天総官 文興進様
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第三章 興進様の祝福と五旬節の役事

一 興進様の相対の選定と祝福

1 興進様の相対を定めながら

 私たち祝福家庭の中で、洪社長の家庭に娘がいるということです。「十六歳なので、その子にすればいいです」というのが譽進の進言でした。「お兄さんもいてお姉さんもいるので、私たちが包容して興進の代わりに愛すればいいでしょう」と言うのです。それで、真剣に考えてみてから、「また探してみなさい」と言ったのです。

 そのようにして、再び探すのに条件があるのです。「その新婦は、生涯一人で生きるはずだが、何を楽しみに生きるのか」ということです。芸術など、そのような面に夢中になって「ああ、新郎がいなくてもいい」と言えるタイプ、そのような人がいいのです。「自分は世界的に仕事をしてみたいのだが、新郎は邪魔になるこぶなので、いなければいい」と言える人がふさわしいのです。(一三〇−三三一、一九八四・二・一三)

 そのようにして、リトル・エンジェルス学校出身の中から統一教会の子女たちを探してみました。「音楽をする女性も探してみなさい。男性まで一度探してみなさい!」と言ったのです。

 それで、性格をよくよく分析してみると、素質が一〇〇パーセントにならないといって、もう一度探しました。「またその次を探してみなさい!」と言って、その次に誰が出てきたのかというと、朴普煕氏の家庭が出てきたのです。朴普煕氏の家庭の娘は誰でしょうか。薫淑という娘、鶴の姿で踊る、バレエをする娘がいました。それで調べたのです。「性格はどうだ?」といって調査してみると、その性格は一度決心すれば変わることがなく、本当に良いというのです。

 そのようにして、朴普煕氏の家庭を調べたのです。それから、「そこに男性は誰かいないか」と思って見てみると、朴珍成がいました。薫淑もいて、珍成もいるので、いろいろなことを考えた上で、いったん結論が出たので、「普煕氏の家庭に直接訪問して決定してみよう!」と言って尋ねてみました。それで薫淑に電話をしてみると、「先生に任せます」と言ったというのです。(一三〇−三三一、一九八四・二・一三)

 興進が逝くことによってこのような話をしていると、先生の心情を皆さんに率直に打ち明けるようになります。世の中から見れば、霊界に行った人を結婚させてあげる人は、気が狂ったか、そうでなければ頭のおかしくなった人です。一般社会においては、歴史にない行為です。しかし、み旨の立場から、霊界の事実を知ってみれば、これはせざるを得ない摂理です。

 このような問題を中心として考えてみるとき、この問題をどのように解決するかということを、私が深刻に考えざるを得ないという事実を知らなければなりません。

 それでは、それをどのように解決するのが良いのでしょうか。皆さん、考えてみてください。今から興進の相対は寂しく生きるのです。世の中で一人孤独に寂しく生きるのです。もちろん、兄弟たちが同情しますが、その同情は少しの間であって、一生を引っ張って越えていくことは難しいというのです。

 このように見るとき、興進を愛する姉がいて、またその家の兄がいて妹が興進の相対なので、二人の兄弟を結んでおけばよいのです。仁進も、弟が逝く時に、「弟のためにはどのようなことでもします」と約束したので、その弟の相対を誰よりも愛するはずです。

 ほかの人ではなく兄がいれば、自分が寂しくても、その兄に相談することができるのであり、また兄の妻にも相談することができるのです。また、その兄の妻が誰かというと、自分の相対となる人のお姉さんです。その一生を生きていくにおいて、環境的に、困難なことを共に越えていくことができるのです。

 地上で生きたのちに逝った興進も、孤独なこの事実を見るとき、霊界に行っても問題になります。霊界においてもそうであり、地上において、周囲にいる人もそうです。このような環境の上に立って考えてみるとき、自分の父母から離れて、父母がいない時にも、自分の家のようにいつでも思いどおりに身もだえして泣くこともでき、うっぷんを晴らすにしても、消化し得る環境をつくってあげなければならないのです〇それが、私が責任をもって解決しなければならない重要な責任です。このように考えざるを得ないというのです。

 また、もし私の家庭内で興進の結婚式をもったならば、それは、世の中が知らなくてもかまいません。しかし、姉の結婚は、公開しないという理由は何もないのです。そのようにすることによって、家庭内における対社会の物議を防御することのできる方策も立てることができ、内外の世界、地上世界も安らかであり、霊界でも安らかだろう、このように考えるのが先生の心です。(一三〇−三二八 一九八四・二・一三)

 女性が一人で一生を生きるということは悲惨なことです。薫淑よ、よく聞きなさい! 悲惨なことであり、それはすべきことではありません。それは、父母が見るべきものではありません。また、あなた自身がそれをしようというのは、この世の中で言えば、何と言いますか。人間以外の行脚なのです。それを知っているのです。よく知っているのです。女性が一人で生きていこうとすれば、生きた仏にならなければならないという結論が出てくるのです。ですから、私が一度尋ねてみますが、薫淑、あなたは興進のために生きた仏になることができますか。そのような考えはしてみなかったでしょう? してみましたか。では、生きた仏になることができますか。

 女性は、ひと月に一度生理作用をする時は、男性への思いもわくのです。率直な話です。そして、春風も吹いてくる、そのような時は一人で過ごしたくない、そのような状況もあります。それを考えてみましたか。どうですか。そのような考えはしてみなかったでしょう? 考えてみなければならないのです。

 また、もしそのようになれば、私の家に来ていなければなりません。来ているからといって、舅がいつでも行って「やあ、薫淑、元気か」、そのようにすることはできないのです。韓国の道理がそうであって、お母様もそうです。また夫の兄である孝進も入っていくことができず、弟たちも部屋に入っていくことができず、これは孤独の園です。このような孤独の園を守りながら、どのようにして神様のみ旨のために、赤ん坊を産まずに修道女のように生きることができるのかというのです。

 しかし、現在あなたは、先生のみ旨を知り、理想を中心として、夢に膨らんでこのようにしていますが、地上で霊界を見つめて生きていくということがどれほど息の詰まることでしょうか。

 ですから、あなたは地上で夫に侍ることができませんが、あなたが芸術を愛するならば、それだけは先生が後押ししてあげよう、このように思うのです。世界的に名声をとどろかすことができるように後押ししてあげるでしょう。そして、仁進も友人なので、仁進も後押ししてあげるはずであり、それから、あなたの兄と一つになれば、彼にとっては自分の妹であると同時に、あなたにとっては仁進が兄の妻になるので、一つの家庭で難なく消化することができる環境になるでしょう。ですから、霊界に行っている興進君も喜ぶはずであり、また私が死んだとしても、そのようになれば安心するでしょう。

 そのように和していきながら、養子を選ぶにおいても、別の人よりも孝進君の子女を養子にすることもでき、また自分たちが望むならば、兄の妻を通してあなたの兄の子女、甥を養子にすることができるのです。このように考えれば、すべてのことを無難に越えていけるのではないかと、先生は考えてみたのです。そうだからといって決定したことではありません。ただ先生がそのような考えをしてみたということを話しているだけです。

 ですから、そのような家は、朴普煕氏、その人の家がぴったり一致したので、これをどのように解決するのが良いかという問題があるのです。ですから、本人に尋ねてみるのです。私が興進君の相対として薫淑を結んであげましたが、そこに応じるようになれば、どれほどうれしいでしょうか。それをよく考えなければなりません。応じる所信はありますか、ありませんか。これを尋ねてみたいのです。どうですか。先生の言っていることが何の話か分かるでしょう? そのようにすることができますか。できるのですか。(一三〇−三三一・一九八四・二・一三)

 薫淑と興進を結ぼうというのです。そのようにしてあげますか。(はい)。父親と母親は許諾しますか。(はい)。また、兄である珍成はそれを許諾しますか。(はい)。今後あなたは、あなたの妹の面倒をよく見てあげなければなりません。

 また、仁進、あなたはどうですか。愛する弟、興進を見ても、あなたもそのようにすれば良いでしょう? 仁進? (はい)。それでは、そのように決定することにしましょう。(一三〇−三三五、一九八四・二・一三)

 興進のその相対となることができる人、そのような環境に立つことができる人は薫淑しかいません。いくら見てもです。ですから、やむを得ず珍成と仁進を結びながら、薫淑と興進を結んだのです。このように二重の姻戚を結んだのは、やむを得ないというのです。

 解放歴史の起源を残してあげることができる天の家庭は、この地上にありません。私が彼らを呼んで、私が息子、娘を通してこれをするのです。私は父親ですが、そのように教育するのです。

 過去のこのような歴史ゆえに、息子、娘がしなければなりません。「息子、娘になったので、しなさい!」と言って、そのようにさせるのです。歴史の何倍の忠誠を心に誓うことができる忠告の言葉を残してそのようなことをした、ということを知らなければなりません。(一四五−五二、一九八六・四・三〇)


2 興進様と薫淑様の結婚によって愛の橋が生じた

 興進の新婦になる薫淑嬢が、一人で生きながらも神様のために忠誠を尽くし、真の父母のために精誠を尽くす孝女、孝婦となる立場に立つ時、私たち祝福された家庭と統一教会の教会員たちは、三年路程、七年路程に不平を言う条件がなくなるという事実を知らなければなりません。皆さんがサタンの讒訴条件を免れることのできる一つの起源と伝統が地上に生じるという事実を知らなければなりません。

 これが皆さんにとって、最も喜ばしい知らせであることを知らなければなりません。皆さんは、地上で相対をもって不平を言うことができるのかというのです。サタンが讒訴することのできない基準を、私が皆さんに贈り物として与えるのだということを知らなければなりません。皆さんが薫淑と霊的に一つになる時、サタンは皆さんの家庭を侵犯することができなくなるのです。

 ここで重要なことは、第一に、興進君に新婦がいなければ王国圏が成立しないということです。第二は、霊界はすべての天使世界と同じ立場にあり、地上はアダム世界であって、天使世界はアダム世界を保護育成する責任があるので、王権をもったその王とその民が来て、地上のサタン組織を奪って天国の王国圏を相続しておかなければならないのです。

 それから、第三には、皆さんに福をもたらすことができる灯台が生じたということです。ですから、真の愛の橋になるのです。薫淑と興進を中心として橋が架けられたのです。愛の橋、真の愛の橋が架けられたのです。ですから、今からサタンは干渉することができません。それが原理観です。(一三一−一七、一九八四・二・二〇)

 興進君が地上で真の父母の祝福を受けて相対圏を成すことにより、霊界にいる人々が地上の人と祝福を受けることのできる時代になるので、連合時代に入っていくのです。それは、ただ大ざっぱな計算によって成されるのではなく、水が漏れないように四隅を合わせていかなければならないというのです。(二六四−四〇、一九九四・一〇・九)

 皆さんが結婚すれば、イエス様よりも立派にならなければならないでしょう? イエス様よりも立派にならなければなりません。同じ摂理観の上に立って考えてみるとき、イエス様は祝福を受けましたか。しかし皆さんは、先生を通して祝福を受けました。先生が祝福してあげたのです。

 それゆえに、興進君が霊的に結婚することができるのです。それがそのようにならなければ、キリスト教と統一教会は連結されません。ですから、興進君が去ったのち、キリスト教が連結されたのです。

 祝福というものは、皆さん、男性と女性の二人が出会うことではありません。イエス様は、ザカリヤ家庭、ザカリヤ一門、ザカリヤ一族とヨセフ一族の二つの家門、カインとアベルの関係である氏族的基盤の上に立たなければなりません。これがイエス様の結婚の立場です。しかし、これをなすことができずに死にました。したがって、これを蕩減復帰するためのものが祝福です。カイン型は、洗礼ヨハネ家庭の氏族です。イエス様とヨセフ家庭は、アベルの立場を意味します。そしてザカリヤ家庭は、カインの立場を意味します。

 カインとアベルが一つになった立場において、彼らは父母の立場に立つことができるのです。カインとアベルが一つになることができなければ、父母の立場に立つことができません。それが原理観です。イエス様がその二つの氏族を一つに連結することができなかったので、お互いに背を向けるようになったのです。それゆえに、イエス様が十字架を背負ったのです。

 イエス様が十字架に架けられたということは、イエス様が結婚できなかったという意味です。したがって、私たちがこれを蕩減しなければなりません。それが祝福です。ですから祝福は、ヨセフとザカリヤ家庭の二つの氏族の基台の上に立っているという意味です。イエス様は、その基台を築くことができませんでした。ですから、失ったのです。私たちは、この迫害時代に失ってしまったものを再び立てなければなりません。そのような基台の上で結婚が始まるのです。それゆえに、皆さんが祝福を受けた位置は、イエス様よりも高い位置にあるというのです。(一四六−三四二、一九八六・八・一〇)

 私が逝ったとしても、そのまま逝ってはなりません。霊界に行ったとしても、再臨しなければならないイエス様の立場になってはいけません。イエス様が求めた家庭理想の基準を、地上において蕩減条件として立てることができなければならないというのです。ですから、イエス様が亡くなってから四十日後に聖霊が来たように、興進君にも四十日以内で実体結婚式をしてあげたのです。

 このようにしてあげることにより、興進君は、あの世に行っても自分の相対が残っているので、愛の理想を中心として完全に相関関係を成して往来するのです。真の父母の愛を中心として、決定的夫婦所有決定基地ができているので、興進君は、霊界に行っても思いどおりに地上に来ることができるのです。それが創造原理です。

 そのような関係が展開することにより、イエス様はどのような立場に立つのでしょうか。興進君は、真の父母の次男として霊界に行きましたが、神様の霊的な次男として来たのがイエス様だとすれば、神様の実体的次男は興進君です。興進君は、真の父母の血縁を通じて生まれ、霊界に行く時には、神様の直系の息子の中で相対理想を備えて霊界に入っていく最初の人になるのです。世界的基準において、国家と世界を連結させる基準においてです。

 喜進君は何かというと、国家基準と統一教会が一つになることのできる、その時代に霊界に行きました。それゆえに彼は、霊界に行っても、南北を中心として、大韓民国の国を中心として、北朝鮮までが活動舞台になるのであって、世界までにはならないのです。しかし、今の時は世界時代です。イエス様は、世界時代を目標とした神様の次男としてこの地上で死んで霊界に行き、愛の伝統的所有基台を残すことができませんでした。それゆえに、それに代わって興進君が地上における愛の所有決定基台を残したのです。(一三七−一九四、一九八六・一・三)

 イエス様を打つことによって霊的世界が生じたように、興進を打つことによって地上に愛の圏が移されたのです。興進を打ちましたが、それによって死んでいくのではなく、愛の圏が新しい世界に連結されたのです。愛の世界が開かれたのです。

 先生がこのようなことを知らなければ、天地はどのようになっていたでしょうか。そのような意味において、「神様は先生を愛さなければならないはずだ」と私は考えるのです。あの世においては、皆さんが想像もできない祝宴が開かれているという事実を知らなければなりません。何も知らないように見えても、霊界はすべて知っています。ですから、その人々が来て先生を擁護しようとするのです。夢のような話なので、よく分からないでしょう。真の御父母様の家庭に対する信念をもって前進しなければなりません! 勝利が待っています! アーメン! (一三一−一八、一九八四・二・二〇)

