天一国主人の生活
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第二章 天国と真の家庭

一 神様の創造理想は四位基台と真の家庭

 本来、神様は、天地万物を創造され、すべてのものが人間を通じて完成するようになさることにより、神様の威信と人間の威信を立てようとされました。そのようになれば、人間の完成はもちろん、神様の創造理想の完成も自動的に完結するという結論に到達するのです。

 そのようになっていれば、神様は万宇宙の中心の権威を備えられ、人間はその息子、娘として一体となり、神様の理想的愛の世界がこの地上に実現していました。そして、神様の悲しみが始まるのではなく、神様の喜びが始まっていたのです。そのようになっていれば、神様は、喜びの中で、人間の権威を一〇〇パーセント褒めたたえていらっしゃったのです。

 神様が人間をそのように高く褒めたたえられることを見習い、人間も、同じように神様に対して高く褒めたたえていたのです。そのようになれば、共同運命に置かれるようになっていたというのです。

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 神様は、人間始祖アダムとエバを中心として、万物を主管するだけではなく、愛の家庭を築こうとされました。私たち統一教会では、この基準を「四位基台の完成」と定義しています。結局、神様のみ旨とは創造理想を完成することですが、その創造理想を完成するということを具体的に言えば、それは四位基台の完成だというのです。

 それでは、四位基台とは何でしょうか。完成したアダムと完成したエバが、神様の愛の中で祝福を受け、そのお方の息子、娘になると同時に神様が願われる夫婦となり、その次に、神様が願われる家庭を築くためには子女がいなければならないので、子女を完成させることです。

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 神様のみ旨は、創造理想を完成することによって成されます。それでは、神様の創造理想とは何でしょうか。もちろん万物をつくることが神様の創造理想でもありますが、アダムとエバを中心として創造理想を成そうとされたというのです。神様の創造理想の完成、み旨の完成とは何でしょうか。神様を中心として、神様の愛を中心として四位基台を完成することにより、創造理想も完成し、み旨も完成するのです。言い換えれば、「神様のみ旨の完成」という言葉は、常に神様の愛を中心として四位基台的愛の基盤を内包しているという事実を、皆さんははっきりと知らなければなりません。

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 四位基台は、愛を中心として東西南北が備えられていくことです。愛を除けば何もありません。その愛は、アダムだけの愛ではありません。エバだけの愛ではありません。アダムとエバが統一された位置で、神様の愛を連結させなければならないのです。神様の愛を連結させたその位置には、アダムとエバの愛があると同時に、息子、娘の愛が介在します。

 私たちがしばしば言う「三対象理想」という言葉も、アダムを中心として見れば、天がいて、妻がいて、子女がいるという意味です。これは三掛ける四は十二、十二数の対象圏のことをいっているのです。またこれは、愛を中心とした人々の三つの位置についていっている言葉です。

 ところが、今まで信仰生活をしてきた人々は、神様の愛を中心として創造理想を完成するという、そのようなみ旨が分かりませんでした。それは、神様のみ旨の完成、創造理想の完成をいうのです。それが四位基台の完成です。四位基台を完成すればどのようになるのでしょうか。天と地が定着するようになります。天と地が初めて定着するようになるのです。

 天は上の軸と同じであり、地は下の軸と同じであって、これを中心として一つになるのです。ここで子女は、中央の軸に向かって一つになれる平面的な形態を備えなければなりません。そして、これが育つことにより、中央に上がっていって一つの円形を描き、さらには愛の理想である球形を成すのです。

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 すべてのものは、中央線を通らなければなりません。なぜ人の鼻は、上から下に垂直に下りているのでしょうか。中央を失ってしまってはならないからです。顔を見れば、目は神様を象徴し、口は万物を象徴しています。それで、歯が三十二本です。四掛ける八は三十二、歯は三十二本です。これは全体数を表しています。四数は東西南北であり、八数は全体数を代理したものです。乗数なので、四掛ける八は三十二、全体を象徴しているのです。それは、万物を食べなさいという意味です。これは、外的なものを取り入れることです。一方で、話すということは、内的なものをはき出すことです。すべて四位基台になっています。授け受けする道理です。

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 縦横に備えられた愛の圏が、四位基台の愛の圏です。そのようになった時に、初めて父母が父母として登場するのです。父母として登場するので、横的な面において初めて実体的な神様の代身者として登場するのです。神様がアダムとエバを造って感じられた喜びを感じさせるために、横的な子女を養育できる力を人間に許諾されたのです。これが神様の創造理想です。

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 神様を中心としてアダムとエバが愛を感じたとすれば、その愛は神様の愛であり、その四位基台は神様を中心とした四位基台です。それから子女ですが、この子女関係は、神様を中心として相対的です。ところで、相対となっている子女を生み、ただそのままではどこにも使うことができません。教育をしなければなりません。大きくなっていかなければなりません。大きくなっていく中で、男性は右側、女性は左側に行かなければなりません。

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 新しい時代の四位基台は、アダムとエバの息子、娘から始まります。ですから、アダムとエバが結婚して繁殖すれば、結局は四位基台圏を成すようになっているのです。

 本然の息子、娘に帰っていくには、どのように帰っていくのでしょうか。神様の本来の心情と、神様が願われた理想家庭を中心として、相対圈が新たに生じるのです。四位基台は三段階でしょう? 神様、アダムとエバ、息子、娘です。この場合が縦的です。これが横的に展開していかなければなりません。横的に着陸することにより、縦的な要素がこれを基盤として、無数に平行に広がっていくのです。これが一つのモデルとなります。

 アダムが理想とした四位基台が全世界的に発展していくためには、このような伝統的な家庭の内容を完成させなければなりません。これを完成させなければ、横的な連結を成すことができません。別々に分けて考えてはいけないというのです。アダムとエバが結婚して暮らせば、既に神様は右側に来ていらっしゃり、自分の息子、娘は左側に立つのです。これが一つです。この三つが一つになっていることを知らなければなりません。

