祝福家庭
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三 祝福家庭の責任

1.真の父母と一体圏を成さなければ

 人間は長成期完成級で堕落したので、そのまま完成段階に上がることはできません。私たち人間が長成期完成級で堕落したので、堕落したその線以上に上がってこそ、初めて原罪を脱ぐことができるようになっているということです。原罪は長成期完成級で脱ぐのではありません。したがって今日、皆さんが祝福を受けて立ち上がったこの場は、完成期完成級ではなく、長成期完成級だという事実を知らなければなりません。

 堕落したアダム、エバを中心としてカイン、アベル、セツと彼らの対象(相対者)を含んだアダム家庭の八人がみな落ちていってしまったので、神様の前に蕩減条件を立てて、再び完成級に向かっていかなければなりません。そこでは父母の愛を感じなければなりません。生命の起源は、父母の愛を通じて生まれるのです。こういう生命の価値を世界の何よりも尊重視できるその場を経てこそ、新しい道を行くことができるというのです。原理がそのようになっています。

 今の個性完成は、絶対的な全体個性完成になっていません。条件完成です。復帰過程での条件完成ということを知らなければなりません。それで彼らが父母の立場に立っていますが、神様の心情圏というものを知りません。自分の妻は宇宙を与えても替えることができず、夫は宇宙を与えても替えることができず、二人が愛するそこに天地をつかんでいくことができる偉大な力があるということを体験できませんでした。
 ですから祝福してあげた家庭は、この堕落圏を越える時までは、条件完成圏内に立っているということを知らなければなりません。天国完成圏ではありません。条件完成圏です。条件完成圏にあるので、ここで生きたのち、霊界に行けば手続きを別にしなければなりません。手続きの手順を済ませて、完成的完成をすれば、パスポートをもらって天国に入るのです。

 「私は祝福を受けたからもういいだろう! じっとしていても天国だ」とそのように座っていれば、めちゃめちゃになるのです。祝福を受けたことが完成段階ではありません。皆さん、七年路程を習ったでしょう。このような複雑な内容を知って、合わせてくれる人がいないので、全能なる神様も仕方なく引っ張られてくるのです。皆さんが祝福を受ける時、「私たちは神様の原理原則に従って祝福を受けた。きょうから一つになった」と言いますが、一つですか。再び夫婦が再創造しなければなりません。

 お互いに再創造しなければなりません。怨恨の夫婦の溝を埋めなければならない道が残っていることを、統一教会の祝福を受けた者たちが忘れてしまえば滅びます。私がいくら「滅びない」と言っても、滅びるようになっています。二人の夫婦は、神様が願う理想的復帰完成の夫婦に向かって、再び再創造の過程をたどらなければならないのです。それで統一教会では、個人復帰完成、その次に家庭復帰完成をいうのです。

 人類が願うこととは何でしょうか。真の父母に侍ることです。六千年前に、アダム、エバの成婚によって、全人類が神様の子孫にならなければならなかったにもかかわらず、堕落することによって、人間たちはサタンの子孫になってしまいました。ですから、これから私たちは、六千年前に失った天側の真の父母を再びこの地上に探して立てて、その真の父母の愛の因縁を通じて重生しなければなりません。そうしてこそ天国の民になることができるのです。

 すべての始まりは、真の父母からです。すべてのものの出発、初めは皆さんではなく、真の父母です。生きるのもそうであり、行動するのもそうであり、愛の家庭を連結するのもそうです。初めは真の父母です。これは先生の話ではなく、私たちの初めの先祖に対する神様の公式的な概念であったというのです。どうすれば私たちの家庭を父母様の家庭のようにつくれるか、それを考えなければなりません。

 皆さんはこれから、真の父母と共に生きなければなりません。ですから真の父母は、おじいさんの立場であり、自分のお母さん、お父さんの立場であり、自分たちは長子の立場だというのです。三代にわたって共に生きるという結論、これが違うのです。神様が私と共にあり、真の父母が私と共にあって、自分の父母が共にあるのを感じて生きなければなりません。神様がいない、死んだというのは、考えられない時代に入りました。

人間は誰でも、心情的に神様と一つになるようになっています。神様である父と、子である人間は、正に心情で結ばれています。

 神様を信じることができずに堕落したので、メシヤを信じて、ついていかなければなりません。ついていって何をするのでしょうか。愛の住みかを用意しなければなりません。簡単でしょう。それから新郎であるイエス様と実体的に一体化して、心情一体化しなければなりません。それで復帰しなければなりません。そうして神様と真の父母と真の子女が対面する場、すなわち神様が初めに願われたその揚が、この天地間に繰り広げられれば、そこから新しい天地が開かれるのです。