 神様の愛の所有のための決定基盤を誰から連結させることができ、はんだづけすることができたのでしょうか。興進君を通してこのような蕩減的条件を立ててあげることによって、実体的愛の所有圏を通過したという条件の資格を与えられ、再臨復活して入っていくのです。それが原理です。原理を知らなければ、何の話か分かりません。このような話でもあり、あのような話でもある、それではいけません。先生が話すことは間違いないので、皆さんも間違いなく悟らなければなりません。

 興進君とイエス様を中心として、心情的一致圏を真の父母に向かって連結させることのできる基盤が、興進君と薫淑を通して愛によって一致するようになれば、所有物がすべて決定すると言ったでしょう? その道を中心として、その地点と関係を結ぶことによって、地上から天上世界に直行できる道、言い換えれば、堕落せずに直接主管圏と間接主管圏が一致できる道が開かれるのです。その道は一つです。ほかの所に行かずに、ここから直行できる道が開かれることにより、神様の愛の絶対圏時代に入っていくのです。(一三七−二九六、一九八六・一三)

 興進君が霊界に行くことにより、地上と天に分かれた天使とアベルを双子のように一つに結ぶようにしました。これが一つになれば、その一つになった基盤の上で父母が出動するのです。それが原理観です。

 興進君は息子の中のアベルですが、その息子は、真の父母の愛の基台のもとで原理主管圏版図の蕩減条件を立てた基盤の上で霊界に行ったという事実を知らなければなりません。サタン主管圏を蕩減した勝利基盤の上で、直接主管圏と一つになった立場において霊界に行ったのです。それゆえに、堕落以後、天上世界に行った息子として、初めて完成した資格を備えて行ったという条件をもっているのです。

 それゆえに、霊界に行ったすべての人々は、本来堕落していなければ、真の父母の心情圏を中心として原理結果主管圏と直接主管圏が一つになり、家庭的基盤において愛を中心とした主人や息子の資格をもつというのです。これをもたなくては行くことができないようになっているというのが原理です。

 そうだとすれば、イエス様以降、イエス様やキリスト教は、今までその立場を経ることができずにいったので、すべて中間にいるのです。しかし、興進が霊界に行くことによって、神様と接ぎ木することができるセンターが生じるのです。ここで祝福してあげることにより、自分の相対が地上に残っているので、生きたのちに行ったのと同じ立場に立てられるのです。ですから、興進家庭を中心として、地上の家庭を訪問し得る霊界基盤が設定されるということを知らなければなりません。これが貴いというのです。興進君の家庭基盤を設定したことが最も貴いことなのです。(一三一−五二、一九八四・四・一)

 統一教会を見れば、今まで霊界に行った協会長やほかの人たちは、教会基準であって、国家や世界を蕩減する基準にはなることができませんでした。しかし、今回の興進の場合は違います。国家的次元です。それゆえに、天国の名分を代理することのできる司令官、霊的世界の主体が生じるというのです。地上と霊界を連結することのできる主体が生じるというのです。結婚した人ではできません。結婚しなかったので可能なのです。霊界は、まだ結婚していないのです。

 それゆえに、自由世界の人々は、この興進を愛さなければなりません。全世界の人を自らの生命に代えて愛したというそのようなタイトルを残したので、皆さんにも、生命に代えて愛することのできる因縁が連結されたのです。誰の代わりにしたのですか。お父様の代わりにです。それゆえに、興進を愛するということは、お父様を愛するということになります。興進を愛するということは、お父様を愛するということと連関関係が結ばれるのです。

 霊界には、今までそのようなセンターがありませんでした。霊界と連結させることのできるセンターがなかったのです。しかし、興進が霊界に行くことにより、興進を愛するすべての霊界の霊人たちには、お父様を愛する条件が連結されるのです。また、統一教会と連結されるのです。

 統一教会で見れば、地上においては、生命を捧げて闘うことの標準となり、霊界においては、愛をもって連結させるにおいて、歴史始まって以来、今までなかった霊界の代表になったというのです。(一三〇−二〇一 ー九八四・一・一五)

 今回、興進君が霊界に行くことによって、霊界と連結させて「愛天日」をつくり、「愛勝日」をつくり、すべてがそのようなみ旨の中で連結するための一段階として大きな保護圏をつくり、世界が安息できる霊界圏をつくって上がっていかなければなりません。霊界の保護圏というのは、地獄は讒訴圏なので、地獄と天上世界はカイン・アベルになっているのです。ですから、天上世界がアベルならば、地獄を破壊してしまうのではなく、救ってあげなければならない責任があるのです。

 しかし、今までは、それを救おうとしても救うことができませんでした。しかし、今回、いねば世界的な摂理時代、世界的安息圏を立てるこのような時代において、天宙圏を中心としてこれを保護し得る基盤を築くために、地上から興進君が行くことにより、天上世界はもちろん、地獄世界まで道が開かれたのです。今は、交流できる道が聞かれたのです。

 何によってですか。自分の夫が地獄に行ったならば、妻は昔の地上の心情圏を中心として、それが連結されるのです。それには、興進君が霊界に行かなければできません。このように、天上世界にある地獄と霊界を連結させ、保護する一つの統一圏が展開してくるのです。それが連結されてこそ、地上のサタン世界も崩れ始めるのです。そのような地上世界が安息するためには、天宙保護圏を設置しなければならないのです。(一三三−一九五、一九八四・七・一〇)

 霊界において興進を愛し、統一教会においても興進を愛するので、真の父母はどのようにしなければならないのでしょうか。天の愛を歓迎し、地上の愛を歓迎する意味で、自分の息子を祭物として捧げることを栄光と思い、誇りと思うことができなければなりません。また、レバレンド・ムーン一代において、今まで神様が、愛する息子、青少年のアダムとエバを愛することができなかったことを、せめて霊界においてだけでも愛し、今まで国家基準を復帰するために苦労してこられた神様が、慰労を受けることのできる一人の息子を送ってさしあげたと考えなければなりません。

 霊界も愛し、地上も愛するので、私たちの父母も「愛しなさい」という標語を立てなければなりません。「愛しなさい」という標語を立てなければならないのです。私は、興進が二人の息子の間で死ぬには死にましたが、地上世界と霊界において死なずに愛の復活圏を成すだろうと考えています。「お前は死を通じてそこに行ったが、お前の死を通して愛を復活させる」というのです。霊界をつかみ、地上をつかんで愛の復活圏を宣布するでしょう。

 これを成すことによって、どのようになるのでしょうか。霊界に愛の連合戦線が生じ、地上に愛の連合戦線が生じるのです。それゆえに、興進は、この二つの世界を往来しながら、自由世界の青少年と霊界に行っている青少年たちを糾合し、地上世界の悪霊、悪の愛によって汚されたこの霊たちを追放する運動を始めるだろうというのです。(一三〇−二〇一、一九八四・一・一五)

 先生の時代になって聖書のすべての秘密が明らかになりました。今、聖書の何章が成し遂げられつつあり、今、時がどのような時かを知っているのです。今から、すべて先生が語ったとおりになるでしょう。そのような碁を打っているのです。碁を打てない人には分かりません。碁を打っているのですが、霊界は既にみな終わったのです。しかし、地上世界は、国を移していく道がふさがれています。それゆえに、このような時に祭物が必要なので、興進君がその使命を身代わりしたのです。このように話せば、何の話か分かるでしょう?

 イエス様の霊的救援役事とともに実体救援役事の基盤を受け継ぐことができると同時に、地上において未完成部分を完成すると同時に、世界舞台を連結できる霊的基盤の開門と地上開門が連結されるこの中間において、興進君がそれを連結させる責任を果たしたということを知らなければなりません。

 イギリスの統一教会の食口たちにイエス様が何度も現れ、「私はオールド・メシヤであり、興進君はニュー・メシヤだ」という話をしたのを聞けば不思議です。なぜそのようなことを言ったのでしょうか。それが分からない人は、気が狂ったと言うでしょう。(一三四−一九、一九八五・一・一)

 祭物となった息子を中心として、その息子に対して悲しいという思いをもってはいけません。そのような難しい立場です。その道を行かなければなりません。それゆえに、父母として、死の場に行った息子を愛しなさいという道理はありません。原理がそうです。その息子がそのように死んでいったので、葬儀が終わった四十日後に祝福してあげても引っ掛からないというのです。興進君が、薫淑を中心として霊界のすべての名前をもって地上に来るのを遮る者はいません。整理できましたか。責任者がきちんと知らなければならず、はっきりと知らなければなりません。(一七一−二七二、一九八八一・二)

 私は、興進が死んだ時もそうでした。霊界と肉界をすべて処理して送り、穏やかな父の姿勢、天地の姿勢を整え、息子のためにすべての祈祷をしてあげるのです〇そのようにしたのちは、痛哭してもかまわないというのです。秩序を整え、主人としてなすべき礼法があるのですが、みな知らずにいます。

 ですから、興進の霊がこの地に来て、お父様の名によってどこでも再臨して協肋したことは知っているでしょう?(二三二−一二一、一九九二・七・三)


二 興進様の貴い犠牲とその結果

 興進君が霊界にいくことによって何が起きたのかというと、地上世界の心情圏と天上世界の心情圏が一致する時が来たのです。一致する時が来たというのです。神様から御覧になれば、イエス様は次男であり、先生の息子の中で興進も次男です。先生は、霊界をすべて知っているので、その息子が霊界にいくことによって橋を架ける、その内的な法的基準をすべて整えてあげました。興進は知らなかったでしょう。医者から一時間以内で臨終するという通告を受けましたが、息子が死ぬと考えてはいけません。お前が死んだとしても、死ぬ時は一般の人とは違うという考えでした。先生の息子として生まれた彼の行く道は、このような重大な歴史的な使命をもって祭物的な立場で行かなければならないというのです。

 ユダヤ教やキリスト教からもつれてきたすべてのもの、すなわち個人蕩減、家庭蕩減、氏族、民族、国家的な蕩減をなし、イエス様の霊的救援摂理の完成を中心として、実体救援摂理の完成をすべて連結しなければならないというのです。連結しなければ、地上に降りてくる道理がありません。ですから、興進君が霊界にいくことによって、今日アメリカのキリスト教がすべて連合するようになるのです。また、東洋文明と西洋文明が交差し始めるのです。

 このような歴史的な事実を先生が語った時、世の中の人々は笑いました。統一教会の食口たちも呆然としました。「自分の息子が死んだのに、なぜそのようにしているのだ!」と言ったのです。

 しかし、「死んでから四十日だけ過ぎてみなさい」と言いました。四十日後に祝福をしてあげ、結婚させてあげたのです。なぜ結婚式をしてあげたのでしょうか。地上に相対がいるので、霊的な道を通っていつでも降りてくることができるのです。そのような運勢が整えられるのです。これは、サタンも否定することができません〇ここは先生がしっかりとつかんでいるので、霊界に行った興進君と先生が共に薫淑をよく愛すれば、私が愛するかのようによく愛すれば、そして世界家庭、祝福家庭がたくさん増えるほど、世界はすべて連結されるというのです。多くの因縁が連結されるのです。(一六九−一〇、一九八七・一〇・一)

 興進が夫婦になったので、今まで分かれていたあの世の霊人たちの群が崩れ、お互いに会って協力し、昔、地上において成すことができなかった願いを成すために協肋することのできる地上の基盤をもつようになりました。心情を通してそうだというのです。真の御父母様が蕩減した基盤があり、真の御父母様が蕩減した世界圏は、真の御父母様の管理圏内に入ってくるので、心情圏に連結されたその人々は、真の御父母様を中心とした興進君と一つになったその立場で、この地上に真の御父母様が築いてあげた主管圏に代わりに同参できるというのです。

 そのフィジカル・ワールド(肉的世界)は、既に真の御父母様が勝利した主管圏内に入ってきています。なぜかというと、父母の所有は息子、娘が相続できるというのが天理だからです。これによって、霊界と肉界、内外の双子が一つになったというのです。内外の双子が一つになることのできる心情圏が設定されたのです。地上世界においては、先生を中心としてカイン・アベルが一つになりましたが、それは逆さまだと言うことができます。長子があちら側だったのですが、アベルと一つになり、あちら側の天上世界が次子になり、興進が霊界に行く瞬間、内外で一体が成されるのです。

 興進が霊界に行くことによって、今からは、霊界に分かれた善王たち、霊界に行って一人でいる王たちが、共に相対圏に連結される、そのようなことが展開するのです。それが展開することによって、家庭圏が連結され、これが連結されるので、氏族、民族、国家、全世界が統一圏に連結されるのです。それが地上と拍子を合わせていきながら展開していくということを知らなければなりません。霊界を見れば、神様と興進の家庭と、その次には自分たちです。地上を見れば、神様と真の御父母様と直系子女の家庭です。それが問題になるのであり、また連結されるのです。(一三一−五二、一九八四・四・一)

 霊界と肉界をまたにかけて生きています。これによってどのようなことが起きるのでしょうか。霊界と地上が双子のようになっているのですが、心情圏を中心として見るとき、父母が長子の立場にいるというのです。代数から見れば、縦的には最初ですが、先頭に立ったというのです。興進が二代だというのです。

 しかし、これが反対だというのです。先生と興進を中心として見るとき、先生は兄の立場であり、興進が降りてくるのです。先生はカインの立場にいて、興進がアベルの立場にいるのです。これが霊界に行けばどのようになるのかというと、興進が長子になります。兄の立場にいて、それ以外のすべての霊人は弟の立場にいるのです。心情圏を中心としての話です。

 心情圏を中心としてそのようになるのです。それをはっきりと知らなければなりません。地上における関係を見れば、神様は父なので、神様の立場から見れば、お父様は長男であり、興進が弟になるのです。神様を中心として見ればそうではありませんか。

 霊界を見れば、興進が愛の圏を中心として最初に生まれた愛の息子であり、それ以外の人々は弟になります。霊界に行っている人は弟の立場に立つのです。

 逆さまになるのです。ですから、長子圏の心情基準が原則的立場を取って入っていくという結論が出てくるのです。今までのイエス様に対してもそうであり、すべての善なる聖者たちに対してもそうであり、今、霊界に行っている霊人たちに対して、心情圏を中心として誰が先に長子として生まれたのかいえば、興進が先に生まれたという話です。ですから、心情圏を中心とすれば興進が長子であり、それ以外の人々が次子だというのです。

 そのようになれば、興進君は長子圏を次子圏に相続してあげることができるのです。しかし、サタンは相続させようとしませんでした。サタンは、相続させずに自分が強奪するのですが、長子圏の興進は、もっている福をすべて地上に譲り渡すのです。ですから連結されるのです。今まで、サタン世界は、すべてを譲り渡そうとしませんでした。しかし、こちらは絶えず譲り渡してあげようとするのです。(一三一−五二、一九八四・四・一)

 今回、先生が息子にも祝福してあげることによって、四家庭が設定されます。

 これを中心として、東西南北を中心として、全世界の祝福家庭は完全に一つにならなければなりません。興進とイエス様と一つになるのです。

 カイン・アベルと同じです。先生の息子、娘の家庭と皆さんの家庭とが完全に一つになるのです。イエス様と興進の家庭が一つになるように、皆さんの家庭と統一教会の先生の息子の家庭が完全に一つにならなければなりません。

