祝福と入籍
(全面表示) 戻る INDEXへ


2.祝福家庭と入籍

 (1)男性と女性

 神様の愛を感じることができるようにする存在は、神様ご自身ではありません。皆さんです。愛を失うことによって、神様は愛の世界で獄中生活をしているのと同じであるということを知らなければなりません。そのような事実を知って、皆さんの家庭が60億人類の家庭を代表した中心家庭となり、その神様の怨みの事実、愛ゆえに傷ついた傷跡をすべて消してあげなければなりません。そして個人・家庭・氏族・民族…、すべての環境で失った愛を、私を通して、私が持つことのできる家庭のすべてを通して、再び取り戻すことができるようにしなけれぱなりません。そうでなければ神様の孝子として立つことができませんし、愛の家庭を築くことができませんから、神様が安息することができません。これはとてつもないみ言なのです。

 人間は父母の愛を受けてこの世で生きてから、無限な父母、永遠な父母、神様の愛のもとをたずね求め、神様の懐に抱かれ、無限大の生命と愛の因縁を結んで、愛で呼吸をしながら永遠に生きることのできる故郷の地へと帰っていきます。それが人生なのです。神様から出発したので、そのような愛の実権を自らが実現していくことによって、自らが神様になるのです…、愛を中心として。神様と対等な価値を持つのです。

 男性が女性に向かっていくのはどういうことでしょうか? これは船にたとえると右舷と左舷なのです。ですから、この片側でしかない自分を完成さなければなりません。この二つが一つにならなければなりません。二つが一つになれば水平になるのです。水平の中央に神様が大きいプラスで降りてくると、この二つはマイナスになって一つになるのです。正分合をなすために、本体なる神様の大きいプラスに相応できる男性と女性が一つの体となって、神様に愛で侍るのが人生の道です。神様が駆け寄ることのできる実現の場が、私たちの家庭であり、私たちの一族なのです。(298−295〉


 (2)重生と祝福家庭

 私たちは重生しなければなりません。ですから、重生と産みの苦しみを越えようというのです。皆さんは再び生まれ変わるためには、母親の胎中から生まれるように、再び産みの苦しみをお母様とともに経験していかなければならないのです。それでお母様と一体とならなければならないのです。お母様と一体にならなければなりません。そして一体になったお母様と皆さんが、先生の前に帰ってくるのです。こうしてエデンで失った母親と息子・娘が一つとなり、本然の父親との生命の絆を再び探し出して、天国に入っていくことができるのです。重生した家庭となって、天国に入っていくことができるのです。

 それは何かといえば個人的な出産です。皆さんの心と体を一つつくる出産の苦労を経験しなければなりません。第一には個人的な出産、その次には家庭的な出産があります。誰もがみな母親、父親、息子、娘として再び生まれ変わるための、一つになるための産みの苦しみを味わわなければなりません。第三には国家的な出産をしなければなりません。国家を生まなければなりません。皆さんがお母様とともに、そのような立場を再び連結しなければなりません。国家的な出産の次には天宙的な出産、天地を産む苦労を味わわなければなりません。天地から解放されなければなりません。

 真の父母権を皆さん全員が相続しなければなりません。そのためには、真の子女権、真の父母権、真の王権を中心として、真の父母権と一体化する天と地にならなければなりません。そのためには、第一に地上天国、第二に天上天国、第三に王権と皇族圈です。皇族圈とは何でしょうか? 残っているカイン世界の長子権を復帰し、地獄まで行けと言われても絶対服従できるような次男に立てて、天国に連れていくのです。皇族圈が開かれるのです。カインも堕落しなければ皇族になるはずでした。カインが地獄に行かずに、天国に行けるようにしなけれぱなりません。それで皇族圈という話が出てきたわけです。

 第四は何でしょうか? 侍義、侍る家庭生活を完成しなければならないのです。天上、地上の次には王権と皇族圈を中心とした勝利の基盤を作らなければなりません。そのために何をしなけれぱならないのかというと、真の父母に侍り、神様に侍る家庭を完成しなければなりません。天と縦的な関係を結んで、誰もがみな入籍しなければなりません。先祖の立場に立たなければならないのです。(274−183)

