祝福家庭と理想天国
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第二節 再創造のための子女たちの責任分担

  1、再創造時に必要な条件

 皆さんに必要なのは本然の状態です。そこには神様と天使長、アダム、エバ、万物がありました。このすべてのものは、結局何を中心として連結されたのかはっきり分かったでしょう。愛でなければならないというのです。

 「私」を中心として真の愛をもつためには何が必要かというと、三天使が必要です。男性は女性が、女性は男性が必要です。しかしサタンが介入し、この世界は神様の愛ではないサタンの愛によって連結されています。

 これを蕩減するためには、失ったときの反対方向へ探していかなければならないので、信仰の三人の息子が必要です。三人は三天使を意味します。またアダム家庭で八人の家庭が堕落したので、三人の息子と三人の娘を復帰する立場に立たなければなりません。それで統一教会では、信仰の三子女が必要だという言葉が出てくるのです。

 その次には万物を探し立てなければなりません。統一教会で行う万物復帰は万物を探し立てるための条件になるのです。サタン世界に属している万物を天の側に探し立てるのです。神様が万物をおつくりになりアダムとエバを創造されたので、アダムとエバの再創造には万物がなくてはならないのです。それでサタン世界に行って万物を取り戻してこなければなりません。それも、最も精髄を抜き取ってこなければなりません。

 世界が反対し迫害する立場から万物を探してきました。本来、万物は真の愛の土台の上で所有するようになっています。「私」が万物に対して真の愛で愛したので、すべての物を伝授された、というと、サタンも讒訴できないというのです。それでサタンが愛する以上に愛してあげなければなりません。

 十一条はこのような条件を立てるのです。神様の前にすべてのものを探し立てる条件として十一条が現れるようになりました。九は三掛ける三で九段階、すなわち天の側を意味し、十数は天の側に帰ることを意味します。そのような意味から、サタン世界に行って取り戻してくることを意味します。

 「私」は、人類を愛し、世界を愛し、神様を愛するにおいて、サタンより勝るという条件を立てなければなりません。再創造するには万物が必要です。(52)

 万物復帰をしなければ、万物を愛したという条件を立てることができず、信仰の息子・娘三人がいなければ、「私」が天使長を愛したという条件を絶対立てることができません。堕落しなかった本然の位置まで行ったという条件を立てなければなりません。万物を愛し、天使長を愛した土台の上で、神様に対し得るその位置を探していくのです。このようにして、アダム家庭で失ってしまった八人家族を再び探し立てるのです。このような条件が成立されることによって初めて、神様を中心として上がっていくことができるのです。(53)

 堕落は、天使長がエバを愛し、アダムを愛したことによってもたらされた結果でした。原理的には、アダムがエバを愛し、エバが天使を愛さなければならないのです。その結果、堕落した天使長がサタンで、アダムとエバはその後孫の立場になりました。それで、復帰時代には天の側の天使長を探し立てなければなりません。

 このような条件を探し立てる期間が、統一教会でいう七年路程です。実際は、七年路程を歩む前には結婚できないのです。皆さんは三年の間伝道し、信仰の三人の息子・娘を結婚させなければなりません。まず万物を愛し、天使長を愛し、その後に神様を愛するのが本然の形態です。堕落することによって、人間は万物より低い位置に落ちたので、まず万物を探し、天使長を探して、それらを愛せる立場に立った後に、初めて神様を愛することができます。今日、統一教会はこのような公式どおりを歩んでいます。(54)


  2、再創造のための私たちの活動

 神様がこの世界を創造なさるとき、まず万物をおつくりになりました。復帰時代で私たちは再創造の道を行くので、万物を創造し、次に伝道を通して人を再創造するのです。この二つを糾合して、世界を神様の前に探してさしあげるために主導的な役割をするのです。このようにして、主体的立場に立つとき、神様の真正の息子・娘になるのです。

 救援摂理は復帰摂理であり、復帰摂理は再創造摂理です。人間は神様がつくっておいたすべてのものを堕落させました。人間が復帰するためには、神様がつくった万物を再創造しなければなりません。また、神様が失ってしまった息子を捜し、その次には天使圏のサタンを屈服させなければなりません。これが原理的な方法です。(55)

 聖書を見ると、物質と神様に兼ね仕えることはできないといいます。しかし、キリスト教国家のアメリカに物質的な祝福をしてあげるのは、再創造の法度を完成させなければならないからです。アメリカは、物質をもっている天使長の立場にあります。今、アメリカの物質を動かすことができなければなりません。