 それでは、イエス様の相対は誰ですか。既にイエス様の相対も祝福してあげました。それを知らなければなりません。しかし、それは、世界的版図の勝利圏ではありません。国家基準を超える時にしてあげたということを知らなければなりません。イエス様は、国家基準を超えて世界に行くことができなかったのです。それを超えなければなりません。しかし、興進は世界基準を超えました。ですから、興進とイエス様の家庭が一つになったように、今日、先生の家庭と皆さんの家庭が一つにならなければなりません。

 イエス様が犠牲になってから二千年間、今までイエス様とキリスト教が一つになることのできる日をどれほど待ち焦がれてきたか、あまりにもよく知っているでしょう。そのように一つになったのと同じように、統一教会を中心として見るとき、皆さんも、先生の家庭を中心としたその息子、娘の家庭の四方を中心として、皆さんの家庭が世界家庭として完全に一つにならなければなりません。

 今は、この一つになる基準がどのようになりますか。全世界的に一度に整理される時が来ました。このようになれば、霊界も一度にすべて連結されます。

 そのようにすることができる両世界の統一圏時代が目の前に迫っているということを知らなければなりません。(一三一−五五、一九八四・四・一)

 カインを完全に復帰してこそ、地獄も解放の門が開かれます。地上のカイン的基準が天国に向かっていける門が開かれてこそ、地獄のカイン、サタン側のカインの支配圏内にあったものが解放の門を開いて霊界に入っていくのです。そのようにしようとするので、霊界の王権が生じなければなりません。神様と真の父母の王権を中心として、アベル圏が形成されなければなりません。興進が行ってそれを立てるのです。

 先生は、蕩減条件を立て、サタンが支配していた世界的間接主管圏内を超えて直接主管圏内に立っているのであり、直接主管圏内にいる真の御父母様と連結された愛の中で育っていた興進が、霊界に行くことによって、歴史始まって以来初めて堕落せずに霊界に行ったという代表的人物の立場に立つようになるのです。

 ですから、イエス様に対して解怨成就し、それから薫淑を連結させることによって、イエス様を中心としてあの世に相対圏が展開するようになったのです。

 ですから、今までのイスラエルの国の善王たちと善の預言者たち、そして摂理史の中において一人でいた人々に、相対理想圏が備えられ、祝福の道が開かれたというのです。地上王権が展開することによって霊界王権形態が展開し、解放運動が地上と共に霊界にも成されるのです。それゆえに、今回興進が霊界に行った事件は、どれほど大きな事件でしょうか。(一三一−七九、一九八四・四・一六)

 興進君は、あの世に行ってどのようになるのでしょうか。韓国人として生まれたので、韓国の善王を中心とした結実として現れます。霊界のそのような王権が興進の位置です。ですから、そのような立場から韓国の善王を中心として見るとき、興進は、年齢は若いのですがアベル王です。霊界という所は、すべて知っています。この地上のように完全に知っているのです。完全に一つになるというのです。

 そのようになれば、どのようになるのでしょうか。カインとアベルが一つになればその上に父母が臨むといったので、ここに天の父母が運行できます。天の父母の運行圏が生じるのです。

 ですから、興進の王権と韓国のアベル王権が一つになることにより、韓国を中心としたアベル王権、主管圏が形成されるのです。それが一つになることにより、アベル王権の立場に立つようになるのです。

 しかし、ここに問題が一つあります。王権を立てようとすれば、興進一人ではできません。女王権をどのように復帰するかということが問題になるのです。

 これが第一の問題です。なぜこのようなことをするのかということを、はっきりと知らなければなりません。王権を結合しようとすれば、王権は、女王と共に、王になっていた世界において相対を決定してあげることにより、王権が霊界において連結されるのです。それでは、薫淑を中心としてはどのようなことが起きるのかいうと、女王が地上にいるので、百二十カ国の王権の民を連れて地上に連結できる基盤ができるのです。神様の愛を中心として、霊界と肉界の統一です。

 ですから、このように結婚させてあげることにより、興進は思いのままに地上に来るのであり、興進一人だけで来るのではなく、王権を統一したすべての王が地上についてくることができる、そのようなことが起きるのです。ですから、第一に女王が必要なので、このような式をせざるを得ないということをはっきりと知らなければなりません。今から反対する人は、「あー! レバレンド・ムーンはクレージー・マン、クレージー・リーダーだ!」と言って、あらゆる反対をするでしょう。興進を愛の代表として送り、先生が霊界に行ってなすべきことを代わりにしているというのです。

 それゆえに、興進が昇華してから五十日たったきょうは、五旬節と同じです。百二十人がマルコの屋根裏部屋で聖霊降臨とともに火を受けて、世界的役事が起きたのと同じように、きょうこの日、薫淑嬢が結婚することによってどのようなことが起きるのかというと、百二十カ国の王がこの地に来て復活し、世界的役事を展開できる運動が起きると考えるのです。それが五旬節を代表したきょうという日だということを、皆さんは知らなければなりません。ですから、霊界にいる百二十の王権が臨むことができるのです。地上と一つになるのです。このような二つのとてつもない意味があるのです。(一三−一五、一九八四・一二〇)

 赤ん坊を愛する母の愛の心情基台があれば、いつでも来ることができます。世の中の人よりも高い次元にいれば、霊界に行っても、来ることができるのです。

 それゆえに、地上において祝福された家庭が夫婦同士で正しく暮らせば、今後、子孫万代までそこで主人になるのです。地上に来て暮らすことができるというのです。地上に来て、すべて教えてあげるのです。それゆえに、子孫は栄えます。子孫に事故が起こらず、この難しい世の中、サタン世界、蕩減の多いこの世界の環境を免れて直行して上がっていくことができるのです。前進的な方向を備えて進んでいくのです。

 ですから、そのようなことを無視してはいけません。夢うつつの中で教えてあげたりするのですが、それは夢ではありません。目覚めようとする時、夢うつつの中で教えてくれるのです。そのようなことを絶対におろそかにしてはいけません。そして、今後、友人や食口たちの難しい事情を霊界から教えてあげることもできます。それをしなければ、自分が蕩減を受けます。ですから、天は恐ろしいのです。

 それゆえに、天を知って暮らす人は自分勝手にすることができません。先生もそのような時がありました。しかし、話しません。話をしなくても、既に知っているというのです。

 それゆえに、命令が下る時にそのまま動く人は困難を免れますが、躊躇する人はそこで押さえつけられてしまいます。そこで終わりになるのです。躊躇する人は、天が呼んで用いません。ですから、おろそかにしてはいけません。祈祷すれば、必ず教えてくれるようになっています。(二九一−一六一、一九九二・六・二)

 イエス様とイエス様の一族に神様がついて回り、霊界がついて回ったという事実を知り、皆さんがそのような信念をもつようになれば、神様がついて回り、イエス様がついて回り、興進様がついて回り、真の御父母様の保護圏がついて回るはずです。このような確かな原則を知らなければなりません。これは理論的です。そのようになれば、神様は自然に私の側になり、霊界も自然に私の側になるのです。アメリカと世界がいくら反対したとしても、「私にかなう者がいるか。私は司令官の位置に立ったのだ」、このようになります。

 第二人者だというのです。「あなた方は真の御父母様を知らないが、私は真の御父母様の身代わりである。神様とイエス様の身代わりである。興進様の身代わりである」、このような考えをもって、難しいことがある時は祈祷しなければなりません。神様に祈祷し、イエス様に祈祷し、真の御父母様に祈祷する時、行くべき道が生じるということを知らなければなりません。(一三一−三二三、一九八四・五・一九)

 今回、ろうそくをつくってあげようと思います。「興進ろうそく」というろうそくをつくってあげようと思います。これをつくれば、いつでも興進がここに来て皆さんに協肋するでしょう。自らの名前のついた何かが常に皆さんと具にあることによって、いつでも来て協肋することができるので、皆さんにはサタンが侵犯することができないのです。その理由は、息子の興進が保護してくれるからです。

 ここにおいて、息子の興進は、直接愛圏内の真の御父母様の息子です。直接愛圏内の真の御父母様の息子が守ってくれるものには、サタンが讒訴できません。サタンが侵犯できないというのです。そのような意味において、霊界に行った興進君が協肋してくれるということは、サタンが皆さんに侵犯しようとすることに対する防御の道なので、今後皆さんは、興進ろうそくを中心として祈祷しなければなりません。(一三二−二七九、一九八四・六・二〇)

 これは祝福家庭の息子、娘に限って可能なことです。しかし、皆さんが「この人は私の代わりに必要なのでそれをあげなければならず、この人はこのようなろうそくを受けるにふさわしい。み旨のためにいつでも犠牲になって余りある」と特別に考えられる時には、皆さんの名前で分けてあげてもかまいません。

 その前には、分けてあげることができません。祈祷する時にいつでも興進ろうそくをつけて祈祷すれば、興進の保護圏が展開し、真の御父母様がいらっしゃり、神様がいらっしゃり、また興進が保護することによって、安全な基盤を築くようになるのです。ですから、そのろうそくの火というものが最も貴いということを知らなければなりません。これは、祝福家庭の子女に限って配付するのですが、特別に生命を覚悟して手本となることができる人々に皆さんが分けてあげることもできるというのです。

 興進は、真の御父母様に孝子の本分を果たすことができずに霊界に行きました。興進が無念に思っていて、代わりに孝子の本分を果たしてくれることを願っているということを知らなければなりません。孝進を通してです。ですから孝進は、今から二人の息子の責任を全うしなければなりません。そのようにすれば、今から前途がよく開かれ、本当に良いでしょう。(一三二−二七九、一九八四・六・二〇)

 皆さん、祈祷時間に徹夜する人は、「興道ろうそく」をつけておいて祈祷しなさい。そのようにすれば、興道と共にいるのです。興道が共にいれば本当に良いのです。天使は必要ありません。

 愛の天使は、神様の愛圏を接触させることができません。興道は、真の御父母様の真の愛を中心として、世界的な蕩減を背負い、その条件によって霊界に行った方なので、直接愛圏、神様と真の御父母様の愛をもって皆さんを保護するのです。

 それゆえに、サタンが侵犯することはできません。原理がそうではないですか。サタンが侵犯できない境地に入っていくので、祈祷する皆さんは、み旨のために、神様のために、このみ旨全体のために、いつでも生命を覚悟しなければなりません。そのような決意がなければ、興道ろうそくを受ける資格がありません。(一三一−二七九、一九八四・六・二〇)


三 興道様と五旬節の地上役事

1 亡くなった興進様を実体復活させ、五旬節が来るようにされた

 サタンは、イエス様を殺したので、イエス様の実体役事が終わって霊的復活したのを見て、興道を殺せばすべてが終わると思っていました。しかし、真の御父母様、神様が、実体復活と同じ復活をさせました。イエス様を殺したのですが、イエス様を復活させて相対の聖霊を復帰して、霊的真の父母を立てたのです。それは、サタンにとっては大きな脅威です。それはイエス様も考えなかったことです。霊的父母になったのです。そのようにして、二千年後の再臨を望みとしてきたのです。しかし、興道はどのようになったのでしょうか。サタンは興道を殺せばすべてが終わると思っていたのですが、神様は、すぐに四十日以内で祝福し、イエス様が二千年後に再臨する基盤を四十日以内ですべてつくってしまったのです。

 ですから、二千年の蕩減路程を経たのと同じです。四十日以内で四千年蕩減路程をあっという間に経てしまったのです。再臨して結婚するのと同じです。(一三一−一四五、一九八四・四・二九)

 サタンがイエス様を打ったのちに神様が復活させたように、興道君をサタンが打ったのち、世界的な内容で真の御父母様が復活させました。そのようにして、イエス様は死んで霊的門を開きましたが、興進君は肉的門まで開き、二千年後に再臨できる道を四十日以内に短縮させてしまったのです。これは驚くべきことです。

 ですから、五旬節、聖霊降臨節の時、イエス様の時代における五旬節のその時と同じように、今は、新しい霊肉を合わせた世界的な五旬節時代だというのです。

 蕩減復帰です。失敗したことを蕩減しなければなりません。キリスト教が反対したからです。それをはっきりと教えてあげなければなりません。なぜかというと、イエス様が五旬節に聖霊と再臨して、百二十門徒と共に二千年間、キリスト教を中心としてキリスト教文化圏をつくってきたのですが、それを再臨主に奉献していれば、五旬節は必要ありません。

 しかし、反対したので、すべて完全に崩れてしまったのです。ですから、この時代になって、現実舞台において、王の王である真の父母を中心とした基準の前で百二十カ国を再び復活させなくては、霊的世界のイエス様の五旬節祝福基盤を地上に完全に連結させて相続権を移しておくことができないというのです。ですから、ここに祭物を捧げて、五旬節実体相続権を中心として連結させ得る基盤を築こうとしたのです。

 百二十カ国に植えたものを失ってしまったので、再び植えて刈り取らなければならないのですが、それを五十日以内ですべてやってしまったのです。そのようにして、イエスの再臨理想を中心として、興進君を直ちに結婚させてあげることにより、初めて再臨期間なく、真の父母が生きている神様の直接主管圏内において霊肉勝利圏が展開するというのです。(一三一−二三〇、一九八四・五・四)

 今、興進を中心として五十日後に式を執り行っていることを、統一教会はなぜ「五旬節」と言うのでしょうか。その五旬節とは何かというと、昔は個人が来ましたが、今は、その国の善霊たちがみな霊界から降りてきて、自分の国の善人と一つになるのです。そのようにすることができる時が来たのです。そして、カイン・アベル、天使世界とアダム世界が一つになった王権が顕現し得る時代が来るのです。驚くべき話です。夢のような話でもあります。そのようにならなければ蕩減復帰ができません。イエス様が蒔いたので、世界的に刈り取らなければなりません。

 ですから、そのすべてのものを復帰するために、興進に命じて再蕩減をしたのです。そのようにして、このことを知ってプログラムを合わせ、死ぬ前に私がすべてそのような「統一式」を行ったがゆえに興進もあのようになったのであって、プログラムを合わせていなければ、絶対に条件を立てることはできないのです。ですから、今、興進がサタンの境界線なく、昼でも夜でもいつでも思いどおりに百二十カ国で活動できる舞台が生まれたのです。ですから、あのアフリカにも行って現れたのです。昔はそのように現れることができませんでした。

 条件が成立していなかったので、横的な活動をすることができなかったのです。今は、横でも縦でも霊界でも、思いどおりに行ったり来たりするようになっています。

 ですから、今は、興進を中心として霊界で連結されている先祖たちも、いくらでも現れて興進を代理することができるのです。そのような時が来ました。

 今は、ひゅーっと回っていくのです。そのようにして、サタンが地上世界で占領している地域をどんどん追い払うのです。霊界から来て、すべて退治してしまうのです。そのような交差時代が来ました。地上を占領し、悪霊をどんどん追い出すのです。それが可能です。そして、白分の先祖たちが来て……。(一三一−一四八、一九八四・四・二九)

 興進が霊界に行くことにより、世界的五旬節の時代に入っていくので、完全に復帰する時に入っていくのです。韓国における延世大学と梨花女子大でついた火、その時燃え上がった火が今まで保留されていたのですが、四十年を巡って今、再現されるのです。ここにおいて、キリスト教文化圏とキリスト教国家と歴史的な統一教会の家庭と統一教会を信じる人が、先生のみ言と一つになることができなかったという汚点が残っている内容をいかに蕩減するのかというのです。それは、先生が蕩減しなければ道がありません。