 救いの道というものは、習慣的な生活を通しては得ることができません。完全に蕩減の道を行かなければならないのです。救いの摂理は復帰摂理であり、復帰摂理は再創造摂理です。それゆえ再創造するためには堕落する前と同様の本然の立場、ゼロの立場に入っていかなければならないのです。

 そこには意識もないし習慣もないし、今の自分が持っている金氏とか李氏という姓もないのです。そういうゼロの立場に入っていかなければなりません。天の創造本然の基準を考えると、創造された万物はすべてゼロから出発したのです。

 ところが人間が堕落することによって、あり得ないはずの内容が、天道に反するその内容が、今日の人間世界に満ちるようになったのです。これを叩き出してしまわなければなりません。より分けて捨てなければならないのです。それは□だけではできません。サタンの愛を中心としてサタンの生命、サタンの血統の因縁をもって様々な民族が歩んできた歴史的な文化背景を中心として、互いに異なる習慣性、あるいは風習が混じり合ってぎっしり詰まっているので、これをすっと取り出せないのです。

 それゆえ聖書に「死なんとする者は生きる」という言葉があるのです。逆説的な論理が成立するのです。死のうとしてこそ生きるのです。自分の生命を投入しなければならないのです。それでこのすべてを漂白し洗濯して、言い換えれば蕩減して、復帰しなければならないのです。そのような過程が絶対に必要なのです。堕落世界で所有していた習慣性とか罪悪性が残っていては、天との関係を結ぶことができません。(213−98)


 (3)祝福家庭と入籍

 @家庭が核である

 全体の核は家庭です。ですから、全世界はこれから私たちの世界にならざるを得ないという、理論的にも避けようのない結論をはっきりと下すことができるのです。世の中の人々が酒を飲み、踊り歌っていますが、中心を思い、世界を思ってその歌を歌うのでしょうか? 全世界を得て嬉しくて踊るのでしょうか? 死にゆく環境に住んでいるということを、たえず忘れてしまうのです。それが地獄です。

 今、先生はこのように行ったり来たりしています。「80にもなった老人が、今南米に来たのか…、最後の葉っぱのような者がどうして来たんだ?」と言うかもしれませんが、そうではありません。生い茂った葉の中で最後に出てきた葉っぱの近くから花が咲き、実が結ぶということを知らなければなりません。

 祝福家庭は氏族的メシアになって、その国を自分の国につくって真の御父母様に連結し、神様に連結してこそ、私の国が真の御父母様の国、愛で一体となった神様の国になるのです。私たちはこのような驚くべき歴史上の完成の実として…、すべての万物から、地から、被造世界から、そして人間から、神様から高貴な祝福を受けた、すべての完成の実として登場することのできる家庭であるということを知らなければなりません。自分でこの実をもぎ取ってしまったら、永遠に自分の実を結ぶことができないのです。

 このような理念を抱いて、サタン世界の空白の世界に私たちは完全に定着し、天下統一、神様の解放、真の御父母様の解怨を成就しなければなりません。今がまさにそのような出発基点だということを忘れてはいけません。完成したアダム家庭であるがゆえに絶対信仰なのです。堕落後に絶対信仰がなくなってしまったのです。絶対父子の関係は愛の一致、絶対愛の一致です。
 サタン世界は個人主義になっているので自己主張するのです。個人主義です。頭を下げないというのです。

 絶対服従! 絶対服従しろというのです。これはお父様が話しているのではありません。原理的な見方です。これは実際です。観念的な理論ではありません。絶対信仰! 絶対愛! 絶対服従! そうしてこそ個人主義が反対の方向に行くのです。そうしてこそサタンが逃げるのです。サタンが逃げるのです! ですから、絶対服従が必要です。南米と北米はこのようにしさえすれば統一されます。絶対信仰、絶対愛、絶対服従なのです。

 それが軌道なのです。そのレールに沿って走っていかなければならないのです。そのような立場に立っているために、私たちは血統復帰、所有権復帰、心情圈復帰ができるのです。一族をみんな復帰することによって、「国も私の国である。絶対的な私の国だ! 家庭、氏族、民族、国家が絶対的に私のものだ!」と言うことができるのです。

