祝福家庭と理想天国
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第六章 ご父母様の聖婚と祝福家庭

  第一節 ご父母様の聖婚と七年路程
  第二節 祝福家庭に対する摂理的意義
  第三節 祝福家庭の価値と使命
  第四節 国際祝福家庭の使命


第一節 ご父母様の聖婚と七年路程

  1、患難と迫害の最高峰になった聖婚式

 一九六〇年にあった先生の聖婚式の背景には、アダム以後イエス様のときまでの四千年期間と、イエス様から今日に至るまでの二千年という歴史過程にあったすべての内容を、蕩減条件を立てて解決しなければならない内容がありました。その行事は世界的であり、天宙的な大きな意味を備えているにもかかわらず、現実的には、わずかな人々によって成されました。

 それを準備するための期間だった一九五三年から一九六〇年までは、想像を絶する迫害の時期でした、その期間には、少なくとも三百六十万名を超す人が反対し、三つ以上の教派と国家が迫害を加えてきました。そのような状況の中で、蕩減条件を立てて勝利の旗を立てたのが、一九六〇年にあった先生の聖婚式でした。その日が統一教会の運命を決定した最初の日でした。

 統一教会の聖婚式は、地上において永遠に記念すべき世界的、天宙的大事件です。世界的に解決すべき縦的な蕩減条件を横的にこの地上で解決する実体として、霊肉ともに勝利の基準を成した日です。(1)

 先生を中心として再創造の役事が起こるようになりました。個人的なヤコブの立場から出発し、闘って勝利した家庭基準が現れなければなりません。それで、解放後十四年目の一九六〇年に家庭の出発がなされたのです。言い換えれば、イエス様が失敗したのを復帰しなければならないので、長成数に該当する十四年という期間を越えなければならないという結論が出てきます。解放後の一九六〇年は、歴史的な年です。ヤコブも十四年目に家庭を完全に捜し出しました。同じことです。だから、十四年後に家庭基盤を固めたのです。(2)

 先生が出発しようとした三年路程が失敗に帰したので、それを収拾するために満十四年を通じて、一九六〇年度に初めて聖婚の日ももつようになったのです。そのときに、初めてこの地上に神様が願われる家庭が生まれたのです。そのときは、ちょうどイエス様が十字架で亡くなられたのと同様に、キリスト教と政府が一つになって統一教会をなくそうとしたのです。先生が聖婚式場に出ていく前日まで、警察署に呼ばれていって調書を作成し、警察と闘わなければなりませんでした。イエス様の十二弟子が不信したのと同様に、統一教会をよく信じていた十二弟子のような人々までも反対をしました。統一教会側であった人も反対し、キリスト教も反対し、国も反対しました。ユダヤの国とユダヤ教団とイスカリオテのユダが一つになってイエス様を殺したのと同様の運命に追い込まれたのです。

 一九六〇年四月が、患難と迫害の最高峰でした。もう一歩行くか、行けないか、ここで新しく出発するか、できないか、という境界線に立っていたのです。そのような状況で歴史的な新しい事を成就させたということは、神様に最高の喜びと栄光を捧げ奉った結果になるのです。イエス様が語られた歴史的な花嫁の日を迎えたのです。これが聖婚式です。

 ここから神様を中心として環境を復帰して、急進的な発展をはかり始めました。イエス様は新婦を探し立てられず亡くなられましたが、今、新婦を探し立てることによって、破り捨てられたすべてのものを収拾することができるようになり、本格的に復帰摂理が成されるようになったのです。(3)

 先生の聖婚式を中心とした統一教会の祝福行事は、既成教会をはじめとしたサタン世界から迫害の対象になりました。

 イエス様は、ユダヤ民族とユダヤ教団から追われながらも、祝福の秩序を立てなければなりませんでした。しかしイエス様は、十字架に肉身を出すことによって、そのような祝福の秩序を立てられませんでした。イエス様が立てられなかった祝福の秩序を、先生が立てることによって神様のみ旨を復帰していくようになるや否や、サタンは自分のすべての勢力を総動員して反対し始めました。

 聖婚式をもつ前まで、サタンのすべての勢力は、反対する投書を通して行事を阻止しようとしました。既成教会を中心としてすべての民族的な勢力と国家的な勢力が反対する中で、聖婚式が始まりました。聖婚式は祝祭や慶事ではなく、サタンとの天下分け目の闘いでした。聖婚式が失敗するか、成功するかによって、サタンと神様の勝利圏が交差するようになっているので、緊張感が漂う中でやり遂げられたのです。善悪の気流が交差する聖婚式をもつことによって、神様に栄光を帰することができるようになりました。(4)

 イエス様は愛の家庭と愛の世界を主張されました。ところで、先生の時代に来て初めて、神様の愛を中心とした心情的歴史時代に向かって出発するようになったというのは驚くべき事実です。内的な摂理が外的に展開され、ここから出発を見るようになったのです。これはアダムとエバが祝福を受けることによって、横的な世界が展開されるのと同じです。(5)

 メシヤが来られて迎える新婦は、個人とはいえ個人ではありません。全世界を代表した新婦として中心点で出会うのです。ですから、サタン側は国家の主権を総動員して妨害するのです。メシヤと新婦が出会い、中心を握る日には、サタン側のカイン世界は完全に壊れるので、サタン世界は主権を総動員し、力を総動員してメシヤの家庭を壊そうとするのです。

 宗教も、全部が一つになってメシヤの家庭を支持しなければ、サタン側に移っていきます。支持せず黙っていても、サタン側に移っていきます。ですから、すべての宗教の中心宗教であるキリスト教が支持できなければ、それによって全体の宗教と全体の国家がサタン側に帰するので、サタン側はキリスト教がメシヤを支持できないように、総攻撃をするようになります。

