天一国主人の生活
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第四章 天一国の民になる道

一 人類に対する神様の希望

 神様と人間が一つのみ旨を中心として一つの愛に和合して生き、全天地が神様の愛を喜びながら、その愛を実際の生命の中心として立てた中で、すべてが一つになって生きることが神様の創造本然のみ旨でした。しかし、アダムとエバが堕落することにより、神様の愛は、神様の愛としてのみ残るようになりました。すなわち、人間と関係を結ばなければならない神様の愛は、人間と関係を結ぶことができずに人間から離れるようになり、すべての被造世界から離れるようになったのです。

 それゆえに、今まで神様は、御自身が立てようとされたその愛を中心として、すべての万物を糾合し、神様と万物が共に喜ぶことのできる一日を願われながら、六千年の歴史を経過してこられたのです。しかし、いまだ全被造万物が神様の愛を中心として一つに統一されないまま、その神様の理念は、理念のまま残っていて、取り戻さなければならない希望の愛もそのまま残っているのです。ですから、今まで神様は、そのみ旨を必ず成し遂げるために摂理してこられたのです。

 このように、人間の堕落以後今日まで、時代を問わず、神様は、神様の希望を成し、人間に対して信じ得る心と、愛することができる一つの心を取り戻すために、長い間摂理してこられたのですが、いまだにそれらを成し遂げることができず、取り戻すことができずにいらっしゃるのです。

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 創世以後今日まで、宇宙的な勝利の一日を迎えることができなかった神様は、地上の人間を通して、願われた勝利の日を迎えようとしていらっしゃるのです。それゆえに、地上の人間たちがその日を探し立ててさしあげることができなければ、この地で人間を蹂躙しているサタンを処分することができないばかりでなく、天上で神様に人間を讒訴しているサタンの勢力も退けることができないのです。それゆえに、神様は、いかなる苦労も意に介されることなく、いかなる犠牲も意に介されることなく、いかなる闘いも意に介されることなく、きょうこの時間まで、皆さん個人個人を立てるために盾となっていらっしゃるのです。

 これを見れば、私たちは、神様の希望とは何かということを知ることができます。神様は、皆さん個人個人を立てられ、人間を堕落させた怨讐サタンを分別して、サタンが主管する悪の歴史を終結させようとしていらっしゃるのです。

 私たちは、そのような神様の希望を成してさしあげ、天の前や万物の前に堂々と立つことができ、神様に勝利の栄光をお返しできる人間にならなければなりません。そのようになってこそ、苦労してこられた神様の摂理の目的が成し遂げられるようになるのです。

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 神様は、アダムとエバを造られ、彼らが希望の人格者になることを懇切に願われたのですが、そのアダムとエバが堕落してしまいました。堕落前から抱いてこられた慕わしい心情、堕落前から抱いてこられた希望の心情に対して、人類の先祖アダムとエバが裏切ることによって、神様の心には悲しみがしみわたるようになったのです。神様は、アダム家庭に対する悲しみの心情、憤りの心情を抑え、慕わしい心を再び取り戻すためにカインとアベルを立てられたのですが、彼らは、その希望を成してさしあげることができず、逆に悲しみだけを神様に与えたという事実を、皆さんは考えなければなりません。その後、千六百年という歳月を経て、再びノアを立てられました。しかし、結果は同じことになりました。そこからまた四百年を経て、アブラハムを立てられたのですが、やはり同様でした。慕わしく思った一人に出会って心情を分かち合おうとされたのですが、アブラハムも、やはり神様が抱かれた慕わしい心情を完全に解いてさしあげることができなかったのです。そのようにして、数千年間抱いてこられた慕わしい心情を悟らせるために、三代を経ながらヤコブ家庭を立てられたのです。しかし、その家庭においても、完全にみ旨を成し遂げることはできませんでした。

 イスラエル民族を立てられても、このような慕わしい心情を躊躇なく話すことができず、教えることもできず、支配することもできない立場で、彼らのあとから従っていかざるを得なかった神様の事情を、私たちは知らなければなりません。

 慕わしく思ってこられた一つの民族形態を地上に立てられ、その民族が塗炭の苦しみに陥るたびに、神様は、その慕わしく思われる心に比例して苦衷を感じられ、悲しまれ、困難に遭われたという事実を、私たちは知らなければなりません。

 長い歴史路程を経てこられる間、神様は、慕わしい心情を私たちの心に植えつけ、歴史に植えつけ、世界に植えつけるために闘ってこられました。それゆえに、私たちが接する物一つにも神様の慕わしさがしみ込んでいるという事実を知らなければなりません。私たちが対する食口にも、歴史的な神様の慕わしさがしみ込んでいるということを知らなければなりません。私たちが生きているこの国、この世界にも、神様の慕わしさがしみ込んでいるというのです。

 したがって、私たちが目を上げて、神様がつくってくださった万象を見つめる時、その万象が神様の切実な慕わしさの対象だということを感じなければなりません。万物でもそうであるならば、万物の霊長である人間はどうでしょうか。

 たとえ悪の姿をしていても、神様は間違いなく一つの基準をもって慕ってこられたという事実を皆さんが感じるようになる時、天の前に本当に感謝しなければなりません。

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 神様が、今まで数多くの悲しみの歴史過程を経てこられながらも、人類を捨てることができずに胸に抱いてこられた内容とは何でしょうか。それは、神様が人間に対して「お前は、私の実の息子、娘だ」と言い得るようになることを願われたのです。このような理想を成し遂げるために、今まで神様は闘ってこられたのです。

 神様の善の園において、神様の栄光の中で、神様の愛を中心として万物が和動する中で、万物の主人の資格を備え、神様に「私の父よ! 栄光をお受けください」と言えたはずのアダムは、堕落により、そのような価値を喪失してしまいました。ですから神様は、創世以後本然の息子、娘が現れて、「お父様」と叫ぶその一言をお聞きになりたかったのだということを、皆さんは知らなければなりません。

 今日私たちが叫んでいるそのお父様は、罪悪の立場から叫ばれる、そのようなお父様ではありません。したがって、私たちは、罪悪の世の中から抜け出して、善の理想の園に入っていかなければなりません。その理想の園とは、人間が神様の栄光を現し得る世界であると同時に、喜びに陶酔して生き得る世界です。別の言い方をすれば、人間が動ずれば万物が動じ、人間が静ずれば万物が静ずるようになり、人間と万物が動じ静ずると同時に、創造主である神様も動じ静じ得る世界です。そればかりでなく、神様と人間の相対的な関係を超越して一体となり得る理想の園なのです。

 神様はこのように、人間が神様御自身と一つになることを願われたのであり、一つになった中で驚くべき愛を中心として喜びに酔う、その一場面を思い描きながら、そのような世界を創造してこられたのです。ところが、人間が堕落することにより、これが自分たちの恨みとなると同時に天倫の恨みとなり、堕落以後今日まで、その恨みに恨みを加重させる悲しい歴史を引き起こしてきたのです。

