真の御父母様天宙勝利祝賀宣布
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四、一九九九年度の宣布のみ言

   一)元旦の祈祷文とみ言(一九九九年一月一日)

  〈祈祷〉

 愛するお父様。

 この時間は一九九八年最後の時間を送り、その年における「神様を誇り愛することは三億六千万双祝福完成とサタン世界血統断絶」という大いなる課題を中心とした歴史的な出発をしたすべてを、心に描き夢にも描いたあらゆる困難の峠を、天が協助する中で越え、勝利の栄光を備えて万民万世の前に誇ることのできる栄光の一年を迎えさせてくださった恩賜に感謝申し上げます。

 その年において苦労されたお父様の労苦の前に、心より、心より、心よりこの幼い夫婦、息子たちは感謝申し上げます。そのような祝福の年が過ぎ、新たなる一九九九年元旦の新しい朝を迎えました。

 新しさを追求するこのすべての出発の恩賜とともに、天地が注目するこの場、神様をはじめとして幾千万の聖徒、祝福を受けた私たちの先祖と、万世のこの地上で、天の許しの中で解放の祝福を受けた四億以上の祝福家庭が、この地を心から慕い、新年を迎えております。

 彼らすべてが父母様の万福を祈ることのできるこの場であることを思い、天と祝福を受けた人類全体が注目するこの場に焦点を合わせて、この時間をお父様の前に新しく今年に計画するすべてを希望の中で申し上げ、計画したすべてをこの全世界に宣布することのできるこのような元旦のこの日を、お父様、栄光の時間として、誇りの時間としてお受け下さいますよう切にお願い申し上げます。

 天が家庭を失ったエデンにおいて、恨の心を抱いたお父様の心を知るものはいませんでした。そのような内情的な心情を、この地上に真の父母を探し立て、恨の歴史をすべての解怨成就する日を待ちわびてきた天が、復帰された真の家庭を代表することのできる真の父母の家庭をこの地上に立てるために、どれほど、どれほど苦労したかという事実を私たちは骨肉に感じながら、それほど苦労された天があったということを知らずにいた過去、アダム以後今までの歴史の先祖たちの無知を許して下さいますようお願い申し上げます。

 今日、この地上に真の父母があなたの心情の世界を描き、この地上に示して万民解放の勝利の愛の法度を立てようとしたすべてのことを発表し、始まりは困難でしたが、五十余年が過ぎてもこのみ旨を地上で成就して、天の前にすべての国と世界を奉献しうる勝利の祝いをすることができないことを申し訳なく思われるのでございます。

 今年において、一九九九年を中心としてすべての長子権の理想基準を越え、父母権の理想基準を越え、王権の理想基準を越えて私たちが天の前に膝を屈して精誠を尽くし、天がすべての個人から人類全体を越えて運行なさることによって、あなたの所願解放の歴史に永遠に残りうる祝福の恩賜を願う、新たに全世界から集まった国家的メシアたちとともに、この地上に来られた世界的メシアとともに、天宙のメシアとともに、祝福を受けた家庭がジャルジンを中心として家庭的訓練をして、天国入城に合格しうる家庭を目標に修練するすべての家庭が、ジャルジンのこの地域を中心としてウルグアイのこの地域と連結させて解放の地上天国、天上天国の開門の歴史を宣布してきたこれらすべての一歩一歩により、お父様が解怨成就することのできる喜びと栄光の日を迎え、創造された理想を理想として完成したということのできる、誇ることのできる祝福家庭たちの姿を、あなたがどれほど待ちわびているかということを、私たちは本当に骨肉にしみて感じることができますよう祝福してくださらんことを切にお願い申し上げます。

 今年、新しいこの年を迎えましたので、持てる精誠を尽くして天の前に立ち、神様を仰ぎ、各自、各家庭が統一的な心情一体となって、互いにお父様を私の家庭にお迎えしたいということのできる輝く栄光の家庭となることができますよう、お父様、切にお願い申し上げます。

 この地で真の父母の家庭を中心として、真の父母の日を中心とした長子権解放をなすことのできる祝福の国を立てましたので、この日を連合なさり、世界の万民が一つの家庭を延長した国家体制を備えて、天の前に王権理想を敬って捧げる全人類となることができますよう切にお願い申し上げます。

 そのために天上世界では今まで、真の御父母様によって興進君と大母様を通して霊的解放をして、霊的世界の祝福した先祖たちとこの地の子孫たちと一体となり、天使長であるアダムを完成して家庭を築くことのできなかったすべての堕落の恨の世界を、先に祝福を受けたことによる真の父母の因縁に従って先祖となったすべての天使世界までも相対的理想の区分を備え、地上においてアダム家庭が果たしえなかったことを、祝福を受けた家庭理想を通してカイン・アベル的統一的家庭をもって、神様をこの地に、真の父母をこの地に、孝誠の家庭を、忠誠の家庭を、聖人の家庭を、聖子の家庭を霊肉ともにカイン・アベル統一圏を備え、神様をお迎えして解放天国を宣言することができますよう祝福してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。

 三家庭を中心として、三十六家庭から七十二家庭、一二〇四家庭、四三〇家庭、七七七家庭、一八○○家庭、六〇〇〇家庭、六五〇〇家庭、三万家庭、三六万家庭、四千万家庭、三億六千万家庭など四億家庭以上を祝福したすべてが一体一心となり、地上天上解放圏を完全に備えてさしあげることのできる勝利、また勝利、栄光なる勝利、地上天国開門と勝利の天国基盤を完成することができますよう、切にお願い申し上げます。

 この元旦に、今年の標語をお父様の前に立てますゆえ「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」、断絶ではなく根絶するための誓い的宣言を、天地に新たな一年の標語として宣言いたしますので、この宣言を中心として一心、一身、一体となり、神様に侍り、真の御父母様に侍り、前進に前進することを誓って全体、全般、全権、全能の解放的地上天上愛の主権世界へと前進することを新年に祝福してくださいますことを切にお願い申し上げます。

 この時間を迎えるために、全世界に散在している祝福家庭が父母様のあられる所心に向けて、精誠を尽くす処々に、天の無限なる祝福が、霊界の先祖とともに、幾千万の聖徒たちとともに、神様と直接地上に連結された祝福を受けた真の父母とともに、手に手を中心として一つの統一された世界へ、霊肉の統一された世界へ前進、前進、前進して勝利の解放された天国へと前進することができますよう祝福してくださいますことを真の御父母様のみ名により宣布いたします。アーメン。アーメン。アーメン。


 〈み言〉

 今、私たちが生きている世界は神様の創造理想と連結した世界ではありません。今まで生きてきた世界は、その出発がサタン世界と連結した世界だったのです。サタン世界と何を中心に連結しているかというと、サタン的愛、サタン的生命、サタン的血統を通じて連結しているために、これは神様にとって極めて悲しい事実でした。


この世界はサタン世界

 なぜそうかというと、全体が神様の愛を受け継ぐべき子孫となり、宇宙の主人の資格を持つべきであるのに、愛という因縁を中心として血統的関係でつながり、怨讐のサタン世界と連結されることによって、この全体がすべてサタン世界となったのです。

 そのサタンとは誰かというと、神様がつくった息子・娘ではなく、僕の天使長です。天使長がこの人類の先祖を奪い、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を通じて偽りの父母、実に悪なる父母を中心としたこのような世界を出発したのです。そのサタンは誰かといえば、神様の愛の怨讐であり、生命の怨讐であり、血統の怨讐であり、理想としていた家庭、国家、世界の怨讐だというのです。

 怨讐の中でもこれほどの怨讐はありません。その怨讐を中心として連結されたこの世界の息子娘が、その愛の血を中心として連結したその息子・娘を、いかにして堕落以前の神様の直系の息子・娘以上の立場に復帰するかという問題は、神様自身においては極めて痛嘆な問題であり、困難中の困難な問題に違いなかったという事実を皆さんは知らなければなりません。これを復帰するために、これをすべて壊して再び創造するということは、何百倍、何千倍難しい事実であったということを皆さんは知らなければなりません。

 創世以後、神様が今までたどってこられた歴史は、失ったアダム家庭一つを探すためのものでした。そのアダム家庭を探すには創造したときの出発の基準とは反対に、アダムを創造した後にエバを創造し、この夫婦を中心として人間の責任分担を完成する愛の一体圏を成すことによって息子、娘を得て直系の息子と傍系の息子を繁殖させ、家庭から氏族、民族、国家全体へとこれを連結させ、神様の直系の子女の文化圏が形成しなければならないのが本来の創造理想でした。

 ところがそれが正反対の、至極の怨讐の愛の圏内に包囲されて、完全に神様がこの地上に足を踏み入れることのできない環境的条件となったのです。

 これを復帰するには、そのままでは復帰できません。上から、アダムから復帰することはできないのです。これが落ちることによって人間中心が下に落ち、その次には息子、娘、その次には万物、すべての微物の世界まで逆になったのです。

 それゆえに、復帰をするには、ただそのままではできません。それゆえ、神側に一番近い存在を求めることになるのですが、その存在は何かといえば万物です。この万物を中心として分け、これが祭物という条件を中心としてこの摂理に着手する時代が旧約時代の歴史です。


キリスト教文化圏世界

 旧約時代の歴史を中心としては、祭物を犠牲にすることになります。息子と娘の行く道を見出すための犠牲の歴史をたどり、この地上に真の息子であるメシアを送るために、地上の選民を中心として個人、家庭・氏族・民族・国家形態を備えるための準備をし、ローマ帝国、サタン世界の怨讐を吸収できるようにしたのです。

 神様は神様側の国家を立てようとするイスラエル民族を中心としてメシアを送りましたが、家庭的基盤となるべきであり、氏族・民族・国家・世界まで行く理想的なすべてのみ旨の踏み台となるべきイスラエル民族が、イエス様を捕まえて殺すことにより、これによってアダム家庭で失った悲しい堕落の痛みを感じたという事実を知らなければなりません。

 こうしてイエス様がこの地に来てみ旨を成し遂げられずに、再臨という二千年以後に延長されたこの歴史を、新しい選民圏でつくるために、イエス様と聖霊がこの仕事を引きついで、この霊的世界、肉的世界を分割し、霊的地上天国理想を完成するために始まったのが何でしょうか? 失ったイスラエル圏を霊的世界としてのみ連結してきたのが今までのキリスト教文化圏世界です。