 皆さん各自の血統的内容が違い、背後が違っても、父母に似るためには、接ぎ木する役事をしなければなりません。ひっくり返して接ぎ木しなければなりません。接ぎ木するには、皆さん自体に残っている蕩減路程をみな清算しなければなりません。それは父母から始まったので、父母を通じて清算されなければなりません。それで真の父母から接ぎ木されなければならないのです。アダムが真の父母になることができず、偽りの父母になったので、神様は今まで真の父母を探してこられたのです。再臨時代に新郎新婦とか「小羊の婚宴」とかというものも、みな父母を探すためのものです。

 父母の愛を受けるには、何をしなければならないでしょうか。父母様が愛するすべてのものを愛さなければなりません。そうしてこそ、初めて愛されるのです。家庭でいえば、自分の親に愛されることを願うならば、その息子は親がもっているすべてのものを愛してから、愛されなければならないということを知らなければなりません。これをしないで愛されようという人は、どろぼうです。父母が貴く思うものをすべて自分勝手に引き継いでは、愛されないのです。

 皆さんは、真の父母の本当の息子、娘ですか。真の子女とは、何を中心としていうのですか。真の血統です。もちろん真の愛を通じて因縁をもちますが、成されるのは真の血統を通じて連結したということです。真の血統を通じて連結されたものは、お母さん、お父さんに似るのです。皆さんは先生に似ていますか。皆さんの目は青く、私は黒く、髪の毛も違うではありませんか。髪の毛がみな白いではありませんか。私は東洋人で、顔が平らです。
 似るのは、一番の骨子だけが似ます。骨子だけが似ますが、どういうふうに似るかといえば、サタンに勝つことと神様を絶対に愛することだけ似ます。それだけ似るというのです。そうしてサタンを主管して、コントロールするというのです。

 皆さんが先生をどれだけ愛さなければならないでしょうか。根本問題に戻ります。サタン世界の愛の痕跡がある、その愛に染まったところで愛してはいけません。それ以上でなければなりません。皆さんがサタン世界で生まれたお母さん、お父さんと妻子、その誰よりも愛さなければなりません。
 それで聖書で「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない」(マタイ一〇・三七)と言ったのです。すべてそのような結論を下したのです。そう言いながら、あとでは「自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない」(同一〇・三八)と言いました。十字架を背負わなければならないと言いました。反対に引っ張っていく力を押さえて越えていこうとするので、十字架でしょう。ここで、悲痛な涙を流さなければなりません。

 今日、堕落した人間はすべてのものを否定して、全体を否定する中で、愛の芽を育てなければなりません。そのような論理が必要になっています。全体を否定して、ただ主体の愛をもった神様を中心とした、愛を中心とした絶対基準を発見しなさいというのです。

 一切を父母と共にかかわり、父母と共に決定し、父母と共に話し合い、父母と共に解決しなければなりません。


2.性の絶対的な価値観確立

 男性、女性の愛の象徴とは何でしょうか。愛の終着地点とはどこでしょうか。男女を一体とならしめる性器官です。それは、愛を中心として心と体が完全に合わさることができる通路になるのです。

 男性と女性は何が互いに違いますか。性器官(Sexual Organ)を含むその体がまず違います。それでは男性の性器官は誰に絶対に必要ですか。男性の性器官は女性のためにあるのです。人間の性器官が一つは凹で一つは凸ですが、なぜそのようになっていますか。二つともとがるようにするとか、二つとも平らにすることもできるのに、なぜそのように違うのですか。みな相手のためです。
 男性のものは女性が絶対に願い、女性のものは男性が絶対に願います。絶対に女性のものが男性のもので、男性のものが女性のものだという事実を知らなかったのです。それを占領することによって、愛を知るというのです。

 生殖器とは、愛の王宮であり、永生の生命が誕生する王宮であり、永遠に変わらない天の伝統を受け継ぐ血族を、血統を受け継ぐ王宮です。真の生命の王宮、真の愛の王宮、真の血統の王宮だというのです。その王宮は最も貴いところです。自分勝手にできません。神様の公認がなければ、開けることができません。神様と宇宙の公認を受けた自分の夫、自分の妻以外にはタッチできないのです。

