祝福家庭と理想天国
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第四節 祝福の過程とその意義

  1、約婚式の意義

 皆さんが約婚式をしたのちには、聖酒式があり、その次に結婚式があります。それではこの約婚式と聖酒式、そして結婚式とは一体何でしょうか。これはある典礼に従って行われる式ではありません。堕落したすべての内容を、もう一度象徴的に再現させ、それを蕩減するために行う不可避の行事なのです。

 アダムとエバはどの段階で堕落したのでしょうか。約婚段階で堕落しました。すなわち、完成という目標を望み成長する過程で堕落したというのです。それでは約婚の目的は何でしょうか。結婚です。アダムとエバが約婚した立場で結婚を誤り堕落したために、その誤った結婚を否定し、神様を中心として是正し越えなければならないのです。ところで、これを否定するときにも、いいかげんには否定することができません。堕落した内容の反対の内容をもたなくてはならないのです。(162)

 純粋な血統を継承する場合、必要な式があります。まず約婚式があります。約婚式は何のためにするのかを知らなければなりません。エデンの園でのアダムとエバは、約婚期間でした。今は、堕落した後孫が世界的に広がっているために、自分以外のある人、男性や女性たちに目が行きます。エデンの園にはアダムとエバと天使長しかいませんでした。天使長が堕落してサタンになったので、サタンに勝利しなければなりません。サタンに勝利するには、サタンがどのような者であるかを知らなければなりません。サタンとは、自己中心に愛をむさぼる者です。私たちは神様を中心として愛を立てていかなければなりません。皆さんはこのような基準で約婚するのです。(163)

 皆さんは、堕落によって汚された血統を継承したので、それを清算し、創造本然の善なる血統を復帰しなければなりません。六千年の歴史をすべて清算し、蕩減復帰する式をしなければ、祝福まで行くことができません。約婚式をもつのは、アダムとエバが約婚段階で堕落する前の状態に復帰しなければならないからです。(164)

 約婚式は、人間の先祖アダムとエバが約婚段階で堕落したのを復帰する式です。(165)

 祝福を受けた家庭や約婚祝福を受けた家庭は、真の家庭を築き、神様に侍り、真の父母の立場に立って万物の恨みを解怨してあげなければなりません。人間の恨みを解怨し、神様の恨みを解怨してあげるために、このような約束の日を出発するのが約婚式です。(166)


  2、聖酒式の成立過程と意義

 堕落によって汚された血統を継承したので、それを転換しなければなりません。これをしなければ原罪を脱げず、原罪を脱がなければ真の子女として祝福を受けられる段階に上がることができません。原理がそのようになっています。堕落によって生じた原罪を脱ぐ血統転換、すなわち血肉を交換する式が聖酒式です。(167)

 聖酒式は、堕落によって血統的に汚されたサタンの血を抜いてしまうものです。言い換えれば、原罪を抜いてしまう式だというのです。(168)

 約婚した皆さんは、祝福式の前に聖酒式をするようになりますが、それは堕落の血を交換する血統転換式です。堕落した人間は、サタン世界の偽りの愛によって汚された過去のすべての愛を否定し、新しく神様の愛を中心として、真の父母の愛を再現させることのできる復活的な実体を備えずには、祝福の場に出ることができません。ですから聖酒式は、とりもなおさず、真の父母の愛の関門を通して新しい生命の基準を立てることを約束する儀式なのです。(169)

 堕落した人間は、真の父母を中心として血統的な転換をしなければなりません。今までの人間は、堕落の継承体です。ですから、私たちはどのようにしなければならないかといえば、今まで生きてきた過去を完全に否定しなければなりません。まず、「完全に否定しなければならない」という信念をもたなければならないというのです。

 「私」を生んでくれた今の父母は父母でなく、また今まで一緒に暮らしてきた兄弟も兄弟ではないというのです。さらに、現在私たちが暮らしている社会と国も、私たちの社会、私たちの国ではありません。神様が願われる社会、神様が願われる国ではないというのです。したがって、この全体を新しく復興して、新しい否定の起源から新しい自我を発見しなければならないし、覚醒しなければなりません。それは、私たちが信じさえすればいいというものではありません。ここに必要な条件を提示しなければならないのです。それがまさに聖酒式なのです。(170)

 聖酒式とはどのようなものであり、どう成立するのでしょうか。堕落した世界に住んでいる私たちの父母は、サタン側の父母です。その父母はサタン側のカイン的父母であるため、アベル的な父母がいなければなりません。そのアベル的な父母は、天の側にならなければなりません。その父母がイエス様の立場でいえばマリヤです。

 その次には、この地球上に堕落していない本然の立場の母がいなければなりません。言い換えれば、悪の血統を通じた堕落した愛の因縁を結んでいない、本性の母がいなければならないのです。そのような母がいなかったのです。それゆえ皆さんは、堕落した父母と堕落世界から復帰した父母、堕落していない父母、このように三代の父母をすべて取り戻し、その父母の因縁を一〇〇パーセント復帰してこなければなりません。そうしなければならないのです。

 アダムとエバの家庭が堕落したために、その家庭を否定し、神様が是認することのできる基準を立ててこられた方がイエス様です。しかしイエス様がその使命を果たせず失敗することによって、神様はこれを三次まで延長させて探し求めてこられましたが、それがキリスト教を中心とした再臨時代なのです。

 それでは再臨主は何をしに来られるのでしょうか。再臨時代は完成基準の時代であるために、再臨主は人類の母を探しに来られるのです。すなわち、新婦を探しに来られるのです。新郎であられる主がこの地上で探される新婦は、堕落圏内で探す新婦ではありません。堕落していない純粋な血統をもって生まれた方を探すのです。それでは、そのような新婦、すなわちその母とは、どのような基盤の上で生まれなければなりませんか。堕落した世界のアベル的な母の基盤の上で生まれなければならないのです。

 ですから、皆さんの母は堕落したエバの立場に該当するのであり、次の母はイエス時代においてのマリヤの立場に該当するのです。また、その次の母はイエス時代のマリヤの保護を受け、祝福のみ旨を果たすことのできる、罪の因縁とは全く関係のない処女として、母(真のお母様)の立場に立つことができなければならないというのです。

 これをイエス様を中心として成就させようとしましたが、すべてを果たすことができず霊的にのみ連結されたために、今日、復帰の終末時代に来て、これを再現させてもう一度一致させていく作戦を広げなければなりません。(171)

 堕落した家庭から生まれた皆さんは、どこを訪ねていかなければならないでしょうか。イエス時代に堕落した家庭から生まれた人々が、イエス様を訪ねていったのと同じく、今日、堕落した家庭から生まれた人間たちは、キリスト教を信じています。それでは、そのキリスト教徒たちはどこを訪ねていかなければならないでしょうか。堕落していない母の胎内を通過させることのできる道を経て、堕落していない父の骨髄まで訪ねていって再び生まれなければならないのです。そうでなければ、復活できないのです。

