真の御父母様天宙勝利祝賀宣布
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第一章 霊界に対する理解

一、再臨主の使命

 来たるべき再臨主は何をすべきなのでしょうか。今まで天上世界、地上世界において、霊肉の勝利的覇権は完全に崩れていたのです。それを再び創建するために、個人・家庭・氏族・民族・国家を四千年の間復帰してきた歴史を、霊界から再び整理していかなければなりません。

 それで先生は霊界に行って数多くの霊界の霊人を中心として闘ったのです。「統一教会の文某は異端だ」と霊界が反対したのです。すでに霊界はサタン側になっていたので反対してあたりまえです。蕩減復帰は避けられません。それを個人から収拾し、真理、理論闘争をしたのです。地上天国は力ずくでできるものではありません。理論闘争と真の愛をもって築かなければなりません。こことは反対なのです。

 ですから霊界に行って、四十三日間霊界に大混乱が起きたのです。教主を中心とした宗教指導者たちが責任を果たせなかったこと、復帰的過程において心情を中心として血統転換していくということを誰も知らないのです。先生が発表することによって霊界も分かるようになり、このような過程でサタン側は理論闘争に負けたのです。

 ここでは神様までが反対しました。(板書される)それはアダムが神様に反対したことを蕩減復帰しなければならないからです。蕩減復帰の法則というのは実に冷酷なものです。許しがありません。人間が神様を求めているので、終末に再臨主として登場するためには、サタン圏内に渡ったこれを蕩減復帰しなければならないのでサタンが打つのです。

 そのような中で神様が反対するのですが、これでなければならないという闘争をして、そのまま霊界が混乱するしかないので、四十三日以内に天が判決を下さなければなりません。

 誰が勝利したかという決定的な宣言をしなければなりません。それを宣言すると同時に、勝利したという御印をもってこなければなりません。

 その根が神様です。全体の勝利的覇権を得たその場で神様の御印をもらって地上に降りてくるのです。四千年の間紛争してきたすべてを収拾しなければならなかったのです。先生は霊界の紛争を収拾したので地上世界に来たのです。霊的基盤の相対となる場が地上です。霊肉が分立したのと同じく、地上は反対するようになっています。ですからサタンが地上の全世界を動員してレバレンド・ムーン打倒運動をするのです。

 先生の前では地上世界で世界的個人が反対し、世界的家庭が反対し、世界的氏族、世界的民族、国家、天宙までが反対したのです。そこでは神様も助けてくれませんでした。先生を助けてくれません。最後になって退くのです。

 先生はこのような闘いをしながら蕩減の道をたどってきたのです。そのように個人的勝利、家庭的勝利を経てくるのです。皆さん、言葉で言うのは簡単です。個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、民族復帰、国家復帰、天宙復帰、神様復帰といいますが、それは言葉の上だけのことではありません。血統的にしなければなりません。このようにすべて歴史性のあることを知り、その立てた標準の前に、自分の実体が神様のみ言と一体となることのできる実体的基盤を立てなければサタンが打つのです。

 先生はこのような内容を知って、ただするのではありません。闘ってきたのです。その結果、霊界肉界が合同してこの闘いに加担し、敗れたので屈伏するのです。このように冷酷な路程が蕩減復帰路程です。

 そのような路程を経て、霊界の勝利の覇権を中心として、下から一つにしてきたのです。霊肉をひとつにするのと同様に、全世界が反対するのをすべて分別して高速道路をつくり、霊界に統一的運勢が備わる時代になって、初めて地上で完全にひとつになるのです。

 体と心が地上で分かれたので、分かれたこれらが霊的肉的にひとつとなりうる覇権基盤を築くことによって、個人と家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙まで地上に完成させなければならないのです。サタン世界からここに足を踏み入れることはできないのです。(一九九四・四・十一中央修練所)