 男性と女性が、凹と凸が一つになるのは、神様が完成し、半分の女性、半分の男性が完成する場です。凹と凸が結婚して初愛の関係を結ぶその場で、神様の愛的理想が完成する定着地が展開するのです。男性と女性の愛を中心とした神様の相対的位置としての完成の位置が決定するのです。これは宇宙の核です。
 これが動けば、すべての宇宙が行ったり来たりします。地上天国の本拠地であり、天上天国の本拠地なのです。ここは愛の本然地であるので、「愛の本宮」と言います。多くの王宮の中で、中心の宮を「本宮」と言います。ここが愛の本宮であり、生命の本宮であり、血統の本宮であり、その次には、天上天国と地上天国の出発地であり、人間が願っている自由と幸福と平和がここから始まるのです。
 そこは愛、生命、血統、すべてのものの王宮であり、個人、家庭、氏族、民族がそこから連結されます。天上天国と地上天国の本熱地、出発地だということを知らなければなりません。その次は自由と幸福と平和の起源地です。女性に男性がいなければ絶対暗黒であり、男性に女性がいなければ絶対暗黒です。

 平和の基地もそうで、地上天国と天上天国、すべてのものが愛から始まります。何の愛ですか。男性の愛ですか、女性の愛ですか、男性、女性が合わさった愛ですか。合わさった愛です。その男女の愛はどこで合わせますか。顔で合わせますか、指先で合わせますか。凹凸で合わせるのです。

 男性が崇拝できる最高の場所とはどこでしょうか。女性の顔ですか。女性の胸ですか。女性の体ですか。どこですか。凹と凸を合わせることができる所は一つしかありません。そのために、予備的環境が、社会が連結され、国家が連結され、世界が連結されて、地上・天上天国、宇宙がみな連結されます。これが存在世界の鉄則であり、公式です。

 男性完成、女性完成、神様まで完成させることができるその本拠地とはどこでしょうか。どこで神様の愛を完成させることができ、どこで男性、女性を完成させることができるのでしょうか。その中心の定着地とはどこでしょうか。これが問題です。これを知らなければ、地上に愛の理想天国を拡張、拡大することはできません。それは目ですか、鼻ですか、手ですか、足ですか。どこですか。凹凸です。

 生殖器というものは何ですか。それは真の愛を中心とした王宮であり、真の生命を中心とした王宮であり、真の血統を中心とした王宮です。一番貴いものです。これがなければ、神様の理想、神様の家庭、神様のみ旨が成されないのです。これは、全体完成を成し遂げることができる一つの起源です。

 女性の生殖器は、宇宙的な本源です。愛の関係を結ぶその場が、愛の本宮になっています。本然の宮中です。愛はそこから始まるのです。結婚した初夜の愛が、愛の本宮の出発です。女性の生命、男性の生命が、初めて一つになるのです。ですから理想的な生命の本宮がそこであり、血統がそこから始まるために、血統の本宮がそこなのです。そして天国がそこから始まるために、そこが地上天国の本宮であり、天上天国の本宮であり、人間完成の本宮であり、神様完成の本宮です。

 生殖器は、愛の王宮です。今、その愛の王宮がどのようになっていますか。愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮であるもの、そのように貴いのが人間の生殖器です。神聖なものです。それが堕落によって、汚いものになってしまいました。本然の神様の観点から見れば、汚いものではなく、神聖なものです。最も貴いものです。生命、愛、血統がここに連結されています。このように神聖なものをサタンが汚しました。

 生殖器を絶対的に貴く思う世界になれば、その世界は良い世界でしょうか、悪い世界でしょうか。栄える世界でしょうか、減びる世界でしょうか。神様が人間を創造なさるとき、最も大切に精誠を尽くして創造された箇所とはどこでしょうか。目でしょうか。鼻でしょうか。心臓でしょうか。でなければ頭脳でしょうか。これらはすべて、死んでなくなります。事実がそうではありませんか。

 私の生殖器は、愛の本宮です。私の生殖器は、生命の本宮であり、王宮だというのです。私の生殖器は、血統の王宮です。このようになってこそ、神様が臨在できる王宮になることができるのです。神様は王の王であられ、本宮を訪ねてとどまられるお方なので、神様に仕えるために、愛の本宮にならなければならず、生命の本宮にならなければならず、血統の本宮にならなければならず、良心の本宮にならなければなりません。

 愛が中心となって、二人が生命の合一体となって合わさる場、男性の血、女性の血が一つのるつぼで一つになる場が生殖器です。その場は、息子、娘より貴く、夫より神様よりも貴いということを知らなければなりません。子供より貴く、夫より貴く、父母より貴い場だというのです。それがなければ、父母も無価値なものであり、夫婦も無価値なものであり、息子、娘も無価値なものです。
 そのように貴いので、宝の中の宝として、世の中の誰にも見えないように一生の間、錠をかけておくのです。そしてその鍵は、男性のものは女性がもち、女性のものは男性がもっていますが、各々一つしかありません。一つの鍵だけをもたなければなりません。フリーセックスのように十も、二十ももちたいですか。門を開けて主人がいない家のように、過ぎゆく人がみな出たり入ったりする廃虚の家のようになりたいですか。