 ですから、メシヤと新婦は攻撃を受ける立場で、全国家が反対する立場で出会うのです。位置を確立して挙げる聖婚式ではありません。歴史にない闘いの場で位置を確立しなければならないのです。先生が一九六〇年度にそのような闘いの渦中で聖婚式を挙げたのを知らなければなりません。(6)

 複雑な蕩減路程を通過し、今まで歴史になかった望ましい夫婦が誕生しました。数千年の間、推し量ることのできない多くの死の境地を克服し、サタンとの息詰まる接戦の末に、初めて神様が願う理想相対が成立しました。長い歴史を通して願ってきた真の父母を、神様がこの地上に探し立てられたのです。そこから、神様の心からの愛によって、尊厳で称賛し得る実体基準としての四位基台が出発するようになるのです。(7)


  2、三弟子を先に探し立てたご父母様の聖婚式

 イエス様には三弟子が必ず必要でした。アダムとエバには三名の天使長がいました。ところが、彼らは互いに、アダムとエバに一体になり侍ることができませんでした。その結果として堕落世界が築かれたので、完成された父母の立場に立つためには、完全に服従し得る天使長的な三弟子がいなければならないのです。そうでなければ、サタンを地上から追い出すことができません。霊界の三天使長を象徴し、堕落圏内の三時代(旧約時代、新約時代、成約時代)を通過しながら、アベルに従順屈服しないカインの立場を完全に蕩減する人物が必要です。この三人が、旧約、新約、成約に連結されてきた縦的な歴史を一時に横的に蕩減復帰するために来られた再臨主に、完全に従順屈服しなければなりません。(8)

 先生が聖婚式をもつためには、イエス様に反逆した三名の弟子を復帰して立てなければなりませんでした。

 聖婚式のもう一つの目的は、アダム家庭を蕩減する条件を立てるところにあります。アダムとエバは、夫婦関係で堕落しました。堕落は夫婦を通して成されたものなので、復帰は一人ではできません。男性一人では復帰をすることができません。男性一人では救いが完成されません。女性一人でも天国に行けません。したがって、二人で解決していかなければならないのです。堕落したアダムとエバの立場を復帰し、真の父母の基準をこの地上に立てなければなりません。そうするためには、三天使長のような人物、すなわち三弟子を立てて、彼らを中心として問題を解決していかなければならないのです。(9)

 アダムの代身はイエス様であり、イエス様の代身は再臨主です。そのアベルに従う三名の信仰の子女をもたなければ、真の父母の立場に上がれないようになっています。自分の生死の境を越えて立ち、迫害の真っただ中でもついていき得る孝子になりきれる三人の弟子をもたなければなりません。先生がそのような三弟子を探し立てたのは、一九六〇年四月でした。

 その基台の上で家庭圏を成していかなければならないのですが、ヤコブの家庭のような十二名の子女を基盤にしなければなりません。三名の弟子、三名の息子を中心として、徐々にそのような基準を立てていかなければならないのです。

 アダム家庭の三人の息子、すなわちカイン、アベル、セツの復活体として、相対基準を築き、その約婚(三弟子の約婚)の立場を越えて実体的に父母の立場を決定したのが、一九六〇年の聖婚式です。この聖婚式は、アダム家庭の三人の息子が父母と一体となれず神様の恨みとして残されてきたものを、歴史的に蕩減復帰した重要な行事です。歴史始まって以来初めて神様を中心としたこの聖婚式が、一九六〇年四月韓国で挙行されたということは、世界的な事件であり、この時から新しい歴史の運勢が回り始めたといえます。(10)

 一九六〇年、長成期完成級に三子女を立てました。三子女はペテロ、ヨハネ、ヤコブをも象徴します。(11)

 一九六〇年、先生の聖婚式をもつ前に三六家庭の中で三家庭をまず約婚させ、先生の聖婚式を挙げるや否や三家庭を祝福しました。三家庭の祝福は、イエス様を中心としてペテロ、ヤコブ、ヨハネが一度に神様の理想圏に立ったという条件を立てるためのものでした。それによって、サタンが侵犯しても分立されない勝利的基盤が立てられるようになったのです。(12)

 聖婚式の前に三家庭を立てるのは、イエス様の三弟子が死なずに生きて新郎新婦の理想を立てる立場として、平面的に勝利的基盤を構築する意味があったのです。それは結局、イエス様が死なずに生きて勝利を成していく立場に立つようになったことをも意味します。また、三家庭は、人類歴史のすべての家庭を蕩減する中心家庭になるのです。(13)

 ご父母様を中心として三つの家庭を祝福するので、八人家族になります。この三つの家庭がアダム、ノア、アブラハムを代表した家庭であり、カイン型を復帰した家庭です。ここから直系の子女が出てこなければなりません。またこの三つの家庭は、イエス様の時代に反対した弟子を代身し、再臨時代の子女として立てられたカイン型の人物です。だから、再臨主に侍ることによって、復帰した天使長の立場に立たなければなりません。ですから、三つの家庭は天使長を復帰した型の家庭になります。(14)


  3、父母が責任をもち開拓する時代

 一九六〇年は、統一教会が堕落したアダムとエバの立場、すなわち長成期完成級に上がった年です。その基準を中心として完成期まで上がろうとすれば、七年の期間が必要です。それが第一次七年路程です。完成基準に上がり立てば、神様の直接主管圏内に入るようになります。直接主管圏というのは、神様が私たちの心情と生活圏を直接主管される段階をいいます。(15)

