祝福家庭と理想天国
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第三節 祝福の意義と価値

  1、祝福の意義

 祝福は、真の父母と真の子女が相まみえ創造目的を果たすことを意味します。(100)

 神様はプラスとマイナスの二性性相としておられます。これをプラスとして分立させたのが男性であるアダムであり、マイナスとして分立させたのが女性であるエバです。そしてアダムとエバを再び合わせた形態のようなものが子女です。このように神様を中心として一代二代三代が形成されるのです。

 それではこの三代の中で問題が起こったのが何代目かといえば、二代目であるアダムとエバの代です。アダムとエバが神様の愛を中心として一つになれなかったというのです。もしアダムとエバが神様の愛を中心として一つになっていたならば、神様が臨むことのできる因縁が決定されることによって、子女にも神様と関係を結ぶことのできる愛の基準が連結されていたはずです。それを祝福というのです。(101)

 神様の願いは、人間をつくられ、彼らが成育した後に祝福して子女を繁殖させることでした。イエス様も地上に来られて、新婦を迎えることが願いでした。今日、キリスト教が殉教の血を流しながら二千年間待ち望んでいるのも、新婦となり祝福を受けるためです。これほどまで、神様は祝福してあげる一人の男性と一人の女性を探して、摂理の道を歩んでこられたということを知らなければなりません。

 神様が見るとき、真の男性と真の女性は、つまり真の息子、娘と言い得るべきです。息子、娘になれと言ってくれたのであることを知らなければなりません。(102)

 祝福は天国の門を開くことです。子女を連れて入っていくのです。(103)

 この世の中には数多くの人がいますが、大きく二つに分けてみれば男性と女性に区別されます。これらが一つになることのできる秘法を模索するのが、私たちの根本目的なのです。今までそのような一つの結実的な家庭の起源が現れなかったので、私たちはそれを模索していくのです。そのような起源が現れ種を蒔けば、新しい木になるはずです。これが今日の統一教会の祝福です。(104)

 私たち統一教会では、結婚することを祝福と表現します。(105)

 統一教会の祝福とは何でしょうか。男性と女性が自分勝手に出会い祝福を受けるのではなく、神様を中心として、先生を中心として、正しく出会い祝福を受けるのです。男性と女性が誤って出会い全体を追放したので、男性と女性が正しく出会い、全体を再び復帰する基盤を築かなければなりません。そのような基盤を築くのが、統一教会の祝福であるのを皆さんは知らなければなりません。(106)

 男性と女性の愛の完成が、宇宙の完成なのです。この愛が壊れる日には、宇宙の秩序が破壊され、縦的な世界がすべて切れるようになるでしょう。

 ですから摂理的に見たとき、結婚がどれほど重要なことであるかを知らなければなりません。神様を中心として祝福を受ける位置は、地上天国と天上天国が相まみえる位置なのです。横的に永遠なる世界と瞬間的な世界が相まみえる位置なのです。男性と女性が真の愛で愛し合うことによって、永遠なる愛が中央地へどんどん短縮して入ってくるのです。男性と女性は、神様を中心として中央地で一つに結ばれるようになります。

 男性と女性が、神様を中心として愛を授け受ける運動をするとき、愛で完全に一つとなり、息子、娘を生むようになるのです。愛の結実として生まれた息子、娘が、神様と完全に一つとなった父母を中心として、愛の運動を続けて、四位基台を成すようになるのです。(107)

 人間歴史の流れを主導してきているすべての宗教は、祝福という意味を知り得ませんでした。大多数の宗教は、新婦となるために準備しながら、禁欲主義を勧奨してきたのです。統一教会が既成宗教と違う点は、真の父母の名で祝福行事を行っているということです。これは神様の摂理から見るとき、驚くべき事実だと言わざるを得ません。また、祝福の対象者が地球上のすべての人種だということもそうです。それは真の愛をもつことによって可能だからです。祝福は天地開闢のような事件だともいえます。(108)

 統一教会とはどのような宗教でしょうか。なぜ「統一」という名称を使うのでしょうか。神様の不変の愛を中心として縦的に神様と一つになり、横的には真の男性と女性が一つになって、一つの世界を成そうという意味で出発したので、「統一」という単語が用いられたのです。統一教会では堕落によって失った男性と女性を捜して、真の愛を中心として祝福してあげることによって、神様の第一次のみ旨を成し遂げました。これからはそのみ旨が繁殖して、一つの世界を成すことだけが残ったのです。今まで何回かの祝福を通して、五大洋六大州にいるすべての人々に祝福をしてあげたことによって、愛の伝統が立てられ、道が敷かれたといえるでしょう。(109)

 統一教会は青少年の倫理問題とサタンのすべての十字架まで負い、白衣を着せて、神様の国に入ることのできる教育をする所です。そうして、正しい人として復帰し、新しい男性、新しい女性をつくるのです。千秋万代の男性を代身できる一つの条件を立て、女性を代身できる条件を立てて、世界の若者を集めて新しい家庭を編成するのが統一教会の合同結婚式です。(110)

 統一教会で行う合同結婚式は、単純に男女が出会い、一つの家庭を築く婚礼式ではありません。今までの結婚式は自己を中心とするものでしたが、私たちの結婚式は神様に喜びを返し得る内容をもって、歴史を蕩減する貴い条件として、神聖かつ盛大に挙行されなければなりません。私たちの結婚式とは、アダムとエバの堕落によって始まった神様の恨みを解怨してさしあげ、イエス様が成せなかった新郎新婦の基準を通過することであると、原理ははっきりと説明しています。(111)