 肉的世界はイエス様が体を失ったがゆえ、また体を中心とした家庭的基盤をこの地上に残しえなかったことによって、霊的な第二イスラエル圏が形成されたという事実、その霊的イスラエル圏を中心として世界的な版図を成して全世界に行くため、天が創造理想時代に願った個人的完成圏を中心として家庭と氏族、民族、国家世界形態に連結させるための目的として再臨というこの歴史を、その標準を立てて二千年間キリスト教は多くの蕩減の路程を経てきたのです。

 そのような路程を通してキリスト教は個人的な勝利圏、家庭・氏族・民族・国家・世界へと進みながら、この地上で天のために生きる人はすべて、どの地でも、人間の住む所はどこでも、血の痕跡を残さざるをえないという悲惨な歴史過程を経てきました。

 これを連結させて、今日まで、第二次大戦以後の一九四五年までに、神様を中心としたそのような選民圏の霊的世界を中心としてこの地上にキリスト教文化圏が初めて天側を代表する霊的基盤となりました。それによって実体的中心存在であるメシアが来てイエス様が残された霊的なすべての基盤をそっくり洗礼ヨハネがイエスの前ですべて相続したのと同様に、これを霊界で地上に来られる再臨主の前に相続し、霊的基盤の一体圏と肉的基盤の一体圏を備え、この世界的版図の上でカイン・アベル基準を代表することのできるというキリスト教文化圏が、旧教がカインであり、新教がアベルとなって一つとなったその基盤の上でお母様をお迎えし、新しい世界に向けての家庭編成を見とどけようとしたのが第二次大戦直後の神様の摂理でした。

 そのとき、もし、キリスト教文化圏が先生を迎えたとするならば、その時から七年あればすべての問題を解決することのできる地上基盤が連結されるはずでした。問題の解決点は何かというと、アダム家庭を完成した真の父母の資格を持ちうる世界人類の家庭が祝福を受けることによって、今日、私たちがしているように、今、四億以上の祝福をすでにしました。

 そのときのキリスト教文化圏が、キリスト教人口が約八億として、八億という人口が祝福を受けたとするならば、そして旧教と新教が一つとなっていたならば、その当時に、一時に、七年以内にこの世界は今日私たちが願ってきた長子権世界化された基盤と、父母権世界化された家庭と、また王権世界化された家庭と合わせて一体理想を成し遂げ、一時に、一度にこれらすべてをひっくり返して、地上、天上天国が築かれたはずでしたが、その神様の摂理のみ旨はこのように延長されてきたのです。

 このような摂理のみ旨を果たそうとしたのに、キリスト教が反対することによってすべてが壊れていったのです。そのように壊れていったことは、アダム家庭よりも、この地上でイスラエル民族が反対しイエス様が十字架にかけられたことよりも、もっとくやしく悲しい歴史を経てきた恨があるということを皆さんは知らなければならないのです。


真の御父母様は一生をかけて

 先生は地上で神様は霊界で、縦的父母と横的父母が地上に一体圏をつくり、イエス様の体と霊が分かれたのを、この地上に立って第二イスラエル圏であるキリスト教文化圏を中心として、霊肉の統一を中心として、家庭的出発を世界化させうる七年路程を備えられないことによって、これが再び荒野時代四十年、荒野路程を経て、四千年歴史を蕩減するにあたっての一生を中心として、一代で四十年期間、最短期間を中心として蕩減していくべき道を再出発したその場というのは、その悲しみの立場というものは、この地の誰一人として知りません。

 韓国が解放されたと万歳を呼び、自由世界が第二次大戦勝利を称賛し、すべての民族が勝利したと称賛できる環境でしたが、縦的な真の父母であられる神様と横的の真の父母である真の御父母様は、喜びではなく、悲しみの行路を中心として歓喜の環境とは反対の道に追放され、反対の家庭的四十年荒野路程を行かざるをえなかったのです。

 再びこれを取り戻すためには、歴史的な四千年歴史摂理の中でなされたすべてのことを、父母様を中心としてサタンがこれを再度試験するのと同じ過程をたどっていかなければなりません。その過程で倒れずに今まできたという事実から、天が先生を守るためにどれほど苦労したかという事実が分かります。皆さんはこれを知らなければなりません。

 このことを考えるとき、背を向けて苦労された神様の歴史を見るときに、悲痛で、恨めしく、慟哭の歴史の他の何ものでもないという事実を皆さんは知らなければなりません。

 それを踏んで上り、今日、昨年の標語であった「真の神様を誇り愛することは三億六千万双祝福完成とサタン世界血統断絶」を中心に歴史上に初めて神様を解放しうる時をかけて昨年闘ったということは、歴史的な事実なのです。

 誰が三億六千万双の祝福を一年以内に完成すると考えたでしょうか。それが可能だと考えた人は一人もいなかったのです。唯一、神様と真の御父母様の他にはいなかったというのが事実です。このような問題を中心として考えるとき、これをいかにして完成させるかという問題は、極めて深刻だということを皆さんは知らなければなりません。

 そこでは必ず、今日皆さんに強調したように、体と心が一つにならなければなりません。心と体が完全に一つとなり、そこには雑多な思い、レバレンド・ムーンが一生をかけて体と心が一体となった基盤の上で、そこで疑わしい一点でも生じるとすれば、これらすべての方向が変わってしまうのです。

 このような深刻な一年を過ごしたことは皆さんにはよく理解できないことでしょう。ご飯を食べても寝ても、休む場でも、一秒でもこの考えを忘れてはならないという生活の中で、想像もできないこのような勝利的歴史をもたらしたのです。

 このような事実は歴史にとこしえに称賛すべきことであり、世界の億万年の人類歴史が残る限り、この祝福というもの、結婚問題を中心として見るときに、この問題を再び鑑定し、自分たちがこの峠を越えることができないがゆえ、再び考えながら越えなければならないこのような事件になっていたのです。

 ですから今後祝福を受ける、今後結婚するすべての人類は、必ずここで勝利の基準を選り分けた真の父母の歴史の陰において、これを再び継承する道を行かなければなりません。絶対的にそれを継承せずしては天国に入っていく道は完全に閉ざされてしまうのです。

 このような年を決定付けるべき時となったがゆえに、皆さんはまさに私たちが再度強調するように、天地のモデル的な私個人を完成しなければならないのです。その最初の提案が何かというと、体と心が統一されることです。朝、皆さんが起きるならば、喜びの心をもって起き、まず洗面をするときに、目から五官を統一しなければならないのです。

 目と鼻、口と耳、手の五官を統一し、体と心を統一しなければなりません。この五官が体と心の統一を妨げる通路になっているのです。これを完全に一つにして、体と心が統一された自体となり、神様がその完成した基準に入り、性相的神様の性稟が私の心に永遠に安着できる自体となったその立場で、形状的アダムを中心として完全定着基盤ができると同時に、形状的エバのその体と心の中心に定着する、このような二人の男女が永遠なる神様の息子・娘の称号を受けて永遠なる神様の王子・王女の称号をもってここに祝福を受けて成婚することによって、永遠にこの夫婦が分かれることのできない完全統一された夫婦の姿を神様は描いていたということを私たちは再度復帰蕩減しなければなりません。これは絶対的な要件です。天国に入るためには絶対的な要件です。

 このような基盤ができずしては、神様が歴史時代に心に受けた悲しみと苦痛と恨めしい事実、神様の心中に深く打ち込まれたすべての歴史的な恨みの釘を引く抜くことはできません。これを消すことはできないということを皆さんが知らなければなりません。


永生的家庭定着の条件

 皆さんがいつも考えるべきことは、私の体と心の統一です。その次は、縦的に各自が神様と心を統一し、その次には横的に夫婦統一をして一つの愛から三位一体とならなければなりません。三位一体の愛圏が連結してそこで一つとなった一体的生活をすることによって子女を繁殖するのですが、これは疑う必要もなく、鑑定する必要もなく、その父母を中心として神様と一つとなっているがゆえ、天の愛が連結して神様の生命と神様の血筋が連結するがゆえに自動的に永生できる息子・娘となるのです。このように天国に直行することのできる息子・娘を生まなければならないのです。

 ですからこの父母とともに息子・娘が結婚し、家庭的に縦的に立って上下関係の統一的な家庭を築くことによって、地上の家庭完成、天上世界の家庭完成がなされます。このとき初めて神様が上下、前後、左右を中心として安息することのできるこの地上の地上天国基盤が確定されるのです。

 これがアダム家庭でなされることではなく、皆さんの個々人の家庭で、現実的この舞台でこれを終結させるべき厳粛なる宿命的責任があるということを知り、これを解決のためにすべての生活を集中し、その集中した統一的基盤をもってすべての万物を抱いて天の前に奉献しなければならないのです。

 そのような愛の家庭にならなければなりません。また、その家庭に連結された一族があるのです。七代まで落ちたので、家庭を中心として七代を合わせて万物と統一させ、天の前に奉献してさしあげなければなりません。

 神様の前に奉献するときに、誰がするのかというと真の父母です。そのような基盤の上で初めて万物を創造した統一的な形状圏と象徴的な象徴圏と、形状的なアダムとエバの家庭を中心とした形状圏と完全に一つとなって実体的永遠なる永生的家庭定着の解放圏ができるのです。そのような道が皆さんの家庭が行くべき宿命的な課題として残っているということを確実に知らなければなりません。


人間の責任分担とその福音

 それでは、皆さんがそのような家庭を築いてどうすべきなのでしょうか。自分の家庭が中心なのではありません。国を代表することができ、世界と天宙を代表することのできる神様を中心とした直系の真の父母の家庭を中心として、横的な基準を拡大したすべてが氏族を通して、長子権の継代を中心として、王権継承が千年万年変わりない公式的な理想完成したアダム家庭のそのモデル型が、千年万年変わらぬ文化世界を築くことによってできたその世界がいわゆる地上天国だというのです。

 この地上天国で生きた人が天上世界に移っていく所が永遠なる天の天国です。ここにいかにして一致するかというのが問題です。これからはそれ以外のことを考える必要はありません。実際問題です。今日、自分を中心としてこれらすべてを完成し、解決することのできる最後の終着点にとどまることを知り、これをどのように完成するかということが問題です。

 これが私の自体内のあなたと私の問題、すなわち体と心の問題であり、家庭においては夫と妻におけるあなたと私の問題であり、父母を中心として息子がいたとすれば、おまえと私との上下関係の問題、これが皆さんの家庭全体が共同的に連結された完成の表題となっているということを知らなければなりません。ある誰か一人が偏れば、すべてが傾くというこの事実を皆さんは知るべきです。