 父母が責任をもって開拓する路程が、第一次七年路程です。先生が、先生の家庭に対して讒訴し得るすべての内外の基準を整理して、家庭を中心として発展しても、心情的な面でサタンが讒訴できないように、完全に決定しなければならない期間が七年路程期間なのです。この期間には、先生とお母様が完全に一つになって世界人類を代表し、分かれた複雑な問題を心情的に総合し得なければなりません。世界をつなぐ心情の土台の上に立たなければならないので、そのようなことをしてきたのです。先生はこの期間にイエス様とイエス様の家庭とイエス様の氏族が行くことのできる道を蕩減復帰してきたのです。その基台の上で神様を中心とした一つの氏族圏を世界的に連結させるために、合同結婚式である祝福行事を開催してきたのです。

 それで、一九七〇年までに国家基準を越えて世界基準を成就させるようになったのです。一九六七年までに国家基準を完全に勝利し、一九七〇年度には世界的な基準まで連結させたのです。言い換えれば、祝福を通し勝利したその伝統に、世界の氏族が従っていき得る土台を立てたというのです。(16)

 統一教会では、堕落しない父母を真の父母といいます。ところが、アダムとエバが真の父母になれず、堕落した父母になることによって、人類には六千年間、闘いの蕩減歴史が残されたのです。それは、父母が誤ったからです。

 その責任は、誰がもたなければならないでしょうか。子供に譲るのではなく、父母がもたなければならないというのです。父母が誤ることによって、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界まで讒訴され得る基盤となりました。これを全部父母が蕩減条件を立てて、断ち切っておかなければならないのです。これを断ち切っておく期間が、第一次七年路程期間である一九六七年の終わりまででした。

 そうして、第二次七年路程に入ってからは、皆さんの前にサタンが讒訴し得る道がふさがってしまったのです。それで皆さんは、無事通過圏内に入ってきているのです。(17)

 第一次七年路程は、誰が行かなければならないでしょうか。父母が行かなければなりません。アダムとエバが長成期完成級で堕落したので、父母がその道を行かなければならないのですが、誰を中心として行かなければならないでしょうか。男性なら男性を、女性なら女性を中心として行くのではなく、完全に神様を中心として行かなければならないのです。どんなにここで祝福家庭の形態を備えても、その家庭の形態は、一人の男性、一人の女性を主とするものではなく、神様を中心としたものでなければなりません。もしみ旨と食い違うようになるときは、互いがどんなに近いといっても、その近い要素を除去し、越えて立ち得る立場に立たなければなりません。この道は、女性的事情や男性的事情を互いが提示して、それを公正な立場で通過させ、行くことのできる道ではありません。完全に天の側に立って行かなければならない道です。

 一人の男性が主体になっていれば、女性は彼の前に絶対的に服従しなければなりません。ここでは男性と女性を中心として、カインとアベルの立場と同じ内容が生じるので、男性がアベル的立場に立てば、カイン的立場である女性は、彼の前に絶対的に服従しなければなりません。ここに異議があってはなりません。異議があれば、それだけ支障が生じてくるのです。神様はこのような役事を今までしてきています。

 先生が経てきた七年路程も、このような過程だったのです。このような過程を経て、初めて実体的な勝利の条件を立てたのです。この七年路程を蕩減条件を中心として経なければならないので、この期間、先生は国家を中心として数多くの民族と対抗し、闘ってきました。また数多くの教団を中心として闘ってきました。

 ここで勝利の条件を決定し、彼らを屈服させた土台の上に父母の基準を決定しなければなりません。そうした後に、神の日を宣布することができます。(18)

 七年路程を経ていくには、アダムが主体になったのと同様に、お母様は必ず先生を中心として完全に一つにならなければなりません。先生の前に絶対的に服従しなければならないのです。ここには異議があり得ません。ところで、女性なら女性としての感情もあるでしょうし、家庭においてはお母さんの立場で生じるたくさんの事情もあるでしょう。しかし、その事情は二次、三次的な問題であり、一次的な問題になり得ません。このように先生を中心として一つになるにおいて、一次的な問題には、女性の情緒的な問題などのいろいろ複雑な内容がかかっています。

 これを打開するために、先生が七年間闘ってこの峠を越えてきました。その間、先生は教会のために仕事をしませんでした。皆さんは民族のために外的に闘ってきていますが、その背後の根を造成するのがこの基準です。この基準を決定しなくては、どんなに民族的な勝利の土台、国家的な勝利の土台を立てたといっても、その勝利の土台はそのまま残され得ません。ですから、問題はどこにあるでしょうか。真の父母の土台にあるのです。(19)

 イエス様は自分の親戚と自分の兄弟と父母まで捨てていきながら、この世を救うために生涯を捧げました。それで先生は、七年路程期間に自分の親戚と氏族に対して伝道をしてはならないのです。そのときは、イエス様が父母や兄弟の前に、神様のみ旨どおりに行う者が私の父であり私の兄弟だと言った、そのような心情をもって、出て闘う時です。(20)

 先生の七年路程期間においては、先生の一族が以北で多くの犠牲の代価を支払いました。イエス様の家族が責任を果たせなかったのを蕩減すべき歴史的な内容があったので、サタンによって死の道に引っ張られていくこともあるでしょうし、惨めに踏みにじられることにもぶつからなければならないということを知っていました。

 私が平壌から出てくるとき、わずか一時間ほど行けば両親に会うことができましたが、駆けつけることができませんでした。両親が死の道を行っても、かかわることのできない道、他の氏族を探していくべき運命の道を出発し、南韓に下ってくるようになったのです。誰よりも私を愛したお母さんと、誰よりも私を愛したそのお兄さん、お姉さんたちが、共産治下で犠牲になっていったと見ています。私が愛する家族を捨て、血族を捨て、出会おうと言った人々が皆さんです。(21)


