祝福家庭と理想天国
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第三節 信仰の三子女を通した家庭復帰

  1、信仰の三子女

 信仰の子女とは一体何でしょうか。これは失ってしまった三名の天使長を意味します。アダム、エバは、三名の天使長が互いに協助する圏内に立てなかったために堕落しました。これを蕩減しなければなりません。ですから、三名の天使長に該当する三名の信仰の子女が一つとなって、アダムに生命を捧げる立場に立たなければなりません。皆さんは信仰の子女に対して、アダムとエバの立場に立ちます。三名の天使長の代身に立った信仰の子女は、その信仰の父母に対して生命を捧げても何の未練もない心情圏をつくらなければなりません。教育を通して、そのような関係をつくらなければなりません。

 神様が天使長を創造された目的は、彼らをしてアダムとエバが家庭をもつことのできる心情圏を確立する日まで、教育をさせ、世話をさせることでしたが、反対に問題を引き起こさせてしまいました。この事実がまさに堕落だったのです。ですから心情圏の復帰は、三名の天使長に等しい信仰の子女三人が一体となって、皆さんのために生命を捧げても惜しくないという立場に立つことによって成されるのです。そうすることによって、初めにアダムが三名の天使長を一致させられなかったその基準を、蕩減復帰した立場に立つようになるのです。(89)

 私たちには信仰の子女が絶対に必要です。アダムとエバの前には、三名の天使長がいました。アダムとエバは、この天使長を自分のために一生涯奉仕する僕の立場に立てられなければ、完成した神様の子女になることができませんでした。

 しかし天使長ルーシェルが、自分の存在位置を離脱し、アダムとエバを堕落させました。私たちはこれを蕩減復帰しなければなりません。信仰の子女三人は、平面的には三天使長の立場になるのです。これが完全に一つにならなければなりません。

 元来は、天使長が神様と一つになったところからアダムとエバが創造されたのです。天使長が先につくられ、神様と一つになってアダムとエバを創造したのです。私たちはその基準を復帰しなければなりません。ですから、信仰の子女を先に探し立てなければなりません。

 信仰の子女があらかじめ準備された基台の上に祝福を受け、息子・娘を生まなければならないのが原則です。(90)

 皆さんは三大天使長のような型を創造しなければなりません。神様が天使長をつくり、万物をつくった後に息子・娘をつくったのと同様に、アダムとエバが失った道を再創造する過程を経ていかなければなりません。信仰の三子女を立ててこそ、三天使長を復帰した条件になるのです。

 その天使長が生命を捧げ協助することのできる立場に立ってこそ、アダムが創造され得るというのです。天使長たちは、神様の前に使いと頌栄の対象として、協助者としてつくられたのです。ところが、アダムとエバが堕落することによって、天使世界と宇宙の物質を失ってしまいました。ですから、失ったものを復帰しなければならない、再創造しなければならないというのです。天使長とはサタンのような存在であり、カイン的立場にいる信仰の息子です。(91)

 信仰の子女三名を探し立てなければなりません。イエス様を中心として一体となるべき弟子が、イエス様を背信する立場に立ったので、これを復帰させる条件として、三名の信仰の子女を探し立てなければならないのです。そして、失った十二弟子、七十門徒を復帰しなければなりません。これが、私たちが蕩減路程で遂行しなければならない課題です。私たちは三名の信仰の子女を立て、彼らを中心として十二弟子、七十門徒、百二十門徒を立てなければなりません。これが、先生が今まで成してきた二十一年間の路程でした。(92)

 皆さんは信仰の三子女を探し立てなければなりません。信仰の三子女を探し立てたということは、三天使長と、アダムの三人の息子と、サタン世界のカイン型の兄さんを探し立てたという条件になるのです。旧約時代は民族時代、新約時代は国家時代、成約時代は世界時代です。旧約時代にはイスラエルの六十万大衆がカナン福地を見いださなければならず、新約時代にはイエス様が国家を中心として世界的カナン福地を探し立てなければならず、成約時代にはわが統一教会が世界圏内で天宙的カナン福地を探し立てなければなりません。このような意味で、三段階、三子女が必須的です。