 男性と女性が愛する本宮、生殖器とは何ですか。愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮です。おじいさん、おばあさんもそれをつかんで生き、今後生まれてくる息子、娘もみなそれをつかんで生きるでしょう。それをつかまないで生きる女性、男性がいるでしょうか。ところが、それが何ゆえ悪いものになりましたか。「下品な言葉」と言うでしょう。何ゆえ下品な言葉ですか。聖なる言葉です。聖なる言葉として受け入れなければなりません。そこで永遠の愛が連結され、永遠の生命、永遠の血統が出てきます。最も貴いものです。

 女性、男性の貞操を守り、保護するというのは、宇宙を保護することと同じです。男性、女性の愛の秩序が、宇宙の根本だからです。

 頭よりもそれがもっと重要です。頭には真の愛の起源がありません。頭には真の生命の起源がありません。頭には真の血統の起源がありません。その起源はどこにあるでしょうか。生殖器です、それは間違いないでしょう。生殖器にすべてのものがあります。そこに生命があり、愛があり、血統があります。そこが愛の本宮なのです。生命の根もそこにあります。血統も同じです。人間の体だけでなく、人間世界と人類歴史を通じて、一番貴いところです。それがなければ人類の繁殖は不可能です。

 堕落した世界において、愛は最も危険なものになってしまいました。愛をよく管理できなければ、天下が崩れ、ひっくり返るのは、堕落したからです。愛が何ゆえ偽りで醜くなったのかよく分からなかった人間が、その愛を守り、保護しようとしてきたのは、真の愛が現れてくれることを希望する本能のためでした。

 堕落することによって、男女の生殖器が、この妖邪な死亡の波、死亡の法、滅亡の地獄を開門させた本宮となり、天道を破綻させた化け物団地になりました。これが今まで歴史に隠された秘密でした。

 愛の王宮とはどこですか。こういう話をするからといって、変に考えないでください。それを正すことができなければ、世の中がみな狂うのです。標準が合わなければ、全天下に妖邪なものが横行します。文総裁がこれまで苦心して、人間の根本問題、宇宙の根本を究明してみると、ちょうど到着したところが生殖器でした。生殖器に到着してよくよく考えてみると、天地の調和がここで渦巻いていたのです。驚くべき事実です。

 真の自由は、責任性を前提とします。もし責任性がなく、個々人の愛の自由だけを主張して実践するならば、どんなに大きな混乱と破局が訪れるでしょうか。至高な愛の理想を成す人間の完成は、愛に対する責任性をもつとき、可能なのです。

 人間は愛の自由を下さった神様に感謝しながら自己修養、自己主管によって、自由の主体となる責任性をもたなければなりません。人において愛の責任性は、法や人目を気にすることによって守られるのではなく、神様との生命的、縦的関係の中で、自己主管、自己決断によって守られるのです。

 生殖器を目の見えない盲人のように、方向を失ったまま使用すれば、地獄行きであり、反対にこれを神様の絶対愛の基準に合わせて使えば、天国の高い所に行くのです。明白な結論です。

 愛の器官をむやみに扱えば、罰を受けるようになっています。それが愛の王宮であり、愛の先祖の園です。愛は、そこから出発しました。生命がそこから出発しました。歴史がそこから出発しました。地上天国の起源であり、天上天国の起源であり、神様の幸福の出発の起源が、そこで形成されるというのです。
 神様の笑いの土台がそこから出発します。愛を見つけて、神様が踊ることができる場が、その場です。その場を探していかなければなりません。それは正しいですか、違いますか。このように貴いものです。

 人間が堕落するとき、愛ゆえに堕落したために、この性器が一番恐ろしいのです。宗教では姦淫することを一番恐ろしい罪として扱っています。米国のフリーセックスは悪魔の地獄膨脹主義ですか、天国膨脹主義ですか。地獄です。地上地獄であり、天上地獄です。これはすべて滅亡するのです。