 今日まで皆さんは、真の父母と完全な因縁を結べませんでした。それゆえ、その因縁を結ぶためにしてくれるのが、統一教会の祝福です。(112)

 先生はこの日のために精誠を尽くして闘ってきました。祝福は真の父母の因縁を継承するものです。ゆえに、父母がサタン世界と闘った看板を掲げて祝福するのです。(113)

 祝福を受けた人は、霊界に行っても先生が永遠に責任を負います。先生が主管し指導します。祝福とはこのように先生と永遠の因縁を結ぶことでもあるといえます。(114)

 人間の先祖が堕落して男性と女性がエデンの園から追い出されたために、夫婦が共に歓迎を受けられない境地を越えなければなりません。それが祝福です。(115)

 今の時代は蘇生、長成の段階を越え、完成の段階に進む時代なのです。縦からなる何千年歴史を一遍に横的に越えていく時代なのです。すなわち、六千年の歴史を全部、一遍に越えていく時代なのです。ですから、サタンの侵犯圏内を脱しなければならないのです。それでは、祝福というのは何でしょうか。今までの歴史的なサタン圏を完全に越えるものです。(116)

 祝福が何であるかと言えば、神様と共に一つになることです。神様と一つになれば、全体を得るようになります。神様のすべてのもの、主体がもっている全体を受ける勘定になります。

 神様は永遠なる生命をもっています。永遠なる生命。そして普遍の愛をもっています。それから主体として、理想とする愛の世界観をもっています。この全部を相続するのです。それゆえ、祝福、結婚することは、結局全部を受けることです。

 まず、神様の愛を受けます。そうして神様の実体を、神様ご自身の実体を私たちは受けることができます。

 それだけではなく、すべてのものまでも、神様のものではなく自分のものになるのです。それゆえ、結婚というその問題は、すべてのものを相続することなのです。

 最も貴い愛を相続し、神様自体を相続し、そしてすべてのものを相続します。このような意味で祝福という言葉を使っています。祝福を得るというのは、福を受けることです。(117)

 三対象理想を完結した神様の愛の圏を形成した家庭をもってこそ、初めてその家庭圏内に神様が臨まれ、理想的に永遠に存在する家庭の形成が完結されます。家庭によって、神様を所有することができ、神様の愛と創造力を発揮し、主管権をもつことができるのです。それ以上、人間が望むものはありません。

 そして、神様の国のものは私のものとなり、神様のすべてのものは私のものとなるのです。本来、これが人間の願いなので、最高のものを望むのであり、このような基準が残っているので、願いをもつのを皆さんは知らなければなりません。これを完成させるのは、祝福を受けてこそ可能なのです。祝福がどれほど驚くべきことか分かりますか。(118)

 神様の愛は絶対不変であり、唯一です。絶対的な神様、永遠なる神様です。その神様の心情圏に立たなければなりません。ですから統一教会に入ってきて、出たり入ったりする者は信じられません。絶対不変の心情圏内には、神様の愛が共にあるでしょうが、それ以外の場所には神様の愛がとどまりません。永遠にとどまるようにしようとするならば、サタンを屈服させ、永遠不変の自我を実現しなければなりません。皆さんは、まだそのような立場に立っていません。そのような立場に立つためには、先生が成した勝利の基準を相続しなければなりません。

 日本に高層ビルがあるでしょう。それを誰が建てても、登記台帳に自分の名前を書き記せば自分の所有物になります。紙一枚でそのビルの主人になります。先生のすべてのものを相続するということも、これと同じようなものです。宇宙復帰の勝利圏を回復し、世界的に立派な建物を建てて台帳をつくり、譲り渡すのです。これを汚す者がいるときには、命懸けで闘うのです。ここにいる全員が主人です。今、全員が同じ競技場のスタート・ラインに立ったのです。走ってみなさい。必ず日本の中心氏族となることでしょう。

 私たち自身には何の価値もありません。ただ原理を宣布し、原理的な主張を広げられるだけです。そうすればサタンもどうすることもできません。そのような原理のすべてを伝授する伝授式が、まさに祝福です。

 祝福とは永遠の宝物です。子孫万代を今から出発するという一つの契約です。それを汚すときには、一族が引っかかります。イエス様を十字架につけるようになり、一つの国家が引っかかったのと同じように、一族が引っかかります。(119)

 先生が生涯で最も貴いものだと考えたものは、何だったでしょうか。祝福です。皆さんにおいても、人類歴史始まって以来の最高の贈り物が祝福です。(120)

 祝福をしてあげることは、天の全権を移し与えることを意味します。(121)

 統一教会の食口は、祝福を受けるのが原則だと知らなければなりません。また、祝福を受けることを喜びと思わなければなりません。堕落した世界全体を得たとしても、それは悲しみの世界です。だから、何をもっても替えられない喜びと感謝の位置で祝福を受けなければならないのです。皆さんの心はどうですか。皆さんは、祝福の価値を正しく知って受けるのではありません。(122)

 我が統一教会員は、祝福について自分の思いのままに考えてはなりません。この祝福は蕩減復帰の条件です。蕩減復帰の条件というのは、自分の家庭の運命に責任をもつために与えるのです。ですから、その家庭をすべて復帰して世界的なサタンを屈服させ、世界へ行く道を開拓すべきだと考えるのであって、自分自身が福を受けるという考えをもってはなりません。福を分け与えるための「私」になるべきなのであって、福を受ける「私」になろうとすれば、それは「私」を中心とするので、滅びる考え方です。これが非常に重要な問題です。ここから善と悪が分かれるのです。祝福は貴いのは貴いけれども、誤って受けたら滅びるというのです。(123)