 また、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、このように三代として表示し、第一アダム、第二アダム、第三アダムといい、また三名の天使長がいたように、信仰の子女三名を探し立てなければなりません。それでイエス様も三弟子を必要としました。わが統一教会も、三家庭を先に立てました。その基台の上で十二家庭をつくって初めて、四方に連結され、「私」がセンターに入っていくことができます。イエス様も十二弟子を中心として十二家庭をつくってこそ、イエス様の家庭が保護されるようになっていました。信仰の子女がどれほど重要なのか、分かりますか。

 また世界のカインを救わなくては、「私」が天の国に入れません。三時代、すなわち旧約時代、新約時代、成約時代を連結させるために、それは不可避なのです。三時代の代表者を探し立てた立場に立って、それが一つになるようにすることによってサタン世界の方向が変わり得るのです。(93)

 統一教会で最も警戒すべき言葉は、「伝道をするな」という言葉です。「伝道をしなくてもいい。信仰の子女がいなくてもいい」という言葉は、サタンが最も望む言葉だというのを知らなければなりません。(94)


  2、八人の家族がいなければ復帰できない

 父の最高の願いをかなえてさしあげたという基準を立てようとすれば、蕩減条件を立てなければなりません。蕩減条件を立てるにも、条件だけを立てるのではなく、実体を立てなければなりません。父の怨恨が何ですか。アダムとエバを中心として、三人の息子と彼らの相対、すなわち八人の家族を失ったことです。ですから、その恨みを解いて差し上げようとすれば、三人の息子・娘を立てなければならないのです。三人の息子・娘を探し立てれば、男性、女性を合わして八人家族になるというのです。

 この八人家族を立てていくことが、孝行し、忠誠を尽くし得る第一の道です。この三人の息子・娘を立てなくては、神様に帰り得ないのです。この死線を越えなくてはならないのです。

 堕落が何かといえば、偽りの父母を中心として八人の家族を失ったことです。言い換えれば、悪の父母を中心としてカイン、アベル、セツと、彼らの相対まで合わせて、八人の家族を失ったのが堕落だというのです。ですから、八人の家族を再び探し立てなければなりません。死線を越えて立つためには、八人の家族を備えなければならないのです。(95)

 信仰の息子・娘を早く立ててください。女性は三人の娘、男性は三人の息子を立てなければなりません。元来は、伝道した人が自分の信仰の息子・娘の中で、仲間同士結婚させてあげなければならないのです。何の話か分かりますか。天下に残るべきものは祝福しかないのです。祝福しかありません。それも、先生がすべて立証するから可能なのです。(96)

 男性なりとも女性なりとも、三人以上伝道しなければなりません。すなわち、十二人の中から三弟子を選んで彼らを中心として家庭の基台を築こうとしたイエス様のように、皆さんもそのような内容を中心として、他人の子供ですが、自分の息子・娘のためにするよりも三倍以上の精誠を尽くし、彼らを祝福させ、彼らが生んだ息子・娘までも、福を受けられるように責任を果たさなければなりません。このような責任を果たせなくては、天の国に入れないという事実を、皆さんがはっきり知らなければなりません。(97)

 結婚は一人でするのではありません。信仰の父母は、自分が伝道した三人の息子・娘がいるならば、男性が伝道した三人の息子と、女性が伝道した三人の娘を、第一、第二、第三として、そのまま、そのとおりに結婚させなければなりません。そうして八人の家族を探し立てなければなりません。アダム家庭の八人家族を失ったので、この八人家族を探し立てられなければ、復帰の道に至れないのです。ノアのときも、八人家族になったとき審判しました。八人家族がいたので、掃き捨てることができたのです。八人家族がいなければ、復帰できないのです。

