻の高いアメリカの場合も同様です。共産党に弱点を見せたらそうなるのです。下手をすると大学の若者たちによって鼻がへし折られるというのです。今がそのような時です。フランスのような国でまた何が起こっているかといえば、あちらこちらで破壊とデモが起こっています。それらは、このような若者たちによって引き起こされているのです。

 また男女問題が提起されていますが、彼らが堕落するときはどのようにしますか。父母の許しをもらわずに自分勝手です。また夫婦が愛し合う時も自分勝手なのです。愛の法度は天倫の公法を根源とするにもかかわらず、そのような天倫の公法から外れて、すべての生命の原動力、生命の起源となる愛の法度が、街頭で一つの遊びになり、踊り狂ってへとへとになっている、このような世界の様子を見ると、終末が来るのは一目瞭然です。(283)

 今日、現実はどうなっていますか。すでに時遅く多くの青少年たちが麻薬中毒にかかり、サタンの愛であるフリー・セックスにおぼれています。このような現状はアメリカにだけ見られることではなく自由世界全体がアメリカの流行に押されています。言い換えれば、自由世界の先頭に立っているアメリカが悪の水で汚染させているのです。

 アメリカ人たちは世界中を行き来しながら、世界各国の女性たちを蹂躙しています。浮気心を引き起こしているのです。これを収拾できなければ、アメリカや世界が滅びるのです。ソドムとゴモラが滅んだのも、ぜいたくと不信と偽りの愛のためでした。ローマも外部の勢力によって滅んだのではなく、内部の原因によって滅んだのです。ローマを支えていたものは、家庭に対する愛、民族に対する愛、国に対する愛でしたが、これらがすべて崩れてしまったのです。愛が崩れたので民族の生命力が衰退して滅んだのです。このような観点から見ると、アメリカも例外ではないのです。(284)

 堕落した先祖の血統を受け継いで罪悪の種を蒔いてきた人類は、それを刈り取らなければならない時を迎えました。日本でも最近になって青少年たちの脱線行為が急増しているのを知っています。これはエデンの園で間違って蒔かれた罪悪の種を、世界的に刈り取るべき秋の時期が来ているのを示しています。このような時が到来すれば、理想的な新しい男女関係、理想的な相対基準を主唱する人あるいは動きが現れなければなりません。このような観点から見ると、理想相対を訴える運動がこの地上の一角に現れ話題になり始めたということは、世界に対して限りなく喜ばしい福音です。(285)

 アメリカも第二次世界大戦以後は、世界的カナン福地に向かおうという主張もせずに、「世界は我々のものだ」という考えで自国だけを中心として進んできたので、今日のような状況になってしまったのです。本当の目標がないのです。(286)

 私はニューヨーク市の五番街に行って涙を流したことがあります。エンパイア・ステート・ビルや世界貿易センターなどの高層ビルを建てて騒いでいますが、それでどうするというのですか。そこから神様が離れれば、事故が起きます。この国を祝福したのは……。高層ビルを建てるときも神様の名をもってしなければならないのに、むしろ反対の傾向が生じているというのです。腐ってきています。

 皆さんがラッシュ・アワーにふと道端を眺めるなら、そこにたむろしている若者たちはみな淪落に身をやつしているのを見るでしょう。神様がそう願って祝福してくださったのですか。世界に向かう新しいピューリタン運動を起こし、世界を救おうと覚悟している青年たちがいなければならないはずなのに一人もいないのです。

 たとえそうでなくても、一つの岩を置いてその岩に青年たちが集まり、それが未来の世界を救う祭壇だといいながら、泣いて祈祷すれば、むしろそれが幸福だというのです。

 今ニューヨークからは神様が離れて、居ないということを知らなければなりません。ニューヨークは悪魔の都市だと世界的にうわさされています。白昼に殺人事件が頻繁に起こり、白昼に強姦が行われるこの都市をつくるために神様が祝福されたのではありません。この国は滅びに至るすべての要因を内包しています。

 青少年たちは今堕落しています。若者たちの覚せい剤の問題が悩みの種になっているのを知っているでしょう。家庭は破綻し、人種問題はこれからより大きな問題に広がるでしょう。それに加えて共産主義の脅威や経済恐慌がやってくる可能性が濃厚ですね。なぜこうなるのかといえば神様が離れてしまうからです。

 アメリカの至る所に神様が臨在されなければならないのに、至る所から離れ始めました。皆さんの心から神様が去りました。家庭から、社会から、教会から、政府から神様が離れています。(287)


