祝福家庭と理想天国
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第五章 完成のための公式路程

  第一節 完成期七年公式路程
  第二節 再創造のための子女たちの責任分担
  第三節 信仰の三子女を通した家庭復帰


第一節 完成期七年公式路程

  1、三時代を一時に蕩減する七年路程

 復帰の道は、一人で行くことのできる道ではありません。必ず祝福という関門を通して、堕落前のアダムとエバの立場である長成期完成級の基準を克服しなければなりません。そうなれば、完成期に上がることができるというのです。そこから祝福を受けた家庭は、七年という期間が必ず必要です。

 蘇生、長成、完成期間をそれぞれ七段階として見れば二十一年になるので、完成基準を立てるためには、七年という期間が必要だというのです。ですから、統一教会に入れば、必ず七年路程を通過しなければなりません。

 私たちは、この七年路程を通して真の父母の心情を継承すると同時に、失われたすべてのものを復帰する条件を立てなければなりません。アダムとエバは、堕落によって万物を失い、サタンにより実体を汚され、心情を奪われてしまいました。このすべてのものを蕩減復帰しなければなりません。すなわち、万物の問題、実体の問題、心情の問題を、神様を中心として完全に結束させて完成期を通過しなければなりません。(1)

 祝福を受けてから七年期間に万物を復帰し、実体を復帰し、心情を復帰しなければなりません。これを横的に見るとき、万物は蘇生であり、実体は長成であり、心情は完成です。これは今までの歴史的な縦的摂理を、横的に全部蕩減する内容となります。

 万物の基準は旧約時代に該当し、実体基準は新約時代に該当し、心情基準は成約時代に該当します。三つが完全に一つにならなければなりません。旧約時代は万物を中心として蕩減し、新約時代は神様のひとり子であられるイエス様を通して実体を蕩減する時代でした。それが勝利的結果となり、心情的基準が生じるようになっていたのです。そのような家庭基準が、祝福を通して地上に初めて立つようになるのです。(2)

 完成基準に上がっていくまでの七年期間は、人類歴史六千年に、再臨主の降臨とともに千年王国時代が来ると言われている、その千年をプラスした七千年の歴史を蕩減する価値があります。この七年間に夫婦が共に勝利した基準を探し立てなければならないのです。(3)

 神様は今まで、六千年の恨み多い罪悪歴史を耐え忍んで摂理してこられました。そして今は、その基台の上に千年王国をお立てになろうとしています。ですから、私たちは七年路程を通してこれを蕩減しなくては、神様の前に立つ資格がありません。六千年の歴史をどのようにして七年間に縮小して蕩減し、これを心情的に引き継ぐことができるでしょうか。これは易しいことではありません。

 先生がここまで来るには、蕩減のためにどれほど多くの代価を支払ったか分かりません。また、瞬間瞬間がどれほど真剣だったかしれません。監獄が問題ではありません。拷問が問題ではありません。首がなくなるのが問題ではありません。そのような中でも、来るべきその一時のために黙々と数十年間、全生涯を歩いてきました。その真剣さは神様を感動させて余りあるものでした。ですから、神様は先生に同情なさらざるをえません。今は先生が黙っていても、全世界の霊能者は先生のために働いています。世界の所々で先生の成功のために霊界が総動員されています。(4)

 この問題は再創造期間です。神様が七日の期間に創造完成できなかったことが恨みとなったので、それを復帰するためには、最小限七年が必要なのです。ですから、その七年は誰でも行かなければなりません。先生は二十一年を経てきました。(5)

 七年路程を行けなくなれば、どうなると思いますか。二十一年路程を行かなければなりません。なぜ二十一年かかるか分かりますか。七年路程を行けないのは、七年を退いていくのと同じです。ですから再び上がろうとすれば七年かかるでしょう。そこに再び七年を行かなければなりません。だから二十一年かからざるをえないのです。何の話か分かりますか。ゆえに、次の七年は生死の血判を押す期間です。(6)

 皆さんが嫁に行き、妻を迎えてこのような闘いの場に出るようになれば、支障が多いです。それゆえ、できる限り七年路程を終えてから嫁に行き、妻を迎えるのがいいでしょう。今まで嫁に行き、妻を迎えた人々は全部よくありません。それでは、嫁に行き、妻を迎えた人々が多いですが、そのような人々はどうなるのでしょうか。今まで嫁に行き、妻を迎えた人々は、歴史的な蕩減の祭物になるというのです。ですから今、娘たちは、七年路程をすべて終えなければなりません。神様のみ旨どおりに、韓国が歓迎することのできる時代にさえなれば、皆さんは一級の婿に出会うことができます。(7)

 この世の人生では、倒れても再び立ち上がって行くこともできるでしょうが、私たちが行く道では、一度倒れれば再び立ち上がって行くことができません。どんなによく信じ、どんなによくできると大声を張り上げる人も、完成の峠を越えなければならないのです。そうでなくては、本郷の地で定着して生きることができません。その本郷の地に入るには、父母の心情を基盤として生命体が復活しなければなりません。そのためには、父母の心情が中心とならなければならず、自分が中心となってはならないというのです。(8)

 原理の道を探していかなければなりません。復帰の道を探していかなければなりません。しかしすべて探し出した後には、原理の道であるので、それ以上探す必要はありません。今まで失敗してきた六千年の復帰歴史は、七年路程を通してすべて蕩減されるのです。ですから、先生が提示した七年路程をみ言どおり実践していかなければならないのです。