 それでは今日、神様がこの地に対して摂理なさる最大の希望とは何でしょうか。それは、堕落の父母をもっている人類を再び神側に立て、「私は、あなた方の永遠の父であり、あなた方は、私の永遠の息子、娘だ」と叫ぶことです。そのようにすることができる日を迎えることが、堕落した人間たちの歴史的な希望であり、天倫に対する天的な希望だということを、皆さんは悟らなければなりません。

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 今日、この地上には、数多くの人々が生きています。彼らは、各自のビジョンと意見をもって生きており、また何かの主義主張をもって生きています。しかし、心から神様に敬拝し、神様を主張しながら、神様から召命を受けたと、天と地の前で自信をもって立ち上がる人はいません。

 今、私たち人間が最後に取り戻さなければならないこととは何でしょうか。自らの主義主張と、自らのあらゆる主観的な行動をすべて放棄し、自分の心と体は神様に代わり、自分は神様に代わって行動すると主張して立ち上がる人がこの地上に現れることを、今日まで歴史上に現れて死んでいった数多くの人々が望んでいたのです。また、神様は、このような代身者が現れることを願われ、無限な苦労と忍耐をされながら、長い間摂理していらっしゃるのです。

 したがって、地上の悲しみとは何かというと、何かの主義がなくて悲しいのではなく、また行動する人がいなくて悲しいのではなく、神様の心情に代わり、神様のみ旨に代わって主張することのできる主義がなく、また神様に代わって行動する人がいないということが悲しみであり、切なさだというのです。

 今日、この地と人間世界に散在している嘆息と苦痛と、しみわたっているあらゆる恨みを除去することに対しても、神様に代わることができる主義主張と、神様に代わる一人の人が現れなければなりません。したがって、摂理の目的もこの一人であり、歴史の目的もこの一人だということを知らなければならない時になったということを、皆さんは再び感じなければなりません。

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 皆さんは、神様に代わって心から本当に信じることができる一人の友人をもたなければなりません。さらには、神様に代わって信じることができる一つの兄弟、父母、夫婦をもたなければなりません。そのようにして、家庭を超えて、社会、国家、世界の舞台にまで伸びていかなければなりません。これが神様の願われた希望だったのです。

 しかし、神様は、人間を個人の立場で追い出され、信じることができない立場に立てられ、人間世界のいかなる希望もすべて絶たれた中で、人間をして神様を信じさせるようにされました。そのようにして、その信じる人が一つになって、すなわち兄弟同士、友人同士で、神様に代わってお互いに信じ得る関係を結ぶことを神様は願われたのです。これがまさしく神様の願われた最高の希望なのです。

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 レバレンド・ムーンがサタンに、「サタンよ、お前が要求するものはすべて満たしてあげたか、あげなかったか」と尋ねれば、「満たしてくれた」と答えるというのです。神様の本然の愛を中心としたすべてのものを中心として、堕落したサタンまでも愛して余りあるほどに、天国に入っていき得る堂々とした基盤を築いたので、サタンは、「あなたが行く世界は解放であり、あなたの願いで成し遂げられないものはない」と言って祝福しなければなりません。「どこに行こうと、あなたが願うもので、成し遂げられないものはなく、あなたが願うもので、あなたのものではないものはありません」と言うというのです。

 「神様のみ名によって、真の御父母様のみ名によって、真の家庭の名によって世界は解放されなければならない!」と言う時は、「アーメン」と答えるようになっているのです。春が来ました。雪がどれほど冷たく、氷がどれほど硬いとしても、溶けるようになっているのです。ですから、春の季節には種を蒔きなさいというのです。サタンが悪の種を蒔いた以上に世界の果てまで、アメリカの果てまで種を蒔くのです!

 良い種は、家庭です。サタンは一つ植えたのです。それが堕落したアダムとエバです。今、私たちは、新しい家庭をつくるために、どこにおいてもそれを築き上げなければなりません。そこにおいてすべてのものを栽培することができます。それをこのアメリカの地でしなければなりません。それが神様の願われた目的です。

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 神様が男性と女性を造られ、大きくなることを願われたのは何ゆえでしょうか。愛するためです。愛するためだとすれば、その愛は神様よりも高くなるほうが良いでしょうか、低くなるほうが良いでしょうか。神様が、「おい、お前たち! 私がお前たちを愛するよりも、お前たちが私を愛するほうが大きくなってはいけない」とおっしゃるでしょうか。そのようにはおっしゃらないというのです。

 それでは、今皆さんが永遠の神様とつかみ合って闘えば、神様のほうがより情熱的でしょうか、それとも弱いでしょうか。情熱的です。神様には、すべてあります。ないものがありません。神様がより情熱的な時は、どのような時でしょうか。新しい男性と女性が現れて、昔の私たちの先祖よりも情熱的に愛するようになれば、神様も息切れされるようになるのです。

 そのような情熱的な夫婦に出会ったならば、神様は、人間と離れて生きられるでしょうか、それともくっついて生きられるでしょうか。くっついて生きられるのです。したがって、愛を中心としてのみ、愛においてのみ永遠性があるということを知らなければなりません。真の愛には永遠という概念がある、という話が成立するのです。


二 天一国は本然の故郷

 人間は、誰かの子女にならなければなりません。その誰かの子女とは、神様の子女のことです。誰かの兄弟にならなければなりません。その誰かの兄弟とは、神様の家庭の兄弟です。誰かの夫や妻にならなければなりません。それは、神様の家庭の夫や妻のことです。

 内的な神様のすべてのものを実体的なものとして御覧になり、刺激をお受けになるために、神様はアダムとエバを創造されました。アダムとエバは、第二の実体の神様です。愛の相対を必要としてお造りになったからです。神様の愛の相対は、猿ではありません。人間以外にはいないのです。

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 今まで神様は、所有権をもつことができませんでした。サタンがすべて所有したのです。サタンの国、サタンの民、サタンの物、すべてがサタンの所有です。サタンが神様の所有権を盗んでいったのです。真の父母も所有権をもったことがありません。いまだに真の子女、真の国、真の世界としての所有権をもったことがありません。真の人、真の男性と真の女性が生まれなかったのであり、所有し得る人が生まれなかったので、そのような所有権をもつことができなかったのです。

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 今まで神様は、所有権者になることができませんでした。悪魔が主人になったのであり、神様の息子、娘が主人になることはできませんでした。主人に代わって悪魔と悪魔の息子、娘が、神様の創造された被造物に対して権勢を振るい、害を被らせてきたのです。これをすべて回収しなければなりません。万物は、すべて本然の父母のもとに帰らなければなりません。真の父母と真の子女、真の国、真の氏族のもとに帰らなければなりません。