  3、終末におけるサタンの正体

 サタンはいかなる神でしょうか。サタンは淫乱の神です。そしてサタンは終末に神様を否定し、神様の教会を否定し、神様の家庭的伝統を否定するのです。そのような現象が起こる時が終末(末世)です。現在、全世界的にそのようなことが起こっているのを見ても、共産主義がまさしくサタンの役事によって生まれた主義であることが分かります。

 共産主義は神様の存在を否定しています。また、宗教をアヘンだといって宗教を中心とする家庭を否定しています。これはサタンが、宗教や宗教を中心とする家庭を通してサタンを屈服しようとされる神様のみ旨を知っているので、共産主義を通して宗教や家庭を否定しているのです。サタンは神様を否定すれば自分も否定されることをよく知っていました。またいずれは人間たちが神様に帰っていくことも知っていました。それで自分が(人間から)侍られなくなるのなら神様も侍られないようにしようと、神様や宗教を否定したのです。このような悪の張本人がサタンであるのを皆さんは知らなければなりません。(288)


 アダムとエバの堕落は、心情的に未熟なときに神様の命令、つまり神様の指示がないところで心情的行動の第一歩を踏み出したことが動機となったのです。成約時代を生きる青年たちは堕落世界の環境がどんなに自分を誘惑してきたとしても、それに対して無関係、無関心の態度を取らなければなりません。そうでなければサタンは全人類を蹂躙しようと最後の知恵を絞り出すでしょう。

 共産党は「遊べ! 歌を歌い踊れ! 恋をしろ!」と言います。それは破壊の戦略です。サタンはそのような環境をつくって破壊しようとしているのです。(289)

 サタンが神様に「このように分裂した世界をあなたは統一できますか。あなたが数千年間導いてきたユダヤ教とキリスト教はめちゃくちゃになり、共産党の巣窟になっているのに、どうやって収拾するのですか」と嘲笑しています。また、「今日の宗教界を見ると、宗教界も社交的であるべきだといって踊り、男女はあらゆることをしていますが、あなたは臨在できるのですか。あなたと関係を結んでいる人がいますか。四十億人類の中であなたのみ旨を成就する宗教がどこにあり、そのような宗教人がどこにおり、そのようなキリスト教信者がどこにおり、そのような真理の本質をもった人がどこにいますか」と讒訴しているのです。

 また、「あなたが送るというメシヤはいったいどんな人ですか。メシヤは何をしに来るのですか。創造本然の愛をもってこの世界を一つにし、国を一つにし、天と地を一つにする責任をもってくるといいますが、メシヤがこの地に来てそんな仕事をすることができますか。神様もできないことを彼がどうやってするのですか」と言いながら神様を攻撃しているのです。

 このような観点から見るとき、今後、出現すべき宗教、神様が立てるべき宗教は愛を中心として、個人、家庭、氏族、民族、国家、天宙を統一するという強烈な力をもった宗教であるべきだという結論が出てきます。(290)

 皆さんは、サタンが皆さんのお尻に縄を結びつけて引っ張っているのを知っていますか。皆さんのお父さんやお母さんが引っ張り、皆さんの国が引っ張り、昔、互いに愛し合った人が引っ張っています。皆さんの中には「このように引きとめられ、先生に従っていくことに対して考え直そう。少し考えてみた上でついていこう。私のように賢い人がなぜ苦労の道に自ら進み、難しい生活をしなければならないのか」と考える人がいます。「余裕をもって人生を適当に楽しみながら生きたい。良い道であることは分かるがこんなにも忙しく生活するのは嫌だ」と言う人もいます。自分のお尻にサタンの縄が一つもかかっていないという人がいるなら手を挙げてごらんなさい。

 一人もいません。ですから大口をたたくわけにはいきません。皆さん自身が悲惨なのです。その姿をどう自慢して歩きますか。それで先生のようになれますか。皆さんの中には博士の学位をもった人もいますが、博士さえもこの縄を切って越えていかなければならないというのです。

 サタンに結ばれた縄を切って越えていく前に、男であれ女であれみんな愛の象徴をコンクリートで固めなさい。コンクリートで固めなさいといっても心配しないでください。天の国の春が来れば、どんなに固いコンクリートでも自然に溶けるのです。(291)