 皆さんは、イエス様が十字架を負ってゴルゴタに行く道の上に立ったように、苦難の道は行きますが、死にはしません。個人の荷、家庭の荷、氏族の荷、民族の荷、国家の荷、世界の荷を負って七年間に勝利して、この荷を下ろすことのできるとき、解放の万歳を叫ぶことのできる希望が待っているのです。七年間に僕の立場から養子の立場、息子の立場など、すべてのものを経てメシヤの立場まで行くようになるのです。そのような心をもってこそ、あの世に行っても多くの霊人たちから素晴らしいという言葉を聞くことができるし、高貴な位置に座ることができます。

 この時機がどれほど貴いときなのか、すべてを説明するすべがありません。先生が四十年の路程を行っているのに、皆さんは七年も行けないということはあり得ないことです。(9)

 私たちは、僕の僕から出発しなければなりません。先生はしなかったことがありません。神様の名をかけ、復帰という名のもとに探して行かなければなりません。そうでなければ、僕から養子に代を引き継ぐとき、誰が祝福をしてくれるかというのです。

 僕から養子になる道、この道はたやすく行くことができません。養子から息子になるのはたやすくありません。神様を中心に、息子として来たイエス様も新郎になれなかったのに、私たちがその峠を越えていくことが易しいかというのです。どんなに死を覚悟して行っても、困難な道です。

 また、皆さんが天の国で善なる先祖となり、善なる父母となって、宗教を信じなくても天国に行ける子女を生むことができますか。易しいことではありません。

 また、王のようにあの世に行って、民族的霊界にいるすべての霊人たちに対して、彼らを主管でき、新しい善の先祖としての位置を備えることができるかというのです。

 皆さんは、このことをするために、このような資格を備えるためにこの場に来たのです。レバレンド・ムーンは僕の僕、僕、養子……。すべてのものを経て、この道を歩んできました。私が四十年間の道を歩んできたのに、皆さんは七年も行けないのかというのです。

 今年、私の年は五十七です。私は十六歳でこのみ旨を知り、四十年間この道を歩んできました。(10)

 先生はこの道を開拓するために、一日も楽な日がありませんでした。しかし皆さんの行く道は、先生の苦労によって障害物がすべて除去されました。

 車は工場で造りますが、運転は皆さんが直接すべきです。運転技術を習わなければなりません。先生が車を供給しますが、ガソリンは皆さんが入れて運転をすべきです。それが嫌だとすれば、行く道がありません。同情してあげません。(11)


  2、七年大患難と七年路程

 人間が長成期完成級で堕落したために、完成段階が残っているのです。その完成段階の期間が七年です。蘇生、長成、完成の三段階に七年ずつを全部加えると二十一年、満では二十年になります。韓国の年で見れば、二十一歳、満で見れば二十歳、このときは人間が成熟期に入っていくときです。成熟期に入っていくようになれば、愛の神様が自動的に結婚させてくれるようになっています。

 アダムとエバは、神様を中心として祝福を受け、人類の真なる父母として公約を受けなければなりませんでしたが、それを受けられなかったのです。すべて認められない圏内で堕落し、このような段階を残しておいたために、七年の恨みが残され、六千年歴史に千年王国を加えて七千年歴史の恨みが残されるようになったのです。一年が千年、七年が七千年にまで延長されてきたのです。

 私たちはこの七日を中心として七年で蕩減するのです。これが七年路程です。聖書で一日を一年で蕩減するのを見ることができます。七年路程、これがキリスト教でいう大審判、すなわち七年大患難です。堕落圏内にある家庭が復帰して上がってきて、初めて堕落圏内とは関係のない天の家庭となるのです。そのために迫害を受けるのが大患難です。神様が共にいてくださり得る家庭が迫害を受けるのは、歴史上初めてです。だからこれが大患難だというのです。歴史上初めてであるこのような家庭が、迫害を受ける、試練を受けるのが大患難です。この七年路程で責任を果たせない家庭は滅びる家庭です。上がっていく家庭ではありません。

 祝福家庭が責任を果たせなくなれば、七年路程は延長されるのです。アダムとエバが原理結果主管圏、すなわち間接主管圏で堕落することによって、人間が行くべき圏内をサタンが侵犯し、したがって間接主管圏全部をサタンが主管するようになりました。七年大患難というのは、迫害を受けるべき人が受けるのではなく、迫害を受けてはならない家庭と人々が受けるのです。これが七年大患難であり、歴史上初めての患難です。これが統一教会でいう七年路程です。(12)

 父母が誤って、人類の前に苦難の基準が立てられたのです。ところが、先生が父母の立場で責任を完結したので、子女の立場に立った皆さんは、すべての迫害と讒訴の基準を越え得る立場へと出発できるのです。この期間がまさに七年路程です。

 この七年路程は、誰もが皆行かなければなりません。優れた人、足りない人、その誰を問わず、皆行かなければなりません。堕落した後孫として生まれた人間ならば、誰しもこの路程を歩まなくては、絶対天国に行けません。(13)

 聖書には出ていませんが、元来はイエス様も、二十七歳から三十三歳までの七年間を中心として出発したのです。そこから四十歳まで第二次七年路程であり、イエス様が二十歳から始めていれば、それが三次七年路程になります。そのようにしてイエス様は四十歳までに世界的な基盤を築かなければなりませんでしたが、民族が従わなかったことにより死んでいったので、それが聖書に七年大患難として残っているのです。