 文総裁がすべての真理を探究し、霊界、肉界を探査し、すべての経典を探査しても、これは解決する道がありません。神様がいるでしょうか、いないでしょうか。神様がいるならば、世界をこのようにつくった神様をそのままにしてはおきません。見極めるための談判闘争をしたのです。人間が生まれた根本原則とは何であり、何ゆえ生まれたのでしょうか。男性は女性のためです。それが全体の真理の中の最高の真理です。
 女性の前に理想的な男性は最高の真理です。宇宙全体を完成した理想の真理の本体だということを知らなければなりません。男性の前にそのような女性も、宇宙の真理の本体の中の本体です。絶対的な真理体です。

 祝福を受けた血統を汚してはなりません。それを皆さんは、よく知らなければなりません。天国を受け継ぐことができる、相続することができる財産です。それは血族の文書、血統の権利証書と同じです。族譜と同じです。純潔をどのように守るかということです。


3.理想的夫婦生活が重要

 男性は、神様の陽性的形状をもった存在であり、女性は、神様の陰性的形状をもった存在です。夫婦は、天下を一つのふろしきに包んだようなものです。ゆえに夫婦は、神様の理想的な愛の心情を感じることができます。

 夫婦が神様を愛し、人類を愛する心の土台の上で、爆発するように愛し合うならば、その家庭によって、神様が酔い、宇宙が酔うことができるようになります。その愛は、神様のための愛であり、人類のための愛でないはずがありません。その愛の根はどこにあるのでしょうか。自分にあるのではありません。神様が愛の根源であり、人類の愛が根源なのです。

 結婚したならば、既に平面的ではありません。平面的な基盤しかありませんが、高いものが低いものと連結されるときは、垂直的概念が生じます。平面的な役事は宇宙や天宙を収拾できません。垂直と水平が出合って、九〇度の角度を成すとき、それは天を地にしても、地を天にしても、前を後ろに、後ろを前にしても、右弦左弦、上弦下弦、前弦後弦、どの面に付けてもぴったり合うのです。地上の完成基準は、霊界のすべての完成へとつながります。

 神様の結婚式とはアダム、エバの結婚式です。ですから地上天国と天上天国が同時に生じるのです。愛の巣から出発するのです。男性、女性の生殖器を中心として、堕落しないで出会うその時間が、地上天国、天上天国出発の起源地です。三大王権を樹立しなければならないその基地がそこです。その場でなければ、愛の巣を成すことができません。

 人間は本性的に、自分に対する相対の愛が分散することを願いません。夫婦間の横的な愛の関係は、親子間の縦的な愛の関係とは違って、分散すれば既にその完全性が破壊されます。夫婦間には絶対的な愛の一体を成すようになっている創造原理のためです。人間には、自分の相対に絶対に「ため」に尽くさなければならない愛の責任性があります。

 男性と女性が祝福を受けて完全な愛を分かち合い、喜びを享受するとき、神様の目には、地上に咲いた花のようだというのです。また彼らの愛によって成されるすべての調和万象は、神様には香気のようなものです。神様は、このような美しい香りの中で暮らしたくて訪ねてこられるというのです。神様の愛が訪ねてくることができる根拠地が、まさしく夫婦の愛の場です。その場は、万物と宇宙が和動する場となるでしょう。

 神様の愛が人間の三大愛を中心として共に花咲くことができる家庭を成すことが世界の願いであり、人類の願いであり、未来の願いだというのです。これが初めて天地の法度の前に歴史の香りを漂わせることができ、新しい花として登場できる貴く美しいものが、夫婦の愛だということを知らなければなりません。

 男性と女性の愛の完成が宇宙の完成です。この愛が壊れる日には、宇宙の秩序が破壊され、縦的な世界がみなつぶれるようになります。

 心情的な愛によって結ばれた夫婦は、その愛情が生活圏に満ちあふれ、生涯を通じて満ちあふれ、神様の目的と間違いなく一致したという家庭を成さなければなりません。そうでなくては神様がいらっしゃる天国へ帰ることはできません。

 愛は永遠です。そのような愛は、二つではなく、一つです。男性と女性の間が愛によって結ばれれば、地上で百年偕老(注:夫婦が仲睦まじく年を取ること)し、死んでも永遠に共に生きていくようになっています。体は二つでも、一つとなって回ることによって一体になるのです。二つの体が一つになれば、神様と回るようになって、愛の四位基台を成すので、それが正に理想世界なのです。そこには偽りの愛が侵犯できず、ただ真の愛のみが臨在するようになるのです。

 人には常に刺激が必要です。幸福は、刺激なしには成されません。刺激がなければなりません。
 いつも食べる御飯も、食べるたびに、おなかがすいていてこそ味が新しいように、夫婦間の愛も同じように、常に新しくなければなりません。妻と夫がお互いに見れば見るほど、より一層共にいたいし、一日中、共に過ごしたいと思わなければなりません。そのために自分に対する研究をしなければならず、神様に対する研究をしなければなりません。