 愛には二種類の形があります。一つはサタンが好きな愛であり、もう一つは神様が好きな愛です。サタンが好きな幸福、理想、愛があり、神様が好きな幸福、理想、愛があるのを知らなければなりません。神様は永遠なものを標準とし、サタンは瞬間的なものを標準としています。さあ、それでは皆さんはどちらの幸福を選びますか。もちろん永遠の幸福を選ぶでしょうし、選ばなければなりません。永遠の愛を探すために努力し準備しなければなりません。瞬間的な愛を得るために転々とすれば、皆さんは死に至るでしょう。瞬間的な衝動や欲望が生じるときは、自分をむち打って死の暗やみを思い浮かべ、永遠の愛を求めていくという理念をもって祈祷し努力しなければなりません。(292)

 サタン世界、堕落圏を越えるのは、歴史上のどの戦争に勝つことよりも難しいことです。サタン世界を越えていく戦争は、神様が司令官になられて直接指揮され、進撃命令を下す最後の決戦です。そのような決戦をすべき時が来たのを皆さんは知らなければなりません。(293)

 先生が原理を知らなかったら、とんでもないことが起きていたでしょう。人間の誘惑だけでなくサタンの誘惑や試練がいくらでもあるでしょう。六千年間神様に対して讒訴し続けてきたサタンは、大きな力をもっています。大部分の人は大きな試練を受ければ倒れてしまいます。先生が今ここまで来たのは原理原則に基づく天の法度を知っていたからです。だから誘惑に巻き込まれずに済んだのです。皆さんはこれを誇りに思うべきです。(294)


  4、世界的な分裂現象と統一運動

 堕落の結果、すべての世界には分裂がもたらされました。いくらこの世界に人が多いといっても、分裂した人間性ばかりを発見します。これが堕落によって生じた世界だということは否定できない結論になるのです。このように分裂した状態であるために混乱が生じているのです。これが現世の実情です。ここでは自分自身だけでは絶対に一つになれません。人間自体では理想を追求することはできません。

 無神論者たちは神様が死んだと主張します。我々人間は滅亡に瀕したので、希望や理想はみな捨ててしまえと主張します。神様や宗教などは人間がつくったものだと見るのです。しかし自分を中心としては、どう見ようと世の中を知ることはできません。自分自身や家族を通して見ても知ることはできないのです。どんなに深い知識をもっても分かりません。結局神様の側から見なければならないという結論が出ます。このような実情を見ても、真の愛を見つけることによってこの地上の堕落圏を克服しなければなりません。(295)

 今日、堕落した世界では自分の父母を殺した者もおり、または兄弟を殺した者もおり、親戚や近所の人を殺害した者もいます。兄弟同士が互いに殺し合い、また氏族同士が殺し合った縦的な数千年間の歴史的現状が、今日に及んで一度に横的にこの地上に現れています。そのような現状の中で、すべての人々が個人主義に陥っています。彼らには神様もありません。父母兄弟や近所の人たちに何の関心もない個人主義者、独裁者たちになってきているのです。それが今日の世界の現状です。

 皆さんもすべて個人主義に陥った人たちです。先進国家になればなるほど、個人主義の状況がひどくなってきています。個人主義者たちはサタン世界の最も先頭に立った機関車です。彼らの眼中には国もなく、家庭もなく兄弟ももちろんなく、ただ個人がいるだけです。個人主義者たちはアダムとエバを堕落させた天使長のような思考方式をもった者たちです。

 堕落した天使の世界には相対関係が許されません。人間が、堕落した天使長に似た個人主義者になれば、国も失い、家庭までも失ってしまいます。自分しか考えられないので、結局持ち物すべてを失ってしまいます。個人主義の状況がひどくなればなるほど分裂状況が現れます。(296)

 今日、全世界にある民主陣営の大部分の国民たちは、国に対する観念をもっていません。社会に対する観念、歴史に対する観念がありません。動物と同じく性(男性女性)の観念が彼らの頭を占めています。動物と同じように女だから男を好み、男は女を好みます。あれやこれやで一日ぐらい楽しめば終わりという観念が彼らを押さえつけています。朝、起きて御飯も食べず、あいさつもせずに、そのまま行ってしまっても何ともないと思うのが当然のようになっています。一例を挙げると、アメリカにおける倫理問題は本当に深刻です。滅びの前兆です。

 ですから、彼らに世界に対する観念を植えつけ、家庭観を再び植えつけてあげなければなりません。新しい家庭倫理体系を立て、それに沿って正常な道を行けるようにし、愛の道理を中心とする天国理念を植えつけなければならないというのが、まさに多くの人々が「狂った」と叫ぶレバレンド・ムーンの主張なのです。(297)