  4、ご父母様の家庭的十字架路程

 一九六七年までは、先生の家庭を中心とした摂理が別にあります。この法度の中では、神様も先生もどうすることもできません。最も困難なとき、最も信じ得る環境をつくらなければなりません。(22)

 六千年の歴史は、個人的に十字架を負って来た歴史です。しかし、家庭的に十字架を背負っていくべき期間が残っています。それでは、その家庭的十字架を誰が負いますか。今までその十字架を、誰も負おうとしませんでした。イエス様も民族と国家を代身した十字架を負い、家庭を築いて世界に向かって進んでいかなければなりませんでした。しかし、民族と国家の十字架を背負って亡くなられたので、再蕩減しなければならないのです。それによって、個人的な十字架の道が残されるようになり、家庭的な十字架の道が残されるようになったというのです。このように六千年歴史が石の峠(=とても困難な)道を経てきたので、両面的な蕩減をしていかなければなりません。これをするために、先生が六〇年代まで個人的な十字架の道を歩んできたのです。

 この十四年路程は、ヤコブが歩んだ十四年路程と同じ期間です。その期間を越えてこそ、家庭を築いてその家庭の四位基台を中心として地上に基盤を確立し、伸ばしていくことができます。

 個人的な十字架の道において、誰が自分に同情してくれても、その同情を受けては絶対いけません。同情することができないだけでなく、同情されることもできない蕩減路程を歩んでいかなければなりません。

 先生がこのような個人的な蕩減路程を果たし、家庭として生活の土台を備えた六〇年代からは、家庭的十字架の道に突入するようになりました。それで、先生が皆さんを直接指導する仕事を中断したのです。先生は一九六四年の夏まで、この場で聖日の礼拝の説教をしました。ところが、なぜそれをやめたのでしょうか。それは、外的な問題より内的な問題がもっと切迫したからです。先生が六千年の歴史を蕩減すべき使命を負っているので、皆さんと教会より、家庭的十字架をどのように蕩減するかという問題を中心として来たのです。このような事実を皆さんは知らなければなりません。このような過程を経て「父母の日」を策定し、「子女の日」を策定し、「万物の日」を策定し、「神の日」を策定したのです。先生が一九六〇年から始めて、一九六八年度一月一日を期して、神の日を宣布するときまでの内的な受難の路程を、皆さんは知らないでしょう。永遠に知らないでしょう。先生がこの道に来ながら今までどのような過程を経てきたのか、皆さんは知らないでしょう。(23)


  5、お母様を通した七年路程

 堕落は、女性のエバから始まりました。聖書にははっきり記録されていませんが、当時エバの年は、いろいろな状況から見て十六歳ぐらいに推定されます。エバは少女時代に堕落することによって、神様が信頼すべき人類の母の基準を喪失しました。ですから復帰の原則に従って、真の母になるべきその方は、二十歳になる前に選ばれなければなりません。そして先生の聖婚式は、四十歳を越えてはなりません。そのような関係で、先生は若い妻を迎えて、娘のように愛しました。(24)

 エバは堕落することにより、神様の前に愛する娘の本分を果たせず、アダムの前に妹の本分を果たせず、妻の本分を果たせませんでした。ですから先生は、お母様を娘のように育て、兄の立場で愛してあげ、新婦として対さなければなりませんでした。堕落によって偽りの父母、偽りの兄の愛を受けたので、お母様になるべき人には、偽りの父母、偽りの兄がいてはなりません。

 お母様は、妹のようで妻のようで娘のような人でなければなりません。どんなに困難なことがあっても、自分の父母や兄など、訪ねて訴えることのできる家族や親戚がいてはなりません。(25)

 聖婚式以後、最初の七年間は、お母様を育てる期間として天的な家門と家法に従った教育をしてきました。先生はこの期間、夜も寝ず、ずっとそのことのために祈祷しました。(先生は)お母様もよく気づかないうちに、このようにして、堕落の結果として失ってしまった神様の娘と、その相対基準と、真の父母の基準、この三つを実体として復帰しました。これは堕落した人間始祖の後孫であれば、誰もが行くべき道なのです。(26)

 先生はお母様を迎えましたが、ほかの人の家に送って、初めの三年間苦労をさせました。それで、初めは気にくわないといって憎んでいた統一教会の女性たち、おばあさんから女の子たちまで全部、「ああ先生、あんまりです。お母様をお迎えになって一緒にお暮らしになればいいのに、なぜ外に出して苦労をおさせになりますか」と言いながら、同情するようになったのです。全部お母様側になったのです。そうして、再びもとの位置に、位置を確立して帰ってくるようになったのです。

 蕩減復帰摂理は、どうすることもできません。お母様も強く大胆に七年間の蕩減期間を経なければならなかったのです。ところで、お母様が立派なのは、自分のお父さん以上に私を信じようとしたことです。私がおじいさんのように感じられたといいます。このようにおじいさん以上、お父さん以上、お兄さん以上、百パーセント信じてきたのです。このように塀を越え谷を通りながら、全部位置を確立してきたのです。

 男性が勝利した後には、女性が勝利しなければなりません。それで、反対するこの社会と国家で七年間蕩減の過程を経なければならなかったのです。

 聖婚式を挙げた以後、父母の日、子女の日、万物の日、神の日まで探し立てたのです。(27)

 神の日は、お母様が責任を果たしたので設定することができました。世間にどんなことがあっても、七年間、お母様の私に対する心は変わることがなかったというのです。死んでも変わることなく、夫が行く道をついていこうという覚悟と姿勢で、七年路程を越えました。