 統一教会とアメリカと世界の首を切ってしまうことはできないというのです。ですから、やむを得ず、ここで興進を代わりに祭物として立てざるを得なかったという事実を知らなければなりません。(一三一−一九六、一九八四・五・一)

 サタンは、イエス様を殺せば、神様のみ旨であれ何であれ、すべてなくなると思っていました。しかし、神様が復活させ、今日、霊的世界を中心として世界的な版図を立てました。このような基盤の上でイエス様が昇天したのですが、相対がいませんでした。霊的父母になろうとすれば、霊的母がいなければならないのですが、霊的母がいなかったのです。ですから、母である聖霊を選出され、その聖霊が来るのです。聖霊が来る時は一人で来るのでしょうか。百二十門徒と共に来て、百二十カ国に霊的キリスト教文化創建の基盤を築く活動を開始するのです。それをまくのです。

 ですから、今日興進は、統一教会の歴史において、キリスト教文化圏が反対し、キリスト教が反対する基盤の上で、必ず十字架を背負わなければならないという立場に立ったのです。

 先生は、真の父母の名前をもっているので、どうすることもできません。法廷闘争をして監獄には入れましたが、首を切ることはできないというのです。その闘いをするのです。(一三一−一九六、一九八四・五・一)

 協会創立三十周年というのは、歴史的に唯一の転換の時だからです。ですから、先生が宣布の祈祷をしたのです。天国のすべての王権、百二十カ国の王権を地上の王権と連結させて、王権の中心である真の父母を中心として興進が霊界に行きましたが、息子の立場で祭物になったので、祭物を取り戻して真の父母に捧げなければならないのです。自分の体をもって祭物として捧げたのであり、サタンから取り戻して真の父母の復活的祭物として捧げなければならない責任があるので、興進は、この歴史時代の先鋒に立って全世界的な活動をするにおいて、すべての王、すべての聖者をみな連れてくるのです。ですから、今から五旬節を迎えるのです。(一三一−二〇一、一九八四・五・一)


2 興進様は百二十カ国を真の御父母様のみ前に

 今、先生は、すべての国の代表を中心としていますが、興進君は、今、百二十カ国を中心として真の御父母様の前にそれを引き込む役事をしています。なぜそのようにするのでしょうか。原理的に見るとき、真の御父母様の息子をサタンに引き渡す条件はないからです。犠牲になってはならないのです。サタンに引き渡してはならないというのです。同じように、神様の息子であるイエス様を引き渡す必要はなかったのです。それが原理観です。しかし、イスラエルの国とローマとユダヤ教を再び救うために引き渡したのです。取り戻してくるためにです。

 このように、真の御父母様が興進君をサタンに引き渡す何の条件もないのですが、キリスト教ゆえに、自由世界ゆえに、全世界ゆえに、興進君を引き渡したのです。サタン世界を取り戻してくる条件として引き渡したのです。興進君は、自分がサタンに侵犯されたことが真の御父母様に対する不孝だったがゆえに、百二十カ国を真の御父母様の前に追い立ててきて復帰してさしあげることによって転換するのです。それゆえに、興進君は休む暇もなく活動するのです。

 ですから、興進君が霊界から百二十カ国の王、昔の善王、善の民をすべて任命して再臨させ、「真の父母に、真の父母に!」と運動させるのです。百二十カ国においてこのような運動が展開するのです。(一三一−二三五、一九八四・五・四)

 イエス様が死んでから四十日後、五十日後に五旬節が起きました。本来、イエス様は、霊的にではなく実体的に、霊と肉の父母として、地上においてローマの基盤を中心として世界的に活動しなければなりませんでした。しかし、殺されたので、霊的父として上がっていったのです。その次に誰が来たのかというと、母の神である聖霊が地に降りてきました。

 五旬節に降りてくる時、一人で降りてきたのではありません。聖霊が降りてくる時は、旧約時代の善の霊たち、百二十カ国を代表して霊的な活動をすることができる代表団をこの地上に連れて降りてきました。その霊たちが地上に来てキリスト教の活動を行いました。今までその霊たちが何をしてきたかというと、国の文化背景は異なりますが、終わりの日である再臨時代に百二十カ国が連結できるように、世界的なキリスト教版図圏を築いてきたのです。

 霊的基盤を中心として、百二十門徒が世界的に活動していくのです。その道を築いてきたのです。(一三一−一四三、一九八四・四・二九)

 イエス様が復活することにより、百二十門徒が再臨したように、興進を送ることにより、百二十人の門徒が地上に再臨できる立場になりました。百二十門徒は国王です。世界代表の王を示すのです。指導者、責任者を示すのです。地上に再臨できる条件を立ててあげるのです。ですから、霊界に通じる人々にイエス様が現れ、自分は老いたキリストであり、興進は若いキリストだと紹介したのですが、すべて道理にかなった話です。

 霊界と肉界が連結され、霊界を引っ張ってきて善の霊たちを配置する運動が展開するのです。イエス様は、キリスト教を通じて国を復帰しなければならなかったのですが、国まで行く前に死にました。国まで行く前に死んだというのです。

 ですから、アメリカにおいてキリスト教が反対した事実を再蕩減するための祭物として興進が霊界に行き、それからダンベリー事件は何かというと、国家が反対したことを蕩減するものです。先生がそれを蕩減しなければなりません。

 国家的蕩減をすることにより、世界のすべての国家が反対したその峠、艱難期を越えて新しい次元の国家、世界に向かうことができる統一教会の運勢時代に越えていくのです。それをはっきりと知らなければなりません。(一六一−八〇、一九八七・一・二)

 イエス様が復活する時に百二十門徒が設定されたように、興進君が四十日目以降に祝福を受けることによって再臨できるのです。

 聖霊が地上に実体として臨んだのと同じ基準になっているので、霊界にいるすべての百二十カ国の善君、イエス様をよく信仰していった善君を中心として……。興進君は誰ですか。愛の王です。イエス様とカイン・アベルが一つになり、イエス様を中心として、その時の王権を中心としたその国々のすべての王をカインと同じ立場ですべて連れてきて、カイン・アベルを立てるのです。

 霊界で一つになったので、地上に降りてきて地上の百二十カ国を中心として、百二十門徒が来たのと同じように、その善の王権をもったカイン的王権を中心として、心情的一致圏に連結して地上再臨させるのです。そして、すべての霊人たちが来て、その国の生きている大統領を協肋するのです。また、キリスト教を中心として、善の王を中心として侍ったその時代、その国の善の民を合わせて、今の主権を中心として真の父母の愛圏に連結させる運動が展開していくのです。(一三七−二九六、一九八六・一・三)

 五旬節、聖霊降臨節の時、イエス様時代の五旬節のその時と同じように、今は世界的な新しい霊肉を合わせた五旬節時代だというのです。蕩減復帰です。

 失敗したことを蕩減しなければなりません。キリスト教が反対したので、それをはっきりと教えてあげなければなりません。なぜかというと、イエス様が五旬節に聖霊と再臨して、百二十門徒と共に二千年間キリスト教を中心としてキリスト教文化圏をつくったのですが、それを再臨主に奉献していれば、五旬節は必要ありません。

 しかし、反対したので、すべて完全に崩れてしまったのです。ですから、この時代に、現実舞台において、王の王である真の父母を中心とした基準の前に百二十カ国を再び復活させなくては、霊的世界のイエス様の五旬節祝福基盤を地上に完全に連結させ、相続権を移すことができないというのです。

 ですから、ここに祭物を捧げて、五旬節実体相続権を中心として連結させることができる基盤を築こうとしたのです。百二十カ国に植えたものを失ってしまったので、再び植えて刈り取らなければならないのですが、それを五十日以内ですべてやってしまったのです。そのようにして、イエス様の再臨理想を中心として、興進君を直ちに結婚させてあげることにより、初めて再臨の期間がなく、真の父母が生きている神様の直接主管圏内において霊肉勝利圏が展開するというのです。

 第二次大戦の時、キリスト教文化圏が一つになり、再臨主を迎えることができる時があったのですが、反対しました。百二十カ国が一つになり、すべて崩れてしまいました。二千年歴史がすべてです。ですから、統一教会を通して再現し、キリスト教文化圏の百二十カ国形態の基準に入ってきてこれを進結させるためには、イエス様が失敗したすべてのことを受け継いで勝利基盤を築かなければなりません。それをしなければ越えていくことができません。蕩減しなければなりません。

 ですから、先生が十字架を背負うのです。同じように、きちっとその進を行くのです。今回は、霊肉を中心として一つになるのです。死にはしないので、霊肉で一つになるのです。先生は死にません。ですから、ユダヤの国に当たる韓国とキリスト教の歓迎する場が韓国大会(勝共決起大会)です。それを中心として、世界的にみ旨が展開していくのです。(一三一−二三〇、一九八四・五・四)

 世界的蕩減基盤の上に立った真の父母が蕩減したので、興進様は、霊界に行ったとしても、原理的な観点において真の父母から委任された人だというのです。それを知らなければなりません。イエス様も、霊界に行って新婦を復帰するまで、真の父母の基盤、蕩減条件の基盤を通過することはできなかったというのです。イエス様がカインになり、興進がアベルになって霊界の長子復帰は完全に決定するのです。霊界において長子復帰をするのです。そのようにして霊界を正してあげることにより、霊界に秩序が定まるのです。

 イエス様は、霊的王の立場で新婦を探して結婚するまで二千年を経ましたが、興進は、四十日以内でこれをしてあげるのです。直ちに、五旬節以内で祝福してあげることにより、二千年間キリスト教が払ってきたような犠牲の蕩減を払わず、直ちに興進を進結してあげることにより、地上世界と霊界が真の父母の愛の圏内に接触してくるのです。これを知らなければなりません。そのようにして、韓国の王をセンターとしてすべての国の王を糾合し、その王たちを愛した愛国者と忠臣をすべて東ねることができる基盤をつくるのです。

 数多くの氏族と数多くの血族によって文化背景の異なった霊界に、興進君が行くことによって統一圏が生じるのです。そのようにして地上世界と連結され、霊界が統一された基準において、先祖たちが自分の子孫を訪ねてくるのです。

 今後は、大統領も、すべて霊的に共に選挙をし、統一教会を信じ、統一教会を主張する人が自然に大統領になるのです。

 このようにして、統一圏世界の百二十カ国が降臨し、顕現する時代に入ってきたということを知らなければなりません。

 それは、いつ植えられたのでしょうか。二千年前に霊的母と霊的父が生まれた時に、百二十門徒が世界国家の種として蒔かれたのです。それがキリスト教文化圏と連結され、その版図を再び復活させて収穫する国家的収穫圏を成し、イエス様とキリスト教が真の父母に捧げることのできなかった過去のキリスト教文化圏を蕩減復帰し、キリスト教文化圏と民主世界の勝利圏、統一教会の世界的版図と霊界の勝利圏を真の父母に結束することにより、一つの統一された心情世界圏に越えていくことができるのです。ですから、五旬節の蕩減です。再蕩減、収穫を通じた再蕩減をするのです。

 霊界は、百二十の霊的王権を中心としてすべて統一圏に統一されるのです。そのようにして、地上の百二十カ国に再臨するのです。これは何かというと、イエス様の時代に洗礼ヨハネを中心としてユダヤの国の百二十門徒が一つになった形態と同じだというのです。王権が再臨するのです。

 そうだとすれば、どこに再臨するのでしょうか。自分の国にするのです。自分の祖国に再臨するのです。百二十カ国の基盤にすべて協助し、センターとなる真の父母の側にどんどん引き込むのです。イエス様の時代に、サタン世界の文化圏にキリスト教文化が定着したのと同じことをするのです。(一三一−一九八、一九八四・五・一)

 霊界は、天使世界です。天使世界に該当するのです。結婚できなかった立場に立っているのです。イエス様は結婚することができずに死にました。ですから、結婚できなかった立場にあるこの天使世界をすべて収拾し、イエス様まで糾合して、あの世に初めて……。イエス様は、天使世界の息子ですが、本来のアダムの息子なので、霊界に行って本来の王宮を中心として、王権を中心として、民を中心とした天国を成さなければなりません。しかし、それが成されていません。ですから、興進が霊界に行くことにより、どのようなことが起きるのでしょうか。今まで、歴史的にキリスト教とアメリカが誤ったこと、統一教会が誤ったこと、そして私の息子、娘が誤ったことまですべて蕩減していったのです。

 そのようにしていったので、興進が霊界と肉界を連結させて一つに結ぶ時には、すべての蕩減条件が成立します。ですから、霊界において新しい若い王を中心として……。イエス様は三十三歳の王です。そのような王権組織を中心として、各国に王権形態を再編成するのです。百二十カ国の王権を編成して地上の国に再臨することができる、そのようなことが起きるのです。(一三一−一四三、一九八四・四・二九)

 誰のためにですか。真の御父母様のためにです。ですから、このすべての霊界は、真の御父母様に向かって入ってくるというのです。アメリカが反対していますが、自由世界はすべてレバレンド・ムーンの側です。大統領になる人々はみな、「レバレンド・ムーンの思想でなければならず、統一教会でなければならない」と言いながら入ってくるのです。

 ここで、すべて人事配置しています。私が考えるとき、興進君はかわいそうです。このようにしなくては、真の御父母様に対して面目が立たないので、このことをするのです。皆さんが世界の国家を連結させなければならないのですが、それを代表してするのです。皆さんと一つになってするのです。

 なぜでしょうか。霊界で統一がなされているからです。それによって、このような蕩減条件をすべて払い、霊的世界の活動を地上と完全に連結させたので、統一教会という言葉が完成したと言うことができます。それゆえに皆さんは、いつも薫淑を思い、興進を思わなければなりません。彼を先頭に立ててお兄さんのように従っていきながら真の御父母様に侍らなければならないということが、今、起きていることを知らなければなりません。それゆえに、今からは、世界的な恩賜の時代に入っていくのです。興進君が逝くことにより、新しいペンテコステ(五旬節)が起きたのです。ペンテコステは再臨を意味するでしょう? (一三一−二三五、一九八四・五・四)

 イエス様が復活されたのち、ペンテコステを中心として百二十人門徒が準備した、その基地に結実することができる世界的国家形態として、アダム型の国、アベルの国をすべて管理し、育ててあげ、保護する責任があるのです。天使がアダムとエバを保護してあげることができたように、興進が霊界に行くことにより、百二十カ国が再臨できる、そのようなことが展開するのです。

 本来は、先生が行ってしなければならないことですが、先生が行かずに、興進が先生の代わりに行き、今そのことをしているのです。これをするためには相対基準がなくてはならないので、薫淑を地において結婚させてあげるのです。

 このようにすることによって、相対理想をもたらしたイエス様と聖霊の実休園に代わる立場で、百二十カ国全体が再臨できる基地をつくることができるのです。ですから、興進を中心として、五十日を中心として、百二十カ国が再臨する五旬節復活圏が起きるという蕩減復帰歴史は、避けることができないのです。(一三一−一四三、一九八四・四・二九)

 孝進と私たち統一教会の食口は、興進を助ける祈祷を一生懸命にしなければなりません。これをはっきりと知らなければなりません。代わりに捧げたものをサタンから取り戻し、実体として真の御父母様に捧げなければなりません。

 ですから、百二十カ国を取り戻してくる運動をするにおいて、霊人たちが統一教会の食口たちと一つになり、全世界の国民の背後から真の御父母様に向かって入っていくようにしているというのです。