 今は、物質によって動く物質主義の世界になりました。黄金万能主義になりました。このお金を持つようになれば、世界の人々を思うままに動かすことができるようになるのです。物質だけもてば、ヤコブがエサウを動かしたときよりもっと簡単に、世界を動かすことができる世の中になったのです。(56)

 どこに行こうが、伝道をしようとすれば外交がよくできなければなりません。外交的な能力がなくては、伝道できません。社会の責任者になるためには説得力がなければならず、サタン世界を溶かしきろうとすれば、外交を上手にしなければなりません。手腕がなければならず、説得力がなければならず、そこに理論体系が立っていなければなりません。言い換えれば、責任者になるためには経済的な問題を解決でき、その次には外交問題を解決できなければならず、また説得力、大衆を指導し得る能力がなければなりません。(57)

 統一教会員の中で伝道をしてもうまくいかないという人がいます。なぜそうなのか分かりますか。この世でも、息子を生むためにあらゆる精誠を尽くす女性がどれほど多いですか。また、主に会うといって精誠を尽くす人がどれほど多いですか。ですから皆さんが伝道しようとすれば、彼ら以上の精誠を尽くさなければなりません。それ以上精誠を尽くすようになれば、神様が必ず助けてくださるでしょう。

 「私」とは関係ない神様のようですが、その立場に立って「お父さん」と言えば、ずっと遠い所から答える父ではなく、すぐ後ろから答える父を発見するというのです。「私」が疲れて倒れれば、神様が「私」を抱いて寝かせるのを発見するようになります。手を挙げてみれば、手から光が出るというのです。そのような驚くべき事実が起こるようになるということを知らなければなりません。(58)

 一九七〇年代までは、天使世界を復帰しなければならないので、外的活動に重点を置きませんでした。時でなかったので、この民族が全部霊的にみ旨と接することのできる環境をつくるために力を注いできました。

 その次に、一九七〇年から五年間にかけて多くの万物復帰をするようになったのです。その次には、人を立てなければなりません。まず彼らを受容しうる教会がなければならないので、教会を造ってあげました。その次に、伝道活動のために国際機動隊を連れてきました。彼らを中心として、協会長まで出て講演をしながら風を呼び起こしたのです。復興会、希望の日集会をしなから整地作業をしました。

 また、超教派運動に多くの予算を編成して支援しています。この超教派運動も腹をもって力強くやれば、成功するでしょう。このように再創造の役事をするにおいては、物質を投入し、その次には天使長を投入するのです。(59)

 「私」の手で万物を創造(復帰)し、「私」の手で息子、娘を創造し、「私」の責任でもって父母の位置に行かなければなりません。皆さんの手でできますか。さあ、だから「私」の手ですべてのものを創造し抜くという(神様の側に復帰しぬく)、このような心情と信念と資格を備えなければなりません。統一教会が行く道がそうです。

 その次に復帰路程ですべきことは何かというと、失ってしまったアダム家庭の復帰です。ノア家庭の八人家族も、アダム家庭の八人家族を再現した方です。だからイエス様も三弟子を一番弟子としてもちました。イエス様と弟子たちが結婚するようになれば、八人になるのです。その原則があります。分かりますか。皆さんもそれをしなければなりません。三天使長復帰、三人の息子をサタンの世界から伝道して取り戻してこなければなりません。アダムが失ってしまったので、アダムの代わりに取り戻してきてこそ、アダムよりいい祝福を受けられるのです。それで伝道期間が必要だというのを知らなければなりません。物質と子女を探して、完全に天の前に捧げた後に、それを再び受け、「私」が子女に祝福をしてあげ得る資格を備えた父母の位置に行かなければなりません。分かりますか。それが復帰歴史です。(60)


  3、真の父母の愛の圏を相続するための訓練

 皆さんが万物復帰をするのは、万物を通して父母と接近するための心情的絆を結ぶことなので、いかに困難な場でも探していかなければならないのです。そのようにして集められた献金は、一文でも千金万金と同じ価値として使われるのです。そのお金を見て「お前はどれほど多くの人々の手を経たのか。ご父母様を通して神様の前に帰ることをどれほど願ったか」と言い得なければなりません。皆さんは、辱めを受けてもそのことをしなければなりません。それは訓練です。そのお金が多かろうと少なかろうと、真の父母を通して天にすべて捧げなければなりません。