 エバが神様を信じることができない立場で堕落したので、代身して蕩減する立場で神様が信じることのできる立場に立たなければならず、また、エバがアダム(夫)を堕落させたので、夫が百パーセント信じることのできる立場に立たなければならなかったのです。ところで、お母様は不信の人類歴史の中で、初めて神様と夫が百パーセント信じてくれる立場に立つことによって、その心の基台の上で、神の日が設定され得たというのです。

 そのときが一九六八年でした。男性の蕩減復帰基準と女性の蕩減復帰基準を立てて、アダムとエバが長成期完成級で堕落したのを復帰する七年過程を経て、八年目を迎える一九六八年に初めて完成期完成級で夫婦の資格、夫の資格を備え、この地上に現れることができました。

 そうして家庭を率い、息子・娘を率い、国家基準を越え世界に向かって出動することができたので、そのときアメリカに渡ったのです。(28)

 第一次七年路程期間は、お母様の受難期でした。娘をもった数多くの統一教会の女性たちが、お母様を憎んだのです。それで三年間、お母様を外部世界の他の家で暮らすようにしました。そうすることによって、統一教会の女性たちがお母様に協力し得る環境を造成しました。強制的方法によってではなく、自然に従順屈服しなければならなかったのです。そのような七年期間を経ることによって、本然のお母様の位置に上がるようになったのです。

 お母様を探し立てるための第一次七年路程が終わって初めて「神の日」を宣布することができました。

 その期間中に「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を宣布し、「神の日」を宣布したのです。「神の日」を宣布しつつ、神様に対し得る家庭的ひとときを迎えたのです。(29)


  6、一九六〇年代の摂理的標語

 一九六〇年度は長成期完成級に該当します。完成期は七年です。(30)

 一九六〇年代の私たちの標語は何でしたか。まず「生涯中、最高の実績を残す年にしよう」というものです。次の年には、「お父様の代身者になろう」、その次の年には「見せてあげて誇れる者となろう」、その次の年には「勝利的主管者となろう」というものでした。それは先生を置いて言った言葉でした。先生の生涯最高の実績は何でしょうか。神様の復帰歴史を中心として見るとき、最高の実績を残した年が一九六〇年代だというのです。それゆえ、神様の代身者となって使命を果たさなければならないのです。神様の代身者となるためには、見せてあげて誇る基準がなければなりません。それには、四位基台を復帰しなければならないのです。三年の間に、四位基台を復帰するのです。それをしたので、勝利的主管者となろうという四年路程の標語が出てきたのです。

 これが今まで先生がしてきた闘いでした。ですから、皆さんもこの標語を中心として、皆さんの生涯の最高の実績を残すために七年路程に入っていかなければなりません。その次には、神様の代身者とならなければなりません。蕩減復帰するためには、サタンと闘って(サタンに)押されてきた、神様の歴史的な悲しみを全部解怨してあげることのできる勝利者、すなわち神様の息子・娘にならなければなりません。そうすることによって、神様の代身者となるのです。そのような立場でサタンを屈服させてサタンが讒訴したのを防いでおき、神様の息子・娘として立つならば、神様はこの息子・娘を天地間に見せてやり、誇らなければならないというのです。

 四位基台の完成は、創造目的の完成なので、サタン世界を屈服させる原則になるのです。ですから私たちは、サタンを自然屈服させ得る勝利的主管圏をつくらなければなりません。それをつくり、大韓民国と世界に出ていこうというのです。皆さんは知りませんが、これは全部公式的なことです。皆さんはそのような標語をもって出ていき、生涯最高の実績を残さなければなりません。それでは、皆さんの七年路程の出発はいつでしょうか。一次七年路程を全部成したというのは、全体を中心として言う言葉です。皆さん個人の七年路程をいつ出発するようになりますか。それは皆さん各自がみんな違います。(31)

 七年路程の初年の標語は「生涯中、最大の実績を残す年にしよう」であり、二番目の年は「お父様の代身者となろう」であり、三番目の年の標語は「見せてあげて誇れる者となろう」だったのです。その次の四番目の年から七年路程が終わるときまでは「勝利的主管者となろう」という標語で貫くようになったのです。また、前の三年期間には、連続で三六、七二、一二四家庭の成婚式を挙行し、南韓各地に任地を与えて固定配置しましたが、これはイスラエル民族がカナンを復帰した後、十二支派を中心として新しい地を分配したのと同じ意味があるのです。(32)

 一九六〇年代から、新しい歴史時代に入ったという事実を知らなければなりません。新しい歴史時代に入ることによって、新しい氏族がここに顕現するでしょうし、新しい国家、新しい世界の形態がここに現れるようになるというのです。今までこのような起点を中心として、統一教会では数次にわたって祝福行事を挙行したのです。

 このような行事によって、彼らが祝福を受けることだけで終わってはならないのです。このような行事を経て、民族の前に、世界の前に、復帰摂理の路程の前に、一つの勝利の盾、勝利の起点を広げてきたという事実を私たちは知っています。(33)

 一九六〇年以後、歴史がこのように急変するのは、統一教会を中心とした神様の摂理があったからです。なぜこのような大転換期に入ったのかということを、現代の歴史家は理解できません。皆さんは、皆さんに施す祝福が、すなわち模範を見せてあげるためのものであるのを忘れてはなりません。(34)

 霊界は今まで大混乱が続いてきました。川の水が流れて海に集まれば、大海を成すようになります。しかし、霊界は谷間谷間ごとに流れる水をせき止めてダムをつくっておいたのと同じです。それによって、水が海に流れ得ないようになっているのと同じ立場です。今は築いた堤を壊してしまうべき時代です。六〇年代以後からは、堤を取り壊す役事が起こっており、それによる大混乱が始まりました。