 ところが今日、キリスト教徒たちは聖書の七年大患難が何であるかも知らずに、ただ七年大患難が起きるといって騒いでいます。イエス様はダビデ王の代身です。それでダビデ王四十年、ソロモン王四十年、サウル王四十年、このように四位基台を中心として役事しなければならなかったのです。それゆえ、四十数を満たさなければならなかったのです。

 先生も統一教会を中心として、満四十歳の時である一九六〇年度を中心として、天的なプログラムの向きを変える基盤を築きました。それゆえに、世界は一九六〇年度を中心として新しい歴史時代に入っていくというのです。歴史家たちは外的な結果だけ見ているのであって、その内的な動機がどうなっていたのかを知らずにいます。それで、この七年期間に世界がすべて混乱状態に入っていき、共産世界が滅び得る運勢圏まで到達するのです。民主世界と共産世界が全世界を指導することのできる権限を喪失し得るときが、七年路程ときっかり合うのです。ですから、日時が少しかかるでしょうが、これからは神様だけが世界的に発展し得る時代になったのです。皆さんはもう活動をしても怨讐と闘わなくてもよく、皆さんが活動したのを、直接皆さんの収穫として収めることのできる自由な環境に置かれました。(14)


  3、祝福を受ける位置は完成した位置ではない

 祝福はその人を祝福するのではなく、その位置を祝福するのです。(15)

 祝福をしてあげるとき、まず第一に「あなたたちが失敗するときは、あなたたちが責任を負うか」と尋ねているのです。それゆえ、条件的な祝福です。なぜ、条件的な祝福でしょうか。皆さんに万物を主管せよといえば、まだサタンが讒訴するというのです。祝福はそのような人々にしてあげるものではありません。サタンを屈服させた人々に祝福してあげるのです。それが原則です。しかし、皆さんがそのような基準まで行けなかったので、仕方なく条件的な祝福をするのです。ですから皆さんは、将来もう一度祝福を受けなければならないのです。(16)

 勝利的主管圏の切符を受けるのが祝福だというのです。先生が祝福した家庭は、三年路程だけではなく、四年路程も経なければならないので、まだ完全な祝福を受けたのではありません。この四年路程の中で闘って倒れてはなりません。ここで引っかかってはならないというのです。それだけでもいけません。その次には、世界的な路程を完全に越えなければなりません。そのような過程を経ていってこそ、三次の祝福を受けることができるのです。(17)

 皆さんに祝福をしてあげたのは、氏族的基準からしてあげたのです。皆さんは、一つの国を代身して祝福を受けました。三次の祝福を受けなければなりません。皆さんがつまずいても、それが、子供たちに影響を及ぼしてはいけないので、子供たちは先生が祝福しなければなりません。第二段階を越えてこそ、先生が安心することができます。(18)

 一つ皆さんが知るべきことは、皆さんが祝福を受ける位置は、完成した位置ではないということです。父母が歩んでいった十字架の橋があるならば、その橋をそのまま歩んで行かなければなりません。飛んでいくことはできないのです。山の頂上に登るには橋を渡らなければならないというとき、危険から逃れるためにその橋を鉄筋で完備することができるかもしれませんが、橋の上を行くことは、どうすることもできないというのです。それゆえ、先生が歩んでいった七年路程は、永遠に残されるのです。個人的七年路程と家庭的七年路程があるのです。この道は永遠に残されるのです。人間は長成期完成級で堕落したために、そのまま完成段階に上がることはできません。私たち人間が長成期完成級で堕落したために、堕落したその線以上に上がっていってこそ、初めて原罪を脱ぐことができるようになっているというのです。長成期完成級で脱ぐのではありません。そうではありませんか。

 したがって、きょう皆さんが祝福を受けようとしているこの場は、完成期完成級ではなく、長成期完成級だという事実を知らなければなりません。堕落したアダムとエバを中心としてカイン、アベル、セツと、彼らの対象を含んでアダム家庭の八人家族が、すべて離れて下がっていったために、神様の前に蕩減条件を立て、再び完成級に向かっていく立場なのです。

 そこでは父母の愛を感じなければならないのです。生命の起源は、父母の愛を通して生まれたのです。このような生命の価値を世界のその何よりも尊重視することのできる、その立場を経ることによってのみ、新しい道を行くことができるというのです。原理がそのようになっています。(19)

 統一教会の七年路程は、どのような人であろうと行かなければならないと言っていますが、それは何ゆえでしょうか。まだ人間が行くべき完成期が残っているからです。原理主管圏内には、三段階の成長期間がありますが、その期間は完成期間まで二十一年、すなわち二十数に該当する期間です。したがってアダムが完成するためには、完成期までの二十数に該当する満二十歳を中心として、完成期まで上がっていかなければならないのです。しかし長成期完成級で堕落したため、完成期完成級まで上がっていこうとすれば、七年が残っているのです。

 成長期間は三段階であり、一段階は七年に該当します。言い換えれば、アダムとエバが長成期(二段階×七年=十四年)から完成期まで上がっていって完成しようとすれば、七年が残っているのです。まだ七年路程が残っているというのです。ヤコブが七年ずつ三回にわたって、二十一年路程を歩んだのも、み旨に対することのできる一つの家庭的勝利の基点になる期間が二十一年だったからです。このように完成期までの期間が二十一年路程だというのは、ここからすべて証明されるのです。

 それでは、今後人間が行くべき路程の前には、何が残っているでしょうか。真の父母を迎えることによって大勝利をすることではありません。真の父母はどこまでも完成期で現れるのではなく、長成期完成級で現れなければならないので、この七年という過程を経なくては、完全勝利の結果をもたらすことができないのです。これは原理的な内容です。それゆえキリスト教で主張する七年大患難という言葉が出てくるようになったのです。ここで統一教会員が知るべきことは、七年路程は嫌だろうと好きだろうと行かなければならない路程だということです。(20)