 また、皆さんは開拓伝道に出なければなりません。そこで人を愛する法を学ぶようになります。皆さんは伝道対象者たちに「あなたたちは真の父母を通して天に帰ることをどれほど願ったか! 私が橋渡しをしてあげよう」という心情で活動しなければなりません。だからこの村あの村を休む暇もなく動かなければなりません。このような訓練をするのは、わが父母を誰よりも一層愛するということです。これが父母の前に真の孝行をする道です。このような訓練を終えて帰り、自分の父母、自分の兄弟を誰よりも愛するために訓練したといえば、反対する父母はいないでしょう。天と地が絶対歓迎するでしょう。三年間、愛の訓練を通して最高の愛の実績を上げて自分のすみかに行くべきなのです。「私」の愛する人が、「私」を生んでくれた父母を代身し、宇宙の父母を代身し、人類の父母を代身し、真の父母を代身した立場に立つようになるとき、父母が嫌がり兄弟が反対する理由がないというのです。

 その次に、皆さんは神様の前に帰るために霊界の訓練を受けなければなりません。霊界をどれほど愛したか、霊界とどれほど一つになったか、神様をどれほど愛することができるかという訓練を経なければなりません。この訓練はこの地上におられる真の父母を通してなされるようになります。霊界と神様を絶対的に連結させる使命をもって来られる方がメシヤなので、メシヤは人間にこのような霊界の訓練をさせるのです。そのメシヤは人類の真の父母として来られ、歴史上に現れたどの人よりも、人類を本当に愛し、堕落によって分かれたこの世と霊界まで統一させる仕事をなさるのです。真の父母が死なずに生きて、実体をもってこのことをしなければならないのです。

 真の父母は神様を代身してこのことをするのです。それで、一人の人間が死んだ後にも数千万年間訓練すべきなのを、真の父母に侍り心から愛することによって、短時日のうちに神様の前に進んでいき得る霊界の道を立てるようになるのです。真の父母の前に絶対服従すれば、神様の命令の前にも絶対服従したという条件が立つようになります。だから天の国の父母と天の国の民、そして天の国の兄弟と一つになり得る伝統を立てるようになるのです。そのようにすることによって、霊界の訓練をパスするようになります。(61)

 真の父母に侍らなければならない理由は、霊界と神様を代身した第一父母、第二父母、第三父母などと心情的絆を結び、このすべてのものを代表し得る心情的勝利圏に同参する資格を得るためです。

 堕落することによって「私」が万物の父母(=万物)を愛し得る孝子になれず、「私」を生んでくれた父母の前に孝子になれず、霊界と神様の前に孝子になれませんでしたが、真の父母に侍ることによって孝子の資格を代わりに付与され得るので、皆さんは粘り強くついていかなければなりません。一国の大統領がサインをすればその国のどこでも通過できるのと同様に、天国のすべてのことを通過するためには、真の父母が絶対必要だという結論が出るのです。

 万物復帰は、真の父母の愛の圏を相続するためであり、伝道をさせるのも、この愛の圏を相続するためであり、霊界に対するすべての訓練は、全体を相続するためのものであるのを知らなければなりません。このように全体的な問題を理論的な基準で完結し得るということは、驚くべき事実です。(62)


  4、万物復帰

 レバレンド・ムーンがなぜ万物復帰をするのか分かりますか。創造本然の世界では、被造万物が神様のものでありアダムのものなのに、サタンが奪っていったので、再び取り戻さなければならないというのです。それで万物復帰のためにどんな経済人、どんな会社の社長が努力する、それ以上に全力を投入しました。神様を愛し人類を愛する心をもって仕事をしたということを知らなければなりません。私のために万物復帰をしたのではありません。

 また、統一教会の人々を精誠を尽くして育てたのです。自分の子供のように思い育ててきました。神様の息子・娘になり得るキリスト教が衰え落ちていき、すべての宗教人たちがサタンの罠に落ちてしまうので、精誠をつくして愛によって再び編んだのです。(63)

 アメリカは、世界的な代表国家であるので、自分の息子・娘よりも自分の同族よりもアジア人よりももっと愛さなければならない原則があって、そのようにしたのです。そのようにすることによって、世界を救い得る平面圏が生じたのです。

 それは神様の愛を連結させる仕事でした。私がそのような仕事をしました。私が辱めを受け、おろかな人として扱われ、悔しく憤懣やるかたないですが、耐えながらこのような基盤を立てるために苦労してきたのです。アメリカ人たちが、アメリカの青年たちが笑って暮らしているとき、私は泣きながら暮らしてきたということを知らなければなりません。アメリカ人、アメリカの青年たちが遊んでいるとき、私は休まず活動してきました。反対に暮らしてきたというのです。このアメリカの解放のためには、監獄暮らしまで覚悟している人です。私は、かわいそうだとすれば、最高にかわいそうな人だというのです。