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 今、私たちは、誰々の息子、娘、誰々の兄弟という考えから抜け出さなければなりません。私は、神様の息子、娘であり、真の父母の息子、娘であり、世界と天宙を解脱させる相続権を受け継ぐことができる私自身だというのです。そのような私に、サタンの立場で一族が矢を投げつけましたが、私が何千年の歴史を経るのではなく、生きている間に私の備えるものをすべて備えてメシヤとなり、過去に反対した一族と父母を訪ねていって救ってあげられる平面的再臨の形態を備え得る、このような時代を迎えることにより、初めて地球星の天国化が可能なのです。

 このように見るとき、今日、祝福家庭が今まで暮らしてきた生活と行動は、すべて零点です。悪魔の巣窟の中にいたということを知って、自らの解放圏を迎えるために努力しなければなりません。そのようにせずに、昔と同じ習慣性をもって息子、娘を抱いてそのまま幸福になることを願えば、すべて滅びるのです。

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 イエス様がエルサレムを回られる時、道端にあるいちじくの木を見て、実がないといって呪われました。すると、そのいちじくの木は、たちまち枯れてしまいました。実がなければ、そのような結果が訪れるのです。

 未来国家を建設するにおいて、あなた方が神様のために準備したものは何ですか。それは、実を意味し、中心核を意味し、事実を意味します。それは何でしょうか。神様の国の民です。神様の国の民は、りんごや桃の実ではないというのです。

 今まで神様は、天国の民をおもちになることができませんでした。ですから、今、その本然の民を救っているところなのです。完成した民をもつことができなかったのです。

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 真の国を地上天国と呼びます。その国ができてこそ、神様が本然のアダムとエバに「完成した時に、あなた方は、万物を主管しなさい」と祝福されたそのみ旨を成し、人間は初めて、この地の真の主人として現れることができるのです。また、その時に初めて人類は、お互いに真の兄弟になることができるのです。その時に初めて私たちは、神様の真の息子、娘になるのです。天のお父様に対しては真の孝子、孝女になり、主人に対しては忠臣になり、この宇宙万物に対しては真の主人になるのです。そのようになれば、神様は、私たちに全権をゆだねられるのですが、外的な全権だけではなく、内的な全体の心情の中心まで移してくださるようになるのです。神様がすべてのものをゆだねられても安心することができる息子、娘になるのです。

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 人類歴史は、暗い夜を過ぎ、夜明けを経て新しい光明の太陽を迎えるために進んでいます。それでは、太陽とは何を表しているのでしょうか。人類の太陽は「人類の父母」を表しています。この父母が現れるまでは、人類の故郷である本郷の地が現れることはできません。

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 愛の故郷をもつことができるという事実は、氏族的メシヤの福音であり、朗報です。その次には、祝福を中心として血統が転換されるのです。今からは、故郷が私の故郷になるのです。私の血筋は、そこから流れ出てきました。その血筋を広め、万国の愛の流れがきれいな水になり、天国という大海に入っていくのですが、そこが霊界です。

 霊界は、この地上の愛の大海が連結された世界であり、そこが天上天国です。それゆえに、あの世では、愛の体恤心情をもたなければ生き残ることができないのです。

 愛の心情は、子女の心情、その次には兄弟の心情です。兄弟は拡張であり、夫婦は統合です。このように一つになって中央を占領するのです。

 結婚とは、本然的神様が愛という概念を中心として一つになることができるようにされたことです。彼らは、成熟して愛を中心に一つになることによって、この実体の位置で神様と一つになるのです。そこにおいて何が垂直かというと、愛が垂直です。それゆえに、縦的な神様を中心として、初めてここにおいて横的なアダムとエバが、縦的に運動する愛の実体の前にさっと入ってくるのです。そのようにして、初めて家庭的な定着地が生まれるのです。

 個人と家庭、氏族、民族、国家、世界がこの一点を中心として定着するのです。これが軸です。

 神様は男性格主体だと言ったでしょう? ですから、男性が中心です。なぜ男性が中心かというと、赤ん坊の種、生命の種をもっているからです。女性には赤ん坊の種がありません。それが核です。愛の種も、生命の核と接するためのものです。神様と一つになるためのものです。生命の種が神様でしょう? それゆえに、理論的で、核心的な定着点は、神様の愛と一致する所です。

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 現在、堕落圏内にいる私たち人間が行かなければならない目的地は、天国です。別の言い方をすれば、還故郷しなければならない、故郷へ帰らなければならない、このように思うのです。故郷へ帰るにおいては、私一人では行くことができません。創造目的というものがあるので、創造目的を完成した立場で故郷へ帰っていかなければなりません。

 堕落していないアダムとエバの立場から見れば、たった二人で帰ったとしても、彼は天地を代表し、世界を代表し、国を代表し、家庭を代表した立場で帰っていくことができるのです。これが、本来神様によって息子、娘として造られたアダムとエバに賦与された責任でした。

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 自分が生まれた故郷を中心として、いかにしてこれを天国の故郷に代置して拡大させるかということが問題です。それゆえに、氏族的メシヤを設定したのです。氏族的メシヤを設定することによって、母親はアダム家庭に代わり、それから自分はイエス様に代わり、先生は再臨主に代わるのです。三代、二代、一代が、歴史の根源地である自分の先祖と真の父母圏を横的に連結するのです。

 それゆえに、自分を生んだ母親がアダムとエバに代わり、皆さんはイエス様に代わり、先生は再臨主に代わるのです。これによって、皆さんの母親と皆さんの生まれた場所が天国の故郷になるのです。天の領土圏内にある故郷の位置を再び復帰してきたのです。

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 皆さんの故郷は、故郷ではありません。国が故郷となり得る時が来たのです。それゆえに、皆さんがあの世に行くようになれば、今まであった境界線はなくなります。今は故郷に境界がありますが、このようなことをしておけば、霊界に行って国境なく連結することができるのです。どの故郷の地にも連結することができる地上天国の基盤ができるのです。

 ですから、これを連結すれば、すべての国家の戸籍に入籍したものが、そのまま天国に編入されるのです。ですから、堕落せずに繁殖した人間の故郷が天国の故郷に代わるようになったので、天国に生まれた立場に立ち、すべて接ぎ木されて天国に入っていくようになるのです。そのようにして、故郷復帰が成されるのです。

 そのような故郷、そのような国家が復帰されれば、天宙が復帰されるのです。そのような基盤の上で真の父母復帰が完成するのです。真の父母復帰、真の父母が立つことができる位置で、このようにすべての天国の条件、天宙復帰の基盤を完成してこそ、真の父母が使命を完成するのです。

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 皆さんの故郷はどこかというと、真の父母が生まれた所であり天国です。ソウルが真の父母の生まれた所であり天国ですか。そのコンセプトをどのように克服するのですか。そのコンセプトをどのように越えていくのですか。「私は全羅道の人だ。私は京畿道の人だ。私は韓国人だ。私はアメリカ人だ!」というコンセプトを神様は願われません。エデンの園のアダムとエバに、そのようなコンセプトはなかったというのです。