 では、これをどうすれば完成できるのでしょうか。皆さんにおいて、息子を中心とした考えを唱えるならば壊れ、妻ならば妻自らの主張をしても壊れます。互いのために、為に存在するというこのような刺激的な信念が強くなければならないのです。

 意識的なあらゆる環境的与件を越えて、自体内におけるこのようなすべてが、家庭環境を越える以上のそのような犠牲の道を互いに持たずしては、その理想的家庭定着が完全な立場で続けることができないということを考えるとき、私たちが備えるべき家庭理想がいかに難しいかということを知り、この基準の前に一致することのできる皆さんとならなければなりません。

 これをすべて成し遂げるための私たちの教会であり、これを成し遂げるための世界の兄弟であり、これを成し遂げるための世界の国家だということです。これがそれるならば、ここには私たちの教会もなく、家庭であるとか民族であるとか、国家はみなひっくり返るのです。

 ですから、神様が創造当時に宇宙を愛した心以上の心で、これらすべてを引き込んで、集結させ、ここに一方的な投入をしなければなりません。このような家庭の最後の終着点に芸術的な家庭の理想を備え、神様に侍り、真の御父母様が自分の家庭に来たならば永遠に離れたくないというような家庭、万民のすべての責任者たち、さらには天国の直系の真の父母の息子・娘を含んだ皇族圏があるとすれば、どの皇族もその家に行って暮らしたいというようなモデル的家庭を築かねばならないというのが私たちの責任なのです。これが一九九九年度において当面の課題として天は提示するということを知るのであります。(アーメン)。皆さんがそのような責任を背負った中心者となることを願います。

 そうなれば神様の願う地上天国、永遠なる家庭出発がなされるであろうということを記憶してくれることをお願いします。

 新年の辞はこれです。「家庭完成」「家庭統一」です。個人統一、夫婦統一、そして親子統一です。その次は兄弟統一です。兄弟の中には子女も入っているので、子女統一が兄弟統一なのです。赤ん坊として生まれ、兄弟になって結婚し、お母さん、お父さんになります。

 その次は子女、子供たちも争ってはなりません。兄弟統一、その次は夫婦統一、その次は父母統一をしなければならないのです。これを完全になしてこそ神様の前にエデンの園での人間の責任分担が完結されるということを知り、この目標を果たすために力を注がなければなりません。

 これから皆さんが家庭で闘うようなことがあれば問題が起こります。皆さん、今まで体と心の統一と口では言ったものの、このように主力的な統一をしてきましたか? 夫婦統一といっても口先ばかりで、実際にはしなかったのです。母と父、親子の関係を統一しなければなりません。原理のみ言を語り、千回も万回もそれを繰り返し言っては、「こうしよう」と言い、答弁して誓いはしたものの、統一されていないのです。深刻な問題です。

 これを完結させなければなりません。これは宿命的な課題です。宿命的なのです。運命的なのではありません。宿命的な課題であるがゆえに、何があってもこれを完成せずしては天上世界で全体解放圏を持ちえないのです。行く道がふさがってしまうのです。

 上下、前後、左右すべてが完全に球形となった球形世界は、力の交流が平準化されうるこのような地上の基盤を決定してこそ、天上世界のどこに行っても歓迎され、どこに行っても支持されるのであって、そうでなければ欠如した環境が現れるのです。これがどれほど深刻であるかを知らなければなりません。

 これは千年万年永遠なる世界に行き永遠なる教育を受けて…。その完成基盤というのは天上世界ではなく、地上で築かなければなりません。そうするにはどうしなければならないのでしょうか。再び降りてきて地上に再臨して完成するということはできません。分かりましたか。再臨して蕩減復帰することはできないのです。

 ですから、子孫たちが蕩減しなければならないのです。再臨することができるとすれば、完成された基準を中心としていつも地上と天に上がったり降りたりできますが、条件にひっかかれば、必ずその継代を解くために地上にいる自分の一族と天上にいる一族を動員して後援を受けることなしには方法がないということを知らなければなりません。

 それゆえ、地上に残された家庭的完成を果たすということがいかに重要かということをはっきりと悟らなければなりません。その完成にすべての主力を注いでくれることを願います。


全体、全般、全権の時代

 今日の題目は何ですか?「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」です。天宙化です。祝福したすべてが、天地のどこでも完成的基盤となって、どこでも広がり、どこでも連結することができることを意味します。

 その次は何ですか?(サタン血統根絶)。サタン血統根絶です。体と心が一つにならなければ根絶はできません。根絶です。今までは切断でした。切断するには幹も切断し、葉も切断し、木の切れ端を三分の一に切断することもできます。しかし、これは根絶なのです。根を引き抜いてしまわなければなりません。根を引き抜くということはどこでするのですか。(家庭で)。家庭で引き抜くのだということを知らなければなりません。

 体と心の統一、夫婦統一、子女統一をしなければならないのです。そして絶対家庭が築かれなければなりません。これがジャルジン宣言における第二番目です。第三、第四までつながり、その次には四・四節まで連結されます。

 アダム家庭は四位基台完成を通して定着できませんでした。さらには息子・娘が定着できませんでした。ところが四・四節を越え、これからジャルジンに来て家庭訓練をし、天国に帰っていきます。

 そうしうるこの一年に向けて前進に前進することを誓うべし。言ってごらんなさい。(前進に前進を誓うべし)。勝利完成すべし。(勝利完成すべし)。そして「神様万歳」というべきです。「私たちの家庭万歳」といわなければなりません。本当の万歳をしなければなりません。

 宇宙を代表して最後の万歳をし、神様とともに生きる全体、全般、全権、全能の時代になって何でもできる時代となったがゆえに、恐れるものはないのです。

 お金が問題ではありません。分かりますか? お金がありますか、ありませんか?(あります)。どこにあるのですか。皆さんの家庭にあるようになっています。その家庭が食べるのに困ることになれば大変です。分かりますか? そのようにできる家庭は食べるのに困ることはありえません。

 そのようにできる家庭が、十家庭さえあったとすれば、ソドムとゴモラの義人は何人でしたか? 五人さえいれば彼らを助けてやるといったのですから、そのような家庭が百家庭あったとすれば、その家庭の住んでいるそこが、アメリカの国であるとか、世界歴史時代で豊かな国だということに関係なく、祝福の恩賜はすべてが天運について押し寄せるごとくに与えられるようになっているのです。ただ、私たちの家庭がそのような動機をいかにして作るかということが問題です。その動機さえ解決されれば、お金が問題ではありません。宇宙がすべて私のものになるのですから。分かりましたね。(はい)。

 自信満々にどこへ行っても自分が爆発的な中心となり、天の中心から降りてくる力を受けて横的に押し通せというのです。三本足ならば三本足で歩きますか。八本足を振り回しても邪魔になることのないようなことを自信満々にしていけというのです。祝福の天宙化です。このような家庭は、天地がすべて注目する家庭であるので、ここから解放圏が広がっていきます。

 それこそ天宙が回るのです。分かりましたか?(はい)。

 ですから今後、皆さんの祝福を受けた一族が一つとなり、ジャルジンで教育を受けなければなりません。

 旧約時代は祭物時代を統一の祭物として捧げ、新約時代は息子祭物を完全に統一の祭物として捧げ、今、成約時代は父母祭物を完全に統一の祭物として捧げるべきであり、神様と完成した父母が初めて完全に一つとなって怨恨の世界に解放と統一を宣布できるのです。

 ですから、今回、神様が十分に祝福をしてくださることを知っているので、水道のパイプが太ければ水がたくさん流れてくるように、皆さんが真心を込めて努力するいかんによって、勝利的すべてのパイプがそれぞれ天上世界と連結するのです。このような事実を知り、もてる精誠、精誠、精誠を尽くして敗者になることなく勝勢者となることを願います。

 真の父母の祝福が共にあることを願います。アーメン。(アーメン)。新年に多くの恵みがありますように。(アーメン)。(拍手)(天地父母様に敬拝)

 皆さんが今後敬拝する時はどのような姿勢を持つべきでしょうか。私たちだけで敬拝するのではありません。必ず天上世界の天国を中心として、神様を中心として、祝福家庭と天使世界が完全に一つとなって地上と敬拝し、互いに心で感じることがすべてひとえに引き寄せられなければなりません。

 それゆえに、皆さんのお母さん、お父さんが霊界におり、親戚が霊界にいるのであれば、引き下ろせというのです。分かりますか。七十二代までいって、一二〇代までも引き下ろすことができるのです。皆さんがイエスの国家基準をいまだ完成していないがゆえに、イエス時代の一二〇門徒の家庭形態の祝福ができずに失敗したがゆえに、この国家基準を越えなければなりません。

 今、私たちが国を探し立てようとしているのですが、一二〇代の先祖がすべてここに臨在しており、イエス様が失敗した一二〇門徒の祝福の夢を中心として、氏族基盤がイエス様の解放圏に取って代わったといえるその立場で、天国と地上が合わさって敬拝しなければなりません。分かりましたか。

 ですから、皆さんが公式的に敬拝する日、聖日とか、家庭において敬拝式に絶対参席しなければなりません。分かりましたか。(はい)。絶対参席しなければならないのです。


総生畜献納祭

 今まで自分勝手に生きましたが、家族を中心として自分の一族が集まって敬拝しようにもそれができずに教会に集まって、こうしてこの公的な集会をするのです。元来は自らの一族が集まらなければなりません。一族の族長たちが礼拝を導くようになっているであって、他の人がするのではありません。

 それで皆さんがこれから先生の誕生日を中心としては献納祭をしなければなりません。「総生畜献納祭」ですが、それは何ですか?「総生畜献納祭」は何をするのかというのです。怨恨と解放式です。解放式をしなければなりません。神様の恨みを解いて解放してさしあげなければなりません。神様を解放しなければならないのです。

 そうするには、すべて割いてサタンの分を、サタンに分けてやったものをすべて統一し、共にすっかり捧げなければなりません。そして成約時代は、これから父母を中心として神様と一つとなり、その次に新約時代は息子の時代として息子が犠牲となったものを割いてサタンの分まで地上世界と天上世界が分け持ちました。

 その次に旧約時代は物を割きました。このサタン世界の持分を与えたというのは、堕落の実であるからです。神様の所有権ですが、どこに神様が下さった被造物を割いて二人の主人が分け持つことがあるかというのです。それは堕落のためです。堕落したがゆえに息子を探すために、新しい家庭を探すために、このような歴史時代を経てきたということを誰も知らなかったのです。

 これを完全に集めて捧げなければならないのです。それゆえに、皆さん自体が祭物にならなければならないというのです。どこで一つにならなければならないかといえば、祭壇に上がって一つにならなければなりません。夫婦が祭壇に上がらなければなりません。自己の所有観念を持ってはいけません。

