真の御父母様天宙勝利祝賀宣布
(全面表示) 戻る INDEXへ


第四章 霊界解怨と開天門

一、霊界協助と私たち

 皆さんは今、霊界の協助を受けなければなりません。昨日も先生がお話ししたように、霊界がすべて地上を中心として再臨し、協助することのできる態勢を備える時となったのですから、皆さんがいかにしてその焦点となり、ここに活用しうる自身の基盤をつくるかということは極めて重要なことです。

 それゆえ、観念において変革をしなければならないのです。霊界の協助を受けるには、私が霊界の協助を受けるにふさわしい環境的要件を持つことができなければならないのです。

 では、そうなるためには、どうすべきなのでしょうか。地上にある物であれ、教会に属する物であれ、統一教会の食口皆さんの手のとどく物はすべて神聖な物なのです。神聖な物。霊界の霊人が皆、触りたがり、接したがっているという観念を持たなければなりません。

 それゆえに、物に対する基準において、どのように考えなければならないかというと、「次元の高い神聖な物だ」と考えるべきです。別の言葉でいうと、この世の骨董品の中で最も貴い物のごとくに考えなさいということです。神様の手を通した物を、私が今触っていると考えなければなりません。そのように考えると同時に、その聖なる物が「私」という人を、そのように神聖にタッチしてくれることを願わなければなりません。

 そのためには、私がすべての物にタッチしてやることによって、それが光栄だと感じるはずだという思いを持ちなさいということです。物に対してもそうなのですが、人に対してはそれ以上に接しなければなりません。神様が直接その人に接するように、皆さんも接することのできる心をいかにして持つかということが問題です。物に対してもそのように考えますが、人に対しても同じです。他の人はどうするかということが問題ではありません。私がどのようにその人に接し、感じるかということが問題です。

 物を神聖な物だとすると、人は物以上の位置にあるのです。人を神聖な神様の息子として考えなさいということです。そして私の手がその人の手に触れたならば、私によって恵みを受けることを実感すべきです。

 人には心と体があります。私には心と体があるのです。二人の人がいるのと同じです。すると結局は、相対的世界において物を神聖なものとして見て、そして人をも神聖なものとして見るのと同時に、私の体も神聖であり、私の心も神聖であるということを感じなければなりません。私が真実な心をもって、自分の体を触ってやれば、体が喜ぶということを感じなければなりません。

 真実な心を持たなければならないのです。普通の時の心ではありません。神様が好きだという心をもって体に接すれば、体が喜ぶのです。そのようになれば、心の後には神様の愛が訪れるのです。どういうことなのかわかりますか。このような心情を持たなければなりません。

 ですから結論付ければ、まず始めは何かというと、すべてのものを聖物として扱いなさいということです。聖物として。神聖な物として扱いなさいということです。その次は、神聖な体、人を神聖な人として、神聖な神様の体のように考えなさいということです。自らの体を神様の体のように考え、自分の心は神様の心であると考えなさいということです。

 このように訓練していけば、どうなるでしょうか。心の声を聞くのです。心の声。そうなれば、悪なる霊がその環境を占領することはできません。悪なる霊が近づけないということです。悪なる霊がいないので、善なる霊だけが来るのです。

 このような自身をうち立て、そのような環境的生活圏を作り、霊人を呼び出すのです。そうして霊界を呼んで何をするのかというと、強力な人に触れさせ、強力な力に触れさせます。そのようになれば、皆さんがいくら悪いベッドで寝たとしても、そのとき神様に招待されて、天国の王国で接待を受けて暮らしていると感じられるようになります。

 そのように考え、生活すれば、必ず霊界の善なる霊たちと関係を結ぶことのできるすべての環境与件となり、私自身がいる所は神様と共にいることのできる所となるのです。多くの霊は神様を中心として動くので、ここに再臨しうる基台となることができるということです。

 皆さん、有名な人が持っていたハンカチであるとか、遺物といったようなものは、たいした物ではないように見えるのに、なぜ値が高いのでしょうか。それはなぜ高いのでしょうか。聖なる価値の基準を持っているがゆえに高いのです。それと同様に、私たち自身が聖物圏内に入った環境的要件に、自分自らの心的動向が動くというのは当然のことです。

 皆さんが常に考えなければならないことは何でしょうか。寝る前に瞑想するとともに、一日の生活を反省し、目覚める時は目覚めるやいなや、自分が深いところから上がってくるということを、心から目覚めるという感覚を受けなければなりません。そのようにしてこそ、霊と遠かったのが近づくようになるのです。

 そのように生活して収拾していけば、心が私をコントロールするのです。心が。私がどこかへ行くというときには、もうすでに自分自身が共鳴物となります。音叉と同じ立場でそのようになると考えれば、いつでも心と体は、公的な主人の心をもって事物に対すれば、その良し悪しが電波のようにすべて感じられるごとく分かるのです。

 そのような心でもってずっと訓練していけば、ある人に対し、その人が良い人なのか悪い人なのかがすぐに分かります。そのような心が入ってくるのです。皆さんがそのように霊的に見るならば、自分の霊人体が行くのが見えるのです。その人を中心として喜んでついて行くのが現れるときがあるのです。自分の霊人体が外的に現れて活動するのです。そのような境地にまで到達します。

 それを皆さんが環境的に教育していかなければなりません。訓練していかなければなりません。常に注意すべきことは、私の私心を持っていてはならないということです。公的な心を持たなければなりません。何か困難なことがあれば、私がまず行って全体のために私が手助けしようという心をもって、いつでも出動しなければなりません。消防署、機動隊のような心の姿勢を持っていなければなりません。