 このようにかわいそうな人を石で打ち、つばを吐くならば、神様が黙っていないということを知らなければなりません。しかし皆さんは、アメリカ人ですが統一教会の人たちなので、「神様よ、この者たちがアメリカ人なので、この者たちを見てお許しくださいますように」と祈祷をしているのを知らなければなりません。アメリカがその負債を負っているのを知らなければなりません。それゆえ、いつか統一教会に負債を返すべきなのであり、統一教会の人々に負債を返さなければならないのです。(64)

 私がきょうはっきり話しますが、愛する統一教会の食口を愛することができなかったということを、皆さんは知らなければなりません。愛してはならないことを知っているので、死ぬべき場に送って犠牲にしてきたのです。神様自身が愛する人を犠牲にして救援摂理歴史を編んでこられたのを知っているので、統一教会の人々を私が愛したくても、愛することのできない立場にいるのを皆さんは知らなければなりません。(65)


  5、神様を痛哭させうる内容

 皆さんは万物復帰をして足げにされ、ほおも打たれてみなければなりません。皆さんの顔につばを吐く人にも会ってみなければなりません。それが昔現れたすべての先知先烈が歩んだ道のりだったからです。

 皆さんに一つ話をしましょう。この世の人たちがつばを吐き、彼らが悪口を言い、残忍なむちを打っても先生は痛くありません。むしろすべて許すことができます。ところが、統一教会を信じたのに出ていった人たちがつばを吐き、足げにするのは、胸が詰まることだと言わざるをえません。これを見るとき、十字架の上でイスカリオテのユダとすべての怨讐たちを許し、裏切る弟子たちを収拾していかれたイエス様の心情を感じることができました。過ぎし日、先生に付き従った人の中の一人は、先生が西大門刑務所に収監されているとき、耐え難い謀略をしました。いまだにそのことが忘れられません。そのような経験は一度、二度ではありません。(66)

 私が祈祷をすれば、涙が止まりません。私が(苦難に)遭うように、神様も遭ってこられたのをよく知っているからです。神様は私が遭ってきたのを知っておられます。そのような道を、父母も知らず兄弟、妻子も知りません。私は弱いとすれば至極弱く、足りなかったとすれば至極足りませんでしたが、大きく私を信じようとし、この世よりも宇宙よりももっと大きく信じようとなさる神様を見るときに、身の置き所を知りません。そのような経験を私はもっているのです。

 天宙を創造された神様が、宇宙を思いのままにできる神様が、どうしてアダムとエバによってこのようになられたのかというのです。皆さんが祈祷をしたり、霊界に深く通ずる人々からレバレンド・ムーンを知るようになれば、皆さんは先生を思ってたくさん泣くことができるでしょう。霊界に通ずる人々が祈祷をして神様が教えてくださるようになれば、痛哭するようになります。また先生のために祈祷すれば、痛哭しかないというのです。

 皆さんは原理を通して、この膨大な内容をどこから手を着けて解いていくべきなのか、考えてみなければなりません。すべての摂理的内容を縮小し、これくらいの秩序と組織をつくり、このような基準まで皆さんが理解できるようにつくったという事実は、簡単なことではありません。(67)

 先生は涙をあまりにたくさん流したので、太陽を見ることができないときがたくさんありました。そのようにしてこの道を立ててきたのです。そのように難しく経てきた事実を、皆さんにすべて教えてあげることはできません。それは私が責任をもとうというのです。皆さんは、先生が教えてあげない道は、行かなくてもよいのです。易しい道を行けるように教えてあげるのです。

 わが統一教会で古い韓国の食口たちは、霊的にこのような困難を体験して、その境地を知っています。皆さんがいくらかはこれを知り、また感じ、決心し、努力しなければならないと考えて、このような話をするのです。今、皆さんがこのような努力を通して体験をすれば、霊界に行っても相当助けになるでしょう。ここでそのような経験をすれば、何千年、何万年、助けになるでしょう。(68)

 宇宙を復帰し人類を生かす仕事をしているのに、お金を何文稼ぐかは重要ではありません。神様の身の上が痛ましく、胸が詰まるというのです。このお金は一銭だとしても、ここには神様の心情が込められているので、またすべての万物を代身し得る祭物のようなものであるのを知っているので、「私」がこれを天の前に捧げるというとき、問題になるのです。だから、「私」の心の中において、千倍、万倍、億千万倍の心情を捧げると言えなければなりません。たかが一文ですが、「私」の心情は何千万の心情を備えて捧げなければなりません。それで「神様が品物を受けて祝福をしてくださいませ」と言えなければならないのです。そのように考え捧げるならば、皆さんがどれほど聖なる立場に立つようになるか分かりますか。(69)