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 神様の遺業を相続するために最後に越えなければならない条件とは、神様をもち、真の父母をもち、真の兄弟をもち、真の民、真の国、真の世界をもたなければならないということです。「全人類が私の兄弟であり、あなたと私は永遠、不変だ」と言うことができ、分けることのできない兄弟の心情を通じて、天的家庭の家族として生きることができる人にならなければなりません。

 「この地は私たちのもの、天は私たちのもの、父は私たちの父だ」と言うことができる真の家庭を中心として、この地上に真の国を成し遂げ、神様の遺業を相続することができる皆さんにならなければなりません。

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 今日、私たちの信仰生活と神様を信じるというキリスト教を注意深く見てみるとき、天国に残ることができる民は、どれくらいいるでしょうか。さらには、「神様の所有だ」と永遠に主張することができる民族はどこにいて、「神様の国だ」と主張することができる地はどこにあり、そのような物、そのような人はどこにいるのかというのです。これを皆さんは知らなければなりません。

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 どれほど立派な夫をもらい、どれほど良い暮らしをしたとしても、神様が分からなければ、地獄に行くのです。神様の民として入籍しなければなりません。いくら有名なハーバード大学の総長だったとしても、神様の国の民として登録されなければ、地獄に行くのです。家庭、社会、国家、世界、人類の歓迎を受けたのちに天国に入っていくのです。

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 天一国には、主権と国と国民が必要です。ですから、昨年(二〇〇一年)の神様王権即位式は主権復帰でした。それから、神様祖国定着大会は領土復帰であり、その次には天一国国民として入籍するのです。分かりますか。ですから、カードをもって初めて国民になるのです。国が形成されるためには、主権と領土と国民が完備されなければなりません。それが完備された上で、このような天一国の万世安着を宣布したという事実を信じ、神様のように自信をもち、文総裁、真の父母のように自信をもって一気に押せば、押すことのできないものはないというのです。

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 神様の王権を樹立したのは神様ではありません。真の父母です。分かりますか。天一国をつくったのは神様ではありません。真の父母です。

 天一国という言葉は、天宙平和統一国です。「天」という字、これは二人です。二つの世界です。これは水平です。天国と地上の人です。天の人と地上の人の二重構造になっているのです。皆さんは心と体の二重構造になっているでしょう。心と体は、一つになっていますか、なっていませんか。闘っていますか、統一されていますか。闘っている人は、天一国の国民になることができません。

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 神様王権即位式ののちには何をしたのでしょうか。韓国において先生が何をしましたか。神様祖国定着大会をしたのでしょう? それは、真の愛の血統を受け継ぎなさいということです。それを世界的に行いました。その次には何をしたのでしょうか。天一国を宣布しました。天宙平和統一国です。それが天一国です。それでは、天一国とは何でしょうか。二人が一つになる国です。分かりますか。天は二人でなければなりません。父母は二人でなければなりません。すべてペア・システムになっているのです。天一国とは何でしょうか。昆虫世界、動物世界から、すべてペア・システムになっています。それが一つにならなければなりません。二つの物、二人の人、二人の父母、二つの性格、主体と対象が一つになった所には本然の基台が生じ、神様がお立ちになることができるのです。

 聖書にも、「もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら」(マタイ一八・一九)となっているでしょう? 神様まで合わせれば三人でしょう? 同じことです。二、三人の人が国の基盤になるのです。家庭の基盤になり、国の基盤になり、世界の基盤になるのです。そこから家庭が生まれ、氏族の出発がなされるのです。二人以上でそのようになるのです。

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 きょうは、天一国二年十一月五日、第四十三回を迎える「真の子女の日」でございます。「神の日」と「子女の日」と「万物の日」を総合して、エデンの園において家庭で成し遂げることができなかったことを、天上世界にまで拡大した人類を中心として、エデンの家庭完成を総決算することができる天一国を中心とした平和統一平定時代を発表いたしました。神様が、天上地上平和統一解放聖火式の終わった各祝福家庭を訪問するにおいて、支障なく思いどおりに訪問され、苦楽を共にすることができる時代として、同じ生活圏において迎えることができるように、天上世界の願いは地上にあり、地上世界の願いは天上にあるので、天の願いどおり、地の願いどおりにお互いが一つになって平定された基準に立ち、解放された忠孝の道理を残し、天国中心の先祖たちとして地上に残ることができるように祝福してくださることを懇切にお願い申し上げます。

 きょう、天一国平和統一平定時代の到来を発表し、今や、霊界の恨を解き、地上に再臨して子孫たちを協助し、また教団の教主たちは宗教を中心として世界に協助し、不義によって苦衷の中に束縛された天のすべてのものを解怨成就し解放することができる時代、自発的に、自由に活動することができる時代、蘇生の天国を創建することができる時代を迎えましたので、許諾してください。

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 きょう掲げた標語は何ですか。真の愛で? 私たちの家庭は天一国の孝子、忠臣、聖人、聖子の真の家庭を完成させます。ここには神様の創造理想のすべてが入っています。この真の家庭を中心とした孝子の伝統を受け継ぐのが忠臣であり、忠臣の伝統を受け継ぐのが聖人であり、聖人の伝統を受け継ぐのが聖子であり、聖子の伝統を受け継いで王権が樹立されるのです。

 ですから、相続とは、王権を手にしたその基盤において成されるのであり、自分のもっている所有意識であれ、国に属しているものはすべて否定されなければならないのです。それは、あってはならず、いずれにしろ決別しなければならない堕落した結果だというのです。神様が願われない怨讐の血筋で連結された汚れた世界です。神様は、そこに影を掛けることも願われないのです。

 それゆえに、神様は、今日この世の中のすべての悪の世界、戦争によって数多くの人々が死んで滅び、栄枯盛衰を経てきた今までのすべて世界に対しては管掌なさることができなかったのです。

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 一度神様の前に一〇〇パーセント本物の孝子の家庭になってみたいと思いますか。そのようになってみたいと思うならば、何が惜しいでしょうか。それしかありません。そのようになろうと思えば、自分の七代先祖から燃やして祭物にしたとしてもしなければなりません。祖業田や国まで売ったとしてもしなければなりません。このようになっているにもかかわらず、「総生畜献納を教会に納付しなさい」と言っても躊躇し、食べて残ったものを……。アナニヤがペテロの前でそのようなことをして、夫婦ともその場で死んでしまい、地上から消えてしまったという聖書の話を知っていますか。それよりももっと恐ろしい時代が来たということを知らなければなりません。


三 天一国の民の態度と資格

 神様は、ただ外的に民族の形態だけを備えた民族を待ち望んでいらっしゃるのではなく、外的な形態だけを備えた国家を待ち望んでいらっしゃるのでもありません。民族がいれば、その民族を動かすことができ、国家と主権があれば、その国家の主権を動かすことができる、心情で連結された一つの主権と、一つの民族と、一つの民を待ち望んでいらっしゃるのです。