 今日、宗教人たちは「信仰生活をして善なる人になり……」と言っています。「私が善なる人になる」と言っても、一人の人が善なる人になって、この世界を救うという道理はありません。アメリカの牧師でさえ、ヒッピーたちに反対しながらヒッピーに従っていっています。我知らず自分を欺いているのです。神様に従っていくべきです。私がネクタイをはずしたなら皆さんもはずさなければなりません。そのような霊的影響力がないのならいっそみんな捨ててしまわなければなりません。どんなにやっても見せ掛けにすぎなくなってしまうのです。良心の呵責を受けながら罪だけ犯しているのを知らなければなりません。

 全世界からネクタイを買うためのお金を私のところに持ってきなさい。気の毒に飢えている全世界の人たちに寄付してあげればどんなに善いことか……。(298)

 アメリカに来てみると、牧師はすることもなく酒やたばこを好んでレバレンド・ムーンを好みません。天の息子・娘たちだと自慢しながら、サタンの武器として使用されたものを使えますか。ですから私たちはこの世界を正すべきです。レバレンド・ムーンは大きなことを言っているが、本当にできるのか。それに答えられなければみ旨も何も果たせるはずがありません。「はい」という答えを下せば、私個人をそのようにつくり、家庭的に、氏族的に、民族的に立て直して民族をつくり、世界的に立て直して新世界をつくり、一つの兄弟、一つの民族、一つの国家を形成するでしょう。(299)

 今の時は収穫の季節です。サタンが蒔いた種の実を見ればすべてが散り散りに散らばっています。限界に来ています。ですからすべてを一つにつくらなければなりません。そのような運動をしているのが統一教会です。

 この世界は個人主義の世界です。家庭も、父母も、子女も、兄弟も、氏族、民族も、すべてがばらばらになっています。しかし、統一教会は国家を超え、氏族を超え、家庭を超えて一つの世界を主張しています。サタンと反対のことをいっているのです。

 結婚にしても昔は、同じ民族の中で繰り返されてきました。しかし私たちは六大州から五色人種が集まってきました。日本人が夢にも思わなかった韓国人と結婚します。そして黒人と白人が結婚します。夢にも思わなかったことを、神様の愛を中心として何事もなかったかのようにするようになりました。そのようにしてすべてを一つにするのです。サタン世界は分裂し破壊され、滅亡の世界へと引っ張られていきますが、そのような渦の中で統一運動を展開し、神様の世界に巻き込んでいるのです。(300)


  5、青少年問題と統一教会

 エデンの園でアダムとエバと天使長が神様のみ言を聞かずに出発した、そのような先祖の後孫が生まれ実を結んだ終末を迎えたので、誰の言葉も聞かなくなる時が来るのです。そして何をするのでしょうか。フリー・セックスを主張したのがエデンの園における堕落です。今日のアメリカの若者がその姿です。そのために人間の価値が動物より劣るようになりました。愛が肉体的満足だけを目的とした動物と同じレベルの愛に落ちてしまいました。

 サタンはこのようにして、人間が神様の前に帰ろうとしても帰れないように、人間を満身創痍にしておくのです。しかし、神様は愛の神様であるので、このような人間をかわいそうに思われ、人格のモデルを示して愛の秩序を立てると同時に、家庭の秩序と国家、世界の秩序を立て、天道圏内に一つの世界を形成しようとされます。その仕事のために送られた方がメシヤであるのを皆さんは知らなければなりません。(301)

 皆さん、統一教会が徐々に基盤をつくっていくに従って、世界は動揺し誰も手をつけられず、収拾することもできない段階が生じるのが今の時なのです。皆さん、見てください。世界の若い男女は使える人たちですか。使えそうな人は一人もいません。アメリカの家庭は正常ですか。どこの誰が、世界的な権威をもって収拾することができますか。家庭と国と世界が崩壊しているのだから、収拾できる権威をもった方がいなければなりません。その方でなければこの世界を収拾できないという結論が出てきます。(302)

 今日の歴史時代に終末はいつ訪れるのでしょうか。今日、アダムとエバが堕落した時のように、思春期の息子・娘たちは「お父さんもお母さんも関係ない。兄さんも姉さんも必要ない。私の好きなことだけが一番だ」と主張して出ていく時代です。それで今は、十代`ティーン・エージャーaが堕落してしまう現象が起きるのです。この現象は何でしょうか。父母が知らない間に、初恋をして堕落してしまうのです。このような青少年たちとは逆に、絶対そんなことはできないという群れが現れてこなければなりません。そのために統一教会では自由結婚は許さないのです。