 ある人が皆さんと出会って、主に出会ったように、失ったお母さん、お父さんに出会ったように、うれしくて痛哭することが皆さんの生活の中に多くなければなりません。先生にもそのようなことがたくさんありました。(先生は)若い娘が娼婦村に行ってその中に落ち込んでいこうとするのを、救ってあげたときがありました。その女性の事情を聞いて痛哭したのが、つい先日のようです。

 そのようなことは、祈祷することよりももっと貴重なことです。皆さんが万物復帰をして、お腹が空いて道端に座ってサンドイッチを食べるというとき、それはすべて神様を痛哭させ得るよい祈祷の内容になり得ます。皆さんは、新聞を売りながらありとあらゆる人に出会うでしょう。しかし、悪口を言ってはなりません。皆さんは道行く人の前に現れて、その人の道を行くのに妨害になり、その人の嫌だという原因になるからです。

 対人関係ほど難しいことはありません。それで皆さんに、最も難しい立場で対人関係の訓練をさせています。皆さんは知りませんが、その訓練をさせています。そのような道は、先生が既に行った道です。(70)

 「私」の怨讐は誰だと言いましたか。この世ではなく、カインが怨讐ではなく、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストが反対しても、彼らが怨讐ではありません。彼らが反対するのは、そうし得る素性を私から取ってしまうために、サタンが讒訴するのだと思わなければなりません。

 皆さんさえ完全ならば、讒訴した損害賠償を請求できるのです。それゆえに滅びません。皆さんが万物復帰をするとき使う手が、神様のための手か、サタンのための手かということを考えてみましたか。神様のためにするというとき、その人を世界的な代表者として信じてあげるのです。「私は世界的なことをするためにあなたを訪ねてきました! あなたにも世界的な仕事に同参しうる恵沢を受けさせるために来たので、万物復帰するのを後援してください!」このような考えをもって、しなければなりません。このようなときは、十人に排斥されても、我知らず涙が出るのです。天が泣くのです。

 皆さんがうれしいとき、何が先に喜びますか。人々が同情をしてくれれば、まず心が感じるというのです。これは天が喜ぶのです。そのような中ですれば、十二時が過ぎて、一時、二時になっても足が軽いです。そのような事実を知らなければなりません。レバレンド・ムーンも、そのような世界を経てきました。

 今、「私」の怨讐は、「私」の体だということが分かったでしょう。この体を「私」が調整しなければならないという考えをもつことが、少なくとも三年間は必要だと見ます。こうしてこそ、習慣的に心が体を調整し得るというのです。(71)

 先生は学生時代、人を勉強させるために夜間の仕事をしました。それで友人の学費を出してあげました。その学費を出してあげようとすれば、一文、二文、集めなければなりません。なぜこのようなことをしたのかといえば、神様を知ったからです。私がこの道を行かなかったなら、この世の人として、今日、堂々と生きていくでしょう。どの社会に行こうと、賢い人として認定され、一国を動かし得る立場まで行ったかもしれません。先生はそのような能力がある人です。

 今も私が一生の間に誰のために涙を流したか考えると、神様を知り神様のために涙を流したことを否定できません。迫害を受けるのも、レバレンド・ムーンが足りないからではありません。神様が一層苦難の道を行かれたのを知ったので、耐えることができました。先生だとて、個人的な希望と欲望がなかったでしょうか。青春時代には美しい夢がありました。しかし、すべてのことを無慈悲に切ってしまった後には、再び個人的な夢を見ませんでした。

 そうしてみると、今日のようなレバレンド・ムーンになりました。直ちに千万ドルでも動かすことのできる能力をもっていますが、お金が一文もない社長と同様の立場に立っています。お金を使っても皆さんを考えます。自分のためにはお金を使わないようにする人です。どこに行っても喫茶店に寄らず、昼食のときも外に出て買って食べないようにします。服も買って着ないようにします。

 私にお金があれば、私自身のために使おうとするのではなく、アメリカのために、世界のために使おうとするのです。皆さんが苦労をしながらも、先生に対して不平を言えない理由がここにあります。(72)


  6、月一人伝道の意義

 イスラエル民族の指導者モーセを中心として見れば、十二支派長と七十二長老がいます。聖書には七十二、あるいは七十となっていますが、七十二でなければなりません。なぜなら、十二の六倍なので、七十では二名が欠けている数字です。