 元来、アダムの骨髄の中に宿っている子供の種が、神様の愛を中心として、真の母であるエバの体を通して新しく生まれるべきでしたが、そうできませんでした。これが堕落です。言い換えれば、神様が願われた新しい生命の誕生を見ることができなかったことが堕落だというのです。

 誤った立場で生まれたので、これを再び復帰しようとすればどうしなければならないでしょうか。訪ねていかなければなりません。真の母の胎内に訪ねていかなければならないというのです。それで今日、キリスト教ではイエス様を信じる人も聖霊を受けて初めて生まれ変わるというのです。聖霊を受けるということが何かというと、聖霊は母なる神様であるために、母なる神様の協助を受けて母と一つとなるということです。すなわち、真の母の体を経る役事をしなければならないのです。

 聖霊は母なる神様であるので、聖霊が臨むようになればイエス様を新郎として、すなわち父なる神様として侍ることができるし、思慕することができるようになるのです。その思慕の情熱が自分の生命以上の価値を感じられる立場に帰したとき、初めて新しい生命が誕生するのです。しかしこの生命は、霊と肉がすべて完成した生命となることができず、霊的生命だけが完成した基準にとどまっているのです。

 このような霊的復活体の基準にのみとどまってきたキリスト教は、肉的復活体の基準を尋ねていくべき時代的な使命があるのです。このような世界的使命が残っているので、今まで再臨の一時を求めてきたのです。(172)

 皆さんは堕落したアダムの後孫なので、蕩減条件を立てなければなりません。完成したアダムでなければ、蕩減圏を乗り越えて上がっていく道がありません。完成したアダムとは、愛の主体であられる神様の実体対象でなければなりません。再臨主は、その立場を完成するために来られるのです。完成したアダム格なのです。愛の中心として、万民を引き寄せるための磁石として来られるのです。磁石は他の極同士、互いに引き寄せる力があります。

 復帰の原則もこれと同じです。約婚のあとに堕落したので、約婚のあとに復帰摂理をするのです。磁石の公式のように、エバを中心として完成したマイナスの磁石になった女性が、完成した男性をつくる式をするのです。そのような条件を世界に立てるのが聖酒式です。霊的復帰式なのです。霊的に女性を生んで、その女性によって霊的にアダムを生むのです。(173)

 イエス様がパンとぶどう酒を見て「これは私の肉であり、血である」と言われたのと同じ内容が、聖酒に内包されています。だから聖酒式は真の御父母様と一つとなったという条件を立てるのです。真の父母と一体となれば、サタンが讒訴できません。永遠にサタンと関係のない立場になります。

 今から皆さん二人は、永遠なるエデンの園で、新しいアダムとエバとして地上天国をつくろうという覚悟をするのです。アダムとエバの堕落前の約婚期間を復帰し、何らの讒訴条件も残してはなりません。

 アダムが夫になり、エバが妻になり、互いに愛し合って暮らしたとすれば、創造理想が成就されていたでしょう。しかし、サタンを中心として愛の秩序が逆転してしまったために、それを原点に復帰しなければなりません。それを血統転換式と言います。アダムの立場では、主管性転倒式です。堕落によってエバはアダムを失ったので、どんなに苦しくとも、アダムを定立し、真なる夫として復帰しなければならないのです。

 ですから、今までの世界は女性が苦労する世界です。女性はどこでも苦労をしています。特に日本の女性は、悲惨な歴史をもっています。女性はみんな、堕落した天使が主管したのです。聖酒式には、それを復帰する意味があるという事実をはっきり知らなければなりません。(174)

 聖酒式は、イエス様を中心として見ると聖餐式と同じです。聖餐式では、肉と血の代わりにパンを食べ、ぶどう酒を飲みます。これは、私たち人間が堕落したため、イエス様の体を受けることによって、新しい肉体を受肉しなければならないということを意味します。それと同様に、人間が堕落した行路と反対の方向に帰らなければならないので、この聖酒式を行うようになるのです。(175)

 聖酒式は何をするものでしょうか。新しい愛を中心として、神様の体を自分の体の中に投入させる式です。何の話か分かりますか。堕落した体は一つしかないので、神様の愛を中心として入れ替える式です。これがまさに聖酒式だというのです。イエス様が、パンは私の肉を象徴するものであり、ぶどう酒は私の血を象徴するものだから、あなた方はそれをもらって食べ、飲まなければならないと言った言葉と同様に、愛を中心として、神様の実体を中心として、新しい血統を受け継いで原罪を清めることのできる式なのです。この式を経なくては、祝福の場に出られないのです。それゆえこの式は、血統を転換させる式です。(176)


  3、聖酒伝授の意義

 聖酒には何が入っているかといえば、父母の愛を象徴するものが入っています。そして血を象徴するものが入っていなければなりません。ですから、それを飲めば父母の愛と一体となり、また血と一体となります。このようなことが聖酒の内容なのです。それでは、聖酒はどのようにつくられるでしょうか。それは地と海と天を象徴し、全体を象徴するものからつくられた酒です。聖酒には三種類の酒が入っています。それ以外にすべての万物を象徴するものが入っています。これを飲むということは、霊的に生まれ、肉的に生まれることを意味します。

 この式がなければ、原罪を脱いで血統を転換できません。血統が転換されなければ、完成基準を通過して神様の愛と一体となることができません。ですから、聖酒式はそのすべてのことを蕩減する式だということを知らなければなりません。(177)

 聖酒にはサタンの讒訴のない万物の要素がすべて入っています。その聖酒を受け、真の父母と一つとなった者が自分を汚す行為をすれば、サタンよりももっと恐ろしい立場に立つようになります。サタンは長成期完成圏を汚し蹂躙しましたが、祝福を受けた者が誤れば、完成期完成圏で神様の実体を犯した罪が残るので、永遠に許しを得ることができません。これは実に恐ろしいことです。(178)

 聖酒は言わば父母の血肉です。

 聖酒は愛の酒であり、夫の酒であり、母の乳であり、生命の水の代身であり、父母の血の代身であり、すべての栄光の表示であり、新郎新婦の愛であり、ここには父の生命力があります。

 聖酒によって父の心情、血統、実体を分け与えるのです。また、生命力を分け与えるのであり、ここに血統的な因縁が結ばれるのです。(179)

 体の汚れを清めるために、血と肉を一体とするために聖酒を与えます。聖酒は実体結婚(真の父母様)、形象結婚(三六家庭)、象徴結婚(七二家庭)を経てきました。(180)