  2、祝福の価値

 皆さんは摂理的に見たとき、結婚がどれほど重要なことであるかを知らなければなりません。神様を中心として祝福を受ける位置は、地上天国と天上天国が相まみえる位置です。横的に永遠な世界と瞬間的な世界が相まみえる位置です。(124)

 聖書六十六巻のみ言はばらばらではありません。何によって定立されるかといえば、祝福という言葉で定立されるのです。聖書六十六巻をすべて解いて調べてみれば、祝福を受けた勝利の夫婦の前に全部合理化されるのです。(125)

 統一教会に入って皆さんが祝福を受けたということは、神様が四千年の間摂理された土台の上にイエス様を送り、み旨を中心に家庭を復帰したという勝利的基準に立ったのです。それで皆さんの後孫たちは、復帰摂理において何ら功労がなくても、皆さんの勝利の基準を通して、四千年復帰摂理において功臣となった先祖たちの恩恵を引き継ぐことのできる位置に入るようになるのです。(126)

 イエス様が来て四千年歴史を終結させていこうとしたものは何でしょうか。それは家庭でした。家庭があったならば、氏族は自動的に時間がかかろうと、横的な面において歴史を置いて蕩減できます。イエス様の一族が生まれただろうし、イエス様の民族が生まれただろうし、イエス様の一国が生まれたのではないでしょうか。そうすることのできる家庭をもつために、イエス様は三十三年間苦労したのです。三十三年間苦労をしてももてなかった家庭なのに、あなたたちに、祝福の価値が分かりますか。祝福は六千年間探してきた恨みの解決門です。(127)

 イエス様が二千年骨を折ってなしたかったのは、何だったでしょうか。婚姻の宴をするということですが、婚姻の宴とは何でしょうか。まさに祝福なのです。

 イエス様が二千年の間願ってきた所願成就の基準が祝福―婚姻の宴です。婚姻の宴をしようとすれば、新郎の前に新婦が現れなければなりませんが、それがキリスト教の終末です。ですからキリスト教を越えなければ天国へ行けません。(128)

 祝福は誰がまず受けましたか。イエス様と皆さんについて見ると、皆さんはアベル的な立場で長子の嗣業を復帰するので、その栄光の位置をまず相続していくのです。霊的な面では、イエス様が皆さんの父親格の立場に立ちますが、肉的な面では、皆さんは先生とかかわりを結んでいるのです。このように思いもよらない祝福を受けても、皆さんはその価値を知らずにいます。さながら貴い皇太子として生まれても、物心つかない幼い時にはそれを知らないのと同じです。今や皆さんもこれくらい育ったのですから、自分が天の王子であり天の国の群れであることを知って、自分のすべての環境に対する礼法を身につけ、自分の本分を遂行していかなければなりません。(129)

 祝福を受けたということは、メシヤが二千年間苦労して地上に基盤を築き、選ばれた民族と教団と自分の氏族を中心に、新郎新婦の名をもって出発することのできる時が来たということです。皆さんは氏族的メシヤになれますか。先生と父子の因縁が結ばれたので、サタンもどうすることもできないのです。このように、祝福は本当にとてつもないことなのです。(130)

 祝福の位置とはどのような位置でしょうか。祝福の位置は世界で最もよい位置です。その祝福の位置は、誰と関係を結ばなければならない位置でしょうか。皆さんは自分一人で完成するのではありません。純粋にご父母様の愛によって完成するのです。子供は父母の懐から生まれれば、できが良かろうが悪かろうが、その父母の形態に似るのです。それと同じように、統一教会では、真の父母の道理を教えてあげます。それが皆さんには福の中の福です。(131)

 祝福は全世界を与えても取り換えることのできない価値があります。時には、私が祝福してあげたことを後悔することがあります。祝福は、一人の男性、一人の女性が神様のみ旨を中心として、真の愛を実行する真の父(true father)、真の母(true mother)になれとして、与えたものです。(132)

 皆さんは衣、食、住の問題が難しいといって、やらなければならない使命を失い、神様が与えた祝福をお金で売るのですか。そうするつもりなのですか。神様の祝福は天と地を与えても取り換えられません。(133)

 国の君主でも国民でも「サイン」するのは同じですが、その内容においては天地の差があるように、祝福においても外的に見れば大した差がないように見えますが、その内容と価値について見れば、とてつもない差があるのです。(134)

 三・一運動に参与した人(三十三人)の中に、李甲成という人がいるでしょう。今その人一人が生きていますが、三・一運動について見ると、その人は大統領より偉いですか、偉くないですか。それは尋ねるまでもなく、偉いというのです。同じように先生を通して合同結婚式をした人は、世界的な栄光を受けるでしょう。何の話か分かりますか。たとえ最も最後に結婚したカップルが、夫婦共に目も一つなく、鼻も曲がっていて、耳一つなく、腕一つない不具者中の不具者でも、彼らは世界的な栄光を受けるようになるでしょう。そのようなことが問題ではなく、先生を通して祝福を受けたというそれ自体が問題になるというのです。分かりますか。それは何億ドルでも買えないというのです。我が統一教会の娘たち、それが分かりますか。どれくらい分かりますか。(135)