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 横的に見れば、アダムは長男です。次男はイエス様であり、完成したアダムは三男です。縦的原理から見れば、三男は三代目でしょう? ですから、おじいさんの立場が第一代であり、父の立場が第二代であり、第三代は息子であり、それは孫の立場です。このようになっていたものが反対を向けば、孫がおじいさんの立場になります。反対に、祖父、父、孫となるのです。それゆえに、先生に絶対服従していくことによって、神の国の四位基台、三代圏を完成し、神の国に入っていくことができるのです。ですから、蕩減復帰です。

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 統一教会の主体思想は、神様を中心とした思想です。この主体思想の中で、秩序的段階について言えば、三段階がなければなりません。ですから、父母と夫婦と子女がいるのです。この中心が神様と因縁を結び、四位基台理想を拡大させ得る愛の理想圏なのです。これが、私たちの主体思想の内容です。

 愛は、拡大する力をもっています。それが集約されれば一つになります。それゆえに、拡大し得る理想と連結し、全人類を抱いて生きていこうとするので、拡大させなければなりません。これを拡大させたのが、私たち人間の繁殖です。アダムとエバの二人を、横的に拡大させたのです。

 それゆえに、主体思想の内容を要約すれば、神様が、愛を中心としては絶対的な主体です。その次には真の父母です。その次には自分たち夫婦です。自分たち夫婦が真の父母の代わりとなり、子女をもつのです。これが四位基台です。

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 四位基台は、父母を中心とした真の愛の起源を表しています。その次には、父母と子女の完全な愛の一体を表しています。それは、一時的なものではなく、永遠です。永遠であると同時に、絶対的だというのです。その愛の起点とは、唯一であり、不変であり、絶対的です。そのような愛は、神様だけにあるのでもなく、父だけにあるのでもなく、母だけにあるのでもありません。家庭的基盤の上、真の家庭の基盤の上に成立するのです。

 愛が絶対的なので、その愛を中心とした家庭の信義は、絶対的です。愛は、すべての関係においても絶対的です。そこでは、一つが侵犯されるということは全体の破壊を意味するので、そのようなことは容認することができません。したがって、四位基台自体は、愛が侵犯され得る問題において、自らの生命を凌駕したとしても、これを擁護し、保護しなければなりません。ここで最も恐ろしいことは何かというと、この愛の基盤が破壊されることです。それが一つの核となって拡大したものが世界です。

 そのようにして、一つのアダム家庭からその息子の家庭が生まれ、父母の家庭と息子の家庭が一つにならなければなりません。それで、四位基台が生じれば、この四位基台は将来、霊界の四位基台へと移っていくのです。

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 神様の創造理想の最後とは何でしょうか。原理でいえば、責任分担を完成し、愛を中心として四位基台の家庭理想を完成することです。なぜ四位基台が必要かというと、父子関係の家庭理想を成さなければならないからです。父母の愛を中心として一つになったその縦的伝統を受け継いだアダムとエバが、横的伝統を展開させていかなければならないのです。

 アダムを起点として十二部族が生まれ、その十二という数字を中心として三百六十日という日が拡張されたように、すべての民族の拡張のための摂理の基準を立てることが創造理想の完成だというのです。

 そのような面から見るとき、「み旨の道」におけるみ旨とは何でしょうか。創造理想の完成です。創造理想の完成とは、四位基台の完成をいうのです。父を中心とし、母を中心とし、息子を中心とし、娘を中心としたものではありません。真の愛を中心とした四位基台の完成です。

 真の愛を中心として、これが責任分担の完成です。責任分担の完成というのは、すべての愛の理想を基準として男性と女性が完全に一つになり、神様が創造なさったすべての基準に一致すれば、その地上において縦的な基準として受け継いだアダムとエバの伝統を、肉身を通して初めて横的に展開させていくことをいうのです。息子、娘を一人か二人だけ生むようにはなっていません。アダムとエバの時代が来れば、東西南北に息子、娘をたくさん生むようになっているのです。

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 一人の男性は、必ず一人の女性と共に家庭を形成しなければなりません。そのようにしなくては、統一世界に行くことができません。過去の信仰者たちは、家庭を捨てていきましたが、捨てた家庭を高い次元において再び取り戻し、勝利の家庭として新しい基台の上に立てなければ、天国に行くことができません。一つの家庭が形成されたからといって、その家庭だけで天国に入っていけるのではありません。四位基台を形成して初めて行くことができるのです。

 どこで四位基台を成さなければならないのでしょうか。この地上で成さなければなりません。いつ成さなければならないのでしょうか。自分が死ぬ前に成さなければなりません。

 それを成さなくては、国家を迎え得る国民になることはできず、世界を迎え得る人類になることはできず、神様のみ旨が成されなければ天国世界を迎え得る天民になることはできないのです。

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 皆さんは、妻をもって幸福だと思うかもしれませんが、私は、そのように思いません。女性も幸福なのではありません。幸福なのではなく、十字架を背負ったのです。主体である人は、相対を幸福にしてあげなければなりません。子女がいれば、その子女も幸福にしてあげなければなりません。三大十字架を背負わなければならないのです。

 ですから、四位基台の復帰が最も難しいのです。それは、世界を征服することに比喩することができます。

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 皆さんの息子、娘は、神様が数千年の歴史を経ながら数多くの預言者、烈士を犠牲にさせて探し出された一つの家庭を通じて、願いのともし火のごとくに生まれた貴い息子、娘です。各家庭の息子、娘が四位基台の完成という神聖な目標の帰一点をもたらすことを考えるとき、その息子、娘に対しても、日がたてばたつほど、本当に感謝しなければなりません。父母がそのような心をもつようになれば、その息子、娘たちは絶対に飢え死にしません。

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 今、皆さんは堕落圏内にいます。長成期完成級で祝福を受けた家庭は、上がっていく道があります。それは、先生に従っていくことができる道をいうのです。しかし、皆さんの父親や母親と、皆さんの四位基台が一つにならなくてはなりません。

 ノアじいさんが箱舟を造る時、その夫人がよく協助したと思いますか。息子、娘がどれほど批判したと思いますか。「神様が審判される」と言って、一日でもなく百二十年間、弁当を持って山に上がっていき船を造ったのですが、ノアの妻がよく協助したかを考えてみてください。ノアの妻が協助しないのですから、その息子、娘に至っては、協助しないのは当然でしょう。皆さんは、母と完全に一つにならなければなりません。