二、統一教会と霊界

 われわれの団体は、ある個人の目的を達成するために創立されたのではありません。神様のみ旨完成のため、神様のみ旨成就のためにこの団体が始まり、出発したのです。

 それでは、神様のみ旨の全幅的な内容とは何でしょうか。それは、再創造歴史の過程を経て、アダム完成を期することであり、アダム完成の勝利的基盤を築いた基台の上にエバ完成をして、エバ完成をしたその基盤の上に家庭と子女完成をすることです。その子女完成をすることのできる基盤を連結させるために、そこには氏族圏というものが、あるいは民族を代表した実体的氏族圏が形成されなければなりません。これが救いの摂理の中心であり、また救いの摂理完成の主流内容です。

 私たち統一教会では真の父母について語り、真の子女について語っています。ここが統一教会の異色な点です。今までは多くの宗教が教主、男性であれば男性一人に仕えてきましたが、統一教会の時代には父母宗教を主張するのです。これが今日の宗教歴史にあって特別なことです。

 統一教会は、今日のキリスト教を新しい世界の次元へと、歴史の希望圏に向かって前進させるべき責任を負っているのです。それゆえに、統一教会の理念は世界のキリスト教を一つにしなければならないということです。

 なぜ世界基督教統一という言葉が出てくるのでしょうか? 人々の中には「文先生! どうして世界基督教という言葉を入れてそのように反対されるのですか。なぜそれを取り除いてしまわないのですか」という人もいました。世界基督教という言葉を取ってしまえば誰がこれに反対するでしょうか? 統一教会に誰が反対するかというのです。

 世界基督教という言葉を一番上につけたがゆえに、キリスト教徒が、牧師も長老も、誰彼の区別なく「世界のキリスト教を統一するのか」というのです。それも世界で数多くの国家基盤を持つ、そう、ローマ帝王のような看板を持ったレバレンド・ムーンであるならばまだしも、こんなみすぽらしい奴が世界のキリスト教を統一するんだって。そう思えば朝考えても気分が悪いし、そう、昼に考えても気分が悪いし、夕方考えても気分が悪いし、寝ながら考えても気分が悪いし、夢で考えても気分が悪いことなのです。

 ですから「なに、キリスト教を統一するって?」というのです。歴史上今まで数千年間闘って、三、四百、数百教派にまで広がったものを何で統一するのでしょうか。銃剣でするのでしょうか、暴力でするのでしょうか、独裁的な手腕をもってするのでしょうか。このような立場に立つことによって、どうのこうのと言っては、勝手なありとあらゆるうわさが立つのです。

 それで世界のキリスト教を統一するには神霊によって統一する、これなのです。神霊協会だというのです。力ずくで統一するのではなく、銃剣で統一するのではなく、何で統一するのですか。「神霊」神霊とは何でしょうか、神霊とは? 発音を少し間違えれば「実力」になります。(韓国語で「神霊」と「実力」の発音が類似している。)実力ではなく神霊です。何で統一するのでしょうか。人間の力ではできません。これは霊的世界を動かしてこそ可能なのです。

 霊界を動かすのは地上を動かすことよりも難しいのです。人間を動かすにしても、動かすことのできる内容がなくてはなりません。ですから、霊界を動かそうとするのならば、霊界を動かすことのできる内容がなければなりません。その内容とは何でしょうか。キリスト教を統一することです。その内容は簡単なものです。

 キリスト教を統一しようとするならば、統一されなかったキリスト教の内容を完全に取り除き、統一されうる内容だけを残しておけば統一されます。口で言うのは簡単です。そうではないですか。統一できないものを取り除いて統一できるものだけを残しておけば、それは統一されるようになっています。

 それゆえに、ここでは全世界のキリスト教が持っていない新しい真理体系、旧約聖書から、新約聖書から、今後未来につながる聖書体系において、新しい「観」を形成しなければならないという話が成立するのです。その「観」自体が神様が見る「観」であり、霊界が見つめる「観」でなければなりません。