 「私、祝福を受けたからいいだろう! じっとしていれば天国だ!」。そのように座っていては撲殺されるのです。祝福を受けても完成段階ではありません。皆さん七年路程を学んだでしょう。このような複雑な内容を知って責任を果たしてくれる人がいないので、全能であられる神様も仕方なく今まで引っ張られてきたのです。

 皆さんが祝福を受けるとき、「私たちは神様の原理原則に従って祝福を受けた。きょうから一つになった」と言いますが、一つですか。再び夫婦が再創造しなければなりません。互いに再創造しなければなりません。怨恨の夫婦の深い溝を埋めるべき道が残ったのを、統一教会の祝福を受けた者たちが忘れてしまったなら滅びるのです。先生がいくら滅びないといっても滅びるようになっています。夫婦二人は、神様が願う理想的復帰完成の夫婦を目指して、再び再創造の過程を経なければならないのです。それで統一教会では、個人復帰完成、その次に家庭復帰完成をいうのです。(21)

 「私」一代においては、「私」個人の十字架、妻に対する十字架、子供に対する十字架、この三代の十字架が厳然として残っているということを、皆さんは知らなければなりません。イエス様もここに引っかかって亡くなられました。「私」個人の信仰の道は、易しいようですが、死ぬことより難しいのです。ですから、信仰の道は副業ではありません。信仰の道は副業ではないのです。今日、副業をする人が多いです。この人たちは全部、賃金労働者です。市日が変われば、場所を変える人たちです。賃金労働者になってはなりません。商売をするとしても、その場所に定着しなさいというのです。誰も侵犯できない固定された場所を占めて生活しなければなりません。「おまえ、統一教会に来て死ぬつもりか」と言えば、「考えてみなければならん、生きるのは今であって、死ぬのは後だ」と言ってはなりません。この生命が死ななくては、生き返ることができないのです。(22)


  4、父母の位置を復帰するための七年路程

 堕落した人類の前には復帰の過程が残されているので、その過程を父母になり得る人が全部修めなければなりません。その次にはこのような過程を、ある中心家庭が現れ、世界を代表して修めてくれなくては、皆さんが神様の前に帰っていく道がないのです。だから、皆さんは公式路程を経ていかなければなりません。公式だけ知って、そのまま行えば解かれるのです。

 皆さんは祝福を受けましたが、息子・娘がなぜ必要ですか。長成期完成級から完成期完成級までの七年期間は、皆さんの息子・娘を立てておかなくては上がっていけないというのです。本来、堕落しなかったならば、アダムが神主管圏内から完成期完成級まで行くことができました。それで、堕落しなかった立場に立ったアダムとエバと同じ息子・娘を立てなくては、行くことができないのです。そうしながら、天使と同じ実体的三子女、すなわち霊的子女を、その父母はサタン世界の誰よりも愛しながら、三年過程を経て上がっていってこそ、父母を中心として一つとなることができるのです。そのようにして、息子と父母が一つとなり、天使が一つとならなければなりません。そうしてこそ、上がっていけるのです。堕落した父母の立場ではなく、堕落しなかった父母の立場に立ち、堕落しなかった息子・娘を生んで完成期完成級まで上がっていかなければなりません。

 この完成級というのは、息子と父母、そして天使もすべて復帰された立場なのです。だから天使の立場、父母の立場、息子の立場、この三基準が横的に一つとならなければなりません。横的にそのような道を修めることによって復帰されるのです。(23)

 本来、アダムとエバがつくられたとき、神様と天使長の協助を受けてつくられたのと同じように、復帰過程においても神様と天使長とアダムが一つとなって初めて、神様の息子・娘を復帰することができるというのです。それによって、父母が復帰されるのです。

 この父母はどんな父母かといえば、息子を生むには生んだけれども、サタン世界にも接することができ、天の世界にも接することができる、その境界線に立った父母となりました。その境界線で子女を生んだので、完成級を目指していくことのできる、すなわちアダムが堕落しなかった圏内に立ったのと同じ立場で、子女と夫婦が出発しなければならないというのです。そこから七年間を行かなければなりません。蘇生期七年、長成期七年、完成期七年の中で、これは完成期七年に該当するので、七年間に越えていかなければなりません。そうすることによって天使長を復帰し、その次に堕落したアダムを復帰するのです。

 アダムとエバが堕落圏内から長成期完成級を越えたことが父母復帰です。堕落によってサタン主管圏に落ちましたが、堕落前の立場に立ったというのです。堕落するとき夫婦同士堕落したので、復帰された夫婦と同じなのです。

 ここからこの復帰された夫婦が父母の立場に上がっていこうとすれば、息子を仲立ちにしなければなりません。自分一人では上がっていけないのです。息子を仲立ちにして上がらなければなりません。なぜそうなのかといえば、今日皆さんが二つの世界に関係をもっているからなのです。だから息子・娘を探し立ててこそ、祝福を受ける立場に出ていくのです。それが復帰の過程です。(24)

 直系の子女であるアダムとエバが愛を失ってしまいました。アダムとエバ二人が失ってしまったので、二人が愛を中心として生みながら復帰しなければならないのです。統一教会の祝福は、この立場に二人を立て、子女を繁殖しながら上がっていくのです。これが祝福なのです。完成圏は直系の子女の名で上がっていく圏です。