 ではなぜそうしなければならないのでしょうか。霊界がする前に私がしなければならない、霊界が行く前に私が行かなければならないと考えなければなりません。人は本来霊界を支配するようになっています。本来アダムが天使世界より前にいるために霊界がする前に、霊界が行く前に私がまず行かなければなりません。ではなぜそうなのでしょうか。本来は人が霊界を支配しなければならないからです。これからはこれが重要です。

 また、近所の人のために誠を尽くすならば、その人を中心として三か月間祈祷すればその人が来るのです。そうしてみてごらんなさい。訪ねてくるのです。その人が私のことをはっきりと分かるようにして祈祷するのです。引きつけるのです。磁石のように。強力な磁石となり、方向性を備えて引きつけるのです。愛の刺激体となるのです。霊的な愛の刺激体となるのです。

 そうして祈祷し、その中で祈祷するならば、その祈祷はとても効果があるのです。ここで誠を尽くし祈祷すれば、あちらでは心が浮き立つのです。心が浮き立ち、荷物をまとめて行ったり来たりするのです。そのようなことが起こります。そのためには皆さんが祈祷しなければなりません。先生が八時間祈祷したとするならば、皆さんは八時間以上座って祈祷することのできる精誠を尽くさなければなりません。自分がこの世で働く以上に、天のためにいつまでも働き続けることができるという心の姿勢が必要です。

 そうすれば、霊界とこの世が交差するのを皆さんが感じるのです。地上で霊界と肉界が連結するのをおのずと感じるのです。

 皆さんの体と心が一つになれば、霊界に引っ張り上げる力を感じます。そのような境地を体験すれば、皆さんが説教するときも天が協助します。どこかへ行くときも、どこどこへ行くということを決めていなくても、足が勝手に動くのです。

 ゆえに、その道はどこから始まるのでしょうか。物を聖物として扱い、人を聖者として扱い、私自身の体を神様の体のように、私自身の心を神様のように感じなければならないのです。神様の体と心のようになったところで、神様の愛がいつも連結されるのを感じなければなりません。

 いつもその環境の中では私が主人です。神様を中心として生きていくにあたっては、私が主体です。私が主体という観念を強く持たなければなりません。そうすれば霊界は必ず再臨します。皆さんは分からないけれど。自分の気に入るタイプに…。そのようなことを中心として訓練をしながら霊的協助を受けることのできる姿勢と訓練が必要だということを知らなければなりません。

 先生が動くときは、霊界が協助してくれるようになっています。皆さんも同じです。「世界で一番良い椅子に私が座ります」と言いながら歴史上で一番良い聖物に私が座るのだと考えなければなりません。人に会ってもそのように考えなければなりません。

 そうすれば、その人がなぜか良く思われるのです。誰に対そうが、私が子どものようになるのです。話す時も大人に対して話すように、何度も考えてはたどたどしく話すというような境地に入るのです。子供たちが大人たちに対して何度も考えて話すように、自分がそうなるのです。そのような境地に入るのです。話すことを何度も考えて…。事実、そうではないですか。そうしてその人の前に私にある一番良いものをいつでも与えたいのです。

 そうなれば結局、そのような心の姿勢にふさわしいものを私が受けることのできる立場になるのです。そうして自分に会いに誰かが家に尋ねてきたとき、何か良くしてやれずに帰したならば、夜眠れません。眠れないのです。その人に良くして帰せば、私の心が楽でだいじょうぶなのですが、良くしてやれなかったならば心が楽でなくて眠れません。眠ることができないのです。そのような境地にまで入るのです。このように謙遜な境地に入るのです。

 今後皆さんは霊界を動員して活動することのできる能力を持った人にならなければなりません。さて、ところが一つ困難なことがあるのです。霊的にそうなれば、皆さんがコントロールしづらいことが生じます。そのようなときは、神様の代わりに現れるのだという心を持たなければなりません。

 今まで皆さんは一人だけで動きましたが、これからは霊界をどのように活用するかという問題が極めて重要な問題なのです。

 先生が監獄にいるときは、霊界から教えてくれて、突然別の監房にいる人々が食べるものも持ってきてくれました。そのようなことが起こったのです。その人々は、どこなのか知らずに、ひたすら足で歩いてくるのです。そして、彼らの足が私のところへ来て止まります。そのように招集を受けた人々は先生に従うでしょうか、従わないでしょうか。(従います)。先生はそのような境地に入ったのです。皆さんはそのような境地からどれほど遠いことでしょうか。聖物、聖体、誠心、誠意をもっていかなければならないのです。いつでも。分かりましたか。そのような生活を中心として生きようと、すべてを天のものとして吸収し、消化することのできる環境を持って初めて霊界が協助してくれるのです。

 避難する途中で空腹になったとき、ご馳走を用意し、鶏をつぶし、食べ物をたくさん準備して、朝に白い服を着て迎え入れる人がたくさんありました。このようなことがいくらでもあるのです。そして、駅に行けば切符を買って待っていては見送ってくれるのです。皆さん、これが信じられますか。このような話をすると気が狂いそうになるので、これ以上は話しません。(笑い)