 霊界の協助を受けるには、神様が進んで協助しようとしなければなりません。神様が霊界の王であられるとするならば、王が「うん」といっているのに、手下がいくらがんばったところでどうしようもないのです。その王であられる神様が興奮して「そうだ。私の時が来た」と、このように気分が良くてこそ、その手下の霊界がみな従って一つになることができるのであって、神様が反対していては霊界が協助できないのです。神様が心の中で旧約聖書と新約聖書の内容をまとめた骨子を鑑定してご覧になるときに「ああ、そいつのいうことは合っている。統一教会はいいじゃないか」という何かがなければならないのです。

 その霊界を動かしうる内容は、神様を中心としたものであるのはもちろんのこと、さらにはこの地に来ては去っていった数多くの聖人、数多くの宗教指導者が望み、そうできることを願った内容と一致しなければなりません。仏教の釈迦に、「あなたの唱えた仏教経書の中の内容はこれこれこういうものです」と、また、儒教の孔子ならば孔子、イエスならばイエスに「あなたの内容はこれこれこういったものですが、ここに不足していることがあります。これはこうなるべきではないですか」というとき、みな「YES」と言うようでなければなりません。「その通りだ。その通りだ」と、これが通じなければならないのです。

 ここで問題となることは何でしょうか。新旧約を通したあらゆる宗教のみ旨を代表することのできる息子の宗教は、僕の宗教と養子の宗教に通じます。それが連結されると同時に、その息子の宗教を通して、この父母の宗教圏を通して、霊界と神様の世界にまで公認される一つの体系の形成を願うのです。そのようになれば、世界のキリスト教は自動的に統一されうるのです。

 そう考えると、世界のキリスト教は統一されます。できるというからには、そこに自信を加えればできるのです。このような内容をもって、看板を「世界基督教統一神霊協会」としたのです。(一一三―九三、八五・五・一)

 「世界基督教統一」というのは、世界のキリスト教を統一するということであり、次の「神霊協会」に「神霊」が入っているのですが、神霊は人間世界ではありません。霊的な世界です。世界のキリスト教を統一したその基盤の上に、神霊なる役事が繰り広げられるのです。神霊なる役事をなして、世界を一つにしようというのです。世界基督教統一神霊協会から神霊を除くと世界基督教統一協会になりますね。神霊を除くと何にもなりません。

 今日、統一教会は天宙統一を語っています。そのような新しい術語を私たちは使っています。世界統一ではありません。天宙統一を語っているのです。では、その天宙統一を誰がするのでしょうか。「天宙」というのは、これらすべての空間世界まですべてを統括していっているのです。見える世界と見えない世界のことをいっているのです。すなわち霊界があるということです。(一六八―二四一、八七・九・二七)


三、霊界の図面

 (絵を描かれる)これを堕落前の世界と堕落した世界の二つの世界として表示しましょう。

 私たち人間世界に一番初めに誰がいたかというとアダムとエバの二人がいました。ここから成長して上がっていきます。蘇生、長成、完成と成長していくのですが、神様がこの道を通して霊界に上がっていきます。

 それでは、これはいつ広くなるのでしょうか。アダムとエバがここに上がってくれば、ここに比例してこのように広くなります。ここに上がればこのように広くなるのです。上がるに従ってこのように和して上がっていくのです。そうすればここではこのように降りてきます。だんだん降りてくるのです。

 さて、ではアダムとエバがここに上がればどうなりますか?(霊と肉が一つになります)。何を中心としてですか?(神様です)。神様の愛を中心としてです。神様を中心としてではなく、神様の愛を中心としてそれが可能なのです。(板書される)

 ここでアダムとエバが一つにならずして神様の愛が臨むことができますか。(できません)。これが水平線であると同時に垂直線になります。それで神様の愛はどこからくるのでしょうか。一番のセンタリングポイント(centering point :中心)からスタートして出てくるのです。ここでもだめで…。ここでなくてはなりません。そうでなければ円が分かれます、円が。

 これを中心としてすべてはこの圏内で統一されます。それでこれは愛の圏だというのです。愛の圏になるのです。愛の圏が本来理想とする世界だということが分からなければなりません。(一一七―二四七、八二・三・二八)