 そこに上がっていくには、七年路程を行くべきです。ですから七年路程を行くべきですか、行かなくてもいいですか。行きたくない人は、やめてもいいです。(25)

 真の父母の分身体となり、堕落圏(サタン主管圏)を越えなくては、復帰されないのです。ここにいる皆さんも、皆さんの氏族の前には真の父母格です。皆さんの氏族と宗族を中心として見れば、皆さんは真の父母の立場なのです。これは理論だけではありません。実際がそうなのです。(26)


  5、霊界と肉界を蕩減復帰するための七年期間

 皆さんは伝道も何も構わずに、先生だけについてまわればいいでしょう。しかし、それは先生が願いません。そのような人が付いてくれば憎み、手荒にあしらいながら、行けとけり出さなければならないというのです。なぜそうでしょうか。蕩減がいまだになされていないというのです。サタンから「この人は神様の息子・娘であり、地上天国から天上天国にいける資格を備えた」という公認を受けることができないというのです。

 さあ皆さん、先生だけにただついていきますか。サタン世界に出ていきますか。また、行ったとしても、サタン世界でうまく生きようとして行くのですか、死の絶頂の道があっても耐えて行こうというのですか。神様を愛するのと同じように、または、レバレンド・ムーンを愛する以上に、サタンを愛するといっても神様とレバレンド・ムーンは讒訴しません。なぜでしょうか。そこに皆さんの霊的息子・娘がいるからです。

 霊的息子・娘を探し出せなければ霊界を解放することができず、実体の息子・娘をもてなければ肉界の堕落圏を抜け出すことができないので、神様やレバレンド・ムーンよりもサタンをもっと愛する立場に立ったとしても、神様とレバレンド・ムーンは反対せず、歓迎するということを知らなければなりません。だから、三年半は霊的息子・娘を探し、その次には、結婚して息子・娘を生まなければならないというのです。これを七年間にしなければならないのです。

 七数を完成できなかったことによって霊界と肉界を失ってしまったために、七年期間において霊界と肉界を蕩減復帰しなければならないという事実を知らなければなりません。そうでなくては先生についていけないというのです。この公式に従わなくては、絶対に先生が行く天国についていけません。先生もこの公式に従っていかなければならないので、苦労をしながらこの道を行くのです。(27)

 サタン世界は何かというと、天使世界であり、堕落したアダムの世界であり、堕落したアダムの息子・娘の世界です。ところで、彼ら三人が一つとなって神様の前に敬拝することによって、その世界に行って探し得る道が生じるというのです。そのようにしておいてこそ、皆さんの後孫と人類が皆さんに従ってくることができるというのです。同様に、自分の氏族と民族と国家と世界が、自分が修めた道に従ってくることができるのです。先生が死んだ後にも、百年、千年、これが復帰されるときまで、この公式が反復されて一つになっていくことができるというのです。(28)

 レバレンド・ムーンはこのような道を歩んできて、このように生きてきたのです。個人的に、家庭的に、氏族的に、そのような路程を歩んできて、国家的に、世界的にそのような道を歩んでいっており、天地をかけてそのような道を行っているのです。だから、ここから解放という言葉が言えるというのです。個人解放、家庭解放、民族解放、国家解放、世界解放、天宙解放を完遂し、後には神様まで解放してさしあげると、宣布をすることができるという結論が出てくるのです。そのような言葉が信じられますか。

 そのような内容があるので、天使圏が解放され得る基盤を築くことができました。そのような霊的基盤を中心として、実体世界にも天使圏、父母圏、子女圏を築いておかなければならないのです。(29)

 父母と子女は、実体世界に行って探してこなければなりません。霊界には、アダム世界がありません。天使世界だけ復帰されています。それで、肉的父母、肉的息子が地上に来て、肉的天使世界、肉的父母世界、肉的子女世界を探し立てるようになれば、これが新しい地上天国圏です。堕落することによって失ってしまったので、天使長と父母と息子・娘が一つとなれば、そのようになるというのです。

 だから、統一教会員は三年間に霊的な子女、三人の息子・娘を立てなければ、祝福を受けられないということが、ここではっきり分かったでしょう。メシヤは、地上にこのような基盤を構築するために、再び来なければならないのです。キリスト教で信じているように、雲に乗ってメシヤが来たならば、人類が滅びるというのです。

 堕落は霊界でしたのではありません。霊界で病気になったのではなく、地上で、肉身で病気になったのです。天国を地上で築いて行く前には、天上天国は絶対ありません。地上天国を築く前には、天上天国に行って住むことはできないのです。

 それゆえイエス様は、天国の門の鍵をこの地のペテロに与えたのです。だからマタイによる福音書一八章一八節に「あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれる」と記録されているのです。この原則を知らなくては、聖書を解く道理がありません。統一教会は、神様が立ててくださった権威と自負心をもって、この世界からサタンを追放してしまい、サタン世界から人類を解放しなければならないのです。

 病気になったので、病気を治すためには、薬が苦いとしても、それを飲んで治さなければならないということが分かったでしょう。

 このような理論的な根拠による神様の救援摂理の公式がありますが、今日、キリスト教徒たちが信じ、天国に行こうという考えは誤りなのです。統一教会が異端ではなく、そのような誤った信仰が異端です。だから、本物が偽物のようで、偽物が本物のようであるのが、終わりの日の現象です。先生は科学を勉強した人です。数学を勉強した人です。盲目的に信じないのです。(30)