 理想的夫婦とは、どんな夫婦でしょうか。最高の芸術を実体に展開させることができる夫婦、最高の文学を展開させることができる夫婦なのです。最高の理想、最高の文化世界に接する前に、最高の愛によって夫婦がやり取りする甘い愛が、世界最高の芸術作品にならなければなりません。夫婦生活自体が最高の文学作品であり、それ自体が文学の実体にならなければなりません。

 結婚して夫婦が真の愛を行う場は、神様と人間の愛と、生命と、血統の根源の王宮の場であり、理想のための地上天国、天上天国の出発地なのです。このような真の愛によって結実した子女が、真の愛を中心とした夫婦一体を完成して、神様に仕えて生きる家庭になり、平和と理想の出発基地になるのであり、半分の男性、女性たちは一体となって、神様の相対として神様の理想愛を完成させるようになるのです。

 赤ちゃんを生む場は、神様の上弦世界を占領するのです。神様の立場に上がることによって、子女を愛することによって、神様が創造以後、人間をどれくらい愛したのかという内縁を体恤させるのです。

 皆さん、愛するのを神様が見るでしょうか、見ないでしょうか。天下時空を超越する神様が、この世界の五十億人類が愛する夜になると、目をつぶるでしょうか、つぶらないでしょうか。見ているなら気分はどうでしょうか。
 良い妻、良い夫がどれほど多いですか。考えてみてください。ありとあらゆることがみな展開されるでしょう。やむを得ず女性の役割をし、やむを得ず引っ張られていき、やむを得ず機嫌を取って、そのように生きるのではありません。
 それが愛ですか。それが人生ですか。世の中がすべて神様が願っていた創造理想どおり、花の香りが漂うエデンの園のように、ちょうど蜂が思いのままに飛び交い、天地に和動しながら生きることのできる環境となって、神様がそこに酔い、眠ることができるなら、どんなにいいでしょうか。それを考えたことがありますか。一度そのように生きてみてください。

夫婦の愛を通じて一つになることによって、神様のような立場で、創造の能力を成したのが子女です。


4.祝福は理想家庭完成にある

 人間に対する神様のみ旨は、創造目的を完成して創造理想を実現することです。創造理想の実現は、男女が結婚して愛によって一つになることで終わるのではありません。そのようになったのちは、息子、娘をもたなければなりません。何ゆえそうなのかといえば、天地の道理は上下、前後の関係が連結されることだからです。きのうがあればきょうがあり、きょうがあればあすがあるのです。連結されなければなりません。ですから夫婦だけでは、きょうはあってもあすはありません。あすがなければ、すべてのものが終わるのです。それで天地の道理は、上下が連なってこそ左右になります。

 人間の始祖を通じた神様の理想は、男性と女性が結合して、理想的な家庭を成すことでした。理想的な家庭の中心は、男性でもなく、女性でもありません。家庭とは、父母と子女、夫婦の結合によって成された一つの束なのですが、その結ばれた中心が、正に神様の愛です。神様の愛を中心として、家庭を完成させることが神様のみ旨だという結論が出てきます。家庭は、神様の理想が顕現することのできる基点であり、人類の幸福の顕現の基点となるのです。人間としての仕事がみな終わる場であり、神様もすべての物事の完成を見る場です。家庭がなぜいいのですか。それは父母の愛を中心として自由に活動する基地になるからです。

 家庭には必ず父母がいて、妻子がいなければなりません。そうしてこそ、その家庭が幸福の土台になるのです。神様が人類を訪ねてこられる目的も、神様御自身の幸福を模索するためのものであるに違いありません。ゆえに神様御自身が幸福の土台を訪ねてこられるのに、人間を離れた所では、そのような理想はあり得ないというのです。人間と共に関係を結んでこそ、その一致点をもたらすことができるのです。私たちが家庭で情緒的なすべての内容を備えた立場で幸福を感じるのと同じように、神様もやはりそういう立場で幸福を感じようとされるのです。

 神様を中心として一つになるとき、千態万状に回るようになるのです。したがって兄弟間で愛するのも、父母が子供を愛するのを見習って、兄は弟を愛さなければなりません。そのように愛して一元化した家庭は、家庭愛が花咲くことができます。これがまた社会愛になることができます。さらには、民族愛になり、世界愛になるのです。ところが今日、これが漠然としているというのです。