 イエス様も八人家族を立てるために、そのことをしたのです。三弟子を立てたのも、イスラエルを立てるのに八人家族が必要だったからです。イエス様の三弟子は、三時代を代表した天使長型です。言い換えれば、アダムが間違ったのを、イエス様個人が三時代にわたって一瞬に蕩減復帰するのです。霊的に失った三天使を、全部復帰するのです。(98)

 イエス様の三弟子も、イエス様に代わって死ぬことができなければなりません。実際は、天使長には子女がいません。しかし、人間が堕落することによって、天使長系統の子女の立場に立つようになりました。ですからその関係を否定し、神様の心情と連結させて、原点に復帰するための道を歩まなければなりません。(99)

 イエス様が誕生するとき、東方の博士三人がなぜ来ましたか。それは霊的世界の天使長の復帰型として来たのです。彼らは異邦の人として、イエス様とは何らの関係もありませんでした。そのような東方の博士三人が来て、黄金と乳香と没薬を捧げたのは、霊的サタン世界、すなわち天使長のすべてのものを捧げることを約束したのです。それによって、イエス様がアダム的な存在として出発したのです。

 ここでサタン側の代表者たちがすべてのものを捧げたので、天の側の代表者であるイスラエルの三大祭司長たちが屈服しなければなりませんでした。そうしたならば、イエス様は十字架で亡くなられなくてもよかったでしょう。しかし、そうできず、すべて失ったので、イエス様は十字架で亡くなられたのです。霊界から訪ねてきた天使長たちは、全部どこへ行ったのですか。国の代表である祭司長たちは、どこへ行ったのですか。すべて失ってしまったというのです。その次に、洗礼ヨハネを中心として、イエス様を証しなければならなかった新興宗教の代表者たちは、どこへ行ったのですか。彼らもすべて失ってしまいました。ヨセフ家庭も、最後の三弟子までもすべて失ったので、イエス様の行くべきところはどこだったでしょうか。どこにもなかったというのです。ですから、死ぬしかなかったのです。(100)


  3、信仰の三子女を通した家庭編成

 三名の信仰の子女がいなければ、祝福をしてあげることができず、また受けることもできません。しかしそのような条件を立てられず、祝福を受け生活している人もいます。その人たちも早く三名の信仰の子女を立てなければなりません。祝福を受けた後にも、三名の天使長がその夫婦、その家庭を協助したがらなければなりません。自分個人のためには、三名の天使長格である信仰の子女が協助しましたが、家庭と夫婦のためには協助しなかったといえば、だめなのです。その協助の基台を築くために、三年という期間が必要なのです。

 このような方法で夫婦が一つになれば、信仰の子女がそれぞれ三名になるので、夫婦を合わせてみんなで八名になります。だから、天使長の立場にいる人々が、信仰の父母と完全に一つになったという条件が成立することによって、そこでアダム家庭の八人家族の立場に復帰されるようになります。互いに信仰の子女をもっている男女が組み合わされて、夫婦が相互に愛し合って一つになったという基準に立ち、私たちの内部で神様に逆らう要素を発見し得ないという立場に立って、初めて生活圏に入るようになれば、天使長の立場にいる三人が養子圏に入るようになります。

 堕落したアダム家庭の八人家族は、サタンの子女の立場の圏内に立つようになりました。ですから、堕落した人間が復帰されようとすれば、直接、神様の直系の子女の立場に入りえず、養子圏を通過しなければならないのです。養子圏では父母と一つになり、再び長成期完成級の基準から、七年間にわたって成長して上がっていかなければならないのです。

 皆さんはまだ完成基準には上がれていません。神様の直接主管圏内に上がろうとすれば、完成基準を越えなければならないというのが原理の教えです。今は、まだそのようになっていません。それを総合したのが長成期完成級の基準です。アダム家庭は長成期完成級で堕落しましたが、私たちはここを中心として七年間、完成基準を目標として上がっていかなければなりませんが、それが家庭編成のための七年間です。(101)