 ところが今日、アメリカのような国は完全に悪魔の地獄になったのです。個人主義がどこにありますか。プライバシーがどこにありますか? 平等がどこにありますか? 上下前後が平等ですか? 平等だということは中心を引き抜くことです。縦的関係があるということを完全に否定します。

 すべてのものには上中下があるのです。これを除いてひっくり返して平等だということができますか? それは勝手に行ったり来たりして。――縦的な基準ではありません。建設されるものではありません。――自分も落ちてゆき地獄へ行くのです。そのようにして愛の理想やすべての愛の秩序を完全に壊しておいたのです。

 アメリカに家庭がありますか? アメリカに国がありますか? 世界がありますか? みな失いました。これから完全にサタンの世界を整備しなければなりません。分かりましたか?(はい)。

 皆さんは今、千年万年仕えて従ってくることを知って、そのような信念を持って生活環境を整備していかなければなりません。

 七代です。七代。自分の七代の先祖、子孫を集めて…。今回、元来は一族を中心として修練所で教育をしなければならないのです。一人で来るなというのです。四位基台が終わった次には、一族教育時代が固着しなければなりません。

 それゆえに、すべて捧げなければなりません。その捧げる行列が世の中の歴史以来、一番長くなければならないというのです。それを捧げることによって初めて先祖が一代となり、二代、三代の代数が開くのです。ここに座ったこれが何代ですか? 五百名であれば五百代が開くのです。五百代の差ができるというのです。

 共に一つの場に座っているここで、誰がこれを完成し、まずその仕事を献納するかによって入籍する問題において五百代の差ができるのです。これが天上世界に行き、会いたくても会うことができない段階として分かれてしまいます。分かりますか、何の話か?

 ですから、一族を整備しなければなりません。競争が起きるのです。世の中で一番恐ろしい事が起きるのです。それ以上の競争が起きるのです。先祖は地団駄を踏み、バタバタして「このやろう。早く、早く献納しろ」。そうしなければ、踏んで片づけるというのです。

 神様が悔しく無念なものを解怨成就する、その日を迎えなければならないにもかかわらず、自分のこの朽ちた地獄へ行く過程にしがみついて、防御し、保護して何ために…? とんでもないことです。

 それゆえに、ここの教育が終わったら、教育数が分かれたら、一族教育を指示するのです。その時になれば家庭教育時代が過ぎます。分かりましたか?(はい)。はっきり教えてあげなさい。

 行かないならば、棒でぶん殴ってでもジャルジンの教育に行かなければなりません。そうでなければ戻ってくることができません。戻らなければなりません、この世で。先生も一番頂上にいる途中でこの世に追われ、ここへ来てサタン世界で地上天上天国を成し遂げることができなかったので、キリスト教文化圏を中心としてみな成し遂げなければなりません。

 氏族を接ぎ木をするということをして――これがサタン側の家庭に上がって神様と家庭が分かれているのです。――家庭的代表である父母様を神様として侍り、この地に降りてくるのに、どこに降りてくるかというのです。

 夫婦が還故郷しようとするならば、この果てに来て戻らなければなりません。ジャルジンの理想家庭教育本部がそこです。地上天上天国のメシアは神様であり、その次には世界的メシアは再臨主です。その次に国家的メシアがいるでしょう? その次には氏族的メシアがいるでしょう? その次には家庭的メシア。


神様権能時代渡来

 祝福家庭は家庭を中心として家庭的メシア、氏族的メシア、国家的メシア、世界的メシアがいることによって新しくジャルジンの教育を受けるその基地に来て天国へ行くことのできるチケットをくれるのです。皆さんに写真を撮ってあげます。この人たちは間違いなく先生の歴史的先祖の隊列に参加させます。その写真がなくてはならないのです。問題になります。

 そうするには、ここに献納基金を納付しなければならないのですが一六数です。それゆえに魚も一六〇匹を捕りなさいというのです。北韓と韓国が南北に分かれたものが国連に加入したのが、一六〇番目が北韓で一六一番目が韓国でした。これを断ち切るのです。最後だというのです。一は一つ残ったのです。これは誰も所有することができないというのです。

 それゆえに国も一六○です。第一次大戦も十六か国が加担して戦い、韓国動乱も十六か国が加担しました。十六数を中心として。四数がいつも問題なのです。これが祭物です。蕩減を受けようとするならば、祭物が必要だということです。

 ですから、旧約時代の祭物、新約時代の祭物、成約時代の父母の祭物を捧げなければなりません。神様の心情的な姿を引き出すためには、私たちが全体を合わせて祭物を捧げなければなりません、真の父母を中心として。それで、統一的祭物を献納することによって、神様が全体を主人として仕え、この地上に私たちの家庭から氏族、民族、国家に君臨することによって、上下関係、左右関係、前後関係を思いどおりに回ることができることによって、神様が主管する世界となって全体が一時に同じになります。

 すべてのサタン世界の権能がどんなに強くても、神様の権能の時代がきます。神様が思いどおりに成せる時代がきます。そうすることのできる時代が初めて地上天国となります。分かりましたか? 神様を解放しなければなりません。それも四数です。旧約時代、新約時代、成約時代、その次には解怨時代です。解怨時代には全体を捧げなければなりません。このようにしてそれを受けて神様が持っているのではありません。神様が全体を受けて初めてアダムに譲り渡すのです。アダムは受けたものを再び神様に返してさしあげ、神様が真の父母の前に譲り渡すことによって、ここから所有権分配が始まらなければなりません。

 そうでなければ地上天国というものは、これを返してもらって統一的王権時代を持たなければ、地上に天国がなされないということを知らなければなりません。

 どのみち戻らなければなりません。それで北方のコディアックに行き四・四節をしました。二世を中心として前面に押し出して。ここ南方には国家的メシア、北方にはお母様の国のカイン的メシア、このように分かれます。これを連結し、心情的なものを中心として、その前には二世が立ちます。

 ここにプラスとマイナスがあり、プラスがあればマイナスを付けなければなりません。北方に入っていき長子の二世たちがプラスとマイナスに連結されて初めて、そのとき四・四節を宣布することによって、アダム家庭の四位基台の定着、息子・娘の四位基台の定着をなして、二人とも初めて四位基台が定着できることによって、天上世界の門を開くことができるのです。

 それゆえに、この事を準備するために六月十三日、聖人と殺人魔を祝福してあげるのです。皆、兄弟です。神様のものをサタンが奪ってしまったので神様が思いどおりにするのです。それで解放的地上天上天国になったということを知らなければなりません。

 皆さんの一族が献納をするようになれば、七十二代から一二〇代の先祖を解放することができるのです。そのために、霊界で即刻興進君が祝福してあげるのです。それで霊界解放であり、地上解放です。それゆえに真の御父母様に侍らなければなりません。

 真の御父母様が霊界で暮らせないので、地上で皆さんの後について回りながら、それで皆さんが家庭的お兄さんの家庭であり、王の中の王の統一王族であるから、地上にいる皆さんの家庭を中心としてアダムの立場と天使長の立場の体を受け継いだのと同様に、弟、妹の立場に入っていき、初めて一体の絶対信仰、絶対愛、絶対服従をなして完全に一つとなることによって、お兄さんの後について、天上世界の父母様とともに入っていくことができるのです。そこから解放的アーメンが行われるのです。はっきり知らなければなりません。

 それで皆さんの家庭が問題なのです。一族の核になることのできる家庭、統一的基準を成し遂げることのできる家庭、これが問題です。どれだけ今まで自分勝手に生きてきましたか! 自分たちが分かっているでしょう? 本当に体と心が一つになりましたか? あのクリスタルのように四方がみな透けるものとして一度見てみなさい。自分たちがよく分かっています。夫婦どうしで争ってはならないのです。

 (万歳三唱)勝利なさった神様万歳! 勝利なさった真の御父母様万歳! 第三十二回真の神の日万歳。勝利する一九九九年万歳。統一家庭万歳。


   二)世界平和統一のための理想世界
    (一九九九年一月四日、ウルグアイ・プンタデルエステ)

 一九九九年一月一日元旦、今年の年頭標語が何でしたか? 真の祝福天宙化とサタン血統根絶、「断絶」するというのは一つの幹をたくさんに切ることであり、根絶するといえば根元から引き抜いて捨てることです。初めからなくしてしまうのです。天地にそのようなサタンの因縁となる条件をどのようにきれいに根を引き抜いて捨てるかという内容です。


 〈真の祝福天宙化とサタン血統根絶〉

 一、世界平和統一のための理想世界

 @統合宗教のための超宗教国連

 統合した宗教のための超宗教国連を作らなければなりません。統合宗教のための超宗教国連を形成しなければならないのです。宣伝大会から始まって、これから二月七日の大会のとき、これに対する具体的な会議をしようと計画しています。世界的な宗教の最高指導者たちと国家的な最高指導者たちを集めてこの会議を計画しています。


 A統合国家のための超国家国連

 これは私たちがするのではなく、政治家がしなければならないことであり、国連がしなければならないことです。しかし、そのような私たち自体が内外の体と心が一つになるためには、宗教が心であるならば体が国家ですが、心の基準を考えると同時に体の基準を考えなければなりません。今回の大会が終われば、使命的な問題を負担させ、責任追及しようとするならば、私たちが知らなければなりません。また、それをコーチしようとするならば知っていなければなりません。そうかと言って、すべてが政治活動をしろという意味ではありません。政治活動するようになれば、直ちに問題が起きます。

 「政教分立」が壊れれば、全世界のリベラルな輩、共産党の輩が反対するのです。政教分立は中世時代のローマ教皇たちが責任を果たせなかったために生じたものです。絶対神本主義を主張するその内容が、道義的な面や理想的基準に反するからといって、これに反対して人本主義思想が発達しながら反対が始まったのです。そのようにして共産主義と物本主義まで出てきたのです。歴史的観がそのようになっています。

 それゆえに、本来の政教分立という言葉は摂理的にありえません。中間で誤ったのです。キリスト教が旧教と新教に分かれて戦ったのです。これを統合しなければならない時が来たために、霊的基準を次元の高い国連首脳基準まで引き上げると同時に、国家的基準で引き上げなければならないのですが、その準備過程が祝福家庭であるということを知らなければなりません。