 祝福はたやすく行われるのではありません。何か記念行事や例年の行事のようになされるのではありません。祝福の価値を知れば、皆さんはお父様の愛と心情を相続しなければなりません。(136)

 祝福の位置は、とてつもない位置です。恐ろしい位置です。ここでは、適当に自分の感情を通してすることはできません。一つの生命の価値は、宇宙よりも貴いのです。それゆえ、一人に責任をもつことにおいても、永遠をかけて責任をもたなければなりません。このような問題を左右する位置が祝福の位置であることを、皆さんははっきり知らなければなりません。

 それゆえ、自己の一生にそのような一時をもったならば、その人は幸福な人です。このようなとてつもない祝福の位置に、皆さんが加担するためには、歴史的な決心をしなければなりません。(137)

 祝福は死ぬか生きるかの決定点です。(138)

 祝福は天地で最も貴いものです。同時に至極恐ろしいものです。万一、夫婦が互いに違う考えをするならば、それは相手を蹂躙することです。

 皆さんから、まず、善なる祖先、地、国が生まれるのです。ゆえに、祝福を受けた人は、目を開ければまず天地を考えなければなりません。祝福は他の人に福を分け与えるためのものです。(139)

 祝福はその価値を知って受けなければなりません。祝福を受けることによって、第三イスラエルの位置に立つようになるということを知らなければなりません。皆さん、祝福の意味と価値を知ってみると、祝福を受けない人は本当の統一教会員だと言えますか。結婚しない人々を大人扱いしますか。人間の世の中でも、未婚の娘が死ねば「処女の怨霊」と言い、未婚の男が死ねば「チョンガーの亡霊」と言います。それは誰かがそう作ったのではありません。天道がそうなっています。(140)

 エデンの園で男性の前に女性を創造しなかったならば、どうだったでしょうか。女性がいるという事実は、宇宙的な奇跡です。真理です。奇跡中の奇跡は、男女が存在するということです。片方だけ存在しても、人類は終わりです。統一教会の祝福の価値が、このような角度からも十分に理解され得なければなりません。一度相対者に出会えば、それは永遠と連結されます。宇宙を与えても、神様を与えても買うことのできない本然の夫婦の愛を感謝し、強く雄々しくありなさい。統一教会の真の愛を味わった者たちは、世界のどこに行っても、その愛の光が共について来るようにならなければなりません。人類を、全宇宙を真の愛を中心として愛さなくては天国に行くことができません。それで天国の門の鍵がペテロに与えられたのです。(141)

 天国は家庭を築いてこそ行けます。そのため統一教会では合同結婚式をしますが、その合同結婚式はどのようなものでしょうか。初めて来た人たちも「合同結婚式というのは、ばかげたことだと思っていたのに…。あっ!」と驚くはずです。そうです。素晴らしく、立派なのです。それゆえ初めて来た未婚の男女も、今や合同結婚式に入れないものかと、鼻水、涙を流して騒ぐようになっています。(142)

 以前には、自分の父母が嫁がせてやるといっても嫌がって、本部教会に逃げてきて隠れ住んだ人たちもいました。オールド・ミスというだけでも、胸が揺れ動いて、嫁がせてくれればうれしがるはずなのに、なぜ逃げるのでしょうか。それは文先生でなければ嫌だからです。どんな内容をもっているからでしょうか。それは真の父母の内容をもっているからです。先生の言うことを聞かなければだめなようになっています。

 八十歳を越えたおばあさんたちも、祝福を受けられずに死ねば天国に行けないという事実を知っているので、死んでいく最後の瞬間にでも、何千里外に男性がいて、何千里後ろに男性がいても、二人を絹糸で結ぶという祝福の条件でも受けたがります。統一教会ではこのようになっています。先生はこのようなことをやり遂げなければならないとは、運の悪い人です。(143)

 統一教会は、なぜ合同結婚式をするのでしょうか。これに対する話を全部するようになれば、おばあさんたちは骨が溶けてしまうでしょう。「私がもう一度、若いころに戻れたら、統一教会の合同結婚式をするだろうに…」。他人が悪口を言おうと言うまいと、涙を流すのです。人はうれしい時に、喜んで笑います。しかし、もっとうれしい時は、涙が出るのです。それは悪いことではありません。(144)

 今日、統一教会では合同結婚式をします。ここにいる皆さんの中でも頭の回転の速い人は、統一教会で合同結婚式をさせずに追放することほど恐ろしいものはないということを知っているでしょう。それを知っているので、アメリカ人も日本人も、私が来いと言えば、「はい、行きます」と走ってくるのです。大統領が反対しようが来るようになっているのです。このように鼻をつかまえて、世界をつかんで引っ張れば、世界が回るようになっています。(145)


  3、祝福を受けるべき理由

 堕落が何かと言えば、神様を中心として結婚式をしたことではありません。サタンを中心として結婚したために、神様の名において結婚しなければなりません。その結婚は世界史的な結婚です。一つの民族の中での結婚ではなく、民族を踏み越え、サタン世界を超越した位置での結婚です。サタン世界を踏み越える一場面です。(146)

 我が統一教会を中心として成されるこの合同結婚式は、統一教会にだけ限定される結婚式ではありません。これは、すべての人類が必ず経なければならない公式的な路程なのです。私たちは、これをはっきりと知らなければなりません。