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 立体的な四位基台を成さなければなりません。上下の位置、前後の位置で一体を成さなければなりません。そのようになれば、いくら転がしても、止まった時は垂直になるのです。

 サッカー・ボールを置いた時、中心は垂直です。一点しかありません。それゆえに、家庭において四位基台の立体理想が成されなければなりません。

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 父母の前に孝子になるだけではいけません。夫婦がいなければなりません。ですから、四位基台を成さなければなりません。これは絶対原理です。このようなことを考えてみるとき、今日、個人的四位基台、家庭的四位基台、国家的四位基台はどのようになっていますか。家庭的四位基台形態を拡大したものが国家であり、国家的四位基台形態を拡大したものが世界であり、世界的四位基台形態を拡大したものが天宙なのですが、その根本は家庭です。

 そのように行く中で、サタンが一匹もついてくることができないように整備する、家庭四位基台の教育がジャルジン教育です。そこを通らなければ落ちるのです。国籍を失った家庭になるのです。登録をするためベツレヘムに行って、赤ん坊のイエス様を馬小屋で出産するという、それ以上に悲惨なことも起きるのです。その道を訪ねていかなければなりません。

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 神様を愛すれば愛するほど、永遠の父母の愛を受けるようになるのです。孝子になればなるほど、その父母の愛を余すところなく受けるのです。忠臣になればなるほど、聖君の愛を余すところなく受けるのです。真の夫になればなるほど、妻の愛を余すところなく受けるのです。

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 素晴らしい善の夫、善の妻とは、どのような人でしょうか。妻として、神様の代わりに、真の御父母様の代わりに絶対視する夫をもった者、夫としてそのような妻をもった者が真の夫婦です。神様を絶対視し、父母を絶対視し、夫婦を絶対視し、そのもとに生まれた子女を絶対視しなければなりません。これが統一教会でいう四位基台理想です。


二 真の家庭は天国の民の生産工場

 女性は、宇宙を与えられても、神様を与えられても換えることができない貴い宝物をもっていることを知らなければなりません。愛を実現できる根源の王宮が私にあることを知らなければなりません。ですから、神様は、どれほど安全な場所にそれを入れておかれたでしょうか。おしりの肉がなければ、どのようになっていましたか。凍りついていたでしょう。

 男性たちは、どのようになりますか。保護するのにどれほど良くできていますか。すべての精力、すべてがそこに集まっているのです。それゆえに、それは、自分と同じような人を再びつくりだすことができる器官です。父母となることができるその場所というものは、どれほど神秘の王宮でしょうか。

 天国に行けば生産地がありません。神様が人を造られたのは何ゆえでしょうか。垂直には繁殖がないからです。垂直の位置は一点しかありません。神様は、一点、垂直の位置で愛をなすので、そこでは繁殖をすることができません。霊界では繁殖することができません。それゆえに、横的な三六〇度が必要です。横的世界には、東西南北に繁殖していくことができる位置がいくらでもあります。

 ですから、それが、天国の民を生産するための生産地だというのです。その国の民として来る人は、すなわち天国の息子、娘です。神様御自身の愛する息子、娘になるのです。その人は、神様御自身を中心とした細胞と同じです。私たちの生命は、その国に行けば神様の細胞と同じです。神様御自身になるのです。根本から来たので、根本へ帰っていくのです。

 それゆえに、男性と女性は、霊界に行けば一つの体となって神様に似るのです。最後は神化するようになるのです。神様に似なければなりません。神様は二性性相だと言ったでしょう? 二性性相は何から出発したのかというと、愛から出発しました。愛の結実として本然の神様に似て、帰ってくるのです。ですから神様も、お一人では孤独なのです。

 神様は、花の咲く愛の園をつくり、色とりどりの花が満開となり、愛の香りであふれたその園の中で、昼寝をしたり、動き回ったりしてみたいと思われたのです。そのような神様だったのです。

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 生殖器は、真の愛を中心とした王宮であり、真の生命を中心とした王宮であり、真の血統を中心とした王宮です。最も貴いものです。これがなくなれば天地がなくなり、これがなければ神様の理想、神様の家庭、神様のみ旨を成し遂げることができないのです。これは、全体を完成し得る一つの起源です。

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 子供は一人だけ生めばよいのに、なぜ神様はたくさん生むようにされたのでしょうか。これが問題です。一人だけ生めば、アダムとエバの二人しかいません。そのようになれば、どのようになっていたでしょうか。二人だけで生きなければなりません。一家庭だけで暮らすのです。そのようになれば、世界がなくなります。天国をつくろうとすれば、横的に広げていって数多くの家庭を生産しなければなりません。そのようにしてこそ、天国の民が生まれるようになっているのです。霊界では繁殖がありません。地上の夫婦は、天国の民を生産する生産工場です。

 すべてを満たそうとすれば、一度にはできません。ですから、数多くの世代を継いで生まなければならないのです。そのようにして天国の民が増えていくのを御覧になるとき、神様は喜ばれるのです。その国では、食べることも、着ることも、寝ることも、何も問題になりません。自動車も必要なく、工場も必要ありません。すべてのものが準備されている所です。

 自分が願えば、ひゅーっと飛んでいくのです。信じることができないほどに早い所です。一歩動けば、数千マイルを移動するのです。

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 先生は見え、神様は見えないだけです。結婚初夜に夫婦同士で盛んに愛し合う時、既に神様が入ってきてアダムとエバと一つになるのです。人間を創造した目的は何ですか。霊界では繁殖することができません。

 霊界の民を創造する所が地上の家庭です。天の民をたくさん生んで育てたのちに逝く人が栄光の位置に立つのです。栄光の位置に立ちたいと思えば、今から息子、娘をたくさん生まなければなりません。

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 地上は、天国の民を生産する生産基地です。霊界では繁殖がありません。堕落することによって、悪魔の息子、娘になってしまったのです。

 それゆえに、これを接ぎ木する役事をして、天国の民に戻してしまわなければなりません。それゆえに、皆さんがあの世に行く時は、嫁に行く娘が婚礼家具をもっていくのと同じように、天国の民をどれだけ復帰して連れて帰っていくかが問題です。