  6、ご父母様の七年路程と子女たちの七年路程

 皆さん自身を中心として見ると、皆さんに七年路程がいつあったでしょうか。先生が七年路程を立てたときから家庭的な七年路程をすべて行くまでの期間が、先生にとっての二十一年路程です。アダムとエバが長成期完成級で堕落したために、長成期完成級の位置までは、家庭が行く路程ではなく個人が行かなければならない路程なのです。先生の立場では、個人として行くべき第一次七年路程と第二次七年路程を既に経たために、家庭を中心として完成期に向かって第三次七年路程を行かなければならないのです。このようにして立てられた七年路程だということを、今日、統一教会の信徒たちは忘れてはならないのです。わが統一教会が六〇年度に出発した第一次七年路程は、先生個人を中心として見ると第三次七年路程でした。

 このようなことを推してみると、皆さん自身の七年路程期間はいつでしょうか。人間は、誰でもこの七年路程を行かなければなりません。これは絶対的な公式です。この七年路程は誰が行かなければならないのでしょうか。家庭が行かなければなりません。この七年路程を経て長成期完成級を越え、神様の直接主管圏まで上がっていかなければならないのです。これは一人ではだめなのです。長成期完成級で人間が堕落することによって、神様と人間が互いに分かれてしまったのです。ですから、神様を中心として結束しなければなりません。先生にはそのような基盤があるので、皆さんの家庭が滅んだとしても先生の家庭は滅びません。言い換えれば、完成圏内に立った先生の家庭は、完全に神様に侍ることのできる基準にあるというのです。先生が完成圏内に入ったその日が、誰でも平面的に迎えられる父母の日であり、誰でも迎えられる子女の日であり、誰でも迎えられる万物の日であり、誰でも迎えられる神様の日です。ですから、個々人が迎えることのできる日だというのです。これを皆さんははっきり知らなければなりません。(31)

 今までの祝福は、完成基準での祝福ではありません。

 先生を中心として神の日、父母の日、子女の日、万物の日が、世界的、天宙的に決定されました。皆さんはその圏内において祝福に参与することができても、その道をまだ行きませんでした。実際は皆さんを中心とした父母の日が出てこなければなりません。新しい氏族の先祖としての、真正な父母の日を迎えられなければならないのです。木村さんなら、木村さんによって父母の日が生まれてこなければなりません。そして木村さんを中心として、子女の日と万物の日を立て、そのような基台の上で神の日を決定し、勝利の旗を立てて永遠にはためかし得る日を迎えなければならないというのです。このような旗を揚げて出発したのが、第二次七年路程です。

 私たちは、長成期完成級で勝利した者、すなわち堕落しなかった立場に立っているのです。神様の権勢をもってサタンを退け屈服させていくのが、私たちの叫んでいる「全面的進撃」です。これは先生だけに限られた路程ではありません。全世界の食口たちが行くべき路程です。男性も女性も、老いも若きも、皆が行くべき路程です。第二次七年路程を通して全面的進撃を敢行しなければなりません。(32)

 二次七年路程とは何だと思いますか。復帰された家庭を立て、七年路程を行かなければなりませんが、これが第二次七年路程なのです。

 それでは、なぜ二次七年路程を行かなければなりませんか。統一教会が家庭を探さなければならないからです。分かりますか。統一教会は家庭のための宗教なのです。個人のための宗教ではありません。今までの宗教は個人のための宗教でしたが、統一教会は家庭のための宗教です。それでこそ新しい国を建てることができるのです。過去の宗教は一人、すなわち個人を主としていたために、国を探すことができませんでした。家庭を築くことができなかったために、国を建てることができなかったというのです。霊的な国しかありませんでした。この地上に国の基盤を立てることができなかったのです。それゆえ、先生が二次七年路程を越えていったのです。

 今、神の日を決定しようとすれば、先生が三次七年路程を越えていかなければなりません。完成段階の基準をもって、神様の愛を証できなければならないのです。そのような段階を越えてこそ、神の日を決定することができるのです。(33)

 先生はサタンと対決し、家庭的段階を越えることのできる一つの基盤を立てたのです。これは世界史的な勝利です。今こそ、天下を私の麾下に置き、神様に向かって行くことのできる自由な時代に入ったのです。しかし、第二次七年路程を行かなければならない皆さんには、家庭的十字架を負うべき基準がいまだに残っています。ですから、皆さんは先生と一つにならなければならないというのです。先生を信じてついてこいというのです。三年期間だけ絶対服従して過ごしてみなさいというのです。ところが、この期間に服従できず従順になれなければ、いろいろと複雑な問題が生じるようになるのを、皆さんは知らなければなりません。

 皆さんが家庭的受難の道に入ったために、先生が皆さんに苦労しなさいと言ったのです。苦労しなさいというのです。皆さんが個人的な受難の道を越えて家庭的な受難の道を迎えたので、これが福でないのかというのです。皆さんはそれを知らなければなりません。(34)


  7、個人的七年路程と家庭的七年路程

 皆さんは先生を通して祝福を受けなければなりません。これが蘇生祝福なのです。この祝福は完成級の祝福ではありません。堕落圏内において長成期完成級を越えるためのものです。祝福を受け、信仰の三子女がいれば、長成期完成級を越えるのです。その次に七年路程があるのです。祝福を受ける前にも七年路程があり、祝福を受けた後にも七年路程があるのです。先生もそのような路程を経てきました。(35)

 家庭的七年路程がある前に、皆さんの個体の七年路程がなければなりません。歴史過程で家庭を築くための長成期完成級までの成長過程があったのと同様に、準備された期間がなければならないというのです。歴史はそのような期間を中心として編まれてきました。