 アダムとエバが堕落しなかったなら、誰を中心として結婚式をしたでしょうか。神様を中心として神様が仲人になったのです。アダムとエバは兄と妹という関係であることは知っていましたが、時になれば異性を感じるのです。これは心が体に命令するのと同じく、神様が私たちの心の中にいらっしゃって、その心は因縁を結ぶ動機となり、神様が連関を結んでくださるのです。(303)

 人類歴史は、アダムとエバが(数え年で)十六歳の少年、少女の時、神様の天道を離れて自分たちが勝手に愛した過ちから出発しました。世界的な終末である今日、青少年たちが腐敗しているのもその結果だといえます。秋を迎えれば実を刈り取ることができるのと同じです。青少年たちが自分勝手に堕落するのは先祖が誤って蒔いた種を刈り取っているのです。統一教会はそれらを完全に掃滅するために現れてきたのです。(304)

 二十世紀後半に入り、青少年問題がなぜこのようになったのでしょうか。すべて子供に対する愛がないからです。ところがその背後を見れば、すべての父母が自分勝手に生きているのです。それで子供もみんな街頭やあるいはダンス・ホールであらゆることをして過ごしています。そしてその末路には悲惨な姿が待っているのです。ですから、私たちはこのような世界のすべての問題を、私たちの時代に、責任をもって解決しようというのです。このような重要な責任を、皆さんが背負わなければならないという事実をはっきりと知らなければなりません。(305)

 現在、大学がすさんできている理由は、アダムとエバが十代、すなわち青少年期に堕落したのと同じ状況が生じているからです。今は、アダムとエバが蒔いた種の収穫の時期、すなわち、秋が来たのと同じ時期に当たります。それで世界的に堕落しているのです。先生はそれを全部復帰しようというのです。天地の法度に従って収拾しようというのです。(306)

 今日の世界では十代の青少年問題が深刻です。共産世界でも民主世界でも十代の青少年たちが腐敗する時が終わりの時です。すべてがめちゃくちゃになってしまうのです。父、母、兄、姉を問わず、すべて偽りの愛によって、ばらばらに分かれてしまうのです。夫婦が離婚するのも偽りの愛のためです。若者が旧世代に反発するのも、父母の愛を受けられなかったからです。偽りの愛によって父母の間も世代の間も、すべて壊れる現象が起こるのです。世界的にこのような現象が現れれば最後なのです。それゆえ、壊れたものを総合できる新しい種を蒔かなければなりません。そして新しい種が芽吹き、その芽が大きくなるときには、偽りの愛を壊してそれを肥やしにしなければならないのです。これが天地の道理です。一つの種を植えたなら、その周囲の雑草は刈り取って肥やしにするのと同じです。

 では今日の統一の方案は何でしょうか。統一教会の思想を中心として、その壊れたものを真の姿につくり直していかなければなりません。新しい分野で愛の秩序を立て、命の秩序を立てるのです。そうすることのできる世界が現れれば天国は実現するのです。天地開闢が起こるのです。それがすなわち統一思想であり、統一主義です。統一教会が果たすべき目的です。(307)

 世界の代表国家であるアメリカの青年男女が淪落すれば、全世界の青年男女にどれほど大きな影響を与えるかを知らなければなりません。フリー・セックスが何ですか! ヒッピーが何ですか! そういうわけで統一教会では若い男女が互いに手も握ってはならないというのです。私たちはサタンに狙われていることを知らなければならないし、これが怨讐を討つ方策であるのを知るべきです。アメリカ社会で男女の倫理を正しく導くことは、怨讐を倒すことになるのです。

 それで私たちは生涯をかけて神様の愛の怨讐、人類の苦痛と歴史的なすべての愛の怨讐を倒すために、共同運命の因縁をもって生まれたというのです。そのために国が反対し、世界が反対しても神様の怨讐を討たなければならないのです。失敗もできず、疲れることもできません。そのために朝起きたら「父よ! 私はこの怨讐を討つために今日も行きます」と言って、祈祷しながら一日を出発しなければなりません。先生は楽に生きたいとか適当に考える人ではありません。(308)