 神様は、孫を御覧になることができませんでした。アダムとエバを通して孫を御覧になろうとしたのですが、御覧になれなかったことが恨です。それゆえに、この地で息子、娘を生んで育て、その人々をすべて抱いてくることを願っていらっしゃるのです。

 その広大無辺な天国には、数千億の民が必要だというのです。先生は、それを知っているので、監獄に行きながらも、一つの生命を救うために、御飯も食べずに、夜も寝ないで生涯活動してきたのです。夜を朝だと思い、朝を夜だと思ったことが何度もあるのです。そのようにしながら、一つでも多くの生命を救おうとしているのです。そこにおいては、あらゆる国境を超越しているのです。

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 人間は、誰もが愛を中心として結婚生活をする中で連結するようになっています。完全な愛を成したその基準の上で完全な息子、娘が生まれるのと同じように、神様の子女圏と神様の兄弟圏と神様の家庭の理想的夫婦圏を生んで育てなければならないのが、地上で生きる私たち人間の責任です。

 霊界では繁殖が不可能です。霊界は中心です。中心は、面積がないので、息子、娘を生むことのできる空間がありません。ですから神様は、膨大な天国に行って暮らすようにするために、平面的、立体的空間をつくられ、神様の国の国民を生産するようになさったのです。

 それゆえに、夫婦というものは、天国の国民をつくる分工場です。そうだとすれば、この地上で息子、娘をたくさん生んで連れていくことが、その世界を相続し、所有権を受けることのできる相対圏となるのです。息子、娘がいない人は、そのような相対圏がありません。一つになった素晴らしい相対圏をたくさん、十二カ月の十二数以上もたなければなりません。

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 神様を誇り、男性となり女性となったことを誇らなければなりません。そのような男性、女性となって、天国の民を繁殖しなければなりません。これは鉄則です。アダムとエバは、繁殖をしなければなりません。心と体が一つとなり、神様の愛によって霊的五官と肉的五官が一体となり、真の愛で永遠に一つにならなければなりません。そのようになることができる男性、女性として永遠に会うことのできる男性は、永遠の人類を代表した王権をもった王であり、女性は、王権に対する王妃です。父と母は、心の中において万世の父であり、万世の母です。真の愛には、そのような背後が連結されていることを知らなければなりません。

 そのような姿勢を備えた愛を中心として一つになり、結婚を通してその愛を訪ねていくのです。愛ゆえに行くのです。結婚は、二人だけではなく、縦的な神様を占領するためのものです。東西に分かれ、どこに来て爆発するのか分かりますか。垂直線です。垂直線で爆発してぶつかるので、戻ってこなければなりません。戻って、上がっていかなければ下りていくのです。ここで神様は下りてきて、私は上がっていくことにより、神様が中心に入っていくのです。

 このようにして下りてきてみると、神様が愛の中心核になっているのです。ここにおいて、このように垂直になっているのを水平にしようとするので、息子、娘が必要なのです。それゆえに、このような垂直をつくっても息子、娘を生むことができなかった男性と女性は、天上の位置に行って神様に侍ることができません。息子、娘を生んで愛してみた人であってこそ、神様の二性性相、理想的主体である神様に侍ることができるのです。皆さんも、真の父母に侍るためには息子、娘を生まなければなりません。息子、娘を生むことができなかった人が養子をとったならば、自分の息子、娘を生んだ以上にその息子、娘を愛する訓練をしなければなりません。ですから大変です。それゆえに、統一教会では、「愛する息子、娘をたくさん生みなさい」と言うのです。

 統一教会の子供たちは、天運に乗ってきます。食べることは心配いりません。その中からは、判事も出てくるはずであり、検事も出てくるはずであり、大統領も出てくるはずであり、あらゆる人が出てくることでしょう。五色燦然と輝く光が出てくることでしょう。

 それゆえに、真の愛を中心として、母として恥ずかしくなく、父として恥ずかしくなく、天国の民をたくさん連れていかなければなりません。

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 今日、夫婦というものは、天国の民を生産する工場です。ですから、息子、娘をたくさん生んで入っていけば不幸ではありません。あの世に行けば、高い位置に行くのです。東西南北を中心として見れば、四季が三カ月ずつで十二カ月です。ですから、イエス様も十二弟子を選んだのです。イエス様を中心として、三弟子は、東西南北の代表型と同じです。神様を中心として、これが中央を中心として四方を備えたのです。

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 地上の家庭は、天国をつくるための横的な世界です。縦的な世界は繁殖することができません。横的な世界で息子、娘が増えれば、彼らが神様の民となるのです。

 皇族が繁殖すれば、長孫だけを残し、すべてが民となります。親戚になるというのです。親戚にも長孫がいるでしょう? 氏族たちも、氏族たちを合わせた長孫がいなければならないのではありませんか。それがアダムとエバです。アダムとエバは、伝統的な永遠の王と王妃です。しかし、民主世界では、これがすべてなくなるのです。

 天国の民を生産するための生成基盤は、天の家庭基盤ではなく、地上の家庭基盤です。息子、娘を生むということは、天国の民を生産するということです。


三 天国の民の教育は真の家庭で

 地上にある家庭は、天国に連れていく民を再創造する工場です。私たちは、その工場の主人の役割をなしたのちに霊界に行くのです。ですから、正しい道さえしっかりとつかんでおけば、息子、娘を教育する必要はありません。自然になされるのです。自分の神様をすべてもっているのです。教育は必要ありません。堕落したので、このようになったのです。堕落することによって、根本が分からなくなったのです。

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 神様が願われるものは、失ってしまったエデンの真の家庭です。その真の家庭に立てられる真の父母、真の父母の前に立てられる真の夫婦、真の夫婦が愛することのできる真の子女のいる家庭が、神様が一緒にいたいと思われる天の家庭だということを、皆さんは知らなければなりません。このような家庭が現れれば、その時には、イエス様も兄弟と共に喜ぶことができるのです。そのような家庭が現れなければなりません。