四、肉界と霊界

 皆さんは霊界に関して知りたいことがたくさんあることでしょう。今の世界には数多くの宗教がありますが、その宗教が行く道は、霊界と関係を結んで永生する世界、永遠に生きる世界、すなわち神様と共に生きる世界を求めているのです。そのような世界が宗教の目的地であるということは、皆さんが概略的な観念として知っていることでしょう。

 ところが、この期に及んで宗教がどのようになったかというと、ますます脱落して「宗教は弱者が信じるものだ。私たち人間に必要のないものだ。それは道義的な一つの表象として人間が操作したものだ」。このように結論を下す時代になりました。

 宗教の中心となるキリスト教を見てもそうです。アメリカは全世界のキリスト教国家の代表国です。ところがそのようなアメリカの家庭で育った皆さんが、キリスト教を信じた人々が、宗教を離れて今まで自分勝手に生きているうちに、行くところがないので仕方なくここにまた帰ってきたのです。(笑い)

 皆さんはキリスト教を信じていました。世界の中心であり、すべての理想の中心は神様なのですが、その神様がおられる霊界を中心として理想を描いてきたキリスト教に身を置いていたのに、なぜ出てくることになったかというのです。

 第一の原因は何でしょうか。霊界があるということをはっきりと知らなかったからです。人間には比較する能力があるので、知能を持った比較能力のある人間であるがゆえに、良いところがあれば悪いのを捨ててそちらへ行くようになっており、より次元の高く、価値あるところがあればそちらに行くようになっています。それが人間の本性です。皆さん、そうですか。(はい)。男性より女性がそうかもしれません。たぶん。(笑い)男性もそうですか、男性も。(はい)。同じようなものです。共産党も意識が、心が変わるので、その意識革命も変わりやすいと考えたのです。そして二番目の原因は、神様を知らなかったことです。

 三番目の原因は、霊界の中心と神様の中心が、愛で結ばれているのを知らなかったことです。この三つを知らなかったのです。神様を知り、霊界が分かったといっても、それが無味乾燥で、人間世界と変わりがなく、絶対的な神様の前に主管を受けているので気分が悪いものとばかり考えて、愛を中心としたそのような世界だとは知らなかったのです。

 霊界と肉界、霊的な存在と肉的な存在も同じです。ここは神様の愛、神様が中心になっています。私たちが普通に考える堕落した人間は、神様が中心になっていません。人間は心と体からなっているのですが、それは違います。それは次元が違うのです。

 心と霊界は違います。霊界と肉界とは、神様の愛を中心としていったものです。したがって、霊界と肉界が一つになるためには必ず神様が介在しなければなりません。神様の愛が介在しなくては霊界と関係がないのです。神様を中心として霊界というものが連結するのです。

 皆さんには良心があるでしょう? 良心と霊界はどう違いますか。皆さんには心と体があるでしょう? 心と霊界はどのように違うかということです。何が違いますか? 「私の心も霊じゃないか?」このように考えているのです。それを混同しているのです。確実に知らなければなりません。

 心は霊界ではありません。堕落したがゆえに、心は霊的世界と正しく関係を結んでいないのです。言わば、骨ない人のようなのが、堕落した人間の心です。骨のない人のようなものが堕落した人間の心だと考えれば実感が湧きます。骨のない人のような形態が堕落した人間たちの心なのです。

 霊人体を見れば、霊人体にも体があり、心があるのです。霊人体にも心があり、体があるのですが、霊人体の心のようなものが霊的世界です。それは必ず神様と関係を結んでいます。したがって、神様と関係を結ぶことなしには、霊人体の心のようなものが生じないのです。霊と心は違うということを知らなければなりません。心は神様とは関係のないものです。すなわち、神様が離れたのです。神様自身は関係できません。神様が直接主管することができないのです。