 今後、祝福家庭の世界化さえするようになれば、野党、与党をコントロールして、問題がみな解決されます。それゆえに、野党、与党が戦わず一つになれというのです。

 アメリカが第二次大戦後に管理できなかったのです。共産圏のすべての問題、中東のすべての問題を譲り渡したのに、アメリカが責任を果たせなかったためにこのようになったのです。一つにならなければならないのです。そのような意味で、統合国家のための超国家国連を作るのです。統合国家は神様以外にはできないのです。これに反駁するとき、「神様以外には超国家国連を作ることができないではないか」と言えばいいのです。

 今日、自由世界のすべての国家は、価値観が没落し、何もないではありませんか。世界観がどこにあり、国家観がどこにあり、氏族、民族、家庭観がどこにありますか。家庭に入ってもおじいさん、お母さん、お父さん、すべての子孫まで家庭破綻となり、みな分散し、実際にはないのです。それで超国家という言葉は神様を中心とする言葉だということを明確にしなければなりません。

 政教分立、「レバレンド・ムーンが国連を丸め込むために政教統合運動をする」そのように反対しうる可能性を越えているということを知らなければなりません。なぜですか? 全世界の祝福家庭がどれくらいいますか。(二億五千八百三九万です)。

 今まで一億八百万しかできなかったのですね。四千を超過して四億にしようとしたのに…。

 この前、四千万したので四億を越えます。四億するようになれば、四億が夫婦だけなので分割して嫁の家、夫の家となれば八億軒です。八億軒ですが、四人ずつだとしても四位基台の中心として4×8=32、三〇億の人類を越えます。これが下層階級ではありません。知識的な基準にあって、今後一つの世界、平和な世界を作るためには、国際祝福しかないというそのような知識ある人が加担したので、上中下で見るようになれば中以上の人々です。それゆえに、これは人類を動かしていっても余りうる立場に立っている、このように考えます。

 これを一か所に追いやり、いかにして統班撃破と訓読会に直結させるか? この問題は霊界を教えてあげなければなりません。霊界をはっきり教えてあげれば、行くなといっても行くのです。平和世界は家庭から始まるという徹頭徹尾の一つの思想を入れてあげなければなりません。国家での平和の出発はどこですか? 体と心が争うここから家庭が争い、親子関係が争い、すべて争いが起きるのです。分立された家庭基盤がみな仲たがいするので、平和がどこにあるかというのです。国ではすべて争いの場が生じるようになるのです。

 それゆえに第一の根本の平和のスタートは、自分の個体、個体が一つであることです。体と心の戦争と武装を解消してしまわなければなりません。体と心の争いは今まで休戦もできず、停戦も一度もできませんでした。このような恐ろしい戦場の中で生きているという事実を知らなかったのです。体と心が一つとなった男性、女性が完全に平和のために一つになりうる夫婦を形成しなければなりません。永遠なる平和というものは、天国を知らなくてはできないのです。神様のみ旨を知らなければならないのです。

 神様を中心として、神様のための国家を維持しなくては超国家になりません。国連に今そのような国はありません。神様を中心として宗教と合わせて未来にこのような国を形成することができます。未来のことをしっかりと進ませていきなさい。


 B統一宗教国家のための超銀行機構

 統一宗教国家のための超銀行機構を作らなければなりません。まず、金融機関をどのように世界化させるかが問題です。去る五月に国際的な幹部会議をしました。その内容は、私たちはこれから家庭を中心としてはどのような国の力よりも超越的な機構を作ることができる時代に入っているというものです。これは間違いない事実です。分かりますか? 理解だけでいいですか、分かって実践できますか?(実践できます)。

 間違いなくできます。今回、一八五か国の国家責任者の皆さんと宗教責任者たちが合わせて銀行を作ったと考えてみなさい。

 世界銀行をピンセットでつまんで投げることができます。それで計画が何かといえば、全世界強大国以外の弱小国を結んで銀行を作ります。強大国は十二か国ではいけません。強大国といっても第二次大戦のときの英、米、仏、日、独、これら六か国です。これが第二次大戦のときに互いに戦った国家です。彼らは世界に負債を負って返せませんでした。先生はそれを取り返すことも考えています。

 現在一九三か国の国家が国連に加入しています。一八五か国だけ考えてもどれほどですか? 四〇か国を除ければ一四五か国です。一四五か国を私たちが思いどおりにコントロールするのです。弱小国を連合させ、一八五の国家をすべて連合し、世界各国の国の中央銀行で評価したすべてを集めて銀行に保存しておきます。保存しておいて八〇%はいつも出して使えるようにすればいいのです。それは先生だけができます。可能だと思いますか、不可能だと思いますか?(可能だと思います)。そのために言論機関を動員するのです。

 学者たちと行政府機関の長たちはすべて、教授など大学連盟の人脈を中心として銀行まで、通信社まで、言論までしておけばできないことはありません。国も動かすことができるのです。国を動かすことができる力があり、その次には新聞社があるので、道義的な教育をすることができます。方向をつかんでやることにブレーキをかける政府をお金と政治の力で調整し、世界的な銀行をもって押し進めるとすれば、いかなる個人や国家もかなわないのです。必ずこれをしなければなりません。それでここでウルグアイを中心としてウルグアイ銀行と…。私たちの銀行をすべて国家が管理します。これが一連の援助作戦です。今回、私たちと国家と半分半分にして銀行を作りましたが、国家が責任を負うのです。

 ウルグアイは平均的に見るとき、ある国の国民水準以上の人が外国に出ているという事実が統計的基準から明らかになったのです。先生の本部がウルグアイにありますか、ありませんか? 本部がどこですか?(ウルグアイです)。

 そこにホテルがあるでしょう、銀行もあるでしょう、新聞社もあるでしょう、印刷所もあります。印刷所も写真帖や住所録を作るためにアルゼンチン、ブラジルまでも来て撮らなければならないのです。一番良い新聞社を作りました。写真も同じようなものも印刷しようとするならば、私たちの会社に依頼して撮らなければなりません。

 二十九個の銀行に四十三個の支部を早く作らなければなりません。銀行を作ってもウルグアイ、パラグアイ、アルゼンチン、ブラジルの四か国を動かして銀行を作ることができるので、アルゼンチン、ブラジルに支店を作る計画をするのです。お金はあるのです。

 完全に基盤が準備された後には、何をするでしょうか? 韓国僑胞だという人は、私たちの銀行に入れなければ全部問題が生じるのです。何の問題ですか? 一度、私たちの新聞社でかき出すのです。二、三度かき出しさえすれば助けてくれと言うのです。そうかと言って、新聞で脅迫するのではありません。世界のためにこれから初めて新聞社を使って刈り入れるべきだというのです。

 銀行計画を作り、南米全体の国家財産、地下資源から家から何からすべて合わせて、世界のIMF銀行を中心として鑑定し、いくらだというようになれば、一四五か国の全体価格を中心として全世界四か国を分割し、その中で八〇パーセントはどこでも対処することができます。

 ところが、これを自分勝手にすれば大変なことになります。それで、各国に三十三名ずつ国家の重鎮を作っておきました。一番初めに一〇パーセントの十万人をおいて貸すのです。もし、一億ドルあるならば、五千万ドルをいつでも貸すことのできる制度だけ作っておけば不渡りは永遠に起こらないのです。分かりますか? 可能性のある理論的な体制を作らなければならず、理論的な体制と同時に理論的な事実が合わなければなりません。

 B番がどんな内容か分かりましたか? 統一宗教国家のための超銀行機構編成。


 C超宗教国家のための言論機構編成

 世界の言論界を握らなければなりません。一八五か国に新聞社を計画していることを知っていますか、知りませんか? お金は誰が出さないといけませんか? エバ国です。来られる再臨主は何もありません。体だけ持って来ます。体と天の愛と天の生命の種を持って来ます。エデン園で失ったエバを探さなければならず、息子・娘を探すためのものです。そうするには息子・娘を産んで育てなければなりません。お母様は世界のすべての国家国民を食べさせて生かさなければならない責任があるので、日本のお金で世界の人を食べさせなければならないのです。

 楽に天国へ行くでしょうか、難しく天国へ行くでしょうか? 楽に行けばすべて地獄に下って行きます。堕落した子孫の仮面を脱ぐことができません。難しく行くようになれば、この堕落線を越えて天国へ行くのです。C番が何ですか?(超宗教国家のための言論機構編成)。

 皆さんに新聞社を任せて各都市に配置する時がくるのです。全世界的な情報戦争です。そのような意味で先生がそのような準備をみなしたのです。


 D超宗教超国家のための大学連盟機構編成

 宗教と国家を合わせて、国連は非国連と和合して、統一宗教国家のための銀行と合わせて、言論機関と合わせて、大学を合わせれば、世の中がみな溶け出すのです。行くところがありません。その準備を今し尽くしたのです。

 不渡りになると八年前から噂になったとき、先生がブリッジ・ポート大学を作り、鮮文大学を作りました。この南米開発をみなしたのです。しましたか、しませんでしたか?(しました)。それを皆さんが助けてくれましたか? 手をつけていないものがどこにありますか? 銀行もそうであり、サッカーもそうであり、芸術もそうであり、手をつけていないものがどこにありますか? それで、成功しましたか、失敗しましたか?(成功なさいました)。

 絶対主体の前に絶対対象の存在は自然発生するというのです。運動を続けさえすれば自然発生します。男性と女性が世界的に見るとき、比率がどれほど違いますか。神様が見る絶対的原理原則において、男性が生まれれば、女性は自然に生まれるようになっています。調べてみなさい。いくらも違いません。

 D番は超宗教、超国家のための大学連盟を結成しなければならないということです。これさえすれば、先生が何をしていているか大体察することができるのです。それが今後、最高の国連の国を動かすことのできる立場に出ていくとき、このようなことは必須条件として世界体制化基盤を成し遂げることなくしては、世界を料理することができません。ここの科学技術であるとか先端であるとかそのようなものはすべて抜いたのです。それで、飛行機を作る会社を作ったのです。


二、祝福の世界化で神の国を形成しよう

 祝福の世界化で、今やサタンの国はなくなって、神の国を作らなければなりません。世界の祝福化で神の国を建てなければなりません。まず、世界から始まるのです。天宙はその次です。天宙はその後に自動的についていきます。まるで心的基盤が肉体に実を結んで、すべて種となっていくかのようにです。自然に循環して自然に大きくなっていくのです。

 ですから、これは地上で成す世界化です。「天宙化」と言わずに、なぜ「世界化」といったのかというと、世界化されれば天宙化は自動的になされるからです。それで、題目は「祝福の世界化で神様の国を作ろう」というのです。形成です。編成というのは、この形成されていることを意味するのです。国がないのです。国をつくらなければなりません。「大学連盟」編成、「言論界機構」編成など、たくさんまとめればいいのです。ないから形成しなければならず、形を作らなければならないというのです。

 @真の統一家庭形成

 私がこの前に真なる統一家庭形成のことを話しました。「真なる」の中に「世界平和統一」の概念が入っています。「真なる」ものよりも小さいものは何かというと「世界平和」と「統一」です。そのような家庭を形成しようというのです。真の統一家庭形成、話しましたね? 真の家庭を作らなければなりません。真の家庭を築こうとするならば、体と心が一つにならなければなりませんね? それでは、夫と妻が一つにならなければなりませんが、一つになりましたか? 妻の気分に合わせてやることができますか? これから先生のみ言を中心として楽しく生きなければなりません。

 今まで自分勝手に生きてきましたが、そのようなことを考えてみると、国家メシアが一体いるというのでしょうか? そのようなメシアがどこにいますか? 先生が責任を持っていますから半分は私が責任を持つのです。有り難いと思わなければなりません。

 真の統一家庭形成、分かりますね? 体と心が一つにならなければなりません。ですから動くにあたっては、それらがバランスをまず取らなければなりません。バランスを取るために動かなければなりません。バランスを中心として水平にならなければなりません。水平にならないと中心が定まりません。中心が定まらなければ上がることができません。下がってもう一度やり直さなければならないのです。蕩減復帰できなければ、振り出しに戻らなければならないということを知らなければなりません。


 A真の氏族形成

 氏族的メシアにならなければなりませんね?