 ですから、ここにおいて私たちは、完全に一つになって祈祷しなければなりません。一致団結すればできます。ですから、興進と薫淑の思想をもたなければなりません。この思想だけをもたなければならないというのです。サタンの讒訴を免れる道は、サタンのすべての所有を真の御父母様にお返しすることです。これが転換点です。

 それでは、三年間どのような心で活動するのでしょうか。「興進様のように犠牲になろう。主体である私が興進様を助けるのであって、興進様の世話にはならない」という心で活動しなければなりません。

 このように活動すれば、世界はあっという間に復帰されます。「私たちが主体であり、興進様は相対なので、主体である私たちは世話にならない。助けを受けない」、こうでなければなりません。(一三一−二〇四、一九八四・五・一)


3 興進様の地上役事

 「あー、興進様一人が死んで、そのように大騒ぎするのですか〇文先生も本当に正気ではない。自分の息子が死んで、何を大騒ぎするのですか!」などと思って理解できなかったでしょう。このような歴史的背景を中心として悲惨な内容をつづってくる深い心情の事情を、誰が知っていたでしょうか。もし先生がこれを知らなければ、霊界と肉界はどのようになっていただろうかというのです。

 イギリスから責任者が来て報告した内容ですが、霊界において興進と共に活動する背景を一人の婦人が教えてくれるというのです。それによれば、聖フランシスは、イタリアで死んだのですが、一度もイタリアに行くことができなかったということです。しかし、興進が霊界に来て配置することにより、今回初めてイタリアに行くようになり、それが「どれほどうれしいか分からない」と言ったというのです。

 また、ドイツ南部にいた一人の司教は、ドイツで死んだのですが、ドイツに行くことができなかったというのです。しかし、興進様が「あなたはここで監督しなさい!」とおっしゃり、「ドイツに来て活動するようになったのでどれほどうれしいか分からない。真の父母に協肋することができる驚くべき恩賜を受けた」と言って喜んでいたという報告を受けました。それは先生が話したこととすべて一致するのです。霊界にいる人々が言うには、今まで興進を知らなかったということです。「東洋の少年だが、あれは誰だろう? イエス様がたじたじになっているが?」、このようにして不思議に思うので、興進が「私が興進だ」、そのように言ったというのです。ですから、イエス様が興進のことを「ヤング・キリストだ」と言ったというのです。「自分はオールド・キリストであり、興進はヤング・キリストだ」と言ったというのです。そのヤング・キリストとは何ですか。先生がきょう解説する内容を聞かなければ分かりません。きょうのこのような内容の概念を知らなくては理解できないというのです。

 さあ、洪水のような恩賜の時代が来たので、洪水のように勇気を出し、洪水のように走っていき、洪水のように闘ってみよう、ぶつかってみよう! これが、きょう皆さんに指示する贈り物のみ言だということを知らなければなりません。恐れてはなりません。

 自分の行く所には神様が共にいらっしゃり、興進と霊界が共にいる勝利の立て札が打ち込まれているので、最後まで行くのです。行けば、すべてのことが解決します。(一三一−二〇五、一九八四・五・一)

 興進が霊界に行き、アフリカでもどこでも、頻繁に現れることができるのは、興進の天下になったからです。ところで、薫淑は、結婚する時にそれを知りませんでした。薫淑は、霊的世界の王妃として初めて歴史に現れたのです。

 真の父母の愛の圏内から神様のみ前に送られた息子としては、歴史始まって以来のことです。イエス様もその位置には行くことができませんでした。真の父母の愛を中心として、原理主管圏と直接主管圏が連結された真の父母の基盤をもっていくことができなかったのがイエス様です。

 歴史始まって以来ただ一人、興進だけがそれをもっていったのです。そして、再臨が必要なく、現実において霊的に、肉的に実体的な相対基準を成したのです。イエス様が死んだのち、数多くの犠牲の代価を払いながら二千年蕩減してきたことを何日間でもってすべて終えたので、霊界と肉界が分かれていたのですが、興進を架け橋として完全に連結されたのです。それは理論的です。どうすることもできないというのです。(一三一−一四九、一九八四・四・二九)

 先日も郭錠煥氏が話しましたが、今、興進君が世界的な霊界役事をしているのですが、アフリカの指導者と欧州の指導者の心霊検討を行いました。それは欺くことができません。すべて明らかになります。霊界から見ればすべて分かります。何をして隠しているのか、隠していれば雷が落ちるのです。

 ところで、一つ、私たちと異なることとは何でしょうか。興進君が霊界で「こうだ」と言えば、本当にそのように行動することです。考えると同時に行動します。それが異なります。今、興進が来て、ある霊媒を通じて共に生きています。それゆえに、直接指導するのです。朝起きるのもその時間を守らなければならず、例外がありません。きっかりその時間に起きます。約束すれば、その時間どおりに動くのです。値引きがありません。それは何かというと、霊界に直接属していれば、考えることを直接行うことができるということです。

 しかし、堕落した世界はそうではありません。堕落した罪悪世界は、考えたことを直接行動に移すことができないのです。それが異なっています。それでは、霊界では何を中心として考えるのでしょうか。愛を中心として考えます。本質的な創造理想に直行できる愛を中心として考え、愛の理想実現のために考えます。それゆえに、その愛の本然の位置にいれば、体が即座に行動できる世界になるのです。

 しかし、今日の人間世界はどれほど異なっているでしょうか。考えるのですが、それを行動に移すために、十年かけて考えてから行動することもあり得るのです。それだけ違いがあるというのです。良心的な人であるほど、考えることを早く行動に移すことができるのです。即座に行動に移すのです。考えることが言葉として現れ、言葉として現れるだけではなく、行動として現れるというのです。それが異なる点です。(一六九−一七二、一九八七・一〇・三一)

 先日、興進君が現れて、今霊界からすべて役事をしているのですが、「統一教会の教会員の八五パーセントは全員追い出さなければならない」と言うのです。興進君は、私よりも愛が多いのです。私は、九九・九パーセントまで追い出さなければならないと考えています。

 なぜでしょうか。私は、今定義したこのような人に一人も会ってみることができなかったのです。では、ここにいる金協会長、そうでしょう? 本物ですか、偽物ですか。

 見てみなさい。答えられないではないですか。郭錠煥氏! 本物ですか、偽物ですか。「私が本物だ」と言うことができるのは神様しかいません。それゆえに、私たちは神様を手本としていかなければなりません。(一六九−五六、一九八七・一〇・二五)

 統一教会の群れをよくよく見れば、単純ですさまじいのです。今回、興進君が来て棒で思い切りたたく時も、良心の呵責となることをそのままにしておいては生きることができないのです。棒で殴られたとしてもおしりを突き出し、腰が一度折れたとしても「私は嫌だ!」と言わずにいます。それが統一教会の底力です。(一七二−二九、一九八八・一・三)

 先日、興進君が来て一度ひっくり返してしまいました。それゆえに、「ああ! 化け物と共に生きる統一教の群れ」と言いましたが、そうです。化け物の王が神様です。神様と共に生きているのです。そうだというのに、誰がレバレンド・ムーンを捕まえますか。誰がこの道を遮りますか。四十年間迫害を受けながらも、このように発展させてきました。それは私の力ではありません。神様が加護されて、そのようになったのです。(一七一−四一、一九八八・一・三)

 今回、興進君が来て旋風を巻き起こしましたが、気分はどうでしたか。たくさん学びましたか。人を愛し、人権を尊重し、公金を大切にすること、血統を尊重視すること、先祖から受け継いだ愛国心、孝行の道、義人の道、先駆者の道、聖人の道、そのような情緒的な道を中心とした、心情的基準を尊重視する四大原則が、天国の憲法になっています。(一七一−一九八、一九八八・一・一)

 興進も、絶対的に先生と全く同じ考えです。霊界がそうです。餅はあげるかあげないかなのに、キムチ・スープから飲み、さじをもってきて、箸をもってきて、でんと座っているのです。私は、幼い時からそのようなことが最も嫌いです。それは体質的に受け入れられないようになっています。

 今、霊界においてすべてそうではないですか。興進君がここに来て仕事をするのは、先生があまりにも苦労したので、天命を受けて来たのです。今まで先生が血肉を捧げて積み上げた金のような塔を、うじ虫になって食い荒らしています。

 ですから、霊界がすべて責任をもって現れて張り飛ばすのです。張り飛ばすだけでしょうか。「張り飛ばされたことが悔しい」と言って不平を言う者たちがいますが、不平を言いなさいというのです。時を知らない者たちです。その時の空気に私は動かされません。(一七〇−二八五、一九八七・一二・四)

 今から皆さんは、どのようにしなければなりませんか。皆さんが誤って興進を死なせて許されたように、この民族が罪を犯したので、皆さんは、死ぬ立場に立って再び復活しなければなりません。ちょうど同じです。死ななかったでしょう? ですから、死ぬ立場、北朝鮮に首を突き出しなさいというのです。危険な所は行きたくないでしょう?

 息子が死んだ時に耐えてきたのは、どうしてでしょうか。国家解放を成し、世界解放を成すのです。国家解放と世界解放のために統一教会員たちができないのであれば、そのような立場にほうり込んでそのことをさせるのが正義の道です。働かなければ御飯を食べることはできません。働かなければ寝ることはできません。興進君が寝ましたか。元弼氏! 何日間寝ていませんか。(今も寝ることができずいます)。何日間なのかというのです。(約八十何日になります)。それでも生きるのですね。顔が赤くなって、死にません。証拠です。はっきりと分かりましたか。(一七一−二七六、一九八八・一・二七)

 今から責任者たちは、どのようにしなければならないのですか。興進君のようにしなさいというのです。皆さんが出掛けていって仕事をする所では、興進君が共にいなければなりません。興進君は先生に似ているというでしょう?

 先生は、食べることや寝ることを考えましたか。生涯、そのようには生きませんでした。今まで神様が二百五十万年という人類歴史を経てこられながら、いつ休んだりされましたか。二十四時間、いつも同じでした。復帰の一念以外にはなかったのです。

 もちろん、興進君が来て、皆さんをすべて許す条件も立てましたが、すべて許されたわけではありません。実践しなければなりません。八八年を中心として、きれいに整備しなければなりません。自らが犯した罪の垣根を壊し、「私は解放されて行く!」と言うことのできる自分自身を取り戻して立ち上がらなければならない時が八八年です。一年しか残っていません。はっきりと知らなければなりません。後日、「私は知らなかったので、このようになりました」というのは通じません。皆さん自身がまず行うのです。興進君が共にいなければなりません。

 それが、興進君が皆さんに教えてあげたことです。真の御父母様がおっしゃることには絶対服従です! それに異議はありません。「糞を食べなさい」と言えば食べ、「肥だめに落ちなさい」と言えば落ちなければなりません。なぜか分かりますか。ほかのことは考えるなということです。

 興進君は、皆さんの罪を許すために徹夜しながら世界を一周して、ここに来ました。皆さんは全員罪を犯したカインと同じ立場にいるのであり、この世の人々は皆さんと全く同じなので、皆さんが彼らのためにそのことをしなければなりません。座って「ああ良い」と言って安らかに暮らしなさいというのではありません。はっきりと分かりましたか。興進君が皆さんの過ちを許したように、皆さんも、世の中に出ていって張り飛ばそうと何をしようと服従させ、「来なさい」と言えば来て、「行きなさい」と言えば行くことができるようにし、全員天国に連れていくことができるようにしなさいというのです。それが教示です。先生は必要ありません。満四年ぶりに来て、その特権を与えるのです。

 皆さんが興進君のようになることを信じ、皆さんを許すのです。(一七一−二七四、一九八八・一・二)

 今からは、先生を心情的に蹂躙することに対しては、許してもらうことができなくなります。今回、興進君が来て清掃作業をしたので、私は手をつけなかったのです。興進君が来てどのようにしましたか。興進君が祭物として霊界に行き、私が祭物として送ったので、やむを得ず私がかかわったのです。

 事実、皆さんは、先生に対することができるようになっていません。先生に対そうとすれば、先生の直系の血統を通じて対することができるのです。アダムの使命を真の父母が成すのです。第三者が対することができるというのは原理ではありません。違いますか。神様の純潔な血統を中心として生まれた息子、娘を真の御父母様が率い、その息子、娘を中心として家庭編成と氏族編成をしなければならないのですが、継ぎはぎだらけの者たちを連れてきて氏族編成をしようとするので難しいのです。

 統一教会の氏族編成は、堕落した息子、娘を復帰し、復帰された氏族として編成することです。洗礼ヨハネ的です。ですから、皆さんは三代を経なければなりません。三代を経なければなりません。それゆえに、先生の息子、娘たちも、みな犠牲になっているのです。本来、先生の息子、娘は、先生の息子、娘同士で結婚しなければなりません。しかし、人類を生かしてあげようとするので、三十六家庭の息子、娘とみな祝福してあげたのです。原理がそうではないですか。(一七二−六三、一九八八・一・七)

 原理的に見るとき、統一教会において最も重要な問題は心情問題です。皆さんが生まれたのも心情の理想を実現させるためであり、心情の理想を実現させて、その理想実現の生活を通して心情的結果を天に報いなければなりません。実を取るためです。(一七一−九、一九八七・一二・五)

 愛の理想圏に同参できないのです。それほど違いがあります。先生が天のみ言を語ったならば、そのみ言と共に皆さんの心と体が直接行動できなければなりません。しかし、そのようにすることができずにいるというのです。

 ここには、自分が進んで条件をもってくるのです。不便だとかどうだとか、自分の家庭があるとか、自分の環境があるとか、国がどうだとか、世の中の法がどうだとか、私の習慣がどうだとか、自分の良心がどうだとか、生まれつきの性格がどうだとかいう、介在させてはならない様々な条件が引っ掛かっているのです。いつこれが清算されるのですか。その引っ掛かっている条件をもったまま生きたのちに死ねば、心の理想は遠くのほうに行き、体は地獄に向かっていくのです。

 どのようにしてこの境界線を縮めるのでしょうか。何によって縮めなければならないのでしょうか。縮め得る、ほかの道はありません。言葉や力でもできません。愛で縮めなければなりません。愛によって縮めることができるのが人間の本然の相、すなわち性相と形状なのです。愛で一つになり、一体化させなければならないにもかかわらず、観念ゆえに愛がないというのです。愛を実践できずにいるというのです。

 愛の同和的主体性をもった心的基準が動けない位置に立ったというときは、永遠に一つになることができません。心はあちらに行き、体はこちらに行くので、どのようにしますか。あちらにも行くことができず、こちらにも行くことができないのです。(一六九−一七二、一九八七・一〇・三一)


四 真の御父母様の御家庭とダンベリーの苦難

1 アメリカのダンベリーでの苦難の意味

 統一教会において、先生の家庭を見てみれば、一九八四年、その時が先生の家庭に対してサタンが総攻勢をかけた時でした。ですから、興進君が霊界に行き、先生は、一九八三年から始めた外国での新しい機動隊編成が二年目に入り、一九八五年までの四十年の峠に向かっていく時に、法廷闘争を中心としてダンベリーに入っていったのです。

 そのようにして、すべてのものを蕩減原則によって背負いました。ダンベリーで完全に蕩減して解放がなされることにより、アメリカ自体が反対していた立場から歓迎するようになったのです。アメリカのキリスト教と統一教会、カインとアベルが一つになった基盤の上で、アメリカ自体を屈服させることができる基盤、世界基盤を築きました。