 真の家庭は、自分のお母さんのように妻を愛して「ため」に生き、自分のお父さんのように夫のために尽くして愛し、兄妹のように愛し合う所です。その次は、神様のように自分の妻を愛し、神様のように自分の夫を愛して尊敬する世界が、理想家庭が暮らす天国です。このような伝統がこの地球上に立てられなければなりません。

 神様を中心とした永遠の父母の愛、永遠の夫婦の愛、永遠の子女の愛、この三種類の愛があるのが理想的家庭です。

 人の一生において、最も重要な時はいつかといえば、生まれる時、結婚する時、死ぬ時です。それでは生まれる時は、どのように生まれなければならないでしょうか。正しく生まれなければなりません。私たち統一教会でいえば、心情の因縁を中心として生まれなければなりません。
 その次は、結婚する時です。結婚とは、生きるためにするものです。すなわち、四位基台を成すためにするものです。これと同じ宇宙の公法を地球上に立ててこそ、神様のみ旨が成され、人間の願いが成されるというのです。このような宇宙の法度が指向する内容を備え、その形態を備えるためのものが家庭です。

 天国生活はどこから始まるのでしょうか。正に家庭です。他の所から始まるのではありません。天国は家庭を立体的に拡大させただけであって、家庭園を離れたものではありません。ですから皆さんが自分の妻や夫を抱くとき、これは世界のすべての男性と女性が一つになるのだという考えをしなければなりません。このように世界人類を愛したという条件を立てることができる場が、正にこの家庭です。

 父子の関係の真の愛は縦的であり、夫婦の真の愛の関係は横的であり、兄弟の真の愛は前後の立場として、球形の真の愛の理想を願われたのです。すなわち、縦に上弦下弦、横には左弦右弦、前後には前弦後弦を全体的に連結した一つの中心点で統一は成されるのです。その点が球形体の中心点になるのです。いつ四大心情圏である子女、兄弟、夫婦、父母が一体を完成するのかといえば、神様を中心として人間が結婚して初愛を結ぶ場が、すべての完成の結実点であり中心になるのです。したがって結婚は、天地人の合徳であり、縦横、左右、前後、全体を完成するものです。結婚は真の子女、兄弟、夫婦、父母の理想の真の愛の完成地なのです。

 一家庭を中心として、一番良いものとは、皆さん自身で決定されるものではありません。それでは家庭での最上の価値は、何になるでしょうか。父母です。皆さん一個人においても、権力や知識、または名誉やお金も貴重なものになるでしょうが、そのすべてのものに勝って良いものは父母以外にないというのです。その次は皆さんの妻や夫になるでしょうし、さらには皆さんの子女になるでしょう。
 事実、皆さんの家庭で皆さんの父母や妻、そして子女たちよりも大切で価値あるものがありますか。ないというのです。では何ゆえ、父母が良いものになるのでしょうか。そしてまた夫と妻、子女が何ゆえ、良いものになるのでしょうか。愛があるからです。父母の愛、これは夫と妻にとって、絶対的に必要なものになります。そして兄弟間の友愛とか、子女が父母に対して抱く孝行の心も、一家庭で絶対的に必要なものです。

 神様は真の愛の本体なので、真の愛と連結されればすべてが同じ体になります。父母は神様の代わりに生きている神様であり、夫と妻はお互いに片方の神様であり、息子、娘はまた一つの小さな神様です。このように三代が真の愛を中心として成された家庭組織が、天国の基盤です。そのような基盤を成さずしては天国が成されません。家庭とは、宇宙の中心です。家庭完成は、宇宙完成の基礎となるために、家庭で愛するとともに宇宙を愛すれば、どこでも無事通過です。こういう場合、神様は宇宙全体の父母として、愛の複合的な中心の場にいらっしゃいます。

 統一教会の「原理」でいう四位基台は、三大愛圏をいうのです。三代が一つの家で暮らしながら、愛によってむつまじく幸せなとき、天地創造の理想が実現されるのです。夫婦が愛し合うことはもちろんですが、子女たちに愛によって祈祷してあげ、精誠の心で世話をしてこそ、家庭がむつまじく、幸福になるのです。これが縦的に成され、横的に連結されるとき、完全な愛が成されます。いとこと、またいとこの兄弟たちまで愛によって一つになって初めて愛の原形となり、完全になります。

 理想的な愛は、家庭で成されます。しかし神様は、真の息子、娘をもつことができませんでした。真の兄弟をもつことができず、夫婦をもつことができず、また父母になることができませんでした。ゆえにこのようなことを成そうというのが、神様のみ旨です。このようなところでこそ、愛がとどまるのです。このような愛が成されるところには、人々が世の中のすべてのものを捨てて、訪ねてくるのです。