 それで皆さんの心はあれこれと変わるでしょう。そうですか、そうではありませんか。(そうです)。共産党も意識が、心が変わるために、その意識革命も変わりやすいと考えたのです。宗教などすべてないと考えます。しかし、霊的世界、霊的関係、霊的存在は変わらないのです。それは永遠に一つの目標を立て、着実に行くのです。それはなぜでしょうか。神様側に立っているからです。どういうことか分かりましたか。心は人間の内に属しているのです。行ったり来たりする人間の内に属しています。

 皆さんは原理を学んで知っているでしょうが、生心というのは何でしょうか? 生心というのは、心と霊とが合わさって新たな一つの目的に向かって動く存在であり、神様を中心として私たちの良心と一つとなり、霊肉を中心とした理想的な私を作り出すことのできる動機的な心である、このように見ればいいのです。

 ですから、その生心なくしては、霊界と、理想と、真の愛とすべてのものの関係を結び付け得る自らの根源を見出すことができず、発見できず、立てることができないという結論になります。

 生心が私に生じれば体も喜び、すべてみなそれに従っていくのです。自動的にこれが一つになります。一つになり始めるのです。今まで、人間にとって一番の問題になったものが何かというと、体と心が互いに離れているということです。

 しかし、霊界というもの、霊的な力が私に臨み、生心的な起源さえできれば、心と体が自然に一つとなります。そのような根本で革命が起こるのであって、根本から改める根源を発見できない限り、私たちは理想を求めていく道理がないのです。動機があってこそ結果が現れます。

 宗教とは何かというと、ディバイン・マインド(divine mind :生心)を植え付けようというものです。このディバイン・マインドが一つの核心なのですが、これを中心として数多くの宗教があります。このような形態の宗教もあり、このような形態の宗教もあり、ありとあらゆる形態があるのです。

 だからといってこのディバイン・マインドがそのまま接続されるのではありません。ただぐるぐる回るばかりで、そこにつながらないのです。ここにディバイン・マインドがあるとするならば、このように行くのですが、ここまで行っても、ここまでは行けないというようなものです。(板書される)

 元来はこれを求めて入っていけば、これがここまで入っていけば、自動的に接して自動的に戻って出てきます。別の道に出ることなく再びその道に出てきます。その次にまたここまで出てきてはそのまま戻るのです。これを永遠に続けるのです。入っていくとき私が前に立ったならば、出てくるときはその中心となる神様が前に立って出てくるのです。これが違うのです。(九一―一四二、七七・二・六)

 先生はニューヨークのニューヨーカー・ホテルをなぜ買ったのでしょうか。ニューヨークの一番の巣窟から掃討して、新たに基盤を築くためです。そこへ行って、交わりをもって、慰労してあげなければなりません。そうすればこそ各界各層、サタン世界で滅びゆく人にまでその道を開き、道を築いてやることができます。そのようにして霊界で閉ざされたものをすべて開き、地上で道をみな築いてやってこそ世界が一つになることができます。

 霊界と肉界が世界的に一つになることのできる場は、静かな場ではなく世界が搖動する場、天地が搖動する場です。世の中はさせまいとし、天はしようとして、二者が激しく闘って勝つことによって一つになるのです。

 これからは霊界から教えてくれるのです。統一教会を信じなさいと教えてくれます。イエス様が現れ、孔子が現れ、釈迦が現れ、マホメットが現れ、自分の先祖が現れて統一教会を信じなければ、みな霊的に制裁をし、霊的に罰を与えて激しく駆り立てるのです。

 霊界が今まで分かれていたのをすべて収拾し、今日の世界が分かれているのを、すべて心情的につないでゆく超民族的基準を中心として、ここに世界的代表を集め、心情的に一つになるこのような運動をするので、霊界も一つとなって接するようになれば、ここから光を放ち、世界的な運動が大々的に繰り広げられるのです。