 B真の民族編成

 十二氏族で真の民族を編成するのです。

 C真の国家編成

 真の国家編成も真の十二民族をもって編成するのです。

 D真の理想党編成

 理想党とは何ですか? 野党、与党が一つにならずに争っているので、一つにせよというのです。頭翼思想で一つにせよという、そんな意味です。理想党は神様党です。これ以上のものはないのです。夜も統一され、昼も統一され、一年も統一され、春夏秋冬も統一され、老いても若くても、四季、老若男女を問わず、万世を通じて統一されるというのです。一度決定されたら変わらないのです。家庭が変わらないのと同じく、国が変わるということはありえないということを知らなければなりません。

 今の党は理想党でないために、私たちが教育してあげるのです。野党、与党を教育しなければならないのに、できなかったがゆえに、この有様になりました。命懸けでやりませんでしたね? 昼も夜も毎日のように訪ねてみるのです。一日に三回ずつ訪ねて、会わないといっても会わざるを得ずにはいられないようにしてみるのです。先生はしがみついたら放しません。ですから、ちょっとやそっとでは手をつけてきません。性格を知っているからです。

 D番、真の理想党…、真という言葉の次に何が入っていますか? 世界平和統一の理想党です。分かりましたか? 真の人は平和を成し、統一を成さなければならないという、そのような概念がみな入っているのです。家庭もそうであり、国家もそうであって、すべてみな入っています。


 E真の天国議会

 党を編成して議会をつくらなければなりません。私たちが宗教議会をつくってから何年になりますか?(宗教議会は八九年度に開催しました)。

 E番は何ですか? 真の天国議会をつくろうということです。心の統一、家庭統一、氏族統一、民族統一、国家統一をすることができる…、大統領になることができる資格者たちが集まって議会をつくろうというのです。韓国は与党、野党しかないでしょう? 上院、下院がありません。宗教人が結合して、上院議員に出馬させなければなりません、七五パーセントが宗教人です。心配することはありません。

 今後、宗教界は世界各国で上院議員になり、その国の選挙を通して出てくる下院議員になります。勝手には処理できません。下院を通し上院を通過しても、全体会議のときに再び通過しなければならないのです。そのためには徹底して解説して教育し、はっきり分からなければ、すべてを取り消しにできる新しい計画を発展させていかなければならないと考えるわけです。宗教を中心として国連に上院議員をつくらなければなりません。その概念が分かりましたか? そうかと言って、宗教と政治家が一致しなければならないのではありません。

 国連に上院議員をつくってあげなければなりません。私たちが何らかの政治をするというのではありません。私が国連の大統領のようなことをするというのでもありません。大統領ができるように導いてあげるというのです。大統領になる人を教えてあげるというのです。これが長子権です。長子権が先に成されてこそ、父母権が出てくるのです。

 私たちの手で、国連の上院議員をつくらなければならないというのです。誰がこの腐りかけた世界を支えるのでしょうか。銃や刀ではだめなのです。父母の心情…、愛だけが可能なのです。先生にこの仕事を成せる実力があると思いますか? ないと思いますか?(あります!)どうしてあるのでしょうか? 皆さんがしなければならないのです。

 私がどれぐらい生きられますか? 力は年齢にはかないません。これから三、四年以内に解決しなければなりません。その時までに上院議員をつくって、国家がしっかりと立ったならば、日本が復帰路程で先生の命令をよくぞ守ったと、世界国家から歓迎されると思いますか? つまはじきにあうと思いますか?しっかりと気を引きしめていきなさい。


  三)訓読会以後に下さったみ言
   (一九九九年一月五日、ウルグアイ・プンタデルエステ)

 皆さんが霊界の事実を知らないがために、精誠を込めていっても疲れ果て…そういうことを先生はよく知っています。ですが、皆さんはこのことを知らなければなりません。霊界の中心は神様です。その神様は私たちの父です。世の中の誰よりもいちばん身近で、切ることのできない宿命的な絆を持った方が、私たちの父なのです。


父の願い

 その父の願いは何でしょうか? 皆さんの家庭解放です。皆さん一家庭だけではありません。全世界人類の家庭をいかに解放するかということが、父の心の中において、ふさがれた壁だとすると壁、苦痛の傷だとすると傷となっているのです。

 先生が皆さんに精誠を込めなさい、精誠を込めなさいというのは、どうしてでしょうか? 精誠を込めるときは、自分の事で精誠を込めてはいけないのです。自分の事で精誠を込めるようになれば、神様が世界の陽射しをすべて水平に照らそうとするところを、それを水平に照らさないで私だけを照らしてくれと言っているのと同じです。それではいけません。

 ですから人類を代表し、神様の代わりとなって祈祷するという心を、いつも持たなければなりません。また、神様御自身が歴史を通してどれほど精誠をたくさん込めてきたことでしょうか…、このことを考えなければなりません。今日もそうであり、明日もそうです。私がこの地で生きてあの世に行って、神様が私をご覧になるとき、地で世界のために精誠を込めた神様が分からず、少しも同調できないという立場に立てば、息子の道理、あるいは祝福家庭の道理を果たしたということができません。あの世に行って苦痛が残るのです。

 ですから、神様の心の中に堕落によって因縁づけられたすべての根本の根を引き抜くため…、そのために祈祷するという、神の役事を担う者、神を慰労する者とならなければなりません。皆さんがそのような難しい立場に立つようになれば、信仰の相対となってくれる者がどれほど貴く思えるか分かるでしょう。神様の愛の心情が反映されるために、人恋しく、我が町が恋しく、国が恋しいのです。

 それゆえ、国を越えて最後の目的である地上と天上の解放の天国を望む思いが叶うまでは、神様の憂い、神様の苦痛の心情は解消されないということを、いつも記憶しなければなりません。そこに私が役事を担う者となるなら、それはどうなるか考えなければなりません。

 神様が寝ることも休むこともせず、果てしない循環の道を解放するためにずっと精魂を込めておられるように、私たちも精魂を込めなければなりません。小さな韓国の一人として、天地を代身をしたそのお父様の胸中に入っていこうと精誠を込める、限りなく限りない精誠を込めても何千万分の一にしかならないということを考えれば、精誠をもっと込めて恩恵が来れば来るほど後退するのでなく、もっともっと精誠を込めたい心、その心が貴いのです。

 それは何かというと、永遠なる世界を解放するための準備だというのです。準備できない人はできない基準に留まります。そこに行ってから、誰が嘆いても、誰がどのように苦痛にあっても解放の道がありません。自分が地上で準備できなかったことを蕩減するには、地上で準備した以上に霊界で準備しなければ解放されないのです。その解放圏を準備するには、地上が何千万倍も速いということを知らなければなりません。

 それゆえ、自分の生命が尽きる前に、地上における神様の心情的願いの最高の標準の前に、私が小さき役事を担う者として精誠を込めて愛の因縁を結んだという事実は偉大なことなのです。

 ですから、自分だけの一生ではありません。私が死んでも、永遠なる人類を解放するまで、神様の精誠の度合いは残るということを考えなければならないのです。そのことを心配して祈祷して、精誠を尽くして愛することによって、皆さんが霊界に行くようになれば、神様と因縁づけられたその世界において、昔愛して精誠を尽くしたがゆえに解放圏が広がるというのです。そのような事実を考えるとき、み旨を知った以後の道というものは楽な道ではありません。

 ですから個人のために精誠を尽くし、家庭のために精誠を尽くすのです。それはすべての世界を代表して精誠を尽くす一つの祭物のようなものです。


祈祷と精誠と愛

 生きた供え物のごとき家庭として、このような立場で進まなければならないのが、祝福を受けた人々が解放的完成圏に到達する道だということを、いつも考えなければなりません。ですから疲れ果てることのできない道です。

 だんだん心が豊かになり、涙なしには行けない復帰の道に入ったのです。何か良いものがあれば、私がまず食べようと思うことができないのです。孝子の道であり、忠臣の道がそうなのです。天を考え、世界人類をまず考えるのです。私の食べるこのおいしいものは、私だけが食べずに神様を通して食べるがゆえに、その世界を心配して…。雨が降って、あの山の谷間に流れる水が一滴二滴ぐらいでは大したことはありませんが、流れ流れて水流となって大洋まで連結されるときには、山から流れてきたその水は海まで流れていき、水蒸気になって山に帰っていくことができる…、このようなことが展開されるのです。ここで解放圏が展開されるということを知らなければなりません。なんと簡単なことでしょうか。

 たゆまない祈祷と限りない精誠を中心として、愛の線が引くのが、私がこの地で堕落した子孫として行くべき生涯路程であると、このように考えなさい。分かりましたか? 準備できなかった人は流れていくのです。準備できなかった人は相続者になれません。重要な話です。分かりましたか?