 選民ならば、彼らは、神様がいかなるお方かを知り、いかなる目的のために自分たちを立てられたのかを、はっきりと知らなければなりませんでした。そのようにして、いかなる苦難に直面しても、いかなる艱難が迫ってきたとしても、それを貫かなければならなかったのです。このようなことが、当時のイスラエル民族の取るべき態度であり、神様に対する心的基準でした。

 しかし、選民であることを誇ったイスラエル民族は、歴史路程において神様に多くの罪を犯しました。もちろん、その時代に対する犯罪よりも、その時代を動かしている神様の心情に対する犯罪のほうが大きかったということを、まず私たちは知らなければなりません。

 それでは、神様が人間を復帰するには、何から復帰しなければならないのでしょうか。願いも願いですが、事情、さらには心情を復帰しなければなりません。切っても切ることができず、分けても分けることができない心情の世界を復帰しなければなりません。ですから、今まで神様は、心情の基台を広めるために、その一日を見つめながら、歴史の峠ごとに背後で苦労してこられたのです。今日私たちは、このような事実を知らなければならないのであり、これを知らなかった先祖に対しては、公憤の心情を抱いて抗議しなければなりません。

 私たちが様々な事情に絡んだ生活環境で暮らしているとしても、それは結局、すべて過ぎ去ってしまうものです。いくら「地上で幸福な生涯を生きた」と言って自らの栄華を謳歌する者がいたとしても、それはすべて過ぎ去ってしまうのです。

 しかし、何かの使命をもって生涯を生きた人ならば、その人には残るものがあります。それは何でしょうか。事情ではなく、事情を支配し得る心情です。この心情が歴史を支配し、民族精神を鼓吹させ、思想を連結させていくのだという事実を、私たちは否定することができません。

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 今まで神様が働いてこられたとすれば、それは、人間を救援し、御自身のみ旨を成すためです。神様のみ旨とは、神様の国を成し遂げることです。それゆえに、その国の民となることができ、その国の息子、娘となることができ、御自身の側にいることができる人を育ててこられるということは、間違いないというのです。

 神様は、どこに国を建てようとしていらっしゃるのでしょうか。霊界に建てようとしていらっしゃるのではありません。正にこの地に地上天国を建てようとしていらっしゃるのです。それでは、この地に立てられ、神様の国の民となることができる資格者とは誰でしょうか。それがまさしく皆さんです。皆さんは、天国を建国することができる中心です。

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 皆さんは、「過去の人間は、こうだったのだなあ。今日の私は、どうであり、今後はどのようになろう。神様の事情はこうであり、神様のみ旨はこうであり、神様の心情はこうであり、お父様は悲しいお父様だったので、私はそのお父様の前にどのように進んでいかなければならないのか。お父様が血と汗と涙をもって祭物となってこられたので、その祭物を受けるためには、血と汗と涙を流さなければならない」。このようにして悲しい涙をもって、「お父様は、与えるために悲しんでこられ、与えるために血の汗を流してこられたが、私たち人間は、受けるために死に、受けるために涙を流し、受けるために苦痛を受けてきたので、授け受けすることができるその一日は、どれほどの喜びとなるだろうか。涙で出発し、喜びの涙が目の前を遮り、しみわたった恨が込み上げて爆発し、私の口で喜びと栄光と勝利の凱歌を歌うことができるその日をもたなければならない」。こうでなければなりません。

 そこにおいて初めて神様が、「お前は私の息子だ、お前は私の娘だ」とおっしゃることができ、天下万物のすべての福を前に置いて、心情と事情が通じ合う立体的な理念圏内において、神様が「お前は私の息子であり、私はお前の父だ」とおっしゃることのできる父子の因縁を復帰して印を受け、初めて天の家庭を築き、天の民族を築き、一つの世界、一つの主権、一つの天地をつくることが、人間である私が取り戻さなければならない因縁の中心だということを、皆さんははっきりと知らなければなりません。

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 天国の民の段階に入っていかなければならない運命が、皆さんの前に置かれています。このような皆さんは、新たな歴史的な意識をもたなければなりません。私という一存在は、自分のために生きようとするのではなく、天国の民である同胞のために生きようという観念をもたなければなりません。それだけではなく、天国の兄弟のために、天国の夫婦のために、天国の父母のために努力しようという観念をもたなければなりません。それは、部分的な観念ではなく、宇宙的な観念です。

 ただイエス様を信仰する人として、むやみにイエス様を信奉するのではなく、内的にも外的にも天地の運勢と和合してイエス様を信仰する人にならなければなりません。神様は、宇宙的な摂理を中心として、天国復帰の理念を立てていらっしゃいます。私たちは、そこに立つことができる息子、娘、そして民にならなければなりません。そして、天国の同胞を愛することができなければなりません。

 皆さんの周囲に信じる民がいれば、皆さんは、彼らを兄弟と、また同胞と思うことができる人にならなければなりません。また、すべての人がそのようになるようにしなければなりません。このようなことを考えてみるとき、皆さんの責任は、この上なく大きいのです。

 六千年歴史を縦的に見れば、旧約時代には天の民を集め、新約時代には天の子女を集めました。このように歴史は逆に流れてきたのです。

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 この地の誰もが異口同音に、今日を「終わりの日だ」と言っているこの時、すなわち歴史的な終結、科学的な終結、倫理と宗教的な終結を予告している世界的な終末時代に置かれている皆さんは、どのようにしなければならないのでしょうか。

 イエス様が叫ばれたみ言、すなわち「まず神の国と神の義とを求めなさい」のように、自らのことは考えずに、ただこの地上に神様の国と神様の義を立てるために不変の忠誠を尽くす人にならなければなりません。そのようにして、皆さんは、自らを万宇宙に誇ることができなければならず、神様の代身者の使命を完遂する人にならなければなりません。

 すなわち、その国の本質的な理念の内容を皆さん自体の生活に適用し、それが皆さんの生涯の実体的な価値を形成し、永遠の未来を約束する希望の一日を実現するようにしなければなりません。もしそのような皆さんになることができなければ、皆さんは、神様がアダムとエバの堕落以後四千年間苦労されたのちにイエス様を送られて役事させたみ旨と、イエス様以後今日まで、イエス様と聖霊を合わせた三位神が役事してきたそのみ旨とは、何の関係もなくなるというのです。

 このような観点から、今、皆さんは何を探し出さなければならないのでしょうか。皆さんは、その国とその義を立てることができないようにしている、すなわち天宙的な理念を立てることができないようにしている不義の条件を探し出さなければなりません。そのようにして皆さんは、一身の生活において闘争して勝利し、神様の息子であるイエス様に代わる存在にならなければなりません。すなわち、皆さん自身が、その国に処することができる人、その国の義の民になろうとすれば、食べること、着ることで争う愚かな人になってはいけません。食べる問題、飲む問題、着る問題を超えて生きる人にならなければならず、むしろそのような物が自分に少しでも付与されれば、ぼろを着て飢えている人にそれを分け与えることができなければなりません。一切れのパンがあれば、そのパンを一人で食べるのではなく、多くの人に分け与えたいと思っていらっしゃるのが神様の心情です。イエス様は、このような心情を身代わりしたのですが、イエス・キリストの前に現れた人間たちは、そうではありませんでした。