 アダム家庭の堕落によって、世界のすべてのものが堕落した結果となってしまったので、信仰の父母と一つになり、世界復帰を目標として生きていく家庭にならなければなりません。堕落により、アダム家庭の八人家族がサタンによって無原理圏に陥ったので、今、その反対の経路を通して信仰の父母と信仰の子女が一つになって生きていくことによって、サタンの子女の立場から神様の養子圏基準に上がるようになります。ですから、この八名が完全に一つとなって世界復帰のために犠牲の道を行かなければならないのです。

 サタンは周囲を犠牲にする道を行きながら堕落させましたが、私たちは自分自身を犠牲にしながら、この世を救うために実践しているのです。サタンはこの世を滅ぼすために、自分を中心として堕落させてきたので、私たちは自分自身を犠牲にさせながら、反対に、この世を救っていかなければならないのです。この原則は動きません。復帰された家庭を編成することによって、サタン世界の家庭と復帰された父母の家庭に分立されます。(102)


  4、家庭復帰のための公式路程

 天の家庭を築こうとすれば、信仰の三人の息子・娘をもたなければなりません。そうして祝福を受けて、生まれる直系の息子・娘を、信仰の息子と娘たちが自分たちの生命を代身して腹中から侍り得る基盤を立てなくては、家庭の基盤を備えたということができないのです。これは先生が適当に言う話ではありません。天法がそのようになっているのです。

 それゆえ、イエス様も最後の死の場まで三弟子を抱いていこうとしましたが、その弟子たちが全部逃げてしまったのです。それでイエス様は、そこで昇天しなければならなかったのです。もし三弟子がイエス様と共に死んだとするならば、イエス様を復活させる前に三弟子を先に復活させたでしょう。そうなったとするならば、聖霊だけが地に来ればよかったでしょう。それで霊的な基盤が地上に築かれたならば、信徒たちがたくさんの祈祷をしなくても、霊界と直接、接することができるようになったでしょう。けれども、この地上に父母になり得る基準が一つもなくなってしまったので、父なるイエス様は天を代表して霊界に行かなければならず、母なる聖霊は地を象徴するので地に来なければなりません。

 そうして、父と母が分かれた立場にいるので、その子女になるのがどれほど難しいでしょうか。これはイエス様の三弟子が地上で勝利的な復帰の基台を立てられず、イエス様と生死を共にした条件を立てられなかったので、そのようになったのは確かです。これが法度なので、これからこの家庭を築かずには天国に入れないということを、統一教会員ならばみんな知るべきなのです。イエス様もそのために死に、先生もそのために二十一年間苦労し、神様は六千年間それを見いだすために、今まで役事されているのです。これは、これから原理を学ぶ人ならば、誰でも行かなければならない公式路程です。この公式路程には許しがありません。どんなに先生をよく知っているといっても、それはどうすることもできません。(103)

 皆さんは今、家庭復帰をしなければなりません。そのためには、信仰の三人の息子・娘を探し出さなければなりません。そうして、その息子・娘が四位基台を築き、「私」自身を中心として外的な信仰の四位基台を築いて、「私」自身の直系の息子・娘に完全に侍りうる基台を立てなければなりません。この信仰の三人の息子・娘は何かというと、霊界における三天使長に該当します。アダムとエバがつくられるときから三天使長が侍っていたのと同様の基準を、祝福を受けて生まれる子女に腹中から侍った基準を、復帰しなければなりません。これが何かというと、アダムが創造される前から創造されて成人になって成婚式をするときまで、天使長が協助すべきその基準を、皆さんがこの地上で蕩減復帰するのです。それゆえに、信仰の三子女は絶対必要です。(104)

 時代で見ると、アダム時代、イエス時代、再臨主時代、このようになりますが、ここでアダムは一番目の息子であり、イエスは二番目の息子であり、再臨主は三番目の息子です。この三時代において復帰の役事を誰が反対したかといえば、カインがいつもアベルを反対してきました。カイン型の復帰をしなければならないのですが、(そのためには)三大天使長がまず復帰されなければなりません。そうして、皆さんが祝福を受けて生む赤ん坊を、腹中から完全に侍り得る基盤をつくらなくては、皆さんの後孫が天の民になれません。これが天法です。