 復帰過程はカインとアベル、エサウとヤコブ、ペレヅとゼラを経てきましたが、より根本復帰のために、主の胎内に入って出たという条件を立てなければなりません。

 そうして、お母様の胎内を通して生まれたのと同じ立場に立たなければなりません。これがアダムからイエス様を経たのちに再臨主に至り、お母様から生まれた一人の子供と、同時に生まれたという立場に立たなければなりません。

 そうして内的な母の体を経た立場に立たなければなりません。天地の度数を合わせた二十一種類の物でつくられた酒を、まず婦人に与えます。天使長がエバを惑わすことによってアダムを失ったために、女性をまず立て、男性を取り戻す立場に立てます。これは、父母の血肉として、婦人を通して受けます。この酒を飲むことによって、サタン分立の蕩減条件を立てるのです。(181)

 この時間は、生粋の独身男性が新婦の部屋に入っていくような時間です。神様を中心として左右が一つとなり、愛の目的を達成しなければなりません。

 ここにあるのは酒です。この酒に対する意義のうち一つは、劉孝元氏でも分かりません。この酒には、イエス様が、生命の水を飲む者は永遠に生きると言われたみ言と同じものが入っています。

 この時間の前と後では違います。この酒を飲むことは、新郎新婦が愛の因縁を結ぶことより重要です。これは生命的な因縁を代表できるのです。

 この酒は、酒ですが、生命の原核と同じです。この式ののちには、偽りがあってはなりません。過去を問わず、今から祝福の夫婦とならなければなりません。(182)


  4、男性と女性の立場と復帰

 皆さんは世界を代表する男性であり、女性です。ここで女性は主人である神様の側であり、男性は天使長の側です。それゆえ、実際は男性が右側に立つのでなく、女性が右側に立たなければならないのです。しかし先生は少し違うというのです。

 天使長とエバが結婚することによって、原罪が植えられたでしょう。ですから刈り取るときも、結婚によって刈り取らなければなりません。そうでしょう。天使長との結婚によって植えられたので、誰との結婚によって刈り取るべきですか。アダムとの結婚によって刈り取るべきだというのです。では、アダムが結婚しようとすれば、誰がいなければなりませんか。エバがいなければならないのです。

 また、結婚するにおいては、誰が先に結婚しなければならないでしょうか。天使長が先に結婚すべきでしょうか、エバが先に結婚すべきでしょうか。「エバです」。なぜそうでしょうか。エバはアダムの妻だからです。それゆえ、エバが先に結婚しなければならないというのです。

 天使長は、エバが結婚するまで面倒をすべてみて、福を願い、僕暮らしを果たして結婚しなければならないのです。僕が僕暮らしを果たせば、子供が父母の前に出て「お父様! 僕も一人で生きることが寂しくてだめなので、相対をつくってあげましょう」と勧告して結婚できるのであって、その前には結婚できないというのです。分かりますか。

 では、エバが結婚をしようとすれば、この地上にエバの夫がいなければなりませんが、その夫は誰ですか。「来るべき主です」。その主が堂々と来られてエバと結婚するようになれば、その周囲にいる人々はどのようにしなければならないでしょうか。天使長は泣きわめくべきでしょうか。「喜ぶべきです」。

 イエス様が来る前には、天使長の妻の役をしてきました。しかし、イエス様が来ればどのようになるかといえば、天使長は自分の妻を奪われるようになるのです。そうでしょう。そうだといって、天使長が泣きわめいていいでしょうか。蕩減復帰の女性たちは、そのような道を歩んでいくことによって復帰してくるのです。それならば、統一教会の女性たちは誰の側ですか。(183)

 先生をどれほど好きになるべきですか。自分の花嫁よりもっと好きになり、自分の夫よりもっと好きになるべきです。まず母、父を自分の夫より、自分の花嫁よりもっと好きになるべきではないですか。まず父母の愛の因縁を根こそぎ私の愛としてから妻を愛し、夫を愛し、息子・娘を愛さなければならないというのです。そうでしょう。それゆえ、天の父母として来られる真の父母を、誰よりも完全に愛さなければならないのです。

 皆さんにはそのほかの愛は一切許されません。まだ生まれていないのも同じなのに、どうして愛という言葉を言うことができますか。皆さんは生まれてもいない立場だというのです。父母を知らなければ、生まれていない立場と同じなのです。(184)

 堕落した女性は、二人の夫に仕えたのです。そうでしょう。エバは霊的には天使長を、肉的にはアダムを夫として迎えたのです。ですから、夫は何人ですか。「二人です」。それゆえ、女性たちが復帰しようとすれば、二人の夫を迎えなければなりません。そうでなければ、復帰できないのです。それだから皆さんは、先生と自分の夫、このように男性が二人なのです。一人の女性が二人の夫に侍らなければならないような立場なのです。そうなっているのです。

 今日、統一教会を信じ、救いを受けようとするすべての女性たちは、新郎を探し求めてきた新婦であるため、霊的に誰と一つにならなければならないでしょうか。来られる主と一つにならなければなりません。アダムと一つにならなければなりません。神様と一つにならなければならないのです。すなわち、神様を中心として霊的に一つにならなければならないというのです。

 神様は無形であられるので、アダムが神様の形状として現れたのです。分かりますか。同じように、この地上にそのような人がいないので、先生が神様の形状として現れるようになったのです。霊的に堕落したので、霊的に復活の役事をするのです。ですから統一教会の女性たちは、熱心に祈祷して精誠を尽くせば、先生がお兄さんのように感じられるのです。また、もう少し熱心にすれば、霊的に約婚指輪もはめてあげ、花束もあげ、ウエディング・マーチも鳴り渡るのです。そのような霊的経験をしてみた人も多いでしょう。そのような霊的経験をしたことのない人たちは、全部偽物の信仰者たちです。霊的経験をしてみた人は、間違いなくこのような現象を見たというのです。ですから、自分の夫をこぶのような存在として感じるようになるのです。

 そのような経験によって、人間始祖が霊的な愛で堕落したことを復帰できる起源を備えるようになるので、初めてその愛が和合されるのです。アダムと天使長が相反したのを和合することができるというのです。ですから、皆さんが先生を中心として和合されるのです。このようになることによって、復帰された家庭が立つようになるのです。ここで霊的に見れば、皆さんが母なのです。女性たちが母なのです。

 ここで皆さんは、霊的な愛を通してアダムをもう一度産まなければなりません。堕落したエバの霊的愛の罪を通して、アダムも霊的に堕落しました。ですから、霊的に神様の愛を中心としてアダムを復帰した基準を立て、皆さんが精誠を尽くしたその基準を肉的に連結させることによって、アダムが復帰されるのです。分かりますか。このような系統を経てこそ、初めて本軌道に上がるのです。(185)