 アダムとエバが絶対信仰、絶対愛、絶対服従できる基準をなくして、偽りの結婚をし、血統を転換し、所有権をひっくり返し、一族を滅ぼしたので、絶対に血統復帰をしなければなりません。真の父母の純潔な血統を、永遠に自分の子孫に残すことができるように守るのです。アダムとエバはそれをなさずに結婚したのです。私たちはそれをなして結婚し、絶対血統、絶対所有権、絶対心情圈を復帰しなければならないのです。

 これを標語にするのです。三大標語です。大きな声で言ってください。絶対信仰! (「絶対信仰!」)それができない立場で堕落しました。しかし、私たちはその一つ上の立場、祝福家庭の立場に立っているのです。絶対信仰、絶対愛、絶対服従の上に家庭が成立しているというのです。堕落はその基準の反対の立場でそれを破壊したのです。ですから、自らの家庭が、血統を転換した完全な純潔な神様の直系の子孫、堕落の因縁のない夫婦にならなければならないのです。堕落することによって、エバはすべてを捨ててサタンの側に行ったのです。(269−94)


 A入籍と愛

 では人はどのように生まれたのでしょうか? 入籍する前に絶対的な人間として生まれるためには、どのようにしなければならないのでしょうか? このことをはっきりと知らなければ、絶対的に完成品に代わることのできる私の行くべき立場、永遠に成就した立場ですべてに打ち勝って自らの主体性を天の前に主張することのできる立場を、求めていくことはできません。

 私たち人間は神様を中心として生まれました。あくまでも出生の動機は創造主です。創造主によって出生したのです。創造主によって出生したのですが、その創造主の何によって出生したのかが問題です。創造主はダイヤモンドが好きで、そのダイヤモンドを任せるために私たちをつくったのでしょうか? 権力が好きで、権力を相続させるためにつくったのでしょうか? 知識が好きで、知識のすべてを伝授するためにつくったのでしょうか? 初めの起源、出発の起源とは何でしょうか? これが問題です。

 絶対的な神様が起源となって、神様によって内的因縁を抱いて生まれた私であると主張するならば、私は神様の何によって生まれたのでしょうか? 私の出発の起源は何でしょうか? このことをしっかりと知らなければ、またこれから本郷の地に戻るプログラムを正確に知らなければ、進行上のすべでが、未成熟で未完成なものとして結論づけられるようになるのです。

 では私の根本的な出生の起源とは何でしょうか? 出生の起源とは何でしょうか? 人間に最も貴いものとはで何でしょうか? 生命です。出生の起源とは何でしょうか? 生命です。では生命だけが出生の動機になるのでしょうか? 私の出生の動機は、あくまでも自分の母親と父親に由来しています。父親の生命と母親の生命が織りなされて、私は出生しましたが、二人の内外の人格を伝授するにあたっては、二つの生命がぶつかりあって出てきたのではないというのです。生命に先立って、二人を連結する根源的な作動があったのです。その作動の動機が何かというと愛です。生命が貴いか、愛が貴いかという問題を考えてみるとき、生命は自分の出生の起源から2番目の位置にあるのです。愛が1番目の位置です。

 この愛というものがあったために、男性である父親と女性である母親が出会うことができたのであって、男性の生命体と女の生命体があったがゆえに、自分が生まれたのではありません。いくら二人が存在したとしても、その起源には愛という内的因縁、統一的な何かがなければなりません。男性と女性は根本的に違います。顔付も違うし、性稟も違います。男性が上がろうすれば女性は下がっていこうとします。男性が右に行こうとすれば女性は左に行こうとします。性格的に見ると相反する素性を持っていますが、これらが一つになりうる、一つに調和させて一つとならしめる力の母体があるのです。男性と女性、父親と母親を同化させたそこにおいて、二つの人格を和合させ、その和合された内容の要素を集約させ、生命の絆を受け継がせる、内的な主体があるというのです。その主体が愛だというのです。

 それゆえ人は、生まれるときにどこから生まれるのかというと、生命から生まれるのではありません。生命はあっても、その生命を作動させることのできる母体が愛によって始まり、その愛の和合によって自分の生命が連結されるのです。だから生命の起源はあくまでも愛だというのです。(177−305)