 そのような何かがあるがゆえに、今このようなことをしているということを知らなければなりません。草創期に、お金がなくて困っていると、天から命令が下されます。ある店に一人の女性が来て宝物を売ったとすれば、その宝物を売ったお金を何銭何文まですべて先生のところに持っていかせるというようなことがあるのです。一文残らず…。単なる話ではなく事実なのです。事実だと信じますか。ですから、霊界が近いということを知らなければなりません。

 私たちの精誠が足りないために神様のみ旨が成されないのです。皆さんの考えのふろ敷包をすべて取り出してください。そうしてこそ神様も分かるし、どこへ行っても優柔不断にはならず、どこかへ行って反対されても堂々とできるのです。お金が一銭もなくても、冒険をして、いつかは仕事ができる道をつくるのです。仕事を成功させられるときには、行けば行くほどひたすらに行きたいものなのです。(一〇二―一一二、七八・一一・二七)


二、霊界の統一基盤

 霊界の統一基盤を築かなければ地上に統一された基盤を築くことはできません。このような思想はレバレンド・ムーンから来たものでしょうか、神様から来たものでしょうか。(神様です)。では、神様がこのような思想、このようなみ旨を何年間ぐらい持っていたでしょうか。レバレンド・ムーンが現れてからその思想を持ったのでしょうか。(以前から…)。

 それほど何千年、何万年と切に願ってきたものが、そっくりそのまま、さらさらと流れる水のようにサタン世界に入ってきたでしょうか。どのように入ってきたのでしょうか。もちろん多くの個人が犠牲となり、多くの家庭が犠牲となり、多くの氏族、多くの国が犠牲となってきたという事実を知らなければなりません。いくつの国でしょうか。今まで霊界にいる霊人がすべて動員され、犠牲になってきたということを知らなければなりません。

 先生がこのみ旨を知ったのは何年前でしょうか。四十年前、約四十年前に知ったとすれば、その時と四十年後、四十年期間、すなわち第二次大戦以後四十年間に世界がどれほど変わりましたか。その変遷していく過程で、先生を中心としてどれほど受難の道を経てきたことでしょう。先生が収拾しなければなりません。

 先生がこの真理の内容を知っているのは、じっと座っていて神様がすべて啓示して下さったものだと思いますか。背後で無限なる闘争を経てきました。皆さんはそれを知りません。霊界を統一したその権限を築いてきたのです。霊界を統一する基盤を築かずして地上に統一された基盤を築くことはできません。ですから、霊界に統一的背景がなければ地上統一の摂理は不可能なのです。

 もし、霊界でレバレンド・ムーンのすることに反対すれば反対するほど、地上ではもっとうまくいかないのです。霊界を通して地上の反対を突破してきたのです。突破していけば協助します。ついてきて協助するのです。霊界に壁があると協助をすることができません。ここで協助した霊たちが帰っていくでしょうか、さらに前進するでしょうか。どちらを願いますか。霊界に行って眺めていたいでしょうか、より前進したいでしょうか。(前進…)。

 ゆえに霊界が大移動をするようになるのです。レバレンド・ムーンゆえに大移動が起こるのです。ですから世界的中心であるアメリカまで今後一つになれば、ふさがった霊界がすべて開かれ、すべての霊たちが思いのままに降りてこられるようになるのです。レバレンド・ムーンを通して降りる道が開かれるのです。(一六一―二四七、八七・二・二二)

 統一世界はどのようにして完成するのでしょうか。霊界と肉界を解放することのできる人が現れなければ、統一世界を完成させることはできません。皆さんは霊界と肉界を一つにすることができますか。霊界と肉界を解放することができますか。問題です。堕落しなかったならば霊界と肉界は既に一つとなって、統一されたことでしょう。一つの世界なのです。解放とか何とかといった言葉は必要ありません。堕落したがゆえに霊界と肉界がみな分かれてしまったのです。すべて残らず解放しなければなりません。一つにしてこそ統一が始まります。

 統一教会はここから出てきながらも、別の集団になっています。このような基準に立った他の集団になっているということを知らなければなりません。じっとしていてこの世が統一されるでしょうか。世の中がばらばらになっているので一つにしなければならないのです。私たち統一教会員にとってやっかいなことは何でしょうか。「あ、統一教会を信じているので本当にいい。統一教会の真理が一番いい。統一教会の原理が一番いい。統一教会だけが世界を一つにすることができる。私たちは救いを受けることができ、祝福を受けることができていい」といっていますが、喜んでいるばかりでいいのでしょうか。世界が一つになっていないのに…。

 本来の世界は解放というものが必要ない世界でした。統一されるべき世界であったのに、統一されていない世界になったのですから、統一された一つの世界にする責任を果たすべきことを知らなければなりません。サタンの血統を中心として分立した環境を完全に克服した統一教会、この環境の中ではサタンが干渉できません。

 しかし、外的な世界は一つの世界になっていません。誰がその責任を負いますか。私たちが責任を負わなければならないのです。ですからメシア的責任を果たさなければならないのです。メシアが空中に来てするのではありません。私たちが横的にカイン・アベルの蕩減復帰路程を行って初めて果たされるのです。

 皆さんは、今、統一教会を信じて喜んでいますが、世界のために何をしたでしょうか。国のために何をしたでしょうか。家庭のために何をしたでしょうか。個人のために何をしたでしょうか。級が違うのです。家庭・氏族・民族・国家・世界的に、各段階にどんな影響を及ぼしているかによって、霊界に行ってから、そっくりそのまま裁判を受けるのです。