 決定的な勝利を占めるのは、霊界にかかっているのではなく、地上にかかっています。元来、堕落は夫婦が共にしたので、夫婦が協助してその立場を克服し、息子・娘が協助しなければなりません。復帰時代は、家庭を中心とした摂理を行うようになったのです。ノアの八人家族をはじめとして、アブラハム、イサク、ヤコブの三代を経て蕩減基盤を形成してきました。

 六〇年代前までは、家庭ではない個人を中心とした仕事をしてきました。先生は、個人的にたくさんのうわさと反対を受けながら越えてきました。六〇年度に初めて家庭をもち、神様の愛を横的に展開させるようになったのです。それ以後に祝福を通して基盤を広げてきました。祝福を受けるためには、家、父母、自分よりも、神様をもっと愛さなければなりません。祝福は愛の十字架を越えていくことなので、「父や母や妻子を私よりも愛するものは、私の弟子となれない」というイエス様のみ言のように、祝福を受けるために家庭を逃げ出してくることが生じたのです。アブラハムがカルデヤのウルを去ったのと同じく、神様の召命を受けて故郷を去るようなことが生じました。それによって悪いうわさが流れました。このようなことは誰かがさせたのではなく、個人の内的な刺激によって生じたのです。(35)


  7、三六、七二、一二四家庭の祝福

 一九六〇年代の合同結婚式のときは、大韓民国の人全部が反対しました。統一教会の文先生を拘禁しようと十四名か、十五名かが行列をつくって裁判所に投書をしました。このように全体が反対する立場に立たなければ、蕩減にならないのです。合同結婚式を挙行するとき、式場が修羅場となって、警察官たちが来てけんかを止めました。大門を閉ざし、外では騒ぎ立てて戦場のようでしたが、中では結婚式をしました。そのような結婚式は歴史始まって以来初めてだったでしょう。先生が三年間にこのことをしてしまったので、夢のようでした。それは、そうしなければならない。理由があるからです。先生がどのような人よりも計算できないからではありません。先生は損をする商売は絶対にしません。(36)

 先生の家庭と三六家庭は、堕落した父母たちの家庭から許しを受けて結婚してはなりません。(37)

 一九六一年、三六家庭の祝福式のときも騒乱が起こりました。ゆえに、見張り番を立てておき、結婚式をするほどでした。(38)

 統一教会の三六家庭を祝福するとき、その父母たちが全部反対しました。自分の息子・娘を出せと騒動を起こしました。神様のみ旨で見ると、人類歴史が偽りの父母によって始まったので、真の父母の立場ですべてのことを導かなければならないというのです。国は国なりに反対しました。先生が裁判所に行って交渉しながら、結婚式を挙行しました。全部反対する立場で冒険をしてきました。(39)

 アダムとエバが堕落するとき天地が真っ暗になったので、それを蕩減復帰するために統一教会の祝福(三六家庭)も真っ暗な夜中にしなければならなかったため、門を閉めて成婚式をしたのです。そのとき、「私の息子を出せ、人の息子・娘を連れていって何をするか」など、ありとあらゆる声をみんな聞きました。自分の子供を嫁がせ、めとらせるのは父母の勝手なのに、統一教会の先生が独断的にするというので、騒ぎ立てました。まさに、サタン世界の父、母だからです。神様の息子・娘をサタンが奪っていったので、先生が再び奪って蕩減復帰するのです。歴史的に失った息子・娘を再び捜し出して蕩減復帰するためでした。それで、式を早く済ませたのです。蕩減復帰歴史なので、どうすることもできませんでした。

 統一教会の原理を見れば、神様が統一教会と共におられざるを得ないというのです。

 統一教会に反対して、死んでやると言って哀願したその父母たちが、最近になっては、そのときの合同結婚はよくなかったけれども、よい婿をもらったと言います。結婚はよくなかったのに、よい夫をもらったとしたら理屈に合う話ですか。最近、私さえ見ればそういうことを言います。(40)

 次に子女の問題があります。アベルの闘いで、天使長の立場にいるカインがアダムの立場にいるアベルに服従できなかったことにより、今まで歴史が延長されてきました。それを蕩減しようとすれば、先祖の家庭である三六家庭の前にそれぞれカインとアベルのような二つの家庭を立てなければなりませんが、これが七二家庭です。(41)

 三六家庭はアダムからヤコブまでの歴史的な先祖の立場であり、七二家庭は三六家庭をそれぞれカイン・アベル家庭として立てて復帰した立場です。イエス様の家庭を中心としたカイン・アベルの霊的形態まで備えた条件となったので、世界的代表である一二〇家庭を祝福し、その基台の上に聖地を選定するようになりました。ですから、一二〇家庭は世界すべての国家の代表型です。五旬節に百二十門徒が一つになってイエス様が世界的な新しい出発をしたように、世界史的基盤を立ててきたのです。(42)

 再臨主はアダム家庭の立場を蕩減復帰しなければなりません。したがって、アダム、ノア、アブラハム型の家庭を探し出して、先祖として立てなければなりません。そのためには、まずアダム型十二家庭を探し、次にノア型十二家庭とアブラハム型十二家庭を探して縦的な先祖を立てなけれなりません。それで、先生が三六家庭を立てました。この先祖たちを中心とした、カイン・アベル型の家庭として探し立てたのが七二家庭です。そして、一二〇家庭は世界百二十カ国の指導者を象徴するのです。(43)