 それゆえに、今回帰ってきて、韓国を国家的基準において縦的に上がっていくようにさせ、横的基準において再び連結しなければなりません。(一四三−一八五、一九八六・三・一八)

 先生の家庭の息子、娘がみな艱難を受けます。一九八三年、一九八四年、一九八五年の三年間、家庭が艱難を受けるのです。家庭的十字架です。先生が家庭的にそうです。一九八四年、その時に興進が亡くなったのです。一九八三年十二月に事故が起き、一九八四年正月二日に霊界に行きました。すべて艱難時代です。それから先生が監獄に入っていったので、一九八五年までが家庭的艱難時代です。第二次大戦直後、一九四五年八月十五日が光復節ですが、一九八五年八月二十日にダンベリーから出てきたのです。

 光復節は八月十五日でしょう? これを過ぎてから出てきたのです。四十年圏内のすべてのものが清算されるのです。ですから、イスラエル民族を新しく編成するのと同じです。(一四九−二二九、一九八六・一二・二一)

 先生は、ダンベリーに行こうとすれば行き、行こうとしなければ行かないこともできました。先生は韓国にいたので、アメリカに来なければダンベリーには行かないのです。しかし、なぜ来たのでしょうか。アメリカと自由世界のために来たのです。それを知らなければなりません。興進君を世界のキリスト教のためにそのように送っておいて、私が来ないということはできないのです。

 私は、世界を指導するアメリカに責任を負い、このことを決断しなければなりません。ですから、アメリカ大統領までも私が祝福してあげるのです。一九八四年に興進君がそのように霊界に行くことにより、キリスト教が私たちと連合するようになります。監獄に入っていく時に七千人を連合したのです。キリスト教を連合した基盤の上で監獄に入っていき、キリスト教の基盤を連結させたのです。キリスト教を連合させたので、国家を連合することができる基盤は自然に現れてくるのです。そのようなことをするのです。(一六一−八三、一九八七・一・二)

 興進君の死により、興進君自体がすべて清算することはできないのです。お父様と協力しなければなりません。お父様の分が残っているので、サタンは、最後にお父様まで攻撃するのです。ですから、アメリカが先生を捕まえてダンベリーに入れたのです。このダンベリーは、二十世紀の十字架と同じです。イエス様の肉的な十字架と同じなのです。イエス様は、霊的な面を救うために肉的なものを死によって蕩減しましたが、先生は、実体世界の救援の道理のために、監獄、すなわち死の場、地獄に入っていくのです。そのようにして復活することにより、霊的な世界ではない地上天国が開門され、興進君と一つになることによって霊的世界も復活できるようになり、今、開門された地上世界の父母に従って協肋することにより、天の立場で行くのです。(一九六―二六五、一九九〇・一・二)

 私がアメリカに行き、アメリカの法廷で裁判を受けて刑務所に行ったことは、どれほど息の詰まることでしょうか! この者たち、数値ドルにもなるお金を注ぎ、自分たちの国に「滅びてはならない」と夜を明かしながら祈祷し、血と汗と涙を注いだ人を……。

 その国を救ってあげるために努力したお客さんの中の最も貴いお客さんであるのに、そのようにすることができますか。呪いの雷を落とすことができ、アメリカのすべての山野が荒廃した砂漠になるように祈る立場であるにもかかわらず、彼らをつかんで「呪わないでください」、「私が十字架を代わりに背負うので、息子の涙に免じて許してください」と祈ったのです。それが天に行く道です。私を見て、打つことができない神様の事情を知らなければなりません。

 それゆえに、監獄生活をしながら不平を言うことはできませんでした。そこにはアメリカのすべての悪党、マフィアがいないでしょうか、殺人者がいないでしょうか、ありとあらゆる者がいるのです。彼らがみなアメリカに対して不平を言っても、「おい、アメリカという国は、そのように簡単な所ではない。そこにはありとあらゆる難しいことがあるのだ。個人生活の主人になることも難しいのに、国を率い、多民族をすべて吸収してアメリカの伝統文化を立てるということは簡単なことではない。不平ではこれを解消することができない。忍耐と消化力をもたなければならない!」と言いながら治めました。私は監獄に一年間いましたが、最初のころ、彼らはみな目をむいて私に反対しましたが、六ヵ月以内で、私が通るとみな訪ねてきてあいさつする、そのような環境になりました。(一九七上元四、一九九。・一・二〇)

 私がダンベリーの監獄から出てきたのち、何かの問題があってそこを調べにいった人が、先生がダンベリーにいた時の責任者と看守たちに、レバレンド・ムーンが在所時にどのような影響を及ぼしたかを尋ねてみると、彼らが言うには……。ところで、そこの責任者は私を最も嫌いました。本当に無性に嫌ったのです。それは、そのようにせざるを得ません。彼を消化して屈服させなければなりません。

 彼は私を嫌いましたが、正義には屈服します。ですから、調べるために行って、その人に会って話をしたのですが、私を嫌ったという、そのようなことまですべて話したというのです。「我知らずこうこうこのようにしたが、今になってみると本当に悔やまれる。その方がいらっしゃった二年間、囚人の中に争いが起きず、頭が割れ、手が折れる人は一人もいなかった。その前には争いが一週間に一、二件は必ず起きた。しかし、その方が出て行くやいなや、一週間もたたずに一年前のその現象がそっくりそのまま現れた。そのようなことを見るとき、一人の偉大な人がいることによるその影響が、どれほど大きなものかということが分かっていなかった。本当に感銘を受けた」、そのように言ったというのです。(一九七−三一四、一九九〇・一・二〇)

 私がダンベリーに入っていく時、全世界の統一教会の責任者が来て泣いたりわめいたりしましたが、私は、「この者たち、今、あなた方は、あのダンベリーの壁の向こう側の世界を見ることができない。私が行って来るまでは、あの壁は崩れない。泣いてはならない!」、そのように言いました。ダンベリーに一年くらい行くことは甘受しなければなりません。そのようなチャンピオンではありませんか。

 私は、監獄に対しても歴史におけるチャンピオンでしょう? 監獄に関する記事を書けば大作を書くことのできる背景があるのですが、話しません。話せば私の自慢になります。神様を誇らなければならないのに、私の自慢になるというのです。神様がこのくらいの条件を掲げているのに、自分の自慢をこれくらいすれば、それは不敬です。

 それゆえに、先生の獄中生活の秘話は誰も知りません。ところが、私も知らないのに、ある人が『牢獄の救世主』という本を書いたということですが、私はそれを見ることもしませんでした。そこに先生がしたことがすべて書かれています。世の中は、すべて明らかになるようになっています。(一九七−三一四、一九九〇・一・二〇)

 一九八四年を中心として興進君が霊界に行き、今、私が最後にこれを正しく終えるためにダンベリーに入っていき、三十万のキリスト教牧師に統一教会の偉大な原理のみ言の内容を圧縮したビデオ・テープを分けてあげ、本を分けてあげています。今、大騒ぎになっているでしょう。いくら反対してみても、頭が良い人はみなレバレンド・ムーンのおしりについてくるようになっています。時がそのような時です。

 世の中の人々は、「本当に文牧師は不思議だ。彼は誰なのだろうか。どのような人なのだろうか」と言っています。ですから、不思議なことはいくら研究してみても分からないのです。ほかの人々は、監獄に入っていけば、家族に不幸があった家のように泣いたりわめいたり大騒ぎするというのにです。

 先生は、希望を掲げ、ひたすら「監獄ののちには何が来るのだろうか」と、監獄の門も開かなければならないと考えているのです。どこであろうと、私が因縁を結べばそのままにしておきません。私が監獄にいる時、何人かの者が「先生、電話します」と言うのを、「こいつ、電話してはいけない!」と言いました。ですから、いくら電話したくてもできないのです。私が「電話をしなさい」と言わなければなりません。そこでは「一日が早く過ぎろ」と言いますが、皆さんは「早く過ぎるな」と言います。また皆さんは、「一日がなぜこのように早いのか」と言いますが、そこでは「一日がなぜこのように長いのか」と言います。反対です。反対ですが、一方はサタン側であり、一方は神側です。しかし、二つとも神側ならば良いというのです。(一三四−二一、一九八五・一・一)

 私が監獄に入っていく前に、既に宗教を一つにまとめることを始めました。

 それから、弱小民族と強大民族を一つにまとめることも、既に入っていく前にしました。そして、今は何ができるかというと、アメリカ政府を中心とした民主党と共和党が生き得る道、一つの理想的な道に行くことができるように準備しています。日々、監獄においてそれを準備しているのです。すべて命令しました。

 それは、カインとアベルが一つにならなければならないのです。統一教会とキリスト教が一つになってこそ、アメリカが行き、世界が行くことができる基盤を築けるのです。(一三四−八四、一九八五・一・四)

 なぜでしょうか。愛を中心として環境をつくったのであり、その環境の中に必ず主体と対象があります。必ず主体と対象を中心として環境が展開するのです。統一教会と言えば、統一教会の環境の中にも、先生を中心として、そこに主体と対象の原理があり、教会を中心とした環境の中では、教役者とそこの幹部たち、その堂会(注:教会内の牧師と長老の会合)が一つにならなければなりません。主体と対象が愛で連結されなければなりません。愛で連結されなければならないのです。

 そのようにならなければならないのであり、皆さんは、その愛で連結され得る父母の立場にいるのですが、愛を中心としてこのような雰囲気も収拾することができなくなれば、何が先に打たれるかというと、旧約時代に相当する財物が先に打たれるのです。生活に窮するのです。貧しく暮らすようになるのです。そのようになる前に、家も雷に打たれ、すべてそのようになるのです。

 牛も死ぬ、そのような不思議なことが起きるのです。

 その次には何かというと、自分の息子が激しく打たれるのです。それでもできなければ、その時は自分自身が打たれるのです。自分自身が問題になる時は、問題がもっと大きいのです。これが蕩減法です。旧約時代と新約時代、旧約時代の物質から新約時代の子女、その次には父母にこれを展開すれば、物質、子女、身体です。それゆえに自分自身に問題が発生すれば、その時は遅いのです。

 失ってしまった息子は、どのようにしますか。息子が引っ掛かることから免れなければならず、万物が引っ掛かることから免れなければなりません。

 そのようにしようとすれば、家を出るなどの受難の道を行かなければなりません。監獄に行ってくるなどの異変に遭わなければなりません。家が滅びたり、妻が死んだり、自らの身に何かの事件が起きるなどしなければならないのです。(一八五−一二三、一九八九・一・三)

 霊界と肉界、統一教会とキリスト教を代表できるこの基準を心情圈に連結させた人が興進君です。興進君が行ってイエス様と一つになることにより、真の御父母様の愛を中心として、統一教会の地上基地と天上基地に愛の橋が架けられるのです。それによって、統一教会を中心として、既成教会の指導者がレバレンド・ムーンと連結され、韓国と連結されるということが、今、起きているのです。

 今年、七千人の牧師が韓国に行くということが起きたのも、既にキリスト教を中心として、韓国の統一教会と世界のキリスト教が、縦的な面において一つになっていることを象徴するものだということを、皆さんは知らなければなりません。

 今年、七千人の牧師の韓国訪問さえ終われば、アメリカの宗教界のすべての指導層は、イスラエル民族が行ったように、みなカナン福地に向かっていくようになるのです。全キリスト教に新しい方向が決定するのです。(一六八−六三、一九八七・九・一)

 私が監獄に入っている時に七千人の牧師を教育させたのも、すべてその基盤を通してしたのです。霊界が先頭に立って活動し協肋しなければなりません。

 アダムとエバを創造する時、先に天使世界が活動したように、この国家運動をするためには、霊界が活動することができるように環境をつくらなければなりません。

 その期間に興進君が霊界に行きました。興進君が行くことにより、地上世界が連結され、霊人たちが真の父母の名によって動員され、定住して活動できる基地が生まれたというのです。霊たちが待っています。待っている霊的基盤で皆さんが行くのです。それを知らなければなりません。(一六一−一七三、一九八七・二・二六)

 いかなる侮辱を受けたとしても、世界の主人の位置に進んでいくのです。その覇権を握らなければなりません。この国の大院君も、何の狗と言われましたか。隣の家の何の狗ですか。喪家の狗です。「喪家の狗」と言われながらも、あらゆることを行いました。同じです。私には無念なことがたくさんあります。悔しいことがたくさんあるのです。人間世界に生まれて、七十近い人生において、悲劇の場面はすべて消してしまい、すべて忘れてしまうのです。

 今、共産世界で呻吟している奴隷を解放しなければなりません。それを解放するまでは、いかなる困難に遭ったとしても、私はそれを克服しようと思います。今、皆さんは、南北統一をやり遂げてしまわなければなりません。原理観において、責任をもつ三十六家庭となり、責任をもつ皆さんの家庭になっていれば、なぜ興進君が死に、なぜ先生の家庭に艱難が来て、なぜ先生が監獄に行ったのでしょうか。蕩減復帰路程の前に間違いなく引っ掛かるようになっているのです。

 今回、興進君が来てすべて世界的に整備し終えたので、今からは、新しい出発を懇切に求める心で目を開いてまっすぐに向き、原理観で正しく見ながら合わせていかなければならない責任が残っています。それを一言で言えば、先生が皆さんに世界的蕩減を相続してあげたので、皆さんは、責任さえ果たせば解放が終わるのです。そのような砲弾として一度、用いられますか、用いられませんか。

 皆さんは砲弾になるのですか、砲身になるのですか。砲身は先生です。ですから、引き金を引けば、まっすぐに進んでいかなければなりません。私が撃ちます。間違いなく的中するように、すべて教えてあげました。(一七二−八三、一九八八・一・七)

 皆さん、ドイツの科学者たちが、「レバレンド・ムーンでなければならないので、無条件に受け入れなければならない!」と言って、言論界がみな反対する中で「レバレンド・ムーンでなければならない!」と言っているのです。このように変わることができますか。責任者は、耳があれば少し聞き、考えがあれば頭をもって少し考えてみなさいというのです。CIAやFBIが気分を悪くするかもしれないと案じて話さないのです。このように聴衆の前で大胆な話をするレバレンド・ムーンだとは、収監者たちは絶対に思いません。

 ですから、私が監獄に入っていくことによって全体が良くなることができるならば、私は監獄の道を行く人だというのです。なぜでしょうか。それは、蕩減復帰の原則において、サタンもレバレンド・ムーンの家庭でこれを願うはずであり、神様もそれを願うので仕方がないというのです。ですから、昨年、興進が逝き、私も監獄に入っていきました。蕩減条件が多いのです。いくら見てもそれをする人がいないので、サタンもそれを願い、神様もOKだとおっしゃるのです。そのようなことをよく知っているレバレンド・ムーンにとっては、監獄は監獄ではありません。成功を生み出すための所です。(一三四−二一、一九八五・一・一)

 アメリカは白人社会です。白人の教会が一番良く、白人の牧師が一番良いのであって、なぜ韓国のレバレンド・ムーンが良いのですか。しかし、優秀な群れは、「レバレンド・ムーンが良い」と言うのです。霊界が激しく動いていく時に、地上が静かであり得ますか。