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 真の家庭は、真の男性と真の女性が一つになって夫婦として出発するのです。息子、娘を生んだのちに真の家庭が出てくるのです。心と体が完全に一つになった男性と女性が永遠の愛を中心として一つになったところから、分かれることのない子供が出てくるようになるのです。父と母が分かれたところから、感情的に分かれた子供が出てくるのです。

 心と体が一つになり、真の愛を中心として一つになった夫婦から、心と体が一つになった子供が出発するというのは自動的な結論です。そうでなければ、家庭に真の愛がとどまることができません。神様は、真の愛がない所に臨在なさることはできないのです。これは論理的な結論です。

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 天国の倉庫に入っていこうとすれば、神様の愛と神様の生命と神様の血統的因縁を中心として、きれいにならなければなりません。そのようになろうとすれば、生まれた時から神様の息子、娘であり、育っていく時も神様の息子、娘であり、暮らすのも神様の家庭でなければなりません。そのように暮らしてから行く所が地上天国であり、天上天国です。それゆえに、天上世界にも、そのような家庭、そのような一族が入っていくのです。個人救援ではありません。

 神様の愛を受けることができる息子、娘として、神様の愛を受けることができる兄弟として、神様の愛を行使することができる夫婦として、また神様がアダムとエバを愛したのと同じように、第二創造主の立場から、神様の代わりに自らの息子、娘を愛していくのが人生行路です。始まりも愛であり、過程も愛であり、終わりも愛です。愛の教科書に一致することのできる完成品として入っていく所が天国です。そこに入っていく時には、個人で入っていくのではありません。家庭全体が入っていかなければなりません。

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 妻が夫に対する時は、どのようにしなければならないのでしょうか。「私とあなたは、共に生まれ育った双子の兄妹なので、私たちは、別れようとしても永遠に別れることができないことを、今やっと分かりました」と言いながら、手をしっかりと握り締めなければなりません。アダムとエバがエデンの園から追い出される時、分かれていくことによって悲しみの涙を流しましたが、今、復帰時代においては反対の涙を流さなければなりません。天国の息子、娘になることができなかったことを、私の一生を通して復帰しなければならないのです。

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 国を建てようとすれば、王がいなければならず、女王がいなければなりません。息子、娘がいなければなりません。また、王国を守ることができる中心家庭がなければなりません。ですから、今、イエス様は、楽園に行って待っているのです。天国は、一人で入っていくようにはなっていないのです。

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 愛の所有を中心とすれば、相対の故郷が私の故郷になり、相対の家庭が私の家庭になることができるのです。そこにおいて、子女の完成、兄弟の完成、夫婦の完成、父母の完成が成されるのです。

 神様の教本に提示されたすべての内容を成すことができなかったことを、今日、真の父母を通して再現し、知るようになり、それを再度実行することにより、堕落していない本然的立場において、神様が完全に恨の峠を越えて教育に対する定義を下すことができるのです。そのようになることにより、天国の民として、合格者、合格家庭になるのです。

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 キリスト教における聖霊は、女性神ですが、霊的に、また実体的に二つの世界を生んで育てなければならない責任があったように、統一教会で祝福を受けた女性は、二つの世界に対する責任を負わなければなりません。天国の民もつくらなければならず、サタン世界の民をすべて拒否することができるようにならなければならず、その人々を統治できるようにならなければなりません。

 皆さんの息子、娘は、神様の国の民です。ある一国家の市民ではありません。天国の民だというのです。皆さんは、このような目的をもって育てなければならないのであり、そうでなければ、今後、皆さんの家庭には希望がありません。地獄に行くようになるのです。

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 真の御父母様は、いつも私のために生きた父母様だということを知って、今からでもその父母様のみ旨を私がすべて相続し、今後誕生する子孫を大切に育て、私のような人にはしないと決心して立ち上がらなければなりません。それだけが先生の望む、たった一つの願いです。

 その貴い息子、娘を再び皆さんのような息子、娘にしてしまえば、どうするのかというのです。「私はこうだったが、将来の私の子孫はそのような息子、娘にしない」と決意して精誠を尽くし、神様がエデンの園でアダムとエバを造って喜ばれたように、息子、娘を真の息子、娘にするために保護しながら抱いて育て、堕落した子孫の前轍を踏ませないようにしなければなりません。

 再びそのような道を行かないように最善を尽くして育て、神様の前で祝福を受けるように、私が準備し、すべての内容を備えさせてあげなければならないという責任感をもって将来の家庭を築いていけば、天国の息子、娘になるのです。

              *

 皆さんは、自分の息子、娘を教育する時に、父母だけを愛する息子、娘になりなさいと教えてはいけません。「私は、この国を愛する忠臣だ、愛国者だ。母としての愛国者ではなく、愛国者としての母、忠臣としての父だ」と教育しなければなりません。

              *

 父母が素晴らしければ、その家の息子、娘も素晴らしく、息子、娘が素晴らしければ、その家で育つ犬や鶏も素晴らしいのです。犬がほえることができず、鶏が鳴くことができなければ、それが素晴らしいことですか。「父母は和やかだが、その家の犬はよくほえるし、鶏もよく鳴く!」。そのようになってこそ素晴らしいのです。「あの家の人はそうではないのだが、鶏はあまりにもよく鳴くし、犬はよくかんだりもする」、そのような家庭は、滅びるのではありません。栄えるのです。

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 息子、娘は、その父母を、神様の代わりとして、真のお父様と真のお母様よりも素晴らしい父母として侍らなければなりません。そのようにして、真の父母に敬拝する前に、先に自分の父と母に敬拝できる家庭にならなければなりません。家庭生活の中で神様に代わるのが自らの父母です。ですから、四大心情圏と三大王権は一つの家庭で成さなければなりません。

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 神様の愛の主権は、絶対、唯一、永遠、不変です。その国の主権もそうであり、その国の民もそうであり、その国の万物もそうであるがゆえに、今、再整備して、絶対、唯一、不変、永遠の国民性で再登録しなければなりません。万物もそのように再整備する時なので、全体を反対に回さなければなりません。このように回っていたものが反対に回らなければならないという事実を知らなければなりません。