 イエス様もこれを成せなかったので死んだのです。そうでなく、皆さんが考えるように簡単ならば、なぜ死んだでしょうか。そのとき、何、花嫁たちがいなくて死んだでしょうか。このような天法のプログラムに合わせなくてはならないからです。それが天国に入る公式なので、公式路程を踏まなくては絶対に天国に入れません。天国は個人的に入るのではなく、家庭的に入るのです。(105)

 誰でも、サタン世界を離れなくては神様の国に入籍できません。それで真の父母、真の兄弟を探して出会わなければならないのです。統一教会は、すべての不純な愛をきれいに清算しなければならず、エバが一代に三つの愛を失ったので、一代に三つの愛を復帰しなければなりません。父母と兄弟が喜ぶ立場で夫婦にならなければなりません。

 皆さんが家庭を築こうとすれば、三人を伝道しなければなりません。伝道された三人は、三天使長です。父母、兄弟、夫婦、天使まで備えてこそ、家庭が出発できます。偽りの愛を行えば、原罪が根を下ろします。したがって、二度と罪悪に染まるなというのです。理想的家庭から理想的氏族が編成されていくのです。皆さんは真の家庭、理想的家庭を築くようにお願いします。(106)


  5、信仰の子女と直系子女の関係

 皆さんは、入教する以前にはサタン世界にいました。そうして、神様のみ旨を知るようになって入教しました。皆さんも、本来は生まれながらにして一つの絶対基台をもつべきでした。堕落しなかったアダムとエバの立場に立っていなければなりませんでした。しかし、堕落した血統をもって生まれたので、本来のその基準を復帰しようとすれば、神様のみ言を信じ従わなければならないのです。皆さんは、統一教会に伝道されることによってカイン・アベルの基台をつくるようになりました。生まれる前からそのような基台をつくったのではないので、蕩減条件を立てなければなりません。

 蕩減条件をどのように立てるかといえば、祝福家庭の信仰の子女たちは、信仰の父母の子女たちに希望の相対として侍らなければなりません。さらに彼らの赤ん坊が生まれるのを心待ちにし、妊娠をすれば腹の中(にいるうち)から侍らなければなりません。これを確実にしなければ、復帰の道は行けません。信仰の子女が「私」自身の子女に腹の中から侍ることをもって、一つになったという立場に立たなければ、天使長がアダムと一つになったという立場に立てません。(107)

 皆さんは祝福を受けて赤ん坊を生むようになります。祝福の赤ん坊を懐妊するときには、三人の信仰の子女が、「私」自身の腹の中にいる祝福の子女と完全に一つになる基準を立てなければなりません。そのようにして、祝福を受けた父母から生まれた赤ん坊は、二十一歳以上になって結婚するまで、堕落しないように信仰の三子女が保護し、守らなければなりません。それは天使長が、アダムとエバが成長し理想的な夫婦になるときまで保護し、守ってあげるべき使命をもったのと同じです。祝福の赤ん坊は自分の信仰の父母が生んだので、その赤ん坊は神様からつくられたアダムとエバと同じなのです。(108)

 祝福を受ければ、子女を生むようになります。その前にまた、信仰の子女がいます。イエス様と同じ外的な実体の立場が信仰の子女です。直系子女は再臨した実体の子女と同じ立場です。(109)

 信仰の子女は、人類が歴史的に再臨主が顕現されるのを願いにしてきたように、信仰の父母を通して真の子女が生まれるのを願わなければならないのです。すなわち、信仰の子女はひたすら信仰の父母を通して真の子女が生まれるのを待望しなければなりません。そして、真の子女が腹中にいるときから、尊敬しなければなりません。天使長がアダムとエバに対して貴く考え、すべてのことを相談して協助するようになっているように、信仰の父母が真の子女を懐妊するそのときからその子女を愛し、自分の生命よりも貴く思わなければなりません。そして、その子女が生まれる日を何よりも貴い希望をもって待たなければなりません。そして、生まれたときには、自分の財産をすべて捧げなければ、天使長基準の所有権を復帰する道が生まれません。(110)