 七十二家庭を完成しなければなりません。イエス様が天国を築くことができなかったのは、十二弟子が一つになれず、七十二門徒が一つになれなかったからです。ですから、イエス様は七十二名に追われ、十二弟子に追われ、最後には三名の弟子にそっぽを向かれて、一人で十字架に釘打たれました。父母に追われ、家族に追われ、イスラエル民族と国から追われて三年間闘ってこられたにもかかわらず、彼らの不信によって天国を実現することができなくなってしまいました。

 私たちがそれを再編成して、イエス様の実体基準を蕩減復帰しなけば、天国は絶対にやってきません。これが原理の骨子です。

 十二弟子と七十二門徒でなければ、イスラエルの六十万を動員できません。問題は十二弟子と七十二門徒です。(73)

 昨年から先生が命令したのは、一月に一人ずつ伝道しなければならないということです。これは至上命令です。これを実践してください。先生は何の準備もなく皆さんに話したのではありません。イエス様は三年ないし三年半の間に、霊肉が一つになった基準を立てようとしました。それがユダヤ民族の不信によって、失敗に終わりました。

 私たちがイエス様と同じ立場を蕩減復帰しようとすれば、霊的復帰のために三年以上費やさなければならず、肉的復帰のために三年以上を費やさなければなりません。そうでなければ、霊肉ともの勝利の基台を立てることができません。それで七年という歳月が必要になりました。この七年期間には、みんなが神様のみ旨、天国建設のために努力しなければなりません。皆さんは七年間、何をしますか。イエス様が失った十二弟子と七十二弟子を、家庭を中心として探し立てなければ、天国をつくることができません。

 十二名と七十二名を足すと八十四名になりますが、七年を十二で掛ければ八十四になります。十二弟子と七十二弟子を、私たち各自が編成しなければ、イエス様が世界的に築いた天国の橋をつくることができません。私たちが生涯をかけてこの橋を結合できなければ、天国に連結されないという事実を悟り、各自使命感に燃えなければなりません。一月に一人ずつ伝道すれば、七年かかって初めて、八十四名になります。ですから最小限度、一月に一人伝道しなければならないという結論は、世界的な基準の核心になっています。

 全世界の統一教会の食口たちがこのような信念で武装し、その目的に向かって一致団結して行くならば、サタンの権勢は余地なく崩れてしまうでしょう。(74)

 各自が一月に一人ずつ伝道するその実績の基台の上で、天国の門が社会的に開かれるでしょう。これは間違いない原理原則として、至上命令として下すみ言です。死んでもこの基準を解決できなければ、行くべき道がありません。イエス様もこの問題に引っかかりました。先生も生涯を捧げてこの問題を解決してきました。これを解決しない以上、神様の心情の怨恨を解くべき道がありません。(75)

 今から先生が命令します。十日に一度ずつ自分の父母、兄弟に手紙を送りなさい。皆さんが社会で活動する三分の一の努力でも氏族復帰は可能です。氏族の基台を中心として十二弟子と七十二門徒を探し立てることが、天国をつくる基盤になります。それがなければ、社会を統率できません。世界的な基盤を立てようとすれば、百二十名を探し立ててください。先生はそれをしてきました。(76)

 皆さん、考えてみてください。死亡率が一パーセントだとすれば、一年に、百名のうち一人が死ぬのです。そして、三十六億のうち三千六百万名が、一年に死んでいくのです。三千六百万名が地獄に行きます。これは神様の立場から見れば、大きな損害です。サタンの立場から見れば、大きな勝利です。み旨の伝播が一年早ければ、三千六百万名が救われます。十年早ければ、三億六千万名が救われます。

 このように考えてみれば、全世界に原理を伝播することが、いかに急を要することかということが、自然に分かるでしょう。神様がそれをどれほど願っておられるか、毎日毎日生活の中で実感し、最善を尽くしてくれることを願います。(77)

 今皆さんは、サタンの讒訴を受けず自由なエデンの園でアダムとエバが育った、その立場を蕩減復帰すればいいです。言い換えれば、病気になり破れて穴があいたので、それを継ぎ合わせふさぐ条件だけ立てればいいというのです。

 そのためには、信仰の三人の息子・娘を立てなければなりません。そうすれば、家庭的に天の前に立つことができます。その次に、十二人を立てなければ、霊界と肉界を連結させられません。霊的な世界において数多くの先祖たちが絡み合っているのを、解放できないというのです。霊界と地上を解放できなくては、堕落した世界においての復帰の責任を果たし切れないのです。外的世界、内的世界を復帰しなければならないのに、この二つの世界の責任を完結できないというのです。