 何においても天とともになし、天を同情して、神様の心に感動を与えることのできる、そんな小さな瞬間が、どのような立場であるかと考えると、精誠を尽くしてもまた尽くそうという、為に生きてもまた為に生きようという、愛してもまた愛そうという、父母の心のような立場です。

 これが天国のお父様の心であることを知り、そのお父様の前に相対的な基準を立てなければなりません。相対基準を造成しなければ、授受作用が起こりません。運動が起こりません。運動が起こらなければ永生の路程が止まるのです。そのようなことを好むようであれば、それは永遠に神様とは関係のない脱落者になってしまいます。ですから、いつも準備しなければならないのです。分かりましたか?

 ここに来た皆さんも「ああ、そんなに遠い道のりをどうやって行けるだろうか?」

 お金がなくて涙を流して「結婚したいのに…、結婚すべき時間は決めたのに…、お金は一銭もない…」それ、どうするつもりですか?

 このような所に来るのに、結婚が問題ではありません。歴史的大転換時代なのです。端から端へと転換しなければならない転換時代だというのです。転換しなければなりません。こちら側を経てきたならば、あちら側を経て転換しなければなりません。あちら側に転換できる最後の道がこの道です。この端を通じてのみ転換できるのです。

 今まで暗い世界に生きていた人々や家庭が、先生を中心として明るい側について来る時がきたのです。暗い側というのは、先生の命令を中心として解放圏となっているために自動的に転換されるのです。

 皆さんが転換するようになれば、それに連なってすべてよくなるのです。夜道を太陽のように転換できるのです。それゆえに天のために因縁の輪を広げ、自分の一族のために因縁を結んであげれば、その準備した因縁の天の基準を相続するために、知らず知らずその一族はすべてがうまくいくようになります。これはみな理論的です。これは妄想ではありません。それゆえに、精誠を尽くして祈祷して愛さなければなりません。祈祷と精誠と愛。分かりましたか?

 神様がどれほど精誠を尽くして、神様がどれほど愛したのか…、それを知らなければなりません。顔を洗って鏡を見るとき、女性たちは自分の顔がきれいだとか何とか言うのではなく、この顔で精誠をどれほど慕い求めるかが問題です。この顔で自分が喜べることを中心として笑い、化粧をしながら笑うのでしょう? どれだけ神様を愛したのか考えてみなさい。それが皆さんの永遠の恵みであり、恵みの中の恵みとなる基礎だということを忘れずに、恨んではいけません。

 「ああ、これは疲れる」、「先生が認めてくれる」、「認めてくれない」とか言っていますが、精誠を込めることを認めてあげればどのようになりますか? 愛してくることにおいて認めてあげればどのようになるのかというのです。認めてあげれば愛がつまってしまいます。認めてあげないということが、精誠が流れるように、愛が流れるようにしてあげるということなのです。流れなければなりません。水も流れ、空気も流れ、愛も隙間さえあれば埋めてあげなければならないのです。

 神様の心の中のくぽみがどれほど深く、どれほど低気圧になっており、隙間があるとすれば、どれほどの隙間があるかというのです。その隙間すべてを埋めうる愛の心をもって、神様の心の世界を初めて埋められるその道こそ、子としてこの地に人生の命を担う生涯ではないかというのです。これ以上恵まれた道はありません。これ以上の幸福はありません。幸福だというのです。そうなれば、天がその価値を認めてくれます。その時、その時、その時…。

 さらには転換期には十年の精誠を共に尽くしてから、私が頂上に行くようになれば、数多くの人々の十年の功がすべて飛ぶように私に移転されます。

 それゆえに「孝子」よりも「忠臣」にならなければなりません。「忠臣」は全体のために生きて、大きく「国」を愛して精誠を込めるのです。「聖人」は世界を中心として精誠を込めて、「世界」の人を愛そうとします。「聖子」の道理は天地を中心として精誠を込めて、「天地」を愛そうとするのです。このように段階と差が生じるのです。

 これを精誠と愛の道によって受け継いでいくということを知って、皆さんが貴いものがあるならば、世界のために整理しろという神様の命令があるとするならば、どれほどいいでしょうか? そのように考えてみましたか?

 そうすれば神様が恵みを与えてくださるのです。その時が訪れる前に天の恵みを受けて「ああ、恵みを受けたからには私の物だ」といえば泥棒野郎というのです。恵みを受けたけれども、それが災いとなるのです。地獄のどん底に落ちるのです。

 時が訪れるように待っていたのに訪れないなら、橋を架けて道を切り開き、その時が訪れるようにと、自らの財産をすべて流して送ることのできるみ業、そんなみ業をする人々が、国家的運勢に沿って世界の恵みを蓄えておくことのできる基盤になるということを知らなければなりません。

 先生はこのように考えるのです。悲惨で難しくても神様がついて来ることのできる道、分かりましたか? あんなにも受難の道で苦痛を受けてこられた神様、天のお父様が、私の後について来て慰めを受けるということは、これは驚くべきことです。神様の恵みをすべて抱えて歩むのです。それに対し感謝して、もっと大きなことを望み、神様の恵みをみな分けてあげるのです。

 親心もそうではないでしょうか? 我が子が苦労しているならば、自分の財布の中にあるお金をみなはたいてでも、我が家の財産を売ってでも助けてあげたいのが親心です。分かりましたか? 疲れたと言えますか? 疲れ果てるわけにはいかないのです。

 人類がこのようになっているのに、どうして疲れ果てたと言えるでしょうか? ですから、み旨を知るようになれば、一生を楽に生きられないと考えるのはどうしてでしょうか? これが神様を解放する道だからです。

 永遠なる世界、億千万代の神様の解放圏に向かってそれを埋めるためには、投入して、投入して、忘れて、忘れて、忘れて、忘れて…、このようにして歩むことによって無限なる解放…、天の皇族圏の外に逃げていっても神様が見つけ出して立てるようになるのです。分かりましたか?

 それが何ですか。精誠と愛…。精誠というのは祈祷しなければなりません。何もせず、ただ流してしまってはいけません。祈祷は何かというと宣言なのです。「私はこのようにします。こうこうこうです」という報告と宣布です。神様に報告して宣布したことは、サタンが奪っていくことができません。先生が今まで多くの宣布をしましたね? 峠を越えて宣布するのです。

 精誠と愛の心…。南米に来て「ああ、故郷が恋しい。お母さん、お父さんが恋しい。帰りたい」となってはいけません。ここを通して天が与えたい心があるのです。ウルグアイは小さな国ではありません。四か国を越え、三十三か国を越え、南米・北米を越え…、そういった解放圏を願う天に侍って歩むべき道が、精誠の道なのです。そのためには精誠は当然であり、自分を犠牲にすることは当然だというのです。

 親の前にたくさんの子がいるとき、親は子に対しては、自分を愛する以上に兄弟をより愛することを願います。道端を歩いていて、かわいそうな人がいれば、その人の母親、父親以上の思いをもって愛そうというところには、神様が同調するというのです。その場は天国と関係する場になるということを知って、精誠と何ですか。(愛)。愛さなければならないのです。


神様に近い道

 今年が最高の年です。真の祝福天宙化とサタン血統根絶。精誠が必要です。分かりましたか。精誠の心。愛の心。それでなくては絶対に根絶できません。

 アダムとエバが堕落したときの、神様の悲痛なる歴史の苦痛を感じうる根を、私がどうすれば抜いてさしあげることができるでしょうか? 神様はおやすみになりますが、私は再び起きなければなりません。一番難しい事をする、そのような立場に立たなくては、神様の心情よりも何百倍も難しい立場に立つ、そのような立場に立たなくては、恵みが受けられないという考えを持たなければなりません。分かりましたか?

 ですからパンタナールだとか…。そのようなときには孤独な道を行くのです。孤独な道を。独りで、独りです。私の前には誰もいません。あるのは自然だけです。自然を見つめ、動物を見つめ…それらを本然の神様が見つめるとき、人間のためにつくりましたが…、人間のためにつくりませんでしたか? 人間のために精誠を尽くし、愛のために統一をしました。本然の愛によって、常に小さなものから大きなものまで、因縁的心情でつながっていますが…、

 その心情の畑を啓発しなければなりません。その訓練です。そのために、その中でお父様に侍って、私はそのお父様の前に愛される、かわいがられる子となって、神様の心の友、心の世界の解放の友となる…、このような考えを持つのです。そのように考えると、時が深まれば深まるほどに上がっていきますから、自分が標準とした以上に越えるときには、ほとんど想像もつかないことで自動的に解放されていきます。

 億千万世にわたる今までの創世以降の堕落世界が、どれほど大きいことでしょうか? これをすべて包容しなければなりません。何で包容しなければならないのですか? 力をもってしてはできないのです。知識をもってしてもできません。唯一、愛の心だけができます。涙を流すには何をもって…、精誠を込めるには何をもって精誠を込めるのか? これが絶対的に必要です。そのような心をもって「できる? できない?」を心配する必要はありません。「そのようにしたのか? しなかったのか?」が問題です。欲ばった思いだけではできないのです。

 先生が自分のことを考えていたならば、今日もこのような場に出てこられなかったでしょう。人をどれほど恋い慕ったのかというのです。涙とともに愛する…、言葉ははっきりしていなくても涙を流しながら、愛の言葉…、唇を動かす表示をして愛しているという言葉を伝えたならば、それははっきりした言葉よりもっと貴いのです。分かりましたか? 懐かしい人に会ったときにうれしくて涙が先に出ますね? 涙なくして天国に行くことはできません。

 ですから、その道は豊かに食べて豊かに暮らす道ではありません。食べ物に困り、暮らしに窮し、人から指さされ批判される道が、神様と一番近い道です。それゆえ、そこにそのような事情を持っている人がいたとすれば、神様は御自分の秘密とすべての内容を話してくださろうとするのです。そうかと言って、神様お一人では人間を解放することはできません。人間を通して解放しなければならないのですが、その代表者が真の父母です。メシアだというのです。

 皆さんがメシアの子女となったならば、そのような心…、父母様の解放を思えば、神様の解放を思えば、そのような尊いみ旨、大きな愛の圏に入っていくことができなければなりません。ただ何もせずに入っていくことはできません。水平的にジャンプしなければなりません。

 そのようになれば、霊界に愛の低気圧が生じるため、愛を求めるためにその切実さが生じます。高気圧があれば低気圧を埋めてくれますね? 来るなといっても後ろから押してくれます。押してくれるのです。そのような契機をつくるためには「精誠と愛」、分かりましたか?