 信仰の父母の腹中に懐妊された子供が、宇宙と取り換えることができないほどの喜びと希望をもって生まれたとき、信仰の子女は自分のすべての成功を成し遂げた喜びをもって迎えなければなりません。そして、その子供を結婚させて定着させることをもって、天使長がアダムとカインとアベルを愛せなかったすべてのことを蕩減復帰した基準を立ててこそ、サタンはその完成基準を中心として完全に分立されます。そのようにしなければ、サタンをもとに立ち戻らせるべき道がないのです。皆さんはいつも蕩減復帰について話をしますが、いつ蕩減復帰を完遂しましたか。それは祝福家庭を中心として、このように徹底して分別する原理があるので可能なのです。ですから、信仰の子女は絶対に必要です。(111)

 独裁は最善に通じ、永遠にも通じます。絶対というのは最高の独裁です。独裁を用いても、平地をつくらなければなりません。それゆえ、家庭の使命はとてつもないのです。皆さんが家庭で信仰の三人の息子・娘を立て、腹中にいる子供から整頓しなければなりません。「腹中にいる赤ちゃん! どうぞ早く誕生してくださいませ」と言い得る信仰の息子・娘をもたなければならないのです。そうでなければ、完全蕩減にならないのです。(112)

 信仰の三子女は、三天使長の復帰型です。三天使がアダムとエバの創造時代から敬い協助したように、信仰の子女は、信仰の父母の祝福実体の子女を腹中から侍り育て、結婚までさせて初めて、自分たちが復帰され得る基準を立てることができるのです。(113)

 カイン的な息子・娘が探し立てられ、彼らが、(信仰の父母の)実体の息子・娘を生まれるときから敬い育て、後には結婚させてあげられなければなりません。(114)

 イエス様が三弟子を抱え、死んでも生きても同苦同行されたのも、「信仰の子女」という原則があるからです。その原則を私たちが今まではっきり理解できなかったので、サタンがこの世界を蹂躙し、自分の思いどおりにすべてを卑賎にしておきました。アダムとエバを愛さなかった天使長、アダムとエバが懐妊するその子女を愛さなかった天使長をサタンといいます。(115)

 イエス様が聖婚式をもったなら、子女が生まれるでしょう。そうなれば十二弟子の家庭は、生まれたイエス様の子女たちと完全に一つにならなければなりません。(116)

 天使長圏を復帰しようとすれば、信仰の父母であるアダムとエバを愛するのと同時に、腹中に懐妊された子供を愛した基準を通して、その子供が生まれ再びその子供たちが結婚する日まで責任をもたなければならないのが、原理原則の道です。これを先生の家庭で見るならば、先生の子女を先生自身が直接干渉して育てるようになっていません。三家庭が責任を果たさなければならなかったのです。(117)


  6、復帰された父母の立場に立とうとすれば

 今は霊界のキリスト教と地上のキリスト教が一つになっていません。霊的キリスト教圏、すなわち楽園と、地上のキリスト教圏が一つにならなければなりません。これを再び一つにすべき使命が皆さんにあります。

 自分の直系の子女と信仰の子女は、原理的に密接な関係を結んでいます。自分の子女は実体圏を意味し、アベルの立場です。信仰の子女は霊的象徴であると同時に、カインの立場です。それは天使長圏にいることを意味します。アベルというのは、アダムの立場では地上圏を意味するのです。(118)

 地上と霊界に分かれたのを一つにしようとすれば、皆さんの信仰の子女と直系の子女が完全に一つにならなければなりません。それがだめならば、霊界のキリスト教圏と地上のキリスト教圏が絶対に一つになり得ません。カインとアベルが一つになってこそ、理想的な父母が生まれるようになります。カインとアベルが一つになれなければ、父母復帰は成され得ません。