 それゆえ、必ず十二数を満たさなければなりません。それで地上にも、四方を中心として東西南北があり、十二数を中心として十二カ月があるのです。天地度数も同じです。天もそのようになっており、またそのように動いています。東西南北を代身した四大門があり、十二真珠門を代身した十二使徒がおり、二十四節気を代身した二十四長老がいます。このように天の運勢である天法や地上の運勢が、すべてぴったり合わなければなりません。この度数を合わせなくては、もし皆さんが天国に入っても、三人の息子・娘だけでは東側なら東側、一方向しか行けません。四季節のうち、春にだけいるのと同じです。その門のほかには往来ができません。これは何かというと、天国全体が自分のものにならないということであり、一方向性しかもてない立場なのです。

 イエス様が十二弟子を選んだのも、その四方性を経ていき、四方をすべて支配しなければならないからです。それで三年間イエス様は、十二人のふさがった壁を壊す役事をしました。彼らの心を全部一致させてあげて、完全に統一させる仕事をしたのです。(78)

 地上天国が完成されるときまで、三年半以上、七年期間が公式路程として連綿と連なるようになりました。ですから、結婚前三年と結婚して七年の公式路程を行かなければなりません。イエス様は三年路程で家庭を探し立て、七年路程を行こうとしました。公式的に、三年期間に三子女と十二子女を復帰して祝福し、七年路程を歩まなければならないというのが、原理的な観点です。イエス様は、七年間にかけて、イスラエルの国とユダヤ教が世界に向かって出発できる基台を立てられませんでした。これを私たちは一度に蕩減復帰しなければなりません。それが私たちに付与された使命なのです。

 その七年間には、一カ月に一人ずつ伝道して、八十四名を伝道しなければなりません。十二弟子と七十二門徒を中心として、氏族圏を形成しなければなりません。七十二長老は民族的指導者です。そうなれば、家族圏の三弟子と氏族圏の十二弟子を立てることができます。(79)

 イエス様を代身して、霊肉ともに実体基台を立てるために血と汗と涙を流し、家庭的に実体の十字架を負っても、その責任を遂行すべき使命が皆さんに残っています。ですから統一教会は、結婚した後にも家庭的十字架の道を行っているのです。イエス様は十字架で亡くなられた後復活し、十二弟子と七十二門徒を中心として、再び霊的復帰路程を出発しました。私たちが十字架にかかる前にその使命を果たさなければ、天国に行く道がなくなってしまいます。天国につながる橋がなくなってしまいます。それを再び完成させるための闘いをしなければならないのが、七年路程です。私たちはこの七年間、一カ月に一人ずつ伝道して、八十四名を伝道しなければなりません。これは原理的なことであって、適当につなぎ合わせたのではありません。(80)

 わが統一教会は父母に侍っています。兄弟ももっています。私たちは血肉をともに受け継いで生まれたものよりも、もっと近い兄弟姉妹にならなければなりません。私たちは国を超越して、超国家的心情基準を備えなければなりません。天国は国境を超越して成ります。ですから、超国家的心情基準をもてない人は、天国に入れません。天国を建設し得る人になれません。

 先生はそのような道を歩んできました。皆さんは今から、十二弟子を探し立ててください。そして、さらに七十二弟子を探し立ててください。そうでなければ、天国は築かれません。それが皆さんに与えられた使命です。(81)

 最初は、三名の子女を立てなければなりません。アダム家庭を復帰しなければならないので、八名が家庭編成をしなければなりません。その家庭を守るには、十二名の兄弟をもたなければなりません。ヤコブの十二子息も同様です。それが氏族の基盤になりますが、その氏族を拡大して民族の基盤にしなければなりません。その民族的基盤を指導し得る中心的な人物が七十二長老です。イエス様を中心として、それが成されたとするならば、イエス様は絶対に死ななかったでしょう。それが蕩減路程に残っています。先生もその公式的な道を歩んできました。三家庭と、一二家庭ずつ三時代を代表する三六家庭が現れるようになって、七二家庭、一二四家庭、四三〇家庭、七七七家庭、一八〇〇家庭を立てました。六数の三倍は十八であり、この祝福は、サタン圏が及ばない基準に到達したという条件の祝福です。皆さんは絶対的にこの道を行かなければなりません。(82)

 今から皆さんが伝道に出掛ける道には、迫害がないでしょう。誰だろうと、迫害する者は滅びるようになります。今からは、皆さんが蒔いたものは皆さんのものとして収穫されます。(83)