 霊界に行ってから統一された世界の基準を造るのではなく、この地上で造らなければなりません。それが目的です。地上ですべて完成してから行かなければなりません。一族が皆ついてきて協助しようとしているにもかかわらず、自分が動いてあげないから問題が起こるのです。霊界にひっかかるのです。自分の一族がひっかかって、彼らが皆さんに対してサタンの仕業をするのです。どうして何もせずにいたのかというのです。自分の一族が讒訴します。

 霊界に行けば多くの先祖がいるのですが、彼らは一つになっています。彼らが皆さんに「なぜ私たちを救ってくれなかったのか」と讒訴することでしょう。これは皆さんの問題です。天のお父様の問題でも、真の父母の問題でもありません。ただ皆さんの問題です。

 したがって、今どんなに困難でも統一教会の運動に参与しなければなりません。この道の外には希望がありません。今、皆さんがいくら困難な状況で生活しているとしても、それが問題にはなりません。それは一時的な問題です。

 皆さんの問題は、いかに永遠なところに問題を置くかということです。どうすればその問題を解決できるのか。霊界には道がありません。この地上が問題です。どんなに深刻なことでしょうか。この地が重要です。分かりますか。(はい)。私はそれがどれほど深刻なのかはっきりと知っています。地上で困難に打ち勝って勝利することを願います。(一六一―二四九、八七・二・二二)


三、霊界を団結させた六千双合同結婚式

 六千双合同結婚式は、摂理史的に見て、歴史的な一つの終着的な結末をつけたものと考えられます。韓国で出発した統一教会が、今まで韓国にただとどまっていたとすれば、このように歴史的な、全世界に及ぶ影響であるとか、全世界人々の心情を集めることができるといった結果をもたらすことはできなかったことでしょう。私たち統一教会が国際的な舞台まで出て、世界的な拡張運動を通して全世界の心情を糾合させることができた良い一時であった、このように考えるのです。

 ここに参加した国は八十五か国でした。自由世界はもちろん共産圏にいる人々までもがここに参加したということは、歴史的な事実です。このように考えれば、この大会自体は霊的に見れば数多くの霊界の先祖たち、八十五か国の先祖たちがすべて団結した瞬間だというのです。

 歴史過程を通して、このように霊界全体が、霊的先祖がすべて団結したのはこの時以外にはなかったのです。摂理上でさまざまなこと、祝福することであるとか、誇ることが多くありましたが、霊的世界全体が超国家的な立場に立って団結することのできた時があったとすれば、神様の摂理歴史過程を通してこの時が初めてだったという結論を下すことができます。ですから、霊界中が注視する一つの焦点であったのです。

 そして全世界八十五か国の若者が来て、この場で祝福を受けるその瞬間の環境であるとか、心構え、祝福を受ける立場に立った本人たちもやはり、国家を超越して一つの焦点に合わせたのです。このように、霊界が見つめる焦点と地上が見つめる焦点が一致した時というのは、今までの歴史上にはありませんでした。そのような時が今後あったとしても、以前になされたその焦点、霊的世界であるとか、肉的世界の心情的基準に合ったその焦点を中心として評価することになるのです。あの時と比較してどうだ、あの時よりも優る、劣る、というようになるのです。興奮的であり、刺激的であり、衝撃的であるという面では、たとえ後の時代に何十倍もの大きい大会をしたとしてもこれには及ばない、このように考えるのです。このような立場から見れば、これは超世界的な慶事であったと結論付けることができます。

 ですから、神様の立場から見れば、誇らしいことなのです。結論は誇らしいことだということです。誰を誇るのでしょうか。もちろん統一教会を誇るのですが、先生も先生に対して誇ることのできる一時ではないかということです。

 今まで先生の一生を通して霊界が協助し、数多くの宗教を通してこのように苦労してきましたが、この一時にあった事実を中心として神様が喜び、誇ることができたのは、歴史時代において初めてのことではないでしょうか。これは総評です。(一二一―四六、八二・一〇・一五)


四、統一式
    (一九七六年一月三十一日[陰暦一月一日])

 〈祈祷〉

 愛するお父様、あなたが六千年間、解怨の一日を願われたすべての願いをこの時間、叶えてくださいませ。イエス様をお送りになり、イスラエル民族と一つにしようとされたみ旨が果たされずして残った恨を、この時間、解怨成就して下さい。

 統一教会を中心として、真の父母の名前に従い、今まで三十年歳月の過程における、あなたの悲しみの恨のすべてを、この時間、解いてくださいませ。天と地が分かれ、男性と女性が怨讐の因縁を結び分かれる立場に立ち、父母と子女が分かれ、兄弟であるカインとアベルが互いに怨讐となって始まった歴史が、この終わりの日に至り、世界史的にすべて分かれた実像を目の前にしては、真の夫婦がどこにおり、真の父母がどこにおり、真の子女がどこにおり、真の兄弟がどこにおり、真の氏族と民族と、真の国家と真の世界がどこにあるのかを考えさせられるのでございます。これらのものがまったく見当たらない混乱したこの世の中で、あなたの名を通して、新たな歴史的な統一の群れを収拾いたしました。

 そうして、これから心と体が、男性と女性が、夫と妻が、兄弟と父母が、分かれていたすべてのものを統合することができ、真の氏族とともに、真の民族として、真の国家として、真の世界へと一つにしようというあなたのみ旨を、この地上で実践でき、果たすことのできる現状にあることを感謝申し上げます。