 地上で蕩減の条件をもって信仰の子女と直系の子女が一つになれば、堕落する前の天使長とアダムが一つになった立場になります。そのような立場に立てば、神様からいつも愛を受けるようになります。信仰の子女と、自分が祝福を受けて生んだ直系の子女が完全に一つになれば、神様の理想の中に立てられた真の父母の位置が、初めて復帰されます。(119)

 統一教会食口の皆さんは、祝福を受けるために三名の信仰の子女を探し立てなければなりません。信仰の三子女は、信仰の父母が祝福を受け赤ん坊を懐妊すれば、その赤ん坊が腹中にいるときからよく侍らなければなりません。これはアダムを創造するとき三天使が協助し、侍るのと同じです。そのような基台を蕩減復帰しなければ、完成基準の立場に立った家庭が生まれません。(120)

 根本的な復帰は、祝福を受けて生んだ赤ん坊を通して成されていかなければなりません。そうしようとすれば、三人の信仰の子女がおなかの中から祝福の赤ん坊に絶対的に侍り、その子が生まれれば、結婚するまで精誠を尽くしてすべてのことを協助しうる伝統を立てなければ、完全復帰は成され得ません。この復帰の道を先生も行かなければならず、皆さんもすべて行かなければならないのです。(121)

 アダムとエバを天使長が堕落させたのが神様の恨みです。祝福の赤ん坊に侍らなくては、天使長の立場に立っている信仰の三子女が行き得る復帰の道が生まれません。祝福を受けた信仰の父母と、信仰の三子女は、祝福の赤ん坊を中心として侍る因縁を結ばなければなりません。祝福の赤ん坊を中心として初めて、父母も復帰された父母の立場に立つことができます。結局、堕落したアダムとエバがアベルによって復帰されるように、祝福を受けた父母も二世たちによって完成されるのです。ですから、信仰の子女がないまま、自分の赤ん坊を懐妊してはならないという事実を知らなければなりません。信仰の子女がいないまま、祝福の赤ん坊を愛することもできず、救いを受けることもできないというのです。(122)

 皆さんは祝福を受ける前に、必ず三人の信仰の子女を探し立てなければなりません。それは自分を中心として見ると、メシヤを迎えるぐらい大きな問題です。皆さんが神様から愛を受けた立場に立つためには、アベルの立場に立つのです。アベルという立場は、アダムを代身した立場なので、その前には三人の天使長がいなければなりません。三天使がアダムに完全に服従する基台が立てられてこそ、堕落せず完成したアダムの立場に復帰され得ます。しかし、祝福を受けたといっても、信仰の三子女がなかったり、三天使がアダムを主管する立場になるならば、祝福を受けたと言いますが、蕩減復帰は絶対に成され得ないのです。(123)


  7、信仰の父母の使命と愛の公式

 サタン世界で三人のカイン的な存在を探し、信仰の子女として立てなければなりません。信仰の子女は、自分の生命を懸けて奉仕し得る人でなければなりません。アダムが完成するときまで、命を懸けて身辺を保護してくれる天使長の立場に立てなければなりません。堕落した世界で三人を探し、復帰された勝利的カインの立場に立てなければなりません。

 イエス様が十字架に釘打たれて死ななければならない環境に処しているとき、逃げてしまう者になってはなりません。死の道を行くイエス様を守らなければなりません。イエス様に先立って、死を覚悟して立ち上がり、自分が代身して行くと言わなければなりません。そのような人になることができなければ、完全な勝利を収めた、三天使の立場を復帰した信仰の子女になり得ません。信仰の子女をして、絶対的な信仰をもつように育てるのは、自分が生んだ実の子供を育てるよりも三倍、あるいは七倍以上、一層難しいということと銘記すべきでしょう。(124)

 人類の罪悪歴史は、サタンになった天使長から始まりました。罪悪の歴史を復帰するためには、堕落した天使長を先に復帰しなければなりません。復帰された天使長の立場である信仰の子女を愛し、自分の方に帰ってくるようにするのです。それで先に信仰の子女を愛し、その後に自分の子女を愛することによって、父母の立場に復帰されるのです。(125)