 復帰するためには逆さまにならなければなりません。堕落するとき、天使長がエバに与えたでしょう。次にエバがアダムに与えました。本来は、アダムが神様の息子の権限をもってエバを主管しなければなりませんでした。ですから、エバは父母のような立場で男性を産んであげなければならないのです。そのような原則的な本来の心情を復帰しなければなりません。

 それゆえ、女性は何でしょうか。母です。原理的に見れば、夫が妻に三年間母に対するように侍らなければなりません。三年間母に対するように侍ったという基準に立たなければ、愛することはできません。これは厳格な原理です。(186)

 男性が女性に対するようになるときは、母の代身、姉の代身、妹の代身として対する過程を経たのちにこそ、妻として対することができるのです。分かりますか。女性も同様に、男性に対するようになるとき、父の代身、兄の代身、弟の代身として対してから、初めて夫として対することができるのです。そのような愛をすべて受けたという基準を立てなくては、真の父、真の母になれません。

 それでは、誰の愛から始めなければならないでしょうか。男性からでしょうか、女性からでしょうか。男性の愛から始まります。来られる主の愛から始めなければならないというのです。ですから私たちは、来られるその主の縦的な愛を受けなければならないのです。縦的な愛を受けて、それと全く同じ愛が夫婦間の横的愛として伸びていかなければなりません。それゆえ、まず縦的な愛が必要なのです。

 先生は昔、そのような縦的な愛を施したので、先生に従う人がたくさんいました。皆さんも先生が好きですか。霊界に通じる人たちは、霊界では先生が兄のように、新郎のように、父のように協助するというのです。それは公式です。それゆえ、男性を見るときには、世の中のどの男性よりも先生を中心として見なければならないのです。霊界を通じて見れば、実感がわくでしょう。皆さんの中で、祈祷や夢に現れた啓示の中で先生と出会った人は手を挙げてごらんなさい。統一教会に通う女性たちとして、そうでないという人は、統一教会員としてまだ遠いのです。(187)

 神様を中心として見るとき、神様は息子を愛してみることができませんでした。息子の中でも長男、次男を愛してみることができず、その次には新郎になった息子を愛してみることができませんでした。同じく神様は、父として息子の愛を受けてみることができませんでした。だから皆さんが子女の愛、夫婦の愛、父母の愛を復帰しなければなりません。それを復帰するには父母の愛、夫婦の愛、子女の愛の順に復帰しなければなりません。このように逆に愛することによって復帰するというのです。

 それゆえ、女性は母の立場で男性に尽くしてあげなければなりません。ですから、女性たちは愛を受けるべきですか、愛を与えるべきですか。「与えるべきです」。そうすれば、皆さんが愛したよりもっと多くの愛を受けるのです。それでも女性たちは、嫁ぐや否や「あなた、私を愛していますか。愛しているとすれば、どのくらい愛していますか」と言いながら、愛を受けようとだけするというのです。それが女性の本能だというのです。ここのお婆さんたち、昔結婚したとき、そのように聞いてみましたか。

 それゆえ統一教会の女性たちは、男性を愛さなければなりません。誰のように愛さなければならないのかといえば、父のように、兄のように愛さなければなりません。私は、皆さんにとって父の代身の立場であり、兄の代身の立場であり、また霊的には新郎のような立場です。そのような心情的基準を、先生がもっているのです。ですから先生は、父の立場、兄の立場、新郎の立場なのです。天使長が霊的に堕落したのを、この体を中心として復帰しなければなりません。ここにおいて皆さんは、絶対に先生のみ言を聞かなければいけません。そうですか、そうではないですか。先生のみ言をよく聞いてこそ、嫁げるというのです。(188)

 統一教会の女性たちは、嫁いで愛を受けようとしてはなりません。そんな女性たちは、絶対に女性の体面を立てられません。上品であるべきです。それでこそ、男性が妻の部屋に泥棒のようにむやみに入って来れないのです。承諾を受けて入って来なければならないというのです。勝手に入って行けないというのです。私が、時が来れば細密に教えてあげるでしょう。このくらいで、大体分かるでしょう。

 ですから二人が出会えば、必ずまず祈祷しなさい。「お父様、きょうは天地が動き私の心が動きますので、女性の心も動くようにしてください」と、このように祈祷して、息子・娘を生んで暮らしてみるのです。その家柄は悪くありません。男性がその程度はしなければならないというのです。(189)


  5、祝福式の意義

 約婚式と聖酒式は、サタン世界で生まれた人間が、真の父母によって再び生まれるという条件を立てる蕩減儀式なのです。女性が先に堕落したので、女性が先に復帰され、男性を再び産むようにする過程を内的に通過する式が聖酒式なのです。そして結婚して四十日以後に、それを外的に通過する式があります。これらが全部蕩減儀式なのです。

 このようにして、堕落前のアダムとエバが処していた長成期完成級を経て、完成基準に到達しなければなりません。神様を中心として、絶対的自分だという位置を確保したのちに、愛の基準を結び結婚が成立するのです。(190)

 堕落から復帰された母、堕落しない立場の母の腹中に入ったという条件を立てなければなりません。それは何によって成るかといえば、愛を中心として成るのです。愛を中心として堕落したために、愛を中心として復帰されなければなりません。私たちが復帰されるためには、再び腹中に入らなければなりませんが、実際そうすることはできないのです。ですから、愛を中心として一体となり、復帰された条件を立てるのです。そのように、復帰したアダムの前に行って一体となり、血統を受けなければなりません。

 最初、エバは堕落するとき、サタンを中心として霊的な堕落をしました。その次に、アダムと一つとなり、肉的に堕落しました。それゆえ、それを復帰するため、完全に復帰されたアダムを迎え、霊的に一つとなる式が聖酒式なのです。愛の因縁を復帰する式です。そのような条件を立てなければなりません。そのように霊的に一つとなって、神様の前に行く女性となり、実体として男性を復帰するのが結婚式です。(191)

 結婚式は、まさに愛の伝授式です。神様の愛をもって父母が生きるように、皆さんも父母の愛を神様の愛の代身として受け、このように生きなさい、という愛の伝授式が結婚式です。

 神様の愛は父母から伝授されるのです。ある有名な人から受けるのではありません。それは天使長がしてくれる結婚です。名は知られていても、夫婦の片方だけ来て結婚式をしてくれるのは、全部天使長から受ける結婚です。(192)

 結婚式というのは、愛の顕現をいうと同時に、創造権と主管権を付与されることをいいます。(193)