 それでは、今日、家庭において不和が生じる原因、争いが起きる原因はどこにあるのでしょうか。それは、家庭は自分だけのために存在すると考えているからです。食べ物があれば、それは自分だけが食べるためにあると考えるので、争いが起き、不和が生じるのです。正にこれが罪の矢であり、サタンだということを、皆さんは肝に銘じなければなりません。

 それゆえに、今日皆さんは、食べる問題を解決しなければならず、着る問題を解決しなければなりません。自分だけのために生きようとする心、すなわち家庭不和の条件を打破しなければならず、正にそのような歴史的な矛盾を踏み越えなければならないのです。このように、皆さんは、衣食住のすべての問題を超え、真の勝利者の姿をもって神様の前に現れなければならない立場に立っていることを忘れてはいけません。

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 皆さんは、国と義のために生きる人にならなければなりません。いかなる難しい環境に直面したとしても、自分自身に対する父の願いがあることを思いながら、その環境と闘って勝利する人にならなければなりません。そのような皆さんになって初めて「神様の真の息子、娘だ」と言うことができるのです。

 それでは、神様の国を建設することができる人とはどのような人でしょうか。自分自身を否定し、切ない心で神様のために生きる人です。自らを否定し、社会と民族、国家、世界のために生きる人が、まさしく神様の国を建設することができる人だというのです。さらには、国家と世界を否定しても神様のために生きる人が、天国を建設することができる人だというのです。また何かの悲しい環境に直面しても、自分自身のために悲しむのではなく、社会と国家、世界、ひいては神様のために悲しむ人であってこそ、神様の国を建設することができるのです。

 今日、皆さんは、皆さん個人の何かの欲望を満たすために努力するのではなく、より大きな目的のために犠牲となり、奉仕する信仰生活をしなければなりません。そのようにして、ただ神様のみ旨と人類だけのために苦労されたイエス様の心情的基準まで行かなければならず、今まで苦労してこられた神様の切ない心情を慰労してさしあげる神様の真の子女の立場まで行かなければなりません。

 皆さんは、不義を見れば憤慨する心をもち、また与えたいと思われる神様の愛をもち、この世の果てにまで行って、神様の国と神様の義を探し立てるために苦労しなければならず、さらには、今まで人類を救援するために悲しみの中で苦労してこられた神様の心情を慰労することができなければなりません。

 それだけではなく、皆さんは、神様の国と神様の義を探し立てるその過程において、サタンとの闘いで敗北せずに勝利し、個人から家庭、社会、民族、国家、世界を一つに連結させることができなければなりません。すなわち皆さんは、いかなる立場に置かれたとしても、そこにおいてサタンと闘い、勝利する人にならなければなりません。

 社会に出ていけば、その社会のどのような環境の中でもサタンと闘い、勝利しなければならず、国家に出ていけば、その国家の最も難しい問題に責任をもって立ち上がり、サタンと闘い、勝利する人にならなければなりません。

 もしこのような人が現れれば、私たちがその人を見ると、今は滅びるように見えるのですが、あとから繁栄するようになるということを、皆さんは知らなければなりません。また、正にそのような人が、家庭や職場、団体、国家の主人です。家庭において父母のために自らの生命を捧げて孝の道理を尽くし、夫と妻が各々烈男烈女の道理を尽くし、国王のために忠臣の道理を尽くす人が、正にその家庭の主人であり、その国家の主人です。

 このような心が皆さんの心の中からわき出てきて、体と一つになり、サタンまでも皆さんを尊敬して従うようになる時、初めて皆さんは、その国とその義を探し立てる民として立つことができるのです。

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 今日、数多くの人々は、「私はいかなる人間だ」、「私は国の民だ」と言って誇っています。今日、アメリカ人たちは、「大国の民だ」と言って誇っています。しかし、それは永遠ではありません。アメリカは、自分の国だけのために生きているのであって、他の国のために生きなければならないということを知らずにいます。昔、ギリシャ文明がローマのためにあったという事実を知らなかったのと同じです。ローマも、自分の国の文明がイギリスを経て現代文明のためにあったということを知りませんでした。それゆえに、今日、アメリカの国民は、自分の国のために働くのはもちろんですが、他の国のためにも働かなければならないことを知らなければなりません。しかし、大部分のアメリカ人は、これを知らずにいます。そのような中でも、自分たちだけのために生きるのではなく、天倫のために働かなければならないという理念が一部の人々に立っているということは、不幸中の幸いです。

 今日、統一教会に集まった皆さん、皆さんは小さな教会に座っていますが、これを広げれば世界に代わることができ、さらには天城に代わることができるという心情を感じたとすれば、問題は解決するでしょう。いかなることも解決することができるのです。皆さんは、神様のみ旨を身代わりした子女なので、神様をこの世界の主人として侍る天国の民にならなければなりません。そして、皆さんは、いつどこにおいても、父のみ旨から外れることができないということを肝に銘じなければなりません。

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 歴史的な終末時代において、私たちは、華やかに着て、おなかいっぱいに食べて生きる民族ではなく、歴史に代わって耐え、奉仕する民族にならなければなりません。逆さまにならなければなりません。そうであってこそ公平です。主権をもって他の生命を奪ってきたいかなる理念にも、反対の立場に立たなければなりません。そのような時が来なければなりません。必然的に、このような過程を経なければならない歴史路程です。そうでなければ、道がふさがります。

 そうだとすれば、神様が行く道、神様の息子、娘が行く道、神様の民が行く道とは、どのような道でしょうか。耐えて、奉仕し、犠牲になりながら行く道です。皆さんは、耐えるにおいて盲目的であってはいけません。救い主のために、神様のために耐えなければなりません。神様のみ旨のために耐えなければなりません。一時があるので、その時のために耐えましょう。それゆえに、再臨思想がない高等宗教はありません。

 一時が来ると言いますが、その時とは、どのような時でしょうか。心の主体であられる神様が、心の目的を達成される時です。人間は、心の主体であられる神様のみ旨に従って闘い、その時のために探し求めていかなければならない歴史的な運命に置かれています。人間が神様に従い、神様の目標に向かっていくところでは闘いの路程がないはずがないので、このような曲折を記録しているのが歴史です。

 その闘いとは、どのような闘いでしょうか。耐える者が先に打たれる闘いであり、犠牲になる者が支配される闘いであり、新しい理念と新しい希望をもって立ち上がる人々が殺される闘いです。そのような闘いの歴史路程でした。それゆえに、この地上で善を叫んできた人は、誰もが苦痛の路程を耐えなければならなかったのであり、民族に代わって犠牲にならなければならなかったのであり、自分の信念を曲げないために死の場に出ていかなければならなかったのです。