 精誠の途絶えることを望む個人もないし、家庭もないし、氏族・民族・国家・世界、宇宙もないのです。精誠を込める道について行きます。愛というものは誰でもその道について行きます。これが伝道です。

 それゆえ皆さんは、自分のする事を報告して宣言をしなければなりません。「お父様、今日はこのようにいたします」といえば、「今日、成し遂げました」と報告しなければなりません。報告をしなければ水平になりません。水平になって縦的な関係を築くのが報告です。そうすればそれが残るのです。

 以前にも話しましたが、バランスを通じて水平になれば、当然中心が必要なのです。天に報告するがゆえに、愛によってその縦的基準が永遠に変わらないのです。そのような生涯路程を持った人は、永遠の世界において、自分の立てた中心基準に相当する水平が定まるのです。そこでは自分が関係を築いたぶんだけの所有権が生じるようになるのです。そこに該当したぶんだけ、霊界で自由に活動するのです。解放が行われるというのです。これは重要な話です。分かりましたか?

 先生がそのように生きてきました。それゆえに、先生は怨讐扱いすることができません。憎んではいけないというのです。「この野郎…」というのはやめようというのです。どうなって怨讐となりうるのでしょうか? 自らそのような欲を抱くようになった動機は何でしょうか? 母や父や息子や娘を食べさせて、まかなっていかなければ、という新たな欲望の出発から欲も出てくるのです。

 悪人も、強盗もいっぺんには現れません。仕方のない困難な立場に立たされて、自分がそうせざるを得なくなり、過激に環境を踏み外して行動するようになるとき、犯罪を行うのです。動機は自分が愛する妻、愛する息子と娘、愛する父、母を中心とした動機だったのです。思い通りに仕事がうまくいかずに、環境的与件を破壊して犯罪が起こったとき、それは悪くない動機で出発したと考えることができます。


一心不乱にしなさい

 皆さんは先生のことをそれほど優れていないと思っているかもしれませんが、先生はこのような場でみ言に通じるようになれば…、み言に通じれば通じるほど、その精誠の度合いが高まり、愛の心がそこに宿るようになるのです。

 ですから、み言で「訓読会」を毎日のようにしなさいというのです。「訓読会」の味が、ご飯を食べるよりも、自分の大好物よりもおいしいという人は、無限な発展をするはずです。先生の生涯を見ると場面場面には、深刻な場で最高に集めて宣布してきた実績が残っています。その宣布の位置があるゆえに「私の位置を埋め合わせていくためには、どれほど埋めていかなければならないだろうか…」といって私たちの生活を振り返ってみるとき、休む間がありますか。

 霊界に行けば先生の近くに行きたいのでしょう? そうですか、そうではありませんか?(そうです)。答えは簡単です。精誠をどれほど捧げたかです。天の心をどれほど解放してあげ、ご父母様の心をどれほど引きつけて消化してあげたのかというのです。その次には、それを愛をもってしたのか、あるいは自分の出世や、自分が祝福を受けようと、恵みを受けようと思いながらしたのかというのです。自分が恵みを受けるためにしたならば地獄に行くのです。

 殉教した人々であっても「このようにイエス様を信じてこそ…、こうして信じて死んでこそ天国へ行けるのだ」と思っていたならば、天国へ行くことはできません。哀れなイエス様の心の世界に入って、慈しんであげなければならないのです。

 神様が数多くの聖人烈士を覚醒させて立てたのは、神様の心を解くためです。子女たちを解放させるためです。解放を願うその思いが、しこりとなって残っていますから、私たちの解放的環境のために、どんなことがあっても行くべきであるのが、子女としての果たすべき道理であり、子女の生きうる生活舞台であるということを忘れてはならないのです。分かりますか?

 これを忘れずに歩んでいけば、皆さんの行く道は大いに発展することでしょう。…自分も知らないうちに、知っています。知っているのです。人は霊的存在なので、知っているのです。通りすぎる隣の人について行って、よく見てみると、初めて会ったはずなのに、「あの人どこかで会ったな…」と、こんな気がすれば、その人を絶対に逃すなというのです。そのような人がいるでしょう? よく見てみると、どこかで会ったことがあるような…、どこでも会ったことがないのに…、そういう人は逃してはいけません。その人は皆さんに必要な人です。

 そのようなときは、真心を込めて、神様に対していたそれ以上の思いをもって見るようになれば、直ちに、くっつきます。離れられないのです。それが自らの同志たちを一まとめにしていき、心情の基盤を広めていく方法なのです。多くの恵みによって、天国に近い祝福の立場に立つことができるのです。

 苦労して精誠を込めて愛するものは、私のものです。ところで、恵みは神様が持っています。恨を乗り越えて、恵みを与えたい思いが蓄積されていますから、「いつ恵みが受けられるのだろうか?」と考える必要はありません。恵みは自動的に訪れるようになっているのです。分かりましたか? 帰ったときに、この思いをもって生活に適用して、そのとおりに動いてみなさい。

 先生は何か一つ手をつけようものなら、「このために生まれてきた」と、このように考えるのです。生まれたのも、このために生まれたと…、それから好きになってするのです。喜んでしながら、生きていかなければなりません。深い峠を乗り越えることができるのが愛なのです。自分が嫌々ながらすることには手をつけません。心がみな分かるのです。

 好きでする事には、神様がいらっしゃって恵みを祈ってくださいます。私は今、釣りを経て水産事業に手をつけました。今や養殖の時が近づいてきたので、心は釣りから離れています。それゆえに、断ち切って突然に転換できるのです。未練もなく…。政策や方向が変わったゆえに、愛する方向が変わったゆえに、未練なく断ち切って、きれいに整理しなければならないのです。そうしてこそ、サタンがついてこれないのです。未練を残してはいけません。分かりましたか?(はい)。

 こういったことを、みなちゃんと理解してと…、今年は一九九九年ですが、九数はサタン数です。蘇生、長成、完成…、十数ならばいいのです。「真の祝福」というのは完成されたということです。ただの祝福ではありません。真の祝福天宙化…。完全に、最後に、神様の胸にしこりとなっていた宇宙的解放の定着…、完全に定着しうる真の家庭を、祝福してあげようというのです。違いますか? ですから、最後の峠だというのです。

 それから、サタンの根を根絶しようというのです。最後です。最後…。絶対に最後です。機会を逃さず、精誠と愛の心を宇宙に拡大して祝福するようになれば、世界は自然についてくるようになるのです。私がプラスになっているために、マイナスは自ずからついてくるようになっているのです。

 そのような思いをもって、来年に新たな国を持つようになるときには、皆さんの近所には祝福を受けたがらない人はいませんし、私が愛の因縁を結んでいない所がありませんし、神様を通して神様の愛する心の主体となって、それがすべて日光のように照らされ、解放が行われるというのです。それは理論的です。妄想的なことではありません。

 それゆえに、恵みを受けようと思うなというのです。分かってほしいと言うなというのです。先生もそうしませんでした。気がついてみると、神様の関心を買おうとせずにその事をやっていたのです。報告もせずに、やっていたら、すべてが自然の理です。自然の理にすべてなっているのです。神様に報告しなくても、その前に出て報告した以上の価値として結実することが、天理の大道の原則というのです。

 ですから、悲しがるなというのです。人と会って、気分を悪くするなというのです。動物を見ても気分を悪くするなというのです。絶対そのように考えないという条件をかけて、その怨讐に父母のように対してあげる心を持つとするならば、その怨讐はその立場において自ら頭が下がるようになるのです。天運が入っていって、別の行動ができません。皆さんは名のある人物や、大人の前に出ると行動が不自由になるでしょう。自然拘束が起こるのです。同様の役事が起きるのです。


準備しなさい

 仕事に臨むにあたっては、絶対に悪い姿勢で臨むのではなく、良い姿勢で臨みなさい。仕事をするにあたって、自分の行く道は記録が残ります。いかなることをしたというのが…。絶対に喜びの心でしなさいというのです。

 朝出ていって夕方帰るとき、仕事をやり終えて嬉しい心で…。家庭でもそのような生活を訓練してこそ、どこに行っても闇の世界から光の世界へ移れるようになるのです。光の世界にも境界線があります。十二時間まで昇っていってからは、沈んでいくのが原則であることを知らなければなりません。息というものは、息を吸い込むがゆえに、息を吐くときに容易になるのです。昇っていくがゆえに、沈んでいく闇も必ずなければならないのです。

 ですから、自分のいちばん嫌なことも好きになるというのです。そうすれば、その人の暗いものは明るい地平へと向かうのです。「いやな表情で対さず、喜びの表情で一元化せよ」という生活哲学をもって生きることこそ、間違いなく神と共に生きることのできる、極めて素晴らしい道であるということを理解して、帰ってから一生懸命にがんばってください。

 それが準備です。準備です。堕落した人間がしなければならない準備です。準備できない人は流れていくのです。自分がどんなに優秀であったとしても、水が流れ天運が流れるごとく流れていくのです。ですから、常に勝利的結果に対しては、木の根っこのようになり、レンガの家のようになって、天に仕えることのできる皆さんとなってくれることを、先生は切に願っています。分かりましたか?(はい)。

 一生懸命に一年を喜びで消化しなければならないというのです。そうすれば神様もそこに同情して、臨在されるようになっているのです。

 精誠と愛! 食べものがありますから、かわいそうな人がいれば「すまない」といって食べなければなりません。「お父様…、彼らを憐れんで私たちのように…」これが天国の息子、娘の行くべき道です。分かりましたか?(はい)。一度そのようにやってみますか?(はい)。

 ですから女性は、むやみやたらに言ってはいけないというのです。精誠の道は険しい道です。また、むやみやたらに行動するなというのです。女性は行動が速いです。大慨、女性は口といっしょに行動しようとします。夫に対して、息子に対してそのようにするなというのです。愛で真心を込めて、母親が子に対するかのように話しなさいというのです。

 聖人になるには、耳と口の王様にならなければなりません。分かりましたか? 女性が耳でひそひそ話をしていて堕落しました。口で話しているうちに堕落しました。分かりましたか? 耳と口ゆえに堕落したので、これをすべて制裁してこそ王妃になるのです。さらに女性はこのような面に注意しなければなりません。夫に対してひとこと言うにしても、ポンポン言い放ってこそスッキリするのですから…。そのようなときは夫のハンカチでもあれば、それをぎゅっと握りしめて…、そのように訓練しなさいというのです。夫を誰よりも愛するというならば、そのような条件が必要です。私たちはみ言を歌に変えて歌いますが、それはみな条件です。

 このようにすべてを知って、今年は自らの生涯を天の前に残すことのできる、素晴らしきそのような年であることを分かってください。

 精誠と愛の心をもって涙を流すようになれば、神様の胸中に記憶されて、絶対に流れていきません。分かりましたか?「私はそうしよう」という人、一度手を挙げてみなさい。(はい)。ありがとうございます。













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