 きょうのこのような聖礼式は、神様の願いであり理想でした。

 アダムとエバが成熟すれば、成し与えようとした聖礼式なのです。創造理想の心情の中にあったものとして、実に歴史的なことです。こういう式典は、創造以後初めて開かれたものであると、深く感じるべきです。イエス様の時の三弟子は、その師と生死を共にすべきでした。これからは、皆さんの体が皆さんの体でないということを銘記して進みなさい。祭物の立場だという心情をもって進みなさい。(194)

 主礼の前に歩いていくことは、六千年の摂理路程を歩むことです。

 蘇生、長成、完成を意味する路程に二十一人、十二人の付き添いを立てます。これは三数を代表するのです。

 七歩行って蘇生を越える条件として、三回敬礼をしなければなりません。この路程はアダムから今までの歴史路程です。特にアダム、イエス様、再臨主の三時代の過程なので、この付き添いの中を経て、真の御父母様と出会うことを意味します。

 付き添いを立てるのは、十二支派、二十四長老の霊的基準を立てるためです。敬礼をすることによって、蕩減条件を立てるのです。

 真の御父母様は聖水を振りまきますが、これは蕩減復帰した立場に立てるためであり、その条件を立てるためです。

 同様に、霊界の先祖たちの基盤を越える条件を立てるのです。(付き添いを経なければ、祝福は受けたとしても、祝福家庭には入れません。実例:四三三双の時、一家庭が漏れた)(195)

 真の父母が聖水を振りまくのは、皆さんが蕩減復帰したという条件を立てるためです。同様に、霊界の先祖たちが磨いておいた基盤を越える条件を立てようとするのです。(196)


  6、四十日蕩減期間

 結婚した場合、四十日の蕩減期間があります。それはイエス様の霊的復活ではなく、死なずに復活の祝福圏に入るための蕩減として、経なければならない期間です。夫婦が互いに愛し合うことのできる立場になろうとすれば、ある規則を通過しなければなりません。このような難しい蕩減の道を勝利するために、自分勝手に男女関係だとか、そのような気分だとか、そのような話をしかけるとかということを、きょうの夜からは一切してはいけません。(197)

 男女が交際をするとき、初めは気分が悪くなることもあり得ます。しかし、それ以上に信念を高めて将来を眺めれば、理想が育ちます。それが、すなわち祝福です。ところで、それが通じないのは皆さんが感謝しないからです。サタンは祝福の基台を崩壊しようと、先生に生涯をかけて挑戦してきました。天の法度を中心として世の中と対決すれば、何よりも不屈で強いものが残るようになります。ところで、自分の妻を信じられない男性が先生に会いたいということ自体が恥です。(198)

 神様の心情を破壊するそのような位置で男女が愛し合ってはなりません。それによる結果は、原理で見て悲惨になるということを知っている先生です。だから、論議する余地がないというのです。(199)

 世界で最も問題となるのは男女問題ですが、その原因となる家庭破綻の主体は、許すことができないのです。彼らは、地獄の中でも最も恐ろしい地獄に行くでしょう。統一教会員たちは、そうなっているということを理論的にすべて知っているので、そういうことをしなさいと言ってもしないのです。(200)


  7、蕩減棒行事と三日行事

 ヤコブにもイスラエル民族を立てるために、天使をして腰の骨を打ったあとに初めて祝福を与えました。

 イスラエルが重大な誓いをするとき、腰の骨に手を当ててしました。

 歴史以来、すべての男女は腰の骨を誤って使ったために、男性は女性に、女性は男性に恨みを抱くようになったので、この恨みを解かなくては、恨みを解怨した本性の夫婦として立つことができません。

 女性によって生じた恨みであるので、男性がまず女性を打ちます。三段階、三時代を表示する三次の激打です。(201)

 祝福を受けて四十日が過ぎたのちには、三日間にわたって実体的な復帰式があります。この四十日期間は歴史的であり、総合的な蕩減期間なのです。

 人間が愛を中心として復帰の権限をもつようになるのは、蘇生期でもなく、長成期でもありません。完成期に入らなければならないのです。ですから、アダム時代と次の時代は、失敗の時代です。その結果、旧約時代の神様の蘇生的な愛の圏を継承することができず、キリスト教を中心として、神様の長成的な愛を受け継ぐことができませんでした。その蘇生、長成の愛の圏を受け継いだあとでこそ、完成的な成約時代圏に立つことができるようになるのです。そのような条件を立てるのが蕩減式です。

 最初の日は、旧約時代の復帰です。堕落したアダム、旧約圏を復帰するのです。

 二日目は、新約時代のイエス様の立場を蕩減復帰するのです。

 三日目は、イエス様を代身した新郎として、新婦を再創造するのです。そこから初めて正式軌道に乗って出発することができます。このように、具体的に蕩減条件を立てることは複雑です。(202)

 聖酒式は、三人の母から生まれた条件を立てる式です。聖酒には、言わば蕩減の血とでも言うものが入っているのです。聖酒を飲むことによって内的に清くさせ、聖巾で体をふくことによって外的に清くさせようというのです。(203)

 今から実体の子女たちを繁殖しなければなりません。父と心情的な因縁を結び得る子女を生ませてくださいと祈祷しなければなりません。心情的な祭司長となり得る子女を生むために祈祷しなければなりません。

 先生は、天地を代身することのできる心情的基準の上で子女を生むことを願います。先生は、一度祝福をすれば責任を負います。私たちは世界を代身して、世界的立場でさらに祝福を受けなければなりません。ですから、条件的な結婚です。その間の四十日間は、四千年を蕩減する期間に該当します。事実、結婚生活はきょうからです。今までは蕩減期間でした。(204)


  8、祝福後の三年動員路程

 皆さんも、祝福を受けましたが、男性女性が出会って神様のみ旨の前に召命を受けたその日、祝福を受けて夫婦になったその日から、夫婦の生活が始まるのではありません。三年の公生涯路程を行かなければならないのです。

 三年路程は、なぜ行かなければならないのでしょうか。今まで祝福家庭が現れる前に、人間が堕落した歴史的な背景と蕩減条件が残っていて、また、私たちが暮らしている世の中には、偽りの愛で因縁を結んだ家庭、すなわちサタン世界の家庭が多いからです。言い換えれば、私たちが生まれる前にこの世的な個人があり、私たちの家庭が生まれる前にこの世的な家庭があり、私たちの国がある前にこの世の国が形成されていたからです。(私と、)この世の家庭と国との因縁が切れれば、世界を救うことができないので、三年路程を行かなければならないのです。すなわち、二重の責任を負わなければならないのです。私の家庭に対する責任を果たすのも重要ですが、全体世界の家庭を救う責任はもっと重要なのです。