 今まではカインがアベルを打ち、悪なる主権が善なる主権を打ってきました。しかし、これからは、カインとアベルが取り替わり、もしもカインがアベルを打つようなことがあれば、何倍もの賠償をしなければならない歴史的な厳然なる時代へと移りつつあるということを、あなたとこの真の父母は知っておりますので、そのような法度を天宙の中にお立てになり、善なる基準が絶対の権限をもって、悪がそこに順応する一つの道理を探し求めなければ、永遠に滅亡するということを知らせてくださいませ。そのような新しい歴史の出発が、この時間を基点としてなされるようにしてくださいませ。

 今までは悪なる体が善なる心を支配しましたが、これからは善なる心が悪なる体を打ってでも屈伏させ、お父様の前に変わることのない一つの人格を形成してさしあげなければなりません。

 今まで、家庭では男性と女性が互いに主張する立場にありましたが、これからは天理に従って、男性と女性が一つとなり、昔エデンで失敗したアダムとエバの二の舞を絶対に踏むことのない、真の夫婦にならなければなりません。

 また、その息子・娘として生まれる子女たちは、神様の前にアダムとエバが背いたような、そのような子女ではなく、真の父母を中心として背くことのできない子女となって、完全に父母と子が一つとなった家庭として出発させてくださいませ。兄が弟を打ち、弟が兄を打った歴史的なことはすべて流してしまい、兄が弟を愛し、弟が兄を敬って従っていくことのできる天理法度をお立てになりますよう、切にお願い申し上げます。

 天の運勢から見て、この国とわれわれ統一教会を中心として見て、今まではカインがアベルを支配することのできる立場に立っていましたが、これからはアベルの権限に従ってカインが順応する道をこの国がわきまえていかなければ、この国の前途も、遠からず困難に突き当たるということを知っています。そのようなことのないように、あなたが主導し、摂理してください。国と教会が連結され、離れようにも離れられない時代的限界点に到達したことを知っています。

 どんなに混乱した状況であっても、あなたが主導される方向とみ旨に従って世界は動くということを知っております。ここに中心を立てましたので、絶対的な権限を持たせてくださり、アジアの中心が天のものとなり、アジアを糾合し、共産圏を制圧することのできる新たな歴史的出発が、この時間から設定されるようにしてくださいますよう、切にお願い申し上げます。真の父母のみ名により、全天宙に宣布するこの時間となるようにしてくださいますことを、切にお願い申し上げます。

 今、ユダヤ人とキリスト教徒が合わさって統一教会を反対しておりますが、彼らがカイン的な立場からそうせざるをえないということを知っております。アベル的な立場の統一教会が彼らを抱き、愛することによって、彼らをこの時間許しますので、お父様が彼らの歴史的な罪状をお忘れになり、三番目となる統一教会を中心として彼らを屈伏させ、天の道理に従ってアベルが長子の権限を持って民主世界に入っていくことができるようにこの時間宣布して下さいますことを、切にお願い申し上げます。今まで天使世界が地上のアダム世界を支配してきたことを知っております。

 今はそのような時ではなく、アダム世界にいる地上の全人類が、天使世界に該当する霊界を支配することのできる時代へと転換させて、あなたのみ名の前に一つとなることのできるこの時間となるようにしてくださいますよう、切にお願い申し上げます。あなたの心情と人類の心情が連結されず、逆にあなたの前に悲しい心情で誓いを立てた歴史上の人間たちの心情が、今は喜びの心情に転換することのできる心情的統一の起源を立てて下さいますよう、切にお願い申し上げます。

 真の父母の名を中心として原理原則によって原理の帰結点をつくるために、今まで統一教会の複雑な局面を収拾する路程を、お父様は見てこられましたか、これら全てを喜んでお受け下さい。

 この時間のこの式は統一の式でございます。体と心が一つとなり真の人となって、真の男性と女性が一つになり真の夫婦となって、真の夫婦が一つになることによって真の子女が一つになり、真の子女が一つになることによって真実でなかったカインがアベルを中心として兄弟の愛の圏を中心として一つとならしめてください。

 そうして、その家庭が真のアベルの立場で真のカインの氏族を収拾し、その真の氏族がアベル的な立場で真のカインの民族を収拾し、その真のアベル的な民族の基盤がアベル的な立場で真の国家を収拾し、その国家が真のアベル的な立場で真のカインの世界圏を収拾して天の前にアベル的な世界と個人的な世界が、言い換えればアダム世界と天使世界が一つとなって神様を中心とした統一世界へ帰結することのできる偉大な式典として受けて下さいますよう、切にお願い申し上げます。

 このような意味で、一九七六年は歴史的な転換期であり、歴史的な統一の運勢が天を中心としてつくられうる転換期であることを知っております。一つの分水嶺を、峠を越えるこの時間でありますので、あなたが今まで権能があっても行使することのできなかったのを、この時間から行使して下さい。

 今まで地上にいる万民たちは、アダムを創造することに自由に協助できませんでしたが、今は全霊界を動員し、アダムを再創造して完成するのに協助させ、一つの統一の世界へ追い出すことができるようにしてくださいますよう、切にお願い申し上げます。

 そうして地上にいる人間たちが、真の父母の血統的因縁と心情的因縁を受け継ぐことにより、天使世界を支配して、お父様の本然の子女の名分をもって、お父様の前に孝子、孝女、忠臣、烈女の心情を備える本然の人類とならしめてくださいますことを、切にお願い申し上げます。