 神様の国では、絶対主権が必要であり、民が必要であり、万物が必要です。私たちの家庭を見れば、主権の代わりに父母がいて、民の代わりに息子、娘がいて、万物の代わりに物があります。それが小さな天国の基盤です。それを神様のために、すべて捧げてしまわなければなりません。そのようにしてこそ、大きな国、大きな世界が成し遂げられるのです。


四 天国の基盤は真の家庭から

 神様は、絶対者であられ、唯一、不変、永遠であられるお方です。そのお方のみ旨も同じです。絶対者であり、不変なお方なので、そのお方のみ旨もそうだというのです。

 創造主と人間の真の愛を中心として完成する真の家庭を願っていらっしゃった神様は、人間と一体となる条件が必要でした。ですから神様は、人間始祖に与える戒めが必要だったのです。その戒めとは何でしょうか。愛の家庭、愛の全体、最も貴いものを相続してあげようという約束の条件が戒めだというのです。人間には成長過程を経て成長して上がっていく未完成段階があるということを御存じである神様が、最も貴い真の愛と家庭を人間に相続してくださろうとした条件が戒めでした。

 真の愛と真の家庭を相続してあげようというのが、神様の約束された戒めです。

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 神様のみ旨は、一つにすることです。堕落していなければ、私たちの心と体は一つになっているのです。男性の心と体が一つになり、女性の心と体が一つになっていたのです。そのようにして、二人が心と体の一つになった家庭を成していれば、そこからは統一の世界が展開していたのです。

 今日、この世界は一つになっていません。この世界というものは、男性と女性を拡大したものです。

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 神様は、最も深い所に隠密にいらっしゃいます。より深い所に下りていけばいくほど愛は大きくなっていき、最後には神様の真の愛を探し出すようになるのです。

 皆さんが子女をより一層深く愛すれば、神様の愛と出会うようになるのです。このような真の愛の家庭は、地上天国の基盤となります。それゆえに、天国が別の所にあるのではありません。

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 天国は、真の家庭によって構成されます。神様のように暮らすのです。内的な父母である神様と永遠に共に暮らせる夫婦の生活環境だというのです。天国とは、そのような人々が入っていける所です。神様の体、神様の家庭に属する家庭が入っていく所です。完成したアダム家庭が、そこに入っていくのです。

 ですから、天国は、家庭的に入っていくようになっているのであって、一人で入っていくようにはなっていません。今まで「個人救援を受けよう」と言っていたのは、天使長世界です。ですから、真の家庭の所有は、天国です。真の家庭が所有物であり、主人となるのが天国だというのです。真の家庭と真の主人が真の所有権をもつのが天国だというのです。家庭的主人が所有するのが天国だというのです。

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 皆さんが、神様の息子、娘となり、神様の家庭を築いてこそ、天国が成されます。一つの家庭においても、すべて同じです。サタンがわなを仕掛けて引っ張り、神様も引っ張っているのですが、その食口が神様の前に完全に帰ろうとすれば、限りない精誠を尽くさなければなりません。そのようにしてこそ、個人個人に対して、五人家族ならば五人家族に対してサタンが引っ張り、神様が引っ張っていても、サタンの綱を切ってしまい、天の側に帰っていくのです。

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 夫婦は、神様をお迎えして愛の部屋に入っていくことを、お互いが考えなければなりません。そのようにして、心と体が完全に一つになれば、その夫人は、天下の女性の中で王の中の王であり、美人の中の美人であり、一つしかない絶対、唯一、不変の永遠の私の体だと思わなければなりません。愛する私の体だと思いなさいというのです。愛の体だというのです。

 主体と対象が愛で一つになることにより、夫人は私の愛の所有になります。愛で一つになる時は、相対を中心として、その愛も私のものなので、主人も私のものになり、その主人の所有も私のものになるのです。同じ価値をもったので、宇宙がすべて私のものになるというのです。

 このことは、神様を感じなければならないという話です。ですから、誰もが、神様に侍って生き、愛したという体験をしなければなりません。そのようにしてこそ、天国家庭として神様の貴族となり、血族となることができるということを知らなければなりません。神様が天国においてこのような祝福家庭を御覧になれば、星のように輝いているというのです。ですから、神様が常に喜ばれるというのです。

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 栄光の真の家庭とは、地上でも幸福であり、霊界でも幸福になれる、真なる家庭のことをいうのです。あの世の中心存在であられる神様と直接共に暮らすことができる家庭が、栄光の真の家庭になるのです。うれしくて、またうれしくて、永遠に喜べる真の家庭にならなければなりません。お互いにうれしくなければ、協助して愛の理想的世界を築かなければなりません。愛の理想的な主体と対象として、自らを愛の対象として迎えてくれたので、お互いに感謝し、「ため」に生き、尊敬することができる世界を築かなければならないというのです。

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 真の家庭の核心は、夫婦です。それでは、夫婦とは何でしょうか。神様の実体対象である神様の体です。真の愛をもった神様のことを、皆さんは父と呼びます。神様が父ならば、私とは父子の関係だというのです。父と息子であり、母と娘ですが、一つの体です。縦横を一つにしたものなので、そうだというのです。

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 若い青年男女の願いは、理想家庭の完成、すなわち真の家庭を築くことです。ここで真の家庭とは、神様が喜ばれる家庭のことをいいます。それゆえに、最も重要なことは、神様をいかに知るかということです。

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 真の家庭は、神様の目に入れても痛くないというのです。胸に抱いて踊られるのです。どれほど踊り騒いでも、神様は全能でいらっしゃるので、抱いて空中を舞いながら踊りたいと思われるのです。真の家庭は、神様を解放して慰労することができる対象です。

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 真の家庭とは、神様がつくられ、神様のみ旨どおりに理想が成し遂げられた家庭です。

 完成したアダム家庭が真の家庭だというのです。しかし、アダム家庭がそのようになることができなかったので、そのようになるためには復活が必要です。復活した家庭によって、復活した氏族、民族、国家、世界を立てようというのです。そのようになれば、この地上において、サタンや、罪悪や、神様とサタンが闘う人類歴史の戦争などというものはなかっただろうというのです。そのようになれば、サタンもいなくて、この世界は、今日のように様々な国に分かれ、民族が異なり、文化が異なり、言葉が異なり、すべてが異なる、このような世界にはならないというのです。