 それでは、この世の家庭と皆さんの家庭は、どのような関係があるでしょうか。皆さんの家庭は内的家庭であり、この世の家庭は外的家庭です。蕩減復帰の術語で言えば、祝福家庭はアベル家庭であり、この世の家庭はカイン的な家庭です。祝福を受ける前には、個人的なアベルと個人的なカインがありますが、祝福を受けたのちには、家庭的なアベルと家庭的なカインがあるのです。(205)

 自分の息子・娘も愛したことのない人が愛そうとするなら、祝福を受けて三年の間、伝道任地に行って愛を学びなさいというのです。息子・娘を生む前に人を愛する法を学び、息子・娘を生んで愛そうというのです。

 人を愛する法を体得した人は、自分の夫を誰よりも愛するでしょうし、自分の妻を世の中のどのような女性よりも愛するようになるでしょう。世の中の人たちを愛する法を学ぶ間、たくさんの苦難と迫害を受けたために、愛の貴重さを知るようになり、自分の夫や奥さんを誰よりも愛することができるようになるのです。そうして、「私」の夫を誰よりも愛し得る心をもって、自分が生んだ子供を一層愛そうというのです。これはどれほど素晴らしい真の愛でしょうか。

 反対と迫害を受け勝ち抜けば、災いとなるのでなくむしろ福となるでしょう。種が芽吹こうとすれば、寒い冬を勝ち抜かなければなりません。寒い冬がなくては厚い皮を破って芽が出ることができないように、迫害と反対がなくては真の愛を味わうことができないのです。(206)

 統一教会が今まで祝福ののち三年の間公的生活をするようにしたのは、すべてが真の愛を味わわせるためでした。先生が迫害と反対を押し切って世界を巡回し、み言を伝えるのは、どの家庭より真の愛の美しい家庭をつくるための訓練をするためです。

 私たちが、この世からの激しい迫害と虐待を物ともせずみ旨の道を行くのは、息子・娘たちを愛する心からです。私たちの息子・娘たちを美しい神様の国に住まわせるためです。世の中の人たちが自分の息子・娘を愛するその愛より、私たちはもっと息子・娘を慈しみ愛さなければなりません。

 私たちが行く人生の戦いで、夫でも妻でも迫害され反対されるとき、憤懣やるかたない悔しい心以上に、私は息子・娘を愛そうと誓わなければならないし、そうなるように迫害と反対の中で愛の訓練を受けなければなりません。

 これほど愛の訓練を受けた妻は、夫が一言言ったとして、機関銃を使うように食ってかかるような争いはしません。夫もやはり、妻を無視したり力で押さえつけたりしません。愛の訓練を通じて、夫と妻がどれほど貴重な存在であるかを感じたからです。(207)

 復帰の道では、祝福を受けると妻が夫の前にアベルの立場となります。ですから公式路程の三年間は、妻の前に服従する立場に立たなければなりません。女性と共にいながら服従するよりは、離れて活動するほうがむしろ易しいでしょう。男性として朝晩女性にあいさつをしたりする、いろいろな式が必要だからです。今まで明らかにしませんでしたが、先生も直接そのような過程を経てきました。だから別居して、勝利的基盤を築いて、三年後に女性の前に現れるほうがむしろいいのです。祝福を受けたのちの三年路程というのはそのような期間です。(208)

 今女性たちは、みんな皆さんに属しているのではなく、先生に属しています。ですから近い人から命令するのです。近い人たちを犠牲にするのです。天は近い人を犠牲にします。皆さんの息子・娘たちよりも、皆さんの妻が先生に近いです。ですから近い人たちを犠牲にするのです。(209)

 妻や夫は、自分のものではなく、神様のものであり宇宙のものです。愛とは、自分のものではありません。神様のものであり人類のものです。ですから三年間、神様のために力いっぱい走らなければなりません。愛の心情を高めて走らなければなりません。神様に属している妻を愛することは、神様を尊ぶことになるのです。

 愛が不足するとき、神様は働いてくださいません。周囲から模範的家庭だという言葉を聞けないのは、今まで愛が不足していたからです。女性も同様に、神様を尊ぶように夫を愛さなければなりません。神様に触れるような愛の授受作用が成り立つとすれば、そのような家庭は自動的に四位基台が成り立ちます。すべてが自動的に回るようになります。

 こまの先を、真っすぐに立てて回せばよく回りますが、先を真っすぐ立てられずに回すとゆらゆらします。ですから、中心が立ったこまを作り、真っすぐ回るようにしなければなりません。そうすれば、すべてが解決します。そのような愛を中心として、四位基台の家庭をつくらなければなりません。(210)

 夫は神様を思い、万民を思い、妻を思いながら、三位一体であられる神様を中心として夫婦が一体となるように努力しなければなりません。アダムとエバはそのような基準を立てることができず堕落したので、私たちはまず、その基準を立てるために努力しなければならないのです。私たちは自己を犠牲にしながら、神様を愛し万民を愛するために生きているのです。そのために祝福を受けたと考えてください。そうすれば、アダムとエバの約婚期間に生じた堕落圏は、何らの讒訴条件もなく蕩減復帰されるのです。原理的にいえばそうです。堕落世界とは、自分を中心とする世界です。神様の愛であるとか、人類、後孫、万物、宇宙など、すべてを考えなかったのです。私たちはそれを、常に念頭に置かなければなりません。(211)

 今回、祝福家庭の婦人たちには、誰に限らず以前に伝道した所に出ていきなさいと言いました。男性たちには、出ていきなさいという話はしませんでした。分かりますか。

 けれども妻は、夫と心が互いに一つとならなければなりません。夫の心をすべて導いていける妻にならなければなりません。言い換えれば、自分の夫を祭物にしなければならないということです。分かりますか。それを知らなければなりません。そのためには、精誠を尽くして夫に報告しなければなりません。そうして、夫と心が一つにならなければならないというのです。そのようにして、家庭から母一人出て伝道しますが、家では夫と息子・娘が一つとなって、勝利して帰ってくる母を喜びで迎えなければなりません。そうでなければ、この地上に、堕落したエバの息子・娘を復帰する条件が立たないのです。それを蕩減復帰するために、このようなことをするのです。(212)

 この三年期間はどんな期間でしょうか。イエス様(注・ここでは信仰の子女)をもう一度産む期間です。イエス様は公生涯三年だけで死んだでしょう。誰のゆえに死にましたか。エバゆえに死にました。女性ゆえに死にました。だからイエス様をもう一度産んであげるべきなのです。そうしてイエス様が再び生まれて、母と母子協助し、相続を受けて「私」の息子・娘たちに譲ってくれてこそ、「私」の息子・娘たちが初めて、イエス様より優れた息子・娘になれるのです。これが原則です。