 三六家庭は先祖の立場であり、七二家庭は三六家庭の前にカイン・アベルを復帰した型です。すなわち、三十六先祖の前のこの七二家庭は、カイン・アベルが一時に蕩減復帰された型です。一二四家庭は全世界百二十国家を代表した型です。(44)

 三六家庭は堕落した人類の先祖たちが復活した型であり、その次に、七二家庭はその先祖たちの息子・娘が復活した型であって、一二〇家庭は世界の人々が復活した型です。だから、彼らが一つになれば、結局は家庭と息子・娘、そして世界まで一つになるというのです。これから、一二〇家庭までは、私が直接責任を負わなければならないと考えます。(45)

 三六家庭は人類の先祖復帰型です。七二家庭はカイン・アベル復帰(子女復帰)型です。一二四家庭は世界国家を代表します(その中には既成家庭の四家庭も包含)。その基盤の上で聖地を選定したので、それが世界四十カ国の百二十カ所の聖地です。(46)

 三六家庭から七二家庭、一二〇家庭までは引き離すことのできない一つのチームです。三六家庭は歴史的な、歴代の先祖を意味するものです。その次に、七二家庭は息子・娘を、一二〇家庭は世界国家の祭司長をいうのです。一二〇家庭はまた十二支派の世界的分派型をいうのです。それで、先祖とカイン・アベルが一つになり、そこに十二支派が一つになればいいのです。それを探すのが復帰歴史でした。

 三六家庭が先祖ならば、七二家庭はカイン・アベル型になりますが、これが一つにならなければなりません。そうすれば、家庭が一つになる型が整います。十二支派と同じものを世界的に拡大させたのが一二〇家庭であり、百二十門徒です。(47)

 神様を中心として四位基台を成すようになれば、サタンは後退せざるを得ません。真の父母を中心としてこの地上に世界的な発展の基準を立てた統一教会に、七二家庭の祝福に続いて一二〇家庭の祝福がありました。一二〇家庭は世界万国の代表たちを象徴したものです。イエス様は世界的な摂理の出発のために百二十門徒を立てられました。イエス様は霊的な立場で彼らを前に立てて、今まで救援摂理をしてこられました。先生にはこれを実体的に探し立てなければならない使命があったというのです。

 それが成されたので、次には万物を祝福しなければなりません。神様が願われる人を探し出したので、次に万物を探し出さなければなりません。先生はこのような条件を立てるために一九六五年度に世界を巡礼して、四十カ国を中心として百二十カ所の聖地を選定しました。世界的に選定された聖地は、運勢を大きく転換させるポイントになりました。(48)

 イエス様は三弟子を中心として十二弟子、七十門徒、百二十門徒をして地上で相対理想をなすようにして、理想家庭の編成をなそうとされたのです。しかし、イエス様はそのような相対理想を成せず、亡くなられたのです。このように理想家庭の編成をなせなかった神様の恨みを解怨してさしあげ、第一アダムと第二アダムが失敗した相対理想圏を地上で復帰し完成しなければならないのです。

 摂理の次の段階は、万物主管圏復帰です。人間の堕落によって万物主管圏を喪失したので、それを復帰するために一九六五年に世界的に百二十カ所の聖地を選定したのです。韓国で勝利した摂理的基台を世界的に拡大する意味で、世界各国を巡回しながら、韓国から持っていった土と石を選定した聖地に接続させました。万物の基台が復帰されなければ、世界的に活動することができないからです。

 神様が摂理することのできる基台を造成するため、四十カ国を中心として百二十カ所の聖地を選定しました。それは、四十年間築いた真の父母の勝利的基台を世界的に拡散させる摂理でもありました。四十カ国を中心とした百二十カ所の聖地の選定によって、世界的な万物を復帰する天道が開かれたのです。韓国の土と石で接続された聖地で祈祷をすれば、世界の国家圏を復帰し得る道が開かれるようになるのです。

 万物復帰のための聖地選定によって、この地上で初めて神の日を迎えることができる道が開かれるようになりました。このように第一次七年路程を勝利をもって終えた後、一九六八年に神の日を宣布するようになったのです。(49)

 子女としての義務と責任が、いかに大きいかということを知るべきです。三六家庭、七二家庭、一二四家庭の責任遂行の可否は、本当にその影響が大きいです。この子女が天の前に責任を果たすことによって、現世人と霊界人の解怨成就になります。(50)


  8、失った日々を探し立てた期間

 今日、統一教会が世界にない名節である神の日、父母の日、子女の日、万物の日をもっているというのは誇りです。これを解こうとすれば、歴史を解かなければならず、これを証そうとすれば、愛を中心とした天の家庭の根本を全部解いてこそ解決できるのです。皆さんは、統一教会がこのように祝福された所だということを知らなければなりません。(51)

 皆さんが原理を通して知っているように、人類の先祖アダムとエバが堕落しなかったならば、神様の愛を中心として祝福を受けて父母になるその日に、神の日、父母の日、万物の日が決定され出発をするようになったでしょう。そうなったならば、このすべての日がその一日に帰結されたでしょうが、アダムとエバが堕落することによってそうならなかったので、私たちがこの七年路程という期間をおき、これを復帰してきたというのです。そうなったこと自体が、この堕落した世の中での悲しみであることを皆さんは知らなければなりません。(52)

 神様は完成基準を残しておき、一九六〇年に初めて祝福をしてくださいました。しかし、アダムとエバの堕落によって、いまだに人間たちはサタンの主管圏内にいます。この主管圏内からサタンの勢力をつぶす人物が現れたので、サタンはその家庭に対して総攻撃をしてきました。それで、サタンと血戦を起こし、蕩減条件を立てて神の日、父母の日、子女の日、万物の日などを決定しました。このすべての日は第一次七年路程期間に探し立てたのです。(53)