 この日のこの式典をあなたがお受け下さい。お父様のみ名によって直々に宣布すると同時に、真の父母のみ名により、この地球上のすべての万物と万民の前に宣布し、あなたのみ名により霊界に宣布するこの式ですので、直々に宣布して下さり、ここに印を押して下さいませ。今日、出発する新しい歴史的な一日を喜んで万有の存在が受け入れることができるようにしてくださいますよう、お願いいたします。

 悪なるサタンも今や反抗しようものならば、何十倍、何百倍の蕩減条件で賠償をしなければならない時となったがゆえに、あなたの前に順応し、愛される解怨の道、前進するための道も開いておきますので、お父様が許して下さいますよう、切にお願い申し上げます。今日の式典を真の御父母様のみ名によってあなたの前に奉献いたしますので、喜んでお受け下さいませ。感謝申し上げながら、すべての祈りを真の御父母様のみ名によって宣言いたしました。アーメン。(八二―二二一、七六・一・三一)


五、霊人たちの解怨成就

 今、統一教会としては、解怨する人を天が送ってくれて、私たち統一教会を先に信じた人々を解怨しなければなりません。統一教会の名前をもって統一教会を信じる人がしてやってもそれは良いのです。統一教会の霊たちがすべてみな解怨しなければなりません。今がそのようなときです。

 ですから霊も地を経て上がっていかなければならないのです。それは再臨復活の役事ではないでしょうか。今までは、これは解放の前まではできませんでした。解放される前に解怨はできませんでした。

 先生がこの地に来て、そのような役事の使命、いわば完成時代ということを掲げて役事をするので、旧約時代、新約時代の霊もすべて復活するのです。

 旧約時代が責任を果たすことができず、新約時代が責任を果たすことができなかったので、今というときに、霊界に対して責任を果たした基準にあるという印の札をつけなければなりません。今まで私がそのようなことをしなかったのは、国家基準を越える前にしたとすれば、ただちに首を絞められるからです。

 韓国の先祖は全部でどれくらいいるでしょうか。韓国の先祖と中国の先祖を比較すれば、中国の先祖の方が多いのではないでしょうか。そうではないですか。ですから、彼らが皆とびついてくるのです。それゆえ、韓国でもこれを備えて解いていくのです。

 ですから最近になって、文氏氏族解放運動をしたのです。それがすべてそのようになっているのです。そして次はキリスト教です。キリスト教と統一教会が通じるのです。キリスト教のイエス様の名から、十二使徒から道を開けてあげようというのです。その次には、文氏宗中から大韓民国の忠臣、烈士をみな解放してやろうというのです。

 復帰とは何かというと、イエス様を中心として、氏族を中心として、ユダヤ教とイスラエルの国の復帰です。世界時代において…。そうするには、今、先生がキリスト教を屈伏させたこのような霊的基準で、キリスト教を制圧し、民主世界を制圧することのできるこのような何かがあるのでこうするのであって、これがなくては国を解放することができず、キリスト教を解放することができません。(七〇―二三五、七四・二・一○)

 二月十二日、私がしてあげようとしている式は何かというと、イエス様とキリスト教全体と仏教と儒教と回教のすべて、その人々の行く道、門を開いてやる式をするのです。十二日に。

 ここで七人でしたね。協会長様の奥様と、それから元弼さんの奥様と七人で…。その日は何日でしたか?(一月三日の夜です)。一月三日の夜でしたね。私が二階で、世界を中心としてこうして祈祷をしていたところ、昔の韓国の王たち、忠臣烈士、またキリスト教ですべてを果たせずに死んだ霊、それから仏教ですべてを果たせずに死んだ霊、儒教で死んだ霊、道教で死んだ霊、また何かの雑神、たとえば巫女として死んだ霊、その霊たちが皆お父様の前に来て「私たちを解放してください」というのです。それで、なぜかと聞いたところ「天地には今、韓国と世界に運勢が来たのですから、私たちを解放してくれてこそ、父母様のために働くのではないでしょうか」といって…。

 つまり、そのような時が来たということです。ですから、今年はそのような霊たちとそのような人々に優ることをしなければなりません。道理のために死に、キリスト教のために死に、犠牲となった人たちを解怨をしてあげなければならない時であるがゆえに、地上の人々がその人々に劣るようではなりません。分かりましたか。(はい)。

 数多くの修道者たちがこの地に来て、死んでいきながらも責任を果たせなかったことを、私たちによって解くので、私たちが解いてあげようとするならば、彼らより優れていなければなりません。解放してあげるには、より優れていなければならないのです。

 先生がアメリカに行き、霊的にそのような基盤を築いたがゆえに、先に立っているがゆえに後援するのであって、後ろにいるならば後援するでしょうか。今まで数多くの道人が行った道を越えた人はいませんでした。ですから解怨してやれなかったのです。そこでストップしているので何千年も待ったのですが、先生が現れてその人々の前に立っているのでみな解いてあげるのです。

 そのようなことを皆さんは知りませんが、それは個人的にも、家庭的にもそうでなければなりません。今は国家的時代になったので、国家時代の理念を標準として現れたのが修道の世界です。仏教や儒教やキリスト教を立てたのは、一つの国を、神様が善なる国として統治するために、その準備工作をされたのです。今、それを知らずにいるのです。

 キリスト教が、イエス様が死んだので先生が今このようなことをしているのであって、イエス様が死ななければこのようなことはしなかったはずです。実体復帰をする前には、霊的解怨はできないのです。

 霊的解怨をするには、世界基盤を築かなければならないのですが、私の築いた基盤があるので、これが民族や国家を中心として霊的解放となりうるのです。そのようになっているのです。霊界は天使世界と同じです。堕落とは何かというと、天使世界が原理原則を通して人間に協助することのできる道を失ったのが堕落です。