 ここでイエス様を代身した存在として立てるのが何かといえば、信仰の息子・娘です。イエス様は結婚できずに死んだため、独身の男女のような立場にいるのです。天使世界のような立場です。すなわち、イエス様は天使長の立場に立っているというのです。分かりますか。ですから、信仰の息子・娘たちを復帰し、彼らが「私」自身の息子・娘と一つとなって相続を受けなければなりません。「私」の息子・娘が生まれて相続を受けたという条件を立ててこそ、父と母が救われることができ、カインの立場である信仰の息子・娘も救いを受けることができるのです。これが原則です。

 イエス様がどのように生まれたのか知っているでしょう。皆さんはイエス様より優れた息子・娘を生まなければならないというのです。そうしようとするなら、ペテロ、ヨハネ、ヤコブのような三弟子を育てておかなければなりません。死の谷間でも、「私」のために生命を捧げることのできる信仰の息子・娘を育てておかなければならないのです。そうしなければ、怨讐に打たれて死ぬというのです。それが、まさに皆さんの信仰の息子・娘です。

 皆さんは信仰の息子・娘がいますか。この信仰の息子・娘は誰が生むべきですか。信仰の息子・娘は、女性が生むべきです。この期間が、こういう原則的な全問題を解決するための重要な期間であることを、皆さんは知らなければなりません。

 この三年路程において、失われたペテロ、ヨハネ、ヤコブのような三弟子を探し立てなければならず、彼らを中心として十二弟子を探し立てなければなりません。同様に、彼らを中心として七十人門徒、百二十人門徒まで探し立てなければなりません。氏族を中心としてこのことをしなければなりません。

 それゆえに百二十名を……。皆さん、十人を束ねて伝道しなさいというのは、何のためでしょうか。ここでの十人は、十支派を代表するのです。原理的に見れば、十支派は十二支派に該当するのです。そうでしょう。皆さんは、イエス様を中心とした使徒たちの妻格です。その立場で信仰の息子・娘を探し立て、イエス様の氏族をつくるのと同様の立場に立てようとするのです。そうするための期間が、この三年期間です。(213)

 家庭を中心として、三年路程を通じアダム家庭で失われた八人の家族、ノア家庭で失われた八人の家族たちを、完全に復帰しなければならないのです。三年路程の間に復帰できなければ、大変なことになるというのです。だから先生も、三年路程を中心として三六家庭、七二家庭、一二四家庭を祝福してあげる行事をしたのです。(214)

 祝福家庭が祝福を受けたのち、乞食をしながらでも三年以上だけみ旨のため死を覚悟して闘ったならば、この国は既に復帰されたでしょう。神様のため、三年以上忠誠を捧げた人に反対する者は、神様がただでは置きません。(215)

 三年間は活動しなければなりません。そしてその間、十二名以上伝道するのです。イエス様には十二弟子がいました。十二名は、イスラエルのヤコブ圏を復帰する人です。

 そして、ヤコブを中心としたイスラエル民族には、七十人の長老がいました。彼らは民族的イスラエルを代表します。元来は七十二人です。七十二人は十二人の六倍です。それを合わせば、七段階になります。ですから七十二人を復帰しなければ、氏族的復帰をすることができません。

 周囲から侵攻を受けない、自分の家族の永遠なる安息の基盤を決定するためには、十二家庭を復帰しなければなりません。三位基台は、天国に入る東方の三つの門を通過する資格と同じです。ですから天国に入ろうとすれば、十二名に奉仕し、彼らを屈服させた勝利圏を得なければなりません。そのためにイエス様は、三年かかりました。十二弟子を集め、その時から心情一致させるのに三年かかりましたが、失敗してしまいました。自分の生命よりも、信仰の子女を尊重する立場に立たなければ、復帰はできません。統一教会はそのような条件を立て、現在復帰をしています。ですから、最小限十二名は伝道しなければなりません。

 三名を中心にしたのはどういうことかといえば、中心があれば東西南北、四方が決定されますが、その四方の中で東方の一方しか出入りができないのです。太陽は東から昇ります。ですから、霊界で東方は春を意味します。春の季節を得た立場です。だから再び春が来るには、夏と秋、冬が過ぎるのが原則です。ですから、永遠にサタンの讒訴を受けない立場に立とうとすれば、十二数の完成基準が必要です。(216)

 イエス様は、三年公生涯路程で氏族的メシヤになれませんでした。今この時代は、数多い人類全体が氏族的メシヤの立場を相続できる時代となりました。もう、どの国も例外がありません。統一教会の人々は故郷に帰らなければなりません。約婚段階三年までは、カインを一人つくらなければなりません。その次に、故郷に帰って、妻を中心として故郷のカインと一つとなり、真の父母の立場に立つ期間が三年です。七年期間は、誰でも行かなければならないのです。統一教会は、約婚と結婚後に三年路程が残っています。これは公式です。(217)

 祝福を受けた食口たちを地方に送るのは、イエス様と聖霊の使命を果たさなければならないからです。今は夫人たちが聖霊のような苦労をしなければならない時です。割り当てられた地域が小さくても、そこは天宙の縮小体であるので、そこで耐え忍べば、その地域の復帰は七年を越えないようになります。(218)


  9、祝福は最後の道である

 民族は二つあり得ません。皆さんは民族のための夫婦なので、結婚を一度しかできないのです。同様に世界も二つあり得ず、皆さんは世界のための夫婦なので、結婚を一度しかできないのです。また神様もお二人はあり得ず、皆さんはその神様のための夫婦なので、結婚を一度しかできないというのです。このような観点で皆さんが考え、この行事に参席しなければなりません。(219)

 一度結婚すれば、別れることはできません。別れる場合には、サタンよりひどい立場になるのです。その時はサタンが讒訴するのです。サタンがサタン視します。サタンが「えい、この野郎、私は長成期完成級で堕落したが、おまえは完成級にいる先生を引っかけて倒れるのか。この野郎、そんなおまえが天国に行くって。話にもならない」と言って、サタンが讒訴するのです。サタンよりもっと悪くなるというのです。分かりますか。恐ろしいことです。恐ろしいことです。そんなことがあってはなりません。霊界に行けば、間違いなくそういう場合に引っかかるでしょう。

 そんな内容がないとすれば、何ゆえに先生が今まで苦労をしてきたのでしょうか。先生が皆さんより足りなくて、このことをするのかというのです。このことが絶対的であるから行うのです。堕落した者を復帰しようとすれば、絶対的な信念と絶対的な原則を立てておいて、越えなければなりません。(220)

 祝福を受けて失敗すれば、必ず蕩減があります。間違いありません。そこには許しがありません。ですから統一教会は、恐ろしい所です。これは脅迫ではなく、原理がそのようになっています。