 私がダンベリーに入っていくことによって、北朝鮮と韓国の交流が起き、共産世界から中共が飛び出してきて、キリスト教会が統一教会に反対していたのが、今は反対に「ああ、統一教会だけが本物であり、私たちが異端だったのだなあ!」ということが起きるようになりました。中共があのようになったということは、低開発国家のすべての共産圏国家では、既に半分以上がそのように染まっているということです。そのように思います。

 アメリカのレーガン大統領がよく理解し、少し上手に主管しなければならないのですが、それを知りません。グアテマラでは、「解放神学は良い」と言って大騒ぎですが、ローマでは、「これは異端だ」と言って首を切っているのです。ローマ教皇庁では、レバレンド・ムーンを異端と言っていますが、そのローマ教皇庁を代表する学校の学長がレバレンド・ムーンに博士学位を与えるので、これはどれほど違うかというのです。

 どこに行こうと、悪口を言われてもじっとしており、ただ悪口を言われていたのですが、今からは、悪口を言えば捕まえて、「レバレンド・ムーンの何が悪いのだ?」と言って闘います。そのように攻撃しても、何も言うことができない時代に入ってくるのです。

 私が南米連合会をつくりましたが、南米連合会において、「レバレンド・ムーンが一番だ。私たちは、アメリカを相手にして南米連合国をつくろう!」、このようにしています。そして、「宗教界の六つの教団が一つになり、今後『世界経典』を作ろう!」と主張すると、「良いです!」と言うのです。そのようなことが起きています。私たちも歓迎です。

 このような話を並べ立てれば、心臓に空気が入って(注一興奮、わくわくすること)飛んでいくかもしれないので、先生はやめなければなりません。心臓に空気が入っていって上がっていけば大変です。いずれにせよ、知らないにしても、先生は立派な先生だということだけは間違いないでしょう? (一三四−二一、一九八五・一・一)

 統一教会の歴史において、興進君が霊界に行くことは悲惨なことです。さらに、先生の家庭における十字架を背負っていったのです。家庭が打たれる時です。統一家の中心家庭が犠牲になるのです。興進君でも地上の問題処理は完全になされません。それゆえに、先生がダンベリーに入っていき、初めてアメリカの新しい方向、アメリカのキリスト教の方向を転換させたのです。今は彼らも知りました。

 私が獄中にいる時、三十万人以上の牧師に統一教会の「原理」と「勝共理念」、「統一思想」、その他の書物を配付したことがあります。アメリカ全土の教役者に配付したことが問題になったのです。今でも問題になっています。(一四二−六一、一九八六・三・一)

 先生は、ダンベリーを中心として世界的に地獄と天上の門を開け放ち、地上の地獄の門までも開け放ち、ダンベリーを出る時には、統一家と先生を中心として、東西四方の万国が連結されるのです。そのような基盤を築こうとするので、真の父母の息子である興進を送って霊界を救わなければなりませんでした。

 真の父母の愛を体験するという、そのような願いを成し遂げなければならなかったのです。イエス様も、真の父母の息子として生まれることはできませんでした。真の父母になろうとしたのでしょう? 天地を中心として、代わりの祭物的立場において、真の父母の愛圏を中心として霊界に行ったのは興進君しかいないというのです。(一六九−二〇二、一九八七・一〇・三一)

 皆さんは知りませんでしたが、一九八三年三月一日を中心として、アメリカにおいてすべての教会を新たに収拾し、世界的な全面攻勢の時代に入っていくようになりました。一九八三年三月一日に機動隊を再編成し、アメリカにあるキリスト教を連合する運動を始めたのです。この時には、アメリカのキリスト教が反対する立場から戻ってくれば終わりです。

 きのうまで反対していたアメリカの教会が、何の条件もなく、何の動機もなく支持することはできないのです。ここにおいては、一大蕩減条件を立て、一大犠牲の代価を払い、蕩減させるということが起きなければなりません。ですから、統一教会を三年間全面的な蕩減路程に立たせて追い立てるのです。そのようにして、蕩減しなければならない環境的条件の量が満ちなかったので、興進君の問題や先生のダンベリーの問題が起きるのです。(一四二−五二、一九八六・三・一)

 涙をたくさん流さなければなりません。胸が張り裂け、つめがずたずたに引き裂かれなければなりません。先生にどのような内容が詰まっているのか知っていますか。知らないでしょう?この道を築いてくるまで、韓国人を恨むならば声をあげて泣きながら恨むことのできる歴史的背景をもっていることを私はよく知っています。したがって、私が口を開いて一言恨み事を言う日には、がらがらとすべて壊れていきます。五千年の受難の歴史が粉々にすべて壊れるということを知っているので、舌をかみながら耐えていくのです。

 今まで最も悔しかったことは、一九五五年に私が尋問を受けるために裁判所に出頭した時、私の公判日に公判廷において反対した人が誰でしょうか。一度統一教会に従ってきて、途中で離れていった人が、自分の立場を弁明しようとするので、「文鮮明が悪い」と十人ならば十人、百人ならば百人が反対するのです。

 その中で、自分が血を吐いて死んでもどうこうすると三代をかけて誓った、そのようなある人が、「全くいい気味だ。神様が愛するという人がそれ見たことか。行く先々でこのような目に遭う分際で何が神様だ? 悪魔の先発隊だということを知らない男だ」と言って忠告したことが忘れられません。難しいことがあるたびに、私は思い出します。どこに行こうと、忘れようとしても忘れることができません。

 私が神様のみ旨を成してさしあげようと決意したことをよく知っています。神様の愛はこうだということを知り、ひざまずいて感謝し許してあげなければならない、そのような道が残っているということをよく知っている人です。血が噴き出たとしても、御自身の解放の道を行かなければならない、恨みに染まった神様であられるということをよく知っている人はほかにいません。

 拷問によって倒れていく立場でも、神様に祈祷しませんでした。「私を救ってください」と、「私は追われて回りましたが、神様のみ前に行って私の行くべき道を守ってください」と、「私を救ってください」とは祈祷しない人です。私は、男として自らの余力をもっており、自らの気迫をもっており、闘うことのできる自らの力をもっている人です。

 私の力が足りずに意識を失って倒れたならば、私を救ってくれるはずであって、それまでは私の力で持ちこたえるという意志のある人です。私が行く前に、あらかじめ神様が先に準備して待っていらっしゃるということを知っているのです。(一三八−三五八、一九八六・一・二四)

 統一教会を見れば、世界の頂上にすっかり上がってきました。蕩減復帰によって、サタン世界においてすべてのものを奪われる大王の役割を果たしたのです。「サタン世界において、今まですべてのものを犠牲にし、怨讐を愛しなさいと教えておきながら、その怨讐を通して私のものをすべて奪っていくのか」、このように言って、「あなたが最も愛する人を私が奪い取っていく」と、サタンが言うのです。打ってしまうのです。

 そのようにしながら、「それでも愛するのか。それでも愛するのか」と言うのです。「私が、レバレンド・ムーンの愛の力がどれほど強いか見てみよう」、このようにしながらテストするというのです。それで、今回興進が逝ったのです。「あなたが神様をより愛するのか、人類をより愛するのか、あなたの息子をより愛するのか」、これをテストするのです。そのサタンに恨みを晴らそうとするのですか。そのようにしてはいけません。そのようにすれば、私をどのように扱うでしょうか。

 私が率いる国、あるいは反対するアメリカ、反対するソ連までも解放しようとするのです。そのようにしてこそ、そのすべてのものが正常になると考えるのです。私たち統一教会は、サタンがいくら発動したとしても、「お前たちが強ければ強いほど、天国の版図は広がる」、このようにしながら歩んでいきます。興進が霊界に行ったとしても、彼を通じて霊界を動員し、地上を動員できる天的な勝利の基盤が築かれていくのです。ですから、「打ちなさい」と言っても、打たずに後退する時が来るというのです。そのように思います。(一三〇−一六〇、一九八四・一・八)


2 私が行かなければ神様がお行きにならなければならない道

 レバレンド・ムーンがアメリカに来てから十五年という期間に、どれほど迫害され、人としての待遇を受けることができず、どれほど冷遇されましたか。

 それを自ら進んで受けてきたのです。世界的な責任分担を果たしたという条件を立てなければなりません。一九七六年に共産党が最も……。しかし、闘いながらその峠を越えてきたのです。そして、一九七九、一九八〇、一九八一、一九八二、一九八三、一九八四、一九八五、この七年間、十字架の艱難時代に直面するのです。それを知らなければなりません。そして、一九八四年が最も難しい迫害の時代だというのです。それで、監獄に行ったのです。

 そして、先生の家庭の息子、娘がみな艱難を受けます。一九八三年、一九八四年、一九八五年の三年間、家庭が艱難を受けるのです。家庭的十字架です。一九八四年、その時に興進が亡くなったのです。一九八三年十二月に事故が起き、一九八四年正月二日に霊界に行きました。すべて銀鮒時代です。

 それから先生が監獄に入っていったので、一九八五年までが家庭的艱難時代です。第二次大戦直後、一九四五年八月十五日が光復節ですが、一九八五年八月二十日にダンベリーから出てきたのです。光復節は八月十五日でしょう? これを過ぎてから出てきたのです。四十年圏内のすべてのものが清算されるのです。ですから、イスラエル民族を新しく編成するのと同じです。(一四九−三二九、一九八六・一二・一二)

 蕩減復帰時代において皆さんが活動するのは皆さんの収穫になります。これは、皆さんが活動するのではありません。霊界の先祖たちがすべて……。これがすべてこのようになることによって、霊界の垣根も分けられるのです。先生が地上を統一すれば、その統一を借りて霊界の門が開かれるというのです。

 ですから、大韓民国に入ってくる時、ダンベリーに行って祈祷しました。二月一日(一九八五年)でしょう? 午前三時にお母様と約束して祈祷したのです。

 愛の力をもたずしては門をたたくことができません。愛の力です。地獄やすべての門が閉じられたのは偽りの愛ゆえにです。「開天日」に門を開けるのも真の愛でなければなりません。(一六四−二七六、一九八七・五・一七)

 今日、統一教会も同じです。世界のキリスト教が統一教会に一番反対するでしょう? カインがアベルを殺すように、死ぬまで反対するというのです。四十年間反対してきました。今、ようやく時になり、興進君が霊界に行って橋を架けることによって蕩減条件を立てたので、キリスト教が転換を始めるのです。

 そのようなことが分かりますか。耳の聞こえない人、目の見えない人に分かりますか。今まで先生はこのような条件を築いてきたのです。カイン・アベルの立場で、アベルの責任を果たすことができなかったキリスト教の使命、四千年歴史をもって準備したキリスト教が背信者の立場に立ったことを、私が四十年間で再び復帰して道をつくり、頂上にいるキリスト教の牧師たちをみな一つの方向に追い込み……。

 最近では、アメリカの牧師たちが、みな釜山の聖地、凡一洞の聖地などと言いながら、訪ねてくるでしょう? 聖地が二つありますか。エルサレムの聖地は何であり、釜山の聖地は何であり、青坡洞の聖地は何ですか。その聖地は息子の聖地であり、ここ(青坡洞)は父母の聖地です。何の話か分かりますか。父母の聖地がより貴いのですか、息子の聖地がより貴いのですか。ですから、統一教会の食口は、そのような意味において大きな意義があるというのです。(一四七−二五〇、一九八六・九・二八)

 今まで先生は、サタン世界の中で、このように人の知らない作戦を背後で実践してきました。人々がみな寝る時間にも、私は目を覚ましています。人々が遊ぶ時間に仕事をするのです。監獄に入っていってもじっとしているのではありません。

 このように見るとき、今、皆さんがこのことさえしてくれれば……。イエス様の「すべてが終わった」と言ったそのみ旨を受けて、キリスト教文化圏のために、十字架を生命の道に案内する本郷の旗印だと思って従っていくことにより、キリスト教文化圏が形成されてきたのと同じように、今、皆さんがこのことさえしてくれれば……。先生はすべてを成しました。

 ダンベリーにおいて、ダンベリーから出てきて、今、すべて成したというのです。それを話すことができる時が来たからです。(一三四−四九、一九八五・一・二)

 今、できれば興進と孝進が連絡しながらしなければなりません。カイン・アベルの歴史を見れば、それは簡単です。カイン・アベルの歴史を見るとき、カインとアベルが一つにならなければなりません。今、世界を見れば、民主世界と共産世界がカイン・アベルになっていますが、それが復帰の道です。これができなかったので、今まで私がすべてそのことをしてきたのです。

 今、名実共に明らかになったことは、最高裁判所の判決によって統一教会が団結したという事実です。先生の息子たちを中心として、皆さんがお互いに団結して完全に一つになるのです。興進が「統一式」を通じて犠牲の祭物になりましたが、せき立てられるのが一九八四年です。一つ一つを整備しなければ大変なことになります。そのようにして一九八五年を迎えるのです。この期間はどのような期間かというと、皆さんにとってモーセがシナイ山に行ったことに相応する期間です。

 男女がみな淫乱におぽれて、退廃的な思想で偶像に仕える人になってはいけません。それで、これまで先生がすべて固めておきました。これまで、「愛天日」から愛天のろうそく、興進ろうそく、一情会をすべてつくり、今後、私がいなくても、四十日間でこの伝統を生かす一つのみ旨を立てるために、世界の至る所でひざまずいて祈祷できるように、すべてつくっておきました。(一三三−二三五、一九八四・七・一九)

 もう先生は六十五歳になるのですが、先生が死ねば、宗教指導者としてだけ歓待されるようにはなっていません。四十億人類の前で、世界的に問題となるのです。科学者、学者たちが先生の墓地を参拝するのです。なぜでしょうか。その基盤をつくったからです。これは歴史的事実です。歴史的であり、世界的な事実です。私が死ねば、私の墓を参拝するでしょう。

 その時になれば、レバレンド・ムーンの墓に参拝したことも誇るはずですが、皆さんが先生に侍って、実践者としてこの運動に同参したということがどれほど誇らしいことでしょうか。人類歴史上になく、皆さんの生涯路程においてたった一度しかないこの時に、行くべき道を知らなければなりません。あとにも先にもない、一度だけしかない偉大な時だということを知らなければなりません。

 昨晩、興進君が霊界に行った日を記念したでしょう? 先生があの世に行けば、記念行事、歓迎会があるというのです。霊界に来たことを歓迎する貴い歓迎会が行われるようになる時、歴史を発表するのです。その時は、皆さんもみ`な行っているでしょう。

 その時に、先生の時代において使命を果たした同参者たちを冷遇するでしょうか、歓待するでしょうか。その時、その先祖たちが、「違う、違う、その人は私の子孫だ」、そのように言うでしょうか。先祖たちがそのように言うことができますか。先に行った先祖たちが現れて、「私たちが先に来たので、私たちがその位置に行かなければならないだろう、あなた方は私の子孫ではないか!」、そのように言うことができるのかというのです。

 今、この時において、最終戦争の命令を受けて同参し、宣誓したという事実は、どれほど歴史的でしょうか。今、皆さんがこのような命令を受け、「はい」と言って誓いをなしたのちに、あの世、霊界に行き、「その誓ったことはどのようになりましたか」と尋ねられた時には、どのように答えますか。「ああ、あなたが祝福してくれた夫ゆえに、私は少しできませんでした。息子、娘ゆえにできませんでした」、それが通じますか。それを否定することができますか。この言葉が立て札として立っていて、皆さんの先祖たちを審判し、皆さんの子孫を審判することができるのです。これが、転換宣誓だというのです。転換点を決定する宣誓だということを知らなければなりません。(一三四−四九、一九八五・一・二)