 けれども、これからは原理原則を通して復帰時代にこれを解怨してやれば、原理原則を通して協助することのできる時代圏内に入るのです。それゆえ、今後、悪霊が統一教会の信徒を侵犯しようとしても、信徒一人につき善霊が三人以上ずつ守り、保護する運動が繰り広げられるので、反対するということがなくなるのです。恐ろしいことです。自分たちがむやみやたらに接しようものならば、胸が詰まるというように、先祖は分かるのです。反対すれば直ちに即決処分になるのです。そのような時が来たのです。

 それゆえ、それでも私たち統一教会に反対する人はすべて霊界に呼ばれていくのです。今後そうなるのです。(七〇―二三八〜二四一、七四・二・一○)

 今、霊界は混乱しています。地上も混乱しています。それを分別して整理しなければなりません。霊界に中心がないので、どこでも経るのです。中心が立つ場など知るところではないと、天地がすべて私が一番だと考えるのです。霊界はまだ中心が定まっていません。今、われわれ統一教会が霊界の中心を定め、地上の中心も定めてやるのです。

 そうするには、まず中心を定めなければならないのですが、霊界の中心を定めなければ、地上の中心も定められないのです。今まで誰も霊界の中心を知りませんでした。いくら霊通するとか何とかいっても、霊界の中心がどうあるべきなのか、それが分からなかったのです。そのようなことをすべて先生に教わらなければなりません。それゆえ、世界の霊通人は、先生に教わらなければならないのです。彼らはコーチを受けなければなりません。

 皆さんは、先生がそのような先生なのかどうか分からないかもしれませんが、通じる人々は先生の前ではどうすることもできないのです。地上において人の体を使って霊界に通じる人々を指導することができ、その人々の行く道をすべて分けてあげなければならない責任が今、統一教会にあるのです。(七〇―二四三、七四・二・一〇)


六、総解怨式
    (一九七五年五月一日)

 今日、統一教会の先生がすべきことは何でしょうか。個人的に完全に勝利しなければならないのです。そうするにはこの複雑多端なものを収拾しなければなりません。個人からその複雑多端なものをすべてみな収拾しなければならないのではないかというのです。それが一番難しいのです。出発が難しいということです。

 また、これからは飛躍できる時代に入っていくのです。まさにそのような時が来るので、この時を迎えて何をしなければならないのでしょうか。この時を迎えたならばそのまま通り過ぎさることはできません。その基準を越えていくには堕落していない本然の基準を中心として、すべて解放してやらなければなりません。解放してやらなければならないのです。

 ですから一九七五年陽暦五月一日を中心として清平で総解怨式をしたのです。ところで皆さん、その総解怨式をなぜ清平でしたと思いますか。それは清平を国際的な基盤の中心地と見なしているからです。韓国を中心として見れば、青坡洞が本部なのですが、清平は今後、国際的な修練所を中心とした中央地にしようと先生が求め、また天の前にそのように祈祷した所です。

 それゆえ、時間があれば私は清平に行くのです。先生がなぜ清平に行くのか分かりましたか。そこは霊的な面において、すべての運勢が集結し、そこから重要なすべての問題を解決すべき所だと知っていたために、五・一六広場の大会とか、重要なことはすべてそこで考えました。そうしなければならないのです。なぜでしょうか。世界的な所だからです。

 そこは本部と離れており、川の向こう側にあるので、全世界の大洋に向かう相対的な立場にあると同時に、先生自身がその相対を主体的な立場に連結させることのできるというみ旨があるために、清平を重要視し、時間さえあれば行ったのです。原理的な内容があるがゆえ、そのようにしてきたのです。ですから清平で五月一日を中心として総解怨式をしたのです。

 皆さん、人間が堕落することによって何がどのようになりましたか。神様が自由な神様になることができませんでした。すなわち、拘束された神様になったのです。次に、人類始祖が拘束されてしまったのです。その次には天使世界まで拘束されてしまったのです。それのみならず、歴史的な数多くの宗教人が拘束圏内であえいでいます。人類もやはり同じです。

 その次にはサタンが生まれました。悪なる霊界が生まれました。悪なる霊的な対象の実体が地上に生じたのです。彼らがすべて一つの中心を中心として一つの境界線を成しているのです。この境界線を越えるには、蕩減という過程を経なければなりません。

 それゆえに、順理的な面でこれをかき分けて行くことのできる立場を作るためには、天と地が平面線上に置かれなければなりません。その中で人間が正道に従って、生涯路程を行くことができるようにするためには、地から天まで行く道を造らなければならないのです。

 それがわれわれ統一教会を中心として個人的に国家圏に入るための基盤が築かれる時です。ゆえに、霊界でも個人的に国家圏を思い通りに往来できる道を開いておかなければならないのです。そのような式が総解怨式です。

 神様が恨を抱き、真の父母が恨を抱き、天使世界を抱き、その次にはイエス様を中心とした数多くの宗教人が恨を抱き、善君(善なる君主)を中心とした忠臣たちが恨を抱き、善男善女たちが、あるいは烈女たちが恨を抱いているのです。そうではないでしょうか。自分たちがその国の忠臣となり、善君になったとしても、それが流れに流れて、天のみ旨と連結される民族になれなかったので、みな恨を抱いているのです。