 それでは、これを行わなければならない根本的な原因はどこにあるでしょうか。それは、私たちの人間始祖が堕落したからです。万一、人間始祖が堕落しなかったならば、今日、私たちが祝福を受ける、このようなことはなかったはずです。しかし、堕落することによって、再び神様の主管圏に越えていかなければならない復帰路程が残るようになったため、私たちはこのような道をさかのぼらなければならないのです。今日、人間が宗教を信じるのもこれゆえであり、歴史が目指してきたのも、やはり同様です。

 結局、最後の目的はどこにあるのでしょうか。真なる家庭を探そうということです。これが、堕落した人間が捜し求めてきた最高の目的なのです。この真なる家庭を築くためには、真なる人が現れなければなりません。真なる人の中でも、真なる男性がまず現れなければならないのです。そうして、その真なる男性が真なる女性を捜し立て、神様を中心として聖婚式をすることによって、初めて真なる家庭が出現するようになるのです。

 人間が堕落することによって、このような起源をもてなかったために、私たちは今までのすべての家庭を否定して、新しく神様の摂理の意向に従って、このような家庭的基準を踏み越えていかなければならないというのです。万一、その基準を越えられなければ、堕落した人間は本然の世界に帰ることができないというのが、原理的な見解です。堕落した人間は、誰でもこの公式的な条件を経ていかなくては、神様の前に立てないということを知らなければなりません。(147)

 サタンをアダムとエバ、すなわち夫婦が引きずり込んだので、夫婦が追い出さなければならないのです。それは、彼らがサタンの侵犯を受けて偽りの父母になったので、真の父母が現れて復帰しなければならないということです。そのようにしなくては、天国に入れないのです。今でもイエス様が楽園で祈祷されているということは、いまだにサタンの讒訴圏内に残っているということです。

 これからは、統一教会を中心に第三イスラエルの民となるためには、祝福を受けなければなりません。過去のアブラハムの時代には、イスラエルの民になろうとすれば、割礼を受けなければなりませんでした。そしてイエス様の時代には、洗礼を受けなければなりませんでした。同様に、統一教会では、祝福を受けなければ第三イスラエルの民になれません。しかしながら、祝福を受けるための条件は簡単ではありません。先生もその条件ゆえに四十年の生涯を捧げました。一生をそのためにすべて費やしたというのです。(148)

 祝福はなぜ受けるのでしょうか。福を分け与えて、その福が全世界にまで回っていくようにするためです。(149)

 天国理想は、結婚して家庭をもたずには成されません。統一教会で、すべての善男善女が祝福を受けなければならないというのも、天国理想を実践していくためです。ですから、未婚者はもちろんですが、既に結婚した人だとしても、一定の基準を備えて再祝福を受けなければなりません。すべての人が祝福を受けなければならないというのは、創造理想の世界へ帰っていくためです。創造理想の世界は、真の男性と女性が祝福を受けてつくっていく世界ですが、堕落によって愛の歴史が一度も現れなかったのです。(150)

 人間は、その父母の位置に立つことによって初めて、天的な相続を受けることができるのです。それが、イエス様の小羊の婚宴です。言い換えれば、今日統一教会でいう祝福の位置を経なければならないということです。すなわち、神様から祝福を受けなければならないというのです。(151)


  4、祝福は誰がしてくれるのか

 アダムとエバは、長成期完成級で堕落しましたが、これを復帰しようとすれば、堕落した反対の経路を通らなければなりません。彼らは愛の問題を中心として堕落したので、私たちの復帰路程においてもその基準に到達しようとすれば、必ず愛の問題を克服していかなければなりません。

 サタンを中心とした愛の問題を克服しようとすれば、神様の愛を中心とした真の父母の愛に連結されなければなりません。ですから、堕落した父母の血統を受け継いだ人類は、真の父母を迎えて縦的に一つとなり、堕落圏を克服する道を歩まなければなりません。これを克服することは、一人ではできません。必ず、男女が一つとなって解決しなければなりません。

 統一教会で行っている祝福は、そのような意味があります。ですから、祝福というのは、自分の思いどおりになるのではありません。父母を中心として始まらなければなりません。

 堕落の血統を受けて結婚するこの世の人たちでさえも、自分を中心とするのでなく、父母を中心としてきた歴史があります。復帰路程においても同様です。真の父母が現れ、真の父母を通した復帰摂理によって、アダムとエバが堕落した段階を初めて克服するようになるのです。(152)

 愛によって堕落したために、復帰も天を中心とした新しい父母の愛と関係を結んで行わなければなりません。それで、統一教会で合同結婚式をするときは、先生とお母様と二人でしてあげるのです。それが愛の伝授式です。ここでつくられた伝統は、永遠の伝統になるのです。革命は必要ありません。このように革命の必要のない新しい伝統がこの天地間に立てられるとき、ここから新しい家庭と新しい氏族と新しい民族、そして新しい国家と新しい世界が形成され、この地球星を支配できるのです。(153)

 ここは天道を立てる所です。命懸けで原理原則を立てるために自分の生活を捧げてきたのに、この結婚という問題について、皆さんの言葉を聞いて適当にする男ではありません。(154)

 祝福は誰がしてくれるのでしょうか。父母がいなければ他の人がしてあげることもできますが、父母が立派に生きている限り、他の人がしてあげることはできないのです。ですから統一教会では先生が祝福してあげるのです。ここにいる未婚の男女たち、私が結婚祝福してあげないと言えば、みんな動揺することでしょう。誰でも原理を知ってみれば、自分勝手に結婚しろと言ってもできません。先生がしてあげなければならないのです。原理がそうなっています。(155)