 愛をサタンに奪われたので、サタンの愛の圏から愛を奪い取ってこなければなりません。本来の愛をサタンが奪い取っていったので、これを天の側で取り戻してこなければならないというのです。三名の信仰の子女を探し立てて、彼らが天使長の立場で絶対的に服従するようにしなければなりません。そして、自分が神様と同じ立場で彼らを絶対的に愛したという立場に立たなければならないのです。偽りの愛によって真の愛を失い堕落したので、それ以上の心からの愛を投入しなければなりません。(126)

 この世の父母が自分の子供を愛する以上に信仰の子女を愛さなければ、彼らを復帰できません。愛によって引かれていった人は、愛でもって引っ張ってこなければならないのです。そうして勝利を収めた愛の基準の上に立てられた三名の信仰の子女を基盤として、自分の子供を愛することができるようになるのです。これは愛の公式なのです。

 先生もそのような生活をずっとしてきました。その公式を通さなければ、完成基盤は生まれません。それゆえ、信仰の子女を完全に立てられなかったときには、いくらかわいい自分の子供がいるといっても、自分の家で一緒に暮らすことができないのです。(127)

 信仰の子女を育てるにおいては、この世の父母が自分の子供を愛するよりも数倍以上愛さなければなりません。信仰の子女を愛さない者は、自分の子供を愛すべき資格がありません。それは復帰の道であるので、誰もどうしようもありません。(128)

 カイン的な息子・娘を育てるためには、皆さんがご飯に飢えてもご飯を食べさせ、夜を徹してもみ言を伝えなければなりません。先生が今まで皆さんに対して与えたように、皆さんも彼らのためにそのようにするのです。(129)

 祝福を受けた家庭は息子・娘を生んだといって、愛してはならないのです。愛せないようになっています。皆さんも先生と同様の立場なので、信仰の三人の息子・娘を立ててアダム家庭の基準を復帰できずに、自分の息子・娘を愛してはならないのです。祝福家庭も、先生がこの道を出発したときと同様の立場だというのです。それゆえ、皆さんも信仰の息子・娘を早く復帰しなければならないのです。(130)

 皆さんの腹中にいる赤ん坊は三時代を経ますが、カイン的な三名の信仰の子女を探し立て、彼らが腹中から赤ん坊に屈服できるようにしなければなりません。そうしなくては、自分の子女を愛することができません。すなわち、エデンの園のアダムとエバが腹中にいるときから天使長が侍り、僕の役をしたのと同様に、皆さんはカイン格の三名の信仰の子女を立てて、皆さんの子女に腹中から侍らせなければなりません。家庭が行く道にこのような事情と内容があります。(131)

 自分と血縁的に近い人たちを先に愛してはならないのです。それよりも反対する人、サタン側に属した人、カイン的な人を、先に、自分の父母兄弟以上に愛する基準を立てなければならないのです。これが原理の道なので、そのような道を歩んできた統一教会は大きく発展しているのです。自分の実の父母、兄弟以上に愛し自然屈服させなければ、蕩減復帰は成され得ません。ですから、カインがいなければ、アベル自身の救いも成され得ないというのです。

 自分の実の子供以上の心情で、自分に孝行し、精誠を尽くしてくれる人をつくらなければ、蕩減復帰にならないので、そのような立場を立てるということがどれほど難しいことでしょうか。食べることも忘れ、眠ることも忘れるほどにカインを愛さなければ、彼らは心情的に屈服しません。先生はそのような環境をずっと広げて、勝利圏をつくっているということを知らなければなりません。(132)

 神様の立場で見るならば、蕩減復帰のためにひとり子であるイエス様を地上に送りましたが、イエス様と一緒に死ぬことのできる信仰の子女を探し立てられなかったので、彼を十字架に差し出すほかなかったのです。ですから、自分の子供のために犠牲になり得る基台を立てなくては、自分の子供を愛する道が生まれないということを知らなければなりません。信仰の子女がいなければ、摂理の完成も、自分の救いも成し得ないというのです。(133)













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