 原理の計画圏には、みじんの許しもありません。この世的な愛を屈服しなくては、神様の理想は果たされません。蕩減条件を徹底的に立てて天宙を復帰すれば、サタンも、讒訴し批判することができません。(221)

 先生は、今まで新しい祝福、新しい家庭のための蕩減条件を皆さんが立てられるようにしてあげ、皆さんの重い荷物に私が責任をもとうとしてきました。しかし、先生が責任を遂行したにもかかわらず、皆さんが天法を犯したとするならば、その罪は数十代の子孫にまでかかる恐ろしいものです。

 もし、統一教会の心情圏を土台として主張してきた人が、自分勝手に交際し、結婚して子供を生んだとするならば、原理の限界を越えて誰が彼らの責任をもつでしょうか。神様も責任をもちません。旧約聖書では淫行や姦淫の罪は、石で打ち殺すようになっていました。それ以上のことはどうしますか。ですから日本においても、そのようなことはもっと徹底しなければなりません。(222)

 祝福家庭である皆さんが天の法度に背けば、不具者を生むでしょう。神様が祝福した胎内の子供を勝手に堕胎した者たちは、どのようになるか、霊界に行ってみなさい。(223)

 祝福の過程を通過した人と、既に霊界に行った多くの人たちとの価値はどのように違うでしょうか。信仰の基準で見るとき、それは相手になりません。このような天的な恩恵を無にするようになる場合には、サタンが皆さんを讒訴するようになります。天使長は長成基準でサタンになりましたが、皆さんは完成基準で堕落したために、サタンが審判するようになります。(224)

 祝福は最後の道です。ただ無責任な世の荒波に押し流されてする結婚だと考えるとすれば、大きな間違いです。この時は、天宙の心情を中心とした貴重な時であるからです。神様の愛を中心として人格を完成し、完成した男女が明瞭な目的観をもっているとき、苦しみや悩みはすべて消え去ります。そのような基準に立つとすれば、この地上に堕落というものはあり得ません。

 今からは、堕落しなかった創造理想の心情圏に満たされ、生涯をかけて感謝の心で過ごさなければなりません。つらいことがあっても、それは皆さんを苦しめるためのものではありません。天に積んでおいた無限な祝福を、より多く恵み与えるためにつらい道を行かせるのです。これは、有り難いことだと言わざるを得ません。

 心情的な愛によって結ばれた夫婦は、愛情で生活圏を形成しなければなりません。永遠なる神様の国に入ろうとすれば、明瞭な目的と信念をもって、神様の創造目的を成す夫婦とならなければなりません。(225)

 私たちが統一原理によって学ぶようになったのは、心情圏です。この心情の基準は、堕落する前の人間始祖の基準を越えたものです。ですから、私たちがもし堕落した場合には、長成期完成級の基準にあったアダムとエバを堕落させたサタンよりも、その罪がもっと重いというのです。サタンもその人を呪います。彼らには救いの道がありません。そのように、大変恐ろしい最後の道があることを知らなければなりません。

 人間の先祖の堕落は、父母圏が確立される前、成長過程で成立しました。しかし今日、皆さんは真の父母と出会いました。ですから、皆さんが堕落するようになるとすれば、それは歴史の限界を超越した結果となり、サタンよりももっと悪い立場になります。皆さんの位置がどれほど貴重な立場にあるのかを、今初めて知ったでしょう。(226)

 祝福は、最も貴いものであると同時に、最も恐ろしいものです。恨み多き歴史路程で願われたのが祝福です。ところが、祝福を受けて、神様の願われる基準と地において祝福してくださった方の願われる基準からずれるとき、神様の讒訴と祝福してくださった方の讒訴を受けるのは当然です。そうなれば、霊界と肉界の讒訴を受けるので、立つべき位置がなくなるというのです。僕の勝利的主管権、養子の勝利的主管権、子女の勝利的主管権を蹂躙したために、彼は三重の犯罪者です。審判を受けるとすれば、彼らから受けなければなりません。それゆえ、今統一教会は、勝利的主管権を回復する運動をしています。(227)

 統一教会で祝福を受けた人たちの中には、こういうことを言う人たちがいます。心霊は上がったり下がったりし得るため、(相対の心霊は)醜くも美しくもなり得ますが、男性の前で女性の顔が醜いのは、どうしますかというのです。何の話か分かりますか。祝福もいいけれども、顔も美しくなければならないのではないかというのです。しかし先生は、それに対しては説明をしません。どれほどものすごく、とてつもない歴史がかかわり合っているか……。このようなとてつもないみ旨を知るようになれば、どんなに醜い女性と結ばれたとしても、彼女が逃げ出すのではないかといって心配するでしょう。大変なことになるというのです。男性はどっちみち、その女性がいなくなれば大変なことになるというのです。

 ところが祝福を受けて、自分勝手にしますか。私が復讐するときを、見ていなさいというのです。天のものは天のものとして残るでしょうし、サタンのものはサタンのものとして消えるでしょう。もし祝福を受けた人たちが、他の所へ嫁に行ったり、妻を迎えて子供を生むようになれば、この地上から消えるようになるでしょう。何の話か分かりますか。ですから祝福を受ける人が、異なった心を抱いて生活を行ってはなりません。このような問題をどう処理すべきでしょうか。これゆえに先生は頭を悩まします。先生が最大の努力をしてでもその道をふさぐことができるとすれば、私がまた十字架を負うことがあるとしても、それをふさいで行けばいいでしょう。しかしそのようにできません。

 そうたやすく捨てることのできる人でないのを知っているので、ただ思いどおりに捨てられないのです。もしそのようになれば、(その人は)裏切り者の辱めを受けなければなりません。それでは、それ(その人が間違ったこと)を正当化させられる一つの基準がどこにあるでしょうか。何の話か分かりますか。そこまで考えながら、悩んでいる先生なのを知らなければなりません。

 この世では、裏切った人に復讐をし、あだを討つのが一つの道理です。神様も御自身を裏切った者たちに復讐する役事を展開させ、サタンを屈服させてこられたのに、許してあげる法度を先生が自ら決定できるかというのです。これが本当に苦しいのです。皆さんはそのようなことを知らなくても関係ないかもしれませんが、先生はそのようなことを直接的に責任をもたなければならないのです。皆さんが誤れば、将来、祝福を受けた世界が全部讒訴を受けるようになるでしょう。思いもよらない結果をもたらし得る恨みの基台が残るというのです。それでは、それをどうしなければならないでしょうか。そのような人たちをどうすべきでしょうか。彼らを死の道に送り、数倍の苦難に出遭わせても、蕩減の条件を立てられるようにしてあげなければなりません。先生はそのような問題まで心配しています。(228)













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