 今までの六千年の歴史は、七千年の歴史へと越えていくための神の復帰摂理時代に該当する期間です。神様はこのような七千年の歴史を経て、一人の完全な男性を捜し出すのです。それゆえ、七年路程を行かなければならないのです。

 しかし、堕落した人間たちは七年だけで終わることができないのです。蕩減する七年期間がなければならず、成就させる七年期間がなければならないというのです。何の話か分かりますか。

 言い換えれば、堕落する前の基準まで捜して上がっていく七年期間があり、そこから闘って完成の立場まで行くべき七年期間がなければならないというのです。蕩減するための七年期間と成就するための七年期間が残っているというのです。(36)

 ここにいる皆さんは七年を越えましたか、もう一度七年路程が残っていますか、残っていませんか。皆残っているのです。これが今祝福を受けた家庭が行く、まさにその路程なのです。この道を行くことができなければ、皆さんは祝福を受けても天国に入籍され得ません。天国の門はすべて開いていますが、この七年路程を越えられなければ入ることができないのです。礼服を整えられなくては、入ることができないのです。行けないというのです。

 先生が皆さんにこのような原理の内容を教えてあげたにもかかわらず、もし皆さんがこれを実践できなくなるとき、先生は責任を負いません。皆さんが原理的見解をもって原則的な責任を負う立場に立つとき、先生が皆さんの責任を負うのです。分かりますか。

 祝福を受けた後に、一度は別れなければなりません。だから今回、先生が祝福して少なくとも六カ月間、全部引き離そうと思います。皆さんは全部南北に別れて、今、自分が復帰され得る道を探し越えていかなければなりません。これをしなければ、祝福を受けても天国に行くことができないのです。これは原理的です。分かりますか。(37)


  8、家庭完成を要する時代

 今まで皆さんは個人的な蕩減時代を経てきました。そして皆さんが個人的蕩減時代を経てくるとき、先生は家庭的蕩減時代を既に経たのです。家庭的蕩減時代を経たので、神の日、万物の日、子女の日、父母の日が現れたのです。しかし皆さんは、今までそのような基準を備えることができませんでした。皆さんは家庭を中心とした巣がありますか。父母の日、子女の日、万物の日、神の日がありますか。ないというのです。ですから皆さんは、今まで個人的な蕩減路程を歩んできたのです。

 今は、家庭を完成しなければならない時代です。統一教会の完成圏には、歴史上のその誰も加担できず、参席できなかった聖なる立場があります。そのような聖なる立場に皆さんが加担できるのは、祝福の恩賜を受けた家庭だからです。祝福家庭でなくては加担できないのです。

 完成基準に入るようになれば、堕落しなかった父母の日を迎えるようになるのです。人間始祖が長成期完成級で堕落し、家庭的に下がっていったので、これを再び探して上がっていくためには、個人ではない家庭が探して上がっていかなければならないというのです。個人は入っていくことができないのです。言い換えれば、完成し得る復帰的な家庭を備えて参席しなければならない立場が完成段階なのです。それゆえ、その立場は一人で参席することができないということを、皆さんははっきり知らなければなりません。

 たとえ腕がなく、足がなく、目がつぶれ、鼻がつぶれたとしても、私たちは相対の理念をもって参席し得る特権的な内容を付与されたために、今は家庭的に蕩減することのできる世界史的な勝利を立てて行くのです。(38)

 今日、イエス様を信じる人は全部天国に行くと言いますが、彼らが言う所は天国ではなく楽園です。イエス様が今までどこに行っているかといえば、楽園に行っています。新婦を待ち焦がれ、望む、そのような基準が残っているので、天国に行けないのです。天国に入れるその道を望みながら、今まで来ているのです。

 本来、創造原則による天国は、家庭を中心として入っていく所です。父母が入り、子供が入り、自分の一家全体、一族が入ってこそ幸福なのであって、父母は地獄に行き、子供だけ天国に行けば、それが何の天国でしょうか。

 ですから、統一教会がこれから天国に行くことのできる道を築くにおいて、家庭的な基準を立てなければなりません。そうでなくては天国に行けません。家庭を中心として、サタンが讒訴し得る基準から脱しなければなりませんが、歴史的な讒訴基準、時代的な讒訴基準から脱しなければなりません。そのためには、このような復帰の公式路程を経なければならないということを知らなければなりません。迫害がなく自由な、この平面的な環境で、皆さんがそれを解決し得る期間が第二次七年路程だということをはっきり知らなければなりません。(39)

 皆さんが個人的な十字架の路程を経てくるとき、誰が先に開拓しましたか。女性たちがしたでしょう。それでは、完成段階の基準は誰ゆえに狂ったでしょうか。エバによって狂いました。それで家庭を中心にした十字架もエバが負わなければならないのです。ですから皆さんが涙して行くその路程を、息子・娘も喜ぶでしょう。復帰の道を行くべき血涙流れるこの路程で、後方にいる幼い子女たちと力を合わせて心情的十字架を後押しし、一つになり得てこそ、家庭がうまくいき完成段階に越えていくことができるというのです。

 このように天の国に完成級を橋渡しすることのできる女性として登場したという条件を立ててこそ、来られる主の前に愛を受け、天の法度を立て得る親族の圏に入っていくことのできる条件を、初めて蕩減できるというのです。

 このような使命が女性たちに残っているのです。この結婚を通してなされるのではないというのです。皆さんは長成期完成級段階にいるのであって、完成段階を越えたのではありません。このすべてが、女性たちが蕩減すべき内容です。