 これから皆さんが知らなければならないことは、選民としての自負心と自主性を、いかに各自の心に爆発させるかということです。死にゆく運命の道…、その瞬間に生命を左右するような環境であっても、選民としての自負心を持って死ぬことのできる統一教会員にならなければなりません。それでこそ生命が死からよみがえるのです。そういう力を持たなければなりません。何によって選民の立場に入籍することができるのでしょうか? それは神様の愛、本然の愛です。(21−153)

 人間の価値的結論は二つではありません。一つです。その価値的結論の中心とは何でしょうか? 真の愛です。真の愛とは何でしょうか? 真の愛の定義も下すことができずにいます。

 統一教会の思想は愛を中心とした、ただ一つの世界観です。個人、家庭、氏族がいかに暮らしていくべきかということが、はっきりとしているのです。その法度はレバレンド・ムーンの構想ではないというのです。天国の法度の反映体なのです。そうでなくては、天の国に行って入籍することができないのです。(147−194)

 アリラン峠には12の峠があるといいます。アリランというのは「愛」という字に「里」、そして峠という意味の「嶺」と書きます。したがってアリランというのは愛する村を探していく峠ということです。それを越えていかなければならないのです。愛する村を探していくには、12の峠を越えていかなければならないのです。ですから、サタン世界の12の峠を越えていってこそ定着することができるのです。そうしてこそ愛が始まるのです。家庭が定着するのです。(285−232)


 B祝福の3代の決心

 真の父母と一つになって伝統を相続し、皆さんの家庭が主体的な伝統をもって万国を治めることのできる基盤となり、主体性をもつことのできる家庭になったとき、天国の皇族圏内に入籍できるのです。こうして入っていく所が天国です。天国は誰でも入れる所ではありません。その道を歩んでいくことを3代が決心しなければなりません。段階としては、祖父母から父母、夫婦、息子・娘まで4段階、系列としては夫婦基盤を成した3代です。

 それゆえ血続開復帰、所有権復帰、心情圈復帰をしなければならないのです。本来皆さんは、祝福を受ける前に万物をみな天の前に捧げなければなりません。エバは結婚する前にアダムの所有だったでしょうか? そうではありません。結婚して初めてアダムの所有になったのです。ですから、祝福を受ける前からアダムの所有の立場に入っていこうとするならば、旧約時代、新約時代、成約時代のように、自らの所有権をすべて捧げていかなければなりません。旧約時代は万物を供え物とし、新約時代は息子を供え物とし、成約時代は父母を中心として蕩減路程を経ていくのです。(228−295)


 C祝福家庭と責任分担

 天国に入っていく人は、責任分担を完成して真の父母の血縁をもった息子となり、神様の直接的な愛を受けることのできる立場に立たななけれぱなりません。そのような立場で主管されて生きた人たちの行く所が天国です。ですから、このことを知らなければ天国に行って入籍することができないのです。良し悪しを問わず、とにかくだめなのです。ですから、おばあさんたちもめがねをかけて徹夜をしてでも勉強し、その責任分担を知らなければなりません。

 神様はどうして責任分担を与えたのでしょうか? それは、人間をして神様の創造の偉業に加担させることによって、人間に無限で高貴な価値を付与しようとしたからです。もしも、人間に責任分担を付与しなかったならば、人間は神様の愛に対することのできる対象の立場に立てないのです。

 神様が100パーセント造ってはいけないというのです。95パーセントは神様が造り、残りの5パーセントは人間自身が責任を果たすのです。そうして100パーセントを満たしてこそ、人間が協力者として神様と同等な立場に立つことができるのです。そうなることによって、絶対的な主体である神様と、堂々と相対的な資格を備えた立場において、愛を授受することができるのです。このようにして愛の理想を形成することができるのです。もしも責任分担がなかったとするならば、私たち自身は、神様の愛の理想を対等な立場で受けるに足る威信を立てることができません。威信を立てることができないのです。それで神様は、人間に神様の愛を受けることのできる威信を立てさせるために責任分担を設定したのです。

 このことを知らずには、今日の歴史を解くことができません。数多くの哲学者、数多くの宗教家たちが、神様のみ旨を中心とした道を今までたずね求めてきたにもかかわらず、完全に釈明することができなかったのは、この責任分担という内容を知らなかったからです。