 エデンの園において、本来、アダムとエバの息子・娘の結婚式は、神様の命令によってアダムとエバがしてあげるのです。私たちの結婚式も同様の道理です。それで統一教会では真の父母の名で祝福してあげるのです。皆さん、今までこの世の中で、自分のお母さん、お父さんが結婚の主礼に立って結婚式をしてあげるのを見ましたか。そのような人はいないのです。それは、世の中には完成した人がいないということを物語っているのです。

 結婚式はまさに愛の伝授式です。神様の愛をもって父母が生きるように、皆さんも父母の愛を神様の愛の代身として受け、「このように生きなさい!」という愛の伝授式が結婚式だというのです。神様の愛を父母から伝授されるのです。ある名の知れた人から受けるのではありません。それは天使長がしてくれる結婚です。名のある人が夫婦の片方だけ来て結婚式をしてくれるのは、全部天使長から受ける結婚式です。(156)

 結婚の前には、自分の思いをもってはいけません。神様の思い、父母の思いに合わせるのです。そうしておじいさんと父母が良しというようになるとき、初めて祝福を受け、全体を相続するのです。

 私たち家族におけるおじいさんのような愛をあなたたちに上げるのであり、父母のような愛をあなたたちに上げるのであり、全体を相続する式が祝福です。その時から、「私」があるのです。「私」を立てることができるというのです。宇宙の中に「私」がいると言えます。同様に、皆さんが祝福を受ける時までは、自分の思いを中心に動くのではありません。(157)

 先生がなぜ皆さんにこのような話をするのでしょうか。今、何人かは格幅もよく、実力もあったりして、内外から見て統一世界でも用いられ得る人ですが、彼らに対しても、このような心配があるのです。彼らは自分を中心にして生活を決定します。自分を中心にして考える人は滅びるのです。そうでしょう。自分を中心にして考える人が、自分を中心にして考える妻を迎えるならば、二人一緒に滅びるのです。そうでしょう。ではどうすれば滅びないのでしょうか。結婚ということを消化でき、み旨を中心としてそれをしのぐことのできる実績基盤をもたなければなりません。これをもたなければ必ず滅びるのです。それは不可避なのです。それでは、それは誰がしてくれますか。先生がしてあげます。それで先生が今まで祝福をしてあげたのです。(158)

 誰も手を着けられないことに統一教会は着手し、再創造の道に導き出すのです。これが可能となる日には、世界が一つとなるのであり、悪なるサタン世界を天の国に転換させることができるのです。

 今日アメリカで、若者たちが自ら相対を求めるようになったのは異常なことです。キリスト教文化圏なのに、聖書で許さないことをしているのです。これは物質文明と共にサタンの侵食を受け、サタン的自由主義によってそのようになったと見るのです。

 ところで皆さんはなぜそうしませんか。サタンがしたことを私たちはすることができません。愛とは何でしょうか。神様から、父母から受け継いだ結婚をするのが原則であるにもかかわらず、自由結婚を提唱したことが堕落なので、これを根本的に根絶やしにしなければ天の国に帰ることはできません。(159)

 先生が世界を巡回しながら、アメリカ野郎、ドイツ野郎、フランス野郎、イギリス野郎、イタリア野郎――全部野郎です――を呼んでおいて「あなたたち、お母さん、お父さんが結婚させてくれるのがいいですか、統一教会の先生が結婚させてくれるのがいいですか。さあ、先生が血統転換させてくれたらいいという人は手を挙げて」と言ったら、「ああ、先生が結婚させてくれなければいけません」と言って、みんな手を挙げたのです。気分悪く……。しかし、手を挙げたのは賢明なことです。そうでしょう。気分が良くなるまで、手を挙げなければなりません。

 今まで、どの東洋人によって西洋人がそのようにしたことがありますか。何か有名などこかの大学を出て、ある学士コース、博士コースを踏んでいる人であっても、統一教会に入ってきていったんみ言を聞き原理にしっかり掛かれば、自分の思いどおりに結婚できないので、先生に侍って祝福を受けようとします。しかし、先生が行ってあげたらの話です。とてもおもしろいことです。

 アジア人、東洋人たちが行って西洋人たちを集めておいて「この野郎!」と言っても、彼らが「はい!」と言える基盤、死ねと言えば死ぬことができ、出ていけと言えば出ていくことのできる、そのような基盤を築いておいたのです。同じように、彼らは一生で最も重要な結婚問題を先生に任せて従います。自分の父親、母親の言葉は聞かなくとも、自分の国の大統領の言葉は聞かなくとも、先生の言葉は聞くというのです。先生が線だけ引いておけば、誰でもちゃんと従います。(160)

 この世的に考えると、そんな無礼な人がどこにいますか。息子、娘を連れて父母の承認なしに思いのままに結婚させるというのです。祝福を受けた人たちの父母が、先生に「先生、ご苦労様でした」とあいさつしなければなりません。しかしあいさつする暇がありません。忙しいからあいさつできず、式場で先生の顔だけ見て、「ああ、あの人が統一教会の文先生だな」ということで、万事オーケーになるのです。そうすれば、それでいいのです。