 アメリカにいるヒッピー、イッピーたちがカインのヒッピー、イッピーならば、皆さんはアベルのヒッピー、イッピーたちです。カインのヒッピーたちは道徳や性が乱れ、家庭や父母を離れています。アベルのヒッピー、イッピーは家庭と国と世界のために生きています。また、共産党をつぶすために先頭に立って働いています。私たちが三年半の間働けば、これらカインのヒッピー、イッピーたちを外的に完全に統一教会が収拾して一つにすることができます。その後で家に帰って皆さんのおばあさん、おじいさん、お母さん、お父さんを一度に救うことができます。今の時代はこのように原理どおりになっています。

 カインのヒッピー、イッピーは生活が乱れていますが、アベルのヒッピー、イッピーは骨が溶けるほど熱心に仕事をしています。男女間の恋愛もできません。彼らは神様の家庭、国、世界を探し求め、そして世界が歓迎し、国と家庭が歓迎する中で結婚して天国をつくり生きる人たちです。皆さんが一番大変な仕事をしているのも、それによって、一度に先生の基準において好きなすべてのものを受けることができるようにするためです。(309)


  6、真の愛の運動と統一教会

 皆さん、人間始祖がどのようにして堕落するようになったかを知っていますか。自分を中心とする愛によって堕落したのです。自分を中心とする愛、すなわち愛の主人は神様であるにもかかわらず、人間自体を中心とした愛の結果が堕落を引き起こしたのです。だからこの堕落の動機となった、自分を中心とした思想と愛が、堕落した世界の実情をもたらしたのであり、まさにこのような実情が、今日の世界を精神様的危機に追いやっているのです。

 では神様の愛とはどのような内容だったのでしょうか。自己中心の愛が堕落の動機となったのなら、本然の愛は神様を中心とした愛のはずです。

 したがって人間は、神様を中心として愛を出発させ、愛を実現させなければなりませんでした。神様を中心とした自我、神様と一体化した自分を自覚し確認して出発すべき人間でした。しかし自分を中心とした意識と自分を中心とした愛を追求したために、取り返しのつかない堕落の結果をもたらし、恨みの悲しみと苦痛の歴史をもたらしたのです。今、この悲劇の歴史を原点に復帰するためには、新しい革命が必要です。それはどんな政治的手腕や経済・社会改革でできるものではありません。何よりも根本的な意識の革命を通してのみ可能なのです。それは神様の愛を中心とした新しい愛の革命であるべきです。

 しかし、その愛の革命は、世界の他のどの革命よりも人間にとって最も難しく大変なことです。皆さん、考えてみてください。愛の革命は、自己中心の人間的愛から神様を中心とした神様的な愛に転換させる神様の革命をいうのですが、その仕事はどれほど大変でしょうか。しかしこの革命は神様だけでなく、私たち人間にも絶対に必要な運動です。歴史始まって以来神様と全人類が待ち望み、希望してきたその理想を実現することが、まさにこの愛の革命を通して可能になるからです。

 ではその理想を実現するためには、何をしなければなりませんか。まず自分中心の愛を、どうしたら他の人を愛する愛に変革させられるかが重要な課題です。神様は絶対に自分中心の愛をもたれません。相手を中心とした愛に徹しています。愛の基本は「相手のために」というところに成立します。相手のためのものでないとき、たとえどんな内容の愛であっても、それは真の愛ではありません。

 神様の愛は「おまえがまず私を愛しなさい」ではありません。「私がおまえたちを愛そう」というものです。天地万物をなぜつくられたのでしょうか。愛するためでした。ですから神様は天地万物を愛するためにつくられたという創造原則によって、再創造の過程でも愛の再創造をするようになります。神様のこのような愛の原則の方向と歩調を合わせて、神様との因縁を回復しようとするときにのみ、初めて神様と人間の本来の正常な関係が成り立ちます。

 失った神様と人間との関係の回復、それは相手のために生きる神様の愛によってのみ可能となるのです。(310)

 今日の世界はどのような様相を呈していますか。世紀末的な危機の渦中を脱け出せずにいるのが今世紀の実情です。このような今日の世界を救うには、新しい運動、すなわち真の愛の革命以外にないというのが、誰もが否定できない真理です。

 真の愛の運動を通して世界を救うには、まず皆さん自身が愛の実体にならなければなりません。皆さん自身が愛の花火となって咲き誇るのです。

 皆さんは神様の愛を核として、誰も崩したり壊したりできない原則の愛の法道者(道理を守る者)になり、神様に侍る中で万人と和動でき、万物と一致した愛の実体にならなければなりません。これが最も理想的な男性の姿であり、また最も理想的な女性の姿です。これは神様が人間を創造して後、願い求めてきた最も大きな望みであり、全人類の望みでもあり、万物の望みでもあるのです。ですから愛の実体となった「あなたと私」が愛し合い夫婦となり、神様の愛を連結させる子女を生み、神様を中心とした一つの堅固な家庭をつくることができれば、まさにそれが、この世界で何ものにも代えられないほど高貴な価値をもったものだと思うのです。