 神様はサタンに奪われた日々をすべて復帰したので、地上に完成基準を立てることができるようになりました。それによって新郎と新婦がサタンを退け、互いに出会うようになりました。そうし得る一日を迎えるのが神様の願いであり、二千年の歴史をもったキリスト教の願いでした。新郎はイエス様と天を指し、聖霊は女性神として地を指していますが、空間のサタン勢力を撃破し、この二人が互いに出会うことによって天地が一つになり得るようにしたのが、統一教会なのです。(54)

 聖婚式は、神様が初めて理想的相対を祝福してくれる儀式として、人間においては真の父母をもつようになる歴史的な婚礼式なのです。それによってこの地に神の日、子女の日、万物の日が設定されるようになりました。このようなすべてのことが、第一次七年路程の勝利を通して成し遂げられるようになったということを知らなければなりません。(55)

 今まで、人類は堕落した父母をもったことが恨みでした。ところが、天の側で勝利した父母の日を探し立てることによって、初めて神様の前に出ることのできる父母の因縁をもつようになりました。それで、ここから祝福を受けた統一の血族たちが出発するようになったのです。(56)

 神の日はどのような日ですか。神様のみ旨、神様の理想を成す日です。神様の理想を成す日が神の日ですが、この日は神様の理想だけではなく人間の理想を成す日であり、万物の理想をも成す日なのです。そのようになるのです。(57)

 神の日を策定したということは、神の日であると同時にアダムとエバの日であり、アダムとエバの日であると同時に万物の日であり、万物の日であると同時に宇宙の日になるというのです。今までは、復帰路程において万物を復帰し、子女と父母を復帰してきましたが、それは、父母がすべての十字架を霊的に負うのです。イエス様と聖霊がそのような迫害を受けてくる時だというのです。キリスト教までは、そのようになりましたが、わが時代にはこれを逆に立ててこなければなりません。

 父母の日を策定するのは、十字架の長成的段階を越えて立つことをいい、子女の日もやはり同様です。万物の日も同様であり、このようなことをすべてしておいた後に、神の日が現れなければならないのです。蕩減をして父母がいて子女が生まれ、子女がいるので万物を主管するのです。このような形態をつくっておいたのが父母の日、子女の日、万物の日であり、これが一つになって神様と連結されることによって神の日になるのです。この七年期間に長成、完成過程を全部正して七年の峠を越えなければならないのです。

 エデンの園においては、父母と子女を中心として万物を主管するようになっているので、そのような形態の基盤を正しておかなければなりません。本来は、神様を中心として基盤を立てた後に、神様の直接主管圏内に越えていかなければなりません。それゆえ、一九六八年一月一日を中心として神の日を設定したということは、エデンの園においての家庭的基盤を中心として、父母と子女と万物が神様と一つとなって本来の主管圏内に越えていくという、その基準を一致させたのです。そのような基盤を立てたので、国家的基準を中心としてそこから直接神様の主管圏内に入り得る先生を中心として、祝福家庭と統一教会の三段階が成立するのです。

 先生の家庭と統一教会の祝福家庭とその次の統一教会は、蘇生、長成、完成の段階として、それは何を象徴するかといえば、再臨主の家庭とキリスト教の家庭と全世界の、象徴的な中心になるのです。全世界は蘇生であり、キリスト教は長成であり、来られる主は完成です。このような基盤を立てていきながら、この七年間に国家的影響まで広げてきたのです。これを世界的基準とどのように連結させるかという問題が大きいので、二次七年路程に入りながら、祝福家庭を中心として世界と連結させるのです。(58)

 先生の一代にこのとてつもないことを収拾してきたのは、奇蹟的なことです。それなら、奇蹟の先祖は誰でしょうか。モーセが紅海を渡ったことが問題ではありません。紅海を渡ったら何をしますか。イエス様が行ったいろいろな奇蹟が問題ではありません。最も貴く、最も驚くべき、最もとてつもない、最も世界的な思想、神様が六千年の間にも決定できなかったものを、私の一生の数十年の生活路程の期間に結びつけたという事実、これは簡単だったでしょうか、複雑だったでしょうか。

 先生がある新しいみ言を語れば、それはただ語る言葉のようですが、先生は既に前からすべて考え、調べて言う言葉です。考えてみてください。先生が子女の日、父母の日を宣布するとき、皆さんがそれを知っていましたか。先生の三人の息子・娘がどうなるのか分かりましたか。すべてしておいた後に、説明をしてあげたので分かったでしょう。そうでしょう。また、全く思いも寄らない心情復活の日、実体復活の日、万物の日、神の日は何でしょうか。どうですか、それが原則に合いませんでしたか。原則と順序は合っています。そうではないですか。あきれ返るぐらい釣り合っているというのです。その釣り合った事実を目標として定めておき、今まで実行してきたのです。(59)

 第一次三年路程期間には、真の父母を中心として三六家庭、七二家庭、一二四家庭を設定し、世界的な横的基盤を立てました。そのような土台の上で、第二次、第三次路程を出発する家庭には、この民族を代表して完全な横的基盤を立てるべき責任があります。それにもかかわらず、いまだにその責任と使命を完結するところまでは、距離を残しているという事実、これが限りなく悲しいことなのを知らなければなりません。

 皆さんは統一教会として立てた父母の日だけではなく、皆さんとして立てた父母の日、すなわち自分の氏族を中心とした父母の日をもたなければなりません。また、自分の氏族を中心とした子女を日をもたなければならず、自分の氏族を中心とした万物の日、自分の氏族を中心とした神の日をもたなければなりません。これが統一家の祝福家庭の責任だということを知らなければなりません。(60)













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