 それゆえ、統一教会が誇ることができるのは責任分担です。責任分担を必ず完成してこそ、神様の直接主管圏内に入っていって、神様の愛を受けることのできる立場に立つのです。責任分担を果たさなければなりません。

 もしも、堕落した人間に神様が責任分担を設定しなかったならば、今日統一教会で主張するところの蕩減復帰という内容は出てきません。ただそのままで復帰するならば、すでに復帰は終わっていたのです。落城しなければなりません。なぜ蕩減しなければならないのでしょうか? 人間には責任分担があるからです。人間自身が完成すべき責任分担を破ってしまったために、(人間自身が)その付与された責任を果たさなければならないのです。そのためにはサタン世界のすべてに打ち勝ち、サタンを主管する立場に立ち、堂々とサタン世界の反対環境を除去した立場に立って、神様の愛を受けることのできる立場に入っていかなければなりません。そのようになればサタンは離れるのです。

 神様の愛を受けることのできる人間始祖になれずに、サタンに引っぱられていきました。しかし、神様の愛を受けることのできる段階に入っていけば、サタンは干渉することができません。そこでサタンと永遠に離別するのです。

 それゆえ私たち統一教会では、サタンの干渉を受ける立場である間接主管圏から直接主管圏に移っていくことは、神様の愛を中心として神様の干渉を受けることのできる圏内に入ることを意味するのです。サタンはどの限界線まで反対することができるでしょうか? 原理結果主管圏内までです。責任分担を完成できない段階にいると、サタンは讒訴し、干渉することができます。

 原理結果主管圏内を越えるとすぐに直接主管圏内に入っていきますが、直接主管圏は神様の愛を受けることができてこそ、入ることができるのです。人類始祖が神様の直接主管を受けることのできる、愛の圏内に入れなかったということが、堕落したということなのです。それゆえ神様の愛を受けることのできる立場に入るようになると、サタンはそこに存在することができません。そうなっているのです。

 それで今日の統一教会では責任分担ということを言うのです。人間自らが行かなければならない、人間自らが成し遂げなければならない分野を残してしまいました。人間が責任を果たせずにサタンが入るようになったので、人間が責任を果たすことによってのみ、サタンを追い出すことができるのです。

 人間が責任を果たすということはどういうことでしょうか? いかなる困難、いかなる受難の道があったとしても、神様の愛を受け得る立場につながるようにすることです。それが堕落した人間の最大の願いです。直接主管圏とは、人間が神様の愛と一つになり得る立場をいうのです。その立場に立ったならば、堕落はありえないのです。神様の愛と一つになったのに誰が引き離すことができるでしょうか? 引き離すことができないというのです。堕落した人間世界においてさえ、父子の関係の情理というものは、誰も引き離すことができないのです。(143−77)


 D祝福家庭は伝統を立てなければ

 どんな美女であっても、伝統のある家にお嫁に行ったならば、その家のしきたりに従わなければなりません。しきたりに従うことができなければ追い出されるのです。ですから、どれほど大変でしょうか? 生活が合わないし、習慣も合わないし、風習が通じなくて大変です。しきたりだらけの行路に沿って愛し、そこに拍子を合わせていくのは容易なことではありません。難しいです。難しいのです。拍子を合せなければ追い出されるのです。

 今は天国の皇族圈を中心として編成していく時代です。このろくでもないような者たちはすべて、これからはプルドーザに押されてしまうような日が来るのです。私が教えるすぺての原理のみ言、教えるすべての事を中心として世界へ行くとき、この世界の伝統をさえぎることのできる韓国人もありえないし、この伝統をさえぎることのできる統一教会もありえません。根っこを抜いてしまわなければなりません。目を閉じて断行しなければならないのです。天国の伝統を打ち立てるためにメスを入れなけれぱならないときには、メスを入れる度胸がなければなりません。