 今までは西洋の霊界と東洋の霊界は異なったものでした。それをどのようにして一つに結び付けたのでしょうか? 神様の愛によって結び付けることができたのです。それが可能なのです。神様の愛を中心として東西洋の人々を、統一教会の合同結婚式を通して、すべてを民族としてつなぎ、氏族としてつなぎました。

 そうして、個人的基準、家庭的基準、氏族的基準、民族的基準、国家的基準、世界の基準をすべて築いてきたのです。霊界は完全に私たちにかかっているのです。(九一―一六一、七七・二・六)

 霊界では、神様の愛がなければ食べることができません。食べる権利がないのです。地獄は見ていながらに食べることのできないところであり、知っていながら行なうことのできないところだということを知るべきです。それゆえ、神様の愛を中心として霊界と肉界が一つとなることのできる価値的な中心を立てて、神様の愛を中心として地上で霊肉が一つとなった天国生活をした人の他には、永遠な理想的世界を所有できないのであり、天国を所有できないということを皆さんが知らなければなりません。ですから、私たちは世界の人を愛し、人類を愛さなければなりません。あの世に行けば自分が愛した分だけ位置を占めるのです。

 霊界(天国)がどんなところか分かりましたか。為に生きる人々が行く世界が霊界(天国)です。自分の為に生きる人は、絶対に行くことができないところです。そのような人は地獄へ行きます。いくらこの世で有名な牧師だとしても、行ってごらんなさい。みな地獄に行かなければなりません。われわれ統一教会は怨讐まで救ってやろうというのです。

 今、皆さんは天国で生きている人でしょうか、天国へ行こうという人でしょうか。「天国へ行こうと思います」いつですか。「ナウ(Now :今です)」ナウというのはいつですか。ナウがどれぐらい続きそうですか。今日終わりますか。十年、百年かかりますか。そうこうしているうちに死んだらどうしますか。ですから接ぎ木されなければならないのです。すっぱりと切って、接ぎ木されなければならないというのです。

 皆さんは先生に接ぎ木されましたか? 皆さん、祈祷の中で、あるいは夢の中で先生をよく見ますか。

 毎日会わなければなりません。そのような人がいたら手を挙げてみなさい。そのような人が百パーセントを占めなければなりません。世界の統一教会員はみなそのような体験をすべきです。霊界に関して知らなければなりません。また、目覚めていても先生が見えなければなりません。

 ですから、これは歴史上、世界で初めて起こることなのです。それは前にもなく、後にもないことだということを知らなければなりません。

 さて、それがだんだん弱くなるでしょうか、だんだん強くなるでしょうか。だんだん強くならなければなりません。アダムとエバがまだ堕落していないとき、神様から干渉を受けたのと同様に、皆さんの生活圏内を先生が干渉しながらすべてコーチしてあげるのです。先生がしなさいということを、先生が命令さえすれば、世界を征服したこの地上のいかなる独裁者以上に喜びの心を持ち、意気揚々と動けば、その世界に入っていくのです。

 先生は最も難しいこと、できないことを私にさせたけれども、私は先生以上に喜んでやろう」と思えば、その世界にすぐに入っていくのです。自分の生命を捧げてその場を出れば、すぐに先生がコーチをしてくれるのです。

 それゆえ、神様の最高の愛はどこで発見するのでしょうか。王宮ではありません。

 死んでいくあの地獄のどん底に、血を流して倒れていくその中に、神様の最高の愛を占領することのできる道があるということを皆さんは知るべきです。共産支配下の監獄にいるときは、私が話さなくても霊界で伝道したのです。ですから先生のために生命を覚悟して、何でもできる弟子たちがいたのです。

 皆さんは、はったい粉を知らないかもしれません。麦の粉で作って、先生と分けて食べようとするのですが、検問があるので脇に隠したり、ここに隠して昼食の時間に先生のところに来て、それを分けて食べたりもしました。そのとき食べた一片のモチといったら、今この世で億千万金を出しても買えない、そのような価値のモチだということを皆さんは知らなければなりません。それは自分の生命より貴いのです。