 世界人類は一つの兄弟です。神様は父母だということを考えるとき、神様の愛を中心として、世界人類は一つの兄弟です。だから、失った兄弟のために、父母の命を受けて兄弟を捜しに出掛けるのが、伝道の道です。それが信仰の道です。

 だから伝道するとき、人に出会えば、失った兄弟を捜すようにうれしがり愛することによって、父母の懐に再び帰ってくることができるというのです。失った父母を知らないので、それを教えてあげてうれしがらせなければならず、好きになるようにしなければなりません。彼らは兄弟であるにもかかわらず、そのことを知りません。教えてあげて、抱き合い痛哭し得るその立場でのみ、初めて兄弟を捜し出すことができるというのです。そのような心をもって伝道しなければなりません。夜を徹して伝道しなければなりません。

 そのような愛の因縁が連結されて、天国が築かれるというのです。神様が人間を捜すにおいて、切ない心をもっているように、そのような父母の心をもって伝道しなければなりません。

 自分の妻や夫よりも、失った人を愛しながら捜そうという人は、父母の心情を受け継いだ人です。だから祝福を受けて生きられなくても、一人の生命でも救ってあげることが貴いのです。それがもっと神様の祝福を受けるのです。なぜなら、その夫は死んで天国に行って会いますが、その兄弟は、救ってあげなければ会うことができないのです。兄弟が讒訴すれば、引っかかるというのです。夫婦の愛と父母の愛が普遍化された、そのような愛の圏が地上に築かれるとき、それが地上天国だということを知らなければなりません。(84)


  7、霊界生活のための地上訓練

 良いことをしたとき、その人はアメリカでも歓迎され、ソ連でも歓迎されるでしょう。真の愛は、ワシントンでも歓迎され、モスクワでも歓迎されるというのです。

 人のために犠牲になる人は、世界のどこにいっても偉大な人として迎えられるようになるでしょう。また、地上世界で歓迎される人ならば、霊界に行っても歓迎されるようになるのです。これは真理なので、どこででも適用されるのです。

 このような原理を知っている先生は、皆さんに、隣人のために、祖国のために、世界人類のために、犠牲的に奉仕しなさいというのです。この道でのみ神様と霊界から歓迎され得るので、統一教会が生まれてから今まで、この一つの道を歩んできたのです。また、この道を行ってこそ救いに至るのを知っているので、皆さんに行くことを勧めてきたのです。

 地上に生きながら、為に生きる訓練をしてこそ、死んで霊界に行っても為に生きる生活が自動的に継続されるので、そのような訓練を反復させているのです。(85)

 アメリカ人の食生活はパンやチーズですが、霊界に行ったとき、ご飯にキムチやとうがらしみそだけ出てきたならば、どうしますか。皆さんは全くなじめない韓国式食生活ゆえに、霊界に行けば健康を害してしまうでしょう。それで統一教会では、皆さんがどんな環境に処するとしても、健康な生を持続できるように苦労をさせ、環境に適応できる適応力を養うための訓練をさせているのです。難関に出遭ったとき、自分がこのようなときに対備するため、勝って越えていき得る訓練を積んできたと、自信をもつことのできる人をつくる教育を実施しています。

 皆さんが伝道活動をし、家庭教会運動を実施し、経済活動をするのも、すべてこのような訓練を通してある困難に出遭ったとき、勝って越えていけるように習慣化するためなのです。(86)

 苦労の道は、先生が先頭に立って先に歩んできました。血と汗と涙に点綴された道を歩んできたのです。埠頭労働と土を掘る土方をはじめとして、あるときは罪人として追われ、刑務所でいばらの道を歩んできました。そういうときであればあるほど、神様の心情を体恤し、涙で祈祷して夜を明かしたりしたので、この地上においてなされている、どのようなこともできないことがなくなりました。あまねく渉猟したからです。それでどのような環境圏に処したとしても、たやすく適応できるようになったのです。(87)

 人はどのような環境に処しても、自分の主観を失わず、自分が主体になって対象を求め授受作用をすれば、できないことがないのです。酒場に行っても伝道の対象者を求め伝道することができるならば、酒場はもはや危険性が除去された場なのです。酒場でコカ・コーラを飲みながら、彼らと対話を続けることができるでしょう。酒場に行くと、必ず酒だけ飲まなければならないという考えは、危険な観念なのです。酒を飲んでこそ気分がよくなると考えるならば、その考えは間違ったものだといえます。

 私たちはある環境に処したとき、その環境で最善の方法が何であるかを考えなければなりません。環境が違うといってあきらめるならば、彼は失敗者になってしまうでしょう。労働者は、労働を通して仕事をする喜びとお金の価値を感じることができるでしょう。(88)













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