 それでは、どのように蕩減していくべきでしょうか。今までの復帰歴史過程と同様に、母と子供が母子協助過程を通して行かなければならないのです。それゆえ、皆さんは赤ん坊をおぶってでも苦労の道に出なければなりません。この限界を超えるために、先生が七〇年度から皆さんを苦労させようとするのです。(40)

 民族的な使命のために内外の因縁を備えていかなければならないので、祝福という名詞をかけておき行くのです。七年路程は苦労する期間なので、祝福家庭を三千里津々浦々に散らしたのです。(41)


  9、摂理の先頭に立つべき女性

 過去、イスラエル民族においては男性たちが祭司長になりましたが、今日、我々の時代において、どうして女性たちを先頭に立てたのでしょうか。過去に、第一次イスラエルにおいて、ユダヤ教は天使長の国家型であったため、男性を中心として祭司長の責任を果たしましたが、今日、復帰時代においてはエバが祭司長の責任を代身しなければならない時代圏内に入ってきたので、統一教団においてはどんな時代にもなかった、すべての女性たちを代表して、その誰もができない世界的な祭司長の責任を果たす立場に立てられたということを、皆さんは知らなければなりません。

 エバが堕落することによって、人類を滅亡のるつぼに追い込んだすべての事実を再び蕩減するために、エバを一緒に立てておいて、アダムになり得る人々はここに一つになるようにさせるのです。その夫婦が歴史的な全体人類を代身し、祭司長の責任を果たし得る立場に立たなければならないということを皆さんは知らなければなりません。

 その夫婦だけでなく、育っている自分たちの子女まで、自分の母(が苦労する)ゆえに心配をし、自分の父ゆえに心配し得る立場に立ったので、天の前に祭司長の責任を果たす四位基台、言い換えれば、歴史上になかった祭司長の家庭的責任を果たすことによって、今日、民族的家庭復帰の土台が築かれるのを私たちは知らなければなりません。

 このような重大な使命を果たすために、今日、婦女子が一線に出ているのを知って、統一教会の食口ならば精誠を尽くさなければならないのです。彼女たちよりよく食べ彼女たちより楽に暮らす人がいるとするならば、その内実において、彼女たちよりも苦痛をより感じ、心でより精誠を尽くすその何かがなければなりません。それがなくて彼女たちより楽に過ごす人がいるとするならば、この人は統一教会員だということができないのです。

 このような立場から見ると、夫は妻以上の精誠を尽くすべきであり、今ようやく話せるようになった赤ん坊までも、祈祷をもって「私たちのお母さん、お父さんが願うそのみ旨を、天よ、成してくださいますように」という家庭が、統一教会の祝福を受けた家庭の中になければなりません。その数が多ければ多いほど、これは新しい歴史を復活させ得る四位基台の土台になるのを皆さんは知らなければなりません。(42)

 復帰時代において誰がまず先頭に立ったでしょうか。エバがまず先頭に立ちました。(43)

 女性たちを通して、男性たちが初めて神様の血族圏内に入れます。(44)

 このときにおいて家庭が果たすべき責任は、堕落がエバによってなされたので、男性ではなく、妻が果たさなければなりません。(45)

 家庭を一線に出すにおいては、夫より妻を出さなければなりません。(46)

 我々祝福を受けた婦人が先立たなければなりません。(47)

 復帰摂理を見ると、個人的に女性が前途を開拓しなければならず、その次には教会を代表した家庭の女性が一線に出てサタンと闘わなければならず、その次には民族を代表した女性が先頭に立って闘うべき時があります。(48)

 処女時代、六〇年代は開拓を処女たちがしました。七〇年代は開拓を家庭の女性たちがしなければなりません。七〇、八〇年代に入っては、大韓民国の女性が全部一つにならなければなりません。人民軍を屈服させるのは、統一教会の女性がしなければなりません。国が一つになる日に、一千五百万の女性をすべて動員するようになれば、人民軍を一気に全部屈服させることができます。統一教会の思想だけがそのようにすることができるのです。だから蘇生(処女時代)、長成(家庭的女子時代)、完成(国家的女性時代)、南北を統一するにおいて、エバが国家的な伝統を立てるにおいて、世界的な伝統を立てるにおいて、(エバが滅ぼしたので)女性が貢献しなければなりません。今まで縦的な役事は男性がしてきました。ですから、横的な役事を女性が開拓することによって、女性が初めて縦的な責任を果たしてきた男性の前に相対として立つことができるのです。

 そうでなければ、女性がいつ、天の前に何の功があるといって立つことができるのでしょうか。だから統一教会の女性を動員したこの思想は、大韓民国において主婦がすべき伝統的な思想として残るのです。それゆえ、正しく植えなければ大変なことになるのです。既成教会の夫人を動員し、この国の国民の夫人を動員し、国の大統領夫人からすべての長官夫人まで動員し、国を生かすために三十八度線を転覆させ得る、決意ある軍事訓練をさせておけば、以北の共産党が問題ではありません。(49)

 女性たちも共産党を解放させなければならず、我執におぼれた宗教人を解放させなければなりません。韓国の歴史を見ると女性が先立って闘った場合が多いです。(50)

 太初に、エバは神様と一つになれなかったために堕落したのです。生命を失ってしまう恨みがあっても、神様の命令に順応しながら、死の道も快く行っていたなら堕落はなかったでしょう。ですから今日、わが統一教会の女性は死を覚悟し、神様をつかんで行かなければなりません。(51)













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