 天の真の愛を完成した家庭を土台として、真の愛の氏族圏が形成され、真の愛の民族圏、さらに進んで真の愛の世界圏を形成することができるのです。

 これが人間世界の基本的原則です。しかし今日のすべての人類はこのような内容を知らず、数多くの宗教もこのような事実を全く知らずにいるのです。(311)

 今は、アメリカ自体が自らの力では動けず、共産陣営も自力では動けない時代です。アメリカの若者たちの中には、自分たちの手でアメリカだけでなく、世界を救おうとする者がいません。また、共産陣営の若者たちの中にも、自分たちの手でソ連だけでなく、世界を救おうという者がいないのです。

 世界には数多くの宗教団体がありますが、その宗教団体の中にもないのです。しかしただ一つ、私たちの手でなければ腐ったアメリカ、滅んでいくアメリカを救うことができず、共産世界も救えず、世界も救えず、神様のみ旨も成すことができないという群れがあるのです。その群れはほかでもない世間が排斥し、世間から閉め出されているムーニーたちなのです。この驚くべき事実を皆さんは知らなければなりません。(312)

 アメリカは今やアメリカ自身を押し出していく力を失ってしまいました。これは科学者、哲学者、神学者すべてが一様に感じていることです。キリスト教自体でも行くことができず、誰も自ら行くことのできないひどい状態になってしまいました。腹はいっぱいでありながら精神的に凶作の年になったのです。草一株もむしって食べられなくなってしまいました。

 このような砂漠地帯に、草が生え、泉のわき出る一つのオアシスがあるとしたら、それがまさにムーニーの集団だと私は思うのです。(313)

 結局お金が問題ではありません。「愛の道」、私が五大洋六大州を走り回って必死に叫び回ったのが、まさしく「愛の道」でした。私は、この愛のない砂漠のような人類の前に、「愛の灯台」の光を投げかけたのです。人間が最終的に行かなければならない道が「愛の彼岸」だとするなら、人類の前に何よりも重要なものは、「愛の灯台」なのです。まさに「愛の灯台」だけが人間を本郷の地に導いてくれるのです。(314)

 皆さん、統一教会は何をする教会ですか。また、皆さんは何をする人たちですか。その答えははっきりとしています。統一教会員たちは愛の伝統を立てようとする人々であり、統一教会は神様とメシヤの盾になろうとする教会です。皆さんの中で「私は本当の統一教会員だ」と言える人がいますか。

 言い換えれば、生死を問わず愛の伝統を立てなければならないのが統一教会であり、私のすべてのものを犠牲にしてでも、神様とメシヤが願う、父母の愛を中心とした新しい伝統を立てるべき人たちが統一教会員なのです。これが統一教会と統一教会員の重要な使命だということを、皆さんは知らなければなりません。(315)

 皆さんは統一教会員とは何をする人たちなのかを知らなければなりません。サタンの愛を個人的にたたきつぶす鍵をもち、家庭的にたたきつぶす鍵をもち、国家的にたたきつぶす鍵をもち、世界的にたたきつぶす鍵をもっている人が真の統一教会員です。サタンの愛を追い出し、天の愛の鍵をもたなければならないというのです。(316)

 私は今まで五色人種を祝福しました。結婚問題は人生において最も重要な問題であり、世界にも任せられず、国にも任せられず、自分の親にも任せられない問題ですが、多くの人々がレバレンド・ムーンに任せて、レバレンド・ムーンが定めたとおりに行くと言っています。神様の国の愛のためにです。それが偉大なのです。

 なぜ偉大なのですか。神様の国の愛の圏内に飛躍して入ることができるからです。愛のロープにつかまるのが一番速いのです。皆さん、霊界に行ったら歩く速さは同じですか、違いますか。人によって差が大きいのです。それは人によって愛の程度と質が違うからです。

 皆さん、霊界に行っても先生と一緒に歩きたいですか。それなら皆さんは神様と先生の一致した心情基準を相続しなければなりません。そうでなければ速さが違うのです。

 神様の愛と完全に一つとなったならば、数千億個の星でできているこの大宇宙でも、一秒の間にどこにでも行けるのです。何の力で行けるのですか。愛の力で行けるのです。神様が天地を創造なさるときも愛の力でもって創造されたのです。