 これからアメリカ大統領の息子も私たちの教会に入ってくれば、その大統領を差しおいて、先生が思いどおりに結婚させてあげるのです。その時、その息子が先生の思いのままにするようになれば、その大統領もお祝いを言う客になって訪ねてこなければならず、どうしようもないのです。私たちはそのような素晴らしい点をもっているのです。皆さん、そのようなことを考えればわくわくしませんか。この世は眠っていますが、この世を目覚めさせ、歴史を変えてしまわなければなりません。今やお母様、お父様が共に立って主礼をするのが例になりました。これからは主礼をそういうふうにするでしょう。統一教会がそのようにすれば、従ってくるようになっているのです。(161)


  5、祝福は宇宙全体のためのものである

 神様の祝福は絶対的に公的なものです。その祝福はある個人だけのためのものではなく、また、ある家庭だけの、ある国家だけの、ある世界だけのためのものではありません。神様の祝福は宇宙全体のためのものです。(162)

 皆さんが創造目的を完成したアダムになり、エバになろうとすれば、結婚しなければならないのですが、この結婚は誰のためにするのでしょうか。神様のためにするのであり、神様のみ旨のためにするのです。ところが、今までみ旨を中心にして見るとき、自分の思いどおりに行動する、なっていない人たちが多かったのです。自分の気に入らなければ、やるのやらないの、口数が多いというのです。こんな人たちは全部切って捨てなければなりません。み旨の前に寸分も許すことのできない者たちだというのです。

 今、私たちがしているこのことは、誰のためのものですか。神様のため、み旨のため、万民のため、世界のためのものです。自分自身を中心としてするのではありません。現在の皆さん個人個人、あるいは男性、女性たちも、自分自身のものではありません。自分のものである前に神様のものだというのです。自分のものである前に世界のものです。

 このように貴い新郎新婦の位置に出るための自分の存在価値を感じながら、四六時中、夜でも昼でも献身し、伝道する人になれば、神様の前に祝福を許され得るのです。(163)

 祝福は自分個人のためにしてくれるのではなく、その個人をして氏族、民族、国家、世界を代身した新しい家庭を成すためにしてくれるのです。その家庭は自分の個体、金氏ならば金氏だけのための家庭ではありません。その金氏だけの家庭ではなく、民族と国家を代身し、さらには世界を代表できる家庭です。このような家庭を築かなければ、祝福が成立できないという事実を、私たちは知らなければなりません。

 それはなぜそうなのかと言えば、人類の先祖アダムとエバは個体としては二人ですが、歴史的始発点に立っているので、その二人だけで終わるのではありません。その二人を通して新しい家庭が顕現し、また、新しい氏族が顕現し、さらには新しい民族、国家が必ず顕現するのです。このような世界的な基盤が決定される位置が、まさしく祝福の位置です。

 この祝福の位置を、アダムとエバが堕落することによって失ってしまったので、私たちがこれを再び復帰しなければならない立場に立っているのです。それゆえ、このような祝福は、私たち個人の祝福に限ったものではありません。したがって、この祝福の基盤である民族、国家の基準を越えることのできる立場で祝福を受けようと誓わなければ、復帰の完結を見ることができないという事実は、必然的なものだということを私たちは知っています。(164)

 皆さんが祝福を受けても、自分のために祝福を受けようという人よりは、世界のために祝福を受けると考えるならば、福を受けるのです。そのような考えをもって祝福を受ける人は歴史の中に残りますが、そうでない人はそのまま流れていってしまいます。(165)

 皆さんは今現在の立場で、氏族を中心として大韓民国と世界に連結されている、そのような立場に立っています。だから、世界人類を代身し、大韓民国の三千万民族を代身し、皆さんの氏族を代身して、祭司長の責任を担当すると宣誓しなければなりません。そうして、私たちの家庭は歴史時代において天を中心として残される家庭であり、世界の前に必要であった家庭であり、神様ご自身の愛の世界で必要な家庭だという、絶対的内容を残すという決意のもとに祝福を受けなければなりません。このような内容を知らなければなりません。(166)

 天地を中心とした新しい世界が展開されなければなりません。自分個人ならば、個人が「私はこのような息子となり、このような娘となります。この息子と娘が行く道は、あなたが願われる国のための道です。国のみならず、あなたが今まで追求してこられた世界のための道です」と言えなければなりません。行く途中には困難もたくさんあるでしょうし、困窮の曲折もたくさんあるでしょう。しかし、そのようなことが問題になるのではなく、いかにして、このすべてを突破して、国家を通過し世界へ行き得る夫婦となるかということが問題になるというのです。(167)

 一人の男性として、一人の女性として、一生を二人が同伴して生きること、それが祝福を受けるための基台ではありません。これは、新しい世界を形成するための運命を負っていかなければならない決定的な因縁を結び、継承する位置だというのです。その位置が、そのような祝福の位置であることを皆さんは知らなければなりません。この道は、自分の思いどおりに行きたいからといって行くことができ、行きたくないからといって行かなくてもよい、そのような道ではありません。必然的に行かなければならない私たちの運命の道です。この道は、私たちにおいてたった一度しか付与されない、二度とない道だというのです。万一、ここで失敗した日には、再び、復帰という名詞を探し立てることのできない最後の道であることを皆さんは知らなければなりません。(168)

 祝福の場に参席する人がいるとすれば、彼はただの一人の男性、あるいは一人の女性だという立場で参席してはいけません。その位置は、今まで六千年の間通り過ぎていった多くの男性、あるいは多くの女性を代表した位置です。その席に、皆さんが招請されたという認識をもたなければなりません。皆さんは、そのような事実を内情的な心情をもって体恤しなければなりません。(169)