 私を見てごらんなさい。目を見てごらんなさい。どんなに□が早いか見てごらんなさい。主張の強い人なのです。間違いは容赦しません。今後世界へ向かうことのできる時代にそのような日が近づいてくることを思うとき、これから過去を深く厳粛に悔い改めながら、自らの一身を整備し、自らの一家庭を整備しなければなりません。そうして皆さんの一族から崇拝…、尊敬でなく崇拝される人がいなければなりません。なぜそうなのでしょうか? 先生は反対を受ける環境の中でも崇拝されてきました。両親が反対しても、その子供たちは反対する両親を蹴っ飛ばして、尊敬どころか、崇拝するごとく先生に従ってきました。

 これから皆さんが行くべき道はそうではありません。反対がありません。先生がみな作ってあげました。みな防いであげました。みな壊してあげました。ですから、皆さんが先生をどれほど崇拝しなけれぱならないでしょうか? 皆さんが迫害時代に先生を崇拝した以上に、皆さんは子孫から何百倍も崇拝されることのできる家庭の伝統を残さなければ、天国の本館に入籍するのは難しいという事実を通告するのです。皆さんの息子・娘たちに、皆さんが先生に侍った、その数倍以上に侍られる基盤を作っておかなければ、離れていくのです。押されてしまうのです。(184−243)


 E入籍前の祝福家庭の準備

 天国に入籍することは簡単でしょうか? 原理を知っていなければなりません。今、就職が問題ではありません。会社の運営は皆さんがしなくても、人を集めてでもいくらでもできるのです。本来は各自の故郷に駆けていって、一族を従えなければなりません。今回の選挙が終わったら全部みな還故郷して定着しなければならないのです。父母兄弟をみな立ち直らせて生かしてあげなければなりません。農村離れによって若い青年たちが都市に集中し、売春婦やチンピラになってしまったのを全部連れ戻すことのできる、そんな旗手に私たち統一教会の若い青年がならなければならないのです。今やそのような時が来たのです。(213−149)

 今は理論的に見ると、み旨のことを説明する必要がなくなりました。みな終わったのです。これからはページをめくるときです。ですから神様と真の父母から歴史をつづって、今後は入籍時代が来るのです。そして皆さんが入籍するのです。神様の息子・娘として、皆さんは神様のようになり、真の父母のようになりましたか? 言うのは簡単でしょう。寝ても覚めてもそのことを考えなければなりません。食べても寝てもどこに行っても、そう考えなければなりません。そのようになるためには、祖国(神の国)で暮らさなければなりません。それから(霊界に)行かなければなりません。(201−235)

 皆さんは、真の父母の願いである天国の創造理想の伝統を家庭に定着させることによって、「真の息子・娘の心情圈」の教科書に代わることのできる、実体の教本にならなければなりません。その次には「兄弟の心情圈」を示し、「父母の心情圈」を示してあげなさいというのです。神様の心中にある、言うに言えない恨の峠をみな解いてあげなければなりません。そのように三大心情圈を備えることによって、神様が創造主の立場でアダムとエバを創造した喜びと同じものを感じるのです。そうすれば三大心情圈の上に、父親と母親が、息子・娘を抱いて愛することのできる資格を備えることができるのです。

 息子の心情圈、兄弟の心情圈、夫婦の心情圈、父母の心情圈という、神様の心の中に恨として残っていたものを先生が完全に受け継いで、それを身をもって解決する教科書になったので、皆さんの家庭もそういう伝統を受け継いで残すことによって、完全に天国の皇族圏内に入籍できる道ができるのです。(228−294)


 F相続してこそ

 堕落世界では誤った結婚をしますが、今この時は真の父母を中心として正しい結婚をするのです。1週間あれば(祝福式をして)全部復帰できるのです。手を握りなさいと言っても、(知り合ったばかりで)手を握ったこともありませんが、(復帰できるのです)・・・。今や皆さんは先生のみ言がはっきりと分かりましたが、そうすることができますか? それが問題です。

 では相続するには何を相続するのでしょうか? 言語、言葉からです。その次には暮らしです。真の御父母様がコチュジヤン(唐辛子みそ)が好きだったら、コチュジヤンを食べなけれぱならないでしょうか? 食べなければなりません。そのように考えないと真の御父母様と暮らすことができないし、真の御父母様の生活環境に入っていくことができないのです。それでは心情が一つになりません。心情が連結するためには日常的な生活が同じでなければなりません。時代でもなく、年でもなく、日常の生活が心情を連結するのです。(267−110)

















SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送