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 貧しく暮らしている人に対しては、助けてあげなければなりません。日本を中心としてアメリカを助け、アメリカを通して飢えて死んでいるアジアの人、かわいそうなインドのような所を助けなければなりません。この世界の人々は、一つの国の人々です。アメリカ人がアメリカの国民を愛するよりも、天の国の人が天の国を中心として愛するほうが、より強いというのです。

 今、韓国は悲惨な立場にありますが、ここで支援しているすべてのものをもって韓国を助けてあげれば、韓国民族が私を褒めたたえながら喜ぶことを知っています。しかし、私は、韓国を助けずに、アメリカに来て、このようなことをしているのです。なぜならば、アメリカには世界へ向かい得る、より高い次元の何かがあるからです。

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 自分の生活文化の背景に歴史時代の痕跡が残っていては、本然の純粋な天国の民になることができません。サタン世界の文化背景を中心として習慣化した、そのような痕跡は、天国の本然の世界にはあり得ないというのです。生活的、習慣的な要素が残っていては天国に入っていくことができないのです。

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 民さえ転換すれば、地は自然に転換するようになります。主権さえ立てられれば、民も転換し、国も転換するのです。ですから、レバレンド・ムーンは、世界的な主権を手にすることができる最も近い基地であるアメリカとソ連に対して関心をもつのです。今まで、ソ連はアメリカと両極化していましたが、彼らさえも世界の頂上で一つに統一されています。神様は、そのような頂上を導きたいと思っていらっしゃるのです。強いて比較するならば、そのようになった時、導いていく機関車のようなものがレバレンド・ムーンだというのです。

 このような一つの主権における一つの民、一つの地、一つの文化圏がエデンの園ですが、エデンの園には言語問題がないというのです。なぜならば、天国には天国の母国語(真の御父母様の言語)を使う人が入っていくようになっているからです。

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 一つの国家を見ても、そこには代表者がいて、氏族には氏族の代表者がいて、家庭には家庭の代表者がいます。人間は、このようなすべての世界と関係をもっているので、宇宙的な父母、教団的な父母、家庭的な父母に侍っていってこそ天の民となることができるということを、皆さんは知らなければなりません。

 今日、全世界の人類が探し求めているものとは何でしょうか。宇宙的な父母です。特にキリスト教信者たちは、教団的な父母が現れることを願っています。その宇宙的な父母が現れる日が、正に再臨の日です。しかし、まだ教団的な父母と対面させることができる摂理が成されていません。

 神様は、六千年間摂理のみ旨を立ててこられましたが、教団を中心として大祭司長の責任を担ってこなければならないという再臨主の使命が残っているのを見るとき、新郎新婦という約束圏内の摂理は成されたのですが、新郎新婦が教団を中心として生活することができる真の父母の位置には、まだ行くことができていないことを知ることができます。

 真の父母の位置が決定するまでは、真の子女たちによって築かれる真の家庭は成立しません。一段階さらに進んで、宇宙的な父母の位置が決定するまでは、教団的な父母の位置が決定されないのです。

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 二十四時間、常に明るい光を発し、常に熱い情熱を発する人が神様の国の人です。虫たちが、真っ暗な夜に光りのある所に寄り集まってくるのと同じです。

 それゆえに、神様の生命力と愛の力、明るく熱いものを永遠にもち続けることができる人ならば、その人は天国の人に間違いありません。

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 真の父の国、真の母の国、真の長子の国があります。そこに連結されて天国の民が生まれるのです。ですから、私が天国の民であり、天国の息子、娘であり、天国の主人だ、そのような結論が出てくるというのです。家庭から出発して、天国の主人になるのであり、皇族圏に入っていくのです。家庭の主人は孝子、国の主人は愛国者ですが、これが一つにずっと連結されなければなりません。一つの道を行かなければなりません。孝子から愛国者、愛国者から聖人、聖人から聖子になるのが一つの方向です。あとに戻ることはありません。

 神様は、一つの道を行くことを願われます。最初は孝子にならなければなりません。「あなたが絶対的に必要だ。苦難の場であろうと幸福な場であろうと一緒にいたい」とおっしゃることができる私にならなければなりません。生涯、「永遠に一緒にいたい」とおっしゃることができる私にならなければなりません。誰かがいくら否定し、迫害したとしても、皆さんはその道を行かなければなりません。天国の民になれば、そこには蕩減がありません。一度成し遂げた結果は、永遠に存続するのです。

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 皆さんは、この国が認めなければならない真の家庭になるのです。この国の民が認めなければなりません。この国の氏族が認め、この国の家庭が認め、この国の個人が認め、皆さんの家庭が個人、家庭、氏族、民族、国家の認定圏を超えてこそ、世界へ入っていくことができるのです。

 ここで認められなければ、皆さんの行く道はふさがるのです。認められることによって、歴史始まって以来、初めて皆さんは天国の民として入っていくことができることを知らなければなりません。

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 皆さんの婚約者が気に入らなくても、耐えて犠牲となり、耐えて奉仕しながら行かなければなりません。「あの人と出会わなければ、私は学ぶことができなかったはずであり、私を天国に行かせるためにあの人を私に与えられ、もっと苦労し、奉仕し、犠牲になることができる精神を私にもたせてくれるのだなあ!」。そのように考えれば、偉大な人となり、天国に行くことができる人になるのです。

 神様は、罪人までもその息子、娘にすることを願われていらっしゃるのに、婚約者の顔が少し悪く、日本人で、背が小さいからといって、「ああ、私の好みに合わない!」と、そのように考えることができますか。男性として生まれ、最も醜い女性を連れて、より犠牲となり、より奉仕すれば、一等天国に行くのだということを考えなさいというのです。

 最も偉大な夫となり、聖人の夫になるのだということを知らなければなりません。統一教会の食口ならば、それくらいのことは考えられなければなりません。

 女性にとって最も幸福であり、最も貴いことは、夫をもったということです。それから、夫婦にとって最もうれしいことは、子女をもったということです。その子女は、父親のものでもなく、母親のものでもありません。この世界のものです。天国のものです。族譜は天国にあるのです。

 自分の息子、娘ですが、みな国籍に入っているでしょう? 国籍があるということは、その国の民だということです。それと同じように、その息子、娘は、天国の息子、娘だというのです。それから、その夫婦は、天国を代表した夫であり、天国を代表した妻だというのです。そのように思うことができる心であってこそ、入籍する時、天国の基準に拍子が合うのです。そして、その基準に共鳴することができるのです。この地上において共鳴的体験をしなくては、いくら祝福を受けたとしても、天上世界では困るというのです。

 男性も同じです。女性をもったということが最高の幸福です。二人が一つになって、愛を中心として息子、娘をもったということが第二の幸福です。そのような愛の家庭を世界に伝授しなければなりません。そのようになれば、天国の民としての資格を完全に備えるのです。