 それでは、真の父母とは、どこから来られたお方でしょうか。神様からです。神様から連結されているのです。ここで、第一に神様の愛、第二に神様の生命、第三に神様の血統にならなければなりません。これは何かというと、ここにあるすべての世界も、神様の愛、神様の生命、神様の血統のために生じたということです。

 そのようになれば、ここには、サタンを中心とした愛や、生命や、血統などというものはあり得ないのです。そのようにしようとするので、今までの愛と生命と血統、このすべてのものは、神様に帰らなければならないというのです。

 しかし、直接帰っていくことができないので、ここで息子、娘を通じて帰っていくのです。この時、カインとアベルが問題になります。ですから、アダムとエバを中心として神様に帰っていくのだというのです。

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 男性も、真の愛でなければ心と体が一つにならず、女性も、真の愛でなければ心と体が一つになりません。心と体が一つになってこそ、真の愛のカップルになることができます。真の愛のカップルになってこそ、真の愛をもった神様の子女となります。そのようにして神様の家庭になるのです。

 神様が最も好まれるものとは何でしょうか。ただ真の愛だけです。愛は、一人でなすものではありません。神様が人間を造られたのは、御自身のパートナーを造られたということです。真の愛のパートナーとして人間を造られたのです。それを手本として、全宇宙がペア・システムをもって造られたのです。

 ですから、神様の愛も永遠であり、男性の愛も永遠であり、女性の愛も永遠であり、子女の愛も永遠なのです。これが神様の家庭です。

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 神様を中心として家庭生活を始めるということは、神様の家庭が出発するということです。そのようにして、神様と人間が愛を中心として一つになって家庭が出発するのですが、私たちの家庭だけが出発するのではありません。天国の家庭の出発とともに、これが並行していかなければなりません。

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 神様の解怨を成就した家庭が、神様の家庭です。兄弟以上に愛することができる長男の資格、夫の資格をもった人々によって構成された家庭が、安息の場所なのです。父母として、こじきまでも自らの子女として迎えて暮らしたいと思う安息圏をつくらなければなりません。それが統一教会の祝福家庭の使命です。それが祝福家庭の宿命的使命だということを忘れてはなりません。

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 真の父母の真の愛を通じて神様の真の愛を学びながら、真の兄弟の真の愛を通じて真の国と真の世界人類に対する普遍的真の愛を訓練させる、平和世界の基本、その核の立場が真の家庭です。

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 霊界に行けば、理想的夫婦、理想的な真の家庭は、神様といつでも共に暮らすことができます。ですから男性は、神様の性相、心の立場にならなければならず、女性は、形状となって一つにならなければなりません。これが一段階もっと大きくなって一つになるのです。この二人の心的な面が性相になり、体的な面が形状となって、ここで初めて実を結ぶようになります。それで、神様を中心として、心と体の一体圏が成されるのです。

 そのようになれば、アダムの息子、娘には、神様の心、神様の愛を中心とした骨が生まれ、アダムとエバのような体が生まれるようになるのです。それゆえに、神様御自身は、アダムとエバのような形状をもって、見える人類を支配することができるのです。そのようになれば、完全に地上天国となり、神様を見ることができるのです。

 今は、天国に行っても神様が見えません。真の父母がそのようなすべてのことを成し遂げてあの世に行った時、神様は真の父母の心の中に入っていかなければなりません。そのようになれば、神様が体をもたれ、すべての宇宙を動かし、支配することができる時代に入っていきます。神様が神聖な形状をもたれるというのです。

 それらをすべて完成すれば、すなわち天上世界が完成し、地上天国が完成すれば、神様が形状をもたれるのです。それは、愛を中心として可能なのです。アダム家庭において肉体的に愛が一つになっていれば、神様も、性相と形状を兼ね備えることができるので、体をもつことができるというのです。それは、愛でなければできません。「一体」という言葉は、そこから出てくるのです。

 霊界は、真の愛、絶対的な愛によって統治する世界です。すべてのものが真の愛と連結しているのです。真の愛は、種です。堕落していない種が連結して、地上と天上に満ちるのです。

 ですから、今の世の中は、堕落した結果の世界なので、なくならなければなりません。堕落した世界の血統はなくしてしまい、本然の神様の血統を連結しなければなりません。どのようにしてそのような世界をつくるのでしょうか。その方法が結婚です。結婚とは何かというと、家庭を接ぎ木することです。

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 霊界にいる人々も、真の家庭が必要です。その真の家庭がなければ、神様の位置に連結されず、天国に入っていくことができません。地上天国で暮らした夫婦も、あとから天国に入っていくようになります。それが神様の創造理想です。そこには宗教もなく、文化も一つしかなく、家庭がすべてのものを完成するのです。家庭があらゆるもののセンターです。ですから、私たちの家庭は、センターに立ちたいと思うのです。

 そこには、宗教が必要ありません。キリスト教も解放であり、仏教も解放であり、すべて解放です。イエス様も家庭が必要であり、釈迦牟尼も家庭が必要であり、マホメットも必要であり、すべての聖人も家庭が必要なのですが、その家庭は、誰によるものでしょうか。真の父母の家庭です。

 今までは、すべての家庭は、偽りの血統で連結されていました。本然の家庭ではなかったのです。祝福家庭が現れることによって、神様の血統が連結された真の家庭が生まれるようになったのです。

 レバレンド・ムーンは、四方八方のあらゆる場所に勝利的な基盤を築きました。霊界と肉界も同じです。そのようにして、真の家庭から真の世界に発展していくのです。真の家庭から、真の氏族、真の民族、真の国家、真の世界、真の宇宙、真の天国が築かれるのです。

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 今は、私というものをはっきりと知りました。私は、どこから因縁を結び、どのような生活過程を経て、どこに向かって行くのかということを知りました。このように行く私は、何をもって行くのでしょうか。神様の憂いを抱いて行くのです。私の個性が復帰されていれば、私がこの家庭だけに安息するのではなく、私には、家庭を中心とした氏族があり、氏族を中心とした民族があり、民族を中心とした国家と世界人類が残っているという事実を知って、死んで土に埋められる前に、この世界の果てまで行って数多くの民族を父の前に導き、その後ろから万民を祝福していくことができる一日が私に来ることを侍ち望みながら、毎日のように闘っていくことができなければなりません。そのような人が、神様に代わることのできる人です。