 神様は、家庭の中心となるお方として、この世界は神様の国にならなければなりません。祝福家庭は、神様の国を連結させることができる家庭になるように努力する生活をしなければなりません。神様の代わりに、「ため」に生きる生活をするところから、氏族が展開され、民族が展開され、国家が興って形成され、世界が形成されます。それで家庭は、神様を中心とした世界を形成する責任を果たさなければなりません。先生を中心とした統一教会は、一つの氏族のようなものであり、一つの民族のようなものです。五色人種が合わさって単一民族を形成し、世界に誰よりも「ため」に尽くすことのできる国家を形成することが、統一教会の目的です。それが先生がしようとする目的であり、神様が先生を通じて成就しようとする目的です。

 統一教会では、天国は氏族圏内から成されると見るのです。おじいさんを中心として、父母と兄弟が一つになり、いとこと、またいとこまで一つに連結されるとき、完全な三代が成されます。このような氏族圏の愛が、地に立てられ、神様と一つになるならば、すべての世界は神様と一致する愛の世界であり、天国になるのです。
 女性が嫁に行っても同じです。夫の祖父や舅は、神様の代わりの立場であり、夫の代わりの立場ですから、愛で侍らなければなりません。また義理の弟や小姑とも愛によってむつまじくなければなりません。こういう愛の関係が、社会へ拡大して、民族と国家、世界へ拡大するならば、この世界は罪悪と戦争の代わりに、平和と愛で満ちるでしょう。その世界が正に神様の理想が実現された一つの天国であり、理想世界です。

 この宇宙の中心は、どこにあるのでしょうか。家庭にあります。真の愛が定着できる基地はどこでしょうか。皆さんが生きている皆さんの家庭だというのです。したがって本来の家庭は、宇宙愛を掌握して宇宙の保護様相を体得しながら、宇宙愛圏を拡大させ、家庭を越えて国家を愛する愛国の道を行かなければならず、ひいては民族と国家を越えて、世界を愛する道へと行かなければなりません。家庭を愛する人を「孝子」または「烈女」と言い、国を愛する人を「愛国者」と言うならば、世界を愛する人は何と言うのでしょうか。その人を正に「聖人」と言うのです。

 神様の愛圏の中で理想的な家庭を成し、氏族を成し、民族と国家を形成して、もっと拡大して、アダムの理想が実現する一つの理想的世界を成し遂げていたでしょう。木の根、幹、葉が一つの生命で連結されているように、愛を中心として上には神様を父として侍り、下には万民を兄弟のように、一つの生命体、愛の生命体に和するようにして、神様を中心とした永遠の理想世界を成さなければならないのが、正に神様のみ旨から見た世界観です。このような世界の人間たちには、救いが必要ではなく、メシヤも必要ありません。なぜかといえば、その世界に住む人間は、神様の善の息子、娘だからです。

 この地球上に神様のみ旨が成されていたなら、アダムを中心とした単一文化圏が形成されていたことでしょう。今日のように数多くの民族がそれぞれ文化と文明を形成してきたのではなく、アダムを中心とした単一文化、単一思想、単一文明をもった世界になっていたはずです。このようになっていたならば、文化、歴史、風習、言語、伝統などがみな統一されていたことでしょう。

 家庭とは、人類愛を教育する代表的な修練所です。心情の中心を立てる代表的な広場です。そこで互いに信頼し合い、幸福な生活を営めば、全宇宙の中心が立つようになり、幸福を享受するようになるというのです。それが理想圏の始まりです。愛なくしては、何の存在の意味もありません。

 統一教会の理想は、他の所にあるのではありません。出発も家庭で、結論も家庭です。まだこのような問題を解決した人がいないので、それを願ってきました。そして、そこに幸福があるので、これを体系化させ、天宙化させて、無限の価値を現したので、「統一主義」が公認されたのです。したがってこの主義を嫌う人々がなく、みな頭を下げて好きになれば、世界は自動的に統一されるのです。

 これから先生は、家庭に対する規範、天国家庭としてもつべき生活に対する規範を教えてあげなければならないと感じています。しかし、復帰の路程を歩むべき人たちは、「原理」を中心として教えてくれる人がいるので、その人たちを通じて教えを受けなければなりません。先生が直接そのような問題に責任を負う時代は過ぎました。家庭一つ一つを中心として、再び収拾しなければなりません。私たち統一教会の組織は、家庭組織です。家庭を中心にするというのです。個人を中心にしてきたものを、家庭を中心にするということです。

























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