 祝福の基点に現れた責任者、すなわち中心存在は、その時代という制限された環境にだけ処している存在ではありません。世界史的な内容を帯びた中心人物だというのです。それゆえに、祝福は夫婦の因縁を備えることだけで終わるのではありません。その祝福によって新しい家庭が形成されなければならず、新しい氏族、新しい民族、新しい国家が形成されなければなりません。そのすべてがここから始まるというのです。(170)


  6、合同結婚式を挙行する理由

 合同結婚式は、神様の新しい家庭を探し立てるためのものです。神様を何よりも愛することができるようにするのです。(171)

 統一教会の誇りは合同結婚式です。しかも、同じ民族同士で結婚するより、東洋と西洋の人が一緒になって結婚式をするというのが、誇りだと言わざるを得ません。そのことは、統一教会でなければ誰もできないのです。大統領もできないのです。それは、先生が優れていてそのようなことができるのではなく、神様の力が作用しているからです。(172)

 合同結婚式は、ここに参加するすべての人が蕩減の歴史を通過するのです。皆さんはなぜ合同結婚式をするのか、それを知りたくありませんか。

 もし、エデンの園で祝福の行事が行われたならば、それは天宙的な大事件になるのです。しかし、人間の先祖の堕落によって、エデンの園で天宙的な基準を成せなかったのを、原理によって蕩減するために合同結婚式をするのです。イエス様も最小限ユダヤ民族全体が祝う中で結婚式を挙げなければなりませんでした。しかし、その誰もがイエス様の結婚に対して、関心をもちませんでした。

 イエス様のこの恨みを解いてあげるためにも、全国民の関心を促す合同結婚式をせざるを得ないのです。昨年に四三〇双の合同結婚式を挙行した時は、これが世界的話題になりました。それを、世界がいろいろな面で研究課題にするのです。神様の結婚式はそのくらい、世界的なものにならなければならないというのです。(173)

 私たちが合同結婚式をするのは、堕落が合同でなされたせいです。天使長とエバ、エバとアダムまで一緒に堕落しました。これを再び直そうとすれば、霊界が動員されなければならないし、女性世界、男性世界を動員しなければなりません。(174)

 歴史的な恨みを解くために合同結婚式をするのであり、これで本然の家庭が見いだせるようになったのです。天地運勢はこれを中心として回るようになりました。(175)

 神様が催した宴会は、サタン世界のどの宴会よりも大規模でなければなりません。しかし、個人としてはその基準に立てないので、歴史始まって以来なかった合同結婚式を挙げなければならないのです。(176)

 先生の聖婚式は、今までのどのような結婚式よりも盛大にしなければならないのに、苦難の中で行ったために盛大にできませんでした。ですから、これからは盛大にしなければならない条件が残っています。

 食口たちは自分を中心とした三代の中で、外的に最も結婚を立派にした立場に立たなければなりません。そうしてこそ、サタンの前に条件を立てることができます。それで合同結婚式をするのです。内的な面でも神様が喜ぶ結婚をするためには、祭物的な条件を立てなければなりません。(177)

 天の側の家庭が現れる前には、サタン側の家庭を天の側の家庭として接ぎ木することができません。それゆえに、そのような天の側の家庭を成すために、統一教会では合同結婚式をするのです。世の中の人たちは、統一教会は合同結婚式をするといって笑いますが、合同結婚式を通して神様が接ぎ木することのできる内容をもつのです。(178)

 神様は、正しい血統を継いであげるための役事をされるのです。統一教会の合同結婚式は、何代を経て誤った血統を切ってしまい、神様が願われるとおりに改種しようというのです。(179)

 統一教会の合同結婚式というのは、一個人の結婚問題を解決するためのものではなく、歴史時代に今まで数多くの先祖たち、あるいは民族、国家が、全部天と相克していた、その門を開放するためのものです。そうするために、一つのグループとなり、時代的な一チームの使命分担を一時負ったというのです。三六家庭ならば、三六家庭が一チームとなり、七二家庭、一二〇家庭、四三〇家庭が各一チームとなります。歴史的な結婚を中心として成してしまった家庭の失敗を蕩減し、一つの中心的な復活家庭として登場させたのが、合同結婚式をした祝福家庭なのです。

 祝福の式場は、金某、朴某が結婚する結婚式場ではありません。彼らは歴史時代に世界、国家、民族、氏族、家庭的代表だという基準を立て、家庭を中心としてひっくり返すのです。(180)

 神様を中心として世界民族を編成するために、統一教会では合同結婚式を行います。(181)

 私たちは大家族の因縁によって現れたので、結婚式の式典をするとしても、合同結婚式をせざるを得ません。(182)

 合同結婚式の目的は何でしょうか。それは世界を救うためのものです。この結婚式は、国境と人種と言語、文化、慣習を超越した国際合同結婚式でした。新しい神様の民が編成されるのです。したがって、この結婚式場は和解の広場でした。(183)

 本来エデンの園では、一人の男性と一人の女性の結婚式をもたなければなりませんでした。ですから、全世界の男性と女性を代表して、天地を代表した数を祝福するのが合同結婚式です。数がたとえ少なくても、この祝福基盤は年ごとに増えるだろうし、毎年加重されるでしょう。

 このようにして大韓民国の祝福家庭の数が三千七百万以上になる時には、大韓民国は自動的に復帰されるのです。もし私たちが一千万、五千万、一億になる日には、アジアを復帰しても余るのです。自動的にそのようになります。(184)













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