 人種を超越して天宙に到達できる本質的な愛の世界を追求していく道が統一教会の行く道です。統一教会こそが神様が終末に下さった人類への一番貴い贈り物なのです。(317)

 結婚においても統一教会がチャンピオンになります。性的堕落がひどく、家庭の中で七五パーセントが離婚する西欧世界で合同結婚式を挙行し、また離婚しないと誓うことは驚くべき事実です。健全な倫理、健全な家庭をつくる上において統一教会は勝利を得たのです。(318)


  7、終末における望みの中心

 エデンの園においてアダムとエバを創造された神様の最高の望みは何だったのでしょうか。神様は永遠に愛することのできる、創造目的を完成した男と女、息子と娘を求めてきたのです。神様はもっているすべての望みを自分の息子・娘にかけて、さらには未来の発展を夢見ていたに違いありません。しかし、これらのすべてが堕落によって崩れてしまいました。

 その後救いの摂理を通じて、これを完全に復帰するために、老年時代から壮年時代、そして青年時代へと移しながら役事をしてこられました。そうして今の時代に至って、ついに青年層を迎えるようになった神様は、堕落前のアダムとエバを眺めておられたその希望をもって、皆さんを眺めておられるのです。(319)

 旧約時代にはノアじいさんとかアブラハムなどのおじいさんたちが伝統を立ててきました。ヤコブだけは例外でしたが、彼もかなり年を取っていたのです。モーセにしても老人でした。

 旧約時代から新約時代に移ると、伝統の相続は青年たちに引き継がれました。洗礼ヨハネやイエス様はみな青年です。言わば二十代と三十代の間にすべての天の伝統を受け継ぎ、それらを現実世界に結びつけようとした中心的存在が、イエス様と洗礼ヨハネでした。洗礼ヨハネがイエス様に侍り、天国理想を現実のものとしていったならば、それはイエス様を中心として後世に(まで残る)、永遠な伝統基準として立てられたはずです。(320)

 青年たちは心の中で決めたことをすぐに行動に移します。先生から教えられた内容をすぐに実行して、自分の中に積み上げようと希望するのも、まさに青年学生たちです。

 神様も、どうにかして老人よりも青年たちを立てて伝統を相続させたいと思われるのは明らかです。それゆえに成約時代は青年たちを中心として出発するのが原理的なのです。(321)

 一つの家庭を中心として見れば、その家庭の伝統を継承するのは老人ではなく若者です。一つの国家でもその国の伝統を継承するのはやはりその国の青年です。それは過去もそうでしたが、現在もそうです。伝統を受け継ぐ人、またそれを全体的に引っ張っていく人が、正統に伝統を受け継げなかった場合には、未来に予想できない結果をもたらすでしょう。すなわち伝統と異なる方向へ進んでいくのです。このような事実は当然の道理です。

 世界を引っ張り世界の新しい伝統を立てていくべき人々が青年たちです。神様の摂理を見ても、神様は伝統が青年たちによって立てられたらいいという、切実な希望をもっておられます。(322)

 成約時代において神様は、老年でも壮年でもなく青年を望んでおられます。

 ここに集まった人々はすべて青年です。まだ汚れていません。世俗的に汚れていない純真な心をもっています。新しい心に新しい決意をもたなければなりません。新しく決意を固め、心身が一つにならなければなりません。信念に満ちた姿になるのです。このように神様から愛を受けることのできる完成した男女になったならば、神様はどれほど喜ばれるでしょうか。(323)

 「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」という聖書のみ言が成就されるのが、まさに今なのです。その運動は誰がすべきですか。青少年層がしなければなりません。なぜですか。堕落は若者がしたので、神様を悲しませたものを蕩減復帰しようとするなら、若者が純粋に心と思いを尽くして蕩減復帰しなければならないのです。すべての精誠を若者の時代に天に捧げることは、より価値あることなのを知らなければなりません。(324)

 皆さんの年齢は、まさに成約時代のすべてのものを託された神様の望みの中心です。これは日本だけに限られたものではありません。世界的に統一教会の食口たちはすべて青年です。アメリカの食口の平均年齢は二十三歳から二十五歳です。この若者たちすべてが、一つのみ旨のために生涯をかけて前進するような決意と覚悟をもって毎日の生活を営んでいくならば、彼らを通して、間違いなく新しい伝統が樹立されるでしょう。このように考えてみるとき、成約時代を迎えて、皆さんはどれほど幸せな存在か分かりません。(325)















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