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 今まで、私たちが信仰してきた観念というものは、「私は、神様を信じて天国に行こう」というものでしたが、天国に行く前に何をしなければならないのか分かりますか。私自身が、心と体を中心として一つに統一されなければなりません。そのような闘いをしなければなりません。自分を統一できない人が天国に行くことはできません。私の家庭を中心として一つになることができなければ、天国に行くことができないというのです。私が、親族を中心として善の場所に導いていくためには、精誠を尽くさなければなりません。そのようにしなくてはならないのです。

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 アダムとエバは、堕落することによって死亡世界に占領され、死亡世界を主管するサタンは、神様の創造理想時代において、反対に神様に背く家庭をつくり、現在まで神様と対峙する世の中をつくりあげてきたことを考えるとき、神様が心で思い描かれるのは、もちろん理想的な家庭ですが、その内心は、怨讐が願う基準よりも、怨讐が知っているその基準よりも、堕落前の理想時代の家庭基準よりも、もっと素晴らしく、愛情の深い家庭を成したいと思われたのではないのでしょうか。そのようなことを私たちは考えなければなりません。

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 イエス様がこの地上に来て教えられた真理は、簡単です。「天地を創造した神様は、私の父だ。私は、その息子だ。あなた方は、私を信じればその息子になることができる。私の父であると同時に、あなた方の父だ」と言いました。その次には、私たちに子女の道理を教えてくれると同時に、自分の父を教えてくれました。それから、「私は新郎であり、あなた方は新婦だ」と言いました。これは何でしょうか。神様を中心として家庭を築くのに必要な要件を、イエス様が来られて初めて叫ばれたのです。聖書がそうです。ほかのものは必要ありません。

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 聖書を見れば、神様を父だと教えてくれています。イエス様は、「自分はひとり子だ」とおっしゃいました。またイエス様は、信者を見て「新婦」と言い、それから「兄弟だ」とおっしゃいました。これが、神様の家庭を中心としたその愛の型において、すべてのものを備えた内容を明らかにする教理となっているので、神様の家庭をつくっていく教理であり、その息子が神様の家庭に安息することができる家庭の道理を教えてあげたものです。

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 聖書が教えてくれたものは、家庭です。イエス様は新郎であり、私たちは新婦だというのです。新郎新婦が出会って神様を中心とした「小羊の婚宴」をなし、家庭に帰っていくのです。これが新約・旧約六十六巻を総合した結論です。それゆえに、聖書は偉大だというのです。

 聖書が指向する最高の目的は何であり、聖書が要求する希望とは何でしょうか。イエス様個人ではありません。イエス様が新婦と一つになった神様の家庭を、侍ち焦がれていらっしゃったというのです。神様の家庭をつくれば、何をするのでしょうか。

 家庭、すなわち新郎新婦が出てくれば息子、娘が出てくるのであり、息子、娘が出てきて繁殖すれば、氏族になり、民族になり、国家になり、世界になるのです。その世界とは、どのような世界でしょうか。神様の愛と連結した「神主義」の世界です。「神主義」の世界であると同時に、アダムとエバ主義の世界です。アダムとエバ主義の世界とは何でしょうか。父母主義の世界です。

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 天国の終着点は、真の家庭の完成です。真の家庭の中には、真の国があり、真の世界がなければなりません。真の世界と真の国に影響を及ぼすことができる真の愛の伝統として、「絶対セックス」という言葉が出てきます。絶対セックスとは、絶対、唯一、不変、永遠のセックスをいいます。神様の属性である愛を中心として連結された対象的なパートナーと、そのような観点において愛で一体化するのは、すべて性関係によって結ばれるのです。

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 互いに異なる人種と文化背景をもった夫婦であっても、神様の真の愛で一つになった家庭を築いたならば、そこから生まれる子女の間には、人種や文化的な葛藤が存在できません。

 その子女たちは、父母を愛するそれ以上の心をもって、両方の文化と伝統を愛し、大切にするはずです。世界の至る所で深刻な社会問題となっている人種間の葛藤を、政治や経済によってのみ解決しようとすれば、その結果は失敗しかありません。人種差別は赤ん坊の揺りかごから始まるものなので、真の愛を中心とした真の家庭の理想をもたなくては、この問題の根本的な解決は不可能です。

 したがって、その中心理想は、やはり一人のお方、すなわち神様の真の愛を中心とした真の家庭を築くことです。

 人類が歴史の最初から神様と一つになっていたならば、既に人類は、真の愛を中心とした真の家庭を築き、「ため」に生き、より「ため」に生きる真の愛を実践することによって、真の国家、真の平和の世界を成し遂げていたでしょう。

 この歴史的な闘いを終息させるためには、神様に帰らなければなりません。まず、神様を中心として個人の心と体が一つにならなければなりません。そのような真の男性と真の女性が、神様を中心として真の家庭を築くことにより、その中に再び神様を迎えるようになるのです。真の愛を中心とした真の家庭こそ、神様がお住みになる地上基地になるのであり、さらに真の国家、真の平和世界の出発地になるのです。これによって、真の自由と幸福の世界が開かれるのです。

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 今からは、デモをしなければなりません。デモをして、真の父母を誇り、真の家庭を誇り、真の血族を誇り、真の純潔を誇らなければなりません。それは、真の御父母様がこの地上に来られた目的を世界化させるのと同じように、皆さん個人や、家庭、氏族、民族、国家も、すべて真の父母になるためです。個人において家庭的な真の父母、家庭的な基準において真の父母、真の家庭、真の純潔、民族基準において真の父母、真の家庭、真の純潔、国家基準において真の父母、真の家庭、真の純潔、これが世界化されるのです。

 国家基準において世界化し得る立場になるので、真の父母の基準が私たち個人から世界と天宙まで連結し、真の家庭基準が連結し、真の純潔の血筋が連結することによって、堕落がなかった解放の時代に越えていくのです。ですから、この全体を清算するためのデモをしなければなりません。伝道よりも、このことをしなければなりません。
















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