 次にはサタンの支配下にある悪霊たちも、結局は堕落によってそのような結果が生じたので、自分たちもサタン側にはなりたくないというのです。ですから、できることならば善なる天の側へ帰りたいという願いを持っているのです。

 では、誰の過ちによってそうなったのでしょうか。それは神様が誤ったのでもなく、天使世界が誤ったのでもなく、アダムが誤ったのです。人類始祖の過ちのゆえにそうなったのです。では、それは誰が解くべきなのでしょうか。人類の始祖が解かなければなりません。そのような観点から今日の韓国自体を考えると、統一教会の文先生がそのような使命を代行するために来たのです。

 ところが、先生は今まで韓国で数十年間、統一教会を中心として反対を受けてきました。それがまだ解けていません。解けていないのです。

 だとすれば、どうしなければならないのでしょうか。統一教会の文先生の願いは何でしょうか。国家の解怨成就です。国家的基準で勝利するその日こそ、解怨することのできる標準の日です。そうではありませんか。イエス様の恨を解いてさしあげなければなりません。それゆえ、国家を中心として解怨できる基盤を築かなければ、統一教会の文先生が恨を解くことができないのです。統一教会の文先生が解かずして、神様が解く道はないのです。神様が解く道がないならば、なおのこと天使世界が解く道理はないのです。天使世界が解かれなければ、地上の真の父母を中心として相対的な立場に立った人類が再び生きる道はないのです。そうではないでしょうか。したがって、霊的な世界での神様の解怨成就、真の父母の解怨成就、天使世界の解怨成就をすることによって、地上での宗教の教主たちの解怨成就までみなしてやらなけれぱなりません。次には善君、忠臣、烈女たちの解怨成就、その次はルーシェルとイスカリオテのユダとネロ皇帝までしてやらなければなりません。今までは悪なる世界のサタン圏内で生活してきましたが、サタンの名ではない真の父母のみ名によって…。

 解怨成就の原理原則というものを考えると、神様の解怨成就とともに天使世界の解怨成就をしたという順理的な道が地上に連結されることによって、――天のみ旨は本来罰を与えて審判するものではなく、生かし、理想をもたらし、幸福をもたらすものであるので――皆さんは皆さんのそれぞれの活動に該当する善なる世界へと発展することのできる道が開かれたのです。

 今、霊界はどうなっているのでしょうか。神様が自由に降りてくることができるので、全霊界が地上に直行することができるように、反対するものがありません。今までは教派ごとに異なっていたので、行けないように、すべて遮っていました。頂上がみな解決されて通知が行って初めて、すべての門を開け放って、横的にも行くことができ、縦的にも行くことができるのですが、そのようになっていないのです。

 けれども、今、このような解怨式をすることによって、神様が来られると同時に真の父母が来て、その次には霊界にいる善なる善君、善なる教主が来るのです。その次には悪なるサタンまでも…。今まではサタンが悪の側でしたが、これからはそうではありません。反対するものは地獄へ行くので、みなすべて天国に行こうとするのです。サタンに対して銃を逆に握り、サタンまでをも解放しようというのです。

 ですから、これから悪の主権がわれ知らず瓦解していく時代になっていくのです。

 ですから先生が三次七年路程において、全アメリカを巻きこんで霊的な世界のキリスト教の運勢を引き連れて韓国に来たのです。霊的な国家的基準を越え、世界的基準まで行って運勢を引き連れてきました。肉的な国家的基盤を連結させて、霊的な世界的勝利の基台の上に、肉的な世界的基台を結束することによって、霊肉を完全に蕩減しうる世界史的な新たな起源を準備し、新しい次元で登場するのです。


七、開天門日
    (一九八五年二月一日、ダンベリー)

 今日は二月一日、開天門日を宣布した日です。開天門とはどういう意味でしょうか。文字どおり天の門を開いたという意味です。そのような日です。昨年の今日、先生はダンベリー、お母様はイースト・ガーデンを中心として、初めて天と地が通じることのできる門を開けました。それによって天上世界の善なる先祖は地獄を経て地上の子孫たちのところに来るのです。地獄に打ち勝った人だけが天国に行くのです。(一九八六・二・一)

 先生がダンベリーに入って何をしたかというと、一九八五年二月一日を中心として、霊界と肉界がさえぎられていたのを、門を開いたのです。門を。先生はダンベリーで、お母様は離れたイースト・ガーデンで特別な祈祷をするのです。そうして門を開けるのです。誰がこの門を閉めたかというと、堕落した父母が閉めたので、この門を開けるのも、すべてを復帰しうる父母様の使命です。開かなければなりません。ですから開けたのです、これを。

 この門を開けたので、悪なる先祖が地獄にいたとしても、今は善なる子孫たちが来て自分の系列の先祖を伝道することのできる道ができたのです。どういうことか分かりましたか。(はい)。

 昔はアブラハムであるとか、宗教を中心として復帰摂理をしてきました。真の父母が来て復帰摂理ができる基準まで降りてきたことがすべてではありません。特定地点を通して、一つの氏族圏の代を継いでいくのです。

 それを見れば、アダムからアベル、ノア、アブラハム、モーセ、洗礼ヨハネ、イエスの時代まで、この系統は天から地まで連結することのできる族譜です。この族譜にふさわしい系列は一つしかありません。それ以外はみな関係ありません。これが完成されてこそ真の父母が現れて、追っていたものを取り崩すことができるのです。真の父母が現れなければ、取り崩す方法はありません。(一四四―二六二、八六・四・二五)













SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送