 その人々もその時のことを忘れられず、今の私もその時のことを忘れることができません。その時どれほど一つになったか…。私もその人々のことが分かるし、その人々も先生がどうだということがみなわかります。夜もわかって、朝もわかって、このように生活したのです。私のために死ぬようなことがあれば、彼らはいくらでも首を捧げるのです。また、先生も同じです。先生も彼らのために命をかけていたのです。

 皆さんはその段階に達していません。どういうことか分かりますか。三年経ったの、何だのといっても、いまだ深い世界、愛の世界を体験するために行くべき道は遠いということを、皆さんは知らなければなりません。自分の生命を奪われ、すべてを失っても「これが世界で一番だ。一番だ」ということのできる体験圏内に入らなければならないのです。

 そのような体験をしたことがありますか。行かなければなりません。行くべき道が残っているということを知るべきです。そのような道を自ら進んで行き、そのような道を感謝して行き、そのようなものを消化しても余りあるというところから、自分自ら霊と肉が統一されて、天の愛に接すべきことが残っているにもかかわらず、皆さんは今行く途中で、ああだこうだといって「私は統一教会のすべてを知っている」などといってはならないのです。

 その道を行くことができなければ、霊界へ行って先生と分かれるのです。先生は別の世界にいて、皆さんはその下で「ああ」というのです。行ってごらんなさい、私が嘘をついているのか、行ってごらんなさい。死ねばすべてわかります。

 皆さんがそれを信じるならば、そのとおりに行うべきでしょうか、行うべきでないでしょうか。(しなければなりません)。そのまま皆さんが体験をして、先生が「君はこのようにすればこうなるに違いない」という通りに、事実をすべて消化できなければなりません。

 一人で寝るときも、神様の愛の懐で「今夜は真に幸福な夜だ」といって笑いながら寝て、起きるときも「ああ、今日はどこかへ行って伝道をしている途中で、私が先生に会うことができたならば」寝ても覚めても忘れず…。いつ会うかわかりません。十二時一分になるのか、一時一分になるのか…。ここで曲がって一歩行きさえすれば、そこにあるのに、それがわからないので感謝して探して歩くのです。

 それゆえに、仕事を終えて「ああ、疲れた」と考える余地がないのです。「ああ、くたびれた。眠れないので疲れる」と考える余地がないのです。そうすれば、霊界が開かれるのです。霊界が見えるのです。皆さんが目を開けて霊界を見て、霊的に食事をすれば、一日ご飯を食べなくてもお腹が空かないのです。そのようなことが起こるのです。体が軽く、一日中忙しく動いても疲れないのです。

 そのようなことを体験すれば、この世は面白くないのです。横的に息子・娘を生むために必要なのであり、実際は世の中にいる必要がないのです。あの世界に家庭を連れていかなければならないので、仕方なくこうしているのです。ですから結婚も一度であり、子女の愛も一度です。ここから理想的な世界が繰り広げられるのです。

 皆さんのお母さん、お父さん、先生が、皆さんと関係を結んでいる人々が霊的に、あるいは夢や祈祷の中に現れて、すべて指導してくれますか。統一教会では夢の中に、祈祷の中に、幻想の中に現れて教えてくれるのです。

 皆さんが統一教会に入って、何日もたたないうちにそのような役事がおこるのですが、それは何十年もの間、歴史を犠牲にし、数多くの聖人たちの血と殉教の祭壇を連結させて、犠牲の代価を払ってやっと始まったという、そんな価値を知らなければなりません。億千万の金でも買うことのできない心情の価値、宝であることを知らなければなりません。どういうことかわかりましたか。(はい)。

 それゆえ、霊界が主体ではなく、ここ(肉界)が主体なのです。完成させるには、霊界が主体なのではなくて、ここが主体です。完成させるには、霊界が主体なのではなく、肉界が主体だということをはっきりと知らなければなりません。肉界の完成は霊界と肉界の完成です。ですから、肉身生活がいかに貴いかということを知らなければなりません。(九一―一七三、七七・二・六)










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