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 三位基台は、三大祭物です。アブラハムの三大祭物があり、ノアにも三層の箱舟があったでしょう? すべて三大祭物です。このように祭壇を築いて三人が祭物を捧げ、その地域の民のために忠誠と誠心を尽くし、自分の息子、娘に対して福を祈る心情をもって、その地域を抱くことができる人にならなければなりません。そのような地域を受け持って三年間だけ活動すれば、天の民の資格を備えるのです。

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 真の人とは、全体のために犠牲となって苦労した人です。真の人の中には、真の息子がいて、真の娘がいて、真の師、真の友人、真の父母、真の兄弟、真の家庭、真の国、真の天国があります。それでは、真の天国とはどのような所でしょうか。全体のためにより犠牲となり、苦労した人々が行く所です。

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 アダムとエバは、個人で間違った結婚をすることによって滅びたので、今は逆に、国家間において二世が交差結婚をするのです。今は、愛さざるを得ません。愛によってその怨讐を溶かさなければなりません。このような基準を立てるためには、アメリカという国を中心として、六カ国の怨讐の国々、日本、韓国、ドイツ、フランス、イギリス等の怨讐が集まり、その怨讐の国に行き、その国の忠臣以上になり、新しい国を蘇生させるための伝統として、怨讐を愛したという挙国的な愛の基台を通してのみ、一つになったその基台の上で天国が出帆するのです。

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 天国に行こうとすれば、怨讐を愛さなければなりません。エデンの園には、神様を中心としたアダムとエバ、それからアダムとエバを中心とした天使長がいました。アダムとエバが完成して天国に入っていく時、天使長も一緒に入っていくようになっていました。愛して入っていく所が天国です。天使長が、神様の愛とアダムとエバの愛を受けたのちに、一緒に入っていくのです。それが創造原理です。

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 生きるのは、自分のために生きるのではありません。全体を代表して生きなさいというのです。自分が女性ならば、すべての女性に代わってこの時代に生まれ、自分を見ている女性の手本にならなければなりません。一つの標本として生きるのです。そのようになれば、子孫たちは間違いなくその標本に従っていくのです。そのように標本に従って連結する所が天上世界であり、永遠の世界です。ここに合格すれば、すべてのことが無事通過ですが、合格できなければ、大変なことになるのです。そこは、真の父母が教えてあげるのではなく、真の父母を通して完成した人々が行く所です。あの世には、そのような教育制度がありません。この地上で教育を受けてから行かなければなりません。地上でつなぐことは、天でもみなつながれ、地上で解くことは、天でもみな解かれるのです。

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 天国の民は、万民の前に奉仕の旗を掲げて立ち上がった人々です。それゆえに、今日私たちがある民族を救うためには、自分が所有しているすべてのものを、その民族のために分け与えなければなりません。それでも救うことができなければ、自らの生命まで捧げることができる人にならなければなりません。このような人が、すなわち天国の民です。このような民を糾合して天国理念を成就しなければならない神様の事情があることを、皆さんは考えなければなりません。

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 怨讐の子女を自分の息子、娘よりも愛さなければ、天国に行く道がありません。今日の既成教会員たちは、神様に「いつも幸福にしてくださり、私たちの罪と悪なることを、すべて許してください」と祈ります。それは、すべて偽物です。それを知っている文総裁は、神様に祈祷することができません。祈祷する前に実績を収め、それを捧げながらも恥ずかしさを感じなければなりません。面目ない私たちの先祖の罪を、何をもって神様に許していただくのですか。

 いまだに真の父母が結婚式を挙げることができていません。真の父母が定着できていないのです。しかし、今は、真の父母が「真の父母と成約時代安着」という時代を迎えたので、真の父母が初めて還故郷することができるようになったのです。還故郷する時には、散在していたすべての子女を連れていくのです。故郷に行き、真の父母が定着して結婚式を挙げたので、息子、娘を結婚させるようになるのです。

 それゆえに、統一教会は、今まで他の宗教と反対の道を歩んできましたが、誤った宗教ではなく、正統の道を教える宗教だというのです。なぜならば、「真の父母」という言葉をもっているからです。偽りの父母が教えた世界とは反対の世界に立っているのです。

 偽りの父母の立場から、修養して真の父母の道を求めていくためにこのようなことを教えてあげたので、真の父母は、当然還故郷をしなければならず、家庭をもたなければならないというのです。ですから、真の父母の息子、娘も還故郷し、家庭をもたなければならないということは理論的です。

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 皆さんの心が「今、私は新しい時代に越えてきている」と思えば、後ろも振り返らずに「世の中よ、さようなら! 私は行く」と言わなければなりません。何の話か分かりますか。天上地上平和統一解放聖火式をしたので、その峠を越えたのです。

 ソドムとゴモラを離れる時、後ろを顧みてはならないと警告したにもかかわらず、ロトの妻が、「ああ、行く道が漠漠としている」と言って……。行く目的地も知らず、どこに行くのかも知らず、避難することよりも、今の苦痛が目の前をふさいでいて真っ暗な天地だと思って行くので、女性たちは、昔の暮らしを慕わしく思い、間違いなく後ろを顧みるのです。ですから、終わりの日にはそのような時があるので、「身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である」(マタイ二四・一九)と言ったのです。

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 皆さんの国がありますか。この国のすべての結論を出さなければなりません。ですから、今から盟誓文も天一国主人です。主人になるのです。天一国主人私たちの家庭は、真の愛を中心として。これが主体です。このようにするのです。分かるでしょう? 盟誓文が変わるのです。盟誓文に主人が生まれました。誰もがみな売り飛ばすことができます。しかし、天一国という言葉は、永遠に、永遠に真の父母によって生まれた言葉です。神様の王権を樹立し、天地父母安着生活圏を経て、地上天上和合統一大会を経て、天宙、天上地上平和統一解放聖火式が終わったので、新しい国が必要です! 分かりますか。

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 統一教会に入ってきてどれほど信仰したとしても、心と体が一つにならなければ天国に行くことはできません。闘うところには影があるからです。

 皆さんがここで入籍修練を受け、祝福を受ける時、正午定着ということを言いました。影があってはなりません。

 皆さんの心と体が一つになっていなければ、日の光がさすとき、心が高い位置にあれば、左側に影が生じます。体が良心よりも高くなれば、左側から影が生じます。正午定着にならなければなりません。上中下が完全に垂直に立たなければなりません。神様が一代だとすれば、アダムが二代であり、三代圏が垂直にならなかったというのです。神様には三代がありませんでした。孫と孫娘をもつことができなかったかわいそうな神様だということを知りませんでした。私たち人類の先祖であり、私たちの師の中の師であり、主人の中の主人であり、王の中の王であり、天下の大主宰であられるそのお方が、このように悲惨な立場に立っていらっしゃったという事実を、堕落した人類は知りませんでした。知ることができませんでした。






















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