 私一代において三時代を歩くのです。父母になり、国王になり、神様の代身者になるのです。聖子の位置を取り戻すのです。それはアダムの位置です。三大基準を完成させるこの位置に立っているのです。

 原理観がそうです。アダム完成、イエス完成、自分自身完成を経てきたので三代です。旧約時代、新約時代、成約時代、完成をすべてなしたというのです。

 ですから私は、世の中の波乱、波風をすべて味わってきたのです。私は、すべてを奪われました。奪われる前に、すべてばらまいてあげました。あなた方が来て、私にお金があればみな何かを買ってあげようと大騒ぎなのです。サタンに奪われる心配はないと思いますが、ばらまいてあげるのです。これをはっきりと知らなければなりません。

 先生自身がこの道を歩むとき、キリスト教でさえなければ何の問題もなかったのです。私の子供がなぜ苦労するでしょうか。カインがいないので、私がサタン世界に出ていってアベルの代わりにカインを復帰してきたのです。

 それゆえに、今回も、私がキリスト教を復帰しなければ帰っていくことができないと考えているのです。行くことができません。監獄に行けば行ったのであって、行くことができないのです。監獄に行けば、摂理が継続しますが、背を向ければすべて終わるのです。原理の道はどうすることもできません。私が原理を知らなければ、既に滅びてしまっています。今まで天が私についてくるということはありませんでした。(一三三・二四四、一九八四・七・一九)

 人間が願うこととは何でしょうか。人間は、最大の成功を願い、最大の出世を願います。最大の出世とは、神様の息子、娘になり、天国の王女、姫になることです。王子の母になることができるその道を求めていくのです。そうでなければ、王子の母の嫁になり、娘婿になることです。それ以上の幸福の道がどこにありますか。億千万世を中心としてです。ですから、真剣でなければなりません。

 太陽を見ても、過去の父母、皆さんの先祖たちが見たものと違っていなければなりません。神様が造られた太陽を神様が見つめられるときと同じものを感じようとしなければなりません。きょう話してあげたように、万物を見てもそのように感じなさいというのです。種が違うのです。違うので、おかしな目で見るのです。違うので、サタン世界が迫害するのです。

 しかし、皆さんに加えられる迫害が千年続きますか、万年続きますか。いくら続いても千年続くことはないというのです。私の主張は、迫害を経て千年、万年続くというのです。先生にそのような思想がなければ、既にいつ流されていったか分かりません。

 激しい風霜に一人で責任を負い……。皆さんは流れていくのですが、私は天の人として、流れてはいきません。皆さんの子孫が、私の前にひざまずいて先祖たちの過ちを悔い改めるようになっているのであって、私が誤って悔い改めるようになっているとは思いません。

 さあ、そのような世界の前で、皆さんは、総収拾することができる統一の役軍としての旗手になりなさいというのです。二代が重要です。

 十字架を背負わなければなりません。皆さんは二つの世界で生きているのです。(一三三−二〇七、一九八四・七・一〇)

 私が卑賤な立場からここまで歩んでくるにおいては、どのような思想があったのでしょうか。何がそのようにさせたのでしょうか。「ため」に生きる思想一つしかありません。私が過ぎゆくところでは、負債というにおいは漂わせませんでした。負債を負わせたのです。もしある国と民族があれば、その国と民族のために涙を流しながら福を祈ってでも行こうとしました。サタン圏を完全に占領した立場で生命の道を行こうとするので、必然的にそのように行かざるを得ないということをはっきりと知らなければなりません。

 「足よ、いつお前が部落のために、国のために、世界のために生きてみたか。この目よ、鼻よ、口よ、いつそのようにしてみたか。手よ、いつしてみたか」と言えば、「命令さえあれば、いつでもします」、このように答えるというのです。私の目、私の精神がそうだというのです。いくら最後の死が訪れてきたとしても、私は「死」という名詞の前に負債を負っては行きません。負債を負わせて行かなければならないというのです。

 それゆえに、興進君が霊界に行くことにより、霊的世界、肉的世界にこの上ない跳躍が起きたということを皆さんは知りません。そのようなことは、理論に合わなければなりません。興進君は知らずに行きましたが、行ってみて、お父様が素晴らしいということを知ったはずです。興進君も、このような内容を説き明かし、天と地を接近させる統一的運勢を集めてきたという事実です。

 神様御自身も、先生に対して感服していらっしゃいます。どのようにしてこのようなことをすべて知り、霊界の解放圏をつくったかというのです。そのような知恵があるのは、すべて「ため」に生きるからです。「ため」に生きる時には無限の能力が生じ、同じように、その道は難しいのですが、その道をすべて広げていくのです。これは、うまくいかないで滅びるように見えるのですが滅びません。大変なことになるように見えるのですが、そうではありません。(一三二−三六、一九八四・三・一)

 真の愛はサタンを恐れますか。サタンが真の愛を恐れるのでしょう? 真の愛をもった人が監獄を恐れますか。また、監獄に行くことを願うからといって、行くことができますか。今まで先生は、み旨のために監獄生活をたくさんしましたが、皆さんは監獄に行って何年ぐらいいましたか。先生よりも少ないでしょう? 「先生は六回も行ったので、私は一回行けばよいだろう」、このように考えるのですか。

 さあ、責任を果たすことができずに自らの責任を父母に負わせたのであり、その責任が父母にまで及んだので、父母にまで罪を犯したというのです。自分が父母にまで罪を犯したので、何百倍努力してもそれを解くことはできません。イエス様に対して、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊!」と言ったのですが、今、神様が先生に対して、「見よ、世の中の責任分担という荷物を背負っていくレバレンド・ムーン!」とおっしゃるのと比較してみるとき、どちらが易しいでしょうか。責任分担のほうがより難しいのです。愛の十字架の道です。

 先生には怨讐が多いのです。怨讐が多いのですが、怨讐を忘れてしまうことを御飯を食べるかのようにしました。良いことをして忘れてしまうことを、村を通り過ぎるかのようにしてしまったのです。もし責任分担を私が果たしたという考えや、それから私が善を行ったと考えるようになれば、それ以上道を行くことはできないのです。そこで満足してとどまろうとするのであって、それ以上行こうとはしません。「まだしていない、していない、できていない、できていない」と考えたのです。何もないので行かなければならないと考えたというのです。なぜかというと、個人は、家庭の責任分担が完成してこそ生きるからです。家庭は、氏族の責任分担を完成してこそ生きるのです。この中にすべて入っていくのです。今のものはありません。未来のものに入っているのです。すべて世界的なのです。そうでなければ、天地すべて、神様まで到達するようになったとしても、いくら完成しても、すべて無効です。(一四九−三二九、一九八六・一二・二一)

 私たちの父母は神様であられますが、今、神様は、死刑囚として刑場に出ていく息子を思うとき、許す法があればどのようなことをしてでも許してあげようとされます。国の法をなくしてしまうことができれば、すべてなくしてしまってでも許したいと思うのが父母の心です。そのような天の心を皆さんは知らなければなりません。

 そのようにしてみると、死ねといって私を追いやりましたが、出てきてみると、結局は追いやった人がみな死にました。みな霊界に行くのです。苦しめようとほうり込んだのですが、私はよみがえり、彼らはみな滅びたのです。私たちは打たれて奪ってくるのです。悪は打って滅びるのです。

 それゆえに、第一次大戦も、打った者が負けたのです。打たれた者が勝利しました。第三次大戦は今ですが、第三次大戦もソ連が打っています。民主世界は打たれています。民主世界、私たちが打たれています。全体の前で、最後に私たちが最高の位置で世界的に打たれています。私がそのようにしているのです。歴史始まって以来、私以上に打たれた人はいないと思います。私以上に悪口を言われたが人がどこにいるでしょうか。数百の国家を合わせてレバレンド・ムーンを知らない人がどこにいますか。アフリカに行っても、みなレバレンド・ムーンを知っています。レバレンド・ムーンの悪口を言わない人はいません。

 「レバレンド・ムーンは悪い人だと思っていたが、今、アメリカからこのようにするので、悪い国はアメリカであり白人だ。罪のないレバレンド・ムーンが打たれている」と言うのです。白人たちが罪のないレバレンド・ムーンを謀略中傷し、善の人を捕まえて殺そうとするので、黒人たちがインディアンと共に闘うのです。これがひっくり返ったというのです。それがすべて完全に世の中に明らかになりました。ですから、やむを得ず福をすべて譲り渡さざるを得ないのです。環境的に追い込まれるので、責任分担を中心として私がこのような闘いをしてきたのです。(一三三−一三二、一九八四・七・一〇)

 原理を中心として、先生は何度も監獄に出たり入ったりしました。以北から以南まで、行く先々においてです。それを知らなければなりません。なぜ蕩減復帰しなければならないのでしょうか。

 なぜサタンを分立しなければならないのでしょうか。サタンを分立する目的は、責任分担圏自由化のためです。堕落する前、アダムとエバはサタンの干渉を受けましたか。サタンの干渉を受けては、天国に行くことができません。自分はどこに立っているのかというのです。自分の良心が知っているのです。自分がどこにいるのか、それは欺くことができません。自分がどこに向かって進んでいるのかを知っているのです。

 それゆえに、先生は監獄に入っていって何をしましたか。サタンよりも神様を愛さなければなりません。サタンよりも人類を愛さなければなりません。サタンは人類を利用し、神様の代わりに利用し、人類を愛する代わりに利用し、脅迫、恐喝してすべて利用して、自らの命脈を延長させてきたのではないですか。反対に、私たちは神様を絶対的に愛さなければなりません。サタンよりも人類を愛さなければなりません。

 そのようにしようとするので、これを上がっていくことができないのです。個人で食い止め、家庭で食い止め、氏族で食い止め、民族で食い止め、国家で食い止め、世界に塀を囲って越えてくることができないようにするのです。ですから、これを囲ってしまうのです。キリスト教文化圏の歴史的な蕩減基準について言えば、肉的な基準においてこの基盤を築いた時が第二次大戦直後です。

 したがって、霊的キリスト教が、来られる主に完全に従っていれば一つになるのです。これをなすことができなかったのであり、霊的基準も失敗したので、興進君が来て、イエス様がこの地上に再臨できる基盤を連結させ、キリスト教連合運動を促進させていくのです。

 ダンベリー以後に連結させていくのです。前半三年、後半三年を中心として、今、その闘いをしているのです。ですから、平面的な路線において、七年を中心としてすべて蕩減しなければなりません。今、そのようなことをしているのです。(一四八−一九九、一九八六・一〇・九)

 私はよく知っている人です。それゆえに、これを脱がすためには、蛇が殼を脱ぐように、「風よ、吹け。春風よ、早く吹け!」と言って、毎年、一日を一年のごとくに春風を起こし、殼を脱ぐことができるようにしていくのです。

 殼を脱がなければなりません。個人的な十字架の道、世界的な十字架の道……。家庭、氏族、民族、国家、世界の塀がふさがっているので、すべて穴を開けてしまわなければなりません。そのようなことをするのです。それが真の御父母様の成さなければならない責任でした。今は、すべて開けてしまいました。

 きのうの「天勝日」もそれです。塀をすべて開けておいたのです。天上世界にもそのようにしたのです。地上世界と天上世界において、心情の道理によって真の父母を中心として生まれた息子は一人もいません。ですから、興進君を送って心情的紐帯を結び、イエス様を中心として信仰しているキリスト教と連結させたのです。そのようにすることによって、霊界に行っているキリスト教の善霊たちがキリスト教に来て、「統一教会に行きなさい」という運動をするので、アメリカはキリスト教の主導国ですが、アメリカのキリスト教徒が統一教会に来ざるを得ないのです。霊界から教えてくれるのです。霊界から教えてくれるというのです。統一教会の食口たちに対して教えてくれるでしょう? そのように教えてくださる神様が、既成教会の牧師たちに対して教えてくださらないと思いますか。(一四八−一三五、一九八六・一〇・五)

 サタンの習慣性や因習などのサタンの情がそこに連結されて、天の愛が連結されると思いますか。絶対にされません。これは絶対的です。連結されないというのです。完全にサタンを分立しなければなりません。そのような習慣性から解放されなければなりません。大韓民国の人は、大韓民国の習慣性から解放されなければなりません。このように生きるのが私たちの生活だという観念をもってはいけません。これをひっくり返して新たに生きる観念にならなければなりません。サタンがついてくることのできない観念にならなければなりません。ですから、今まで統一教会が受難の道を行ったのです。その原則を中心として動くのです。サタンが侵犯しているのか、サタンが分立されているのか、サタンが分立されれば、天は自然に現れるようになっています。

 なぜ蕩減復帰が必要なのでしょうか。それは、責任分担自由化圈をつくるためです。なぜ責任分担が必要なのでしょうか。なぜサタン分立が必要なのでしょうか。堕落していない本然の責任分担自由環境を復帰するためです。理論的になっています。先生も、それが鼻に引っ掛かっているのです。ですから、先生は世界的な反対を受けるのです。世界的な迫害を受けるのです。世界的に攻撃を受けます。その世界的迫害を受ける中で、世界的にサタンを分立するのです。ですから、ダンベリーを中心として分立してくるのです。ダンベリーを中心としてです。ここにおいて怨讐を愛し、怨讐の国を愛し、愛をもって神様のために生き、愛をもって神様のために生きるにおいて先頭の位置に立ち、愛をもって人類を抱くにおいてサタンが愛する以上の位置に立ったと宣布できる条件を掲げていくのです。(一四八−一九九、一九八六・一〇・九)

 私は、アジア人です。韓国人です。世の中から見れば、中進国家の国民の一人ですが、なぜ皆さんがレバレンド・ムーンに従い、なぜ皆さんの心が先生の行く道と共に動くのでしょうか。それは、このような天理の大道の原則を中心として、神様との関係をこのように密接に結ぶことができる伝統的内容があるからです。皆さんの心が行かなければならない本然の道がそこに連結されるので、皆さんの心はそこに動かされ、そこに引かれていかざるを得ないのです。

 レバレンド・ムーンは、神様がいらっしゃらなければ何もありません。イエス様がいなければ何もなく、善の霊界がなければ何もないのです。大変なことになります。しかし、神様がいらっしゃるので、世の中の人々が後ろ指をさせば、その後ろ指によって、自らの一族が滅び二目が滅びるように巻き込まれていくのです。もうはっきりと分かりましたか。皆さんがどのように生き、どのようにするかということがはっきりと分かりましたか。

 皆さんの口からは不平の言葉が出てはいけません。先生の口からは不平の言葉は出ません。不平という言葉を学ぶことができませんでした。み旨の前においては、「ノー」という言葉を知りません。「ノー」と「不平」という言葉を知りません。ですから、間違いないのです。これは、私が十代の時からもってきた思想です。生涯、六十年の生涯にわたってもってきたものですが、この原則は間違いなく発展してきたのです。東洋人のレバレンド・ムーンが定めたものですが、いくら異なる西洋人でも、皆さんにとってもこれは同じ公式です。それが間違っていると思えば、不平を言って「ノー」と言わなければなりません。(一三一−三三〇、一九八四・五・一九)
















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